2010.10.18

    大分前からカウフマンの「自己組織化と進化の論理」(ちくま学芸文庫)を読んでいるが、半分位からなかなか進まなくなったので、とりあえず、この段階でまとめておく。

    自己組織化というのは人によって意味が異なる。広い意味で言えば、自発的に秩序が生じることである。そういうと結晶が出来る時のように、非平衡状態から平衡状態へ、つまり自由エネルギー最小の状態へと落ち着くことも含まれてしまう。しかし、それは分子レベルのミクロな秩序であるから、工学的な意味では単なる状態変化に過ぎない。もっとも雪の結晶形のようにマクロな形状が出来上がることもある。ミクロン以下のサイズの均一な微粒子が界面に集まって自発的に並ぶような場合はセミマクロであり、例えば干渉によって色が生じるとか、の有用なプロセスであるから、自己組織化の例としてよく取り上げられる。こういった平衡状態への変化とは別に非平衡定常状態において空間的時間的パターンが生じることがあり、シュレージンガーによってこれこそが生命の本質とされた。またプリゴジンが平衡からは遠く隔たっていながらも定常的なエネルギーの流れの中でパターンが生じる場合の熱力学が論じられた。薄い流体を下から加熱して熱流を起こすと流体の流れとの非線形な相互作用から蜂の巣のようなパターンが生じる、とか化学反応によって時間的空間的パターンが生じるとか、そういうことである。そういったパターンがまた痕跡として残す貝殻のパターンなども自己組織化と称されることがある。

    吉田民人の自己組織化は生命以降に限定されていて、その必須要素として、秩序を生じさせるためのプログラム(これもまた秩序)が存在していること、とある。自己保存系と言ったほうが適切である。これは自発的に秩序が生じるという定義からすればやや外れていて、秩序を決定付ける為のプログラム要素が進化の蓄積によって既に存在していなくてはならない。生命ではプログラムはDNAを代表とする遺伝情報ということになる。さて、カウフマンの自己組織化というのもまた生命現象以上のレベルのことを想定している。生命は進化によって自己組織化のプログラムを改変し種を分化させてきたわけであるが、そのメカニズムとして挙げられるのがダーウィンの自然淘汰である。カウフマンの問題意識は、果たして自然淘汰だけで生命の進化が説明できるのであろうか?ということである。いろいろな確率計算によって、それだけだと現在の地球に繁茂する生命系が生じたのはとんでもなく確率の低い偶然である、としか言えない、ということいえるからである。これではわれわれ人類の存在は何の必然性もない、という結論にならざるを得ない。単にサイコロを振るようにしていろんな化合物やら構造が試され、それが自然淘汰の篩にかけられたということではない筈なのである。つまり自然淘汰にかかるべき試行秩序が生じるメカニズム(法則)というのがあって、その結果として生じる試行秩序というのは等確率で生じる天文学的な種類の秩序の内の一つではなくて、メカニズムに従った比較的少数の中の一つの筈なのである。そのメカニズムとは何か?カウフマンは自己組織化こそがそれであると主張する。

    吉田民人は自己組織系において自己保存しようとする「主体」を想定するがその起源は問わない。むしろ主体が利用するプログラムに着目する。ベルグソンは主体を elan vital という言葉で言い換えた。生きる意志、といってもよい。カウフマンにおいてはその「主体」が自己組織化というメカニズムに由来するということになる。そういう意味での自己組織化というのは最初の方で説明した現象よりもかなり限定されてこなければならない。詳細が判る筈もないし、なかなか実験も難しいようであり(つまり、その実験では生命を誕生させねばならない!)、計算機上の仮想世界で実験するしかない。そのモデルの一つが自己触媒系である。これはまあ、実際の細胞内での化学反応のネットワークを元にしてそれを単純化したものである。どんな分子でも良いのだがある程度分子量の大きな分子が多種集まっているとする。分子の中には反応の触媒機能を果たす分子がある。それは基本的には基質分子と親和性の高い形状(多くは窪み)を持ち、基質の活性を高める相互作用を持ち、反応の閾値を下げるということである。所謂酵素である。基質分子の反応を助ける触媒分子という形で、多くの種類の分子が繋がっていくと、その繋がっていった先に生じる分子が実は最初の触媒であった、という場合が有り得る。こういうのが自己触媒系である。つまり、反応は連鎖反応となる。分子の種類が多くなってくるとそのような自己触媒をなす連鎖が多く生じてくる。カウフマンは分子の種類の数や分子が他の反応の触媒になる確率や、その反応の様式などをパラメータ化して、そういった性質をランダムに与えることによって、モデル的な自己触媒ネットワークを作り、その帰結を計算機上で確認している。与えたパラメータに対してシミュレーションで得られた結果は比較的単純なものであって、あるパラメータ範囲であれば系は特に目立った反応ネットワーク構造を作らないのであるが、その外側では、系は反応がカオス的に活発になり、多くの分子を巻き込むようになる。つまり反応の暴発である。これはまあ理解しやすい。比較的分子種類の小さい系としては、文字通り燃焼による爆発がそうである。種類が多くなると燃焼のように少数のパラメータでその状態を記述するのが困難となり、所謂「複雑系」ということになる。この複雑系という言葉もいろいろな使われ方がするのであって、単に階層構造を持った複雑な系を指すこともあるが、ここでは複雑な反応のネットワークという意味である。カオスに至る経緯(つまりそのパラメータの変化に対する振る舞いの変化)については非線形数学の分野でよく研究されていて、個々の分子数のような多次元空間で観察すると、最初はその多次元空間の特定の領域を巡るリミットサイクルが多数生じて、更にパラメータを変えるとあるパラメーターから先はカオスとなる。カオスになってしまうと系にある刺激や微小変化を与えた結果というのが予想不可能となる。

    さて、カウフマンは現在の生物における分子の種類数から見積もって、既にそのカオス状態にある、と推定する。何故カオスにならないのか?というのが不思議であるが、むしろ、カオスになることを巧みに避けることで生命が成り立っているのである。その最初の道具はおそらく膜であったと考えられる。膜構造で隔てる事でカオスに至るような微小変動(つまりこれは毒物である)を入れず、反応系を維持するに必要なエネルギー(栄養)を取り入れる。脂質二重膜は脂質分子の性質であって自発的に生じる可能性が高いから、分子の種類がある程度増えた段階でうまくその中に閉じ込められた分子群の中から最初の生命が生まれたのであろう。更にカウフマンは計算で得られた結果を眺めることで、絶えず揺らいでいる反応のネットワークには固定的に生じている分子群があることに気付く。これらの分子群はいわばこの安定した反応ネットワークの結節点になっていて、それに至る分子が変わってもいろんな経路の反応で維持されているのである。カオスの用語でいうとアトラクターであって、近辺の多くの軌道がそれに引き込まれて出てこなくなる。生命が恒常性を持つにはそのようなアトラクターがなくてはならないだろう。そのような分子の最も安定した物がRNAやDNAであったと考えられる。つまり、吉田民人のいうプログラムというのは反応ネットワークの結節点として自発的に生じたものである。その候補は多くあったと考えられるが、RNAやDNAは自己複製しやすいという性質を持っているために、他の候補との比較において自然淘汰に生き残ったと考えられる。もっとも、どうやって自己増殖という機能を持つに至ったかということについては説明がない。

    ともかく、こうして生命が誕生してしまえば、あとは自然淘汰が働く。つまり、生命の源は自己触媒ネットワークの爆発的な非線形発散であり、それを制御しながら自己組織化が生じている。そして、その制御の仕組みを調節するものが自然淘汰という仕組みである。どんな生物も永遠に恒常性を保つ訳ではない。必ず小さな揺らぎが生じており、あちこちのDNAは変化している。しかし、その変化の大部分は反応ネットワークに致命的な打撃を与えることにはならない。それらが積み重なって閾値を越え、環境の変化が起きたときに突然変異として表現される。このような変化によって、生物の進化はカオスの方向に向いながらも自然淘汰によってカオスの側から追いやられ、カオスの淵の少し内側を彷徨っていると考えられる。そして、ちょっとした切っ掛けでカオスの側に吸い込まれて絶滅する。カオスの淵自身、環境の変化によって絶えず揺らいでいるからである。

    生物学の全てを語ることはこの本の目的ではないし、そもそも不可能であるから、その幾つかについての自己組織系の考え方(解釈)を語ることしかできない。その中で物理屋らしい考え方がよく出ているのが第5章「個体発生の神秘」である。精子が卵子に入って接合子(受精卵)が出来る。これが卵割(細胞分裂)を行いながら中空となりその壁は分化して子宮の内壁に入り込み胎盤その他の物を形成するが、内部細胞塊という少数の細胞が中空の中に入り込み将来の生体となる。大まかには内胚葉、中胚葉、外胚葉であるが、人間の場合256種類の細胞に分化して組織を構成している。これらの細胞には全ての遺伝子が入っているのに何故異なるのか?それは活性化される遺伝子が異なるためである。この活性制御の仕組みはジャコブとモノーによって発見された。つまり、遺伝子情報(構造遺伝子)の近くには作動遺伝子(オペレーター)が存在し、そこにリプレッサーというたんぱく質が結合するとRNAへの転写が抑制されるのである。環境から特定の分子が入ってくるとリプレッサーと結合してその形を変え、オペレーターと結合できなくなって、構造遺伝子が転写される、という仕組みで細胞は環境に対応した遺伝子発現の制御を行っている。このリプレッサーそのものもまた他の場所にある遺伝子の転写で作られるのであるから、結局遺伝子は遺伝回路を形成し、互いにスイッチを入れたり切ったりしている、ということなのである。ジャコブとモノーはこれらの遺伝子セットの安定な組み合わせの一つ一つが細胞の種類に対応すると考えた。カウフマンはもう少し一般化して解釈する。このような遺伝回路というのは自己触媒系を形成し、その回路の複雑性のパラメータのある範囲において、幾つかのアトラクター(いろんな状態遷移がそこに集まってくるような循環経路)を生み出すことが知られている。発生によって生じる細胞の種類というのはこのアトラクターのことなのではないか、というのがカウフマンの考えである。細胞が一旦一つのアトラクターに入ってしまえばそこからはなかなか抜け出せないということが細胞分化の本当の意味であるし、少数の分子あるいは遺伝子の発現によってのみそのジャンプが可能となるのである。自己触媒系の計算機シミュレーションによって、遺伝子の数とアトラクターの数の間には関係があることが示される。またアトラクターにおいてその循環時間のスケールはオーダーが見積もられる。いずれも遺伝子数の平方根に比例する。こういう大雑把な比例関係のことをスケーリングといって、物理屋が理論と実験を比較するのに使う。いろいろな生物での遺伝子数や細胞の種類や細胞分裂周期が判っているから、このようなスケーリング則が合っていることを確かめることができるのである。

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