2007.04.04

     吉田民人 氏の東京情報大学での講演のビデオを見た。なかなかすっきりとまとまった話であった。情報という言葉はそれぞれの分野で拡張解釈されていて混乱しているが、文科と理科を共通で纏める立場としては、これにしっかりした定義と重大な意味づけを与えたい。ということで、非記号情報と記号情報に別ける。情報とはアリストレスいうところの形象である。非記号情報とは意味をもたない形そのものであって、物質世界での有り様そのものである。これに対して記号情報とは生命誕生によって生まれたものであり、認知→評価→指令というプロセスを辿るものである。最初の情報はゲノムであり、それは意味するものとして形を持ち、意味されるものとして合成されるたんぱく質を持つ。これをスタートとして、情報は分化発展してきて、言語に到る。つまり進化というプロセスがこの記号情報を意味づける重要な要素となっている。それは生物的な意味だけでなく心理的・社会的・文化的な意味もこめられる。さて、科学が生まれたのは16〜17世紀であった。そこでの基本原理は3つあって、
1.存在するものは物質とエネルギーである(神は存在しない)。
2.この世の現象は法則によって支配される。(この法則は経験則のようなものを含まない。)
3.科学の使命は認識であり、それ以上には及ばない。
しかし、生命科学の発展によって現在進行中の現象はこの科学の定義を拡張せざるを得ないところにまで来ている。21世紀は第2の科学革命として位置づけられるであろう。基本原則を対比的に述べるならば、
1.存在するものは、物質・エネルギーと情報である。
2.この世の現象は法則だけでなく、規則や設計図によって支配される。
3.科学の使命は認識だけでなく、設計も含まれる。(これは工学の立場を科学として認めようというものである。)

     生命科学や社会科学においては、物理・化学のように法則は存在しない。勿論物理・化学の法則には従うわけであるが、それだけでは現象の説明にも設計にも役に立たなくて、支配する設計図、プログラムの追及こそ、生命科学や社会科学の目的とするところである。経済学には法則があると言われるが、それはあくまでも経済合理主義を貫く個人の集合体としての「法則」であるから、むしろ経済合理主義者集団のプログラム(近代合理主義)というべきものである。

     神は物質・エネルギーとしての存在ではない。あくまでも個人の表象として存在する。このような存在を認めることは重要なことである。何故ならばそれが人間生活にとって重要であり、プログラムとして機能しているからである。

     2元論は最初の科学革命においては否定されるべき態度であるが、第2の科学革命においては擁護される。殆どの存在は物質・エネルギーの側面と記号情報の側面の2つが裏腹になっているからである。人の自由は記号情報の操作によって基礎付けられる。

     さて、こうして記号情報という概念によって一つの整理の方向性が示されたわけであるが、具体的にその有様を解析するのはなかなか大変な仕事のような気がする。
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