2011.10.22

    「自己組織化と進化の論理」であるが、第7章「約束の地」は挿話的である。ゲノムの知識を応用して新薬を作る方法の話である。応用分子進化というのは、ともかくランダムに多種類のDNAを合成してしまってから、役に立つ構造遺伝子、つまりたんぱく質を見つける、というやり方である。抗体を使って結合するものを選び出せばよい。目標とするレセプターに結合する分子を鍵として、それに結合する抗体(鍵穴)を作る。次に抗体にランダムに合成されたたんぱく質の中から合うもの(鍵)を見つけさせる。ワクチン開発にも使える。鍵は一つではない。結合するような幾何学的、親和的な構造を持つ蛋白質は多数あるからである。つまりピッタリ合うとは言っても許容誤差があり、このことにこそ有限の可能な抗体分子で無限の抗原に対応している獲得免疫システムの秘密があるのである。ランダム化学というのは自己触媒系を利用して爆発的に多数の分子種を作り出し、そこからやはり抗体を使って有用な分子を選び出す手法である。

    第8章「高地への冒険」では、以後良く使われる「適応地形」という概念が登場する。生物の遺伝子空間において、どの程度環境に適応しているかを山の高さで示した多次元の地形である。1940年頃に生物学者が使うようになった。進化というのは適応地形においてその頂点を目指して登る事であるが、そのプロセスの特徴について解析する。遺伝子空間で実現している一つの点は生物系にとってのプログラムと言えるだろう。プログラムという観点から見ると、その効率性から見た場合、冗長性を取り除いて出来るだけ情報量を節約すべきかもしれない。しかし、それはプログラムの一部の変更が破壊的な影響を及ぼす事を意味する。冗長性があれば、変更しても他のサブルーチンが機能するであろうから。このことを遺伝子の観点から見ると一部の遺伝子の変更が破壊的な影響を及ぼす事を意味する。つまり、適応地形としてみれば、ある程度適応している点の直ぐ近傍には適応の谷間があって、油断するとそこに落ち込むということである。もしも、個々の遺伝子の適応度の総和として生物の適応度が決まっているならば、そのようなことはありえないであろう。個々の遺伝子について適応度を上げていけばやがて適応度の頂点に至ることになる。つまり連続してなだらかな適応地形である。実際には対立遺伝子のどちらが適応的か、ということ自体に他の対立遺伝子の状態が影響している。よく知られた統計の重回帰モデルではこれを「交互作用」と呼ぶ。統計上の変数 A,B,C は遺伝子の状態である。被説明変数(適応度)をYとすると、Y〜A+B+C というのが、交互作用の無い場合であり、Y〜A+B+C+AB+BC+CA というのが交互作用のモデルである。Y〜A(1+B+C)+B+C+BC と書き直してみれば、これは A の係数がBやCに依存することが判る。物理における統計力学ではこれは分子間相互作用に相当する。つまり、自由エネルギーは個々の分子の寄与とそれらの相互作用の寄与から成る。この遺伝子間相互作用がある場合をモデル化するのに使われたのが、アンダーソンがスピングラスで使ったモデルである。分子場近似をランダムにしたものであって、N個の要素を考えて、1個の要素に対してランダムに選んだ他のK個の要素が影響する、ということである。分子場近似というのは秩序無秩序相転移が起きるための最も単純なモデルであるが、相互作用の相手をランダムにすると、適応度空間中での局所ピークが多く生じてお互いに離れるようになる。つまり、勝手に自己組織化してアトラクターを作るのである。K/N をいろいろと変えて、シミュレーションをすることでその特徴を理解することが出来る。遺伝子変異が少しづつ起きて適応度が上がっていくためにはK/Nは小さい方が有利であるが、その代わり、変異頻度が高すぎると一度適応した状態からの拡散が起きやすくなる。積み上げてきた有用な遺伝子情報が消滅してしまう。これをエラーによる崩壊という。K/Nが大きすぎると今度は局所ピークに閉じ込められてしまうし、性生殖で遺伝子の半数近くを交換して両性の中間辺りを探索した場合にも谷間に沈み込んでしまう確率が高くなる。つまり、適度なK/Nが望ましい。生命の発生において自己触媒系が果たした役割を適応においては遺伝子の適応度への寄与における遺伝子間の交互作用が果たしている事になる。いずれも、非線形=複雑系ということである。この適度に複雑な適応地形においては、適応の速度はその最適点に至るまでの間に指数関数的な減少をしめしており、それによってうまく最適点に着陸する、ということが観測されている。

    第9章「生物と人工物」では、まず進化のステージに3段階あることを説明する。遺伝子の変化は少しずつの場合と全体的な交換の2つの場合がある。前者では適応地形の近くを探索するし、後者は大きなジャンプをする。進化の初期、まだ適応度が低い場合には近くで安全な探索をするよりは、遠くへジャンプした方が高い適合度の遺伝子を見つけることができるであろう。種で言えばこれは大きな分類項目「門」の探索であり、カンブリア紀の大爆発がそれに相当すると考えられる。しかし、一旦遠くにジャンプした後はより高い適応度を見つけるのは困難になっていくために、近傍の漸進的な改良が主体となる。これがその後の「綱」、「目」、「科」、「属」、「種」の分岐に至る時期である。最後にそれぞれの「種」は環境変化以外ではあまり適応度を変えることが出来なくなる。カンブリア紀とその後の3億年にこのような進化が起きたが、二畳紀の大絶滅(96%の種が絶滅)の後には、逆に下の項目「属」から「科」、「目」が新しく生まれて、それ以上上の項目には変化が無かった。これは「門」や「綱」は既に安定していて最初からある程度高い適応度に達していたからであると解釈できる。このような進化のプロセスのステージ別けは、人工物である技術の進化にも当てはまる。学習曲線が次第に傾斜を緩めることや、経済成長が、収穫逓増から収穫逓減に至る過程を辿る事などがその例である。人工物においても生物の種においても、相矛盾する多くの制約条件を試行錯誤によって克服していく、という点では同じであり、そういう意味で同じような適応地形に支配されているのではないだろうか?人工物は勿論人が意図的に知恵を尽くして作るものであるが、結果として、大部分の人工物はその本来の意図とは関係ない方向に進化しているということである。つまり、技術者は生物の種と同じく、程度の違いはあれ、遠くの地形を知らないまま盲目的に技術を開発しているということになる。

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