2012.08.30

    鹿児島旅行に井筒俊彦「イスラーム文化」(岩波文庫)を持っていったが序文を読んだだけで寝てしまった。何時買ったのか記憶が無い。もう茶色になっているから10年以上前だろう。引越しで見つかったのである。読んでみると、講演記録ということもあり、要点が絞られていて結構読みやすい。日本人からはおそらくもっとも遠い文化である。マホメット(正式にはムハンマド)によって7世紀に創始され、サラセン帝国として栄え、その後も北アフリカから西アジアを中心として支配的な宗教・文化である。最近は米国に対する過激な行動が注目されがちであるが、僕の知る限り純朴で控えめな人たちである。

    さて、そもそも、この地域にはノアの洪水後神から使わされたとされるアブラハムの教えがあった。その特異性はセム族に見られるもので、一神教というところにある。一切の存在界を無から作り出しそれを絶対無条件に支配す唯一の神を信じる。その後、ユダヤ民族は迫害の中で神がユダヤ民族を選ぶという宗教を作り出し、その一派としてイエスが出現し、その弟子達は人間の原罪を許すためにイエスが磔になった、という宗教から、更に神と神の子イエスと精霊との三位一体説という形でやや妥協したキリスト教がヨーロッパに広まった。最後に出現したイスラム教はそれらと全く同じ神話を共有する宗教であるが、もっとも純粋に一神教に拘るのがイスラム教である。因みに、ユダヤ教とキリスト教はイスラム教徒にとって「啓典の民」であり、支配する(租税を徴収する)対象となるが、存在を許される。それ以外の宗教(仏教やバラモン教)は異教なので、改宗させるべき対象である。ゾロアスター教については長い間議論があったが、結局啓典の民となった。

    よくこれらの一神教は砂漠の宗教と言われ、発生を過酷な環境に帰されることが多い。確かにそういう側面もあるだろうが、ムハンマド自身は都市の商人であり、イスラム教の成立経緯もむしろ砂漠の遊牧民の血族的偶像崇拝的な宗教との闘いを勝ち抜くことで大きくなっていった。この本には宗教を生み出した社会的背景のようなものは一切書かれていないが、一神教のような思想は部族的な社会からは異端であり、基本的には社会に阻害された人たちの被害妄想から生まれてきたのかもしれないというのが、岸田秀的解釈であろう。

    それはそれとして、イスラム教はムハンマドが書いた「コーラン」を神託とするから、全てはその解釈学によって決まる。そのコーランも前期と後期に分かれる。前期がムハンマド誕生の地メッカ時代10年である。ムハンマド自身は一介の商人に過ぎず、たまたま神がムハンマドにその言葉を託したのである。それは商人の言葉であり、従ってコーランも商人の言葉で語られる。信仰とは神との契約なのである。絶対的な神の属性は善であるが、商人らしく信義も重要視される。しかし、この時期では正義がもっとも強調され、神の意に背いたものは来世において処罰される。それへの恐れこそが信仰の内容である。人間には神のような完全な倫理性が無いので、根強い悪への傾向があり、それを意識すること、罪の意識による「神への怖れ」が信仰の内容である。そもそも現世しかなかった部族社会の中でどうして来世というようなことを発想したのかは判らない。

    後期はムハンマドがメディナに移り、信仰の性格が変わる。今までは神と人との垂直関係(人は神の奴隷である)しかなかったのだが、メディナ期では神が慈悲と慈愛、恵みの神に変わる。この世にある全ての存在は神の「神兆(みしるし)」であり、それに対する「感謝」が宗教の内容となる。契約の内容も、神と人との関係から、神とムハンマドとの契約を通じた神と人との契約に変化する。つまり、預言者ムハンマドは神の代理人となり、人々の絶対的支配者になる。人々はムハンマドとの契約を結び、契約したものはお互いに同胞となる。つまり、人間関係の基本としてまず同じイスラム(正式にはムスリム)である、ということになる。神に対する契約内容は、人々の間での契約内容に反映され、それは神の属性(嘘をつかない、慈悲、親切、寛大さ、赦し、物惜しみしない、等々)を人間に適用したものになる。こうして人間生活のあらゆる場面が宗教によって決まるという体制が作られる。要するにメディナ期においてイスラム教は社会化してイスラム共同体を形成するということであり、その頂点にムハンマドが立つ、ということである。この間の経緯がどうだったのかはこの本には書かれていないが、遊牧民的部族思想との闘いが勝利を収めたのは都市という社会背景無しには考えられないだろう。部族の枠を超えた合理的な共通規範が商人の手によって作られたということである。西暦630年1月の事であった。同時にそれはイスラム教が普遍性を持つ世界宗教となったことを意味する。つまり、誰でも神との契約を結べばその日からイスラム教徒になれる、ということである。

    イスラム教の特徴を比較的に述べるならば、キリスト教と異なり人間の原罪を認めず、従って救われる必要が無い、ということであり、バラモン教と異なり輪廻転生を認めない、ということである。つまり人間は1回切りの現世を生きて来世を迎えるだけである。この世でしたことの全てを背負って審判の日に神の前に立つことになる。本来的に汚された存在ではないから、現世を正していくという努力、つまり積極的、建設的な態度が求められる。(ただし、後述するイスラム神秘主義ではそうではない。)宗教と政治の区別は無い。キリスト教のように聖俗の区別はない。カエサルのものはカエサルへ、ということで、キリスト教は世俗権力とは一線を画したが故にその教会組織をヨーロッパ全土に広げ、王権の上に立つことができたのであるが、イスラムにおいては聖俗の区別はなく僧侶もいない。世俗を離れて閉じこもる事は神の恩寵を無視することになる。単にコーランを解釈して生活全般、政治経済文化一切を仕切る研究者が居るだけである。コーランという肝の部分を除けば極めて理解しやすい現代的で合理的な文化である。ヨーロッパが中世の時代、世界文明の中心はイスラム世界であったのも当然である。

    しかし、ヨーロッパが近代を迎える頃、イスラム世界においてコーランの解釈学が限界を迎える。そもそもいかにコーランと言えども地域的にも民族的にも多様性を持ち変化していく人間世界の全てを律するだけの記述は無いから、その解釈の幅は広がらざるを得ない。ハンバリー派、マーキリー派、ハナフィー派、シャーフィー派というのが4大法学派と言われる。これらはスンニー派(アラブ人)であるが、ペルシャ人はこれとは異なるシーア派である。コーランに付属するムハンマドの言行録「ハディース」はより広い範囲に適用するヒントになるが、それにしても如何にしてその解釈の幅を規制しつつ現世に対応していくか、が問題である。一つの帰結として、法的思惟、つまり論理学が発展した。大本は神の啓示であるが、その解釈は純粋に論理的である。こうしてムハンマドの死後に発展して現在に至るまで人々の生活を規制しているのがイスラム法である。それは全ての行為を絶対善、相対善、善悪無記、相対悪、絶対悪、に分類する。法を犯せば罰せられるから人々は生活の隅々まで法を意識して生活することになる。それはコーランとハディースの解釈であるから時代に適応する事が可能なのであるが、アラブ世界(スンニー派)においては9世紀半ばに新たな解釈(イジュディハード)が禁止される。これはイスラム世界の統一のためであったが、反面後世における(近世以降の)イスラム世界での文化的生命の枯渇を齎す原因となった。19世紀以来、イスラム法を時代に適応させるべきであるという考えが繰り返し出されているが、おそらくは既得権益を持つ階級が生じたためであろうが、未だに実現していない。近代化の為には、トルコやある程度はエジプトのように、イスラム法を政治から切り離すしかない、という矛盾に直面している。

    さて、コーランのメディナ期を引き継ぐこういった現世肯定型の主流派(スンニー派)がイスラム法によってサラセン帝国を始めとする大文化圏を築いていくと同時に、それとは逆に、コーランのメッカ期に比重を置く多数の「異端」が生まれ、多くは弾圧されながらも思想が生きながらえている。著者はこれを「内面への道」と称している。元来アラブ人というのは視覚的にも聴覚的にも極めて感覚に優れた民族であって、あまり因果関係を認めない。全ての出来事は神の意思に拠るものであって、ある出来事が次の出来事の唯一の原因である、という考え方は認めない。その間には必ずや神の意思が関与するからである。出来事の背後には神の意思があるのみであり、しかもそれは人には伺い知れないものなのである。歴史は次々に起こる出来事の連鎖に過ぎないし、空間的にも世界は互いに内的な連絡のないバラバラの単位の集合として認識される。だからこそ神を信じるしかない。これに対してペルシャ人はゾロアスター教の伝統があり、世界は善と悪との闘争の歴史である、という2元論が根付いているから、事物の背後には隠された因果がある、という認識をする傾向が強い。感覚や知性や理性では全く捉える事ができない事物の隠れた次元、事物の存在の深層、というものを想像することができる。一種の神秘主義である。そういう人達にかかると、コーランというのは暗号であって、その背後にある隠れた次元(これを「ハキーカ」と呼ぶ)を暴き出す解読行為(これを「タアウィール」と呼ぶ)が必要となる。ハキーカを想定するということはそれ自身問題ではないが、それを暴き出すということはそこに聖俗の区別を持ち込み、現世を支配するイスラム法の世界は俗の世界に限られるということになるから、この点で聖俗一体として共同体を作るスンニー派と対立する。この暗号解読であるが、それはだれでもやっていいというものではなく、シーア派的霊性の最高権威者、イマーム、によって為されることになる。現在のイランでの主流派12イマーム派においては、イマームが12人居たということになっている。シーア派にとって、ムハンマドはあくまでも外面的預言者であり、イマームは預言者そのものの内面である、つまり内面的預言者とされる。問題は12人目のイマームであるが、彼は4歳でこの世から消えてしまう。しかし、シーア派ではそれは見えなくなっただけであって、別の次元に隠れたのである、という。そして、隠れてから70年間は4人の代理人を任命して世界を統括した。その後西暦940年に本格的に隠れてしまい、信仰の深い人の見る夢の中や霊性的境地にある人の祈りの中での意識に現れるだけになった。こういう不可視の存在が可視の存在にピッタリ寄り添っていて同じ広さで広がっていて、終末の日にメシアとして姿を現す。この辺りの考えかたはまるで現在の素粒子論みたいである。それでは現世を収める人はどんな人なのか。それは結局知徳衆に優れた学識経験者ということになるが、彼は単にコーラン解釈を柔軟にこなすだけではなく、隠れたイマームから発させる霊感を敏感に感じる霊能者でもある。このような考え方はプラトンの哲人政治の思想の影響を受けているといわれる。この霊能者・学者がつまり、ホメイニーである。しかし、ペルシャは紀元前から栄えた国であり、その頃からの伝統として専制王権への願望が潜んでいる。時宜に応じてその伝統が蘇る。俗世の俗世たる所以である。

    シーア派のように国家を形成していない「内面への道」は当然迫害を受ける立場となる。代表的なのがスーフィー、イスラム神秘主義である。彼等はハキーカに通じる人間「ワリー」になるために修業をする。修業というのは自分の中に自分ならぬものを見出そうとする積極的な努力である。自分とか我とかいうものをどこまでも深く掘り下げ、その極点に我でなく、溌剌と創造的に働くハキーカ、つまり神を見出すことである。徹底的に現世否定で、禁欲、苦行の道である。スーフィーの見地からは自我意識そのものが神に対する人間の最大の悪であり罪である。何故ならば自我があることで、神と自我という二元論が成り立ち、神のみが存在する、という真理から外れるからである。修業によって自我が消滅すると、燦然と輝く神の火を見る、つまり神の実在性が顕現する。客観的にみればこれはその人が神になる、ということに他ならず、これでは迫害されるのも無理は無い。

    このようにイスラムといっても大きくは主流派のスンニー派、神秘主義を抱えながらも国家を形成するシーア派、スンニー派の内部で生きながらえているイスラム神秘主義、といった構造があり、一神教という意味ではキリスト教やユダヤ教もその兄弟として含んでしまう。その外側に居る僕としては、そもそも一神教というのは何故生じたのか?という疑問が次に生じざるを得ない。

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