2007.11.16

      順番待ちをしていた本がやっと借りられた。リサ・ランドールの「ワープする宇宙」(日本放送出版協会)である。2週間で返さなくてはならないので、毎朝バスの中で読んでいて、今回の出張でも電車の中で読んだ。

      最初に余剰次元という概念の説明があって、ああ、そうか、と思ったのであるが、ここで考えている次元というのは無限に広がった次元だけでなく、「巻き上げられた次元」(円環上に繋がっていて元に戻ってくるような次元)なのである。そしてそのサイズたるや物凄く小さいので、巨視的に見れば平均化されてしまって、そんな余剰次元は無いのと同じように扱える。つまり、理論上の整合性から持ち込まれたものである。それはさておき、この本は大学で教科書にも使われているくらいで、この分野の歴史の概観が大部分を占めているので、僕にとってはあり難い。特殊相対論、一般相対論、量子力学くらいまでは、まあ何とか理解できるが、それにしても数式を使わないで日常生活の例えで話が進むので、あんまりすっきりとはしないのではないかと思う。このレベルの物理を記述するには場の量子論が最適なのであるが、あいにく僕は真面目に勉強していないので、やや概念的に抵抗感がある。つまり粒子の生成消滅という記述の仕方であって、数学的な道具としては良いのだが、それを日常的な粒子イメージに置き換えるといろいろな誤謬を齎すような気がして警戒するのである。

      いずれにしても場の量子論の枠組みの中で素粒子論の歴史と現状が説明されている。クウォークモデルによる素粒子の統一的な理解、粒子の階層、、ときて、電気的相互作用と弱い相互作用と強い相互作用の統一的理解が語られる。対称性を破るためのヒッグズ粒子が出てきて、これまた難解であるが、結局のところ、この標準モデルには何かが足りなくて、対称性を破るプロセスでウィークボソンとクウォークの質量がとてつもなく大きくなってしまって、実際と合わないので、強制的に補正しなくてはならない。(質量=エネルギーは不確定性関係によって、粒子の働く範囲を制限する。つまり力の及ぶ範囲を制限するから、実験的に求められるのである。光子には質量が無いから何時でも光速であり、電場は長距離力となる。)これを階層性問題というらしい。その解決の為に、超対称性(フェルミオンとボソンが同等に存在する!)という考え方が出てきた。つまりフェルミオンとボソンの対称性が破れるときにその質量の相違が生じていて、ヒッグズ粒子が働くときに両方が働くので質量差だけの効果しか残らない、という何とも手前勝手に見える考え方である。実験的には全く実証されていない仮説である。ただ、CERNでの新しい加速器では肯定的であるか否定的であるかは判らないが、何かが出てくると期待されている。

      もう一つの候補、ひも理論はもともとハドロンを記述するために作られたのだが、失敗した。しかし、その欠点を補って、長所を残したのが超ひも理論で、これによって、微小領域での一般相対論(重力)と量子論(不確定性)との矛盾を解決できる。大きなスケールでは量子力学は無視できて重力が支配するので、一般相対論だけで片が付くし、小さなスケールでは重力は他の力に比べて無視できるので量子力学だけで議論できる。しかし更に小さな領域になると重力は発散して非常に大きくなるので、両方を考慮しなくてはならない。しかしこの2つは空間についての考え方が根本的に異なるから、相容れないのである。重力がうまく計算できるためには滑らかな空間軸があって、その空間の歪みを計算できなくてはならないのに、量子力学的にはそもそも空間座標そのものに不確定性が必要となるから重力の計算が発散する。ひもは質点ではなく、有限のサイズを持ち、しかも振動しているから、重力が発散しないのである。超ひも理論では丁度時空が10次元であれば、全てが破綻することなく説明できるのである。超ひも理論では、余剰次元にカラビーヤウ多様体(どんなものなのかは説明がないので判らない)を想定することで、超対称性を保証する。このように超ひも理論は現在もっとも有望な理論と考えられているが、弱点は現実的に測定できないエネルギー領域を記述している点である。固有振動モードは無限にあるわけであって、それぞれが粒子に対応するのである。したがって非常に多くの超ひも理論の可能性があるのだが、どれが正しいのかを決定する手段がない。(初期量子論で、原子に閉じ込められた電子について、その軌道内で波動を考えてその固有振動に相当するエネルギーに離散化される、とボーアが考えたのだが、ひも理論も同じ発想である。)

     ブレーンというのは有界で限りのある空間の行き止まりであり、定義上バルクの空間より一つだけ次元が低い。これが理論上重要な役割をしていることが述べられるがよく判らない。もう一つ、10次元の超ひも理論の空間は11次元の超重力理論の空間と等価であることが証明されたらしい。双対性というらしい。11次元の一つの次元が巻き上がっていて、巨視的にはひものようになる、とかいった説明がなされている。

     最後の1/4ほどがランドール女史とその同僚の理論である。いくつかのブレーン宇宙のモデルが説明される。まずは、われわれの宇宙自身が一枚のブレーンであり、その外側にはもう一つの次元が広がっていて、反対側にはもう一つの宇宙がある、という考え方で、厄介な粒子はそちらのブレーンに隔離してしまえばよい、ということである。ただ、その間の5次元時空間を自由に行き来する粒子も存在する。重力粒子がそうであって、実際更に、もう一つのモデルでは2枚のブレーンで仕切られる5次元時空の余剰次元方向の大きさが mm 程度のサイズになって、階層性問題や重力が弱くなる問題に解答を与える。現在のところ重力の法則が検証されているのは 0.1mm 程度までなのだそうで、それ以下であればこのモデルも可能性がある。しかし、このモデルはいかにも不自然であり、もう少し考えたものがワープした5次元時空である。理論的にはエネルギー密度によって重力の大きさが決まるから、もう一つのブレーンに向かって重力粒子の密度が指数関数的に増大する(したがって極度に歪んでいる)宇宙を考えれば、ずっと小さくてすむ。この場合は、当然もう一つのブレーンでは重力も他の3つの力と同等となる。更にもう一つのモデルではブレーンは一つでよくて、片側に無限に広がる5番目の次元があってもよい。このモデルでは我々は本当に5次元宇宙に居るのであるが、重力粒子がブレーン近傍に集中しているために、見かけ上4次元時空にしか見えない。5番目の次元は片方に無限大に伸びていても、われわれには見えない。更にはブレーンすら不要であって、宇宙は局所的に4次元時空としてしか見えないポケットを持っていて、われわれはたまたまそこに居る、というモデルも紹介される。いずれにしてもこれらの可能なモデルは実験的な検証を待っているし、CERNに出来る加速器がそれに合う結果を出すか、それとも全く別の粒子を見出すか、何ともいえない状況にある。そもそも余剰次元というのは見えないのであるから、単なる理論の整合性を得るための概念に過ぎないとも言えるが、ブレーンを導入した余剰次元宇宙のモデルは、超ひも理論と違って、検証が可能なのである。

      結局この本は加速器の建設に意味があるということを世間に訴えるための本ではないか、と思われてくる。プランクスケール長さ以上であれば、不自然な階層問題を納得してしまえば、標準モデルで全てが片付くのであるから、そこから先をわざわざ考えなくてもよいと思うが、素粒子の理論屋さんにとってはやはり気持ちが悪いのであろう。こうしてプランクスケール程度の余剰次元が導入されるわけであるが、詳細はわからないにしても、どれもあまりスマートな理論のようには見えない。われわれの時空の概念はわれわれの脳と身体が環境との相互作用の中で作り上げてきたものであるから、実用的には4次元であることは確かであるにしても、われわれの脳と身体が区別できる程度の分解能とスケールでしかない。そこを乗り越えて数学という言語を駆使してこの世界を概念化しようとしている訳である。それは結局道具によってしか到達し得ない分解能とスケールの話であるから、まずは道具の概念化が先行しなくてはならない。まあ、そんなことよりも、われわれの時空の概念にしても、必ずしも時空4次元では片付かない、ということの方が重要なことのようにも思える。

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