2021.10.23
『感染症の数理モデル』 稲葉寿編著(培風館)
・・・第6章が面白い。

● 第3章: 常微分方程式と体内感染モデル(梶原毅・佐々木徹)
 体内病原体数、感受性細胞数、感染細胞数の間に成り立つ SIR 型の連立微分方程式である。
1996年のNowark-Bangham の論文が最初らしい。
追加して、液性免疫、細胞性免疫等の拡張版が紹介されている。解の大域的な性質の記述が主たる内容である。
実際のデータ解析については、以前論文を読んだ[mrk,vkm ]。

● 第4章: 時間遅れのあるモデル(竹内康博)
4.2 時間遅れを持つ SIR 伝染病モデル(出生率が一定の場合)
・・・蚊のような媒介生物を介して人間集団に広がる感染症モデルが Cooke によって作られた(1979年)。

      dI(t)/dt = βI(t-τ)[1-I(t)] - γI(t)

ここでは I(t) は感染者の人口比率である。
一般的な時間遅れの方程式も積分形式で作られている。いずれにしても、伝染病が拡がるかどうかの条件は再生産数で決まっている。

● 第5章: 感染症の空間的な伝搬を記述する数理モデル(細野雄三)
5.3 Kermack-McKendrick 感染性流行モデル
・・・より一般化した場合の積分方程式

      dS(t)/dt = S(t)∫A(τ)dS/dt(t-τ)dτ
積分の中身は t-τ に発生した感染者が τ だけ後になって、つまり t に二次感染を起こす
ということである。これを τ について積分すれば t において発生する二次感染者数密度になる。
治癒効果は A(τ) の関数系に含まれている。
これが exp(-γτ) であれば、SIR モデルに帰着する。

5.4 Kermack-McKendrick 線形拡散モデル
・・・S(t)、I(t) に空間分布を考えて、その拡散を採り入れる。

      ∂S(t)/∂t = d1 ∂^2 S(t)/∂t^2 - βS(t)I(t)
      ∂I(t)/∂t = d2 ∂^2 I(t)/∂x^2 + βS(t)I(t) - γI(t)
Noble は 1974年にペストの伝搬シミュレーションを行った。
320-640Km/年となった。
・・・u=I/S0、r=βS0 とおき、F(u)=r(1-u)u とすると、

      ∂u/∂t = D∂^2 u/∂x^2 + F(u)
となる。フィッシャー方程式という。
1937年に彼は、この方程式で突然変異が個体群中に拡散していく様を解析した。

5.5 フィッシャー方程式と進行波解
・・・進行波はある条件で存在する

      c > cmin = 2√(DβS0)
拡散速度や感染率だけでなく、人口密度にも関係する。
cmin より速い速度で退避すれば感染を免れる。
図5.3 に解の振る舞いが図示されている。

● 第6章: 感染症の確率モデルと複雑ネットワーク(増田直紀・今野紀雄)
・・・簡潔でよくまとまっている。

6.1 空間つき感染モデル
・・・全人口が均一に混ざり合って感染が起きるとすれば、空間的要素もネットワーク要素も必要が無い。
もっとも単純な SIR モデルと SIS モデルがある。SIR では感染が一過性(流行性)で、SIS では持続する風土病である。
最初に考えられた空間的要素は、空間拡散モデル(第5章)である。近傍にある感染者にしか感染しない。

6.2 コンタクトプロセス
・・・6.1 に確率性を付与したモデルがコンタクトプロセスモデルである。1974年に T.E.Harris によって提案された。
多次元の格子を想定して、隣接格子点に何人感染者が居るかによって二次感染確率が変わる。λ×隣接感染者数となる。
回復率を 1 として規格化すれば、臨界値 λc があって、それ以下の λ では感染が終息するが、解析的な解は見つかっていない。
数値計算では 1次元格子では 1.649、2次元格子では 0.412 という感じである。

・・・ここまでのモデルを代表的な文献を入れて分類して 表6.1 にまとめてある。

6.3 スケールフリーネットワーク
・・・人々の行動範囲には相当な個人差があるので、接触人数がすべての人について同じとしている格子モデルではなかなか実態にそぐわない。
接触相手数 k についての分布 p(k) を考慮するのであるが、いろいろな研究によると、大体において、p(k) は 1/k^γ に比例しているらしい。
これをスケールフリー性と呼ぶのは、多分ここから導かれる方程式がスケール(計数範囲)に依存しなくなるからであろう。
γ は 2 から 3 の間となる場合が殆どである。表6.2 にまとめられている。1999年 Barabasi & Albert の論文が最初の研究らしい。
性感染症、コンピュータウイルス、生態系の捕食関係、友人関係、映画俳優の共演関係、電子回路、たんぱく質の化学反応、ニューラルネットワーク、遺伝子のネットワーク、、、と、適用範囲は広い。

6.4 小さな世界
・・・平均頂点間距離 L というのは、2つの頂点(感染源と被感染者)の間を結ぶ直接的な接触の数である。
実際のネットワークでは、全頂点(人口)数 n に対して、log(n) 依存性を持つ。
アメリカで実際に近しい人同士の手紙渡しの実験が行われて、L=6 という結果が出た。
友達の友達を辿っていくとアメリカの全人口になる、という事である。< BR> 6.1 のような多次元格子であれば、次元を d として L は n^(1/d) に比例するから、対数依存性よりもずっと大きく発散する。

・・・Watts & Strogatz は1998年にスモールワールドネットワークを考案した。
これはコミュニティー間を繋ぐ線を入れることで拡散性を与えるものである。
これによって重要な概念 クラスタリング系数 C が現実的な値になる。
これはネットワーク内における三角形の量である。しかし、L のスケール依存性は与えられない。

・・・実際に、L の n 依存性が小さくなるようなネットワーク生成モデルも開発されている。

6.5 一般化ランダムネットグラフ
・・・ランダムグラフは Eroes & Renyi によって1959年に提案された。p(k) はポワッソン分布となる。
・・・ケイリー・ツリーは、元には戻らず一定次数 d で枝のようにつながるネットワークである。
L ∝ log(n) が成り立つ。C=0 である。
このケイリー・ツリーにおいて、枝の数を与えられた分布則 p(k) に従ってランダムに選択すれば、当然 p(k) が実現される。
これも L ∝ log(n) が成り立つ。C=0 である。

6.6 スケールフリーネットワーク上の SIS モデル
・・・治癒率は 1 として感染率 λ の臨界値を求めたい。ネットワークの実際の繋がりは無視して、同じ次数 k を持つ頂点をひとまとめにすると、
結局は感染しやすさと感染力で分割した多集団の微分方程式モデルとなり、実質的には Anderson & May の教科書の第3章で既に解かれているが、
ここでは、ネットワークモデルからの意味付けを与える。
次数 k を持つ人口の内で感染者の比率を ρk(t) とすると、

      dρk(t)/dt = -ρk(t) + λk(1 - ρk(t))Θ(ρ(t))

第2項が感染項で、感染率は k に比例し、そのサイトの感受性比率に比例し、隣接サイトに感染者が居る確率 Θ に比例する。
ρ(t) は  (ρ1(t)、ρ2(t)、、)   を表すベクトルで、Θ() はそれに依存して決まるが、ランダムな枝を辿って感染者に行きつく確率である。
(つまり、平均的な近接感染者数比率である。)
Θ(ρ(t)) は、隣の格子が 次数 i を持つ確率 ip(i)/∑jp(j) :和は j についてとる、に依存する。
この場合、次数が大きいほど選ばれる機会が多い為に、重み付き平均となる。
この確率分布で ρi(t) の期待値を計算すれば、隣の格子が感染者である確率となるから、

      Θ(ρ(t)) = ∑ip(i)ρi(t)/∑jp(j) :和はそれぞれ i と j についてとる、
となる。

・・・最終的にどうなるか、だけを考えると定常状態で

      -ρk + λk(1 - ρk)Θ(ρ) = 0
      Θ(ρ) = ∑ip(i)ρi/∑jp(j)
これから、

      Θ = (1/<k>)∑kp(k)λkΘ/(1+λkΘ)  :和は k についてとる、<k>=∑jp(j)

自明解 Θ=0 以外の解が存在する条件は、右辺の Θ=0 における微分が 1 以上、ということから、

      λc = <k>/<k^2>
である。
p(k) がベキ法則にしたがう場合、γ が 3 以下においては <k^2> が発散してしまうので、λc=0 となる。
つまり、どんな感染率に対しても感染が収まらない。しかし、実際にベキ法則で記述できる k には上限があるので、収まる。
<k^2> が大きい時には、大きな次数の頂点(ハブ)が多数存在している。これがスーパースプレッダーである。

6.7 スケールフリーネットワークモデル上の SIR モデル

・・・同等のモデルは Anderson & May の教科書の第7章にある。
・・・同様に 治癒率を 1 とすると、

      dSk(t)/dt = -λkSk(t)Θ(ρ(t))
      dρk(t)/dt = λkSk(t)Θ(ρ(t)) - ρk(t)
      dRk(t)/dt = ρk(t)

この場合、Θ は

      Θ(ρ(t)) = ∑(i-1)p(i)ρ(i)/<k>

(注:何故 SIS モデルの時と同じにならないのかが判らない。なお、元論文[57]では同じになっている。)

      Sk(t) = exp(-λkφ(t))
と置くと、φ(t) は

      φ(t) = ∫Θ(s)ds : 積分は 0 から t まで
           = (1/<k>)∑(k-1)p(k)Rk(t)
となる。φ(t) だけの方程式にすると、

      dφ(t)/dt = 1 - (1/<k>)∑(k-1)p(k)exp(-λkφ(t)) - φ(t)
臨界の λ は、左辺を 0 と置いて、φ(∞) についての式として、λ についての λ=0 での微分が 1 の時である。

      λc = <k>^2/(<k^2>-<k>)
となる。

(注:この章では感染が拡がるかどうかの閾値だけを議論しているが、途中経過はどうなのだろうか?
SIR モデルと同じになるのではつまらないが。元論文[57]では数値計算が行われている。
集団免疫が SIR モデルよりもかなり小さな感染規模で生じるようである。)

とりあえずは下記文献を読んだ方が良いだろう。
[56] Infection dynamics on scale-free networks
        Robert M. May and Alun L. Lloyd
        PHYSICAL REVIEW E, VOLUME 64, 066112(2001)
[57] Epidemic outbreaks in complex heterogeneous networks
        Yamir Moreno, Romualdo Pastor-Satorras and Alessandro Vespignani
        European Physical Journal B, 26,521-529(2002)

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