2017.11.30--2018.01.06
<フルートの物理学文献調査>
coltman の古典的研究については別途書いた。これはその後の調査である。

(1)安藤由典「フルートの駆動条件と発生音圧レベルおよび基本周波数との関係(フルートの実験的研究 I)」(日本音響学会誌、26(6) 1970、p.253-260)と「フルートとリコーダーの発音に関する諸現象と楽器構造について」(物性研究、62(5)、1994、p.612-619)。
・・・なかなか面白い。モデル唇付きの吹奏装置で実験している。ここでいう息の方向というのは装置の出口までの話である。

・・・勿論、息の速度とエッジまでの距離が重要なパラメータであるが、もう一つ重要なものとして息の方向に対してエッジがどれくらい外れているか(バイアス:e)を見つけている。よく言われる息の角度というのは、このエッジの変化をもたらしているということである。このエッジをパラメータとして、基音が倍音に遷移する息の速度 Umax をプロットすると、U字状になり、倍音モードでの最適バイアスが判る。U字の底は尺八などではバイアス0近辺であるが、フルートでは、回転して帰ってくる息によって唇隙間から出る息の方向が上に押される為に、バイアスは負になる。つまり、エッジよりも少し下側を狙う方が良いのだが、実際の息はその時エッジに真っ直ぐに当たっていると思われる。このバイアス値は -1.2~-0.6mmだそうである。他方基音(低音)については、このU字曲線の底を外す方が発音が容易である。低音で息を歌口に吹き込むようにすると良い、というのはそういう意味だという。その場合バイアスは-2.0~-1.4mmということになる。(逆に小さくしても良いはずだが、音質的に良くないだろう。)バイアスが外れるということは発生音が非対称波形になる、ということで、結果的には偶数次倍音が豊かになる(Le-Lo)。低音部の強奏でのフルート独特の唸るような音である。

・・・ところで、最も安定した発音をする息の速度は放射音の強さを L、息の速度を u として、∂L/∂(20logu)=1 となる 速度 U0 の近辺である。(左辺がゼロになる速度が Umax である。)中音部(2倍音)においてはこの速度が実現可能であるが、高音部においては不可能である。だから難しいのだが、安定した発音の為にはエッジまでの距離を出来るだけ近づけた方が良い。また高音を弱音で吹くには息の幅を出来るだけ狭く絞ることである。これに対して、低音部においては U0 では弱弱しい音にしかならない。だからそれを超えて息の速度を上げなくてはならないが、Umax が小さいと2倍音になってしまうから、バイアスを変えて(歌口に吹き込むようにして)Umax を大きくした状態で息の速度を上げることになる。これには息の厚さを薄く(1.5mm以下)にして、上唇の半径を大きくすると効果的である。低音域での音量の制御は息の幅ではなく、速度で行うことになる。このように高音部と低音部では音量や音程のコントロールが異なる。

・・・フルートの歌口形状について、海外の著名なメーカーの歌口と当時(この論文は研究会報告なので1994年だが、原論文は1966年。)の種々の日本製の歌口を比較している。結果的に最適な歌口対抗面(息の当たる面)の凹凸具合が得られ、以後全ての日本メーカーがこれに従っている、ということである。

・・・吹奏感や音質に大きく影響するのは、歌口対抗面(下唇と反対側の面)の深さで、これが深い程低音向きとなる。つまり、低音での最小の Umax が大きくなる。これはまた低音でのバイアス変化をそれほど必要としないという事でもあるから、結果的には低音での偶数次倍音が抑制される。大人しい感じの低音となる。

・・・もう一つが拡度であるが、印刷が細かくて、定義が不明である。多分歌口対抗面の傾斜の事だと思う。(翌日本で確かめると対抗面傾斜と手前面傾斜の和の角度である。それぞれの面の延長が交わる角度。)拡度が大きいとバイアスに対する Umax の変化がより少ない(0に近い)バイアスで起こるため、比較的容易に低音と中高音を吹き別けられる。これらの物理的理屈については判っていない。多分管内に入った息の周り具合が変わることに拠るのだろうが。

・・・更に、これはリコーダーの解析のところで出てくるのだが、対抗エッジが鋭いと雑音を含みやすくなる一方で高次倍音が豊かになることが知られている。ムラマツのフルートの円やかな音色は歌口エッジが鈍いことに拠ることが推察される。鈍すぎると当然高音部の発音自身が困難になるから、なかなか微妙な加工になるだろう。

(2)安藤由典「新版楽器の音響学」(音楽之友社)
・・・図書館で借りてきた。ネットでダウンロードした論文の図は不鮮明であったのだが、きれいな図が得られた。更には篠笛や竜笛などの解析も追加されている。偶数次倍音-奇数次倍音(Le-Lo)はバイアスを変えることで調整できるが、面白いのは、同じ楽器でのランパルとシェーファーの音比較である。特に中音域の左手において、ランパルは偶数次倍音が優位であるが、低音域右手においては逆である。これは両奏者の音色の好みを反映している。それぞれ、フランス風とドイツ風である。Le-Lo が小さいと暗く艶のない印象を与える(クラリネットの低音)。大きいと明るく甘い印象(サキソフォン)。フルートでは、 Le-Loが小さいと、低音域では虚ろな感じで、中高音域では芯のある感じになる(シェーファー)。

・・・バロックリコーダーの音色設計も面白い。奇数次倍音優位で、しかも高次倍音が豊富な音が好まれていて、これはリコーダーが独奏楽器として用いられ始めたからである。奇数次倍音を優位にするには息をエッジに真っ直ぐ当てる必要があり、こうすると低音域での強奏ができないのだが、それを両立させるために、息の速度に応じて息の方向が変化するような構造"voicing" を与えている。息の経路の出口に切り込みを入れるのである。高次倍音を豊かにするために、リコーダーではエッジを鋭くしている。リコーダーではフルートや尺八と違って息の出方が決まっているために、鋭くしてもそれほどノイズを拾うことなくうまく高次倍音を強調できる。

・・・エアリード楽器の発音機構については、ジェット気流が流体力学的に真っ直ぐ進まず方向が揺らぐという性質(カルマン渦)によって、歌口から管内の空気柱を刺激する、ということであるが、逆に管内空気の共鳴振動によって、ジェット気流が歌口の上下に揺すられる、という側面もあり、これらのタイミングが合った時に共鳴振動が大きくなる、ということである。気流が外に押しやられるとエッジを外れ、その流れが歌口近傍の空気を外に連れて行くから負圧となるし、気流が引っ張られると気流が歌口内部に向かうために正圧となる。だから、管内共鳴による気流の搖動による動きが変らない内に気流がエッジに到達しなくてはならない。だから気流速度は発振周波数が高い程速いか気流長さが短くなくてはならない。明らかに最適な速度÷長さがある筈だが、多少速度が変わっても正のフィードバックが生じるだろう。何故ならば気流は絶えず新しく作り出されるからである。

       
(3)武本幸生他「カルマン渦の発生と物理」(書誌不明)
「エアリード楽器の発音機構: 流体と音の相互作用の解析」高橋公也他(数理解析研究所講究録第 1697 巻 2010 年 31-45)
・・・フルートの発音機構についての計算論文である。噴流が小さな棒状の障害物に当たるとあるレイノルズ数以上で、障害物の両側に交互に渦を生じる。つまり何らかのノイズが下流方向に発達する。しかしそれが持続的、周期的に続く為には、つまり、渦が片側に生じた後で、今度は反対側に生じるには、何らかのフィードバック機構が必要である。既に障害物で方向を変えられて流れて行った先で流れの不安定性が生じてそれが弾性波として伝わる。音波の速度は噴流の速度よりも桁違いに速いから、噴流の上流側に作用して反対側に押し付ける。この逆方向に偏移した噴流が時間遅れでエッジに到達することで位相が逆になる。

・・・他方、エアリード楽器ではそのようなフィードバックよりは共鳴体からのフィードバック(管体の端からの反射音波)の効果が圧倒的に大きい。だから便宜的に噴流が交互に揺れているという音源と管体という共鳴器とにシステムを別けて、その間の相互作用として楽器を取り扱う。ジェット出口とエッジとの間に半波長の定在波・流れを想定する。流れがちょうど縄跳びの縄のようにジェット出口とエッジとの間に張られていて、その流路が管体からの反射音波によって揺すられるというイメージである。
    振動数 f = 0.466(100V - 40)(1/(100d) - 0.07)
    V はジェット流速(m/s)、d はジェット出口とエッジの距離(m)
これは Brown という人のエッジトーンの実験式である。これが基音で、2次音、3次音もある。ジェット出口とエッジの間にジェット流の振動定在波が出来ていて、半波長に相当するから、その近似でいうと、f = 0.5*V/d であるが、音速が無限大ではないので補正がある。2次、3次は 係数が 1.5、2.5 となる。この一次の定在波を生み出すような回路系が音源ということになる。

・・・音源が共鳴器に与える影響には流量と圧力との両方がある。流量はエッジで切り分けられた空気の出入りであり、開放端補正で想定される仮想的な大気圧点で最大となる。圧力は空気の圧縮膨張による圧力であり、仮想的な大気圧点ではゼロになる。エッジは仮想的な大気圧点よりは管体側にある(これが開放端補正である)から、ジェット流速が小さい低音域では波長が長いために、流量要素が支配的である。共鳴周波数が息の速度やジェット出口からエッジまでの距離によって連続的に変化する音源が、共鳴周波数を固定された管と相互作用をする。管の共鳴周波数に引きずられるような形で、周波数が決まるから、息速度に対して階段状に変化する発振周波数が得られる。

・・・高橋公也氏は精力的にエアリード楽器の計算をやっている。歌口でのエッジ流れを粘性流体として解いてから音源を取り出す方式だと共鳴管との相互作用が解析できない。最近は弾性を同時に取り扱えるソフトが開発されていて、簡単な閉管を付け加えたリコーダーの計算を行っていて、リップ形状の影響(音の立ち上がりとか安定性への)を示している。ただ、なかなか歌口のような3次元形状の効果を計算したりするところまでは行っていない。結局の処本質的に2次元計算なので、ジェット出口とエッジまでの距離とジェットの速度が主要なパラメータであって、それ以外の形状パラメータを考慮するほどの複雑な系には至っていないのである。ただ、渦度や圧力や流れの計算図が得られるのでかなりよくイメージできる。

(4)フルート独学者のブログ
・・・よく勉強している。参考になったのは高音部におけるジェット出口とエッジとの距離の縮め方。というか、唇の丸みを利用すれば、緩めた状態でエッジの出口は奥に引っ込み、緊張させれば前に出る。何も積極的に下唇をせり出さなくても、緊張させることでジェットの勢いに押されて自然にエッジが前に出るのではないか?ということである。緊張といっても唇が緊張するのではなくて、唇の上下の筋肉を締めることで、唇というゴム状のものをジェットと協力し合って前にせり出させる、ということである。だから、下唇を押し付けすぎると柔軟性が損なわれてうまくせり出せなくなるということではないだろうか?

・・・最後の方で管内に吹き込まれた空気が回って来て一周期遅れてジェットを支える、というのは、ちょっと考えすぎかなあと思うが、低音域では在り得るかもしれない。もう一つ。フルートが尺八やケーナに比べて難しい処は、結局の処、息を出す方向がちょっと下向きであり、この点で自然に唇を閉じた時からずれるからで、しかもそのずれ方が微妙だからである。ストローを潰して唇に挟んでも音が出せるし、上唇の代わりに上の前歯を使っても出せるらしい。

(5)感想
    エッジトーンが生じるメカニズムについての議論で思った。そもそもエッジトーンとかカルマン渦とかいう「現象」はそれ自体在るのだが、その現象をどういう風に「切断」して見るか、ということによって、「因果関係」が立ち現れる。うまく切断しないとそれは実験的に、あるいは理論的に実証できないが、うまく切断すれば実証できる。しかし、これはその「因果関係」が唯一のものとして「在る」ということではない。別の切断をすれば別の因果関係があってもおかしくはないからである。現象が複雑になればなるほど、その切断による因果関係は多数見つかるだろう。切断するのは解釈する人間であって、その人間の経験を動員して切断するのであるから、人生のある時期における因果関係と別の時期における因果関係は違ってしまうのが普通だろう。特定の因果関係は人間の働きかけによって現れるものであって、確かに現れればそれは「正しい」と言えるだろうが、それが唯一ではない。むしろ、特定の切断のやり方を絶対視してしまえば、それは危険な独断と偏見にすらなる。それでは全ての因果関係とまでいわなくても、さまざまな切断による因果関係達と統合することができるだろうか?ここで、現象が「線形」かどうかが重要になる。線形であれば、因果関係は足し合わせることで統合できる。非線形であっても、実験ができればその非線形性を推定することができるのだが、現象が複雑になればなるほどこの「実験」が困難になる。結局の処、因果関係の「多様性」を認める、というのが最低限のルールとして成り立つことではないだろうか?しかし、これは案外難しいことである。因果関係というのは、つまるところ、人間の行動原理だからである。

(6)フルートについては日本語の検索はほぼ尽くしたので、英語の検索をやっている。
Michael C Botha という人が、"Head joint design" で、簡潔に頭部管についてまとめている。
・頭部管の絞り
    放物線形状絞りによって高音域の音程が調節される。a modern (short) scale が a traditional (long) scale によって、微妙に変わる。
・歌口のサイズ
    小さいと高音域が容易になり、音色変化が付け易い。大きいと低音域が容易になり、音量が得られ、ダークな(倍音に富んだ)音色となる。
  (形状としてもエッジが直線的であれば低音域が容易となる。)
・深さ
    深いと低音域が容易となり、浅いと高音域が容易となる。
・オーバーカット(歌口両側の上部)
    付けると高音域での強弱変化が容易になる。大きく取ると一般的には空虚な音色となり、より制御しやすい。
・アンダーカット(歌口両側の下部)
    付けると低音域が容易となる。大きく取ると暖かい音色となり、制御が難しい。
    これらの上下カットのバランスが重要であるが、両方を付けると抵抗感が少なくなり、従って腹筋群による横隔膜の制御が重要になる。
・エッジの鋭さ
    鋭いエッジにすると低音域が容易になり、素早い応答と大きな音量が得られる。しかし、中音域と高音域においては空虚な音(thin sound)をもたらし、また全ての音域においてノイズを生じる。これは初級、中級者に当てはまるが、上級者には当てはまらない。実際上はある程度の丸みを与えて、音の遷移を滑らかにする。
・リッププレートの凹凸形状
    直線的なリッププレートでは下唇との接触面積が小さくなり、音色の制御が容易となる。とくに空虚な(pale)音色が可能となる。曲線的なリッププレートでは、下唇が拘束されるので、焦点のある(focused)音が得られる(音色が決まりやすい)。もっともこれは直線的なリッププレートにおいても下唇を押し付けることで可能である。
・材質
    一般的には材質的に密度の高いものが表現力に富んでいて良い。
・ヘッドキャップ
    材質は大きな影響を与えない。位置は高音域の音程にとって重要である。

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