通勤バスの中で少しづつ、金谷武洋「英語にも主語はなかった」(講談社)を読み終えた。半分位は「日本語に主語はいらない」「日本語文法の謎を解く」 の復習である。いろいろな現代語の読みからの解析と整理はなるほどと思った。アメリカ社会のあり方を英語の構造の所為にしているような説明は、まあそうもいえるかもしれないとは思う。この本の主題は英語を筆頭とする印欧語族の進化の道筋において、どこで「主語」が発生したか、というところである。印欧語族の中で英語の歴史は、古英語(700〜1100)、中英語(1100〜1500)、近代英語(1500〜)ということになる。古英語には主語はなかった。そもそも印欧語を昔に辿っていくと活用もない。単に単語が状況にしたがって解釈されるだけである。つまり、言語表現は出来事を示すだけで用が足りたのである。動作の主体まで示す必要はなかった。しかし古英語の時代には名詞や動詞が語尾活用してその機能を示すようになる。名詞の方は区別して曲用という。したがって語順は一定する必要がないから一定していない。現在でもフランス語以外のラテン語はそうであり、ゲルマン系の言語にもその傾向は残っている。主語は必須な要素ではなくて、単に動作の主体を示すときだけに主格補語として使われるから文の何処にあっても良い。このような語の屈折を整理すると子音 m (受動的に行為を受ける人)と s (能動的行為者)の対立であることが判る。動詞活用として1人称には m 2人称には s である。名詞の曲用として、主格には s 目的(対)格には m である。その本来の意味は、動詞で規定される動作が、m や s で規定される場所で起きている、ということである。

     中英語に到って主格の提示は文の必須要素(主語)となり、そのために動詞の活用や名詞の曲用は姿を消すことになる。今では三人称単数などに残っているに過ぎないし、フランス語では発音されないがスペリングとしてのみ残っている。それと共に、主語→動詞→目的語の語順が確定する。ここで主語が必須となることで繰り返しにおける代名詞として「私」に相当する一人称主格代名詞が登場する。このときに本来であるならば m を登用するはずなのだが、m は本来的に受動的な意味(行為が起きる場所)であるから、使えない。そこで、ギリシャ語の ego (自己)が持ち出されることになった。各国語の一人称代名詞は ego の変形である。2人称主格代名詞には問題なく s が登用されている。さて、この古英語から中英語に到る環境要因はいうまでもなくフランスのノルマンジー公爵のイングランド征服である。その後300年に亘って古英語とフランス語(ラテン系)との混血というか、フランス語による古英語の征服が続いたのである。極めて複雑な動詞の活用と名詞の曲用を持っていた古英語は支配者層のフランス人から嫌われたために徐々に整理されて単純化されたのである。定冠詞も16種あったのだが、ただ一つ the に統一されてしまった。その言語規則の簡略化という言語進化上の逆行現象の中で複雑な意味を表すために主格の必須化と語順の固定が起きたのである。(表意文字の普及によって最初からそのような複雑な屈折を持たなかった孤立語=中国語においては語順の固定が早い時期に起きている。)勿論語彙はフランス語由来となったために、発音と表記の著しい相違という特徴も備えることになった。非人称動詞は最後まで抵抗して、シェイクスピアの時代までは、Me-thinks (私にはそう思える)という言い方が普通であった。現在では It thinks to me といって「非人称主語」 it を必要とする。お天気の表現にまでこれが必須となってしまった。このあたりまでは、フランス語、ドイツ語にも波及している(この辺の理由はどうなっているのかと思うが)が、英語はそこから更に先に進む。疑問表現には動詞と主語をひっくり返したり、否定表現には単に 否定語 not をつけたりして済ませていた表現に、近代英語以降になって、do (する)を持ち込むようになった。これは 言ったか?の替わりに 言ったりしたか?、行かなかった、 の替わりに 行きはしなかった、 というようなものであって、行為の強調である。日本語で強調するときには丁度これと逆方向である。「先日は顔を見せなかったね。」「北海道から母が来たんだ。」を「北海道から母が来た。」というとそっけなくて傲慢に聞こえる。この、来たんだ、が強調文である。その意味は  来たのである  ということで、来たということをどうしようもない自然現象として言うために、存在動詞「ある」を使っている。これによって、どうしようもないのだから勘弁してくれ、というニュアンスが伝わる。

     次の章は、古い印欧語に現れる、形は受動態なのに意味は能動態という不思議な動詞の活用系(中動相)があって、欧米の言語学者がうまく整理できないことへの、日本語の立場からの解釈である。欧米の文法では主語が必須であるから、受動態は必ず能動態を対として必要としている。つまり本来的に能動態であった表現をひっくり返したものが受動態である。しかし、中動相は対となるべき能動態が存在しない文なのである。これは受動態自身が独自の機能を持っているためである。現在の印欧語にはその例がないから不思議に見えるだけであって、日本語では当たり前のように残っている。そもそも本来の受動態の機能は行為者を表現しない、という機能にあった(主語のない文)のだが、主語が必須と為った欧米ではそれがいつの間にか、主語が動作を受ける、という状態を表すように特化されてしまったのである。

     最後の章は三上章の弟子たちが三上章の主語不要論を否定したが為に、現在の日本語文法の混乱が続いている、ということである。この辺はまあ金谷氏の一方的な意見だから何とも論評し難い。

     今回のこの本で言語というものの本来の(というか少なくとも発生からの時間としては一番古い)形態がおぼろげながら浮かんでくる。それはやはり単語レベルなのであって、最初から我と汝の対立や、我と自然の対立などは表現されていなかった、ということである。人は環境の中に埋まっていて、環境を言葉にしていた、とでも言えばよいのだろうか?我にはまだ反響していない段階において言語は存在した。「初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。神が言葉を話した。」というのは福音書の最初である。意識の中でまず言葉がある。このとき言葉の意味は物であったり、事であったり、動作であったり、状態であったりするかもしれないが、それだけである。次に言葉のある場所に神が意識される。神は物理的実在ではない。表象の中にしか存在しないのであるからこれは当然である。そして、そのことこそ神が言葉を話すということなのである。言葉を話すという動作の主体はその動作が起こされる場所から発生している。そのような段階から出発して、言語は複雑な社会関係に対応するために、動作の主体やその対象などを表現する必要が出来てきて、屈折語系統では語尾変化を促し、孤立語系統では語順の固定化へと向かった。われわれ日本語の膠着語では接頭辞や接尾辞をつける。屈折語でそこから先に進んだのが英仏語であり、特に英語である。隣接言語との激しい競合の中で屈折語の特性を大部分失いながら孤立語の特性を備えるに到っている。話者である「私」を文章の中で必須の要素とする、という事態は必然的に文章の中の「私」と話者の分離を意識の中に引き起こしてしまう。話者が「神」に類似した位置を占めるようになる。デカルトの2元論も、ニュートンの力学も、そのような意識の中で生まれたのである。デカルトもニュートンも「神」を否定したわけではないが、少なくとも「神」の立場で物を見ていた。さて、そこで残る疑問は孤立語の方向に向かった中国(漢民族)であるが、これについては勉強不足というしかないのが残念である。
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