「ハンナ・アーレント」矢野久美子(中公新書)を半分読んだ。とても判りやすい。

      彼女はドイツのユダヤ人であるがユダヤ教徒ではなく、リベラルな立場の裕福な家庭に育った。ユダヤ人同士の付き合いが多かったのだが、ユダヤ人とは言ってもいろいろである。当時はパレスチナのイギリス委任統治領にユダヤ国家が設立された頃で、そこに還る運動もあったし、一方で共産主義運動もあった。政治的には対立していても、友人としての付き合いがあったらしい。「あらゆる社会的な結びつきの外に立っているということ、一切の先入観から離れているということは、とても美しいものだった。」

      やがて、父親が死亡してやや困窮し、あちこちに移動。「私は理解しなければならない。」という内的な必要性(哲学への希求)が育まれた。大学でハイデッガーに出会い、その恋愛関係を断ち切って、結局ヤスパースを師として学位論文を書いた。「アウグスチヌスにおける愛の概念」である。「人間の存在を根源的な意味で社会的なものと考えるとき、神による被造者としての存在の起源だけでは不充分である。被造者はそれぞれ孤立していて、その隣人愛における具体的な他者は個々の身近な者として理解されない。そこでアウグスチヌスを通してもう一つの起源、アダムを始祖とする出生によって成立する人類への帰属が引き出される。罪深き人類としての結合関係において、人々は相互に依存し運命を共有している。それは死者達に由来し死者と共にある社会である。ただし、こうした歴史性の中の他者の意義は、相互依存性に対する信念そのものの中にある。人類の存続を決めるのは、人々の相互依存性の証明それ自身ではなく、それなしには全ての相互的関係は成立しえないであろう必要不可欠な信念である。」

      ナチスの台頭によって、アーレントはフランスに逃れる。そこでは、亡命ユダヤ人達との思想的交流があった。大戦が始まると、フランス政府は亡命ユダヤ人を敵国ドイツ人として捕捉して、ピレネー山脈近くに収容した。しかし、フランスがナチスに敗北するタイミングで彼女は収容所を脱出し、状況を見てスペインへと越境し中立国ポルトガル経由でアメリカに亡命した。アメリカでの難民生活の間に、アーレントはユダヤ人の論争的エッセイストとして認められていった。「ユダヤ人にとって必要なのは同情や慈善事業ではなく、ユダヤ人に対する攻撃をヨーロッパ諸民族に対する攻撃と見做してくれる戦友である。」

      戦後に判明したナチスのユダヤ人虐殺の実態は衝撃であった。殺害するためだけに技術と経費を傾注して工場が作られたということは前代未聞である。人間による人間の無用化である。しかし、それでも「私は理解しなければならない。狂ってしまったのはドイツ語ではない。」

      p.92. パーリア(賤民)としてのユダヤ人。成り上がり者になろうとせずに自分たちのよそもの性を自覚的に受け止めて表現した少数の人達の伝統。それは現代という時代において法の外に追いやられたものにとって重要な意味がある。ハインリッヒ・ハイネ、ベルナール・ナザール、チャーリー・チャップリン、フランツ・カフカがその4類型である。

      p.104. 1951-55年に「全体主義の起原」が出版された。彼女自身はタイトルの「起原」というのは適切でなかったと後悔している。「諸要素」とでもすべきだったと。精神科学における方法として、因果性はすべて忘れること。その替りに出来事の諸要素を分析すること。理解とは、現実に対して前以って考えを思いめぐらせておくことではなくて、注意深く直面し抵抗することだった。因果関係の説明という伝統的なやり方では、前例のない出来事を語ることはできない。それは運命の流れの中で起こったことではなく、人間の行為の結果としての出来事であった。人間がどうなるかは人間にかかっている。強制収容所という形で結晶化した現象の諸要素を、それらが具体的に現れた歴史的文脈の中で分析して語った。

      第一部「反ユダヤ主義」では、それ以前からあった社会的・宗教的な意味でのそれではなくて、ブルジョア階級が勃興して、絶対王政を財政的に支えていた影の支配者である宮廷ユダヤ人銀行家が不要となってきたという歴史的背景で、宮廷ユダヤ人の特権が批判されるようになり、それがイデオロギーとしてユダヤ人一般への憎悪として政治的に利用され喧伝された、ということである。大衆は見たこともないユダヤ人を憎むようになったのである。

      第二部「帝国主義」では、資本主義の発展によって余剰化された白人が植民地に送り出されて非白人を支配下に置く、という構図によって、人種主義が明瞭に意識されるようになり、政治的には、中央政府から自由になった植民地での官僚支配(匿名の支配)が蔓延し、合法的支配そのものが崩壊する。目の前のプロセスを疑うことに意味がなくなる。第一次大戦を経て、国民国家からも法からも見放された大量の難民が生じた。自分の帰属する社会がなくなれば、意見も行為も無意味化され、犯罪以外に生き延びる道がなくなる。

      第三部「全体主義」では、強制収容所の状況と大衆社会における孤立感の関連性を指摘する。全体主義は単なる独裁でも専制でもない。そこでは自分の行為と自分に降りかかる事に関係がない。法的人格の抹殺である。死や記憶が無名化され無意味になる。善悪の区別が崩壊し、それは犠牲者をも加害者に組み込む。道徳的人格が抹殺される。自発性や性格も無視され、人間が交換可能な塊となる。全体主義は語る人間や行為する人間を組織的に排除し、最初にある集団を選別して彼等の人間性そのものを攻撃し、それからその範囲を広げていき、人々を人間として余計な存在にする。全体主義は人間の複数性に対する犯罪である。複数性とは、複数である人間によって複数である人間について語られた物語のなかで真実性をもって記憶される権利、歴史から抹消されない権利である。ナチズムやスターリニズムが終焉した現在においても全体主義的な解決法(複数性の抹消)が繰り返し起きている。。
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