2017.02.05

柴崎信三「パトリ<祖国>の方へ」(ウェッジ)を読んだ。日経新聞に長く居た人らしい。1970年以降の日本を眺望する為に、三島由紀夫、川端康成、東山魁夷、岡本太郎、丸山眞男、小林秀雄、小津安二郎、司馬遼太郎、田中角栄、檀伊玖磨、菱沼(小畑)五郎、本田宗一郎、城山三郎、正田美智子、須賀敦子、村上春樹、江藤淳、ドナルド・キーンを取り上げて、望郷感(パトリとトポス)について語っている。パトリは感情的な側面でトポスは場所的な側面である。明治・大正・昭和・平成という日本の近代化と脱近代化の歴史の中で、それらは国家の在り方とも関わってきたのであるが、同時にそれ以前の日本における伝統とも関わっていて、それがこれらの人々の生き様を貫く糸ともなっている。それぞれが激動の時代を背負って一筋縄ではいかない彼等を称揚するわけでもなく批判するわけでもなく、それぞれへの共感を淡々と語っている処が面白い。

  <おわりに>で英国の歴史学者エリック・ホブズボウムの「創られた伝統」から引用して、「伝統」や歴史的な「記憶」というものが、国家形成の過程において創造され発明された、操作されたものであることを述べた後、それは物事の半面に過ぎなくて、人々の共同体的な情動でもあることを忘れてはならないと言って、建築家安藤忠雄の仕事を紹介している。人間が社会を必要としている以上、そこに働く情動を無視することはできない。これからの日本を、国家が作り出す情動ではなくて、共同体からの情動を基軸に築くとすれば、それは何か?というのが問題意識である。

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