スピーキング・ツアー来日東ティモール人一覧

今ではもうやっていませんが、過去の活動の紹介です。


●スピーキング・ツアーとは

 東ティモールについての情報が新聞、雑誌でほとんどとりあげられなかった1980年代の後半、直接東ティモール人の話を日本の津々浦々に届けようとはじまったツアーです。東ティモール人の話を聞き、彼らと心の交流をすることによって、東ティモールを身近に感じれるようになります。またマスコミを通じて東ティモールのことを広く知ってもらう機会になりました。
 1985年に当時フレテリンの国連代表だったジョゼ・ラモス・ホルタさんが来日し、東京と大阪と呉で集会をもったことがきっかけとなって東ティモール支援運動が拡大し、スピーキング・ツアーが生まれました。
 2000年まで行い、2001年以後はやっていません。東ティモールの独立はすでに決定し、スピーキング・ツアーの意義もなくなったと考えています。以下は、過去のスピーキング・ツアーのスピーカー一覧ですのでご了解ください。


今までスピーカーとして招待された東ティモール人

1986年 
ダ・コスタ・ロペス師。元東ティモールの教皇行政官。ベロ司教の前任者でインドネシア軍批判をして追放された。ポルトガルから来日。すでに逝去。
ミミ・フェレイラさん。ダーウィンフレテリン委員会の若き女性活動家。

1987年
ロケ・ロドリゲスさん。フレテリン駐アンゴラ大使(当時)。情熱的な語り口が人気。現在は東ティモール政府防衛長官。

1988年
ジョゼ・アドリアノ・グスマオさん。ダーウィンフレテリン委員会のメンバー(当時)。現在は、ディリでSave the ChildrenというNGOで仕事をしている。
ジョゼ・ルイス・グテレスさん。フレテリン情報部(当時)。難民となってポルトガルに来たばかりで衝撃的な体験を話した。現在は、東ティモール政府で首相秘書。

1989年
ジョアン・ドス・レイスさん。リスボン在住のフレテリン活動家(当時)。インドネシア情報省の東ティモール事務所につとめて政府広報を担当していた体験から、インドネシアによる東ティモール支配の内幕を暴露した。現在はダーウィンフレテリン委員会のメンバー。

1990年
アビリオ・アラウジョさん。フレテリン海外代表部部長(当時)。1975年当時の独立運動の中で、数々の独立運動歌を作曲した。現在は東ティモールに結成された「国民党」(PNT)の党首。ただし東ティモールにはほとんどいない。
ファティマ・グスマオさん。ダーウィンフレテリン委員会の女性活動家(当時)。ゲリラとなって山を逃れた体験、子どもを多く失った母親としての体験を熱っぽく語った。民族舞踊も披露した。

1991年
アジオ・ペレイラさん。ダーウィンフレテリン委員会のメンバー(当時)。シンガーソングライターで「I'm Still Fighting」というカセットを出している。その後シドニーに拠点をうつしETRA(東ティモール救援協会)というNGOをたちあげた。現在は東ティモール大統領府の秘書。
ドナシアノ・ゴメスさん。1989年ローマ法王の東ティモール訪問でデモをしてつかまった青年活動家。その後、インドネシア軍の拷問をうけたりしたが、ポルトガルに亡命した。現在は東ティモール国軍のPKFリエゾン担当。
アビリオ・セレノさん。ジャカルタで地下学生組織に参加していた青年活動家。リスボン在住。

1992年
リジア・シメネスさん。バリ島で大学生をしていたころ独立をめざす地下学生組織に参加した若い女性活動家でその後ポルトガルに亡命。国連人権委員会でも証言した。現在はポルトガル在住。
アナ・イナシオさん。ダーウィン在住の若い女性で、父親が東ティモール内で行方不明になったままだという話をせつせつとした。
ウェウェリアンさん。東ティモールを脱出してきたばかりの若い女性活動家。拷問など厳しい東ティモールの情勢を熱く語った。

1993年
マリ・アルカティリさん。フレテリンの海外代表のひとりでモザンビーク在住。現在は(なんと!)東ティモールの首相。
ルメナさん。ポルトガル在住で博物館勤務。料理が得意。
ドナシアノ・ゴメスさん。(再来日)

1994年
ジョアン・アントニオ・ディアスさん。元東ティモールのインドネシア陸軍病院の検査技師で、第2の虐殺の証言者。ひそかにポルトガルに亡命し、国連人権委員会で証言した。現在はポルトガルの大学を出て、リスボンで就職している。
アビアノ・ファリアさん。サンタクルス虐殺の生き残りで、第2の虐殺の証言者。同じくひそかにポルトガルに亡命し、国連人権委員会で証言した。ポルトガルで学校に通っている。

1995年
ジョゼ・ラモス・ホルタさん。東ティモール民族抵抗評議会特別代表。現在は東ティモール政府の外務大臣。
マリア・ベルナルディノさん。オーストラリアの大学で福祉を学び、インドネシア軍による拷問のトラウマにかかった人たちのお世話をしている。
ジョゼ・アドリアノ・グスマオさん。(再来日)
ドミンゴス・サルメント・アルベスさん。1994年APECの際、ジャカルタの米国大使館にアピールのため座り込みを行ってポルトガルに亡命した東ティモール人青年グループ29人のリーダー。現在はポルトガルに在住。

1996年
ジャシント・ドス・サントスさん。インドネシアで神学院に通っていたが、オーストラリアに亡命を決意。メルボルンの東ティモール人権センタースタッフをへて、現在はUNMISET勤務。
オディリア・ビクトルさん。ジャカルタのオーストラリア大使館に亡命をもとめて入った若い女性活動家。インドネシア軍兵士による女性への性暴力についてはじめて証言した。1997年8月、ポルトガルで子どもを出産した直後に急逝。
ルルデス・デ・ソウザ・ベサさん。ポルトガルの大学に通う若い女性活動家。現在はディリにあるポルトガル大使館文化部に勤務。
アントニオ・アラニャドさん。日本大使館に亡命要請してはいり、その後ポルトガルに亡命した青年活動家。
アジオ・ペレイラさん。(再来日)

1997年
アベ・バレトさん。1991年にカナダに単身亡命した東ティモール人青年。詩をつくりギターを手に歌を歌う。カナダでは「アベ&アロズ」というグループでコンサート活動をしていた。現在はUNMISET広報部で通訳として活躍。
フランシスコ・ヴィセンテ・グテレスさん。1996年にジャカルタのニュージーランド大使館に亡命要請してはいりポルトガルに亡命した青年。
マリア・ジョゼ・サンチェスさん。侵略直後はインドネシア赤十字でボランティアをしていたという、現在ポルトガル在住の女性。料理が得意。現在は、東ティモール政府総理府(男女)平等促進局の局長。

1998年
フェルナンド・デ・アラウジョさん1991年サンタクルス虐殺の後、東ティモール人学生たちがジャカルタで抗議のデモをした際、その首謀者として逮捕され、国家反逆罪で9年の刑を言い渡された。1998年仮出所が可能になり、最初の海外渡航地として日本に来た。アムネスティの元良心の囚人。リーボック人権賞受賞。現在は東ティモールに結成された民主党党首で国会議員。
ヘルミー・ファウジさん。インドネシアの人権NGO、法律扶助人権協会のメンバーとして東ティモールなどを担当。現在はインドネシアで新聞記者。
ジョゼ・マヌエルさん。80年代東ティモール地下組織活動家の草分け的存在。東ティモール内部からはじめてスピーキング・ツアーに参加した。現在はフレテリンの国会議員。
イジリオ・ダ・シルバさん日本で日本語を勉強したことのある東ティモール人青年でリスボンに亡命。現在は東ティモール政府で外交官。

1999年
マリア・ドミンガス・アルベスさん東ティモールで性的暴力の被害者となった女性のケアー、自立プログラムなどを行うNGO「東ティモール女性連絡協議会」の総コーディネーター。現在は東ティモール政府総理府(男女)平等促進局の平等担当首相顧問。
ラウラ・アブランテスさん。同じく東ティモール女性連絡協議会のスタッフ。
ベラ・ガリョスさん。カナダに亡命した東ティモール人女性で、東ティモール民族抵抗評議会のカナダNGO・労組担当。現在は東ティモールに在住。
ミカ・バレトさん。ジャカルタでレネティル(東ティモール学生抵抗)のメンバーとして活躍する。1997年に来日したアベ・バレトさんの妹。日本へは学生会議のため来日していたが滞在をのばして特別参加。(学生会議のみなさん、ありがとう。)。

2000年
マリア・バレトさんNGO「東ティモール女性連絡協議会」のカウンセリング・チームのコーディネーター。1999年9月の騒乱のときにはディリの家にいたところを民兵に追い出され、インドネシア警察・軍が協力して作戦を遂行するさまを目の当たりにした。アタンブアからクパンへとトラックにのって逃れ、国連の援助で帰国した。インドネシア軍兵士だった兄はまだ西ティモールにいて帰還することができないでいる。

2002年
ジャシント・アルベスさん東ティモール受容真実和解委員会の委員。1991年サンタクルス虐殺のあと、デモを組織したとして10年の刑を言い渡されて投獄。7年後に出所して、元政治囚協会をつくり、受容真実和解委員会の設立に尽力し、自らも全国委員となった。


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