披露山公園の七曲坂・古東海道その2 地図はこちら

披露山公園の駐車場からは逗子の海岸が見渡せます。そして尾崎行雄の記念碑があります。記念碑の後ろは雑木で覆われていますが、雑木の隙間から堀状にえぐられた窪地が東に向かって続いているのが確認できます。その窪地状のところが古道跡なのです。左の写真は記念碑の後ろにまわって、古道跡の入り口付近から道の奥を撮影したものです。腕底のような曲線を描く見事な堀割道が続いているのがわかります。

出ました、これぞ正しく堀割道です。鎌倉街道の特徴的な道の姿です。えっ、何ですて。この道は古東海道じゃなかったのかって。そうでした、この道は古代の古東海道でした。ただ、しかし、この道は古代道を踏襲した中世鎌倉街道でもあったことは大いに考えられるのです。よって私は「昔のままの道が残る鎌倉街道」としてここで紹介させて頂いているのであります。

堀割道の左側に針金が掛けられていて、立て札が沢山立っています。立て札には「土手が崩れます。中で竹の子を取らないで下さい。」と書かれています。確かに今にも崩れてきそうな感じです。堀割の土手に木の根っこがへばり付いている感じです。その立て札の立っている付近の土を見ると、上左写真のような苔が付いた土でした。私は先日に見てきた町田市小野路の硬化面層を思い出してしまいました。あそこの土も緑の苔が付いていたものですから。

我ながらおかしなことですが、最近崩れた土を見ると何か変わったものはないかと観察する癖になっています。上右の写真は立て札が立っているところとは反対側の駐車場側の崩れた土です。何気なく見上げた土壁ですが、ちょっと奇妙な地層です。三島市のものに似た下層と上層の境目がハッキリしていて、境目が水平でなく極端に上下を描いています。この上右の写真の土壁はかなり高い位置に有り、道路遺構と考えるには、やはり私の考え過ぎかも知れません。

確かに見事な堀割道ですが、ちょっとゴミが目立つのは閉口します。どうも堀割道というのはゴミ捨てには持ってこいの窪地と見られるのかも知れません。人が良く歩かれている堀割道はまだしも、町田市の御殿峠古道のような歩かれている道の隣の廃道化した堀割道跡などは格好のゴミ捨て場のようです。とにかく困ったものです。ここの堀割道は歩く人はほとんどいないのか、披露山公園に来た人達は展望台を目指し、駐車場に戻って出たゴミをこの辺に投げ捨てて帰る。

いやいや、披露山公園の駐車場を利用している人達がみなそのようなゴミのポイ捨てをしていると言うのではありません。ごく限られた、僅かな心ない人が、もしかしたらそのような行為をしているのかなと思っただけです。この駐車場を利用された方はどうぞ気を悪くされましたら、謝らさせて頂きます。

もの事を悪く考えるのは良くありません。ゴミのことは忘れて素晴らしい昔のままの古道を拝見しましょう。

ここの堀割道の特徴は堀割の深さがかなりあることです。しかも大きく曲りくねっていて、一見には城郭遺構の堀そのもののようにも見えます。城郭の堀のように見えることから、道そのものが、かなり古いもののように感じられます。鎌倉古道に興味がある方なら大変迫力ある道に感じられることでしょう。私はこのような古そうな道を見ると古いお寺や仏像を見る時のような、並々ならぬ霊気を感じるのであります。

この不思議な霊気はいったい何なんだろうと考えます。人は霊気を薄気味悪いものと捉え、嫌な物、良くない物と考えますが、おそらくその様な捉え方は文明社会から生まれた現代社会人の偏見だと考えられる節があります。

確か古い巨木には時間を超越した魂が宿っているような力が感じられます。そして、このような古そうな道を見ると古い巨木に似たものがあるように思われます。そして一方では、様々な思いを抱きながらここを通り過ぎて行った多くの古人の魂が付近に感じられるような気がするのです。これは気味悪さと言うよりも、むしろ懐かしさです。こう思うのは私だけでしょうか・・・。意外と私だけだったりして・・・。そうだったとしたら、ちょっと寂しいな・・・・・。

何でもこの辺りには人を困らせる悪い狐がいたという話が伝えられているようです。お夏狐に孫三郎狐という恋仲の狐だったそうです。小雨の降る夕方などには狐の嫁入りの行列の灯が、この坂を上っていったのが見えたともいいます。そんな昔話が懐かしく感じられるほどの霊気が漂うこの道は、今となっては大変貴重な存在だと思えます。

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