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フランス・イギリス  オステンド→ウエストドーバー航路  ドーバー海峡連絡船

写真 ドーバー海峡連絡船の乗船券

1990年 春 親子(父娘)旅行 船会社不詳<船名不詳>二等
イギリスとヨーロッパ大陸の間を渡るドーバー海峡連絡フェリーの思い出 船旅と言うより朝食驚きの旅
●航海
@途次 オステンド→ウエストドーバー 船会社不詳<船名不詳>二等室

●旅程 欧州旅行の途次でのこと

 

 記憶は定かでない。確か娘が中学校二年生のときだった。小生はドイツでのきものの展覧会のプロデュースのとイタリアでの家具関係のコンサルティングの仕事をかねて欧州へ出張していた。一段落したのが五月のゴールデンウィークの数日前、何気なくミラノのホテルから帰国しても休みかと思いながら「そうだ娘を呼び出そう」と留守宅へ電話を入れた。
「どうだパリまで来ないか? シャンゼリゼでお茶にしよう。」
 そんな小生の誘いに娘は受話器の向こうで
「いいわ。飛行機なら心配ないわね乗ったらパリに着くわね・・・。」
 とあどけなく答えていた。小生は娘への電話の後、何時も航空券を手配してくれている馴染みの旅行社へ電話を入れて大韓航空の大阪→ソウル→パリ・ロンドン→ソウル→大阪の娘の航空券手配を依頼して再び娘に翌々日に航空券を旅行社で受け取りパリまで来るように告げた。
 娘は何のためらいもなく
「分かったパリまで行くから・・・」
 と答えた。
 そして日本ではゴールデンウィークの始まる直前の日曜日のことだったと思う。娘はパリへ向かっていた。小生は前日の夜行列車でミラノからパリに着きシャルルドゴールでその日の夕刻娘を出迎えた。
 ちょっと前置きが長くなったがとにかくこうして始まった娘との旅はパリからバルセロナ、バルセロナからジュネーブ、バーゼルを経てウィーン、そしてウィーンからゲッチンゲン、マールブルグを経てウルムへ。ウルムからケルン、そしてオステンドへと辿り着き最終目的地ロンドンへ向かうことになっていた。ここに記すオステンド→ウエストドーバー航路はこのときジェットホイルに乗って小一時間で行き着くはずのドウバー海峡越えをどうしたことか幸か不幸か間違ってのろい大きなフェリーに乗ってしまった時の記憶である。

●ゆったりドーバー海峡を行く
 トーマスクックの赤い時刻表と首ったけで夜行列車で早朝まだ夜がまだ明けやらないうちにオステンド行きのインターシティーに乗り換えてオステンドに到着したのは確かまだ10時頃だったように記憶している。この分だとロンドンでアフタヌーンティーを楽しめると安堵しながら小一時間でドーバーを渡るジェットホイルに乗船するつもりで買った乗船券がえらくばかでかいなと驚きながら乗船してしまったのがのんびり四時余りを掛けて海峡を渡るフェリーだった。乗船してから気付いたのだが後の祭り。まぁ急ぐ旅でもないし特に予定があるわけでもなかったからそのままのんびり行くことにした。
 5,000トンくらいか、いやそれとも10,000トンくらいなのか、とにかく大きな船だった。いずれにしてもこれで欧州大陸とはお別れ、英国へ向かうとの妙な安堵感。娘も何のためらいもなく大きな船がお気に入りの様子。とにかくそんな思いを乗せて船は汽笛を響かせてオステンド港を出港した。前向きのリクライニングシートが並ぶ二等船室というのか一般席というのか、そこで一休み。シートの前には小さなプレートに
「眠りたい方にはお安い料金で寝室を用意してあります・・・。」
 と言うような意味のことが書かれていた。少し眠気を覚えながらも折角のドーバー越えの船。娘とふたりで船内の探索に出掛ける。ラウンジの一角に両替窓口を見つけてとにかく少々ポンドに両替。小銭を持ってカフェテラスのような感じの若い人たちがあちこちにグループで食事をしているセルフサービスのコーナーでひとまずコーヒーブレイク。ちょっと空腹感も覚える。
 コーヒーを飲み干して再び船内探索。結構売店やレストラン、バーなど何かと施設が整っている。階上へ上がるとさらにゆったりとしたラウンジがありその一角から何やら高級そうなレストランの入り口が見える。この際、朝食なら高級レストランでも大したことは無かろうと娘と顔を見合わせながらそのレストランへ入った。ドアを押し開けるなり何とも凄い光景。正装したカップル、気品の漂う紳士、上品そうな家族連れが窓際のテーブルを囲んでいた。中程の席は幾つが空いている。我々はそこへ向かった。にこやかに微笑むウエイター氏が席へ案内してくれる。大きなテーブルにはクロスが掛けられグラスが幾つも並びナイフやホークなどもセットされていた。席からは窓際の人たち越しにドーバー海峡が見える。どんよりと低い雲に覆われて一面灰色・・・
 程なく注文を取りに来たウエイター氏は左手の腕を直角に折り曲げそこには何とゴブレットグラスを交互に雄に十個は平行に翳した腕に手品師のように絡めていた。正にその光景に絶句。ウエイター氏は何ともひょうひょうとして爽やか、微笑みは絶品。絶妙のバランスで腕に下げたゴブレットグラスを目の前に置くと水を注いでくれる。見とれながら良く意味も分からないままに朝食の定食を注文。程なく運ばれてきた食事はオレンジジュースにベーコンエッグにトーストパン、それにコーヒーor紅茶。何のことはないアメリカンブレックファーストではないか・・・。それにしても窓際の席の貴婦人は改めて眺めると良くしゃべる褐色の肌の黒人。妙に気品が漂っているのには感心しきり。娘とも何とも凄い光景に感心する会話を交わしながら小生たちもそれなりにお上品に朝食を済ませた。(^^)
 そしていざ会計。ポンドの持ち合わせは小銭しかなかったので足りないだろうとは思っていたものの伝票の数字を見て一瞬ギックリ、何と数十ポンド、日本円にして確か6,000円くらいだったように思う。しかし、この雰囲気あのウエイター氏のパフォーマンスならこれも納得。しかし明らかに小銭のポンドでは不足、ドイツマルクは駄目かと駄目、スイスフランはと尋ねても駄目。スペインペソも駄目、イタリーリラも駄目、韓国ウォンも駄目、日本円も駄目の駄目駄目尽くし。では一体ドウすれば??? 例のウエイター氏は相変わらず微笑みを浮かべ誠に愛想がいいが駄目駄目、ではでは、ついにウエイター氏曰く
 「プラスティックマネーOK!」
 と・・・、ああ、そうかクレジットカードだな。それならあると手持ちのカードを並べるとこれにて一件落着。(^^)
 何とも凄まじい朝食体験に酔いしれながらリクライニングの席へ戻ると一気に眠気に襲われ始めた。折角のドーバーの航海も眠気にはかなわない。ひと眠りすることにして暫し夢の中をさまよう。何やら船内アナウンスの越えに目覚めると窓の外には陸地が見える。ドーバー海峡は渡りきってしまったようでウエストドーバーの港に入っていたようだった。
 船室は部屋と言うよりリクライニングシートが行列したホールの客席のような感じ。

 

●余談
 未だにあの朝食の思い出が鮮烈に脳裏に焼き付いている。何時の日か機会があれば再びあの船に乗って見たいと思うものの数年前には海峡トンネルも開通しているのだから今頃はお払い箱になっているのかとも<あのでかい船。

 

■後日追記 2002年 初夏 6月初旬

 懐かしい物が出てきました。この写真の乗船券。

 

1985−1991 ETC
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