日本プロレス復帰、追放

1967年(昭和42年)

 1. 5 大阪府立体育館での国際プロレスとの合同興行を最後に東京プロレスを解散。
 4. 6 日本プロレスに復帰。
 5. 5 鳥取市体育館にて、日本プロレス復帰第1戦。吉村道明と組み、マイク・デビアス、ダン・ミラー組に2−0で勝利する。
 5.12 岐阜市民センターにて、ジャイアント馬場とのBI砲を初結成。マイク・デビアス、ワルドー・フォン・エリック組に2−0で勝利する。
 5.26 北海道・札幌中島体育センターにて、吉村道明と組み、ワルドー・フォン・エリック、アイク・アーキンス組に2−1で勝利し、アジアタッグ王座を獲得する。
10.31 大阪府立体育会館にて、ジャイアント馬場とのBI砲で、ビル・ワット、ターザン・テイラー組を2−1で破り、インターナショナルタッグ王座を獲得。アジアタッグとの二冠となり、BIコンビの黄金時代幕開けとなる。


1968年(昭和43年)

 1. 8 大雪による飛行機欠航のため広島県立体育館大会を欠場。インターナショナルタッグ選手権が試合放棄となり、王座返上となる。
 1.10 東京・大田区体育館にて、ジャイアント馬場と組み、クラッシャー・リソワスキー、ビル・ミラー組を破り第10代インターナショナルタッグ王者に返り咲き。


1969年(昭和44年)

 1. 9 広島県立体育館にて、ウイルパー・スナイダー、ダニー・ホッジ組に敗れ、インターナショナルタッグ王座12度目の防衛に失敗。
 2. 3 札幌中島スポーツセンターにて、大木金太郎と組み、アジアタッグ王座決定戦でトム・ジョーンズ、バスター・ロイド組を破り第23代王者となる。
 2. 4 札幌中島スポーツセンターにて、ジャイアント馬場と組み、ウイルパー・スナイダー、ダニー・ホッジ組を破り第12代インターナショナルタッグ王者に返り咲き。
 5.16 第11回ワールドリーグ戦でクリス・マルコフを破り、初優勝。
 7. 2 猪木を中心としたNET(テレビ朝日)による「ワールドプロレスリング」放映開始。日本テレビによる馬場、坂口の試合とワールドリーグ公式戦は放送しないとの条件付き。
 7. 3 蔵前国技館にて、大木金太郎と組み、ブルート・バーナード、クルト・フォン・ストロハイムに勝利しアジアタッグ王座2度目の防衛後、王座を返上。
 8. 9 愛知県体育館にて、吉村道明と組み、アジアタッグ王座決定戦でクラッシャー・リソワスキー、アート・マハリック組を破り第24代王者となる。
 8.11 札幌中島スポーツセンターにて、ディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー組に敗れ、インターナショナルタッグ王座転落。
 8.13 大阪府立体育会館にて、ジャイアント馬場と組み、ディック・ザ・ブルーザー、クラッシャー・リソワスキー組を破り第14代インターナショナルタッグ王者に返り咲き。
10.10 山形市体育館にて、吉村道明と組み、バディ・オースチン、ミスター・アトミック組に勝利しアジアタッグ王座を防衛するも相手チームのクレームにより王座はコミッショナー預かりとなる。
10.30 岐阜市民センターにて、吉村道明と組み、アジアタッグ王座決定戦でバディ・オースチン、ミスター・アトミック組を破り第25代王者となる。
12. 2 NWA世界王座に初挑戦。(ドリー・ファンク・ジュニアと時間切れ引き分け)


1970年(昭和45年)

11. 5 台東体育館にて、星野勘太郎と組み、ニック・ボック・ウインクル、ジョニー・クイン組に勝利。第1回NWAタッグリーグに優勝。
12.20 ブラジルで映画撮影。毒蛇に噛まれ重体となる。


1971年(昭和46年)

 3.26 米国ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムでジョン・トロスからUN(ユナイテッド・ナショナル)ヘビー級王座を奪取。帰国会見では女優の賠償美津子との婚約も発表。
 5.19 第13回ワールドリーグ戦終了後、優勝したジャイアント馬場に、日本人同志の直接対決が組まれなかったことを不服として挑戦を表明。日プロは時期尚早としてこれを却下。
11. 2 東京・京王プラザホテルにて賠償美津子と結婚。1億円挙式として話題となった。費用は日プロ負担の約束だったが、後の追放処分により反故にされ、莫大な借金を背負うことになる。
12. 7 ザ・ファンクスに敗れ、インタータッグ王座転落。BI砲最後の試合となる。
12.13 会社乗っ取りを企てたとして日プロを追放される。