日本プロレス復帰

 猪木が豊登に誘われ、東京プロレスに参加した際、豊登に対しては、はっきりと除名処分が発表されたが、猪木に対しては、処分保留と寛大な措置が取られた。若い猪木が豊登に騙されているとの判断もあったし、東京プロレスがどうせ長くは続かないという読み、猪木の将来性に対する期待もあった。
 東京プロレスが崩壊したときのプロレス界は、日本プロレスと国際プロレスの2団体対立時代に入ろうとしていた。猪木がライバルの国際プロレスに参加することを恐れた日プロは、猪木に復帰を促した。当時の自民党副総裁で日本プロレスリング・コミッショナーの川島正次郎氏の仲介で、猪木は東プロから高崎山三吉(北沢幹之)、永源遥、柴田勝久の3選手を帯同して日プロに復帰した。
 猪木の復帰発表が行われた翌日、第9回ワールドリーグ戦の前夜祭が後楽園ホールで行われた。猪木はリング上からファンに復帰の挨拶をした。その後に行われたリーグ戦参加選手の入場式では、外人勢に襲撃されたジャイアント馬場を救出するという大デモンストレーションを行った。