フリーマンの随想

その52. 時には小さな声で


* 話声の大きさは時と場所に応じて変えましょうよ *

(JUN. 27. 2003)


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1.どこでも大声で喋りまくる日本人

旅に出るたびにいつも思うのですが、日本人はどうして皆、公共の場であのようにいつも大きな声で会話をするのでしょう。  妻の話では、在米中、親しい日米の婦人たちがレストランで一緒に食事をしていると、 日本の婦人たちの話し声は必ず次第に大きくなってくるのだそうです。  すると、米人の誰かが、指にを唇に充てて小声で 「 シーッ 」 と言うそうです。  しばらく静かな声で話し合っているうちに、またつい声高になり、大声で笑ったりすると、また 「 シーッ 」 と言われます。  こういうことが何度も繰り返されたといいます。  人前で騒々しいことでは有名で、欧州人たちから嫌われている米国人たちですら、こうなのです。

日本人は、グループで楽しいムードになると、どうも、自分たちだけの空間、 自分たちだけの雰囲気に没入してしまう習性があるようです。  とくに3人以上だと、まわりに誰がいるか、自分が今どういう場にいるかを、つい忘れて ( あるいは無視して ) 毎度 「 盛り上がって 」 しまうのです。 そこで、私は在米中、日本からお客が来たときは、周囲のひんしゅくの視線を避けたいので、 いつもドアつきの個室のある特定のレストランを予約するようにしていました。 欧米でのレストランでの夕食とは、 ほの暗い照明のもとで、夫婦や恋人が静かに語り合い、雰囲気を楽しむ場なのですから、 その他人の権利を奪ってはならないのです。

昔から、料理屋でも宿場の宿でも、ついたて一つ、ふすま一枚で仕切れば、その向こう側の話し声は 「 聞こえないことにし 」 他人は 「 居ないものと割り切れる 」 ように訓練されてきた日本人と、 防音壁と鍵をかけたドアで仕切られて、はじめてプライバシーを確保できたと安心できる欧米人との文化、伝統の差でしょうか。

でも、日本人なのに、妻も私も、旅行に出るたびに列車の中、ホテルの朝食の食堂などでは、大声で話す人声に、 時には耳をふさぎたくなるのです。 その喧騒を避けたいと、たまにグリーン車に乗ることもありますが、 そこでも団体客の大声の会話は聞こえて来ます。 ああ、簡素でよいから安いコンパートメント車はないものか!

知り合いのご婦人にこの点を尋ねると、家から、夫から、そして家事から離れ、親しい友達と思いっきりお喋りしたいから、 彼女らは連れ立って旅行に出るのだというのです。 そうだったのか!  私達のように、静寂を求めて旅に出る人間とは、 最初から目的意識が違うのです。 「 老夫婦なんて、何も喋らず黙りこくって座っていて、気の毒だわ 」 とまで言われてしまいました。  そんなことありませんよ。 私たち夫婦は、旅行中もよく語り合いますが、それはいわゆる 「 ひそひそ話 」 よりやや大きい程度の音量に抑えているから、2mも離れたら、何を言っているのか、全く聞き取れない程度なんです。  楽しい会話にはそれで十分なんです。 ところが、日本人団体客の会話は、10m先でも20離れていても、 明瞭に一句一句聞き取れるほど声高なことが珍しくありません。

 ひとりで欧州に旅すると、私はたいてい一等車に乗るのですが、そこの静まりかえった静寂の空間です。  いや、そうでなくてはならない特別の空間なのです。  一等車 ( 日本のグリーン車もしかり ) の乗客は、その静寂を求めて高い料金を払っているのです。 それなのに、 駅に着いて突然車内が騒がしくなったので見回すと、日本人に限りませんが、まず間違いなくそれは、 東洋人の団体客が入ってきたからなのです。 着席する前からもう、あっちだこっちだとわめき合っています。  ホテルのレストランでも同じような光景がしばしば見られます。  これでは、東洋人の旅行者が地元の欧米人に好かれないのも無理はありません。  海外では、その場にあわせて自分の声の音量規制を常にしっかり行うことが大切です。

電話をかけている時でも、日本人には、不必要と思えるほど大きな声を張り上げている人が少なくありません。 日本はそういう大声の文化の国なんだからもう仕方ないと、私は半分あきらめ、我慢したり、時には工夫して避難するようにしています。  「 大声を出して盛り上がりたいなら、どうか居酒屋かスナックにでも行ってください 」 と、本当は言いたいのですが。  でも、欧米に旅したら、人前での声の音量規制は必須のエチケットです

よく 「 私は地声が大きいので 」 と言い訳する人が居ますが、そう言っている本人が済まなそうな顔をしていたためしが有りません。  たいていの場合、むしろその事を自慢気にしているのだから困りものです。  ボリュームのつまみと同じで、声の音量を小さくすることは少々の努力で誰にでも可能なのです。 どうか、つまみを使って下さい。

先週の新潟への旅行では、至極高級な宿に泊ったのですが、前夜 「 朝食はご自分のお部屋になさいますか。それとも食堂で? 」 と聞かれ、後者だとおいしい干物がアツアツで食べられると聞いて、つい 「 そうします 」 と言ってしまったのが運の尽きでした。  翌朝、食堂には30歳すぎの女性4、5人のグループがもう二組来ていて、大きな声でひっきりなしに話し合いながら食べているのです。  「 ああしまった。部屋食にすべきだった 」 と妻と顔を見合わせましたが、もう後の祭りでした。

このくらい高級な宿なら、列車を禁煙車と喫煙車に分けるように 「 大声お喋り可 」 と 「 小声に規制 」 の2つの食事どころを設けるべきです。  いや、JRだって、グリーン車くらいは真ん中で仕切ってこの2つに分けたらどうでしょうか。 そして美術館も・・・ いや、それはまあ無理でしょうが。

2.共同入浴文化の伝統を守りたい

ついでのことに、もう一つ言わせてください。 これも最近、信州のある温泉のホテルに泊ったときのこと、 屋上にある露天風呂に一人ゆっくり浸かっていると、 4、5人の男性 ( 女性が入ってくるわけもありませんが ) がドヤドヤと入ってきました。 一人以外は、いずれも60歳前後の、 地元企業の社長らしき人たちで、他の一人は、まだ40歳をすぎたばかりに見えるが、彼らから 「 部長さん 」 と呼ばれて一目置かれていましたから、きっと、中央官庁あたりから出向してきた県庁のエリート官僚だろうと想像しました。

驚いたことに、この部長さんは、いきなりつかつかとそのまま湯船に入ってきました。 社長さんたちは、もちろん、湯桶に湯を汲んで、 湯舟の外でざっと全身、ことに下半身を洗ってから入ってきました。 これが当然のマナーなのです。 浴槽は10人くらい入っても何ともないくらい広かったのですが、なんとも不潔な感じがして、私は早々に飛び出して退去しました。

いまどきの50歳以下の人は、親に連れられて銭湯に通った体験など殆どないのでしょう。  だから、共同浴場で浴槽に入る前には下半身の汚れを洗い流すという基本的マナーを見たことも聞いたこともないのでしょう。  もっとも、最近、ある温泉の浴場で、70歳以上と見える男がいきなりずかずかと浴槽に入って行くのを見ました。  あれは酔っ払いでもなかったようだし、痴呆だったのでしょうか。

話を戻しますが、私は帰宅後、慌てて、孫たちと入浴したときにに、このマナーとその理由を話しました。  彼らはすでに親から教えられていたようですが、幼いから 「 ハイ 」 と、改めて素直に受け止め実行しました。  たぶん、一生、彼らの身につくことと思います。  たとえ他人が見ていなくても、これは絶対に守るべきマナーです。 親がよく教えておく義務が有ります。

それにしても、エリートの部長さんがこの状態では、日本の伝統的共同入浴文化の荒廃はいまや大変な状況だと思います。  だから、最近、一部のゴルフ場などでは、浴室の入り口にこの基本的マナーを要請する注意書きをときどき見かけるのです。

以前、私が米人の来客を温泉に案内したとき、このマナーと理由を良く説明したら、彼らは、入浴前に抱いていた偏見を捨て、 日本式の共同入浴の浴槽が不潔ではないことを理解して喜んで入りました。  将来、日本人が彼らの目を白黒させることがないように祈ります。

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