デビルマン鑑賞。
ちゃらっちゃちゃちゃー どん ちゃちゃちゃちゃー♪


1972年11月4日放送
#17「切手妖獣ダゴン」
演出・しらどたけし 脚本・辻 真先 作画監督・白土 武 美術監督・秦 秀信

ミキ「懐かしいものが はやり出したのねえ」

明とミキは、タレちゃんが所属する町内会の少年野球チームのコーチ をしていた。練習というより力任せにホームランを打つ明のお陰で 練習は台無しだ。そんなところへ、紙芝居がふらりと現れる。 ところがこの紙芝居、見料と引き換えに菓子ではなく切手を手渡すのだ。 始まった紙芝居『立体魔人ダゴン』を見て明は驚く。

なんと紙芝居は、妖将軍ムザンが妖獣ダゴンへ攻撃指令するところ から始まるではないか。狙うは先行き短い大人ではなく、人間界の 未来を担う子供だというのだ。紙芝居のオヤジへ目を光らせる明。 と、途端に霧が辺りに立ちこめ視界が覆われてしまった。追いすがる 明の前に紙芝居が現れる。中からダゴンは高らかに戦いを宣言、 姿を消してしまう。

その夜。

眠りに包まれようとしている街のあちこちで事件は起こった。 紙芝居屋から配られた切手の中から、妖獣たちが次々と現れ出たのだ。 泣き叫ぶ子供たちに大人たちもパニックを起こす。救急車のサイレンが 街中に響き渡る。

ガールフレンドのミヨちゃんから、「妖獣が出た」という電話が。 途端に電話線は断ち切られる。慌ててタレちゃんと明はミヨちゃんの 家へ向かう。入り口のシャッターを叩き壊し、夜の街へ走り出る妖獣だ。 ミヨちゃんを気遣うタレちゃんと別れ、明は妖獣を追う。

うっすらと霧に覆われた世界で、巨大なダゴンが明の前に姿を表した。 更にその周りには、切手から抜け出した妖獣たちが取り巻く。迫る 妖獣とともに、明の耳に聞こえる拍子木のような音。それは切手妖獣を 操るダゴンの歯がぶつかり奏でているのだ。明は変身、デビルキックで ダゴンの歯を砕くと、妖獣たちは消えた。

デビルマンはその勢いに任せて、ダゴンへ攻撃を繰り出す。怒りの デビルビームで叫び声を上げて消えるダゴン。

翌日。大人たちは昨夜のパニックを誰一人信じない。「ホントの コトを言って叱られるなんて、世の中間違ってるよね」とタレちゃん は言うのだった。

乗り切れてない…

今回は全体にバランスが悪い、という印象が強い。冒頭の野球シーンが 意味アリゲな演出をする割には、子供たちが集まって、紙芝居が現れる までの段取りでしかないし、紙芝居の演出も、後半の大パニックの描写 も脚本を消化したアクションという感じだ。

絵的にも他の白土演出回に比べて、もう一つ執拗な動きを見せるような シーンが無いため、そのまま見てしまうとあっさりデビルビーム(アロー のポーズだけど)で終わってしまう。

どうもこの回は例の件にて、まだバタバタしたスケジュールの影響があった のではないかという印象だ。放送に何とか間に合わせたというか。

あながちそれが間違ってないかも、と思わされるのは、何と言っても 最初に現れるサブタイトルだ。切手がばらまかれたベースに文字が載る。 真ん中の切手の絵柄は、当時の子供に人気だった蒸気機関車。画面の 右端にはデビルマン。そして左端にいるのはなんとなんと、既に倒されて交代 したはずの魔将軍ザンニンなのだ。…しかし本編でダゴンに指令を出す のは妖将軍ムザン。既に前々回で交代しているザンニンを引っ張る理由 はないはずだし。

更に前回で突然の登場とともにタレちゃんとのアツアツぶりを発揮、 唐突に滑り込んできたミヨちゃんは今回いかにも初登場、という風情。 それもそのはず、「デビルマン解体新書」によれば、この回の方が 制作順が先だったりするのだ。冒頭の野球シーンのもたついた印象は そのためなのだろう。(わざわざ明はコーチの立場を忘れ、場外ホー ムランを連発、拾いにいったタレちゃんがタバコ屋へ行き、店番の ばあさんとミヨちゃんに会うという紹介シーンとなっている)

もうひとがんばり…

で、その流れで紙芝居が登場するのだが、ここいらももう少し違う 演出なら恐怖が滲み出たのではないか、と無念が残る。 紙芝居の臨場感が出ていないのが原因なのか?何が言いたいのかと 言うと、このシーンはいつもの登場・指令シーンをちょっと捻って みた形跡があるからだ。

いつも視聴者の側がテレビに向かって見ているシーンを、劇中劇 として紙芝居のカタチで劇中の子供たちに見せるという狙い。 …大体テレビ屋なんてのは飽きっぽいもので、同じパターンを 消化するにしても、色々手を変え品を変えしたくなるモノだ。

で、今回はにこやかに笑いながら紙芝居を「作り物」として 楽しんでいる子供たちが、後々にその「作り物」にひどい目に 会わされる、というメタ・フィクション的な構造である。コレ直ちに 『デビルマン』を見ている子供の視聴者へも恐怖をよりダイレクトに 届けようという企みに違いない。

だからこそ残念なのは、カットの組み立てが、「紙芝居を見ている 公園の子供たち」という絵作りでしかない点。そのため、紙芝居の 中の絵が小さくなり、アングルも凝りようがないカタチになってしまい、 見ているこちらまでを引き込む流れになっていないのだ。視聴者である こっち側は紙芝居には引き込まれないんだよな。うーん。

ついでに言うと、そのためかセリフもメリハリがもう一つで、いよ いよ「絵空事」感を強調してしまったか。ココは是非、紙芝居を読み 上げる名調子とともに、うまく紙芝居の中にいるダゴンに実在感を 持たせて欲しかった。

その辺り、同じ作画班の例えば2話9話ほど目を引くものが ないのは、やはりスケジュールに余裕がなかったというコトか?と 思わざるをえない。

オトナはほおっておいても死ぬ。狙いは子供。

デーモン族が子供を狙う理由にリアリティ(っつーか、視聴者 の子供を想定したリクツ)を持たせるムザンのセリフにあるが、 デーモン族は寿命が人間より長いらしい。よって長期戦の構え をとり始めている。オトナの残る寿命よりも未来を担う子供こそ 狙え、と。

この『デビルマン』に繰り返し現れる「ダメな大人とワカッテル 子供」という辻式世界観が端的に現れているセリフといえよう。

「北海道」の謎。

さてこの回のシナリオでは、これまで以上に大人と子供のギャップが 強調されている。第一に「懐かしい」というタバコ屋のばあさんやミキ に対してタレちゃんたち子供は、コレが今風とばかりに、菓子の代わりに 当時ブーム末期(一説によるとこの翌年には終息)だった切手を受け 取っている。

また、目の前で起こる異変に素直に対応している(=泣き叫んでいる) 子供に対して、慌てたある親は、「光化学スモッグのせいです!!」と 見当違いの見解を電話で病院にがなり立てている。光化学スモッグは 前回も言ってたな。

今もコトあるごとにわいのわいの嘆かれる「理解不能な子供たち」に 対する嘆きもさりげなく挿入。タバコ屋のばあさんが紙芝居に群がる 子供たちを見て、「北海道から一人旅するような子が、紙芝居だなんてねえ」 と呟いている。コレ、当時小学生が空き巣して作ったカネで飛行機に乗り、 親の振りをして旅館の予約まで取り逃走した少年犯罪に基づいたもののようだ。 ススんでいる子供たちはレトロも貪欲に楽しむのだ。

東大寺入郎。

ミヨちゃん初登場と同時に、今回は2話から明にイジメられていた、 「委員長」こと東大寺入郎の名前が明らかにされるべき話だった。 放送順が前回と入れ替わったため、名前こそ先に出てしまったが、 今回はどうやらうだつの上がらなそうな父と、いかにも教育ママな 母が登場する。家の方も和風でそう大きくなく、弟と同じ部屋で 勉強している。ケンザンを尻に敷いて目を覚ましながら。

彼は決して金持ちの優等生という紋切り型キャラクターではない。 むしろそう裕福な方でもなく、勉強をしていい大学に入るコトが 将来の成功を約束している、と信じる当時の平均的日本人像を 戯画化した存在だ。おそらくは「父のようになるな」、と母に 言われ続けているに違いない。哀れニッポンの父。

東大寺は弟が昼間手にした切手から現れた妖獣に対し、「小さすぎる!」 と文句をつけたり、ラストで無遅刻無欠席記録を守るためにタクシーを 飛ばして見せたりと「ダメ大人に毒されかかった子供」を代表している。

そんな東大寺が実に引き立つのがラスト。

タバコ屋のばあさんが、学校へ行こうとミヨちゃんを誘いに来たタレちゃん に対し、「あんたはどっち」と聞く。「妖獣を見た」という答えをアタマから 否定する。「お前も狂っとるわい!」と。タレちゃんは辻ワールドの子供として 「ホントのコト言って叱られるなんて世の中間違ってるよね」とシニカルに 嘆くのだ。

一方哀れな東大寺は、「妖獣を見た」と親に訴えたばっかりに、異常者扱い され病院送りになる。それを抜け出し、タクシーを飛ばしてようやっと始業に 間に合う。そして彼自身も「よき大人」になるために、妖獣を明の前で きっぱり否定する。だが非情なる明は、その東大寺が病院送りになりながら キチンと終わらせている宿題を写すのだ。逸脱を認めない東大寺は、明に 「キチガイにもなれねえ秀才さんよ」と評されるのである。

しかし明にどんなにバカにされようとも、東大寺はわが道を生真面目に 走っていくのだろうな。大人に対する辻真先の絶望に対して、東大寺に 関しては、哀れみを感じる。大人と子供のはざかいにあって、 柔軟な精神を胸の内に閉じ込め、自由に振舞えない彼というキャラクター もまた、辻の分身なのだろうか。


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