モーツァルト:歌劇『魔笛』

各曲について 【 第1幕第1曲〜第5曲

 
               
第1幕第1場
第1曲 イントロダクション
 幕が開くと舞台は荒涼とした岩山、木々も茂っていて両側には歩いて行けるほどの山々が連なっており、円形の寺院も見えます。日本風の狩衣(japonischen Jagdkleide)を着たタミーノが何かに追いかけられて息も絶え絶えに登場。弓は持っていますが、使い果たしたのか持ち合わせていないのか矢がありません。ついには大蛇に追いかけられて気絶します。幕開けに観客の受けを狙った道具仕立てこそシカネーダーの真骨頂であり、『魔笛』が妖精物語をルーツの持つことの証でもあります。「日本風」のということもヴィーラントの『ジニスタン』が東洋の物語を集めた作品であることからくる発想と思われます。しかしこの後、幕が下りるまでタミーノに東洋的なことを匂わすようなセリフや演技のかけらも見ることはありません。

 オランダ東インド会社が1609年に長崎の平戸にオランダ商館を開設したことを契機に日本の物品がヨーロッパに入ってきました。その時に持ち込まれた和紙にオランダのレンブラントが銅版画をプリントしたことはよく知られています。それと同時に日本の着物も紹介され、1650年頃にはオランダで日常着やナイトガウンとして好まれはじめました。1700年頃までにはオランダ以外の国にも広まっていたとされ、当時は「ヤポン」などと呼ばれていました。1668年頃に描かれたヨハネス・フェルメールの名画『地理学者』と『天文学者』でモデルが着ているのはその「ヤポン」であるという指摘もあり、それから100年以上経過してはいるものの、シカネーダーはこのような服装をタミーノが着るよう japonischen と台本に書いた可能性があります。


     フェルメール 地理学者  フェルメール 天文学者
           フェルメール 『地理学者』(左) と 『天文学者』(右)

 『魔笛』の解説書にはこのjaponischen を日本風やジャワ風などと訳されることが多いのですが、このフェルメールのモデルの衣装を想像するのが自然ではないかと思われます。シカネーダーがタミーノに着せたかったのは異国風で東洋を思わせる衣装であり、「日本」の衣装という発想はなかったでしょう。100年以上もたてば「ヤポン」が「日本」を意味するということなどは忘れられていたはずです。もしシカネーダーが日本に興味を持っていたのであれば、彼のことですから日本を舞台にした飛び切り面白く奇抜なジングシュピールを作っていたのではないでしょうか。


       魔笛 舞台絵1


 そこへヴェールを被った3人の侍女が銀色の槍を手に現れ、大蛇を撃退し3分割にします。槍は刺す武器だから蛇を分割するのには無理があるし、3人だったら4分割ではないかと理屈をこねたくもなりますが、1794年のシカネーダーの演出を描いた舞台絵には確かに3分割にされた蛇(意外と小さい)が横たわっています。演出によっては3人の侍女がわざと蛇をタミーノにけし掛けるといった手の込んだものもあります。

 気絶した男前のタミーノを前にして3人の侍女が争うところはとても滑稽で、蛇の出現に驚いた観客をすぐさま笑わせるという舞台運びはさすがです。しかもここでの三重唱は3人共すぐれた歌唱力が要求されているため、CDの録音では思わぬ名歌手の声が楽しめるところでもあります。この3人の侍女が女王に報告に行く役をお互い譲り合う時のフレーズの一部が変形されて、第6曲で気絶したパミーナを前にして歌うパパゲーノのシーンでも現われます。この「気絶」という場面の音楽として、モーツァルトが意図的に共通のフレーズを用いている点はとても興味深いところです。

譜面 3人の侍女
譜面 パパゲーノ


第2場 第2曲 アリア(パパゲーノ)
 3人の侍女が女王に知らせに行こうと退場すると、タミーノが目を覚まして起き上がり、大蛇が死んでいるのを見つけて驚きます。遠くから笛の音が響いてきて人の気配を感じて物陰に隠れたところへ、パンフルートを吹きながら様々な鳥が入った鳥かごを背負ったパパゲーノが登場し、このオペラの最初のアリアを歌います。パパゲーノはシカネーダー自ら演じ歌うために用意された役であり、幕開けから最初のアリアという栄誉を受けながら得意満面、民謡風の旋律に乗って「おいらは鳥刺し、いつも陽気で元気、鳥ならみんなぼくのもの、若い娘っこも皆ぼくもの・・・」と楽しく歌います。おそらくモーツァルトは彼が楽に歌えるように気を配った音符を用意したものと思われます。オーケストラはホルンを主体とする管楽器の絶妙な合いの手を交えつつ素朴さを上手に醸し出しています。

 ここからタミーノとパパゲーノの会話となり、とんちんかんなやりとりからパパゲーノは夜の女王に鳥を届ける代わりに食料を貰っていること、この場所は女王が支配する地域であることなどがわかります。死んでいる大蛇を見て怯えたパパゲーノですが、そこは気を取り直して自分が退治したと自慢します。タミーノは大蛇をパパゲーノが退治したと思い込み感心します。

第3場
 そこへ3人の侍女が戻ってきます。パパゲーノは鳥を差し出しますが、侍女たちは嘘をついたパパゲーノに対してワインの代わりに水、食料の代わりに石を与えてさらに口に南京錠を掛けてしまいます。タミーノに大蛇を退治したのは自分たちであると言い、女王から預かった娘の肖像を渡し、女王の「あなたがこの娘に心を動かされたら、幸福、名声、栄誉はあなたのもの」という言葉を伝えます。なお、この時点ではまだセリフにもト書きにも「娘を救ってほしい」とは語られてはいません。

第4場 第3曲 アリア(タミーノ)
 タミーノはその肖像画に釘付けになり、やがて恋に落ちます。6度にわたる音の跳躍から始まるこのアリアはやがて7度の跳躍で「神々しい絵姿」と歌い上げることで、タミーノの心の烈しい高ぶりを表現することに成功しています。オーケストラはこのアリアにおける3つのsfp(スフォルツァンド・ピアノ)に細心の注意を払って演奏しなければなりません。なお第4章で触れた通り、モーツァルトは既に未完の歌劇『ツァイーデ』の中で肖像画を見て恋に落ちるというシーンを書いています。

第5場
 アリアが終わると3人の侍女が現われ、ここで初めてタミーノに対して夜の女王の娘パミーナを悪魔のザラストロから救ってほしいと伝えます。パミーナは晴れた5月のある日、お気に入りの場所であった糸杉の林の中で座っていたところを誘拐されたと。すると稲妻と共に辺りは俄かにかき曇り、「女王様の御成りです」という侍女の言葉を合図に夜の女王が姿を現わします。

 全く関係のない話ですが、「晴れた5月のある日」というとウンベルト・ジョルダーノの歌劇『アンドレア・シェニエ』第4幕で歌われるシェニエのアリア「5月の晴れた日のように - Come un bel di di Maggio 」を思い出してしまいますね・・・。

第6場 第4曲 レチタティーヴォとアリア(夜の女王)
 コロロトゥーラ・ソプラノのためのオペラ史上燦然と輝くアリアのひとつです。夜の女王には第2幕でもさらに技巧に輪をかけたアリアがあり、どちらのアリアも聴いていると魔法にかけられたかのような陶然とさせられところがあります。

 レチタティーヴォでは夜の女王は娘が誘拐された様子を切々と訴えます。ト短調で書かれているこの曲は冒頭のシンコペーションも相俟って、モーツァルトの第25番の交響曲を連想させるところがあります。弱音からのスタートを考えるとむしろ雰囲気は交響曲第40番に近いかもしれません。第25番も第40番もどちらの交響曲もト短調で書かれていることは言うまでもありません。しかし、「ああ、恐れずに」とタミーノを安心させようとするセリフにはこのト短調はふさわしくないような気がします。字幕を見ていないと威厳たっぷりに脅しているように聴こえるからです

 続くアリアの前半では調整は変わらずト短調のままのラルゲット(幅広く緩やかなラルゴよりやや速い)。娘を奪われた母親の苦悩を切々と訴えるところですが、不思議と冷静さを保った歌唱の合間にほんの一瞬本性をむき出しにさせる(悪者Bosewichtと叫ぶところ)モーツァルトの企みに気付くとこのアリアの面白さがわかってきます。すると後半になると調号が変わらない平行調の変ロ長調に変わり、娘を救い出しに行くのなら、娘は永遠にお前のものになる、とタミーノに言います。その「勝利を得てお帰りになれば、あの娘はずっとあなたのもの」と歌う時のオーケストラの3つの音符の音型が、この直前のタミーノの第3曲アリアで「これこそが恋なのか(なんと美しい絵姿)」の後にdie Liebe を繰りかえす時に伴奏と掛け合う3つの音符の音型が共通しているのは偶然にしては出来すぎのような気がします。モーツァルトが細かいところまで気を配って作曲したことがわかります。タミーノのアリアの2回目のsfp(スフォルツァンド・ピアノ)の箇所です。

譜面 タミーノ
譜面 夜の女王


 初演の時、夜の女王役を歌ったのは当時シカネーダーの一座に入っていたモーツァルトの義姉、ヨゼーファ・ホーファー(Josepha Hofer)でした。モーツァルトの妻コンスタンツェの姉です。モーツァルトは彼女が歌うことを前提としてこの曲を書いたのは間違いないのですから余程の歌い手だったということになります。しかも彼女はこの時、産休明けだったのであり(第6章『賢者の石』参照)、乳飲み子を抱えながら練習に勤しんでいる姿を想像すると当時も今も働く女性の力強さを感じざるを得ません。なお、彼女はこの初演から10年間、43歳まで夜の女王を歌い続けたそうです。また、関係ない話ですが、彼女の2番目の夫はベートーヴェンの歌劇『フィデリオ』の初演でピッツァロ役を歌っています。

第7場 第5曲 五重唱(タミーノ、パパゲーノ、3人の侍女)
 夜の女王が退場すると、再びパパゲーノのコントが始まります。この『魔笛』では滑稽なシーンと真面目な音楽(アリア)が見事なくらい交互に出現しています。モーツァルトとシカネーダーがその演劇的な効果を高めるため、娯楽性と芸術性を同時に維持するように周到な打ち合わせをしていたことが窺えます。ここでは、パパゲーノが3人の侍女に取り付けられた南京錠を口に咥えたまま歌う(ハミング)という、シカネーダーお得意の場面となります。当時は観客の爆笑を誘ったことでしょう。『魔笛』の1年前に上演された『賢者の石』では「ミャウ、ミャウ」と猫の鳴き声で歌うところがあり、その再現とも考えられます。

第8場
 そこへ3人の侍女が戻ってきてパパゲーノの南京錠を外し、次いでタミーノに魔法の笛を渡します。この時、3人の侍女はタミーノに「人の情念をあやつり、憂い悩む人を陽気にし、結婚できない男も恋に落ちる・・・金や王冠より貴く、平和と人の幸せを実現する」と言います。不思議なことに、モーツァルトはこの時オーケストラにフルートのフの字も吹かせていません。そればかりか、第1曲の終わりのあたりからフルート・パートはスコアから消えていて、復帰するのは次の第6曲となっています。モーツァルトは他の劇場で演じられている魔法の楽器を扱う出し物と一味違うところを見せ付けているとも考えられます。また、3人の侍女はパパゲーノに対してグロッケン(或いは鈴)を渡しますが、ここでは単に「お守り」ということしか語られません。

 タミーノとパパゲーノが、「ではどうしたら、城への行き方がわかるの?」と問うとアンダンテの落ち着いた音楽に変わります。木管楽器による和音とヴァイオリンのピチカートに乗っておぼつかない足取りで登場してくるのが3人の童子(歌うことはしません)。彼らは花で飾られた空飛ぶ乗り物に乗ってやってきます。まさしくシカネーダーがこれまで上演してきた歌芝居で必須のアイテムのひとつで、観客はやんやの喝采を浴びせたことでしょう。これまでの雰囲気を打って変わってソット・ヴォーチェで歌いだす侍女たちの伴奏は低音楽器なしで進行し(ファゴットは高音を吹いています)、途中からチェロがピチカートで参加します。これによって空中に浮かんだ3人の童子を表現しているものと考えられます。のちに彼らが登場する時も同じく低音を抑えた音楽になっていることは注目すべきです。侍女たちはここで「この若くて美しい、優しくて賢い童子たちが案内します」と告げます。つまりここでは3人の童子は夜の女王側に与しているということがわかります。

 なお、シカネーダーはこの『魔笛』の舞台に対して10の場面転換のために12の舞台セットを新たに作らせて用いました。幅12メートル足らずの舞台とはいえバラック同然の劇場にもかかわらずその想像力を十二分に発揮してこの飛行物体をはじめ舞台背景、機械仕掛け、蛇の仕掛け、動物の着ぐるみや紙人形などとまさに舞台監督として最大限の力を奮ったのでした。


*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


           ≪ 前のページ ≫        ≪ 目次に戻る ≫       ≪ 次のページ ≫

Copyright (C) Libraria Musica. All rights reserved.