モーツァルト:歌劇『魔笛』

第11章 シカネーダーの『魔笛』続編

 
           エマニュエル・シカネーダー    ペーター・ヴィンター

エマニュエル・シカネーダーとペーター・ヴィンター


 『魔笛』の解説書には必ずゲーテが続編を書こうとして途中で断念したことが記述されていますが、不思議なことにシカネーダーが続編を制作したことに言及している研究書は多くありません。このシカネーダーによる続編とは、ジングシュピール『魔笛第2部、迷宮または諸元素との戦い』(Der Zauberfloete zweyter Theil unter dem Titel: Das Labyrinth oder Der Kampf mit den Elementen)のことで、1798年6月12日にアウフ・デア・ヴィーデン劇場で上演されているのです。『魔笛』初演から7年後のことで、移転先のアン・デア・ウィーン劇場の建設が始まった時期でもありました。アウフ・デア・ヴィーデン劇場が閉館されるまでの約4年間に42回、アン・デア・ウィーン劇場に移ってからの3年間に25回も上演され、さらにはベルリン(1803年)、フランクフルト(1806年)、ニュルンベルク(1807年)などいくつかの都市で上演されました。この章では『魔笛第2部、迷宮または・・・』という題名が長いので『迷宮』と表記します。

 曲はドイツの作曲家ペーター・フォン・ヴィンター(Peter von Winter,1754-1825)によって作曲されています。ヴィンターは、モーツァルトの死(1791年)からウェーバーの『魔弾の射手』(1821年) までの時代に高い名声を得ていたとされるマンハイム楽派の作曲家です。ミュンヘンの宮廷楽長にまで登り詰めた人物で、若い頃にウィーンではアントニオ・サリエリと机を並べていたこともあったそうです。この『迷宮』の他にもシカネーダーの台本による『バビロンのピラミッド Die Pyramiden von Babylon』という作品を残しています。多くのオペラやバレエ音楽、宗教曲、管楽協奏曲、管楽器を主体とする室内楽を作曲しましたが、現在はあまり演奏されません(そもそも我が家にあるクラシック音楽作品辞典にヴィンターの名はありません!)。話は逸れますがヴィンターの八重奏曲(1812年)の冒頭がシューベルトの有名な八重奏曲へ長調 D.803 の序奏の後の主部とよく似ていまして、シューベルトが作曲したのは1824年であり、シューベルトがヴィンターの作品を聴いて借用した可能性はゼロではないと思われます。但し、冒頭以外に共通項はないようで、同じ八重奏曲でも、シューベルトは編成においてフルートをなくしてホルンを1本に減らし、その代わりにセカンド・ヴァイオリンとコントラバスを加えています。ヴィンターの名誉のためにも一聴に値する曲だと思います。以下、YuoTubeで聴けます。

*ペーター・フォン・ヴィンター:八重奏曲
Peter von Winter - Octet for winds and strings (1813)

*シューベルト:八重奏曲へ長調 D.803 (該当箇所)
Schubert: Octet / Tetzlaff · Members of the Berliner Philharmoniker


 マンハイム楽派は、音楽史的には交響曲の成立に数多くの貢献を果たしたことで知られています。マンハイムを訪れたモーツァルトに対してその直後に作曲することになる交響曲第31番『パリ』におけるオーケストラ編成などに大きな刺激を与え、これを契機としてモーツァルトは晩年の交響曲傑作群を世に遺すことになるのです。しかしながら、現在のコンサートのプログラムにこの楽派の作品が登場することは極めて限定的で、楽派の代表格であるカール・シュターミッツが作曲した木管四重奏曲を除くとその作品を耳にする機会は少ないといわざるを得ません。話を本題に戻します。

 シカネーダーの『迷宮』の登場人物は『魔笛』とほぼ同じ顔ぶれになっています。上演されたときの配役もパパゲーノはシカネーダー、夜の女王はモーツァルトの義姉ヨゼーファ・ホーファーであったことも『魔笛』の時と同じでした。

 『迷宮』のストーリーは複雑を極めていますので、簡略化してご紹介します。前作で試練を乗り越えたタミーノとパミーナの婚礼が行われている宮殿の庭で第1幕が開き、そこへ夜の女王とその3人の侍女たちがタミーノとパミーナを誘惑させようとするところから始まります。夜の女王はザラストロの神殿の破壊を誓い、媚薬の力で二人を誘惑しますがすんでのところで祭司たちに助けられます。しかし、夜の女王側から使者が来てパミーナの引渡しを要求するに及び、ザラストロ側はその要求を蹴り、両者の間に戦争が開始されます。ザラストロはタミーノとパミーナの二人には試練があることを告げます。

 場面が変わるとパパゲーノとパパゲーナが登場し、女性の大司祭が二人を引き離してパパゲーノの誠実さをためすべく試練を与えます。パパゲーノはパパゲーナを探し歩くうちに、長年別れていた家族と出会います。そこへモノスタトスの妹グーラが現われてパパゲーノを誘惑します。迷宮ではタミーノとパミーナの試練が始まります。しかし、その間にパミーナは夜の女王に捕まってしまい、夜の女王は乗っていた船を激しい雷鳴と共に雲に変えてパミーナを連れて空中へと去っていきます。夜の女王はパミーナをティフォイス王と結婚させようとしているのでした。

 第2幕では、嫉妬に狂ったパパゲーナはモノスタトスについて行ってしまいます。タミーノはパパゲーノのところに来てパミーナ救出を要請し、パパゲーノは例のグロッケンシュピールでグーラを踊り疲れさせて追い払い、雲に乗ってパミーナ救出に赴きます。しかしパパゲーノはパミーナを救うことに失敗します。タミーノは3人の精霊とともにパミーナを救出するために船で登場し、精霊たちは魔法の笛を吹くように勧めて立ち去ります。パミーナは笛の音を聞いたものの、最初は雲の上ではどうすることもできませんでした。しかし、精霊たちに「諸元素と戦いなさい、空気を通って彼のもとへと行きなさい」と促されて、パミーナはタミーノのもとへと降りていきます。

 一方地上では、パパゲーナがモノスタトスのもとから逃げ出そうとするものの捕まってしまい、モノスタトスの愛を拒んだために火あぶりにされそうになります。そこにパパゲーノのグロッケンシュピールが聞こえてきて、パパゲーノ一家がモノスタトスを捕らえパパゲーナを救い出します。戦いはザラストロ側が優勢になり、夜の女王は敗走します。夜の女王がパミーナと結婚させようとしたティフォイスとタミーノが決闘することになり、タミーノが勝利を収め、ティフォイスは火口に投げ込まれ、夜の女王も高い岩に鎖でつながれます。パパゲーノ一家によりモノスタトスも連れてこられ、夜の女王一派は罰せられることになります。最後は兄弟愛を歌い上げて終幕となります。

 上演当時の評には「この演劇的なドタバタはひょっとしたらこの先にはもうないような贅沢な舞台である。このオペラには新しい書割が15あり、衣装は度を過ごした豪華なものである。・・・このオペラの音楽はヴィンターのもので、美しい箇所が多々ある。」と書かれていて、舞台はシカネーダーお得意の仕掛け満載のドタバタ劇だったことは容易に想像がつきます。音楽面ではヴィンターの健闘が光っていたようです。ヴィンターにモーツァルトを意識するなと言ってもそれは無理な相談だったのでしょう。『迷宮』でもパパゲーノは相変わらず笛を吹き、夜の女王には超絶的なアリアを歌わせ、前作では夜の女王がザラストロを殺すようパミーナに短剣を渡した後にモノスタトスが代わりにザラストロを殺す代わりにパミーナの愛を求め、拒否すればパミーナを殺すと脅すのに対して、『迷宮』ではモノスタトスの妹がパパゲーノを短剣で脅すなど、シカネーダーは前作を思い出させるシーンを数多く用意しています。ヴィンターが作る音楽もそれなり似たものになってしまうのはやむをえなかったのでしょう。

 このあらすじを読んだ限りにおいても、魔法の笛の働きは極めて少ないと判断せざるを得ません。その代わり、パパゲーノのグロッケンシュピールはややストーリーに絡む働きをしているように思えます。一方で『魔笛』でタミーノとパミーナが受けた試練は『迷宮』でも受け継がれています。『迷宮』ではザラストロによって与えられた試練によりタミーノはパミーナを求めて迷宮を彷徨うことになります。この場面は『ジニスタン』に収録されている『迷宮』の主人公の王子ミリーミが王女ツェリーデを求めて迷宮を歩きまわり、最後に四大元素である空気、水、地、火の試練を受けるという内容をいくらか引用しているとされています。迷宮は「イシスの地下通路」とされていることから迷宮での試練は4つのうちの地の試練ということと考えられます。さらに、夜の女王は激しい雷鳴と共に船を雲に変え、その雲に乗って彼女はパミーナがお供と共に空中へと昇っていくことになっていますが、ここでパミーナの空気の試練が始まり、彼女を救いに行くパパゲーノにもその試練が始まるとされています。次いでパミーナは「空気を通って」試練を乗り越え、タミーノの元へと脱出することに成功します。ただし、タミーノにおける空気の試練が明確に示されていないのが気になります。

 しかし、これらの試練も辻褄合わせの感は拭えないほどのもので、『魔笛』におけるフリーメイソン的要素として重視されていた試練というテーマは続編の『迷宮』ではそれほど強調されていないように見えます。『ジニスタン』からの試練はあくまでお伽噺の中によくある素材として採用したのであって、シカネーダーにとってはフリーメイソン的な意味合いはもはや興味はなかったのかもしれません。むしろザラストロに「祖国と玉座のために戦うのだ」と言わせるなど、前作での「友愛」に代わって好戦的な愛国主義が見え隠れするところが興味深いところです。

 なおこの『迷宮』で、到達点であったはずのタミーノとパミーナの結婚式がフィナーレではなく、幕開けに執り行われるのかという疑問がひとつ残ります。『魔笛』の終幕でふたりが試練をクリアしたことの連続性を強調したかったのでしょうか。しかし、『迷宮』ではその後もふたりの試練は続きます。結婚の後でも夫婦の間には幾多の困難が待ち受けていることを言いたかったのでしょうか。シカネーダーにとって、結婚なんてものよりは、派手な救出劇によるエンディングの方が客受けがいいと思ったのかもしれません。そういえば、現代のアクション映画の終わり方に通じるものがあるのかもしれません(テロリストと戦っていたはずなのに、何故かヒーローの家族が巻き込まれて、最後は無事に救出してハッピーエンドとなるなど)。

 2012年はシカネーダーの没後200年にあたり、ザルツブルク音楽祭では『魔笛』に加え、アイヴァー・ボルトンが指揮するザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団によってこの『迷宮』が上演されました。なお、1978年にもミュンヘンでウォルフガング・サヴァリッシュの指揮で上演されています。

*『迷宮』 2012年 ザルツブルク音楽祭(YouTube)
Das Labyrinth Overture (Peter von Winter)
Das Labyrinth



*参考文献の一覧は≪目次≫をご覧ください。 


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