縮刷版96年8月上旬号


【8月10日】 東京ビッグサイトに行く。コミケじゃないよ、それは先週で終わってる。目的は「GALLERY 21世紀への都市芸術プロジェクト」とゆー展覧会。広々とした展示場のスペースを使って、ふつーの美術館では展示できないよーな作品を並べているとゆーから、これは珍しいものが見られるかもしれないと、電車を乗り継いでいそいそと出かけて行く。もちろん一人で、ってぜんぜん自慢できない。

 船橋の自宅から東京ビッグサイトまでだいたい1時間。幕張メッセよりは遠いが、パシフィコ横浜よりははるかに近い。もしかしたら埼玉方面とか八王子方面とか松戸方面とかに住んでいる人より、早く着けるんじゃないだろーか。船橋ってところも、これでなかなか地の利がいい。さて東京ビッグサイト。先週の喧噪がウソのよう(とっても見た訳じゃない)に静まり帰っていて、わずかに散歩中の家族連れとかブライダルフェアに向かうカップルとかが、駅前の広場から会場にむかう通路にパラパラと見える程度。わきにあるグラウンドではフットサルの試合が開かれていたよーだけど、応援の声もあまり聞こえてこなかった。

 エスカレーターを上って西展示場の3ホールに入って作品をみるが、どれもこれもガラクタの寄せ集めのよーで、あまり芸術作品って雰囲気がしない。柵のなかに羊をつないでワラを食べさせたり、柵のなかにひよこを放し飼いにして見せている作品とかが人気あったみたい。もしかしたらアンドロ羊にアンドロひよこだろーか。だったらよく出来てる。女の子が取り囲んでひよこの嘴を突っついてた。芸術作品のお手を触れてもいーのだろーか。いーんだろーな。

 地続きのホールはもっとヘン。アーティストの卵のよーな人たちが、めいめいトレーラーを1つのギャラリーにみたてて、勝手な作品を並べてるから、どこまでが誰の作品なのか解らない。そのうちに誰か怒鳴ってる声が聞こえてきて、パフォーマンスでもやってるのかと思ったら、出展者の1人と見られる外国人が、英語でギャアギャアわめいて主催者とか協力者とかに突っかかっているのが見えた。どーやら運営の不手際を非難しているらしー。トレーラーの後ろの扉をけっとばしたりしてエキサイトしてた。ほかの訳の分からない作品群よりは、怒ってる外国人の方がよほどアート作品に近い。関係ないが受け付けのお姉さん達は美人が多い。

 東京ビッグサイトを出てゆりかもめには乗らずにバスで東京駅へ。八重洲ブックセンターで立ち読みをしたあと家へと向かう。道すがら、レイモンド・E・フィーストの「フェアリー・テール」を途中まで読み継ぐ。章の終わりにヒキをもたせて、次々とページをめくらせる手法が実にアメリカ流。あざといと非難するひともいるだろーけど、やっぱ小説は読者あってのもの。そこのところを忘れているから、日本の活字本はタメとヒキのオンパレードである漫画やゲームに子供たちをとられちゃうんだぞ。じゃあ新聞はどうだって、タメとヒキのある新聞記事っていったいどんなだ。「ライバル会社の強引ともいえるセールス活動に顧客を奪われ、絶体絶命のA社。切り札として呼ばれたセールスマンのB氏が、会長室に呼ばれて扉を開けるとそこにはっ!(続く)」ってな具合に、延々とニュースを連載していくのだろーか。


【8月9日】 15年はかかってるかなー、笠井潔さんの「矢吹駆シリーズ」を読み終えるまでには。最新刊の「哲学者の密室」は92年に書かれたものだけど、第1部であり笠井さんのデビュー作でもある「バイバイ、エンジェル」が最初に刊行された時からは、ゆうに17年が経っている。SFの分野で笠井さんの名前を知って、図書館にあった「バイバイ、エンジェル」を借り出して読んだのが、たぶん高校に入ってまもなくのこと。でもその時は、内容のあまりの高尚さ、難解さについていけず、幾らも読まずに放り投げてしまった。以来、気になりつつ気にしつつ、手にとることもないまま3部作が絶版となり、昨年、東京創元社から復刊されるまで、ついに再挑戦する機会は与えられなかった。

 文庫での3部作の刊行と、3000枚になんなんとする大著「哲学者の密室」の新書化。それに2年ほど前からSFからミステリーへと読む対象を広げてきたことが重なって、長年の懸案だった「矢吹駆シリーズ」を既刊について読了へと持ち込むことができた。現象学的推理とか、本質直感を理解したわけではないし、披露される哲学談義のカケラも理解できなかったが、ミステリーが与えてくれる謎解きの面白さを、灰汁の強い登場人物たちとともに、存分に堪能することができた。さーて、肩の荷が降りた感じ、ともいってられないぞ、まだまだ残っているんだ「ヴァンパイヤー戦争」が。作品社の豪華本で3分冊。買ってはあるものの、1冊目の3分の2当たりで止まっている。読み始めれば止まらなくなって時間がとられるのは必定。ほかにも世みたい本があるし、けれども「ヴァンパイヤー戦争」も読みたいし。時間が欲しい、たっぷりと時間が。

 されど片づけなければならない本が枕元に山と積まれ、漫画は毎月のように新刊が出る。それらを片づけないことには、どうにも心が安まらない。とゆーわけで、買ったばかりの松尾由美さんの「ジェンダー城の虜」(ハヤカワ文庫JA、520円)を手早く片づける。うーん、ミステリーか、これは。謎解きってこの程度か。探偵は誰なんだ。ジェンダー城ってゆーからもっと奇天烈珍妙な人々が集った所かと思っていたら、あんがい普通の人たちばっかりで、ちょっと拍子抜けしてしまった。ジェンダーを無理に前面に押し出さないことで、性差なき世界観を打ち出しているととれなくもないが・・・・・。

 新刊では西炯子さんの「三番町萩原屋の美人」(新書館、520円)の第7巻と、坂口尚さんの代表作「石の花」の第4巻、第5巻(講談社文庫、各600円)を買って読む。完結となった第5巻のラスト、鍾乳洞のなかで思い人と再開した少年が、柔らかい光を受けながら恩師の名前を叫ぶシーンにジンとなる。解放されたユーゴスラビアの俯瞰が、そのまま地球全体の俯瞰となってエンド。坂口さんがこの場面を書いたその時、50年を経ずして再び分裂し、前にも増して激しい憎しみのなかに置かれることになったユーゴスラビアの状況を、誰が想起できただろうか。たとえ分裂の萌芽はあったとしても、憎しみあい殺し合う様などどうして想像できようか。遠く日本で刊行された漫画は、ユーゴ分裂の歯止めにはならなかったけれど、ようやくにして平穏が戻った現在のヴァルカン半島を思い、戦争の愚かさ、残酷さを思い知る意味からも、世界中の人々よ、是非「石の花」を手に取り、読み、後世に伝えていって欲しい。


【8月8日】 一般大衆が感心を持つこと、例えば「Oー157」でも「オリンピック」でもいい、一般紙の1面に来るような話題を、工業新聞といえども積極的に取り上げていくべきであるという社長の意向が、上の方から徐々に浸透し始めているらしい。今朝はもちろん、「寅さん」こと渥美清さんんの死去に絡む経済的な影響を記事化すべく指令が下り、ほんのちょっとだけ映画業界をかじっていた僕にお鉢が回って来た。

 ソフト業界といってもコンピューター・ソフトの業界を主に見てきた身の上。映画のことなどてんで解るはずもないので、とりあえず得意な分野から「寅さん」死去の影響を探るのがよかろうと、知り合いのCD−ROM会社に電話をする。そこは、現在手にはいる唯一にして最大の「寅さん」情報源というべきCD−ROM「男はつらいよ 右も左も寅次郎」を制作しており、昨日の速報、今朝の報道を見た販売店から、おそらくは大量に、CD−ROMの追加注文が入っているはずだと、記事化指令が下ることをうっすら予見していた通勤途中に、当たりを付けておいたのである。

 予想は的中。聞くと在庫の500本がたちどころのうちにはけ、即座に2000枚の増刷を決めたとのことである。48話まで制作された映画だが、CD−ROMには47話までのデータしか治められておらず、その会社では、50作目までシリーズが進んだら、差分をシングルCD−ROMにでもして、登録ユーザーに配布しようかと考えていたそうである。あまりにも急だった主役の逝去に、CD−ROMが売れるという商売面でのメリットを度外視して、心底残念だと語っていた担当者の口調に、人の死をすぐに商売に結びつけたがるマスコミのあざとさを、えぐり出されたような気分になって落ち込む。

 あー、なんか口調が固いぞ。これはきっと、小難しい笠井潔さんの「哲学者の密室」を読み続けているせーだ。上巻を終えて、今朝からようやく下巻に移ることができた。うーん、犯人ってこの人だったの、ってところまでたどり着いたけど、笠井さんのことだから、きっと最後に2度3度、どんでん返しがあるに違いない。楽しみ楽しみ。でもちょっとひと休みして、「ムジカ・マキーナ」でデビューした高野史緒さんの新刊「カント・アンジェリコ」(講談社、1800円)に取りかかる。

 高音を維持するために去勢された歌手「カストラート」の存在をテーマにした小説ってことで、読む前から期待は大。実は評判となった「ムジカ・マキーナ」を途中までしか読んでいないんだけど、「カント・アンジェリコ」の方が文章が平明でストーリーも頭に入りやすい気がする。それにしてもルイ14世の時代に電話とは。おまけにハッカーとは。いったいどーなってんだろーか、結末は。これも楽しみ楽しみ。

 難癖をつけるなら、装丁が最悪。辰巳四郎さんは講談社ノベルズの装丁でお馴染みで、決して嫌いじゃないんだけど、「カント・アンジェリコ」の場合は、せっかく採用したイリナ・イオネスコの写真が全然生きてないし、作品の持つ雰囲気と全然合っていない。表紙にアオリを入れるのも止めてほしい。帯だっていらない。「ムジカ・マキーナ」の方も、やはりイリナ・イオネスコの写真を使っていたんだけど、こっちは余計な文字など入れず、色使いも一風変わっていて、頽廃的とゆーか耽美的とゆーかバロック的とゆーか、とにかくそんな雰囲気の内容に、ぴったりマッチしてた。

 本ではほかに、「ピピネラ」に続く新刊となる松尾由美さんの「ジェンダー城の虜」(ハヤカワ文庫JA、520円)を購入。「女らしい男の子と男らしい女の子のためのユーモアミステリ」と帯にあるよーに、やっぱり性差をテーマにしてるらしー。カストラートといいジェンダーといい、最近はこんな分野の本が増えてるし、こんな分野が面白い。世の中いよいよ世紀末である。もちろん自分も含めて。


【8月7日】 アトランタオリンピックを特集した雑誌が、書店の店頭に並び始める。朝日と毎日と読売とベースボールマガジン社だったっけ。どれも計ったよーに有森裕子さんが表紙になっていて、ちょっと見にはどれがどれだか区別がつかない。

 しかし考えてみれば、有森さんは前回銀メダルで今回が銅メダルと1ランク落ちたのに対して、柔道の田村亮子さんは、前回も今回もともに銀メダルを獲得しているから、メダルの色だけ見れば有森さんの上を行っている。なのにどこも表紙にはつかっていない。不思議だ。努力して見れば、あれで結構、なかなかに、おそらくは、たぶん、美人に見えなくもないような気がしないでもなかったりしちゃったりするのに。

 それにしても各誌、中身も同じよーな写真を使っているから、どれを買ってもほとんど変わらない。許せないのは、国民的美少女コンテストで結構いいところまで行ったとゆー女子クレー射撃の吉良佳子さんを、サングラスをかけて、銃床を頬にあてて狙いを付けている写真でしか掲載していないとゆーこと。先週いち早く特集を発売した産経なんて、表紙はやっぱり有森さん(それでも1週間早い)だったけど、吉良さんはちゃんとサングラスも帽子もはずして、銃を肩にかついでニッコリしてる写真を載せてるぞ。

 さっさと負けちゃったテニスのマルチナ・ヒンギスとか、女子体操のドミニク・モセアナだってちゃんと押さえてる。いつも気になる女子ホッケーのスカートの中まで見せてくれている。さすが、僚紙の「夕刊フジ」で、コミケのコスプレ美少女を、カラーでどーんと載せたフジサンケイグループが出してるだけのことはある。売れ線狙うなら、記録とか報道とかいった矜持を捨てて、割り切らなきゃね。

 会社に届いていた全国私立短期大学協会のCD−ROMの記事を書く。短大を紹介するCD−ROMってゆーからには、清楚な美人が鈴を転がしたような声で学内を案内してくれる映像とか、さわやかな汗を流してスポオツに興じる美少女の映像とかが入ってるんだろーな、なんてイケナイ妄想をふくらませてしまったけど、ウィンドウズ対応版しかなく、どんな中身なのか確かめていない。

 短大制服図鑑なんて入ってたら嬉しいんだけど、制服のある短大なんて少ししかないし、もーすぐ20歳って女性がセーラー服なんか着ていても、それはそれでいーかもしれないけれど、やっぱりどっか収まりが悪い。自宅から短大の最寄りの駅までの経路を簡単に検索できる昨日も入っているそーだから、短大のお嬢様狙いの男性諸氏も、ぜひ1枚手にいれて、アッシー修行に役立てて下さい。あと短大が開いているホームページに簡単にたどり着けるリンク集を付けたホームページも立ち上げたそーだから、短大ファンは要チェックね。


【8月6日】 何の気なしに立ち寄った古本屋で、長く探し求めていたキングズリイ・エイミスの「去勢」(サンリオSF文庫)を見つけてしまった。発売当時に書店の店頭で見て、何となく気になっていたけど、結局買わずにいて、そのまま絶版になってしまった幻の本。一昨年だかの映画「カストラート」公開の折に、類書として再刊されるかと期待していたのに、どうやら再刊されなかった。これは奇遇、加えて僥倖と思い、さっそく棚から取り出して値段を見ると「4000円」なんてずんべらぼうな値段が書いてあった。

 もとが540円の本なのに、8倍近い値段を付けるなんて暴利じゃねーかと頭に血が上りかける。しかし考えて見れば、当時買わなかった自分も悪い。それにこの機会を逃すと、2度と手に入らないとゆー可能性も決して低くはなく、ここは我慢と気を取り直して、財布から4000円をつかみ出してレジへに叩きつける。しかし、こうして買ったすぐ後に、安い値段で再刊されるなんてことも結構あるから油断はできない。その時はきっと、血管の3本や4本がキレまくるんだろーな。

 新刊も幾つか買い込む。1つは内田美奈子さんの「BOOM TOWN 第4巻」(竹書房、880円)。サイバースペースを舞台にした漫画としては、今1番お薦めの本。まず絵がうまい。それから女の子が可愛い。士郎正宗さんのよーなハードさはないけれど、「ハビタット」とか「ワールドチャット」とか「インサムメイニア」といった形で現実化されてきたサイバースペースをさらに進めた、柾悟郎さんの「邪眼」で示されたようなサイバースペースを、漫画というビジュアルな形で提示してくれている。

 それにしても内田さん。「赤々丸」のころと絵柄がすっかり変わってしまっていて、おなじ人だとはにわかに信じられなかった。もしかしたら同名異人? 最近はマッキントッシュで彩色することに凝っているらしく、去年発売された「コミッカーズ」でも、彩色の作業工程を披露していた。確かに手で塗ったのとは違った、鮮やかでくっきりしていて不思議な色使いをしてる。吹き出しの部分をシースルーにして、下の絵を透けて見えるようにするなんて、コンピューターを使わなきゃ絶対に無理だもんね。

 たがみよしひささんの「なあばすぶれいくだうん」(徳間書店、530円)も12巻まで来たか。軽井沢シンドローム以降で、1番長く続いている連載じゃないかな。あんどーちゃんの推理はますます冴えを見せているが、今回は脳筋野郎の三輪も、あんどちゃんに負けない活躍を見せてくれる。3頭身キャラを多用するよーになったたがみさんがだけど、珍しくオールシリアスの絵柄で描いた短編での、三輪のカッコいいことったらない。もしかすると夢の中での出来事だったりして。うん、きっとそーだ。


【8月5日】 夏がくーれば思い出すー。のは「かがみあきら」とゆー漫画家のこと。84年の夏の盛りに亡くなってから、もう12年にもなる。大学生だった人間は、いまや30過ぎのおっさんになってしまった。生前に発売された単行本「鏡の国のリトル」を開くと、明るくも楽しくもなかったけれど、将来にいくばくかの夢を描いていた学生時代のことが頭に浮かぶ。毎年何100人もの新人が登場しては消えていく漫画業界では、数冊の単行本を発売しただけで逝ってしまった漫画家のことなど、誰も振り返りはしない。それでも1人くらいは、夏ごとに単行本を開いて思い出している人間がいるのだとゆーことを、天国だか極楽だかのかがみさんに伝えたい。

 オリンピックが終わってしまって、これからいったい何をして過ごせばいいんだろーかと、ちょっとした脱力感に襲われる。仕事すりゃーいじゃねーかと当たり前の突っ込み。でも8月になると、夏休みに入る会社が多いためか、とたんにアポイントメントが取り辛くなる。届けられるリリースもぐっと減って、これまで「おまえやれ」「あんた書け」といって投げ合っていたリリースを、「俺がやる」「僕が書く」と言って取り合うよーになる。弱肉強食の世界では、優柔不断で小心者の僕など、たちまちのうちに仕事にあぶれてしまう。こーなれば仕事をしているフリをして、小説の1本でも書いてみよーかと思うのだが、小心者ゆえに筒井康隆さんのよーに喫茶店にしけ込んで小説を書くなんて芸当は出来やしない。かくて針のむしろの上に座り、終業時間をひたすら待ちわびる、30過ぎの窓際族が生まれる。

 こなした数少ない仕事の1つが、大日本印刷のホームページ上にオープンした「DNP KAKI・KAKI・プロジェクト」の記事。広島で被爆した柿の木から採れた種子を育てて苗木にし、それを世界中に植樹することで、愛と平和を訴えよーとゆープロジェクト。ホームページでは苗木を育ててくれる人を募集してる。1本求めてみるか。問題は、その柿の木に生る柿の実が、甘柿なのか渋柿なのかが解らないとゆーことだけど、甘柿だったら「原爆甘柿」、渋柿だったら「原爆干し柿」と銘打って売ればいーか。


【8月4日】 オリンピックのサッカー決勝「アルゼンチン対ナイジェリア」は、前半を終わったところで見ている側の精魂つき果て、結果をしらないままに寝てしまう。起きたらやっぱり午前10時。テレビを見るとどうやらナイジェリアが逆転で勝ったようで、同じグループにいて唯一負けた相手が優勝したとなれば、多少は気も休まるんではなかろーか。アフリカ勢をほとんど入れていない日本のJリーグも、これで多少は心を入れ替えて、アフリカ勢の獲得に走るだろー。欧州や南米の有名選手に比べればサラリーも安いしね。多分。

 推理小説業界のみならず、全出版業界を恐怖と怒りの渦にたたき込んでいる森雅裕さんの話題の本、「推理小説常習犯」(KKベストセラーズ、880円)を読む。なるほど、ここまでいじめられればここまで書きたくなる気も解らんでもないが、森さん自身もなかなかどうして、編集者に負けず劣らず勝ち気とゆうか負けん気の強い人だなー。新人賞を受賞したあと、どうせ同じ事を聞かれるのだからと、想定問答集を作ってコピーして渡すなんで、並の新人にはなかなか出来ない。合理的といえば合理的だが、余所とは違ったことを書きたいし、書かなくっちゃデスクから怒鳴られる新聞記者の、1番嫌がることを堂々とやってくれている。

 しかし売れていようと売れていまいと、作家に強く出るなんて、よほどの大出版社かよほどの大新聞者の人しか出来ない行為で、僕のようなマイナーな新聞社の駆け出しなんで、売れていようと売れていまいと、作家先生と聞くだけで萎縮してしまい、話しかけるなんでとてもとても出来はしない。売れている作家先生には、はなっから相手にされていないから、記事を書いたところで、評価はおろか批判すらしてもらえず、いつも忸怩たる思いをしている。

 最近では、先月からスタートした文芸サーバーの「JALInet」について、大手新聞社が筒井康隆さんの新作が載るという部分を取り上げて、「電筆宣言」だとか「断筆解除」だとか書いたといって、筒井さんや小林恭二さんが憤っていた。小林さんなんて反論みたいな記事を読売新聞に寄せていたけれど、文芸サーバーの意味をちゃんと書き、量も結構多かった僕の記事なんて、きっと読んでいなかったんだろーな。森さんみたいに本を書く程までには憤っていないけれど、編集者であろうと記者であろうと作家であろうと、それぞれの立場で私憤をため込んでいるんだとゆーことに、森さんもちょっとは気を回して欲しかった。

 バスケットボール男子決勝は米国の勝ち。圧倒的な勝ちっぷりには見えなかったのに、不思議と点差は付いていた。相手の主力を潰す手法は、やっぱりNBAに一日の長がある。あれだけ前半にいい試合をしていたのに、センタープレーヤーが相次いでコートを去った後半は、たちまち点差を開けられてしまった。しかしバスケットを見ているとバスケットシューズが欲しくなり、サッカーを見ているとサッカーシューズが欲しくなるのは、影響されやすい僕のいけない癖だ。今はスコッティ・ピッペンの履いていた「ナイキ・エアモア・アップテンポ」が欲しいなーと思っていて、あれなら会社に履いていけるんじゃないかと思っているあたりに、物欲を合理化しようとしている僕のご都合主義が現れている。


【8月3日】 起きたら午前10時。駅前に出て昼御飯を食べて、スポーツ新聞と産経新聞を買って帰る。スポーツ新聞はオリンピックの野球で日本がアメリカに勝った記事を大きく載せていたけれど、テレビをつけると日本はキューバに負けていた。昨日の試合でアメリカが負けた時、バスケットボールのよーにメジャーのプロで構成する「ドリームチーム」でも作って、オリンピックに乗り込むだろーかと想像したが、スポーツ新聞を読むと、さすがにそんな大人げないことはしないみたいで、せいぜいがマイナーの選手に止めておくとのこと。夏期オリンピックはシーズン途中だから、アメリカも日本もプロ選手のチームを作るのは、やっぱり難しーのだろーか。サッカーだってプロばっかしだし、テニスだってプロが出てるから面白いんだから、真のワールドシリーズって意味で、野球でもプロの世界1を決める試合が見てみたい。

 新聞を読み終えてお昼過ぎ。助教授の原稿が来るのかこないのか解らないまま、うつらうつらしていたら午後の6時。今週はオリンピックを夜中まで見ていたり、いろんな仕事をしたりして、睡眠時間が不規則になっていたから、週末に来て反動が出たみたい。大原まり子さん推薦のカトキチの冷凍うどんを食べて「Zガンダム」の再放送を見て「ダイヤモンドサッカー」を見て「セーラースターズ」を見て「鳥人間コンテスト」を見て。「Zガンダム」はフォウ・ムラサメが死んで来週はいよいよシャアが議会で演説する名場面。野球でつぶれないことを祈る。サッカーはコパイタリアの試合をやっていて、フィオレンティーナのバティストゥータが出ていたけれど、髪を短くしてうっすらヒゲを生やしていて、ずいぶんとイメージが変わっていた。アルゼンチンはオリンピックに23歳以上を選んでいたんだったっけ。バティは選ばれていなかったっけ。明日の早朝に決勝の試合があるから、たぶん今晩は徹夜して、テレビを生で見ることになるんだろーな。

 それにしても「セーラースターズ」。またしても新キャラの登場で、いよいよ話は長期化の様相を呈してきた。セーラーアイアンマウスの後がまには、なんとかいったな、2人組が登場して来たけれど、人を捜して石を取り出してファージに変えてそれをセーラーチームがやっつけるってパターンは不変。同じプロットを繰り返しながら、あと半年はつなげよーって魂胆か。ちびうさをさらに小さくしたちびちび(これが名前か)はいったい何者なのか。相手の言葉尻をオウム返しするだけだから、声優さんは楽そー。まもちゃんは相変わらず出てこない。セーラープルートの冥王せつなさんは、セーラーチームがワイワイ話している間中、塀の影に隠れていたのか、アイスキャンデーを握りしめて。とまれ謎を散りばめながら、セーラームーンは果てしなく続くのであった。

 ニュースを見ていたら、吉本隆明が海で溺れて重体とか。ある年代の人にとってはアイドルとゆーか思想的巨人扱いなんだろーけれど、別の年代の人には吉本ばななのおとーさんでしかない変わった人。僕らの同世代といえば、同級生に1人、主著といってもいい「共同幻想論」(河出書房)を読んでいる奴がいたけれど、ほとんどが吉本の本なんで手にとったこともない奴らばかりだった。かくゆー僕もその1人。名前は知っていたし、凄いひとだって認識は持っていたけど、埴谷雄高とのコム・デ・ギャルソン論争なんかをながめていて、どーでもいーことで論争してんなーと思った程度。今は多少は認識を改めて、古本屋で「共同幻想論」を買って机の飾りにする位の敬意は払っている。ちなみに古本の値段は初版で定価580円に対して500円。まずい結果になったら、値上がりするかもしれないなーと思うあたりから、実はちっとも敬意を払っていないことがバレてしまう。「SAPIO」で小林よりのりがどんなことを描くのか、楽しみっちゃー楽しみ。

 かくして新聞とテレビと昼寝の1日が暮れよーとしている。本は欲しいが金はない。コミケには行ったことがないし行くだけの体力もないので行かない。せっかく家にいるのだから、間際でばたばたとしないよーに、影の仕事でもやり溜めておけばいーんだけど、あれでなかなか体力とゆーかエネルギーとゆーか蛋白質を消費する仕事なので、1日に1本しかこなせず、こなしたあとには虚しさと脱力感に襲われるので、週末にはやりたくない。9月には仕事関係でちょっといーことがありそーなので、8月はおとなしく積ん読の山でも片づけていくことにしよー。


【8月2日】 吉野朔実さんの「ぼくだけが知っている」(マーガレットコミックス)の第4巻を買う。小学4年生の子供たちの日常を、たんたんとつづった漫画だけど、「ちびまる子ちゃん」を読む(とゆーかテレビで視る)ときとに感じるノスタルジーとは違った、自由だった子供時代への憧憬を感じさせる。大人になって、大人の思考能力で、子供時代を過ごせたらどんなに楽しいだろーか。それは逃避といわれるかもしれないけれど、子供に漫画にアニメにゲームといった、最先端を行ってるコンテンツのほとんどが、大人によって大人の思考能力で作り出されたものであることを考えると、子供時代を大人の思考能力で想起できる人たちが、流行の最先端なんだといえなくもない。面倒なことをしたくない、面白おかしく暮らしたいってゆー僕の言い訳なんだけどね。

 大日本印刷の「ギンザ・グラフィク・ギャラリー」に行って、ジョン前田とゆー人の講演を聞く。テクノロジーアートの分野で結構名前の出ている人なんだけど、作っている作品が入力される情報によって激しく動く四角だったり、マウスのポイントの後を追って動き回る円だったりと地味なため、明和電機ほどにも知られていない。それでも60人くらいしか席のない会場に、立ち見も含めて100人くらいが集まったから、それなりの人気は獲得しているのかもしれない。さてジョン前田氏、久保田利伸のよーな中西圭三のよーな顔つき(よーするにサル顔)なのに、MIT(マサチューセッツ工科大学)仕込みの流暢な英語で、マッキントッシュを操作しながら、コンピューターを使ったアート作品を造る意味などを話してくれた。

 とかく「コンセプト」が重要視されるアートの世界にあって、前田さんは「ツール(道具)」とか「スキル(技術)」とかの重要性を解く。コンセプトがあっても、それを現実化するためには思考を作品化する「ツール」と、作品化を支える「スキル」が重要なのだといいたかったのだろーか。「今はコンセプトしかない」という言葉からも、15年かかってコンピューターのプログラミングを覚え、革新的な作品を次々と生み出している前田さんの、体験からくる確信がうかがえる。

 洋書屋をのぞくと、昔懐かしい「ひとまねこざる」の英語版の合本が5000円弱で売られていた。岩波から出ていた日本語版を、子供のころに繰り返し繰り返し呼んだなあと懐かしく思って欲しくなったけど、書かれている英語が良く解らない(英語は苦手なんです)ことや、ちょうど3分前に、宮崎駿さんの対談やらエッセイやら企画書をまとめた「出発点1979−1996」(徳間書店、2800円)を買ったばかりで、持ち合わせが少なかったことがあって、結局買うのをあきらめる。、宮崎さんの本には、岡田斗司夫さんの「オタク学入門」に採録されていた、手塚治虫の逝去の際にコミックボックスの特集号に寄稿した、手塚アニメへの批判的な1文も収録されているから、岡田さんの本で気になった人は開いてみよう。


【8月1日】 会社が年に4回出しているフリーペーパー「ちょいと」の秋号向け原稿を書いたり、グループ会社から週に1回のペースで請け負っている闇の仕事をこなしたりして、朝の4時まで起きていた。いったん寝て、午前7時にまた起きて、仕事の続きを片づけてから会社に向かうが、やっぱり眠い、眠い、ひたすら眠い。椅子に座ってワープロを叩いていると、すーっと画面に吸い込まれていきそーな気がしてくる。原稿はしっかり書いたつもりだけど、もしかしたらなんかとっちらかっているかもしれない。間違ってたらご免なさい。大日本印刷様。

 笠井潔さんの矢吹駆シリーズは、第3部目となった「薔薇の女」が片づき、今のところの最新刊「哲学者の密室」に、ようやく取りかかることが出来た。中身を開く前に、ひっくり返して裏表紙にある笠井さんの近影を見るが、昔となんだかイメージが違う。昔はそう、もっと陰影がはっきりしていて、とっても怖そうな表情をしていたよーな気がする。「SFマガジン」が昔、新鋭の作家にインタビューしていくシリーズがあって、確か笠井さんも取り上げられていたと記憶しているけれど、それを読んだ時も、やっぱり怖そーな人だなーって感想を持った。同じシリーズで、亀和田武さんも取り上げられていて、学生運動の人たちが、相次いで作家になっていくなーって感じたことを覚えている。

 ミステリーばかり読んでいちゃーSF者の名が廃ると思って、ハヤカワ文庫FTから出ていた「フェアリー・テール」(レイモンド・E・フィースト)上下を買う。ファンタジーとゆーよりはホラーっぽい表紙で、最近はホラーがミステリーの1ジャンルと考えられているから、やっぱりSF者じゃないじゃないかといわれそう。反論をするためにも、中身を読んでSF的要素を繰り出したいのだが、しかし「哲学者の密室」がでいんと控えている以上は、「フェアリー・テール」にとりかかれるのはお盆明けになりそー。あっケヴィン・アンダースン&ダグ・ビースンの「星海への跳躍」(ハヤカワSF文庫)もまだ残っていた。SFやファンタジーを後回しにしてミステリーや漫画を読むとは、いよいよ僕も、SF者として終末を迎えよーとしているのか。

 ニュースステーションで、イギリスで咲いたという悪臭で評判の花に、特派員が鼻を近づけて臭いを嗅いでいる映像を流していた。「ぜんぜん臭わない」とか。日本の新聞各紙は、防毒マスクをして花の側に近寄る係員の姿を写した写真を掲載していたけれど、これが実は演出だったこと、あるいは若干の誇張、百歩ゆずって今は過ぎ去った事実であったことが、はからずもバレてしまった。湾岸戦争の時に、油でまみれた水鳥の写真を乗せて、イラクがひどいことをしているかのごとく伝えた新聞の体質は、結局なあーんにも変わっちゃいない。


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