Last Updated 2019/10/19
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【10月21日】 5月の半ばくらい、通い始めたキャリア支援会社が履歴書の書き方と面接の受け方を教えるだけで、具体的に就職可能な会社を紹介してくれる訳ではないと分かって絶望から沈み込んだあたりで、これはもう居たたまれないと予約したクリニックに最初に寄ったのが6月の頭。それから4カ月ちょっとくらい、3週間おきに通っては話を聞いてもらい、そして不安に抗うための薬を処方してもらってどうにかこうにか生きてきた。7月からはとりあえず、通う場所も出来てそこを基点にライター仕事も乗せて月にそれなりに稼いで来たけど、それで調子が戻るかというと一進一退。テレビも見られて映画にも行けて展覧会だってのぞいて回るようなアグレッシブさにはほど遠い。

 前ほど自由に使えるお金がないって意識が、出歩くのをセーブしているところはもちろんあるけれど、本すら読めないのはそこに描かれている状況を現実に重ねてしまって立てなくなるから。映画も同様で、とりわけ監督へのインタビューのために「ジョーカー」を見たのがやっぱり良くなかったのか、なかなか立ち直れないまま10月に入ってしまった。同じ様な貧困層の絶望が描かれた「天気の子。」には何ともなかったのに。そうこうしているちに、自分がやらせてもらいっている仕事は本当に役にたっているんだろうか、少ない予算を食いつぶしているだけなんじゃないのかといった不安が何とはなしに浮かんでまとわりついて、仕事に行っても良いのかといった気分になって、それが将来への不安をぐっと押し上げている。ここ数日の不調はそんなところから来ているっぽい。

 それでもひとつ、お手伝いを依頼されているテレビ番組の件で、とある有名人への出演交渉を担当してどうにかこうにか面会するところまではとりつけられた。これはまあ成果といえるんだろうけれど、出てもらって喋ってもらって放送されてようやく完成というのがテレビの世界な訳で、そこまで引っ張っていけるのかといった不安がこれまた身を苛む。そちらに関わっているとレギュラーの仕事が出来なくなるといったジレンマもあって、将来のために見聞を広げるか今を確かにしようとこまめに稼ぐか、そんな狭間にあるのも不安を煽っている要因かも知れない。結果、効き目が大きくはないってことで薬を変えることになりそう。

 即効性の抗不安剤では脳内への作用も一過性になってしまうんで、もうちょっと染みて効くものに変えることにするとか。どうなるか。それで変わる厄介な性格でもないけれど、何でもやってみるしかないなあ。とか行ってるうちに古巣が巨大なメディアグループのお膝元にようやく入れてもらえるとか。だったら我慢してそこまでいれば巨大なグループのどこかに居場所を用意して貰えたかというと、ずっと巨大なグループにあった出版社ですら厳しい中で人を減らした訳で、年配者を数百人も引き受ける余地はどこにもないだろう。粛々と整理を進めつつ業容も狭めて首都圏関西圏だけでの発行に絞り、オピニオン色を強めて存在だけは保つ。ウエブ向けコンテンツの充実もお金になりそうもないからやらないとなると、やっぱり居場所はなかったと思うしかないのかなあ。でもあと2年とか3年、楽していたかったという思いもチラホラ。運命は変わらないなら自分が変わるしかないのだとしたら、それを変える力に薬はなってくれるか。しばらくお試し。

 吾妻ひでおさんが死去されたとの報。ずっと以前からアルコール依存症で入退院を繰り返していて、その様子を書いた「失踪日記」でなぜか再脚光を浴びていろいろと活動も再開。漫画だって描いていたし復刊も相次いでいたけれど、ここしばらく体調を崩して入院もしていたみたいで、最近はさらに復刊ドットコムが吾妻さんの苦境を救うべく復刊を相次いで行っていた、その矢先の訃報にもうちょっと生き延びて欲しかったなあと思う一方で、悪い体を引きずってこの世知辛い世の中を生き続ける難しさを思うと、ひとつのタイミングだったのかもと思ったりもするのだった。69歳は若いけれど、自分の69歳が想像できなくなっている人が多いこの世間では、長く生きた方になるんじゃなかろーか。いや本当に。

 出会いとなるとやっぱり「週刊少年チャンピオン」の「ふたりと五人」で、家族の全員が同じ美少女の顔をした一家を相手にしたドタバタ劇は、今にして思えばお父さんに弟といった男子も混じりながら女装している家族といった、ある意味でぶっとんだ設定が1970年代の週刊少年漫画誌に平気に掲載されていたってことになり、その画期的で先験的な作品に改めて驚く。あの時代、おまわりさんが子供おちう「ガキでか」もあったり医者がモグリという「ブラック・ジャック」があったりと尖ってた少年チャンピオン。ジョージ秋山さんの漫画とかも載ったりして、今とは違った青年も読んで驚きで子供も読んで楽しい雑誌だった。

 今はたぶん子供が読んで人気じゃないと打ち切られてしまいそうな感じがあるけれど、週刊少年チャンピオンには「刃牙」があって「BEASTARS」もあってといろいろと先見の明が光りそうな作品が相次いでいる。ジャンプだとかマガジンみたいにメジャーにはならず、かといってキングのように消えもしないでサブカルでポップなサンデーとは対局の濃さを持った漫画を掲載して生き延びている。いや「弱虫ペダル」のような今を象徴する男子萌えな作品も載せているか。そんな漫画誌の興隆を支えた一人だったなあ、吾妻ひでおさん。後をとり・みきさんが継いだけど、その系譜は今どこにあるんだろう。

 その後はSF系の漫画家として「メチル・メタフィジーク」だとか「不条理日記」といった作品で熱狂的なファンを呼び、「ななこSOS」がテレビアニメ化されてメジャーなところにも立ったりした。これにはちょっと驚いた。あるいは「陽射し」から影響をされた人たちが集まって描いて一大勢力へと発展し、今に繋がるロリコン漫画の元祖的な位置づけも。その意味では日本の“萌え”文化の源流に手塚治虫以上に君臨してしかるべき漫画家だったかもしれない。1度そういえば西の方で開かれた個展に行って絵が描かれた石を見たっけ。コミケでは直筆の何かを買ったんだけれど、あれは今どこに、掘り返して眺めて追悼しよう。天国では浴びる位にお酒、飲んで下さいませ。


【10月20日】 ネットで綴られていた「幼女戦記」と「オーバーロード」と「この素晴らしい世界に祝福を」と「Re:ゼロから始める異世界生活」がKADOKAWA系で書籍になってテレビアニメにもなって大ヒット。異世界に転移するなり転生した主人公たちが、前世の知識や新しく得た能力を使って、移った先の世界にいろいろな影響を与えるといった設定の物語のいまや代表作となって“異世界カルテット”と呼ばれ、全部のキャラクターが一堂に会するスピンオフのアニメまで作られた。

 もっとも、異世界転生物がKADOKAWAの独壇場かというとそうではなく、漫画やアニメになってヒット中の「転生しあたらスライムだった件」はマイクロマガジンからの刊行で、そして2019年10月からアニメがスタートした「本好きの下剋上 〜司書になるためには手段を選んでいられません〜」はTOブックスから刊行中。小説投稿サイト「小説家になろうへ」の連載はすでに完結して、今も全話が無料で読めるにもかかわらず、加筆修正されて椎名優さんのイラストがついた単行本版の刊行はまだ途中で、200万部を超えて今も発行部数を積み上げている。

 スタートしたアニメは本郷みつる監督によるもので、時折テイストがギャグっぽくなるのは監督の味なのかもしれないけれど、設定自体は割とシリアス。本が大好きで司書を目指してようやく就職が決まった本須麗乃だったけど、地震で本が崩れて下敷きとなってあえなく死亡。そして気がつくとそこは西洋の中世のような世界で、麗乃は前世の記憶を持ったまま、6歳の少女マインの中に入っていた。ともあれ本が読めればそれで良いと探した世界に本はなし。といっても存在そのものがない訳ではなく、高価で貴重で貴族以外が持てず読めもしなかった。それならとマインは一念発起、本が手に入れられないのなら自分で作ろうと走り出す。

 アニメの方はまあそこまでは達していないけれど、マインが紙すきに適した植物を見つけ道具も作って紙を作り出しては商人と契約して下ろして資金を得ていく展開が、この先に待っていて文明や技術が発達していない世界に現代の知識や技術を持ちこんで、世界を変えるといった異世界転生ものに割とあるストーリーが繰り広げられる。違うのはマインには異能のようなものは与えられていないこと。なおかつ体も弱い中で知識を駆使し、世界にちょっとした変革をもたらす。

 その変革はただ紙を作り出すだけでなく、貴族が仕切っていた社会の中に変化をもたらし、庶民の間にも文字をもたらし社会全体の底上げをもたらす。グーテンベルクの印刷技術が宗教革命をもたらし中世を近世から近代へと動かした歴史の流れを、ファンタシーの中に移したとも言えそうな物語を、子供が読んだらいろいろと勉強になりそう。ジュニア文庫で刊行されているのもそうした、子供の努力と文字の大切さを分からせようとしたからなのかもしれない。第5部まであって進むにつれて長くなる物語のどこまでアニメ化されるか分からないけれど、第2部でマインが本へと近づけるからそこまでは続いて欲しいかな、2クールを2回とか。

 土曜日の朝にワイパックスを入れず、まあ落ち着いてきたしもう良いかと思って映画に行って観終わってさて、町歩きでもと思ったもののだんだんと良くなくなって来て、さっさと帰ってちょっとだけ原稿書きを進めつつ、一眠りと横になったら夢見も良くなくて、起きて少しだけ書きものを進めてもやっぱり居たたまれなさが浮かんで、布団に潜り込んで悶々としてたら朝になってさ昨日ほどではなくなったので起き出して、洗濯と簡単な原稿書きをどうにか終える。さてどうしよう。

 このまま寝てしまうと立てなくなりそうなので、ラグビーの日本代表vs南アフリカ代表のパブリックビューイングをどこかに見に行くのが良いのかもしれない。でも読まなくちゃいけない本もあるから寝転がって読んでいるかもしれない。どうしたものかと考えて、やっぱり出ないと一生出られなくなりそうなので、2003年のワールドカップの時に買ったカンタベリーの日本代表ジャージを着込んで京成に乗って東京スカイツリーへ。ここの4階オープンスペースでパブリックビューイングが開催されるのだった。

 すでに椅子席の整理券は配り終わっていたみたいで、囲われた柵の外側にいろいろと座り込んでいる人がいたんでその端っこに陣取りしばらく休憩。だんだんと人が増えていって後にも座り込んでいる人が出て来てそして試合がスタート。前半こそトライで5点を奪われながらもペナルティゴールで3点を奪い返し、そこから相手にトライをさせないままきっ抗した状況で後半へ。あの南アフリカを相手に前半を3対5で折り返したのは凄かったけれど、後半に入るとペナルティゴールを続けざまに決められてちょっとばかり点差を付けられ、ヤバい雰囲気が漂い始める。

 いやフィールドでは頑張っていたんだけれど、ラインアウトのことごとくを南アフリカ側にはたき落とされ奪われてしまってはそこから攻撃を作れない。長身がいたからなのか作戦が悪かったのか。そうこうしているうちにトライを決められさらに追加され、最後は26点まで持って行かれてそこでノーサイド。4強とはならず3位決定戦に回ることなく日本代表の今W杯での試合を終えることになる。ホスト国だけに決勝トーナメントまで残ったのは良かったけれど、可能ならここで勝ってあと2試合を見せて欲しかった。これで4強はイングランドとニュージーランドとウェールズと南アフリカ。全部が英国系ってことでやっぱり強いやネーションは。3位決定戦はイングランドとウェールズかなあ。それもまた一興。見に行くぞ。


【10月19日】 自分じゃなくても良いんだな、なんて思わされてしまった後は、何かを買うのも自分じゃない誰かが買っているからいいやと思い、そして本を読むのも映画を見るのも自分じゃなくても誰か見ているならそれでいいんじゃないかと思うようになって来て、ただ目の前の時間をどうつぶすかに気分が向いて、成果が目で分かるゲームのレベル上げに勤しみ、それすらも自分以外の誰かがやっているならと寝ることにして、そして夢の中で仕事の段取りがちゃんどできているのかを考えていたりして、もうどこにも逃げ場なんてないんだとなりかけたものの、そこはやっぱりこちらがわに踏みとどまって、自分じゃなければってことを探そうと、起きて着替えて外に出る。

 そして新宿ピカデリーで伊集院静さんの原作を橋本直樹監督が撮った映画「駅までの道をおしえて」。すごかった。これで“以上”としたいくらいにサヤカを演じた新津ちせさんのもはや演技を超えた存在感に2時間ちょっとの上映中、目を引きつけられっぱなしだった。台詞の上手さはすでにいくつもの映画や吹き替えで分かっていたことだったけど、その幼く見える雰囲気を目に見せながら、聞かせる言葉のはっきりと聞き取れる確かさにいきなりギョッとした。もう子どもじゃないんだと意識づけられた。

 それでも割と最初の方、台詞がすっとは出てこない場面があったけれど、撮り直させてテンポを詰めたりはせずにその間合いをそのまま使い、撮る側の思惑に乗せず、演じる役者の中から出てくるその役そのものの存在を見せようとしたのかもしれない。だから最初はぎこちなくって、演技巧者たちが見せる芝居ならではの雰囲気との差みたいなものもちょっとだけ気になった。

 やがてそうした差はうまり、サヤカはサヤカとしてスクリーンの上を動き回り、ほかの登場人物たちの映画の世界でサヤカの周りにシームレスに存在して違和感のない状況へとなっていった。観る側が慣れたのか。新津ちせさんの演技が巧みになったのか。他の役者たちが引っ張られたのか。それらの全てがきっと合わさってひとつの世界を作り上げた。1年半かけて。そんな映画なんじゃないかとひとつ思った。

とてもとても切ない別れの場面で新津ちせさんが演じるサヤカは、別れてしまった相手が理解できないまでももう会えないんだと感づいた。すでに愛犬だったルーとのお別れを経た後だけに、どこに行ってしまうのかもだいたい理解していたんだろう。けれども歳が歳だとそこで表情をゆがめたりして泣きたい心情を出そうとする。地団駄を踏んだり暴れたりすることがその年頃の離別への受け止め方だといった認識が世間にはあるけれど、そうした先入観を裏切るように新津ちせさんが演じるサヤカはじっとして暴れず、目を見開くようにしてじっと見つめ、表情などゆがめないでしっかりと状況を把握しようとしていた。

 そう演じた新津ちせさんも凄いし、そう演じさせた監督たちも素晴らしい。定番化して定式化した演出ではない緊張感があり、かえって感情移入を誘う空気があった。煽るんじゃなく誘い込む。押すんじゃなく引っ張り込む。そんな作り手と演者たちの気持ちに誘われて2時間をずっと釘付けにされた。ルーも巧かったなあ。サヤカに呼応して動き顔も動かし表情も見せる。映画を離れた時もずっといっしょに過ごした時間がそれを呼んだとしたら、別れはどんなだったか。ちょっと知りたくなった。でも映画と違ってまだ会えるなら、そして映画で見せた毅然とした心根を持っているなら、難しくはなかったのかもしれない。そこは役とは違って泣いたのかもしれない。どうだろうと思ったら舞台挨拶で泣いたと話してた。そうかやっぱり。

 後半にかけて、少しファンタスティックなシーンもあって、杉井ギサブロー監督による「銀河鉄道の夜」のアニメーションをふっと思い出したりもしつつ、笈田ヨシさんの飄々として矍鑠とした表情や動きに泣くよりも頑張ろうと思えた。僕はまだこちら側にいるんだから。塩見三省さんとの縁側での時間も良かった。2日間をいっしょに過ごしたことではぐくまれた関係を、ともに意識して感じ合っていたように見えた。挨拶で塩見さんが「撮影した時間は宝物。新津さんと2日間、朝から晩まで縁側にいた。彼女が考えてることと、おじいちゃんの考えてることがひとつになる瞬間があった。新津さんとこんな時間を持てるんだ。と、そのことを思い出すと胸がきゅっとなる」と話してた。それだけで凄い役者だと思ったし、そういう関係を作らせたスタッフも凄いと思った。そんな映画をもっともっといっぱいの人に見てもらいたいけれど……。ヒットしろ。さもなくばロングランを。

 それにしても、まだ10歳にもならない女の子が、学校であまり楽しくない状況に陥り、いくつもの大切な存在との別れを経験しながらも自分をしっかりと保ち、折れず沈まないで前を向き、上を向いて生きていこうとしているのに、いい歳をした自分がもう何もかも終わってしまって、もう絶対に這い上がれないと信じ込んで、日々をどこか惰性で生きていていいのかと自問して、それはあまり良いことではないと自答しつつもだったらどうしたら良いんだろうかと、考えてもやっぱりすぐには浮かばない。すでに半年が経って1年だってすぐ来るだろうその時間をもらっているのに、どうしてなんだろうなあ。こびりついているいろいろなものを、少しずつはがしてまっさらになるまでもうしばらく、見守っていただければ幸い。


【10月18日】 絵で巨乳の女子が描かれているのはわざわざ巨乳の女子を描いたからであって、そのわざわざに恣意性があってすなわち巨乳で誘いたいがためのものであってそれは巨乳をそうしたシンボルとして見なす思考であってそれはすなわち女性に対する色眼鏡であるからしてセクハラなのだといった意見が飛び交っていたりして、どうかと言われれば確かに巨乳の女子を選んで描いてはいたりする。宇崎ちゃんね。

 もっとも、これが例えば巨乳のグラビアアイドルだったとして、文句が出ないかといえばそんな巨乳アイドルを選んだところに恣意性があるとなり、女性を選ぶことが恣意性だといったいつかのビールのポスター問題にも遡って指弾され、巨乳だろうと水着だろうとそうでなかろうと女性は選ぶな男性も選ぶなって話になっていきそう。そうなるともはやあらゆる広告から人間が消えてしまうことになるんだけれど、どうもそこまで突き詰めないあたりにとある弁護士さんの何かを目の敵にしているような雰囲気が感じられて仕方がないのだった。

 以前もNHKのノーベル賞解説番組で、キズナアイが出て来て問を投げかける役を与えられてそれをもって女性はおバカで聞くのがお仕事だなんてみなしているといった指弾を行い、苦笑を誘っていたし。そうでないことはすぐに検証されていたけれど、今回も懲りずに声を上げてはいろいろと眉をひそめられている。宇崎ちゃんなんて大きいけれどもはだけている訳ではなく普通にそういう人もいるといったレベル。これを指弾されてはもはや胸のある人は恥ずかしくて街を歩けなくなるんじゃなかろーか。ただ宇崎ちゃんの注射怖いんすかというセリフは、心理的物理的にそういう人もいる中でちょっと煽りすぎかも。そういう人たちの献血をパージしているという意味ではちょっともったいなかったかもしれない。

 新津ちせちゃんが主演している「駅までの道をおしえて」が公開になっていたそうで、関連して週刊新潮とかに記事も載っていてやっぱり新海誠さんの娘さんという言い方がされていた。個人的にはやっぱりお母さんの方が見知ったのも古いし今もあちらこちらで顔を見るから気にはなっているんだけれど、週刊新潮だと「売れているとは言えません」とか書かれていてちょっと残念。なるほどちょっとだけ出たりする映画が多いけれど、そうした映画でもくっきりとした存在感を見せてくれていたりするし、舞台の方では立てば本当に強い印象を与えてくれるので、やっぱり見てから書いて欲しいと思うのだった。「蛇と花」での宙づりからの旋回とか凄まじかったなあ。

 「若いころは伝説の反権力スキャンダル雑誌『噂の真相』でライターをしていたと報じられています」って何か遠い話のことのように書いているけど成宮観音名義ではそれこそ滝本竜彦さんのルポルタージュ的小説にも出て来たりしていろいろと世間を騒がせてくれていた。それでもって確か浜野保樹さん方面から東大の大学院にも行ったりして才女っぷりを見せてくれていた人を、脇役扱いしちゃいけない気がしないでもない。自信もそれなりに忙しいのに新津ちせちゃんの行く先々について面倒を見ている訳で、そのかたわらで演技のワークショップも開いたりしているからやっぱり女傑。それこそ名前入りで報じられても良いはずなのに、興行収入があれだけの映画を作ってしまった新海誠監督に、世間の目が向いてしまうのも仕方が無い話なのかもしれないなあ。映画は明日行こう、舞台挨拶もあるみたいあし。

 川崎市民ミュージアムの台風19号による水没被害がだんだんと明らかになって来たみたいで、収蔵庫には水が入って結構な収蔵品が水に濡れてしまっているらしい。浮世絵とか絵画とか漫画とかいろいろあっただろうから大変そう。濡れても乾かせばどうにかなる場合もあるけど、元通りにはならないだろうかならあ。そこをどうにかする技術を投入することで、救えたら嬉しいんだけれど。印刷会社でも製紙会社でもそういった技術はもっていないものなのか。そもそもがそうした大切な文化財が水没するような建築ってどうなんだ。図書館に明るい窓をつけて日が射すようにして本を焼いてしまう設計を建築家が平気でしてしまうようなものなのか。大英博物館やメトロポリタン美術館の収蔵庫が水没するなんてあり得るのか。聞いて見たいよ本当に。

 京都アニメーションの八田社長が会見をして事件から3カ月のこの日に状況を説明したらしい。亡くなられた方は戻ってこないけれど大丈夫だった方々が現場に復帰して、劇場版「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の制作に取り組んでいるらしい。とはいえ他の作品はストップ状態。当然「響け!ユーフォニアム」の三年生編も止まってしまっているだろうし、池田晶子さんを失ったユーフォがどうなってしまうのかはやっぱりとても気になってしまう。西屋太志さんももういないし木上益治さんも……。でも受け継がれた魂があるならいつかきっと戻ってきてくれるだろう。その日を信じて待つしか無い。11月には京都のみやこメッセで追悼の会が催されるみたい。宇治の本社前に献花にいけなかったけど、みやこメッセなら行っても良いかなあ。日帰りは勿体ない京都に1泊は無理だから実家に泊まってそれから帰ってくるとか。考えよう。


【10月17日】 日航ジャンボ機の墜落を旅行中だった網走で知った1985年8月に、函館から札幌へと入って十勝方面から北海道をぐるっと回ったけれど、北だから涼しいかと思ったら札幌あたりはとてつもあく暑くって、気温も30度を確か超えていたように記憶している。30年以上も前でそうなんだから、温暖化が言われる最近なんかはきっともっと暑くなっているだろう。そんな札幌に2020年8月9日に東京オリンピックのマラソン競技が移されて開催されたところで、暑さ対策になるかどうかがちょっとよく見えない。

 もちろんグッと涼しくなる可能性は北海道の方が高くって、30度を切る日が札幌でも8月は結構あったりする。今年だって8月7日までは連日30度越えの日が続いていた。対して東京はだいたい30度以上だからやっぱり北海道の方が良いかもしれないけれど、もしかしたら来年は極端な冷夏で8月に入っても30度そこそこの日が続くかもしれない。そうなった時に札幌に持って行かれて良かったのか、なんて責任問題も浮上しそう。

 とりあえず組織委員長にして札幌移転をさっさとIOCのバッハ会長と打ち合わせしていたっぽい森喜朗元総理あたりに火の粉が降りかかりそうだけれど、それを気にする人間ではなさそうだしなあ。だったら誰? 五輪相の橋本聖子さんもまるで知らなかったらしいし、小池百合子東京都知事あたりも寝耳に水だった感じ。だったらいったい誰がどういう打診を受けていたのか。そこを突っ込んだところでシンキロウの中にかき消されてしまうだろうから、もう気にせず札幌は東京であり東京は札幌なんだと思うようにしよう。ほらあれがドコモタワーって時計台を指して言うとか、東京タワーって赤くないんだと札幌タワーを見てつぶやくとか。

 国際映画賞の部門に日本代表として新海誠監督の「天気の子」がエントリーされているアカデミー賞だけれど、長編アニメーション部門にもやっぱり「天気の子」がエントリーされるみたい。公開実績があったかは分からないけど授賞式までに公開されるならそれはそれでオッケーなのかも知れない。ほかに「プロメア」があり「海獣の子供」がああり「若おかみは小学生!」があってとなかなかなラインアップ。本当は「きみと、波にのれたら」も入って欲しかったけれど湯浅政明監督はアメリカ向きって感じじゃないから仕方が無いか。代わりにシッチェスカタロニア国際映画祭で最優秀アニメーション長編映画賞を受賞したから万々歳。凱旋上映とかやって欲しいけれど無理かなあ。パッケージ買う体力もないから記憶の中で反芻しよう。

 受賞するかどうかは別にして、アカデミー賞の投票をする人たちに見てもらいたいのが「海獣の子供」かなあ、圧倒的な画力でもって描かれたキャラクターであり海の造形は、アメリカ的な3DCGによるモデリングとは違った驚きを与えそう。かといって「ロング・ウェイ・ノース」のようなヨーロッパ的なアニメーションともまた違った深み。なおかつジャパニメーションとも離れている独特な感じが、ノミネートされた先でどれだけの驚きを与えるかに今は興味。これはパッケージ欲しいけど、その時までに懐が暖まっているかどうか。それが問題だ。でもやっぱり「天気の子」に行って欲しい。そして作品賞の「ジョーカー」と並んで欲しい。

 昔だったらテレビで中継を見ながらデスクでカップラーメンでもすすっていたのが今は倉庫に籠もってカット袋を撮影していたりするんで、ドラフト会議で誰がどんな感じになっていたかまるで分からなかったし、そもそもドラフト会議で誰が人気になるのかも関心がほとんど及んでいなかった。新聞読まないしテレビも見ない生活。でもそれほど問題になってないのはテレビも新聞もその媒体からの情報がもはやそれほど必要とされていないからなのかもしれない。ネットで足りるというか。電通の新聞局長が社長ルートから外れる訳だよ。

 でもってドラフト会議で注目だったのは甲子園には行かなかった大船渡高校の佐々木朗希投手。連投を避けて温存させたことが話題になって本人は行きたかったとか監督が邪魔をしたとか言われたけれど、こうしてドラフト1位で千葉ロッテマリーンズに指名されたんだからプロを目指していた当人としては万々歳なんじゃなかろーか。これでプロで活躍できなかったら甲子園で投げさせたかったといった話も出るだろうけれど、投げた斎藤佑樹投手が今どうなっているか、大谷翔平選手もダルビッシュ有投手も決して順調ではなく怪我に悩んでいるのを見るに付け、無理はしないでプロになってそこで実力を発揮して欲しいと願うばかり。他のドラフト1位は……知らないなあ、本当に世間から疎くなっている。大丈夫かなあ。

 なんていうか阿呆というか、とあるオレンジ色のニクい新聞が愛知県の大村知事は果たして天皇陛下の即位式に出るべきかなんてアンケートをとって、オレンジ色のニクい新聞の読者層の傾向を見事に反映して出るべきじゃないって答えが返ってきた。まるで身内に話を聞いたアンケートのどこがジャーナリズムなんだと言ったところでタブロイド相手に空しいだけ。ただそれでも発信力を持ったメディアが示した数字が取りあげられて一人歩きすることは避けられず、それにすあって暴れる人とかも出かねないのが心配。大村知事は権力による不介入を貫いた真正保守なのに、その保守を戦う自称保守はいったい何を保守しているんだろう。訳が分からない時代になってます。


【10月16日】 わはははははははは。あれだけ夏の暑さ対策だといって鉢植えを並べたりかち割り氷を配ったり、熱中症対策としてアイスバスを用意したりして灼熱の真夏なんだけれど開催期間をズラすのは許さないIOC国際オリンピック委員会のというか、スポンサーになっているアメリカのテレビメディアの要望に応えて来たにもかかわらず、2020年の東京オリンピックのマラソンと競歩が札幌に会場を移して開催した方が良いんじゃないかとそのIOCから言われてしまって東京オリンピック組織委員会のショボーンとした気分が何とはなしに感じられて可哀想でならない。

 もとより真夏の東京がとてつもなく暑いことは分かっていながら、1年を通じても過ごしやすい季節なんだと大嘘をついてオリンピックの招致を続けた招致委員会すなわち今の組織委員会がポン酢だっただけの話なんだけれど、決まったからには後には引けない状況でもはや時間帯すら変えられない厳しさの中、頑張って選手たちの安全を図ろうと色々な施策を打ち出した。そのほとんどが対症療法にすらならないオカルトの範疇で、理にかなっていたのはアイスバスを用意することくらいだけれどそれすらも真夏にマラソンなんてやらなきゃ良いといった声にやっぱり押されてた。

 でも止められないから日本代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップなんてものを実施した際に、同じコースを走らせ暑さ対策も含めて検討してみたにもかかわらず、すべてを無駄にするようなIOCの天の声。果たしてどこまで強制力を持っているかは分からないけれど、公にステートメントを出した以上は従わざるを得ないんだろうなあ。マラソンだって沿道で見るだけじゃなく、スタジアムで帰ってくる人たちのスプリントを見たいと大勢が詰めかけている訳で、そのためのチケットも抽選で販売された。きっと高倍率だっただろう。当選した人たちの怨嗟の声が早くも漏れ始めている。

 なおかつマラソンは史上初めて非公認ながらも2時間の壁を破ったキプチョゲという選手が日本に来て、走ってくれそうな場で、注目も一段と上がっていただろう状況での会場変更。競歩は競歩で日本人選手がメダルを取りそうな競技だったけれどこれも札幌へとなって、東京の立つ瀬がまるでなくなってしまいそう。果たして応じるかそれともゴネるか。いっそ2つの会場で好きな方に出ていいよと行ってそれぞれにメダルを出せば面白いのに。元よりタイムではなく得点でもなく順位で決める勝負なら、どこでやっても順位は順位として残るのだから。この流れだとトライアスロンもお台場から千葉あたりに変わるかな、鴨川とかでやれば復興なんかの意味もあって最高なんだけど。まるっ。

 ポン酢だとは分かっていて、それが右肩が下がり下がって砕け散る瀬戸際まで行かしてしまったんだけど、やっぱ韓国のワルクチを書くためにはあらゆる材料をそのためにポジティブに解釈するポン酢ぶりは変わっていなかったなあ、某紙。台風が来る前に食料品とか飲料品を買い込む動きがあった中で、韓国の辛口ラーメンだけが余っていたことが話題になって、韓国で日本の韓国ボイコットの動きがあったからんじゃないかと言われているらしいことを、そのまま紹介していた。

 いやいや、それは単に保存食にするにはからすぎて水とか保存しておきたいのに飲んじゃうから向かないだけだろう。たとえ韓国の人が自嘲と自虐をこめて日本は嫌いなんだねと言ったとしても、そうじゃない理由を沿えておくのが報道だろう。でもそうじゃなく、日本が韓国の物品も含めて嫌っているようなトーンを改めて拾い上げては記事でそのまま流している。読んで世間は大爆笑。だって韓国産に限らずとんがらし麺だの北極だのといった辛口系のラーメンが軒並み残っていたんだから。それで日本のどこかの地域が嫌われているなんて思わないのに韓国のラーメンだとなぜそうなる? つまりはそう言いたいだけってこと。それは世間にバレているってこと。にも関わらず改めないで流し続ける。そういうスタンスが凋落を招いたんだから、大量に首を切って立て直しに向かうなかで改めるかなあと思ったらなおいっそう酷くなっている。この先に来るのは? って心配したって関係ないか。でも溜飲は下がるかな。されもはても。

 武蔵小杉のタワーマンションが断水で大変なことになっている川崎市で、川崎市民ミュージアムが水没をして地下にある倉庫に収蔵された品々が、いったいどうなっているか心配されているとか。そもそもがそんな大切な場所に水が入り込むような設計がどうかしているんだけれど、入ってしまったからには倉庫に水が浸入するかどうかが問題で、なるほど火災の時に空気を遮断して消火するような設備はあっても、水の浸入まで防げるかいなか。重さのない空気なら遮断できても重量の圧力がかかる水はまた条件が違うから。仮に水没となった場合、どれくらいの貴重な品々が影響を受けるのか、そのあたりも含めて調査が待たれる。お金を積めば回復できるのかにも。それが出来るのならカット袋だって……ってそちらは大丈夫だったから良いのか。詰め替えいつやるんだろ。


  【10月15日】 電通の新聞局長といえばかつては電通の社長になる上で、絶対に経験しなければいけなかった役職で、それは新聞があらゆるメディアにおいて上位に位置して、政治を議論し経済を回し社会を動かして日本という国を進歩させる流れの一翼を担ってきたからだけれど、下がり続ける販売部数の中でテレビに比べて伝播力が下がり広告の届く範囲ではネットにはるか及ばずメディアとしての影響力を落としてきた。オピニオンを掲載して世論を左右する役目も最近はソーシャルなメディアに劣りがち。そんな状況を鑑みてか電通の社長に新聞局長を経験していない人が就き、メディアとしての凋落ぶりを感じさせからもう結構経つんじゃなかろーか。

 それでも権威としてはやっぱり4つのメディアでは新聞はやっぱり上位だし、社長にはならなくても役員にはなれてそして業界関係をどこにだって渡って行けそうなポジションにある人が、ラグビーのワールドカップ会場を出たあたりで往来を整理していたボランティアを叩いてしまってはやっぱり問題になって当然だろう。酒に酔っていたらしいけれど、それで許される世間ではもはやない訳で、立場から自重しなくちゃいけない人が場所的にも自重が必要な場所で逆に自分の庭のような振る舞いをしてしまえば、リアクションだって当然に大きくなる。今後の職歴にも関わってくるだろうなあ。でも放り出されて路頭に迷うようなことにはならないのは羨ましい限り。ってか僕よりまだ若いんだ。上級国民って言葉は使いたくないけれど、ポジションはやっぱり得た方が良いと思うよ。得られなかった者からの忠告。

 映画の「空の青さを知る人よ」はもう見ているけれど、女子高生がヒロインでその姉も物語に絡んで来る話であるにも関わらず、ミュージシャンに憧れる高校生の男子と、その高校生が東京に行ってシンガーソングライターとなりながらも今は演歌歌手のバックでギタリストをしているおっさんの方に関心が向いて、その一心同体な2人の物語なんじゃないかと感じた気持ちを、そのまま小説にしたような印象だった岬鷺宮さんによる小説「空の青さを知る人よ Alternative Melodies」(電撃文庫)。別におまけが就かない「空の青さを知る人よ」のノベライズも出ているから“正統”ではなくスピンオフ扱いだけど、読むとむしろこっちが本編なんじゃないかと思えてしまった。

 映画と違うところは、大人になってうらぶれたギタリストをしている慎之介と、そしてお堂の中に突然自分がいることに気がついた高校生のしんのの側から、同じ映画を見ていったというもので、ボンヤリとしていたら鳴り響いたノイズみたいなベースの音に目を開けうるせえといって相生あおいと出会ったり、そんなあおいが自分の高校時代のバンド仲間で今は市役所の職員となった男といっしょにバッグバンドを手伝うことになって、プロ舐めてんのかと思っていたら案外にちゃんと聞かせてくれて驚いたりといった具合に、映画では察するしかなかった真之介としんのの心の動きに触れられる。

 直情的でストレートなしんのとは違い、やさぐれていてどこに熱とかが残っているか見えない真之介の心の中で、いろいろな思いが交錯しているのが分かるのがあるいは大きな特徴。その結果として夢を抱いて状況しながら夢破れ、それでも思いは貫いてミュージシャンを続けている真之介の自分の立場に対する複雑な感情がくっきりと見えて、過去に描いていた将来像からズレて挫折して戸惑っている人間が抱える後悔と葛藤が、真之介の心情と重なっていろいろと考えさせられた。自分はもうダメだとか。どこで道を踏み間違えたんだとか。

 でも、そんな境地にありながらも折れず逃げないで踏みとどまって、そしてどうにか歩き始めようとする大人の真之介の心情に感化され、もうちょっと頑張ってみようかといった気にも余計にさせられる。その意味では映画で感じたことを細くしてくれる小説。逆に映画のノベライズの方は、相生あかねがやさぐれているおっさんの真之介を見てどう感じたかが描かれているのかもしれない。映画の中で心情描写は流石にされていないから、ホテルで誘いをかけてきた真之介にあかねが何を思ったかは、そっちを読むしかないのかも。あとどうして眉が太いかとか。遺伝か遺言か。さすがにそれの説明はないだろうなあ。ともあれあと1度は見たいかも。「天気の子」もあと1回は。いつ行くかなあ。

 搭乗のために誰もが踏み台にするスピットファイアの翼の付け根に誘われて立ったら、どうして貴重な飛行機の翼の上に立つのなんて非難を浴びて、いやいや立ってと言われたから立っただけだしそこは立つためのものだからと答えたら、子供が真似したらどうするんですかと言われておいおい子供が戦闘機の翼の上にそもそも真似して立つなんてことができるのかとつっこみたくなった事例が発生。何をやっても愛知県知事を非難したい人たちがいて、その一挙手一投足に難癖をつけているらしい。一方で公共の場所に座り込んで権力者が自分の権力の及ぶ展覧会にいちゃもんをつける強権的でともすれば独裁にもなりえる行為を子供が真似したらどうするんだとは非難しない。そんな不平等で不均衡が可視化されるのは良いんだけれど、感化されて乗っかり叫ぶ人が現れ、信じる人たちを増やして一定勢力になっているのはさすがに厄介。もはや説得しても聞き入れてくれないからなあ。半端に知ることの怖さが情報過多の時代の最大の災厄かもしれないなあ。

 そして気がついたら「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の編集版を劇場で公開することが決まっていた。制作するのはstudioMOTHERってところでXEBECの代表をしていた下地さんがヤマト関係の権利を持っているボイジャーの出資を受けて作った会社。ある意味で直系だけれどXEBECの権利はプロダクション・アイジーが引き継いだ訳でXEBECが作ってた「宇宙戦艦ヤマト2199」も「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」もアイジーに権利は移ってる。だとしたら総集編にもXEBECの権利めいたものは及ぶのか、及ぶとしたら作品リストに書くべきか、なんて興味が浮かぶ一方、それでもstudioMOTHERが手がける理由は何なのか、制作費を注ぎ込んでも得られる何があるというのか。それはやっぱり2205の制作を手がける権利であり立場ってことになるのかな。陣容も結構代わる「2205」はどんな雰囲気になるんだろう。いろいろと興味の尽きない数年をおくれそう。


【10月14日】 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞について、賞の名前になっている作家のジェイムズ・ティプトリー・ジュニアが最晩年に夫とともに心中を遂げたことに対し、異論が起こって果たしてその名前を賞に冠して良いのかといった議論が持ち上がり、やはり改名すべきとなって結果、「Otherwise Awards」という名前になったとか。「さもなくば」とかって言い回しの時に使われるらしいotherwiseが名前になって、いったい何を意味するのかすぐには掴みかねる感じだけれど、これはどうやらティプトリーの最初の短編集「Warm Worlds and Otherwise」から取られたものらしい。

 だから意味はちゃんとあるし、もしかしたら必要ではなかった改名に迫られた、だったらこれでといった意味なんかもそこに込められていたりするのかもしれない。英語苦手なんでよく分からないけれど。改名が必要かどうかといった議論に立つなら、個人としての行為と作家としての業績はよほどじゃないなら分けて考えて、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアと名乗って書いて来た様々な作品から醸し出される印象なりメッセージを受け取って、後世の作家を讃える冠に使うことは悪いことではないと思った方が良い気がする。殺人こそ犯してないけど三島由紀夫だって最後は事件を起こして自決だった訳で、それでも名前は賞に使われそれなりな権威を持っていたりする訳だから。

 ただ現代は、いったん起こった批判がSNSなんかで拡散されてはかつてない規模で論議されてとてつもない数のネガティブな意見を引き寄せる時代。同様にポジティブな意見だって星の数ほど引き寄せるけれど、それらも膨大な批判の中に埋もれて流されてしまう。まっとうな議論なんて起こる前に炎上から逃れるために批判の矛先をかわそうとする動きになっていく。今回もそんな感じで性急に事が進んだ感じ。たとえ短編集の表題になっているからといって、それに慣れていない日本の読者だと、あるいは若いSFのファンだと「Otherwise Awards」のどこにジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの業績を、あるいは意識を感じ取れば良いのか。その意味で“殺された”とも言えそうな改名だけど、決まった以上はそこにしっかりジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの意識を感じさせるような選考であり、選評が行われる必要があるんじゃなかろーか。いっそ日本だけ「愛はさだめ賞」とか「たったひとつの冴えたやり方で賞」と訳すか。

 大宮ソニックシティで10月14日に開催のアニ玉祭2019でKADOKAWAの会長にしてアニメツーリズム協会の理事長という角川歴彦さんが登壇して、東所沢に作ろうとしているというか、既に建物が建ち始めている「ところざわサクラタウン」の構想について話すというので見物に行く。リストラを喰らって今はアニメーション関係のアーカイブを作っているところに身を寄せていたりするので、その巨大版になり得るサクラタウンには興味があるのだった。あわよくば雇ってもらうとか……それはさすがにまだないか。

 大宮にあるソニックシティの国際会議室で講演会を待っている間、会議場の前に並ぶところざわサクラタウンの模型と言葉たちを見物。別にブースが出ていて、そこで「武蔵野樹林」という去年の秋に創刊したところざわから武蔵野あたりを紹介する雑誌を並べて売っていた。次の号ではいよいよところざわサクラタウンを取り上げるようで、松岡正剛さん荒俣宏さんともうひとり、神野真吾さんが鼎談を行っているらしい。

 ここで上がっている松岡正剛さんはサクラタウンに作られる高さ8メートルの書棚を擁する巨大な図書館を手がけ、荒俣宏さんは希代の荒俣コレクションなんかも含めた品々が展示され妖怪に関した展覧会も繰り広げる博物館を手がける。そして神野さんは美術面を担当。そこには世界的な現代アートのコレクターとして知られる高橋龍太郎さんが持つ高橋コレクションが展示されるとか。

 「ミュージアムとは、図書館と美術館と博物館が3つ揃った物をいう。図書館だけならライブラリーだ。博物館と美術館がいったいとなっていなければならない。KADOKAWAのミュージアムは知の殿堂であり、そういう物に作り上げたいという気持ちがある」と歴彦さん。そして上がった名前が松岡清剛さん荒俣宏さんに高橋コレクションと言ったあたりは、外してはおらず直球勝負ではあるけれども若い人にとってどれだけの訴求力があるかというと、そこは若い人がKADOKAWAというブランドに抱くイメージとちょっとズレている気がしないでもない。

 なぜなら、若い世代にとってのKADOKAWAはアニメでありライトノベルでありマンガでありゲームといったポップカルチャーの総本山。そうしたところが作るミュージアムならマンガの原画にアニメのポスターにライトノベルやマンガの読み放題な図書館が備わっていて欲しいという気持ちがある。もちろんそうした施設も用意はされているらしい。

 1階から5階までの高さがあって、2階がエントランスでそこから入ってもらう。フリースペースで、ミュージアムがどういうものかを感じてもらってから入場料を払い中に入る」と歴彦さん。その中身は「1階はマンガとラノベの図書館。KADOKAWAが文庫の中にライトノベルというのを開拓した。異世界小説が大きな柱になっているので、違和感なく来てもらえるだろうね。少年たちや少女たちは自分が生まれ川田ら勇者になれるといったそういう夢を描いているから。マンガもある。マンガやラノベが好きな人ならたまらない図書館になるだろう」。

 無料で入れて1日浸っていられるのなら行きたいかな。そこにはKADOKAWAのグループがメディアワークスも富士見もファミ通もメディアファクトリーも含めたあらゆるラノベがあって、なおかつ他社のレーベルも極力置くようにして、ライトノベルのことなら世界で1番といった図書館にしてもらえたら嬉しいんだけれど、そこまで手が回るかどうか。KADOKAWAのショウルームにとどまってしまってはミュージアムじゃないんだよなあ。

 3階は「EJアニメミュージアム。日本でアニメミュージアムはわずかにあるが、これほど大きなミュージアムはありません。海外から日本のアニメを見たい、知りたいという人にアニメミュージアムに来てもらう。ジャパニーズアニメがこんな風に生まれてきたということが分かるミュージアムにしたい」と歴彦さん。その言葉がそのまましっかり反映されたら、市ヶ谷にある東京アニメセンター in DNPよりも常設的で、新宿にあるEJアニメシアターにある展示スペースなんか及びもつかないビッグなミュージアムになりそう。

 問題はそこで何をどう見せるのか、ってことか。原画展をやってキャラクターのファンを集めたいのか、アニメがこうやって作られるという仕組みを見せたいのか。過去のアニメに関する資料を収集し保管しテーマに合わせて展覧会を行うような、貸し画廊ではない美術館としての機能を発揮して欲しいんだけれど、それだけの準備を進めているかはよく分からないのだった。

 AnimeJapanでAnimeの産業に関する音響だとか宣伝といった部分を紹介するコーナーがあって、これはこれでアニメビジネスに関心を抱きアニメのクリエイティブに興味を持った人たちをアニメ業界に誘う呼び水になっていた。そうした取組をして欲しい気もするけれど、それだけで遠く東所沢にまで足を運んでもらえないのなら、やっぱりそこにしかない展示が必要ってことでKADOKAWAならではのIPを集約して、そこに世界が目を向けるようにしないといけないかもしれないなあ。やっぱりあれか、めぐみんの爆裂魔法の実演とか。それも毎日。武甲山を相手に。

 さて問題は、というか角川歴彦さん的にはむしろそっちがメインといった気がした松岡正剛さん荒俣宏さんらによる文化の雰囲気が盛り込まれた展示は4階5階。隈研吾さんによる設計で高さ40メートルを中国から運んだ1万数千枚の岩板で覆った城郭のような建築物は、新国立競技場くらいの高さはあってそして木々が中心の新国立競技場とはまったく違った建築になっている。そうした隈研吾さんの建築を紹介する展覧会も4階にあるミュージアムで開くらしい。

 10月31日に刊行される「武蔵野樹林」の最新号で、KADOKAWA「武蔵野ミュージアムは革命である」って鼎談が松岡さん荒俣さん神野さんによって行われている。そこでは「わかりきったものとして綺麗に点耳するということは、角川武蔵野ミュージアムでは求められていない」といった鼎談が行われ「エディットタウンの中で書物の森の中を彷徨いつつ、また作品や博物資料に戻っていくと、そのわからなの質がまた変わっていくというような体験野庭としてのミュージアムということが。三館融合の一番大きく期待されるされるところ」といった三氏による期待とお墨付きも出されているらしい。

 教養にあふれ知性に満ちた薫り高い文化に憧れた頃ならこういうミュージアムにぐっときたけれど、アニメにハマって道を踏み誤ってロートルまで来た身には知性とか教養がなかなかに重たく、果たして見てどこまで共感を抱けるかが今は心配。というかリストラを喰らって貧乏になってしまって高い本が並ぶ図書館とか、高額な美術品が並ぶ美術館に興味があまりわかないのだった。

 角川歴彦さんがあと、アピールしていたのがところざわサクラタウンの一角だけで完結させないで、そこに来てもらったから良しとしないで、それこそ周辺の市なんかも含めて文化の発信を行っていきたいという意思。それが「角川武蔵野ミュージアム COOL JAPAN FORST構想」って奴で、一種の文化の森として枝葉を広げて埼玉を覆い日本を覆って世界を覆うことを目指しているらしい。

 「埼玉県の西部5市、狭山市入間市日高市所沢市が連携して、日本を代表する大規模国際的採点を目指す」というその構想で、コアにしているのが荒俣宏さんによる妖怪文化の紹介。日本のみならずアジアには妖怪が広く知られているからなじみやすいし、西洋にだって妖精の類はあって妖怪への親和性はあるかもしれない。そうした妖怪を中心において、たとえば十日町であったり瀬戸内であったりといった、地域が芸術活動を応援するような活動を所沢から武蔵野一帯で行いたい、ってのが今日していた話。文化庁にもそうした話をして、運動を支持して欲しいと働きかけているとか。

 持ち出されたのがヴィエネツィアヴィエンナーレで、それが何を意味するのかちょっとはかりかねたけれど、世界中から各国のパビリオンが集まりそれぞれの芸術活動を紹介するうヴェネツィアヴィエンナーレに習うなら、それぞれの妖怪文化を紹介するパビリオンなり展覧会なりをいったいで開催するってことなのかな。「アートとして街の中にあって 市民の人に触れていただいたら 心がだんだと和やかになっていく」

 「文化運動の核としてどう発展させていくか 5年10年20年かかるかもしれない 運動体になって 埼玉県が世界的に見てユニークな芸術への誇りを持てる県かと評価されたら嬉しい」と歴彦さん。それが妖怪であって埼玉の人は嬉しいのか、妖怪っていうと水木しげるさんの影響が未だ強く鳥取の境港を中心とした水木妖怪文化が漂うこの国で、荒俣妖怪史観であり荒俣妖怪民俗学を打ち出した祭典が受け入れられるのか。そこは角川歴彦さんの力でもあるんだろうなあ。四万十川で海洋堂の社長が打ち出そうとしている河童文化の定着と称揚をちょっと思い浮かべた。それのもっとスケールの大きな奴ってことなのかな。どうなるか。

 まあそんな感じ。ラノベが好きでアニメやマンガやゲームの殿堂を期待するとちょっと肩すかしは喰らいそうで、EJアニメミュージアムの運用が三鷹の森ジブリ美術館くらいに美術館色を打ち出せるかにも興味を不安があるので完成してみないと判断はちょっとできない。10月31日に椿山荘で大々的に構想の発表をするそうだから、のぞきたい気はあるけれどもメディアじゃないからそれは難しいので行くだろうメディアの人にそれは期待。あと社員が気にしている飯田橋から池袋を経ての所沢への大移動についての言及はなかった。果たして行くのか行かないのか。悶々とする日はまだ続く。


【10月13日】 そういえばちょっと前に創通をバンダイナムコグループが買収するためにTOBをかけるらしいって話が出て、知らない人にはいったい何をやってる会社って思われただろうけれど、「機動戦士ガンダム」関連の画像を使うたびに(C)で創通・サンライズと書いていた関係で、そこが権利を持っている会社だということは知っていたしアニメのファンならだいたい知っている話だろー。ただそうやって並んでいる割には、直接的なグループ会社ではなくってなるほど一部の株をバンダイナムコグループが持ってはいても、独立して権利を所有している会社としてそれなりの存在感を見せていた。

 まあバンダイ側がガンダム関係をハンドリングしようとして、創通の誰かがノーを出すなんてことはなかっただろうけれど、映像であり玩具でありといった製品を作るごとに幾らかの版権収入が創通に流れていくという構造は、もしかしたらあまり嬉しいものではなかったのかもしれない。グループに入れてしまえば収入はすべて同じ財布に入る訳で、損得無しってことになるけど創通がガンダム関連で得た収益を別の作品に投資して新しいIPを生み出していた流れが断ち切られるなんてことになったら、それはアニメ好きにとっては痛し痒しかもしれない。「ニャル子さん」なんてバンダイ傘下の創通から出てくるとは思えないし。ただそうした既存の作品が、バンダイナムコグループ傘下で甦る可能性があるならそれは嬉しいかも。先は見えないけれど、動きがあるなら追っていこう。

 夜にかけて風は強まったけれども雨はそれほどでもなく、停電も起こらないまま日付が変わってだんだんと終息していった台風19号。多摩川とかでは堤防を越えて水が流れて大変な事態になっていたりしたけれど、風については台風15号の方が大変だったのか今のところとてつもないものが倒れたといった話は流れて来ない。ちゃんと用心もあったのかな。停電だけはやっぱり起こっているようで、鴨川でもちょっと大変そう。風も強かっただろうから、「輪廻のラグランジェ」が保管されていた部屋とか風雨が吹き込んで前以上に濡れたかもしれない。そこにまだカット袋を入れた段ボール箱が置いてあったらどうなったか。ギリギリのタイミングで移送したのでとりあえずは安心。その移送先がどうなっているかが目下の関心事か。まさか沈んではないよね。

 金曜日の公開時には行けず昨日はもちろん家から出なかったために見られなかった長井龍雪監督の「空の青さを知る人よ」をイオンシネマ市川妙典まで行って見る。相生姉妹の眉毛が太かった。そんな映画は前に見終わって受けたダメージにしばらく引きずられた「ジョーカー」とは違い、最後まで見通せて、そして見終わって今を悔い、将来を嘆いてその場に蹲り、立ち上がれなくなることはなく、逆に今を起点にここから先へといろいろと、やれそうなことを探して歩いていこうという気にさせられた。

 秩父にある高校でバンドを組んでギターを弾いていた金室慎之介は、卒業して東京でミュージシャンになることが夢で、その時には恋人だった同級生の相生あかねといっしょに行きたかったけれど、両親を事故で失い妹の相生あおいがまだ小さかったあかねは、東京の学校には進学せず秩父にとどまり、市役所に入って働きながらあおいを高校生まで育てて来た。そんなあおいは、子供の頃から見ていた慎之介へのあこがれからか、音楽に興味をもってギターではなくベースを始めていつかいっしょのバンドで演奏することを夢見ていた。<BR>
>  高校の卒業が近づき進路を決めることになって、東京に出たいといったのはそうした夢を叶えるためであり、自分が縛り付けていた姉のあかねを解放するためといった思いもあった感じ。そんなあおいの思いをあかねはどう受け止めていたのか、判然としないなかで動きが起こる。あおいがずっと練習に使っていた、本堂のような場所に行ったらそこに高校時代と同じ姿をした慎之介がいた。聞けば東京に連れて行こうとしてあかねに振られた日に、本堂にこもって気づいたらそこにいたという。別に幽霊ではなく、慎之介は東京でミュージシャンとなって今は演歌の大御所のバックバンドとしてギターを弾いていた。その慎之介が秩父の町おこしのために開かれる音楽祭に招かれた演歌歌手とともに帰ってきた。

 同じ人間だけれどまるで違う2人。しんのとあだ名で呼ばれる高校時代の慎之介は自分がミュージシャンになれたことを喜び、音楽の道に進もうとしているあおいを励ましあかねへの思いもずっと抱き続けている。一方の慎之介はミュージシャンで居続けられることに不満は抱いていないようで、それでも思っていた未来とは違う人生にどこかやさぐれている。ソロデビューまでしながら今はバックバンドのギター弾き。それを受け入れつつも悶々としている。

 もしも今の慎之介が、すぐに過去の血気盛んなしんのと出会っていたら、そんなにうまくいくものではないと自分の人生を悔いたかもしれない。うなってしまった自分をみじめに思ったかもしれない。映画がそんな感じに、過去の自分と対面し、叱咤されるような展開だったら、観ていた自分も結構厳しさを感じたかもしれない。現実としての今の自分が存在する以上、過去からの叱咤はすり抜けるか突き刺さるだけだっただろうから。

 幸いにも慎之介は、しんのとはすぐには出会わず、いろいろな迷いを抱えながらあかねとの対面を果たし、やさぐれつつも優しさを取り戻せないかを考え迷っている感じ。そして起こったとある事態でそこからの自分をしっかりと考えようと決意する。そして、しんのという、過去に封印した迷いを見つめ直し、受け入れることで自分を新しく始めようと歩き出す。そんな展開にちょっとだけ、背中を押されて自分も今を頑張りたいと思う。というか思うしかないのだ。そんな感じ。

 本堂に現れたしんのは生き霊なのか、置き去りにされたギブソンのフャイヤーバードに込められたしんのの思念が実体化した付喪神的なものなのか、解釈はいろいろとありそうだけれど、そうした過去に描いて残した将来像が、ある程度はかなった状況から少し道を外れかけているという部分で共感も覚えたりする。主人公は相生あおいのはずなのに、なぜかしんのと慎之介のことばかり考えてしまうのは、今の境遇として仕方が無いことかもしれないなあ。そういう部分でティーンだけではなく大人が観てもズシンと考えさせられる映画ってことで。

 とはいえ、ミュージシャンなら続けていられる慎之介のような特技はなく、31歳でもかわいい誰かがいる訳でもない身で何を新たに見つければ良いのか。そこはちょっと思案のしどころかもしれない。未だ身は井戸の底にありながらも、見上げて目に映る空が青いうちは、そこに向かって手を伸ばして這い上がっていきたいものだなあ。それにしてもやっぱり相生姉妹の眉が太いのは何なんだろう。秩父の流行なのか、アニメ様こと小黒祐一郎さんが指摘していたように萌えを避けようとしてそうしたのか。同じ田中将賀さんがキャラクターをデザインした「クロスロード」は眉、ちゃんと細いから。いつか誰か聞いてくれると思いたい。


【10月12日】 昨日のうちにコンビニとか回ってパンとかカップラーメンを仕入れ、それからガスコンロが本に埋もれて使えないので電気ポットを用意してお湯くらいを湧かせるようにしたものの、流しは着替えに埋もれて届かず水を出せなかったりするのでちょっと無意味。ペットボトルの2リットルはだいたい売り切れで、いざとなったら服をどかして水を出せばいいかと思って寝て起きて、とりあえずまだ風も雨もなかったので歩いて10秒のコンビニに行ったら売れ残っていたペットボトルがあったのでとりあえず確保。あと助六寿司とかパンも買って夜に備える。

 その時点でおにぎりはなく弁当も届かずパンも増えてはいたけどいずれ売れていったような雰囲気。戻ってそして玄関先で仕事半分遊び半分の作業をしていたら、いきなり電気が消えて真っ暗になった。台風15号の時でも起こらなかった停電が発生。これはもう寝るしかないとパソコンの電源を落としてポケットルーターも節約のためにいったん電源を切り、布団に入ろうとしたら電気が戻って停電は瞬間で収まった。とりあえず良かった。この短い時間でも相当に緊張したのだから、ずっと停電だった人たちは、それも嵐の中での停電だった台風の時の被災者は心細かったんじゃなかろーか。そして今もなお続く不自由な暮らしに迎える台風19号。耐えてくれと強く願う。

 電気はついたけどすることもないので布団に潜ってひたすら「荒野のコトブキ飛行隊 大空のテイクオフガールズ」のレベル上げに務める。ミントっていうカナリア自警団に所属する少女が妙に強くて紫電に乗せて戦闘に出してレベルをだんだんと上げていったら、いつの間にか主人公とも言えるコトブキ飛行隊のキリエの撃墜数を超えてゲームのエースになっていた。キャラクターとしては生真面目でちょっと百合入っててお姉さま好きなところがあるけれど、子供の頃から武道に嗜み熊とだって戦える力の持ち主で、ラジオに出演中に暴漢に襲われたら腕をひねってへし折って、そして仲間もすべて蹴り倒したり殴り倒したりして事件を解決してしまってた。

 特徴ありまくりなキャラクター。だから興味が湧くんだろうなあ。あとはリリコって普段はウエイトレスをしているけれども妙に格闘技が強い少女なんかも育てたり、ゲキテツ一家って任侠系の少女たちがいる集団のローラってメンバーが気になって、頑張ってゲームアプリの物語編を追っていったらとんでもない秘密が明らかになった。誰も知らないその秘密をフィオとか他のメンバーが知ったら何を思う? まあそこはバレないように最後まで行くんだろうなあ。

 こうしたコトブキ飛行隊以外のチームのサイドストーリーも1本のムービーか小説か何かにまとまってずっと降れられるようにして欲しいかも。アプリっていきなり終わってデータもすべて消えてしまうから。セガの「Redyyy!」って男性アイドルものっぽいアプリも配信から数カ月で消えてしまったしなあ、オープニングアニメをプロダクション・アイジーが作ってて、リストを調べててこんなあぷりがあったのかと知った時には終わってた。こういう場合、どうやってアーカイブするんだろう。アニメだったら白箱が存在するけどゲームアプリのオープニングってそういう映像のマスターがどこかに保存してあるんだろうか。謎肉。

 流石に寝てばかりだとお金にならないんで来月に締め切りが来る仕事に向けてパーツ作りをコツコツと。ョとノベルの文庫で2018年の末から2019年の最近まで出たうちから10冊ばかり選ぶとうもので、1冊はその分厚さを20数冊続けて完結した川上稔さんの「境界線上のホライゾン」に決まっているけれど、他はもういろいろあって選ぶに選べない上に、この半年くらいのリストラに伴う気鬱から、読めていない本も結構あってサルベージなんかがちょっと大変。お母さんが通常攻撃で2倍だったり年上のお姉さまが年下の男子にちょっかいかけていたりといった感じのものがあるけど実は読めてないのだった。

 あとはもちろん異世界転生物とかラブコメとか。そうしたものをサルベージしつつ読んでいったSFとミステリも含めて選んでも10冊が上限だともう何をどうしたらいいのか。他の文庫担当者ではきっと選ばないオレンジ文庫やらL文庫やらメディアワークス文庫やらポルタ文庫なんかも含めなくちゃいけないとなると、実は新しく読まずとも選べるんだけれどそれだと落ちるものもあると思うとやっぱり避けてはいられない。この週末がだから大きな時間ってことでとりあえず、取り置いてあった「スコップ無双」の第3巻を読んだらやっぱりスコップが無双していた。天国への階段ですらスコップで作るとは。そして地獄への穴もスコップで穿つとは。無双だなあ。だからスコップ無双なんだってば。

 夜になったので電気ポットでお湯を沸かしてカレーヌードルを作って食べてパンと魚肉ソーセージもかき込んでコーヒーも飲んで一段落。あとは夜に本格化する台風に備えて寝るだけだ。ちょっと離れた場所にある川が溢れそうだけれどこっちに及ぶ感じはなし。地震もあったけれどそれも軽く収まった。停電は怖いけれど寝てればいっしょか。起きて晴れていれば「空の青さを知る人よ」を見に行きたいなあ。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の東京国際映画祭での上映チケットは争奪戦に敗れたけれど、プレスで潜り込んで取材して書けたら書きたいなあ。書かせてくれるメディアはないかなあ。


【10月11日】 近づく台風19号への備えが必要ということで、前回の台風15号で置き場所となっている建物の老朽化もあって窓枠が歪み隙間から雨風が吹き込んで、保存してあった箱が濡れて中にもちょっとだけ水が染みて、早急の対策が必要になった品々が、さらに深刻なダメージを受ける前にどうにかしなくちゃということで、集まった人たちといっしょに建物から運び出して別の作業をするお手伝い。階段しかない建物の3階から140はある箱を、それも紙の束がぎっしりと詰まった段ボール箱を10人弱で運び出すのは大変ではあったけれど、それをしておかないと永遠の宝が消えてしまうならやるしかない。

 これで20人もいれば階段も上がり下がりはしないで少しずつ手渡していけば下まで届いたんだろうけれど、これから来る大きな台風に備えて忙しい地域で集まれる関係者はそうはいないし、平日だから普通の勤め人も集まれないなら勤め人を終えさせられ、そっち放免に関わることになった人間がいくしかないと朝から電車を乗り継ぎ、いつも仕事で向かうのとは反対方向へと向かってたどり着いた駅から見える海は白波がすでに高く上がっていた。

 聞けば当地の人たちもその時間帯で見たことがない波の様子。到着してから数時間が経って目的の作業を終えた時点で、波はさらに高くなって建物から見える堤防を越えて道路にまでしぶいて来ていた。これで“本番”ともなれば波は建物を洗って風雨とともに窓枠の隙間から入り込み、そこに置かれていただろう箱をびしょ濡れにした可能性もありそう。それどころか建物ごとひっくり返る……ことはなくても建物ごと洗って1階に積まれてあったエナジードリンクともども、被災してしまった可能性もある。まさにギリギリのタイミングだった。

 もちろん杞憂で風雨は強まらず建物にも街にも半島にも列島にも被害が出ないことが最大の願いではあるんだけれど、見える台風の進路とその規模はそうした楽観を許さない。出来る時に出来るだけの手を打っておくのが未来へと繋がる道ならやるしかないと動いてこの日までにやり遂げた関係者の尽力にまずは感謝を。そしてその時まで“遺産”を預かってくれていた関係者の優しさに拍手を。事態はまだ終わっていなくてこれから移した品々の見聞と再整理が必要で、そのために時間と人出をかける必要があるんだけれど、それもきっと上手くいくと信じたい。そしてそれらが陽の目を浴びて世にまた知られ、“復活”なんて時が来ることを願いたい。

 長井龍雪監督の「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」が作られるのを知ったのはまだジャニーズ事務所に買われる前のソニー・ミュージックエンタテインメントが浸かっていた乃木坂のビルで開かれたノイタミナのラインアップ発表会で、そこで映し出されたキービジュアルに描かれていた特徴的な橋から舞台が秩父だってことに気がついて、ちょうど流行り始めた聖地巡礼的なものにのって秩父という場所を使うんだろうかと考えた。とはいえまさかその時は、「心が叫びたがってるんだ。」でも秩父が舞台となって、そして最新作の「空の青さを知る人よ」でも秩父がまた舞台となって三部作にまでなるとは思わなかった。

 とくに秩父出身でもない長井監督にとってどういう意味があるのか、そこは知らないけれども「あの花」からこっち、秩父とか西武鉄道がしっかりと作品を受け止めて舞台としていっしょに盛り上げてくれていることを嬉しく思っているのかどうか。それも含めて尋ねてみたかったけどこちらが取材の現場を離れてしまった今ではもうかなわない話かも。ともあれ10月11日から劇場公開が始まった「空の青さを知る人よ」を早く見に行きたいけれど、11日は大切なお仕事があって出かけていったからそれは無理。だったら12日から始まる連休でとも思ったら来る台風で外に出られないまま2日間が過ぎていきそう。

 14日はそんな秩父も含む埼玉を盛り上げたいと、アニ玉祭がさいたま市で開かれそこに所沢へと本社機能を移転したがっている角川歴彦さんが登壇する講演会が開かれるからのぞいていきたい気もたっぷり。聞いてだからどうするんだ、っていう情報の出し先がないことへの落胆が足を鈍らせている感じだけれど、前だって書ける場所があった訳じゃないから別に気にせず行って日記に書けばいいだけなのかもしれない。そういう割り切りができるまでにはもうちょっとかかるかなあ。映画「空の青さを知る人よ」は過去とかと直面する話っぽいので、それも心に響きそうだけれど逃げていたって始まらないからやっぱり見に行くしかないんだろう。いつ行くかなあ。

 「空の青さを知る人よ」が特集された「月刊ニュータイプ」の11月号には「ファイブスターストーリーズ」も掲載されててミス・マドラがスパークと内的にフュージョンして最強に進化して、一振りで宇宙をぶっ壊せる剣を振り回していたけれど、それでも倒せない相手が出て来ていったいどうなるか。アマテラスが出て来て人にらみで消えちゃう相手じゃないのか。そして待望の「BEASTARS」の記事もあったけれど、なぜか本文の最後が尻切れに。次のページは次の作品だから本文が続かない。つまりは行数が出て校正で追い込んだはずなのに反映されていなかった感じ。校正は当然やっているだろうから校了に反映されなかったのか。大雑誌でも起こるんだこういうの。ギリギリだったのかなあ。ネットならすぐに付け足せるけど雑誌では。そこが緊張をもって仕事に迎える理由でもあるんだけれど。いろいろと難しい。



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