Last Updated 2017/10/23
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1700冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【10月23日】 韓国での「けものフレンズ」の放送だか配信だかが始まっているみたいで、流れて来たオープニングとかを見るとこれが実にピッタリというか、韓国語なのにどうぶつビスケッツ×PPPによって歌われているかのような声質でさすがはアニメーションに長けた国だと思わせられる。「うーがおー」とかが発音が違っているけれどおそこは国によって吠え声とかが違って聞こえるってことの現れなんだろう。あとはやっぱり韓国語でもこの歌が流れてきてアニメーションを目にすると、「けものフレンズ」を観ていた時のワクワク感が蘇って来て今一度見続けたくなるし、その続きだってやっぱり見たくなる。韓国でもきっと同じ思いを抱くだろう人が数百万人は出るだろう。そういう声を集めてぶるけることによって何か自体が進展しないか,何て考えたりもする。それで足りなければ中国で放送して1億にの声を集めるとか。そうならないかなあ。なって欲しいなあ。

 衆議院議員選挙でやっぱり気になったのは千葉1区の動静で、これで維新から立候補した警察から呼び出されているにも関わらず最初は知らないと良い、そして呼び出されたんじゃなく自分から申し込んだんだとも言ってすぐに突っ込まれていた元アナウンサーの人が2位とかに入って惜敗率で比例で当選したらどうしようかと心配したけどそこはやっぱり地盤もなければ看板だって壊れかかっている人だけあって、選挙区では選挙違反してるじゃないかと非難していた共産党の候補者にすら負けて最下位となり、惜敗率で救われることなく重複の両方での落選が決まった。それを当人や家族の身に立てば不幸と言えるかもしれないけれど、国会議員は家族のためになるものではなく自分のためでもなく国のため、国民のためになるものであってそうした国民を区切って虐げ分断するような言説を唱えて支持される方がおかしい。落選も止む無しといったところだろー。

 もしもそんな元アナウンサー氏が東京もそれも千葉だなんて今済んでるってだけで千葉から立候補せず、地縁もあるだろうし維新の人気だって高い関西で立候補していたら果たして当選したかというと、人気が高いだけあって勢力図もかっちりしていて新鋭が入り込んでも名簿では下の方に下がるだけ。そして人気があったところで松浪健太前議員みたいに選挙区で落ちて比例でも上がらず、そして名前だけは知られている足立康史前議員ですら選挙区で落ちて比例でどうにか引っかかるくらいの場所な訳で、やっぱり落選しただろうし知名度とともに行状もいろいろと暴かれてほじくり返されて維新全体の人気を下げただろーから関東で出馬させたのもあるいは党側の思惑か。そして落選。今後いったい何をやっていくのかなあ、2年後くらいにある参議院議員選挙を狙って地道に活動をしていくのかな、それとも千葉市長選……は5月に終わったばかりだからまだ先。いよいよもって福祉のお世話になる時? 子供たちには頑張れと言っておこう。

 しかしたとえ通っても勢力としては泡沫で鬱陶しい言説を放つだけの元アナウンサーとは違ってこちらは与党の自由民主党から公認を受けて出馬し中国地区の比例で当選してしまった某女性の方がいろいろと大変そう。元々議員だった時期もあるんだけれどその頃から言っていることが歴史を横に見てひっくり返して逆さまににした上で自分の都合の良いように解釈したもので、それを世界も認めるべきだと声高に叫んでは一部に喝采を浴びるものの世界と仲良くする必要がある政権にとってはちょっと面倒な立ち位置にあった。政権の外にいるだけでもダメージを与えるような存在を、改めて公認して当選させたってことは安倍総理はあるいは稲田朋美前防衛相の抜けたかたわらのポジションを与えて愛でてライト側を守らせる気でいるんじゃなかろうか。

 だとしたら厄介以上に面倒なことになりそうだけれど、それを拙いと言って止める総理なら稲田大臣のあたりで止めている。そうえはなく本気でライト方面に舵を切る気でいるのか。稲田前大臣を入れ丸川珠代氏を入れ三原じゅん子氏を入れ片山さつき氏まで入れて高市早苗氏も含めてずらり並べたシフトはレフト方面がら空きだけれど、そっちに弾など飛ばす気はないから関係ない。かくして政権は華やかさとともに面倒さも抱えて世界に爆弾を投げ続け、それは絶句を誘って絶交を招きそう。戦ったところで中国とだってロシアとだって勝てる訳もないのに。だから外交で慰撫し経済で抑えるのが現代の国家なんだけれど、誰かのプライドを満足させるためだけに威張って引っ込みがつかなくなって戦って雲散霧消。80年近い昔の失敗をまた繰り返す気満々だなあ。立憲民主党がもうちょっと当選してれば何とかなったかなあ。希望の党から半分くらい出戻ったりして。そして自民党からも。動かないかなあ、政治。

 サミ……。第2話のラストで降り注ぐ銃弾の中に身を委ねたサミが辿った運命は当然に悲惨で、それを目の当たりにしたチャクロは身動きがとれなくなり、続く淡々とした虐殺に手も足も出なくなった所をリコスが現れとりあえず事態は次の襲来が仄めかされていったんの幕を引く。帝国の襲撃に対してあまりに無抵抗すぎる感じがするけれど、事情を知っている長老会が動くことを禁じ動けとも言わない中でただ市民だけが何が起こっているのか分からず逃げ惑い、一方で相手は激情とかを喰われた中で命令どおりに淡々と殺していく。だからあんまり派手な描写がなかったのかなあ、それとも演出の力量か。ちょっと考えたい。かかる事態にオウニが動き団長もいよいよ動きそう。泥クジラきっての使い手2人が本気でみせる戦いに帝国も驚け。でもサミは戻ってこないんだよなあ。悲しい。せめてギンシュ姉さんに活躍を期待しよう。可愛くて活発で強い娘さん。見ていて楽しんだよ本当に。

 スティーブン・A・スターフェイズの日常めいたものが描かれ、その薄氷に立つようなシビアな暮らしに侘しさを覚えたエピソードが第2期になってようやくアニメーション化されて嬉しい「血界戦線&BEYOND」。レオがヘルサレムズ・ロッドに来たヤクザ者に脅され金を巻き上げられたのを取り返そうとするエピソードに、ザップが女から局部に爆破の魔法をかけられ彼女の猫を探して回るエピソードも重なった中で、スティーブンが家に友人達を招いてホームパーティを開いている最中に起こる裏切りとも言える展開に、絶望よりもそういうものとかといった諦観を感じてスティーブンが対応する姿にどういう暮らしをして来たんだろうと思えて切なくなる。きっとそれまでも近づいてきた友人が敵だったなんことがあったんだろうなあ、そういう中でクラウス以外に信頼できる仲間を得てライブラを作り活動できるようになった。その幸せだけで十分じゃないか、って思えるけれどやっぱり欲しい仕事じゃない友達ってことなのか。スティーブンに愛を。

 それはチェイン・皇が向けてくれる? でもスティーブンが気づいている節はなし。次回の人狼大作戦でチェインが大変な目に遭うけれどもそれをスティーブンへの思いを逆手にとった作戦が解決するところに思いの強さってものが伺える。えも仲間にも優しいチェインはカツアゲの時は見逃したヤクザ者を酒で負かした上に文無しにして体で支払わせたりする。ヘルサレムズ・ロッドの掟に従わずお上りさん気分で最強を気取ればどうなるか、ってのが分かった時にはもう遅いという話。でも目の前であの立派な胸と谷間を見せつけられれば普通は誘いに乗ってしまうもの。それだけのものを見せても靡かないスティーブンはやっぱり朴念仁か。クラウスとどっちがどれくらい朴念仁だろう。いやでもクラウスはレディとして気遣う描写があるし。チェインに愛を。浴びるくらいの愛を。


【10月22日】 3話まで見た「宝石の国」は3DCGなんだけれども原作自体が構築的な絵なだけあってその2Dを立体に興しても違和感がない上に巧みな描写でもってスピーディーな動きとか構図とかを作っていて見ていて目を引きつけられる。なおかつ声優さんによる演技がどのキャラクターにもピッタリで、いつもどこか不満げな黒沢ともよさんんの声が黄前久美子に勝るとも劣らないほどにフォスフォフィライトにぴったり。あと茅野愛衣さんによるダイヤモンドも可愛らしくて守ってあげたくなる。医師のルチルは内山夕実さんかあ、ちょっとアルペジオのキリシマっぽい。ジェードが先生を起こそうとして殴って手首を割ってしまう時の声とか最高。高垣彩陽さん。そうした演技を抜群のキャスティングも含めて見ているだろう音響監督の仕事っぷりに最高の賛辞を。これは傑作になる予感。

 雨の中での最終日となった東武動物公園でのグレープ君死去に伴う献花台にはそれでもたくさんの人が訪れた模様。上がっている写真なんかを見ると献花台にはいっぱいの花と写真とグレープジュースなんかが置かれ、メッセージボードは1枚だったのが3枚くらいになって手前にも張り出されていっぱいの言葉を受け取っていた。親しまれていたんだなあ。もちろん他の動物たちが亡くなっても同じくらいに悼む気持ちを抱きたいけれど、大好きな「けものフレンズ」という作品を通して知ったその存在で、なおかつ歳を経て得た2次元の恋人といったストーリーも相まって、いっぱいの感情を持ってしまった。これはもう仕方がない。

 アイルランドのサイトで誰かが1000匹のナメクジにレンガを叩きつけることはできても、1個体のカタツムリを潰すことができるかっていったことを書いていた。あるいは南極でアデリーペンギンの子供が大量に死んでも抱く感情はグレープ君1頭に及ばないとも。その非対称性はやっぱり気にすべきだろうけれど、だとしたらむしと近づけるのは世界のあらゆる命に物語性を付与する努力であって、そうすることによって命に対する慈しみが生まれ何とかしようという気になる。当然に人間であっても。そうした動きが強まってくれれば良いけれど、今はむしろ内向きの関係性を強化することによって外へは拒絶と排除の意識を向けることが多くなっている。それだけ自分を守ることが大変になっている現れなんだろう。でもだからこそ。グレープ君に抱いた気持を外へと向けられるような物語を世界に紡いで欲しいと祈ろう。改めて安らかに。

 同じ明いた魔剣でも大宮にあるソニックシティで開かれたアニ玉祭へと出かけていろいろと見物。今年も含めてこれまでに5回開かれたうちの4回が雨というからよほど天気に運がないと思えるけれども唯一晴れた1回があの実写版パトレイバーで使われた等身大レイバーのデッキアップが行われた回で、雨が降ったら台無しだっただけにこれはこれで運が良かったと言えそう。今回は雨も酷い感じでこれまではちゃんと出ていた公園のブースが全部開かず痛車の展示のみになり、そしてソニックシティ前の半地下の広場で開かれていたステージも中止となって小ホールへ。整理券を配った関係で朝に早々になくなり行ってもはいれない人が出たようでちょっと可哀相だった。広場なら遠くからでも見られるし出入り自由だからなあ。そのあたり精査が必要かも。

 展示では「らき☆すた」とか「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。」とか「こころが叫びたがってるんだ。」とか「ヤマノススメ」といった埼玉にゆかりのアニメ作品のグッズが並んでいた一方で、東北ずん子とか京町セイカとかいった地域で取り組まれているキャラクターも登場してアピール。そうしたクロスオーバーが見られるのもアニ玉祭の良いところで知らずいろいろと詳しくなれる。南砺市と間野山市とが姉妹都市提携した記念のクリアファイルも配られていて、昔の初代iPadではOSが合わずダウンロード出来なかった「恋旅」のアプリを入れてゲット。でも南砺市まで行かないとアニメーションは観られないのだった。やっぱり一度くらい行っておくかなあ、PAワークス的な聖地だもんなあ。

 そんな聖地巡礼に絡んでのトークイベントもあってフライングドッグで「月がきれい」をプロデュースしていた南健さんが登場して、川越市を選んだ理由とかを話してくれた都会ではない垢抜けなさを持った中学生がいるところ、ってことで選んだみたいで千葉だとライトノベルの聖地でもあるし越谷だと都心が近くて選びづらいとなっていろいろ探しているうちに川越市に行きあたったらしい。でもって川越まつりなんかの存在も都心との違いを感じさせる上で大きな要素だっとか。そういえば2010年ごろに観に行ったけど最近は行ってなかった川越まつり。「月がきれい」のこともあったし来年くらいは行ってみるか。

 ちなみに恋人同士の片方が市川に移ったのは横浜とかと違って微妙に行く気がしないから、らしい。何も無いしとか。武蔵野線って寂しとか。いやいやそれは10年前で越谷レイクタウンとかできて今は人気の路線なんだけど、それに乗ってアニ玉祭まで来たんだけど。ってことで南健さんは敵認定。川崎でも売ってろと。そんなアニメもやってたらしい。あのアニメかなあ。あとはやっぱり地元との連携で頼られ過ぎるのも面倒な一方で大勢が一気に訪れるのも厄介で、そうしたすれ違いをやっぱりなくさないと聖地巡礼的な盛り上がりはないとか。「ガールズ&パンツァー」だって巧くいってる部分が目立っているけどそれまでにいろいろあった訳で、すり合わせをしっかりして地元が作品だけでなくアニメファンのファンにもなって一緒に盛りあげる気概を持つ筆ようがあるというのは聖地巡礼プロデューサーの柿崎俊道さんの弁。コンテンツツーリズムは観光の一部だけれど聖地巡礼は人生そのもの。そうした熱さを共に受け止め育む気概。養おう全国。

 なんだかなあ。もちろん投票日に特定の政党を礼賛するとか逆に避難するとかいった紙面を作ることは御法度なんだけれど、日頃から自由民主党を大応援して野党を大批判している新聞が、「安倍政権5年 審判は」といった見出しでもって1面に大々的に掲載した写真に候補者が立ってその周りを大勢の人たちが囲んで大喝采を贈っているような雰囲気があったら、それは安倍政権への圧倒的な支持があるんだってことを満天下に感じさせようとしていると思うだろうし、実際にそう感じる人も多いだろう。でも実はその写真は対立する立憲民主党の枝野代表が新宿駅前で行った集会で、街宣車ではなくお立ち台の上に立って低い位置から衆目に礼賛を浴びているような雰囲気を見事に出している。同時に立憲民主党への支持の熱さを表している。

 そんな空気をまるっと自民党の安倍総裁への支持めいたものへとすり替えてしまっているような紙面構成。キャプションにだったらこれは立憲民主党だと書けばまだ救われるんだけれど、特定政党への礼賛になるからかイメージ写真的なものとして固有名詞を入れずに扱っている。そうした事情をまるで逆手にとるかのように評判を持って行ってしまうこのスタンスを、仕方が無いといって受け入れる人が果たしてどれだけいるのか。やっぱりやりやがったと持って紙面の価値を下げるだけだろー。だったら秋葉原での最後の演説を堂々掲載すれば良いじゃないかと思うけれど、街宣車の周りに大きな日の丸が林立している写真を載せて果たして世間はどう思う? ってあたりへの配慮もあったのかもしれない。だとしたらさらに面倒な話。集まった人たちは厄介と思われた訳でそれで怒らなければ嘘だけれど、安倍ちゃんを礼賛できさえすれば写真なんてどうでも良いと思うのか、それともご都合主義だと糾弾に回るのか。ちょっと興味。


【10月21日】 そうか「すくらっぷブック」に似ているんだとふと思った「Just Because」。言わずと知れた小山田いくさんの漫画で「週刊少年チャンピオン」に連載されて長野県小諸市に住む中学生たちがクラスメートを中心にして成長して卒業までいく姿を辿った青春ストーリーになっている。とくに驚くような出来事もなく学業があって部活動があって恋愛があってといった具合に中学生たちに起こり得る学校生活とか日常とかが淡々と綴られる中で、それぞれの登場人物たちが抱く感情だとかいったものが描かれ誰かに自分を重ね、あるいは全体に自分を置いて読んでいけた。

 「Just Because」は中学ではなく高校が舞台だけれどもとくにやっぱり大きな出来事がある訳でもなくひとつの部活動がテーマにもなっていなくて登場人物たちがそれぞれに自分の立場を持ちながらも繋がりあって重なり合いながら暮らしていく姿が淡々と描かれている。進学のための勉強に励む人もいれば推薦で決めて部活動からも引退しながらあとは家の手伝いに精を出す人もいて就職を決めてあとは告白したいと思っている日とがいたりして、それぞれにリアルな生活をリアルな環境で送りながらも他人と重なりつながっている。

 大人ならすでに過ぎた青春の一瞬が、現役ならば今まさにかあるいはこれから来る日々がそこにあって懐かしんだりはにかんだり、期待と不安に浸ったりして見ていける。言いたいのに言えない思いや期待しているけれども裏切られるのが嫌で臆している気持や頑張って突破したいけど行き詰まってしまう焦りとか、そんな人間だったらどこかで抱くだろう感情が滲んでどこかに自分を見つけたくなる。きっと大きな事件も起こらず高校3年生の冬休みから3学期が綴られ、ちょっとだけ近づいたりもしかしたら離れたりする日々を見せてくれるんだろう。そこに驚きはないけれど同感を抱くことはできそう。そうして納得して微笑んで、観終わって次ぎに来る日常を歩いて行くのだ。当たり前の青春を当たり前に描いたアニメーション。傑作の予感。というより既に傑作。評判になるかなあ。なって欲しいなあ。

 「十二大戦」は酉が見かけによらず壊れていて幼いころから虐待を受けて両親を惨殺して引き取られ鳥を操る能力を発動させては戦場で戦士としてスパイとして大活躍してそして満を持して参戦した十二大戦だったけれどもワンマンアーミーとなってパワーも増したら精神も落ち着いてしまって申の平和主義に感化されたか彼女を守ろうとして丑を相手に戦って一瞬で敗れ去って鳥に自らを捧げてジ・エンド。それとも申は笑顔で平和を唱える言葉の中に他人を自分の配下に置く力でもあるんだろうかともちょっと思った。丑は圧倒的過ぎるけれども誰かがどうにかして破るのか、それとも。既に亥が消え酉も消え戌も消え巳は操り人形にされて3分の1が退場。でも残るほどに強豪だから先は長い。見ていこう。

 1998年の8月末に名古屋で開かれた日本SF大会に行った人で「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」を見た人は映画に出てきた巨大な騎馬像に見覚えがあるはずだろう。レオナルド・ダ・ヴィンチが構想をしたけど完成しなかったスフォルツァ騎馬像って奴で1989年に名古屋で開かれた世界デザイン博で制作された後、白鳥会場に作られた国際会議場センチュリーホールの前にデンと置かれたのだった。SF高いでも話題になって暗黒星雲賞の候補になったか取ったかした記憶があるけれどそのあたりは曖昧。そのことを覚えていて映画を見たSFファンにしてユーフォニアムファンがいるかというと……いないでもないか。あの頃はまさかセンチュリーホールが吹奏楽の殿堂になるとは思わなかったよ。

 そんな全日本吹奏楽コンクールが開催中の中を京成ローザで「劇場版 響け!ユーフォニアム 〜届けたいメロディ〜」を観る。2回目。やっぱり基本、田中あすかのための映画で冒頭から登場して最後まで出てきては黄前久美子を相手に自分を韜晦したり偽ったりしつつもだんだんと打ち解けていく。全体として外面をよくして内心を吐露しないんだけれども唯一、模試で好成績を収めたことを先生から教えられて、職員室を出たところでよっしゃと涙ぐむあたりが未だ高校生で子供なんだなあと思わせる。あとは黄前から全力でぶつかられて「嬉しいよ、嬉しいな」という場面。でも顔を見せないところに矜持が。泣いている? それは見ても言っても呪われるから言わない。大学に行って吹奏楽はどうするか? 良い大学に行けば親だって満足するから隠れて吹いたって良いんじゃないの。今時良い大学出て良い会社に就職したって10年後にも良い会社である保証なんてないんだから。そんな未来を想像してしまった。やりぬけ一生。どうせ一生。

 ヤバいなあ。本当にヤバい。衆議院議員選挙で各党の党首が最後の演説を行ったみたいだけれども自由民主党の安倍晋三党首が立った秋葉原では「その後、一部がマスコミブースを取り囲み、『偏向報道をするマスコミは日本から出ていけ!』などと怒声を執拗に浴びせる場面もあった」らしい。いかにも隣国に敵を想定しメディアを敵と罵倒し他党を敵と攻撃して参じる内輪の賛美に酔いたがる人たちの集まりらしいけれど、そうやって結束を固めていった外側で沈む心はいつか爆ぜる。ただしその爆ぜ方によっては未だそびえる要塞から繰り出されるクリスタル・ナハトの再来が暗黒を呼び込みかねない。それをどうやって避けるか。そのことが今は気になって仕方が無い。落ち着いて、先走らずに待てば要塞はいずれ瓦解すると信じたいけれども、果たして。

 やれやれまたやっているというか、筆者はずっと同じ記者だろうけれど、それにしても無茶が過ぎるというか。朝日新聞が「国民の『知る権利』がある」。と書いたことに対して「とはいえ、両紙は加計学園の獣医学部新設をめぐる7月10日の国会閉会中審査に関し、自分たちの論調と食い違う加戸守行前愛媛県知事の証言を、翌11日付の記事本文中で1行も取り上げなかった。これで正確な情報を提供し、知る権利に資したといえるのか」と言って何が知る権利だと主張している。

 でもこれはとっくに否定されている。朝日新聞は詳報ででもって加戸守行前愛媛県知事のことも報じている。誤報を検証するサイトでも自由民主党の安倍晋三総裁が党首討論の中で同様の象徴をしたことを検証して、違うとはっきり書いている。だから明らかに誘導なんだけれど、ここん家はとうかこの記者は「記事本文中」という狭く範囲を見積もっての言いがかりでもって執拗に「1行も取り上げなかった」と書き続けている。もうずっとそれだけを書き続けている感じ。

 でも、新聞って本文だけが記事でもないし1面だけがニュースでもない。1部のすべてが新聞であってそこで報じているならそれは報じたことになる。それとも自分のところの新聞は本文以外は「新聞」ではないとでも言うのか。コラムもインタビューも記事ではないのか。そんなことはない。ようするに言いたいことを言うために条件を狭めて言えるようにする。あるいはねじ曲げてでも言いたいことの材料にしてしまう。同じ新聞の同じコラムで数日前に書かれた「日本を貶める日本人をあぶり出せ」といっしょで、慰安婦問題に火を着けたところを貶めたいがためにマルタの女性記者爆殺を追悼の言葉なく枕にふる。

 つまりはいつもの手口がいつものように続いているだけで、それがマルタの女性記者の場合は不謹慎さの度が過ぎた上に、枕がまるで効いていなくてロジックが支離滅裂だったから多くの目に付いただけ。「記事本文中」で「1行も取り上げなかった」という主張なんてもうどれくらい書き続けられているか分からないけれど、それが周知された感じでもなく今日も礼賛のコメントがいっぱいついてる。そうやって内輪で盛り上がったところで世間はとっくに見切りをつけていると思うのだけれど、そうは思っていないのかなあ、内部は。気づいてないのか気づきたくないのか。やれやれだ。


【10月20日】 降り続く雨の中でいったい献花台がどうなっているか心配な東武動物公園だけれど、グレープ君にちなんで紫色の布が献花台に敷かれたみたいで気を遣って頂いていることが分かって嬉しくなった。平日だけれど献花の列は止まないみたいで、そして迎える週末はやっぱり雨模様だけれど日曜日で献花台もいちおう収められるみたいだから最終日ということで大勢が訪れることだろう。行ってそこで「大空ドリーマー」でも歌いたいけれどもペンタトニックスとかゴスペラーズみたいにアカペラを歌う仲間もいないし自分ひとりでは無理なので、心で遠くから歌って送ろう。

 二所ノ関部屋が船橋市にあるとは気づかなかったけれども船橋法典の方だから総武線の船橋駅からはちょっと方向が違うんで知らなくっても仕方が無いか。ただ二所ノ関親方こと元大関若嶋津が自転車でキコキコと出かけていった温浴施設は東武野田線の新船橋駅と塚田駅の間にあって路線を利用するたびに建物を眺めていたから知っていて、船橋法典から行田を抜けてくればなるほどそんなに距離は遠くないと分かってそれで船橋市で二所ノ関親方が転倒して怪我をしたことにも納得がいった。

 というか部屋に大きなお風呂とかなかったんだろうか。自転車でもそれなりに距離はあるし値段だって銭湯に行くよりは高いし背中を洗ってくれる弟子だっていない。にも関わらず通っていたってことはそれだけ居心地が良かったってことなのかも。ひとりのんびりお風呂に浸かりたくなること、あるのかなあ親方って仕事は。ともあれ意識は回復したそうで命に別状もないようなので、早く回復をしてまた親方業へと戻っては弟子の育成に力を入れて頂きたいもの。見ると松鳳山関しか現役の関取がいないみたいなんで、もうちょっと増やして名前としての名門部屋をもっと大きく、そして強くしていって下さいな。

 いったい何が起こっているんだろう。神戸製鋼所における品質検査の手抜きも酷い話だけれど、日産自動車で検査の資格を持っていない人が出荷時の検査を行っていて問題化して、改善したはずなのに引き続いて検査の資格がない人が検査をやり続けていたというのも酷い話。経営陣が謝罪までしていながらどうして現場が勝手を出来るのか、っていうとそれはやっぱり経営陣が表向きは謝罪をしても、裏側では引き続いて無資格検査をしなくれはいけない状況が続いていて、それを上も容認なり黙認なりしているから続けていたってことになるんじゃなかろーか。不正をやっても経営が大事な心理は不思議だけれど、裏返せば不正をやらなくては経営が成り立たない実情があるかもしれない。そんな状況に誰がした。景気回復を歌いながらも内実は成長ゼロな国にしてしまった今の政権だろうなあ。この件はまだまだ続くぞ。

 1カ月弱くらい前に依頼があったヒーローの正義について考える10枚ほどの原稿を、この1週間くらいでメモ作りから始めてどうするか構成を考え、メモから街頭しそうな部分を選んで当てはめていってだいたいの流れを整え、それから細部を詰めて一応の形にした後で前後を入れ替え足りない部分を補強して、だいたい書き上げたものを今日の朝からこれでは足りないと既存の部分をギュッと圧縮して新たにメモから使っていない部分なんかを引っ張り構成をし直し、誤記などをチェックして完成稿にしてて送ったけれどそれで良いのか未だに不安であるものの、とりあえず手を離れたので「宇宙戦艦ヤマト2202 第三章 純愛篇」を観に行くことにする。公開日に見ていたけれど今回は原稿のことがあって行けず。限定版BDも通販にしたんでこれが初見になる。

 うーん。空間騎兵隊からヤマトに乗り込んできた斉藤始が復讐だ戦いだ何だとウザくて仕方がなく、そして艦長代理の古代進がウジウジしていて面倒くさく、どっちももっと頭を使って知的に降る前と言いたくて仕方がない。そして真空を漂っていた宇宙蛍が殺虫剤如きで死んで(パンフには開設があるみたいだけれど知ったことではない)、遺跡でもって古代をぶん殴って昏倒させ、結果としてダミーの肉体を通して姿を現したズォーダーに見えさせた桂木透子がまるでお咎めなしにヤマトで医者の手伝いしていて、土方竜は頼まれもしないのに艦長席に座って完璧な指揮を執ってて、地殻変動が起こっている星の遺跡にいながら古代はまるで無事で惑星規模の爆発に巻き込まれた形になっても古代と森雪はけろりと生還して、これはいったいどうしたものかと思わざるを得なかった。

 救いがあるとしたら西条未来で、今回は戦闘にあたっての淡々と客観的に状況を描写していく口調は聞けなかったけれど、髪をかき上げ耳を覗かせる姿は見せてくれたんでやっぱりMVPは西条未来だといった結論に到る。あとはやっぱり桂木透子かそれともラストのラスト、次の予告前に姿を見せたサーベラーか。どっちも知的な上に獰猛そうでそそられる。サーベラー自身が地球圏へと乗り込んだのではなく、ダミーめいた肉体を送ってそこに意識を転送しているといった感じなのかな。けどその目的は未だ不明。潰そうとすれば潰せる相手を模様眺めしているのは、それだけテレザードのテレサが持つ存在感が強く、その呼びかけに答えたヤマトを沈める訳にはいかないといった判断でも働いているのかな。分からないけど興味は途切れさせないで観ていこう。西条未来さんが出ている限り。森雪が戻ってきてもその座は明け渡すんじゃないぞ。

 今年の1月10日に今上天皇の譲位は2019年の1月1日になると報じていた新聞が、10月20日に朝日新聞が退位は2019年3月末だと報じると、菅官房長官に質問をぶつけて否定させ「まったく決めていない」と言わせていてどうにも切なくなった。朝日新聞はデマを垂れ流す新聞なんだと印象付けたいんだろうけど、自分のところだってデマを流していた訳で、それを省みないで他を間違いだと糾弾するスタンスには辟易とさせられる。そしてどうやら官邸サイドの思惑だった元旦の退位は、昭和天皇の崩御から30年で行事も立て込んでいて無理だということで、皇室が巻き返して4月1日にしたらしい。

 つまりは朝日が正解ってことになり、それを恐らくは知っていながら官邸が公言できないのを幸いと、3月末の退位報道をデマ扱いにして掲載した新聞を貶める。それってジャーナリズムなんだろうか。元より政権を称揚するコマーシャリズムしかないんだろうか。どっちにしても厄介な話。朝日ディスでアクセスだけ稼いだって新聞が売れなきゃ意味ないのになあ。売れる新聞を作る、というか売れなくなる新聞は作らない努力をしないともっと時代は深刻化するぞ。って言って聞いている相手でもないか。先はいったいどれだけあるんだろう。気にしちゃいけないけれども気になって夜眠れない。グーグー。寝てるじゃん。違う気絶だってあまりの情けなさに。そういうものだ。


【10月19日】 「少年エース」の12月号が「けものフレンズ」の特集をやるみたいだけれどそこにたつき監督なりirodoriの手は入っているのかに興味津々な今日この頃。囲碁の強豪たちを次々を破ってもはや囲碁はAIが最強だといった印象を世界に植え付けたアルファ碁だったはずなのに、新しく生まれたアルファ碁ゼロには100戦して100敗したというニュースが伝わってきて驚いたというか、いったい何が起こったのかが。気になったけれども、そのアルファ碁ゼロは打ち方くらいしか覚えていないところを同じアルファ碁ゼロと対局することで、だんだんと勝ち方を覚えていってそして2日とか3日でとてつもない強さにまで達して、人類以上だったアルファ碁を破るまでになってしまったとか。

 人間が残した棋譜をのみ込んでは勝ちパターンを覚えるたいぷだったとも言えるアルファ碁に対して、自分がライバルといったアルファ碁ゼロ。相手が強くないのにどうしてそこまでと思わないでもないけれど、勝つための手を探り続けていって、同じ棋力の自分相手にだんだんと強くなってったのかも。これが将棋で可能かは気になるところなんで、誰かアルファ将棋ゼロでも作って自己学習させて欲しいもの。囲碁だとプロじゃにから分かりづらい新手も分かりやすいし。

 落合福嗣さんと言われて普通の人たちの頭に浮かぶのは、三冠王の落合博満さんのご子息で、子供の頃から豪快さを見せて親のご威光でもってとばしていたボンボンといった印象かもしれないけれどもアニメーションを良く見る人たちには、落合福嗣さんといえば新鋭の声優さんで、その体躯にもマッチした野太かったりしつつも気弱さも持っていたりするような声を出しては美声ばかりのアニメーションの中にほんわかとした部分を作ってくれる得がたい人といった認識だったりする。「灰と幻想のグリムガル」でも退場こそ早かったものの重要な役回りだったモグゾーを演じて存在感を見せていた。そして名前もそれほど付かない役ながらも毎クールのように役をもらってだんだんと地歩を固めていた。

 番組のナレーションなんかも受け持って、さあいよいよこれから大役もついてくるかと思っていたところに漫画「グラゼニ」の主役、凡田夏之介を落合福嗣さんが演じることになったって発表があって、マウンドで構える凡田とおなじ扮装をした落合福嗣さんの画像なんかが出回り始めた。見て親が野球の偉いさんだから、息子に野球選手の役を与えれば話題沸騰、だから抜擢したと思う人も出そうだなあと思ったけれど、声優としてずっと頑張ってきていたことが割と知られていたみたいで、あまり反発もなくむしろよくやった当然だピッタリだ実写に立って出たらどうだといった応援の声が多く出た。

 いや実写はさすがに難しいだろうけれど、野球の経験のない訳ではなさそうだらもしかしたらいつかそういう機会もあるかもしれない。ともあれ親の七光りに頼らず自分で専門学校に通いしっかり役をこなして来た積み重ねがこの栄冠なら、頑張ればさらに大きな役だって回ってくるだろう。潘恵子さんを親に持つ潘めぐみさんだって、大塚周夫さんの息子の大塚明夫さんだって、別に七光りだとかいったものではなくて完全に自分の実力でもって演技を極め、役を掴んだ。落合福嗣さんだってそうしたひとり。それくらに声優は厳しいんだ。なおかつイケメン声優ばかりが人気の中で、申し訳ないけれども落合福嗣さんは見た目も声も個性派。そんな彼が売れてそうした方向を目指す人を増やして声の世界に厚みと広がりを持たせて欲しいと思ってる。だから見守ろう。スカパーだから見られないけど。

 理念は分かるが意味は分からない潮書房光人社の買収話。軍事とか戦記の記事を掲載した「丸」とか戦記物の文庫とかを出している版元ってことで、自衛隊大好きで歴史戦大好きな会社が欲しがって不思議はないけれど、自分たちが主張する“歴史戦”とやらのためなら史実だって曲げてしまえる態度は、戦記物でもおちらかといえば史実を尊んで、思想とか交えず淡々と記述していくらこそ支持される光人社NF文庫のスタンスとは反対で、そこで押しつけの歴史戦なんかを始めたら既存のスタッフとか書き手とかがゴソッと抜けそう。

 「丸」についても頓珍漢な情勢開設がミリタリークラスタからいつもグフグフと言われている名物記者がしゃしゃり出て行って、ポン酢な話ばかりを書くようになったら支持者がどこかに行ってしまいそう。かといってそれをやらなければ買う意味はない訳で、看板を買っても中身はすっからかんといった事態になりそうでちょっと心配している。文庫の棚でも欲しかったのかもしれないけれど、書店の文庫棚なんて取り合いで光人社NF文庫なんか大書店でもなければ置いてない、そんな棚を欲しがったところで意味なんかないよなあ。そもそも赤字で経営厳しいグループのどこに買収なんて余裕が。騙されているのか騙そうとしているのか。要観察。

 言いたいことを言うために前後を省みず、無茶なロジックをこねくり回し、倫理すら気にせずにすっ飛ばしては真っ当な頭を持った人たちから酷すぎるといった声を浴びるのは、その媒体にとって今に始まったことではないけれど、今回ばかりや酷さが際まっていて、さすがにそこん家だからといったある意味での諦めを超えて、憤りとともに避難を浴びせている感じがする。とある媒体の代表的コラム。歴史もあって伝統もあるコラムなんだけれど、長く筆者を務めた人が辞めて以降、持ち回りで書かれるようになったその中に酷いものが混じるようになったというか、酷いものばかりの中にまともなのが入るというか、そんな感じ。

 そして、これでもって酷さの極地へと振り切れた感じ。文頭から繰り出されるのが、「日本の新聞記者でよかった、と思わずにはいられない。地中海の島国マルタで、地元の女性記者が殺害された。車に爆弾を仕掛けるという残虐な犯行である」という言葉で、権力の不敗を追究してきた記者が怨みを買ってか殺害された一方で、この国では権力を批判されても殺されることはないといったニュアンスを醸し出している。そういう見解はなるほど誰しもが抱くことではあるけれど、それでも同じジャーナリストが殺害されたのを横目に「良かった」と言ってしまえる心理はいただけない。悼みつつ自分たちはまだ、安易に殺害されない治安の国に生きていることを喜ぶのが普通だろう。

 そうした文言の根底に、権力を批判する者は殺されたって当然といったニュアンスが滲んでいることも、ジャーナリストたちの強い反感を買っている。何しろコラムにつけられたタイトルが、「日本を貶める日本人をあぶりだせ」。権力を批判することはすなわち日本を批判することであって、それは反日的な行為であって、あぶり出されて当然といったロジックを醸し出している。言葉どおりにあぶり出されたらどうなるか。日本だったらなるほど爆弾で殺害はされないかもしれない。その意味では「日本の新聞記者では良かった」かもしれないけれど、代わりに権力によって弾圧され、それに同調するメディアの筆致によって抑圧され、だんだんと居場所を失っていく。

 現実に、このコラムを載せた媒体は、別の媒体のジャーナリストを挙げて批判のキャンペーンを張り続けている。読んで同調して危害を加えに向かわない誰かが生まれた時に、いったいどういう言い訳をするのだろうか。そうした可能性についての思いを馳せず、権力への反抗や自分たちが信じたい国体への侮辱はすなわち反日といった見方を示して、激しい攻撃を加えようとする。彼等が依って立つ日本とは何なのだ? それだけが日本ではあるまいに。反日といったところで自分たちが信じる日本への反発でしかなく、それが国民全員にとっての反日ではないにも関わらず、タームとしての反日を掲げ攻撃し、読む人はそうか反日なんだといった印象だけを強くする。どうにも厄介。ただそうした手口もすでに知れ渡り、内向きでしか通用しないようになっている。そこで縮こまって耐えていれば良いものを、時に言いたいことを言おうとして周囲を省みないで舌禍を極めては、不穏さが可視化されてあらゆる方面からの批判を浴びた一件。それで省みるなら救いはあるけれど、さらなる舌禍を繰り返しそうなところが末期感を醸し出しているかなあ。やれやれだ。


【10月18日】 板東次男はどうしてホテル・モスクワなんかを引きずり込んでは暴走を許して止めようとして止められず、自らを盾にしようとしたって役に経たずにバラライカによって首をへし折られる無駄死にをする羽目になったんだろうなあ。それだけ鷲峰組が切羽詰まっていたってことなんだろうけれど、だったら関西あたりから進出したい勢力を呼び込んだ方がまだ、悲惨な結末は迎えなかったんじゃなかろうか。そこが読めなかったところがやっぱり食客ではあっても、組みを率いる器ではなかったってことなのかもしれない「BLACK LAGOON」。チャカみたいな不穏分子も抱えていたりするくらいだものなあ、でもって裏切られて雪緒を拉致されるという。さっさと潰すべきだったんだ鷲峰組は。

 とはいえそうはいかない事情があったのはやっぱり真っ当な(ヤクザだけれど)構成員もいたし任侠系のテキ屋もあったりしたからだそう。そういう凌ぎがうまくはいかず、そして上部団体の香沙会はヤクザの正道を行こうとはしない腐れ極道。それらがまとめてホテルモスクワによって排除されたって結果をみれば、板東がしたこともまんざら悪いことではなかったのかもしれない。ただそこで雪緒が自決などせず生き残っていれば……。銀次の後を追ったら残る鷲峰組の構成員はいったいどうする。それが大事だった割に見捨てて逝ってしまうところにやっぱり、極道にはなりきれない女子高生の性質も見て取れる。それとも動脈とか頸椎を避けて刀を首に通す曲芸でも見せたとか。ちゃらーんと刀を抜いたら無事だったりしたとか。それだったらまた会えるんだけれど。残り4話の戦い、見ていこう。

 両国でタカラトミーアーツが新商品の展示会をするってんで見物に行く。見たら江戸東京博物館が10月からしばしの閉館になっていて、内装なんかのリニューアルなんだろうけれども目当てで来た外国人とか江戸の風情を楽しむ場所がなくなってちょっと可哀相かもしれない。集客施設であると同時に学習施設でもあるだけに、全面休館ではないやり方もあって良かったんじゃないかなあ、あるいは江戸東京たてもの園へと足を運んでもらうとか、いっそ川越まで足を伸ばしてもらうとかすれば、江戸東京博物館ほどではなくても江戸の風情に近いものは味わえるんでおすすめしてあげて下さい観光協会。忍者だったら浅草の松屋の上にまだいるのかな。

 さて展示会ではやっぱりダース・ベイダーとストームトルーパーのおつまみサーバーに目が向かう。前にクリスマス商談会でも見かけていたけれど、ベイダー卿とトルーパーの頭があってそこの口の下あたりに手をかざすとセンサーか何かで中に入れてある柿の種が1口分、がさっと出てくるとうすぐれもの。ってベイダー卿が柿の種をサーブしてくれるシチュエーションなんでまるで思い浮かばないんだけれど、だからこそ強大で従えるなんてとても無理な相手に柿の種をサーブさせるという楽しみを味わうことができるのだ。トルーパーはまあ普通かな。ボイスも入っていてあの名セリフとかも聞かせてくれる。そしてパーティーモードでは1口どころが全部がどばっと出てくることもあるとか。サーブさせた復讐かも。家に置いておきたいけれど、ついつい試して1日で空っぽにしてしまいそう。亀田製菓の回し者なのかベイダー卿は。

 「スター・ウォーズ」関連ではガチャ向けにファースト・オーダーの面々のミニフィギュアがあったり「黒ひげ危機一髪」の小さいのにキャラを乗せたのがあったりとなかなか賑やか。小さいライトセーバーもあったっけ。灯りが付くかは分からないけれど、ちょっとだけ光れば嬉しいかも。昔はレーザーポインター的なものもガチャには結構あったけれど、今はやっぱり人に危害を加える可能性もあるからあんまり作っていないのかな。そうそうこれもおつまみサーバーと同じように大人向けのアイテムでライトセーバーの柄の形をしたリモコンってのもあったっけ。テレビなんかのリモコンのボタンを押して操作をその柄に転送しておくと、柄を振ったときに操作が再現されるという。6つだかの登録が可能だからチャンネルを変えるとか電源を入れるとかの操作に使えそう。家に帰って手に持ってブンと振ってテレビをつけて気分はジェダイ。なんか寂しい。

 キャラクターものでは「おそ松さん」がもう立ち上がっていて第1期の時との違いなんかを感じる。あの時はアニメが始まってすぐに話題になっていったけれどもすぐにグッズなんか出るはずもなく年が明けてそれこそ春になってようやく増えて来たって感じだったからなあ。一部まさめやさんなんかは早くからグッズとつくっていたけれど、少人数だから出せた機動力であって企業が人気をキャッチアップして企画を立てて許諾をもらい監修を受けてグッズを作り製造ラインに乗せるまで、半年くらいはかかって当然。そうしたラグが人気の衰退を呼んでしまうこともある。今回はすでに1期で爆発的な人気を得ていたから動きやすかったんだろう。

 とはいえ内容は下品さが10倍増しになっているんで、グッズを買う女性ファンはどこまでついていくか。番組内でもそうした人たちをイジっていたからなあ。でも面白いからやっぱりファンはいなくならず、グッズも売れていくんだろう。そうしたファンをしっかりキャッチアップできると良いかな。あとは「ハイキュー!!」があったり「カードキャプターさくら」があったり。前のアニメから18年くらい経っているのにしっかりと人気を維持しているところに作品の良さってのがあるんだろう。前は確かバンダイが作っていたけど今回はタカラトミーのグループが手掛けるみたい。何が出てくるかな。やっぱるステッキとクロウカードは必須だけれど前のと違うのが出てくるかな。あと「けものフレンズ」関係はなかなか大手玩具メーカーではグッズにならないなあ。そこがちょっと分からないのだった。

 巨人が本気を出し始めたってことなのか。マイクロソフトによるMR(拡張現実)の技術「Windows Mixed Reality」ってのがいよいよ動き始めたみたいで、対応したヘッドセットが5機種ほど展示される体験会があったんで見物に行く。基本はWindows10のアップデートで3D Viewerなんかに対応したりして写真を並べると自動的に音楽がついてスライドショーになったりする機能も面白かったけれど、それに加えて「Windows Mixed Reality」にも対応したそうで、そうしたOSのバージョンアップと対応したパソコンの普及なんかによって畑を作り、そこに手持ちのそうしたPCで利用できるVRヘッドセットを送り込むことによって、高いのを買わなくても売ってないPlaystationVRを探さなくても、すぐにVRだとかARだとかを楽しむことができる。

 インサイド・アウト方式っていうトラッキングの技術を使っているから、HTC Viveみたいに周囲にトラッキング用のセンサーを置かなくても大丈夫。手に光点がいっぱいついたコントローラーを持つと、それをヘッドセットのカメラが読み取り位置なんかを把握した上でトラッキングしていく。そこから歩いても回ってもちゃんと追随してくるから便利というか、ヘッドセットとPCさえあればどこにだって持っていけるところがHTC Viveなんかとは違う所と言えそう。値段もDellだとかAcerだとかHPだと富士通だとかLenovoだとかがそれぞに出しているから幅があってデザインもいろいろあって自分に合ったのと決められる。あとはコンテンツが充実すれば、だけれど東京ゲームショウ2017でDellのヘッドセットで試したゲームとか、面白かったし進撃の巨人風のもあるみたいだし、選ぶに困ることはなさそう。スペックを持ったPCを買ったら、あるいは持っているならどれか試してみても良いんじゃないかなあ、iPhoneとかGalaxyなんかを使って遊ぶのよりもはるかに性能は高いし。問題はWindows10が動くPCか。今だといくらくらいなんだろう。Windows7のサポートが終わるタイミングで買い換えるか。


【10月17日】 東武動物公園で行われている、「けものフレンズ」のフルルが描かれたパネルを見つめていたフンボルトペンギンのグレープ君死去に伴う献花台は、机だけでは場所が足りなくなって、花束をまとめて並べていく大きなボックスが用意されたみたい。いちいち下げずにずっと置いたままにしているのかな。毎日すごい量の花束が届けられているのかな。そんな献花台の設置は10月22日までだそうで、確実に献花をしたい人は頑張って週内に行くのが良さそう。22日は衆議院議員選挙だから朝早くに投票所に行ってそのまま駆けつけるとか、同じ埼玉県にある大宮でアニ玉祭が開かれているのに行く前なり行った後で立ち寄るとかすれば行けるでしょう。

 大宮からだと東武野田線で春日部まで出てそこからスカイツリーラインだか伊勢佐木線だかで東武動物公園まで。遠くはないけど園内に入ってから結構歩くんで、抱えきれないような巨大な花輪は止めて手に提げられる花束を用意していくのが吉。駅から動物園までの途中に途中に花屋さんもあるみたいだけれど、最終日はいっぱいの献花希望者で売り切れそうだからどこかで用意していこう。行ったらグレープ君を悼むだけでなく、ほかの動物たちも見ていくこと。ホワイトタイガーもいればアルパカもいるし野ブタが時々お散歩しているしラブラドールレトリーバーのキナコも檻の中に入って待ち構えている。ヒグマにゾウにライオンにキリンにほかいろいろ。いっぱいの動物に触れて生命を感じてそして21年を生きたグレープ君の生涯に思いを馳せて、動物園とは何かを改めて考え直す。そんな機会にしよう。閉園前にみんなで「大空ドリーマー」を歌って見送ってあげたいなあ。

 やっと見た「十二大戦」の第2話でも殺し合いは活発で、自分を弱いと見せかけて戌の戦士に近づいていってパワーアップの薬剤を注入された途端にとてつもないパワーを発揮して戌の戦士の頭を握りつぶして仕舞うからすさまじい。見かけによらないってあたりがやっぱりキーになっているらしく変態バニーボーイの卯の戦士がゾンビを従え闊歩していたりしていてこの先がちょっと読めない。でも丑の戦士は無限に強そうなんで根本的なパワーとあとは見かけによらない何かを追っていそうな申とか、未だ能力が不明な子あたりがぐいぐいと出てくるんだろう。個人的にはブルマみたいなものを履いている申が残って欲しいんだけれど、主役にはならない役回りだからなあ、まあ平和を願っているからあっさり降りてしまうのかな、でもどうやって? そこも含めて注目。

 日産自動車がしばらく前に検査の資格を持たない人が承認を出して出荷していて問題になったけれど、資格を持つ人間の不足を補うために基準は曲げずに承認をしていただけだったら、それもやっぱりいけないことでも品質そのものに問題はない。ある意味で良心的な過ちだったとも言えなくもないけれど神戸製鋼の場合はもはや企業として存在を許されないくらいに非道な振る舞いで、今後の燃え広がり方を思うと来年3月の入社が決まっていた人が気の毒になてくる。あるいはラグビー部への所属が決まっていたラガーメンたちも。

 だってデータの改ざんだよ、品質が良くなくても通してたんだよ、これってモロ、製品のクオリティに関わってくる問題じゃん、それも安全確保が必須の輸送機械とかに使われていたら、人の命にだて関わってくる問題じゃん、世界が戦慄して問い合わせ、謝っていたなら賠償を求めても不思議は無い。それが何千億円何兆円になるか解らないけれど、たとえ支払えたところで失った信頼を取り戻すのは用意ではなく、取引停止から売上の減少となって立ちゆかなくなり、どこかへと吸収されていってしまいそう。やっぱり住友金属と新日本製鐵が合併して出来た新日鐵住金あたりになるのかなあ、JFEスチールがかっさらっていくとか、あるいは韓国中国あたりに買われてしまう? バレなければ解らないうてもバレたら終わりのその不始末を、誰が始めてどう受け継がれ、今もなお続けられたかを解明し、二度と起きないようにしないと立ち直りは不可能。もっともそれが出来ていればこんな事態にはならないから、どっちにしても立ち直れないかも。名門もこれでサヨウナラ、か。

 しかし、かかる事態にいつもお隣の韓国の企業が不祥事をどうしたとか、中国の企業はやっぱりモラルがどうしたとかいった記事をほじくり返しているように書いている新聞が、この国で今起こっている大企業にして名門企業のとてつもない不祥事をいったいどれだけの分量を割いて報じているのかというと、1面トップで流す訳でもなく会見があった分だけそれなりのスペースで載せているだけ。悪逆非道な振る舞いだとかいって糾弾する訳でもないし、やっぱり国民性がああだからモラルもどうとかいった国全体を侮辱するような言い回しもしない。これが韓国や中国の企業だったら? 考えるとその非対称性にやれやれとなるけれど、自分が推したいところはとことん推しまくって非難したいところだけ非難しまくる体質は昔からあから仕方が無い。でもそういった不公正さは世間は先刻ご承知だから、いずれ見放されていくだろう。やれやれだ。

 というか、そんな未来をぐっと引き寄せるような妙な事態が。いわゆるネットワークビジネスというものを手掛けている企業は、その手法にいろいろと不穏なところおある関係で一般紙と呼ばれるところは経済面で取り上げることをあまり頻繁には行ってこなかった。そして系列の産業専門紙とか夕刊紙が取り上げることによってトータルでお金に換えてきた部分があるんだけれど、そうした媒体で意味がないと感じたからか、とくに喫緊のニュースでもない内容の記事が、代表者の写真が入ったインタビューとして経済面に堂々、掲載されてしまった。

 他紙になんかもちろん載っていない記事だから、ある意味では独占インタビューってことになるんだけれど、その内容が今まさに世界が必要としている記事かというと、あくまでも自社のメセナ的な活動の報告であって、それを敢えてインタビューで語る必要はない。読者が必要なのは企業が本来の活動として行っていること、製品でありサービスがどうなるかであって、被災地の支援を経済面で掲載する意味はあまりないにも関わらず、載せてしまっている状況を見る人が見ればそういうことだろうなあと思ってしまうだろう。それは当該の企業には目出度い話でも、同じ経済面に載ってる普通の企業は、そういった企業のあまりにもな記事が載ってしまっている新聞を、信頼に値しないと考え相手にしなくなるかもしれない。そういったリスクを抱えてなお縋らなくてはいけない状況はつまり、尻に火が着いているどころじゃないってことなんだろう。参ったなあ。

 何かがもう完全にどこかが焼き切れているのかもしれない長谷川某。どうやら交通違反か何かを起こして免許取り消しか免許停止あたりの可能性があって、警察側が処分の妥当性をはかるために聴聞会を開いて話を聞くため呼び出した話を、最初は知らない自分のことではないといった態度を見せ、デマだから訴えるかもとまで言って脅して取材にも「僕も(呼び出されているという話なんて)聞いたことないんですけど」「いや、デマに決ってるでしょ、それ。本当にもう『犯罪』として、選挙終わったら速攻で被害届出しますので」と言っていた。

 けれども、住所はいっしょで隠しようがなく、追究が及んだら今度は違うあれは呼び出されたんじゃなくて、京葉道路を高速道路と間違えて飛ばしていたら超過していて、そして覆面パトカーに捕まってしまったんだけれど周りを見てよもっと飛ばしている人たちがいるのに、どうして自分ばかり捕まえるのとプンスカして、文句言いたいんで公聴会を開いてと求めただけなんですよと言い始めた。おいおい。他の車がもっと速かろうとも自分だって速かった訳で、それを認めた上でけれども言うならまだしも自分は悪くないと言っているに等しい態度。こういう態度の人間が政治家になって贈収賄で捕まっても、みんな賄賂もらっているのに自分のは金額が低いから無罪でしょ、って言い出しそう。

 そうした反省がまるで見られないのも問題だし、自分から言って公聴会が開かれる制度なんてないにも関わらず、言い訳に言い訳を重ねて言いつくろおうとしたけれど、土台が嘘だから全部嘘になって崩れてしまうという、いつかの透析患者に対する誹謗発言と同様の事態を繰り返していることも問題。でも、当人にそうした自覚もなければ自省もないところに、やっぱりどこかが焼き切れているといった印象を抱く。どうして誰も止めないんだろう。引っ張り出した政党は諫めないんだろう。それはその政党もやっぱり焼き切れているから? そうかもなあ。


【10月16日】 海外の方で東武動物公園にあるペンギン舎の中の岩に「けものフレンズ」に登場したペンギンキャラクターのフルルと、そのパネルに見入っていたことで世界に知られたグレープ君とが寄り添ったパネルが立てられてる画像が出回っていて、それがコラだからあんまり喧伝するなといった話もあったりして、なるほど確かに虚偽であって14日にグレープ君の死去を悼みに東武動物公園に行った時には、献花台の横に吉崎観音さんが描いたその絵が立てられてはいても、ペンギン舎の岩の上には何も立てられていなかった。

 ただ、当該の画像が流れて来たのを見た時に、そうあって欲しいなあと思って嬉しくなったのも事実で、誰もが抱いていたそうした気持ちを代弁してくれたものであって、デマというより愛すべきコラだといった認識で眺めていたりする。いつか叶ってくれると嬉しいけれど、恒久的に置くべきかというとそれは別の話で、「けものフレンズ」という作品とのコラボレーションの中で生まれた一瞬の出会いは、コラボレーションが終わりそして当事者もいなくなった今は思い出の中に留めておくのが正解だ。ペンギン舎は何もグレープ君とフルルのためだけのものでなく、他の色々なペンギンたちもいてそれぞれにスポットが当たって欲しいと思うなら、過去をいつまでも引きずって置いておくのは失礼にもあたる。

 とはいえ、このまま永久に封印してしまうのも寂しい話なので、例えば予定されていたグレープ祭りの代わりとなる、グレープ君を悼み送るようなイベントに合わせて改めて立ててその存在を忍ぶようなことがあれば良いんじゃなかろーか。その日限りの復活であり新生であってそこから旅立っていくという儀式でもあるから。そんな場で飼育員さんから思い出を語ってもらい、来た人たちも思いを吐露した後で全員が「大空ドリーマー」を合唱するとかあれば、踏ん切りもついて良い思い出にもなる。是非に企画をして欲しいけれど、実現する可能性はあるのかなあ。まずはあの絵がパネルになるかどうかか。吉崎観音さんの許可がとりあえず必要か。その厚意を商業的に利用するのではなく、思い出を昇華へと繋げる儀式に必要だからとお願いすれば叶うかな。

 やっと観た「Just Because」の第2話がまたリアルに高校生たちの“日常”を描いていてキュンと来た。これを日常系と言ってしまうと今の4コマ漫画から来たSFでもファンタジーでもない平凡な日々をコミカルさも含めて描いた作品と混同されてしまうからそうは言えないし、「日常」と行ってしまうとはかせの顔が思い浮かんでしまうからこれも違う。じゃあ何と呼ぶかとなればもはやJust Because系とでも言うしかない、それだけの独自性を今のこの時代に持っている。

 「月がきれい」とか「true tears」なんかも似てはいるけど、共に絵がいわゆるアニメに寄っていた。「Just Because」はそこからもうちょっと実写に寄せつつ、アニメとして観られる絵にして描いているところがやっぱり独自と言えば独自かもしれない。それはともすれが特長がなくフックが乏しく観てもらえないデメリットをはらむけれど、そこをこの作品ではストーリーの妙、キャラクターたちの心理状態の描き方の巧みさでもってしっかりと引きつけ見入らせる。泉瑛太からホームランを放って告白すると決めた相馬陽斗だったけれど、見つけた吹奏楽部だった森川葉月に暇かと告げたところに現れた瑛太と夏目美緒も誘わざるを得なくなり、ついて行かざるを得なかった2人に加えて葉月の弟2人と葉月の友達の乾依子の大所帯で新江ノ島水族館へと赴く。

 姉に私服のコートを貸してと葉月の妹が頼んだところにあの家の家系の大変さといったものが伺える。一方で受験を決めたもののまだ先をどうするか迷っている美緒の中流めいた環境も見えて、そうした様々な境遇を背景に持った人たちがこの社会には生きているって当たり前のことを感じさせる。帰ればどこも同じ一軒家、なんて日常系はやっぱり日常ではないものなあ。そしてメッセージアプリを使っての写真やメッセージのやりとりは、今のこの時代といったものをそこにしっかりと刻み込む。10年後にこれを観た人たちが何を思うかが気になるけれど、携帯電話で話しているアニメーションを今見ても普通と思うのは僕がそういう時代を経験しているからで、そうでない人が携帯に覚えた違和感が10年後、違うコミュニケーション手段をとっている人たちにも同様にメッセージアプリに対して抱くのかもしれない。

 ただ、ツールは変わり環境は変わってそもそこに生きている人たちの生活様式までもがガラリと変わることはない。家計に差があって暮らしぶりにも格差があって性格も違うし目的も違った人たちが集まり、触れあい重なり合いながら生きている高校なり学校といった環境と、そして青春を生きる少年や少女が抱く恋心や将来への不安や諸々の気持は、10年前も同じだったし10年後だって一緒だろう。そういう人たちにも「Just Because」はきっと届いて何かを感じさせるアニメーションになるはずだ。永遠に語られ記憶に刻まれる作品になると行っても過言ではない。そうなることを願いつつ、物語で誰もが幸せになって欲しいと思いながらこれからの展開を観ていこう。年末はとりあえず湘南モノレールに乗りに行こうかな。瑛太や陽斗や美緒や葉月が吸った空気を味わいに。

 オシャレ方面で押して毀誉褒貶を浴びながらも最終回をロングバージョンで作ってしっかりとオリジナル展開をまとめ上げたアニメーション版「血界戦線」から一転、監督も美術も代わった「血界戦線&BEYOND」は、内藤泰弘さんの漫画の雰囲気をそのまま映像にした感じで展開も掛け合いも同じテンポで、なるほど漫画の世界が観たかった気持にはとってもピタリとハマる一方で、だったら漫画読んでれば良いじゃないかといった気持もこれありで悩ましい。まあ漫画では例えばチェイン・皇があんまり喋らず寡黙な中に突っ込みを入れてるキャラだけど、アニメだと小林ゆうさんのぞんざいさが混じってキャラが立ってる。それが漫画のようにイジられたりすると思うとなかなか興味をそそられるんで、賭博で寄生虫入りのビールをスルーさせた場面とか是非にアニメ化して欲しいけど、無理かなあ、傍目にはお漏らしに見えてしまうし、違うんだけれど,傍目には。

 今もってFateシリーズは最初のテレビ版「Fate/stay night」が大好きで、オープニングは1期の「disillusion」こそが至高と思っている頭ではあるけれど、それでも世代が1つ上がった「Fate/zero」シリーズはまるで無関係な「Fate/GRAND ORDER」とは違って同じ衛宮士郎と遠坂凜とセイバーとアーチャーが出てくるシリーズなだけに、やっと観た「劇場版 Fate/stay night[Heaven’s Feel]T.presage flower」はそれなりに過去の思い出をたぐるようにして見ていけた。もちろんセイバールートではなくイリヤのルートでもない間桐桜のルートとも言える「Heaven’s Feel」では登場人物たちの出方も行く末もまるで違っているから、そうかそう来るか的な感覚で見て楽しむことができた。

 長く割かれていたのが桜と士郎との関係で、いきなり通い妻的に士郎の家にご飯を作りに来ては藤村大河となれ合っている訳ではなく、惹かれ合うものがあって行かざるを得ない状況めいたものもあって近づいていったからこそのその時があって、そしてこれからがあるんだと解らせてくれる。一方で、聖杯戦争がどういった状況で起こってそこに士郎がどう巻き込まれていったかはすっ飛ばし。凜がアーチャーを呼び出したところもなければ士郎がセイバーと出会うところもなく、連れて帰って大河と桜に紹介をして同居を始め、そして士郎が戦いに挑んでいくといった具合にセイバーと士郎との関係にあまり重きが置かれてない。それはたぶん、「Heaven’s Feel」という作品全体のテーマとも絡んで、その2人ではない士郎と桜にフォーカスを合わせた展開になっていく、ってことの現れなのかもしれない。

 バトルロイヤル的な魔術師とサーバントによる聖杯戦争のはずが、間桐慎二はあっさりやられてライダーは退場し、そしてキャスターも葛木宗一郎ともども謎めく真アサシンによって退場へと追い込まれる。さらにはランサーまでもが。そうやっていきなり減ってしまった残りのイリヤスフィール・フォン・アインツヴェルンが操るバーサーカーと誰が呼んだかなギルガメッシュ、さらに真アサシンくらいが残って丁々発止するだけではビジュアル的に寂しいと、再びのライダーの登場となっては真アサシンにやられて寝転ぶ士郎の眼前にそのお尻を突き出してみせる。見えたかなあアンダーウェア。というか履いているのか。そもそも誰のサーヴァント? ってあたりが引っかかりつつセイバーを失った士郎がそれでも主役然としていられるのはなぜかを想像しつつ、これからの展開を見ていくことになりそう。次は2018年とだけあったけどいつなのか。気長に完結を待とう。


【10月15日】 東武動物公園のフンボルトペンギンで「けものフレンズ」のフルルのボードをずっと見ていたことで名前を知られたグレープ君が死去した件。献花台には初日から大勢が訪れ献花しメッセージを寄せていたけれど、ニュース自体も日本よりはむしろ海外で大きく取り上げられていて関心の高さってものを伺わせてくれた。英国のBBCなんかはサイトに長い記事を載せていたし、やっぱり英国のデイリーメイルも早くにその死去を紹介していた。ミラー紙とかフリーペーパーのメトロ紙なんかも取り上げていて、意外な英国での人気ぶりってものが垣間見えた。何か琴線に引っかかるんだろうか、ペンギンの老いらくの恋ってものが。

 あとはアジアでインドなんかが見たら2紙くらいが紹介していて、末尾に「さようなら、小さな友達」ってコメントを添えていたところもあって、ライターさんが情報としてだけでなく感情を持ってグレープ君の死去を受け止めたってことが伺える。ミラー紙もそういえば私たちは泣いてなどいない、それは別の何かだ的な強がりとやせ我慢を言葉にして載せていて、却って悲しみって奴を感じさせてくれた。そういう小粋な言葉が日本の媒体ではほとんど見られないというか、新聞だと毎日新聞が現地に行って写真も撮って伝えているくらいで、あとは時事通信は初日の午前10時には来て映像とかコメントととかを揃えて記事にして流してた。

 映像にはグレープ君の面倒を見ていたペンギン担当飼育員の山田篤さんが登場して、どんな具合だったかを話していて、割と急変したことが見えてきた。そりゃあ直前まで「グレープ祭り」と称してペンギンのトークをするイベントを告知していたんだから驚きだろう。ご飯を食べるんだけれど体重が減っていく異変があって、これはちょっと様子を見た方が良いと裏側に引っ込めたのが10月10日。けれども良くはならず11日は立っているのもやっとになって、そして点滴とかを受けたものの12日に入って息を引き取ったという。どういう病変かはまるで想像がつかないけれど、もとより歳も歳なんでどこかがずっと悪かったのが、急に出てしまったのかもしれない。

 そうした変化も含めてしっかり調べることが、動物園が動物を囲って飼い続ける意義でもあるから解剖その他の処置は当然。可哀相とか行って除外する方がその死を蔑ろにしてしまうものだから控えたい。ただやっぱり献花台だけでは限られた日数の中で来られる人と来られない人の差が出てしまうんで、改めてお別れの会めいたものを開いてそこで皆の気持ちを落ち着かせつつ、今一度、東武動物公園にいる動物たちへの関心を高めてもらうようにしてくれたら嬉しい。時事通信の動画で飼育員の山田さんは、グレープ君の存在から他のペンギンの名前へも関心が及んだと話して、ただのペンギンが個としての存在になったことを喜んでいた。それは他の動物たちにも言えること。その気持を改めて持ってもらう機会を是非。

 立憲民主党の勢いが凄いようで、街頭に立てば100人単位どころか1000人を超える人が集まり枝野幸男さんの言葉に耳を傾けるという。前々からクレバーでそしてリアリティのある言葉を述べる人だたけれど、右も左も空論に終始して上から脅しにかかるような言説が多い中で弱腰かと見做され目立てなかった。それが右も左も行き過ぎて空論どころか暴論から妄論へと流れる中で、真っ当な言葉を話して明日をいっしょに考えてくれそうな人に出会えた。ならばと集まりその言葉に耳を傾けようって気になるんだろう。その勢いがはたして投票日まで続くかが目下の大事ってことになる。

 さっそく、その足を引っ張ろうと公明党の偉いさんが2011年3月11日の東日本大震災後の時に官房長官だったのが枝野さんで、そして菅総理とともに原発事故の対処を謝ったとか言っている。らしいけれど、だったら公明党も含んだ今の政権だったら原発事故が止められたのかって話になる。そりゃあムリだろう。だって津波は避けられなかった訳で、それで電源が喪失した中で官邸が出来たのは東京電力を監視すること。それでもケーブルを間違えるポカをやり逃げだそうとして怒鳴られる失態を見せた。これが今の政権だったら締め付けないで逃げられ大変なことになった可能性だって考えられる。

 だいたいが津波対策を怠ったのは今の与党と同じ政権だった訳で、なにより政権とってもうすぐ5年経つのにいったいどれだけのことを成し遂げたか。それを言えないで当時を非難したって誰も聞き入れはしないんだけれど、そういう言葉を率先して報じて味方をしようとするメディアがあるからなあ。とにかく野党側への批判だったらその真否とか考えないで垂れ流す。サンデーモーニングでコメンテーターが野党に投票促すかのような発言をしたって書いても来たけど、読んだら野党のビッグバンが起こるかと前置きしても、ビッグバンを起こせとは言っておらず起こさせないと受け止める人もいて応援になってない。野党結集は尻すぼみしたと言った後で選挙に行けと言っているだけで野党への投票を促している訳でもない。でもそう書くとそうかと思わせ野党憎しを募らせる現れる。そんな書き方ばかりしてて呆れられないのかと思うけれど、内輪で受ければそれで勝ちって状況にでもなっているのかなあ。やれやれだ。

 ICAF2017で見てなんだこれはと驚いて、ネットで全編を見てやっぱり凄いとひっくり返った内沼なつみさんによる日本大学芸術学部の卒業制作となるアニメーション「最終ロケット・イェイ&イェイ」が上映されるってんで昨日に続いて練馬アニメカーニバル2017へ。何と専任講師で映像作家で「快速特急ガタゴトフィルム」を作った人で、そして何より「この世界の片隅に」で強く印象に残るノーマン・マクラレン風の映像で衝撃のシーンに続く暗転の中での慚愧を描いた野村建太さんが解説をしながらの上映で、それで初めてネットでは飛ばされている第5話「みりん2」が飛ばされた理由が分かった。

 上映の後に作者の内沼なつみさんが第5話も入ったDVDを配っていて、もらって見たらやっぱり納得の“封印作品”ぶりだった、ってことではなくてこ、卒制の時間既定を超えてて落とすならどれが全体から関係が薄いかを考えて、これになったといった解説に納得がいった。とはいえ上映版とかネット版で飛ばしておいたことが、逆に“封印作品”っぽさを醸し出していたから、その意味では怪我の功名だったのかもしれない。大きなスクリーンで改めて観ると、いろいろ細かな芸が伺えて面白かった。斜めに切って影入れるとか、絵は下手そうでも動きなんかに巧さがあるとか。あとは隅々まで油断できない言語感覚。ゴマはゴマでもごま油。意味は分からないけどそうかと納得できてしまう。不思議な作品。次はどこで上映を観られるだろう。

 そんな練馬アニメカーニバル2017での日大芸術学部制作作品集、篠原任成さんの「Rise in the world」はホームレス的な男が見上げたペントハウスで豪華に食事をするかつての同級生に近づこうとして阻まれる。良いアイデアが浮かんだけれど休むに似たりな感じ。身につまされるなあ。小寺竜輔さん「NEXUS」は人間をどこまで点だけで最低限人間として感じさせられるかに挑戦したテクニカルな作品。そうと思えばそう見える、的な。大川哲さん「Mr.Smoke」は煙の増えて広がり浮かび散る表現がちゃんとそう見えた。ユニークだったのが佐藤勇希・鈴木健生さんの「ハピネスを、ふちどって」で、インスタめいたハピネスにイイネを求め続ける姉が弟を巻き込みエスカレートしえいく様に戦慄。それを描く絵柄のサウスパーク的ビジュアルや胴体から離れた手の扱いに脱帽。こういうのが出てくるから学生のアニメーション作品を観るのは止められない。


【10月14日】 映画「ブレードランナー」について語るとき、僕があまり語るべき言葉を持っていないのは1982年の劇場公開を観ていないからだろう。それどころか劇場で「ブレードランナー」を観たのは2017年10月13日、すわなち昨日に丸の内ピカデリー3で開かれた爆音映画祭で「ブレードランナー ファイナル・カット」が上映された時が実は初めてだというからまったくの素人とさえ言えるかもしれない。じゃあ観たことがないかというと東京に来て(千葉だけれど)ビデオデッキを買ってVHSの「ブレードランナー 最終版」を買って観たことがあるし、その後もDVDを買ったりして幾度か観たものの他のバージョンについて眼を更にして違いを見比べるようなことはしていない。「最終版」と「ファイナル・カット」の違いも実はよく分かっていない。

 もちろん「ブレードランナー」という映画の存在自体は公開前から知っていた。「SFマガジン」を読んでいたからP・K・ディックに「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」という作品があってそれが映画になるという情報も得て期待はしていた。雑誌の「POPEYE」にも確か紹介が載っていて原田眞人監督によるレビューも載っていたかもしれない。デザインを手掛けるシド・ミードという名前も知っていたし音楽のヴァンゲリスは中学時代に流行ったテレビ番組「COSMOS」で印象的な音楽を作った人として記憶していた。

 だから観に行って当然だったかというとその頃はまだ高校生で、映画1本を見に行くことすらなかなかに困難な時代。そうこうしているうちに上映も終わってしまってその後、大学に入ったあたりでリバイバル上映があったようで前売券を買ったもののこれも行かずに終わってしまった。だったら見たのはVHS版を買った1997年ごろかとうとたぶん、テレビで吹き替え版が放送されたのを見ているような気がする。ラストシーンに近づいてプリスが回転してロイ・バティがホッハッを叫びながら走り回るシーンがやたらと記憶に残っているけど、それもVHS版を見て以降の記憶が混じっているかはっきりしない。

 かように偉大な映画と知りつつ敬いつつも劇場まで行くほどのものかと思っていた映画「ブレードランナー」をやっと劇場で見た。感想は? やっぱり映画はスクリーンで観るのが良いなあ。顔のクローズアップもテレビではドラマサイズだけれど、映画館で観ればスクリーンいっぱいにデッカードの顔やレイチェルの顔やロイ・バティの顔が広がる。あの苦悩に観ていたり逡巡に溢れていたり唖然としていたり。そんな葛藤が表情に表れていることがよく分かる。そして都市。俯瞰で遠くまで見える都市のマットペイティングな描写もスクリーンだからおそ広がりを持って感じられる。本当に空から観たような気になれる。これはやっぱり映画館で観る映画だ。そう思ったので今度上映があったらまた行きたいけれど、出来れば長く観ていた「最終版」が観たいなあ。違いはよく知らないけれど。本当に何が違うんだ?

 亡くなったグレープ君への献花を行いたいと朝から起き出し東武動物公園へ。とはいえ花なんて買ったことがない上に朝も早いためどこで帰るか分からないから花屋を探したものの見つからないし何か高そう。それならと乗換駅の南越谷でスーパーマーケットを探したら朝の9時からイオンが開いていたんで寄って食料品売り場の隅っこに店を構えていた切り花のコーナーから仏花としてまとめられていたものを1束買って手に下げ東武電車に乗って東武動物公演へと向かう。午前9時半のオープンから少し過ぎたあたりで門まで到着して、そこから歩いてペンギン舎へ。前を歩く人も手に花束を持っていたから、自分ひとりじゃないと安心する。

 それどころか到着したペンギン舎の横の献花台には既に何束もの花が置かれて賑やかに。グレープ君のパネルがあってフルルのパネルも置かれてそして、吉崎観音さんによるグレープ君模様になったあれはフルルかフンボルトペンギンがグレープ君とともに描かれたパネルがあって、10月13日の日付とサインも入れられていてその死を悼んでいることが伝わってきた。例の騒動からなかなかツイッター上で発言できる状況にはないようだけれど、こうした場面でしっかりと動物たちのことを考えメッセージを寄せるところは、やっぱり好きで立ちあげた企画なんだ「けものフレンズ」はといった印象を強く抱く。だからこそここで途絶えさせないためにも、僕たちがグレープ君と出会うきかけを付く手くれたアニメ「けものフレンズ」にまとわりついた暗雲を晴らし、次なる展開へと至って欲しい。そんな日は来るか。グレープ君がかすがいとなるか。今はそんな期待を抱きつつ、ありがとうとグレープ君に言って送りだしたい。黙祷。

 ぐるりと回って練馬へと行き練馬アニメカーニバル2017で実施の映画「この世界の片隅に」の大ヒット感謝祭とやらを見物する。その前に手前の建物で行われていた展示の方も観て「この世界の片隅に」の原画の複製とかがあってすずさんお顔の原画と修正が並んでいたけど素人目にはうまく違いが分からない。でもきっとフィルムになると違った印象になるんだろうなあ。「昭和元禄落語心中」とそれから「映画名探偵ホームズ」の2話分の上映もあってそうかこんなに「昭和元禄落語心中」は落語の演技があったんだと今粗ながらに知る。声優さんも大変だっただろうなあ。「名探偵ホームズ」はやっぱり柴田さんの声の方が落ち着くなあ。広川太一郎さんだとこの頃だと剽軽なイメージが滲んでしまってちょっとズレるんだ。

 そして感謝祭には片渕須直監督のほかにプロデューサーの真木太郎さん、径子さんの声を担当した尾身美詞さん、そしてリンさんの岩井七世さんが登壇してあれやこれやとおしゃべり。今でこそこの人しかいない径子さんの尾身さんだけれど別のプロフィルが監督の下にいったり違う担当パートが渡されていたりとガタ付く中、直感からか径子さんが晴美さんを連れて出戻ってきた時にすずさんと会話するシーンをやってといわれてやってそれがハマって起用となった話をしてくれた。偶然ってあるんだなあ。ご本人は「この世界の片隅に」が大好きで大好きでどうでも出たいと思っていたけどその直感がなかったらどうなっていたか。映画も違った印象になったかも。結果論だけれどそのプロセスに神はいる。そういうものだ。

 岩井さんはすずさんの役にのんさんが決まった後にどういうバランスにするかから選ばれたといった感じ。いわゆる花街の住人だから艶っぽさもあって不思議は無い声で、それを意識していたらすずさんと同年代で関係としては友人で、気兼ねなくしゃべれる人といった感じで可愛らしさの残る岩井さな選ばれたらしい。時に見せる大人びた雰囲気も厳しい世界で生きるリンさんにぴったり。でも出番はあの朝日町での出会いくらいであとは回想シーンのひとことで、すずさんと友達になったような会話のシーンはない。当人も物足りなかったようでもっとやりたいと言ったそうだけれど、果たして会話が重ねられるシーンは作られるのか。それはいつか。待つしか無いなあ、いつかのその日を。最後に真木太郎さんが海外で嬉しいことがありそうだと話していたからきっとアカデミー賞の受賞だろう、あるいはノーベル賞、ってまだ決まってもないけれど、アカデミー賞のノミネートくらいは行ってもらいたいなあ。


【10月13日】 チラと見た「Wake Up, Girls! 新章」のライブシーンの、これまでの作画ではなく3DCGになって感じた印象に、ヤマカンさんがどうこうというより作品としてどうなんだといった印象がやっぱり浮かんでしまったり。スタート時からこだわって、ちょっとしたズレとかそれぞれの個性なんかもしっかり描いていた作画によるダンスシーンが、3DCGによる人形劇のようになってしまっては、前のをアニメーションによる映像のひとつの形として評価していた人たちはあれって思うだろう。一方で主体を中の人、アイドルユニットとして活動しているWUGに置くなら、そのアバターが2Dでも3Dでも歌って躍ってくれていれば良いという考えもあるのかもしれない。

 ただし企画の発端が東北における震災から復興にあって、主体を地方で思いを抱えた少女達が結集して飛び出していくドラマであり、その登場人物たちに置いたとき、2Dによる作画も含めてそこにリアルを感じていた意識といったものがあって、それが表層としてのアイドルが具現化されたような3Dのダンスシーンに衝撃を受けただろう。どこに行ったんだ自分たちの愛したWUGは。そんな感じ。とはいえ中の人たちは、もはや歴としたアイドルユニットであって、発端のアニメのドラマのキャラを重ねられ続けてはたまらないといった思いもあるかもしれない。そうしたドラマがあってこそ巣立てたユニットでもあって、消し去りはできない中でいろいろと葛藤しているのかもしれない。どうなっていくんだろう。スパッと切断をするのか否か。見ていこう。

 なんだこりゃ。フェイクニュースの検証というから世を惑わす甘言をチェックし事実かどうかを検証していくファクトチェック的なものかと思った日本ジャーナリスト教育センターとやらによる今回の選挙戦におけるさまざまな言説に対するチェック運動が、大げさな見出しに対する揚げ足取りめいた活動になっていて、これでいったい何がどうなるんだといった気分。辻元清美候補者は「大発狂」していない。そりゃそうだろうしそういう見出しをつけるメディアの酷さには呆れかえるけれど、それなら「大発狂」とつけた根拠を問い質し、一方で自分たちがそうでないことを“証明”しなければフェイクかどうかは断定できないにもかかわらず、ただフェイクと判定したとのみ描かれている。

 どうやって確証を得たんだろう。本人に確かめた? 精神科医の診断書を取得した? そうでないならこれもまたフェイクではないとはいえない言説。そんな印象のおっかぶせあいを横目に、立候補者の甘言に世間は弄されていく。立憲民主党という商標が出願中か取得済みかは事実関係を確認できるからフェイクと断じて良いけれど、それで問題の何が変化する? かの大量出願社の行為が無意味なことは法律家たちによって指摘されている。だからどっちも無意味だとまで記してこそ意味があるのに、商標登録の出願中という“事実”は残ってそれで迷いが生まれる可能性もあったりする。フェイクか否かよりファクトの可否、それを論じてこそのジャーナリストって奴なんじゃないかと思うんだけれど。僕のことはさておいて。

 プリパラだプリパラだ、プリパラがVRなライブになるってんで横浜にあるDMM V R THEATERってところに行って「アイドルタイムプリパラ み〜んなあつまれヨコパマ! ゆめかわマジカるライブ」の試写イベントを見る。ライブといっても基本的には映像で、そしてVRといってもハーフミラーに映像を投影して立体的に見せるという、初音ミクのライブなんかで使われている手法で、それが常設で見られるシアターってところがちょっと珍しいかもしれない。場所も横浜駅から歩いてすぐだし、これを機会に演目を吟味してちょっと通ってみたくなった。もちろん今回の「アイドルタイムプリパラ」のライブを筆頭に。

 内容はといえば主にゲーム筐体の「アイドルタイムプリパラ」で使われてるだろう3DCGのキャラクターのモーションを投影していろいろと寸劇をやらせ、そしてライブパフォーマンスを演じさせるといったもの。途中、アニメーション的なシーンにもなるけどそこはハーフミラーから離れて奥の大型ディスプレイにシーンを投影させるって感じで、そうやって手前から奥、そして手前といった変化を見せて奥行きを出している。映像の立体感と空間の奥行きが、映像であってもリアルにそこにいる感じを増しているって言えるかも。CGじゃなくて実写の投影だったらよりそこにいる感が高まっただろうなあ。そういうライブもやっているみたいだいし。

 「アイドルタイムプリパラ」がメインなんで主役は主に夢川ゆいで進んでいくけれど、神アイドルとなった真中らぁらを始めそらみスマイルのメンバー、そしてドレッシングパフェのメンバーも登場して持ち歌を歌ってくれるから「プリパラ」のファン、そして演じているi☆Risのファンも見て楽しめるライブになっていそう。あの名曲「Make it!」をソラミドレッシングとそして夢川ゆいの7人で歌うシーンなんかもあって泣いちゃいそうになる。ほかのユニットもいっぱい出てくるからファンなら行って損なし。声優さんを観に行くんじゃなくてキャラクターとしての「プリパラ」であり「アイドルタイムプリパラ」が持つ人気度合いってのを確かめられるイベントだ。

 ライブ以外では初音ミクの登場とグッズの販売とかパネルやフィギュアとの記念撮影とか、いろいろ遊べる要素もあって行けば浸っていられそう。人気もありそうで、当初には予定に入っていなかった11月6日から12日までの21公演も決定。アーティストが実際に歌い躍る訳じゃ内から1日3回の7日間連続休養日なしの公演も可能なんだろう。そういう意味ではバーチャルアイドル最強かも。作品自体にスキャンダルがなければ永遠に使い続けられる“タレント”でもある訳あし。それにしても冒頭で、夢川ゆいがマグロ御苑の新米船長を想像してその多忙な毎日を考えつつマグロをご飯と食べることを強く思ってる展開とか、どうしてそうなった的なユニークさ。そういうところが「プリパラ」の底堅い人気を支えているのかもしれない。追加公演でそらみスマイルのメンバーが登壇する日もあるんでチケット、探してまた行ってみようかな。

 嗚呼。10日に体調不良で展示が中止されていた東武動物公園のフンボルトペンギンで、「けものフレンズ」に登場するペンギンアイドルユニットPPPのメンバーにしてフンボルトペンギンのフルルをかたどったパネルに反応して、長く見つめている姿が全世界的に話題になっていたグレープ君が12日に亡くなっていたことが判明。その日の夜にニコニコ生放送で東武動物公園からコツメカワウソの解説をやっていたくどうおねえさんが登場し、フルルを演じた築田行子さんも交えた番組の配信があったんだけれど、その時点ですでに亡くなっていながらも番組では触れず、築田さんも知ってか知らずか快癒を願っていたところがちょっともの悲しい。同時に伝えて混乱が起こるよりもまずは番組をスムースに終えることが大事と伝えなかった可能性も想像して、「けものフレンズ」譲りの優しさが根付いているんだろうかと思ったりもする。真偽は不明。

 凄いのは日本のメディアだけではなく海外のメディアや掲示板でも話題になっていることで、イギリスの大衆紙のデイリー・メイルが早速取り上げ、そして英国ではNHKに匹敵する大型メディアのBBCでもグレープ君の来歴や家族関係なんかを紹介しつつその死を全世界委に伝えていた。バリューがあるって判断なんだろう。そうやって世界がグレープ君を知っているのは、「けものフレンズ」への関心が世界的だったりするからで、そんなタイトルが今、直面している問題についてこうした寂しいけれど、同時に世界に知られていて嬉しい気持も抱きつつ、ちょっとばかり膠着状態にあるところからグッと動いていって欲しいもの。どうなっていくんだろう。そして世界での報道の輪はどこまで広がるんだろう。ちょっと気になる。


【10月12日】 投票棄権の賛同者を集めていると言われ非難されているあずまんこと東浩紀さんの言動だれど、ああれは自分も投票に行くならどこに投票するかを表明している訳で、別に棄権しろと言っている訳ではなく棄権してえなあといった思いを抱いている人たちがどれだけいるかを“可視化”するための装置であって、そうしたい理由は何かと考えさせてこの意味不明な解散っていったい何だよ税金たっぷり使っていったい何がやりたいんだよといった憤りの表明を世間に見せ、また憲法改正とか消費税率アップといった課題について旗幟鮮明にする効果があるとか言っても、それで細切れになっていったら野党の存在する意味がないじゃん、与党の方がもっと大ぐくりで剛柔混ぜて言ってくる訳で、それに勝てないんだったら分裂なんて阿呆じゃんと訴えていると取れなくもない。というかそういう意味ななんだろう本人的には。

 野党もたとえ野合と呼ばれようとももうちょっと、境界を曖昧にしてもっとふんわりやろうよ、そして徒党を組んで自民党的じゃない何かを作ってこの国を善くしようよといった意識を抱いている人が割といることをアピールする、そんなつぶやきでしかなくって、それをこの選挙で衆目が集まっているタイミングで言わないと広く届かないから言っているだけのことであって、だからといって選挙に行かなくても良いとは言ってなかったりして、人物本位で決めようと添えつつ終わってから改めて、この選挙の無意味さをちゃんと思い出させるために署名という数字をしっかり作って考えていこうといったものなんだけれど、世間的には棄権しようぜとしかとられないところに当人のパーソナリティってものもあるんだろう。

 世間から自分自身を主体として立つ、すなわち立候補して政策を訴え広く支持を訴えるといった覚悟がなければ、何かを選択するしかない制度において思考実験であっても棄権といった行為を推奨するような雰囲気を醸し出すのははやっぱり、甘えになってしまうといった声も出ていて、それは確かにそうなんだけれど実際問題、立候補しても当選できなければ意味はまるでない訳で、選択できる範囲から妥当性の高いものを選びつつ、それでもやっぱり無駄な選挙だった棄権に値する、だからそうでないタイミングで選挙が行えるようにするべく署名によって働きかけていくといった言論活動を行うことに意味はある。そういった説明を言葉を省略せずに行うことができればもうちょっと、共感も集めてこの選挙をバカバカしいと感じた人の数を可視化できただろう。その意味ではもったいないかも。だからとりあえず選挙には行こう。そして選ぼう最善を。

 無愛想な天才と一生懸命な凡才の組み合わせが事件を解決へと導くアイダサキさんの「サイメシスの迷宮 完璧な死体」(講談社タイガ)に対してこちらは破天荒な美少女にして底抜けの頓珍漢と聡明にして下僕の少年が突っ走っては壁にぶち当たり、それを乗り越え蹴飛ばし突破して事件を無理矢理にでも解決するような展開が対称的な御守いちるさんによる「霧ノ宮先輩は謎が解けない」(講談社ラノベ文庫)。ヒロインはタイトルロールの霧ノ宮才華という少女でご令嬢でそして名探偵。ただし自称。誰かの死がヒガンバナのビジョンとともに見えるというある種の異能の持ち主で、それで当該の人を訪ねていってお前は死ぬとか言い出す無茶苦茶さはあるけれど、それで惹かれ何もしないまま事件が起こってかけつけて、推理はするけどことごくが当たらない。

 事件い限らず学校内でも問題が起これば現れ推理めいたことを言うけれどもそれらはただの思いつきで簡単に論破されてしまう。それを補佐するのが同級生の日下部秀一という少年で、間違いを正しつつ条件を示しながら状況をクリアにしていく役目を果たしている。もはやワトソンだけでなくホームズでもある日下部と、金田一耕助の等々力警部なみに無用な霧ノ宮才華だけれどそれでもやっぱり才華の行動力は素晴らしく、とある学校で女子生徒が殺され首を切断されて飾られた事件の発生を知ってはかけつけ制服を調達して忍び込み、そして殺害された生徒の評判を周囲から無理矢理聞き出していって真相へと迫っていく。容疑者らしい不登校の少女がいたら家まで行ってピンポンを鳴らし続けて帰らず相手が根負けして出てくるまで待ち続ける鬼畜ぶり。それでも押しの強さで強引に話を聞き出す才能もあるいは探偵に不可欠な要素なのかもしれない。そんな才華と秀一の不思議なコンビが知った事件の真相は。そこに才華の役目はあったのか。読んで確認してみよう。お嬢様でお金持ちには勝てないってことが分かるはずだから。

 もうすっかりベテランに竹岡葉月さんがコバルト文庫ではなく集英社オレンジ文庫の方から1冊。「放課後、君はさくらのなかで」はブラック企業から転職した先がやっぱりブラック気味で入社早々に残業を押しつけられて帰るに帰れず終バスを乗り過ごし、電車出帰ると大回りで徒歩までついて大変だからと嘆き憤っていたら車に跳ねられ死んでしまった市ノ瀬桜。そして目覚めると円上咲良という名の女子高生の体に入っていて、そのまま学校に通い始めるとそこにいた担任が高校の頃まで同級だった鹿山守だった。彼なら若手くれると過去の悪行三昧を並べ立てて自分が中身は桜だと信じさせ、そして消えてしまった咲良の魂がどこに行ってしまったかを探る活動を始める中で、どうやら学校で不思議な立ち位置に咲良が置かれていたことが見えてくる。

 一種のいじめのような問題。そして優れた絵画を描く才能を認めてくれていた女性の美術講師との関係。そんな咲良の身になにが起こってそして体だけが残されたのかを追い求めていった先で、いつかの高校時代、夏に起こっていた不思議な出来事に突き当たり、そこから生まれた因果がめぐって現代に及んでいることが分かってくる。完璧なまでの入れ替わりではないけれど、2つの魂が2つの体を行き交う中で起こった時空の超越がねじれを起こし、そして歪みを解きほぐす方向へと動き出す。その結末を果たして良しとするかは判断に迷うところで、娘を失った家族はやっぱり寂しいだろうし、それを思う桜の心情にも同情したくなる。かといってそんな桜が入ったままの娘を育て続ける咲良の親もちょっと不憫。そんなギャップを埋めるだけの交流が、そして再生が得られるのか。続きがある話でもないんでそこは自分で想像したい。若返って受験勉強に就職活動をまたやる必要があるのってチャンスかそれとも苦行かも含めて。

 たつき監督がフリーハンドで活動できていたら何かイラストの1枚でも上がったかなあとちょっとだけ思った東武動物公園でのフルル大好きフンボルトペンギンのグレープ君が体調不良にて展示を取りやめたって話し。幸いにして今のところ命に別状はないようで、部屋の中で静養しているらしい。そんなグレープ君が見守っていたフルルのパネルもいっしょに部屋の中に持っていったところが優しいというか有り難いというか。近くにいればきっと心も穏やかにして体調の回復に専念できるだろう。明日から何か寒くなるみたいだけれどそこはペンギンなんで寒さは得意だろうから元気になって外に出て、パネルを見守るグレープ君を観に行きたいもの。その時にはまたコラボレーションが始まっていると嬉しいかなあ。楽しいから、やっぱり動物園で動物たちと触れあうのは。

 菊池寛賞を受賞したようだ、って別に何かした訳ではなくクラウドファンディングに応じて幾ばくかを支援したことで本格的に映画作りが指導した「この世界の片隅に」の関係者一同が第64回菊池寛賞を受賞。そこには監督やプロデューサー、出演声優はもちろん製作スタッフに配給の人たち、そしてクラウドファンディングに応じて作品作りを応援した人たちも含まれているそうで、だったら自分もやっぱり菊池寛賞に入るってことになる訳だけれどやっぱり現場で苦労してお金を集め作画を行い声を入れ配給に尽力して口コミで拡げた人たちにこそ相応しい。クラウドファンディングに応じていなくてもチラシを配り声をかけ観客を呼んだ人たちも含めて、みんなで受賞したってことにしたいもの。そういう受賞がトップダウンでもなければ商業主義でもない、作りたいものを作り見たいものを作ってもらう関係を、広め伸ばしていくための礎になるのだから。改めて喝采。


【10月11日】 同じ3DCGながらも「けものフレンズ」の柔らかくで優しい世界とは対称的な雰囲気を持っている、タツノコヒーローの4人が登場する「infini−T Force」。ヒゲのおっさんだけあってガッチャマンがあんまり融通の利かない性格だってのが見えてきて、そしてキャシャーンは何者かによって操られてガッチャマンやテッカマンやポリマーたちに向かってきたけどどうにかしのいで解放し、味方に引き入れることに成功したもよう。問題は現代においてあの格好は目立ちすぎで、けれどもバードゴーとかテックセッターとかハーリーケーンといって変身する人たちと違ってあの格好で生まれたキャシャーンどうするのと思ったらホログラフィで人間に見せかけた。

 それが空中投影なら三日月の角の部分とか触れると手に当たったりするかもしれず、鴨居の下とかくぐるのに注意が必要だけれどそうした難しいことはぬきにして、進めていくんだろう。ただしやっぱり新造人間なんで食事は苦手みたいだし、食べても栄養にならないらしい。キャシャーンって何を栄養にしてたっけ? 前のDVDボックスは持っているし「Sins」のブルーレイも持っているけど確かめるためにわざわざ見るのも面倒なんで、新造人間とはそういうものだと理解しておこう。そしてヒロインのお父さんが噂のZだと判明。いったい何を狙うのか。そして周りの奴らは何をしようとしているのか。謎もまだまだあるんでしばらく見ていこう。CGにはすでに慣れた。女の子結構可愛いし。

 試写で観た「機動戦士ガンダム サンダーボルト BANDIT FLOWER」が凄かった。音楽の使い方が相変わらず凄くって、第1期の4話までをまとめた「DECEMBER SKY」の時みたいにイオ・フレミングのジャズとダリル・ローレンツのオールディーズといった明確な区分けにはならずジャズもあればポップスもあって、そして串本節だなんて民謡まで混じってそこに僧侶による読経も加わってと複雑化する音楽が三つ巴になって複雑化する関係を示しつつ宇宙でのイオとダリルの無双とは違って他の面々による重力かでの空中で、地上で、海中でのモビルスーツどうしの度付き合いが存分に見られる。

 本当によく描いたよなあ。CGなのか作画なのかは分からないけれど、どっちにしても迫真にて迫力にして白兵の戦いといった感じ。そうした戦闘があまりない「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」なんかよりも見てガンダムだあって気にさせてくれる。いくら主人公チームは死なないだろうと分かっていても、どれだけのピンチなんだと思わされ、どうやって凌ぐといった展開への興味も誘われる。さすがに個々人で打破するだけではムリみたいでイオの場合はジャズ仲間になった女性パイロットのビアンカ・カーライルが絡んで時に助けたりするし、ダリルの場合はニュータイプになったのかなり損ねているのか宙ぶらりんなイケメンのビリ・ヒッカムが仰ぎつつ様子を見つつ助太刀したりする。

 そんなストーリーの中でクローズアップされるニュータイプの存在。いわゆる宇宙世紀の“史実”に沿ったシリーズでは当然のごとくに現れては広がっていくけど、「サンダーボルト」の世界観ではようやく発動するか、強制的に発動させられるかといったあたりで特別な存在としてはまだ確立していなさそう。そな中で無双を続けるイオはどうかといえばガンダムの性能と独特の感性によるものが大きそうだし、ダリルの場合は両手両足を切断したことによってサイコザクと接続され、無双をしたことで何かが解放されたかのよう。あるいは性質はあったのかもしれないけれど絶対の異能として発現してはいない。

 そんな中に現れた真のニュータイプ。それは強制的に作られそして肥大化したまま一大勢力となってしまった存在で、その傘下にて繰り広げられる実験めいたものをジオンの残党も連邦軍も狙っているといったところ。そんな三つ巴の戦いはだったら連邦とジオンが協力するとも思えないし、それではイオとダリルの決着にも到らない。だったらどう進んでいくのかははまあ、原作を読めば分かるんだろうけれどそれはしたくないんで今はネットでの配信すらも追わず、こうして劇場版として上映されるのを見て行こう。あの巨大なスクリーンでなければモビルスーツどうしの戦闘なんて見えやしないし、あの極上のサウンドシステムでなければ菊地成孔さんによる凄まじいばかりの選曲による楽曲を体感できないから。11月18日劇場上映。同時上映の「機動戦士ガンダム Twilight AXIS 赤き残影」ははさっぱり訳が分からなかったので公開までに勉強し直そう。

 秋葉原で日本維新の会の選挙カーに乗って声優の横山智佐さんがウグイス嬢をやっているって話が流れてきて、昔そうえば若本規夫さんが街宣車に乗って選挙の街宣をやれば誰もが注目するだろうなあと言っていたことを思い出した。若本規夫さんが例えばウグイス嬢ならぬウグイスガイとなって選挙カーの壇上から「人は平等ではない。生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な身体を持つ者。生まれも育ちも才能も、人間はみな違っておるのだ。そう、人は差別されるためにある。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進歩が生まれる。不平等は悪ではない。平等こそが悪なのだ」と叫んだら評判になること請負だけれど。でも声援がオールハイルブリタニアになって投票先もブリタニアになってしまうか。

 若本さんに中田譲治さんや銀河万丈さん、速水奨さんに大塚明夫さんに大塚芳忠さんに柴田秀勝さんといった渋くて良い声のおじさんたちがウグイス嬢ならぬウグイスガイをやったら、もうこれは聞かざるを得ない気持になるし、促されて選挙行かざるを得なくなるんじゃなかろーか。もちろん神谷浩史さんとか中村悠一さんとか小野大輔さんとか福山潤さんとかいったイケメンボイスも大勢の心に届くし響くだろうけれど、忙しいし現役過ぎて印象尽き過ぎるのも拙いだろうからさすがにやってくれないだろう。だからおじさん声優の出番。聞きたいなあ、銀河万丈さんの「立てよ国民!」の言葉。これだと投票先はジオン公国、あるいはギレン総統になってしまうか。それはそれで面白いんだけれど。

 スペインのサッカーチームのバルセロナにスポンサードして話題になった楽天が、何とアメリカのプロバスケットリーグのNBAから日本における放映権・配信権を獲得したとか。これでずっとNBAを放送し続けていたNHKのBS1とそれからWOWOWが手を引くかどうかが注目だけれど、開幕も控えたこの時期での“横取り”めいた自体で、ずっと試聴してきたNHKのBS1から別の有料配信・放送サイトへと移ってしまった時、どれだけのファンがついていくかが疑問だし、そうした番組を見ていたからこそのファンがいなくなってしまって、果たして日本におけるバスケットボールの振興につながるかもやっぱり疑問。視聴習慣ってそうは簡単に変えられないものだから。

 というか楽天ってNBAのウォリアーズのスポンサーになっていたはずで、リーグ内に特定の応援するチームを持ちながら、リーグの放映権を独占してフェアな試合の中継が期待できるのか。プロ野球チームを持つテレビが放映権を持ってはいても、リーグ全体ではなく特定のチームに肩入れしているだけで、それをさまざまなメディアが行うことでバランスはとれていた。今回はJリーグの配信権を持つDAZNが鹿島なり浦和のチームスポンサーにもなったってことで、それで鹿島や浦和を筆記するような配信をしたらファンはサッと引いてしまうし、そうでなくてもそこにフェアがあるかどうかを疑ってしまう。だからならないのがモラルなのに、そうしたものをぶっ壊してすっ飛ばして取りに行くところに、冒険心以前の切羽詰まったものを感じないではいられない。あれもこれもそれもどれもは孫正義さんの十八番。真似して巧くいくかなあ。お手並み拝見。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


縮刷版一覧へ行く
リウイチのホームページへ戻る
riuichi@can.bekkoame.ne.jpが不安定でメールがリジェクトされる様ならwf9r-tngc@asahi-net.or.jpまたはkha02604@nifty.comまで。