Last Updated 2019/12/15
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【12月15日】 「空想東京百景」を昔のと新しいのをぼつぼつと読んでいるんだけれど、患っている気持ちの損なわれのせいかなかなか頭に入ってこず整理が進まない。それでも思ったのは昭和39年の東京オリンピックが終わったあと、日本は50年を飛び越えて一気に令和なんて時代になってしまったんじゃないかといった感覚。あれだけの発展からの世界への雄飛も、文化的な成熟もすべてが雲散霧消して昭和のそれも30年代に生活とかが戻ってしまったとうか、そこから何も変わらなかったような気がしてならない。

 誰のせい、ってそれは言うまでも無い偉い人のせいなんだけれど、消費税をあげておいてすべての消費が落ち込んでいるこの時期に、財布の紐を緩めてじゃなく開いて下さいといった頓珍漢な言葉を吐いては失笑を買いつつ、それでも支持率は下がらないしつこさで居残りさらに日本を滅ぼそうそている人が日本を戦後の水準まで追い落としてしまった。そんな気がしてならない。

 昭和の懐かしさを味わえる物語だけれど、そんな昭和が令和と一文字、すり替わって今も続いていると思うとさすがに胸が痛くなる。なおかつ昭和は先への希望があったし実現もしたけれど、令和の未来に高度成長もバブルも平成のIT革命もきっと来ない。そう思うとやっぱり財布の紐は緩められない。かくして消費は停滞し企業は衰退し給料も上がらず財布の紐はの悪循環。どうすりゃ良い? 変わるしかないか。もう遅いか。やれやれだ。

 萌黄えもがいなくても、赤城あんなとメルティックスターがいれば大丈夫。大丈夫だっ! というのは言い過ぎかもしれないけれど、どこかのスクールアイドルが西の果てで立ち上がったことで、東の果てに萌黄えもであり、あるいは北条そふぃの参加がなくなり、「プリパラ」におけるソラミスマイルであり、「キラッとプリ☆チャン」におけるミラクルキラッツといった主役チームからそれぞれにメンバーが、毎年恒例のウインターライブに登場できなくなってしまうとい椿事にちょっと驚いた。

 テレビの中とかだったら中の人が重なろうとも関係ないんだけれど、リアルなライブエンターテインメントへと発展していった時に身はひとつしかなく、どちらかを選ばざるを得なくなった時に今、まさに立ち上がったばかりのチームを優先せざるを得ないという状況は理解したい。納得はしないけれどもそうせざるを得ない。そこは10年というシリーズの期間、そして「プリパラ」「アイドルタイムプリパラ」「キラッとプリ☆チャン」で6年があるならそこで生まれたさまざまな音楽ユニットがリアルなライブエンターテインメントを支え盛り上げ持ち上げてくれるという安心感もある。

 それが今回の場合は赤城あんなでありメルティックスターだったという感じ。センターに君臨する赤城あんな=芹沢優の安定感と脇に立つ緑川さら=若井友希の歌唱力、そして紫藤める= 森嶋優花の愛らしさでもってすっかりイベントの主役を奪って君臨していたといった感じだった。あとは桃山みらい=林鼓子と青葉りんか=厚木那奈美に森嶋優花を加えたRun Girls, Run!がオープニングアクトを務めそれぞれが存在感を強めていることも、北条そふぃであり萌黄えもの不在をあまり感じさせなかった。

 そりゃあみらいとえもとりんかの3人が並んでこそのミラクルキラッツであり、真中らぁらと北条そふぃと南みれぃが並んでこそのソラミスマイルでありそこにドレッシングパフェの3人が加わってこそのソラミドレッシングではあるんだけれど、よく見てそういえば5人しかいないと冒頭で感じつつ、それでも気にせず全体を通して見られたのなら、それは良いライブだったと言うしかない。いて当然のメンバーがいない状況をカバーするだけのキャラクターが育っていたことに加え、そうした不在を感じさせない構成を考えたスタッフにも喝采。

 あと舞台演出も。A1ブロックという前目ではあってもステージに向かってやや左よりに位置して、ステージで歌うアイドルたちが肉眼でまずまずの大きさに見える場所ではあったけれども、それが時に最前列になったりしたのは両サイドの通路とそれからセンターを横切る通路にトロッコを走らせ、出演者たちがほそこを行ったり来たりしたから。最初の前のステージだったら次は後方でそして両サイドだったり前のステージの両脇だったりと、出演者たちが動き登場位置が変わる演出は、後方ブロックの人たちにもとっても、スタンドの人にとっても数曲ごとに最前列が来る感じでとても嬉しかったんじゃなかろうか。

 アリーナ席だとトロッコの上で行き来する出演者たちを見上げるようになるから、それこそスカートから伸びる脚をじっくりと見ることができる。いやもうじっくりと。そんな喜びを味わえたのも演出のおかげ。すぐ横であれは真中らぁらではない金森まりあの茜屋日海夏がすっくと経ってかわいいかわいいと言われてうれしがる姿を見られて一生分の運を使い尽くしたような気がした。いやまだここで倒れる訳にはいかないのは、来年こそ萌黄えもも参加しての完全版を見たいから。何しろ続くのだ、「キラッとプリ☆チャン」は第3期へと。

 これはなかなか偉大なこと。「プリパラ」が根強いファンを掴んで後番組に響いて最初はあまり浸透していなかった気もしたけれど、2年が経ってメルティックスターと赤城あんなという存在感なら最強のキャラクターも生まれた。さらにRun Girls, Run!が育ち、そこの謎のシルエットだけ示された新しいキャラクターも加わる。誰だ。どうなる。そんな期待も胸に抱いてこれからを見ていくことで沈んでいた気持ちを持ち上げ、生きる気力をかき立てて2020年を生き伸びようと思うのだった。職場が果たして来年もあるかは分からないけど、そこは何とかなるかなあ。何とかするしかないかなあ。

 流れて来たとあるバラエティ番組の動画で橋本環奈さんがフランス人ジャーナリストの日本語吹き替えを演じるシーンがあったんだけれど、その喋りが外国人がたどたどしい日本語で喋るといった状況を再現したもの。それを笑いにするのはつまり拙い日本語での外国人の喋りは笑いの対象だってことで、日本の来てまだ日本語が上手くない外国出身の子弟に対する侮蔑嘲笑を煽っているとみられても仕方が無い。やった橋本環奈さんがいけないのか、やらせたバラエティ番組がいけないのか。シナリオだってあるだろう番組だからやっぱり構成側の問題かなあ。


【12月14日】 そしてAmazonPrimeVideoで見た「PSYCHO−PASS3 サイコパス」の第8話はやっぱり終わっていなかったどころか、まったくの途中でこれでテレビシリーズだなんてよく言えたものだといった感じ。続きはだったらテレビで放送するのが筋って気もするけれど、一方で映画館に大勢の観客を集めてそれで収益を得て欲しいという気もあるだけに判断が難しい。ビフロストなる組織が裏で暗躍する中、そのビフロスト内でも椅子をめぐって争いが。残っている2人が刺し合いをする中に炯・ミハイル・イグナトフが巻き込まれる感じになって、そこで奥さんの舞子の退院をエサにインスペクターに誘われてしまう。

 つまりは過去に公安局刑事課の監視官を狙った勢力に取り込まれてしまったという形。もちろんビフロスト内にも対立があるから敵対勢力にそのまま味方したって訳ではないにしろ、公安局すら手玉にとる相手に味方すること自体がやっぱり重い厳罰物の行為であって、それを聡明な炯がやってしまうところに人間の弱さめいたものが伺える。舞子のため、っていうか。一方では如月真緒が自分は狐に協力していたことを明かしてそれ以降は接触していなかったことも説明し、ギリギリのところで踏みとどまっていたことが明らかに。執行官ですら守れた一線をやすやすと踏み越えていく炯がどうして監視官になれたのか。そこにひとつの穴がありそう。誰が開けた? 何のため? それも映画を待つしかないのか。

 そして悲劇も。「PSYCHO−PASS サイコパス」の頃から執行官として登場していた六合恂生が今は色相が改善して一般社会に戻ってジャーナリストをしていて、そして公安局刑事課の操作を手助けしたりしていたんだけれどもインスペクターの企みによって排除されてしまった模様。おやっさんこと征陸智己は既に亡く、縢秀星はシビュラシステムに消されてしまって当時の執行官で残っているのは外務省行動課に席を移した狡噛慎也くらい。第2期でも東金朔夜は死に須郷徹平は外務省行動課に行き蓮池楓は存在自体がどこかの遠くへ。雛河翔だけが同じ身分で残っている中、貴重過ぎるキャラクターを退場させてしまって良いのか、それで唐之森子恩は大丈夫なのかといった心配も頭をよぎる。いずれにしても何も解決しなかったテレビシリーズの続きは劇場で、って腹も立つけど期待も膨らむ。予定通りに完成して公開されることを願いつつ、期待を上回る出来であることに賭けよう来年の職場の安泰を。

 5日間も三鷹に通い詰めたので寝ていたかったけれども、休んでいる間はお金にならない身なので休日に舞い込んできた仕事を断ることができず、東京ドームシティで開幕したTSUBURAYA CONVENTION 2019ってイベントに取材に行く。何よりあの「シン・ウルトラマン」に関連する発表があるとかで、「シン・ゴジラ」がほとんど情報を出さないまま公開間際まで行っただけに、2021年公開の「シン・ウルトラマン」についてどこまで情報が出されるのか、興味津々だったけれども斉藤工さんと樋口真嗣監督が登壇したステージでは何と「シン・ウルトラマン」に登場するウルトラマンのデザインが発表になったので驚いた。

 いや、それ以上にデザインコンセプトにあの成田亨さんが手がけたデザインで、「真実と正義と美の化身」という絵画に描かれたウルトラマンが採用されているという話に頭がひっくり返ったというか。だって円谷プロダクションと成田亨さんって、デザインをめぐって何十年も争ってきたじゃないか。ウルトラマンとか人気の怪獣をデザインしながらクレジットから名前を消され、存在を否定されるようにして円谷プロを去った成田さんは、その後に権利を巡っていろいろと話をしながら入れられず2002年に他界。そしてタイでの権利とは別に、ウルトラマンやウルトラセブン、そして怪獣達のデザインをめぐる確執が続いていた。

 しばらく前に円谷プロが脚本家の金城哲夫さんの名前を冠した金城哲夫賞を立ち上げた際に、今度は美術として成田亨賞を立ち上げるとぶち上げたものの、当時から確執は知られた話で根回しもないままぶち上げて大丈夫なのかと心配したら、今にいたるまで賞が実施された形跡はない。それくらいもつれていた糸がほどかれたってことで、これは歴史に残る大ニュースのはずなのに、来ていたメディアのライターさんが若かったのかそうした確執を知らず、原点としてある成田亨さんのデザインに回帰したってトーンで記事が書かれていて、そういう世代が最前線に来ているんだなあと思った次第。

 でも、ご遺族で子息の成田浬さんが寄せたコメントを見れば、成田亨さんが亡くなるまでずっと円谷プロに遺恨を抱いていてそして悔しい思いをしていたことが感じられ太。相当に根深いものがあったと分かるのに、まるで触れないのはやっぱり気がつかないか大事と思ってないかどちらかなんだろうなあ。そうした遺恨があるからこそ、庵野秀明さんが「シン・ウルトラマン」で成田亨さんによるカラータイマーがなく、人が入って動かす以上は必要な出入りのためのファスナーを隠す背びれ、そして前を見るために必要な目の下の穴も排除されてつるりとして生物感が漂うデザインを採用したいと訴え、円谷プロと成田家を説得し繋いだ意味の大きさも分かる。生粋のウルトラマンオタクが絶対の企画力を背景に半世紀に及ぶ確執をもねじ伏せた。そんな構図と言えるかも。

 そんなデザインでぬぼーっと立つウルトラマンは、どこかエヴァンゲリオンのような雰囲気もあって単なる巨大ヒーローでは終わらなさそう。ただ強いだけでもないそのキャラクター性をどう活かし、どんな物語を紡ぐのか。絶対のヒーローが出づらい世の中で、小さなモンスターたちがSNSの中とかで暴れている現在、そうした小さな状況に立ち向かう小さなヒーローたちこそ求められているとも言えるけど、ウルトラマンにそんな小さな役は似合わない。かといって圧倒的なヒーローが何かを変えられるほど、今の世界は単純ではない。そんな難しい時代のヒーロー像。それを成田亨さんのデザインを元にしたウルトラマンでどう描く? 今から気になって仕方が無い。それまでは生きないと。


【12月13日】 目覚めたのは午前7時前と早かったけれども、ぼんやりとしていてAmazonPrimeVideoで観るのを忘れてしまった「PSYCHO−PASS3 サイコパス」。ネットに流れていた情報によると“続きは映画で”って感じらしく、1時間とはいえ全8話ではまだまだ語りきれなかったことがあったのかもしれない。45分くらいだったとしても360分だと1クールのテレビシリーズと同じかちょっと長いくらい。それで収められないのを問題とみるかそれだけ壮大なドラマなんだと讃えるか。いずれにしても映画でしっかり稼がないと後がいろいろ大変そう。

 でもテレビシリーズの続きの映画に果たして人が来てくれるのか。それはテレビがどれだけ観られていたか次第か。どうなんだろうなあ。ノイタミナだと過去に「東のエデン」がテレビシリーズであまり解決しなくって、劇場版へとつながって2作が公開されたっけ。1作目ですら話が収まらず2作目に期待したらアクションには向かわず会話劇に終わってしまった記憶。それもスリリングではあったけれど、劇場で観るなら派手なアクションを観たいよなあ。「PSYCHO−PASS」シリーズならそのあたりは安心できそう。問題はやっぱり設定か。シビュラシステムに挑む勢力の正体と行方。そのあたりは第8話で明かされたのかな。いずれにしても観なくっちゃ。

 テレビのお手伝いも終わりライター仕事もなく書評の仕事もきっとまだ間があると思うことにして、今週は月曜から金曜までずっと三鷹通い。とあるテレビシリーズのこれは続きではなく数年後を描いた劇場版のカット袋や原画とにらめっこする日々が続いていたけれど、原画については袋詰めが終わって整理も終わり、ここしばらくは撮影に回されていただろうカット袋から背景を抜き取りレイアウトを外して原画やタイムシートなんかとまとめて袋に入れ、そして残ったセル画をはりついた動画用紙ともどもカット袋に戻して整理する作業を続けていた。

 カット1があったかどうかは記憶にないけど、最終となるカット1054はあってそこまで果たしてどれくらいかかるのか、見えないなかで始めた作業も順に進めてようやく1054までたどり着いた。中身は入ってなくってタイムシートだけだったから、そこに入っていたはずのヒロインのセル画はきっとどこかに行ってしまったのだろう。どこに? そこは謎。とはいえ活躍するパイロットたちとかラーメンを食べるヒロインとか、そんな場面のセル画はあったし原画もそれなりに残っていたから、束ねれば1作分をまるまる振り返ることは可能な気がする。

 20年が経って気にする人たちも多いだろう作品だから、こうして整理も終わったところから再始動してくれれば整理した甲斐もあったってものだけれど、それにはやっぱり保存され展示される施設が必要だからなあ。その意味でメディア芸術ナショナルセンターの設置が遅れるか、あるいはポシャってしまったのは残念至極。自民党だけでも推してくれれば良かったんだけれど、そういうところだけ律儀に超党派での法案だってことを守るのはそれが民主主義だから? だったらもうちょっと守るべきところもある気が、って言っても詮ない話。ともあれ整理はしたのであとは利活用の芽が出ることを祈りたい、ってまだ背景と原画類の整理、そして大判の仕分けがあるんだけれど。年内はかかりっきりかな。

 「この世界の片隅に」を作り終えてから「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」へと至る3年間、片渕須直監督を追いかけたドキュメンタリー映画「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」が公開されたのて舞台挨拶付きでテアトル新宿へと見に行く。もっと若い人かと思ったら大御所だった山田玲於監督と、「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」と同じジェンコの真木太郎プロデューサー、そしてサンを演じている声優の新谷真弓さんが登壇していろいろと語ってくれた。

 山田監督はまるで片渕監督のことを知らず、どういったドキュメンタリーにしたらいいのか模索もしていて、たとえばメキシコに舞台挨拶に行った話から当時のメキシコがトランプ大統領によって壁で隔離されようとしていた話を盛り込もうかと考えたけれど、現地で女性がすずさんの雑草をとって食べるシーンを観て、貧乏だった子供の頃に母親が草をとってきて食べさせてくれた話をしていたいのを聞いて、そうした誰にでもある経験がこの映画の鍵なんだと思い、そうした部分を見せていこう時事性で語るのは辞めようと思ったとか。

 真木太郎プロデューサーは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開が遅れたのは誰のせいだって話を笑いを交えつつつぶやいていたけれど、そうした伸びた1年があったからこそ濃さも増したドキュメンタリーになったんじゃなかろーか。そんな映画を観て浦谷千恵さんが左利きと気づいた。あとリンさんの着物の柄が動きとともに変化しているのに注目しなくちゃと思った。アフレコ現場での片渕監督の指導から、すずさんとテルちゃん、すずさんとリンさんの会話のニュアンスを劇場で汲み取ろうと思った。

 ほか、音響の気の配りっぷりを確かめなくっちゃとも。

 お花見の場面、キノヴォリの後ろで聞こえる歌があるらしい。東京国際映画祭のP&I上映で観ていた時は、画面に集中していて気付かなかったよ。そうした、展開を邪魔せずけれどもしっかり聞こえる音響の数々に注目するためにも、ドキュメンタリーを見て予習するのは良いかも。ただ、新作カットいっぱいなのでそこは要注意。すでに試写とかで観た人は驚かないけれど、ドキュメンタリーを先に見ると映画の初見をまっさらで見たい人はちょっと気になるかもしれない。既に見た人、原作を知ってる人は新作の凄みを味わい尽くす意味で見ておいて吉。


【12月12日】 「新サクラ大戦」が発売になったけれどもまるで興味が及ばないというか、そもそもプレイステーション4を持っていないから興味を抱きようがないというか。キャラクターとして神崎すみれと真宮寺さくら、そして眼鏡っ娘の李紅蘭が大好きだった身として藤島康介さんがキャラクターを描かず、神崎すみれは不思議な顔立ちになってしまったゲームをどうプレイしたら良いか分からない上に、キャラクターがアニメーション的2Dから3Dモデルに変わってそれがどうにも好みの範疇からズレたモデリングだったりするから、積極的に手を出そうという気が起こらない。

 ゲーム内のアニメーションをプロダクションI.Gが手がけたあれは「サクラ大戦2」だったっけ、そのあたりが個人的には興味のピークでセガサターンからドリームキャストに乗り換え何度も繰り返しプレイしてはすみれでフィニッシュを迎え、そしてさくらでエンディングを迎えるような楽しみ方をしていたけれど、今回そうしたプレイを幾度もさせる要素があるのか。久保帯人さんで言うなら「BLEACH」は嫌いじゃなくって全巻そろえて全話を読み込んだくらいだけれど、そのキャラクターがまんま3D化されているって感じでもないんだよなあ。今時のアニメーションだって3Dでモデリングしながら2Dアニメーションの感じを出せるというのに……。ゲームどうした。ちょっと新派になってきた。

 とはいえ、いつかプレイしてみたい感じもあって、プレイステーション4がスタンダードもProも台数限定でディスカウント販売をするみたいなんで、それを契機に買って見るってのもありなのかも。でもそれだと先に「DEATH STRANDING」を買い込んでは100時間くらいプレイしそうで、「新サクラ大戦」に手を出している余裕なんてちょっとない。実家で接続して年末年始の6日間をひたすらプレイし続けたって「DEATH STRANDING」から抜けられるとは思えないし、「みんなのゴルフ」とか始めたらなおのこと「新サクラ大戦」に手なんか出してる時間はない。ってことでしばらく様子見。神崎すみれでプレイできるなら手を出すかも。そんなアップデートに期待。

 ふと気がついたらドリパスで「機動戦艦ナデシコ −The prince of darkness−」が上映されるとかで秋葉原UDXシアターって決して劇場ではないけれど、改装されてゆったり目で見られる場所でもあるんで行こうかどうか検討中。最近妙に縁があって2000年1月1日に買った絵コンテと本編を収録したCDがセットになった不思議なパッケージを職場へと持っていき、ムックの「GEKINADE100%」も置いていろいろとシーンを調べたりしているので、それらが動く様ってのを改めて大きなスクリーンで見てみたいのだった。ってかパッケージも買ったはずなんだけれど家のどこかに行ってしまって出てこない。どうしたものか。

 話では2018年にもドリパスか何かでの上映かがあったそうで、その際にはルリとユリカが寄り添っている版権のセル画が展示されたとか。見て懐かしいと思った人も多いだろうなあ。そんな人たちに例えばルリがお風呂に入っているシーンのセル画とか、漫画家になって徹夜続きで目の下に熊ができたアマノヒカルとか、不気味な顔をして笑うマキイズミとかのセル画を見てもらったら大喜びしてもらえそうだし、ヒカルが描いた本宮ひろ志風の漫画の原稿なんてものが本当に漫画の原稿用紙に描かれているものだと分かってもらったら、もっと盛り上がりそうでそこから「機動戦艦ナデシコ」ってIPが生き返るんじゃないかなんて思ったりもするけれど、そういう機会になってはくれそうもないしなあ。急ぎ誰かがアピールして、権利元が承諾して所有者が出せば実現もあるかも。見守りたい。

 ふと気がついたら先の土日の映画興行ランキングが発表になっていて、「すみっコぐらし」は未だ4位と大健闘を続けていてちょっと驚いた。4週目でもシアターが満員になるくらいだからその数字もあり得るか。そして公開1週目だった「ルパン三世 the FIRST」はとりあえず2位とこれも検討。上が「アナと雪の女王2」だから仕方が無いと言えば仕方が無い。「スター・ウォーズ」の新作だとか「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」だとか凄い作品が2週間後には出てくる関係で、いつまでもトップ近くに居られるとは限らないけれど、5位以内くらいを横ばいでいけば30億円くらいは行って次回作もってことになるだろうから頑張って欲しいもの。僕はあのセカンドシリーズ的なルパンも嫌いじゃないんだ。次元大介の声が保つうちに早くどんどんと。

 そんな「この世界の(さらにいくつもの)片隅にがようやく完成したようで、これからビデオ編集が行われてDCPのデータとなって劇場へと展開されることになりそう。すでに東京国際映画祭で見てはいたけれど、それは途中の状況で枕崎台風のシーンとかが入っていなかったしクラウドファンディングに関連したエンディングもついていなかった。それらがついてさらに伸びたバージョンの試写会が18日に開かれる予定で、先着だからと応募したけど多数が応じたみたいで抽選になってしまって、今に至るまで連絡が来ないってことはきっと外れて仕舞った模様。残念。でもまあムビチケもあるし20日からの本番を見に行こう。でもまだ舞台挨拶の案内とかないなあ。どうなっているんだろう。ジリジリ。


【12月11日】 第40回日本SF大賞の候補作が発表になっていたけれど、事前の一般からのエントリーで大量に推薦を集めたたつき監督によるアニメーション「ケムリクサ」は入らず、新海誠監督の「天気の子」も入らずとアニメーション作品にはちょっと厳しかった感じ。というか候補作が小川一水さん「天冥の標」に伴名練さん「なめらかな世界と、その敵」、日下三蔵さんと大森望さん編集による「年間日本SF傑作選」、酉島伝法さん「宿借りの星」、飛浩隆さん「零號琴」といずれも日本SF大賞級の小説なりアンソロジーが並んでしまったから、映像作品とか漫画が入らなくってもこれは仕方がない。

 あるいは以前だったら2回目の受賞とかないだろうという雰囲気の中だったら、飛さんや酉島さんが候補にはならず「ケムリクサ」はともかくとして「天気の子」くらいは入ってきたかもしれないし、それ以前の徳間書店が支えていた時代だったら戦略的に何か映像作品なりが入ってきた可能性もあるけれど、日本SF作家クラブの会員によるエントリー作品からの投票で、小説好みの人たちがこぞって投票して挙がるのはやっぱりこの5作品ってことになてしまうんだろう。むしろ藤井太洋さんとか高山羽根子さんが入ってこなかったことの方が不思議かもしれない。それくらの激戦。

 だから選考委員の人たちにとってはとてもとても大変な年になりそう。あの超大作「天冥の標」とか読み切らなくちゃいけない訳だし、「零號琴」について語らなくちゃいけなかったりする訳だし。どんな議論が戦わされて講評が出るか。贈賞式が楽しみだけれどちゃんと開催されて欲しいなあ、今のこの不景気でもSFは元気だと世界にアピールするために。新たにAbemaTVとか乗って来てくれないかなあ。もれなく池澤春菜さんの名司会が着いてくる訳だから。あるいは正体不明の伴名練さんが拝めるかも知れない訳だから。

 とはいえ、あれだけの推薦が連なった作品なんだからやっぱり気にしたいというのも正直な気持ちだし、個人的には「ケムリクサ」を推していたから残念といった感じは強くある。元より小説が入りやすくSF界隈の流れを大きく受けやすいところもあって、外様な感じのアニメ作品は最初から埒外に置かれてしまう可能性もあったりする。過去にアニメーション作品が受賞したのは「新世紀エヴァンゲリオン」「イノセンス」「電脳コイル」くらいで、いずれも徳間書店が支えていた時期。日本SF作家クラブが運営の主体となってから、候補に入ったのは2016年度の「天気の子」しかない。当然「けものフレンズ」は入らなかった。

 一方で話題の新鋭が入りやすくなっている感じもあって、今回の伴名練さんなんかは新人って訳じゃないけどほとんど新鋭な感じの単行本でどんと入った。過去だと酉島伝法さん宮内悠介さん小川哲さん藤井太洋さんあたりが新鋭で入ってきたりする。その後の活躍を見れば入って当然とも言えるけど、どこか時流に流され安いところがないでもない。その上でメディア作品には厳しいというか、そんな感じか。来年にはいよいよ「鹿の王」の劇場アニメーションが公開されるんで入って欲しい気もするけれど、どうかなあ。とりあえず「ケムリクサ」は星雲賞に期待だ。受賞しそうなら行かなくちゃ、日本SF大会に。

 しかし「鹿の王」、ようやく監督が発表になったと思ったら「精霊も守り人」を手がけた神山健治さんではなくって「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「パプリカ」なんかで作画監督と務めた安藤雅司さんというからきっと誰もが驚いた。絵描きではあっても演出家ではないからなあ。そこは共同監督で「伏 鉄砲娘の捕物帖」を手がけた宮地昌幸さんがいるから安心なのかもしれないけれど、果たしてどんな作品に仕上がるか。プロダクション・アイジーのお手並み拝見といったところ。あのカリスマアニメーターの井上俊之さんも参加しているみたいだし、絵の上手い人たちが集まって何か作っているとしたら期待するしかなさそう。ヒットすればなお良いけれど、そういう作品なんだろうか。期待しつつ模様眺め。

 「ファイブスタースター物語」の最新第15巻が出たので読んだけれどもいつごろの連載だったか思い出せずシチュエーションなんかも判然とせず、これが今の最新のエピソードにどうつながるのかちょっと思案。巻末でマウザー教授が追いかけようとしているツバンツヒが今まさにラキシスといっしょにいて異次元からの敵の攻撃にマドラあたりとともに対抗しているところで時系列的につながっていることは分かるけど、どういう手順でラキシス登場に至ったのか、ちょっと記憶が飛んでいる。まあちょうどリストラ喰らって外からの情報が入ってもすぐに抜けていた時期だから仕方が無いか。今だって全部が覚えられている訳じゃないけれど、とりあえず情報を得るのに前向きな気持ちは浮かんで来たので「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」の初日舞台挨拶付きとか、「機動警察パトレイバー the Movie」のトークイベント付きとか予約して見に行くことにしよう。散在だけれどそれが出没家のアイデンティティだから。


【12月10日】 SNSでの人種差別的で弱者侮蔑的な発現を繰り返していたことが露見して、炎上してとある小説の新人賞を辞退した作家さんがいたのに続いてこちらはすでに大御所の作家さんが、環境問題に取り組んでいる16歳のグレタ・トゥーンベリさんをからかうような発現をSNSで発信して、未成年の特定個人を蔑ろにするような内容だったこともあって炎上。即座に謝罪をしてSNSでの発信を取りやめたものの、そもそもがそういう発現を公衆の面前でしてしまったことにいろいろと突っ込みが起こりそう。

 仲間内の冗句としてでも決して健全ではないけれど、それでも世界的な著名人への好悪感情の表明として受け入れられたかもしれない。これがSNSになってしまうと場所はもはや公共で、そこでの発現にはやっぱり節度ってものが求められる。そこを超えてしまう人が生まれてしまうのは、発進している時は自分ひとりで目の前にある端末を見ているのも自分ひとりで、そして反応も普段から交流がある人だけだと思い込んでしまうからなのかもしれない。そこはガラスに囲まれた大通りなのだを、改め理解する必要を感じた次第。気をつけよう、って失うものは得にないけど。
 グレタ・トゥーンベリさんについて言うなら、いろいろと不安があるのはよく分かる話で、それを言葉にして行動にも訴えた勇気はとてもとても称えたい。ただ環境問題は一筋縄ではいかない話で、文明の発展を享受した人間が、今後の発展を阻止する態度に出ることで貧困から脱することができない人たちが生まれてしまう。そうした格差を是正する方策をかたわらに感じながら、考えていかないといけないってことを自覚して欲しいけれど、これを考え出すと何も出来なくなってしまうのも事実。それに飛行機に乗らず船を称揚したとしても、海運が増大すればやっぱり排出ガスは増えていく。流通を減退させて文明を衰退させてそれで環境を守れと訴え、従う人は果たしているのか。そうしたところも含め文明論、人間論に踏み込んで考え方って欲しいなあ。聡明な彼女なら、きっと出来ると思うから。

 いざという時のためにとってあるバックアップデータを正式な行政文書ではないと言い出した時にもひっくり返ったけれど、今度は反社会的勢力といったものは定義できないと閣議で決定してしまったのにはひっくり返った上に反っくり返ってでんぐり返った。自分たちを守るためには常識となっていることですら否定するのがこれまでのやり口だったけれど、反社会的な勢力については政府から警察組織から企業からすべてが一丸となって定義して拡大解釈までして排除に動いていたもの。その定義ができないと政府が言い出して、警察や企業はこれからいったい何を指針に反社会的勢力を認めて排除していけば良いんだろう。

 もちろん定義がないんだから決められないってこととは正反対に、あらゆる存在が反社会性力に含められる可能性もある。その境目が時の政府、時の政治家によって揺れ動くのだとしたら社会は政府や政治家しか見なくなり、その独裁の下ですべてが決まってしまうことになる。そんな公平性を欠いた社会でいったい誰が何かを始めようと思うだろう。上ばかり見て身動きがとれない状況のなか、ただ生きていくだけの日々が繰り返されていった果て、社会は活力を失い国は荒れ果てていくだろう。そんな道筋への扉を開いてしまった閣議決定は日本という国の歴史においてとてつもなく重大な判断を下した。そういう意識もきっとないんだろうなあ、ただ自分たちが逃げ切れさえすれば良いとしか考えていないという。やれやれだ。

 アニメーション制作会社がまたひとつ飛んだという話がクリエイターから広まって、だんだんとどの会社か判明してそして公開中の映画「フラグタイム」を作った会社だということが分かってその映画のサイトに現在連絡がとれないという情報が掲載されて、なかなか大変なことになっている感じ。なるほどすでに映画は完成しているから公開に支障はないんだろうけれど、今度たとえば売るはずだったのに遅れたパッケージを作ろうにも、版権を使った展開をしようにもアニメーション制作会社にあるだろう素材が使えずクリエイターが動いてくれなければ展開のしようがなくなる。権利だけ製作委員会が持っていたところで、動くのは現場だから。

 そこが飛んでしまったという非常事態。どうしてなのか理由が知りたい。やっぱり自転車操業だったのかなあ、もらったお金は借金の返済に回して次の作品のお金を今作っている作品に当てるんだけれど、次の作品が作れなくなってお金が得られずショートしてしまうというか。過去に手がけた「王室教師ハイネ」も「なんでここに先生が!?」も決して手抜きではなく作品として面白かったしクオリティもしっかりしていたから、手堅いアニメ制作会社だと感じたけれどもその分、いろいろと無理があったんだろうか。経営そのものが至らなかったんだろうか。ケーススタディにしたいけれど、学んでどうなる業界でもないってのがやはり問題か。頑張っておくれよプロダクション・アイジー。僕の明日のご飯のために。


【12月9日】 出演者のアテンドに四苦八苦して家から出られなくなってのたうちまわった果てにようやく完成し、12月1日にNHKのBS8Kで放送された「BS8K開局1周年 躍進する世界の8K」は、12月28日の午前6時10分から地上波の総合テレビでも放送されるそうで、落合陽一さんや小島秀夫さんが8Kについて何を語っているかと知りたい人は必見かも。落合さんはその知見を分かりやすく噛み砕いて語ってくれていて、BS8Kのように高精細になるとメイクなんかで取り繕ってもすぐばれる、だったら皺とかしみとかをむしろ生きてきた証としてアピールした方が良いんじゃないか、的な話をしていてなるほどと思った。

 そんなBS8Kの“躍進”にもしかしたらストップがかかるかもと思って心配していたのが、NHKがネットでの番組配信に乗り出す代わりにBSのチャンネルをひとつ減らさなくちゃいけないと言われていたこと。BS1があってBSプレミアがあって4Kがあって8Kがある中で、今いちばん観られていないだろう8Kがやっぱり返上の憂き目に遭うと考えるのが普通だけれど、そこは新しいテクノロジーの実験場として死守したかったみたいで、映画とか音楽とかをメインで放送しているBSプレミアの方をスポーツや報道を薙がしているBS1と統合するってことになるみたい。

 映画も音楽も観たいしバラエティだってBSプレミアで結構作ってくれていたからやっぱり観たい気もしないでもない。「全るーみっくアニメ大投票」とか作って流せるのって、やっぱりBSプレミアのような余裕があるチャネルってことになりそうで、スポーツや報道でぎちぎちのBS1では作ってくれなさそうな感じだけれど、そこは人気ということで生き残り、スポーツの方にしわ寄せが向かうのかもしれない。映画もスポーツも今やネット配信でいっぱい観られる時代。むしろNHKでもネットでそっちを中心に配信することになったりして。BS8Kの方は躍進するなんて番組を作っておいて引く訳にはいかんわな。関わった身として一安心。でも現実はやっぱりしばらくは普及しないよなあ。むしろネットで8Kになっていくんじゃないかなあ。

 立川シネマシティでの上映は、舞台挨拶がある回は瞬殺されてしまってとれず、それ以外の日も気がついたら完売になっていて行けなかった「機動警察パトレイバー the Movie」。実は劇場で観たことがなくって機会があればと思っていただけに悔やんでいたら、12月28日にお台場のユナイテッドシネマで上映があって、そこの押井守監督だけじゃなく脚本の伊藤和典さんが来て、バンダイビジュアルでプロデュースを手がけた鵜ノ澤伸さんが来てジェンコの真木太郎さんも来るといった豪華布陣でのトークもあると聴いてこれは行かなくちゃと手ぐすねをひいていたら、今日が発売に決まっていた。

 仕事に行っていることもあって果たして争奪戦に参加できるか心配したけど、午後の8時からだったのでひとまず仕事を終えて会社を出て、駅まで歩いて電車に飛び乗りパソコンを立ち上げ準備は万端。幸いにして販売サイトのチケットペイは以前に使ったことがあって登録もしていたから、そのまま時間に入ってさあ最前列の真ん中を確保したと喜んだら、認証の段階になって誰かが確保していたみたいで戻ってやりなおし。それでもどうにか最前列のちょっと端を確保できたので当日は見上げるようにして大きなスクリーンで暴風の中で戦うイングラムと零式なんかを観ることができそう。

 気になるのはヘッドギアの面々でも、ひとり走って実写版を作ってはいろいろと言われていた押井守監督と、言っていた側の脚本の伊藤和典さんがいっしょに登壇するってところで、その後にどういった話し合いが持たれたのかが知りたいけれども、ともに熱海に確か暮らす2人はあるいは普通に普段から話をしていたのかもしれない。ゆうきまさみさん高田明美さんではなく伊藤和典さんが押井監督と登壇というあたりに何か顰みがあるのかもしれない。そんな辺りが語られるかどうか。あとは鵜ノ澤さんかなあ、バンダイビジュアル当時の思い出とか、最近は何をやっているのとか聴きたいところ。真木さんは「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が公開された後だから出歩いても大丈夫なのかな。いろいろと期待。観て帰省したいけど新幹線とれるかな。

 やれやれというか、小説投稿サイト系の新人賞で大賞を獲得した作者がなぜか辞退をしていて、どういうことかと調べたら過去にSNSで特定人種を誹謗したり精神疾患がある人を中傷していたことが判明。そうした過去を掘り起こされて炎上をした果て、取り消しとなる以前に自分から降りたかしたみたいだけれど、本当は降ろしたのかどうかはちょっと不明。ただネットなかに出回っている過去のSNSでの発言は、小説を書く人にふさわしいかどうか以前にやっぱり人間として繰り出しちゃ拙いだろうといった類のもので、それをずっと誰も止められなかったところとか、そもそも本人が何の疑問もなくそうした言説を繰り出していたことの方に驚きを感じる。全世界に向けて言葉が届く場で言っちゃいけないことの判断が出来ないのか。そういう発言がそれでも渦巻いているからこそ自分もと思ってしまうのか。引っ張られず靡かないで自分を確立できる道筋を整えないと、同じように暗黒面に引かれてヘイトを繰り返す人が出てくるんじゃなかろーか。


【12月8日】 見に行こうかとも思っていたけどチケットを取りあぐねているうちに完売となってしまった新橋演舞場での歌舞伎版「風の谷のナウシカ」で、ナウシカを演じている尾上菊之助さんが負傷したとかで8日の夜の部が休演に。王蟲にでも踏まれたのかと思いきや、乗ってたトリウマのいないはずの中の人が躓いて、菊之助さんが転落したのが原因とかでナウシカといえどもメーヴェは操れてもトリウマを乗りこなせても中の人までは操れなかったってことになる。とはいえ9日からはちゃんと上演もあるそうで、貸し切り公演が続く11日までに行く予定だった人はご安心。僕は年明けに行われるという劇場での上映を見に行くことにしよう。

 ソン・シンイン監督による長編アニメーション映画で、東京アニメーアワードフェスティバル2018の長編コペンティション部門でグランプリを獲得した「幸福路のチー」をやっと観た。吹き替え版。沖浦啓之さんのウェン兄さんがあまりにかっこよくてよくぞキャスティングしてくれたと心で喝采を贈った。あとおばあちゃんのLiLiCoさんが巧すぎた。声優さんでもおばあちゃんを演じさせて巧みな人がいっぱいいるけど映画コメンテーターとしてもっぱら見知っている人があそこまで優しくて強くて頼りがいがあるキャラクターを演じてすがりつきたいと思わせてくれるとは驚いた。

 あとはやっぱりチーを演じた安野希世乃さん。最近だと「スタートゥインクルプリキュア」のキュアソレイユを演じて子供にも白手居ているし、ちょっと前なら「マクロスΔ」でカナメ・バッカニアを演じてワルキューレの中心にいたりもしたけれど、そんな安野さんが子ども時代から学生時代から大人まで、あらゆる世代のチーを演じてしっかりとその年頃を見せてくれる演技の幅に関心した。文化庁若手アニメーター育成事業の最初の作品「キズナ一撃」で観てからもうすぐ10年。育ったなあ。素晴らしかった。

 そうした声で支えられた映画は、予想していたとおりに今の自分の身にはいろいろと響いて痛くもあり、苦しくもあって突き刺さった。一方で、今の身だからこそ思うところも数あった。実家に戻ろうかなあ、とか。貯金を崩しつつ少しだけ働きながら過ごせば10年はどうにかなる状況なら、まだ存命の両親がいる実家にこもり、いろいろと考えた方が良いんじゃないか。なんて思ったりもしたけれど、チーだってそこまで踏み切るまで時間をかけた。それなら自分ももうちょっとだけ時間をかけて今の暮らしを考え、将来の暮らしを考えて結論を出そうと思った。

 台湾出身で、今はアメリカで暮らしているチーという女性。それって成功者? でもちょっと違うみたい。祖母が亡くなったという知らせを受けて台湾に帰ったチーが行ったのは、かつて暮らしていた台北にある幸福路。そこでチーが小学校に通い中学高校を経て成長していく姿が描かれる合間に、台湾語を使わず北京語を使うように言われたり、いとこのウェンがあれは白色テロか何かだろうか、捕まって弾圧された経験を聞いたり、戒厳令が解かれてデモが横行するようになったりする展開が挟まれる。大きな地震も起こってバイク屋を経営していた小学校時代の友人がマンションの倒壊に巻き込まれたりもする。

 つまりは台湾の歴史。そうした時代を過ごした少女が両親に期待されていたような医者にはならず大学には入ったものの文系で卒業して就職先があまりにあく、悩んでいた時に新聞社の仕事を見つけて働くもののそこも永遠には続かなかったところで、従兄弟に誘われアメリカに行って働いていたところでアンソニーという男性と知り合い付き合い結婚までしたけれど、今はちょっと気まずい関係にあった。そして祖母の死。戻った台湾でチーは過去を思い出しながらいろいろと考える。

 自分は何がやりたかったんだろう。夢はあったけれどもどこか惰性で流され、親の期待に応えたいと思いつつ親の言うなりにはならないと反発もして、憧れだったはずのアメリカにまで行ったりしたのにそこは思っていたほど満たされた場所ではなかった。あっちに彷徨いこっちにうろついた果て、夫と気まずくなって戻ってきた台湾でひとり悩むチーの姿をふがいないと思うかというと、何がやりたいのかまるで見えないなま会社を生活にして30年近くを過ごしてきたのが、会社を離れたとたん、何もやりたいことが見つからずそれでも何かやらなきゃと焦る自分の身が重なって、いたたまれない気持ちになる。

 両親の期待に応えたいけれど、言うなりにはなりたくないという気持ちも。そうした迷いをチーの場合はずっと自分を気に掛けてくれていた祖母の教えや言葉や姿を思い返すことでどうにか抑えて乗り切ろうとする。自分にはそうした存在はいないけれど、だからこそチーの祖母の存在に寄り添いたくなる。その暖かい言葉に、態度に支えられ、自分は誰かの何かではなく、自分自身なのだと思い返して生きていこうと思うのだ。もちろんきっとこれからも迷うだろうし悩むだろうし泣くだろうけれども、そんな時には心にチーの祖母を浮かべてすがろう。

 アニメーションとしては、時系列がゆがんでいるというか行ったり来たりしているというか、慣れていないと一見で理解するのはちょっと大変かもしれない作品だった。これはいったいいつのチーが考えていることなんだろう。子ども時代? それとも小学生時代? 大人になってから? 大学生のころ? そうした時間が回想なのか空想なのか、入り交じってつながって挟まれ繰り広げられるから、それが本当にあったことなのか幻想の中なのかを確認しながら観ていく必要があった。

 絵柄や主題から思い出す「ちびまる子ちゃん」なら小学生時代の幻想が広がっていく程度で、そこに時間的な行き来はないから観ていて楽しめる。絵柄とそして妄想が炸裂するシーンなんかは「ちびまる子ちゃん」的で湯浅政明監督的。だからそういうのが好きな監督なのかと思ったら、朝日新聞記者の小原篤さんが聞いたところによると今敏監督好きらしく、時間が行き来して現実と幻想とが入り交じってつながる展開は今敏監督から影響を受けたものらしい。そうした影響を「ちびまる子ちゃん」的で湯浅正明監督的な表現の中で見せてくれたあたりに、今の日本でもとんがったところを吸収した世代が作品作りの最前線に台湾では来ていることが分かった。これは将来が楽しみだ。

  パシフィコ横浜で明らかになったi☆Risの来年のツアーをファンクラブ経由で予約したら、初日の初演となる三郷の昼間と横浜の関内ホールでの夜とそして千穐楽となる中野サンプラザでの昼と夜とに当選。結構な出費になるけれども生きるための糧にもなるからこれは仕方が無い。去年も同じ公演に出向きつつ中野までには身の処し方を決めたいなあと思っていたもののさだまらず、鬱気を高めてしまったけれどもちょうど1年が経った来年のツアー時に果たして身は固まっているのか。固まらずとも覚悟はついているのか。それを決めるのは自分とはいえ、やっぱりいろいろ気になるのだった。やっぱりしばらく実家に帰って考え込むか。PS4を買って「デスストランディング」でも遊びながら。


【12月7日】 そうか「映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」は興行収入8億円か。10億円だって行っちゃうかも。今日でも新宿ピカデリーがだいたい満席だったから。この数字って「プロメア」に迫るものだし湯浅政明監督の「きみと、波にのれたら」とか5年がかけられた大作「海獣の子供」なんかを上回る。それこそ「プロメア」級でこれからの動向次第では抜いてしまうこともあるかもしれない。

 とにかく安心して観ていられるアニメーション。「たれぱんだ」とか「リラックマ」で知られるサンエックスが生み出してもう7年くらい出しているキャラクターで、見た目は丸くてかわいいけれども寒がりのしろくまとか自分に自信がないぺんぎん? とか気弱なねことか本当はきょうりゅうだけれど言えば捕まっちゃうから偽っているとかげとか、やっぱりほんとうはなめくじだけれど貝殻をせおったにせつむりとか、脂身9割のとんかつとかしっぽだけのえびふらいとか、熱血とも青春とも違ってどこか欠けていたり足りなかったりするキャラクターたちがひっそり隅っこをとりあうというか譲り合いながら生きている。

 それぞれ単体のキャラクターでは、いずれもあこがれの対象というよりはむしろやっぱりどこか欠けている自分たちの成り代わり。というか完璧な人間なんて今やあんまりいない時代に自分もそうそうと投影できる何かを誰かが持っている。だから誰かに自分を仮託して、あるいはトータルの世界観に自分を沿えて観ることができる。だから人気となっている。子どもだけじゃなく大人にも。そんなキャラクターたちでも集まれば、欠けていたって補い合い、支え合って前向きに動いていける。

 そうやって絵本の世界で知り合ったあたらしいともだちを、助けよう励まそうと動き回るストーリーが絵本の世界という舞台で、物語に強制的に突き動かされるように進んでいく中で浮かぶギャップをギャグ的なものとして楽しめる。そうやって楽しみとんかつとえびふらいが赤ずきんの中でやっぱりな状態になったことにほくそ笑み、楽しんだ果てに来るひとつのクライマックス。そこに奇跡はないけれど、でも頑張った甲斐はあった。そして作られた新しい世界を果たして新しい友達は喜んでくれるのか。くれるんじゃないかな。そう信じて映画館を出ながら自分も誰かに優しくしよう、そうすれば誰かから優ししくしてもらえるかもと思うのだ。

 平面のキャラクターにすぎない「すみっコぐらし」のすみっコたちを動かすにあたって平面のままでは紙芝居にしかならないところを絵本調を維持しつつ、ちゃんとキャラクターとして動かしてみせるところがすごいというか、過去にそうしたキャラクターものを多く手がけたファンワークスだけのことはある。スタジオがしっかりしている上にヨーロッパ企画の角田貴志さんが脚本を書いてまんきゅうさんが監督を務めた作品は、キャラクター好きの子どもたちだけでなく大人だって観てこの生きづらい世界を頑張って生きていこうと思う映画に仕上がった。

 だからこれだけのヒットをしているんだろうなあ。そうした噂が広まることで、なおいっそうの観客に足を運ばせ評判を高めて広めてそしてまた足を運ばせる連鎖が続いているうちは、まだまだ収入は伸びるだろう。クリスマスシーズンに向けて大きな映画が相次ぐけれど、そんな合間にも今の調子ならちゃんと上映され続けそう。配給のブッキングがどうなっているかは分からないけれど。

 せっかく外に出たのだからTOHOシネマズ新宿で「ルパン三世 THE FIRST」を観て帰ろうと新宿ピカデリーから移動。「シティーハンター」実写版のイベントをやっていたらしくメディアの受付ができていた。そんな劇場の最前列で観た「ルパン三世 THE FIRST」は、初のフル3DCGによるルパン三世という触れ込みだったけど、2Dのアニメーションで観るよりルパン三世っぽさを感じた。

 それは、2Dの絵だと毎回のように描く人によっていろいろな違いが出たりしていたし、アクションにも違いがあってそれぞれの特徴に自分を合わせて好みかどうかを心で判断する必要があるのに対して、3DCGの今作だとキャラクターについても動きについても、テレビシリーズ第2作目の「ルパン三世」に感じていた想いとか、抱いていた印象を固めてまるめて総体にしてエッセンスを抜き出し平均化して最大公約数を取り出し描いたようだったから、かもしれない。

 つまりは、そうそうそうだよそうなんだよ、といった感じを存分に味わわせてくれる上に、2Dのアニメだと感じるキャラクターたちの描かれ方に対する種類が多すぎることからくる違和感を、初の3DCGのキャラクターはこれが初見ということもあってあまり感じさせなかった。どこかで観てきたものが立体になって動いているとでも言おうか。ルパンはどこまでもおちゃらけていて次元はどこまでも渋く五エ門はクールだけれど照れがあってそして不二子はナイスバディ。あととっつあん。四角いなあ。そのアクションもテレビシリーズのとりわけ第2作目のエッセンスを抽出して固めてテンプレート化したかのよう。コレ含めてすべてがそうそうそうだよそうなんだよの固まりだった。

 それはストーリーにも言えること。古代の遺跡をナチスが狙って騙された少女が取りだしルパンが横取りしようとしたけど発動し、けれども少女が頑張りルパンも頑張り情が発生して悪は滅びる、的な。「レイダース」であり「天空の城ラピュタ」でもあるけれどルパンの中でも何度か描かれたようなストーリーでもある。それを繰り返すかのようにやってしまってつまらないかというと、時代劇と一緒で定番化しているストーリーだから分かりやすくて楽しめる。ルパン三世がある種の時代劇化している現れを、キャラクターの動きだけでなくストーリーでも使ったとでも言えばいいのか。安心して観ていられる映画。あと3DCGだとレティシアの腰つきとかお尻の丸みだとか不二子の胸のたわわさだとかが 御持って感じられたのが良かった。2Dだとこうはいかないものなあ。


【12月6日】 思い出したのが「ARMS」の主人公、高槻亮の母親で主婦の高槻美沙でいつも笑顔を絶やさない女性だけれど実は戦場でも恐れられた伝説の傭兵で、危機に陥ったところを息子が心配していたらあっさりと返り討ちにして唖然呆然とさせていた。その点、「PSYCHO−PASS3 サイコパス」に登場する厚生省公安局刑事課一係の監視官、炯・ミハイル・イグナトフは妻の舞子とずっと外国で暮らして育っていた訳だから、彼女がそこで何をしていたかを良く知っている。教祖ごときにつかまれ引きずり回され拳銃を突きつけられたところで、軽く反撃できることだって知っていただろう。

 心配すべきはそんな反撃をして教祖を射殺なんかして舞子の色相が濁ってしまうことで、炯はだから舞子には絶対に銃を持たせず反撃させず射殺なんかさせないように振る舞わなければならなかったのに、自分を撃てといって自分の方に教祖の銃口を向けさせてしまったことで舞子に反撃の機会が出来て下からすくい上げるようにして銃を跳ね上げ額にぶつけさせ、そして驚いて自分に銃を向けたところで左手で捻り右手で奪ってすかさず手に持ち引き金を引いて教祖を射殺。脇をしっかりと締め銃口をぶらさず1発ではなく3発を足とかではなく胸にぶち込んで確実に射殺する打ち方は、戦場でプロとして活動してきただろう可能性をうかがわせる。

 つまりはそうした出自の2人。だから炯に本気で暴れさせるなと誰かが言っていた割にはあまり派手に動かず電子銃で撃たれたりもする場面があってちょっと弱いなあと思ったし、妻に配慮したい割には舞子が銃を持つ機会を与えてしまったりした場面には何を考えているんだとも思った。そういう部分で脚本なり絵コンテなり演出に抜けがあるような気がしてならない「PSYCHO−PASS3 サイコパス」。なにしろあれだけ世界を隅々まで監視して管理しているはずのシビュラシステムが、配下の監視官を結果として殺害され排除されながらもビフロストなる組織の壊滅に向かうどころか、存在を感知できないんだから不思議というか。その理由があまり説明されていないところにも疑問が生まれる。

 絶対的な監視が行われ管理されているからこそ、その間隙を縫うようにした犯罪が起こって驚かされるというのがこれまでのシリーズの筋書き。個人の体質なり特徴なりがシビュラの目をかいくぐらせていた訳だけれど、ビフロストは組織として活動していて人員も大勢いてシビュラが本気を出せば分からないはずはない。にも関わらず闇にうごめきシビュラを出し抜き監視官を欺く。真緒みたく接触を受けていたりして取り込まれている者がいるのかもしれないけれど、それだってシビュラの目を逃れられるとは思えないんだよなあ。でもやっているからこそ常守朱は現場を退き、裏側から何か画策をしているのかも。いったい何を知っていて、何を追っているのか。それにシビュラはどこまで協力しているのか。次の回でいろいろ明かされると信じよう。

 ひとつのことを取り繕おうとして、どんどんとドツボにはまっていくのは自分が関与していたら総理を辞めるといったことから関与してないと言いつくろうために記録を破棄し、そして人死にまで出した森友学園問題の例がすでにあったりするけれど、菅官房長官がバックアップは行政書類ではないと言い切ったのも何が何でも桜を見る会の名簿を出したくないということから始まって、出してと言われて出した日は他の日は担当職員がおらずシュレッダーが使えずその日にようやく使えただけだと言い訳し、でも電子データなら残っているじゃんと問われてそれはとっくに破棄したと言いつくろい。でも電子データはバックアップを残しているんじゃないのと問われてそれは行政文書じゃないから出せないと言い抜けるため、だったりするからどうにも筋が立たなくなる。

 だってバックアップだよ、それは大元が毀損された時に大元に変わって活用されるデータだよ、すなわち本物のスペアであって電子である以上は本物そのものでもあるにも関わらず、行政文書じゃないから出せないなんて言ったら大元が毀損されてもそんな行政文書でもないデータで埋める訳にはいかなくなってしまうんじゃないか。でもそれだとバックアップの意味を成さないんじゃないか。だからやっぱり出すべきなんだけれど行政文書じゃないから出せないという堂々巡り。そう言いつくろわないと出さざるを得ないのをどうにか逃げようと取り繕った果ての矛盾を、口にして平気な頭でいられるところに今の政治家たちの不思議がある。ドミネーターを向けたらいったいどんな犯罪係数が出るんだろう。もしかしたら本気でそう思っているから色相もクリアなのかも。免罪体質というか無感体質。そうでもなければ政治家も官僚もやってられないだろうなあ。

 「おすすめ文庫王国2020」でようやく「境界線上のホライゾン」を1位に推せて大満足。過去にも番外としてその分厚さから文庫王国の国王に相応しいと言い続けたものの、「本の雑誌」がそれほどまでに凄い文庫があるなら特集だとか言ってくれたことはなく、ライトノベルだからか触れられもしていなかったし今回の「おすすめ文庫王国2020」でも他に関心を持たれた感じはなかった。というか刊行点数でも全文庫の中で結構な分量を占めているはずのライトノベルを、他のジャンル別ベスト10で取りあげた人がいたかというとパッと見でひとりもいなかった。

 メディアワークス文庫や富士見L文庫や集英社オレンジ文庫も見なかったなあ。ライトノベルなり派生のキャラクター小説があれだけ読まれているのに文庫王国では見えないことになっている。文庫リーグでもメディアワークス文庫と富士見L文庫の名が見えるくらい。選ぶ人のお歳が? それを言うなら自分だって。結局は関心があるか、どうかなんだろう。まあでもここでこうして「境界線上のホライゾン」を推したことを、作者の川上稔さんも喜んでくれて良かった。読んで来た甲斐があったし推した意味があった。これを機会にもうちょっと広がってくれれば、アニメも第3期なり最終章なりが作られるかもしれないなあ。作って欲しいなあ。劇場版とかで。


【12月5日】 東京アニメアワードフェスティバル2020で行われるアワードの部門で、商業作品が選ばれるアニメ・オブ・ザ・イヤー2020の候補作となる100作品が決まった模様。うち20作品が劇場アニメーション映画で映画部門の候補作ってことになるんだけれど、そこに「きみと、波にのれたら」もなければ「海獣の子供」も入っていなくて「バースデー・ワンダーランド」もいなかったりするといった具合に、何かちょっと足りないような状況となっている。

 これは投票によってベスト20が決められてしまうことによるんだけれど、問題はそうやって残された候補から審査担当者が選び決めることになっていながら、そうした審査担当者が自分の信念で本当に良かった作品をこれで選べるのか、ってことになる。なるほど小説のコンテストみたいに途中で下読みだとかがガンガンと落とした残りを選考委員が読んで選ぶような形式だってあるにはあるけれど、落とされたのは公開されていない応募作。映画の場合はすでに上映されて審査担当者だって見ているものなのに、そこで良かったと感じた作品が、候補にいないと推せないという苦渋を味わうことになる。

 直木賞だって芥川賞だって候補作に挙がらない作品を選考委員が推したいことだてあるんじゃないと言えば言えるけれど、最終選考へと挙がる作品は読者の人気投票で決めている訳では無い。だったらどうして決めているのかは問い詰めればボロも出るかもしれないけれど、ある程度の納得の元で候補作は決められている。対してアニメ・オブ・ザ・イヤーの場合はどうなのか、ってところでやっぱりシステムとして、これで良いのかって悩みは今回も起こりそうだなあ。選考担当者でも何でもないから気にはしないけれど、少なくとも「海獣の子供」が評価される場はいつかどこかで欲しいなあ。

 朝からガイナックスがどうかしたとかでニュースが飛び交って何事かと読んでも登場している人物にまるで心当たりがない。つまりは過去の創業者とか関係者がほとんど外に出てしまって別の会社を作ったりしていて、持っていた権利もあれやこれや売り払ったり売らざるを得なかったりして名前だけが残っているといった感じ。その会社を受け継ぎ経営していた人が起こした問題を、過去にいろいろと凄い作品を送り出したガイナックスと同列で考えて良いかというと、そこはなかなか難しい。

 今は権利も持っていなくて関係者も過去とは断裂しているとは言え、ガイナックスという商号を持った企業において「新世紀エヴァンゲリオン」が作られたという歴史は動かしようがなく、その商号を受け継いでいる会社の経営者が起こした事態に「エヴァ」を作った会社の経営者といった表現を使って間違いということはない。ただ「エヴァ」というブランドがこれによって毀損されるとしたら、今まあに「エヴァ」の権利を持って映画を作っているカラーが異論を唱えることも間違ってはいない。

 とはいえ、「エヴァ」を作ったガイナックスの経営者、という表現そのものを違うと断じてはややこしくなるので、ここは確かに過去にガイナックスで「エヴァ」は作られたけれども今の権利は別にあり、作ったクリエイターは外にいて残ったガイナックスに権利もなければ作った人もいないから、関係はないのだといった説明を報道する側に求めるのが穏当だったかもしれない。抗議に「上記のとおり、当該被疑者は『新世紀エヴァンゲリオン』及び『エヴァンゲリオン』シリーズ作品と全く無関係であるにも関わらず」といった具合に、会社ではなく容疑者を主語に使っているのは、その辺りを捉えてのことだろう。

 にも関わらず、「今般一部報道において、『新世紀エヴァンゲリオン』及び『エヴァンゲリオン』シリーズ作品に関する言及のあったことは誠に遺憾であり、強く抗議いたします」と続けていたりするところに、苦渋を感じつつもちょっとした飛躍も感じないでもない。ここはだからやっぱり報じる側に理解を求め親しみを持ってもらうようなアプローチが重畳なんじゃないのかなあ。それにしてもガイナックス、あれだけのことをやってのけた会社が今、その名前の下で惨憺たる事態になっているのは寂しいなあ。似たようなことに他の会社もならなきゃ良いけれど。

 どこまでもミノタウロスが強くなっていくのをいつか誰か止める話になるのかと思っていたけど支援BISさんによる「迷宮の王」の第3巻、ミノタウロスがある種で超越した存在になってしまったところでひとりのヒーローとの間で半ば心を通わせるような状況になりつつ、最後にはやっぱり対決する事にもなって双方に感じ入るところを得て終わるといった、オープンな感じのエンディングになっていた。ミノタウロスが本当に退治されたのかも謎なら、そもそもただのモンスターだったのか、あるいはモンスターから別の存在になったのかといったところも不明なまま。そうした可能性を覗かせつつ人は別に人としての世を歩んでいく。

 途中で王国をめぐる勃興なり衰亡なりの年代記的な記述もあって、後半はそうした展開がミノタウロス退治と乖離している感じもあって構成としてちょっと不思議。前半までは修行をして強くなった上に嫁まで得て2人で挑む展開なんてものも想像できたのに、その嫁が半分くらい死にかけてそれで恩寵で復活したもののヒーローは召還されてはよりを戻すような展開はなく、強い男女の関係へと向かうことはなかった。そうしたキャラクターに対する有り体な展開を捨ててミノタウロスの成長、そして世界の推移に描写を割くあたりが新しさなのかもしれない。これで完結かな。次の作品、他の作品も読んでみようかな。


【12月4日】 「天気の子」や「プロメア」「若おかみは小学生!」なんかがノミネートされたアニー賞でウィンザー・マッケイ賞と名付けられた功労賞を今敏監督が受賞したらしい。過去には人形アニメーションの川本喜八郎さんや手塚治虫さん、そして宮崎駿監督に大友克洋さんに高畑勲さん押井守監督といった面々が日本からは受賞していたけれど、手塚さんのようにおそらくは存命ではない上に没後9年が経っている監督に賞が与えられるのはちょっと異例のような気がする。

 同時受賞は「ナイトメア・ビフォー・クリスマス」や「コララインとボタンの魔女」のヘンリー・セリック監督に「アラジン」「モアナと伝説の海」を共同監督しているロン・クレメンツさんとジョン・マスカーさん。どちらの方々も存命な上に世界的な監督と並ぶくらい、それは死後でもそう思われるくらいに今敏監督が世界的に知名度があって人気も高くそしてアニメーションに多大な功績があったと認められている現れだろう。日本では文化庁メディア芸術祭がかつて贈賞して讃えたけれど、没後から10年目になる2020年に何かしてくれるのか。しなくたって誰かがしようと言い出すと期待しつつあの作品群がまた劇場で見られる機会が来ることを願おう。最高の音響で聞きたいよ、「ロタティオン(LOTUS−2)」を。

 SFマガジンを読み始めた中学生のころから、その名をお見かけし続けていたSF研究家の星敬さんが亡くなられたとの情報。とり・みきさんや出渕裕さん、鹿野司といったパラレルクリエーション回りに名があって豊田有恒さんの周辺から出て来た人だという認識はあったけれど、活動としてはどちらかといえば書誌関係が多かったような記憶がある。その豊田さんが受け持っていたSFマガジンでショートショートSFを募集する「リーダーズ・ストーリィ」の選者になってからは、SFマガジン誌上でも批評が読めるようになっていた。

 その「リーダーズ・ストーリィ」には1990年代だかに2度ばかり、ショートショートを送って掲載はされなかったけれども候補作となって短評を頂いたことがある。もう星敬さんになっていたころだと記憶しているけれど、何年の何月号だったかはちょっと覚えていない。あの頃の創作意欲を毎月のように続けていれば、創作へと道も開けて今こうして路頭に迷うこともなかったかもしれない。一方で少しでもSFに関わっていられるのは呼んで批評を書く仕事が続いているからで、そっちに行った結果を今は喜ぶべなのかもしれない。

 SFマガジンでは2001年からライトノベルのSFやファンタジーを紹介するコーナーを担当していて、そうして挙げた作品をリスト化して星敬さんがSF関連書籍として記録していってくれた。SFマガジンとかSFが読みたいなんかに掲載されているから、今も記録としてライトノベルのSFが残っている。決してすべてはなくてもそうやて残されなければ気にされず記憶されないままだたったかもしれないと考えると、星さんの仕事が持つ意味の大きさも分かる。アーカイブとはただ保存するだけでなく、記録することも重要なのだ。

 「そも仏道とは護法のために編まれ、やがて体系立ててひとつの道として確立された総合戦闘術である」という1行で、その面白さが分かる小説が可能される。鵜狩三善さんの「ボーズ・ミーツ・ガール 1 住職は異世界で破戒する」(レジェンドノベルズ)。発売前なので詳細には触れないけれども宇宙で昆虫型の敵と戦っていた地球からの陣営には侍がいるけれどもその侍が不足だったため、前線に出て戦ったひとりの僧兵。侍ほどの攻撃力はないとされながらも宇宙を駆け抜け敵陣に特攻しようとしたものの果たせず、かろうじて味方の攻撃が間に合い敵は倒されても僧兵はそのまま宇宙で消えようとしていた。

 そこに召喚の誘い。目覚めた世界で僧兵は世界を脅かす魔王を相手に自らの命を引き替えにして挑もうとしている少女を助け、戦いに身を投じる。そんな展開はところどころに楽しさはあっても基本は真面目な文体で、オショウという名を名乗るようになった僧兵が仏教になぞらえられた言葉を繰り広げては技を繰り出し思考をめぐらせ敵を倒していく。僧兵でこれだけ強いなら侍はどれだけ強いんだと思わないでもないけれど、そんな強さに魔王軍の面々も堂々と挑んでは散っていく姿がなかなかに格好いい。呼んでスカッとするストーリー。続編もあるみたいだけれどいったい誰と今度は戦うのか。宇宙から何かが攻めてくるのか。大いに期待。

 シュレッダーの運用を障がい者として雇用されている担当者が受け持っていて、その担当者が出勤時間に制限があるため依頼した書類のシュレッダーへの投入が、その時間にならざるを得なかったという理由自体は理解できないでもない。フルタイムで働けるとは限らない状況で、頑張っている職員がいてその人にちゃんと仕事があるなら幸せなことだから。問題は本当にそういう理由なのかってところで、その時間にシュレッダーにかけなくてはいけなかったとしなければならないなら、その時間にしか働けない人員を用意するしかなく、それが働く時間に制約をある障がい者の方だったというロジックだったらやはり拙い。本当にそうなのか違うのかは突き詰めて欲しいところ。外務省は海外では障がい者雇用は難しいからと枠を減らしてと泣き尽くしなあ。これじゃあ進まないはずだよ雇用。


【12月3日】 アメリカでアニメーションを表彰するアニー賞のノミネート作品が発表になって、インディペンデントの部門で日本から「天気の子」と「プロメア」と「若おかみは小学生!」がノミネートされたとの報。メディアだと「天気の子」くらいしか紹介されておらず、前の「君の名は。」に続いてのノミネートで今回こそはといった話や、去年同じ部門で細田守監督の「未来のミライ」が受賞しているから2年続けて日本作品が受賞かもといった話になっている。

 ただ、作品性なら「プロメア」だって負けてはいないし「若おかみは小学生!」のように日本でだって知る人ぞ知る作品がアメリカで評価されてノミネートされたことへの驚きもある。そうした作品を取りあげて「天気の子」と並べることでそうかそういう長編アニメーション映画もあったんだと、世に知られて欲しい気もするけれども、載せられる情報だって限られる中で最もヒットした作品を紹介するのがメディアの常。あるいは最も知られた作品を紹介することでメディア自体のバリューを引っ張ってもらおうとしているから、それも仕方がない話なのかもしれない。

 そういう時に、すでにバリューを持った報道機関が多少の傾斜はつけてもおおむねフラットな状態で報じて、「天気の子」が持つバリューを他の作品にも流し込むような紹介の仕方ができれば良いんだけれど、ある意味でサブスクリプション型にあらゆる情報を詰め込んで、新聞というパッケージにして配達して来たメディアがだんだんと地位を下げ、ネットという場でバリュー先行によるアクセス稼ぎに汲々とするメディアと競争しなくちゃいけなくなっている。そうなると新聞もバリュー先行にならざるを得ずネットでは「天気の子」ばかりが紹介されてしまう状態に。この傾向は強まりこそすれ緩まることはないと考えると、作品作りもいろいろと厳しいことになっていくんだろう。どうにかならないものかなあ。

 警察に逮捕か拘束かされた少年が、警察から逃げ出したのを拾って逃亡を幇助し、そしてパトカーに追われているのに停車せず、信号を無視するかのうように交差点を突っ切り警察を振り切ろうとして速度超過も行ったまま、突っ走っては最後に水たまりに突っ込んでしまうようなスーパーカブの使われ方を、果たしてバイクメーカーが是として良いのかは迷うところではあるけれど、130億円の興行収入を稼いだ「天気の子」の前には、Yahoo!の知恵袋が使えなくったって別にYahoo!からチェックされないのと同様に、メーカーとしても気にせず人気に乗っかるのが良いって判断だったのかも。

 「天気の子」で夏美が帆高を乗って公道を突っ走るピンクのスーパーカブがプリントされたTシャツがホンダから発売。これが売れるってことなんだろうなあ。3パターンあって映画のような横長のプリントがされているだけといった、あまり美しくないデザインだけれどそういう意味では貴重な品なんでちょっと気になる。とはいえ1枚で6000円近い値段は貧乏人には手が届かない。背中に3コマ分がプリントされたのがデザイン的には楽しいけれど、バックプリントってTシャツをむき出して着た時じゃないとアピールできないからなあ。上にジャケットを羽織って前身でちょい見せくらいが大人には有り難いんだけれど。さてどうするか。そのまえにどうなるか。模様眺め。

 ぜんぶで1054カットある長編アニメーション映画のカット袋を箱から取り出し、背景を抜いて透明な袋に入れて上にトレーシングペーパーをかけ、付属している手描きのレイアウトははずしてカット袋に入っているレイアウトとか修正原画だとかタイムシートなんかを合わせてこれも別の袋に入れ、そしてセル画と動画をカット袋に戻して分類・整理する作業をこの10日ばかり続けてようやく半分くらいまで到達。原画はすでに抜かれてあってそちらの整理は終わっているから、20年前の映画の素材を利活用する道も拓けてくるかもしれないけれど、果たしてそうした場はあるか、っていうと覚えている人がいるかどうかにかかってきそう。

 最近は「機動警察パトレイバー」が盛り上がっていて原画展が大阪で開かれて上映会も開催、そして東京でも原画展が開かれる予定で整理され分類された原画なんかが選ばれ展示されて利活用されている。図録にも入って昔描かれた精緻な筆致をたどることができる。同じ様な状況に長編アニメーション映画もなって欲しいけれど、続編が作られたりして盛り上がりが続く「パトレイバー」と違って記憶の中に留まって、思い出として存続している映画だと果たしてどこまでビジネスに結びつくかがちょっと見えない。だからやっぱり事前に映像も出版も連動があってさあその大元だよ、って行きたいけれどそういう機会はあるのかどうか。新しい作品をどうにか売るのに懸命な業界だけに、難しいのかもしれないなあ。アーカイブという視点から過去作品を保存しつつ見せ、技術の継承に繋げるといったお題目が必要なのかもしれない。


【12月2日】 たぶんそうとは意識しないで声だけ聞いて印象に残った最初は「巨人の星」の花形満になるんだろうか。星飛雄馬を演じた古谷徹さんの初々しくも熱血さを持った声とは対照的にクールで気取って格好いい奴って印象だったなあ。左門豊作の兼本新吾さんは後に「科学忍者隊ガッチャマン」のみみずくの竜でも聞くことになるけれど、タイプは似ていてお名前はともかく同じ声だと感じたっけ。古谷徹さんはアムロ・レイから聖夜なんかを経ていろいろと演じていく中で、井上真樹夫さんは「ルパン三世」の石川五エ門とそして「宇宙海賊キャプテンハーロック」のハーロックが花形よりも強く印象に残った。

 ファーストシリーズの大塚周夫さんとは違った甘さも持ちつつ若さも漂わせながらもストイックな侍といった風情を漂わせた「ルパン三世」の五エ門は、番組内でやがて決めぜりふとなっていく「またつまらぬものを斬ってしまった」とともに長く耳に残る声となっていく。「風魔一族の陰謀」はさておいて浪川大輔さんへと変わった今もやっぱり雰囲気は井上真樹夫さんを踏襲しているといった感じ。それは山田康雄さんのルパンを栗田貫一さんが踏襲し、納谷悟朗さんの銭形警部を山寺宏一さんが踏襲し、増山江威子さんの峰不二子を沢城みゆきさんが踏襲しているのと同様。井上真樹夫さんが石川五エ門のスタンダードを作ったと言える。

 そしてハーロック。どこまでもクールで格好良いいけど花形のようには気取っておらず低い重心からしぼりだす言葉には隅々まで心がこもっている。そんな声を聞かせてくれる役だった。他にもいろいろと二枚目を演じただろうけれどもハーロックの声をそのまま使ったような感じは印象にない。それほどまでに役柄にその美声をチューニングしたともいえる。だからこそ声と顔が一致するキャラクターになった。今ほかの誰がどう演じてもハーロックにはならないような、そんな気すらする。それほどまでにマッチした役だった。

 そんな井上真樹夫さんが死去。81歳はご高齢だけれどまだまだ元気でいられる歳でもあった。残念。これでルパン一家で存命は今のメンバーを除けばファーストの峰不二子を演じた二階堂有希子さんと新ルパンの増山江威子さんってことになるのか。もちろんパイロットフィルムからずっと次元大介を演じている小林清志さんも存命だけれど、山田康雄さんが無くなり納谷悟朗さんが泣くなってそして井上真樹夫さんとなると新ルパンという人気を蹴ってづけたシリーズでの5人中で3人が鬼籍に入った。これが時代なんだなあ。 昭和は本当に遠くなった。小林清志さんにはもう思う存分に次元を演じ続けて欲しいなあ。何を言われたって他にいないんだから。

 今の時給で働く業務委託の身となってようやくその厳しさも感じられるようになった非正規雇用の不安定さに対する不安といったものを、解消しようと自治体なんかがとみに増えている非正規雇用の職員にも正規雇用の職員と同様に賞与なんかを出すようにしようという動きがあるそうで、それは素晴らしいことじゃないかとよくよくニュースを読んだら何と賞与を出す代わりに月々の払いを減らすといった措置を行っているらしい。意味ないじゃん。

 月々もらえてなおかつ正規の職員と同じ仕事をしているのだから同じだけの賞与をもらえて当然なはずなのに、トータルの支給額が変わらないならそれは何の助けにもなっていない。むしろ月々を減らされ困窮すする人の方が増えそう。借金漬けになってそれを賞与で返したところで、利子はとられる訳だから前より支払いは多くなる。だったら月々を増やして欲しいというのが実情だろう。っていうか普通の賞与をプラスしてくれって言いたくなる。海外ではそうしたパートタイムの方がむしろ手厚いっていうのにこの国は。

 医療費も支払いを抑制する方向にあって国が国としてのサービスを提供できなくなっている。それなのに税金は上がる。それが総理大臣の私的な宴会に用いられている可能性がある。そうした苦境に誰もが喘いでいるのに下がらない支持率っていうのはつまりもはや政治なんてものに関心を向けているほど心に余裕がないんだよ。ニュースなんて観ている暇がないんだよ。積極的に支持ってより今より悪くなるかもしれないなら今のままが良いってだけの消極的な支持だよ。その上にあぐらをかいてどんどんと簒奪していった果てが今。底が抜けてようやくヤバいと気付いた時にはもう遅い。というか既に遅いのかも。どうなるんだろうなあ日本。そして僕の明日は.

 Netflixでアニメ版「蒼き鋼のアルペジオ」を見続けたせいでアプリ版のゲームもやってみたくなってiPadにインストール。始めて艦を建造したらタカオが出てタカオが出てタカオが出てキリシマも出てキリシマもまた出たりしてコンゴウにコンゴウとそしてイオナとイオナが並ぶ状況になってしまった。いくらメンバーが少ないからってこれではなあ。とはいえすべてがちょっとずつ違うところが面白いというか。作り手もいろいろと考えているというか。これであと出たとしてマヤくらい? ヒエイとか生徒会役員たちはちゃんと出る? 気になるからやり進めていこう。


【12月1日】 7月くらいから試写の機会がありながらも日程が合わず観られなかった「HUMAN LOST 人間失格」をやっと観た。なんだ面白いじゃないか。太宰治の原作からの入れ替えだとか増幅だといった分析は脇において、社会がナノテクノロジーの発達によって誰も死なないようになって、その中で長く生き続けることを至上とする勢力がいる一方、死ねないことへの不満を抱えて爆発させようとしている勢力もある。そんな状況にあって死なないような体の仕組みをぶち壊し、暴走させることでモンスター化する事件が勃発する。ヒューマン・ロスト現象と呼ばれている。

 その事件の裏で動いているのが堀木正雄という人物。元医者で、死なないことへの倦んだ気持ちを利用してヒューマン・ロスト暴走させているようだけれどその目的はどうやら別にあるらしい。そんな堀木が竹一というバイク乗りの青年と、そして画家をしている葉蔵という青年を選んで暴走させた挙げ句、葉蔵に異変が起こる。それは世界を脅かす存在なのか、それとも救う存在なのか。

 同じ様なある種超越した存在はほかにもいて、柊美子という健康保障機関の広告塔をやりつつヒューマン・ロスト現象を感知する力を持った女子で、葉蔵が同じ様な身になったことを感知して機関へと誘うもののそこに堀木の手が伸びる。一方で機関を動かす合格者、歳をとってなお生き続けるものたちの策謀もうごめく。死を望まず生き続けたいと願いもの。生き続けることを拒絶して死を求めるもの。立場や考えの違うものたちのはざまで利用される美子、あがく葉蔵。その行き着く先は青空のある理想の世界か、ヒューマン・ロスト現象によって滅びた世界か。

 そんな感じに社会保障がある意味で行き届き、けれども管理された未来のビジョンを見せてくれるところがSF的。色相によって犯罪の可能性を未然に防ぐシビュラシステムが行き渡った「PSYCHO−PASS サイコパス」の世界とはまた違った、管理と統率が行き着いた世界のビジョンを見せてくれる。冲方丁さんが考えた世界観か。それがよくもまあ太宰治の「人間失格」と結びついたものだと驚き。企画を聞いてから何年もかかって練り上げたことはあるというか、それだけかけないとこの設定は生まれてこないよなあ。

 噂されていたように初見では分からないということはなく、ナノテクノロジーを使った人間お管理と進化が根底にありつつそれが倦んだ空気を招いているといった感じに、だいたいの設定は理解できたからついていけた。市街地が汚い場所と綺麗な場所に分かれているのはどういった格差があるんだろう。「PSYCHO−PASS サイコパス」でもそうした地域はあったけれど階層として分けられているといっった設定があるのかな。ちょっと分からなかったのが、バーでマダムが襲われたあたりか。どういう展開があったかが知りたい。

 おそらくは堀木がうごめいて葉蔵の覚醒を促そうとしたんだとは思うけれど、マダムがなかなか美麗だっただけにちょっと勿体なかった。いいもの拝ませてくれたし。それを観にまた行きたいかもしれない。今年観た中でも上位に入りそうな傑作SFアニメーション映画。でもやっぱり太宰治さんの原作とどういった関係があるのかはすぐにはつかみづらかった。浅香守生監督による「青い文学」シリーズのアニメーションで、原作をきわめてしっかりと再現した「人間失格」を見返したくなってきた。家にBlu−rayがあるはずなんだけれど、どこに仕舞ったかなあ。他の方法では観られないのかなあ。

 9月の終わり頃から関わっていたNHKのBS8K1周年記念番組がいよいよ放送されるというので観られる場所を探して渋谷のNHKへ。さいしょはスタジオパークに入ったけれど17時半から18時の放送時間の途中で放送を止めてしまうそうなので、そこを出て近くにあるふれあいホールへと移ってそこのロビーにある8Kテレビで番組を視聴。その前に放送されていた江戸切り子の職人さんたちをとらえたドキュメンタリーガラスでできた江戸切り子の美しさが隅々まで表現されていて、解像度の高さが質感をそのままとらえる8Kの凄さに感じいる。

 これが俳優さんなんかだとしわとかしみまでとらえてしまって、美しさかっこよさを損なってしまうんじゃないかって不安が芸能界にはあるみたいだけれど、番組「躍進する世界の8K」に出演をお願いした落合陽一さんは、そうしたしわとかしみも含めてその人が生きてきた証であって、逆に映し出すことによって人生なり考え方なりが見えて来るんじゃないかって話してた。本物の役者だからこそにじみでる本物感。逆にニセモノは耐えられなくなる。怖いけれどもそれはそれで素晴らしい状況が待っているのかもしれない。

 とはいえお金がかかるのも実際で、ハリウッドなんかが本気で作ったセットの上で本気で演技する俳優たちが本物の芸を見せてくるようになると、日本のちゃちなセットとかアイドルあがりの人気者では大きな差が出てしまう。それをこれまでは勢いとかで見せていたのが耐えられなくなった時、日本のテレビ番組制作はどこへと向かうのか。より資本の大きなところに飲み込まれてしまうのかもしれないなあ。世界の何十億を相手にするハリウッドなりNetflixのようなメディア、あるいは国内だけで10億人以上の市場を持つ中国。それらが作り出す本物に対抗する日本のコンテンツって何だろう。アニメーションも8Kでは作るのが大変だろうし。困った。とはいえそこに活路を見いだせば将来はある。頑張って。

 百合×SFはなにもハヤカワ文庫JAの専売特許ではないようで、講談社ラノベ文庫から登場したこまつれいさん「101メートル離れた恋」は目覚めるとなぜか女性型のオートマタ、つまりは機械人形の中に入っていた少年がその体で男性相手にご奉仕する日々にうみ果てた先、派遣された家で神尾イチコという少女と知り合い次第に仲良くなっていく。自分は人間の男子だと信じてもボディは女子というオートマタがどうして生まれてしまったのか。異世界からの転生ではなく生み出されたオートマタが自己防衛として行ったあることが招いた事態というアイデアとしてユニーク。最終的に男子の意識はどこへ行ったか。気になるところではあるけれど、オートマタが自意識を持ったらどうなるかを示唆してくれるSFと言えそう。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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