Last Updated 2018/6/18
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【6月18日】 早めに布団に入って見始めたFIFAワールドカップ2018ロシア大会のドイツ対メキシコ戦が凄まじかったというか素晴らしかったというか。しっかりとディフェンスラインを整えその前にも人を集めたメキシコが、ドイツの攻撃を寄せ付けず張り込ませずクロスだって跳ね返す鉄壁の守備を見せつつ、一瞬でもって真へと出しては一気のカウンターで1点を奪い、以後も守備とカウンターで脅かしつつ90分間を戦いワールドカップでの対戦では初の対ドイツ戦勝利を得た。ワールドカップの初戦でドイツが負けるのもずいぶんのことらしい。

 つまりはいろいろと番狂わせが起こった訳だけれど、これは決して根性論からの勝利でも、油断からの敗北でもなくお互いに相手の手の内をしっかりと読んでお互いに大作を経て会った中から生まれた勝利であり敗北。どかんとあたってずばんと買ったりべたんと負けたりして一喜一憂するようなサッカーではもはや試合にすらならない時代が来ているってことらしい。もしかしたらバレーボールと同じようにデータをアナリストが即座に分析して戦術に落とし込むようなこともやられているかもしれないなあ。もとよりドイツで発達した手法でもあるけれど、それでドイツが丸裸にされたならそれもサッカーの進歩の形という訳で。

 でも我らが日本代表はスポーツ新聞がこぞって根性だとかDNAだとか勇気だとかいったオカルトじみた言葉を並べて日本代表を飾り立てる。データスタジアムのデータを使った戦術分析だとかパフォーマンスの精査なんかもきっとやってないだろう。体脂肪というプロとしてあたりまえのことだって自発的に守れないチームなんだから。そんな日本代表が果たして世界で通用するのか否かは明日のコロンビア戦を見れば瞭然なんだろうけれど、そうなるかもしれない可能性をドイツとメキシコの試合から感じれば、今晩にだって対策を立てて選手に徹底させるだろう。その成果は先発メンバーに現れる。いつもと同じだったらそれは当たって砕け散るだけの旧態依然が未だ蔓延っている現れ。なおかつそれは今後も続く。参ったねえ。

 午前7時に目覚ましが鳴る前に目が覚めてそれからTOKYO MXで「モーニングCROSS」を見たり録画してあった「食戟のソーマ」なんかを見たりしていたらニュース速報で大阪を中心に大きな地震があったとの報。その震度が6弱とあってこれは強烈なのが来たぞ、いったいどれだけに被害が出たんだろうと心配になったけれど、いつかの阪神・淡路大震災の時のように高速道路が倒壊したり、地域が火事で大変なことになったりはしておらず、液状化で地面から水が噴き出したり水道管が破裂して水柱が立ったりといった感じで、震度に比較するなら震災と言えるほどの被害は出なかった。

 それでも倒れるブロック塀があって下敷きになって女の子が亡くなられたのは痛ましい話で、東日本大震災を受けて全国的に耐震補強の動きが進んでいれば防げたかもしれないと思うと残念な気がしてならない。古いけれども貴重な建物だから耐震補強はせずに入場制限で対処するという方針があっても良いけれど、公共の建物なり往来に面した場所についてはやはり震度7でもどうにか耐えるくらいの耐震補強を義務づけるべき時期にあるのかもしれない。もうひとつ、熊本では大きな地震があって被害が広がらず少し安心していたら、それは前震であって日を置いて大きな地震が来て一気に被害が広がった。東日本大震災でも本震を思わせる前震があった。そんな前例を含んで対処できるよう、備えをしていただければさらなる被害を出さずに済むので是非にお願いしたいところ。いや関西に限らず関東でもなんだけれど。今の部屋は東日本大震災での関東での揺れで自分、確実に潰れるものなあ。

 「ニンジャバットマン」を前日に見て翌日にまた見に行ったのは、ひとえにゴリラ・グロッドを伴いジョーカーを倒しに乗り込んだバットマンにくっついて、キャットウーマンも乗り込んでいってはハーレイ・クィンの上で宙返りするシーンを大きなスクリーンで見たいがためであってイオンシネマ幕張新都心のULTIRAスクリーンに映し出される巨大なキャットウーマンのお尻はそれこそまぶたの裏側に永久に焼き付けたくなる。見たいシーンがあるから何度でも映画に行くひとつの例。これに当てはめるなら予告編で流れているあのシーンを見に「ペンギン・ハイウェイ」にも通ってしまうだろうなあ。それは何かってもちろんお姉さんの大きなおっぱい。画面いっぱいに映しだあれるそのふくらみを、ULTIRAで見たらいったいどれだけのサイズになるのか。真下から見上げたらどんな気分になるのか。それを味わわせて欲しいから絶対にスクリーン8で上映を。お願いしたいけどこればかりは無理かなあ、新支配人におっぱい愛はあるかなあ。

 三浦しをんさんが女子高生2人の文通を描いて百合百合した雰囲気を感じさせてくれた小説を出してくれたと読み始めた「ののはな通信」がだんだんと時間を経るに従って青春の淡さも酸っぱさも吹っ飛んで、大人の女性たちの生き様を描くストーリーへと進んでいって人間、境遇は変わるし見えている世界も変わるものなんだと多い知らせてくれる。そうした中でもお互いを感じ取っていろいろと思いをやりとりする気持ちは少女時代と変わらず。それは単純に友情と呼べるほどスイーツではないけれど、互いを思い合った関係だからこそ言えたり言われたりできることがあるんだと思わされる。最初は文通でだんだんとメールになって最後はまた手紙になってそれが一方通行になる。もう終わり? そこは不明だけれど途切れた先、時代設定的にはLINEのようなメッセンジャーアプリが生まれてくる感じで、それを使って復活するやりとりが60歳くらいまで続くような続きをいつか読みたいなあ。書いてくれるかな、三浦しをんさん。

 そんな三浦さんが審査員を務めている第17回女による女のためのR−18文学賞の贈賞式があったんで見物に行く。大賞を受賞した人はフォトグラファーで、タレントの友近さんが選ぶ友近賞を受賞した山本渚さんは前にメディアファクトリーから「吉野北高校図書委員会」を出していたプロの作家の人だった。とはいえ数冊出してそれからしばらく音沙汰がなかっただけに今回の受賞である種の再デビューとはなった模様。書き続けられる人だとは思うけれども環境が許さなかったのだとしたら、今回は新潮社という文芸に誇り居があって綾瀬まるさんとか窪美澄さんとか山口マリコさんといった時代をとらえる女性作家を輩出している賞を受賞しての再デビューだからきっとバックアップもあって書き続けられるだろう。どんな作家になっていくか。楽しみつつ前の本も探してみよう。


【6月17日】 そして岩浪音響監督調整監修による「ガールズ&パンツァー 最終章」第1話の「ULTIRA センシャラウンド ドルビーアトモス イオンシネマ幕張新都心Mix」上映後に行われた支配人の交代式で、前支配人の羽藤さんの移動先がイオンシネマのフラッグシップ的シアター、シアタス調布と判明。調布駅の上に新しく作られた劇場は設備も新しい上に企画面でもいろいろと画策されている感じで、幕張新都心で数々の音響面で仕組まれた映画を上映してきた羽藤支配人のもと、いろいろと取り組みもなされることだろー。調布なら味の素スタジアムへと行く時に通る駅なんでそれほど遠いという印象もないんで何かあったら行ってみよう。

 ただ、それで幕張新都心の方の企画が弱ってしまってはもったいないので、新しく支配人になった中野さんという人には岩浪音響監督からの指導を受けてこれまでにも負けない企画をぶち上げていって欲しいなあ。個人的にはチネチッタ川崎のLIVE ZOUNDに匹敵するような繊細な音響でおって「リズを青い鳥」を上映して欲しかったけれど興行のルートから外れているみたいでやりそうもない。だったらやっぱりこれまでの資産を活かした上映会から始めて感じを掴んで欲しいけれど、数字だけ追いがちになるとドルビーアトモスの施設があってドルビーアトモスの映画が来てもアニメーションだからを脇に追いやられかねないからそこが不安だったりする。

 どうせ全部が埋まることなんでないんだから、サウンドや映像で設備に見合った映画が観られる劇場として名を深め、世に喧伝されることが今は重要なんじゃないかなあ、日本有数の映画会社が持ってるシネマコンプレックスなんて上野とかをのぞけば自分のところの配給を中心に売れそうな映画ばかりをがんがん流してマイナーだけれど長く愛されそうな映画を上映することなんてほとんどないから。あれだけ話題になって東京23区内で「この世界の片隅に」を上映することがなかったように。そんな効率に端ってツマラナイ小屋にならないために何ができるか、考えて欲しいしそれを実践したからこそ千葉の新興シネコンの支配人がチェーンでも有数の劇場の支配にんい“出世”できた。数字だけではない付加価値を重んじそれを伸ばすおとで得られる評判を、気にしていってくださいとお願い。「REDLINE」の爆音やろうよ爆音を。

 舞台挨拶付きを見た時は昼下がりだったんで途中、眠気に襲われゴリラ・グロッドを引き連れバットマンがジョーカーを倒しに行くシーンでまどろんで、予告編にもあるキャットウーマンが宙返りしながらハーレイ・クィンを攻撃するシーンを見逃してしまったのが心残りだったんで、ULTIRAの巨大なスクリーンで宙返りするキャットウーマンのお尻を見るべくイオンシネマ幕張新都心へ。ぐるぐると回る高木渉さん演じるジョーカーの声をか目をつぶるとさらにくっきり聞こえて来て、70個とかいったスピーカーが巡らされたドルビーアトモスの凄さを実感する。

 これだけのサウンドを例えば東京の都心部で体感できないのかといえば、TOHOシネマズには幾つかドルビーアトモスの劇場があるにも関わらず「ニンジャバットマン」は上映されない。他にかける映画あってその方が儲かるって判断なんだろうけれど、それだといくら日本で映画の音響を凝っても活かせず、だったらやらないとなっていつまでも育たない。映画ファンを育て映画作りを育てる場としての劇場が単なる窓になってしまっている状況を、替えるためにもドルビーアトモスの邦画は凄いんだ、そして客も来るんだ、上映した映画館は尊敬されるんだといった認識を世に植え付ける必要がありそう。その意味でもやっぱり岩浪美和音響監督による羽藤支配人の礼賛は、意味があると思うのだった。それをメディアがもっと取り上げればなあ。映画メディアがあれだけあって触れてるところなんて皆無だものなあ。

 秋葉原のアーツ千代田3331で始まった、アニメーション作家が新作を持ち寄って上映する「ANIME SAKKA ZAKKA anthology」を見物。昨日はオープニングで作家の方も来られていたみたいだけれど「ニンジャバットマン」と「ガルパン」があって行けなかった。物販も土曜日のみだから今日は買えなかったけれど次の土曜日は秋葉原で「REDLINE」の上映があるあkら終わったらのぞいてみよう。さて上映作品は「one day」という言葉をキーワードにした作品を持ち寄って上映していて、最初に中内友紀恵さん「ナナイロメガネVol.2が流れて眼鏡っ娘が可愛かった。楽しい音楽に合わせて賑やかに繰り広げられる「みんなのうた」的作品。浮き浮きさせられる。

 今回たった1人の男性作家となった竹内泰人さんの「エンターテイナー」はピエロの造形がなかなかに怖い。手にした星形のギターで殴ると家具も家電も自分自身もが星になって散らばってしまう状況で、そんな星をかき集めては大砲で打ち上げると宇宙を回って流れ星として降り注いだ果て、ぐるりと回ってまた最初からギターによってぶっ飛ばす展開へと移っていく。殴るとそれが星やらコインやらになって飛び散り積み上がる動きがとても気落ち良いのは、自分の中に何かぶちこわしたい衝動があるからか。ホラー映画から抜け出てきたみたいな怖さがあったピエロとか人形の造形はながしまたいがさんが制作。どういう人だろう? 気になった。

 「ズドラーストヴィチェ!」の幸洋子さんによる作品は現代アーティストの鴻池朋子さんによる詩を原作にした「夜になった雪のはなし」。背景となる切り貼りっぽい絵の上でクレイが雪からミミズへ動物へ少女へ夜へとメタモルフォーゼしていく展開がなかなかに生々流転。そういった展開を描く上で最適とも言える素材が使われたストーリーで語られる言葉は、映画「この世界の片隅に」の憲兵さんこと栩野幸知さんが持ち前の広島弁であてていて、緊張感があって不思議はない展開を優しく愉快なものにしてくれていた。「ズドラーストヴィチェ!」の変なおじさんとおども幸アニメでは定番か。次は何を矢部って売れるかなあ。

 若井麻奈美さん「タンポポとリボン」は仲良しのリボンとタンポポだけれどいずれ来るその時にキュンと来る。ほどけたリボンを結んであげるタンポポが優しいなあ。造形物を袋にいれて飾ってあってこんなに作って撮ったのかと感嘆。リボンはまたタンポポに会えたのかな? やまだみのりさん「グッバイ、バイセコー」は自転車でこけた一瞬が引き延ばされてよく動くアニメーションによって描かれる。動いて回って寄って離れて。巧いなあ。とりあえず走馬燈とならず戻ってこられて良かった。自転車には気をつけてのりましょう。

 東京工芸大の頃からずっと見て来た小谷野萌さんの「one day」は今回のANIME SAKKA ZAKKAでのテーマをそのままタイトルにとりつつ描いたとあるペアの1日。同じ部屋で暮らしている2匹の猫の日常が、重なっていたのが少し離れてそれぞれに違う風景を見て、そして元のように重なっていく。そこで分岐して決別して離れていってしまう人生もある中で、顧みられて元に戻って重なってくれたのはやっぱり嬉しい気がする。離別は哀しいものだから。表現としてオイルか砂絵か水墨を使っているかと思ったらデジタル作画。それであれだけのアナログ感を出せるのが凄い。表現したい人はツールが何であっても表現したい形をちゃんと掴んで選び見せるだなあ。そんなANIME SAKKA ZAKKA anthology。もう1回くらい見に行こう。

 意味が分からないというか東京オリンピック/パラリンピックのPRのためにどうして渋谷駅前にある忠犬ハチ公が全国行脚をしないといけないのか。そこまでしなくたって東京オリンピック/パラリンピックのことなんて日本中の誰だって知っていて行きたければ行きたいと思ってる。犬の出身地の秋田に行ったら秋田人がオリンピックに行くわけでなし。あるいは海外で映画化されたことで「Hachi」を知った人に向けて世界を巡回するなら分からないでもないけれど、何かをやればどうにかなると思って本質、忠犬ハチ公はそこを動かなかったからこそ忠犬ハチ公と呼ばれた歴史を蔑ろにしてしまうのはどうにも解せない。いっそ都内にある楠木正成と渋沢栄一と西郷隆盛と大村益次郎の銅像を束ねてユニットとして巡回させたら良いんじゃ。とはいえ渋沢は幕臣で西郷と大村は勤皇で楠木正成は尊皇か。重ならないなあ。


【6月16日】 浅香守生監督が「カードキャプターさくら」のクリアカード編を多分追えていよいよ「ちはやふる」の第3期に手を着け始めた感じ。第2期でどこまで言ったかはっきり覚えてないけれど、記憶だと2年生の夏の近江神宮を終えて綾瀬千早が富士崎の桜沢翠に誘われ合宿に言ったあたりで終わっていたような気がする。そこからだと冬の名人戦クイーン戦があったはずだけれど千早は確か修学旅行でクイーン戦に出てなかったんだっけ。だからすっ飛ばして3年生へと移って新入生を迎えつつ真島太一がかるた部を辞めてといった展開か。実写映画の「ちはやふる 〜結び〜」を漫画版でやるって感じかなあ。

 気になるのは前以上に人気者になってしまった宮野真守さんがちゃんと真島太一をあててくれるかってあたりとそして、綾瀬千早役の瀬戸麻沙美さんが前みたいな澄んで可愛い声が出せるかといたところで、「ちはやふる」以降の役をみていると「ガールズ&パンツァー 劇場版」の西絹代だったり「マクロスΔ」のミラージュ・フォリーナ・ジーナスだったりと美人なんだけれど妙にきまじめで吶喊体質でそれでいてどこかポンコツな感じの役が……ってなんだ綾瀬千早と一緒だった。声質がやや低めになってきているけれど、そこは勘を取り戻して演じてくれるだろう。浅香さんが引っ張ってくる絵コンテや演出に混じるベテランの味にも注目したいところ。山内重保さんとかいしづかあつこさんとか今千秋さんとか。誰が関わってくるかなあ。放送が待ち遠しい。

 飛び込んだり放ったりしたシュートで2得点を決めたスペイン代表のジエゴ・コスタ選手をこそフォワードと呼ぶんだろうけれど、それでも前線で脅威を示してファウルを誘ってPKを得たりフリーキックを得たりして2得点を重ねつつシュートも放って弾道の低い回転しないボールでキーパーの手をすり抜け決めたゴールもやっぱり立派ということで、3得点をしっかりと自分で得たポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウド選手の方がやっぱり上だったような気がするFIFAワールドカップ2018ロシア大会のグループリーグ、ポルトガル代表対スペイン代表戦。

 午前3時のキックオフだから半分くらいはまどろんでいたけど、それでもシュートが決まったり得点が入ったりする前後には何か目が開いていて見て喚起するロナウド選手の顔とかに、あれだけ世界的に活躍していながらもワールドカップという舞台はひときわなんだと思わされる。というか20006年のドイツ大会から南アフリカ大会、ブラジル大会を経てロシア大会で4大会連続の得点はいつかのブラジル代表のペレ以来というから凄いすごい。決してチームの成績もそして自身の得点も良くはなかったけれど、今回は1試合でハットトリックを決めてこれまでの得点を稼いでしまったから最後になるかもしれない大会にかける思いも大きかったんだろう。

 それが歓喜にもつながっているようだけれど最後に着地に失敗したか足首を痛そうにしていたのが気にかかる。次の試合まで間もあるし治療してまたピッチに経って欲しい。イランかサウジアラビアが相手ならロナウド選手は必要ない? いやでも両方とも強いチームだしポルトガルとの上位争いの中で得失点差が物を言う場面もあるかもしれない。落とせばイランに越される可能性もある中で油断はできないから直して合わせてくるだろう。ロナウド選手がいるといないとでは見る気力も変わってくるから、是非に復活を。そして決勝トーナメントでの活躍を。

 それにしてもやっぱりどちらも巧いというか基本に忠実というか。スペイン代表は足下でぴたりとトラップをしてそれをすばやくパスして届ける。そのスピードも速くて目で追えないくらい。さらに別の選手が好位置に走り込んでいてしっかりと形を作れる。だからボールをとられない。日本代表がやりたい「自分たちのサッカー」がこれなんだろうけれど、それを言うならパスの速度を上げる努力をしつつトラップを足下から話さず出したら動いてもらいそして動いた選手にパスする速度と連動と正確性をもっと高めないと。それが出来ないならカウンターだけれどボールを奪って前に放るとそこにロナウド選手ほか数人がすでに走り始めているポルトガル代表ほどの速度と運動量もない訳で。世界トップのバロン・ドールが一生懸命走ってるんだぜ。それを見習って欲しいよなあ、あれらがサムライブルーの王様にも。誰とは言わないけれど。言いたくもないけれど。

 バットマンだバットマンだ。「ニンジャバットマン」の舞台挨拶付きの上映があるんってんで昼過ぎからイオンシネマ幕張新都心へと入って最初に音響監督の岩浪美和さんがサインを入れたパンフレットを手渡ししてくれる行列に参加。前にも確か「BLAME!」でやったイベントだけれど今日は夜に『ガールズ&パンツァー 最終章』第1話の上映に関連してイオンシネマ幕張新都心で数々の音響を活かした上映企画を立ててきた羽藤支配人が異動となるのを称えるイベントが開かれるのに関連し、自身が音響監督を手がけ劇場でも『ニンジャバットマン 時空震サウンド/ULTIRA/ドルビーアトモス』なる上映のサウンドを調整した岩浪美和さんがずっと幕張にも詰めていることもあって実現したみたい。

 割と行列が出来ていたからイオンシネマ幕張新都心では音響監督という普段だったら縁の下なりガラスの向こう側にいてあまり面に出てこない役柄の人が大きくクローズアップされ、ファンを得ているといった感じ。それは舞台挨拶にも出ていて、当初はバットマンを演じた山寺宏一さんとジョーカー役の高木渉さん、監督の水崎淳平さんに脚本の中島かずきさん、キャラクターデザインの岡崎能士さんが登壇する予定だったところにキャットウーマン役の加隈亜衣さんとハーレイクイン役の釘宮理恵さんが加わったその上に、東京ではいなかった岩浪美和さんが参加してそして大きな喝采を浴びていた。
B  なおかつ舞台挨拶では高木渉さんの過去に演じた役を次々に振ってはあの名作「ビーストウォーズ」で演じたチータスを演じさせてみせて知っている人はにんまり。普段はあまり喋らず怖い人らしい岩浪さんの印象が、まるで変わってこんなに喋る人だったんだと山寺宏一さんが驚いていたのが、普段から各地のイベントで音響監督として登壇して喋りまくっている岩浪さんを見ている目にはちょっと不思議に写った。それだけ平生の仕事は厳しいってことなんだろう。キャットウーマン役の加隈亜衣さんにが頑張って色っぽく演じたのを「もっと色っぽく」といって愕然とさせたらしいから。それで岩浪さんの言うことを聞かずに自分の好きなように演じたらOKが出たというから案外に怖くないのかも。それとも型にはまった演技をさせないためにいったん、つぶしてみせたのかな。

 そんな「ニンジャバットマン」の声に関しては誰もがぴたりとハマって聞いていて違和感がないどころか、今後は彼ら彼女らをフィックスで行って欲しい気もしないでもない。とはいえ実写の映画で演じられるキャストに合わせた声と、アニメーションとして描かれた絵に当てる声ではやっぱりどこか違っていて不思議はない。ましてや今回はアメリカンコミック調とはいいつつも日本で神風動画が作った長編アニメーション映画であってそこに盛り込まれたオーバーで外連味たっぷりの演技に合う声を選んだら、今回はこうなったといった理解をする方がいいのかもしれない

 バットマンはしぶくて強そうだけれど悩みも抱きつつそれでも正義を貫こうとする。対してジョーカーはどこまでもふてぶてしくてあきらめをしらず老獪で狷介で厄介なキャラクター。高笑いをしながら現れ敗れてもしつこく甦ってくるキャラクターを演じるに高木渉さんは最高だったのだろう。そんなジョーカーに従うハーレイクインの愛らしく悪巧みをする声を演じて釘宮理恵さんは突き抜けていたし、善に転びつつ悪にも寝返るセクシーなキャットウーマンをしっかりと加隈亜衣さんが演じてくれた。これが沢城みゆきさんでは峰不二子と区別がつかなくなるからなあ。子安武人さんはゴリラだからコンボイだから子安さんという連想で選んだんじゃ。岩浪音響監督だけに。

 ではストーリーはといえばもうきてれつだけれど伝奇として見ればまるで不思議はないというか日本人なら何も考えずに理解できるんじゃないかというか。忍者でありながらもしのばず派手にバトルを行う展開はそれこそ山田風太郎さんの忍法超であり「魔界転生」であり時々は『柳生一族の陰謀』も入って戦国で時代劇でチャンバラでアクションに慣れた目はすんなりと入る。そこに加わるクライマックスの大ネタも巨大ロボットアニメがのべつまくなし作られ合体だ爆発だとやっている日本のテレビを見て育った人間には、まるで日常のようにすんなりと入ってくる。その対抗策も笑えるけれどもあるあるあるあると快哉を叫んで受け入れたくなる展開。見たいもの、見て楽しいものをオールぶち込んで煮て揚げた雑煮で天ぷらな大ご馳走、それが「ニンジャバットマン」だと断じたい。

 中途のパートについても毀誉褒貶、あるけれども極彩色で絢爛として外連味たっぷりなジョーカーとハーレイクインのあるいは陥ったかもしれない境遇、その真実性を裏付けるのにああいった絵は必要だったと思う。独特の動きとかはうつのみや理さんの名前を見かけたことからも分かるように日本的でどこか観念的。ひとつレイヤーが違った場所で繰り広げられる絵空事を描くに適した絵柄だったのではなかろうか。それが最後の瞬間に少しずれ、なおかつ高木渉さんが演じる声がすっとずれるというか戻るというか。そこがやっぱり凄かった。

 楽しくで面白くて格好良くて可愛くて。どんなほめ言葉だって浮かべて投げかけたくなる映画だけれどもこれで終わりとなってしまうのが勿体ないというか、せっかく得た日本に集ったヒーローとヴィランの物語が、もう見られないというのは寂しい。いやいや鷹の爪団があるじゃないかと言えば言えるけれどもあれはあれでこれはこれ、こうしたラインでのストーリーをそれこそテレビシリーズで、なんて言ったら贅沢だと怒られるかなあ、それこそNetflixで劇場版「ニンジャバットマン」のTVシリーズ向けを作り直すなんて企画、動いたら最高なんだけど。


【6月15日】 セクシージャガーこと貝崎名緒がどうにかまそたんに飲み込まれてはいっしょに空を飛び、まそたんの放熱につきあってあげられたのは感動だったけれども、いったんは妙な恋心でもってノーマに溶かされそうになった星野絵瑠が相手の事情を知ってのちょっかいを本気と思って決別し、独り身を決めてノーマに人生を捧げる決意を固めてしまって逆の意味でのチョロさを感じるとともに、そうやって女性をチョロく描きなおかつ純潔を外因的に強要するような展開にはやっぱり面倒くささを覚えてしまった「ひそねとまそたん」最新話。

 巫女の方でも三角棗がマツリゴトに欠かせない何かに選ばれたそうで想像できるのは自己犠牲による神事の成就でそれを現代で女性に強いる展開を、素直に受け入れるのはちょと前時代的な気がしないでもない。そうした流れをぶちこわすかのように甘粕ひそねが自分の恋心には正直になるべきだとひとり勝手に結論を出して、きっぱり小此木榛人を諦めるどころかDパイを辞めると宣言をしたものだからいったいどうなるこの後の展開。マツリゴトは頓挫しそうだけれど自分のせいで地球が滅びたって嫌な物や嫌だと言いつのりそうなひそねが同様に変態飛翔生体も運命から解き放ってすべてをぶちこわしつつ平穏も失わない、そんな展開が来れば安心もできるんだけれど。どうなるかなあ。

 劇場で「Wake Up, Girls! 七人のアイドル」を見て島田真夢と菊間夏夜のメンバーだったか声優の方だったかのサイン付きシアター限定版BDを購入してからどれだけの時間が経ったか調べたらまだ4年と半年弱といったところ。それなりに時間は経っていてもももいろクローバーZがかけて来た時間にしろ、姉貴分にあたるi☆Risが辿ってきた時間にしろもうちょっと長かったりする中で結構な知名度を誇りながらもメンバーの誰が脱退するといった話を経ずしてWake Up, GIRLS!というアイドルユニットの解散が決まってしまった。デビューからちょうど5年が経った2019年の3月がその期限。どうしてという気分もある一方、やっぱりといった気分も漂う。

 あるいはやっぱりの方がちょっぴり色濃いか。劇場版を作りテレビシリーズを監督して続編の劇場版も手がけてアニメーションのキャラクターとしてのアイドルユニットWake Up, Girls!を生みだしつつ実在するアイドルユニットのWake Up, Girls!のために詞を書いたりもしてきた山本寛さんがどういった経緯からか第2章の監督ではなくなってしまった。なおかつ新しく作られたアニメーションは作画的にどういったものかといった評判を得てしまって、そこに描かれたストーリーからきゃらくたーとしてのアイドルユニットへの興味を惹起し、実在するアイドルユニットへと関心を引っ張るような回路が途絶えてしまった。それでもピンでWake Up, Girls!が屹立していればまだ良かったんだけれど、そこまで行くにはあと少し、足りていなかったような気がする。

 姉貴分にあたりるi☆Risも「プリパラ」のシリーズが「アイドルタイム☆プリパラ」となってメンバーの登場がめっきり減って連動しての展開が少し滞るかと思われたものの、あくまでも「プリパラ」におけるソラミスマイルでありドレッシングパフェの人気はそれとして、アイドルユニットとしてのi☆Risの独立しての知名度も徐々にだけれど挙がって、そのパフォーマンスを見たいといったファンがちゃんと増えていた。もちろん「プリパラ」時代の楽曲が圧倒的だし人気もあってその色を見たい人も残っているけれど、決してステージでソラミスマイルやドレッシングパフェを見たい訳ではない。i☆Risのメンバーとして歌う「Make it」とか「Realize」を見て嬉しくなれる。そういう存在になっていた。

 Wake Up, Girlsは作品に登場するユニットと現実のユニットを重ね合わせてしまったことが最初は吉と働いて、「ラブライブ!」のμ’sにも似た評判を得られたけれども元から実力のある若手の声優さんたちによって組まれたμ’sは活動を止めても個々の声優さんたちは今なお活躍の幅を広げ続けている。それがデビュー作となったWake Up, Girls!の場合は活動を停止した後、どうなってしまうのかが今は少し心配な気がする。田中美波さんや山下七海さんのように個人で仕事を増やしている声優さんもいるから今後の半年で誰もがそうなって欲しいもの。推しの菊間夏夜を演じた奥野香耶さんにも是非。不幸な新章から登場したRun Girls, Run!は「キラッとプリ☆チャン」で認知度を上げているから大丈夫と信じたい。「プリマドンナ?メモリアル」は神曲だし。

 「りゅうおうのおしごと」で主人公の九頭竜八一にとっては師匠の娘にあたる清滝桂香がなかなか女流棋士になれず研修会から退会する瀬戸際にまで追い込まれている描写があって、男性でもプロ棋士になるのは難しいけれど女性だってその世界でプロになるのはやっぱり厳しいものだと実感しているだけに、独学で将棋を覚えてポーランドから日本へと来てプロに弟子入りしては女流のプロ棋士を目指したカロリーナ・ステチェンスカさんが、女流2級になってプロとなりそして女流1級にまで上がったことはやっぱりひとつの快挙と言えるだろう。

 もちろんだからといって男性も同列のプロ棋士になれるかというと遠くかけ離れた世界だけれど、女流には女流の世界の関門があってそれを突破したパワーの源がどこにあるかを紹介したアニメーションが登場。カロリーメイトを飲んでエネルギーを補給し脳を活性化して挑めば突破できるという。いやそれは多分違うけれど、どこまでも考えて考えて強くなっていく正攻法が、もとよりあった才能を開花させたんだろう。そんなカロリーなさんのアニメーションは、同じポーランド出身のマテウシュ・ウルヴァノビチさんが監督していておれがとても巧い。

 表情とか仕草とか演出とか動きとか、見たことがあるようで独自性があって何より気持ちいい。将棋の駒が騎士のようにメタモルフォーゼしてついて回って守ってくれるその動きとか強くて優しそう。闊歩するカロリーナさんを下からのアングルで描いた場面も大地をしっかりと分で歩き将棋で勝つんだという意志がなんだか感じられる。そうした動きまで自分で手がけたのか演出に特化して絵はアニメーターが描いたのかは分からないけれど、まとまった作品を短編であれ作り上げたことでひとつの勲章を得ただろう。今後も何か作り続けてくれるのかな、スタジオコロリドが手がけたアニメーションだからそこでの仕事とかやっているのかな。近く公開の「ペンギンハイウェイ」にも参加しているのかな。気になったんで追っていこう。ロマン・トマさんに続くような海外からの才能に、喝采。

 1年目はどこか怪しげなところもあったけれど、行ってみたらこれが楽しくて運営も悪くなかった東京コミコンが2年目はスティーブ・ウォズニアックを名誉顧問に迎えスタン・リーも来日をしてエクセルシオールと叫ぶメジャーなイベントとなり、映画会社も軒並み出展をして新作なんかを宣伝する場として使っていた。「ひそねとまそたん」もここで最初の情報が出たんだっけか。そんな東京コミコンが2018年も11月30日から12月2日にかけて開催で、発表会があってしょこたん中川翔子さんがアンバサダーに任命されていた。手に釘バットならぬニーガンバットの「ルシール」のそれも私物を持ってフォトセッションに応じるくらいにアメコミやら海外ドラマやらアニメやらマンガが好きなしょこたんにとってベストな仕事。他に仕事が重なって行けないことは絶対に無く、期間中を好きなコスプレをして会場を歩いてはあこがれの俳優やコスプレ姿のヒーローたちに会える。自身もコスプレをして。どんな姿で出てくるかなあ。ハーレイクインとか見てみたいなあ。


【6月14日】 爆音上映といえば立川シネマシティで、音響でもって映画興行を差別化できるといった可能性をその身をもって証明してのけた。世に幾つものシネマコンプレックスが作られ、それなりな上映設備を備えながらもプログラムは画一的で、音響も映像も何も活かされることなくただ売れるか売れないかといった判断でもってスクリーンを割り振り、効率的な上映を行っていた状況に一石を投じた。その動きに呼応し、都心部でもないシネマコンプレックスが集客のために出来ることとして巨大なULTIRAというスクリーン、ドルビーアトモスという音響施設に着目。どこか宝の持ち腐れだったそれらの機材をめいっぱいに活かして、郊外の劇場を活性化させようとしたのがイオンシネマ幕張新都心だった。

 何しろとてつもない重低音を出すために、6機のスーパーウーファーを導入してスクリーンの前に並べてしまったくらいだからとんでもない。他に数々のイオンシネマはあってもそこまでやった劇場はない。そして音響監督とも打ち合わせを重ね、「ガールズ&パンツァー」シリーズではセンシャラウンドにさらなる味付けを行って聞かせ、「BLAME!」ではもとよりのドルビーアトモスという音響に加えて東亜重音なるものを作り上げて来場者を誘った。せっかくドルビーアトモスで作りながらも都心部のほとんどの劇場がその音響での上映を行わなかった中、ここは施設をめいっぱいに活かした上に重低音スピーカーを爆裂させ、とてつもない音の空間を作り上げた。まさにそこが「BLAME!」の世界だった。

 音響監督のみならず映画監督自らが足を運んで音響を調整したのが「この世界の片隅に」だった。というか片渕須直監督は音響の面倒も自分で見ていたから到来するのは当然なんだけれど、世界で絶賛されて幾つもの賞を獲得した映画の監督自身にご足労を願って音響を整えるそのコストが、興行成績に見合っているかどうかというはもはや後回しの問題で、設備があるならそれを最大限に活かすことによって、映画が持っているポテンシャルをより引き出すことができる、映画にとって最高以上の環境を与えられるという信念が、そうした作業を進めさせたなろう。結果、立川シネマシティに勝らずとも劣ることのない音響にうるさい、そしてULTIRAという巨大なスクリーンを持った劇場として、イオンシネマ幕張新都心は首都圏の映画ファンにその存在を印象づけた。

 その立役者たる支配人が異動となったそうで、奇しくも「BLAME!」や「ガールズ&パンツァー」で組んだ音響監督の岩浪美和さんが手がけた「ニンジャバットマン」の時空震サウンドによる上映が始まっている中、その身を別の場所へと向かわせることになった。残念ではあるけれど、でも人がいつまでも同じ所に止まっていることはできないのなら、その功績を称えつつ僕たちは大きな声をあげて送り出すのがよさそう。岩浪さんも協力のもと、「ガールズ&パンツァー最終章 第1話」の上映に合わせて支配人交代式が行われることになったとかで早速チケットを購入。そして1日が経つ前にほとんどの席が埋まっているあたりに、支配人への感謝の大きさが見て取れる。当日は心ゆくまでセンシャラウンドを楽しみ、そして心からの声で「パンツァーフォー」と叫んで送り出したい。どこに行くんだろう。後はどうなるんだろう。気になるけれどもそれはその時。

 矢島晶子さんが降板をした「クレヨンしんちゃん」の野原しんのすけの声が誰になるかといろいろ想像もとんでいたけど、どうやら小林由美子さんに決まったそうでそれは良かったと思ったかとうと、まずは誰の声をあてていたっけと思い出せなかったあたりに声優への関心の薄さがみてとれる。調べたら何と「エクセルサーガ」がテレビアニメーション化された際にエクセルガールズとして高橋美佳子さんとともに活動していたひとり。ハイアットだったのかエクセルだったのかも記憶にないけれど、アニメのキャラが実写になって歌まで歌っている野脳天気さは、今でこそ割とあっても当時は珍しく狂乱の雰囲気が感じ取れた。まさに泡沫の香りも漂っていたけど高橋美佳子さんも小林由美子さんも業界を離れず声優として活躍し、そしてつかんだ国民的アニメの主役の座。これをきかっけにさらに注目を集めて世に存在を喧伝して欲しいなあ。ついでにエクセルガールズの復活も。ビジュアルはうん、大丈夫でしょう。

 「シェイプ・オブ・ウォーター」のギレルモ・デル・トロ監督がゆうきまさみさんの「究極超人あ〜る」を読んでこれは面白いと絶賛し、是非に読めよとジェームズ・キャメロン監督や相棒でいっしょに「タイタニック」「アバター」を作ったプロデューサーのジョン・ランドーに勧めて読んだらこれは面白く、映画化したいといって乗り出した結果、ジェームズ・キャメロン監督によってハリウッド版実写映画の「アール:アルティメット・スーパーマン」が出来上がるなんて可能性があるかというと、これが決してゼロではないということが分かった「アリータ:バトル・エンジェル」のプロデューサーによるフッテージ上映付きプレゼンテーション。何と「銃夢」を読むようにとジェームズ・キャメロン監督やジョン・ランドーに勧めたのがギレルモ・デル・トロで読んで2人はこれを映画化しなくちゃと決意して権利獲得に乗り出したらしい。

 まさに奇縁。というかギレルモ・デル・トロは当時から「銃夢」を読んでいたのか。日本ではサイバーな雰囲気を持ちつつも圧倒的なアクションシーンが楽しく、なおかつ人間とは何かといった問題にも切り込んでなかなかの奥深い読書体験をさせてくれた作品ながらも、大きくメディアミックスされることはなく、版元とのこじれなんかもあって半ばブームは過ぎようとしていた。それがアメリカではクールでスタイリッシュなニッポンのマンガとして映画界きってのオタクなギレルモ・デル・トロに読まれ、そして世界のジェームズ・キャメロンに伝えられたというこのルートが、他の何かに当てはまるかを考えてみたくなるのも仕方が無い。ドリームの糸は決して太いものではないのだから。なおかつ丈夫でもない。

 「カウボーイビバップ」しかり「AKIRA」しかり、数々の日本の有名なアニメーションやマンガがハリウッドで映画化される話が持ち上がりながらも実現せずに終わったなか、「攻殻機動隊」が「ゴースト・イン・ザ・シェル」としてハリウッドで映画化されて公開にこぎつけ話題になった翌年に、「銃夢」までもが映画として公開へと向かい進んでいるという状況は、ある意味で奇跡でありそして喜ばしいことだと言える。もちろん「ドラゴンボール」のようにとんでもない改変を経て見た人の誰も幸せになれなかった映画化もあったけれど、フッテージを見た限りにおいて「アリータ:バトル・エンジェル」は「銃夢」の世界がそのままマンガから飛び出してきたように感じられる再現度があり、キャラクターのアリータ=ガリィもイドもマンガの雰囲気を実によく再現していた。

 いくらなんでもマンガならえはの目の大きさまでも再現しなくても、って意見がトレーラーを見た人の中から起こっていたけれど、フッテージではそうした大きさはあまり気にならず、そしてアリータが戦っている動きを見ているうちに、プロデューサーの言うように目の大きさなんて気にならなくなった。そこにマンガに描かれたキャラクターがいてマンガに描かれたアクションがあってマンガに描かれた情景と背景の描写がある。だから見ているうちにだんだんとそれがひとつの世界だと認識されて目の大きさもあたりまえのものだと思うようになる。そんな感じ。あるいは少し小さめに変えたのかもしれないけれど、ハリウッドでの実写化にともなう微妙な前評判を払拭してくれるくらいに面白くて楽しそうな映画になっていた。細身のパンツスタイルで飛び回ってはアクションし、着地ポーズを決めるアリータの可愛らしさと猛々しさも見物。これがモーターボールの試合のように全身スーツになるとさらにガリィらしさが出てくる。今は心底から12月公開が待ち遠しい。遅れないでねとお願い。


【6月13日】 乾貴士選手のゴラッソが見られただけでも良いとしなくちゃいけないんだけれど、パラグアイは全体において守備を緩くしつつ攻撃もトップの何人かでつないでいくだけで、それでも固められたゴール前で個人技から得点をたたき込む凄さを見せつけてくれた一方で、日本は緩く守られた間を縫って蹴り込んで得点はできても、これがパラグアイが本気で守備をかためつつトップからチェイスして日本に中盤で余裕を与えなかったら、いったいあれだけの自由さは得られただろうかと考えると、どこかにワールドカップ前の日本代表に怪我でもさせたら大変といった気遣いが見られたような気がしないでもない、サッカーの日本代表対パラグアイ代表。

 乾選手の2本のゴールもぴたりと寄せられていたら放てていたかどうか、香川真司選手のパスももうちょっと人数がいたら通っていたかどうか、それ以前に斜めからフリーに近かったシュートを外したりもしていた香川選手のコンディションが、本当にどこまで戻っているかを判断するだけの試合ではなかった。パラグアイに敬意を払うなら彼らは今の立場で真摯に試合をしてくれたけれど、真剣だったかというと……。そんなタイミングで試合をして意味があるかと言えばまあ、負け続けのネガティブな感情のままロシアに行くよりは、盛り上がって行った方か結果も良いに決まっている。だからこそのコンディション調整。その意味を理解しつつ本番で本気を見せた相手に本気を出せるかどうかが肝心だろう。そのあたり、選手にはちゃんと諭しているかなあ、西野朗監督。なあなあで澄ますほど優しい人ではないだろうから。コロンビア戦まであと6日。

 だいたいにおいてマンチェスター・ユナイテッドの誕生神話であり、多くにおいてアパッチ野球軍のサッカー版というか「少林サッカー」の原始版というか、素人ゆえの劣勢からの鍛錬による下克上といったジャイアントキリングの物語であって、それをアードマン・アニメーションズが「ウォレスとグルミット」シリーズや「ひつじのショーン」シリーズのニック・パーク監督によって、クレイによるストップモーションアニメーションとして作り上げた。その映画「アーリーマン〜ダグと仲間のキックオフ〜』がアニメーション好きにとって、なおかつサッカーファンにとって面白くないはずがない。

 はるか大昔の地球は今で言うマンチェスターあたりへと墜ちてきた隕石が巨大なクレーターを作った。その底に現れた球形に近い鉱石を見つけた原始の時代に生きる人間たちが、手で持てば熱いと分かって足で扱うようになり、それを蹴って転がす楽しさを感じるようになっていき、やがて石でゲートを作ってそこをくぐらせれば得点といったスタイルが固まって、現代のサッカーに似た競技の姿が浮かび上がってくる。原始人たちはその姿を壁画として残したもののやがて時は流れ、石を蹴り合う習慣も途絶えた時代、クレーターの周囲は未だバッドランドとして人も住むのに大変な荒地ながらもクレーターの中には密林が生い茂り、生き物も暮らすようになってそこで石器を片手にウサギを狩って暮らす集団がいた。

 ダグという少年もそんな集団のひとりながらただ漫然とウサギを狩り、果物や木の実を食べて生きる暮らしに満足はしていなかった。ジャングルを横切るマンモスのような巨大な生き物を狩って倒してみたいと思い、長老に訴えるものの聞き入れられず平穏で退屈な日々が続いていきそうに思われた最中、ジャングルを割って奇妙な巨体が現れた。それが石器から大きく進歩し青銅器を扱うようになった王国の探索チーム。鉱石を求めて穴の底に茂ったジャングルへと降りてきては、そこにいたタグら一族をバッドランドへと放逐する。

 住むところを奪われあとはのたれ死ぬだけ? そう思われたところに青銅時代の集落へと偶然にも入り込んではそこで行われていたボールを蹴り合う競技に引っ張り込まれ、正体がばれて殺害されそうになっていたダグが提案をする。その球を蹴り合う競技、すなわちサッカーで決着を付けようと。ダグは自分たちの集落に残っていた絵を見て先祖がサッカーをしていたことに感づいていた。だから仲間を集めれば試合になるかもしれないと思っていた。条件を認めさせ、仲間の元へと戻ったダグは一生懸命サッカーをやろう、そしてブロンズ・エイジ・シティのチームを倒して故郷を取り戻そうと煽るものの、やはり素人だけあってプレーは下手で勝負になりそうもない。

 もはや負け確定? そこに救世主。けれども紆余曲折。それでもどうにか立ち上がり、作り上げた赤いジャージでダグたちは挑む、青い軍団へと。いったいダグはサッカーをできるのか。サッカーで勝てるのか。底辺にあったチームが野球でもサッカーでもバレーボールでもなんでも、優れたコーチなり掲げた目標のために結束し、頑張って力を高めていっては強豪に挑むといったスポーツものに定番で、なおかつ感動を呼びやすいストーリーを見ていける。甘言を弄され迷いそうになっても、今度は仲間が助けてくれるという関係性。そんな展開も味わえる。ある意味でとても分かりやすく、その意味でとても感じ入ることができる映画だ。

 サッカーに対してとてもフェアでピュアなスタンスといったものを感じさせてくれるところも面白い。権力者が金と力に明かせてラフプレーを推奨すればより高位の女王は眉をひそめ審判は心を痛め観客はブーイングする。たとえ味方であっても恥知らずなプレーは断固許さないそのフェアネスがあればこそ、サッカーは選手もそしてファンも心ゆくまでぶつかり合うことができるのだ。インチキをしてまで勝つことの卑しさを改めて感じて現実の競技に、そして感染に適用しよう。監督を蔑ろにする選手が独善を働かせるチームへの応援の可否も含めて。

 実に王道の学園バトルファンタジーとでも言うべきか。エドワード・スミスさんによる「蒼穹の騎兵 グリムロックス 〜昨日の敵は今日も敵〜」(電撃文庫)はずっと戦っていた共和国と帝国があってそれぞれに大きな翼を持った鳥を操って空戦をする王禽騎兵が存在していて、停戦となったあともライバルとしてしのぎをけずっていた両国では、大演習と称して騎兵の腕前を競い合っていた。そんな中でジュスト共和国では第五七王禽騎兵隊の隊長ラゼルがエースとして活躍し、一方でアンケルニア帝国では白銀乙女騎士団の隊長ミスラがトップを張って演習の場で何度となく戦っては常に勝負がつかなかった、そんなある日。

 もっと親密になる必要があると両国の騎兵のトップ集団がひとつ学校めいた場所に集められて共同生活をすることに。そこでラゼルとミスラは出会ったものの男女だからといってすぐ恋に落ちるとかはなく、それぞれにプライドを持って向かい合い、そして舞台も喧嘩と嫌がらせが続いてまとまらない。片方が食堂の椅子の脚を1本だけ抜けばもう片方が食器からフォークだけを抜くといった始末。そんな喧嘩が激化した果て、戦争が再会される懸念のはらむ中で暗躍する組織があった。それを知ってか知らずか、ついに両国からトップが来てその前で演習を行うことん。いろいろあって理解を深めてはみあものの、やはり背負ったものがあるラゼルとミスラの戦いに決着はつくのか。暗躍する組織の正体と目的は。スリリングな謀略をはさみつつライバルが向かい合い高め合い引かれ合いもしつつ成長していくストーリーを楽しもう。続くのかな?


【6月12日】 バトルバトルバトルバトルの楽しさが戻ってきた感じがある鎌池和馬さん「新約 とある魔術の禁書目録20」(電撃文庫)は、美少女になってしまった学園都市の統括理事長ことアレイスター・クロウリーがローラ=スチュアートの肉体をのっとっていた大悪魔コロンゾンの目論見をぶち壊してメイザース復活を阻止するだか何かのためにはるばる英国へと乗り込んでいく中に、上条当麻やらインデックスやら一方通行やらが参画し、浜面仕上も混じってそして起こった大激突。一足先に送り込まれた当麻が拘禁されていた場所を抜け出し幻想殺しで決壊を破壊しアレイスター・クロウリーらを呼び込んだものの異分子の増えたイギリス清教の正常化を勝手に願った奴の目論見もあってオルソナ=アクゥイナスが怪物と化したのを当麻が押さえ込んでひとまず場は平穏に。

 それでも復活を遂げていたメイザースを相手にアレイスター=クロウリーも大変そうで、それを果たして上条当麻はどうやって戦っていくのか、そこにはるばる父親からほのめかされて呼びつけられた御坂美琴も絡んでいくのかといった展開はイギリスでのバトルからロシアでの大バトルへと流れていった無印「とある魔術の禁書目録」のクライマックス当りを思わせる。あの頃は次から次へと強敵が出てきては倒していくヒーロー物の面白さを持っていたものなあ、それが新約へと入ると妙に観念的というた敵は強大すぎて叶わないのを裏側からひっくり返すようなトリッキーな展開が相次いで、何をよりどころにして良いのか分からなくなっていた。

 最近はそれでも地に足がついたバトルが始まっていてそして英国編でかつての面白さが良いが蘇って来た。あとしばらくはこうしたバトル&バトルの面白さで引っ張っていって欲しいけど、結末をどこに置くか見えない作品だけにダレてしまわないようにとお願い。神裂火織とか久しぶりに出てきたんだけれどいったいどれかで活躍できたのやら。王室のキャリーサが途中にちらと出てきてもその後絡んでこなかったのは別の画策をしているからか。いろいろ仕込んである伏線が炸裂する展開を期待。そしてアレイスター=クロウリーも美少女のままでいてとお願い。小さくなったオティヌスがスフィンクスの神話について当麻について尋ねてインデックスの飼ってる猫が挙がって嫌な顔をしたのはそうか、スフィンクスにいつもかじられているからか。

 新幹線で死にたがりが暴れた事件は過去の類例もあってまだ分かりやすさがあるけれど、浜松で帰宅しようと車に乗り込んだ女性看護師がそのまま男たちに乗り込まれて何処へかと連れ去られ、そして死体となって発見された事件の方はこの日本という国、衆人環視も行き届いて防犯カメラだって存在する状況で、どうして起こりえるかが分からないちうか分かりたくないというか。以前に闇サイトで知り合った男たちが女性をさらって監禁しては口封じのために殺害した事件があって、その残酷さに世間は怒り心頭し、一部に死刑判決も出て同種の事件を起こせば世界は許さないこと、そして露見すれば極刑が待っていることが示された。でもまた起こってしまった。

 当人とは面識のない男たちがどこかで知り合って襲ったらしいとニュースに伝わっている。自首した人間がいるらしくそこから芋づる式にいろいろな人物が捕まっていくことになるんだろう。誰が主犯で誰が従犯で直接手を下したのは誰で自首をしたから罪一等が減じられるかそれとも残酷さ故に情状酌量の余地はなしとされるか、分からないけれども誰もが見ている状況、防犯カメラからいずれ割り出されるだろうシチュエーションであるにも関わらず、堂々と犯行に及んでしまった男たちの心理が気になって仕方が無い。やろうといった気持ちが集団の中で増幅され泊められなくなってしまったのか。気が大きくなってバレることなんてないと楽観したのか。でも終わってみれば穴だらけ。いずれ司直の手が伸びると思って出頭した人間がいたんだろう。以後、本格的な捜査の中で全員が謙虚され、相応の罰を受けることを臨みつつどうして無辜の人間が通りすがりで殺害されなくてはいけないのかといった理不尽を、またしても歯がみしつつ憤りたい。

 「serial experiments lain」がアニメーション部門の優秀賞を受賞したのを見に行きたくて取材に赴いたのが第2回だったりしたから以後、20年は経ったことになる第21回文化庁メディア芸術祭の内覧会へと赴いて片渕須直監督とか、「COCOLORS」の横嶋俊久監督とかのお顔を拝見する。湯浅政明監督が「夜明け告げるルーのうた」でアニメーション部門の大賞を受賞していたから、同じ大賞となった「この世界の片隅に」の片渕監督とツーショットもなんて期待したけれど今回は来場せず。それだけに片渕監督に集まる報道の人の数が多かった。まさに映画のヒット効果って奴か。展示にはすずさんが日常、何をやっているんだろうといったスケッチがあってそれは映画には出てこない場面で、戸棚の奥でもやしなんかを育てているのを知ってちょっと面白かった。キノコは育ててなかったのかな。あと午前4時に起きて午後10時に寝る生活のリズムも。働き者だったんだなあ、すずさん。

 「COCOLORS」のコーナーには作品で使われた版画があって版木もあってすれば今でもあの鮮やかな世界の絵が出来上がりそう。振り向けばご神体とか笛とかいった作中に登場してきたさまざまな物体の元となった鎌田光司さんの手による造形物が並んでいて、下北沢トリウッドで見たとき以来の体面を果たせた。ツリーみたいになったのはもしかしたら生アフレコと生音楽で見たイベント上映の時以来かもしれない。今や中国で大人気となってしまった鎌田光司さんの造形物だから中国から見に来る人も多いかもしれないなあ。でもちょっと独特な形状。こういうのも出来るんだと知った人が仕事を依頼すればさらに中国での人気が高まり日本で仕事を頼みづらくなるかも。今のうちだよ捕まえるなら。

 「とりあえず口利きはしてやったんで、あとはお前が直接金正恩と話せば良いんじゃね?」ってことなのかなあ、アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩労働党委員長の会談における日本人の拉致問題。それで北朝鮮が問題の解決に向けて動いてくれるとはとても思えないのは、それをやったからといってアメリカから何か見返りがある訳ではないからで、だったらお金かとなった時にそうやって相手に屈服するような態度を日本が見せられるかというと、強気の姿勢で悪口を言うことで支持を得てきた日本の安倍総理にはちょっととれそうもない態度だろう。かといって直談判して取り戻すとなってもその際に手ぶらで言うことを聞いてくれる相手でもない。

 核兵器の廃棄費用は韓国と日本が出せとも言っているトランプ大統領の要求に従うように手土産もって頭を下げて拉致問題を解決し、それで浴びる妥協したとの罵声に耐えて実を取る性格でもないからなあ。というか対立のネタがなくなったら自分を保てない可能性もあるだけに、いつまでも対立の関係を続けていきたかったことだろう。それが許されないような状況に陥ってしまった。トランプは直接話せば良いんじゃないか的態度でなおかつお金は出せよといったスタンス。断れば日米関係は悪化するし、受ければ日本での自分の尊厳を守れない、八方ふさがりの中でやれることは何か、逃げることかなあ、ってことでここしばらくの去就に注目。三選なんて言ってる場合じゃないかなあ。


【6月11日】 「ほとんどの人は30歳になるまでに新しい音楽を探さなくなる」というイギリス人が対象になった調査の結果についてあと少し言うなら、「キラッとプリ☆チャン」のオープニングだとか、「劇場版プリパラ&キラッとプリチャン 〜きらきらメモリアルライブ〜」だとかを見てRun Girl’s Run!のCDを買ったのが否定につながる個人的な進展かなあ。映画のエンディングに流れる「プリマ☆ドンナ?メモリアル」は世紀の名曲だと思うよ。あと「月刊少女野崎くん」の歌とか「けものフレンズ」の楽曲で知ったオーイシマサヨシさんとか気になって仕方が無い。今度の「ウルトラマンR/B」の主題歌なんて超格好良さそう。それを聞きたくて見るかもしれない。早く全編通しで聞きたいなあ。

 最近だと「レイトンミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」の主題歌に使われている足立佳奈さんの「チェンジっ!」がなんかちょっと気になっている。歌声というより「しゅらしゅら」っていう言葉が1カ所出てきてそこが妙に心に引っかかるって感じだけれど。そんな「カトリーのナゾトキファイル」ではついにレイトン教授ことエルシャール・レイトンが登場して山寺宏一さんの声で喋ってくれた。まだ子供だったルークの声は斎藤壮馬さんで格好いいけどそれより奥さんがあんな美人だったことが意外というか、レイトン教授一途って訳ではなかったんだなあ、あたりまえだけれど。そしてカトリーがレイトンの本当の娘ではないことが判明。だったら誰の子? そこが気になるけれど、当人があまり気にしてなさそうなところが剛胆というか、きっとお菓子の方が気になるんだ。少しずつ動いていくストーリーを追う楽しみも出てきた。しゅらしゅらと見ていこう。

 これは面白いというかアイディアの勝利というか。水瀬葉月さんによる「モンスターになった俺にクラスメイトの女騎士を剥くVR」(電撃文庫)は、ただひたすらにモンスターとなってNPCの美少女たちの服を剥いでいっては最後の1枚を残してうひひひとするゲームがあって、一方にガチにファンタジーの世界で剣士となって冒険を繰り広げてモンスターを倒しているゲームがあって、ともに同じゲーム開発会社が送り出したVRゲームななけれども何がアクシデントがあって同一のサーバーにあったらしい2つのゲームが混線してしまう事態が発生する。

 ゲント・サザンウェルという名前で服脱がせゲームに参加し、目的のためなら時間だって惜しまず注ぎ込んで数々の伝説を打ち立ててきた南井源斗は、そんなゲームで前の感覚で美少女騎士を倒したら実は背後にプレイヤーがいて驚かせる。そして美少女の騎士の方もNPCのモンスターかと思っていたら背後に人間のプレイヤーがいると知って大慌て。なおかつどうやら学校の同級生らしいと知って何かが起こっていると情報交換。そんな世界で起こっているパンツ脱がせゲーのプレーヤーがファンタジーゲームのプレーヤーをさらって監禁する事件を解決しようとする展開は、タイプの違うゲームに臨むプレイヤーの心構えの違いがひとつ勉強になる。

 一方で、脱がせゲーの方の18禁じゃないから最後の1枚は絶対に脱げず、そして脱がされた側はHPが1になりながらもモンスターの攻撃はそれ以上受け付けないという設定が混ざり合ったゲームの中で活かされ突破口になる。片方には制約でも片方にはチートになるという例か。一方のファンタジーゲームでの制約が脱がせゲーと混ざり合う中で解除され人の本性が露わになる展開も。ゲームは現実のはけ口じゃないと知るべきか。とりあえず事件は解決して犯人らしき人物の存在も示唆はされたけれども、これで果たして終わりかというとそこは作者の構想次第か。あとは売れ行きってのもあるかなあ。続く展開の中、さらに別のゲームが混ざり合って起こる事態に我らがゲント・サザンウェルがその着想でどう挑む? ちょっと気になる。

 沖合を行く台風のせいで強風が吹いて大雨が降ってお台場が孤島になってしまう可能性から中止になるかもと思ったけれど、とりあえず大風も大雨もなく京葉線もりんかい線もゆりかもめも動いていたんでこれは開催されると予測し、お台場へと出かけていってパレットタウンにあった場末感が漂うゲームセンターがぐるりと入れ替わって出来た森ビルとチームラボによるデジタルアートミュージアムの内覧会を見物する。チームラボといえばお台場にある日本科学未来館なんかでも展覧会を開いてはいたりしたし、渋谷にあるヒカリエのホールでもイベント的に遊園地めいた施設をおいていたけれど、今度のは海外にあるように常設でもってチームラボ的なアートとアスレチックをテクノロジーによって彩った展示を行うみたい。

 壁に投影される花とか自然なんかの映像が動き回って人の接触によって変化するのは過去にもあったチームラボならではのプロジェクションマッピングなんだけれど、この「森ビルディング デジタルアートミュージアム:エプソン チームラボ ボーダーレス」がユニークなのは「ボーダーレス・ワールド」という展示名が表しているようにひとつ場所にひとつの作品が収まってはいないこと。壁中がカンバスになったような場所があり、滝がどうどうと流れ落ちる部屋があり、蓮みたいなのが下から伸びた部屋があり、奥まっている場所がスクリーンになっちるような部屋があり、幾枚もの透明なパネルが立てられた部屋があってそれら違った場所に幾つもの作品が動き回って投影される。そこにいれば花もあれば人物もあってカラスが飛び回る映像も出てくるといった具合に、ボーダーレスに作品が空間を行き来する。

 逆にひとつの作品を追いかけて部屋から部屋へと移動していくようなこともできる。楽しみ方は自分次第で百人いれば百通り。順路にそって額に入った絵画を順繰りに見ていくような決まり切った楽しみ方はしなくて良い。それだけ体力も使うし気力も使うし、暗いんで注意力も必要だけれど、流れ作業的にはならない能動的な鑑賞によって自分にとってそれが必要なもののように思えてくる。線につけられたランプが耀きながら降り注ぐように見える場所、ライブにあるようなライトが壁中に据え付けられて自在に動いて光の線で模様を描く場所とかもあって、何時間だってそこに止まっていたくなる。サーチライトの部屋はちょっと暑いかな。動く屏風と化していた感もあったチームラボのアートが空間の制約を超えて大きく進歩したとも言える展示。これは見ておくべきだろう。

 前に映画「ラプンツェル」をモチーフに展示された、ランプが部屋中につり下がった作品も改めてガラスのシェードがついたランプでもって制作されていてしっとりとした雰囲気を楽しめた。あと手にGPSをつけて棒についた光る突起をつかみながら足も乗せT泳動していくボルダリングもあってこれは体力を結構削られそう。起伏のある部屋を降りたり登ったりするのも大変で、デジタルで室内なのに体力を使わされるアートという意味でもちょっと珍しいかも。途中にある休憩室で休みつつ暗い場所を行ききしつつ眺めては動き眺めては休みするのが良いのかも。ただやっぱり暗いし鏡も使われ奥がどれだけあるか分からない場所もあるんで注意は必要かも。男ひとりで行く場所でもないしなあ。それだけが悩みだ。一生の悩みだな。やれやれ。


【6月10日】 ココロがミツル寝たことはパパたちだて把握済みで、それによって何が起こるかってことだってオトナなんだから分かっていたはずなのに、記憶は消しても健康診断はしなかったのか戻ってきたココロの体調は明らかに妊娠の兆候を示している。あの世界で人工的に生み出されては兵士として使いつぶされるコドモに生殖能力なんてものがあったのが驚きだけれど、第13都市部隊は変わり種が集められていたみたいだから、規格物とは違ったイレギュラーの因子が埋め込まれているのかおしれない。

 野生に近いというか。だから戦っていて多大な力も発揮されるし,逆に精神がダメージを受けて動かなくなることもあるという。とても危険な賭にとりあえずパパたちは勝ってきた。だからグランクレバスを取り戻せた。でも、そんな彼女たち彼らにもいよいよ終わりの時? グランクレバスの奥にある何かとゼロツーおよびヒロが駆ったストレリチアを近づけることが求められて赴いた先に現れたのが叫竜の姫、すなわち001。ゼロツーの元になったその存在はもしかしたらヒロが本当にあっていた少女だったりするかもなあ、何か似てる。そこからコピーされ記憶も受け継がれたのがゼロツーかもってちょっと思った。じっくりアニメを見てないんで間違っているかもしれない。

 そんな001を乗せてヒロとともに最奥部へと進んだストレリチアを鍵として、星の防衛システムが甦っては遠く異星より訪れた敵を相手にした戦いが始まった。そう、叫竜の敵は人類なんかじゃなかったのだ。人類の星を叫竜から守るため、あるいは叫竜たちが人類が蔓延るのを妨げるための縄張り争いかに見えた構図がもっと別の大きなものへと膨らんで、人類なんてものがちっぽけな存在、脇役へと押しやられた。もう存在する必要もなさそうだし、そもそも星を放棄するなんて決定まで下してしまった。コドモたちは勝手にやって勝手に死ね。そんあ状況にあってそれでも主人公のコドモたちがイニシアティブを持って作品い絡んでいく道がちょっと見えない。

 叫竜はパパたちとは敵同士でもコドモとは同じ星を守る存在、叫竜の携帯にも似たフランクスの操縦形態をよりどころに共闘なんて可能性もあるのかも。そうやって守られた星で叫竜もコドモたちも一緒に進化し発展し、パパたち人類も攻めてくる敵もこの宇宙から駆逐する、なんて壮大な展開へと向かっていったら面白いかも。残る話数も多くは無いけど見ていこう、その結末までしっかりと。

 死にたいのならどうしてひとりで死なないのかといった問題は、こうした事件ヶ起こるたびに言われてきたことだけれども22歳の男が死にたい死にたいと言い続けて失踪した挙げ句、新横浜から小田原へと向かっていた新幹線の中で刃物を取り出し女性を切りつけ止めに入った男性も襲って命を奪ってしまったという。いったい何がしたいのか。死にたいけれども死にきれないから死刑になりたいと死刑になりそうなことをしたのか。その割には計画性はあっても主導的で、どこか心に崩れた部分を感じざるを得ない。だからこその衝動なのか。いずれにしても痛ましい事件によって公共の場における危機管理へのコストが上がって生活を厳しくさせる。

 それでどこまでも完璧に守れずはずもないのに。つまりはやりやすい場所から管理が強化されていくだけという。秋葉原で頻繁に職質は行われても駅頭では行われないこの差異が、偏見に根ざすものだとしたらちょっと改めて欲しいもの。その属性にライティな思想も噂されているだけにオタクが不気味という以前い思想が危険という前に、そうした思想に傾いて伊方ざるを得ない若い人を生みやすい社会の世知辛さをもっと問うて欲しい、そこから直していかないと10年前の秋葉原、今回の新幹線と同じ事はまた繰り返されると断言したい。

 かつしかシンフォニーヒルズでのライブがことのほか楽しかったんで、その場でリピーターチケットを買ってのぞいてきた中野サンプラザでのi☆Risのライブはやっぱり楽しくて面白くて明日から月曜日というちょっとした憂さをからりと晴らしてくれた。この空間に一生浸って至られたらなあ、でもそれは難しいので瞬間の喜びを噛みしめながら次の喜びへと渡っていくのだ細い綱を踏みしめて。なんて。演目の方にはそれほど違いはなく、会場もそれほど大きさに違いはなくて2階席からステージ上にいあるメンバーの表情までをしっかり見て取ることができた。ライブハウスだとスダンディングでステージが見えず、アリーナだと粒になってしまう間の2000人規模がやっぱりライブとして最適な箱。それをつぶして大きなありナーを作ろうと考えているなら中野区はポン酢としか言い様がない。まさに角を矯めて牛を殺すの所業。改めよそして存続させよ中野サンプラザ。僕では買えないのでぜひ、中野区が。

 かつしかシンフォニーヒルズで見たときは若井友希さんが結んでいた腰のリボンが取れてしまったけれど今回は芹澤優さんの青いリボンが外れてしまった感じ。ダンスもしっかりと踊りながら歌うユニットだけに衣装もいろいろとほころびが出てしまうんだろう。そんなライブも残すところ名古屋の2回とか。とても行けないけれども夏になればフェスもあるし出る舞台を出来れば見に行きたいなあ、といってもアニサマはちょっととれないか。「Make it!」とか「Realize」といった楽曲はやっぱり流れるだけで盛り上がる。それを聞きに行くだけでも価値があるのだi☆Risのライブには。ソロ曲に良いのが多そうな新譜の「WONDERFUL PALLET」も早く買わないといけないなあ。

 そうそう、最近いろいろと語られているけれど、30を越すと新しい音楽を聞かなくなるなんてあれは嘘だね、アニソン好きは常にかかる様々なジャンルの音楽をアニソンとして買って追いかけ聞き込んでいくし、アイドルファンは登場するアイドルをアイドル歌謡ではない新手の音楽として受容していく。そこから新しい発見をする。自分の場合はこの数年でi☆Risを聞き込むようになったしORESAMAは新譜を買ったし牛尾大輔さんのノイジーな楽曲にもハマって来ている。「僕のヒーローアカデミア」や「打ち上げ花火、横から見るか下から見るか」の米津玄師さんだって「君の名は。」のRADWIMPSだって関心を抱いた。回路されあれば、意欲されあれば人は常に新しい音楽を探しに行くもの。そこにアイドルなんてアニソンなんてといって壁を作るスノッブが新しい音楽なんてと言ってるだけに過ぎないんじゃないかな。少なくとも僕は今でも新しい音楽を探している。ORESAMAのライブを見たいなあ。

 40周年を迎えた「月刊アニメージュ」と400号の「月刊ニュータイプ」で富野由悠季監督が相談に答えたり質問を受けたりしていて未だ言論での現役ぶりを感じさせる。アニメージュでは「プリンセスチュチュ」の佐藤順一監督から絵コンテにまつわるあれこれについて質問。富野監督に教えられたからと絵コンテの脇のセリフにはカッコをつけないでいたのを時間の節約ととらえていたのを違うと言われ、あれは絵とセリフを分断しないで同じ流れの中で感じさせるものだと説明。なるほど絵と音が一帯となった芸術を設計するのに絵とセリフを別々に切り分けるとそこに違った空気が生まれてしまうのかも。

 あとアニメを作りたいという人は文学であるとか基礎学力をもっと身につけて来ないとコンテマンにはなれないし演出もできないと語っていて、そしてニュータイプでは「Gのレコンギスタ」を見た人が歴史学へと進みたいと言ったことを挙げて、次へとつながるものを作るべきだと語っている。アニメを見てファンになり作り手となってアニメを作ってそれを見た人たちが感動してアニメを作る連鎖の濃縮がいったい何を生む? って考えた時にやっぱり必要な他への関心。なんだけど今はアニメの中だけで気持ちもビジネスも完結できてしまう。その未来に何が来る? ってことをやっぱりアニメ誌とアニメの作り手たちは言わないと、アニメ誌で。それが今いちばん求められていることなんじゃないのかなあ。


【6月9日】 親密すぎるボディタッチの多さがセクハラだと言われてしばらく役職をしりぞいていたディズニーでピクサーのジョン・ラセター監督がどうやらディズニーを離れるみたいで「トイ・ストーリー」あたりから続くピクサーの3DCGアニメーションの雰囲気であり技術力の象徴とも言える存在で、同様に3DCG路線へと転換したディズニーの立役者ともいえる人間が去って大丈夫かと言えば言えそうだけれど、「リメンバー・ミー」とかの大ヒットもあるし「トイ・ストーリー4」は放っておいても売れそうで、しばらくは路線はつながれそう。新しいアイデアがどうなるかと問われれば、それは若い人が頑張ってくれるってことになるんじゃなかろーか。

 基本的に宮崎駿監督のスタジオであり高畑勲監督のスタジオでもあったスタジオジブリが高畑監督が去り宮崎監督が引退気味の中で米林宏昌監督には去られ宮崎吾朗監督はもう何も作らない中で終息したかと思ったら、復帰してきた宮崎監督をもり立ててどうにか何か作っていこうといった感じになっている。属人性の高いスタジオならではで、そこはウォルト・ディズニーの名の下に才能が集まり去って行った繰り返しのディズニーにとって、一時代は終わっても次の時代が始まるだけだと割り切っていたりするのかも。問題はラセター監督の処遇だけれどそこは宮崎駿監督の下でアニメーターとして活動すればどうだろう、きっとお金なんていらないと言ってくれるし、逆にスタジオジブリくらいポケットマネーで買ってしまいそうだし。

 参ったなあ、「君の名は。」の劇盤を作って歌も唄って国民的なバンドといった位置づけになったようにも見えるRADWIMPSが何を思ったか「HINOMARU」だなんて曲を出してきた。歌詞もいわゆる国旗の日の丸の元に生きていることを美化したような感じ。それが童謡のようにかわいらしければ良いんだけれど、妙に文語調を入れつつそれが微妙に御用だったりしてどうにもギクシャクとしているというか、最近になってライティに傾いた人がそれ格好いいじゃん的に使ってみたような感じが出ていて、右だろうと左だろうとかまわないけれどそれは右的美意識にすら挑戦している行為だって声も出始めている。

 それはまるで生前退位に臨んで無用な混乱を避けるべく新元号を早くに発表したい今上陛下の大御心とは真逆に新天皇即位まで新元号は公表するなと言いつのる保守みたい。何がしたいのかさっぱり分からない。でも当人はそうした意見はどこ吹く風だし、自分としては生きている国が大好きでその国の象徴たる日の丸も好きだから歌っただけで右とか左とか関係ないって意見。それはそうだけれども歌が世に連れ世が歌に連れる中で今、こうした歌を出すことが何を喜ばせるかは分からない訳でもないだろう。それが自分とは関係ないというならあまりにもピュアだしスイート。そして自分の歌の影響力を軽んじている。

 軍歌なんかを研究している辻田真佐憲さんは、そういった歌が出てきた時に騒ぐと相手の思うつぼだから聞き流すんだ、影響力を削ぐんだ、そしてげ歴史を学のうといったことを言っている。でも、もはや聞き流せるレベルにはない影響力持った人間が提示したこの曲に対してどういった歴史が有効かは分からない。かつてその旗の下でいったい何が行われたのかといった過去を言っても通じないところが悩ましい。行為は行為であって旗は旗であり、なおかつ法に定められた国旗なんだからと言われそうで。そうした国旗への煽られた忠誠をよりどころにして、右向け右で行われたことが何かを言ってもまだ遠い。どうしたものか。どうしようもないのであるか。

 わたしはVR−25メサイア。あるいは早乙女アルト。そんな気にさせられたのが「劇場版マクロスF イツワリノウタヒメ」のMX4D版。先に「劇場版マクロスΔ 激情のワルキューレ」がMX4D化されて空を行くバルキリーを駆って風を感じる気分、そしてワルキューレたちのライブを間近に見る感覚を味わわせてくれたけれど、今回はライブのシーンもあるにはあるけどやっぱり早乙女アルトをはじめとしたS.M.Sの面々がバルキリーで空を飛びつつバジュラ相手に戦うシーンでの挙動が強く反映されていて、「マクロスΔ」以上にバルキリー乗りになった気にさせてくれる。

 もちろん香りもあってシェリル・ノームの良い香りとか感じさせてくれるし、ライブシーンでのビートも伝わってくるけれど、「マクロスΔ」ほどの比率でもないからそれとは違ったものだと思うのが良いのかもしれない。もちろん映画としてはスクリーンにいっぱい広がるシェリルのおしりなんかが楽しめるので映画として見る分には最高。ストーリーは久々に見てこうだったのかと思い出した。でもって続く「サヨナラノツバサ」でどうなっていくんだっけ、その辺りすっかりと忘れているだけに遠からずMX4D化されたら見に行こう。自分もたい焼きケータイになってシェリルの胸に仕舞われたいなあ。そういう気分にさせてくれるMX4Dはないんだろうか。それはVRの方がふさわしいんだろうか。

 ってことでTOHOシネマズ六本木を出たら六本木ヒルズのでやっていたショートショートフィルムフェスティバル&アジアの関連イベントで、VR360度映画を見せるコーナーに立ち寄って3本ほど作品を見る。違うコースでは前に見た田口清隆監督による「ウルトラマンゼロVR」も流していた見たいだけれども空いていたのはプログラム3で海外作品が3本。むしろ初見でどういったものが出てくるか気になったけれど、最初の1本「Naive New Beaters’ Heal Tomorrow」はぐるりと自分を取り囲むようにしつらえられたスタジオで歌の収録があり歴史ドラマの収録がありといった具合に4つか5つの場面があってその中を1人の人物が何周も巡っていくって感じ。

 後ろでドラマの収録があってそっちを見ていると、背中の方では女性歌手が歌う準備をしているといった具合で抜けがない。すべての行為を見たいならそれこそ何回も見る必要がありそう。歌手だけ見ていても楽しいんだけれど。続く「Ashes to Ashes」は死んで灰となり骨壺に入ったじいさんからの視点で起こる遺族か関係者のドタバタを描いた作品で、背の高い美女とかが出てきて男も出てきていちゃついたりしたりするかたわらで幼女が何かしていて拳銃を撃ったりしてそして居場所が動いて幼女が目の前でダンスをしたり男が置いた時限爆弾が炸裂したりとめまぐるしい。もちろん周囲でもセットのバラしとかいろいろ進む。

 それがスタジオ収録を再現したものか、スタジオ収録まで見せてしまっているのかは分からなかったけれど、視点をいろいろと動かしながら様々な場所で起こる諸々を感じることができて楽しかった。何より本当に目の前で幼女が踊ってくれているように感じるところが。平面の映画だといくらスクリーンが大きくて高精細でも自分の前にいるようには感じない。VRならではの没入感。そこを繰り返し見るために使われていたLenovoの「ミラージュソロ」を買っても良いかと思えてきた。買えばこの映画が観られるかは分からないけれど。配信しているのかなあ。

 もう1本は「Kinoscope」という作品でジョン・メリエスから始まるようにしてユニバーサルモンスターズとかバスター・キートンやハロルド・ロイドといった無声コメディとかヒッチコックとか西部劇とかキューブリックとかニューヨークが舞台の映画とかハリウッドの大作とか「キル・ビル」とかいった映画の歴史を影絵みたいな周囲をぐるりと囲んだ絵でもって振り返って行くような作品。視点が前だけになる場面もあるから360度である必要があるかとも思わないでもないけれど、映画に囲まれてている気分は味わえる。3本とも楽しくて最後まで見入ってしまえる映画。他のプログラムも試してみたいなあ。いつまでやっているんだろう。調べておこう。


【6月8日】 航空自衛隊を舞台にしてそこに鎮座し続ける護国の獣を出しておきながら、どこか国なり勢力なりとの戦いへと向かう予兆は感じられず、ひたすらに平穏な現状を維持するために女子に自己犠牲を強いる構造の上で、嫌っていた相手が格好いいところを見せただけでチョロくときめく女子がいて、鈍感なのかずっとそれとは気づかなかった自分の恋心に気づく女子もいて、そんな2人を前に出しつつ脇に下がってしまう女子が2人がいて、そして今後は護国の獣か最愛の人かどちらを選ぶかといった三角関係が、単純な二項対立からアウフヘーベンしてみんな大好きな結論へと収まる展開が見えない「ひそねとまそたん」。

 恋をしてしまったDパイはもう自分の腹の中に入れておくことはできず、むしろ積極的に消化してしまうなんて残酷だけれどそれは作中における変態飛翔生体(OTF)にとっては当然のこと。むしろそうした設定から否応なしに浮かび上がる、恋はダメでもちろん性行の類なんてもってのほかな女子への旧態依然とした認識、そしてそうした女子だけが生け贄に選ばれる後進性をよくもまあシリーズ構成の岡田麿里さんが認めたなあといった気がしないでもない。とはいえ作品を振り返っても、そうした圧迫をこそ突破し走り抜けていく女子を描く人だといった感じも無いと言えばないんで、スイートな雰囲気の中でどちらを選ぶんだ展開から少し先の落としどころを用意して終わるのかもしれない。そうでないことを期待しつつ残る3話くらいを見ていこう。

 東京おもちゃショー2018へ行く前に、今年も秋葉原へ寄って昔はソフマップで今はビックカメラになった建物の前にある交差点で手を合わせる。10年目となると以前はうず高く積まれた献花の数も減って来た感じだったけれど、それでもちゃんと献花があるということは未だ訪れる人は途絶えていない現れ。それだけの重さを感じた事件だってことなんだろう。僕としても決して他人事ではなく、ほとんど毎週くらいに行っていたあの場所にたまたまあの時いたかいなかったことで今へと分岐した人生の、もしも言っていたら、そしてあの時間にあの場所にいたらそこで途絶えてしまったかもしれない方を思うと、どうしてもそこに行かざるを得ないのだった。行くことで今もまだ続けていられる人生を噛みしめることにもつながるし。

 最近はというか当時から、一方で加害者の側にだって陥っていたかもしれない人生の分岐も思えて仕方が無い。決して友人知人は豊富ではないし、生活だってバリバリと充実して金銭的にも豊かといった感じはない。そこで踏み間違えていれば同じような孤独感にさいなまれ、自己顕示欲にとりつかれ、強迫観念に怯えた挙げ句に暴走していたかもしれないし、これからの人生だってますます苦境へと陥る環境の中、ふっと踏み越えてしまう可能性だってゼロではない。そうした思いをぎゅっと抑えて悪事は悪事だと噛みしめる意味でも、被害に遭われた人たちのことを忘れない必要がある。だから10年通い続けたし、これからも通い続けるだろう。東京にいる限り。住んでいるのは千葉だけど。

 それにしても10年眼ということで例年より多かった気がしたメディアの数。献花場所へと近寄って手を合わせると、両脇にいたカメラマンたちがしゃがみ寝そべってカメラを構えたりする。座って手を合わせると思ったんだろうなあ、残念、そんな余裕はあたえず5秒でその場を離れる。すっとラジオの記者らしい人が寄ってきたけど残念、同業者なんでと言って下がってもらった。同業者がどうして来てるんですかと聞かれれば上記のような理由、それは僕だったかもしれない可能性を噛みしめるためだと答えてあげたけれど、すっと引いたので答えず。結局は誰かに聞いたんだろうなあ。

 午前8時過ぎではまだそんな感じだったけれど、昼近くになって関係者とか来るようになるとさすがに混乱を来してきたようで、おそらくは警察か地元が出て周囲を囲ってメディアしか入れないようにしたみたい。それで献花できなかったら本末転倒だと思うけれど、混乱を避けるためには仕方が無いと言えばいえる。ただなあ、その場でしゃがみ込んでパソコンを開いて写真や原稿を入れ始めている記者がいたのには驚いた。どうやら当時の被害者が献花に来られた直後らしく写真が撮れてコメントもとれたのをその場で記事にして送り込んでいるんだろう。速報とはそういうものだけれど、そこでやらんでもと思わざるを得ない。だって歩道だよ。せめて退去してUDX前で書くとか出来ないものか。これが20年前なら現場から勧進帳でデスクに原稿をとってもらうんだけれど。いっそスマホで取ってラインでショートメッセージにして送れば良いの。そこは相変わらず旧態依然のメディアはやっぱり支持を失っていくだけなのかなあ。

 東京おもちゃセンター2018では初日に見切れなかったブースなんかをさらりと見物。噂になっていたセガトイズにあった野原ひろしの靴下も見て臭いをかいだけれどなんだこれなら自分の方が臭いんじゃないかなと思ったというか、それは拙いんじゃないかと感じたというか。あとJUST TOYSという初音ミクとかストリートファイターのキャラクターがぶら下がったプラスチック系のキーチェーンを出している会社が、ぷにぷにとした人形でサンリオキャラクターを出してきていて、そこにAggretsukoことアグレッシブ烈子が混じっていたんでちょっと驚く。日本ではまだまだマイナーだけれどアメリカを含め世界では人気のキャラクター。それを見て本国も作り日本へと送り込んだんだろう。逆輸入で盛り上がっていくかな。今度のコミコンでどれだけのムーブメントが起こるかが楽しみ。

 発表会はひとつだけ。タカラトミーが出してくる「ねえ HelloPika」という手のひらサイズのロボットの発表で大昔に流行った手のひらピカチュウを思わせるサイズ感ながら、首を振ったり声に応えたり目を光らせたりと中身のグレードアップが進んでいる。前はどうだったっけ、泣くだけだったっけ。それでも「ポケットモンスター」が爆発的な人気になりつつ「ポケモン事件」も起こってどっちに行くかが迷われた時期、そこから盛り返して今に至るまでトップの人気を誇るキャラクターであり続けたポケモンとピカチュウに改めて感嘆するより他にない。

 ロボットとしては2990円と安価で胸ポケットに入れて会社とか学校に連れて行きたくなるけれど、そんなピカチュウたちが通勤電車で会話をしつつ人間への反抗計画を練っていつか実行に移すとか、考えたらちょっと面白くなった。クラウドになってAIがかまされたらあり得るか。それだとバンダイから出る「ガンシェルジュ ハロ」の方があり得るか、ネット上のクラウドからデータを取ってくるタイプだし。ただ13万8000円はちょっと高すぎるなあ。足を出して手も出してえっこらよっこらと歩くのはさすがに無理でも、中の重心を移動させてごろごろと転がるくらいのことが出来ればその値段でもOKだったのに。というかどうしてそこまで高くなるんだろう。きっとクラウド上にガンダムマスターの脳を直結させているんだ、そのメンテナンス費用が高いんだ。そんな莫迦な。それが莫迦じゃない時代も遠からず来るんじゃないかな。

 飯田橋の東京創元社で春のパン祭りならぬ初夏の本祭りが開かれていたんで見物に言って東京創元社の倉庫だかどこかから発掘された専用の原稿用紙を買ってくる。ペラだけれど東京創元社の文字が入ったマジもんで、これで鮎川哲也賞に応募すると通りやすくなるかとうとそれはさすがにないだろう。手近な短編でも書き写して文章の勉強をするかなあ。そこから歩いて市ヶ谷にある東京アニメセンター in DNPプラザで「血界戦線 &BEYOND展」を見物、といっても見るべきものはチェイン・皇しかなくそのおっぱいを眺め人狼の回とかで活躍するチェインとか、胸元を大きく開いたチェインとかの原画なり修正原画を間近にみてやっぱり良いなあと感嘆。どうしてもっと活躍させなかったんだとアニメにぶつぶつ言いつつ会場を後にする。ショップでチェイン・皇のストラップを買った。やっぱりそこか。そこしかないじゃん。


【6月7日】 そして二度目の人生を異世界で迎えるはずだったライトノベルは版元による出荷停止となり、テレビアニメーションの方も制作が中止となってベストセラーからのコミカライズを経てアニメ化という栄光から真っ逆さまに最低な状況へと墜ちてしまった。18巻もあって読み切れず検証できないから本の内容においてどれだけツイートのような思想が反映されていたかは分からないし、版元がそこまで読んでこれは拙いと判断しかたはうかがい知れないけれど、作者がコメントしているように中身においても問題があったのだとしたら、それを刊行する際に編集の人がチェックを仕切れなかったのだろうかといった思いは残る。

 作家の当該ツイートなりを事前に把握し、そうした志向があるのだと判断した上で原作を読めば何かしらバイアスめいたものが浮かんだかもしれない。それが後にいろいろと突っ込まれる原因となると判断し、改善を行っておけばこうした状況は生まれなかっただろうと思う一方、そうした志向が今時の日本TUEEE的思考をくすぐってヒットへと結びつけた可能性もあると思うと、それをスポイルしては出版できないといった判断があったのかもしれない。小説として日本国内で止まっているうちは良かったけれど、ヒットしてアニメ化までされるとなっては黙っていられない人がいた。その声が大きく響いて届いてしまった。声を瞬時に拡散させるツールの登場ともあいまってスピーディーに事態が進んでしまったとも言える。

 まったくもって内容は発言とは無関係だったとしたら、それはそれで読む価値があるのかもしれないけれど、ロザンヌ・バーの一件からこっち個人であってもその発言が非道と取られた場合、出演している作品なり番組にも影響が及ぶ可能性を考慮せざるを得なくなっていたりする。そこで役者がそのまま出演しているテレビドラマのように、ヘイトな言動を放った口からそのままセリフが出てくるものとは違って作家の顔は見えない小説の場合、価値があるならそのまま出し続けるというのもひとつの判断だろう。ヘイトな発言がいつも世間を賑わせている永遠のゼロな作家の本は、今も出続けているし映像化だってされている。絶版もなければ映像化の中止もないのは作品として真っ当だから、なんだろうか。いや最近あまり読んでないので分からないのだった。

 版元としてケチがついたものはもう売れない、アニメ化によって大きく伸びると思っていたら当てが外れたといった判断から、ここで商売を仕舞うとうのも文化というより商業としてのひとつの道。そのことを文化的に批判はしたいものの、損をかぶれとも言いづらい。どういった道が開けるか。永遠に絶版となるか拾ってどこかの版元が出すか。18冊で100万部というアナウンスが正解だとして1冊あたり5万から6万部は売れるなら、今時のライトノベルの文庫よりも出ている訳で、拾って出し直そうとするところが出てくるかもしれない。アニメ化とか気にしなければそれで商売は完結する訳だし。ライティな本を出している版元が拾いに行くかなあ、青林堂なんてサブカルも出しているだけに手を差し伸べそうだなあ。

 いよいよ始まった東京おもちゃショー2018を見物に東京ビッグサイトへ。応援合戦が飛び交う日本おもちゃ大賞2018の紹介なんかを見つつタカラトミーアーツは「トミカ4D」とか「人生ゲームタイムスリップ」とかで取りバンダイは「DX超合金魂 超電磁ロボ コン・バトラーV」で取ったりしてロングセラーのオリジナル玩具のバージョンアップと、キャラクター玩具の究極といった違いに同じ玩具メーカーでありながらもその業容の違いといったものが感じられて面白かった。優秀賞まで含めてもバンダイは「ウルトラマンR/B」の新しい変身用アイテムだとか「アンパンマン」の玩具だとかキャラクターが乗っている感じ。もちろんそこに工夫はあるんだけれど、遊びの面白さだそのままブランドになった玩具となるとあまり見かけないように思える。

 系列のメガハウスが出してきた「さけべ!トントンボイス相撲」なんかはトントンと指先で台を叩く代わりに声を出してそれをマイクで拾って台に伝え震動を起こしてトントン相撲を行う玩具で、キャラクターに頼らずアイデアが形になったもの。「ベイブレード」とか「ハイパーヨーヨー」みたいに過去の遊びを現代の技術でグレードアップした流れのひとつとも言えそうで、そうしたところから次のアイデアも生まれてくるような気がする。とはいえやっぱりキャラクターに乗せればテレビ番組と連動して数が出る。そっちに頼りたい気も分からないでもないし、そうやってキャラクターそのものを共に生みだしドライブさせていくのもアイデアのたまもの。そういう生き方を選んだバンダイが、どこまでキャラクターを転がし続けていけるかが今は問われるといったところか。

 そんなバンダイのブースで開かれた「ウルトラマンR/B」の発表会にはウルトラマンが2体×2組登場。つまりは4体のウルトラマンが暴れ回るステージでどれがどれだと即座に言えない混乱が、子供たちにはど写るかが気になった。展開の中で兄弟が増えていったことはあっても、最初から兄と弟のウルトラマンという珍しい設定を持った「ウルトラマンR/B」は、湊兄弟のそれぞれがウルトラマンロッソでありウルトラマンブルで、それしてウルトラマンロッソはタロウクリスタルを使うことでウルトラマンロッソ フレイムになり、ウルトラマンブルはギンガクリスタルを使ってウルトラマンブル アクアの姿になる。

 なおかつ戦闘状況に合わせて兄弟がクリスタルを交換し、ウルトラマンロッソ アクア、ウルトラマンブル フレイムとタイプを変えて変身する設定も用意されている。頭の形と色からきっとそれがウルトラマン何かを判断できるんだろうけれど、慣れるまでには今いったいどのウルトラマンが出て戦っているのかを判断するのに時間がかかるかもしれない。子供だったらすぐに見分けられるのかなあ、考えるんじゃなく感じるようにして。そうやって能力を入れ替えることによって戦い方もいろいろなバリエーションがとれそうな点が面白いかも。家族でショップを経営しているという点も生活感があって面白いかも。コメディ要素とファミリー要素を入れたいと武居監督も話していたから、ほのぼのとしつつアクションも楽しいウルトラマンが見られるかも。最後に謎の黒いウルトラマンも出てきたから、それがどういう存在かも気になる。オーイシマサヨシさんが歌う主題歌も格好いいことだし、ちょっと見てみてみようかなあ。

 宝島社から是枝裕和監督による小説版の「『万引き家族」が届いたんで映画より先に読んでみて、映画の予告編から浮かんだリリー・フランキーさんや樹木希林さん、安藤サクラさんらが演じているあの家族がどういった関係にあるのか、そんな家族によって行われていることと、そしてストーリーの上で起こることへの想像がだいたいその通りだったことが分かった。だからこそ今にとても必要な映画なんだろうということも理解できた。貧困やら虐待やらで行き場を失ってしまった人、這い上がろうにもそんなステップなど見つけられない人が大勢居たりするこの苦境を活写した映画だった。

 小説版では描かれる終結がどうしようもなく痛ましく、救いはないのか、あった救いが奪われただけなのではと歯噛みした。折しも5歳の少女が虐待の果てに命を落とす事件が発生。どうして防げなかったという問題は、だからこそ逃がすでもさらうでも良いから親元から話せる道を作るべきだといった可能性につながる。それが映画のようにと言うわけではない。映画がダメなら違う方法を作るしかないし、実際にあるようだからそれを広げるしかないのだけれど、大学の部活動で起こった事故には熱心なマスコミも政府も、こうした問題が過去も含めて頻発しているにも関わらず、効果的な手段を打てずにいる状況をこそ即座に改善されるべきなんじゃないのかなあ。映画がヒットしてくれればそんな道は開ける? それはないかなあ、安倍ちゃん是枝作品なんて見てなさそうだし。やれやれ。


【6月6日】 思ったより静かだったというか、日ごろから接しているアイドルとかの歌唱に対するコールが決まっているならそれに合わせて全体で叫べば、相当にまとまった応援になるんだけれどジワジワと広がっていった映画となると、どこで何かを言うタイミングが確定している訳でもないし、同調圧力だってそれほどないからそれぞれがめいめいに考えつつ、なんとなくタイミングを合わせてタンバリンを叩きコールをするといった感じで、その意味ではユルさと自由さが感じられた「バーフバリ 王の凱旋 完全版」絶叫上映だった。

 実を言うと前作にあたる「バーフバリ 伝説誕生」を観てないので、子バーフバリがどうやって成長してどうやって力を貯めてどうやって尊敬を勝ち得たのか、そして母親をどういう風に救い出したのかといった感じに分からないところが多々あった。そこは気持ちで穴埋めしつつ、父バーフバリの圧倒的な強さとそして高潔さを感じ取る映画として楽しめた。その分、子バーフバリに物足りなさを感じたのでそこはBDか何かを観て埋めよう。3時間近くあってもまるで飽きないのはどの場面もしっかりと見せることにこだわっているからか。ストーリーは別に難しくなくむしろ予想通りに進んでいくけどそうした期待を満たしつつ上回ってくるスペクタクルがあるから驚きつつ楽しんで観ていけたのかもしれない。ああ面白かった。

 歴とした器物損壊であって、街頭や駅の監視カメラでも何でもフルに駆使して出入りした人物を洗い出しは犯人を見つけ出し、逮捕して刑罰を与えつつ民事でも損害賠償を請求して素寒貧にさせるのが真っ当で正しい対応だと、沼津市における「ラブライブ!サンシャイン!!」のマンホールに対する数々の損壊活動については思うのだけれど一方で、どうしてそんな悪いと分かっていて、そして捕まるだろうリスクを想定しながらそうした悪事を働いてしまうのか、といった心理がどういったものかが分からない。

 寂れた商店街のシャッターにスプレーでグラフィティを描くのだって犯罪だけれど、そっちは表現したい、何か伝えたいという自己顕示欲の発露といったものが見えない訳ではない。でも、キャラクターが描かれたマンホールに傷をつけたり、スプレーでイラストを塗りつぶしたりするのはその作品が徹底的に嫌いだとかいった理由でもなければできないけれど、嫌いだからといってわざわざ沼津まで行って行動を起こすだけの資金も暇も普通はないし気力だって起こらない。でもやってしまうところにそれをやることによって得られる自分自身の満足なり、自己の確立なんかがあるんだろう。

 他人に迷惑をかけ世間の顰蹙を買ってでも、自分自身がやり抜かなくてはならないと思うその理由。衆人の憎悪を浴びながらも、それが喜びにすり替わってしまう心理。そんなあたりを解明して諭していかない限りは同じ事がまた繰り返されそうだし、別のところでも似たようなことが起こりそう。というか、声優とかのライブで歌を聴くでも応援するでもなくひたすら体を動かしオタ芸を打ち、止めてという声に逆らって複数本のペンライトを振り回し奇声を上げ飛び跳ねる厄介と呼ばれる人たちがすでに存在している訳で、つまみ出されても裁判で賠償を請求されても止めないだろうその心理をつまびらかにしていかないと、いつまで経ってもなくならないだろう。運営なり警備が即座に処断しやれば損だと分からせることが必要なんだろうけれど、それも対お客の関係では難しいし、肉体的な痛いみを感じさせるとか法治な世では無理だろうし。どうしたものかなあ。

 分からないといえば嫌韓反中といった心境にも分かりづらいところがあって、別に自分自身が何か責め立てられている訳ではなく過去に当時の政治体制下で行われた所業に対して批判をされたところで、それは自分とも自分が暮らしている今の国とも違う話だから昔はいろいろあってすまなかったと思いつつ、それを我が身の恥とまで感じることはない。だから反感は浮かばず大人同士政治家同士で話し合ってくれればこっちはこっちでお互いに文化や経済を認め合って行こうと思うんだけれど、そうした反感がツボに入ってしまった人たちは相手が何をやるにも憎しみと蔑みを向けないと気がすまないらしく、それで自分が得をする訳でもないのにことあるごとに嫌韓だとか反中といった言説を書き記しまくっている。

 それでも普通の人なら何かそれが問題となることもなかったんだろうけれど、物書きとなって広く世にライトノベル系の小説を問うようになって、大ヒットしてテレビアニメーション化まで決まった時、過去に繰り広げていた根拠の乏しい理由を挙げての嫌韓であり反中といった言説が問題視され、出演が決まっていた声優が次々と降板を表明する事態になってしまった。作家と作品は別だしアニメーションはもっと別といった言い訳も出来ない訳ではないけれど、一方でオバマ大統領の関係者に向かって暴言ツイートをした女性コメディアンがいて、出演して大人気となっていた番組が即座に打ち切りになったという事例がアメリカで起こったばかりの状況下、座組の中にリスクの高い言説を持った人間が存在すること、それ事態がもはや許されない時代が来ているのかもしれない。

 作品そのものに罪はない、それを言ったら零戦が出てくる小説が大ヒットしたナイトスクープな作家が日々、発している言動に即座に配慮して小説は絶版となり映画化なりテレビ化の話も立ち消えになって不思議はないのに、売れる作家ということなのか絶版の動きはあまりなく、未だに命脈を保っていたりする。同じような言説でも新鋭のライトノベル系小説家の場合はアニメ化に黄色信号が灯り作品そのものにも影響が出そうな雰囲気がある。版元が「当社は今後の当該書籍の取扱等につきましては慎重な対応をおこなってまいります。ご不快な思いをされた読者をはじめすべての皆様にお詫び申し上げます。ならびに書店、流通の皆様、作品にかかわる関係各位におかれましては、多大なるご迷惑をおかけします事をお詫び申し上げます」とサイトで発表。刊行への影響が出そうな雰囲気がある。読んでないから中身にも思想が反映されているか分からないけれど、番組とは直接の関係はない差別的なツイートで番組が打ち切りになる時代なら、こういう対応も起こりえるってことなのかもしれない。どうなることか。表現の自由と言論の責任のバランスを考えていこう。

 保守ってことはつまり国体護持、天皇陛下を中心にして臣民はその意に従い、徹底的な忠誠を誓い働いていくことを称揚しているのかと思っていたら、保守系と言われる日本会議国会議員懇談会の所属議員が総会を開いて、元号は今上陛下が生前退位をされて皇太子殿下が新天皇に就かれたその時に公表すべしといった見解をまとめたとか。無用な混乱を起こしたくないとの思いもあって、生前の退位を望まれたと言われる今上陛下のその大御心とはまるで沿わない見解を、どうしたら保守を標榜する国会議員が思い抱けるのかが分からないけれど、想像するなら彼らにとって伝統、といってもたかだか明治以後のものでしかない一世一元こそが絶対で、それに背くなら今上陛下といえども違うと断じて止まない心境のかもしれない。

 悩ましいのはそうした考えが一部のゴリゴリ保守に限った話かというと、日本会議国会議員懇談会に所属している議員は自民党だけでも200人以上はいそうで、閣僚にだって10人くらいは入っていそう。安倍総理だって麻生副総理だって特別顧問になっている集団が、まとめた見解ってことは内閣だって国会だって了解させられるだけの勢力があるってこと。そうした国政の大半が今上天皇のご配慮はまるで忖度せず、一方で総理大臣の気持ちは忖度しまくっているこの状況を、なるほど国民主権であり国民の代表たる総理大臣こそが日本を代表する存在なのだと言ってしまえばそれまでだけど、それが保守を名乗るというのがどうにも不思議。天皇の間の二重権威は認めないのに、天皇と総理の二重権威は許す人たちの二枚腰が国政を覆った状況下で、いったいこの国はどこに行ってしまうんだろう。考えるほどに恐ろしい。


【6月5日】 もう上映館も少なくなって上映回数も減ってしまってこのまま見る機会もなくなってしまうかもしれないと思い「リズと青い鳥」へ。何度目になるんだろう。音響とかに気をつけて観ようとしたけれど、前目で観てスクリーンが大きかったこともあって映し出される登場人物の目の色が、それぞれにくっきりと描き分けられていることに気がついた。鎧塚みぞれはピンクで傘木希美は青で吉川優子が緑、中川夏紀は紫といった具合。以前から「響け!ユーフォニアム2」でのみぞれも瞳は赤っぽく優子は緑っぽかったからキャラクターによって使い分けはされたいたんだろうけれど、アップの多い映画で観ると改めてその違いが伺えた。

 どうしてみぞれがピンクなのかはキャラクター設定をやった人に聞いてみたいところだけれど、希美が腕にはめた腕時計もピンク色をしていてそれが何度も視線の先に入ることから、色が転写でもされたのかなって勝手な想像も浮かんだり。というか希美ってフルートを吹く時も腕時計を外さないんだなあ。ちょと変わっているかも。アニメーションだとよく髪の色でキャラクターの描き訳をするけれど、シリアス系の世界観を描いた作品でピンクの髪の少女はいないのならこうやって、目の色で感じを変えるのもひとつの手法なのかもしれない。ちなみに黄前久美子は唯一に誓い金色。これはユーフォニアムの色が転写されたのか。これから作られる新作でもどう描かれるかに気をつけよう。

 「サガワノブヒサ ゼン リザイキョクチョウ ハ アベソウリ ヘノ タマ ヲ クライマシタ ガ、ショブンサレテモ シンジツ ヲ クチ カラ シャベリマセンデシタ」という文章が、遠からず道徳の教科書に忠臣の誉れを代表する事例として載るかもしれないとすら思えるこの情勢。公文書の改竄問題について財務省の処分が発表されたけれど、改竄の首謀者が佐川寿宣前理財局長ひとりになっている上に、どうしてそんな改竄をしてしまったのかという動機の部分がまったく説明されず、事件だとしたら捜査の入口にすら立っていない状況であるにも関わらず、終結宣言めいたものが出てしまって世間は唖然呆然。上司としての責任が存分にあるにもかかわらず、まるで他人事のように振る舞い、動機について聞かれて「分からないから困っちゃう」と言い抜ける財務大臣の姿にも、それで通る世間があっては拙いだろうといった憤りが日本中から起こっている。

 どんな事件であっても動機の部分を解明するのが捜査のイロハのイ。肯定するにしても否認するにしてもそれが量刑に大きく関わってくるし、再発を防止する上でも同じような動機が生まれ得ない状況を作るために動機の解明と公表は不可欠だと言える。これが被疑者死亡の裁判だったまだしも、そこに自分だけが犯人でございといった態度をとり続ける人間がいるなら、引っ張り出して徹底的に問い詰めて聞き出すのが調査というもの。それをやってやり抜いてもなお動機を喋らなかったというなら、調査した人たちにその資質はなかったということで、その責任をとって退任するのが筋なのに居座って再発防止に努めたいというから本末転倒。動機も分からずに何をどう取り組むんだ。そんな基本すら貫けない人が政治の中枢にいるというだけで、もうこの国の未来が危なく見える。

 あの政権べったりの正論が売りな新聞ですら、社説にあたるコラムでもって「佐川氏は国会の証人喚問で『訴追の恐れ』を連発して証言のほとんどを拒んだ。大阪地検が佐川氏を不起訴処分と決めた以上、改めて説明責任を果たすべきだ。すでに退職したからと、財務省がこれを阻むことは許されない」とまで書いて、証人喚問の要を唱えている。そして安倍総理についても「麻生氏に続投を頼むなら、責任を全うするために何を断行すべきか明確な指示を開示してほしい」「自らや夫人の言動の影響力についても反省が必要である」と指弾し「この問題をいつまで引きずるのか。長引かせているのは財務省であり、政府である。その反省が何より足らないのではないか」と批判している。

 もしかしたら安倍ちゃんべったりの政治部でなく財務省担当の経済部から出ている論説が書いたのかもしれないけれど、それが掲載されるって時点でさすがにこれはおかしいといった認識を、もはやも足らずを得ない状況にあるとも言える。そんな瀬戸際にあってなお証人喚問はせず責任はとらず調査もこれで打ち止めとなって守られるのはいったい何か。自分が徹底的な間抜けとなって悪人にもされてなお口とつぐみ続けるのはなぜなのか。ってあたりで浮かぶ守りたい存在、まもりたい人物。そして守った結果称えられ忠臣であると任じられ、人間かくあらねばといった手本とされて教科書なり副読本なりに掲載されるという将来。それによって教えられる人々が大勢になった日本がいったいどんな国になっているのか。想像するとやっぱり笑ってしまうなあ。理由は語らず。責任は負わず。それで世界は何を思う? やれやれだ。

 日本マンガ学会というのが開かれて、そこで円谷プロダクションが先だって会見してアメリカでの著作権訴訟に勝ったんでウルトラマンの全世界展開もやりやすくなったって話したことについて、円谷一族の誰かがそれは違うと講演で話したって記事が流れてきて、どなたかと思えって見れば以前、何かと話題に上った新書「ウルトラマンが泣いている」を書いた円谷英明さんだった。たかだか地方裁場所で勝っただけで高裁があって最高裁があるとか、アメリカでの裁判が中国ほか世界に影響を及ぼすはずもないとかいった話に加えて、最近のウルトラマンにはスピリッツがないといった話も喋っているんだけれど、そんな円谷英明さんの「ウルトラマンが泣いている」が出た時に言われたのは、円谷英二の孫なのにどうしてこんなに間違いが多いんだろうということだった。「きんじょうてつお」ってルビとか。

 もちろん生みの親の孫として、そして元社長として知っていることもあるだろうし言いたいことだってあるだろうし、そうした意見に賛意を示す人たちだっていてもいい。かつてのウルトラマンのようなスピリッツがないという意見も同感だけれど、それはだいたいが「帰ってきたウルトラマン」から「ウルトラマンレオ」へと流れていった時代にだって言われただろうこと。「ウルトラセブン」なんて今でこそ評判だけれど当時はいったい何をどれだけ言われたか。おかげでしばらくシリーズが途絶えてしまった訳だから。そんな異論を聞きつつ記事では、講演で差し挟まれた裁判に対する円谷プロへの異論に対して円谷プロに確認をとっているところが面白いというか、公正性への配慮がある。さすが「封印作品」を追い続けた安藤健二さんの記事だけのことはある。

 そして読んだらあの時の会見でだいたい聞かれていたことで、日本と違って証言とかさせず書類審査になるアメリカの上級審とか、裁判の結果が他の国に同様の判例を生みだしていく可能性があることとか。それを見知っていたんで今さらな異論に思えたのだった。ちなみにスピリッツを失った今の今のウルトラマンの市場規模は、バンダイナムコホールディングスに限った売上高では、グループ全体のウルトラマン関係のIPの売上高は2018年3月期で60億円で前年度の43億円から増収になっている。

 バンダイが取り扱っているだろう国内トイホビーだけでは43億円でこちらも32億円からの増収。そして今年度は全体75億円でトイホビー55億円と伸びては来ているのだった。アクションの坂本浩一監督とか特撮の田口清孝監督とかを起用して新しいドラマを生みだしキャラクターも作り出してファンを広げている効果。次に始まる「ウルトラマンR/B」もきっと新しいファンを生みだしてくれるだろう。そして「レディ・プレイヤー1」への登場も……ってこれはやっぱりまだ先か。期待しつつ待とう。むしろ気になるのは発表された「成田亨賞」の話がまるで滞っていることかなあ。金城哲夫賞も第2回があるようには聞こえてこないし。謎肉。


【6月4日】 みかこしこと小松未可子さんのご尊顔が拝めるとあって、日曜日ながらも出向いた「エブリスタ・マンガボックス presents 豊永・小松・三上の真夜中のラジオ文芸部」の公開収録第2回。「Project ANIMA」というアニメの企画を募るプロジェクトに向けて声優さんたちが部員となって企画を練るというのが番組の趣旨で、前に「SF・ロボットアニメ部門」の企画を作っては青森が舞台でねぶたがロボットになるという無茶な設定を考案していたけれど、今回は「異世界・ファンタジー部門」への応募ということで、前回は豊永利行さん小松未可子さん三上枝織さんの3人が合同で1つの企画を考えたものが、1人づずそれぞれに考え応募することになったみたい。

 でもって出てきた企画案に「マージナル・オペレーーション」の芝村裕吏さんがガチでアドバイスしていくといった展開で、豊永さんが出した1000年前に倒された魔王が復活しておじいちゃんの勇者がこれに立ち向かうといった設定は、1000年前というのが複雑さの原因になっているから50年前にして、そこで活躍した勇者が50年経って文明の発達なんかも間にはさんでどうも無理をしていうりょうな感じを出した方が良いんじゃないかといったアドバイスが飛んでいた。ロートル勇者の過去にすがった勘違い。そこに笑いを見いだしつつも勇者ならではの芯が魔王を相手に大活躍、なんて展開に行くのかな。通れば期待。

 小松さんが出していたのはスマートフォンのゲームアプリが現実になってしまうといったところで、異世界じゃないじゃんとは思ったもののファンタジーだからまずは良し。でもってガチャを回して出てくるモンスターとかが自分の反映で、周囲に出てくるモンスターなんかも知人の反映。それぞれの性格とか特技なんかが属性となって発言していて、そうした鏡に映った自分を観るような戦いの中で自分を知って生長していく展開になっている。芝村さん的にこれはありだけれど競争も激しくなるから工夫が必要とのこと。だからといってゲームアプリでエイリーにもらえるボーナスがコインではなくエノキというのはどういう発想か。

 無駄にエノキばかりが貯まってある程度になるとシイタケにもなるけど基本は無用の長物。もらっても嬉しくないそれらの増加が可笑しさを醸し出す。なおかつ大切な場面で役に立ったら意外性があって面白そう。そうした発想の転換とずらしを重ねて企画というのは面白くなっていくんだなあ。最後に三上枝織さんの企画は擬人化されたウィンナーとベーコンの戦いだけど食品加工メーカーがスポンサーにつくとそういうのはダメと言われると芝村さん。ベーコンが悪なのはいけないし足がウィンナーになっている設定も拙いし食べさせるというのも拙いそう。どうすりゃいい、ってことでしまどりるさんが描いたイラストで浮かんだウィンナーが眉毛になったイケメンオヤジ。銀河万丈さんを声に指定していたから、実現すれば結構なインパクトを醸し出しそう。3人のうちの誰かは通るか。というか前の青森アニメは通ったのか。感心をもって眺めていこう。

 言葉通りに知らぬが仏の物語。エブリスタ小説大賞SKYHIGH文庫賞を受賞した光村佳宵さんの「柳屋怪事帖 迷える魂、成仏させます」(三交社、680円)は死者の迷える魂を成仏させる少女とその眷属といった設定で、よくあるタイプと言えば言えるけれども展開がなかなかにハードでそして書き込みが濃密。そしてラストに残る後味が良いのか悪いのか迷うところになかなかの読み応えがある。ヒロインは中学生のボクっ子で親の後を継いで「成仏屋」という仕事を営んでいる。名前の通りに死者の未練を解消して成仏させる仕事。いったいどこからお金が出ているのかは不明だけれど、代々そういう仕事をしているということはきっと何か伝手があるんだろう。

 でもって使役しているのが竜の子と黒獅子というからなかなかの戦力。柳月神奈という中学生の少女に付き従って害をはら攻撃を退ける。戦えば結構な強さがあるけど普段は青年の姿でいるから周囲には正体は分からない。そんな3人組に舞い込んできたのは何者かによって殺害されたのを知ってか知らずか、公園に現れる小坂威吹という高校生の少年の幽霊だった。出現した小坂は神奈たちから自分は殺されたと聞かされるものの犯人については知らず、そして成仏もできない。いったい誰がと探し始めた神奈たち柳屋は神社に懸かる呪いの絵馬について知り、小坂を呪っていた誰かの存在に気づく。

 呪いがだったら成就した? それは迷信と言い切れないのは実際に竜の子だとか黒獅子だとかが人間の形をして付き従っているからだけど、小坂については霊的な何かが作用したものとは思えなかった。だったら誰がといった理由を突き詰めていった先、見えてきた小坂の純情とそれを受け止める側の作為が決して善意ばかりでは出来ていないこの世界の寂しさを感じさせる。思っても思われるとは限らないという現実。小坂の場合もそれは無償の善意だったけれど、そんな彼の命を奪ったのも取りようによては無償の“善意”。その発動する部分の歪み、届いた先のズレがまるで違った結果を読んだ。こういう場合何をどうしたら良かったのか。分からせられないからこそ起こり続けるんだろうなあ、不幸な事件が。

 すべてが明らかになって、小坂の命を物理的に奪った事件についてはかたがついたけれど、そこに漂っていた無償の“善意”の向かう先、そうした”善意”を巧みに操った存在については物理的な力は及ばない。でも軽い気持ちから出た振る舞いが、周囲で増幅されて自分に降りかかってくるとやはり重さは感じるだろう。小坂の場合は発動しなかった呪いだって重なれば、そして柳屋の意図をくんで神様たちが動けば無事で済むとも思えない。どんな人生を歩んだのか。それは想像するしかないけれど、大変な目に会い続けたんだろうなあとは思う。そんな不幸を目の当たりにせず、自分のこれは真っ白な善意を信じて逝けた小坂はだから知らぬが仏という訳で。死んだら絶望から立ち直れない死者への柳屋の配慮に喝采を。

 虐待を受けて家出をした少女を“誘拐”という名目で匿って暮らすうちに感情が芽生え、交流が生まれていくといった設定らしい漫画が人気となってテレビドラマ化されることになって、いろいろと物議を醸している様子。つまりは現実にあった少女を誘拐して監禁して長く時間を過ごした事件をほぼモデルにしていながらも、そこに犯人側の言い訳めいたものを乗せ、あるいはそうだったら良かったのにといった願望を添えて描いてある点が、被害者の人権を損ないかねないといった批判で、それはなるほど一理あって決して正当化する目的はなかったとしても、そういう言い訳でもって似た事件が起こり変えない可能性、そうした言い訳が現実にすり替わって被害者を貶めかねない可能性に配慮するなら、安易な事態の借り受けはいけないといった気はする。

 逃れ得るとしたら、現実に虐待され家出してしまった少女が行き場に惑うケースがあって、それを状況として示した上で他に道がないからとかくまってしまうような展開があることか。子供をかくまうためのシェルターは各地に生まれているけれど、まだまだ情報が少なく対処できる人数も多くはなさそう。低年齢の場合だと児童相談所のような場所がまずは出てきた上で、親権なんかをたてにとられて元に戻されそして……ってケースもないでもない。だからこその“誘拐”であり“監禁”なんだろうけれど、それが拙いとなったら果たしてどういった書き方が誰も傷つけずそして当事者が救われる展開を示せるか。そこが問題だろう。

 しめさばという人による「ひげを剃る。そして女子高生を拾う」という小説の場合も家出してきた少女が帰りたくない理由を言わず、体を売ってまで誰かの世話になることを辞さないのをみて、外には行かせられないから自分の所に置き続ける青年が出てくるけれど、いつまでも置いておける訳ではないし結婚できる感じでもないなら、一時しのぎに過ぎない滞在ではなく解決につながる道を示して欲しいのだけれど、それがないからこの小説、ちょっと苦手だったりする。誘拐でもなければ監禁でもないからドラマ化される漫画のケースほど話題になっていないけれど、シェルターを機能させ得る展開、シェルターを広く知らしめる展開、それでも動かないならシェルターを広げ得る展開を描いてくれれば良いのかな、それで“面白い”話にならなくても、他人の不幸を面白さの材料にするより良いと思うのだった。難しいなあ。


【6月3日】 ようやく「宇宙戦艦ティラミス」の放送分を観たらこれは良い意味でヒドいアニメーションだった。「ポプテピピック」がサブカルを取り上げつつイジって爆破していくのとは反対に、こちらはオタクをくすぐりつつも吹き飛ばしていくような感じ。オタクなら心当たりがありまくるイタいネタをちりばめつつ、起こるオタク的なネタの数々がそれを世間的には奇妙と認識させつつ非難はされない微妙なラインに抑え、忌避感と同意の狭間を漂わせる。あるある。でもあって欲しくない。かといってあるしなあ。そんな感じ。ロボット物とか熱血物のお約束を外してくるあたりとかも楽しい。短い時間の中にネタがテンポ良く詰めこまれているから観るのも楽だった。30分枠に伸ばして声優を変えるところまでは出来なかったけれど、これもまた2018年に残るアニメになるだろう。その割にはまるで評判になっていないけれど。荒耶宗蓮が陰毛役やっているのに。

 でもってノイタミナで放送中の「ヲタクに恋は難しい」も録画分を一気に観る。だいたい予想通りの展開で、オタばれして彼氏と気まずくなって転職した女子が、そこで子供の頃に知り合いだったゲームオタクの男と再開するといった話。でもってオタバレを嫌気していたら彼の言葉で即バレしたけど聞いていたのがロリ系漫画が好きな上司とその彼女らしいレイヤーの女性上司といった感じ。まっとうな会社で働くまっとうなサラリーマンたちが、それぞれに抱えたオタク要素でつながり仲良くなって会話もし、交流もしれ恋情も交わすというとてつもなく幸せな構図がそこに浮かび上がる。非現実的でもあるけれど。

 いやまあ世間を知らない身だけに会社によっては知り合いが固まってBL話やゲームの話で盛り上がれるのかもしれないけれど、見知った範囲では漫画は読んでもアニメは観ておらずゲームだってハマっておらずライトノベルなんて見たこともない人たちが大半。コスプレイヤー? いたら絶対に見に行くけれどもそんな気配はみじんもない。あれだけコミックマーケットみたいな場に人があつまったところでたかだか50万人しかいない訳で、1000万が暮らす東京にばらまいたら、そして1億人が住む日本全体でどれくらいの濃度かというと実はとても薄かったりする。そんな中で濃いオタクたちがなおかつ幼なじみどうして出会い会話し仲良くなっていくドリームに溢れたアニメーション。観てもう泣くしかなかった、こんな現実が欲しかったと。来世こそ。

 遂に公表されたアニメーション版「響け!ユーフォニアム」の最新作となる長編アニメーション映画「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」の公開シーズンとメインビジュアル。そこに描かれていたのは主人公とも言える黄前久美子とそして1学年下の低音パートを担う北宇治高校吹奏楽部員たち。チューバを吹くW鈴木の鈴木さつきと鈴木美玲がいてコントラバスを担当する月永求がいてユーフォニアムの後輩にあたる久石奏が並んだそのビジュアルから想像できるのは、今までのアニメでは出てこなかった下級生たちとの物語なんだけれどそれが小説版「響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部 波乱の第二楽章」をなぞるのか、それとも未だ描かれていない久美子3年次の挑戦になるのか分からない。

 2年になった久美子たちの下に入ってきたW鈴木や奏や求について描くとしたなら、その技量の差異からぎくしゃくしたり出自を詮索されたくない求の傲岸な態度が川島黄緑によって懐柔されたりといったドラマになるんだろうけれど、その後に来るコンクールでメインとなる鎧塚みぞれと傘木希美の話は映画「リズと青い鳥」で描かれてしまった。それを外して描いても締まらないことこの上ないなら、いっそ吉川優子や中川夏紀や希美やみぞれが引退して後の話にした方が良いんだけれど、それがどういう展開を迎えるのかを僕たちはまだ知らない。かろうじて冬のアンサンブルコンテストに向けて練習をして演奏会を開く話が短編として描かれている程度。あるいは小説版も既に書き始められていて、映画と同時に刊行となるのか否か。気になるけれどもとりあえず、久美子にもまして性格が狷介な奏の声を誰が演じるかを気にしていこう。黒沢ともよさ以上に含みがあって毒のある声を出せる人っていないものなあ。あっと久野美咲さんがいたっけ。それだと「ひそねとまそたん」の逆になってしまうか。さてもどうなる。

 まさか当事者たちはチンパンジーならセクハラをやっても仕方がないので今時の財務省事務次官を始めセクハラをやっている人たちはチンパンジーに等しい存在だと非難しようとして「セクハラはチンパンジーでもやっている」だなんてタイトルの対談をやってしまったのかなんて善意の解釈が浮かんだかというと、そこは正しい論だなんて仰々しいタイトルの割には世間からどこかズレている意見が載っていて表紙に居並ぶ記事の見出しを見るのも心が濡れるオピニオン誌、セクハラ擁護の文脈でこういったことを持ち出しているに違いないと思って評判を聞いたらだいたいそうだった。

 誰かが言った“フィギュア萌え族”的な概念からオタクよりは種族維持の本能に近いセクハラの方がましだといった論法もあるみたいで、これはもう社会的にいろいろとヤバい立ち位置にあるんだけれど、時の副総理であり財務大臣までもが同種同様の考え方をポロリポロリとこぼしては、避難されていつかのスノーボーダーの謝罪会見みたく心のこもっていない言葉を口にして謝罪したふりをしつつ、ガリレオ・ガリレイよろしく「それでもセクハラは……」とでも言い足そうな雰囲気をまき散らしているから、そうした論法もまかり通ってしまう感じ。指摘できる時に徹底的に指摘してその論法のヤバさを噛みしめさせないと、いつまでたってもゾンビよろしく首を持ち上げ世に広まってしまう事例がここにも及んだと言えるかもしれない。

 どうせアサヒ芸能や東京スポーツと同類で、こけおどしのネタばかりを発信している雑誌なんだからななからと笑い飛ばしてしまえば良いんじゃないのって見解も道理ではあるんだけれど、アサヒ芸能だとか東京スポーツといった罵詈雑言も芸と世間が認定をした媒体で繰り出される論法とは違って少なくとも、日本新聞協会に加盟し首相官邸から国会から霞が関から警視庁といった機関に記者クラブを置いて日々、知る権利の代行者として活動をして情報を半ば独占している新聞社の系列につらなる出版社から刊行されている雑誌であり、記事の相互のやりとりも行われている以上は中身的に一心同体とも言える状況。つまりは客観的には公器と呼ばれ税制面での優遇もあれば再販制度によって守られもしていてそして記者クラブという”特権”を享受している責任を果たすことを求められている媒体が、暴論を満天下に公言していることはやはり笑い飛ばして澄ますんじゃなく、真正面から指摘し大上段から刺激すべきなんじゃないのかと思うのだった。

 従軍慰安婦の問題にも言及して慰安婦が毎日沢山の人の相手をさせられていることを人権侵害だと主張していることに対して、チンパンジーなら1日に何回も雄と交尾するからといった解釈を持ち出しているあたりは、チンパンジーでもセクハラをするといったこと以上にヤバくって、チンパンジーもセクハラするからセクハラした奴はチンパンジーだとは言ってないと言い抜けできそうな部分とは違って、人権問題だと訴える従軍慰安婦の側に対してチンパンジーなら何度もやっているでしょと言っているようなもので、抗議され訴えられたら世界中から非難が集まっても当然なんだけれど、そこは世間に知られていないマイナーオピニオン誌だから知らず通り過ぎさられるだろう。オバマ大統領の側近を侮辱したコメディアンが出演していた人気番組が即座に打ち切りになるアメリカとの違い。まあ広く知られたところで廃刊にはしないだろうけれど。

 ただもうひとつヤバイいのは最近になってここん家が英語で発信するネット媒体を運営し始めたことで、調子に乗って英訳して世界に向けて発信したらと思うとなかなかダイナミックで興味をそそられる。まさかそんなポン酢なまねはしないかというとするんだよ、信じているから自分達のオピニオンの正義を、営業的商業的にそうすれば釣れるからなんて段階はとっくに終わって、もうそれを心底信じている人たちしかいないんだよ。それを感じてないと釣りなんだから乗らなきゃ良いと思ってしまう。でも本気だから。マジだから。自分たちが滅んだって主張は貫き続けるから。そして滅びかかっているから。参ったなあ。困ったなあ。


【6月2日】 まあ当然か。獣医学部を作りたい学校法人が時の総理と会って支持を得たと、後の愛媛県との会合時に説明したのは実は嘘でしたと、言い始めたその学校法人の担当者が知事がいない間に愛媛県庁を訪れ、嘘をついてごめんなさいと謝罪をしたらしいけれど、早速知事がいやいやメモにあったその日の会合以外にも、学校法人の関係者が時の総理と会っていることを喋っているメモがいろいろあって、それらをすべて嘘だと認定するのは無理も無理だと返したとか。

 つい場の空気でそう言ってしまったなんて言い訳しているけれど、別の日は会ったことを前提にして会合を持ちましょうと言っていた訳で、これなんて嘘を前提にして会合を立ち上げた訳で場の雰囲気なんてまったくもって関係ない。むしろ詐欺にあたるような振る舞いであって、そうした何かの威を借りるようにした愛媛県への働きかけが、結果として獣医学部設立にあたっての補助金の拠出を呼んだとしたら、前提となる事態を嘘と言った以上は補助金は詐取したも同然ってことになる。県としては返せと言いたくもなるだろうし、そうでなくても県民が嘘を前提に拠出された税金は取り戻さなくてはならないと裁判を起こしかねない。そうなった時に果たしてすべてを嘘だと言い続けることなんて出来るのか。そりゃあ無理。だって嘘なんだから。

 誰かを守ろうとして自分が悪者になって嘘をついたと言ったところで、事実が厳然としてある以上は他の事実は消えはしない。それらも含めて嘘だったと言い続けられるはずもない。でも言わなくちゃいけない学校法人の担当者の心労たるや。家族や親戚や子供に対して恥ずかしくないんだろうか。人間として心に痛みを覚えないんだろうか。そこが気になって仕方がない。それとも恥ずかしいとか痛いとか思わない人だけが働ける場所なんだろうか、その学校法人は。教育の現場で嘘を嘘とも思わず繰り返せる人間が働いているこの恐怖を、日本はもっと噛みしめた方が良い。あるいは下々に嘘をつかせて平然としている権力者が跋扈している現状の恐ろしさを。世界はどうして何も言わないんだろう。諦めているのかなあ。

 NHKホールで開幕する「初音ミク×鼓童スペシャルライブ2018 This Is NIPPON プレミアムシアター」を観る前に代々木公園で「エコライフ・フェア2018」ってのが開かれていたんでざっと見物。渋谷側からすると最奥にあたる野外ステージに行くとちょうどアイドルたちによるライブがスタートしそうだったんでそのまま居座って見物する。「エコライフガールズ」と命名されたこの日だけのユニットには、各所で活躍するアイドルたちが集まっていてその中に「はちきんガールズ」の石川彩楓さんがいたんだけれどいつかワンダーフェスティバルで見かけた頃はもっといたはずの「はきちんガールズ」が今は石川さんがひとりのソロユニットになっている感じで、アイドル道というのは右に左に大変なんだなあと改めて実感。それでも抜けずひとりでも「はちきんガールズ」を続けている石川さんに喝采を贈る。パチパチ。

 そして「乙女の純情」という昭和歌謡を歌い続けるユニットもいたけれど、こちらもかつては4人だったものが今は2人といったところ。ザ・ピーナツの「恋のバカンス」とか歌ってくれてとっても懐かしかった。もうひとり、二木蒼生さんという美少女がいたんだけれどこの子も「こけぴよ」という埼玉を中心に活動していたアイドルユニットにいた1人なんだけれど今はユニットは活動していなくって、ひとりでアイドル活動をしているみたい。もう3年とか4年とか活動しているんだろうか、それでいて未だに16歳というから若い若い。これからだってもっと大きく羽ばたけるんじゃなかろーか。

 何しろ「関ジャニ∞」の番組かなにかで歌うまキッズに認定された歌唱力の持ち主。ソロでいくかあるいは有名ユニットに参加するか分からないけれど、ピンでも歌い続けて欲しいなあ。でも今ってソロのアイドルが活躍できる場所ってどこがある? 地下アイドルの連続では満足はできても爆発はしないし。かといってAKBだの乃木坂だのハロプロに今さら加わるのもちょっと違うしなあ。でもこういった場所にユニットとして参加して歌を披露し巧いところを見せ続けていれば、いつかシンガーとして使ってくれるところも出るだろう。アニソンなんかが今はアイドルが活躍できる唯一の場所かもしれない。そっちで起用、ないかなあ。

 それぞれに持ち歌を披露したり、石川さんと二木さんのコラボがあったりして楽しかったステージは、最後に4人が「エコライフガールズ」として登壇して松田聖子さんの名曲「夏の扉」を歌ってフィナーレ。あのイントロがかかるとやっぱりドキドキするのは昭和生まれのおじさんならではだけれど、今の人たちって松田聖子さんのアイドル全盛だった曲ってどこまで知っているんだろう。「裸足の季節」とか「青い珊瑚礁」とか「風立ちぬ」とか「赤いスイートピー」とか「渚のバルコニー」とか。僕らの世代だとどれも知っててどれも口ずさめるのは毎日毎週のようにテレビの歌番組で歌われていたからだけど、今の人たちって接する機会はなさそう。でも何となく知っているのはそれだけ世界にとけ込んでいるからなのか。そして30年後のAKBや乃木坂や欅坂の楽曲は世界にとけ込んでいるか。ちょっと気になった。ともあれアイドルたちに拍手を。ソロアルバムの発売が決まった二木さんにエールを。

 さて「初音ミク×鼓動スペシャルライブ2018 This Is NIPPON プレミアムシアター」は去年の確か3月にあったものの再演で、楽曲とか構成には重なる部分が多いような記がしたけれど、初音ミクや鏡音リン・レンや巡音ルカといったキャラクターのCGは何かクオリティが上がっているような感じがして、ダンスしているミクさんやリン・レンやルカの切れ味についつい見入ってしまった。というが鼓童の太鼓の響きとバンドのサウンドが大きすぎたか歌っているVOCALOIDの歌詞がまったく聞こえてこない。

 何か歌っているなあとは分かるし歌詞を知っている歌ならこのメロディではこの歌詞だろうとは分かって合いの手も入れられるけれど、それでもやっぱり滑舌が悪い、くぐもっているといた印象を持ってしまう。これでVOCALOIDの音量を上げれば場内が派手派でしくなってしまうし、かといって太鼓の音量とかバンドの音量を下げては届かないというジレンマを、どうやったら解決できるのかが謎。去年はちゃんと聞こえた記憶があるんだけれど、席が前から2列目でスピーカーに近かったからかもしれない。今回は中段センターで音がちょうど重なって打ち消し合った可能性。でもすぐ後ろがPA席でそこが基点となって音を作っているならボーカルが何を言っているか分からないのは致命的だと思うけど。単純に僕の耳が高音域を聞き取れなくなっている可能性もあるかも。耳鼻科に行ってみるか。

 さて今回が前回と違っていたとしたらアンコールがあったことか。前回は「アンコールはないからね」って言って去って行ったけれど今回は「アンコールはあるかもね」と言ってそしてちゃんと答えて登場してくれた。「千本桜」とか「桜ノ雨」だから去年もやった演目が途中でなかったり、フィナーレをアンコールにずらしたりしただけと言われればそうだけれども、やっぱりライブななからアンコールがあって満を持して登場してぶわっとやってくれた方が気持ち的にも盛り上がる。「千本桜」とか途中でやられるよりはラスト近くで場を熱するのに最高。そして「桜ノ雨」と来てしっとりと終えられる。良いライブ構成だった。また観たいけど今回はもう行けず。来年もまたやるなら行ってみたいけど次はルカの音楽をもうちょっと増やして欲しいな。


【6月1日】 ただのジョアおばあさんではないことが分かったその名も樋本貞が74年前にラバウルで戦争中の日本軍のOTFに乗って助けた話が伝わっているということは、その頃に16歳くらいだったとしても90才くらいになるのにとてもそうは見えないのは場所が岐阜で「きんさんぎんさん」の名古屋に近い土地柄だからか、それともDパイとなってドラゴンに見初められると老化がゆっくりになるのか。不明ながらも戦争に救出という名目であってもOTFが協力していたことが明らかになって、今はいったいどういう役割を果たしているのかが大いに気になってくる。

 「マツリゴト」なる儀式も考慮するなら国体護持であり国家安康な訳だけれど、それをメインの目的で描くのってやっぱりとってもライティ。なおかつ普段は他人のことなんて歯牙にも掛けない自己中心的な女子ばかりなDパイが、ジョアおばさんこと樋本貞の号令の下で真面目になって悔い改めてOTFとの親密さを増しつつお国のために働く描写は、自主性が削り取られているようにも見えてちょっと気が萎える。親切そうなおばあさんだった樋本貞がお国のためとばかりに立ち上がって自衛隊でも偉い人たちの上に立つ描写も、そうしたものになら命を捧げなさいといったメッセージが感じられて居心地が悪い。

 あらゆる制約から逃れて自由に空を飛びたい女子たちが、OTFという器を得て友人となりつつつ空へと舞い上がって世界のピンチを救う話だったらとても気持ちよかったのに、自由どころか縛り付けられ結婚や恋愛すらダメだとはじかれる中、自分自身を削られていく描写は見ていてなかなかに苦痛。本当にそれが目的なのか、甘粕ひそねという自己中心的でありながら他人も気にする性格のヒロインを据え、そんなひそねを選んだまそさんとの組み合わせで「マツリゴト」なんて吹き飛ばし日本だけが栄えるような展開も崩して世界が、誰もが笑顔になれる世界を目指す話になってくれると良いんだけれど。小此木榛人もタダモノじゃなさそうだし、そういう意味では展開が気になるんだけれど……。要経過観察。

 白泉社の「ヤングアニマル嵐」が休刊だそうで読んでいた訳ではないけれどもこのところ相次ぐ漫画雑誌の休刊話にいよいよ煮詰まって来たんろうかといった感慨が浮かぶ。アニメージュの増刊だった「リュウ」の流れを受け継ぐ徳間書店の「COMICリュウ」が休刊になり白泉社で「花とゆめ」のサイド的な位置づけて番を張ってきた「別冊花とゆめ」がなくなり集英社で長く女性向けの漫画を載せてきた「YOU」が休刊になり昔はスコラから出ていていまは幻冬舎コミックスから刊行の「コミックバーズ」が休刊となってそしして「ヤングアニマル嵐」。漫画雑誌の休刊自体は珍しい話ではないけれど、この短期間にこうも相次ぐとやはり状況はのっぴきならないところまで来ているのあと思わざるを得ない。

 不思議なのはこれらの漫画雑誌のどれも「ヤングキングアワーズ」とか「月刊サンデーGX」よりも発行部数が多そうなのに休刊とならなないことで、編集さんが頑張っているからなんだけれどももしかしたら「アワーズ」は平野耕太さんが「ドリフターズ」を連載していて「サンデーGX」は広江礼威さんの「BURACK LAGOON」が連載中で、ともにこれで休刊となってウェブに移行した日には、締め切りというものの存在を話捨てたかのように2人が描かなくなってしまいから、原稿を定期的に取るためにも月刊誌を出しておく必要があると考えているのかもしれない。その割には「ドリフターズ」は滅多に乗らないけれど。最新号でも。ウエブで週に1ページでも載せていく方が良いのかなあ。

 テレビアニメーションとか劇場映画で「クレヨンしんちゃん」の主人公、野原しんのすけを演じてきた声優の平松晶子さなしんちゃん役からの降板を発表。それこそ27年とかをひとりで演じ続けて来たからもう十分ではあるんだけれど、「サザエさん」の加藤みどりさんと同様に置き換えの効かない声のような気もするだけに、衰えがあるとは聞こえない今の降板は残念だし不思議に思う。「ドラえもん」の大山のぶ代さんはやっぱり年齢があったしのび太の小原乃梨子さんも相当に厳しかったから、そろっての交代は既定路線で半ば必然。でもしんちゃんは。個人としてやっぱり納得がいかなかったんだろう。気になるのは次だけれど誰になるんだろう、沢城みゆきさんで安心、って声もありそうだけれどああいった声は出せたっけ。三瓶由布子さんとか出来そうだけれど。7月からの登板に注目だ。

 ほぼ「銀魂」だった「デッドプール2」。ギャグがいっぱいで主人公が不死身みたいなもので感動させたと思ったらしっかりフォローがあって悲劇にならず時々画面の外に向かって語りかけたりもしれ他の作品をいじったりして下ネタエロネタ大歓迎。まさに劇場版の「銀魂」といったところだけれどそれをハリウッドで大々的にやってしまうところが面白いやらおかしいやら。でもって大勢の観客が入っているんだから「銀魂」のテイストが決して日本の楽屋話的内輪受けではないってことが伺える。もっともやってもいいんだ。でも他のマーベル映画ではできないだろうなあ、ディズニーが作る映画になるから。20世紀FOXだとこれが可能。でもずれディズニーに吸収されたら……そうならないように願おう、ギャグも下ネタもエロもグロもない「デッドプール」なんて「デッドプール」じゃないから。

 実は1の方を観てないんだけれどノリはほぼ理解し設定も確認。そして不死身のミュータントになったデッドプールが仕事をして戻ったところで恋人を殺され落ち込みながらも正義の仕事をしたらそこで出会ったのが虐待されてぶち切れた炎を出すミュータントの少年。これが結構強いんだけれど取り押さえたというか取り押さえられデッドプールともども施設に入れられたらそこにターミネーターがやって来た。何でもラッセルという火を出す少年は虐待をしていた施設の所長をぶち殺したことがきっかけになって悪へと染まり将来、そのターミネーターの家族を殺してしまうとか。止めるにはラッセルを殺せば良い。でもデッドプールはなぜかそういう時だけ殺せと言わない。悪人は殺してもまだ悪人じゃないのは殺さない? そこがなるほどヴィランではない理由かも。

 施設はターミネーターもどきに破壊されラッセルは移送。そこを襲って取り戻と考えられたおんが予告編にもあった新チームの結成で、電気を出したり溶解液を吐いたり見えなかったり運が良かったりただの失業者だったりが集まり乗り込んだ先で起こるこれは悲劇か喜劇か。あり得ないけどあったら楽しい出来事の先、逃げ出して最悪のミュータントと手を結んだラッセルが施設の所長をぶち殺しに向かうのを阻止しようとデッドプールが立ち上がり、そこにターミネーターもどきも協力をしつつ更正させられるか否かが問われるという展開は、ギャグとかエロとか下ネタばかりの中にあって信じる心の大切さって奴を実はしっかり見せてくれる。だからラッセルは。そしてターミネーターもどきも。終わってみれば大団円。ホッとした気持ちで帰れる娯楽映画になっていた。さすがハリウッド。そしてユキオは可愛かった。あまり活躍しなかったけど。次はもっと。もっと。もっと。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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