Last Updated 2022/5/19
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【5月19日】 木更津でドーベルマンが前に1度逃げ出して、そしてまた逃げ出したという事件が起こった時に飼い主が、今回は逃げ出したのではなく盗まれたのではないかと言っていたことが気になっていたけれど、今日になってやっぱり盗まれたことが判明。そして盗んだのが、前に逃げ出した時にボランティアで捜索に参加して見つけ出した上に、その後ドーベルマンの飼育状態を批判するようなコメントをSNSで発信していた人だと分かって世の世知辛さに唇を噛む。

 そりゃあ環境として劣悪に見えたかもしれないけれど、だからといって盗んでいいということは絶対にならない。なおかつ盗んだんじゃないかといった疑いがかかっていることをSNSで発信しつつ、飼い主の人が変人だったといったこともあけすけに書いていたりして、罪悪感どころかむしろ愉快な気分でいそうな感じがあって厄介さに拍車がかかった。正義のためには何だって許されるなんて本気で考えていたとしたら、それこそ変人の極み。そういう人に犬を任せて犬は本当に幸せなのか、犬を幸せにしていると思い込んでいる人間が幸せなだけなのではないか。いずれにしても今回の一件で犬から遠ざけられるだろう。その時に何を思うか。正義だからと犬を新たに飼おうとするのか。そこが気になる。

 尻を叩く描写の多発に「シン・ウルトラマン」をセクハラだと言う人が一方にいて、それは違うと反論する人が登場。曰く「それは、『女が女の尻を触る』あるいは『女が男の尻を触る』というシーンである。そういうシーンはあるのに、『男が女の尻を触る』というシーンが存在しないという『構造』だ。これこそが、『中にある構造』である。そして、この構造は一つの意味やメッセージを持つのである」ということで、線引きとしてはセーフなのではと仄めかしている。

 そんなことはない。。女が男の尻を触る」のも相手が嫌がればセクハラだし「女が女」でも「男が男」でも同様。それは踏まえないと構造の非対称性ばかりが問題視されてしまう。女性が少年を手込めにしても強姦になるのと理屈は同じ。そこをどうして見誤るのかというとやっぱり「シン・ウルトラマン」が好きだからなのかもしれない。だったらやっぱり「シン・ウルトラマン」はセクハラなのかどうかはやっぱり難しいところ。一般性の中に紛らせるか否かのラインを見極める必要がある。どう転ぶか。それを騒ぎ立てる層が今はAV新法で忙しそうなんでしばらくは平穏かな。

 「神々の山嶺」という夢枕獏さんの登山ミステリーは、前にも岡田准一さんと阿部寛さんの出演によって実写映画「エヴェレスト 神々の山嶺」になっているけれど、一方でマンガ家の谷口ジローさんによるコミカライズもされていて、それが今回、フランスでアニメーション映画化されてそして7月8日に日本で公開の運びとなった。吹き替えは堀内賢雄さんに大塚明夫さんとベテランが並んでなかなかの重厚さ。それ以上に凄いのが内容のストイックさで、本編では謀略だとか誘拐事件だとかがあるのに、このアニメーション映画ではひたすら山を目指す男たちのストイックなドラマになっている。

 日本でアイドル的な人気の岡田准一さんが出演して尾野真千子さんも入ってと結構なキャスティングが行われ、サスペンスフルな内容になってようやく映画化されたものが、フランスだとあまりにストイックな内容で、それもアニメーション化されるのはどうしてか。谷口ジローさんがフランスで大人気ということもあるものの、それでも原作からサスペンスをそぎ落としてひたすら山を目指す男たちのストイックな話になっていることが、逆に求められる状況にあったからなんだろう。つまりは誰もがストイックなまでに歩き続ける物語を欲していたからということ。理由などどうでもいい。言い訳なんてしたくない。ただ、歩め。どこまでも。どこまでも。そんな純粋な思いに気づかされる映画として、見られ心にこびりついた余計な思いを洗い流して欲しい。大きなスクリーンでまた見たい。


【5月18日】 今日も今日とて新潟へと出向いて企業取材。ちょっと前に太って着られなくなっていたAB6のスキャバルのスーツがまた着られるようになっていたのは僥倖で、このまま体型を維持するなりさらに絞って余裕ができるくらいにするなりしたいものだけれど、夏は食べないと体力がもたないから案配が難しい。スタミナがついてなおかつ太らない食べ物ってなんだろう。うなぎか。通風が出そうだなあ、最近どうも右足の親指の付け根がチリチリとするんだ。

 ふと気がついたら2022年のSF大会で贈賞される第53回星雲賞の参考候補作が発表になっていて、日本の長編に牧野圭祐さんの「月とライカと吸血姫」が入っていて誰が推し入れたかは分からないけれどもセンスはなかなか抜群。加えてライトノベルからは枯野瑛さんの「終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?」も入っていて、いずれかがとればいったい何時以来になるのかそれとも初なのかって感じのライトノベルの星雲賞が誕生する。投票したいけど今度は福島なので行くかどうかか未定。そうこうしているうちに投票期間も終わってしまうから今回はとにかく外から応援したい。頑張れ。

 メディア部門では「Vivy −Flourite Eye’s Song−」とそれから「ゴジラS.P<シンギュラポイント>」が入って真っ向対決といったところ。もちろんそこに本命の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が来てさらに「DUNE」に「アイの歌声を聴かせて」といった超大作から超人気作も入ってどれに投票したらいいのか誰だって迷いそうな参考候補作になっている。ここは裏切って「竜とそばかすの姫」といきたいところだけれどSF味はちょっと薄いから参考候補作に入ってないと投票すらされないだろうなあ。実写映画として「夏への扉―キミのいる未来へ―」も強そうだぞ、ハインラインだけに。

 コミック部門では個人的には「進撃の巨人」なんだけれど日本SF大賞を受賞した「大奥」も結構人気なんで分からない。自由部門も「ウマ娘プロジェクト」があり「実物大νガンダム立像」がありといった具合で関心を誘われるけれど、そこにどうして「PUI PUI モルカー」が入ってないのかがちょっと分からない。メディア部門でもOKならムーブメントとして自由部門でもOKな気がするんだけれどそこにSF味を見出す人が星雲賞の場合は少なかったんだろうか。受賞すれば結構騒がれただけにちょっと残念。いやだからあくまで参考候補作だからここで頑張って有資格者が投票すれば逆転の受賞ってのもあり得るかも。見守りたい。

 山口県で新型コロナウイルス感染症の給付金が4630万円も振り込まれてそれを使ってしまったというニュース。出納記録が公表されていたけれど入金されたその日に100万円とかどかんと出しているのが謎で、逐一チェックなんてしてなかっただろう口座にどうして振り込まれたのを知ったのか、気になっていろいろ読んだらその日のうちに気がついた役場の人が訪ねて返せと言って銀行まで連れて行ったけれど、ごねて返金の手続きをしなかったらしい。その場で口座を差し押さえるなり説得するなりしていれば良かったのに、放逐してしまったのはまさかそこからガンガンと使いまくる人間だとは思っていたかったんだろうなあ。普通いないものなあそういう人間。

 とはいえオンラインカジノに突っ込んだというその説明を信じるなら、どうして負けて出て行く分だけで当たって戻って来る分がなかったのかが分からない。確率論から言うなら当たったり外れたりするのがギャンブルであって、外れっぱなしなんってことはあり得ないんだけれど出納記録を見ると出て行くばかりで戻りがない。それともどこかで戻った分が別の口座に振り込まれているんだろうか。すぐに取り返さなかった謎も含めてそこで何かしらのアングラなやりとりでもあったんじゃないかって穿った見方もしたくなる。すっからかんでは返すに返せないとはいえやっぱり返せとなった時にどういった締め付けが可能なのか、訴えるというけど刑事事件になるのか民事なのか。そういったことも含めて見守りつつ、いつ僕の口座に1億円が振り込まれるかを注意しておこう。


【5月17日】 どこの新聞社か知らないけれども、大塚英志さんのところに取材に行って昨今のロシアによるウクライナ侵攻を満州事変における日本の満州国設立なり日中戦争における中国侵攻なりに例えたら、若い新聞記者がまったくそういう発想がなかったといってひっくり返ったとか。少なくともちゃんとした大学くらい出ているだろう記者ならそうした戦前の日本軍の行動くらい知ってて不思議はないはずで、あるいはそれを侵略とは認めない主義主張の持ち主かとも思ったらまったく知識としてなかったらしい。

 確かに明治以降の近現代史を日本の高校で学ぶ機会はそれほどなく、世界史とかとっていたらまったくもって触れずに過ごすことだってありえるけれど、すくなくとも日本人なら常識としてそれくらい知っていて当然なのに学ぶ機会もなければ学ぶ気力もない人たちが、これから続々と世の中に出てくればそりゃあ核共有だ何だといった危ないことを兵器で言えるようになるよなあ。そこに作家な人が書いた歴史物語が違った観点からの大東亜共栄圏的思想を植え付ければライティーな記者の一丁上がり。それで記事とか書かれたら売れるものも売れなくなるよなあ。やれやれ。

 新聞も大概ならテレビも大変なようでお台場にある目ん玉テレビ局が社長人事を固めたといったニュースが流れてそれが35年とか昔に一世を風靡した番組を手がけた70歳のおじいさんを社長に据えるという話だから愕然としたというか腰が砕けたというか。ちょうどそのテレビ局ではもうちょっと下の年齢の人たちをいらないとばかりに肩を叩いてお土産をつけて追い出したばかり。さあ若返りだとなったところで上に座るのが2世代も上のおじいさんでは流石に辞めた人も残る人も頭がカユくなるだろう。

 もっともそのさらに上にさらに高齢の人がいて差配しているんだから変わってないといえば変わってないだけなのかも。そんな状況で目下どんどんと下がる視聴率の順番がさらにおちて見上げればテレビ東京なんてことになったりするかも。冗談ではなくマジに。そういえばお昼の番組はまるで視聴率がふるわず1%台だなんてそれこそテレビ東京が叩き出しているような数字を連発しているおか。これはまずいと昼ドラめいたものを入れ、そして夜に昼ドラの再放送なんかも入れてヨロメキドラマでかっぱごうという姿勢を見せ始めたところで、社長が変わってさあ内輪受けのバラエティだとなったらさらに離れる人だって出てきそう。ここは他局向けにプロデュースしたチコちゃんに移籍してもらって叱ってやらないと拙いんじゃないかな。それはできない相談か。著作制作NHKだし。さてはて。

 家にいたら寝てしまうんで総武線に飛び乗り中で読書。「魔法科高校の劣等生 メイジアンカンパニー4」ではいよいよアメリカ本土で魔法師選民思想の団体がレリックの掘り起こしを始めてそれを魔法師人権保護団体が抑止しようとしてメイジアンカンパニーに送り込んでいた遠上遼一を動かしたり、果ては司波達也と司波深雪にもご出馬願ってアメリカで起こり始めた言葉が理解できなくなる不思議な現象を収束させる。「バベル」と名付けられたその魔法が蔓延れば人と人とのコミュニケーションが立たれて大変なことになりそう。言語以外のジェスチャーだとか絵文字だとかでも意思の伝達は無理なのか気になるけれど、そうした古代魔法が次々に復活してそれに現代魔法の司波達也たちがどう挑むのか。世界規模で繰り広げられるバトルを楽しめそう。


【5月16日】 山本耕史さんといえば時代劇フィギュアのアルフレックスが「新撰組!」のスピンオフドラマで洋装の土方歳三を演じた山本さんをそのままフィギュアにして売り出していたのを買ったっけ。ちゃんと布で作られた衣装に武器なんかも持った人形で1200体が作られたそうだけれど今はもう売ってないし、アルフレックス自体が存在しないのである種幻となっている。今回のブームで掘り起こされればちょっとしたプレミアムでも付くかと期待もするけれど、それほど需要があるかどうか。むしろメフィラス姿のフィギュアを作って欲しいって声の方が多いかも知れない。

 メフィラスといえばその怪しげな演技が注目されたけれどもウルトラシリーズにはかつて「怪奇大作戦」で岸田森さんがやっぱりどこか胡散臭げな存在感を漂わせていた。その岸田森さんのフィギュアもアルフレックスは作っていて、シャツこそ白いけれど黒い背広でそれを土方歳三の山本さんに着せればメフィラスっぽくできるかもしれない。ただ残念なことに岸田森さんの人形は当時から凄く人気ですぐに売り切れたんだよなあ。まだ池袋のパルコの上だかにあったフィギュアの店でも「キングアラジン」は残っていたけど岸田森さんは売り切れだった。探してでも買っておけば良かったなあ。

 アニメ化に続いてSnowManの目黒蓮さん主演による映画化も発表となって大いに湧いた顎木あくみさんの小説『私の幸せな結婚』は、シリーズ累計300万部を超えるヒット作となって富士見L文庫の看板を『紅霞後宮物語』シリーズと張っている感じ。そういった指標めいた作品が出ると後に続けとばかりにいろいろと出てくるのが出版の習いで、後宮物が幾つか相次ぐ一方で、明治大正風の日本を舞台にしたシンデレラストーリーも書かれては『私の幸せな結婚』に並ぶ看板作品になりつつある。それが道草家守さんの『龍に恋う 贄の乙女の幸福な身の上』だ。

 半年のあいだに10回奉公に入っては10回とも解雇された珠は、親切な実業家に名刺をもらって尋ねて来いと言われながらもそこは我慢し今日の宿を探していた時、通りすがりの男に絡まれ大事にしていた櫛を奪われそうになる。返してと言って揉めていたところに現れたのが一瞬だけ髪が銀色に見えた美形の男。櫛を取り返すだけでなく、何かを操り逃げる男を転ばせ捕らえて官憲に引き渡した。そして繰り出した何かが見えた珠に興味を持って、自分は奉公先を紹介する口入れ屋だと言って珠を事務所へと連れて行く。

 そこは確かに口入れ屋ではあったけれど、人間だけでなくあやかしの職業斡旋もする不思議な店。ある事情から不思議なものが見える力を持った珠をこれ幸いと雇い入れ、次の仕事を斡旋するまでの間ということで自分の仕事を手伝わせる。もっとも珠はこれまでの生活が不憫だったせいか極度に自虐的でおどおどとして自分に自信がない。呆れられながらも少しずつ自分といものを出すようになり、狂骨や家鳴りといったあやかしたちともうまくやっていた珠の回りに不穏なことが起こり始める。あたかも帝都では女中が姿を消す事件が相次いでいた。

 報われなかった人生がひとりの男性と出会うことで上向きになるところは「私の幸せな結婚」とも重なって読む人に夢をもたらし希望を与える。頑張っていればいつか自分にも王子様が……ってそんなにうまくいくものではなくても、頑張ることを否定されない行き方によって自分への自信はもてるようになる。そんな珠をとりまくあやかしたちの健気な行き方にも共感したくなる。瑠璃子という化け猫が変じた美女だけは勝ち気で珠に起こってばかりだけれど、それでも内心は人間に親切なところもあって可愛らしい。なでてあげたいけれどかみつかれそう。女中が行方不明になる事件もどうにか解決し、ようやく居場所を得た珠が帝都で経験する不思議な事件が綴られていくシリーズは最新刊の第4巻まで来てまだ続く。やっぱり人気なのかなあ。ドラマ化されるとしたら誰が演じることになるのかなあ。


【5月15日】 「マンが図書館Z」のようなアーカイブ的な活動については応援したいのだけれど、それ以外の部分で応援できないところが割とあったりしてなかなかに辛い赤松健さんの諸策。ちょっと前に漫画仕立てで我こそが表現の自由戦士だとやって散々に言われながらも沈黙を貫き通し居心地が悪かった上に、今回はアニメーター支援と称してヒットした作品については税金を引き下げ還付してはと行って総スカンを食らっている。

 なるほどアニメーターの窮状について何か考えたいという気持ちは理解できるけど、それがどうしてヒット作の税金を還付することになるんだろう。たとえ製作委員会に税金が戻って来たとして、それを制作会社経由でアニメーターに還付する義務なんてどこにもない。だって労働の対価はすでに原画動画彩色等々の労賃として支払われている訳で、たとえ儲かったからといってその儲けが戻って来るような契約にはない。

 だから、税金を還付したところで製作委員会が出資者の間で分配するだけ。そこに制作会社が入っていたらご褒美としてクリエイターに戻す可能性もないでもないけれど、それだってご褒美の範囲で保証されたものではない。カメラを止めるな!」でヒットして儲かった分を出演者やスタッフに分配したのも特殊なケース。「劇場版 鬼滅の刃 無限列車編」が大ヒットして制作会社が出身分を受け取ってアニメーターに戻したのも制作会社のスタンスに過ぎない。その義務化なんてできやしない。

 必要なのはだから全体の底上げで、それを政策として支援することなんだけれどトップ級しか支援しないとなったら誰もが大ヒット間違いなしの作品に群がり表現の幅は狭まって文化はやせ細り、もしかしたら次代の宝となる作品が生まれてこなくなる可能性だってある。漫画だって大ヒット作だけを盛り上げてそれで裾野が広がらないことくらい、分かっているはずなのに自分が言い出すとなると下手な考えを繰り出して休んでいたらと言われてしまうのは何故なんだろう。ブレーンがポン酢なのかそれともご本人が何か焦っているのか。いずれにしてもちょっと落ち着いてもらって世間の反応を噛みしめ、実行できることを訴えて欲しいんだけれど。そうした声へのリアクションがまるでないのも気になるなあ。やれやれ。
B  せっかくだからと池袋のグランドシネマサンシャインで「シン・ウルトラマン」。IMAXレーザーGTの巨大なシアターの最前席で寝そべってみるとウルトラマンの巨大感がいっそう強くなる。浅見弘子の巨大感も。いろいろと言われている昭和のおやじっぽい気合いの入れ方についてはやっぱり言われて気になるものの、一方で子供たちは分かりやすい表現と受けとめつつ頑張れウルトラマンと応援して見ていたりするので「クレヨンしんちゃん」的なエロスだと思えば思えないこともないのかもしれない。だから子供っぽいと大人な評論家からはこき下ろされるんだけれど。子供がここから次のウルトラマンを生み出してくれることを願おう。

 やっぱり最高だった山本耕史さんのメフィラスの演技。そういえば大昔にインタビューしたことがあって引っ張り出して演技論に関わる部分を読み返したらなかなか良いことを言っていたし書いていた。曰く「自分からこの役をやりたいというのは、役者として違うような気がするんです」。みずから役を求めるような態度は見せないそうで「与えられたものを実体にするのが、役者の仕事なんだと思っています」とのこと。そこでどこまでチューニングできたか、それを使う側や見る側がどれだけ評価してくれたかが楽しいんだろう。メフィラスもきっと大喜びの役になったんだろうなあ。

 「新撰組!」での土方歳三役も、そもそも土方歳三ってって感じだったらしく「名前を知っていたくらい。決まってから友だちにどんな人か知っている? と聞いて教えてもらいました」とのこと。そこから「役を愛し、どんどん近づいていこうとするんです」ってアプローチで作り上げた土方は、香取慎吾さんが演じた近藤勇に負けない人気となって単独のドラマも作られた。そうやって演出家を刺激して止まない役者がまたしても見せた今回の演技。だったらこれもやらせてみたいとなっても、同じような演技より「このあいだやったこととは違うものを要求されたほうが、答えたいと思ってしまうんですね」という山本さんだから、まさかこれはといったものをぶつけた方が良いのかも。だとしたらウルトラマン役? ちょっと期待。


【5月14日】 ブーフーウーなのは分かっていたけどいよいよ100万部を割って来てそれでも全国紙を名乗りたがっている新聞の1面コラムが憲法9条を金科玉条のように言う勢力に向かって「ではウクライナに9条があれば、ロシアは攻撃を踏みとどまっただろうか」と書いて揶揄している。でも憲法9条は日本が前のような侵略に手を染めないために身を縛るものであって、攻め込まれないためのバリアーなどではない。だから「ではロシアに9条があれば、ロシアは攻撃を踏みとどまっただろうか」と書いて始めて戦後日本のスタンスとの比較になるのに、分かっていないのか分かっていないふりをしているのか、そう書き続けるのは憲法9条の護持を掲げたい勢力を揶揄 したいだけだからなんだろう。やれやれ。

 家に居るとどこまでも寝てしまいそうだったのでとりあえず、締切が切られた仕事をしようと家を出てからとりあえず、新宿ピカデリーに寄って多分都内最大のスクリーンで上映している映画「バブル」を見る。すでにNetflixでの配信も始まっているし、そもそもが試写でも見てはいるんだけれどその時は武田綾乃さんおノベライズを読んでおらず設定がちんぷんかんぷんでよく分からないまま雰囲気だけに流されたのでもう1度、見ておく必要がった。結果はうん、これは「シン・ウルトラマン」と同じだ。

 ネタバレ全開でいくなら「シン・ウルトラマン」は最後にゾーフィが出てきて地球人は知的生命体だけれど情緒不安定で攻撃的でいつか宇宙に徒をなす存在になるかもしれないから殲滅すると言い出して、殲滅兵器としてのゼットンを送り込んで太陽系ごと焼き尽くそうとする。それを止めようとしたのはゾーフィと同じ光の星から来たウルトラマン。地球人と合体してその心情を理解し自分は地球人を守りたいといってゼットンに挑む。そんなウルトラマンを助けたのが地球人の中で関心を寄せた仲間の1人の浅見弘子で彼女のためにもウルトラマンは頑張るのだった。

 対して「バブル」は地球に降り注いだ泡は実は遠く宇宙の彼方から来た知的生命体で自分たちとコミュニケーションがとれない存在を見つけたら滅ぼす役割を持っていた。そして同じ目的で地球にも降り注いだのだけれどそんな地球人の中にみつけたのが聴覚が常人と違っていたヒビキ。泡の歌を耳にして返事をしたことから地球人にも自分たとと交流できる存在がいると気づいたことで、いよいよ始まろうとしていた殲滅をその泡が止めてとりあえず、東京タワーが爆発して東京だけが壁泡に閉じ込められる形になった。

 それでもいよいよ動き出した赤い泡に挑むウルトラマンならぬウタのピンチを浅見弘子ならぬヒビキが助けてギリギリのところまで持っていく。これはと思い直したゾーフィならぬ赤い泡がウルトラマンならぬウタの願いを聞き入れる形で地球の城下を思いとどまって迎えたエンディング。ウルトラマンはもういないけれども後始末に終われる禍特隊ならぬチームBBが東京の町をバトルクールに興じるのだった。そんな関係。見事に表裏一体のドラマが同じ5月13日に公開されたことに何か意味があるのかな。もしかしたら既に地球は侵略されているのかな。浅草の居酒屋に行って黒シャツ黒スーツ黒ネクタイの男が割り勘で飲んでないかを確認だ。

 見終わって西新宿までよってリコー・ペンタックスのギャラリーでアウトレットでも漁ろうとしたら店が閉まろうとしていた。5月一杯で閉鎖となってどこかに移転するのだとか。ギャラリーもあって結構なスペースだっただけどそれもなくなりペンタックス使いが作品を発表する場もなくなってしまいそう。残念だけれどそれが日本の光学機器メーカーの運命。鳩居堂ビルのコンタックスのショールームもとっくになくなってしまったものなあ。銀座のニコンとキヤノンのショールームだけは続いて欲しいなあ。


【5月13日】 いよいよやって来た「シン・ウルトラマン」の公開日、午前6時には起きて総武線快速から横須賀線へと入って横浜まで行きしばらく休憩。そして桜木町へとたどりついて横浜ブルク11でIMAXでの上映による「シン・ウルトラマン」のチケットを確保する。ついでにグッズを買おうと行列に並んで待つこと20分。入った売店で何を買おうかと物色したけどやっぱりこれは必要だとピンバッジを確保。ドッグタグも気になったけどつける場所なんてないので様子を見る。

 そして始まった「シン・ウルトラマン」は見たいウルトラマンがそこにそこにあったとまず語る第一印象。39話に及んで語られてきたウルトラマンの来訪から怪獣との戦い、外星人との交渉とそしてゼットンという強敵との決戦が2時間弱の中にぎゅっと総集編のように押し込められては現代のシチュエーションとビジュアル、そして技術によって語り直されていた。とりわけルックは着ぐるみではなくCGによって作られたことによって成田亨さんがデザインしたぬめっとしてひょろっとして奇妙な宇宙人がそこに現出。なおかつ動きも重力を感じさせるようなものではなく、反重力めいた能力によってすっと動きひょいっと空を飛ぶ不思議な動きをそこに再現していた。

 それは外星人も同様で、ザラブ星人しかりメフィラス星人といった地球人よりも聡明でしたたかな存在を感じさせつつ戦いではウルトラマンなんかよりもはるかに強い雰囲気を醸し出していた。対して禍威獣は地球の中から現れたということで重力に魂を引かれた存在として重量感をしっかり漂わせつつウルトラマンとの戦いでもそうした重みをちゃんと表現していた。考えられているなあ。そうした設定をしっかりと生かして本編ではそれぞれが独立したエピソードを1本にまとめあげてラストまで持っていった力業は、やっぱり映画的というより総集編的。過去の「ウルトラマン」の総集編をリメイクしたか、あるいは「ウルトラマン」をリメイクした上で総集編に仕立て上げたようなものになっていた。

 役者は斎藤工さんが途中でウルトラマンとなって感情が欠けて情報にも疎いが貪欲な知的好奇心を持っているといった雰囲気をしっかり出していた。西島秀俊さんも禍特対のリーダーとして皆を引っ張る頼もしさを醸し出し、「ドライブ・マイ・カー」のやや神経質な劇作家であり演出家の役とはまるで違う人物になっていた。役者だなあ。そして長澤まさみさん。公安調査庁から移ってきた元気なキャリア公安然としたところを見せていたものの、その仕草にはどこかおじさんぽさもあって色気とはかけ離れていた感じ。自分のお尻を叩いて気合いを入れるのはやり口として分かるけど、傍目にはお尻をいっぱい見せる演出上の都合にしか感じられないのがなあ。今時の風潮の中ではちょっとよろしくないかも。

 それは巨大化してのし歩くシーンも同様か。「ウルトラマン」のフジ隊員だったら制服姿だったので色気めいたものは漂わせていなかったけれど、今度はキャリアスーツでそれも「SPEC」で戸田恵梨香さんが演じた当麻紗綾が来ていたフレッシャーズとはちょっと違ったキャリアスーツ。だからやや短めで故に見えそうになるのを見せようとしているととらえるとやっぱりちょっとセクハラ風味。パンツスーツだったらそれはなかったと言えるかもしれないけれど、お尻は余計に目立つから痛し痒し。好みでいうならうーん、後者かもしれないだけにやっぱりあんまり入れるべきエピソードではなかったかも。今は公開後の喧騒に紛れているけどやがていろいろ取りざたされるかな。

 見終わって腕章が欲しくなったのでグッズ売り場で確保。ドッグタグもあればなお良いけれどYシャツの下につけて自分の身分を証明するものだけに外には見せられないので自己満足に過ぎないよなあ。なのでここでは遠慮。でもそのうち買うかも。夜にいろいろ話したけれど思ったのは山ちゃんって基本的に「マスク」のジム・キャリーで「フィフスエレメント」のクリス・タッカー&ゲイリー・オールドマンで「フォトン」のパパチャリーノ・ナナダンなので、決して威厳があって信頼できる声の持ち主という訳ではなってこと。

 だから、それを外星人の親玉にぴったりと言う人の結構な多さにどうにも意外感がつきまとう。「宇宙戦艦ヤマト2199」のデスラー総統みたく内心のメロウさをニヒルさに包み演じていたような感じだったら分かるのだけれどそうでもなかったし。山ちゃん神話が文字通りの神話になってやしないかなあ。だからといってウルトラマンキングを演じた小泉純一郎が良かったかというとそれはまた別の話。だったら誰が良かったかは考えたい。


【5月12日】 図書館へと行ったら今日も休みだったのでVELOCHEでしばらく原稿書き。大昔に「月刊少年チャンピオン」に連載されていた柳沢きみおさんの「ミニぱと」を読んだら、ギャグ漫画でありながらミニ・クーパーと44マグナムはリアルに描かれていた。ここからしばらく経過した「ブラッディエンジェルズ」でもミニはリアルで44マグナムも登場。エンスージストとガンマニアを誘う準備は大昔から着々と行われていたということか。まあ「ドーベルマン刑事」でスーパーブラックホークやらオートマグといったリアルな拳銃は刑事漫画の定番。手抜きが目立つ部分と思われ注意が払われていたのかもしれない。

 3時間ほどで原稿の下地を仕上げたので水道橋へと行って「ゴールデンカムイ展」を見物。しようとして通りがかったら東京ドームシティにコメダ珈琲店が出来ていた。前はなにかファミリーレストランが入っていたところ。家族でそろってメシを喰う人がコロナもあって東京ドームシティに来なくなって代わりに1人でも長時間居心地良くできる喫茶店が尊ばれているという現れか。というか世界の中心めいた場所にどんどんとコメダ珈琲店が出来ている。名古屋にいたころだって入ったのは1回くらいでそれほど目立っていなかったコメダ珈琲店が30年を経てこれだけの進化を遂げる。逆に新聞業界は一般紙であっても青息吐息のところが出始めている。ビジネスって本当に分からない。

 「ゴールデンカムイ展」は平日チケットでの入場だったけれど中は結構な人の入り。同じ絵を3重に人が囲むということはなく1列でずっと流れていく感じで、いつか見た鳥獣戯画展よりはよほど空いてはいたんだけれどコロナ禍の中でのこの入りは、やっぱりギリギリのキャパシティといったところか。週末を時間指定にしたのも正解だろう。そして見渡すと女性が多い。北海道を舞台に汚いおっさんたちがくんずほぐれつバトルするような犯罪実録的漫画なのにどうしてこれほどまでに女性に人気なのか、ってつまりはおっさんたちのくんずほぐれつが好きな人がおっさんよりも男子よりも女性に多いってことだから、なんだろう。そりゃまあそうか、おっさんがおっさんみてもおっさんだとしか思わないし。

 漫画の原稿ではあるけれども手描きのものがそのままという感じではない。あるいはすでに野田サトル先生が手描きではなくタブレットでの作画に打つっていてもはや手描きのペン入れ原稿なんて存在していないからなのかもしれない。完成原稿はスクリーントーンも貼って吹き出しだけは空けて送信。それを受けた編集がネームをもとにデジタルで写植をして印刷所に転送しているのかもしれない。展示ではそんな吹き出しの上に透明なシートを重ねて写植を貼って見せていた。漫画っぽさは出ていたかな。将来そうしたデジタルの原稿を入れたHDDが漫画家の“遺産”として美術館なんかに寄贈されることになるんだろうか。そういうのを専用に集めるネット上のアーカイブとか出来るんだろうか。個人で持ってたって朽ちるだけだものなあ、紙以上に早く。どうするんだろう。

 物販にも長蛇の列で並んでいるのがやっぱり圧倒的に女子が多い状況におっさんが描かれたグッズを愛でる人の多さを以下略。例のラッコを食べるあたりで登場した“相撲”のシーンを特大パネルにしたら結構な数、出るんじゃないかと思ったけれどそこまぜあざとい商売はさすがに遠慮したみたい。せっかくなので中が見えない缶バッジとコースターを買う。狙いは家永カノだったけれどバッジには元よりないしコースターでも外れ。とはいえ缶バッジではアシリパさんを当てたから雲はまあまあ良い方だったかもしれない。他の誰がきてもおっさんだものなあ。遠からずそうしたバッジをコンプリートして透明なバッグに並べて持ち歩く金カム女子が街を闊歩するようになるのかな。牛山だけを並べた人もいたりするのかな。それはそれで大好きだ。


【5月11日】 朝から訃報。ダチョウ倶楽部の上島竜平さんが亡くなったと聞いて誰も押してないのにと残念に思う。仕事だってたっぷりあっただろうし、将来だって何も不安視することなんてなかったのにどうしてって気になったけれど、どこか虐めを思わせる芸風はそれがギャグでも受け入れがたい風潮がある中で、身に迫るなにかをひしひしと感じていたのかもしれない。熱湯風呂にも入れなければ裸で走ったりもできない上島竜平さんに何が出来たか、個人で原付の旅をできる出川哲朗さんとのそこが違いなんだろう。合掌。

 朝から喧騒。立憲民主党の国会議員がウクライナ方面へと出かけてはなにやら軍装めいた格好で出歩き批判を浴びているという話で、何がいったいと見て見たらなるほど軍装に見えないこともないけれど、胸にブランドタグなんかも見えたので拡大して調べたらバイク乗りが着るジャケットで、そしてバッグ類もブーツ類もバイカー御用達の品々。本人もバイク議連の1人みたいでつまりはバイク乗りがバイク乗りの格好をしてただけなのに、軍装い見えるとインフルエンサーがつぶやいてそれが拡散されて軍装だという認識が定着してしまった。

 ベレー帽とか確かに軍装っぽくて余計だったけれど、それをニット帽に変えたらカジュアルになりすぎるから難しい。あるいはジャケットの愛用者だったチェ・ゲバラを真似してベレー帽を被っていただけなのかもしれず、それはそれでテロリストのコスプレだと言えなくもないからやっぱり被らない方が良かったかもしれない。同じジャケットを使って下にスーツなんかを着てイケオジを演出している人もいっぱいいるからなあ。とはいえそれを日本人がやっても様にならないことこの上ないから、おとなしくダウンジャケットでも着ていたら良かったかもしれない。場所を選んで自分を省みること大事。

 2024年の大河ドラマが紫式部を描く「光る君へ」になったとか。主演は吉高由里子さん。時代としてはあの清少納言も活動していた頃だから、ライバルとして絶対に出演してくるだろう。誰が演じるかが気になるところで、仲間由紀恵さんだったら「花子とアン」の再来として友人同士がライバル関係に転じてぶつかり合うのを楽しめるんだけど、そこまで凝ってはくれないかな。清少納言といえば片渕須直監督の次の作品が清少納言と枕草子をテーマにしたりするので、このまま作画が今年来年と進んで公開が2024年となれば、関連作品として平安ムーブメントを盛り上げそう。そこまで映画が引っ張られるのは辛いけど、面白いものになればそれで良いのだ。

 原稿を書きに図書館へといったら整理日ということで休館していたのでVELOCHEにこもってしばらくパソコンをカタカタ。出てそういえばかつ家で大人のお子様ランチめいたものが始まると聞いていたのでのぞいたら今日からではなく明日からだったと分かり断念。近所のラーメン屋で辛目のラーメンを食べたら午後になってお腹がごろごろちとしてお尻がひりひりとしてきた。こうやって食物は循環して栄養は体に浸透していくのだった。せっかくだからとアウトレットモールまで出かけて何も買わずに引き上げてきてやっぱり原稿書き。どうにか1本書き上がったので寝よう。充実した無職の1日。明日こそはかつ家だ。


【5月10日】 女性警察官がペアで出てくる漫画をあれこれ。「ハコヅメ〜交番女子の逆襲〜」が目下のトレンドだけれど過去にあった「逮捕しちゃうぞ」や「ブラッディエンジェルズ」と何が違うかと言えばミニパトに乗った交通課の女性警官ではなく地域課に所属して交番に詰めている女性警官の日常がテーマってところで、交通違反の取り締まりを改造したミニパトで行うようなエンスー系の願望を満たしたり、特別な銃器を扱ってミリタリー系の興味を誘ったりするようなフェイクはなく、極めて忠実に現場の状況に即した描写を心がけつつ、だからこそ浮かぶそこはかとないおかしみを誘う漫画になっている。

 巡査の上にある半ば名誉職的な巡査長ではない正式な階級としての巡査部長に対して「部長」と呼んだりするようなことはたぶん、遠目から警察官を見ている人にはあまりなかったりすることで読んで部長だから偉いんだと思うとその上に警部補がいて、警部がいて、警視がいて、警視正がいて、警視監がいて、警視総監がいたりするような階級社会をちょっとだけ上がった人たちに過ぎなかったりするところをちゃんと描いているリアリティーが興味深い。

 パトカーだからと無茶をしたら交通事故だと起こられるので法規を守って走り、行方不明者の捜索で山狩りに来た人たちが軽トラの荷台に何人も乗っていたりするのを気づけば取り締まらなくてはいけないからとうつむいてやり過ごす。気にもとめていなかった警察官の振る舞いに気づかせてくれるところに加えて藤という美人巡査部長に川合という新任巡査のペアのドタバタとした日々が乗って警察って面白いところなんだと思わせてくれる。

 高卒時と大卒時の2度ほど警察官採用試験を受けて合格している身としては、行っていればこんなに愉快な日々が送れたのかと思ってちょっと後悔もしてみたけれど、潜入捜査の厳しさに身を持ち崩して犯罪に走る警察官の描写もあってやっぱり大変だからと思い直す。こうした作品を読んでしまうと「逮捕しちゃうぞ」や「ブラッディエンジェルズ」の荒唐無稽さがやっぱり気になってしまうけど、そこはヒロインたちの愛らしさとパワフルさがぶち破っていってくれるからそれで良いのだ。柳沢みきおさんの「ミニぱと」は……ギャグ漫画だなあ、でもこれもこれで面白い。女性警察官漫画に外れなしってことで。

 今日も今日とてスーツで身を固めて新潟県へと出張取材。新潟で本格的なプロジェクションマッピングを手がけた企業を見物に生きつつ新潟駅から歩いて周辺をながめたりして、のどかな上に家賃も安くそして東京まで2時間という地の利を生かしてテレワークの拠点なんかにしたら結構行けるかもと考える。でも冬となったら雪が降ったり寒かったりして暮らすのも大変そう。車がないと移動も大変となると移住するかは考え所かなあ。でも魚は美味しいしお酒も美味しいしイタリアンだって美味しいからなあ。名古屋もそれは同様か。これからの人生、どこでどうしていこうかな。

 ドリコム飲んで頑張ろう。違ったどれはどりこのだ。ドリコムって会社がなにやらライトノベルのコンテストを始めたそうで入賞者には賞金だけでなく書籍化だとかコミカライズだとかボイスドラマ化の特典がつくらしい。いたれりつくせりだけれどそうやって第1巻が出てもあとが続かないと大変なのはどこも同じ。アニメ化したからといって次が続かなかった「アルヴ・レズル」って作品の残念さを思うと主催者によほどの体力と実行力がなければ夏の日の打ち上げ花火で終わってしまう。ドリコムはそのあたり、版元とは言えずパッケージメーカーとも言えない状況から何をどうしていくんだろう。本格的なコンテンツアグリゲーターになっていくのか。要注目。


【5月9日】 立川シネマシティでの「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の上映で舞台挨拶に登壇した片渕須直監督が言うには、「この世界の片隅に」には入れられなかったことも「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」はずいぶんと入れてこれでこうの史代さんの原作の9割以上はアニメーションにできたらしい。残るのがどこかは原作をたどる必要があるけれど、尋常小学校への入学が近い晴美さんを連れて百貨店へと買い物に行く場面はどうやらその時期、呉の百貨店は閉まっていたことが分かったらしい。だからきっとこれからも入れないことになるのかな。

 それでどうしてこれほどまでに長くなったのかというと、ひとつには知多さんの歩きがあれほどゆっくりになるとは思っていなかったことがあるらしい。ずっと元気で8月6日に広島に原爆が落ちたのを聞いて救援物資を運ぶ1人として出向いた知多さんだったけれど、そこで入市被爆して体調に影響が出たのだろう、11月にもなってまだ太陽が眩しいと日傘を差すようになって、そして歩くのも大変なのか本当にゆっくりとした歩みになってしまった。

 刈谷さんはその後にすずさんとリヤカーを引っ張って物々交換に出かけるくらいに元気だから、被爆はしていなかったんだろう。小林の伯父さんも広島から帰って難儀をしていたみたいだから少しは影響を受けていたのかな。そしてすみちゃんは立ち上がれないくらいの体調で腕に内出血もしていて結構重そう。そのあとにいったいどうなったのかが気にかかって仕方が無いけれど、そうした影響をキャラクターの中にしっかりを描いて原爆がもたらしたさまざまな影響を、感じさせてくれるところがやっぱり原作も含めた「この世界の片隅に」という作品の深みなんだろう。立川シネマシティにはもうちょっと行けないけれど次の上映があればまた行こう。

 朝からウエブ漫画が騒がしいので読んだ「名古屋以外全部壊滅」だけれどうーん、名古屋って奥に引っ込んでは自虐する傾向はあるけれど、外に出て名古屋を押しつけるようなことはあんまりしないような気がするし、もっと言うならすでに織田信長が京都を抑え豊臣秀吉が大阪を抑え徳川家康が江戸を抑えといった感じに日本の三都はとっくに名古屋のものになっている訳で、今さら征服だの侵略だのする必要なんて感じてない。だからそうしたことへと反抗する人々を見たって、馬耳東風といったところだったりするんでストーリーに響くところがあまりなかったのだった。

 それに名古屋にとって名古屋以外の愛知県など存在せず、また名古屋以外の愛知県にとって名古屋は最大の敵であるためヒエラルキーの 2番目に入ることは絶対にない。そうした名古屋をめぐるくすぐりどころをことごとく外している感じがあって読んでいて笑えないし怒りもしないところがちょっと微妙な感じだった。だいたいがどうして敵対するのが広島なんだ。それも大阪を助けるような形で登場するんだ。広島にとて大阪はお好み焼きのルーツを横取りした憎むべき土地じゃないか。お好み焼きを“広島風お好み焼き”と呼ばざるを得なくなったのは大阪のせいじゃないのか。そんな怒りを持つなら名古屋に与して大阪を叩けよ。そんな感じでやっぱり外している感じもあるけれど、今のジャンプでこういうストレートな逆を突っ込んでくる人もあまりいないからネーム次第では応援できるものを描いてくるかもしれない。注目はしておこう。

 なんだかなあ。正義っぽさを醸し出しつつメディアの至らない部分をチクチクといじる元記者だとか現役の記者を四半世紀も前にやり始めていた人間として、そうした楽しさを分からない訳ではないけれども注目を集め始めて嬉しい時期なのか最近そうした発進で注目を集めているアカウントとかで、ネット上でバズた話題をまとめツイートして評判のアカウントが盛大にやらかしていた誤報を嬉々としてリツイートしては、責任を問うような論調を示していたりして結果として誤報を拡散していたにもかかわらず、省みるような雰囲気を見せないあたりに何かメディアを改革してくれるかもと期待するのは大間違いだってことが見えてきた。真剣に真面目にメディアの状況のヤバさと向き合って欲しいのに、揚げ足をとるようなことばかり。いっしょになって滅びていくだけだよと言っておこう。自分に向けても同様に。


【5月8日】 イントロが長くでギターソロがある楽曲はサブスクリプションの音楽配信サービスでは飛ばされるといった話。ということはナイトレンジャーの「炎の彼方」なんて今だと絶対にヒットしないんじゃなかろうか。ジャンジャンジャンといった感じに楽曲が鳴りひびいては同じフレーズが繰り返されるだけのイントロがしばし続いてそしてシブがき隊の声……は違ったそれはよく似たイントロを使った「Zokkon命」だ。本家はそのあとに叫ばずつぶやくようなボイスのメロディから始まってだんだんと盛り上げていった先、ギターソロがきて歌の印象を吹き飛ばす。

 イントロよりも歌が聞きたいギターソロなんてどうでもいいから歌を聞かせろといった今時の風潮に真っ向から挑むようなこの楽曲が、当時は大流行してあのイントロが聞こえてくれば浮かぶ圧倒的な熱量、そして歌声よりもいよいよ始まって延々と続くギターソロの圧巻の燃えっぷりに洋楽ファンならずとも飛びつき聞き惚れアメリカンハードロックの現在地って奴を思い知った。ライブなんかだとさらにギターソロが長くなってはぶっ倒れて起き上がらない場面すらあってギターがあってサウンドがあっての楽曲といった感じだけれど、今だと歌を聴けずサビもない楽曲として飛ばされるんだろうなあ。強烈なイントロが楽曲を象徴する時代は遠くなりけり。

 宮脇咲良がサクラとして加入したK−POPグループの「LE SSERAFIM」の楽曲「FEARLESS」がたちまち4700万再生とかに来ていて日本の楽曲とは違った世界での爆発力ってやつを強く感じる。メンバーの誰が誰なんだ感じはあるけれども中に1人、宮脇咲良と同じ「IZ*ONE」でいっしょだったキム・チェウォンが黒髪のおかっぱでアクセントをつけているのでそこに目が行ってしまう「スカイ・クロラ」の草薙水素ファン。これが日本のアイドルユニットだとメガネになってしまうところを抑えてエキゾチックに振ったあたりに世界をちゃんと意識してのビジュアル戦略が感じられる。あるいは黒髪おかっぱ好きの押井守ファンに向けての戦略が。

 楽曲についてはきっとヘビーローテーションの果てにだんだんと耳についてくるんだろうけれど、サビなんてないしギターソロなんて当然ないEDMのどちらかといえばナロウでダウナーな楽曲が時代を象徴はしていても音楽シーンの代表として残っていくかはちょっと分からない。1990年代あたりからヒップホップも登場してきた音楽シーンで未だに残っているそっち方面の楽曲って何かを考えてもMCハマーくらいしか思い浮かばない状況に、2000台の音楽が果たして30年後にどう捕らえられているかが気になる。BTSは何か残りそうだけれどダンスミュージックでヒップホップでも案外にメロディアスなところがあるんだよなあ、BTS。気になってきたのでちょっと聞き込むか、K−POP。

 せっかくだからと立川シネマシティへと出向いて「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を舞台挨拶尽きで鑑賞。リンさんとすずさんの交流が増えてそこに周作も絡んで複雑な関係が描かれたことで唯一だけれど普遍性もある「この世界の片隅に」のすずさんが、普遍性を持たせつつも唯一の存在として考え悩み思って怒り泣く1人の人間としてぐっと屹立してきた。つまりは解釈だとかを変えたバージョンでもサービスを増やしたバージョンでもなく描き方をまるで変えた別の映画といったところを、舞台挨拶でも片渕須直監督が強く訴えていた。だからこそこれの英語字幕版を作って改めて、全世界に持っていきたいとも。計画はしても前と同じ映画の長尺版として契約の問題もあるのか広がらない状況を変えるためにも、実現して欲しいなあ。そのためのクラウドファンディングがあればまた、応募するのにやぶさかではない。


【5月7日】 尻が見られるということでサンシャインシティ池袋へと出向いて「桂正和〜キャラクターデザインの世界展〜」へ。到着したら行列が出来ていたのでナニゴトかと思ったらそれは「五等分の花嫁」のイベントで1フロア上の桂正和さんの方はすんなりと入れてじっくりと見られた。漫画については実は「ウィングマン」くらいしか読んでおらず、それもラストまでではなかったりするところに急激な人気とそしてアニメ化からの関心の分散があったような印象が浮かぶけど、その後も「I’LL」を描き「DNA2」を描き「電影少女」を描いて「ゼットマン」も描いてといった感じに漫画家としても一線を走り続けていたことが分かった。

 「電影少女」はアニメにもなったしドラマ化されて最近も放送されていたりするから、ある意味で時代のアイコンになっていたようにも思える作品。見て衝撃を受けて自分のものとして将来何か企画をと考えた世代がいたってことなんだろうなあ。僕自身としてはやっぱり「ウィングマン」のビジュアルが衝撃的で、ある意味で変身ヒーローもののパロディ的な雰囲気でオマージュを捧げつつ描いたものという柱がある一方で、美少女たちがわんさかと出てきてむっちりとした下半身とか見せつつ主人公と絡むビジュアルが1980年代前半の、オタク的な感覚が広まり始めた中で先駆的存在として強く心を捕らえた。

 それ以前から江口寿史さんのような漫画家はいたし高橋留美子さんも人気になっていたけれど、桂正和さんはSF的なセンスも持って美少女も描けるオタクに近しい漫画家といった受け止め方ができたように思う。少年サンデー方面にはみず谷なおきさんとかもいたから珍しいという訳ではなかったものの、その独特の美少女フォルムは強く目に焼き付いて、そして今もくっきりと残っていては「TIGER & BUNNY」に登場するブルーローズの中にそれを見てほほを緩ませるのであった。

 展覧会も「TIGER & BUNNY」に割と多めにスペースが割かれていて、ヒーロー達のデザインがどのように描かれたかって説明があって興味深かった。中でパオリンちゃんが最初の無印から最新作の「TIGER & BUNNY2」へと移る過程で胸を削られてしまったのは相方にマジックキャットが於かれて“兄貴分”とさせたこともあるのかな。ただでさえ薄いのがさらに削られ可愛そうな気もしたけれど、それでもしっかり感じ取れるくらいなのがまた良いという人もいるかもしれない。ブルーローズは変身をした後ろ姿が1枚しかなくちょっと残念。もっと寄越せと叫びたかった。そこは本編を見ることで補完しよう。

 せっかくだからと下のフロアで開催されていた「廻るピングドラム展〜運命の至る場所」も見物。ストーリーに沿って原画や修正原画やレイアウトが並べられ、関連するアニメの場面が添えられているのは以前に見た幾原邦彦展での展示と同様だったからあるいはそういった保管方法が幾原監督作品ではとられているのかもしれない。映像なんかも見られてオープニングやエンディングのノンクレジットがあったり、絵コンテかラフ原画で描かれた「生存戦略〜」からのシーンがアニメの映像と対面する形で上映されていたりして、比べられるよう工夫がされていた。どこが仕切ったんだろう。面白い展覧会だった。

 見てこれはやっぱり映像も見返したいと上映場所を検索して、時間的にちょうど良かった立川シネマシティで「Re:cycle of PENGUINDRUM」の前編を鑑賞。そのままではなくってどこかの地平から振りかえるような、あるいは未来を伺うような構成でもって本編で描かれた陽毬の死亡から復活そして苹果によるMプロジェクトのしつこいばかりの推進が繰り出されてどういう話しだったのかを思い出すことができた。そしてやっぱりあの真四角な口で「生存戦略〜」とは言えないなあと思った。あれはだから頭のペンギン帽子が喋っているのだから大丈夫なのかもしれないけれど。

 「少女革命ウテナ」ほどのアングラ感はないけれど、謎めいた組織があってそれに主人公たちの両親が関わっていた話などはウテナ的。あるいはオウム事件への関心も含まれた展開が今だったらどれだけのハレーションを起こしたかを考えると、キャンセルカルチャーの常態化していない時代ならではのモチーフ化だったとも思えてくる。批判的にだって描くことの困難さを越えて取り上げ描くアバンギャルドさを、幾原監督には失わないで挑み続けて欲しいなあ。後編はいつからだっけ。


【5月6日】 吉野家が会社説明会に応募した人を日本国籍であるにも関わらず外国籍だからとキャンセルした件はどうやら事実だったようで共同通信をはじめメディアが記事にしはじめた。吉野家は過去に就労ビザがとれず入社が決まっていた外国籍の人に辞退してもらった過去があるため、外国籍の人には遠慮願っていると説明しているけれども今回の募集にあたってそういう説明が公にはされていなかったにも関わらず、応募があって初めて排除するところが問題だし、外国籍であっても就労ビザの要件が緩い場合もあったりするにも関わらず、一律排除の姿勢で臨んでいるのも問題だろう。

 本当に欲しい人材だったら外国籍であっても採用の上でビザがとれるまで面倒見るなり働きかけるなりするのが人事の鑑といったところなのに、面倒臭いとばかりに門前払いを喰らわせる企業が別の口ではダイバーシティを重んじているとか言っていたりするところがどうにもこうにも嫌らしい。なおかつ今回の件は日本国籍であるにも関わらず確かめもしないで名前なりからそうだと勝手に判断して門前払いを喰らわせた先入観から来る差別も乗っかっているので、問題はもはやマーケティング担当役員の個性をとびこえ企業の体質といったところまで及んでいる。それで反省するどころか言い訳に終始する会社に果たして応援は必要か? 食べに行く必要をいっそう感じなくなった。そう思った人もきっと多いだろうからちょっと大変な事態になるかも。

 辻村深月の「ハケンアニメ!」と「レジェンドアニメ!」をまとめ読み。「ハケンアニメ!」は単行本が出たときに買ったけれど読みふけったという記憶に乏しく文庫になったのを映画化も近いということで改めて読んでこれはタイトルに偽りありというか、ニュアンス的には「ハケンアニメ?」って感じにその用語に懐疑を投げかけ作っている現場なり見ている人たちの気持ちを代弁させたような内容になっていた。

 だったらいったい「ハケンアニメ!」なんて言葉をどこのどいつが使っているんだという話になるけど、直接的にはネットの掲示板あたりから出てきたスラングに近い用語の気がしないでもない。誰かがどれだけ中身が凄い作画が凄いと言って褒めようとも、そうした”愛”を揶揄したい人間が数字を持ち出し、数字こそすべてと論破するために練り上げた数字至上のスタンス。それをベースに、それこそが「覇権」を握ったアニメなんだといった”称号”を与える意味でひねり出され、使われるようになったように感じてる。

 そうした”称号”が徘徊している状況を捉えつつ、その言葉を意識せざるをえない制作環境に身を置きながらもクリエイターたちが真摯に自分が作りたいものに向かい合い、作っていく姿をかたや天才監督であり、こなた若手有望の女性演出家を両軸にして描いたのが『ハケンアニメ』という連作集だったという感じ。あとはそれぞれにつくプロデューサーであったり関わる原画であったりといった人たちの、何を目指してアニメを作るのかといったエピソードも絡み地方創生とも関連する聖地巡礼の立ち上げの大変さなんかにも触れて及ばない理解なり才能への懐疑なりを描いた群像劇になっている。

 「レジェンドアニメ!」はそんな「ハケンアニメ!」の後日譚的なエピソードも絡めて認められ始めたアニメーターがより上を目指す上で大切な心構えであったり、前日譚的に才気が先走って現場を戸惑わせてしまうような事態が起こった時のそれでも曲げない気持ちの大事さであり、やっぱり聞き入れる柔軟さについても触れていて懐が広い。押しつける正解はそこになく人それぞれ、それは作り手も受け手も仲介人も含めてすべての人がアニメという作品、もっといえばあらゆる営みに対して理解を深めようといった気持ちが感じされる。
 ユニークなのは「レジェンドアニメ!」に収録の「レジェンドじゃないアニメ」という1編。すなわちご長寿アニメが30周年を迎える中でどういった展開が可能かを模索する若手プロデューサーのお話で、たとえ売上げで最高をとらなくてもすでにして知られ続けられることでもっと大切な場所にある作品を、作り続けるモチベーションをもたらしてくれる作品となっている。読む方も惰性の延長ではない毎週の作り手の意気を改めて思い出せる。

 そんな「ハケンアニメ?」が実写映画になることで「ハケンアニメ!」といった尊大な印象が言葉に付随しアニメの周辺で盛り上がってこれこそがハケンアニメだなんて地上波番組が出てきかねない今のメディア状況で、踊らされず見て見まくって見極めて見続ける覚悟を持ちたいなあと思ったのであった。とりあえずパンツは1日1時間、自由・平等・履かないを心情に今期アニメを観ていこう。

 東京へと戻って原稿を書き終えてから映画化へと足を運んで「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を見る。浮かんだのは「アブドル・ダムラフ・オムニス・ノムニス・ベル・エス・ホリマク。我と共に来たり、我と共に滅ぶべし」という呪文。理由は秘密だ。別に印象をいうならこれだけのVFXの技術があれば実写で「超人ロック」も出来るかなあといったところ。アマゾナvsロックの戦いめいたものも見られたし。とはいえあの美形キャラを役者がやるとドラゴンボールの実写版めいた妙なビジュアルになりかねないから、やっぱりアニメが1番としておこう。


【5月5日】 若い世代の女性向けマーケティングで見にくい言葉を使ってマーケティング担当取締役が解任された牛丼チェーンで今度は採用担当が、日本生まれの日本育ちの日本人であるにも関わらず名前が外国籍のように読めてしまったからなのか、企業説明会への申し込みに外国籍は就労ビザの問題があるからキャンセルさせてくれと「様」ではなく「さん」づけで返事を出してこれから炎上予定。告発のツイートの実在性については検証が必要だけれど、事実なら「さん」づけの至らなさに名前で国籍を判断する不用意さと、そして国籍でもって就労機会を差別する無法ぶりに非難が集まりそう。どうなるかに注目。

 「縊死」という表現からそういうことなんだろうと想像はつくけれど、だからこそどうしてといった思いも浮かぶ渡辺裕之さんの訃報。渡辺謙さんとはまた違った無骨さとそして渡辺さんにはない剽軽さも持った俳優として存在感を持っていただけに、活躍の場も相当あったしこれからもありそうな気はしていたけれども鍛え挙げた肉体を光らせるには66歳という年齢はなかなかで、それから先にいった何を売りにしていけば良いのかを迷い悩んでいたのかもしれない。

 実写版「魁!クロマティ高校」のフレディとかを始めとして、バイプレイヤーとしての存在感と平成ガメラシリーズなりウルトラシリーズへと出演し続けたことからも現れる深い特撮への造詣があれば、そちらで活躍し続けることもあり得たし、渋さと剽軽さで行くなら竜雷太さんのような立ち位置も考えられた。前途まだまだ有望だったのに……。だからこそ心が陥る谷間について考え続けないといけないのかもしれない。その歳まで自分も10年、生き延びられるかも含めて。

 「自由、平等、履かない」とはカマしてくれたものだよ「エスタブライフ グレイトエスケープ」。温泉物語がちょっと前に途絶えたお台場はアニメの世界では未だ屈指の温泉クラスタとなっていて、だれもが温泉につかりながら裸に近い格好で暮らしていた。当然にノーパン。そして訪れる人にもノーパンを義務づけているお台場クラスタでは履いている人はそれだけで罪人となって管理者に追われ住民に終われることになる。というか履いてないのを機械はともかく人はどうやって察知するんだ。その肉体を締め付ける感覚から来る動きの違いを敏く感じ取るんだろうか。謎めく。本当に謎めく。

 そんなお台場クラスタから神官の女性を逃がすというのが任務。パンツは履かないと呼びかける神官でありながらも自分は履いてみたいと憧れる神官のその感性こそが正しいかどうかは迷うところだけれど、当たり前の中で違ったことに興味を持つ人がいて、それを認める感覚の大切さは伝わってくる。履きたいなら履けば良いし履きたくないなら履かなくて良いのだ。

 そんな自主性を訴える話かと思いきや、エクアたちが履かないまま平気な顔をして行動する中でフェレスが履いてないことを気にするシチュエーションの畳みかけで笑わせた先、破壊された女神像から現れたパンツに住民達の蒙が啓かれたと見せかけて、厳然として存在していたクラスタの掟が、すり替わることにエクアが真面目な表情を見せているのが多分ポイント。それを都市管理AIの柔軟性とみるか、別の方向へと管理しようとしていると見るか。意外に深くて鋭い設定を垣間見せた回ではあったけれども一方で「パンツは1日1時間」と神官に叫ばせるユルみも用意して視線をそらさせる。巧みだなあ。単に脚本の賀東招二さんのギャグかもしれないけれど。そっちの可能性が高いけど。

 せっかくだからと名古屋空港の側にあるえあいち航空ミュージアムへと行ってメディアアーティストの八谷和彦さんの講演を聴く。前半は例のメーヴェへと至る過程で日本に生まれた無尾翼機についての解説で、YS−11を作ったメンバーのひとりで東大で航空機の設計について教えていた木村秀政さんが幾つか試した萱場式の無尾翼機から戦争末期にB−29を迎撃するために試作されたロケットエンジン搭載の秋水なんかの存在が指摘され、面白そうなことに挑む人の後の絶え無さを知る。海外にもいたようだけれどそうした人たちの思いの結晶として、そしてアニメに登場したメカが現実にあったらという夢の結晶として八谷和彦さんの作品があるのだとしたら、日本の発明への心はまだまだ途切れてないのだとも思えた。いつか誰もが気軽にメーヴェで空を行き交う時代が来ることを願おう。それならドローンの方が先に来そうだけれど。


【5月4日】 ロシアが岸田文雄総理大臣をはじめ63人を入国禁止にしたそうで、中に渡辺恒雄読売新聞主筆とか含まれていていやいやその歳でロシアなんかにいく筈ないんじゃないとか思ったけれどもそうしたリストに名が挙げられることで“ロシアの敵”認定されていろいろとヤバい影でもつきまとうようになったら単なる屁の突っ張りとか言って平然ともしていられなくなるのかも。国会議員でも沖縄・北方委員会のメンバーからピックアップして指定されているみたいでそこにどういう判断があったのかがちょっと知りたい。今井絵理子参議院議員はなぜ入って佐藤正久参議院議員は入っていないのか、とか。理事という肩書きだけで選んだんだろうなあ。

 新聞社だと読売の社長が入ってはいても偉いさんだけがやり玉で、対して産経新聞だと社長と専務と元モスクワ支局長とそれから外信部の次長といった具合に細かくピックアップされているのがなかなかの不思議。いったい何をしでかしたんだろう。ロシア大好きなハッピーに科学する政党に好意的な宣伝も言論活動も行っていてこれでは幸福にサイエンスする政党から見放されてしまうかも。あとは日経が入っている一報で朝日毎日は入ってないのはそれだけレフティだから? それならどうして日本の最左翼ともいえる日本共産党の志位和夫委員長が入っているんだろう。中国共産党とは仲は悪くてもロシアとはまだ普通だったんじゃないのかな。それとももはやロシアは共産党ではなくプーチン大統領による独裁になっている現れとか。そんなことも垣間見えるリストでありました。

 そいうえばNHKのBSプレミアムで「ふたりのウルトラマン」というドキュメンタリーチックなドラマが放送されていて、金城哲夫さんと上原正三さんの関係を中心に「ウルトラQ」から「ウルトラマン」といった作品が作られた過程を紹介しつつ、そこに金城哲夫さんがこめた沖縄という場所への深い思いがクローズアップされていた。怪獣の名前も含めて沖縄由来のものが多くてそもそもがウルトラマンとう存在がニライカナイから来た客人(マレビト)といったニュアンスで、そんなにも沖縄づくしだったのか、いっしょになってウルトラマンを作った人たちもそんな金城哲夫さんのパーソナルな思いに付き合ったんだと思われるのが本意なのかとちょっと思った。

 上原正三さんは金城哲夫さんほど沖縄づくしといった気持ちはなかったようで、あるいは戦中に台湾から沖縄へと戻る途中でながされ鹿児島で終戦を迎えて、沖縄戦を生き抜いた金城さんのような強く激しい思いに対して臆するところがあって、半歩身を引いていたからなのかもしれない。とはいえ怪獣だから、子供向けだから地位が低いとか手を抜いて言いといった思いはまるでなく、同僚がジャリ番といった言葉を使って大人向けを手がけることを喜んでいたのに怒って怒鳴ったのも気持ちとしてよく分かる。「帰ってきたウルトラマン」を始め数々のウルトラシリーズや宇宙刑事シリーズなどを手がけた上原正三さんの書くものを見て育った僕らに育まれた気持ちは、正義であり夢や希望といった思いとなって強く刻まれているのだから。

 オシム監督に合わせた訳ではないんだけれどもNHKのBS1で前園真聖さんがキャスターを務めるサッカー番組がやっていて、日本で指揮を執ったサッカーの監督の誰が凄いかってのをいろいろと検証していた。挙がったのはガンバ大阪で攻撃的なサッカーを指向した西野明監督であり、スター軍団だったヴェルディを纏めて何度も優勝を果たした松木安太郎監督であり、ジェフユナイテッド市原・千葉へとやって来てトレーニングとモチベーションでサッカーを高めたイビチャ・オシム監督であり日本代表で若手を発掘してW杯カタール大会への予選を突破した森保一監督であり、ギド・ブッフバルト監督でありミハイロ・ペトロビッチ監督といったあたりを並べて検証していた。

 多色のビブスをつかったパス回しってよく聞くオシム監督のトレーニングの難しさが、どういう感じか改めて分かったのも良かった。黄色と赤と白のビブスがいれば黄色は黄色に渡せないから赤か白に渡すとして、白に渡った時に白はもらった黄色にも同じ白にも渡せないから赤を選んで渡す必要がある。誰からもらったか。そして誰になら渡せるかを瞬時に判断しなくてはらないそのトレーニングはもしかしたら今誰が持っているかまでずっと考え続けてそれが自分に来る可能性も瞬時に計算しもらった場合に誰に出せるかまで含めて導き出すだけの思考力を養うためのものだったのかもしれない。

 それでもいずれ慣れてしまうからだんだんと数を増やして惰性ではなく判断によって行動する能力を高めたんだろう。結果、試合では2色の中で判断するだけになるという、そんなトレーニングに加えてサイドバックの上がりから攻撃参加も含め、時代を先取りしていたといった評価。とはいえ今がW杯イヤーということで、ベストには森保一監督が挙げられた。あのオシム監督を凌ぐと言われたのだから森保一監督には誰もが悼み讃えたオシム監督に恥じない活躍を、カタールの地で見せてもらいたいと強く思う。心から。 【5月3日】 ウクライナのゼレンスキー大統領がユダヤ人なのは知られている話だけれど、そんな大統領を仰ぐウクライナに攻撃をしかけたロシアのラブロフ外相が、ウクライナ攻撃の理由としてヒトラーを信奉するネオナチ集団が今も存在していることを挙げた流れからなのだろうか、ユダヤ人のゼレンスキー大統領がナチであるはずないじゃないかといった意見に対して、ヒトラーにはユダヤ人の血が入っていると言い出してユダヤ人国家のイスラエルから猛反発を喰らっている。

 そりゃそうだ、憎むべきヒトラーを“道祖”と言われてイスラエルが落ち着いていられるはずがない。シリアをめぐってはアサド政権側についてイランの強力も仰ぎつつ軍事的な支援を行っているロシアだけれど、イスラエルを相手に本格的に戦う訳にもいかない関係でソフトな関係を保とうとしていた感じだった。けれどもこれでイスラエルがロシアへの警戒感を強め、イランとの対立も深めてアサド政権に改めて本格的に向き合うことになったら、ロシアとしてもそちらに軍事的な支援を割かねばならずウクライナでの攻撃を手薄にせざるを得ない。

 でもそれは無理ならイスラエルにしばらく黙っていて欲しいはずなのに、刺激するようなことを言ってしまうあたりに先を読めないか、それともそう言わなくてはいけないほどウクライナ相手の侵攻が行き詰まっているかといったところなんだろう。だからといってすぐさま全軍を撤退させられるほどプライドは地に落ちていないとなると東部での小競り合いを続けながら長期化していく中で、1発大逆転を狙うような大技を繰り出してくる恐れなんかも浮かんでしまう。すなわち核攻撃だけれどそれをやってしまったら世界が終わる。どうなってしまうのかウクライナ情勢。5月には片が付くとか前は言われていたのになあ。

 オシム監督の死去でJリーグの様子が気になったので豊田スタジアムまで名古屋グランパスと京都サンガの試合を見に行く。豊田市美術館に行った時に遠巻きに見て「伝説巨神イデオン」に出てくる重機動メカみたいあと思っていた豊田スタジアムだけれど、初めて間近に寄ったらやっぱり重機動メカだった。あの両端に張り出したアンテナは何を吊っているんだろう。天井かなあ。ピッチを覆う屋根は可動しないため撤去する工事が進行中。全天候の球技専用スタジアムが日本にはないだけに、ある意味で貴重だったけどやっぱり日本では難しいのかもしれない。

 試合ではキックオフ前にオシム監督を偲ぶ黙祷が行われて選手も観客も応じて黙祷。こういうところですぐさま反応するのはやっぱりサッカーファミリーの良さだと言える。そして始まった試合は名古屋が割と責め立てるんだけれどゴールが決まらず、そして京都もカウンターから攻めても入らずといったところ。ゴール真横に近いところからのフリーキックをマテウスという10番を背負った選手が直接放り込んで1点を選手したものの、京都のふわっと浮かしたようなシュートがゴール隅に決まってから1対1のまま試合は経過し、何度ももらったコーナーキックを名古屋がまるで決められずそのまま試合終了となった。

 ちょんと蹴り出したボールをマテウスルが改めて放り込むのはタイミングをずらす意味もあるのかもしれないけれど、それで中の選手が飛び込んだり競り合ったりニアかファーかを使い分けている節もなく、ただ放り込んでいるだけのような感じでこれでは弾かれゴールネットは揺らせない。そうした工夫のなさをオシム監督が見たら何と言うんだろうなあ。頭を使え。考えろ。そうだよなあ、やっぱりサッカーは考えるスポーツなのだ。それも全員が。同時に。そうしたことを思い出させてくれた意味を噛みしめてのぞむカタールW杯で日本代表はどんな戦い方を見せてくれるのか。今から気になる。

 豊田スタジアムは豊田市駅から歩いてまっすぐではあるけれど、距離感は蘇我駅からフクダ電子アリーナへと行くよりは遠く、そして浦和美園駅から埼玉スタジアム2002へと行くよりは近いと行った感じ。そこに見えているなら歩けない距離ではないけれど、近づくにつれてぐんぐんと大きさが増していくのはこれから試合を見るんだという気持ちを高めてくれてちょっと楽しい。中も最高。専用だから見やすくてこれで見慣れれば瑞穂競技場がリニューアルされて、トラック越しに見る試合では満足できなくなりそうだけれど都心から近いという意味では断然瑞穂なだけに悩ましい。名古屋市内に豊田スタジアム規模の専用スタジアムが出来るなんて夢かなあ。白川公園案は却下だけれど他に良い土地ないかなあ。


【5月2日】 まだ市原臨海競技場を本拠地にしていたころのジェフユナイテッド市原・千葉の試合を見に行ったのは2003年4月26日のこと。評判が出始めていたイビチャ・オシム監督の試合ぶりが気になって、いったいどんな戦いをするんだろうと見始めたらこれがもう面白くって面白くって、当時贔屓にしていた出身地の名古屋グランパスよりも一気にジェフ千葉が好きになった。当時の観戦記を以下に転載。

 『その親近感は試合が始まるとさらにぐぐっと急上昇。トップのチェ・ヨンスとサンドロと弾頭に後ろから攻め上がりサイドから切り崩すスピード感と厚みにあふれたジェフの攻撃に、今年から攻撃サッカーを標榜し始めたFマリノスもたじたじで、開始1分でとった1点は出会い頭だったとしても、その後の切り込み返したところに飛び込み蹴り込んだ1点と、放り込まれたところに頭で合わせた1点とゆーチェ・ヨンスのハットトリックの凄さもそれとして、そんなチェ・ヨンスを支えた他のメンバーの仕事ぶりのトータルで、ジェフのサッカーの素晴らしさがぞんぶんに発揮された試合だった』

 ベンゲル監督がやって来たとたんに下位から中堅以上へとのし上がったグランパスエイトの奇蹟をオシム監督が再現しようとしているのかとも思ったジェフ千葉は、そのままぐんぐんと調子を上げてリーグ戦でも上位に食い込み、ナビスコカップを制してJリーグとなって初のタイトルをもたらすまでになった。オシム監督は一気に名監督として日本全国に知れ渡り、日本代表監督に引き抜かれてそして……。

 哀しい出来事もあったけれどそれでも帰国してなお日本のサッカーのことを気にし続けていてくれたイビチャ・オシム監督が5月1日に住んでいるオーストリアのグラーツで死去。80才は早世とは言えないけれどもW杯も控えてサッカーが注目される年でもあるだけに、その言葉をまだまだ聞きたかった。日本だけでなく出身地のボスニア・ヘルツェゴビナサッカー連盟も、故郷のセルビアサッカー協会も、率いたパルチザン・ベオグラードもパナシナイコスも追悼のコメントを出し、後れてジェフユナイテッド市原・千葉や日本代表も追悼をしたその偉業を改めて心にとめながら、僕たちは走って走って走り続けよう。もちろん頭で考えながら。

 大型連休に入ったのでとりあえず帰省しようと名古屋へ。スマートフォンで東海道新幹線のチケットを買ったけれど、それをモバイルSuicaに移す方法がよく分からなかったので物理カードのSuicaに移して改札口を抜ける。ITまだまだ難しい。平日ってこともあって比較的空いた新幹線で1時間40分くらいで名古屋に到着。正月に帰省した時には行かなかったJPタワー下のヨコイでサンジェルマンという卵焼きが上に乗ったスパゲティを食べる。なるほどやっぱりヨコイのあんかけスパはあんがスパイシー。チャオとかのになれているとちょっとコショウか何かが効きすぎに思えるかもしれないけれど、ヨコイから入った人にはむしろ懐かしく思える。ベトッとした麺も同様。ただお洒落じゃないからパスタ・デ・CoCoとかチャオとかにとって代わられる可能性はあるかもなあ。ユウゼンって今どうなんだろう。

 中日新聞の夕刊に南山大学が秋に元青少年公園にできるジブリパークに関連して、ジブリパートナーとなっていることもあってアニメ関連のプログラムをスタートさせるという記事。短期のアニメ留学を促進してはアニメの事を学んだり、近隣にあるアニメ関連の“聖地”を巡礼したりするそうな。「訪れてみたい日本のアニメ聖地88」2022年版では1か所も入ってない愛知のどこにと思わないでもないけれど、「泣きたい私は猫をかぶる」の常滑とかもあるし海外の人が好きな忍者の里が伊賀にもあるならそういうところを案内するとか。とはいえやっぱりここは「やっとかめ探偵団」の聖地を作品の復活とともに企画して欲しいなあ。あるいは岡崎市が登場する「シキザクラ」とか。アップデートされた企画じゃないと日本人より先鋭的な外国の人は喜ばないんじゃないかなあ。


【5月1日】 戦車は高いけどジャベリンなら安いじゃんという財務省の防衛費に対する示唆について戦車じゃなければ戦車の大群は追い払えないといった軍事クラスタからの声があがってふむふむなるほどと思う一方で、日本において戦車でもって戦車を迎え撃つようなシチュエーションが発生するかを考えると、それにはロシアが船に戦車をいっぱい乗っけて北海道のどこかに上陸する必要がある訳で、けれどもそんな作戦を許すほど日本の海岸線の防衛は貧弱ではないし、そもそもが大量の戦車を運ぶ船をロシアが持っているとも思えないだけに、そもそもの議論が成り立たない気がして仕方が無い。財務省のジャベリンもひとつの例えであって必要な装備を予算も見ながら要求しろよという注文じゃないのかなあ。

 川崎駅前の松の家でササミカツと海老フライのセットを平らげてから雨の降り始めた市役所通りを歩いてカレッツかわさき・ホールへ「『響け!ユーフォニアム』公式吹奏楽コンサート 北宇治高校吹奏楽部第6回定期演奏会」を見に行く。初めての会場でどこかと思ったら何年か前にXリーグのアメリカンフットボールを見に来たスタジアムの近くで、つまりは昔川崎球場があった場所の隣といったところ。駅から歩いていけない距離でもないだけに、さぞや賑わったかというとロッテが本拠地にしていた時代もあったものの、閑散としたスタンドが評判になるくらい閑古鳥が鳴いていた球場だったらしい。

 今はZOZOマリンスタジアムがロッテのファンで埋まるくらいになっているだけに、しっかりと開発すれば川崎市にとってフロンターレと並ぶスポーツの拠点が出来ていたかもしれないなあ。とはいえアメフットの拠点になっている今も悪い訳ではないけれど。そんな場所にあるカレッツかわさき・ホールはそれほど巨大ではないものの3階席まである音楽ホールで見やすくて音響も良さそうで、登場したプログレッシブ!ウインド・オーケストラの面々が奏でる音がしっかりと響いてテレビで見るアニメのステージが飛び出してきたような、あるいはその中に入り込んだような気分になれた。

 いきなり「三日月の舞」から入る攻めたプログラムは「宝島」があり「RYDEEN」もあってと「響け!ユーフォニアム」の面白さを思い出して気持ちがぶわっとなった。前に同じ定期演奏会を見たのは横須賀での第3回だった記憶で、そこから何年か経って間にいろいろあってもちゃんとこうして作品が続いて演奏会も開かれるところに京都アニメーションによる仕事が原作の武田綾乃さんの仕事も含めてしっかりと、受け継がれているのだと思えて目が潤う。嬉しいねえ。

 そんな演奏会では「リズと青い鳥」で鎧塚みぞれと剣崎梨々花が楽しげに拭いていたオーボエの練習曲があり、大吉山の上で黄前久美子と高坂麗奈が吹いた「愛を見つけた場所」があり、そして田中あすかのソロではない「響け!ユーフォニアム」のオーケストラバージョンがあってと聴きたい曲の目白押し。フルバージョンの「リズと青い鳥」もやっぱり良いけれど、それが聴けた映画「劇場版 響け!ユーフォニアム〜誓いのフィナーレ〜」でのサンライズフェスティバル曲「Samba de Loves You」もアンコールに演奏されてチューバというかスーザフォンのソロが聴けてみっちゃんさっちゃんの2人の頑張りが思い出された。

 そんな2人も2年生になっておっして久美子が3年生となって部長に就任する「響け!ユーフォニアム 決意の最終楽章」が果たして映像化されるのか、というのが目下の誰にとってもの関心事。多くのスタッフを欠いてしまって果たして動き出せるのかといった部分がやっぱり残っているけれど、そんな状況でも「Free」のシリーズが動き「ツルネ」の劇場版も動いてと歩きをすでに始めているならいつかはきっとと思いたくなる。新キャラも増えるし楽曲も作らなくちゃいけないから簡単にはいかないのは分かるけど、それでもこうして今も定期演奏会に通う人がいるのなら、頑張って送り出したいと思ってくれたらこちらとしても心から応援をさせてもらう。だから是非、見せて欲しいな久美子と麗奈と緑輝と五月の4人の最後の夏を。


【4月30日】 ようやくやっと「エスタブライフ グレイトエスケープ」の第4話「民主主義から逃げられない」は半分くらい「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった」だったというか、マルテースが上野のクラスタに潜入してバトルしている最中に、脳内でどうやってエクアに迫ろうかと考える描写が分裂した自我による脳内会議。「はめふら」の場合はカタリナのさまざまな個性がお互いに主張をしていたけれど、「エスタブライフ」では物理的にも分裂可能なスライム人間のマルテースの最小単位がそれぞれに自我めいたものを持って、強行派やら穏健派といった立場から派閥に別れて議論をしていた。

 それが攻撃の最中に撃たれてほとんどまっぷたつになってしまったことで、穏健派が主流のボディと強行派が主流のボディとに別れてしまった上に片方が上野のクラスタに残されてしまったことから、いったん湯島のクラスタに戻ったエクアたちが上野に戻ってマルテースを探すことになる。脳内会議の描写事態は「はめふら」でも見た感じではあるけれど、5つくらいのパーソナリティを演じ分けた内田真礼さんとは違って長縄まりやさんは穏健派と強行派とあとはノーパン派に議長といった感じで大きく振れてはいなかったかな。それでもいろいろな演技がベースをマルテースに起きつつ出来ることは見せてくれたので今後、いろいろな役を演じていってくれそう。

 ある意味で上野クラスタのシンボルでもある巨大な西郷隆盛っぽい何かの像をぶっ壊してしまって逃し屋として大丈夫なのか、住人になっていた獣人たちから非難囂々とはならないのかってあたりは気になるところ。というか置いて行かれた獣人たちの暮らしぶりが優雅だったり表でテント暮らしだったりと色々なのもそこに格差めいたものが存在しているのか。設定めいたものもあるかもしれないけれど、とりあえず今回は分裂して異なる性格となったマルテースがバトルする面白ささえ描ければ良かったのであまり突っ込んでは設定されていないかも。そうした中で自分の命すら平気でかけられるカタリナの正体にいろいろと不思議も浮かんでくる。自在に移動できるパスとかどこで手に入れたんだ。そんな疑問を含んでシリーズは続く。見ていこう。

 久々の立川シネマシティで久々の片渕須直監督による久々の「この世界の片隅に」の舞台挨拶。そもそもが舞台挨拶自体が「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開後、新型コロナウイルス感染症が流行って行えなくなったこともあって中断していた感じで、シネマシティでは3年ぶりくらいの登場になったみたい。上映も「この世界の(さらにいくもの)片隅に」が完成してからはそちらが主流になっていたので、ある意味で見慣れていた「この世界の片隅に」を改めて見てやっぱりこちらもというか、こちらが僕は好きかもしれないと思うのだった。

 「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」が「この世界の片隅に」の“完全版”ではなくってそれぞれに独立して存在する1本の映画であることを舞台挨拶で改めて話してくれた片渕監督。原作のどこをどう切り取るかによってそれぞれに1本の映画になるといった話で、それがどういった風に別々なのかを見てなるほどやっぱり「この世界の片隅に」はすずさんとう存在の経験を通じた昭和の日常から非日常へと進んでいくパブリックな変化の物語であり、一方で「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」は変化していく日常の中ですずさんという存在が何をどう感じどう変わっていったかを描くパーソナルな物語なんじゃないかと考えるのだった。ちょっと乱暴だけれど受ける印象はそれくらい違う。来週また上映される「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」を見てそうした違いを感じ取りたい。

 青木杏樹さんの「女王の番犬」(ファン文庫)は3つに別れた国家のそれぞれが領土をめぐって戦い合っていた中で、10才の少女が母の女王も姉の王女も暗殺者に殺されてしまったことで残り即した王国で、その暗殺者がひっそりと生かされ女王を守る存在となっていたという状況から始まるファンタジーでありミステリー。女王であることの証とも言える鏡が盗まれ、代わりに東の諸侯同盟の盟主の証である宝石が置かれていたことで、王女は近く行われる和平に向けた三国の協議で地位を証明できない恐れが出てきた。元暗殺者のブラッドフォードは女王の命をうけて宝石を諸侯同盟に返しつつ鏡を探すことになるが、出向いた諸侯同盟で今度は西の帝国の玉座を証明する剣で盟主が殺害されていた。

 鏡は誰が盗んだのか。そしてどこにあるのか。国家間をゆるがす謀略が進行する上で生かされた番犬は戦い女王の命に答えようとする。その女王自身が10才にして知略をめぐらせ15才にして国家間の争いを終わらせようと動く英明ぶり。ただの人間とも思えないその才知がクライマックスで炸裂して進行していた謀略の裏をうかがわせる。ただ者ではない彼女をあるいは三国の王と仰いで他国の侵略を退ける物語が始まるのか、それともこれで一端の完結か。ユニークなキャラだけに活躍して欲しいのだけれど。


【4月29日】 山梨県で数年前に行方不明になった少女のものらしい骨と靴が発見されたとの報。散々っぱら捜索して見つからなかったものがどうして今になってといった声も出て憶測も浮かんでいるあたりややっぱり事件がミステリアスだからだけれど、狭いようで広い国土をくまなく探すのはやっぱり無理だということもあるし、当時はそこになくても時間の経過とともに流されてきたといった可能性もあるから、そうした理由も含めて検証が行われていくだろう。誰であれご冥福を祈りたい。

  キネマ旬報に映画評を寄せる人たちの映画を観て作品を観ない鈍磨した感性にはやはり難しかったかもしれない実写版「xxxHOLiC ホリック」は蜷川実花が撮る映像の色彩的な美しさのみならず、細かくカットを割って1つのシーンの1人のセリフも何方向から撮って切り替え、内心の揺れてせり上がり沈んで浮かんで破裂する感情めいたものも感じさせる冴えがあって目が飽きる暇がなかった。

 そんな映像によって紡がれる世界はおそらくは漫画版の「xxxHOLiCホリック」から感じられる四月一日君尋のあたふたとして巻き込まれ逃げようとして関わっていくようになる変化から、それを見守り引き入れ導き救う侑子さんの厳しいようで友愛に溢れた雰囲気をしっかりと描いていたように思う。

 実を言うと漫画はあまり読んで織らずアニメも観ていないため原作の雰囲気を熟知している訳ではないのだけれど、CLAMPの作品ならといったフォーマットに沿いつつも、コミカルさよりは耽美さに力点を置いて幽玄とした雰囲気をセットによって作り衣装によって作り空気感によって作り上げた実写版だと思っている。そのように表現されていた映画がだったら漫画では、アニメではどうなっているのかを遡って確かめたい気にかられている。

 四月一日と百目鬼はどこまで絡み合うのかとか、女郎蜘蛛はどこまで嫌らしいのかとかも。というか多分原作ではそうした状況はあまりなく女郎蜘蛛も侑子さんと対決するライバルキャラといった感じでもないのだろう。そこを映画では対立する存在とした上でその間に人間だけれどあやかしが見えてしまう四月一日を置いて右へ左へと振り回し、揺さぶった上で生きる道を選ばせる物語としてまとめ上げた。

 そこに母性という要素を入れたのあるいは映画オリジナルの要素だとしてその状況すら陳腐というなら世の映画の多くは陳腐なフォーマットの上に構築された伽藍の塔になってしまう。それをどのように見せるかという部分で絢爛とした装飾であり衣装でありVFXを用いて時に色彩を操り時に抑えて銀灰色の世界に迷わせた蜷川実花の感性を僕は大いに指示する。それがあってベタな物語にミステリアスな雰囲気が漂ったのだから。

 神木隆之介があと10年若ければといった気持ちはないでもないけれど、今でも立派に高校生が演じられるのは凄いというか素晴らしいというか。侑子さんを演じた柴咲コウも可能ならあと10年若い方が侑子さんらしかったかもしれないけれどそれは原作よりの方。この映画で四月一日の過去の傷を癒やし導く存在とされたのならあの年上然とした雰囲気であり物理的な加齢も意味を持つ。持っている。持っていると思うよ。うん。

 女郎蜘蛛の吉岡里帆は本当にいやらしくて良かったし、眷属のアカグモを演じた磯村勇斗はイカしててイカれて最高だった。ひまわり役の玉城ティナは顎が……いやまあそれはともかくキャスト陣も良く演じて世界に溶け込んでいたと思う。見終わって不満のまるでないのは原作を知らない身の特権かもしれないけれど、そういう人に作品への扉を開いた作品として原作ファンにも受け入れられる良いかな。とりあえず改めて原作を読み直してアニメを見直してまた見に行こう。吉岡里帆の胸に頭を埋もれさせる神木隆之介への罵声を心で浴びせかけるためにも。

 見つかったといえば知床半島で消息を絶った遊覧船が100メートルほどの海底に沈んでいるところが見つかったらしく、引き上げれば行方不明になっている人たちも船室に残されている可能性もあってこれから検討が進められそう。100メートルから引っ張り上げるとなると費用もハンパではなく運営会社にはとても無理だろう。だからといって自治体なり国なりが出せるかというとそれも難しいとなるとどういった方法が考えられるのか。セウル号のような国家的一大事と任じて国が動いてくれればと思わないでもないけれど……。ともあれ早く上げてやってくださいな、春とはいてまだ冷たい海から。


【4月28日】 4フロアあったのが削られてGUが入って2フロアだけになってしまった新宿のタワーレコードで降幡愛さんの新作ミニアルバム「メモリーズ・オブ・ロマンス・イン・サマー」を買う。シティポップの名曲ばかりをカバーしたコンセプトアルバムでジャケットからして懐かしいアニメーションとった風情だけれど、それに負けずに楽曲も和田加奈子さん「夏のミラージュ」にカルロス・トシキ&オメガとライブ「君は1000%」に中原めいこ「君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。」にCCB「Lucky Chanceをもう一度」に中山美穂さんで角松敏生さん:You’re My Shinin’ Star」とそして山下達郎さん「RIDE ON TIME」。オリジナルで聴いた楽曲ばかりだ。

 それだけに耳も厳しくなるけれど降幡さんはどれもひねらずまっすぐにオリジナルを尊重するようなトーンで歌っていて耳に馴染む。「君は1000%」なんてちょっとあの口調を真似したくなるけれどそこはおさえてちゃんと透き通った声で聴かせてくれるし「Lucky Chanceをもう一度」は声優だけあって掛け合いな感じで雰囲気を出している。そんな中でやっぱり気になる「RIDE ON TIME」もひねらずイントロもつけないで無音の中から立ち上がるボーカルをしっかりと歌ってあの楽曲の中に連れて行ってくれる。好きだからこそのシンプルなアレンジであり歌い方。だからこ流行だからではなく本気でシティポップをやっていると分かる。ライブ、行ってこようかなあ。

 そんなシティポップの先駆けとも言えそうな「パープル・モンスーン」を聴かせてさわやかな気持ちにさせてくれた上田千果とKARYOBINの上田千果さんが死去。報道だと今井美樹さんに書いた「PIECE OF MY WISH」の作曲家といった書かれ方をされるしこの楽曲は大勢の人にカバーもされた名曲なんだけれど、シンガーとしての上田千果さんの素晴らしさを伝える意味でも「パープル・モンスーン」をもっと取り上げて欲しかった。そこはちゃんと分かっているクリス松村さんはbayfmの番組「9の音粋」の中で取り上げてくれた。とても残念な想いだっただろうことは想像できるけれど、そこをぐっとこらえてさっと出してくる優しさを上田さんも喜んでくれたのではないかなあ。安らかに。

 読売新聞東京本社がソニーグループでマーケティング関連事業を手がけているSMNと業務提携をして、新聞やテレビの顧客基盤を活用した広告展開やら消費者サービスやらを行うとか。こうした動きについてずっと思っているのは、新聞なりテレビが公器としてたとえば記者クラブなんかを官公庁に置かせてもらい、国民の知る権利の代行者として情報にアクセスする権利を有しているのなら、そうやって集められた情報は国民に還元することが第一義であると同時に唯一の目標であり、且つそういった事業によって集められた顧客の属性なり関心といった情報も、ニュースを効率よく的確に伝える方向でのみ活用すべきなのではといったことだったりする。

 対するに読売新聞東京本社が行おうとしている顧客情報を利用した広告ビジネスやマーケティングは、公器としての優位性を商業に流用して金を稼ごうとしているものであって自分は企業とそして媒体が儲けるために知る権利の代行者を頼んだんじゃないと言われて説明ができるのか、といった疑問も浮かぶ。それを言い始めたら新聞に入る広告もテレビに乗るCMも媒体力を頼みにした商売ではあるけれど、それは媒体を維持するための必要経費であってだからこそ記事量を超えてはならないとかいったいろいろな制約が課せられている。そうした枷を顧客情報の活用が外しているのならやっぱり問題な気もするけれど、それでしか稼げなくなっているのが実際だからなあ。そうやって信頼性を切り売りしていった挙げ句に媒体力も落ちて共倒れなんて未来が遠からずやって来るんだろうなあ。やれやれ。

 あの中裕司さんですらゲーム会社で蔑ろにされて見くびられて叩き出されてしまうのかと、昨今の話題を追いかけながら溜息が出てしまったけれどもそれを言うならあの小島秀夫さんですらゲーム会社の中で居場所を奪われ飛び出してしまった訳で、企業というものが目指すこととクリエイティブが目指すことの齟齬がそれぞれのケースで出てしまったと言えそう。とはいえこれがすべてではなく京都方面の会社なんかだと長くゲーム造りに携わって本当に良いゲームを出すことにこだわり続けていたりするからそこは体質なんだろう。あるいは経営者の資質か。創業者が退き中興の祖もいなくなった時に残るは数字だけを絶対視する商売人。誰のためのゲームかすら分からない人が金勘定をしている状況で生まれてくるものがこれからどうなるかを考えると、未来は暗いのかもしれない。それとも今回の一件で気づいて改めるかな。改めるようならここまでこじれないか。どうなるもんか。


【4月27日】 暁を覚えない春の眠りで正午くらいまで寝てしまったのでこれは拙いと起き出して、本を読むために電車に乗ってゆらゆらと阿佐ヶ谷まで行く途中で武田綾乃さんがNetflixで近く配信が始まるアニメーションをノベライズした「バブル」(集英社文庫)を読む。映画だと空から降ってきた泡の少女が少年を見初めたことで大爆発が起こって少年の家族も亡くなり東京が水に沈んだかのようにとれてしまったけれど、実際は逆で地球が滅ぼされるのを少女が防いだってことらしい。

 。なるほどそうした理解を得て観ると、前に試写で観たときとは違った印象を持てるかも。機会音声めい女性の声で会話する前身スーツのバトルクールプレイヤーも別に女性ではなく中身はどうやら男らしいと分かって安心。あとは日々の泡壁の中での暮らしがどうなっているかといった解説も、アニメだと何となくそういうものだと思わせてはくれるもののよく分からないところを小説はしっかりと文字にしていた。畑を作り鶏を飼って野菜を収穫し卵をとったりしているとか。米なんかはたぶん外から持ち込んでいるのかな、さすがに田んぼは無理だろうから。

 「響け!ユーフォニアム」でキャラクターの心情をねっちりと描いた武田さんらしい心情描写もたっぷりで、キャラクターの内面に迫ってどうしてそこにいるのか、どうして戦っているのかといった理由から今なにを考えてバトルクールをしているのかまでよく分かる。シナリオを並べただけのノベライズも少なくない中で構成も変えて独自の展開も載せているところは流石に小説家。プロデュースした三木一馬さんは良い仕事をしたんじゃなかろうか。アニメだとやっぱり迫力のバトルクールから始まるけれど、小説はバトルクールにのぞむ前夜のメンバーの心情描写がメインだったし。そこから入って派手なバトルがあってそしてヒビキとウタとの出会いとなる。それをあらかじめよんでおけばアニメへの理解も深まるなら観てから読むより読んでから観ても良いんじゃないかと思うのだった。どうぞお好きに。

 阿佐ヶ谷に到着したので「ぱすた屋」が4月の売りにしている福岡名物のペペたまを食べる。これで2回目。ふんわりとした溶き卵をペペロンチーニの上にかけているだけのものだけれども混ぜ合わせて食べるとやっぱり美味しいのだった。可能ならそこにコショウをもっといっぱいかけたかったかも。あるいは細切れのベーコンが混じっていればさらに強力になっただろうけど、カロリーも一気に高まるからそこは卵だけで我慢するのが吉なのかも。ご当地パスタシリーズはこれでおしまいみたいなので以後はまた、いつもの大盛パスタに戻って食べよう。あるいは久々に阿佐ヶ谷のミート屋に寄ってみるか。

 アーケードを抜けて丸ノ内線まで歩いてお腹をこなしてから地下鉄に乗って新宿へと出て新宿武蔵野館で「猫は逃げた」を観る。前に観た「愛ななのに」とは逆に城定秀夫監督音脚本を今泉力哉さんが監督した作品で、やぱりエッチなシーンはあるもののそれは関係性の確認みたいなものであってメインは離婚しかかっている夫婦がいてその間で飼っていた猫をどっちが引き取るかといったところで話しは中断。その関係で夫の編集者が同僚としていた不倫は続いているものの先が見えず、一方で妻の漫画家が編集者と始めていた不倫もダラダラと続いていた所で猫が行方不明になってしまうといった展開。

 ある意味でひっかかりでしかなかった猫が逆に鎹となって離婚しかかっていた夫婦をつなぎとめるところは俗に言う「猫はかすがいの甘納豆」といったところか、ってそれは俗には言わないか。最初にみつけたのは夫だけれど家にいる妻が面倒を見ていた関係で離婚しても引き取るのは当然といった顔をしたら夫が受け入れなかったところに、どういったこだわりがあったのかが気になるところ。譲ってでも不倫相手と一緒になりたいと思わなかったとしたらやっぱり猫を通して妻に未練があったってことなのか、それとも妻にかこつけて猫に未練を残していたのか。そのどっちもなのかもしれないなあ。人間の感情は複雑怪奇。

 シーンでは4人が並んであれやこれや言い合うのをワンカットで抑えているところが凄いかも。何かを言う度に状況が少しずつ変化して上下関係なんかも微妙に揺れて受けが攻めに転じるようなところもある。それを文章でやっても大変なのに演技としてやるとなると表情とか口調も含めて自然な感じを残さなくてはならないだけに、どれだけリハーサルをしたのかが気になる。それとも1発で撮ったのか。だとしたら役者って凄いよなあ。でもやっぱりカンタを演じた猫が凄い。彼女との逢い引きから妻と夫への媚びの売り方から何もかも完璧。そりゃあ手放せなくなるよ。日本アカデミー賞の最優秀助演猫賞決定。


【4月26日】 SNSはポン酢の発見器とはよく言ったもので、右も左もよく見ず考えもしないでつぶやいては失笑を買いまくっている。ウクライナの軍隊が武器を支援してくれた国々に感謝のメッセージを伝える動画を作って配信したらそこに日本の名前がないと元杉並区長だとか、元イラク派遣部隊の隊長だとかが国会議員の資格でもってウクライナけしからん外交問題だと騒いで文句を言うとツイッターで喧伝しまくった。

 いやいやだからウクライナへの軍事支援が顕著だったところに軍隊が感謝したもので、そうではない支援をしたところはスイスであってもイスラエルであっても名前は載ってない。いやいや防弾服とかヘルメットを贈ったぞと後で付け加えていたけれど、それはドイツがヘルメットを贈って失笑を買ったレベルのものであって感謝はしているとはしても今回の映像に並べるものではない。

 というかむしろ並べてもらっては困るよだって僕たちは見返りなんて求めずやれることをやったんだからと胸を張るのが大和魂って奴だろう。道徳だって黙して語らずそれでも行動することを尊ぶような話しが喜ばれるのに、この人たちは世界が讃えてくれないと満足しないらしい。何をしたかを知ってもらえることが票につながる政治家だから仕方がないのかもしれないけれど、それでもやっぱり見ていてカッコ良いものじゃない。

 かの安田財閥を作り上げた安田善次郎は篤志家として東大の安田講堂とか日比谷公会堂なかを寄贈したけど生前には一切名前を出さず、それでもってケチだ何だと言われて暗殺されてしまった。死語にそうした活動が明らかになったことは残念ではあるしもったいない話しではあるけれど、それでもやっぱり黙して語らなかったその篤志家としての信念に惹かれるものがある。たいしたことをしている訳でもないし、それを自分の懐を痛めてやっている訳でもない政治家が自分たちこそ日本人の代表であるといった顔で世界にいちゃもんつけて笑われている状況こそ、愛国の反対だということに世間も気づく時が来たんじゃないかなあ。

 そんな自民党のポン酢とは対極にいる共産党の人が「名探偵コナン」で毛利小五郎がみそ汁をこぼしてそれを蘭が脱がしたことをもって男性が女性に服を脱がさせるなんてといちゃもんをつけて、いやいやそのシーンはテレビのニュースに呆然とした小五郎がついみそ汁をこぼしてそれに気づかずにいたのを蘭が見かねて脱がしたもので、後から小五郎は自分で洗い物を運んでいたりするから共産党の人がいう汚れたら脱がせて洗わせる役割の固定化なんてものでは全くないって突っ込まれている。それで改めればまだマシだけれどきっと突っ張るんだろうなあ、それもまたSNSでしくじる人の特徴だから。

 用事があって上越新幹線で新潟県の南魚沼へ。越後湯沢で降りると冷たい風はすでに無く、温かい空気が漂っていて新潟といえどもちゃんと春が来ていることが分かったけれど、それでも見上げると山には雪が残っているあたりに雪国だってことが感じられる。上越線で石内まで行ってそこから取材先へと向かって魚沼産コシヒカリに関連した取材を2時間ばかり。積雪地帯ならではの工夫って奴を目の当たりにしていろいろなことを考えてそれを実行に移す人の凄さに感じいる。取材を終えて今度は大沢駅から上越線で越後湯沢へ。駅にあるラーメン屋でつけめんをかきこみ上越新幹線に乗って東京へ。面白かったけれども原稿は書かないといけないのがこの仕事の大変さ。でもそれが読まれて話しが広まる面白さもある。だからライターは止められないのだ。

 イーロン・マスクがツイッター社の買収に乗りだしたと聞いて浮かんだ歌、その1。「ビビンビリビリイーロン、ギュワギュルルルイーロン、権力を穿つ言論が、おれの望みだ願望だ、ネットの自由を守るため、ツイッターでのポリコレを、とことんまでにやっつける、 イーロンマスクは ネットの勇者だ、イーロンイーロンイーロンイーロン、イーロンマス」。歌えるかというとサビの部分はなんとなく覚えていても、再放送とかがなく耳に完全に入ることがなかったので実は歌えないのだった。封印作品だけれどいつか見たいな。その2。「くらいネットの密林に、きょうも荒しが跋扈する、おしつけがましいポリコレに、自由のキックをけりいれろ、ゆけゆけイーロンイーロン、イーロンマスク。こちらは大丈夫。歌ってイーロン・マスクの行動を見守ろう。


【4月25日】 知床半島での遊覧船沈没事故は行方不明者が発見されたもののやっぱりというか皆さん亡くなられていて残念にして無念の状況になっている。水温が3度くらいの海に放り出されて10分もすれば意識が遠のくというからまだ見つかってない方々の安否も正直言えば厳しいのだけれど、もしかしたら頑張ってどこかにたどり着いている方がいるかもしれないと今は思いたい。

 難しいのは知床半島をぐるりと回った東側には国後島があって北方領土としてロシアの実効支配下にあること。海の流れによってはそちらへと流されてしまう方もいるとなるとロシアに面倒を見てもらう必要も出てくる。目下の政治外交状況下でそうした相互協力が難しいのは承知ではあるものの、人道の見地からここは政治外交状況を抜きにして話し合って欲しいもの。頼みます。

 朝から「実写映画化」がキーワードとしてバズっていたので何かとみたら顎木あくみさんんお「私の幸せな結婚」がアニメ化に続いて実写映画化されると発表されていた。発行の女性が嫁いで幸せになる話だから当然に女性の方が“主役”なんだけれど、そこは日本の映画状況がジャニーズのタレントさんを主役にしたがる風潮ということで、SnowManの目黒蓮さんを“単独主演”と持ち上げていたところに、原作ファンがちょっぴり怒っているみたい。

 そりゃそうだよね、薄幸の女性に自分を写して幸せになりたいと願い幸せになれたと喜ぶ作品なんだから。たとえ認知度がジャニーズの方が上でもそこはやっぱりちゃんとして欲しかった。同じジャニーズでも「今夜、世界からこの恋が消えても」の場合はなにわ男子の道枝駿佑さんとと福本莉子がダブル主演ということになっている。そこに原作をリスペクトしているかどうかといった製作側の認識が絡んできそう。せっかく「最愛」で話題になった塚原あゆ子さんが監督を務めるのにちょっと先が思いやられるかなあ。

 SnowManの目黒さんって誰ってちょっと前なら思ったけれど、今だと「『おそ松さん』のチョロ松」と言われれば何となく想像が付いてしまうところにあの映画の意味があったとちょっとだけ噛みしめていたり。とはいえ全員が同じような顔かたちだという設定だった「おそ松さん」と比べると、銀のロン毛で冷酷無比な雰囲気をまといながら根は優しい久堂清霞は特徴が際立つから、そこにピッタリとハマれるかどうかも気になるところ。一方の斎森美世を演じる今田未桜さんはちゃんと演じてくれそう。ダブル主演ではないところが業腹だけれど映画は映画として見に行こう。公開は来年かあ。アニメとどっちが先だろう。

 2月25日になくなった元XEBEC社長でスタジオ・マザー社長を務めた下地直志さんを偲ぶ界が中野サンプラザで開かれたので弔意を寄せに行く。XEBECが携わった作品のポスターがずらりと並んでなかなかに壮観で、「機動戦艦ナデシコ」やら「爆走兄弟レッツ&ゴー」やら「シャーマンキング」やらといった1990年代の作品から「ぺとぺとさん」「えむえむっ!」「かのこん」「ToLOVEる」といった美少女でちょっぴりエッチな感じが漂う2000年代のXEBECらしさに溢れた作品群まで並んで振りかえってアニメが楽しい時代だったなあといった想いをめぐらせる。

 「機動戦艦ナデシコ」でカードダスの1シリーズがコンプリートで貼り付けてあるポスターなんてものがあってこれは貴重。プリントかと思ったら立体的だったからやっぱり貼り付けてあるんだろうなあ。そんな会場にはボンズの南雅彦社長がいたようで立ち姿から「宇宙戦艦ヤマト2199」を監督した出渕裕さんもいた感じ。ほかにもアニメ業界のヒトがわんさかと詰めかけなかなかに盛会だった。寄せられた献花もずらりと並んで荘厳で、それくらい広い交流を持った人だったんだってことを改めて感じた次第。だからこそもったいないなあ。スタジオ・マザーには頑張ってくださいとエール。


 【4月24日】 まるで関心を持っていなかった「SPEC 警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿」がふと目に引っかかって、AmazonPrimeビデオで見始めたら面白すぎて一気見してしまう。まずテレビシリーズの冒頭を見てそしてスペシャルの「翔」、劇場版の「天」とそれから「結」の前後編を一晩くらいかけて観賞。その世界観をおおまかだけれど理解する。

 目にひっかかったきっかけは戸田恵梨香が演じている当麻紗綾のぐだぐだなキャラクターぶりえ、とりわけ就職活動でもしているような長めのスカートからのぞく足のゆるんだ白いソックスとローファーのバランスが醸し出す俗っぽさであり、それを体現する戸田恵梨香の演技ぶりだった。だけれど、そんなキャラクター性からだんだんと異能バトルへと流れそして地球人類vs先人類の対決という宇宙スケールへと発展していくストーリーを衒いなく堂々とやってのけるパワープレイに押しまくられて連れて行かれた。

 構造自体はSFとかファンタジーにもよくある黙示録からの再生に平行宇宙なり泡宇宙も絡んで繰り返されるやり直しの物語だけれど、それをちょっとした猟奇事件から始めて段々と状況を示しキャラクターをぶち込んではブースとしていく感じが面白く、ハマれば最後まで付き合うかって気にさせらえてしまう。3作作られた劇場版がどれも20億円超えをしたことが、見放す観客のあまりいなかったことを示してる。

 だいたいが片手を吊ったヒロインだなんて普通はあり得ないことを、やってのけた制作側も凄ければ演じた側も凄まじい。その意味がテレビシリーズではあまり分からなかったのがただの荷物入れではなくって力の源であることが分かり、さらには引っ張り出す力とは反対に引っ込める力も持っていることが最後に明かされたりするその構造を初期の段階でどこまで見通していたんだろう。気になった。

 あとはやっぱり役者の多彩さで舞台系アングラ系を含めあちこちから集めた中心に竜雷太さんを置いて引き締めているのも良かった。でもやっぱり、若さとガサツさを合わせた当麻を20台前半の戸田恵梨香さんに演じさせたのが勝利の最大要因だろうなあ、今も人気の女優さんだけれど今では無理な役だし5年前でも難しかったかもしれない。その年齢に適役を得られた幸せを味わっていてくれたら役柄のファンとして嬉しい。そしてその当たり役を超えて新しいイメージをちゃんと作っているところに女優としての才を感じる。

 松坂桃李さと結婚された方で家でガサツな妻を演じてる……ってことはないと思うけど共に優れた役者なのでこれからの活躍も楽しみつつ、10年後の「SPEC」なんてものがあり得るかをちょっと考えたい。まあ無理だろうけれど。機会があれば劇場版の一挙上映なんてのをどこかで企画して欲しいかも。テレビスペシャルの「翔」からの4本。一気が無理なら2本ずつ。どうかなあ。

 せっかくなので夜のご飯は餃子にして10個くらいを野菜といっしょに一挙にかき込む。ご飯といっしょの方が美味しいけれどカロリーが多いので仕方が無い。そんな夕食を摂りつつネットを見ていたら「ヤマーダクエスト」なんて漫画が目に飛び込んできて尻がら火が噴き出すような恥ずかしさに身もだえする。いわゆる表現の自由に関連して参議院議員の山田太郎氏の活動を、次の参院選に出馬が決まっている漫画家の赤松健氏が描いた漫画だけれど、それがファンタジー仕立てて表現の自由を背負い戦う戦士が山田太郎議員であるといった感じで、身びいきが過ぎる上にメッセージがあからさますぎて読んでいてどうにも気恥ずかしい。

 日本のレギュレーションを無視して外国のレギュレーションに当てはめようとするような“ガイアツ”を退けたいといった部部など、言いたいことは分からないでもないけれど、漫画という敵と味方を単純化し戯画化して表す技法にかかると、あまりに味方への入れ込みが過ぎてそんなに単純な話しでもないだろうといった異論が浮かんでしまう。敵とみなして戦い退ける相手にも考えがあって、それへの理解をした上で、けれども問題があるといった議論の称揚があって欲しいのに、漫画では倒して終わりめいた感じで議論が続かない。なるほど相手と仲間になったなんてアフターが描かれてはいるけれど、そこには相互理解の上というより折伏したような匂いが漂う。

 宗教の教義をマンガ仕立てて描いて理解しやすくする手法が、信者には受けても外から見るとヌケが目に付き辟易とさせられるよあの感じを、強く漂わせているのも尻から火が噴き出しそうになった理由だろう。そういう反応を漫画家として描いていて感じなかったのなら、赤松健さんもちょっと感覚がズレてきているし、そんな漫画を冒頭に載せて、表現の自由とは何かを訴えようとする山田太郎議員も、議論を尽くして折り合いを探り誰もが納得するような結果へと至らせる民主主義の中の議員というより、プロパガンダによって持論に染め上げあるいは折伏し、そぐわない相手は悪魔と誹り廃する宗教家めいた存在になりつつある。どうしてこんな風になってしまったんだろう……。困ったなあ。


【4月23日】 カンプ・ノウにいっぱいの観客はバルセロナとヴォルフスブルクの試合だから当然かというとそれが女子チャンピオンズリーグの準決勝であることを考えるとやっぱりとてつもない数字。それだけ現地の人たちがバルセロナというクラブチームを愛しサッカーという文化を認めている現れってことなんだろう。日本では東京ヴェルディとジェフユナイテッド市原・千葉の試合ですら5110人というからケタが1つ違うものなあ。そんなJ2の試合は1対1で終わった後で女子の試合も行われてジェフ千葉レディースが3対2で日テレベレーザに勝利し試合数が1つ多いとはいえ3位に浮上。見に行った方が良かったかなあ。

 堂場瞬一さんの「小さき王たち 第一部 濁流」(早川書房)は昭和46年から47年の新潟を舞台に選挙を巡り行われた買収を追う新聞記者と買収を行った国会議員私設秘書の因縁の始まりを描く全三部作のある意味での序章。幼馴染みで大学まで友人同士だった2人が駆け出しの記者と政治家に別れ新潟の地で再会する。高樹は全国紙の新潟支局で県政を担当している。田岡は商社を辞め新潟一区選出の民自党代議士で政調会長をしている父親の秘書となる。

 そして総選挙。父は勝てそうだが民自党はもう1人立てることになり田岡は手伝うことになる。そこに未公認でもう1人出ることになり支援候補は当選が危ぶまれる事態となる そして田岡が始める買収工作が県議から自治体トップから企業トップまで手広いそのやりとりが生々しい。一方で買収のネタを掴んだ高樹が支局内の県警担当に仁義を切りつつ夜回りしつつコラムをこなしつつ記者の仕事をこなす様も昭和の支局の記者っぽい。携帯電話もワープロもない時代の記者って感じ。

 ブンヤがサツにネタを当てて確証を得ていくやりとりがとってもリアルっぽい。きっと今もそうしてネタをとったりとられたりが行われているんだろうけれど、互いに報道を信じ警察を信じ動く記者と刑事の気持ちのまっすぐさが時代を感じさせる。今は? 良い時代だったと思いたくないけれど……。一方で政治は酷い買収が相変わらず行われてますます混沌に。日本のためとかいった信念がどこまであるかも掴みづらい状況になっている。そんな時代まで描いていく三部作の中、ブンヤはブンヤでいられるか、政治家はどれだけ染まっていくかを見て行けそうな「小さき王たち」。続きが楽しみ。

 還付金が入ったのでオンワードのバーゲンへと出かけてジャケットでも買おうかと思ったもののサイズがつかみづらくマッチしたものもなかったので遠慮して、主にシャツとかをあさる。Jプレスで2枚ほどに福助のカットソーとそれからマッケンジーのワイドスプレッドなカッターシャツ、あとはカジュアルなチェックのシャツとかチーフとか。着ていく場所があるかどうかは分からないけれども近所で原稿を打つ時だって多少は真っ当な格好をしていないといけないからきっと役に立つだろう。きっと夏前くらいにまたあるだろうからジャケットはその時に。いつか金ボタンのブレザーも揃えたいなあ。還暦でそれ着るのも悪くない。

 午後の1時過ぎに浸水していると連絡があって、それから海上保安庁のヘリコプターが現場に到着するまで3時間もかかるというのが何か信じられないけれども現地は知床半島の先端に相当近い場所で網走から飛んだとしたって結構な時間がかかりそう。船ならさらにとなるとやっぱりそれくら時間がかかるのか、初動に何か支障があったのかはこれからの検証が必要になるかも。国後島の側ならあるいはロシアとの関わりなんかも想像できてしまうのが昨今の情勢ではあるものの、そこは半島でも西側だから関係ないとみるならやっぱり浸水からの沈没か。救命胴衣は揃っているとは思いたいけど海水温度も高くない初春の北海道。今は無事であることを祈りたい。


【4月22日】 明日からのバーゲンに備えてお金を下ろしておこうと銀行に寄ったら預金残高がぐわっと増えていた。ということは還付金が入ったってことで頑張って確定申告を行った効果があったってことでこれで少しは潤うけれどもすぎに住民税が来て国民健康保険が来てそして部屋の更新なんかもあるからまとめてすっ飛んでいくのだった。それでもゼロよりはそれで埋め合わせできるのだからありがたいと言えばありがたい。初年度は慣れず書籍代もそれほど経費に繰り込めなかったけれども2年目はだいたい入れて3年目は通信費も経費に入れて申告して、源泉徴収のほとんどを取り戻せたのだから成功といったところか。

 本当だったら家で仕事をしている分、部屋代なんかも按分して組み込めそうな気もするし電気代も大丈夫のような気がするけれどそれをやりだすと経費ばっかりが積み上がって不審がられる気もしないでおないからちょっと考え中。とはいえ実際に読んだ本も観た映画も仕事に活用している訳だからお天道様に顔向けできないってことはない。それを思えば部屋代電気代も堂々と申告していいような気もするので来年はそれも含めて頑張ってみよう。その前にとりあえず収入を増やさないと。生きていく分にはどうにかなっても楽しく生きていくにはもうちょっと必要だから。

 ぽにきゃんBOOKSなんて今はやっぱりもう無いのか止まっているだけなのか判別がつかないレーベルから出ていた「宝石吐きのおんなのこ」を書いたなみあとさんが、講談社タイガから出した「占い師オリハシの嘘」を買って読んでみた。占い師として成功しているオリハシという女性がいるんだけれど放浪癖があって相談をそっちのけで逐電してしまうので、代わりを妹が務めることになったものの占い師として超人気の姉のようには解答なんてできないので、そこを持ち前の調査力と推理力でどうにかこうにか事態を見極め、適切なアドバイスを占いの結果といったオブラートにくるんで伝えることをやって凌いでいた。

 つきあっている彼女がなにやら魔女にでもとりつかれたのか奇妙な独り言を言ったり自分に隠し事をしているような雰囲気を見せてきになった彼氏の相談については、彼女が図書館で雑誌を借りたり何かをぶつぶつを言ったりしている内容からしっかりとあたりをつけ、なおかつその心理までをも読み取って上をいくような行動を彼氏の方に示唆してのける。大学の映像サークルでリーダーとなっている女子がひとりの引っ込み思案な女子を蛇にとりつかれているからと言って主役に抜擢しようとする振る舞いについても、裏にある事情を読み取って正しい道へと引き戻す。

 そんな展開の中で浮かび上がってきたなぞの宗教組織。見透かすようなことを言ったり絡んできたりと大変な上に姉のオリハシとも絡みがありそうだと分かって大慌て。さらわれて監禁でもされているのでは。なんて状況からの意外な展開が面白いけど妹は面白がってはいられないか。占いというのは霊感というよりも直感でそれは観察力と想像力から出るものだとしたら姉はその速度がとてつもなく速いだけで、妹も演繹的にしっかりと占いの結果を出しているのだから能力はもしかしたらいっしょかもしれない。そんな2人が剛柔まじえて活躍するような展開があったら読みたいかも。振り回される姉の友人で妹が慕うオカルト雑誌の編集男子は大変だろうけど。いいじゃないか両手に花なら。

 「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」の高額な記録全集が出るので買おうがどうしようか考え中。実を言うと自分は「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」をを劇場で観たことなくって、それどおろかDVDかBDを買った時に1度だけ観たっきりで詳細まで知ってこれは傑作だから記録全集も読み込みたいといった気持ちには至ってない。とはいえ買い逃すと後で手に入れるのは大変なのは同人誌も同じ事。なのでやっぱり考えてしまう。1度だけ観た印象で言うならヒリヒリしていてそれでいてドリーミーな作品。当時もそれから1度観るまでも、そおnのピーキーさに脳がチューニングしきれてなかったんだろう。同じ意味で「伝説巨神イデオン」の発動編も長く観たことがなかったけれどそれは去年劇場で観たの、これを機会に「逆シャア」も改めて観込んでみようかどうしようか。


【4月21日】 本気だとしたら面倒で、設定だとしたらなお厄介な富川悠太氏の「トヨタ自動車所属ジャーナリスト」宣言。対象を中立の立場から公正に取材して報じることで信頼という価値の上に情報を提供するジャーナリストという役割が、トヨタ自動車という世界最大級の企業に所属する形でどうして担保できるのか。当人がいくら忖度はしないと言ったところで本当にそうなのかといった保証はない。トヨタ自動車に関する情報をジャーナリストという肩書きの下で正確に伝えることが役割だと言うなら、それはパブリシティであってジャーナリズムでは断じてなく、手がける人もパブリシストであってジャーナリストではない。

 あるいは香川照之さんを編集長とする「トヨタイズム」という宣伝戦略の上に構築された架空の媒体において、「ジャーナリスト」という肩書きで記事を書きリポートを行い情報として発信していくのだとしても、それをジャーナリストと呼んでしまった時に本当の意味で中立公正の立場から取材対象に肉薄し、伝えるべき情報を忖度しないで分け隔て無く信頼の元に発信していくジャーナリストと同じ肩書きで、2種類の人が並ぶことになって判断がややこしくなる。というよりジャーナリストにとってはそうした設定としてのジャーナリストが同じ企業取材の上に同列で存在されてはたまらない。

 肩書きなんてただの飾りで、何を伝えるかが重要だから富川悠太氏がジャーナリストを名乗ろうと気にしなければ良いんだという意見もあるけれど、同じジャーナリストとして発信された情報が扇情的で衝動的で企業の協力のもとにゴージャスだった場合に、人はそちらに靡き染められていく。そして本当に大切な信頼性を根底に持った情報はスポイルされてそれらを発信してきたジャーナリストも蔑ろにされてしまう。結果として企業にとって都合の良い情報ばかりが飛び交う世界になってしまって本当に良いの? ってところ。だからジャーナリストはそうはならないよう戦って信頼を勝ち得てきた。それなのに……。

 どうしても快楽に流れがちな世間を抑えて枷を駆け、信頼できる情報を流通させる権能をのみジャーナリストと呼ぶことで保たれて来た認識が今、粉々にされようとしているのに、安閑としていられる方がむしろ不思議。そうした意見もちゃんとあったりするにも関わらず、日本のジャーナリズムが新聞もウエブメディアも異論を唱えず諾々と富川悠太氏のステートメントをそのまま垂れ流している。そこにジャーナリズムへの危機感を示唆するような論評はない。すでにジャーナリズムは死んでいたと言えば言えるとは言え、タテマエでも踏ん張って欲しかった。困ったなあ。本当に困った。

 ジャーナリズムといえば一方で「ブランドジャーナリズム」を社名にした会社が立ち上がって富川悠太氏がステートメントを発したのとおなじ日にプレスリリースを配信した。ブランドジャーナリズムという言葉自体は15年とかそれくらい前から使われ始めている言葉で、ブランドの価値を単なる広告的な手法であったりマーケティング的な扇情ではなく、ジャーナリスティックな活動の中でだんだんと分かってもらおうとする活動といった感じで、アメリカだとワシントンポストなんかがそうした部署をもってクライアントから記事を受注していたりするという。

 日本でもハフィントンポストなんかがニュース部門とは別にブランドマネージメント的な部署を置いて企業などをクライアントにしていたりするみたいだし、産経デジタルだってニッカウヰスキーとかレクサスといったブランドの情報を発信するサイトを作って展開したことが確かあった。とはいえそれらが中立かとうとやっぱりどこか企業のPR活動の一環にしか見えず、ジャーナリズムといった公正性からはやや遠いように思えた。新会社が中立性の中に情報の信頼性を担保しつつ結果としてブランド価値の浸透につながるような舵取りを行いつつ、情報発信ができればそれは幸いだけれどクライアントの側の“広告効果”を重視する姿勢の前にあれやこれや注文をつけられないとも限らない。どんな活動を見せるのか。まずはお手並み拝見といったところ。

 甘いマスクのイケメンだけれど暑苦しさはなくて、爽やかかというと少し粘着質でもあったりして、愛妻家のように見えてしっかりと不倫はしていて、それがバレてすぐに謝る人の良さを見せながらも、平気で大嘘をついてそれが真に迫って相手にまったく疑われず、寝れば相手を喜ばせているように見えながら、実はまったく喜ばせていない下手くそだっと不倫相手に言われて落ち込むような感じだけれど、それで逆上はせず反省して上手くなるにはどうしたら良いかと不倫相手に相談してしまうという、クレバーなのか凡庸なのかそのどちらでもありどちらでもないのかまるでつかみ所のない男を演じた中島歩さんの起用が成功の最大の要因であると言っても過言ではない奴だった城定秀夫監督による映画「愛なのに」。面白かったのでまた見たいけどやってる場所が減っている。頑張ろう。


【4月20日】 図書館へと出向いて3時間ほど原稿を打つ。「処刑少女の生きる道(バージンロード)」と「勇者、辞めます〜次の職場は魔王城〜」の感想でどちらも異世界転生だとか勇者による世界平定といったフォーマットを裏返したりズラしたりして楽しませてくれる作品。「処刑少女」の方はだんだんと世界の構造とかに迫る面白さがあって相当の深さを味わえそう。「勇者、辞めます」はコミカルさで突っ走っていく感じだったけれど、SFとの接続でもっともたせるかと思ったら3巻で終わってた。人気になれば続くかな。ちょっと期待。

 図書館に「シン・ウルトラマン」が表紙のキネマ旬報の最新号が出ていたのでペラペラ。勝って読み込むと「シン・ウルトラマン」の情報が少しでも入ってしまって初見の驚きが削がれそうだったので今は我慢。あるいは買っても封印しておくか。そんなキネマ旬報の新作映画レビューに実写版「xxxHOLiC」の評もあってなかなかに凄まじい点数とそしてコメントがついていた。昨日から話題の人気漫画の実写映画ってどうなのといった見解に、真っ向から挑むというか挑まれるというか挑んだ挙げ句に踏みつぶされるかのようなレビュー。逆に興味が湧いてきた。舞台挨拶付きの上映チケットの抽選、応募してみるか。

 漫画の実写映画化はこのあとに「鋼の錬金術師」も待っていて、チビだと言われまくっていた原作とはちょっと似てないスタイリッシュなエドワード・エルリックとかこちらはCGなんで原作そっくりのアルフォンス・エルリックとかをはじめとしていろいろなキャラクターが日本人化されて洋風が舞台のファンタジーを日本で映画かする悩ましさってやつを感じさせてくれそう。いくら山本耕史さんだからってアレックス・ルイ・アームシトロングのボディは再現できないものなあ、でも近づけていそうで楽しみではある。アニメの圧倒的な作画にVFXがどこまで追いついているかも含め、まあそれなりに期待はしておこう。

 「ラーメン無限大」でつけめんをかき込んでから電車で幕張本郷まで出向いてアウトレットモールをのぞいてから駅構内の喫茶店で原稿を仕上げて送信。それから戻って食材を買い込み帰宅してつけたbayfmがAM化してとてつもなくつまらなくなっていたのでNHK−FMにしたら、ジャズのプレイヤーでテナーサックスを吹くゾウ・アンバとメリッサ・アルダナの楽曲が流れてどちらも凄まじく良かった。ゾウ・アンバはフリージャズで坂田明さんを低音にしたような面白さ、メリッサ・アルダナはたゆたう旋律を味わえる正統派といった感じ。こうした新しい音楽との出会いがあってこそのFMなのだと改めて思った。パーソナリティの身内いじりはFMにはいらんのだよ。

 「DAZN」でアーセナルとチェルシーの試合を見たいのでそれまでちょっと横になろうと布団に潜ったらこんな夢を見た。気づいたら部屋の中で布団に入って仰向けに寝ていて首を巡らせると隣とかに誰か寝ていてそれも1人じゃなく大人も子供もいるみたいだけど布団にくるまれていて顔とか見えずそれでも手を伸ばすとお尻とかに触れている感触がある。時間は午前4時とか。まあ良いかと思っていたら一緒に寝ている誰かが寝返りを打ちながら折り重なってきた。

 そして仰向けの僕と布団お間に入り込んで背中から抱かれているようになって、それが決して嫌ではなく柔らかくて暖かい感じで心地よかたけど段々とそのまま沈んでいきそうな気がしたので念仏を唱えながら両手を合わせようとしても指先だけで手のひらが合わない。頑張っても頑張っても無理な中で段々と意識が遠ざかっていって目覚めたらまだ午後9時で、仰向けになって手に読みかけの文庫を持っていて、なるほどこれでは両手は合わせられないと理解した。あのまま目覚めなかったらずるずると引きずり込まれていたのかなあ。でも気持ち良かったなあ。良い夢を見た。


【4月19日】 朝から「ゴールデンカムイ」がどうとか騒がしいので調べたらどうやら実写映画化が決まったらしい。やれ目出度いとはなかなか言いがたいのは日本において漫画の実写映画化がことごとくポン酢なものになっているからで、とりわけスペクタクルな要素を期待されるものとなると「進撃の巨人」だとか「鋼の錬金術師」といった原作の漫画とは似ても似つかない配役でもって突拍子もないシナリオで描かれ原作ファンの落胆を誘い、出演俳優のファンを呆然とさせる例が枚挙にいとまが無い。

 中には「るろうに剣心」のように圧倒的なアクションでもって原作のスピード感を表現してくれている実写映画化もあるし、「キングダム」のようなスペクタクルなシーンも立派に再現している実写映画化もあるから一概にダメとは言えない。ただ成功のためには相当の覚悟と費用をかける必要があるとして、「ゴールデンカムイ」という明治末期の北海道を再現する力が日本の映画界に果たしてあるか、そしてアイヌとの交わりを史実的な資料に基づきしっかりと描ききれるかと言ったところで不信感が浮かんで仕方が無い。

 ハリウッドのようにアイヌの少女を描くならやっぱりアイヌの血を引く女優をといった声もあがりそうで、そこにむけて果たして努力をしてくれるのか、できないとしたらどういった理由付けを行ってそうした声を昇華させるかといった部分で作り手の側に覚悟があって、伝える側にも理知があるかが課題となってくるけれど、そのどちらも期待できないのが日本映画界だと昨今のセクハラパワハラ問題が証明してしまっている。アイドルが似ても似つかわしくない扮装で無骨な軍人やら犯罪者やらを演じアイヌになりきるような映画になって果たして誰が喜ぶか、ってありを少しは考えて欲しいけど、無理っぽいなあ。

 そもそもが大長編の漫画のどこをどこまで描くのか。全3部作にでもするつもりなのか。そこまで果たして保つのかといっても実際に「鋼の錬金術師」が間を置いて実写映画が再会されているのを見ると頑張ってくれないとも限らない。一方で「ジョジョの奇妙な冒険」の実写映画がピタリと止まってしまっている状況もあるから難しい。果たして……。とりあえず監督が誰でキャストがどうなるかに注目。再現が無理ならと現代に生き残った杉本とかアシリパの子孫にインタビューする合間に少しだけ再現ドラマが挟まれるドキュメンタリータッチの映画にしてしまったりして。さてもどうなる。

 やってくれるなあChim↑Pom。六本木ヒルズにある森美術館で展覧会を開いているけれど、その開催にあたってエリィの配偶者でもあって新宿は歌舞伎町でホストクラブとかを展開している人の会社、Smappa!Groupが資金を出そうとしたらそうした名前を掲出することは六本木ヒルズには相応しくないと断られたとか。「森美術館はヒルズという『文化都市』の顔である」だから、接客を伴う水商売の会社のロゴは掲載しないとか。もうこれだけで職業差別が甚だしい。

 それが裏社会のフロント企業めいた存在で反社会的だったりするなら問題だけれど、Smappa!Groupは現状少なくとも表に立って歌舞伎町を明るく安全な街にするような運動を新宿区長とともに展開している。水商売だろうとそれは許可をもらった上での商売であって同じ風俗という範疇に入るならば遊技場とも変わらない。そうした企業を「接客を伴う水商売だから」という理由で排除するなら六本木ヒルズは同じ六本木にあるあらゆる水商売を敵と見なしたに等しい訳で、だからこそ丘の上から君臨していると言えば言えたりもしそうだけど、それはどうにも尊大だ。

 法令に則り許可の範囲で適正なビジネスをしていても、印象だけで排除するような美術館とコラボする必要なんてないところをChim↑Pomは、アーティスト名にその企業の名前を入れることで一体化して提示するよう森美術館に求めている。ネーミングライツ的ではあるけれどもそれすらも排除するようならいよいよもって六本木美術館から展覧会後と退去なんてことになるんだろうか。一方で讃えつつ一方でその活動の拠り所である猥雑さも含めた表現を排除するこの動きに、表現の自由を叫ぶ国会議員様は何かしてくれるのかな。見守りたい。

 トランプ前大統領とゴルフをしたのは仲の良いところを見せて日本が外国勢力から侵略されたらきっと助けてくれると思わせるためだと安倍元総理がどこかの講演会で喋ったとか。本気というよりしゃれのつもりだったと思いたいけど割と本気っぽいところもあるだけに侮れないというか侮りたいというか。だったらどうして「プーチン大統領との関係については『あれだけ仲が良かったらロシアは絶対に日本を敵国とは言わないだろう。27回もの会談は国土防衛のためにやっていた』」とは回想しないのか。仲が良いとか悪いとかリアルポリティクスでは何の意味も無いと自分で証明して置いてこれだから信用なんてできないんだ。してないけど。


【4月18日】 もうすぐ発売の泉サリによる「みるならなるみ/シラナイカナコ」(集英社オレンジ文庫)がビリビリと来る内容。2編入ったうちの「シラナイカナコ」がいわゆる“宗教の子”の話で、新興宗教の象徴に祭り上げられ教義から見知らぬ女性達と暮らす四葉という少女の日々が綴られる。海外で地震が起こった日時に生まれたからと象徴に祭り上げられた四葉を囲む家族はおかあさんもおばあさんも一緒に暮らす年上年下の女子も教団にシャッフルされあてがあわれた他人ばかり。そんな中で育った四葉は普通に学校にも通っているけどスマホは持ってない。

 そんな設定の泉サリ「シラナイカナコ」は、水に着けられお清めされてもそれが教義と思い込んでいた四葉より年上の少女はアイドルに入れ込み教義からズレてやがて逃げ出す。四葉は学校で仲良くなった少女がタブレットを持ったことに嫉妬する。普通の世間が染みていく中で変わる四葉と変わらない家族。“宗教の子”に起こりえる状況が綴られていく。漫画でノンフィクション気味に描いたら抗議されて引っ込めた版元だけれどフィクションとして描いて”宗教の子”の問題をあぶり出すことはやってくれたとここは前向きにうけとめた。<BR>
 もう1編の「みるななるみ」は女子バンドを作って頑張る女子にトラブルが発生。キーボードを弾いていたメンバーが自分は受験だからちってフェスの直前に抜け、代わりに入ったのが新興宗教じみたセミナーに入れ込む男子。その教義にべったりだったり抜けようとしたりするフラフラとした感じが逆にリアルさを覚えさせる。人間って簡単には決められないのだ。バンドはフェスに出て人気投票でトップに立ったけどそこにはいろいろと裏があって……。そして立ちふさがるある種の壁に、堂々と立ち向かって実力で突破していこうとする主人公と、それを支える大人の態度に強さがあって読後感が嬉しい秀作。お読みあれ。

 大学に進学するなり就職するなりで上京する18歳とか22歳から牛丼の味を覚えさせたって、既に12歳までにマクドナルドの味を覚えてしまっているならそれは既に藤田田さんの思惑の下にあるのだよ。遅いのだよ吉野屋。なんて思った早稲田における社会人向けマーケティング講座で吉野家の常務から発せられた言葉への印象。酷い発言をおおっぴらに女性だっていただろう場で発せられてしまうのは、日頃からそういった概念をもってマーケティングを語っている現れだろうから、謝ったところでその芯にある思想は拭えないだろうからやっぱり立場を明らかにすることになるんじゃないかなあ。されもどうなる。

 個人的にはなるほど吉野家の牛丼を始めて食べた時にこれはと思った記憶もないでもないけれど、先に松屋の牛めしを食べて美味しいと思っていたことがあるし、船橋駅の構内に今はもうなくなってしまった牛丼を出す店があってここの牛丼が汁が染みて本当に美味しかったこともあるし、これももう新宿くらいしかなくなってしまったけれどたつ家って牛丼屋の出す牛丼が安い上に美味しかったこともあってことさら吉野家の子供にはならなかった。あとはやっぱり店が狭いんだよなあ、そこにぎっしりと人を入れる吉野家の店舗運営が苦手で敬遠していたら、年に1回も行かなくなっていた。味による刷り込みよりも店舗の入りやすさを先になんとかした方が良いんじゃないかな。

 「早期退職という名の指名解雇」という項目に書かれている事が自分の見聞きした事とまるで一緒で同じ会社かと一瞬思ったけどこちらは竹橋だった。1か月で6度も繰り返し面接を行うとか凄まじい。自分は3度だったなあ。そんなことも書かれている坂夏樹さんの「危機の新聞 瀬戸際の記者」(さくら舎)は貧すれば鈍すれば貧してさらに鈍と化していくマイナススパイラルにある新聞業界の状況を、分かりやすい言葉にして表してくれているのでこれから新聞業界を読む人は必読かも。人が減ってニュースが薄くなって発表ものとか共同電とかに頼って記者の足腰が弱っていくのはどこもいっしょなんだなあ。それでも竹橋は支局網を保っているけれど大手町の世界最大部数じゃない方の全国紙は……。だったらどこか掘り下げて手広く報道をしてくれるのか。地方紙と一部全国紙と共同通信だけが残るんだろうなあ、あと経済紙。そんな未来への確信をくれる本でした。


【4月17日】 横浜にある海軍道路の桜並木が伐採される計画があるらしい。1976年ごろから植樹が始まってかれこれ46年が経つ桜並木は片側1車線の道路の両脇にずらりと並んで大きく育ち、春には桜の花のトンネルのようになるところから大勢が訪れ道もぎっしりと渋滞するという。なるほど見どころではあるもののその時期に道を行き来したい人には結構大変な状況だったかもしれない一方で、その期間を不便にしてでも名所となってさえいれば心も潤い少しは懐も潤うといった算段があって、今まで保たれて来たのかもしれない。

 だったらそのまま永遠に桜並木が保たれるかというと残念ながらソメイヨシノには樹齢があってだいたい50年から60年で老木化が進んで病気になったり倒れたりするという。これは問題。そして日本中で桜の植樹が進んで半世紀くらい経っていることもあって同じような問題が起こっている。そうなった時に起こる伐採という判断に見た目を重視して寂しいとか反対とか言う声が起こるけれど、一方で伐採せざるを得ない状況も鑑みつつそのまま桜並木を消滅させないために何ができるかを勘案し、巨木化するソメイヨシノではない種類の桜を植えるとか、その際に街路樹なら位置を変えて時代にマッチした道路幅にすることもあり得るだろう。

 横浜の海軍道路の桜並木がどうやらそうした計画で動いているらしいんだけれど、目の前の桜並木に感動している人たちはその光景が失われることに反対をして署名なんかも行っている。気持ちは分かるしそもそも本当に桜並木が道路の拡幅後も再植樹されて維持されるかが今の日本のテキトーな行政下では不安だという気持ちも分かる。未来をちらつかせて伐採をして道路を拡幅した後で、桜は維持費がかかるからともっと簡単に維持できる樹木に変えるとか、そもそも街路樹なんて必要ないと植えないといったことも考えられる。行政にとっては見た目重視で維持費がかかる街路樹なんて面倒この上ないだろうから。そこを法律なりで縛り現状維持を開発において必須とするような条例なり法令があれば市民も安心してまかせられるのだけれど。どうなるものか。見守りたい。

 お気持ち優先はウクライナから避難してきた人が連れていた犬が空港で検疫のために180日間、留め置かれてその費用が高くなりそうだということで、いろいろと動物好きの人たちから異論が起こっている。いやいやそこで検疫をせずに入国させて狂犬病でも持っていたら、それが広がったら貴方が愛している犬も殺処分される可能性があるんだよと言えば検疫の必要性も分かってもらえると想うのだけれど、それでも留め置く費用がたとえば1日3000円もかかるならそれは高いと訴えて、避難民なんだから多少は融通を利かせることをしても良いんじゃないのと訴えるのが動物を愛しつつ友愛を示す仕草だろう。

 あるいは費用が不可欠なら動物好きに訴え費用をクラウドファンディングで集めるとか。でもいったん、そうした日本の“閉鎖性”への嫌悪を表明してしまうと、引っ込みがつかないのか狂犬病を予防するためだからと言うことすら“拒絶”ととらえて非難し続ける傾向があって救って上げようといった気持ちを削りに来る。非難されるならあとは動物好きだけでやってくれと思えてしまうような強い“お気持ち表明”を脊椎反射で行うのではなく、どうしてそうなっているのかをまずは考えSNSで発信するのもどこかの団体が始めてすぐに瓦解した「その指止めて」運動にならう必要があるんじゃないかなあ。優れたジャーナリストとか作家とかが直情径行からの謝れない症候群に陥っているのが散見されるだけに気になるのだった。

 今日も今日とて蔦屋書店代官山へと行ってSFカーニバルを見物。サイン会を回ったりSF落語を聞いたりして過ごす。1日に3セットで8人くらいづつサイン会を行うイベントが2日間で50人近くを動員してそれぞれにしっかりと行列を得ていたから、本も結構売れたような気がするし来場した人がついでに本を買って帰ればそれなりの成果もあげられたような気がする。会場を提供してくれた蔦屋書店にとってもメリットがあるなら、以後も同じようなイベントを展開してくれると想いたいけれども共に相当のリソースをかける必要があるから、そのために結束できる目的なり意思が必要。SFのためのかリーダーのためとか。それを今後も維持していくための空気を今後どこまで高めていけるか。今から検討していかないといけないだろうなあ。少しは頑張ろう。


  【4月16日】 そういえば「呪術廻戦」の舞台版が発表になっていて、虎杖悠仁から五条悟から釘崎野薔薇から呪術高専の面々に敵となる呪詛師なり呪霊なりのビジュアルが出ていてどれもよく漫画とそしてアニメに寄せていた。五条悟なんて190センチはあってなおかつ脚がとてつもなく長い姿で描かれていて、実写にしたらとても追いつかなさそうなのをそれとなく似せて脚の細さと長さも再現していて撮影のテクニックなのか本人の肉体の賜なのか、それは舞台を観てのお楽しみって感じ。チケット争奪戦はとてつもなく厳しくなりそうだけれど。

 キャストで知っている名前といえば高月彩良さんくらいで前に劇場版の「僕は友達が少ない」なんかにも出ていてスレンダーさを活かして男の子のような楠幸村の役をやっていたけれど、今回はわりとスタイルの良い禪院真希さんを演じることになって長身さでもって舞台映えはしそうだけれどボディラインはどこまで追いつけるのか。そこが目下の関心事か。「思い出のマーニー」で主人公の声も演じてそしてテレビに舞台に映画にと活躍を続けてかれこれ8年。24歳になってグッと成長した姿を見せてくれると期待したいけど、チケットとれるかなあ。

 「呪術廻戦」といえばあのブランドのドルチェ&ガッバーナとコラボレーションしてキャラクターにマッチするアイテムをいろいろと送り出して来たけれど、どれも何十万円もしてファンにはちょっと手が届かなそう。というか誰が買うんだろう。海外の「呪術廻戦」好きなセレブかそれともお金を持っている中国のファンか。あとデザインがどれもヤンキーめいていてD&Cというよりドレスキャンプ的。それも日本では着る人を選びそうだけれど唯一七海健人のダブルのスーツだけは普段使いが出来そうだったので心が揺らぐ。まあ七海じゃない人が着たって寅さんにしかならなさそうな柄だけど。

 山田太郎議員について参院選に出馬を予定している漫画化の赤松健さんも例の「月曜日のたわわ」について異論を申し立てて「外圧」とまで言っている。国連機関だから外国といった認識は日本だって加盟している国連なんだから仲間であって「外国」ではないし、同じ漫画業界ではないといういみでの「外部」ならそれは内に固まる論理であってやっぱり違う。いずれにしても安易に使っては言い言葉ではない「外圧」を冒頭に掲げてしまったのは、結束を固めたい意識の表れかもしれないけれど事態を敵と味方に分断して対立しか招かないのでちょっと戦略として関心しない。

 あとはやっぱり山田太郎議員と同じで「月曜日のたわわ」という作品のある種のメッセージ性に載って誘い煽るような出し方への懐疑をオミットしているところが気になる。たしかにただの女子高生の図像を載せたところでそこに性的搾取は存在しないけれど、それは豊満な熟女であってもいたいけな幼女であっても同じこと。でもあまりそうした図像が出ないのは新聞の全面広告という場所にマッチしているかどうかという問題があるからだ。

 ようするに作品を選べ、場所を選べといった話なのに弾圧だと騒ぎすべてを認めろと言って誰もが賛成してくれるかを、理解した上でそれでも表現は守られるべきという確認だけはしておこうという提言ならまだ同意もできたけれど、全身をハリネズミのようにトゲトゲしい態度では味方してくれる人も敵に回しかねない。ちょっとそこを考えて欲しいけど、今のもり立てられ盛り上げられる環境ではどんどんとタコツボにハマって行きそうで不安。そこを誰かちゃんと導ける人がいれば良いんだけれど……。議員となるとある意味で権力のトップなだけに意見も通りにくいのかなあ。やれやれ。

 せっかくなのでSFカーニバルへと出向いてあちらこちらで本を買ったり人と話したり。蔦屋書店代官山店は人がぎっしりで楽しそうな本がいっぱいで1日いただけでいろいろと情報を更新できた。今はこんな写真集が出ているのかとか。そうした雑誌が並んでいるところで手にNTFとかマーケティングの本を抱えた男が手にしたスマートフォンで雑誌のページをパシャパシャやっていたので横目で見たらとりあえずやめたけど、そうした行為を書店で平気でやれてしまう人が作り出したマーケティングなりNTFなりのサービスは利用したくないもの。きっとパッチワークみたいなものだから。


【4月15日】 雨の降る中を六本木へ。ひさびさにCoCo壱番屋でシーフードカレーを食べたあと、六本木ヒルズの中にある森アーツセンターギャラリーへと入って「アベンジャーズ」の内覧会を見る。キャプテン・アメリカの盾があってぶん投げたくなったけと外れずハーレーにはまたがれたけれど固くなった股関節が軋んだのですぐおりて、ハルクの巨大な腕に触ったりソーのハンマーを持ち上げようとしたりとMCUの世界にどっぷりと浸れる楽しい展覧会になっている。

 アイアンマンスーツからハルクバスターをまとって手からビームを放ち敵を粉砕するインタラクティブ・コンテンツなんてのもあってアトラクション気分も味わえる展覧会。何でも地下も含めると60階以上に及ぶ森アーツセンターギャラリーまで12日間かけて1日12時間も仕事をしていろいろろと運び上げたとか。それでも世界24都市を回って最短だったと関係者。日本の人は勤勉だって事なのか。

 アントマンとかキャプテン・マーベルとかブラック・ウィドウといったあたりもちゃんと飾ってある一方で、ロキの槍はあってもサノスの立像とかはないあたり、ヴィランには厳しい展覧会。まあアベンジャーズの秘密基地でヒーローになる訓練をするってコンセプトだからヴィランがいてはおかしいか。ラストはスマートフォンを操作してトールのハンマーやアイアンマンの熱線やらを放って敵を倒すアトラクションをこなして外へ。グッズも豊富。なかなか楽しい展覧会として大勢を集めそう。

 六本木ヒルズ内で原稿を書き上げTOHOシネマズ六本木へと移って「名探偵コナン ハロウィンの花嫁」を見る。なるほどこれは安室透こと降谷零の同期の連中とかに関する知識が乏しい中で観たので浮かぶ情感は、エキスパートの人の1割にも満たないという逆の意味での自身はあるものの、そうした薄いファン向けに数年前から「警察学校編 Wild Police Story」の連載を起こしていたのだとしたら、「名探偵コナン」のチームは相当に周到で綿密なのかもしれない。

 元より安室を中心にストーリーを見たがるファンもいただろうから、そうした人たちにもより濃い物語を供給してきた「警察学校編」での関係性が、職場に出てからも続こうとして続かず一人また一人と途絶えていった果てに残った安室を襲った過去の因縁から始まる『名探偵コナン ハロウィンの花嫁』は、無関係に見えた松田刑事と佐藤刑事の結婚式シーンがドタバタと崩れてその理由が明かされた先、対象となったある結婚式がどうしてねらわれるのかといった疑問が安室を襲った過去の因縁と重なってひとつの大きなタペストリーを紡ぎ出す。

 なかなかにうまい展開。そしてクライマックスに繰り広げられるスペクタクルもその時期のその場所を存分に活かしたもので状況と伏線からあり得るものかもしれないと思わせつつ、それが起こったら大変になってしまうところをコナンが頑張りそして大勢が頑張ることで収拾へと向かわせる。そこにある理解と協力は今というこの時代にひとつの光明ももたらしてくれる。悪いということに国も国籍も関係ないということ。そこを目印にして誹ることの至らなさについて教えられる物語でもあった。

 脚本はミステリー作家の大倉崇裕でさすがにしっかり練り上げたといったところ。登場人物たちにしっかりと見せ場を用意していたけれど、そこに灰原哀が大きく絡まず出番が少なかったのは個人的には度し難い。とはいえ次回の作品で「シェリー」が鍵となるということは相当な出番が期待できそう。そちらに譲って今回は高木刑事の佐藤刑事を思って頑張り突っ走る姿と、安室の友を思って飛び戦う姿を堪能しつつその活躍を讃えたい。

 山田太郎議員や、今度の参議院議員選挙に出る赤松健さんらが「月曜日のたわわ」の日本経済新聞における全面広告に国連女性機関がいろいろと言ってきた件について表現規制の一点張りで応酬しているのがどうにも頑なに見えて仕方が無い。国連女性機関はそれが月曜日の僕たちをぶるんぶるんとさせてくれる「月曜日のたわわ」を使って月曜日のさらりまんをぶるんぶるんさせるようような広告を載せたと行った文脈全体をもってそれはちょっとと言っているだけなんじゃないのかな。

 だから「月曜日のたわわ」が存在することは否定していないのだけれどそうした文脈を無視して切り離された単独のイラストをもって批判され規制されたと憤ってみせて周辺を煽るのがどうにもこうにも厄介極まりないというか引くべきは引き認めるべきは認め立ち向かうべきは立ち向かうといったスタンスがどうしてとれないんだろうというか。うーん。困ったなあ。


【4月14日】 「りゅうおうのおしごと」の最新刊が出たので手に入れて一気読み。釈迦堂里奈女流名跡にそんな過去があったとは! エターナルクイーンとして長く女流名跡の座に留まり続けている一方で、他の女流タイトルについてはあっさりと手放しているなあと思ったらなるほどそういう背景があったのか的驚きを与えてくれる。それだけに意味を持っている女流名跡のタイトルを簡単には手放すことができない一方で、こちらは是非にでもタイトルが欲しい雛鶴あいの挑戦は2連勝からの2連敗。そこにもまた意味がありそうだったりするけれど、そうした盤外での思惑とかはすっ飛ばして真っ直ぐに真正面から挑んでいく雛鶴あいは名跡を奪取できるのか? それは読んでのお楽しみということで。

 どういった支持で誰がゴーサインを出したのかが気になる、恵比寿駅でのロシア語の案内表示撤去。不快だからってクレームがあったそうだけれどもウクライナの人だってロシア語を使う人もいたりする訳で言語自体に何か悪意が込められている訳ではない。太平洋戦争の時に敵の言語だからといって英語を排除したことがあったけれど、ロシアは現時点で敵となっている訳でもない。それなのに何か言われただけであっさりと引っ込める行為がどれだけヤバいかってことに駅の人の誰も気づかなかったのだとしたら、これは全社的な問題として大きく取り上げなくてはいけないんじゃないのか。

 まあ流石に批判も多かったようで本社が撤去を撤回したようだけれど、一連の流れの中で本社側への打診があってそれで撤去したのかそれとも駅の誰かの判断だったのかは検証して欲しいところ。でないと他の言語でも同じようなことが起こりかねないのが今のこの国の意識だから。というかどこかのホテルではロシア人ベラルーシ人宿泊お断りだといった案内を出してやっぱり批判されて撤回したという事態もなっていたりしたし。

 こちらは明確に旅館業法に抵触していたということもあっての撤回だけれど、今も意識としてウクライナのためだからやったんだというものが残っているのだとしたら、いずれどこかの国で何かが起こった時にその国の人はお断りといった雰囲気を漂わせてくる気がして宿泊しづらいようになりそう。国としての行為は明確に否定した上でそこの国の人には一切の罪も問題もないことを、明確に理解していることを打ち出すことがやはり先決なんじゃなかろうか。だいたいがどうしてウクライナの件でこれだけ過敏な反応になるのか。シリアちゃチェチェンで何をしたって排ロシアにはならなかったのに。

 分かりやすい構図でフレームアップされると途端に流れるヤバさ。踏み込めばそうした分かりやすい構図のものしか報じないメディアのまずさ。いろいろと重なっているこの状況が加速化してキャンセルカルチャーとして定着していかないことを願いたいけれど、人って流されやすいからなあ。ウクライナから持ち込まれたペットが検疫のために180日間、様子見させられることにも反発しているし。ペット好きならその気持ち分かるでしょといった反応だけれど、それで狂犬病がはいってきたらあなたのペットも罹って死んでしまうのかもしれないという想像力を広げられないのだろうなあ、目の前の事態に精一杯で。困ったなあ。

「エスタブライフ グレイトエスケープ」の第2話は新宿がヤクザの「クラスタ」になっていて、そこの組長が逃げたいと願っているので行って逃がすという話。大げさだろうといった意見もあるけれど、そこまでガッチリと生まれた「クラスタ」によって人生も決まれば思想も決められてしまう状況が、浸透しきっているということでそうした観念からどうやって逃れられるのかを、先週は教師としてあり続けなければならない「クラスタ」から人を逃がし、そして今回は「ヤクザ」でなければ存在すらユルされない「クラスタ」から逃がすことで示してみせた。生きることは逃げること。逃げてこそ生きる道があるといまのこの時期に放送して、見た新入社員がここは違うと一気にグレイとエスケープしたら、日本も面白くなるんだけれど。来週は「クラスタ」がさらに厳密に存在すら変えてしまうことが分かるので注目。舞台は池袋。いったい何の「クラスタ」なんだろう。


【4月13日】 河瀬直美監督の東大での挨拶は不用意ではあるものの、ロシアの正義がどうしてロシアにとっての正義なのかをロシアの立場から考え、そうした確信がどのような要因で醸成されたのかを分析することでその正義の不備を糺し、不遜を諭して一般的な正義を分からせるという意味、あるいは同じような独善の正義が新たに生まれてくることを防ぐという意味があるのではといった問いかけだと受け取ったので、脊髄反射的な反応はしなかったのだった。ただ絶対の悪だからと叩きつぶして削り取ってしまっては、また同じような思想が生まれて来る気配を察知できなくなるし、真っ当へと導けなくなるから。でもやっぱり不用意だよなあ。

 東北総局の閉鎖と北関東からの撤退が記事になってもさっぱり話題にならない自称全国紙の記者が午前ではなく午後0時過ぎに酒酔い運転で捕まったというニュースもやっぱり派手な話題にはなっていないけれど、その記者が63歳というところに定年後の再雇用でもって支局で県版と雑報を担当しているんだろうなあと思うと現場の大変さもいろいろと浮かんでくる。普通は若い記者が勉強がてらやっていることを数年後には一線を退く記者がルーティンでやっていてはやっぱり心も前向きにはなれないだろうから。とはいえ昼間からのんでいるのはちょっと異常。そもそもそいういう特質の人を残して書ける人はどんどんと出す方針がぎりぎりと軋んでいるのだろう。やれやれ。

 55歳以上は1100円なのでイオンシネマ市川妙典に行って「女子高生に殺されたい」を見る。古屋兎丸さんの漫画を原作に「アルプススタンドのはしの方」の城定秀夫監督が手がけた映画は女子高生に殺されたいと願う高校教師の変態的な心情が吐露されるような寒くて痛い内容かと思ったら、そうした変態願望へと引きずられるきっかけがまずあって、そこに触れて魅せられ囚われていった果てに綿密な計画を立てて準備を整えいよいよ実現という所まで至る過程に人が恋に落ちるのとはまた違った、人が道を少し踏み外してそして大きく離れてしまう様が見えて興味をそそられた。

 誰にだって道を踏み外す瞬間はあってそれはたとえば漫画家になるとかアニメーターになるとか医者になるとか天文学者になるとかロケット工学者になるとかいろいろな方向へと続いていくけれど、そうした道のひとつに女子高生に殺されたいと願って止まなくなるというものも含まれていたと思えばこの変態めと誹ることはちょっとしづらい。それだけ触れたきっかけというものが衝撃だったとも言えるし、その衝撃が触れた琴線に特徴があったとも言える。ある意味で偶然の接触が必然へと発展していった先で人がどこまで積極的で徹底的になれるのか。讃えられる方向ではないけれど凄いとは行っておきたい執念だった。

 そんな高校教師の東山春人をいつものどこかへたれな若者ぶりとは違った端正さで演じていた田中圭さんが抜群で、そして春人が殺されたいと願う女子高生の真帆を演じていた南沙良さもそういった願いをかけたくなるくらいの神秘性を帯びた美少女だった。そんな真帆につきそい地震や生物の死を察知する異能を持った女子高生の小杉あおいを「サマーフィルムにのって」でビート板役を演じた河合優実がビート板よりもさらに奥に引っ込んだような静けさで演じて引きつけられた。やっぱり河合さんにはメガネが似合う。
BR>  演劇好きなところを春人に利用される京子は莉子さん、そして柔道部の寡黙な美少女を茅島みずきさんが演じてそれぞれにしっかりと役割を果たしていた。驚きが春人とはたぶん医学部かどこかでいっしょて、今はカウンセラーをしている深川五月を演じていた大島優子さん。元AKB48の看板だった人が女優へと変じていろいろな役をやるようになって、すっかり元アイドル的な雰囲気を落として女優としての演技力を身につけ存在感を放つようになっていた。前田敦子さんといい良い女優を送り出してくれたなあ。今は知らない。

 練りに練った計画は本当に周到でよくそこまで練り上げたものだと感心することしきり。見てしまうと自分もと思えってしまう人も出そうだけれど用意するための舞台なり道具なり人なりが特殊すぎてちょっと現実には無理だろう。そもそも女子高生が誰でも言い訳ではないところが難しいというか、そもそも願望事態が女子高生だったら誰でもよかったのか、その子だからこそ女子高生になったら殺してくれると考えたのか、発端が分からないので判断しづらい。どっちなんだろう。女子高生なら誰でも良かったのならそういう趣味のある人を探せば良かったのではないか。ならばやっぱりその子ありきの計画。果たしているのか現実に。


【4月12日】 実はそれほどアニメを観ていなかったのでキャンディの声がどんなだったか記憶にあまりないけれど、でもやっぱりアニメの歴史に燦然と輝く「キャンディ・キャンディ」の主役を演じたという経歴は、その声とともに永遠に残っていって欲しいにもかかわらず、封印作品となってしまっておおっぴらに見たり聞いたりできない残念さの中で逝ってしまわれたことが残念でならない。声優の松島みのりさん死去。ご高齢とはいえまだまだ活躍して欲しかった。

 僕らの世代だと「どろろ」のどろろ役よりかは、「ふしぎなメルモ」のトトオや「マジンガーZ」の弓さやか(2代目らしい)、そして「ドカベン」のサチ子といった役どころが耳に強く残っているかもしれない。女性から男の子まで広く演じてくれていたなあ。令和となって富田耕生さんや八奈見乗児さんや太田淑子さんといった、昭和時代からご活躍されていた声優の方が続々と鬼籍に入られていくのを見送らねばならず寂しい思いがしてならない。これはつまりこちらも年をとったということだけれど、そういう気持ちをこれからも味わっていくのなら、一方で新しい人たちが現れ活躍するのを見て応援することで心をもり立てよう。

 「本の雑誌」を立ち上げた椎名誠さんと北上次郎さんこと目黒孝二さんを描く漫画がスタートしたのには驚いたけれど、まだデパートニュース社でストアーズレポートという専門誌の編集長をしていた頃の椎名誠さんがちょっぴりラフなジャケットにノーネクタイのスタイルで描かれているのにやや違和感。まだステイタスのあった百貨店の社長にも会いに行く仕事をしていた関係で、当時の椎名さんはスーツ姿もばっちりに髪型も整えていた記憶がある。その後の椎名さんのワイルドな雰囲気を土台にしているのかもしれないけれど、そこは準じて欲しかったかもしれない。でもスーツでは誰か分からないから仕方がないか。

 光文社の週刊誌「FLASH」がなにやら産経新聞が東北の支局を閉めて全国紙の看板を下ろすとかいった記事を載せると風の便りに聞いて、いやいや東北だったらすでに北海道はもちろん東北も東北総局を除いて青森秋田岩手山形福島の支局を閉めてメールアドレスだけの“エア支局”にしているぞと思ったけれど、出た週刊誌を手にとって記事を読んでさらに踏み込んでいたことが判明。東北総局ですら記者を1人おいての駐在員化する上に、北関東からも栃木県の宇都宮と群馬県の前橋に置いてある支局を閉めてエア化し撤退を決め込むみたい。

 すでに新潟も長野も山梨ですらも店を閉めていて北陸中部もとっくに店じまいしていたとはいえ、北関東は北であっても関東だから意地を見せるだろうと思っていたらこの始末。さらに販売として割と重要視していた静岡からも撤退するようで、すでに閉めてる山梨を合わせてこれで富士山を取材する拠点が両側から消えてしまった。東京新聞ですら北関東には拠点を置いて栃木は宇都宮と足利、群馬は前橋と高崎にちゃんと人を置いている。それにすら及ばないにもかかわらず「全国紙」を名乗る根性を見せてくれるかが、今はちょっと気になっている。
 これで高校野球の取材とかどうするんんろう。共同通信に頼るにしたってきめ細かさでは朝日読売はもとより毎日にだって劣ってる。とてもじゃないけど勝負できる紙面なんて作れないだろう。春高バレーなんかは目ん玉マークの専売だけあっておろそかにはできないはずだけれど、取材拠点がなければ記事になんて出来ず、記事に出来なければそれで売るという芸当も使えなくなる。南関東と東京に集中するったってそれすらも東京新聞に劣る取材網で何ができるんだろう。論調をネットでぶちまけたところで、今の人員を支えるだけのお金にはならないことくらい分かっているだろうに。

 落ちる収益をカバーするべく、会員化してパーソナライズされた情報を提供していけるようにするって話もあったけれど、その情報時代をアグリゲートできないのにどうやって個々のニーズに合わせた情報提供なんてできるんだろう。会員数があれば情報の提供元も出てくるかもしれないけれど、決して太くはない出口に向かって出してくれる情報が果たして真っ当かと考えるとちょっと心許ない。ヤバい情報を出しては会員に逃げられ、少なくなった会員に向けてヤバい情報が流れるマイナスのスパイラルに陥った果てにもたらされるのはどんな状況か。ヤバいものにはならないことを願いたいけれど。さてはて。


【4月11日】 見始めたらも最後まで一気に見るしかなくなってしまうくらい面白かった「TIGER & BUNNY 2」。バディという仕組みをワイルドタイガーとバーナビー以外にも広げていこうということになって、以前から出ているブルーローズは「The Rising」から加わったゴールデンライアンとコンビを組み、前は牛角だったロックバイソンはパソコン周辺機器のバッファローが目立つ感じになってそして折紙サイクロンをペアを結成。ファイヤーエンブレムはスカイハイとベテランコンビを組んで結構な連係を見せている。

 最年少だったドラゴンキッドには魔法少女みたいなマジカルキャットがついて可愛らしさが極悪なレベルまで到達。そして新しい2人のヒーイズトーマスとMr.ブラックの白黒コンビも参加して12人もヒーローたちがシュテルンビルトに集うことになったけれど、最悪のところから徐々に信頼関係を築いていったワイルドタイガーとバーナビー、お互いが高いレベルで安定しているファイヤーエンブレムとスカイハイ以外はそれぞれに悩みがある感じで、エピソードの中でそうした悩みが明かされつつ解決へと向かう展開で、人がわかり合う難しさと、それでもわかり合う大切さといったものが感じられるようになっている。

 ドドーンと登場して傍若無人な雰囲気をまとっていたゴールデンライアンが意外やブルーローズとの関係が壊れることにビクビクしているのが面白かったし、ステージママを持つマジカルキャットがどれだけ労られ守られているかを分かっていながら母親の一言でドラゴンキッドを裏切りそうな感じがちょっと不安を先へと残す。13話あるセカンドシーズンではウロボロスからの敵を相手にラストで一大バトルが繰り広げられるけれど、それで終わりとはならず引きがあってサードシーズンの到来なり、劇場版の制作なりがこれはあるぞと予感させる。いつになるかはともかく期待して待とう。やっぱりブルーローズは可愛いなあ。そしてクーリッシュよりはペプシNEXが似合うよなあ。

 原画展を見てからこれはやっぱり見ておこうとNetflixでおさらいを始めた「黒子のバスケ」もほぼほぼ観賞を完了。黄瀬から緑間ときて青峰に敗れてもウインターカップで巻き返して青峰を最初に叩き難関だった紫原も乗り越えていく展開はなるほど“キセキの世代”でも脇にあった黒子テツヤが主役へと躍り出ていく物語でもあるけれど、それよりもやっぱり火神という新しい才能が登場しては芽吹き成長して“キセキの世代”すら突破していくストーリーだったような気がする。むしろそっちをメインにしたかったのかもしれない。

 けれど、キャラクター性で圧倒的に“キセキの世代”が上を言ってしまったからか、そっちがメインになってしまった感じ。「LAST GAME」なんて中学で分裂してしまった“キセキの世代”がもしも1つにまとまれば、ってファンが見たがることを優先した感じだものなあ。その影で火神は存在感がサブに回ってしまった雰囲気があるけれど、それでもアレックスという希代のメガネっ娘(って年でもないか)を作品の中に呼び込んでくれたから存在に意味はあったと思いたい。

 作中にはあとリコとか桃井といった女性キャラクターも結構登場して魅力を振りまいてくれているんだけれど、そうしたキャラの原画ががサンシャインで開催中の原画展にはそれほど飾られていなかっのは、だからやっぱり“キセキの世代”の男子たちが放つ強烈なキャラクター性こそが作品のウリだという認識が、作り手にも受け手にもあるからなんだろう。そういう需要が売れる要素だった時代は果たして今も続いているのか。「アオアシ」とか「ダンス・ダンス・ダンスール」といったスポーツ漫画のアニメも続々登場する中で、次に来る「黒子」「ハイキュー!!」的な売れ方をするスポーツアニメは何か? 見守りたい。

 「デカルチャー!!ミクスチャー!!!!!」をやっと買う。どっちってフロティア盤にしたのはエクストラのメドレーでワルキューレの楽曲をシェリルとランカがどう歌いこなしているかを聴きたかったから。フロンティアの曲はとてつもなく聞き込んでしまった関係もあってそれをワルキューレの5人が分割して歌った場合にちょっとばらけた感じがしてしまうかもと思えてしまう、その一方でワルキューレの楽曲をそれこそ美雲とフレイヤが2人で歌う感じでなおかつシェリルのソウルフルな雰囲気もまとったパワフルさ、ランカの愛らしさでどうさばくかが気になっていた。結論としてすばらしかったので今度はワルキューレがシェリルとランカの歌をどうパート分けして歌うかも聴いてみたい。結局買うんだろうなあ、デルタ盤も。そういうものだ。


【4月10日】 ライブで見た「SANKYO presents ワルキューレ LIVE 2022 〜Walkure Reborn!〜」を今日はライブビューイングで見ることになっていたんだけれど、事前に抽選で当たっていたシアターがそれほど大きなスクリーンではない上に場所もそれなりに後方で、現地では遠目にしか見られないステージを間近で浴びるように見られるライブビューイングの醍醐味をあまり味わえないのが残念と思い、他のシアターを調べたら何とTOHOシネマズ新宿が最大規模のスクリーンで上映するみたい。おまけに席も余っていたのでそちらの最前列を改めて取ってしまう。

 もちろん既にとってある席は無駄になるけれど仕方が無い。せっかくの機会を逃すと後で後悔するのは目に見えているから。という訳で新宿へと行く方向が変わったので、せっかくだからと東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアムで9日から始まった「銀河鉄道999展」を観に行く。絵コンテとかが出ている訳でも原画が並んでいる訳でもなくパネルとそれから999号の普通車の席が再現されているだけの簡素なものではあったけれど、映画ではないテレビシリーズの上映が見られるならと行った次第。

 金田伊功さんのバリバリな作画によって劇場版の評価がやたらと高まっている感があったりするアニメーション版「銀河鉄道999」だけれど、いろいろな星を順繰りに尋ねていってはそこにある現代社会を風刺したりするようなエピソードを噛みしめていく原作漫画のエッセンスは、毎週放送のテレビシリーズにこそ受け継がれている。なおかつそうしたストーリーを西沢信孝監督がセンチメンタルに演出してみせたこともあって、母親との離別から宇宙へとあがって旅する少年のストーリーとしてしっかりと今に残っている。

 とはいえ決して毎週楽しみに見ていた訳ではなく、むしろ原作版の漫画で見知っていたところがあったので上映された「第16話 螢の街」も原作くらいの感嘆で終わるかなあと思ったら放送から45年くらいが他って世の中の機微って奴を散々っぱら見せつけられ、今なお味わっていることもあって身にズシンと響く。見てくれによる差別から起こる貧富の差。見てくれにあぐらをかいて傲慢に振る舞うけれども中身の空っぽな人間の虚しさ。そんな環境で見てくれに流されず自分の実力でのしあがろうと足掻く女性アニメーション監督の頑張りが、たとえ苦境にあっても諦めないで頑張る力を呼び起こしてくれる。

 その時代にアニメーションの女性演出家というものをどれだけ松本零士さんが意識していたかは分からないけれど、ようやく名前で見てもらえる女性演出家が増えて来た今に強く響くところがある。ホテルで鉄郎たちに接している時のフライヤさんと、自分のアパートで夢を語るフライヤさんの描かれ方演じ方の違いも面白かった。そんな元気で健気な人でも体の模様で差別されるなんて……。それは容姿なり示唆なり出自なりといったものいに置き換え可能な概念。それでスタートラインを下げられるなんてと憤っても現実に起こりえるそうした自体を、どうすればなくせるのかを改めて考えなくちゃいけないなあ。

 このエピソード、藤川桂介さんの脚本が余計にアニメーション制作の現場の思いを際立たせるところもあって良かった。それにしても松本零士の美女ぶりが際立っていたビジュアルのフライヤさん。それをよくキャラクターに起こして描いてくれた。そんなフライヤさんから絵コンテを見せられ漫画映画の演出家になりたいんですと夢を語られ、自分が描いた絵コンテを買って欲しいと頼まれて、それはアニメを作る時に大事なものだと分かった鉄郎はアニメファンだったのだろうか。普通の人ってアニメに絵コンテが在るなんて知らないし、アニメの演出家が監督を意味するなんて分からないだろうから。

 「SANKYO presents ワルキューレ LIVE 2022 〜Walkure Reborn!〜」の初日を幕張メッセで見たので今日はライブビューイング。チケットはTOHOシネマズ日比谷のを抑えてあったけど今日見たらTOHOシネマズ新宿がシアター9にサイズアップしたため席が余っててリクライニングの最前列が空いていたのでもったいなかったけどそちらに乗り換える。これでくるくると舞うワルキューレの面々がでっかいスクリーンで浴びるように見られると期待したら、そのとおりにスカート姿でくるくると回る安野さんとかJUNNAとかが見られて見れた。ああ良かった。ライブビューイング向けに正面のカメラを意識しているようにも見えて劇場ではずとっと最前列でいられたけれど、会場の向こう正面は2日目どんな感じだったんだろう。円盤にするのは1日目と2日目のどっちだろう?


【4月9日】 「月曜日のたわわ」いう、月曜日の憂鬱をたわわさでもって吹き飛ばそうという作品が伝えようとしているメッセージ性を無視するどころか前向きに捉え、月曜日の新聞に掲載して企業人に向けてたわわで憂鬱を吹き飛ばそうぜと訴えた文脈が批判の対象なんじゃないかという僕の想像を大きく超えて、ハフポストが記事に取り上げ性的な表現に触れたくない人の権利論争に話を広げてきた。これはちょっと違うんじゃないかなあ。というか表現の自由と規制の綱引きという論争にいたずらに火薬を投じる恐れもあったりする。

 女子高生を起用する広告なら最近でもポカリススエットがあったしそれが女性性への劣情を誘うことを意図したものとは限らない。にも関わらずいたずらに規制してはやっぱり表現の問題に関わってくるので、そこはコンテキストを検討する必要があるにも関わらず、まるで触れようとしてない記事の書き方は、何が問題なのかを分かってないのか分かっていてもここはすべての女性性を消費しようとする空気を糾弾しようとしているのか。いずれにしても厄介きわまりない。とはいえ主流は女子高生を宣伝に使うことすべての批判。ならば男子高校生もダメだし美男子美女はすべてダメになる。表現を取り上げるジャーナリズムはだからもうちょっと慎重に当たって欲しいけど、扇情が尊ばれるネットメディアでそれは無理? やれやれ。

 という訳で幕張メッセで「SANKYO presents ワルキューレ LIVE 2022 〜Walkure Reborn!〜」の初日を見る。「Walkure Reborn!」のコードからの応募でとれた席はOブロックの8でいったいどれだけ後ろかと思ったら、幕張メッセ−のHALL4.5.6をぶち抜いた中央にステージを着くって八方を見つつライブをする状況でも調整台とかメインカメラとかの方向を向いた「正面」が8番で、それのKLNOとステージ前から割り当てられたブロックのOだから遠目に並ぶワルキューレが真正面から肉眼で目視できるそれなりにグッドな席だった。

 ただ中央に設えられたステージの向こう正面にも段が設けられていてそこをメインに向こう正面を向いて歌う楽曲も幾つかあった上に、四方に花道をのばしてそこにメンバーが入れ替わりながら進んで歌う場面も結構あるから、そちら方面に割り当てられた人も決して見づらいということはない配慮がされていた。センターステージも結構な高さがあったから、メッセの平場で席から全員が立ち上がっても頭越しにちゃんとメンバーが見られた感じ。頭ばかりでストレスが溜まるということがなく2時間ちょっとのライブをしっかり楽しめた。

 その内容は基本的にはアルバム「Walkure Reborn!」からの楽曲で、映画「劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!」のストーリーをなぞるかのように楽曲が組まれていて映し出されるモニターの映像で流れるストーリーを改めて噛みしめていく感じがした。それだけに「ALIVE〜祈りの歌〜」が持つ意味も大きくてあのシーンが浮かんでじんわりとくることも。ある種映画を音楽劇として再現したようなライブだったとも言えそう。

 具体的な演出なんかは明日の楽日ががまだあるので詳細は書かないしライブビューイングで見る人もいるだろうからそれらをそれぞれに見て感じ取って戴きたい。言えることはJUNNAちゃんはやっぱりボーカリストとしてすばらしく、フレイア・リオン役の鈴木みのりさんもフレイアになりきってしっとりとして凜とした歌声を聴かせてくれる。カナメ・バッカニア役の安野希世乃さんは「AXIA〜ダイスキでダイキライ〜」が聴きたかったけれど今回は新譜からなので別の曲でリーダーらしさを発揮してくれたと言えそう。

 凄いのはマキナ・中島役の西田望見さんか。だって4月1日に出産したってエイプリルフールとしてではなく真っ当に報告をあげてから10日に満たないでステージに立っている。リハーサルだって練習だって相当にやりこんでいないとできないステージをいつ作ったのかが謎めくけれど、歌声はちゃんと愛らしいマキナ・中島でありました。東山奈央さんはワルキューレの中でもキャラクター性を出しているレイラ・プラウラーの役で歌いそれと聴かせるからやっぱり凄い声優さん。起用なだけにこれがヒロインにして代表作と推せる作品を挙げづらいのがずっと残念に思っている。何かやらせてあげたいな。

 終了後はブロックごとの規制退場で正面だった8番ブロックは結構後になったけれど外に出て海浜幕張駅まで歩けば幕張本郷行きへのバスにはすんなりと乗れてそのまま家に帰り着けた。こういう時に船橋市民は便利。劇場でもらったカードのシリアルコードを使って応募しておけば千秋楽のチケットも当てられたかもしれないけれど、1回見てとりあえず満足できたので明日は劇場でアップで見られるライブビューイングで楽しもう。


【4月8日】 フジテレビの「ノイタミナ」で放送が始まるアニメ「うる星やつら」のラムは上坂すみれさん、諸星あたるは神谷浩史さんがすでに発表になってピッタリ感を醸し出していたけれど、そんな主役を固めるメイン級の脇役で面堂終太郎に宮野真守さん、そしてしのぶに内田真礼さんが決まったと発表になって声も公表されてていた。島津冴子さんのしのぶは唯一無二の声質だからそのままではないけれども内田さんも優しげでかわいげがありながらしぶといところもある声を感じさせてくれていたから、これならしのぶと思ってもらえるだろう。

 もう少しだけ時代が前なら野上ゆかなさんだっただおろうけどちょっと、時代が10年遅すぎた。面堂の宮野さんはもう他にないくらいのはまり具合。その時代を代表する美声中の美声が当てるべきだといった観念が当時の神谷明さんから流れているなら他にないと再アニメ化の時に思っていただけに、当たったことが嬉しいしそうしたキャスティングを考えてくれたスタッフにもお礼が言いたいし、何よりしっかりと面堂を演じてくれている宮野さんに心からのお礼を言いたい。ありがとう。

 小野大輔さんとかいろいろ雰囲気は合わせられそうな気がするけれど、甘さがありつつ爆発した時の弾けっぷりでは宮野さんがバッチリなんだよなあ、「ゾンビランド・サガ」の巽孝太郎役を見ても、っていうか巽孝太郎自体が面堂終太郎的な雰囲気。いずれ再アニメ化されるなら自分がとチューニングを合わせていたのもしれないなあ。こうなってくると錯乱坊が誰って話になりそうだけれど、永井一郎さん亡き現在においてああいった役を出来るのは千葉繁さんがやっぱり挙がってくる。でも千葉さんは前の「うる星やつら」でメガネという主要キャラを演じて強く印象を残しただけにそちらもという声もあがりそう。

 とはいえ原作準拠でいくならメガネはメインたりえず白井コースケだけがあたるの男友達として残るとなると浮いてしまう千葉さんを錯乱坊という声もまんざらない訳ではなさそう。一方ではっちゃけた声となると「夏目友人帳」でニャンコ先生を演じている井上和彦さんも捨てがたい。あたるの神谷浩史さんと夏目&ニャンコ先生のコンビを復活なんてことになったら関心を持つ人も多そうだけれど、2人はまた「夏目友人帳」を続けてほしいからイメージが流れるキャスティングは遠慮してここは千葉さんでということで。サクラは血祭血比呂がそのまんまだったのでぱくろみさんしかいないだろうなあ。さてもどうなる。校長は西村知道さんで是非。

 池袋に行く用事があったので東池袋大勝軒でつけそばを1杯。午後の2時を過ぎると行列も途絶えてすぐに席について注文を受けてもらえる状態になっているのはありがたい。平日に出歩ける無職の特権とも言えるけれど。本店本家のつけそばは実は初めて。散々っぱら南池袋の店には出入りてそっちでつけそばは食べていても東池袋は混んでいることもあって出入りしていなかった。味はなるほど東池袋よりも甘みがない感じですっきり系。そばはちょっと茹で過ぎだったかもしれない。かみ応えという意味では青梅街道の方があったかな。ともあれ池袋の3店はのぞいたので次はどこをのぞこうか。

 東池袋に行った理由とも言える、サンシャインシティで始まったアニメ原画展「黒子のバスケ ANIMATION GALLERY 〜10年のキセキ〜」を見る。100人中で男子が2人くらいという構成比が作品の受けている範囲を彷彿とさせるけれど、原作自体はバスケットボールに熱をいれる高校生たちのストーリー。本当だたら「スラムダンク」的に男たちのファンがついても不思議じゃない内容の濃さも持っているけれど、現代という時代は男子が出てくると女子のファンが喜び讃える傾向がまず前に出て、男性のスポーツアニメファンを寄せ付けない雰囲気があるのかもしれない。「ハイキュー!!」もそうだしなあ。「テニスの王子様」はミュージカルという媒体を経て女性ファンが増えたことが分かるからちょっと別か。

 あて原画展あけれどもアニメの原画がここまで並べられる展覧会は珍しいかもと思えるくらいの物量で、登場人物たちのいい顔やいい仕草を選び取って並べている。シーンによっては原画を番号順に並べ動きが想像できるようにしてあるし、それらを繋いだ映像も流してパラパラ漫画的に動きを感じることもできる。アニメーター志望者が見れば動かし方や見せ方が感じ取れるかもしれない。でもその場面をアニメでどうなっているか確認したくても何話のどのカットなのかが分からないのだった。もちろん原画を誰が描いたかも。そこが惜しい惜しい押井守。


【4月7日】 テレビアニメの「おばけのQ太郎」とそして「新・おばけのQ太郎」を見た方が藤子不二雄との出会いとして先かもしれないけれど、漫画をがっつりと読んだのはたぶん「週刊少年チャンピオン」に連載の「魔太郎がくる!!」だったという記憶がある。従兄弟が毎週買って読んでいたのをその家に行ったときに読んでいたからで、手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」とか吾妻ひでおさん「ふたりと五人」なんかも合わせて読んで漫画の面白さにずぶずぶと引き釣り混まれていったその中に、藤子不二雄作品があった。

 そう、当時は共通の「藤子不二雄」だったけれども後にコンビ解消となって「魔太郎がくる!!」や「ブラック商会変奇郎」なんかが藤子不二雄Aさんの手によるものだと明らかにされてなるほど「おばQ」だとか「ドラえもん」といったタッチとは違った荒々しさを持った作品群だったことに納得した。ただ「忍者ハットリくん」や「怪物くん」といった子供向けの作品も藤子不二雄Aさんのものだというあたりに、子供が熱中した藤子不二雄は決して藤子・F・不二雄さんばかりではなく藤子不二雄Aさんでもあったことが分かって嬉しかった。「ドラえもん」のヒットでそういうのは全部藤子・F・不二雄さんがになっていたかのように思われがちなだけに。

 「プロゴルファー猿」なんかもあって少年漫画でも活躍できる力を見せつつ「笑ウせえるすまん」のような「魔太郎がくる!!」を彷彿とさせるダークな世界が夜のワイドショーでアニメ化されて、大人からの支持もしっかりと得ていった1980年代末から1990年代は同時に藤子・F・不二雄さんも「ドラえもん」の映画が大人気となって決してロートルなんかじゃないところを示してくれた。そうした中で藤子・F・不二雄さんが泣くなってどれだけの落胆を覚えたことだろう。

 幸いにして「ドラえもん」はその後も世界を席巻し藤子・F・不二雄ミュージアムも出来て作品は今に伝えられている。一方で藤子不二雄Aさんも活動は続けていたけれど、最近はあまり消息を聞かなくなった中での死去。これをきかっけに改めて作品が振りかえられるのは良いけれど、残した原稿だとかがどうなってしまうのかが少し心配でならない。まさか藤子・F・不二雄ミュージアムでひきとるという訳にもいかないだろうしなあ。それともここでまとめてひきとって、再びの「藤子不二雄ミュージアム」となってくれるのか。館名はともかく精神としてそんな殿堂ができれば往時からのファンとしてちょっと嬉しい。改めてご冥福をお祈りします。

 莫迦でなければ阿呆だし、阿呆でもなければ戯けだろう。誰って朝日新聞記者の峯村健司氏のことで、安倍元総理から頼まれて週刊ダイヤモンドが安倍元総理に対して行ったインタビューのゲラを見せて確認をさせろ、自分は安倍元総理の顧問で全権を預けられていて自分がOKを出さなければ掲載は認められないと言ったとか仄めかしたとかで朝日新聞社から停職1カ月の懲戒処分を受けた。っていうか当人は20日で辞める気になっているから1カ月の停職なんて特に大きな意味もなく、懲戒免職でもないから退職金も出るはずで金銭的には痛くもかゆくもないだろう。

 ただ、そうなったいきさつの部分で記者として、ジャーナリストとして甚だしくヤバいところが出てしまって今後の活動には相当な影響を与えそう。だって自分のところで行ったインタビューのゲラを出すことだって原則としては御法度な新聞社の社員記者が、他社の行ったインタビューのゲラを見せろと要求すること自体が筋違いだし記者としての倫理にもとる行為で、それが一介のフリージャーナリストだったらまだしも朝日新聞社という看板を見せると見せないとに関わらず背負っている人間が行ったら、相手だってこれはと驚きプレッシャーとストレスを覚えるだろう。

 そうした行為であり立場に自覚的ならまずやらないことを平気でやった上に、事前に誤報が出るのを防いでやったのだからありがたく思えと開き直っているところが何ともはや。それはあなたが関知するところではなくダイヤモンド社と安倍元総理との間でのやりとりであって、外野が口出しすることではないにも関わらず、当然といった口ぶりで今なお顧みようとしないところにジャーナリストとしての信頼はもはや地に落ちたと言っても過言ではない。とはいえそれは真っ当なジャーナリズムの界隈であってライティな論断しにおいて反朝日で親安倍の看板の論調は大歓迎。ついでに反中のカードも切れるなら重用されるだろう。

 問題はすでに一部のアカデミズムが教員として雇用しているところだけれど、ジャーナリストとしての倫理にいささかの不都合がある人物をいつまでも雇用しておけるのか。そんな人に教わった人がマスコミだとか企業に採用されるとは思えないとなると忌避される可能性もある中で、雇用するアカデミズムの側の判断が求められることになるだろう。まあその点でもライティな方面にやたらと強い大学があったりするからそちらで三顧の礼で教授として迎え入れられることになるんだろうなあ。美味しい右は3日やったら止められないってことかなあ。しかし本当にどこでねじ曲がってしまったんだろう。そこだけが気になる。


【4月6日】 顎木あくみさんが富士見L文庫で出している「わたしの幸せな結婚」がついにテレビアニメ化されるということで、キャラクターのビジュアルとかPVなんかが発表になっていたけれども文庫版の表紙絵とか、スクウェア・エニックスから刊行されているコミックス版に使われているキャラクターのビジュアルとギャップがあってファンの戸惑いもいかばかりか。既存のものは割とヒロインがゴージャスな衣装をまとって美しく描かれているけれど、テレビアニメのそれは下働きの下女のように粗末な着物をまとっている。

 名家の長女として生まれながらも異能の力を受け継がず母親は死んで後妻が入ったことで継母に虐められ父親からも見放されたヒロインの斎森美世は、粗末な着物で下女のような扱いを受けていたから本来ならそれが正しいんだけれど、最初のビジュアルにそれを持って来られると新しいファンは「おしん」のような作品化と思い、既存のファンは美麗なイラストがすでにあるのにこれは違うと迷いそう。嫁いだ先で久堂清霞から姫のような扱いを受けてからはきっと文庫のイラストのようにゴージャスになっていくと思いたい。声は上田麗奈さんに石川界人さんならバッチリだろう。キネマシトラスが作るならクオリティも安心。期待して待とう。

 アガサ・クリスティー賞から直木賞は逃したものの本屋大賞を受賞した逢坂冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」(早川書房)。独ソ戦の時代を舞台に少女のスナイパーが活躍する話らしいけれど、ときわ書房船橋本店でサイン入りを買って部屋のどこかに置いたっきりで見失ってしまって未だ呼んでいないのだった。そうこうしているうちにウクライナ侵略が始まってロシアの軍隊に関するいろいろなことが浮かび上がっている中で、旧ソ連の軍隊の話がどれだけ現代をとらえているかも興味が浮かぶ。それだけに読みたいんだけれど出てこないんだよなあ。どうしたものか。

 早川書房からは「声の優」とそれから「鈴波アミを待っています」という2冊のライト文芸が出ていてそれぞれに声優の卵たちが頑張る姿と、VTuberが消えてしまったのを嘆き惜しんで探し回るファンの姿といったポップカルチャーの最前線が描かれている。声優なんて大勢がなろうとしてもまるでなれないと音響監督の長崎行男さんが書いていたりして、大変なんだけれどそれでも狭き門をくぐってなってやろうとする人たちでごったがえしてる。そうした意欲を組んであげたいけれど世間は声の質よりもはや知名度を優先するサイクルに入っていて新人の出る幕がなかったりするんだりょなあ。声でアニメを観る習慣がない自分には理解できないけれど、当たるための保険を少しでもうっておきたい製作サイドにとっては重要なんだろう。

 「鈴波を待っています」は登場から1年待たずして評判になったVTuberが1周年記念生配信をするといって出てこなかったという事件から、その後の展開を追う中でVTbuerがどうやって世間に認知されていくかが紹介され、そしてVTuberが本当にこれから大勢になっていくのかに対して懐疑を挟む叫びめいたものも綴られていて最先端だからこその揺れる状況って奴を強く感じさせられる。推しのVTuberなんておらずホロライブだとかにじさんじといった集団で推してくる状況にも辟易としている身からすれば将来なんてとんと不明。でもなりたい誰かになれる技術には魅力があるだけにアプリ感覚で扱えるようになればきっと誰もがアバターに身を包むことになるんだろう。その時にはVTuberなんて言葉すらなくなる。どうなるか。

 圧倒的に巧いイニエスタ選手に周囲がどうにか合わせ中盤を形作っても、トップが動き出してパスを受けてゴールに突き刺すなんて佐藤寿人選手だとかインザーギ選手みたいなことができない以上はヴィッセル神戸に勝利の扉は開かないんじゃなかろうか。大迫選手が最前線で体を張って受けて流してそれを誰かがたたき込めればまだ良いけれど、左右に揺れ動いているだけでまるで機能していないからなあ。たぶんサイドと連係しての崩しからシュートというパターンならマッチするんだろう。そういうシステムとイニエスタ選手を中心にしたパスからの突破といったシステムがガチ合っている不思議なチーム。どちらかに合わせないとこれは大変だなあ。そんなFC東京対ヴィッセル神戸を観戦。世界の至宝・イニエスタ選手を見られてとりあえず良かったけど神戸は未だ勝ち星なし。新監督が来ても同じようだと三木谷オーナーが我慢できずにぶち壊してくるからなあ。どうなるものやら。


【4月5日】 演習中の米兵にカメラマンが銃口を向けられたとしつこく書いている琉球新報が「スライドショー」と銘打ってその過程を連続写真で出してきた。映像で出せないのはそのシーンだけカメラを切り替えて写真にしたからか、それともやっぱり映像があるけど分かりやすいように1秒スライスして切出したのか、そこは分からないけれどもいずれにしてもそうやって掲載された連続写真で1番正面方向を向いたのが、前にアップになっていたライトが正面を向いて銃口はそれていたアレだった。

 つまりはやっぱり記者の方なんて向いてないんじゃないかと突っ込んだところで、記者の方ではなく民間地方向を向いたと言い換えて言い募るので如何ともしがたい。もちろん沖縄における基地の問題は議論されるべきで米軍の存在を疎ましく思う人もいるだろうことは承知してる。けれどもそうした反基地運動のために記事を盛り盛りしても良いかというとしれはやっぱり拙いのだ。それをやってしまっては真面目な報道、必要とされる報道が世の中に受け入れてもらえなくなるのだ。一時の衝動を狙って長期の信用を切り売りしした果てに何が来るかは自称全国紙が証明しているのに、どうして他もそうなってしまうかなあ。やれやれ。

 ジェノサイドを避けるなら逃げろと元首長で元政党代表者の弁護士がいて、でも全員が逃げて国が空っぽになるまで逃げる先なんてないと返せば元首長で元政党代表者の弁護士はきっとすぐさま降伏しろと言って、でも降伏したらやっぱりジェノサイドが起こるのではと返せばその元首長で元政党代表者の弁護士は何と言うんだろう。持論をまくしたてるだけで降伏して国民を守るのが為政者の役割だと言った手前、その言葉を永遠に曲げることはなんだろうなあ。謝れない症候群の代表者みたいな感じだから。けれども現実にウクライナではキーウ近郊の街で400人以上が虐殺され、その様子を衛星画像がしっかりとらえてウクライナ軍が入ってから作ったフェイクではないことが分かっている。

 そんな蛮行を振るう相手から逃げても逃げられず降伏すれば蹂躙される事態に有効な手立て、つまりは蛮行を振るう側を止めさせる方策に頭をめぐらせることはあるんだろうか。もちろん相手が第二次世界大戦後のアメリカ軍のようだったら降伏もあり得た選択だし、ロシアも一応は文明国だから非道なことはしないといった想像の範囲で降伏を進めた可能性もあるけれど、現実にシリアだったりチェチェンで繰り広げたのと同じ事を、西欧が見守る中でも平気でやってのけるお国柄だったのはちょっとした誤算。それが分かった今はやっぱり持論は引っ込めるべきなんじゃないかなあ。どうなるものか。

 家にいると電気毛布にくるまれて夢見心地となるので家を出て、ショッピングモールへと出向いていろいろと読書した後、映画館に入って「やがて海へと届く」を見る。彩瀬まるさんによる小説が原作で岸井ゆきのさんと浜辺美波さんが出演している映画を「わたしは光をにぎっている」の中川龍太郎監督が脚本とともに監督した映画。アニメーションスタジオのWIT STUDIOが製作幹事をしているとう点も「わたしは光をにぎっている」と一緒だけれど今回は、WITの「とつくにの少女」で短編と長編のアニメーションを手がけた久保雄太郎さんと米谷聡美さんが組んだ短いアニメーションを冒頭に入れ、そしてクライマックスにも入れてある種の幻想と現実との間で見る人を行き来させる。

 ホテルのバーで給仕をしている湖谷という女性のところを遠野という男性が訪ねて来て、すみれという女性の荷物を片付ける算段を付け始める。遠野の家にはすみれの荷物がいっぱいあって同棲していたような印象がまず浮かぶ。けれどもそんなすみれの荷物が湖谷のところにもあるという。いったいすみれとは何者なんだ、多分死んでしまったのだろうけれどもどうやって死んだのだろうといった想像を浮かべさせつつ、そんなすみれと湖谷の出会いがまずは湖谷の視点から振りかえられ、大学の新歓コンパに連れて行かれて気分を悪くしてしまった湖谷をすみれが介護したあたりから、2人の関係が始まっていく。

 訳あってどこかからか湖谷の家に転がり込んできたこともあったすみれは、やがて遠野と仲良くなって湖谷の部屋を出て遠野といっしょに暮らし始める。そんなすみれに少し心を引かれつつ彼女が選んだ道だからを見送る感じは普通に青春のよくある光景だけれど、それは一面に過ぎなかった。どういう理由でどこですみれが死んだのかが明らかにされて以降、すみれの視点から湖谷との接触とそして同居、それから別々の道を歩み始める経緯がつづられ、心理を感じさせては届かない思いの歯がゆさといったものを感じさせる。向かい合っていたのにすれ違っていたそれぞれの思いが、どこかでしっかりと絡み合っていたら。そう思わずにいられない。

 2011年を挟んで描かれるストーリーのある出来事がアニメーションで描かれるのは、それが実写ではあまりにリアリスティック過ぎることもあったかもしれない。アニメーションという幻想を形にする手法が使われることで惨劇の傷ましさよりもぐっと個人に近いところにある離別への悔しさであり悲しさが浮かび上がってくる。同時に幻想の中にとらわれていた湖谷や遠野の時間が現実へと戻って動き始める様子を、クライマックスのアニメーションの後に戻って来る現実の光景が伝えているのかもしれない。誰にでもある捨てられない気持ちを描きそこから抜け出す道を指し示す物語を、あまり起伏を感じさせない表情で淡々と演じる岸井ゆきのと朗らかそうで内心の苦渋をほのかに滲ませる浜辺美波の2人が描き出す。そんな物語と共に葛藤と後悔が渦巻く空間へと身を委ねつつ、エンドロールとともに浮かび上がってそして歩み始めよう、今を、そしてこれからを。


【4月4日】 皿にライスが盛り付けられて出てくる洋食レストランで右手にナイフを持って左手にフォークを持った場合は、ライスをフォークの背に寄せて口に運んで食べるのがマナーというより当然の行為として行われていたけれど、いつの頃にかそれが決して世界的な主流ではなく、場合によってはフォークの腹に載せて食べて良いと分かってからは、腹に乗せて食べるようになりやがて面倒だからとナイフすら使わず右手でフォーク1本だけ持って食べきるようになっていた。

 とはいえ、左手のフォークの背にライスを載せるマナーは否定された訳じゃないと思っていたけれど、そんなマナーの本国ともいえるイギリスで、皿に盛り付けられたライスを食べる時にそうした食べ方をするんですよと映像で伝えたら、アジアの国々から非難囂々を浴びたとか。でも確実に日本ではそういう時代があったにも関わらず、そうしたトピックを伝える日本のネットメディアはまるで嘘マナーであるかのように書いているのが不思議というか、きっと若いライターでそういう時代があったことを知らないんだろう。ちなみに今もそのマナーは有効らしいけれど、フランス流では腹に載せるのが正解だとか。右手に持ち替えるのは行儀が悪いらしい。今度洋食で数十年ぶりに挑戦してみるか。

 一応は文明国のそれも正規の軍隊が、戦争における戦闘行為として軍人を相手に銃火器でもって殺戮を行うことはあったとしても、民間人を相手に虐殺を行うなんてといった思考がやっぱりあったから、ロシアがウクライナに侵攻した際に彼我の戦力差を考えて早くに和平の道へと持っていった方が、人名の損傷も少ないんじゃないかといった想定もあったけれど、ロシア兵のウクライナ国内における虐殺行為の大量発生を見るにつけ、徹底抗戦を呼びかけそれに従い立ち上がったことが結果として正解だったってことになってきた。

 なるほどベトナム戦争でアメリカ軍が民間人を虐殺したこともあったけれど、誰が兵士になるか分からないゲリラ戦の中で恐怖が募って虐殺へと発展したのかもといった心理的な想像はできなくもない。ウクライナの場合はそんなゲリラ戦なんてなく、民間人は民間人として暮らしていて成り行きをただ見ていただろうにも関わらず、その命を奪っていくロシア兵の心理がまるでさっぱり分からない。後でいろいろ言われるだろうことは分かっているはずなのに、歯止めがきかないのかそれとも後で言われることなんて無いと信じているのか。いずれにしてもこうした行為が明るみに出た以上はプーチン大統領の政権を世界はもはや認めない。廃されるまで続く圧力に暴発が起こらないとも限らないだけに、一触即発とも言える状況がここしばらく続くことになるんだろう。凄い時代を生きている。

 イチロー選手のバットといえばミズノの久保田五十一名人が作っていたものが浮かぶ人が多いだろう。そしてイチロー選手のグラブといえば同じミズノの坪田信義名人が作っていたものとなるけれど、2008年に引退する前後から名和民生さんが引き継ぐようになって、最初は受け取ってもらえなかったものが、何十個となく作り直すことによってようやく満足いくものを作れたというからグラブの道もなかなか険しい。そんな道で60年近く活動し、イチロー選手を満足させていた坪田名人が死去。世界の名プレイヤーも使っていたというそのグラブのいったいどこが優れていたのかを、ちょっと知りたくなって来た。凡人が使っても分からない微妙な差異を、プロフェッショナルは気にするもので、それに答えて微調整を繰り返す名人の技術の凄さに改めて敬意を送りたい。


【4月3日】 銃口を向けられていないことが明確に分かるにも関わらず、そんな写真だけを添えてカメラマンが演習中の米兵に銃口を向けられたと言いつのり、10秒くらいそのまま止まっていたと訴えているにも関わらず、そうした静止中の動画も公開しないまま、米軍を批判して散々っぱら突っ込みを受けまくっている琉球新報が、あろうことか同じ主張を社説に掲げてやれやれ感を誘っている。

 同じ会社の別の記者が、動画で撮影中でもタイミングを見て静止画に切り替えることがあると擁護していて、たしかに今のデジタルカメラなら動画撮影を静止画に切り替えることも可能だけれど、その静止画ですら銃口が正面を向いていないことに、明確な説明はされていない。やっぱり銃口のように見えるライトを勘違いして銃口だと思い込んでそこで動画撮影を止めて静止画に切り替えて撮影して、ほら銃口を向けられましたと送ってこれならと載せてからよく見たら、銃口じゃなかったことに気づいたけれど今さら引っ込められないだけなのかもと思えてきた。

 米軍が基地だとか演習場とかではなく港湾の民間地も近い場所で演習することがあまり良いことではないし、沖縄の広大な土地を米軍基地が占めていることが沖縄の社会や経済に様々な影響を与えていることも理解している。そうした状況を打開するべく沖縄のメディアが頑張っていることは評価するけれど、そのためにありもしない状況をでっち上げるかの如くに報じて牽強付会どころか針小棒大ですらなく捏造に近いことをするのは、メディアとしての自殺行為に近い。それをやり果てたことで新聞もテレビも信頼を損なっている状況に燃料を注いでどうなるよ。そこを分かって欲しいんだけれど理解する感じがないのが痛い。いつ引っ込めるかなあ。見守りたい。

 「呪術廻戦」の再度放送がスタート。ヒットしていた「劇場版 呪術廻戦 0」を見て作品への興味を覚えてテレビシリーズも見ようとした人は、虎杖悠仁というらしい主人公がいったいどういう人物で、そしてどうなってしまうのかをまるで知らない状況で見始めている訳で、そうした人に向けてどうやって面白さを伝えたら良いのかを悩みながらコラムを1本書いたら載った。とりたててネタバレだとかいった異論は出ていないようなんで目的は果たせたと思いたいけれど、そんな初見のファンが次に覚える意外過ぎる展開への驚きだとか、いなくなったはずのキャラクターの登場への驚きなんかがある意味羨ましい。それだけにネタバレは避けたいけれど諏訪部順一さんがオーディオコメンタリーでネタバレ全開だったとか。しゃあないな、両面宿儺様だし。

 そんな「呪術廻戦」を手がけているMAPPAがやはり作っている「進撃の巨人 THE FINAL SEASON」がいったん終了。地鳴らしが大陸へと到達してあちらこちらを踏みつぶしている状況で止めてラストバトルを完結編として2023年に放送するらしい。話数として残り9話分だから半年くらいのインターバルで一挙放送したって悪くはないけれど、ほかに「呪術廻戦」の2期だとか「チェンソーマン」だとか「地獄楽」といった作品をわんさか抱えて忙しいMAPPAが、万全の体制でハイクオリティなクライマックスを作るのはそれくらいの時間が必要ってことなんだろう。本編完結から2年後ならそれほど間も開いたとは言えないかな。でもやっぱり一気に見たい。そうはできない今の体制の是非はちょっと考えたいかも。長生きできる歳でもない訳だし。


【4月2日】 テレビシリーズのブルーレイボックスが届いたけれど、見ている余裕も見るための機材もないので部屋の隅に積み上げてTOHOシネマズ新宿へと「オッドタクシー イン・ザ・ウッズ」を観に行く。新たについた副題は何だろう、“薮の中”感じを出そうってことなんだろうか、実際に大勢の登場人物たちに展開について語ってもらう形式で、それぞれの立場から語られた状況からは容易に真実といったものが見えてこないけれど、それでもだんだんとひとつの事件の真相が浮かび上がってくるようになっていて、これが初見という人にも理解しやすい内容だったんじゃなかろうか。

 白川さん=アルパカのカポエイラ趣味はやっぱり欠かせないということでしっかりと入れられていて、奇妙な音楽とともに左右にジンガを見せる白川さんを楽しめた。途中ではしっかりとケイシャーダを決める白川さんも登場。これと「バトゥーキ」の人気で巷にカポエイラファンが増えている……ってことはまだないかなあ、朝の公園でジンガしている人を見たこともないし、というかそもそも朝の公園に行かないし。不思議だったのはそうした調査をしている人たちがいったい何者かといった点。まだ進行形の事件に対して後に逮捕され収監されるキャラクターにも尋ねているということは、進行中のインタビューだった訳でそれには事件の真相を知っていなければ近づけない。

 つまりはこれはゲームであって、「オッドタクシー」というミステリー仕立てのゲームを攻略するために、いろいろなキャラクターの話を聞いて証言を集めて推論を加えて結論を導き出そうとしているプレーを表現したものなのかもしれない。だからラストシーンのその後で、謎めいたシーンが登場してそこで作中で遊ばれていたゲームのサウンドが流れているということなのかもしれない。上映後の舞台挨拶で司会の天津向井さんから質問された木下麦監督も、尋ねられたにも関わらず正解については言葉を濁して答えなかったから。あるいはそういう方向への展開を考えているのかもしれないし、実写映画版なんてものも考えているのかもしれない。いずれにしてもこれで終わりにはなさそうなんで追いかけていこう。映画もあと1回は見たいかな。

 終わってからは新宿を出て阿佐ヶ谷へと向かい、ご当地パスタを出し付けていたパスタ屋さんで今月のご当地パスタ「ペペたま」を戴く。福岡県で食べられているものだそうでペペロンチーノというか茹でたものにオリーブオイルと唐辛子を絡めただけのシンプルなパスタにさっと炒めてまだトロトロな卵をぶっかけるといったもの。肉類も野菜類もないけれど食べて美味しいと見た目から大いに分かるところが人気の秘密なのかもしれない。ご当地にはもうちょっと、おしゃれオムライス的に工夫された卵のぶっかけかたもあるみたいだけれど、ここん家のは家でも簡単に試せそう。というか過去にやっていたかもしれないなあ、もうちょっと卵を強く炒めてチャーハンに絡む卵のようにしていたかもしれないけれど。

 船橋へととって返す電車の中で、京都アニメーションから出ているライトノベルレーベ  アニメ制作会社の京都アニメーションが、小説を募って文庫として刊行して来た西川昌志さんによる「海姫マレ」を読む。西川さんは「小林さんちのメイドラゴン」なんかに脚本としてがっつり関わっている人。例の事件でもいろいろと心痛もあっただろうけれど、しっかりを書き上げ次の京都アニメーションの糧になり得る世界というものを紡ぎ出してくれた。「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の高瀬亜貴子さんがイラストを描いていてタッグもばっちり。あとは映像化に動くかどうか、かな。

 内容はといえば、人魚や海の生き物たちが暮らす海中の国・ニライカナイに姫として生まれたマレが、海を汚す人間たちを懲らしめたいと思い、かつて人間に奪われたという「神の矢」を取り戻しに魔法で人間のような脚を作り、地上へと向かうというもの。たどり着いたのはニライカナイの伝承が残る三高島で、そこで大里天海という少年と知り合い、天海が暮らす親戚の家に居候しながら「神の矢」を探すうちに、人間の中にも自然を愛する人たちがいることをマレは知る。過疎化する小島につきまとう、成り行きにまかせていれば朽ちてるけれど、さりとて開発して伝承を失うのも困ると言った問題が描かれたり、海洋汚染の問題が描かれてたりしながら、「人魚姫」のような悲恋も味わえるファンタジーだ。


【4月1日】 不条理な夢が次から次へと現れる。何かを受賞した美少女フィギュアの写真を撮っている。大勢が集まってきて何をとっているのかを騒ぎ出す。受け答えをしてから撮影に戻ろうとして引き出しにしまってあったフィギュアを渡してもらったはずなのに見つからない。カバンをひっくり返しても本の山を掘っても出てこない。気がつくと誰もいなくなって、どうやら別室で行われている何かの授業に行ったらしい。自分も行こうと思ったが何の授業かわからないので周辺の机を回って時間割を探したけれど見つからない。

 短編アニメーションの上映会でCというプログラムを見たらしい。見ている間に作品リストにメモ書きをしていたはずなのに、上映後に外で感想を聞かれて探したらメモが出てこない。上映リストからならわかると思って探したけれど上映リストも見つからず、聞いてきた人が責任者を探して怒り始める。壁の上にある校舎の窓から早稲田大学ラグビー部だと言って誰かがラグビーボールを蹴り出してきたので、ア式蹴球部だと言って蹴り返そうとしてみたラグビーボールは四角くてサッカーボールのような模様になっていた。蹴り上げれば高い場所の窓に飛び込むだろうと思ったものの、臆してふつうにまっすぐ蹴ってしまった。忘れることが多くなっているのと関係があるのかなあ。忘却への不安が表れているような感じ。でも面白い。夢が1番のエンターテインメントかもしれない。

 いちいちチェックはしてなかったけれど、エイプリルフールでいろいろなネタがあふれかえったみたい。あの阪神タイガースがゴジラと戦う映画が公開されるというネタは松井秀喜選手1人にいいようにやられるタイガースが想像できて面白かったけれど、本当に映画はできなくてもグッズがいっぱい登場して嘘から誠が出たのも嬉しいところか。映画のポスターのようなグラフィックを使ったTシャツはなかなかの格好良さ。選手対ゴジラも悪くないけど問題は登場している選手の誰1人として知らないことなんだよなあ。掛布岡田バース村山田淵江夏江本等々がいた時代は過去になりけり。

 巨人戦と中日戦くらいしか放送されていなかった1970年代から1980年代にプロ野球を見ていてどうしてタイガースだとかあとはパリーグの選手まで名前を知っていたかといえば、試合そのものではなく夜のプロ野球ニュースなんかを見て結構な分量で取り上げられる試合の経過から選手の名前を覚えていったってことがあったかもしれない。今はネットで試合そのものが配信される一方で、テレビでは放送されないから試合に触れる機会もなければ選手の活躍を知る機会も少ない。巨人ですら今のスタメンを言えないほど。そんな時代が「巨人大鵬卵焼き」の頃に来るとは思わなかったなあ。

 沖縄で米軍が訓練をしているのを遠くから撮影していたカメラマンが銃を向けられたって琉球新報が大騒ぎ。でも動画では銃をむけるシーンは映っておらず1枚の画像だけ銃が向けられているように見えるからと記事に添えられているけれど、その銃口は正面を向いて織らずそしてとてつもない望遠でもって数百メートル離れた場所から撮っているため、その傾きではまったく別の方向に向けられていると言えそう。

 だいたいが右手ではなく左手で銃把を握り右手を銃身に添えているのは右手で持って構えていたのを解いて一休みした一瞬だともとれる。そこを切り抜いて銃口が自分の方を向いているように極力見えると言って騒いだところで、今時の読者はそうした牽強付会を見抜くリテラシーが備わっている上に、メディアが米軍だとか原発だとかいったものに対して事実を曲げてまで悪評を振りまこうとしていることもバレているから、より注意深く無極めようとする。そこに餌を撒けば当然食い散らかされると分かっているはずなのに、やらかしてしまうところに新聞の衰退していく原因が見える気がする。撮ったカメラマンも弁解しないでツイッターに鈎をかけて引きこもり中。どうなるか。

 9000万円を折半だから4500万円を出資して1年前に始めた生活者向けの情報を提供するアプリサービスが1年を持たずして実証実験を終えたとして終了に。実験だから1年で終わる予定だったといった理屈も当てはまらない訳ではないけれど、そこで得た個人情報をサービスに転用できない以上は残るのは個人向けのパーソナライズして生活関連情報を配信するのはビジネスとして成り立たないといった事実だけだとしたら、軽くない出費だったと言えなくもない。

 せめてパーソナライズのノウハウだけでも得て他のジャンルに適応できれば良いんだけれど、ジャンルが違えば求める情報の種類も違ってくるからそこは割り引いて考える必要がありそう。そんな感じで始めては潰す繰り返しばかり続いているとある新聞社の新規ビジネス。次は鉄道関係の人材不足を解消するサービスだそうで事業で鉄道展をやっている絡みもあるんだろうけれど、どれだけの情報を集めてどれだけのユーザーに適切に届けられる買って所でボトルネックが出ないことを願うしかないかなあ。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


縮刷版一覧へ行く
リウイチのホームページへ戻る
riuichi@can.bekkoame.ne.jpが不安定でメールがリジェクトされる様ならwf9r-tngc@asahi-net.or.jpまたはkha02604@nifty.comまで。