Last Updated 2017/1/16
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1700冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
こうの史代の漫画を片渕須直が監督した長編アニメーション映画『この世界の片隅に』が2016年11月12日に全国公開。観れば覚える圧倒的な感動を味わいに行けよ劇場へ。この辺りに個人的な感想が。
【1月16日】 第2話が放送されてカルロ・ゼンさんの小説を原作にしたテレビアニメーション「幼女戦記」は、銀翼と呼ばれラインの悪魔との呼ばれる幼女の兵士、ターニャ・デグレチャフの中身が日本の会社の人事部でリストラに血道を上げた会社員だとうことが判明。そして神を信じないと嘆かれた挙げ句に神によって転生させらえた世界で赤ん坊から始めたものの意識が残っていればそりゃあ子供では優秀を極めた上に、魔法の力もあったみたいで幼くして士官学校に入り優秀な成績で卒業をして最前線へ。そこで敵の侵攻を単身で止めよとして満身創痍になりながらも生還して、軍功を上げて勲章をもらった挙げ句に宣伝映像に出てドレス姿で「たーにゃ・でぐれちゃふです」と微笑んでみせる。

 さすがは立場に応じて自分を殺せるサラリーマンといったところ。でもそんな優秀さが帰って徒となって最前線をたらい回しにされるとは、この時は思いもよらなかったのだという。原作の方ではさっさと後方に引っ込んで机上でもって戦略を立て情報を分析する仕事に就きたいのに、優秀すぎる頭脳とそして強大な魔力がそれを許さない。北へ西へ南へ東へ。そんな中でも東の連邦を相手にした戦いで、部隊を率いて首都へと乗り込み軍事施設を破壊し広場に帝国の旗を立てたところを敵の指導者に観られたのが拙かった。もう幼女大好きなその指導者が、蹂躙したいという欲望を燃やして進める戦いに終わりなんてないよなあ。やっぱりどちらかが降伏するまで続くのかなあ。そこが見えないうちはやっぱり読み続けよう単行本。

 おお。発表になった第40回日本アカデミー賞で片渕須直監督の「この世界の片隅に」が優秀アニメーション作品賞を受賞。優秀音楽賞でも音楽を担当したコトリンゴさんが「この世界の片隅に」の仕事で輝いた。抜群の脚本とか監督としての仕事とかも認めて欲しかった気がするけれど、そこは入れ始めるときりがないから、キネマ旬報ベスト・テンでのアニメーション監督して初の監督賞受賞をもって讃えておこう。そんな優秀監督賞にアニメーションでは「君の名は。」の新海誠監督が這い入っていて、ほかに優秀脚本賞も受賞していた。もちろん作品として優秀アニメーション作品賞を受賞し、優秀音楽賞にRADWIMPSが輝いていた。

 2016年で最もヒットした映画、ってことでここから最優秀アニメーション作品賞を狙うんだろう。と言うか何で最優秀作品賞に入らないんだろう。そういう風になっていたっけ。キネマ旬報が宮崎駿監督にも与えなかったアニメーション監督賞を片渕須直監督に与えて実写もアニメーションの同じ映画といった認識を改めて世間に与えたのに、日本アカデミー賞は2007年にアニメーション作品賞の部門を作って分離。そこで宮崎駿監督や細田守監督が受賞を果たしても、作品賞の下に置かれる扱いになってしまったのはやっぱりちょっと解せないなあ。そこをどうするか、ってこともこうやって、年間1位をアニメーション映画がとることでまた考え直されていくのかな。あと優秀アニメーション作品賞では「映画 聲の形」が入っていることが嬉しかった。ちゃんと観てくれている人、いるんだねえ。

 一方で特撮でも優秀作品賞に入った「シン・ゴジラ」は、ほかに優秀監督賞で樋口真嗣さんと庵野秀明さんが連名で入ってあの2人があってこその映画ってことを感じさせた。どっちかって訳にはいかないもんねえ。そして優秀主演男優賞は長谷川博己さん、優秀助演女優賞は石原さとみさんと市川実日子さんといった面々が取り、役者としての演技っぷりでも世間に強い印象を残したことを裏付けた。優秀音楽賞は鷺巣詩郎さん、優秀撮影賞は山田康介さん、優秀照明賞に川邊隆之さん、優秀美術賞は林田裕至さんと佐久嶋依里さん、優秀録音賞は中村淳さん山田陽さん、優秀編集賞は庵野秀明さん佐藤敦紀さんと他にも多数の部門で「シン・ゴジラ」は受賞。ここから最優秀が決まる訳で、どれかは取りそうだよなあ、出来れば作品賞、行って欲しいけれど。

 そんな「シン・ゴジラ」こそランキングからはすでに落ちているけれど、「君の名は。」は週末の観客動員数が前週の3位からさらに上がって2位になっているところが凄いというか、いったい公開されてからどれだけ経つんだ。まるまる4カ月以上は経っているにもかかわらず、公開されて2週目以降の映画がグッとランクを下げるのに対して未だ残っているだけでなく、ランキングを上げてくるところに今までの映画興行にはない力って奴を感じる。IMAXのような特別な体験を与えるイベントが行われていることもあるのかなあ。そうやって映画館で映画を観てもらえる工夫を重ねることで、習慣づけられ次の映画も見に行こうってなる。今を稼ぐだけでなく、育てることにも繋がっている。そんな感じ。

 もっと凄いかもしれないのは、上映館数ではぐっと下がる「この世界の片隅に」が前週の10位から8位に上がったこと。1月7日で上映館数がぐわっと増えてイオンシネマ系で観客席も結構な数のところが割り当てられていることもありそうだけれど、それでちゃんと客席を埋めているところがやっぱり凄い。こちらは公開からだいたい2カ月。普通だったら単館系のロードショーってことでもうランキングから消えて映画館でも上映が終わり始めていて不思議はないのに、逆に増やしていてランキングも上げている。「君の名は。」以上に映画興行の世界ではあり得ない現象が起こっているってことで、口コミで支えた観客から先、情報が届いたところで本当に観たい人がようやく気づいて観に行っているってことなんだろう。最初に宣伝できなくても方法はある。ただそれは一朝一夕ではない。その案配を噛みしめつつ、次への糧として欲しい。アニメーション映画が爆死するのは嫌だ。

 「週刊プレイボーイ」を手に取ったら「アニメツーリズム協会理事長・富野由悠季が吼える!」って見出しであの富野由悠季監督がインタビューに答えていた。いわゆる“聖地巡礼”の場所を投票なんかで決めて盛り上がろうぜってやってるアニメツーリズム協会のトップに、そうした活動をはあんまり縁がなさそうな富野監督が関わったことに誰もが不思議を抱いていたけれど、インタビューを読むと印象として聖地巡礼に割とノリノリ。それは引きこもりがちなアニメーションのファンが外に出る良いきっかけになるっていった意味で、自分も若い頃は杉並区と練馬区しか行かなかったけど、もっと早くあちらこちらに行けば良かったと話してた。あとは旅行業界と縁遠いことも、彼らにとっての常識に縛られない提案ができるといった理屈。そんな立場からいったいどんあ提案が出てくるか。ちょっと楽しみになって来た。

 「本能寺おっぱい」じゃなかった「おっぱいホテル」じゃあ「おっぱいバレー」といっしょだそうそう「本能寺ホテル」を観たけどおっぱいが京都の街を歩き回っては豊かな実りを感じさせつつそんなおっぱいに知恵が回って頭が働かないのか頓珍漢でとっぴんぱらりな空っぽ娘のお前一体何がしたいんだ言動に付き合わされてSAN値が下がって体力をごっそり削られた。いやストーリーそのものに破綻はなく、観て納得の収まりは見せるけれども、逆に言うなら収まりすぎで波乱がなく破天荒にも向かわずそれを2時間とかで見せられても間が伸びる。そんな間を自分は何をやりたいのかわからないというより分かろうとする思考能力そのものがなさそうなヒロインの言動に付き合わされてストレスが溜まって爆発しそうになる。

 あんな自分に何もなく相手に合わせているだけのキャラクターによくもまあ付き合っていたもんだと旦那候補を褒めたくなるけどそうした苛立ちも葛藤もなく、それが相手の全てと認めそれなら俺は全部と思う旦那候補もやっぱり頭が緩いというか。お互いにそんなやついねえ的感想が沸き立ってみに切る女性も男性も困惑の渦に叩き込むであろう。現代人の若者がこぞってテンプレート以下の空っぽばかりなのに対し、大人は自分のやりたいことのために踏み切るし、戦国時代の武将たちもやりたいことのために決断をし命すらかける、そんな男たちに感化され目覚めたヒロインがさぞや大きなことをやるかと思ったら。

 まあそれでも小さくてもやりたいことを見つけられたのなら良いのかなあ。観客がエンターテイメントの結末として納得するかはわからないけれど。タイムスリップ物でタイムパラドックスの懸念もまぶす展開なら幾つかひねりようもあっただろうし、エピローグに意外を持ち込んでもよかった気がするけどそれも平凡、というか意味不明。あの場所から織田信長がどうにかなって現代に来て、って続編なんかもちょっと思い浮かんだけれど、それをやるまでのヒットになるかどうなのか。だからこそもうちょっと観る人をたのしませる映画にしてよって思ったけれど、それはおっぱい成分が存分に担っているからまあ良いのか。とかおっぱい。じゃなかった、とか思った。総じて面白くはあるので気楽に楽しむ分には良いかも。


【1月15日】 気がつくとジェフユナイテッド市原・千葉レディースからフォワードの菅沢優衣香選手が浦和レッドダイヤモンズレディースへと移籍していた。ゴールキーパーの山根恵里奈選手と並んでジェフレディースでは日本代表のなでしこジャパンに選ばれる常連で、そしてチームでも得点源ではあったけれども2016年は少し得点が下がっていたのもあったし、なでしこジャパンでも起用されながらチームにフィットしない苦労があったんでここで心機一転、新天地でプレーを整えゴールゲッターとしての才能を再び世に出していってくれるものと期待しよう。残るジェフレディースは誰がエースになるんだろう。まだ体制が発表されてないけれど、下からの成長を促すものと見守ろう。

 あの石田彰さんが声をあてているキャラクターがいつまでも正義の味方であるはずがないといった意見はすでに第1章の頃から挙がっていて、いつ堕ちるかと誰もが期待に胸をドキドキさせて見ていたけれどもそれがようやく叶った「チェインクロニクル ヘクセイタスの閃」第2章。黒の王の討伐にさまざまな種族から成る義勇軍を率いて乗り込んだものの敗れて妖精のピリカを失い、世界を記した「チェインクロニクル」も半分を黒の王に奪われ世界にはだんだんと闇は広がる。

 再び討伐のための義勇軍を組織して黒の王を倒さないと世界は黒に染まってしまう。だからと立ちあがったユーリだけれども既に1度、敗れた彼に不安を抱き不満を覚えて逆らう者も出てきた。それが鬼の一族で九領の筆頭当主を務めるシュザで、自らも黒に染まりつつある見でピリカ捜索の手がかりを探そうと精霊島へ向かうユーリたち一行の前に立ちはだかって攻撃を仕掛け、フィーナが持っていた「チェインクロニクル」も奪い取る。そんな諍いの最中に現れたのが、黒の王の下で魔神として世界を混沌に塗り替えようとするエイレイヌや、聖王女ユリアナの配下にありながらもその待遇に疑心を抱いた果てに魔神に堕ちたブルクハルトらが現れユーリに迫る。

 お前は負けた。お前では無理だ。もう良いじゃないか。世界は黒に染まるべきだ。そんな囁きに堕ちそうになり、けれども踏みとどまったユーリを悲劇が見舞い、耐えていた心は折れてそして……。黒い石田彰の出来上がり。それは石田彰さんが声をあてていた段階から必然だったのかもしれないけれど、聞いて正義の味方の時は感じられた不穏がまるで感じられず活き活きとして聞こえてくるところに、もはや否めないダークな声質の本領ってものがあるのかもしれない、ってそれは可愛そうだけれどでも役が、そうやって声を染めていったのだった。本人はどっちが好きなのか分からないけれど。

 というかその前段として、自分は仲間を信じるし仲間も自分を信じる、その「絆」があるから自分たちは戦って来られたし、これからも戦っていけるんだってところをアラムっていう、新しく加わってきた少年に聞かせ見せつけ導くユーリなんだけれど、その自分が転んでいくってのは何だろう、やっぱり根は優しくてそれでいて正義感が強くて、けれども圧倒的な勇者でもない自分へのどこか不安なり不信ってものがあったのかもしれないなあ。それを補う仲間のはずが、そんな仲間の上に立場上、いるようになって受けるプレッシャーにやっぱり潰された、と。分相応だったか。良い参謀がいなかったか。ともあれ人は容量を超えた期待は受けない方が良いと。逃げることだって時には必要。あるいは頼ることも。

 物語はフィーネとアラムだけになった面々が精霊島へと渡りそこでユグドって眼鏡っ娘と出会い彼女が持つユグド大陸に関するクロニクルへと潜る展開へと向かうけれど、やっぱり現れた黒ユーリの攻撃も苛烈を極めて危機が迫る。いったいどうなる? そしてアラムの運命は。ここで実質的に物語の主人公となったアラムが、果たしてどんな力を持ち、そしてどれだけの大勢を引きつけられるかに興味が移っていった感じ。来たる最終の第3章では、ユーリをどう処遇し、そして砂漠にいるドラゴンをどう遇し、さらにはアラムの主人公らしさがどう発揮されて世界は変わるか、黒の王はどうなるかってあたりが描かれそう。

 魔神に堕ちたものは人間へと戻れるのか。エイレイヌとか今さらだろうしブルクハルトも悔いながら倒れていくのが性分に合ってそうだけれど、ユーリは一応主役だし、戻るのかそれとも。というかこれだけ絶体絶命の状況、そして性善説よりも性悪説が強くて人は悪に引かれ強さに憧れ欲望にもろい存在であることを裏返せるだけの希望なり、正義の力なりが示されるのか。それはいったい何なのか。ってあたりを探りながら来たる第3章の公開を待とう。

 第1巻でダスト層雲を晴らして樫宮揺月との関係も良好なものとなった魔法使いのカリム・カンデラ。ずっと高い空を飛べず人類の生存に必要な精霊を呼び込めないで見かけ倒しの魔法使いと思われていたけれど、飛べるようになった今は女の子たちからもキャーキャー言われる存在になっていて、それに学校では先輩のレイシェ・クリエという魔法使いの少女が気が気でない。実はカリム・カンデラが好き。でも言えずにいる乙女なレイシェにはさらに難題があって、カリムはどうやら樫宮揺月がずっと気になっているらしいということで、一方の揺月はといえばまだ恋心には目覚めていない様子。

 長く反目していたカリムとの関係が戻ったものの、その精霊を大量消費してしまう体質から街には戻れず精霊の森に暮らしながら、尋ねてくるカリムと会っている。そんなカリムと揺月が、来たるお祭りでグラオベーゼンという空を飛んで精霊を呼ぶ儀式を執り行うことになった。青空を取り戻した英雄たちの共演を世間は待ちかねているけれど、ひとりレイシェ先輩はそんな2人の仲が接近ししてしまうか気が気でない。一方で精霊が迷ったままで人に取りつき分身を作って意識を乗っ取る伝承も心配され中、祭りは迫りそしてレイシェはそれとは相手が意識しないまま、カリムと2人で街に買い物に行くことになった。

 浮かれる2人。そんな2人をなぜか夢で目撃してしまった揺月。どうして。どうや精霊につかれていたらしい。何が起こる? そこはどうにか乗り越えたレイシェは、揺月と2人で空を飛んで意識を確かめ合う。カリムへの。ってな感じに三角関係が出来上がるまでの物語を描いたストーリーは、朴念仁で鈍感なカリムに苛立つ一方で、純情な少女たちの心を思いキュンキュンとさせられる。言っちゃえよ。でも言えない乙女心。良いねえ。とりあえず仲良くなって同じ目的も持ったレイシェと揺月の間で、カリムはどんな変化を見せるのか。そんな当たりが続けば描かれるのかな。魔法使いがいて精霊が人類に欠かせない世界ならではのストーリーと、そこに生きる少年少女のラブストーリー。楽しんで行きたいので是非に続きを。

 東京国立近代美術館フィルムセンターの押井守監督特集上映でGLAYのプロモーション映像として作られた「Je t’aime」を初めて見た。2010年ってことは 『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』 より後だから目下のところ、押井守が監督したアニメーションとしては最新になるのか違うのか。CEATECで披露された『サイボーグ009』があったけれどあれはアニメーションって印象じゃなかったから、枝として描かれキャラクターが登場してアクションが連ねられたアニメーションとしてはやっぱり相当に最新ってことになるのかもしれない。

 まあ対して変わらないけど「スカイ・クロラ The Sky Crawlers」あたりと。犬が出てくる。バセットハウンドのカブリエル。それが浅草あたりの橋の下に住んでいて、時々街に出ては浅草の仲見世あたりをうろついている。交差点には機銃がおかれているけれど、誰かが護っている感じは亡い。というより人がまるでいない浅草でただガブリエルだけが動き回ってはある時現れた飛ぶ何者かと対峙する。その何者かのためにガブリエルはテニスボールを拾って届け、似たような丸いものを集めて届けてそして……。

 まるで説明されていない世界観だけれどSF的に言うなら何者かの侵略を受け、あるいは防衛のために人がいなくなった街でただ犬だけが取り残され、そこに現れた敵なり何なりとのしばしの交流を図りつつ、離別を得るといったところ。ストーリーがある訳ではなく、何かの断片として提示されたその静かな廃墟といった感じ、生前とした世紀末といった雰囲気の世界観を味わいつつ、起こる逢瀬とそしてアクションを堪能できるといったところ。そんな映像がGLAYの歌といったいどういう関係があるのかはまるで分からないけれど。

 飛ぶ少女といったら宮崎駿監督が手がけたCHAGE&ASKAの「ON YOURE MARK」があるけれどもあれはしっかりとストーリーがあって短い中に起承転結めいたものもあって音楽とともに楽しむことが出来た。それとはまるで反対を行く風景と展開がある作品。でも僕たちはそこから果てしない物語を、深い奥底を想像することができるのだ。なぜってそれは僕たちが押井守の子供だから。とか思ったり。ともあれ高品質の映像、リアルに近く描かれた浅草や花屋敷といった街並み、そして戦闘する少女に破壊されるそのエフェクトだけで存分にお腹を満たせる映像。GLAYの初回限定版DVD以外には収録されていないのかなあ。まあ手に入れたところで小さい家のテレビで見る程度。こうやって大きなスクリーンで隅々まで味わえる機会はやっぱり貴重だということで。行って良かった。


【1月14日】 あれはもう遠い昔のことになるんだろう、岩田聡さんが任天堂の社長になってインタビューをした頃だか、社長として発表会に登壇した時だかに「Wii」という新型のゲーム機を挙げて、それまでのゲーム機はゲーマーのものになってしまって、他の家族にはまるで関係のないものになってしまって、それが理由でゲーム全体の市場が狭い範囲に止まってしまっていた、「Wii」ではそれを変えて家族のみんなに関係のあるものにしていくんだってことを話してた記憶がある。リビングに置いてあっても遊ぶのは子供かゲームズ機の男たちばかり。それでは売れるはずもなく、そして広がるはずもない。

 だから「Wii」では家族全員がそこに自分を登録できて、そして自分たちが遊べるようなタイトルを作っていくことにした。その代表例とも言えるのが「Wii fit」でコントローラーを振ったりすることによって体力を測定したり運動したりといったことができるようになった。それもゲーム的な感覚で。これなら子供だけじゃなくお父さんもお母さんもおじいちゃんだってお婆ちゃんでも楽しめる。あるいはレシピとか脳トレの延長とか。そうやって家族みんなが関わりのあるものだと意識するようになって、他の家族にも波及して「Wii」は爆発的に売れ、家庭用ゲーム機の市場を広げた。それはもはやゲーム機の市場ですらなかったかもしれない。

 違う分野の違う機器なりの市場をも取り込んだからこそ利益の最大化。それが図られ任天堂はとてつもなく大きな存在へとなっていったけれど、「Wii U」で同じような戦略がちょっとだけ外れてしまって誰にも必要なものとはならず、そうこうしているうちにゲームといったカテゴリー自体が家庭用ゲーム機で家のリビングなりに陣取り遊ぶものから手にしたスマートフォンなんかてさあっと遊んで移動してまた遊ぶようなカジュアルな暇つぶしへと移行していった。こうなると家庭用ゲーム機を昔から単身でいたゲーマーの中からも家庭用ゲーム機を置き去りにする層が出て、そしてゲーム機の市場は縮小へと辿る。日本では。それは世界的に大ヒットをしているプレイステーション4でも同様で、時に先鋭的なゲームは売れても市場全体を盛り上げるほどではない。今やおそらく市場はピーク時の半分。それすらも今後危うい。

 そんな市場に投入された「Nintendo Switch」が任天堂復活ののろしになるといった味方もあれば、失望を誘っているという見方もあって迷う人もいそうだけれど、こと海外においては未だゲーム機でゲームを楽しむ層が多く居るなかで、アクションでありシューティングといった要素を持った任天堂のゲーム群はきっと大いに受けるだろう。そしてプレイステーション4の細密な画像でもって繰り広げるシューティングのファンとはまた違ったゲームはアクションでありボタンを操作して動く画面が自分と直結する快楽であると認識した多くのゲーマーたちに支持されて、それなりのマーケットを築くだろう。それがプレイステーション4を上回るかどうかはソフト次第か。

 外に持ち出し遊べるとか、ハプティクス内蔵のコントローラーが手に感触を伝えるとか、クリエイターにとっては挑戦しがいのあるギミックも搭載されていて、それを使ったゲームが生まれ新しいカテゴリーを拓くかもしれないけれど、今までのぷるぷるするコントローラーがゲームの楽しさに付加価値は与えても、ゲームそのものを劇的に変えた訳ではなかったことを見ると、やっぱり+アルファの要素に止まるのかそれとも。ハプティクス利用で手にしたコントローラーが左右に引っ張られるような感触まで再現できると、もうちょっと違った没入感って奴を醸し出してくれるかもしれない。それをゲームにどう使うか、ってあたりがクリエイターの腕の見せ所か。本当はどういったハプティクスを搭載しているか分からないから、このあたりは想像。震えるだけじゃないと思いたい。

 そうした海外での反応の一方で、日本ではもはや家でゲーム機でもってゲームを遊ぶという習慣がやや廃れ気味になっている。そうした人たちにゲームをまたやってもらうための苦労を考えると、ちょっと先行きをバラ色に見ることは難しい。持ち出して遊べるちったって、2時間とか3時間しか電池が持たなければ持ち出すのにも躊躇する。そんなあたりをクリアできるハードでも登場できれば別だけれど、10時間は軽く動くスマートフォンを、電話もかけられメールも使える機能ともども利用していくんだろうなあ。「Nintendo Switch」にそうしたスマホやタブレットと競争して勝てるだけの性能があるのか。そこがひとつのポイントか。今のままではNintendo64あたりのファンを呼び戻すとか、スーパーファミコンミニを勝った層がまた買うか、そんな感じ。これをもって失望ととらえるか、ガッチリと本流は固めて底堅い展開に回帰したと見るかで評価も分かれるかも。どうなるかなあ、日本のゲーム市場は。そしてゲームプレイヤーのマインドは。

 これはすごい。そして素晴らしい。NHKが初音ミクのライブをについて、普段はんまり気に留めていなかったのに、世界的な作曲家の冨田勲さんのお気に入りだからといった要素が乗ると番組に仕立て上げたりしていたのを見るにつけ、すごくて新しいものでもやっぱりネームバリューに縋ってしまうんだなあ、あるいはそれがないと価値に気づけないんだなあと思っていたりする。その流れでいくとこれなんて気づかない上にこれからも取り上げることはなさそうだけれど、でもやっていることは初音ミクのライブにも増して様々な要素が乗って、それこそ21世紀のライブエンターテインメントを大きく変える可能性すら秘めている。だからそれこそ7時のニュースで取り上げるべきなのに、気づいた感じがしないのがどうにもこうにも寂しくて悔しい。「AR performers」。それは新時代のエンターテインメントコンテンツなのに。

 格闘技のゲームなんかを出しているユークスが、「ラブプラス」なんかを手がけた内田明理さんを招いて始めた新しいぷろじぇくとが「AR performers」。すでにβライブを去年の4月に秋葉原で開いているから知っている人も多いだろうけれど、説明するなら初音ミクのように半透明のスクリーンにCGでもって作られたキャラクターが映し出されて動き踊るといったもの。あたかもそこにいるように見えるけれど、それ自体はCGのキャラクターでしかない。その意味では仕込まれた踊りを歌を“再生”する初音ミクのライブと似ている。でも「AR performers」は違う。その場で受け答えをする。そしてアクションもその場でもってリアルタイムで紡がれる。共に誰かによって。その誰かは分からないし見えない。だから観客は目の前にいるキャラクターたちにそれらを統合して、リアルなパフォーマーとして感じ取る。CGでも、リアル。そこに新しさがある。

 ライブ会場でもってスマートフォンを振ることで、アプリを通して応援の度合いを伝えてそれが集計されてバトルの勝敗を左右したり、自分がどれだけ応援したかをランキングによって表してもらったりといったイベントをライブの間に行える。それは生身のアーティストでだって可能なことだけれど、「AR performers」はそれはCGでもって描き出されたキャラクターでもって行っている。ランキングは生もの。それについて語るのにあらかじめ仕込まれた言葉は使えない。初音ミクが出てきた歌舞伎でもそこは同じで、CGの演技に生身の役者が会わせるようなことをやっていた。冨田勲さんのライブではタイミングを調整するくらいだった。

 けれども「AR performers」たちはちゃんとその場で名前を読み上げる。受け答えもする。素晴らしい。誰かの動きがキャラクターの動きになり、喋りが喋りになる。とてつもなく高度なことをやっているのに、そう感じさせないすごみって奴は現場で見れば了然だけれど、分からないと初音ミクみたいなものと思ってしまうんだろうなあ。あとは内田明理さんが冨田勲さんではないこともあるのか。そういう名前でしか判断出来ないメディアは滅び、面白さを感じ取って騒げるメディアに残って欲しいけれど、オールドな新聞とかテレビはやぱり気づかないか、気づこうとしないんだよなあ。勿体ない。そんな場所ですごいと叫んでも伝わらないこと分かっていても、やっぱり叫び続けるのだった。やれやれ。

 そんな「AR performers」を見たディファ有明のそばにある駅からゆりかもめに乗って豊洲へと向かう途中に見えたのが巨大な豊洲市場。本当だったらそこをトラックが横付けあれ人が走り回って魚に野菜なんかをさばいているはずが、延期となって塩漬けにされたまま無人の状態を続けている。そしてそんな場所から採取された水に有害物質が基準値を大きく上回って含まれていたといった発表があって、これはもうしばらく移転は出来そうもないって状況になって来た。いくら使うのは安全に使えたとしても、そして今の築地に比べてましかもしれないとしても、移転する先の状況そのものが拙いと世間も拙いと思ってしまう。

 そこに地下水なんて使わないし遮断をすれば安全だし、築地の方がもっと悪いんだから移転して慎重に使えば良いだけだといった正論は挟めない。メディアも分かっていながら(あるいは本当に分からず)政治的なバランスの上で小池都知事に味方し移転反対へと傾きこれはダメだと騒ぎそう。当の小池と自治は補償もあるし決着を付けたくても、最初に騒いで自分の権勢を見せようとしたツケが回って身動きとれない。そうして永遠に使われることのなくなった豊洲市場をどうするか。ライブハウスか。漫画図書館か。そんな声も出てきそうだなあ。東京オリンピック中のコミケの会場に? 話は出そうだなあ。


【1月13日】 そうかフリークラスには定年があって、今C級2組で戦っている加藤一二三九段が降級点を3つもらって陥落すれば、その時点で引退が決まるということなのか。そうでもしないと高齢の棋士がいつまでもフリークラスに居続けて、給料をもらい続けることになるから日本将棋連盟としても大変。だから定年を儲けたんだろう。でも加藤一二三九段は現役であればまだまだお客さんを呼べる棋士で、スポンサーだって集められると思えばフリークラス転出者はそこから初年度は戦えるようにすれば良いのに。決めたことをコロリと変えるのは得意じゃん日本将棋連盟、タイトル戦前の金属探知機による検査とか、だからここは英断を、ひふみんに将棋盤を。

 のんちゃんがアフレコしている場面をNHKが撮っていたのか、製作者の方で記録として抑えていたのをNHKが借りたのか、分からないけれどもちゃんと主演声優を紹介して「この世界の片隅に」という映画にかける思いを伝えた「クローズアップ現代プラス」はやっぱり腰が据わっているというか、まったくブレていないというか。民放キー局では未だに舞台挨拶なんかに登壇した映像が流れた記憶がない。「SING」って映画に出演するウッチャンナンチャンの内村光良さんはしっかりとアフレコ場面が取材されてて放送されているのに。そんなもんだよ芸能マスコミ。もちろん内村さんが取り上げられることにまったく異論はないけれど。

 興味深かったのは「にんげんをかえせ」といった広島への原子爆弾投下に伴う悲惨な状況を記録したドキュメンタリー的な映画をずっと上映している人が、最近はそうした直裁的な映像を見ることが敬遠されている中で、直接“悲惨”を描かなくてもあの時代、あの場所で起こった悲劇をじんわりと感じ取らせることは可能で、そんなきっかけになっていく映画として「この世界の片隅に」を位置づけることができるとか話していた場面。個人的にはドキュメンタリーであろうと記録写真であろうと「はだしのゲン」のような悲惨なシーンが実写の映画で描かれていようと、それはどれも実際に起こったことで残酷だからを目を背けず、むしろしっかりを目に刻むべきだと思っている。

 東京大空襲の後を撮影した写真なんかも含めて昔は戦争を記録したムックなんかがいっぱい出ていて、それを読んで戦争というのは肉体にも及ぶ被害があるんだということを身に染みるように感じた記憶がある。子供が見るから怖がるというのは子供を舐めた話で、そうやって肉体への悲惨を避けさせているから、いじめだとかいった誰かを傷つけてその痛みが分からないような事を平然とやってのける子供が生まれてくる。焼かれれば熱い。傷つけられれば痛い。そんな当たり前を当たり前として伝えることが、なぜ敬遠されなければいけないのかが分からないけれど、そういう状況があるならやっぱり求められるんだろうなあ、「この世界の片隅に」という作品のような描き方が。

 ゲストでは渋谷天外さんが話していたことに共感。それはあの映画が戦争を描いていないといった世間一般の声とはちょっと違って、戦争そのものを戦争だあって描いたものではないとしても、戦争があった時代に生きていて、日常がだんだんと戦争というものの浸食されていきながらも、それを非日常として驚くことができなくなって、日常として受け入れてしまう怖さがあると渋谷さんは指摘していた。ぼくの感想もまさしくそのとおりで、あの映画を見て戦争の一方で家庭には笑顔があったとか、誰もが健気に生きていたとか思うことは自由だけれど、だからといって戦争はやっぱり悲惨でなければない方が良いものだって思いが浮かばない訳じゃない。浮かべていけない訳でもない。そこをしっかり踏まえないと、戦争があった時代を地続きのものとして捉えようとした映画の主題を見失う。そんな気がする。

 ともあれ映画の魅力を目一杯に伝えた番組だったけれど、そこで浮かんだ感慨が直後のバラエティ番組「LIFE」に登場したカッツアイで全部吹っ飛んだ。久々に見たなあカッツアイ。泥棒をする女性3人組みたいだけれど、姉妹じゃなくって親子ってあたりがちょっと面白いかも。そして何をするでもなく「カッツアイ」とポーズを決める。レオタードで。グッとくるよなあ。いろいろな意味で。そして最弱のコマンドも登場して勝たない勝ち方って奴を見せてくれた。そうかああやって戦えば弱くても勝てるのか。勝てません。内村光良さんはほんとうに芸域が広い。ビリヤード場の店主とか、切れっぷりが最高だった。あの暴走を松っちゃんがやったらシュールになるし、ナンチャンだと熱血になる。弱者の叫びめいたものが漂うウッチャンは、やっぱり得がたい役者かも。「SING」でどんな声を聞かせてくれるなあ。

 キャラクターの表情とか仕草とかが「みならいディーバ」や「てさぐれ!部活もの」に似ているなあと思ったら同じヤオヨロズの制作だった「けものフレンズ」。とはいえ石ダテコー太郎さんの監督した作品のようにぶっとんでメタ入った感じはなくって、ジャパリパークってアフリカにも似た地域に集う動物が擬人化したようなキャラクターたちが、動いて喋って親切で好奇心も旺盛で、どこかから来たおそらくは人間のかばんちゃんを連れていっしょに旅をする展開が真面目に描かれている感じ。サーバルって動物をモチーフにしたサーバルちゃんはとりわけ真っ直ぐで好奇心も持っていて、サバンナから出てジャングルに入ってもかばんちゃんについていく感じ。体力では劣るかばんちゃんが知恵を使ってセルリアンとかいう敵を倒すのを見て感動して、一緒に行けば何か自分も学べると思ったのかな。危険はないのかって不安も浮かぶけどそこはアニメーションだからきっと仲良く安全に、切り抜けて旅を続けていってくれるだろう。見ていこう。ゲームは多分やらない。

 それこそ15年ぶりくらいに見たかもしれない近藤正純ロバートさんが、日本カーオブザイヤーの実行委員にまでなっていたとは驚きというか、新しく自動車のメディアを立ちあげそれを成功させるなんてことが、どんどんと若者の自動車離れが進んでいる現代に可能なのかってスタート当初は感じたけれど、若者ではない層にはしっかりと自動車は文化として根付き生活としてかたわらに存在しているみたいで、それが証拠に幕張メッセで始まった東京オートサロン2017の会場には、幕張メッセの全ホールを埋め尽くしてカスタムカーやらチューニングパーツやらが並んで、それを見に朝から大勢の人が来場していた。コンパニオンさん目当てもいたかもしれないけれど、でもやっぱりメーンは自動車。改造されたそれらを見入っている人の多さに、自動車を愛でる層の存在って奴を感じ取る。

 あるいはマスプロ製品として自動車メーカーが送り出す金太郎飴的な自動車はあんまりもてはやされなくなっても、こうやって個々人が手を入れ自分好みに仕立て上げる車はしっかりと人気を保っていて、そんなパーソナルな時代にマッチした自動車を提案できる東京オートサロンが、本家本元の親方日の丸的な東京モーターショーを上回る賑わいを見せるのも時代の流れなのかもしれない。そこにうまく食い込めたってことなのかな、近藤正純ロバートさん。そして今回は円谷プロダクションを傘下に持つフィールズが立ちあげ展開している、ウルトラマンのキャラクターをそのままではなくファッション性なりコンセプト性を抽出して、様々なアイテムに展開している「A MAN of ULTRA」の最新アイテムとして、自動車が登場したところにアドバイスなんかを行ったらしい。トヨタの86をベースにして、ウルトラマンなら白と赤じゃなく全体を黒にして赤い線をところどころに入れるシックさ。見てもすぐには分からないけれど、じっくり見れば感じ取れるそのウルトラマン性。大人のウルトラ心をくすぐり車好きマインドにもフィットする車として、話題になっていくかも。幾らくらいになるのかなあ。


【1月12日】 うへえ。もう大統領になることは確実であとは就任を待つばかりといった段階で、これまでの不遜で不穏な男といった皮を脱ぎ捨て知的で冷静なビジネスマンといった風貌を見せ、アメリカ合衆国を経済的にも軍事的にも引っ張っていくナイスガイってところを見せるかと思ったドナルド・ドランプ次期大統領が記者会見でもってメディアを名指しで批判し嘘つき呼ばわりまでして質問には答えないと言い放ち、メキシコ相手に壁を作って予算はメキシコに請求するといった、外交的にも大問題の内容を平気でぶちかまして世界中を唖然とさせた。

 選挙戦の時から変わってないといえば言えるけれど、そうした場所での発言は対立候補との違いをくっきりとさせる戦術であって、大統領という公明正大な態度が求められる立場になればもうちょっと、大所高所から判断して何を言って良いのか、何が実際にできるのかを考えながら喋るんじゃないのかと思っていたら甘かった。支持していた人たちは指示していた内容がそのまま出てきて嬉しいかというと、冷静に考えてこれは世界を相手に戦争でも起こしかねないし、闘いにはなならなくても独り相撲の果てに土俵に沈みかねないと思って青ざめているんじゃ無かろうか。でもそんな人間がアメリカ合衆国の大統領にそのままなる。いったいどうなる? 面白そうだなんっていってられない冒険が始まる。その先は冥府か地獄か。

 とはいえメディアが対立してでも持論を貫こうとしているだけ日本よりましかもしれないアメリカ合衆国。日本なんてデイリーな官房長官の会見は別にして、企画的に行われる総理大臣あたりの会見だと聞くことはだいたい事前に決まっていて、官邸とのすりあわせなんかもできていて、そういう質問をするところにしか指名が飛ばないようになっていたりする。そして不規則な発言をしようものなら次回はなくなる。それが分かっているから抑えて質問をするか、あるいは最初から忖度というなのおもねりでもってソフトで称賛にすら近い質問しかしないような感じになっている。そんな持ちつ持たれつの翼賛会が成り立っている日本は権力の思うがままにすべて進んで、そして今のこの状況。どっちがましか。考えるまでもないなあ。

 興行収入が10億円を突破して、とりあえずヒット作の仲間入りをした映画「この世界の片隅に」。テレビCMがそれほど流れず、朝のワイドショートかでもまるで紹介されず、公開館数も100に満たない小規模での単館系ロードショーとなった作品が、公開から2カ月弱でこれだけの成功を成し遂げたことをもって、良い作品を作りさえすれば、たとえマスコミが無視したところで口コミでもって人は集められるんだといった作品本位主義を唱える人が出始めているけれど、それはちょっと足りないんじゃないのかな、というのがずっとこの映画の成り行きを見て来た人たちの気分かも。

 なるほど、民放を中心としたテレビメディアは主演声優に関する紹介をほとんど無視し、それに絡んだ報道を公開前後の段階でまるで行おうとはしなかった。わずかに、というかその規模からすれば民放を束ねた以上に大きいかも知れないNHKが、頑張って紹介はしてくれたけれど、届く範囲は年令的にやっぱり限られ若い女性層に向けたPRはあんまり足りていなかった。そんな状況を口コミが打破して観客を呼んだ、というのは一面では正しいけれど、それで果たしてどれだけの人が呼べたかというと、公開された週末にランキングで10に入るのがやっとというレベル。メジャーな映画からすれば10分の1以下といった数字だろう。

 だから、やっぱり口コミの届く範囲には限界があったと言うのが正解。ただし、それだけの口コミが既にあったということが、翌週からの興行成績を落とさず10位以内に踏みとどまらせた。つまりは公開されるずっと前、それこそ「マイマイ新子と千年の魔法」のころから監督の片渕須直さんへの関心を高め、共感を深めていた人たちがいて、そうした人たちに関する対話も辞さずに丹念に行っていた監督や周りのスタッフ達がいて、良い関係が築けていたところに「この世界の片隅に」の映画化が持ち上がり、作品を知る人たちはそれならと思い、知らない人も片渕監督なら間違いはないだろうと思って支持をしていった先に、クラウドファンディグの成功があって、それが映画製作のスタートへと至って完成から公開へと繋がっていった。

 1月11日にTBSラジオで放送された伊集院光さんのラジオ番組の中で、クラウドファンディングにつて話していた片渕監督が、いきなりクラウドファンディングにかけても成功はしない、ずっと前からの準備が大切といったようなニュアンスのことを話していた記憶がある。そこでの議論は深まらなかったけれど、なかなか大手の企業が動かない企画でも、ネットを通してファンに呼びかければほらこんなにお金が集まるんだよ、なんていったバラ色のビジョンをもってクラウドファンディングを称賛する意見も出始めていて、対比して良い物を見分けられない企業なんかを非難する材料になっていたりする。でも一般だってそれが本当に良い企画かどうかなんてすぐには分からない。だから失敗するクラウドファンディングが幾つも出ている。有名な監督の企画であるにも関わらず。

 そんな中、ずっと前から頑張っていた片渕監督が、是非に作りたいと言っている、「この世界の片隅に」だから、ひとつ支援をしてみるか、なんて意識が既に醸成されていて、そこに降りてきたクラウドファンディングの企画だから飛びついた人がいて、成功を呼んだ。その成功がまたひとつのニュースとなって広がって、応援していた人の口コミも回り始めて少しだけ、関心の輪が広がって2週目3週目の踏ん張りを呼んだ。そうやって作られた鑑賞済みの人たちが、これは本当に良い作品だからと観てようやく気づいたことで、さらなる口コミを呼んでいって倍々ゲーム、とまではいかないまでもちょっぴりの加速がついて、情報が広がっていったというのが実際だろう。何年にも及ぶ準備があって、コミュニケーションがあっての口コミの発動。それがなかったら、たとえとてつもなく素晴らしい作品であっても、これだけの広がりは呼ばなかったんじゃなかろうか。他の過去に累々と重なる良い作品たちと同様に。

 民放が無視してもSNSが口コミを呼ぶ、っていうのはある側面で正しいけれど、そんなSNSを駆動させるだけの規模はやっぱり必要。そして民放が無視しなければ所収から一気に大勢が見に集まって作品の良さを広げて、もっと早くに10億の壁を突破し20億円にだって迫っていたかもしれない。そうではなく、ようやくの10億円達成というのが今。それはインディペンデントな規模では成功でも、他に多々ある映画としてはようやく同じ土俵に上がれたに過ぎない。そして今後、作られる同じように良い作品が口コミを呼んでも、これだけの規模になるとは限らない。

 そんな自覚を改めて持たないと、良い作品さえ作ればマスコミなんていらないぜ、って作品至上主義であり権力否定論者的なサークルに止まって、観て欲しい人たちへのアプローチを逃すことになる。準備は大切。作品性も重要。マスコミだって使えるなら使う。マスコミの方もタレント性だの原作がメジャーだのといった分かりやすいフックだけでなく、作品性でもって評価する意義を知る。そんな考え方が「この世界の片隅に」の成功を機会に、生まれ広がっていけば今後も多く作られるだろう長編アニメーション映画にとって嬉しい限りなんだけれど、やっぱり目立つ作品、タレント性で数字がとれる作品にマスコミの目は向き、フックが足りない作品は置いていかれるんだろうなあ。今だに民放キー局でののんちゃんの出演はほとんど皆無だから。この状態が世間では不思議でも業界では当然なのが恐ろしい。

 「この素晴らしい世界の片隅に祝福を2」。いかんちょっと混ざった。「2」がついたのは「この素晴らしい世界に祝福を2」という続編が始まったからで、第1期でもって機動要塞デストロイヤーを止める偉業を成し遂げ街を救ったカズマたちだったけれどもその際に転移させた動力源が領主の家を吹き飛ばしたことで罪に問われ、検察官によって引っ立てられて尋問を受ける。その検察官がメガネでグラマラスで実に可愛らしいんだけれどそれで気を緩ませるとすぐに突っ込まれてはい有罪。臨んだ裁判でも証拠不十分から裁判長が無罪にしようとしたら領主の圧力で有罪に変更させられそうになって、カズマにはいろいろと難題が降りかかりそうだけれどそこはやっぱり主人公。あっさり逆転して解放されて次の冒険に出ていくんだろうなあ。といった展開を想像しつつ観ていこう、だらだらと。


【1月11日】 日本だと何か良い話的に伝えられていたメリル・ストリープさんによるゴールデングローブ賞贈賞式におけるトランプ次期大統領への批判スピーチだけれど、その中でちょっと引っかかる部分があって世界はどういう反応を示すんだろうかと気になった。それは「ハリウッドにはよそ者と外国人がたくさんいる。その人たちを追い出したら、あとは、アメリカンフットボールとマーシャルアーツくらいしか見るものがなくなる。マーシャルアーツはアーツ(芸術)ではないけれど」。まあそんな感じ。

 英文だと「And if we kick them all out you’ll have nothing to watch but football and mixed martial arts, which are not the arts.」って感じで、それをニュアンスも含めて訳せる英語力(えいご・ちから)は僕にはなく、あるいはマーシャルアーツって言って、そこにアーツってあるけどいわゆる芸術文化としてのアーツじゃないよって、半ば冗談めいて言葉を添えた程度なのかもしれない。でも、やっぱり何かを引き合いにして自分たちへの抑圧を訴えるとそこには分断が怒りたたき合いが生まれかねないので気をつける必要があるのだった。

 「芸術」への抑圧を訴える時に、どうして「スポーツ」を引き合いに出す必要があったのか。そう思ったら、やっぱり本国の方でももんだいになっていたらしく、マーシャルアーツの大きな団体のトップがこれだって立派に「アーツ(芸術)」だから是非、見に来てくれよと誘ってた。そこで乗り込んだメリル・ストリープが並み居る男どもをなぎ倒して勝利したら愉快だけれど、そういう対立をしている場合じゃないってのが今。なのにこうやって分断が起こって争いが起こる。日本なら有害コミック論争なんかを経て、良い漫画と悪い漫画なり良いアニメと悪いアニメといった分断から、慰撫と弾圧の繰り返しを招きかねない可能性について感じている人が多い。だから不用意な比較を伴う一方の称揚は避けた方が良いと分かっているだろうけれど、それでも単純化による波及には勢いがあるからなあ。それで足下をすくわれてはたまらないので、言うときは慎重に。そしてクリティカルに。

 予約し忘れていたけれども、スタートした瞬間に録画のボタンを押せたんでほとんど入った「ACCA13区観察課」がオープニングからしてスタイリッシュでストーリーもクールでスリリング。ぼんやりしているような愛煙家のジーン・オータスがあちらこちらに出かけていっては、不正をただすといったストーリーが見えたけれどももっと別の、権力の暗部にうごめく大きな不正を暴くような展開になっていくのかそれとも。オノナツメさんのキャラクターはやっぱりこうした西洋風の方が良いかなあ、男も格好いいけど女の子たちも可愛いなあ。本部長のモーヴがとてつもなく格好いい。パンツスーツ姿の制服もグッド。声が田中敦子さんでもう完璧。いっぱいの登場をこいねがう。

 2016年 第90回キネマ旬報ベスト・テンで日本映画の第1位になって翌朝のワイドショーがまるっと無視する感じの中で、TBSラジオは伊集院光さんがラジオで録音とはいえ片渕直監督へのインタビューを放送。ずっとすごい映画と言われながらも見るのをためらってたいけれど、TSUTAYAで映画を借りて見るコーナーに登場してもらうに当たってやっぱり見ておこうかと映画館に行って見てこりゃすごい、このすごい映画について語ってもらう時間が欲しいを番組に掛け合いつくった時間で、古い映画について話してもらう企画とは違う、「この世界の片隅に」について語ってもらったそうで、それがもう実に深かった。

 縁、というものがあって例えばこうの史代さんの漫画をようやく読んでこれは自分が是非にアニメーションにしたいと手を挙げたものの、果たして受けてもらえるか分からなかったのが、話を持っていくとか「名犬ラッシー」を見ていたらしくてそれならといた感じになったらしいし、演出補の浦谷さんがダイビングの教室に通い始めたらそこの先生が番組に絡むことになってしばらく休みになって、それはどんな番組かと見始めたのが「あまちゃん」で、そしてのんちゃん能年玲奈さんの存在を知って声を頼むまでになったという、そんあ縁。そしてのんちゃんは自分がオーディションを受けるならこの役は私だといった感じの手紙を自らしたため訴えたとか。伊集院さんはそこで今後、そうした直訴めいた訴えをマネージャーさんの仕込みでタレントさんがやるようになるかもしれないけれど、自発的にやれる人は違うよねって話してた。そこを見極める目も受ける側に求められそうだけれど、まあ分かるよなあ、プロたちだから。

 声についての話もあって、のんちゃんはやっぱりすごいけれども片渕直監督は、やっぱり声優という枠に縛り付けるよりはいろいろな分野で女優として活躍して欲しいと話してた。自分以外の作品で好演することへの嫉妬めいた感情はそりゃあ皆無ではないけれど、でもあれだけの才能を囲うのも限るのも勿体ないし、文化に対する犯罪でもあるから。声についてはお姉さんの径子さんについての言及もあって伊集院光さんがどこかイジワルでけれども優しい人って分かる声を出していると褒めていた。尾美身詞さん。実はキャンディーズの藤村美樹さんの娘さんだそうだけれど、役者として舞台に立ったり吹き替えのお仕事なんかをしているらしい。本当はすずさんでオーディションを受けたけど、それも年齢的に無理と分かりながら絶対に関わりたい作品と思ったから。だったらと代わりに出した声が今と同じ。これならと採用。縁だなあ、やっぱり。

 国立近代美術館フィルムセンターで押井守監督の「紅い眼鏡」を観た。実は初めて。実写トリロジーのDVDボックスは持っているけどなんか見る気が湧かなかったというか、観てもまあ押井守監督だろうなあと思ってうっちゃっていた。そしてようやく観た『紅い眼鏡」は押井守監督だった。主に実写の。そして大体においての。権力への反抗だのなんだのと言った全共闘的なタームなんてもはやかすれ始めてアナクロな対立の中に右も左もバカばっかと言った雰囲気を醸し出す舞台装置に過ぎない時代、そこで過去に縛られ逃げ続ける男とそれを追う権力を持ち出しスラップスティックな展開を作り出そうとした、といった感じ。

 やってる演技はクソ真面目だし舞台装置も意味深でカメラワークもアーティスティック。だから見た目はとってもドタバタなアニメーションを作っていた人の絵とは思えず映画青年の本領がいよいよ発揮されたと思ってしまいそうになるし、もしかしたら公開時に観ていたらアートな押井守監督のオーラを勝手に見て虜になって称えていたかもしれない。でも数々の実写作品を後に作ったものを観て、そしてアニメーション作品に方も観て結局は最初から最後まで変わらず、実写だろうとアニメーションだろうと同様に、シュールな舞台を整えクールな演技をさせつつどこかシニカルに、そして含笑いをしながらスラップスティックな物語を組み上げ観る人を煙に巻き、けれども頭良いものを観たと思わせる、そんな映像作家なのだと思うようになった。その原点にしてもはや到達点とも言えるのが「紅い眼鏡」という映画なのかもしれない。

 千葉繁さんはまだ若くてスリムだけれどアグレッシブ。鷲尾真知子さんは後に頻繁に顔出しするようになる、その片鱗を見せ田中秀幸さんはそのまま役者だってできそうな活躍ぶりを見せてくれた。玄田哲章さん。声の人だなあ、いや小池朝雄さんのような役者もできたかもしれないけど、声の良さが際立っている。仕方がない。古川登志夫さん。誰だろう。後で探してみよう。永井一郎さんはやっぱり板から来た人だから役者をやらせてもうまい。天本英世さん。天本英世さんとしか言いようがない存在感。大塚康生さん。今と変わらないなあ。

 そんな役者の配置も面白く展開も現実が幻想に飲み込まれおいつ追われながら繰り返される時間をもがきながら走っているよう。夢の中で逃げていて逃げ切られなさそうなのに逃げなければいけないあの感じを、映画としてストーリーの中に作り上げた。その意味ではすごいかも。というかそれは「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」であり「AVALON」でもありと、つまりはやっぱりどこまでも押井守監督なのだ。退屈はしないし楽しめるし観た後にこうやって考えることもできる映画。でもやっぱりもう1回観るとなると……。兵藤まこさんを観たいがために観るかなあ、あとはモーゼルミリタリー。大好きなんだよあの拳銃。


【1月10日】 すごいよ新子ちゃん。って叫びたくなった2016年 第90回キネマ旬報ベスト・テンの監督賞における片渕須直監督の受賞。日本映画部門における第1位も片渕須直監督の「この世界の片隅に」が獲得しているけれど、前にキネマ旬報の映画評で3人が揃って満点をつける快挙を見ているから、そういった評価もあるいは必然のものとして受け止められないこともない。ただ同じ長編アニメーションとして1988年に日本映画の第1位を「となりのトトロ」で獲得した宮崎駿監督が、その時の監督賞をベスト・テンでは第2位だった「TOMORROW 明日」の黒木和雄監督に譲っているのを見るに付け、他のすべての年で第1位の映画を撮った監督が監督賞も獲得する“通例”を曲げてでも、アニメーション映画の監督には賞をあげない掟でもあるんじゃなかと思われていた。

 それが今回は第2位の「シン・ゴジラ」を監督した樋口真嗣監督でも、その上で全体を指揮した庵野秀明総監督でもなく片渕須直監督が受賞。あるいは「シン・ゴジラ」の現場の二人三脚ぶりを見たか、それとも特撮怪獣映画の監督ではといった判断でも働いたかして、だったら第1位の監督にそのまま監督賞をとなったかもしれない。違うかもしれない。投票とかの仕組みがどうなっているかは分からないけれど、いずれにしてもアニメーション映画の監督としては長いキネマ旬報ベスト・テンの歴史が始まって初という快挙を成し遂げた。アニメーション作品の第1位だって「となりのトトロ」以来28年ぶり。これをやっぱりすごいよ新子ちゃんと叫ばずして何を叫ぶ? 祝杯をあげたくなって来た。

 しかし日本映画の第2位に入った「シン・ゴジラ」は、脚本賞を庵野秀明さんが受賞して、これも長いキネマ旬報ベスト・テンの歴史では、おそらく初の特撮怪獣映画としての受賞。もちろん初代の「ゴジラ」の時代から怪獣映画とはいえそこには風刺があり警告があって社会性もあり文学性も含んでいたから、受賞そのものに不思議はないと言えばないんだけれど途中から子供に向けた娯楽映画へと特撮怪獣映画が変化していく中で、怪獣プロレス的な部分と、そしてSF的なサスペンスの部分との乖離もあって脚本賞という分野で賞を与えるに難しい状況があった。そんな状況を崩せる機会があったとしたら平成「ガメラ」シリーズの伊藤和典さんだったけれどそんな結果は得られず、そして今に至って庵野秀明監督の受賞となった。社会性があり政治性もあって文学性も持った脚本。何より圧倒的にスリリングで面白いストーリーを評価されたと言えるだろう。これもまた画期的。SF好き特撮好きとして祝杯をあげたい。

 ただ2016年を代表すると言っても絶対に過言ではない新海誠監督の「君の名は。」が10位以内に入っていないのは謎といえば謎。もちろん興行成績だけで入れるようなランキングではないけれど、一方でストーリーの面白さ、映像の美しさといった見るべき部分は多々あって、それらが評価されてのランクインがあっても不思議ではなかった。でもやっぱり流行りものには手が伸びないのが評論家って人たちなのか。いやいや「この世界の片隅に」なんて絵柄はどちらかどいえば子供っぽさもある、そして戦争という娯楽性からはちょっと離れたテーマも含んだアニメーション映画を選ぶ人たちだから、何か偏見があるとも思えないからやっぱり大流行したって状況に、だったらと躊躇が出たのかな。読者賞では入るかもしれないし、日本アカデミー賞ではきっと何かを受賞するからそういった一般性を得た映画として評価されれば、「この世界の片隅に」と対になってアニメーションという分野の多彩さを世に知らせる材料となるだろう。どっちもゴー。どこまでもゴー。

 いやあ面白い。そして格好いい。テレビの時代劇としての「鬼平犯科帳」についてはとんと見ていなかったけれど、アニメーションになって放送が始まった「鬼平」は見れば江戸時代の風景がアニメーションでありながらもリアリティを持って描かれて、その中で活躍する火付盗賊改やら暴れ回る盗賊やらのアクションも捕り物もスピーディーでスリリング。人情めいたストーリーも含めて見ていて感銘と感動が浮かんでくる。監督は宮繁之さんで、「SUPER NATURAL:THE ANIMETION」でいしづかあつこさんと共同で監督を務めた方。いしづかさんにインタビューしたときにキャラクターの情感については自分が得意で内面までしっかり描いて展開を作るけれど、ハードなアクションは宮さんの方が担当しているって話していた記憶があって、なるほど「鬼平」も時代劇の様式美とは違った、けれども乱打戦にもならないクールな殺陣って奴を見せてくれた。これは良いかも。深夜で本当の「鬼平」ファンが見られるか分からないけれど、録画でもして見るだろうからそのあたりで火が着いて、ゴールデン昇格なんてあったら愉快かも。

 長い夢を見ていた。僕はまだ高校3年生で、受験のまっただ中にあってどうにかこうにか希望していた地元の次第の歴史を学べる学科に合格して、卒業までの学校に行かなくていい期間を名古屋は納屋橋にある東宝会館の中の映画館に行って、上映開始前から並んで開くのを待ってそして始まった映画を観て観終わってそして4月が来て大学に行って4年かよって卒業をして希望していたマスコミには合格しなかったけれどもとりあえず自動車の業界紙に入って地元で務め始めて2年が経って、東京にある産業専門紙に転職をして東京に出てきて務め始めていろいろな部署を経験した。

 やがて個人的に好きだったアニメーションとか漫画といったコンテンツビジネスの最前線を、これから大きな分野になると思い誰もまだ目を向けていない時期から取材をして、それなりな業績もあげたけれども会社の方ではそうした方面への関心をまるで向けず、縮小する中で隅っこへと追いやられ、そんな一方で他のメディアではクールジャパンがどうとかいってどんどんと強化をし始めていくのを横目で追いながら、それでも個人の分野で可能な限りエンターテインメントやコンテンツを追い続け、会社とは違う場所でそれなりに名前も知られるようになっていった33年間という、良いのか悪いのかちょっと分からない時間に及ぶ夢を見ていた。

 そして目覚めると僕はまだ、名古屋の納屋橋にある東宝会館の中にある小さな劇場で、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を観ている最中で、鳴りり始めたエンディング曲「愛はブーメラン」を聞き終わって、鳴り響く友引高校の時計台の鐘をバックに席を立ち、扉を開いて外にでたら1984年3月の名古屋の街がそこに広がっている、なんて夢がちょっとだけ見えたかもしれない東京近代美術館フィルムセンターでの「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」の上映会。監督をした押井守さんの自選による特集があってその初日、夜のプログラムで上映されたもので行くとキラキラと光る東宝のマークがあり、そしてチリチリと画面に傷跡が走るフィルムでの上映がスタートして、気分は一気に33年前へと引き戻される。

 これがもしも最新のBDなりデジタルリマスターによる上映だったら、くっきりと鮮やかな画面に今の技術を感じつつ、そんな技術によって時代感を底上げされたものとして受け止めたかもしれない。けれどもそこで始まったのが昔映画館で観たもの、そのままの映像だったことが気持ちを一気に33年前へと連れて行ってくれた。東宝会館で観て、その後どこかのリバイバル上映でも観たかもしれない作品は、次にどんな展開があってどんなセリフが繰り出されるか、もう完璧に頭に入っているんだけれど、それでもやっぱり次に起こることが何かを想像するだけで心がドキドキとしてしまう。荒廃した友引高校で驚きながらも硬直する諸星あたるを過ぎつつ、時間が巻き戻されるかのように学園祭1日前の友引高校のドタバタした1日が始まって、レオパルドが鎮座した教室での騒動を経ていったい今がいつなのかといった懐疑が提示され、何か起こっているらしいといった感覚を惹起されてさあ、いったい何が起こるのかと目を画面へと引きつけられる。

 何が起こるかなんて知っている。もう完璧なくらいにラストまで知っているのに知らないような気分で見られるのはそれだけ、注意を引っ張りぞっとするような不安な気分をあおり立て、楽しげな日々への耽溺を誘いそして今という時間をいったいどう過ごすべきなのかといった問いかけを投げかけられる展開に、直情的に気持ちが反応してしまうからなんだろう。そういう意味でも巧い映画。いったいどういう生理でこんな展開を作ったのか。当時の押井守監督に聞いてみたい気もしてくる。一方で映像はもう映画といったクオリティで、独特のキャラクター表現でありながらも崩れず簡単にもならず、明暗がくっきりとした描写もあって夜の不穏な感じが醸し出され、昼間のピーカンな気持ちよさも引っ張り出されてその世界を引きずり回されている気分にさせらえる。これもまた、没入を誘う要因かもしれない。

 さくらさんは美しいししのぶは健気だしラムちゃんはもうどこまでも可愛らしくて愛おしい。そんなラムちゃんをまだ20代だった平野文さんが演じて心にキュンキュンと届く声でもって愛情めいた感覚をそそってくる。神谷明さんはクールでギャグにも変わる面堂終太郎をどこまでも演じきって芸域の幅広さって奴を見せつけてくれる。そして古川登志夫さん。嫌味でなくあっけらかんとして脳天気で、それでもちょっぴり芯はある諸星あたるという役を演じて、カイ・シデン的なものともブルメ的なものともまた違った、古川さんらしさのど真ん中といった声をそのまたど真ん中といった位置から満天下に向けて放っている。そんな全盛の声を耳にしたこともまた、時代を33年前に引き戻された理由になるのかもしれない。

 この現実が現実ではないかもしれない、誰かの観ている夢かもしれないという不安と、こんな愉快な夢なら誰の夢であっても気にしないでずっと浸っていたいという昂揚が入り交じった気分にさせられる映画。でもラストシーンで現実へと引き戻されて、そこで自分という存在を意識し、他人という存在にも思いを巡らせながら、責任を持って生きていく必要といったものも突きつけられる。だからこそ当時、観終わって映画館の外に出てもそこがまだ夢の中だとは思わなかった。これから始まる大学生活と、そしてその後の人生を目一杯に夢のように楽しく生きるんだ。そんな希望を抱いていた。そして……現実はままならず夢は十分に果たされないまま過ぎた33年を思いながら、これが夢だったら思ったこともまた、「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を観ながら時間が戻る夢に溺れた理由だろう。悔しい今を抱えている人に楽しい過去を思い出させてそこからの未来を夢見させる映画。33年経ってそんな思いを抱くようになってしまった人生もまた、現実なのだと改めて意識してこれからの残る何十年かを、悔いなく生きる覚悟を決めよう。


【1月9日】 いよいよ始まったテレビアニメーション版「リトルウィッチアカデミア」が完璧な第1話だった。きっかけがあって始まりがあって旅立ちがあって出会いがあって大変があって助け合って戦って発動して落っこちてそして。だいたい詰まってそしてまだ先に何ががありそう。「アニメミライ」版がありクラウドファンディングで作られた続編があっていろいろ展開も作られてはいるけれど、シャイニィシャリオっていう謎めいた、そして現在は嫌われている存在とアッコとの関係なんかが中心軸になって進んでいくのかな。過去の2作ではそこがすっとんでいたから。ともあれ楽しみ。

 それにしてもこの年のアニメミライからは「デス・ビリヤード」が「デス・パレード」となってテレビアニメ化され、そして「リトルウィッチアカデミア」もこうやってテレビシリーズ化された。1番続きがありそうな、というか前段がって当然の「アルヴ・レズル」はけども、今に至るまで動きはないし山口優さんの原作も書店では手に取りづらくなっている。続編まで出ていたのに。アニメ化企画として募られた作品が、文化庁の事業の中でアニメ化された不思議もあるけど、この機会に後に続けと熱が再燃してくれたら嬉しいかな。結構先鋭的だったんだよそのテーマ。シンギュラリティのその先とか見せてくれる。

 そして早起きをして横須賀へ。映画「この世界の片隅に」を横須賀の劇場で観るためで、呉と同じ海軍の鎮守府があって太平洋戦争でも攻撃の的になった地域で観る、っていうのは呉や広島で観るのにちょっぴだけれど迫れるくらいの“ご当地”感があるかもしれないと思っての参戦。前に「酒保 伊良湖」の内覧会を観に行って横須賀へはJRより京急が早いと確認しておいたこともあって、今回は地下鉄の東西線を茅場町で降りて都営地下鉄の日本橋駅から三崎口行きに乗って京急へと入って一気に横須賀へ。おかげで午前11時半からの上映開始にもかかわらず、午前9時前についてしまって時間をもてあます。

 とりあえずバーガーキングで朝ご飯にしてそれから三笠公園へ。途中、さいかやパーキングって建物の横を通ると献花台が置いてあった。去年の末に立体駐車場に止めようとしていた車がそのままおっこちで、5人の家族のうちの3人が亡くなるという事故があった。その追悼。もうすぐ年末でそしてお正月って時期、年越しのためのお買い物でワクワクしていた家族がその一瞬で希望を断たれ、一方で哀しみに浸らされるという状況を思うとなんかジンと来る。その瞬間に人の頭をどんな思いがよぎったか。考えると辛くなる。引き延ばされる一瞬ってあるんだろうか、それとも。

 そして到着した三笠公園で戦艦三笠を前から後ろから眺めつつ、売店で三笠をはじめとした連合艦隊の艦船がフルスクラッチでモデル化されたものが収録されたカタログ本を買う。発行年月日からすればたぶん、去年の夏に「酒保 伊良湖」の内覧会を前に立ち寄った時にも販売されていたはずだけれど、荷物になると思ってか買わなかったんじゃなかろうか。今回は買って開くと青葉がおって利根もおって武蔵もおった。すずさんと晴美ちゃんが山すそから観ていた船。もう実物は見られないそれらをこうやって、模型でも観られる今が平和であることを喜ぼう。

 そして前にJR横須賀駅から三笠公園まで歩いたのと逆の道をとことこと辿って、京急だと汐入駅の前くらいにある横須磨HUMAXシネマズへと行き映画「この世界の片隅に」の舞台挨拶付き上映を観る。だぶん10回目くらい。そして上映後には昨日の「マイマイ新子と千年の魔法」の新宿ピカデリー凱旋上映に続いて片渕須直監督が登壇し、合わせてマッドハウスからMAPPAへと行き、今はM2を率いる丸山正雄プロデューサーが登壇。MAPPAを最初に立ちあげたマンションの1階にある花屋さんでこうの史代さんがアルバイトをしていたとか、そんなアルバイトをしていた時に片渕監督の「名犬ラッシー」を見ていたといった“縁”が明かされ、そうした諸々が結実しまくった「この世界の片隅に」のあと、どうすんじゃろっていろいろ怖くなっているとかどうとか。

 そして丸山プロデューサーが0号試写で泣いていたって話から丸山さんが脳梗塞を煩った後で、不自由な体をおしながら「この世界の片隅に」の完成に向けて歩き回って、それこそこれが自分にとって最後の仕事だからといった“切り札”を使ってようやく、音楽を受けてくれるところがあったって話が出て、あの業界にとてつもなく顔が広い丸山さんが推す作品であっても、ビジネスライクなり信頼なり心意気なりでは受けづらい状況に「この世界の片隅に」ってタイトルはあったんだなあと思ったりする。スポンサーがつかなかったのもよく分かる。

 そこをどうにか受けてくれた佐々木史郎さんとフライングドッグよありがとう。今ではぴんぴんしている丸山さんに”死ぬ死ぬ詐欺”と冗談言っているそうだけれど、そんな冗談言えるくらいでちょうどいい。そんな0号試写で丸山さんが泣いたのは自分が不自由な体になって、そしてのんさんも不自由な体になって、それでも絵を描きたいといった気持ちを失っていなかっただろうことを思い、自分に重ねたからといった話をしてくれた。何か欠けてしまっている人にも、力を与えてくれる映画化も知れないなあ、「この世界の片隅に」は。そうした話が広まれば、まだまだ見に来ていない人も見に来るようになるのかもしれない。ずっとこの映画だけを上映している映画館があれば良いとも話していたけれど、そんな夢も叶う時がくるのかな。

 そうそう、10回目くらい観ていてようやく、草津のおばあちゃんの家にお盆のお参りに行ったすずちゃんが新しく仕立ててもらった着物と同じ柄の布が、天井から降りてきた座敷わらしの女の子の。ボロボロになっていた着物の形とかに当ててあった布と同じだった。きっとおばあちゃんが繕ってあげたんだろう。優しいなあ。出て行く時にも着物をあつらえてあげて、そして時が経ってあの時の着物を洋服に仕立て直したすずさんが、それを着て闇市に砂糖を買いに言って迷った時にリンさんと会う。これも“縁”って奴か。だからそんな“縁”が途切れることはなく、きっと繋がっているはずで、リンさんはあの空襲の前にどこかにもらわれていって、同じ戦後の空を生きていると思っていたいのだった。

 「RWBY VOLUME4」のChapter8がネットに来ていたんで観た。クロウおじさんの苦労話だった。って冗談でなく会話が中心でセイラムが何を狙っているのかといった話や人類創世の話なんかが盛り込まれて世界観と大きな設定が明らかにされ、その上で運命の少女となったルビー・ローズがいったいどんな役割を果たすのか、興味が浮かぶけれどもそこに至るまでにはまだ幼すぎるといったところ。どういう感じで世界に絡んでくるんだろう。そしてクロウおじさんは大丈夫か。いろいろ気になる。それにしても急激にCGが進化していてジョーン・アークが無茶苦茶格好良くなっている。マイクラフと的な絵が動くのとは大違い。3DCGでありながら2Dライクなクールさもちゃんと描き出されている。進歩って凄いなあ。これでVOLUME8くらいまでいくとFF15もかくやって絵になるのかなあ(行くんだろうか)(ならないんじゃないか)。


【1月8日】 そして読み始めてみたカルロ・ゼンさん「幼女戦記」の第1巻の冒頭で人員整理にあたるサラリーマンが怨みから線路に突き落とされて死んでそこで神様に信心の無さを嘆かれ、どうやったら信心が生まれるかを問われだったらと中年で男で戦争にも行ったことが無い奴では無理だといった逆を行って、あんな格好で転生させられたんだと分かる。まあそんなことだろうと思ったけれど、冷静で沈着で冷血なのは別に軍隊に入ったからではなく前からか。企業生活ではさすがに恨まれもするけれど、命令が絶対で死にに行くのが当然の軍隊では有効な資質。それを如何なく発揮しての大躍進ってことなんだろうなあ、ターニャ・デグレチャフは。

 そんなターニャ・デグレチャウが幼くして知恵が発達していたのは、神様に試されているからといったところで、そんな出生を経てそれこそ10歳に満たないうちに士官学校に入り、そこで次席という優秀な成績を修めて勉強にと出された前線で功績を挙げ、軍の大学にも入ってそこで参謀から認められ、魔道大隊を率いるようになるってのが第1巻。大学に入れるのも大隊を引き入らせるのも反対と訴えた人事の大佐は人を見る目があったけれど、軍隊ってのは人じゃなく軍事的な才能を見るところだから仕方が無い。テレビアニメーションはそんな過程を端折っていきない魔導大隊を率いる前のライン戦線から始めたけれど、この後で学校生活から大隊を率いるまでをやるのかもっと戦闘ばかりの展開になるのか。学園ラブコメにはなり得ないだけにやっぱり戦闘続きで行くんだろうなあ。見ていこう。

 「うらら迷路帖」のアニメーションを見た。山から出てきた千矢って少女が占い師になるまでを描くストーリー、ってことになるのかな、山から出てきただけあって動物たちに好かれる感じでいっぱい引き連れていた動物たちが可愛かったけれど、勝手に食べ物をとってきてしまったことで追われた際に散り散りに。いずれまた主人公の千矢の周りに集まってくるのかな。占い師になるための家でほかの3人と修行をするっていった展開は、どこか「ARIA」にも似ている感じ。あそこまで環境重視じゃなくドタバタも多そうだけれど、成長しながら協力していくって展開に頑張る気持ちを誘われそう。見ていこう。

 「亜人ちゃんは語りたい」のアニメーションを観た。デュラハンの町京子の首から離れて腕に抱えられた顔の角度とか表情とかの作画が抜群だと思った。首の上に乗っていればだいたいの感じで可愛いと思えるものだけれど、首から離れた頭をそれでも立体感を持って可愛いと思わせるのって結構大変なんじゃなかろーか。そそれをあっさりとやってのけている。もしかしたら圧倒的な作画アニメなのかもしれない。CGによるモデリングってことはなさそうだしなあ。亜人ちゃんではやっぱりサキュバスの佐藤早紀絵が気になるけれど、本気だしたらいったいどれだけの色気なんだろう。そんな色気で相手から精気を吸うんだろうか。ヒロインの小鳥遊ひかりは血をとりあえずパックでもらって飲んでいるって言ってたし。その出生条件も含めていろいろ気になる。見ていこう。

 とことんポン酢なんだろうなあ日本将棋連盟は。だからこそ証拠もないまま単なる棋士の勘というか、あるいはタイトルホルダーとそのバックにいるビッグスポンサーのご意向なんかに揺り動かされて、無実となった三浦弘行九段を疑いタイトル戦から排除して、その経歴に大きな傷を付け人権すら損なった。そんな反省を踏まえたならば以後、二度と同じことが起こらないよう決められた規則は守っていくのが筋なのに、新しく始まったタイトル戦の王将戦ではスマートフォンは預けさせたものお両対局者の意向もあって金属探知機での検査は見送ったらしい。

 性善説は大いに結構。あるいは棋士の矜持に頼るってのもあるけれど、それなら最初から三浦九段を疑わず、疑わしくても排除するようなことはするべきではなかった。相手によって基準をコロコロと変えてそれで信頼なんか得られるはずもない。公営ギャンブルでいくら選手達の合意があったらといって、競技前に外部との接触をネットも含め認めたらそれで成立しなくなってしまう。賞金もかかるタイトル戦で、厳格な基準も守れないし守らせられないようならもはや連盟なんて存在している意味がない。タイトル戦ごとに基準を作って運営し、参加者に分配するようにすればそれで潤う棋士も生まれて来るんじゃなかろうか。曖昧で適当な運営を、棋士たちはもっと怒らないと、いずれ自分たちに返ってくると知ろう。

 結局のところとある自称するところの全国紙、中国とか韓国といった国々についてネガティブな話を書きさえすれば、中身はどうあえれアクセスが稼げるっていうのが半ば社是みたいな基本姿勢になっているんだろう。だからこんなすごい記事が載ったりもする。曰く、「医療目的で来日する外国人は国民健康保険(国保)に加入できないため、『留学』などと入国目的を偽って国保に加入し、1〜3割の自己負担で高額な治療を受けて帰国する不正な事例が増加していることが5日、複数の医療関係者への取材で分かった」。

 読めばそうか中国とかアジアの国々の人たちが、日本の制度にタカっているって思わされるけれど、そんな記事のどこにも何人ぐらいが悪用をしていて、幾らくらいの損害額が出ているのかが書かれてない。あるのは「不正な事例が増加している」という言葉と、そうした状況を厚生労働省も関知しているといった話くらい。でも誰が確認してどういう状況だったかって具体的な事例は登場しない。というか、そもそもが3カ月もの日本国内への滞留と、そして就業なり留学といったビザの取得が国保加入の条件なら、そこにかかる費用も結構バカにならない訳で、それにどれくらいの金額を支払って、そして国保でもっていくらくらい得をしているのかが指摘されていなければ、記事としての正確性に大いにかける。

 真っ当なデスクだったら具体的な金額は、そして具体的な事例はと言って調べさせるだろう。あるいは関係者のコメントを拾ってくるだろう。そんなものがまるでない記事が、それでも載れば外国人への偏見が強まる。外国人が日本で病気しても治療を断られるようなケースが出てくるかもしれない。そんな未来を想像するなら厳密に、ケースを挙げて指摘するべきなんだけれど、目的は外国人のとりわけ東アジアから来るのはワルイヤツばかりってな気分を煽れれば、そした角度のつきまくった記事が大好きな読者がさくっと食いつき、アクセスも上がるって意識だから、ファクトも検証も必要ないってことなんだろう。もはやジャーナリズムではなくプロパガンダで、それも論証されてば覆される稚拙なアジビラ。でも堂々と掲載されてしまうこの状況を末期と言わずして何を言う? 参ったなあ。

 そしていったい何時以来になるんだろう、2009年の12月に間もなく公開が終了となると聞いて観に行ったからおそらくは7年ちょっとぶり。新宿ピカデリーに帰ってきた「マイマイ新子と千年の魔法」を最前列で観て、冒頭から新子とおじいちゃんとの場面にちょっとだけ、お母さんの声が遠くから聞こえてくるのが耳に入って最前列だから聞こえたのか、新たに上映する素材にはちゃんと聞こえるようになっているのか、考えたけれども今回はブルーレイディスクを投影したいみたいで、音声もきっとデジタル収録だったからあるいは際だって聞こえたのかもしれない。フィルム上映の状況はもう覚えてないから、次にあったら注意したい。ちなみに発表になって1月20日に、今度は新宿ピカデリーでも最大のスクリーン1で上映があるそうで、なおかつデジタル上映になるそうなんで行ってとれえば最前列で観よう。満席になるかなあ。なって欲しいなあ。


【1月7日】 池袋のサンシャインシティで6日から始まった「刀剣乱舞−本丸博−」が好評なようで時間制であるにも関わらず入場を待つ人の行列ができ、そしてグッズを買う人も大勢いて売り切れの品なんかも出ているそうで、買えなかった人は残念だけれどそれでも料金に見合った展示内容だとは感じているようで、主催者としても良かったんじゃなかろーか。内覧会では金襖に刀剣男子たちが鮮やかに描かれた部屋とかあって好きな刀剣男子の前にずっと佇んでいたくなった。

 描き下ろしの絵が集められた祝画の間では、今まで見たことの無いビジュアルの刀剣男子に感激する審神者続出って思っていたら、やっぱり泣くくらい感動する人が出ている感じ。あれは本当に良い物だった。撮影禁止でネットにも見えないんで言って見るしかないのも観客を喜ばせているのかな。オープンは売れ行きを煽るけどクローズドは共感を誘う。どっちが良いかは対象次第。そして祝画は成功している様子。いずれ画集とかになるんだろうけれど、その前にもう1度くらい見ておくかなあ、っても時間指定だし女子ばかり来そうだし。男子も行って良いですか?

 アメリカのドナルド・トランプ次期大統領がツイッターを駆使して日本のトヨタ自動車がメキシコに工場を作ろうとしていることにプレッシャーをかけている。元よりアメリカ本国から工場を移転させるものではなく、むしろカリフォルニアの工場を拡張して雇用を増やそうとしているにもかかわらず、新たな工場がメキシコに作られることを挙げて批判するのは筋違いも甚だしい。あるいはそれがアメリカ国内に作られれば雇用も確保されたと言うのなら、アメリカで売られる商品のすべてはアメリカで作られなければならないってことになる。そんなことをアメリカの企業が許せるのか。トヨタに限らない問題として全米の経済を、そして消費をゆるがすことになるだろう。

 アップルなんてアメリカに工場を持たずに世界の企業から部品を集めて組み立てて、それを輸入して売っている。トヨタにアメリカで売るならアメリカで作れと言うなら、トランプはアップルにもアメリカで作れと言うべきだけれど、そういう指摘はないのか、されても聴く耳を持たないのか。さすがにちょっと言い過ぎだってことになるとは思うけれど、理不尽でも思いつきがツイッターによって拡散される状況で、企業も安心してアメリカに投資なんてできないだろう。そんな状況を、お友達の安倍晋三総理はどうして諫めないんだろう、我が国の企業が理不尽な目に遭っているなら、等位のFacebookを使って反論をすれば良いのに。政府は就任前の権限もないつぶやきって逃げるけど、そんな人に当選直後にゴルフクラブ持参したのは他ならぬ安倍総理。大統領と認めての行動だったんだから、今こそその理解を元に手腕を発揮すべきなんだけれど。ねえ。

 2017年1月にスタートするアニメーションも幾つか始まっていてとりあえず、予告編を見て気になっていた「幼女戦記」を見て劇中に出てきた「サラリーマン」という言葉におよその設定を理解して、積み上げてあった本とか読み始めたらやっぱりそうだった。どこかドイツ軍にも似た軍隊が向かう第1次世界大戦の西部戦線にも第2次世界大戦での東部戦線にも見える荒地での砲撃から始まる塹壕戦。そこに飛来した魔力でもって空を飛びバリアを晴れる魔導大隊の面々を率いているのがターニャ・フォン・デグレチャフという見かけはまったくの幼女で、けれども強い魔力を持っているようで手にした銃弾に込められた魔法で周辺を一気に爆裂させる。

 その威力は「この素晴らしい世界に祝福を」のめぐみんが繰り出す爆裂魔法に並ぶとも超えるとも。いやギャグがメインの世界で繰り出される魔法とは比べちゃいけないんだろうけれど、地上では兵士たちが突撃をくり返し、その上を砲弾が飛ぶような世界にあって空を飛べるってだけでも相当優位な上に弾を跳ね返せて魔力だって放てるのならもう無敵と言えそう。でもそうでもなくってやっぱり消耗するその力。圧倒的な火力の前には劣ることもあって苦労する中、幼女なのに強い魔力を持っているターニャがもうひとつ、繰り出す知識って奴が帝国を勝利へと導いていく。

 そんな知識がどうして幼女にあるのか、って理由がターニャの発した「サラリーマン」という言葉。周囲の誰も知らず気づかない言葉に込められた意味を考えるなら、そんな世界でどうしてターニャの存在が許されるのか、ってあたりが全編を通しての主題になっていくのかなあ。単に第1次世界大戦と第2次世界大戦のドイツの戦いを知識も持った人を配して再現してみたいっていう、一種の架空戦記的な着想でもって書かれているだけなのかもしれないけれど、膠着状態にある帝国とソ連になぞらえられそうな連邦との戦線を、解消するために必要な講話に向かわない以上は帝国はジリ貧で、そして反攻され壟断されるだけの運命を辿りそう。

 そんな戦争の再現だけではやっぱりつまらないので、ターニャの存在が鍵となって過去の戦争を今に再現するような体験をさせた意味と、その先に世界に訪れる何かって奴を、原作は最後まで描いていって欲しいなあ。アニメの方は戦闘の迫力と幼女の悪魔っぷり、ターニャをどうにもかわいがるというか信頼を置く大人のおっさんの参謀たちの頭脳戦めいたものが楽しめそう。中身は……それは言わない方が良いか。それにしても悠木碧さん、幼女っぷりをしっかり演じているなあ。昔だったら釘宮理恵さんが担当してそうだったけれど、くぎにゅーだとちょっと媚びが出るから残忍さを持ったターニャとは違うか。副官は早見沙織さん。今は帝国べったりだけれどそのうち分かってくるんだろうなあ、戦争の無意味さに。さてもどこまで描かれるのか。観つつ本も読んでいこう。

 興行収入10億円の大ヒットという情報を受けて、ようやくもって民放のテレビでもで取り上げられる機会も増えたけれども「この世界の片隅に」、それは口コミで観客を増やしている、製作過程でクラウドファンディングという手法が使われている、昭和の日本を緻密な調査によって再現してあるといったトピックが中心で、主演声優が超有名人って話は出てこない。順番からいけば主演声優がNHK朝ドラに出ていた国民的な女優ののんちゃんだって話に民放各局が飛びついて、大騒ぎして取り上げたって不思議じゃなかったのに、そこがずっぽり抜けた状態が公開前に続いてテレビを通じての情報がまるで出ず、世間の関心が広まらず出だしぼちぼちって感じだった。作り手もおそらくはそうなる可能性を考えていただろうけれど、まさかここまで排除されるとは予想外だったかもしれない。理屈ではわかっても情として。だっておかしいじゃん、絶対に。

 でもそれがあの世界の掟ってことだから仕方が無い。頑張って観てもらおうと奮励した結果、影響力を持った人たちに観てもらえて、そんな人たちののんちゃんの声も含めた作品性への支持が口コミで広がって動員を伸ばしていった結果、テレビだって見過ごせない数となり、取り上げられる“理由”を得てそしてって今に至ったといった感じ。今にして思えばキャストの話題性だけでぶわっと広まっても、作品性が口コミで広まる時間を得ないまま、スタートは良くてもあと下火って可能性もあっただけに、少ない館数でことこと煮詰めて口コミを増やし動員を保って「この世界の片隅に」という映画が持つ味を、知ってもらえたからここまで来たとも言えるかも。そうやってぐつぐつと煮えたぎっているところに主演声優は、実は「あまちゃん」なんですよって全民放が乗っかれば、興行収入30億円に向けて鬼に金棒なんだけど、そうはあんまりなっていない状況が未だ解けない大人の世界。このままだと本当に滅びるかも。困ったねえ。


【1月6日】 やっと来たか。梅田阿比さんによる漫画「クジラの子らは砂上に歌う」がいよいよアニメーション化されるそうで、詳細は不明ながらも今から期待が膨らむ。広がった砂の海を行く巨大な船とも島ともとれそうな泥クジラ。そこに暮らす人たちには異能がありながらも短命な者たちがいて、異能はなく長命な者たちとともに暮らしていた、そんなある日、外から感情の乏しい少女が流れつき、その少女を追うようにして異国の軍隊が乗り込んできて殺戮を始める。それは泥クジラに暮らす者たちが、どうしてそんな境遇に陥ったのかとも絡んだものだった。

 犯した罪に対する罰としての放浪。そして罪から逃れるための自滅を画策する長老たちに対して、今を懸命に生きている若者たちは戦いへと向かい、そして自分たちに課せられた罰を払って自由を取り戻そうと足掻く。何か意思めいたものを持っているような泥クジラの存在、砂に覆われた世界の謎、各地に点在するらしい国家の思惑などが積み重なって広くて深い世界観を感じさせる。ようやく安住の地を見つけられそうな状況まで物語は来ているけれど、まずは自立と自覚のための戦いを生き延びることが先決。そんな戦いが描かれるだろうアニメにまずは注目。舞台版でも感動だった物語にきっと涙するんだろうなあ。舞台版の主題歌「スナモドリ」がオープニングやエンディングに使われたら泣きそうだなあ。

 そして気がつくとジェフユナイテッド市原・千葉にあの羽生直剛選手が戻ってきていた。ヤッホー。大好きなんだそのプレースタイル。中盤のサイドあたりから中央へ、そしてトップへとななめに走り込んできては相手からボールを受けてシュートするなり、誰かに渡すなりしてチャンスを作る。守っても走り回って相手の攻撃を遅らせる。阿部勇樹選手が中盤の底から組み立てる頭脳で、佐藤勇人選手が中盤で守りに貢献する鉄壁とするなら羽生選手は中盤から前をエリアとして攻守に貢献する鳥のような風のようなプレーヤーって言えるだろう。

 そんな3人に水野晃樹選手や山岸智選手が両サイドを駆け上がり、トップに陣取る巻誠一郎選手が体を張るあのジェフ千葉の、一部でも戻って来ればかつての栄光もまた取り戻せるような気がするけれど、阿部選手は浦和レッドダイヤモンズの方が長くなってきた感じだし、トップに置くべきフォワードもなかなか見つからない。パラグアイの名門、オリンピアから来るホルヘ・サリーナス選手はどんなプレースタイルを見せてくれるのかなあ。守備は大丈夫かなあ。いろいろと不安もあるけれど、ちょっとどっしりしかかっていた雰囲気が軽やかでタフな羽生選手の加入で少し活性化されるかも。走ってこそ、走り抜いてこそのジェフ千葉が戻ってきて欲しいもの。観に行くかなあ、今シーズンは。

 そして気がつくと「この世界の片隅に」の興行収入が10億円を突破していた。っても「映画 聲の形」が20億円で「ガールズ&パンツァー劇場版」も20億円で「ライブライブ! The School Idol Movie」も20億円といったラインを突破していたから、最近のアニメーション映画では決して大ヒットとは言えないところ。というかそもそも「君の名は。」が日本で200億円を突破して中国は100億円くらい行きそうで、韓国でも滑り出しで第1位だったからさらに上乗せをしていきそうな中で、10億円はやっぱり大きな数字では無い。でも、そもそもの公開規模が違う中、それでも観客が満席なりを続け全国でもそれなりなアベレージを記録し続けたことで、公開から1度もベスト10を外れることなくここまで来た。その確かさの上に立つ10億円はやっぱり重い。

 もしもだったら公開時に200館くらいあったらとっくに達成していたかというと、その段階ではまだ口コミが効いておらず都心部はともかくとして地方は空きが目立つなかで早々と打ち切られ、都心部で細々と上映が続く状態になっていたかもしれない。小さい規模の中でそうした逆境も含みつつ、観た人たちがその感動を口コミで伝えていった結果、観て欲しい人たちの目に届き、影響力のある人たちの関心も誘って情報が拡散し、そしてだんだんと観客数を積み重ねて今がある。そんなところだろう。なおかつこれでようやく陣形が整い。情報もそれなりに行き渡った中で館数が増えていくことになる。観ていなかった人が見始めて、そして作品の良さという根本を踏まえて口コミを伸ばせばさらに10億円を積み重ねることも、難しくはないんじゃないかなあ。どうかなあ。

 そういえば昨日、「この世界の片隅に」の舞台となった広島県の呉市と広島市、そして江波あたりを描いたロケ地マップ的なものが銀座一丁目にある広島県のアンテナショップに入っていたんで確保に行ったけれど、その時は結構分量がったものが今日には無くなっていたらしい。あると聞きつけた人が昨日中に一気に集まったのかな。良識のある人たちだろうから1人で5部10部と持っていたってことはないだろうけれど、それでもやっぱり今が旬ってことで予想を超える人たちが存在を認知し、その関係する品々に興味を示しているのかも知れない。これならカレンダーだってもっと売れるかも。書店に下ろして原作漫画の単行本と一緒に並べれば相当生きそう。そいういうルートはあるのかな。双葉社ならもっていそうだけれど。

 白の三角は大でも小でもないだろうとは分かっていたけど、代わって真正面から巨大な双つの房がたわわに実って前へと突き出て、2D映画でありながらも3Dのような感覚にさせられるかもしれないと、そんな期待も持って最前列の真ん中あたりの座席を確保して観た「傷物語<3 冷血篇>」はある意味では大成功。ドラマツルギーにエピソードといったヴァンパイアハンターたちを退け、最後に残った強敵らしい上に羽川翼を人質に取る卑怯者でもあったギロチンカッターにあっさり勝利してさすがはキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの眷属であるところを見せつけた阿良々木暦だったけれど、凱旋をしてキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードの失われていた手足が全部戻って、そして知らない間に奪われていたらしい心臓も返されてあとは阿良多木暦が人間に戻るだけってなったところでひとつ大きな問題が。

 お腹が空いた。それはキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードも同様らしく、それならと阿良々木暦はコンビニで食糧だとかを調達し、お別れ会でも開くつもりで戻った学習塾の中で観たのは人間の、それもギロチンカッターの殺したあとの死体を貪り食らうキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードだった。吸血鬼がお腹を空かせて一体何で満たすのか。そりゃあ当然血液で、あるいは人間の血肉そのものだったらしけれどもそこのところに気づいていなかったか、あるいは気づこうとしていなかった阿良々木暦は懊悩する。

 このままキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードを野に放ったままでは誰か人間が殺される。それは自分の知り合いではないかもしれないけれど、知り合いかもしれない。誰であれそれは嫌だ、自分があの地下鉄のホームで血塗れになって死にかけていたキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに血を与え眷属とならなければ、誰も新しく死ぬことはなかったと思い至り、そして吸血鬼という人間の敵を倒す正義の味方だったはずのドラマツルギーでありエピソードでありギロチンカッターを相手に戦った自分こそが悪の味方だったとも気づいて阿良々木暦は惑う。さらにはいずれこのままでは自分は誰か人間を食べるようになるかもしれない。それは許されないとも考え阿良々暦は決意をし、その前にひとつの望みを叶えようとする。

 おっぱい揉み揉み。たわわで巨大で爆発的でぷるんぷるんな羽川翼のおっぱいを心ゆくまで揉むことによって、完全体となった29歳くらいの体型のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードが羽川翼よりも巨大かもしれないおっぱいをぶるんぶるんさえながら攻撃してくるのに目を奪われず、心も捉えられないで冷静に戦えるよう、心構えをしたいと言って羽川翼に頼み込む。はっきりってとっても酷い頼みだけれどもひとつの決心をそこに感じた羽川翼は分かったと言い制服のボタンをはずして胸元をひらいて巨大な胸が揺れ動くのをおさえていたブラジャーを外しつつ、スリップはそのままで制服も羽織った姿で阿良々木暦の方を向く。

 なんでやねん。なんでそこで制服もスリップも脱がないねん。上半身をすっぽんぽんで巨大なおっぱいを触らせないねん。阿良々木暦もそんあ羽川翼の覚悟と勇気に正面から向かい合って手を伸ばしてひらいた手をあてぐいっと揉み、指先で先端をこちょこちょとして羽川翼を喜ばせないねん。なんて思いも浮かんだけれどもそんなあさりとした展開以上に事態がちょっぴり淫靡でエロティックで官能的なセリフと描写に進んでいった果て……阿良々木暦のチキンっぷりが明らかになる。そこまでがこの「傷物語り<3 冷血篇>」に白の大三角から小三角へと続いたような期待が叶えられるパートで、おおよそ興奮に心躍らせた後、待っていた激しくも切ないバトルへと突入しては、その圧倒的なアクション作画を浴びるように見せられる。

 何しろ最前列だ。動機は揺れる羽川翼のおっぱいを見上げるように楽しみたいというものだたけれど、アクションシーンへと移ってからはテレビでは絶対に放送できない激しい描写の数々を、巨大なスクリーンでもって全身が包み込まれるような感覚で見せつけられることになる。とにかく飛ぶ。そしてあふれ出す。それは「LUPIN THE 3RD 血煙の石川五ェ門」で繰り出される描写すらも上回る激しさで、そのルパンが予告編の段階でちらりと見えるそんな描写故にテレビで放送できない状況にあるのなら、「傷物語<3 冷血篇>」は国立競技場らしき場所をしたバトルのすべてが、というかその前のギロチンカッターを貪り食らうキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードのシーンも含めて放送なんてできないだろう。それくらに残酷で、激しくて、そしてなぜか美しい。

 傷つけられても、それこそ手足をもがれても、頭だって吹き飛ばされても次の瞬間は再生をして蘇ってくる吸血鬼たちがぶつかり合う戦いは、どちらかが粉砕されれば終わりのこれまでのバトル描写なんて比べものにならないくらい、あるいはかつて描かれたことがなかったくらいの異常な描写が連続する。それはお互いに力を振り絞り、全能をかけて向かい合った戦いで、なおかつそんな中にひとつの思いなんかも通っていたりするからちょっとした情愛の感情も漂っていたりする。必至な阿良々木暦と余裕のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード。でもその内心にはともに痛みがあって嘆きがあって慈しみがあって決意があったという、そんな感情の通い合う様を見極められたかというとい、最前列で羽川翼のおっぱいを目当てに観ていた目にはちょっと追いつかなかったので、次はもうちょっと引いた場所から全体像を観て、どんなぶつかり合いがあってそこにどんな情感が込められていたかを確認しよう。


【1月5日】 そのタイトルに期待したくらいにはいろいろ見られた「パンチライン」に対して「AKIBA’S TRIP −THE ANIMATION−」はむしろ見せることこそが本筋というか、見せなければ先に進まない構造になっているからもう見せ放題の見え放題。正義の味方らしい少年がかけては手を伸ばして服を剥がすと見える三角。さらには谷間。そんな少年に力を与えた少女もやっぱり戦って服を脱がせてリボンのついた白いものやらそうじゃないものやらを見せまくってくれて、録画を再生していた手がリモコンのポーズボタンに伸びっぱなしになっていた。眼福眼福。秋葉原のあちらこちらが出てくるみたいであああそこ入ったことがある的な気分も味わえそう。GONZOもしかしこういうのを作る会社になったのか。時は流れる。

 秋葉原といえば3日にテレビで放送されていた「ラブライブ! The School Idol Movie」を録画でみてまずもって「Angelic Angel」のえりちのウィンクをポーズで止めて10分くらい見入って惚れ直しつつ、ラスト付近で前に出て扇を2度、手のひらにうちつける仕草の可愛らしさに感動しつつざっと飛ばして秋葉原に来て「SUNNY DAY SONG」の場面に映る秋葉原のこれも秋葉原らしさにこれで本当に秋葉原でスクールアイドルたちが集まって、「SUNNY DAY SONG」を歌ってくれれば最高なんだけれどと思ったけれども歩行者天国でのそうしたパフォーマンスって、一般人はもちろん企業を使ってのイベントとしても行われないからなあ。新宿だとお祭りめいたことがあるのに。やっぱり大勢がなくなた場所を何かの祭りにはできないのかな。でもいつか秋葉原中が楽しく歌って踊るような場所になれば。

 そういえば映画「ラブライブ! The School Idol Movie」が放送された翌日に神田明神の前を通ったら大行列ができていて、やっぱりライブライブの力、μ’sの力は偉大だなあと思ったというか。いやまあそれは違って普通に仕事始めの1月4日に近隣から勤め人たちが集まって参拝していただけで、神田あたりの氏神様っていった立場を改めて認識。どこまでが入るか分からないけれども見渡して浅草の浅草寺から九段下の靖国神社や飯田橋の東京大神宮あたりへと行かなければ、界隈から集まるのって神田明神になるものなあ、あとは湯島天満宮だけれどこっちは学問の神様で、行くのは受験生かその関係者が中心だから混むのはセンター試験が近づくこれからか。参道にはぱっと見幾つか屋台も出ていたんで今年まだ食べていない粉もんを摂りにまた行くか。ラブライブ!絡みのグッズとかあるかな。ないかな。

 そうそう神田明神を前に秋葉原へと抜けた時にCOMIC ZINへと寄って買ったのが安倍吉俊さんによる同人誌の「飛びこめ!!沼」。何それ「沼」っていったいなんだ、「灰羽連盟」みたいにダークなホラーかファンタジーかというとまるで違ってカメラの同人誌。ここで言われる「沼」とはつまりはカメラの愛好家たちがよく陥る。例えばレンズ沼といった感じで使われる、あれやこれやと気になっては買ってしまって収集がつかなくなる状態を指す。そして「飛びこめ!!沼」で泥船が沈む沼となるのがSIGMAというカメラ。交換レンズで有名だけれどカメラ本体も作っていてそれがまた質実剛健というか使いづらいというか、諸々の伝説を持って語られている。

 重すぎる上に手ぶれ補正がないんで、電柱に横付けして動かないようにして撮れとか。その時は自分も抱きつけとか。本当かなあ。でもそれやれば確実に撮れそうな気はする。今度やってみよう、PENTAXだけれど。ともあれSIGMA、使い始めれば不満はいっぱい出てくるけれど、それでも使ってしまう上に新型機種が出れば乗り換えてしまうというからまさに沼。その沼に陥っている安倍吉俊さんの経験が、女性と少年を登場人物にした漫画でつづられる。SD1なんて発売当時には70万円もした一眼レフが今は中古で5万円とか。

 決して20世紀の銀塩カメラではないのに、そんなに価格が下がってしまうとは。これがニコンのデジタル一眼レフの1代前にあたるD4なら、下がったところで20万円とか30万円はするのにSD1の場合はちょっと下がり過ぎ。つまりはそれだけ無価値化するのが早いってことなんだろうだけれど、下取りとか考えないでSIGMAを買ってしまうあたりがすでに沼、なんだろうなあ、って主人公の女性は中古で買ったみたいだけれど。ただSD QUATTLO Hも買ったみたいでそっちはこれから安倍吉俊さんも購入済みで、今後の漫画でインプレッションが語られていくことになるんだろう。続くのか? だってこの同人誌、「01」ってついてるもん。

 言いたいことのためには歴史だってねじ曲げて平気な媒体だってことはすでに広く知られているから今さらだけれど、通州事件だなんて踏み込めば自分たちのヤバさもいっしょにクローズアップされる過去を今さら持ち出し、問題点を知らないふりして言いたいことを言える材料だけをつまみ食いして有意の人たちから苦笑を買っていたのに続いて、今度は沖縄という場所を悪く言うために統計だとか数字といった、操作しようもないものを恣意的に使って記事を仕立て上げてきた。何でも沖縄が全国の都道府県で最も平均年収が低いというのは、沖縄が世間にそう思わせ、補助金なんかをガメるためるに行っていることで、高知県が使っている算式を使えば最下位にはならないんだとか。

 曰く「ところが、高知県(調査時点では45位)と同様の方式で計算し直すと、沖縄県の1人当たり県民所得は266万5000円で63万円増加し、全国28位に浮上することが判明した」。ここでひとつ疑問。28位に上がったというけれど、それは沖縄県の数字だけを高知県欲しきにあてはめて計算したものであって、他の都道府県について高知県方式で計算はしていないのか。もしもそれをやったら全体にかさ上げされていく中で、沖縄県はやっぱり全国レベルで最下位に近い場所に居続けるじゃないのか。

 たとえ最下位でなくても低いということ、それ事態がやっぱり問題であって、そうした地域格差をなくすことを社会の木鐸として訴えるべきなんだけれど、そうではなくって沖縄県はズルをして低く見せているんだとばかりの論調を掲げ、その根拠となる部分では、統計として重要な同じ基準を使って比べることをしていない。感覚でもってそうかもしれないと言ったところで誰が信じるか、って思うんだけれど、中国を悪く言い、韓国を悪う言い、沖縄を悪く言いたい記事が大好きな人たちが、沖縄はやっぱり悪いんだといった論調に落ち着いているから厄介というか。

 もちろん、そんな不思議計算の結果を信じる人は少と思いたいけれど、ネット時代でそれなりに社会性を持った新聞が、根拠はなくても書いた数字はそれなりの意味を持って流布されてしまう。信じる人も出てくるだろう。あるいは沖縄を貶めたい勢力によってそうした数字が利用されてしまう可能性がある。それが狙いなんだろうけれど、でもやっぱり大勢としてはは無茶をやっているなあと感じて手に取らなくなるもの。そして一部信者だけがもてはやすマイナー媒体に陥ってその先、どうなるかっていうと結果は明白なんだけれど、今をもてはやされればそれでオッケーなんだろうなあ。信頼を切り売りして売り尽くした今、虚偽を売って借金を膨らませている感じ。破裂する日も遠くないかも。


【1月4日】 なんか東京都が2020年の東京オリンピックやパラリンピックで贈るメダルを使われなくなったパソコンとか携帯電話なんかから取り出した希少金属でもって作るとか言い出して、都民の皆さんに保管しつついずれの拠出を呼びかけているのを見て、それだったらちゃんと全国で希少金属のリサイクルをやっている業者から買って流通を促進するのが良いんじゃないか、そこで都民から直接集めてしまったら、リサイクルが成り立たなくなって廃業に追い込まれるところが出て、そしてオリンピックの後にどこも引き取り手がなくなるんじゃないかと思ったけれど、そういう民業圧迫ととられかねない所業であっても、表向きは何か良いことをやっているんだといった面構えを見せて、世間を欺きにかかるんだろう。なんという厄介な。

 とはいえ売れば売れるものをタダで出す人もいないだろう状況下で、集まりが悪いと感じた東京都あたりが政令を定めてまずは都の職員が持つ携帯電話やスマートフォンを買い換えさせては、古い携帯やスマホを拠出させれ希少金属を集め、やがてそれも滞るようになって手持ちのスマートフォンや携帯電話を1家に1台までとして、家族の分はまとめて拠出するように求めたりしそう。さらには都民に対してもとんからりんと隣組を復活させては、1家に2台以上あるものを密告させて拠出させ、そして江戸川と多摩川に関所を作って23区に働きに来ている人から1台ずつ、携帯やスマホを拠出される施策を打ち出してきそう。目的のためには過程なんて気にしない。そんな施策は後に「スマホ狩り」として歴史に残ったという。やれやれ。

 しかし希少金属だけ取り出した後の電子機器はどうせ廃棄されるだけなら、いっそ現代アーティストで電子機器やAV機器なんかからパーツをとって組み合わせ、色を塗ってレトにクールでスタイリッシュなガジェットに仕立て上げる池内啓人さんに頼んで、全国から集められたパーツやら電子部品を組み合わせてメダルを1つ1つ、手作りしてもらえば前代未聞なメダルが出来上がるのに。同じ物が1つとしてないという。そしてクールジャパン的で秋葉原的なテイストにも溢れているという。そんな施策を繰り出すなら小池都政、認めてあげてもいいけれど、そういう冒険はしなんだろうなあ。池内さんに限らず現代アーティストから江戸っ子の職人から総動員したメダルを競技毎に作ってもらう。最高じゃん。どうせ貴金属としての価値なんかもうないんだから。うん。

 週末というか年末年始の2016年12月31日から2017年1月1日までの映画興行ランキングが出て新海誠監督の「君の名は。」が前週の7位から3位へとランクアップ。8月末に公開されてもう4カ月以上が経ってのこの勢いってやつはやっぱり凄く、2学期が始まってなかなか忙しくって映画に行けなかった人たちが、お年玉ももらったんで映画館にかけつけたのかそれとも2度目3度目を見に行ったのか、分からないけれどもともかく異例ともいえる粘り強さを見せている。ロングランはあったけれども「千と千尋の神隠し」ってこうまで粘ったって印象があんまりないんだよなあ、一気に駆け上がってあとはつらつらってところ。こっちはずっと保っているという感じ。それだけ若い人たちにとって“必要”な映画になっているってことなのかもしれない。そこにあって欲しいというか。

 そして気になった片渕須直監督の「この世界の片隅に」は10位から1つあがって9位。圧倒的に上映館数が少ない状況で驚異なまでの着座率を誇って興行収入を稼ぎ動員数を稼いで1つ、ランクアップしたってところ。シネコンなんかとは違って地方の単館計が頑張って満席とかを続出させているんで、そういうところの数字が集計させるランキングだとちゃんと入って来る。一方で東映が結構な館数で公開した「ポッピンQ」は1週目すら入らず2週目でも来ず。いったい何位くらいかを想像するのがちょっと可哀相になって来た。決してポッと出じゃなく前々から予告編も流してイベントもひらいていたの。どうして届かなかったんだろう。そこはちゃんと検証すべきかも。ローティーンからミドルティーン向けに見えたけど実際は深夜アニメ好きのお兄さんたち、ってかみ合わせが巧くいかなかったのかなあ。

 「この世界の片隅に」で言えば1月4日でどうやら興行収入が10億円に達したみたいで、単館系ではおそらくとてつもなく異例のヒットでその興行の成功もまた検証が大いに必要かも。広告的なターゲット分類でいうところのF1層F2層が見るようなテレビのワイドショーなりバラエティなりにほとんど情報が出ず、一部の雑誌とあとはネットでそして結構な高齢者が読む新聞なんかが中心だった宣伝なりタイアップだったけれど、そうしたところがまずしっかりと食いついては映画館へと足を運び、もともともファンだった人たちの熱心なPRも重なって外へと向かって情報発信を始めるようになった。

 その結果、やや上の世代なんかもちゃんと来るようになり、そういう人たちが下の世代を引っ張りさらに下といった感じで世代が広がり今なおしっかりとした動員を稼いでいる、って感じだろうか。もちろん作品の良さっていう基本があっての現象だけれど、良い作品なら人が来るってものでもない状況に、これで変化をつけられるかもしれない。良い作品は良い作品だと大勢が気づいたから。2017年もいろいろと話題のアニメーション映画が公開される。それがどれだけヒットするか。ポッピンするか。見ていこう。

 やれやれ。歴史戦とかいって自分たちに都合の良い歴史しか見ようとしないメディアの勢力が、厄ネタの通州事件を引っ張り出して大勢が殺害されたことだけを挙げてまたぞろいろいろ言い始めてきたけれど、そもそもそんな検証はとっくの昔に行われていて、中国共産党が現地の保安隊に誘いをかけたとかいった説も出ているし、それはいくつかある説の一つでしか無いとも言われている。広中一成さんが出した親書「津州事件 日中戦争泥沼化への道」(星海社)を読めば、そうした説を今さら持ち出すことに気恥ずかしさのひとつだっていい筈なのに、今さっき改めて発見されたかのような書きっぷりで持ち出しては、他の説にはまるで触れようとしないで一方的に向こうが悪いと決めつける。

 そりゃあ非戦闘員が残酷にも殺害されたことには憤りも浮かぶし、亡くなられた方々にはそれが日本出身者であろうと、半分に及ぶ朝鮮半島出身者であろうと動揺に悼む気持ちはある。ただ、そもそも通州は日本国内ではなく満州ですらなく、遠く北京のすぐ近くにあって、そんな場所にはるばる日本人が居留してたのは何のためか、そこで何が行われていたのかを考えなければ、状況に対するバランスの良い応えってのは見えなくなる。それから保安隊に反乱を起こされ大勢を殺されてしまった日本側に、どれだけのぬかりがあったかも考え、その拙さを追求しないといけないのに、そんな姿勢は見せはしない。だって見せたら歴史戦だって振り上げた拳が浮くから。だから知らないフリをしているか、本当に知らないか。どっちにしたって言いたいことを言うためだけの言説。それに踊らされる人も多いけれど、世界に持っていったら嘲笑されるだけだから。英語サイトになんか載せないで欲しいけれど。大丈夫かなあ。

 そして気がつくと第ブルーリボン賞の作品賞に映画「この世界の片隅に」と「君の名は。」と「シン・ゴジラ」がノミネートされていた。監督賞には片渕須直監督と新海誠監督の名前が。もちろん実写映画も含めた映画の賞なんで競争は激しく宮沢りえさんの好演が光った「湯を沸かすほどの熱い愛」なんかが有力なんだろうけれど、こうやってアニメーション映画が作品賞の候補として登場することがひとつには嬉しく、それが2本もあったりする状況に2016年という年の何か分岐点になりそうな意味合いってのも感じたりする。欲を言うなら並ぶくらいに素晴らしかった「映画 聲の形」にも触れられていたら良かったんだけれど、これはアニメーションのファンが強く印象に残しておくことで応えよう。「文化庁メディア芸術祭」か「東京アニメアワード」で「映画 聲の形」に顕彰を。


【1月3日】 真夜中にゴローちゃんがガーリックライスをかき込み、300グラムものリブステーキを食らっている様を見て自分も何か食べねばと思ったものの、冷蔵庫はごみの山に塞がれ稼働を止めて幾年月、かといって近所のコンビニまで出かけるのすら面倒な人間に与えられる食べ物などなく、すかせた腹を水で満たして埋めつつ眠る正月2日。どうやら「孤独のグルメ」に出てきた店は津田沼にあるらしく、行けば行けそうだけれど同じ系列の店が船橋にもあって、歩いて5分とかそんな場所にあるらしいんでいつか行こうとだけ決める。まあ行かないけど。ステーキとか食べてないなあ、もう何年も。

 お金持ちになると友だちが増えし、成功すると関係者がいっぱい出てくるというのは世の常で、映画「この世界の片隅に」が10億円のヒット作になりそうな状況の中で、そのスタートアップを支えたクラウドファンディングのプラットフォーム、Makuakeの偉い人がインタビューに登場して、過去にこうしたクラウドファンディングで作られた映画があったかと聞かれて曰く。「あるにはありましたが、自主制作的な短編映像を作るための資金を集めるものがほとんどでしたね。このように商業作品は前例がありませんでしたし、Makuakeでもアニメ作品はこれが初めてです」。

 ………。そうか「リトルウィッチアカデミア 魔法仕掛けのパレード」は自主制作的な短編映像か。いや違う、これはアニメミライで30分の短編「リトルウィッチアカデミア」が作られ、それが世界にも公開されて続編が見たいって声があがり、だったらお金が集まれば作るぜってなってクラウドファンディングの代名詞にもなったKickstarter上で募集が行われて、とてつもない金額が集まって、制作が決まってそして完成へと至り日本での上映にもこぎ着けた。その時間は82分もあって決して短編映像ではなく長編の映画と言っても良いくらい。完成度にいたっては当時公開されたどの映画にも負けていない。そんな事例がありながらも知らないか、知らないフリとするのがひとつ解せない。

 もしかしたらMakuakeによる「この世界の片隅に」こそが初のケースで、だからMakuakeは凄いんだ的ニュアンスを漂わせたいのかもしれないけれど、それで過去に事例に触れないのは正直さに欠ける。あとひとつ、クラウドファンディングのプラットフォームにいったいどれだけの背負うリスクがあるんだといった思いもあって、それで成功したら自分たちのおかげみたいなニュアンスを漂わせてしまっては、あんまり得にならない気がしないでもない。というか、クラウドファンディングは常に成功する訳ではなく、他に失敗した企画もあったりする。そうした中で、成否の境目はいったいどこにあったのか、成功のためにいったい何をしたのか、失敗した例では何が足りなかったのか、その違いはどこにあったのかを話さないと、単なるプラットフォームに過ぎないのに何で出てくるのって思われる。

 「この世界の片隅に」におけるクラウドファンディングの意義があるとしたら、全額ではなくパイロット版を作るということに特化して金額を抑えたこと(まあ規模としては大きいけれど)、そして、リターンをパッケージとかチケットとか完成品にせずお気持ちをもらってお気持ちで返すことに絞ってそんな心意気に乗りたい人たちを誘ったことだけど、それを設計したのはMakuakeなのか真木太郎さんなのか丸山正雄さんなのか片渕須直さんなのか。そうした部分を明確にしないと、成功したクラウドファンディングを展開した人に成功した事例だけで語ってもらっても、あんまりピンと来ないのだった。片渕さんに対するネット発の応援の心意気がずっと続いててくすぶっていて、「マイマイ新子と千年の魔法」の海外版パッケージのKickstarterでちょっとだけ顕在化したのを受けての日本でのゴーだったんで、乗った人も多いと思うのだった。そこを踏まえないと同じことをまたつづけても巧くいかないんじゃないのかなあ。

 吹奏楽部に所属する部員たちの楽器を演奏する手つきを完璧に描いて喝采を浴びた京都アニメーションがもし、綾野ことこさんの「ツルネ −風舞高校弓道部−」(KAエスマ文庫、648円)をアニメーション化したらいったいどれだけのリアリティを持った弓道のシーンが描かれることになるのだろう。何しろ口絵からしてキャラクターのキャッチーな絵柄ではなく、もちろん美少女なんて1人も描かれておらず、和装の弓道部員のそれも男子キャラクターによる射法八節の図解。それを見て分かる人がいったいどれだけいるんだろう。なおかつ物語も射法の解説があり、心得みたいなものが延々と描かれ、早気あなんて知らない人にはまるで知らない状態の説明があってやっぱりどれだけの人が“分かる”のかって思えてくる。

 そもそものタイトルになっている「ツルネ」からして絃音、すなわち和弓を引いて鳴る音のことで、それの違いなんかが心理状態やら技術なんかと絡んで分かる人には分かるとか。もしもアニメーション化されていったいそんな音をどうやって再現するのか。まるで検討も衝かないけれども「響け!ユーフォニアム」で高校の吹奏楽部がまるでダメだった音を大学の吹奏楽団によって再現させ、そして最高の演奏も行われた京都アニメーションだけに、プロ中のプロを見つけてそこもしっかり描いて来そう。いやまだアニメーション化が決まった訳じゃないけれど、期待したくなるじゃないか、京都アニメーション大賞の審査員特別賞を受賞した作品だから。

 まだ子供の頃に見た弓道に引かれ、自分でも初めて中学の頃には結構名もあげていた鳴宮湊だったけれど、いろいろあって中学の途中で早気が出て弓が引けなくなってそのまま逃げるように強豪だった中学を卒業し、上に進まず公立の高校へと入学した。ところがそこで幼なじみから誘われ、出来たばかりの弓道部に入るように言われ、出来ないからと逃げるようにして迷い込んだ森で凄腕の射手だった滝川雅貴という青年とも知り合って、交流を続ける中でどうにか早気を克服し、また仲間と共に弓を射ることに意味も見いだして高校の弓道部へ入部する。

 そこでも同年の海斗から絡まれたりもして、なかなかかみ合わなかったけれど、それぞれに個性があり特長もある5人のメンバーが、ぶつかり合いながらも理解も深め、補い合いつつそれぞれが抱える問題も克服していくことで、それなりの強さといったものを見せるようになっていく。猛練習というよりも、所作を確かめ形を整えることで弓が当たるようになるところが、スポーツ物とはまた違い、剣道や柔道といった同じ武道ともやっぱり違った雰囲気を醸し出す。将棋や囲碁に近い部分もあり、けれどもやっぱりスポーツでもあり、そして絶対的に武道であって作法が尊ばれる弓道の不思議。その所作から要点からどっぷりと浸れる緻密な描写が凄い。なおかつポッと出ながらも才能と努力で勝ち上がっていく“下克上”のドラマも味わえる。女子チームの描写が少なくイラストの1枚もないのが残念だけれど、それもアニメーション化されたらついてくるだろうから、やっぱり期待しよう。

 季が違っているとか悠長なことを言っている場合じゃ無く、本気でヤバい状況に来ているような某自称全国紙。トップに立つ人間が、正月早々にヘイトまみれな言説でもって世間を唖然とさせたけど、下も下でやっぱりヘイトに傾いた言説を流して世間を呆然とさせている。ちょっと前にネットの情報を集めて流していたキュレーションサイトとか、まとめて配信していたまとめサイトなんかが問題視されたことがあったけれど、それにすら劣るような真似を新聞という社会の木鐸を辞任していたメディアの看板を背負ったサイトでやっているからたまらないというか。

 過去にヘイトな言説で訴えられて敗れた人間が、やっぱり根拠の無いヘイトとみなされかねない言説をつぶやき、それに批判が寄せられたことを取り上げて1本の記事を作っている。そのスタンスがヘイトな側を持ち上げ優勢としているところがひとつ、不思議というかおそらくは記事書いた人間が、ヘイトな言説が好きな人間を番記者的に持ち上げているだけに自然とそうなったんだろうけれど、真っ当な思考ではちょっといたらないベクトルをで、読んだ人たちに何でそうなるといった思いを抱かせそう。もうひとつ、引用されているツイートが、いくら反論だったとはいえ一般の人たちのつぶやきで、それらが例えネット上にアップされて公開状態にあるとはいえ、好き勝手に引っ張ってメディアの題字の下でもってネガティブに書いて良いのかって問題も浮かぶ。

 これが真っ当なメディアなら、そうした発言なり反論なりに至った理由を聞きただして添えつつ、状況も分析しつつなるほどひとつの意見としては妥当で、けれども反論があっても当然で、そこにおいて乱暴な物言いがあったならそれは拙いとたしなめるものだけれど、もはやそうしたメディアとしての段取りを踏まず、矜持もない感じでネット上の言説をただ引っ張りぺたぺたと切り貼りしては、自分の応援したい方に優勢なように誘導する。もはやキュレーションとすら言えないプロパガンダ。それが新聞の題字の下で行われている状況に対して、世間は憤るどころかそこなら仕方が無いとすら思っている。そう見做され見捨てられている状況を、一部の支持だけで受けていると勘違いした先に来るのはいったい何か。考えれば分かるんだけれどなあ。考えられないんだろうなあ。


【1月2日】 元日はとっても混んでいそうなので遠慮をしつつ、それでもやっぱり行列が出来るのを想定して、朝早くに参ろうと思って午前5時に家を出て埼玉県は久喜市にある鷲宮神社へ。これでもう何年連続で参っているんだろう。「らき☆すた」の舞台になったと評判になって来場者が一気に増え始めた2008年からずっといっているから、ちょうど10年になるのかもしれない。だからといって別に記念イベントがある訳でもなく、早朝のためにほとんど行列なんてない状態の中をスッとお参りしてお札を買い、おみくじをひいたら「凶」だった。ちょっと珍しいかも。浅草寺じゃない場所でおみくじで「凶」が出たのって、ずいぶんと前に立ち寄った赤坂にある豊川稲荷以来だ。

 珍しいとはいえ持ち帰るのも何なんで結んでそして、これを払拭するにはやっぱり浅草寺に行くしか無い、同じ「凶」でもあそこのは強烈だから別のパワーで運勢を塗り替えてくれるだろうと思って東武線に揺られて浅草へ。こちらもちょっと時間が過ぎると正月2日でも長い行列が仲店の先、門の下まで出来るけれどもさすがに9時前ではそんなに人もおらず、スムーズにお参りできた。そして引いたおみくじは「吉」。もしかしたら8割が「凶」と言われている浅草寺にあってこれは貴重なので去年と同様に持ち帰ることにする。見渡してもまだ屋台は開いておらず、初詣の楽しみだった粉もんは食べられず。残念。

 それならと千葉は中山法華経寺へと回って参道の屋台をのぞいたもののこちらも午前10時前ではまだまだ準備中だったんで諦める。というか一時に比べてずいぶんと屋台が減った感じ。昔はそれこそ参道をずらりと埋めて門の当たりまで埋まっていたものなあ。イイダコがまるまる1匹入っていたたこ焼きもあったし。今はそんな感じもなく猫もおらずちょっと寂しい。でも霊験はあらたかなんで気にせず鬼子母神へとお参りして、今年の厄除けをお願いする。数え41歳の翻訳の時にも前後を含め3年連続でお参りして、そして厄払いのご祈祷も受けたら病気もしないで健康に過ごせた。さすがは鬼子母神さま。会社は傾いてボーナスは半分に減ったけど。でもその半分と今と変わらない。なおかつ当時は子会社だけだったけど今は親会社も含めて。やっぱり災厄ははらえない? いやいやそれはそれ、僕の健康には何の関係もないので気にしないのだった。やれやれ。

 行き来の道中は大森藤ノさんの「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか外伝 ソード・オラトリア7」(GA文庫)をつらつらと。ベルくんたちヘスティア・ファミリアとイシュタル・ファミリアとの諍いの直前にロキ・ファミリアにこんなことがあったなんて! って本編の方ではそんな影響、描かれていたっけ。フィンとか大変なんことになっていたけど、その後も普通に出ていたようなそうでないような。ちょっと記憶にないんで家に戻って掘り返して読み直そう。ティオネとティオナのアマゾネス2人も本気だすと怖いよなあ、っていうか特にティオネ。ふだんは姉っぽさを見せていてもいざとなったら口調は変わって腕っ節も。敵にしたくない女子ナンバーワンかも。

 それにしてもこのシリーズ、本編の方でもベルくんがただの幸運なラブコメ主人公的立ち位置から、自分を貫き強さを求めつつ愛情も失わない存在へと向かっていて、それにつられて物語にもシリアスな要素が増えて来たけど、こっちの外伝ももともとアイズ・ヴァレンシュタインのルーツ探しというシリアスな主題があっただけに、なおいっそうのシリアスで時に残酷な展開が繰り広げられる。呼んでいて辛いけれど今だとなかなかそいうシリアスさ一辺倒のライトノベルを書ける場所もなさそうで、出だしこそラブコメで始めつつ人気を得ながら、世界を広げ物語を深めシリアスさも加えていったこの作品はだから書きたいものを書けるようになるまでの、ひとつの道筋って奴を表しているのかも。どこまで続くか。何が描かれるか。本編も外伝も見逃せない。外伝アニメになるそうだし。

 あの電通が過労自殺にパワハラなんてものも乗っかって社長が辞任せざるを得ない状態になっているというのに、Jリーグではトップに立つチェアマンの人が根性があれば勝てるはずだとか行っててとっても気持ちが悪い。日刊スポーツのインタビューに答えた村井満チェアマンが言うには「リーグ戦を戦いながら、ACLを戦う日程的な厳しさもあると思いますが、心の中に言い訳があると絶対に勝てません」。おいおい日程的な厳しさを乗り越えて勝ったのは鹿島アントラーズであって、その内心をチェアマンがどうして代弁できるのか。本当は辛い苦しいとんでもないと思いつつ、チームなんだから勝つために試合に臨んだだけで、そのツケが今シーズに出るかもしれない。それでも「言い訳するな」って怒るのか?

 「し、万が一、ACLに出ることで日程的に損をするというような、ちょっとした心の緩みがクラブ関係者や選手にあったりすれば勝てません。すべてのタイトルを取りに行くという強烈な思いがあれば、日本のチームにできないことはないと思うのです」っていうもも単なる根性論で、損をするとは思いながらも勝利のために頑張っているだけなのかもしれない。そうした内心の不満にまるで想像を及ばせず、この過密日程でも勝っているんだから大丈夫だって勝手な判断を下している。さすがは苛烈な業務も自己啓発だってな感じに個人にこなさせ大きくなっていったリクルートの出身者。その過程て壊れていった人、落ちていった人への考えなんてまるで存在しないんだろうなあ。鹿島アントラーズが壊れないことを願おう。ジェフユナイテッド市原・千葉はもうちょっと壊れるくらい練習しようよ。昔のジェフの選手て誰もが精悍だったけど今は……。今年こそ。

 元号が今上天皇の在位であり現時点では存命と密接に関わったものとなっている現状において、その元号を総決算すると言うのはつまり今上天皇の御代の終焉を予想したものとして、場合によってはとてつもなく畏れ多い言葉だとして異論百出となるだろう。そんなことをもしも築地にある新聞社の編集局長が行ったとしたら、右側に位置する人たちはこぞって拳を振り上げ何と不敬だと訴えるはずなのに、とある新聞の編集局長が堂々「日本はいよいよ『平成』の総決算に入ります」と元旦のコラムに書いてもまるで反応がないのは、それだけ存在を認知されていないことと、そしてもはや右からも左からもやれやれまた言っていると呆れられ諦められているからなんだろう。同じコラムが冒頭で繰り出したのも隣国への当てこすりに近いワルクチで、1年の計を立てる元旦の書き初めがそれってことは、1年を通してワルクチを言い続けることなんだろう。それが好きな人は読むし、そうでない人は逃げていく。そして世界にはそうでない人が圧倒的。結果は……。やれやれ。

 なんかあちこちで「ルパン三世」のテレビスペシャルが放送されるみたいな年始の第1弾として「ルパン三世ル バイバイ・リバティー・危機一発!」が放送されたんで見たらなんだ面白いじゃん映画レベルじゃん。たぶん放送時にも見ている気がするけれども1989年放送で山田康雄さんも小林清志さんもテレビの2ndシリーズの時みたいな声がちゃんと出せてて峰不二子役の増山江威子さんも色っぽくって聴いてて不安がない上に、出崎統さんの監督であり絵コンテでコンピューターウィルスっていう1989年あたりではまだ最先端で今だって使えるネタを盛り込みつつ怪しげな宗教団体の暗躍を入れ、そして母と息子の確執から和解も入れて感慨深いストーリーにしている。ルパンがコミカルばかりじゃなくニューヨークの街並みもクールでスタイリッシュ。それを多く見せることで雰囲気作りに成功しているといったところ。映画館で見てもきっと面白がれただろうなあ。明日は「ルパン三世 ヘミングウェイペーパーの謎」を放送。裏ではおおすみ正秋さん「ルパン三世 ルパン暗殺指令」も。山田ルパンと小林次元、そして増山不二子のハーモニーを味わおう。


【1月1日】 いやあもう面白かったよ最高だったよ2016年のNHK紅白歌合戦。茶番だの小芝居だのといった悪評も聞こえてくるけれど、もはや歌がメディアでまんべんなく広められて誰もが知る流行歌が毎年毎月生まれている状況でも無い中で、その年のトピックを絡めながらヒットした歌を流しつつ、過去の名曲も歌ってもらって世代を広く引きつける手段はあって当然。たとえ歌謡バラエティーと化そうとも、それで歌が世に聴かれるようになるなら良いんじゃないかとも思う。聴かれもしないで特典だけ抜かれて捨てられるよりは。それすらも1枚はたぶん聴かれているだろうからやっぱり良いのかな。

 そんな紅白歌合戦で愁眉はやっぱり「PPAP合唱付」か。あのピコ太郎をフィーチャーして全編に絡ませつつ、「シン・ゴジラ」の襲来をサイドストーリーとして混ぜいつ来るどこから来るといった関心を誘って引きつけ、そして最大の茶番となるNHKホールへの到着。そこで武田アナが表に出ては実況を行い呼びかけも行い、応えたピコ太郎がNHKホールの2階だかにしつらえられたステージで、男女混声の合唱をバックにPPAPを歌う前後にベートーヴェンの交響曲第9番合唱付を奏でさせ、そして「PEN」だの「APPLE」だのといった部分で合唱風の声でもって被せてくる。

 なんという芸術の無駄遣い。でも聴かれなければ芸術だって無意味にされかねない中で、こうやって合唱の凄さを見せつけることによって興味を誘えれば、それはそれで良いんじゃないかって気がしてる。三山ひろしさんのけん玉だって、演歌歌手にとっては目立つ手段だろうけれど、けん玉にとってはそれで世に広まる機会でもある訳だし。それにしても格好良かったなあ、後ろのけん玉プレーヤー軍団。あんなことが出来るのか。やってみたい。そう思わせたら勝ちなんだよ。戻って「PPAP合唱付」から武田アナの「PPAP」を混ぜ、そしてX−JAPANによる「紅」でもってゴジラの凍結を成し遂げる展開は、よくもまあYOSHIKIたちが乗ったと思わないでもないけれど、紅白に出ると決めた段階で野暮やっても仕方が無い。そんな思いもあったのかも。それとも「シン・ゴジラ」が好きだったとか?

 巨大生物災害対策本部のメンバーを混ぜて(尾頭さんがいないのは残念)ストーリー仕立ててで見せたのも「シン・ゴジラ」好きには嬉しかった。見てまた映画館に「シン・ゴジラ」を観に行きたくなったけれど、あんまりやってないんだよなあ、さすがに。また蒲田宝塚に行こうかな。あとはやっぱり2016年を代表するヒット曲とも言えるだろう星野源さんによる「恋」が聴いてて最高だった。ガッキーが踊ったとかそういうんじゃなく、ドラマをほとんど見ていない僕でも何とはなしにメロディーも歌詞も耳に入っていたとう事実、これが流行歌って奴なんだろうけれど、なぜか日本レコード大賞にはかすってもいない。10月スタートのドラマで間に合わなかったかもしれないけれど、文字通りに2016年を代表する曲に触れないってのは業界として間違っている、そう思える。だからこその衰退、なんだろうなあ。

 そしてRADWIMPS。演奏は良かったけれどもそのバックで流れた新海誠監督による「君の名は。」の映像が完全に演奏とシンクロしていた。生の演奏でピッチがズレればパーになりかねないところを、どうやて合わせたのかが不思議だけれど演奏のタイミングとそして歌詞にマッチした映像がタイミングよく出ていて目も耳もそっちへと向かってしまった。さすがは新海誠監督、編集の鬼。でもこれも1夜限りなんだろうなあ、もったいないけど、それがお祭りってことで。Perfume。体の動きとLEDの店頭をシンクロさせるのはリアルタイムでキャッチしていたのか、動きをトレースして作った上でそのとおりにPerfumeが踊っていたのか。後者なら凄いけれどそれくらいやるのがPerfumeなのだ。

 東京都庁からの椎名林檎さんは議事堂にプロジェクションマッピングを行いつつおろさくはリアルタイムでのCGも重ねてテレビの視聴者には見えるような操作をしていた気がする。前年とかのPerfumeでも使われていた技術。あとリオデジャネイロ五輪での日本紹介イベントでも。電通が絡みライゾマティクスが担当していればそれくらいは平気でやるだろう。TOKIOでも東京都庁でのプロジェクションマッピングが使われていたっけ。今や普通の技術になってあとは場所と発想の勝負になって来た。どこがどんな変化を見せるか。楽しみだしその先を行くようなアイデアが出てくるのも楽しみ。それこそなにもない空間に映像を出せるようになるかも。それで2020年の東京オリンピック/パラリンピックを彩り世界を驚かせよう。AKB48の群舞も良かったなあ。ソロの誰かより集団の迫力こそがAKB48の魅力なのだ。

 そして呼んだあわむら赤光さん「我が驍勇にふるえよ天地3 〜アレクシス帝国興隆記〜」(GA文庫)はとりあえず、1国を任される身となったレオナートは人材を抜擢しては国の運営を軌道にのせつつあったもののそこに隣国のアドモフ帝国から冬にもかかわらず侵攻が。皇太子の地位を盤石にしたいと思う中将が、武功をあげて政権中枢に食い込もうと兵を動かしたものらしいけどその侵攻の裏側で、別の思惑も動いていたりしてレオナートは2正面での戦いを余儀なくされる。英雄が一騎当千の戦いを見せるレオナートたちに対して、アドモフは兵士に下士官に士官といった指令の系統が立ってそこでそれぞれが戦況を見ながら戦うからなかなかレオナートでも壊走させられない。

 手こずっているうちに別の方面からの侵攻があって困ったものの、そこは美しい軍師もいてどうにかこうにか切り抜けたものの幼いころから鍛えてくれた武将を失うという事態にも。そしてアドモフ帝国の側にも皇太子を立てようとする派閥があって、それに動じない守旧派の6長官たちがいて、さらに武勲を上げている王女を支えようとする派閥があってと三つどもえのなか、謀略が巡らされその材料にレオナートたちも絡められて先が見えにくくなっている。後の戦記からの振り返りが挟まれるからレオナートが吸血皇子の名を持った苛烈な指導者になることは分かっている訳で、そこへと至る過程にどれだけの戦いがあり、そこで部下にした者たちによるどれだけの活躍があるかを、追いかけていく楽しみが増してきた。問題はちゃんと完結させられるかだなあ。そのためにも買わねば、読まねば。

 そして元旦からシネマート新宿で「時をかける少女」。なんでまた上映かとも思ったけれども10周年を記念したボックスも出たりして盛り上がっている中で、見たい人もやっぱり大勢居そうだと感じたからなんだろうなあ。実際に結構な人出があったし、ひとりで来る女性とか。やっぱり心を千昭に持って行かれて未来で待っている彼に会いに来たんだろうか。そんな映画を見て10年前に始めて見た時の感想とかを振り返ったら、「筒井康隆原作! 細田守監督! ならば100万人の動員は確実! という時代は来るのか?」って感じにスタジオジブリ一辺倒で、新しいアニメーション映画をまるで注目しない世間に憤っていた。幸いにして細田監督は「おおかみこどもの雨と雪」でブレークしたけど、片渕須直監督は「マイマイ新子と千年の魔法」が今ひとつでそのあおりから「この世界の片隅に」を作りづらかった。それがヒットして果たして変わるかというと、やっぱり細田監督なら、片渕監督ならっていったブランドに縋る状況が続くんだろうなあ。良いものを見定めそれを売るために邁進する。そんな幸福が本格的に訪れるのはいつか。明日か。永久に来ないか。これからの数年に注目。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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