Last Updated 2018/12/10
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
『機動戦艦ナデシコ』の空想科学設定や『星方武侠アウトロースター』のSF設定を手がけ『ニンジャバットマン』では設定考証を担当。あのジョージ・ルーカスも通った南カリフォルニア大学の大学院で映画を学んだ堺三保が満を持して自身の映画を撮ると決意しクラウドファンディングをスタート。『オービタルクリスマス』が描く軌道上の奇跡にきっとぼくたちは涙する。
【12月10日】 例えば北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が完成したデパートを視察するというのは、国の指導者として新しい施設を見て働いている人を激励しつつ、北朝鮮という国がこういう状況にあることを世界に発信する上で重要な振る舞いであって、そうした行為を報道することもまた北朝鮮の現在地を紹介するという意義があり、またそうしたプロパガンダの先頭に立つ人間なんだといった金正恩委員長のキャラクターを世界に知ってもらうという意味もある。つまりはとても重要な報道だと言える。

 一方で日本の総理大臣が、近所にあるデパートに買い物に行ったという話は、まさしくそれがどうしたといったレベルであって、報じる価値など微塵もない。それならもっと重要な総理大臣が誰とあって何を話したかを、子細にわたって伝えるべきだろう。だから日本の総理大臣が渋谷にある百貨店で買い物をしたという、ただそれだけの話はニュース価値として北朝鮮の金正恩委員長のデパート視察に遠く及ばないものであるにも関わらず、それを嬉々として報じるメディアが日本に存在することを、国民は絶望した方が良いのかも知れない。

 これが例えば導入され始めたpaypayを使ってみたとか、もはや死後のプレミアムフライデー活性化に乗り出したとかいった話だったら、報道する意味がまだあったかもしれないけれど、デパートでゴルフ関連の買い物をしただけの話を、写真付きでニュースにしてしまって恥じない人たちが、メディアに存在して特に呆れられもせず、もしかしたら歓待すらされているかもしれない状況が将来、総理大臣のあらゆる振る舞いを嬉々として報じて礼賛する状況へと至るかも知れないと、そんな可能性を思った時、ただただ絶望しか浮かばない。同時に、そうした話を取材させた総理大臣の側に潜む、自分の振る舞いへの礼賛を期待する気分も、この国をとてつもない方向へと導きかねない。すでにそうなっていると言えそうだけれど、改めてヤバさが浮かぶ一件。参ったなあ。本当に参ったなあ。

 石田祐康監督による長編アニメーション映画「ペンギン・ハイウェイ」のパッケージ販売に当たって、店舗別の特典なんかが明らかにされているけれど、ざっと見た限りではLoppi・HMVの圧勝といった感じ。ペンギンに運ばれるおねえさんの線画が描かれたパスケースもまあ捨てがたいけれど、Loppi・HMVがつけるのはおねえさんとアオヤマ君が海辺の砂浜を歩くといったイラスト。これは泣ける。本当に泣けるシチュエーション。2人でいっしょに海を見に行こうとして、訳あってかなわなかった切なさがあり、そして永遠にかなわないかもしれないと思わせる苦さを感じさせつつ、それでも頑張っていつかたどり着いて欲しいと祈らせる。そんなパワーがそのイラストがある。机に飾ってながめながら、アオヤマ君が一生懸命に勉強をしてどこかにいるだろうおねえさんにたどりつき、海辺を歩く様を見たいなあ。スピンオフめいた短編のアニメーションにしてくれないかなあ。

 新宿にある角川シネマのアニメーション専用劇場への転換は前々から出ていた話だけれど、いよいよスケジュールに乗って来て館名も「EJアニメシアター新宿」に決定したとか。過去に秋葉原で映画専用劇場がオープンしながら、平日の昼間に来る客もないため数カ月で閉鎖となった記憶もあるだけに、そうした平日昼間に客となる高齢者を相手にしない映画館で大丈夫なのかと思わないでもないけれど、今はアニメーションは平日に客となる高齢者も見るものとなっていたりもするから、もしかしたら大丈夫なのかもしれない。それこそ1980年代に劇場でかかったガンダムだのマクロスだのロックだの幻魔だのザブングルだのルパンだのを上映すれば、観に来る感覚もいるのかもしれないなあ。

 とはいえ、DVDなんかで持っている作品をわざわざ劇場に見に行く客も限られそうな気もするだけに、やっぱりセンシャラウンドに代表されるような音響面なりで映画館に足を運ぶ気にさせる必要があるのかも。とはいえ、EJアニメシアター新宿のスケジュールを見ると、当初はパッケージ化されていない「花の詩女 ゴティックメード」だけれどその後はテレビアニメ「メイドインアビス」の総集編だし、その後は他でも上映がありそうな「幼女戦記」の劇場版では、あまりアドバンテージを得られない気がしないでもない。総集編なんて本編がネットで見られる状況で誰が行く? そう考えるといつか「ゴティックメード」の専用劇場になっていたりするのかもしれない。週に1回くらい永野護さんが現れたら通うかもしれないなあ。ファティマ姿の永野さんだったら話題沸騰だなあ。

 ICAF2016に作品が出品されていたということは、2016年にはすでに卒業をして就職をしていたってことになるのかな。日本大学芸術学部から出品されていた「私はワタシ」という短編アニメーション作品を見て、ADHDの子供が自分に対する偏見に歯がゆさを覚えながら乗りこえていこうとするストーリーに、多様性への優しい視線を感じたって、そんな記憶がある。そんなアニメーションを手がけた松實航さんは、大学で教えていた片渕須直監督によれば東映アニメーションに進んだとかで、ICAF2016が開催された2016年にはすでに働き始めていたんだろう。

 2018年はだから就職3年目に当たるけれど、その年の4月から始まった「ゲゲゲの鬼太郎」で使われた第1クールと第2クールのエンディングアニメーションで、松實さんは何と絵コンテと演出を担当していたらしい。「月刊アニメージュ」の2019年1月号で、データ原口さんと道原しょう子さんが「ゲゲゲの鬼太郎」のエンディングを解説する記事を担当していて、そこで第3クールのエンディングを手がけた谷田部透湖さんの凄まじいまでの水木しげるフリークぶりを紹介しつつ、第1クールと第2クールを手がけた松實さんも取り上げている。

 読むと「ゲゲゲの鬼太郎」の第1話の演出助手に入っていた時、エンディングの曲を聴いてアイドル曲なんだけれどこれに自分で絵をつけてみたいと感じたそうで、誰からも頼まれもしないで絵コンテを描いて監督に見せに行ったという。それが入れられて担当し、以後も各話演出にも助手として参加続けている松實さん。遠からず演出も担当しそうな雰囲気。3年目の若手であっても才能があれば起用するアニメーションの現場とはいえ、そこで才能を自らアピールして仕事につなげるアクティブさが、世に出る上でやっぱり必要なのかもしれない。そういえば今千秋監督も、制作時代に演出家になりたくて、勝手に絵コンテを描いて演出家に見せに行ったとか。才能も必要だけれど努力もそしてひたむきさも必要。それらが揃えば道は開ける。ちょっとだけ勇気をもらった。死ぬまでにまだきっと相当に時間もあるだろうし、自分も何か頑張って見るかなあ。

 手取りがラグビーの1チーム程度では、ひとり暮らしの僕と違って家族がいて子供が進学期で夏と冬は増額のローン組んでいる人は即死してしまうだろうなあ。かといって毎月から回す訳にはいかず、そして次の夏に倍になるなんて可能性は皆無だと、どこかから借りてきて埋めなければデフォルトは必至で、なおかつ借りても返す当てはないといった袋小路。そんな状況にいったい誰がしたと叫んだところで、知らぬ顔して逃げ切りそうな人たちに向ける怒りが災いを呼ばなければ良いけれど。次はサッカーまで下がるか、一気に野球からバレーボールくらいまで下がってしまうのか。そこまで保たない? それが1番ある話。やれやれだ。


【12月9日】 神様だからといって全能ではないし全知でもない。自分が作り出した世界にクラス人たちを自分の思い通りに動かしたりはできないし、どこに何があるか把握もできないからグリッドマンがどこにいるかも分からない。そして世界を作って思い通りにできる力を妙な宇宙人に利用でもされているのかどんどんと悪い方向へと誘われては世界を混沌へと向かわせてしまう。「SSS.GRIDMAN」の最新話で新条アカネは思い通りにならない世界に心を荒れさせさまよい適当な怪獣を作った挙げ句、自分の知らない内面を怪獣化させられてしまう。それが暴れてグリッドマンを倒すかに見えたとき、アンチが怪獣からグリッドナイトへと変身してグリッドマンを助ける。

 もう訳が分からないのは響裕太らグリッドマン同盟だけでなく新条アカネも同様だっただろう。いったい何が起こっているか分からない状況の中、実はお隣だった宝多六花のジャンク屋に新条アカネが現れグリッドマンの正体とはちょっと違った響裕太を買ったナイフで刺してしまう。死んだか? 死んではないだろうけれどもリアルに起こった事件がどんな進展をもたらすかが次週のポイント。そしてグリッドマンと新世紀中学生はどこから来たのか、どうしてそこに来たのかも。アレクシスの目的と正体と力の及ぶ範囲も見えない状況下、手探りにように進む展開がとても良い。オリジナルはやっぱりこうじゃなくっちゃね。加えて原作なりウルトラへのリスペクトを掘り返す楽しみもある訳だし、やっぱり今秋アニメの最強かなあ、「SSSS.GRIDMAN」は。

 ようやくテレビアニメの「青春ブタ野郎はバニーガール先輩の夢を見ない」を最初とそれから途中あたりを観る。観測による異常な事態の実体化といった量子論的な設定を組み込み青春にありがちな不安定な心理がもたらす奇妙な出来事を描いていくといった設定で、最初は子役から人気女優になりつつあったヒロインが逃げたいといった心理を爆発させて自分を誰からも見えなくしてしまったのを、出会った梓川咲太が引き戻していくといった展開で以後、咲太を中心にして周囲の人たちが罹る青春症候群とやらの症例と解決を通して、青春の悩みの解消といったストーリーが紡がれていく、といった感じか。

 それは青春の悩みにぶち当たっている思春期バリバリな世代にきっとビビッドに来る話で、ちょっとばかり咲太がイケメン過ぎるけれども一方で不当な噂も流され敬遠されているといったマイナスポイントもつけてあるから嫉妬めいた感情をまねかず、共感の範疇においておける。そしてとことん親切なところで自分にはない立派さを覚えて嫌わず慕っていけるのだ。自身の何やら事情を抱えている様子で、それがあるいは青春症候群にどっぷり巻き込まれることなく観察者的な立場を保てる理由になっているのかな。そこも含めてきっと劇場版「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」で描かれるんだろう。

 気になったのは青春の悩みなんて誰でも等しくそれこそ全世界で発生するもので、それでいちいち思春期症候群が発生していたら世界中が混沌の渦に巻き込まれてしまわないかってこと。とはいえ人間の認識なんて寝て起きて変わったらそれが従来からの認識にすり替わってしまうもので、日々どころか刻々と誰かの思春期症候群で世界は変えられていながらも、観測者ではない普通の人は気付かないまま一生を終えるのかもしれない。そうした量子論的重なりの羅列めいた世界を解説してくれる量子論学者はいないものか。あるいは同様の雰囲気が漂う「revisions」と合わせ技で紹介するとか。グレッグ・イーガンとか絡んできそうで面倒なんで僕はパス。とはいえSFな人に「青ブタ」シリーズを読ませるのがまずは壁か。僕もアニメ化されないと読まなかったかもしれないし。ライトノベルの壁の方が思春期の壁よりも高くそびえ立つ。

 なるほどベースに合ったのは「劇場版プリパラ&キラッとプリ☆チャン〜きらきらメモリアルライブ〜」かもしれないと感じた幕張メッセでの「み〜んなでキラッとプリティーライブ2018」。虹色にのが歌った「あっちゃこっちゃゲーム」とか、夢川ゆいの「チクタク・Magicaる・アイドルタイム!」とか、真中らぁらと夢川ゆいによる「ブランニュー・ハピネス!」とかはどれも映画の中で映像とともに紹介された楽曲で、その映像をバックで流しつつ出演キャストがそれぞれの役に扮して登場して歌ったりするマッチングが見られて映画館に通った記憶が蘇って来た。年明けにイオンシネマでアンコール上映があるみたいなんで通ってとりあえず「プリティーリズム・オーロラドリーム」の回を何度か見たいなあ、「Dream Goes On」がライブで流れた瞬間、とくに「オーロラドリーム」を見ていた訳でもないのに涙がにじんだのは、映画で見た楽曲の良さに打たれてたってこともあるから。

 そう、ライブでは春音あいらを演じた阿澄佳奈さんが登場して、「ディアマイフューチャー」の上葉みあを演じた大久保瑠美さん、「レインボーライブ」で彩瀬なるを演じた加藤英美里さんといっしょに並んで登場してそれぞれの持ち歌を披露してくれた。その後にそらみスマイルとドレッシングパフェの6人といっしょに「Make it!」を歌ったのは映画でもあったシーン。映像では実現していたものが初めてリアルでも実現して、阿澄さんたちセインツと「アイドルタイムプリパラ」では呼ばれた神アイドルたちも嬉しかったようだった。こうして登場した以上は今後のライブなんかにも参加してくれるのかな。10年といった時を重ねて「プリティーシリーズ」で生まれたチームなりグループの存在感を改めて打ち出すことで、全体の印象を強めていこうって感じ。こうなると「キラッとプリ☆チャン」の存在感がなかなか高まって来ないけれど、そこはシーズン2が来春からスタートするみたいなんで、新しいキャラクターの登場なんかも含めて定着していく様を見守っていこう。

 ライブではそれでも「キラッとプリ☆チャン」からメルティックスターで2曲、そしてミラクル☆キラッツで2曲が披露されて他とはちょっと厚みが違ってた。テレビで見ると割と簡単に聞こえる楽曲が多いのが「キラッとプリ☆チャン」の特徴だけれど、それがライブだと逆に強く響いてくる感じで、テクニカルじゃない分ストレートに届くといったところなのかもしれない。タカラトミーアーツ的にも子供向けによりシフトさせようとしている中で、楽曲をストレートにして即座に乗れるようにしたいといった意識を盛り込んでいるみたいだし。個人的には青葉りんかが1人で歌う「リインカーネーション」で演じる厚木那奈美が映像と同じくらいに足を上げる姿を見たかったけど、それは9月の中野サンプラザで見たから良しとしよう。メルティックスターは役では小さい赤城あんながリアルでは大きい芹澤優さんで、逆に大きい緑川さら役の若井友希さんがリアルでは小さく逆転が起こっているのがライブだと分かって面白い。でも不思議と重なるところが役になりきり演じる声優さんたちの技って奴なのかも。次も絶対あるだろうから絶対に見に行こう。

 「レイトンミステリー探偵社〜カトリーのナゾトキファイル〜」でカトリーエイル・レイトンの父親のエルシャール・レイトンが助手のルーク・トライトンといっしょに行方不明になっていた事件を追うストーリーがいちおうの完結。レリックなる秘宝を探して回ってたどり着いた先で、どうやら何者かによって拉致監禁されたらしいとまでは分かっていたけれど、カトリーがレイトンの後を追ってたどり着いた寺院でもって発見されたレイトンとルークは冷凍睡眠でもしているかのよう。一気にSFめいた展開となってどういった技術が働いているのか、そしてそもそもレリックとは何なのかといった疑問が浮かび上がってきた。そのあたりがきっとこれからの展開で明らかにされていくんだろう。実は本当の父親ではなかったレイトンとカトリーはどういう関係になるのか。あの脳天気なカトリーならそんなこと気にせず父と慕っていくんだろう。恋人にするのはちょっと年が離れすぎ? それすらも気にしないかも。


【12月8日】 そして本編が完結となった川上稔さんの「境界線上のホライゾン11<下>」を買ってすぐさま読み通し、やっぱり葵・喜美は最強だけれどハッサン・フルブシもなかなかで、この2人はもはや神域に至っていると思い知らされた。もちろん浅間・智も巫女だけにその射撃は神がかっているけれど、あくまで神に仕える巫女だからチートな凄さは……発揮しているけれども人間業の範疇。でも喜美はもう舞えば世界が自分を中心に回ってしまうくらいの傲慢さで、幸福の塊ともいえる自分の<瓦解>、すなわち<幸福>側の自分を相手にあっさり勝利してしまう。

 剣術だって石川・数正に剣を振るう余裕すら与えずに両肩を真っ直ぐ貫き通す技を見せていたくらいで、そんなチートが生徒会にも総長連合にも入らず一般生徒のままでいた段階で、極東の勝利は決まっていたかというと、すでに過ぎ去って福島・正則や加藤・清正、そしてオリオトライ・真喜子らを生んだ時間の中では<運命>を相手に勝利をできずアバロンに潜んで過去への帰還を模索していた。だからやっぱり喜美だけでは勝てず、<瓦解?>の武蔵も大和も光の粒子へと変えたハッサンだけでも勝てず、葵・トーリがいてホライゾン・アリアダストがいて他に大勢の仲間たちがいて初めて世界を敵に回して勝ち抜いて、そして<運命>を相手に勝利できたんだろう。そういう意味ではすべてがかみ合い、うながって得られるものがあるという、メッセージをもらえた物語だった。

 明らかになったこでずっと気になっていた福島・正則の親というのが分かってそうだったのかと驚いたというか。いやいやだってどう考えたって本多・二代が母親だろう? 加藤・清正はメアリが母親だし糟屋・武則はネイト・ミトツダイラが母親だったし、平野長泰の母親は浅間・智で片桐且元の母親は向井・鈴だった訳だしと思っていたら意外や意外な母親の正体。だったら二代の立場はってことで、分かって納得のその関係。ずっとかついで走っていたくらいに仲の良い幼なじみがそういう関係になったと思えば不思議はない。マルガ・ナルゼとマルゴット・ナイトほど明確ではなくてもそういう組み合わせはありだよね、あの世界では。

 出来れば北条・氏直に再登場を願いたかったけれども襲名を外れ、自動人形の体も乗り換えているから出ても戦えないからそれはなしか。でも佐々・成政はあやかりと称して出てたしなあ。オールスターを一気に消化するのはやっぱり無理だったか。それでも里見・義頼の生きざまに改めて、意味を示してくれたのが嬉しかった。そういう意味でも誰もが脇役ではなくしっかりと意味を持って存在し、死んでもその意味を後につないでくれたことが分かった。きっとこれからもそうやって、登場人物たちが関係しながら世界を作っていくんだろう。誰がヒーローでヒロインでおなく。葵・喜美とハッサンを除いて。あの2人なら世界だって作り直しかねないからなあ。

 蒼山サグさんの「ゴスロリ卓球2」も読んでさてはて、地下卓球めいた場所へと主人公たちが堕とされたというか、ヒロインの父親を探して自ら堕ちていった格好だけれど多額の借金を抱えた敗残者たちが行く場所ってつまりは負け犬たちのたまり場であって、そこは世界のVIPたちが至高の卓球をかけた勝負を観て金をかけて楽しむ場所といった感じがせず、存在している意義があまり感じないにも関わらず、主人公たちも含めてそれなりの競合たちもいれば、借金だけを抱えた弱者もいたりするまだら模様の戦場として存在していて、日当めいたものも支給されていれば賭けも行われていたりするというズレが感じれて、今ひとつノれない感じがした。

 個々人が事情をかかえつつ体も命も貼って勝負するスリリングさがあればまだ良いんだけれど、敗北が即死では殺伐としてしまってライトノベルにはなりづらい。ましてや巻末に登場してきた主人公の妹が、賭け卓球のプレイヤーとなって敗れて堕ちるなんてことはあり得ないから、活躍の場を与えるために表の檜舞台へと主人公たちも戻してくれると思ってこれからも読んでいこう。ゴスロリ姿で卓球をするという、スポーツ的には奇妙でも芸術的には素晴らしい設定が、賭け卓球メインとなってあまり生きなくなっているのも寂しいし。一方の谷山走太さん「ピンポンラバー2」は卓球の特待生めいた生徒だけが集まった学校での上位進出を目指して戦うという分かりやすい設定が生きている感じ。このまま逃げ切っていけるか。「赤城山卓球場に歌声は響く」以来とも言える卓球ライトノベル勝負の行方を今は見守りたい。

 本の雑誌から出た「おすすめ文庫王国2019」で今回もライトノベルを担当。いったい何年目になるんだろう。とりあえず今回はSFが多めで犬村小六さん「やがて恋するヴィヴィ・レイン」を推してそれから瘤久保慎司さん「錆喰いビスコ」を推しつつ「りゅうおうのおしごと」も入れるといった案配。あとキャラノベ系とかライトノベル出身のSFとか。それにしても他の項目なんかを眺めてやっぱりライトノベルに限らず派生のキャラクター文芸ライト文芸キャラノベキャラクター小説等々のレーベルが、まるで取り上げられていないのが気に掛かる。

 「ビブリア古書堂の事件手帖」とかが流行ったときはそれでもメディアワークス文庫が入ったような印象はあるけれど、今回はメディアワークス文庫は言うに及ばず富士見L文庫も集英社オレンジ文庫もSKYHIGH文庫も講談社タイガですらも、誰かによって何かがセレクトされた形跡がない。バリバリのライトノベルだって「りゅうおうのおしごと」のように藤井聡太七段の活躍を予言しつつ今の女流棋士の置かれた立場なんかをしっかりとらえた良書が出ているんだから、エンターテインメントあたりで読まれて欲しいんだけれど誰にも触れられてないのはやっぱり知られてないのかなあ、テレビアニメ化でもだめなのかなあ。それでも自分が取り上げたから良いけれど、キャラクター文芸系のレーベルはほとんど空白地帯になってしまう。そこを中心に取り上げる企画がやっぱり必要だよなあ。

 藤津亮太さんが開いているアニメ関連のカルチャーセンターでの講座を受講している人向けの忘年会に混ぜてもらって傘下。アニメ好きな若い人が世の中にこんなにいるのかと感動をしつつ、そうした人たちがライターとして活動をし始めていたりアニメ関係の職に就いていたりするのを観て、教育は決してムダにはならないし、教養であってもそれは確実に役立つのだといった思いを抱く。ただ書き手として優秀な人が増えていっても、そうした書き手の優秀さを削ぐような空間へと至ってしまったら勿体ないので、アニメ評論が評論として成立する場なり、、アニメの記事なり企画なりが自由にできる環境がこれからもあり続けることを願いたい。チェックチェックでガチガチに縛って定形のありきたりな文しか載らないようになったらきっと、観ようと思わせる力は弱まりそれは結果としてアニメの力を弱めるから。


【12月7日】 アニー賞に続いてゴールデン・グローブ賞にも細田守監督の長編アニメーション映画「未来のミライ』がノミネート。日本の映画賞はこれからなんでどこまでノミネートされるか分からないけれど、公開時の評判では日本は毀誉褒貶あって興行成績も決して良好ではなく、日本アカデミー賞のアニメーション映画賞は獲得できても毎日映画コンクールののアニメーション映画部門を獲得できるかどうかは、ちょっと微妙だったりするかもしれない。そんな映画がけれども海外では主要な賞に幾つもノミネートおされる。この違いは何なんなのかが気になった。

 日本だとネットでの初動でのバズりやすいワードを持ったネガティブな批評が拡散され、定説化されてしまってそれに乗っかる人が大勢いて、大勢が決まってしまった感じ。盛り返そうにもマイナス地点からだとなかなか浮かび上がれなかった。それがアメリカでは、普通に観られて面白いと思われた。これで海外の評判が逆輸入されて評価が変われば良いんだけれど、すでに着いてしまったレッテルを剥がすのは容易ではないだけに、細田守監督の今後もちょっと心配になる。個人的には決して悪くはないと思えたし、むしろ「バケモノの子」より好きな映画だったりするだけに、日本での不評の意味が分からない。バズり狙いの初動でのネガキャンを防ぐ手立てがやっぱっぱり講じられるべきなのかもしれないなあ。

 講談社レジェンドノベルスの12月刊行の新刊から二上たいらさん「レベル1の異世界転移者 1 俺だけレベルが上がらない」をさっと読む。異世界転生で俺TUEEEEの裏を行くようにまずは転生してもレベル1程度で、なおかつそこからなかなかレベルを上げることができないでいた青年が、アレリアというお姉さまっぽさを漂わせた魔術士に拾われる形でどうにかこうにか生きていく中で、自分の力をコントロールする術を覚えてそしてアレリア先生が巻き込まれた事態を解決するといった展開がつづられる。なんだ弱くないじゃんか。

 その展開で異世界がどこかゲーム内っぽさを漂わせ、だから転生してきた青年だけが特殊なデバイスを持っていてそれを操作することで、自分をレベルアップさせていくことが示されているけれど、本当にゲーム内なのかまったくの異世界なのはや第1巻の檀家いでは不明。逃亡の旅へと出た青年がアレリア先生や隷属されたネコ少女やウサギ少女をどう扱うか、ハーレム展開も想像できる中で繰り広げられる冒険に今は期待だ。

 そしてプルーフでもらった2019年1月刊行の講談社レジェンドノベルスから登場の支援BISさんという名前の人の「迷宮の王 1 ミノタウロスの咆吼」を読んだらこれがは超絶大傑作だったので刊行されたら読むのだオール。迷宮の第10階層に生まれるボスのミノタウロス、って聞けば中にも届かないボスだからEクラスの勇者だってどうにかソロで倒せてCクラスに上がれる程度の強さなんだけれど、その時、なぜか生まれたミノタウロスは違っていてそしてダンジョンの常識を覆す事態に発展していくという、そんな設定を持っている。<まさかと最初は人間の冒険者たちともども驚かされ、けれどもだったらと慎重になってもその上を、あるいはその横を行く展開があってこれはヤバいと思った果てにひとつの境地へと至るところにある種の神話の誕生を見た。

 求道者然としてただ戦いに明け暮れるミノタウロスの愚直さが、そのミノタウロスを倒そうとしつつも政争に明け暮れる人間のやましさをかえって見せつけどっちが叡智なんだよと思わされる。「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか」に登場するミノタウロスもモンスターでありながら意思めいたものを持ってベルくんと戦い始めたし、モンスターにも知性を持ったものたちが現れ始めた。そうした展開とも重なり既成概念のひっくり返してくれる楽しみがある。クライマックスで再会があって緊迫してそしてグッと時間が進むんだけれどその後もあるのかな。それは迷宮の王として止まり続ける展開なのかな。続きが楽しみだ。心の底から楽しみだ。

 主に女性の受験者に関して採点を下げて本当だったら合格水準に達していながら不合格にしたことで、大批判を浴びた日本医科大学がどうにか失地回復をしようと不合格にした人たちを追加で合格にしたといった話が出て、それなりにやっているんだと見ていたらどうもそうでもなくて、やっぱり自分たち本位なのかもしれないと思わせる事態。101人を追加合格にして、入学希望者を募ったところすでにどっかに合格していたかして希望しない人もいたようで、49人が入学を希望して手を挙げたという。

 ところがそのうち5人が入学を認められなかったというからいったい何のために追加合格にしたんだと非難囂々。1度ならず2度までも不合格とう通知を受けて当該の受験者の心もきっと傷ついたことだろー。もしも公務員とかの採用試験と同じで水準を超えた合格者をまず出して、そこから成績順で定員までを採用していくような仕組みだとあらかじめ、追加合格者に伝えてあったのだとしたら、少しは理解してあげられないこともないけれど、最初の受験の段階で合格していて、入学を希望したら入学できたはずの人たちが、今回は拒絶されるというのはやっぱり納得がいかない話。どうしてなんだと憤って当然だ。最大で63人を受け入れるとも言っていたらしいから、それすら守れていないってことになる。

 そもそもが不合格者に比べて点数が低かったにも関わらず、ゲタを履かせられて合格した人がいたりする実情の中、それより上のはずの人たちが定員に達したからと排除されて納得できるはずもない。世間もどうして合格させないんだとすでに言い始めている。そうした批判が出ることを承知で、東京医科大学が合格を認めながらも入学を認めなかったのは、体面なり体制なりを守るためにはネガティブな印象がつくこともやむを得ないと判断したからなのか、そもそも何が問題なのかを理解していないからなのか、そこがやっぱり気になってしまう。こうして愚劣な施策を何度も繰り出して学校が受けるダメージも少なくなさそうだけど、それでもやってしまえる背後に何かあるのかもしれない。定員を超えては何か補助金が削減されるとか。今後の報道を見守っていこう。

 ライトノベルの項目を担当した「おすすめ文庫王国2019」が刊行。川上稔さんの「境界線上のホライゾン」を今回は10位に入れておいたけれど、期間内に完結していれば間違いなく1位に入れたいただろうし、来年も担当するなら今度こそ1位に入れるだろう。その分厚さでもって特集をされたって不思議はない文庫本。でも誰も関心を示してくれないのはライトノベルだからなんだろうなあ。文庫Bリーグでもライトノベルは最初から除外で、かろうじてメディアワークス文庫が入って、あとは初めて富士見L文庫が入ってきた。電撃文庫もスニーカー文庫もファンタジア文庫もMF文庫Jもダッシュエックス文庫も触れられもしないのは、売り上げだけではない決め方をされているから仕方が無いとはいえ、言及すらされないのは同じ文庫と認められていないようでちょっと悲しい。それでもライトノベルで項目を作ってもらえて、紹介させてもらえるところにまだ活路はあるのだろう。来年も続いてくれると願おう。そしたら見事に運命をぶっ飛ばして本編完結した「境界線上のホライゾン」を1位に推すから。


【12月6日】 大英博物館のTwitterのヘッド画像が「ゴールデンカムイ」のアシリパさんになっていると聞いて見に行ったら本当にアシリパさんになっていた。どういうことかと見たらどうやら来年の5月から8月にかけて、大英博物館で日本の漫画を特集する企画展が開かれるらしい。それも単純に現代の漫画を紹介するだけでなく、遡ってそれこそ絵巻物の時代から山東京伝による戯作、そして葛飾北斎による「北斎漫画」を経て河鍋曉斎の妖怪だとか新聞とかに掲載された風刺画だとか戦後の貸本だとかも触れつつ萩尾望都さん「ポーの一族」に尾田栄一郎さん「ONE PIECE」、こうの史代さん「ギガタウン 萬符図譜」といったものを並べて日本の漫画の歴史と現在地を振り返るものになるらしい。

 もう相当に踏み込んだ内容で、日本でだってここまで本格的に漫画の歴史を振り返った展覧会が国立の美術館で開かれたことがあるかと考えた時、発祥の国でありながらもそれ故にサブカルチャーの域に置かれているってことが浮かび上がってくる。なるほど最近は新海誠監督であり荒木飛呂彦さんでありといった個別のクリエイターにスポットをあてた展覧会が開かれているし、随分と前には東京国立近代美術館で手塚治虫さんの業績を振り返る展覧会も開かれた。ただ歴史に踏み込んでキュレーションしたものとなると、その位置づけなんかを検討した上でセレクトする必要もあって相当な研究が必要そう。だからなのか個別の作家を評伝的に紹介しても漫画という表現をアカデミックに捉えた展覧会はやっぱりあまりやられていない。

 さらに言うなら個々のクリエイターについても、編年的に業績は並べてもその表現に踏み込んで比較検討するようなキュレーションが成されているかというと、最近はちょっと衰退しているような気もしないでもない。手塚治虫さんの展覧会が東京国立近代美術館で開かれた時は大きく延ばされた図案が手塚さんの特徴を示していたって記憶があるし、最近でも細田守監督を取り上げた東京ドームシティでの展覧会で、過去の作品と比較して細田監督の創作のポイントであり、工業製品としてのアニメの作られ方でありといった部分がキュレーションされていた。そうした学術には手間がかかるしコストも必要。だったら作品を借りて並べれば、それで満足して喜ぶファンもいるだろうからそっちに流れてしまえとなる雰囲気も、決してなかったりはしなかったりする。

 まるで販売を目的とした画廊のショーみたい。それだけでも嬉しいけれどやっぱり大英博物館が本気で漫画の検討を行うとなると、本国の日本が動かない訳にはいかなくなるだろう。国立新美術館とか協力しているみたいなんで、その検討を日本へと持ってきてくれたら嬉しいし、今フランスで森川嘉一郎さん監修で開かれている日本のポップかチャーを見せる展覧会も是非に日本へと持ってきて欲しいんだけれど、一方で長く続けて来た文化庁メディア芸術祭を国立新美術館は2017年い続いて2019年も開かず前回は初台へ、そして次は日本科学未来館へと追い出してしまう。同じ場所で長く続けて培われるノウハウがあり継承される知識もあるのに。勿体ないけどそれが高級国立貸画廊たる国立新美術館の限界なのかもしれない。果たして大英博物館初の日本行きとなるのか。そこを気にしつつまずは大英博物館での漫画展の成功を祈ろう。

 アミューズメント施設向けのアクティビティなんかが出展されるレジャージャパン2018を見物に行く。去年も出ていたHADO KARTは電動カートを走らせながらコインをとっていくゲームが変わって火の玉をゲットしつつそれでチャージしたエネルギーでもって別のプレイヤーを見つめて火の玉を発射するゲームに変わってた。ただ走り回るだけでは得られなかった敵を倒す快感を得られるところが進化というか変化というか。でも窮屈な姿勢でアクセルを踏み込みつつハンドルを切って狭いスペースを動き回るのはなかなか大変。さらにエネルギーチャージのために火の玉ばかり追いかけていると、知らず相手に後ろに回られ火の玉をぶつけられてしまうから攻守の両方に配慮しなくちゃいけなくなる。その意味でも深化もあったと言えそう。なかなか楽しむ場所がないけれど、いつかアミューズメント施設でカート替わりに遊べるようにして欲しいなあ。ホロレンズが高すぎるかなあ。

 いつものハシラスも出ていて懐かしの乗馬フィットネス機器を応用した「ハシラス レース」を出していた。っていうか原点ともいえるVRをどうして今さらと尋ねたら、いろいろとバージョンアップがなされていたという。それもIPを載せた「VR進撃の巨人」からの応用で、馬を走らせながらコントローラーのトリガーを引いて障害物を乗りこえる「進撃の巨人」のギミックを取り込んで、操作はなくても障害物を飛び越えるようなアクションを織り交ぜることにによってより迫真の乗馬体験ができるようになった。坂道を駆け上がってから駆け下りていく場面の迫力はなかなか。けっこうカーブを抜けている気もするけれど、それで酔わないのは案外に真っ直ぐなのを曲がっているように錯覚させているからなんだろうなあ。そういうノウハウも長くはって来たハシラスってことで。次ぎは何を出してくるだろう。楽しみ。

 いきなりポケットWi−Fiが繋がらなくなって、ファーウェイだからCIAによってバグでも仕込まれ潰されたかと戦いたらどうやらソフトバンク全体に通信障害が出ているようで、同じグループのYahoo!モバイルにも影響が出て止まってしまったらしい。前はイー・モバイルで独立していたんだけれど、グループ化されてしまって一緒くたにされてしまった感じ。とはいえ同じYahoo!モバイル傘下になった元ウィルコムのケーターは普通につながるんで、どうしたんだと考えて未だPHSだったことを思い出す。3G4Gが止まってもPHSは大丈夫。そこは311の後に輻輳で繋がらなくなった他の携帯キャリアを差し置いて、すんなり繋がって実家と連絡がとれたキャリアだけのことはある。それは利用者が少なかっただけなんだけれど、こういう事態に横道脇道が用意されている意味ってのが改めて感じられたんで、Yahoo!モバイルはPHSを2020年で潰さずしばらくバッファーとして残しておいて欲しいなあ。無理だろうけど。

 そして新宿ピカデリーの開業10周年を記念して片渕須直監督と一緒に見る「大脱走」の上映に行く。もちろん格好はスティーブ・マックイーンが演じたバージル・ヒルツを真似して革のフライトジャケットにチノパンに青いスウェットと茶色いブーツ。鞄にはグローブとボールも偲ばせてあったけれども流石にスクリーンに向かってひとりキャッチボールをする訳にはいかないので持っているという確信だけ得つつ締まっておく。「ヘイ、ヒルツ!」といって監督に投げる手もないでもなかったけれど、どうやら片渕監督はリチャード・アッテンボローが演じたロジャー・バートレットがお気に入りみたいで、主演はスティーブ・マックイーンではあっても気持ちの主役はリチャード・アッテンボローというかバートレットで、なりたい自分もバートレットらしいからグローブはタイプじゃなかったかもしれない。

 とはいえ最後がひとり、無事に戻ってこられたヒルツがグローブとボールを持って入った独房で、また壁に向かってひとりキャッチボールをするシーンだったことにこれからも何度も脱走してやるといった不屈の闘志が感じられ、その気持を引き継いでたとえ当たらなくてもアニメーション監督として作品を作り続けてきたし、これからも作り続けていくのだといったことを話していたから、信念の中には壁に向かってひとりキャッチボールをし続けるのだという覚悟もあるのかもしれない。もっとも独房でキャッチボールを続けているだけでは多くに見られない訳だから、そこはちゃんと脱走して世に作品を喧伝して欲しいもの。応援し続けよう、独房でひとりキャッチボールを続けながら。あと片渕監督が字幕ではバートレットが最期のシーンで何かを懐かしんでるようなコメントになっていたのを気にしていたけれど、記憶にある吹き替えだとまだまだこれからやるぜってことをマクドナルドと話してたような印象。だからやっぱり字幕が略しすぎだったのかもしれない。次はだから吹き替え版を上映してみんなで見よう。もちろんマックイーンは宮部昭夫さんでアッテンボローは宮川洋一さんでチャールズ・ブロンソンは大塚周夫さんでジェームズ・コバーンは小林清志さんだ。当たり前だ。


  【12月5日】 昨日は昨日でJR山手線の高輪ゲートウェイ駅でウェーイとしていたら、今日は今日で東京メトロ日比谷線の新駅として虎ノ門ヒルズという名前が挙がってた。そりゃあすぐそばに立ってはいても、公共のものでもない建物の名前を駅名にするなんて、どういう了見なんだ。イオンレイクタウンの側にあってもJR武蔵野線の駅は越谷レイクタウンであってイオンレイクタウンではないし、アークヒルズや泉ガーデンが側にあっても、東京メトロ南北線の六本木一丁目駅は六本木一丁目駅のまま。それなのに虎ノ門ヒルズは駅名になるのは建設に当たってそれなりにお金でも出したんだろうか。ちょっと気になった。

 いっそだったら六本木も六本木ヒルズ駅にして、そして間の神谷町駅も城山ヒルズ駅にして広尾は広尾ガーデンヒルズ駅とすればヒルズが3つ連なって東京ってどんな街なんだって世界に思われそう。恵比寿は恵比寿ガーデンプレイス駅で日比谷は日比谷ミッドタウン駅とかどうとか。そうやって駅名をスポンサーシップにのっとったネーミングライツにして運送料金を下げるなんてことをしたら、混乱はするけど看板の付け替えとかの需要も読んで景気が転がり始めるなんてことはあるのかな。ともあれ2020年には開業とか。その年のYahoo!検索大賞が六本木ヒルズで開かれたら、行きやすくなるなあ、って今も銀座線の虎ノ門駅から歩いてそれほどでもないから不便とは思ってないんだけれど。やっぱり不思議な新駅計画。

 そしてYahoo!検索大賞2018を虎ノ門ヒルズで見物。ほとんどテレビのバラエティもお笑い番組も見てないから、評判にはなっていてもひょっこりはんがどういった感じなのかまるで掴めていなかったのが、お笑い芸人部門賞を受賞して登場して、本当にひょっこりしていたのが分かって勉強になった。どういうシチュエーションでひょっこりするのかは年末にかけての特番なんかで見られるかな、NHKの紅白歌合戦でひょっこりしてくれれば全国区になるんだけれど、それがなければ今年で終わって来年はまるで別の人に検索大賞が変わるのかな。ブルゾンちえみさんはそれでも今年1年を頑張ったからな。エド・はるみさんってどこ行った? 日本エレキテル連合は何処へ? そこは寄席で頑張っているとして、テレビのサイクルの速さにやっぱり少し呆然とする。

 一方で、こうして評判になったことでさらに検索数を伸ばして2年連続の受賞となるケースとかもあるから分からない。Yahoo!検索大賞は検索数ではなく前年からの伸び率で選んでいるから、メジャーになれば基礎数が増えて次年度が厳しくなる。けれども、ミュージシャン部門の安室奈美恵さんは引退ってこともあって去年以上に検索を集めたみたいで2年連続で獲得してたし、小説部門の「夫のちんぽが入らない」もネットでの評判が本での売り上げへとつながって2年連続を達成した。乃が美の「生」食パンとかチーズケーキとかも2年連続なのは、賞を獲得してそれで検索してお取り寄せしたり食べたりした人が多かったってことか。伸び率が基本になっているからパンやチーズケーキは来年は厳しいかなあ。

 アイドル部門の欅坂46も去年まで、同じように急激な人気拡大から2年連続で受賞してたけど、今年はジャニーズから来たKing & PRINCEに譲ってた。大賞も受賞してのW受賞で人気のほどが伺えるけれど、テレビを見ていないとその歌も風貌もまるで知らないのだった。欅坂46ならまだ何となく分かるだけに、情報を受け取る側のたこつぼかというかクラスター化も進んでいるといった感じ。作家部門はカラテカの矢部太郎さんで、マンガ家として描いた「大家さんと僕」が人気になったのが受賞の決め手になったみたい。大家さんが亡くなったのが残念だけれど、これで良い供養になっただろー。声優部門は「クレヨンしんちゃん」の野原しんのすけを矢島晶子さんから引き継いだ小林由美子さんで、起用されてからはテレビで声を聞いて自分の声も吹き込んで聞き直して寄せていったとか。その甲斐あってかステージ上で生アフレコをしてくれたけれど、とても似ていたというかしんちゃんそのものだった。ちょっと若返った感じもあるかな。声優ってだから凄いし素晴らしい。

 アニメ部門は想像していたけれどやっぱり「ポプテピピック」。もうすっかり評判は他の作品の例えば「SSSS.GRIDMAN」に移っていたりするけれど、放送当時の前半と後半で2組の声優さんを使ってみたり、アニメーション作家によるストップモーションアニメーションを入れてみたりと無茶苦茶な演出をやって激しく評判をとっていたからこれは納得。「けものフレンズ2」が入ってくれば嬉しかったけれどもそれは叶わず、違う「けものフレンズ2」が来年に入ってくれることを今は願うばかりだ。ゲーム部門は「モンスターハンター:ワールド」で、1年目と2年目が「モンスターストライク」、3年目が「ポケモンGo」とアプリからの受賞だったのが4年目で「ドラゴンクエスト11」になってパッケージゲームが受賞して、今回もプレイステーション4対応ソフトが受賞。アプリもそれだけ新顔の急上昇が起こらないレッドオーシャンになっているって現れだか。ある意味で問題かも。来たれ次の大ヒット作。FGO超えは大変だけど。

 Yahoo!検索大賞2018の原稿を放り込んでから渋谷にあるCAMPFIREのセミナールームで来年4月に開催予定のシド・ミード展に向けたキックオフイベント「Syd Mead未来会議 Vol.01」を見物する。サンライズで「ターンAガンダム」を手がけてシド・ミードを縁が出来たらしい植田益朗さんが中心になって誘致したものらしく、イベントでは植田さんからターンAガンダムとYAMATO2520の展示があることが明らかにされ、日本のアニメファンを喚起させていた。そして映画興行に詳しい清水節さんからシド・ミードの経歴が語られ、続いてインダストリアルデザインの田中一雄さんからミードデザインの極意が紹介される。

 それはナナメでシェルでクロ。インダストリアルデザイナーの榮久庵憲司さんが創設したGKデザインで今は代表を務める田中さんは、仕事は堅そうだけれど心はミードが大好きらしく、過去に刊行された画集とか作品を掲げては、ミード的未来感の特徴とかを引っ張り出して分析していて、ファン的にホンモノだと感じさせてくれた。スクウェア・エニックスに努めつつ人工知能の研究をしている三宅陽一郎さんからは、ミード的人工知能都市のような話があったけど難しかったけどとりあえずロボットが暮らしやすい都市ってことらしい。あと「ブレードランナー」に見られる頽廃はミード的というよりリドリー・スコット的なもので、ミードが志向するのはやっぱり明るい未来なんじゃないかといった意見もあった。今のこの暗い雰囲気を突破し、若い人たちが未来に希望を抱くようになるためにも明るさを描いたシド・ミードを改めて紹介したい。そんな展覧会になりそう。クラウドファンディングもやるそうだけれど、何ためで何が得られるか。興味を持って見守ろう。

 講談社のレジェンドノベルスから12月に刊行される新刊からとりあえず河畑濤士さん「異世界総力戦に日本国現る 1」を読む。日本列島がまるっと異世界に召還されては迫る魔族に対して人類の橋頭堡として戦わされるという展開。平和ぼけ批判に野党批判とかライティな香りも漂うし仮に周囲が異世界だなんて環境になったら平和ぼけだの憲法9条だのにこだわる阿呆どもでもないとは思うけれど、そういうものだと仮定しつつ起こった事態にだったら政治と軍事はどう立ち向かうのかと行ったシミュレーションにはなっているかもしれない。どうして魔族が日本語喋るのかといった展開に何やら異世界召還チート蹂躙めいたネタが仕込んであってメタ構造的なところも感じられる。

 それ必要かとは思うけれど単純な異世界召還にならず敵との戦いに逡巡が生まれ敵には戦う怨念が芽生えるという意味合いではあって悪くない設定なのかもしれない。1月から始まるアニメ「revisions」が日本列島とはいかないけれど渋谷がまるごと300年後とかの日本に転移する話で子供たちがヒーローになりつつ大人たちも政治に戦闘にいろいろ画策する中で平和ぼけ的な態度も漂うからやっぱり危機への対処はフィクション上で体験させておくのが良いのかも。epinaさんの「すべてのチートを過去にする異世界超科学 1」は召還された約束された勇者が魔王を早々に倒して以降の展開がほんわかしていて、もうちょっとノせてくれたらと思ったので次巻に期待。


【12月4日】 今年の秋の物足りなさは、もしかしたら「RWBY」の日本語吹き替え版の劇場公開がなかったからかもしれない。「VOLUME4」までどうにかこうにか日本語吹き替え版の制作と上映が行われて来たものの、シンダー・フォールのビーコンアカデミー襲撃によってピュラ・ニコスが消え去り、アダム・トーラスによってヤン・シャオロンの右腕も切り落とされて一気に弱体化してしまったRWBYやJNPRといったチームの面々が、もやもやとした感情をかかえつつ再帰のための模索をしながら旅を続ける「VOLUME4」のストーリーは、転機として重要だったけれど物語としてダイナミックな展開があるものでもなく、見ていてもしかしたら疲れてしまったかもしれない。その影響で「VOLUME5」の日本語吹き替え版が決まらないとしたら、これほど残念なことはない。

 なぜなら「VOLUME5」ではいよいよ立ち上がったヤンやワイス・シュニーによる合流への旅が描かれる。ヤンは母親のレイヴンと対峙し、ワイスはセンブラスの発動を高めてグリムに似たモンスターを呼び出し使役できるようになってと、それぞれに大いなる成長が描かれる。ブレイク・ベラドンナは故郷に引き上げながらもそこでアダム・トーラスによる悪行を聞くに及んで立ち上がろうとし、アダムの刺客による襲撃をかわしてファウナスが人間を恨むだけでなく、人間と平等に生きていくための世界を築こうとする決意を固め、こちらも動き始める。一足先にミストラルへと到着していたルビーやライ・レンやノーラ・バルキリーといった生徒たちと、それからクロウや中身がオズピン教授だったりするオスカーは、ヘイヴン・アカデミーに迫る脅威に立ち向かって合流してきたヤンやワイス、そしてブレイクといった面々と再会を果たしてシンダーの襲撃、レイヴンの裏切りといった行為に立ち向かう。

 「春の乙女」の行き先が明らかとなり、レイヴンやクロウがどういった力を持っているかが示され、オズピンがどういった存在なのかも説明されて物語の奥行きがグッと深まった感じがした「VOLUME5」。ファウナスによる反乱を目したホワイト・ファングを簒奪したアダムも敗れて放逐され、レイヴンの横やりも退けてチームRWBYが再結集し、ジョーンにもセンブラスが目覚めつつある中で次はいったいどんな大きな展開が待ち受けているのか。セイラムによる襲撃は尽きずレリックの行方を求めて配下の物立ちをこれからも送り込んできそうだけれど、結集しつつあるハンターたちやファウナスたちによってきっ抗した戦線が築ければ、押し返して人類が勝利を掴めそう。そうした展開へと向かうのか、まだまだ混乱は続くのか。失ってしまった存在の再帰とかも気にしたいけれど、そうした奇跡は起こり得ない世界なのだとしたら、残された者たちによる決戦へと向かい、そこで勝利へと至ってくれると信じて「VOLUME6」の行方を見定めよう。

 まったくもって意味が分からないJR山手線の「高輪ゲートウェイ駅」。だって投票では「高輪駅」が1位で2位に「芝浦」で3位が「芝浜」といった地域にちなんだ名前がダイレクトについている。「泉岳寺駅」というのもありそうだったけれど都営地下鉄浅草線で「泉岳寺駅」が出来た時に泉岳寺からいろいろと訴訟を起こされたといった過去もあって、公営でもない寺社の名前を駅名につけることはまず不可能だったからこれは除外で仕方が無いだろう。だったらもう「高輪駅」にするか幾つか包含するようにして「高輪芝浦駅」とでもしておけば収まりもよかったのに、そこにどういう訳か「ゲートウェイ」という言葉をつけて長い名前にしてしまった。

 ゲートウエイ=玄関が名前になった背景には、かつて高輪が江戸の玄関口だったなんて理屈があるみたいだけれども現在の高輪は別に玄関でもなく田町と品川の間に作られる通過駅に過ぎない。そこから東京の繁華街に行ける訳でもないし、そもそも他の路線が通っていない。地下鉄都営浅草線とでも連携されるとしても、それなら品川が京急とリンクしているから羽田空港とかへ行こうと乗り換えるならそちらが多そうで、高輪での乗り換えは意味を成さない。つまりはもはや玄関でも何でも内場所に「玄関」とつけるなら、かつて港だった熱田に「熱田ハーバー」とでもつけて良いってことになる。でもって降りて見渡しても港なんてまるでない。そんな無意味を行える厚顔の背景にいったい何があるのか。「高輪駅」だと既にいろいろ登録されてて使えないとかいった事情があるのかもしれないなあ。どうせだったらフレデリック・ポールにならって「高輪ゲイトウェイ駅」にすれば良いのに。でもって田町を「田町リングワールド」にして品川を「品川中継ステーション」にするんだ。SF万歳。

 江戸東京博物館で「若おかみは小学生!」とのコラボが始まるってんでとりあえず見物に行く。7階にある桜茶寮に到着するとすでに待っている人もいたりしてコラボへの関心の高さが伺える。何しろあの「露天風呂プリン」がメニューとして登場。いったいどんな味なのか、想像はできてもやっぱり口にしてみなければ分からないことが確かめられる。これはやっぱり確かめなくてはならないと、小説の頃からのファンも含めてこれからおおぜい駆けつけそう。さすがに初日はまだ行列が出来るほどではなく、入って両国国技館が見下ろせるカウンター席で注文をしておっこが2ランク上のショッピングモールでいろいろと着替えている姿を写したシオリをもらってから、登場した「露天風呂プリン」を食べるとこれが美味しかった。

 黒ごまを練り込んだプリンに栗とか豆とかが添えられ上からクリームもかけられたそのビジュアルはまさしく映画「若おかみは小学生!」に登場した「露天風呂プリン」そのもの。なるほど映画だとどんぶり鉢にてんこ盛りといった感じだったけれど、そこは抑えめにお椀に飾られ上品な印象になっていた。その味も実に上品。やわらかいプリン部分を小さじですくって食べると口に広がる甘さが抜群。これなら鈴鬼くんだって何倍だって食べてしまうだろう。美夜ちゃんだってウリ坊だって食べたいと思うような味を現実に楽しめるようにしてくれた桜茶寮に感謝。別に卵焼きと大福が添えられたコラボ弁当も用意されているんで、今度はお金をもって乗り込もう。コンテとか美術ボードの展示はあったけどグッズとかまだ売り出し前だったし、途中でメニューも変わるみたいなんで様子を見てまた行こう。

 これは面白い。黒崎リクさん「帝都メルヒェン探偵録」(宝島社)は関東大震災が起こって7年くらい経った帝都・東京で東京帝大を出ながらも官僚にならず就職もしないでぶらぶらとしている千崎理人という青年が、居候先を追い出されそうになってとりあえず出入りしているサロンで職場を探したら、そこにいた少年から誘われカフェの給仕の仕事を紹介され、ついでにその少年が請け負う探偵のような仕事の助手を務めることになった、という設定。名をとりあえず小野カホルということにされた少年が実質的な探偵だけど、カホルの見た目が子供過ぎるから依頼主に訝られるということで、表向きは理人が探偵役を務めることになる。

 そんなコンビが受ける事件がグリム童話に絡んだものだったりするのが「帝都メルヒェン探偵録」の特徴で、「金の鳥」にちなんで黄金の鳥を見つけ出す裏で財産を奪おうとする企みを阻止したり、「白雪姫」にちなんで継母から毒林檎を食べさせられそうになっているように見える令嬢の窮地を救って真実を浮かび上がらせる。そもそもがカホルとう少年の本当の名前をあてるというのがグリム童話的な設定。いったい少年は何者なのか。そこで冒頭に置かれる神保町の古本屋でのエピソードが重なり、カホルの正体めいたものを想起させる。でもそれにしてはな状態の裏にあったある悲痛。そこを乗りこえカホルと理人はバディ以上の関係になれるのか。そんな興味も誘われる。続きがあれば読んでいきたい。その先でカホルに本当の春が訪れることも。


【12月3日】 見てないから文脈がつかめないんだけれど、「HUGっと!プリキュア」に登場して初めて男子がプリキュアに変身したと話題になったキュアアンフィニについて、男の子でも美しければプリキュアになれるんだというロジックが、大人の目線からそこに乗っかる可能性なんかを想定して、制作者はそうじゃない、なりたいならば誰だっていつかなれるんだといった希望を託し、いつかキュアゴリラになろうとしていたFUJIWARAの原西孝幸さんを、映像の中に挟み込んだんだろうと思っている。

 男の娘でもコスプレでも、綺麗だから正義めいた声がとりわけ大人の目線では冗句として語られることがあって、それは本心から肉体的性別に違和感を抱いているものの、世間的な美意識からズレてしまっていると感じている人を、自分はそうあってはいけないのかと思わせ傷つける。そうじゃない、誰でもなりたい自分になれるんだというメッセージを、こういったエピソードには込めなくちゃいけないって思っていて、それはちゃんと伝えようとされていた。問題はちゃんと伝わったのかで、見ていた子供たちに伝わったのならそれはそれで大成功。美しいから正義だなんて大人のニヤけた視線なんてぶっ飛ばし、子供たちは生きたいように生きていこう。

 そんな「HUGっと!プリキュア」の話題に隠れてしまっていたけど、「キラッとプリ☆チャン」もなかなかに泣ける回だった。萌黄えものおばあちゃんというのが登場して、アルバムを見ていたら移っていたのが友人だたっという女性。その彼女は実は時々日本に帰ってきては草野球に紛れて負けてるチームの見方をしていたとう。えもの弟が参加していた野球にその女性があらわれ、マーサと再会して明らかになったのは、その女性がプリチャンの大元となるシステムを開発した人で、えものおばあちゃんのマーサはそこに出演をしてはまだ遠くまで電波を飛ばせないプリチャンのために街をめぐり、そこで地域に向けて放送をしていたという。

 そんなマーサによる伝説のプリチャンがえものプリキャスを借りて久々に復活。料理をするとかいった簡単なものなんだけれど、見ていた人から懐かしいものが見られて良かったといった言葉が贈られ、そしてりんかもあんなもプリチャンが好きな女の子たちはみんなそんな伝説のプリチャン番組を知っていて、マーサの復活を大喜びする。そしてあのアンジュまで。過去の番組を古いと退けず、自分たちに夢を与えてくれたシステムを開発し、それを広めてくれた人としてのリスペクトに溢れていて、見ていてとっても気持が嬉しくなった。そして泣けてきた。過去を蔑ろにする者に未来はない。そんな当たり前のことを改めて思い出させてくれたエピソード。これは永久保存だなあ。

 2017年の春に名鉄が名古屋駅前のビル群を建て替えると発表して、すぐに問題になると思ったのが名鉄セブンの前に立つナナちゃん人形の行く先だけれど、当時、それほどまでに多くの人が気にしていた感じはなかった印象で、名古屋駅のシンボルはシンボルとして維持されるんじゃないかといった雰囲気が、もしかしたら漂っていたのかもしれない。それが最近になってまた、改めて名古屋駅の再開発が話題になるに連れて、ナナちゃん人形の行き先については不明といったコメントが出て来て、さまざまなスタイルに変身してきたナナちゃん人形が消えてしま8、名古屋駅の名所が消えてしまうと多くの人を寂しがらせている。

 最近はアイマスだっけかな格好をして、全国から集まったアイマスPを虜にしていたみたいだし、今後もそうした話題性のある格好をしてくれるはず。そしてその巨大さから真下から見上げて見えるかもしれないそれらに、期待させてくれたはずなのに消えてしまってはそれも叶わなくなる。だからやっぱり再設置して欲しいけれども場所がなく、サイズも現代と合わないというならいっそ新しく立てるビル群をまたぐようにして、100メートルはあろうかというナナちゃん人形を立てればそれはそれで全国規模の名所になるんじゃなかろーか。問題はそんなナナちゃん人形にどうやって衣装を着せるかだけど、そこはドローンなんかで着せるとかできるかな、それ以前に布が足りないか。だったらARとかプロジェクションマッピングで。それもまた未来感ある話じゃないか。なあおい。

 「DOUBLE DECKER ダグ&キリル」はおかっぱなキリルが美少女に見える人の期待に応えてキリルのウエディングドレス姿が拝めてなかなかになかなかな。もしかしたら“姉”より美人かもしれないけれどそれでもやっぱり“姉”は“姉”に見えてしまうくらいだからあの2人、やっぱり相当にイケてる2人なのかもしれないなあ。生まれてくるソレを間違えてるんじゃ。でもってキリルが意外に頭良いのが分かって博士もビックリ。遺伝子に関する論文をまだ若い頃に執筆していて、それを博士も見ていて関心したというから相当なもの。けれどもそれは単に奨学金を得るために書いたもので奨学金がとれたら綺麗さっぱり忘れてしまったというからそれもまた天才ならではの飽きっぽさって奴かもしれない。

 キリルにそれだけの頭があれば警官にならずとも官僚にだってなれたはずだけれど、そこは“姉”を探すという目的から選んだ職業だから仕方がないか。人は見かけによらないなあ。マックスもあれで昔は三つ編み眼鏡だったりしたからなあ。ディーナもあれで警部補で階級が上ってことは何か取り柄があるのかな。ユリはまあ、秘密ありまくりだし。そんな感じで面白いんだけれど今ひとつ評判にならない「DOUBLE DECKER ダグ&キリル」。キリルへと迫る軍隊の誘いの先に何か大きなヤマでも隠れていそうで、明かされていく今後がとりあえず楽しみ。


【12月2日】 そこは半ば新条アカネが見ている夢の世界なんだから、もっと彼女が見たい夢に近づいていったって良いんじゃないかと思うし、神様なんだからそういう風に仕込めるような気もするんだけれど、そんな夢の中でも響裕太も宝多立花も内海将ですらも、新条アカネとともに遊びに耽ることを捨ててグリッドマン同盟へと戻っていく。出来てまだ間もない集団だし、裕太なんて記憶がないから立花とか内海とかとの関係だってまるで薄い。ずっとアカネと恋人同士だったと言われてそれを信じたって不思議じゃないし、そうありたいと臨んで当然ですらあるのに靡かないのはきっとそうした設定に、欺瞞があって肌で感じてしまっているからなんだろー。

 つまりそれは、新条アカネが決してその世界の万物を支配している神様なんかじゃなく、もっと上位の誰かによって願望が叶えられている夢を見せられているだけなのかもしれない。そして周囲もアカネの求めに応じながらも芯の部分ではぶれていない、と。そこがまだはっきり分からない「SSSS.GRIDMAN」の世界だけれど、少なくともグリッドマンが存在し、新世紀中学生だなんて明らかにアカネにとっては敵対する集団が存在できている時点で被造物ではいと言えそう。次第に剥がれて落ちていく仮面の裏側にいったい何があるのか。新条アカネはどんな役割を与えられているのか。なんてことが残る話数で明らかにされるか否か。セカンドシーズンへと突入するのか。やきもきしながら見ていこう。同じ円谷プロダクションでは「ULTRAMAN」のアニメの番宣も始まったけど、フル3DCGはやっぱり未だ違和感が。そっちは物語性でねじ伏せてくれると期待して4月の放送開始を待とう。

 僕がライブを見たのは2010年の武道館でステージに向かって左側の真横のそれこそ天上といったあたりで、見切れてステージの左端とか分からずMCもあまり良く聞こえなかった記憶があって、それに加えて歌声もどこか手探り状態だったような印象も残っている竹内まりやさん。あるいは正面で聞けていたらちゃんと全方位に響いていたのかもしれないけれど、2000年から久々らしいライブでパフォーマンスを戻そうとしていた段階にあったのかもしれず、山下達郎さんのようにいつ行っても完璧な声が聞けるものとはちょっと違っていた。だからなのか、竹内まりやさんの2000年と2010年、そして2014年にあったライブから楽曲を収録したものを映画にして上映する「souvenir the movie Mariya Takeuchi Theater Live」では、2010年からも2014年からも2曲ずつのピックアップで、あとは2000年のライブがメインに紹介されていた。

 当時で45歳ではあってもレコーディングとかいっぱいして楽曲も活発に発表していた時期だったこともあるのか、声もしっかりと出ていてどれも巧いしよく響く。それとも映画化にあたって音声トラックだけ弄ったか? それはないだろうからやっぱりある意味で“全盛”の様子を流したいと思ったのかもしれない。HDなんてまだない時代だから画面もビデオ水準だし、画角も4:3といった感じだったけれども当時だって音楽を収録するのに機材は発達していたはずで、アナログでもデジタルでもトラックだけしっかり残っていればあとはミックスダウンでどうにでもなるから、それを積極的に使ったのかもしれない。見てとても45歳とは思えない美しさと、そして張りのある声にこれを見られた人は幸せだったかもしれないなあと感じた次第。

 もちろん2010年だって悪くはなかったし、見てないけど2014年だって楽しめただろう。でもドラムが青山純さんでベースが伊藤広規さんというのはやっぱりね、リズム隊として最強だから目の当たりにしておきたかった。ツアーを復活させた達郎さんのドラムはもう青山純さんではなく小笠原択海さんで、サックスも最近は宮里陽太さんになっていてやっぱりかつての達郎さんのバックとは響きに若干の違いがある。青山純さんのドラムで何かズドンと来るし、土岐英史さんのサックスはどこか乾いて抜けるように響くんだ。そうしたサウンドをバックにして聞ける竹内まりやさんの全盛を味わえるのがこの映画だけだとしたなら、あと1回くらいは劇場で見ておきたい気もするなあ。2800円は高いけれど、ツアーに行くと思えば安いもの。7日までならあと1回は行けるかな。

 試写に続いて「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」を劇場で。やっぱりエリク・ユーゴ中尉のおっぱいが見どころであるとは感じつつ超能力大戦だなあと思いつつ、そうした大枠をとっぱらって見たヨナとミシェルとリタという幼なじみな3人の関係は、誰が抜け駆けして生き残ろうとしたというより誰もが生きるために自分を生きさせようとして、けれども時局が許さず犠牲を呼んでしまって後悔にさいなまれるといった悲劇が感じられて痛かった。自分だったらあの中でどういう振る舞いをしただろう。自分が本物だからと身を切り刻まれたか。いや、本物だと行ったら連れて行かれただろうと考え言い出さなかったか。ちょっとっと分からない。

 そこの部分で読み違えたミシェルは治部だけがルオウ商会で生き延び、本物だったリタは切り刻まれた挙げ句にフェネクスと同化した。ヨナはどっちつかずのなかで放逐され、リタを探してさまようことになる。あの時3人はどうすべきだったか。はっきりとした答えが出せないところ、そしてどんな答えを出しても誰かが犠牲になった可能性があるところに、理不尽な戦争というものの痛ましさがある。それすらも運命だ、その時に備えて何者かが用意した筋書きだというのは納得できないし、ニュータイプがそんな運命の駒に使われる存在であって良いはずがない。その意味で「機動戦士NT」の解釈は嫌いだけれど、既にあるニュータイプなる異能に理屈を求めるなら、そうせざるを得なかったのかもしれない。そうすることで収まる騒動があって助かる命が、あるいは世界があるのなら。悲しいけれどそれが運命、この宇宙の。

 これはいかんだろう。東名高速道路で煽り運転の果てに停車させた車にトラックか何かが突っ込み一家が死傷した事件で捕まり起訴された被告の、その行ったことには非難を浴びせる言葉しか出てこないし、それを反省していないように見える態度も不遜にうつる。でも、そんな被告に取材を依頼したら帰ってきた返事を、いくらお断りの内容だからといってそのまま掲載するのってメディアとしてどうなんだ。私信だろう? それを掲載するのに相手の許可は必要ないのか? 掲載に当たって謝礼を要求してくると考えたのなら、掲載しないか払ってでも掲載するかすればいいのに、そうした手間をすっ飛ばしていきなり掲載ってちょっと卑怯な気がする。

 なるほど相手の返事はああした事件を起こした人間ならではの不遜さがあって、今なお反省もしていないと感じさせるもので、それは被告の人物なりを論じる上で必要なものであって公益性がある、だから報じたんだといった言い訳が出るかもしれない。でも、その返事が本当に被告を表しているのかといった保証はない。もしかしたら相手以上に不遜な手紙を出して怒らせたのかもしれない。返事だけを乗せて質問を乗せないのはだからフェアじゃない。そこをクリアしたとしても、返事は追い詰められた状態の中で恐怖を覚えつつ突っ張ってみせたものだという可能性はないのか。報じられて出るコメントには、情状酌量の逆に働くから証拠として裁判に出せといったものものあった。つまりはとても裁判に影響がありそうな文章を被告にも、弁護士にも断らずに報じて被告が不利益を被っても、それは自業自得だと言うのか。そんなリンチをメディアがすべきなのか。これで被告の弁護士が訴えてきたら一悶着ありそうだけれど、もしかしたら気付かれていないかもしれないなあ、マイナーなメディア過ぎて。それはそれで悲惨な話。やれやれだ。


【12月1日】 朝の内の時間だけでなく、お客さんがいっぱいいる時間帯の東京コミコン2018も見ておきたいと幕張メッセへ。どのコーナーも人がいっぱいでコスプレイヤーもたくさんいて、アメコミを中心とした洋画やら何やらが日本のしっかりと浸透している様は見て取れた。ゲストに並ぶ行列なんかも海外のドラマや映画の俳優が、メジャーなテレビ番組が取り上げるくらいの人でなくてもしっかりと支持を集めていることを証明している感じ。ワイドショーってそれこそベネディクト・カンバーバッジだのエディ・レッドメインだのジュード・ロウだのブラッド・ピットだのといったところじゃないと気にしないし取り上げない。でも日本の俳優がすべて高倉健じゃないように、いっぱいのスターが世界にはいて支持されているのだ。当たり前に。

 そんな東京コミコン2018で初日はゆっくりと見られなかったパトレイバーのデッキアップを見物。実写版の「THE NextGENERATION パトレイバー」がつくられた時にセットめいたものとして登場してからもう何年経つんだろう。未だに現役であちらこちらを走り回ってはデッキアップをしているところに、製作元となった東北新社の作品からどこまでだって搾り取る覚悟めいたものが見える。ここでしっかり掴んでいれば次ぎだって作れる可能性、あるからなあ。っていうかアニメーション版が作られているはずなんだけれど、続報とか聞かないなあ。どこまで進んでいるんだろう。デッキアップはいつみてもスムース。そこから降りて歩くようになるまであと何年、かかるかなあ。

 幕張メッセを抜け出し、7月からつきあって来たマラソンもこれで終わりの劇場シリーズ、K SEVEN STORIES Episode 6「Circle Vision 〜Nameless Song〜」をイオンシネマ幕張新都心で。TOHOシネマズ上野で上映が1日1回とか、新宿ピカデリーですら1日3回とかもうお客さんのことなんて眼中にないだろう的上映回数だけれども、是までの5本を経て感じ取った観客数から設定したであろうその上映回数を侮ることはできないし、実際にイオンシネマ幕張新都心での午後2時20分からの上映で観客数は30人いたかどうかでは回数が減るのも仕方が無い。ここのロケーションで1日2回も上映してくれることのほうが大盤振る舞いといったところかもしれない。

 でもってお話の方はといえばある意味で余韻というかフィナーレというか、本編でいろいろと片付いた後に来る残された者たちの思いと選択めいたものが描かれたエピソードは、登場キャラクターたちのよって心地良い世界が描かれていたことがそのまま見る側にとっても心地良い世界が描かれていることに重なって、こうあって欲しいしこうあり続けて欲しいなあと思わされた。たとえば淡島世理ちゃんのおっぱいがふんだんに出てきては前から下から横から大きくスクリーンに映し出されて、それが動きに伴ってぶるんと揺れたりするシーンがいっぱい登場した。

 目にも嬉しく心に楽しいシーンの連続は、何でもかなえてくれるドレスデン石版に誰かが祈ったからこそ実現したものなのか。ってそもそもドレスデン石版ってそういう作用を持っていたのか。なんてことも考えつつもそういう状況にあって僕が理想とした淡島世理ちゃんのいっぱいのおっぱいが見られたように、誰かが理想とした緑の王の比水流もイワさんこと灰色の王の磐舟天鶏も存命で、そしてクロにとっての師匠にあたる無色の王、三輪一言も存命で白銀の王でありアドルフ・K・ヴァイスマンでもあるシロにとって姉にあたるクローディアも存命で、シロが通う学校の寮にいてクロがつくった朝ご飯を一緒に食べてはネコが服を脱ぎ捨て素っ裸になって着替える情景を毎日のように目の当たりにできる世界が描かれる。そこには赤の王が周防命として存命で赤のクランをまとめ十束多々良も脇にいる。

 あり得ない。先のK SEVEN STORIES Episode 5「メモリー・オブ・レッド 〜BURN〜」で十束多々良は殺害されて憤った周防命が戦いへと出向いてそして起こるダモクレスの剣の崩落から赤の王の代替わりというストーリーが2期に及ぶテレビシリーズで描かれる。そうしてヴァイスマンの系譜について明かされ過去に起こったクローディアをめぐる物語も紡がれて後、比水流とイワさんも運命を享受した後の世界で誰もがくんずほぐれつしながら毎日を楽しく戦っているはずがない。そう、気付いてもそれを止められるかというとやはり迷うのが人情というもので、毎日のように部屋ですっぽんぽんになるネコが見たいかどうかと言われれば診たいし、誰かにとっては比水流とイワさんもいてこその緑のクラン、JUNGLEだとも言える。

 そこにだから浸っていれば、淡島世理ちゃんのおっぱいがスクリーンいっぱいに映し出されて動きに伴って揺れたりする様をいつまでもいつまでも拝んでいられるんだけれど、人間は踏みとどまって繰り返すことよりも、受け止めて記憶することによって誰かの存在を永遠のものにする。そうした記憶の連鎖によって人は永遠になる。昔の人は言っていた。止まっていてはダメなんです。動け動け。そして働け働けと。ちょっと違うか。

 ともあれ心地良さの沼に浸っていてはいけないという主張が繰り出されて迎えた帰結だけれども、それでもやっぱり時として帰りたい場所として洗われて欲しいというのもまた人情。多くを失った戦いの果てに残った者たちがどう思い、どう踏み出していくかは分からないけれども、時々は集まって持ち寄って過去に浸ってみるというのも悪いものではないんじゃないか。そこは幻ではなく実在のようだし、触れれば触れられるものならやっぱり触れていたいじゃないか、淡島世理のおっぱいに。いやそれは消えてないからいつでも見られるんだけれど。「K」という作品が続く限り。続く世界を願おうドレスデン石版に。

 誤字とか脱字を増刷分で修正するならある話だし内容において違いはないから先に買った人でも許せるだろうけれど、明らかに間違った記述があってそれを増刷分で修正した上に間違っていたことをアナウンスしないで前に刷った分も売り続けるのってやっぱり商売にもとる話なんじゃなかろーか。すなわち先に売ったものが間違いを含んだ欠陥品だったことを自ら認めた訳で、にも関わらず間違っていたことを宣言せず間違ったままで売り続け、それを買った人が正しいものに変えてといっても変えないことを、消費者生活センターに訴えたらいったいどうなるんだろう。ちょっと興味がある。消費者保護の観点から言えば間違った内容をそのまま覚えて間違った人生を歩む可能性もあるものを、売り続けるのはやっぱり拙いんじゃなかろーか。なんて自覚が作り手の側にあるのかどうかがまるで見えない一連の騒動。増刷が進めばさらなる修正も入って初版初刷りとはまるで違ったものになるかもしれない。それでも初刷り二刷り三刷りを売り続けるんだろうなあ。謝れない人たちが進めようとする歴史教育の行く先や以下に。恐ろしい恐ろしい。


【11月30日】 朝も早くから起き出して東京コミコン2018へ。スタン・リーが亡くなられてもう来ず、スティーブ・ウォズニアックも来ないからどうしようかと思ったけれども「ウルトラマンR/B」の劇場版の発表があるんでやっぱり行っておくかと朝の7時に家を出て、7時45分くらいに着いたらだいたいメディアで6番目くらいでオープニングの最前列センター付近に座れそうだったんでそのままそっちも見物。あの「マーフィ巡査」こと「ロボコップ」のピーター・ウェラーが来日をして登場したけど、声は磯部勉さんではなくってご高齢な方になっていた。でも顔は渋くて今でもロボコップになれそう。続編の噂もあるし出演とかするのかな。しないよなあ、「ブレードランナー」でもハリソン・フォードはおじいちゃんになってたし。

 そんなピーター・ウェラーよりもトム・ヒドルストンに萌え萌えだったみたいなしょこたんこと中川翔子さん。東京コミコン2018ではアンバサダーに任命されて、持てる映画とか漫画とかアニメーションとかの興味と知識を活かして目一杯に宣伝することになっていたけど、オープニングに登壇をしたきら星の如くなスターたちに顎ががくがくになって涙も出てきてまつげも全部とんだらしい。とぶものなのか? まあでも本当に憧れだった人に出会えれば人間、泣くだろうなあ。同じステージにはあの偉大なる王、バーフバリことラーナー・ダッグバーティさんも登壇していてしょこたんの真後ろにいたりして、そりゃあ誰だってその偉大さを感じて泣くだろう。讃えたくなるあろう。そういうものだ人間は。

 鏡開きのような形式的なイベントはなく政治家だとかの挨拶も短くゲストのスターをいっぱい見せてたオープニングはいかにもアメリカのイベントらしい。ついでにやってくるプレスもアメリカらしいのか朝から並んで順番をとって最前列に座ったその前に割り込んできては写真を撮り始めるんで後ろから引っ張って頭を下げさせたけれど、気にせず撮り続けるのが根性って奴なんだろうなあ。でもそこはやっぱりルールを守れ。オープニング以外ではマーベルのコーナーにあったキネクトをつかって取り込まれた自分がアイアンマンのアーマーをまとった姿になって、そして自分が手を突き出すとモニターの中のアイアンマンアーマーをまとった自分も動いてビームを繰り出すアトラクションが、シンプルだけれど没入感があって面白かった。本当に自分からビームが出ている気がするから。精度が高いんだろうなあ。

 展示では実物大のバンブルビーが来ていて着ぐるみのバンブルビーも歩いていてなかなか格好良かったけれど、実物大なら「THE NEXT GENERATION パトレイバー」の上映時に作られた実物大のパトレイバーがやって来ていて、時々デッキアップもされていてその巨大さは東京コミコンでもナンバーワン。実物大のゴジラでも来なければこれは越せない偉業を見せていた。ゴジラも来るみたいだけれど大きさは実物大ではないだろうからパトレイバーの勝ちってことで。あと気になったのはスタン・リーさんを偲ぶコーナーと、それからドイツのアパレルでスター・ウォーズとかマーベルの世界をクールに取り入れたウエアを作っているマスターブランドかなあ。

 パッと見は本当に普通のスタイリッシュなブルゾンとかなんだけれど、裏地がとっても派手だったりするのだった。Tシャツは普通にプリントだけれどそのセンスも抜群。コスパとかがオタクに寄っているならこっちはクールに寄るぜといった割り切り方。色とかマーベルだともっと赤くなるところを、抑えてシックにしつつ衣装はマーベルといった残し方で、そういうのをちゃんと認めてくれる権利元の割り切りにも感嘆する。ミッフィーとかだと色は絶対守らなくちゃいけないっぽいから。一方でスター・ウォーズとかマーベルをかわいい系のバッグにするラウンジフライも今年も来ていて、マーベル的だったりスター・ウォーズ的だったりする衣装をしっかりバッグとかに取り入れていた。ここも凄いなあ。どうして日本でこういうデザインが出来ないんだろう。それはやっぱりキャラクターグッズ的なものを欲しがる国民性だからかなあ。「A MAN of ULTRA」なんかがもうちょっと頑張って欲しいなあ。

 そして「ウルトラマンR/B」の劇場版の発表を見て、新たに登場するウルトラマントレギアってののツンとした感じにちょっと惹かれる。歩き方も気取ってたしポージングもしょってる感じ。いったい誰で何がどうなるんだろう。映画を観たくなった。そんな映画の主題歌はOxTではなくってつるの剛士さんが歌うみたい。言わずと知れた「ウルトラマンダイナ」のアスカ・シン役の人だけれど、歌も唄って巧い人だからここはファンには嬉しいかも。そんなダイナとそれから「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンガイア」が並ぶ平成三部作を再び盛り上げようとするプロジェクト「TDG」もスタート。具体的には何をするって決まった感じじゃないけれど、こうしたイベントにガイアとダイナだけじゃなく、ティガの人も出て欲しいなあ。無理かなあ。長野博さんだものなあ。凄い早くだったんだなあ、当時。

 そんな中でも本は読む。これは異世界転生俺TUEEEEを異星墜落科学TUEEEEに変えてリアルを感じさせつつ半ば無双の楽しさを感じさせて読ませようとした本かなあ。ファミ通文庫の大判として出たっぽい伊藤暖彦さんの「宇宙軍士官、冒険者になる」(エンターブレイン、1200円)は、宇宙を航行する戦艦に乗っていてコールドスリープから目覚めたタイミングで起こった事故で、アラン・コリントという士官だけが助かってその身一つで近隣にあった呼吸可能な星へと不時着する。士官は胎内に軍事用のナノマシンを持っていて、コンピュータ的な機能を持ったそのナノマシンからさまざまな知識も得て健康管理も受けながら、未知の星を生き抜いていく。

 目に見える草とかが食用か否かをナノマシンが示唆してくれるのはなかなか便利。元より興味があった調理は本とかで覚えた知識で行うし、持ってきた武器も使えばそれなりに猟もできる。ただその星には生物がいてなおかつ人間と同じ遺伝子を持って文明を育んでいたりしたから、ただサバイバルするだけでは収まらなかった。目に入ったところで獣に襲われている一群がいて、かけつけて助けようとしたものの助かったのは少女がひとりだけ。それも腕と脚を食いちぎられてて瀕死の重傷だったところを、ナノマシンを含ませ治療を行い助けては、その少女から言葉を覚え星のことを学ぶ。

 クレリアという名の少女は実はとある王国の王女で、反乱に遭い父王ほかが処刑される中、助力を求めて旅する途中だったとか。彼女が繰り出す魔法をアランはナノマシンの力で解析し、力の変動などを覚えて自らも使えるようになったりしたからクレリアも驚いた。その意味では異世界転生に割とあるチートな設定ではあるけれど、科学という理屈があってまだ納得し訳す、また敵が幾万とかあったら勝てないあたりは決して無双ではない。だから慌てず追っ手をさばきつつ仲間を増やし金を稼いで生き抜こうとする。四面楚歌な王女がすぐに国を奪還するのも難しい中、冒険者として登録したアランとクレリアと彼女の知り合いらしい少女の3人が繰り広げる冒険が、どこに向かうかが今は楽しみ。魔法と科学がさらに折り合いを見せて無敵となるか?


【11月29日】 何歳かしらないけれども元新聞記者のジャーナリストという人が、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観て1980年代の存命だったクイーンの音楽は大向こうねらいに聞こえてダメで、フレディ・マーキュリーについても爬虫類みたいだったけれど、すべては感動して感涙したこの映画の伏線だったと思うに至ったらしい。勘弁してくれ。あのクイーンが映画という表現方法によって丸められ、磨き上げられ、飾られ彩られ箱詰めされて大宣伝された映画なんかの伏線であるものか。当時にホンモノを見極められなかった目を恥じ耳を悔やんで懺悔するならまだしも、映画を主にとらえるような物言いはどうにもこうにも腹が立つ。

 映画を観て泣いたっていうけど、そこに描かれたクイーンはあなたが嫌ったクイーンではない。あくまで映画の中のキャストたちだ。そこをまず身に問い本当のクイーンを改めて観て感じて欲しい。映画を伏線にして原点に回帰して欲しい。そしてこれから生まれる諸々を、爬虫類に見えようと大向こうを狙ったように感じようと、厭わずにその奥にある何かを見極めて欲しい。ビジュアル系でもパンクでもアニソンでもアイドルでも何でも、そこに今、存在している意味は絶対にあるのだから。なんて言っても届くものでもない。フィクションを時にホンモノと感じて記憶を美化してしまうことは多分、自分にもあるだろうから、そうはならないように己への戒めとしよう。

 昨日あたりからザワついていた話が朝になって広がり始めて、月蝕歌劇団を主宰する高取英さんが亡くなったらしいと言われ始めて、つい先日には京都精華大で講演を行い、Twitterだって順調に更新されているのに、どうしてそんな話が出るんだろうかと思いつつ、いつかの大杉漣さんだってロケ先で収録を終えた夜に急に心臓が悪くなって亡くなられてしまった訳で、年配の方にそうしたことも起こりえるかもと考え直していたら、やっぱりどうやら虚血性心疾患で亡くなってしまったらしい。寒くなるといろいろと血行にも影響が出て、そこに元よりの体調が加わると一気に行ってしまうものなのだろう。なにか前兆はなかったのか。あったら救えたかもしれないのにと今になって言ってももう遅い。せめて多くの人が同じ様な道を辿らないよう他山の石とするしかない。

 しかしやっぱり勿体ない高取英さんの急逝。藤原カムイさんが漫画を描いていたことから「聖ミカエラ学園漂流記」のことは知っていて、アニメーション版のレーザーディスクも確か買った記憶があるけれど、その後に演劇も観るようになって月蝕歌劇団の舞台に何度か足を運んだ。寺山修司さんの流れを汲んでアングラ演劇を続ける人たちの中にあって、少女たちをメインに押し出し漫画なんかとのコラボレーションも行って、暗黒の宝塚でありながらもどこかポップな雰囲気も醸し出しつつ、アングラからサブカルチャー方面へと抜け出して、そこで多くのファンを掴んでいったのが月蝕歌劇団だった。

 僕が初めて観たのは、取材先の企業になぜか勤めていた人が月蝕歌劇団の制作をやっててその伝手でチケットをもらい言った竹宮恵子さん原作の「疾風のまつりごと」。和風な世界で繰り広げられるファンタスティックな物語を少女たち(年齢不問)が演じてシンミリとした気にさせてくれた。以後、いくつかの月蝕歌劇団の公演をのぞいては「少女革命ウテナ」だったり「新撰組 in 1944 −ナチス少年合唱団−」だったりを観たような記憶がある。成宮観音だった三坂知絵子さんが加わって出演するようになってからも何本か観て、その究極として本多劇場で行われた「花と蛇」を観たのがもしかしたら月蝕歌劇団に行った最後くらいかもしれない。

 演劇の殿堂ともいえるあの空間を2次元どころか3次元的に空中まで使って、人を吊り下げ弄りながら回すという凄まじい演出に打ちのめされたっけ。写真誌のFRIDAYにも紹介されたその舞台をもってある種、ピークを迎えた感じすらしたけれども月蝕歌劇団はそこでもちろん終わらず、今なお公演を続けてすぐ12月にも「ドグラ・マグラ」などを控えていた矢先の訃報。今後果たしてどうなるか。続くのかといった不安も浮かぶ一方で、支えたJ.A.シーザーさんも含めた周囲や役者たちが何か考え、動いてくれると信じたい。そうなればなったで微力を尽くす気構えはあるから、まずは偉大な戯曲家にしえ演劇人の死を悼み、これまで見せてくれた世界に感謝しつつ黙祷しよう。有り難うございました。

 訃報といえばコラムニストの勝谷誠彦さんも亡くなったようで、さるさる日記に過激なことを書いては喝采を浴びていたあたりは、今のネトウヨと呼ばれる人たちの立身出世ぶりに重なるところもあるけれど、時に小沢一郎党首が率いた自由党から民進党あたりを応援し、民主党による政権奪取あたりへとつながる道に貢献したところもあって、単純に今の与党というより安倍ちゃんのみを応援する人たちとは違ったスタンスを感じさせてくれた。とはいえ、南京事件とかでは歴史修正主義的な言動もだんだんと出てくるようになって、それが災いしてか首都圏のテレビからは消え、関西からもいなくなった先にアルコール依存症が強く出たみたいで、体を壊して入院もした果てに死去。退院してもなお飲み再入院しても飲んでいたならもうこれは処置無しで同情の余地もないんだれど、そうなるまでに道を改める機会を周囲として与えられなかったものか。そこが残念で仕方が無い。

 とはいえ、マルコ・ポーロの廃刊事件で花田紀凱編集長が文藝春秋社を退社したのに同調して文春を離れたらしい信条で、ずっと花田編集長についていこうとしても朝日に行ったりKADOKAWAに寄ったりしつつ、ネトウヨ御用達の嫌韓嫌中反朝日にして安倍ちゃん大好きメディアのトップに収まり日々、不穏な情報をバラまいている中に自らを浸して染まり翼賛の片棒を担ぐのを、もしかしたら潔しと思わなかったのかもしれない。少女漫画研究会で活動していたというポップさは、排外主義的で差別主義的な今の花田編集長のスタンスとは相容れない気もするし。それで仕事が減って孤独になって心を痛めて酒に逃げ、溺れて身を崩すならそれも本望? 今の世にその筆が何を討ち何を擁護していたのか知らないけれど、活動できる場はいつか巡ってきただろう。それを待たずしての訃報。こちらもまた残念だと言っておこう。

 「大迫半端ないって」がYahoo!検索大賞2018の流行語部門を獲得して「『大迫半端ないって』半端ないって」と誰か言ったかどうか。もはや記憶の彼方に飛んでしまったけれども6月から7月にかけてロシアで開かれたワールドカップで大迫勇也選手が大活躍して、かつて高校選手権時代に誰かが放った言葉が再びクローズアップされて検索数を伸ばしたらしい。でもそこで大迫選手がどんな活躍をしたかも既に記憶の底で、率いていたのが西野朗監督だったことすら忘れられている気がしないでもない。森保一監督へと引き継がれた日本代表は新しい面々を得てそれなりに好調な船出を迎えた様子。一方で主力と期待された香川真司選手も本田圭佑選手もチームへと戻った今、出られていなかったりマイナーなリーグでの活躍だったりと憧れられる選手としての要件を満たせなくなっている。だったら別の誰かを入れて活躍させておけばと思ったりもしたけれど、それができないからこその代表人気の停滞ってところなんだろー。アジアカップで優勝できるかどうかかなあ、それより成長の軌跡が見えるかどうかかなあ。「大迫半端ないって」をwith Bの背中に描いて発表したブルゾンちえみさんは頑張って2018年もサバイバルしたなあ。


【11月28日】 宇宙超能力大戦だった。いや、それだけだと流石に簡略化しすぎだから付け加えるなら、超人ロックがアマゾナと組んでロードレオンを倒しに行く話というか、東丈がプリンセス・ルナを傍らにして幻魔に挑んで世界を浄化する話というか、やっぱり宇宙超能力大戦になってしまうところに「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」という作品の、まずはロボットアニメであり、そして宇宙が舞台のミリタリーSFといった「機動戦士ガンダム」と言われてまず浮かぶフォーマットをひっくり返し、ニュータイプというガンダムのシリーズにおいて神話化され、神格化された憧憬と焦燥の象徴を解体して、コピーどおりに「ニュータイプ神話の行き着く先」、あるいは「ニュータイプ幻想の正体」めいたものを示そうとした意識がみえる。

 公開前なので詳細は避けるものの、ニュータイプが宇宙に遍く広がりながらも隔てられた人類が、通じ合い分かり合って生きていけるようになる人間の主体的で能動的な進化の形だとは見ず、とある帰結のために存在を求められ認められるといった客体的な恩寵であって、そこへと向かって生まれ育まれて発現した先で、役目を終えて消えていくものだといった見方が打ち出されているような気がした。そのために使われ翻弄される人生を潔しとする気持はとても浮かばないけれど、帰結となった段階であるいは生きてきた意味といったものを味わい、感じて微笑めるのならそれも悪くはないのかもしれない。どうだろう。

 ニュータイプに限らず人はその終着点こそが人生の基点であって、そこから誕生へと向かって進んでいく時の流れを逆回しで経験しているのが認知している今の日々であって、そんな中に宇宙的な意思とでも、集合的な無意識とでも言えるようなものが必要とする行為によって迎える帰結にして基点へと進んでいったものが、ニュータイプというものの定められた生きざまなのだとも捉えられたけれど、そうした恩寵を与える存在をどこまで高次元に設定するか、あるいは宇宙という次元の中で広範に設定するかにも迷うし、時間が逆さまに不可逆という論理も成り立つか分からないしのだった。まあ良いか。分かったら面白くないし。そんな思索を得るためにもまた見に行こう。そしてエリク・ユーゴのおっぱいを堪能しよう。あれは良いものだbyマ・クベ。

 やっぱりなあ。サウジアラビアと日本との間で行われる予定だったeスポーツの大会が延期に。思い当たる理由はいろいろとあるけれどもとりあえず「諸般の事情」と言うならそれは「諸般の事情」なんだろうと理解しておこう。今のご時世でサウジアラビアと“健全”な付き合いをするのはなかなか難しい。アメリカなんかも動勢を注目している状況で日本が突出したら拙いといった判断もやっぱり働いたんだろうなあ。孫正義さんなら自分の責任でいろいろと出来るだろうけれど、一般社団法人である上に将来のオリンピックにeスポーツを入れたいと思って国なりに働きかける必要もあるJeSUが、突出してサウジアラビアと付き合ったらやっぱりいろいろと差し障りもあるから。

 今後も実施に向けてサウジアラビア側と協議は継続していくと言ってるものの、どの段階になればサウジアラビアにまとわりついたネガティブな空気が払拭されるかが見えないだけに、しばらくはないと思った方が良いのかも。JeSUはだから来年の国体でのeスポーツをしっかりサポートしつつ、日本サッカー協会との付き合いをここで一気に深めてJリーグにeスポーツが入ってくるような流れを作ってくれれば嬉しいかも。それこそ女子サッカーチームとeスポーツはJリーグに参加しているチームには必須と義務化してくれるとか。それだとインディペンデントにサッカーゲームを楽しんでいる人たちが入れないから、フットサルみたいなリーグが出来てそれをJFAが公認してJeSUが後押しするような流れを期待。今からウイイレなりFIFAを鍛えてプロを目指すか。カズさんなら目指しそうだし。

 「カウボーイビバップ」のテレビシリーズによる実写化が本格的に動き出したみたいで、Netflixがアメリカのテレビ製作会社と組んで番組を作って全世界に向けて配信するみたい。ノリにノってるNetflixが絡んでいる以上は取りっぱぐれはないだろーから、きっとちゃんと番組も出来て天かけるソードフィッシュ2に乗ったスパイク・シュピーゲルとその傍らを飛ぶフェイ・ヴァレンタインが見られるに違いないと思いたい。でもやっぱり不安なのは前にキアヌ・リーヴスによる映画化って話が持ち上がってサンライズもゴーサインを出していた記憶があるからで、けれどもちっとも話が進まないまま10年くらい来てしまった。もうきっとないと思うとその二の舞もなんて考えてしまうけど、映画とは違いテレビはもうちょっと軽く動くからあるいは来年にも登場なんてこともあるのかも。どっちにしてもスパイク・スピーゲルを誰が演じるかが目下の関心事か。エディ・レッドメインならもじゃもじゃ頭がピッタリなんだけどなあ。それは流石にないよなあ。

 やっぱりポン酢しかいないのかもしれない政府とか役所とか。税金をどこからむしり取るかをいろいろと考えた挙げ句に今度は長く車を走らせたらその分に税金を課すとかいったことを検討し始めたらしい。すでに燃費に応じて税金を課したとか課そうとしているって話があってそれで燃費が良い車が増えればガソリンが売れなくなってガソリン税が入らなくなるじゃんとか思ったりもしているけれど、今度のも長く走れば税金をかかるなら車に乗る人が減ってやっぱり税収が減ってしまうような気がするし、都会じゃない例えば北海道のそれこそ何10キロも毎日走らなければどこにもいけない地域では、それだけ負担が増えて困ったことになってしまう。いつも頓珍漢なことを言ってる北海道の元政治家さんもこればかっかりはクリティカルにおかしだろと言ってたりして、自分の暮らしに関わるとやっぱり人は聡明に戻るのかとも思ったというか。まあ実施はされないだろうけれど、これで味をしめたら今度は長く生きたらそれだけ国に負担をかけているんだから税金も多く取るって話になるかもなあ。長生き税。嫌なら逝って? あり得るだけに恐ろしい。

 ミステリマガジンの2019年1月号で「ミステリが読みたい」が特集されてていろいろとアンケートも行われているんだけれど、ライトノベルもキャラノベもライト文芸も含めてそうしたランキングに選ばれている作品が若い人たちの集まりが選んだところに氷桃甘雪さんの「六人の赤ずきんは今夜食べられる」が入っているくらいで、周縁として同じサークルが青柳碧人さんの「浜村渚の計算ノート」を選んでいるのを除けばほとんどの人がそうしたライトノベルズ系のミステリを気にとめてくれていない。毎回いろいろと紹介して年に20冊近くは並べているんだけれど、あまり届いてないのかと思うと寂しいものの力不足なんだとここは理解し、少しでも届いてくれることを願ってこれからも求めがある限りは紹介し続けていこう。青木杏樹さんによる「ヘルハウンド 犯罪者プロファイラー・犬飼秀樹」(メディアワークス文庫)なんか現場でのプロファイリングに取調室での対話でもって犯人を当てるというか、隠そうとしている真相を暴いてのける腕前が圧巻。現場と言葉のどちらが欠けても成り立たない謎解き種明かしの醍醐味って奴を味わわせてくれる。続きが出て欲しいなあ。


【11月26日】 宝島者の「このライトノベルがすごい! 2019」が発売になって瘤久保慎司さんの「錆喰いビスコ」が文庫部門の総合1位となって、そして当然のように新作部門でも1位を獲得。過去には支倉凍砂さんの「狼と香辛料」が発売された最初の年に1位を獲得したことがあったけれど、当時はまだ新作部門とか分けてなかったから総合部門と新作部門のW1位という言い方はされていなかった。今は両部門で初のW1位となって世間でもちょっと多めに喧伝されている感じ。CMまで作られたのは驚きだけれど、それだけKADOKAWAも「このライトノベルがすごい!」というブランドに改めて意味を見いだしたって言えるのかな、一時電撃文庫って「このラノ」といろいろあったような気がしているし。

 文庫の2位には白鳥士郎さん「りゅうおうのおしごと!」が入って、3連覇は逃したものの相変わらずの人気ぶり。というか3年連続で総合1位となると殿堂入りしてしまって以後、ランキングに入ってこないんで2年で止めてまた再帰を狙えるってのは悪い話ではないのかもしれない。両作品とも配分は対照的ながらもホームページからの読者投票とライトノベルに詳しい協力者票がそれなりに入っているところから、今の雰囲気をちゃんと表しているものと言えそう。「錆喰いビスコ」の場合は協力者票が強力過ぎな感じもしないでもないけれど、去年の「86−エイティシックス−」のように先取りをして紹介するという“役割”があると思えば、それはそれで業界のためになるんじゃないかと個人的に言い訳。

 単行本・ノベルズ部門についてはHPからの投票が少なくても協力者票でぐわっと上に来る作品もあったりして、発掘の意味はありつつ現状はどうかといったところでやや迷う。とはいえそうでもしないと石川博品さんの「海辺の病院で彼女と話した幾つかのこと」とか存在すら知られないでスルーされてしまいそうなんで、協力者のうちでも知られていたことの方を驚きたい。SFの方で知っている人とかどれだけいるかなあ、SFマガジンで紹介はしたけどほとんど知られてないような気がするしなあ、「SFが読みたい2019」で誰か紹介しているかが今は気になる。「JKハルは異世界で娼婦になった」も協力者表が聞いたかな。個人的には「幼女戦記」の最新刊とか苛烈さが増してて好きなんで、HPでの人気ともども盛り上がって欲しいもの。来年は講談社レジェンドノベルスが上位独占なんてあるのかな。

 HDDレコーダーに録画してある新作アニメをちゃんと見るシリーズで「うちのメイドがウザすぎる」を何話分かまとめて見る。なるほど鴨居つばめにつきまとわれる高梨ミーシャの側にとってはウザい存在かもしれないけれど、つばめの超絶ロリロリな変態性を減じれば、それは百合にも似た愛情であって肉体的に圧力をかけるといったことはなく、そして日々の暮らしにおいて料理洗濯掃除は完璧にこなしてくれるなら、決してウザい存在ではないような気もしないでもない。ミーシャの方もウザいといいつつなついても来ているようだし、自分の欠けたものを埋めてくれる存在として認めていくのかもしれない。一線は越えずに。一線って何だ。

 一方で、つばめにつきまとおうとする自衛官時代の上司でもあった鵜飼みどりは犬と蔑まれても付いていき、詰られれば身をよじって喜ぶ変態性がたっぷりでちょっとウザいかもしれない。ただ1カ月でメイドはお役御免となったようで身近なつきまといはないかというと、隣にいるからすぐにでも飛んできそう。ツインテールのメイド服姿だとゴージャスな美人なのに、自衛官時代のようなショートヘアにもどると地味になるあたりに女性の装いの意味って奴を見た。っていうか33歳なんだよなあ、みどり。アニメにあってサブでも結構ハイエイジなヒロインかも。とはいえ、あれだけ美人で金持ちなら結婚の声だってかかりそうだよなあ。かかったけれどことごとく粉砕してきたのかなあ。過去が気になる。それはつばめも一緒か。自衛官を辞めた理由、というかパイロットを降りた理由が気になるなあ。

 バンダイがアポロンを買収してバンダイミュージックを設立したもののなくなってからエアーズという会社が立ち上がってそこに何人か集まったメンバーが後、立ち上げたのが確かランティスだったっけ。知らずバンダイビジュアル傘下に入って今はバンダイナムコアーツのレーベル入りもしたけれど、それで立場が下がったかというと逆でランティスというアニソンのレーベルであり、音楽イベントのようなリアルエンターテインメントを展開する部署としてバンダイナムコグループの中でも大きな存在感を持っている。ランティス創設者の井上俊次さんがバンダイナムコアーツの代表取締役副社長を務めているのも、そんな意味合いを持ってのことだろー。

 そんなランティスが創設から20周年を記念するイベントを2019年に敢行。10年前にもランティス祭りとして富士急ハイランドで2日間もの野外フェスをぶち上げたけれど、今回は何と3日間、野外ではなく幕張メッセを開場にしてランティスのレーベルに所属したアーティストがわんさか登場して盛り上げてくれることになっている。その面々にはあのJAM Projectがいれば茅原実里さんがいて、緒方恵美さんもいてTRUEさんに栗林みな実さんことMinamiさんがいて「ラブライブ!サンシャイン!!」のAqoursがいてと新旧バラエティーに富んでいる。アニソンフェスでのトリが似合うようになって来たGRANRODEOもいるから凄いけど、今回ばかりは兄貴姐御のJAM Projectに大トリは譲らざるを得ないよなあ。

 MAGESがお前みたいな野郎には見せられないとでも考えたのか、初期からいそいそと通って無名だったころから記事にして来ながら、取材に呼んでくれなくなって今年は行けずきっと来年も行けないだろうアニメロサマーライブがいろいろなレーベルからアーティストを集めて見せる関係で、ランティスからでも呼ばれなくなったアーティストなんかがランティス祭りにはしっかり出てくれるから、行けば懐かしい顔に出会えて大好きな歌を聴けそう。MinamiさんだってOLDCODEXだって今なおいろいろと楽曲を演じていながらフェスで見られないのは寂しいのが、ここでまとめて見られるのならそりゃあ行く。っていうか毎年やってくれれば毎年だって行くだろう。一方でフライングドッグがフェスを開きスターチャイルドあらためキングレコードもフェスを開くご時世にあって、アニサマの価値はどこまで維持できるのか。長く取材してきたメディアも追い出す態度に悲しさを覚えているだけに、レーベルごとのフェスが隆盛になってくれればそれはそれで嬉しいかも。通う側は大変だけれど。

 初日にAqoursが出て、そして3日目にその中のユニットが出たりとしてファンはいつ行けば良いか選ぶのが大変そうだけど、ざっと見てORESAMAが出る日は行きたいなあと思うし井上俊次さんもメンバーのLAZYが出る日も行きたい気が。GRANRODEOの楽曲も好きだしOLDCODEXの歌唱とライブペインティングのミスマッチ的マッチングをまた見たい気もしているし、全日本アニソングランプリで優勝をしてデビューしながらレコード会社がつかなかった時期もあった佐咲紗花さんがランティスのメンバーとしてステージに立つのを讃えたい気もしている。大好きな栗林みな実さんと同じレーベルに所属できて嬉しいだろうなあ。何よりアニソンシンガーとして10年に迫るキャリアを築けたことも。そんな姿を見て讃えたい気もしているけれど、来年の6月なんていったい自分がどうなっているか分からないから安易にチケットは買えないか。いやいや3日間通っても平気な自由人になっている? だったら大丈夫かな。かな?


【11月25日】 「2025年に大阪万博の開催が決まった」「決まった」「とはいえ目玉がない」「ない」「2005年の愛・地球博ではスタジオジブリの『となりのトトロ』に出てきたサツキとメイの家が人気になった」「なった」「だったら俺たちは本物のジャパリパークを作ろう」「それは良い」「京大のiPS細胞研究所の山中伸弥教授も万博への協力を約束してくれたし」「リアルサンドスターを作ってリアルフレンズたちをこしらえて」「万博会場に放したら」「暴走して」「観客が喰われそうになって」「『食べないでくださーい』というところまでがジャパリパークで」「その後は」「さて」「はて」。そんな夢を見た。

 宝多立花は本当に新条アカネが自分を嫌いになれない友だちとして怪獣から作った存在なのか。嘘をいって惑わす性格でもないならそうかもしれないけれど、だったら立花が持っている過去の記憶だとか、その実家のジャンク屋だとかも全部アカネが創造したものなのか。そんなジャンク屋にグリッドマンが閉じ込められていた古いパソコンがあってそして新世紀中学生たちがやって来てグリッドマンをサポートしてアカネが作った怪獣と戦いアカネを邪魔するのはなぜなのか。神様でありながら思い通りにならない世界のどこにアカネの差配が及ぶ範囲があって、そして及ばない範囲がある境界線が引かれているのか。いろいろと謎も多いけれどもそれも含めて引きつけられる「SSSS.GRIDMAN」。面白いなあ。

 HDDレコーダーに溜まっているこの開きスタートの新作アニメをそろそろ見ないといけないと、とりあえず安倍吉俊さんがキャラクター原案をやっているという「RErideD−刻越えのデリダ−」を2話まで。ロボットを兵器として転用しようと画策している会社の重役の雰囲気があまりにも小物過ぎてどうしてあんな奴に天才科学者とかが翻弄され、そして殺し屋までもが金のためとはいえ良いなりになっているかがちょっと分からないけれど、やっぱりアニメーションならキャラクターの設定は分かりやすくしないといけないと、いかにもな悪役感を出そうとしたのかも、ドナルド・トランプ大統領のように。

 お話としてはそうしたロボットの兵器転用に際して発見されたバグを修正する暇が与えられなかった開発者チームが口封じに消されたかと思ったら、1人だけ生き延びたといった概略ではあるけれど、その上に時間跳躍というちょっとオーバーなテクノロジーが重なっていてマージュという少女がその渦中にあって、運良く冷凍睡眠相におっこちた主人公が眠っていた5年だか10年だかの時間を越えて行き来しているところがあって、それが展開にどう絡むかが気になる。時空を越えて偏在出来るタイプなのか、過去からの警告なのかそれとも未来からの警鐘か。すでに放送されている話数を見ていけば分かるだろうから、そこはこれから順に見ていこう。とりあえず茜屋日海夏さんが声を担当している女の子が、安倍吉俊さんならではのアンダーフレームな眼鏡っ娘だったのでこれは正義だ。絶対に。

 そして朝から起き出して羽田モノレールを使って流通センターへと行き文学フリマ。前回行ったかパスしたか思い出せないけれどもだいたい行ってる今回は、いつもよりブースが増えたそうで通路も狭くなっていた感じ。エブリスタが出ていなかったのは一般にブースを譲ったからか、今回は出すのを見送ったか。おかげで青い袋がもらえず買った冊子を入れるのに迷った人もいたんじゃなかろーか。習慣になると終わった時に戸惑いが生まれるという一例。そんな文学フリマではとりあえず、「私が大好きな小説家を殺すまで」(メディアワークス文庫)が評判の斜線堂有紀さんが何か書いてい「強力な零」という同人誌を買う。

 そして早速呼んだ斜線堂さんの「ゼロの証明」がなかなかに面白かったというか、ストロングゼロは凄いんだなというか。大学生の男子が小学校からの知り合いだけれど中学校の時以来に再会した友人がいて、過去に部屋から消えてみせることをやってそれが大学生男子にはひっかかっていたらしく、再会をして部屋に転がり込んできたその同級生と謎めストロングゼロを飲んでしこたま酔っ払った朝になって、男どうしてヤってしまったらしいと気付く。慌てたか狼狽えたか同級生がベッドに火をつけちょっと大変。そんな出来事があってすぐ、大学生男子が所属している音楽サークルの二美佳いがあって、そこで所属の女子2人に似非レズという言葉が浴びせられる。

 ゴスロリ姿のお嬢様然とした1人は悠然とお茶漬けをすすっていたけれど、もう1人は怒り飛び出してしまってそれを追って大学生男子が飛び出していき、なぜか燃えて仕舞ったベッドの代わりを同級生に買わせるための買い物に付き合わせる。ホモセクシャルな好意を意図するしないに関わらずしてしまった大学生男子に漂うモヤモヤが、レズビアン的カップルの女子に通じるとでも思ったか否か。そこは不明ながらも以後、繰り広げられる自己の探求によって、それがストロングゼロという強烈な酒のせいなのか、本来内面にあったものなのか、小中学生の時代にすり込まれた畏敬めいたものが噴き出したのかが問われ語られる。

 來山はぐみという、似非レズを居られながらも悠然とお茶漬けをすすっていたお嬢様もあらわれてその性格がなかなかで、同級生がかつて密室めいた部屋からいなくなった謎になんかもいどみつつ、人間関係に容赦なく切り込んでいく。そんな展開がなかなか読ませて、セクシャリティの在処なんてものも考えさせて、このままそれこそ文芸誌にだって掲載できるんじゃないかと思わせてくれる。似非ではなかった女子2人は音楽サークルのユニットとしてステージに立ち禁酒のはずのステージでストロングゼロを煽って飛び出しそのまま北欧へとエクソダス。カッコ良いけどそこでもストロングゼロが何か解放の象徴のように描かれる。っていうか「強力な零」がすなわちストロングゼロ小説アンソロジー。そんな中にあってプロデビューしている斜線堂さんならではのまとまりが出ている作品って言えるかも。まだ他のは読んでないけどどういう使われ方をしているか確かめよう、ストロングゼロをすすりながら。実は飲んだことないんだよなあ、ストロングゼロ。そんなに凄いの?

 飛浩隆さんのインタビューが載っている本とか和綴じのSF集とかも買って退散して横浜は戸部から歩いて10分ほどのところにあるシネマノベチェントで坂本サクさん「アラーニェの虫籠」を久々に見る。池袋のシネリーブルでしばらく公開されていたホラー映画で花澤香菜さんが声をあてているという点でも貴重にして至高。でもって改めてみてやっぱり展開は謎めくけれども、一応は夢落ちではないといった示唆もあって、だったらやっぱりいろいろ起こって最後はああなってしまうんだと納得して世界の滅びを歓待する。リンが幸せになってくればそれで良いのだ。

 上映後に坂本監督の過去作品の上映もあって、中に砂漠に現れ空を飛ぶ巨大な魚を原始期に後退したような人類が追いかけて狩る「フィッシャーマン」という作品があって、これは見たことがあると思ったけれどどこで見たかが思い出せないのだった。文化庁メディア芸術祭か他の何かの上映会か。すさまじいアクションとカメラワークとそしてビジョン。凄さが伝わってきたけれど、これ以後に自分の短編はなかなか作れずそして一気に長編の「アラーニェの虫籠」になってしまうところに、日本のインディペンデントなアニメーション作家の苦労めいたものが感じ取れた。会社に所属しながら暇を見て作って上映会に流してっていうことすら難しい中、これだけの長編を作り上げたんだからやっぱり才能がある上に、プロデュースも機能したんだろう。その成果として公開後もこうして上映が続いてファンが来る。まだしばらくは劇場を回って楽しませて欲しい。機会があれば見に行こう。


【11月24日】 ふとタブレットを操作すると2025年に大阪で万国博覧会が開かれることが決まったみたいで、大阪府とか大阪市あたりは大騒ぎしているみたいだけれども東京あたりだと2020年に東京オリンピック/パラリンピックの開催が決まってわいたは良いものの、その後に巨額な工事費とかが積み上がってにっちもさっちもいかない状況でもう東京オリンピックなんて止めてしまいたいといった思いが、2年後に迫った今もまだ頻繁にわき出ていたりすることもあって、大阪もその後を追うことになって大変だねえといった嘆息混じりの同情なんかも浮かんでいたりする。

 とはいえ現地大阪のとりわけ万博を推進してきた人たちにはそんな危惧など馬耳東風、自分たちがそこに何かを刻めるといった歓喜に今はうちふるえている。でも2025年だなんて今から7年も先の未来にいったいどれだけの万国をどうやって博覧させられるのか。テーマもビジョンもスカスカな中でただ自分たちの地域の経済活性化だけを狙いに万博を開いたところで、そこに共感も共鳴も生まれない。2005年の愛知万博こと愛・地球博がかろうじて成功したのは環境に配慮しつつその時のテクノロジーを見せようとしていたことがあり、まだ未来に希望も抱ける経済環境もあってトヨタ自動車という大スポンサーもあったから。それが2025年の大阪でどれだけのビジョンを未来に抱ける?  スポンサーはどうなる? そこが見えない。

 2010年の上海万博のように右肩上がり過ぎな中国という経済環境でもない大阪で、緊縮財政の中でボランティアだとかヌかして開いたところで経済なんて回らない。地元の都合だけで誘致された見世物だから観客だって呆れて来ない。それを感がえれば他に誘致すべきものはいくらだってあったのに、1970年の大阪万国博覧会の賑わいが頭に残った爺さんたちにはその再来しか頭になかったんだろうなあ。同じ事は1964年の東京五輪の成功が脳裏に焼き付いてその再来を狙った東京の爺さんたちも同じだけれど。それでも決まった以上はやるんだろう。ならばせめてVRでもARでもMRでもプロジェクションマッピングでも未来に残せるテクノロジーをそこで大実験するくらいの覚悟と規模で挑み予算と技術を突っ込んで欲しい。でなければ大阪は、そして日本はそこで終わる。確実に。その前に大阪が地盤の自称全国紙はとっくに終わっていそうだけれど。報道できるかなあ、東京五輪、てそこかい? そこなんだ。

 ウルトラマンのシリーズでリアルタイムで見ていたのは「ウルトラマンAくらいまでで、「ウルトラマンタロウ」となると最初の方を見ていたくらいで青と赤の派手な乗り物が出ているなあといった印象が残っている程度、そして「ウルトラマンレオ」となると小学生向けの漫画誌あたりに情報が載っててレオがいてアストラがいるなあといった情報は知っていても、どんな怪獣が出てきてどんな戦い方をしたかはまるで覚えていない。せいぜいが森次浩嗣さんが元ウルトラセブンだけれど変身できないまま、ウルトラ警備隊みたいな組織の隊長を務めているといった程度だったりする。

 だから「ウルトラマンレオ」で40話から登場したらしいブラック指令によってその組織、MACとやらが大変な目にあったという話を聞いてそんなことがあったのかと驚いた。子供として見ていたらトラウマになったかもなあ。味方が全滅だなんって正義の組織にあってはならないものだから。どうしてそんな破天荒が許されたかっていうと分からないけれど、「ウルトラマンレオ」に続くウルトラシリーズの放送は決まってなくて、これが最後なんだからともうスタッフがやりたい放題をやったからなのかどうなのか。そのあたりの解説があったら知りたいし、「ウルトラマンレオ」も改めて見て見たいけれども見たらやっぱり心に穴が開きそうだから抑えて今、甦ってその巨乳ぶりとそしてポンコツぶりを見せてくれている「怪獣娘(黒)」のブラック指令をオリジナルのものとして認識しておく。

 ゴモラだとかエレキングだとかキングジョーだとかミクラスといったメジャーどころの怪獣たちが、怪獣ガールズとして組織されアイドル活動をしたり正義を行使していたりしている社会にあってブラック指令はやっぱり「ウルトラマンレオ」に出てきた円盤生物の名前をとったシルバーブルーメだとかノーバだとかいった怪獣娘たちを従えて、祖師谷の安アパートだけれども8畳もある部屋に暮らしながら、どこからお金が出ているか謎めくけれどもデパートの催事で大食いをしたりして世界を困らせようとしている。それで困る世界でもないけれど。そんな組織に見つかりスカウトされたのがペガッサ星人の怪獣娘。ブラックホールでも発生させられる力があるけどそれはネガティブな気持になった時しか発生しない。

 一方で真面目なペガッサがブラック指令らに悪の手ほどきをして、正義の味方に敗れる確率が高い背中を見せて逃げるとか、高い場所で高笑いといったことをしないように忠告したりする展開にウルトラも含めたヒーローもののメソッドのようなものが伺えて楽しかった。池袋では邪神を暴れさせてしまったみたいだけれど、とりあえず抑えてまた亜空間にでも放り出してしまったようで、それも可哀想だけれど仕方が無いか、ゼットンすら倒せる相手だから。でも最初は事故で巻き込まれたようなその邪神ちゃん、いずれ出てきて仲間になるのかな。つまりは「怪獣娘(黒)」に続きはあるのかな。1時間ちょっとで3エピソードだなんて半端な作り方はテレビシリーズでも意識しているのか。あれはそうした展開が見たいもの。だって巨乳だからブラック指令。テレビでもぶるんぶるんさせて欲しいねえ。

 たぶん現実はいろいろと違っていて、ただ映画だからドラマチックになる部分なんかは虚実混ぜるなり時間を前後させるなりして編集し、盛り上がるようにしてあるんだろうけれども総体としてやっぱりクイーンというバンドであり、フレディ・マーキュリーというアーティストの凄さと葛藤は見て取れた映画「ボヘミアン・ラプソディ」。デビューに至るステップから成功へと駆け上がる展開にあまり挫折めいたものはなく、プロデューサーとの言い合いめいたものはあっても順当に有名になってメジャーになって大金持ちになって、そんな中で人付き合いの問題とか仲間内での諍いとかおこって大変になって解散寸前に行くけれど、でもやっぱり僕らは家族なんだと戻って来るところは単純な感動のストーリーになっている。

 フレディが自分はHIVに観戦していると明かし、ライブエイドにでるからといってとらいえず参集した仲間も納得するとか、なかなかできすぎだけれどこれはできすぎにしたんであってその段階でフレディが仲間に打ち明けたといった説はない。HIVという診断を受けたのもライブエイドより後の時点だって映画にも出ていたジム・ハットンが言い残しているらしいから弱り時間がなくなったフレディが、やっぱり仲間だ家族だと回帰していった展開も虚構だろう。でも分かりやすくはなっている。

 実際はそれなりに付き合いもあって行き詰まっていたけれどもこのあたりで妥協したか、ソロが行き詰まってやっぱり仲間が良いとなったか、分からないけれどもそんなに深刻に解散の危機があったようには当時の印象では見えなかった。ただだんだんと一線から退いていってそしてHIVの噂とともに退き死去。らしいなあとは思ったけれど音楽に命を燃やして逝ったといった感じもなかった。もしも「ボヘミアン・ラプソディ」を見てフレディ・マーキュリーとはああいった人物だったと思うのは早計で、いろいろと出ている本とかを読んだ方が良いのかもしれないけれど、知ったところで彼らが残した音楽が何か凄みを増したり逆に輝きを失ったりすることはない。クイーンというバンドがいて、フレディ・マーキュリーというボーカルがいて、凄いことをやってそして今、フレディだけがいないという現実を感じつつ改めてクイーンを、そしてフレディ・マーキュリーを感じれば良い。それだけだ。そのための映画だと思いたい。


【11月23日】 星川リリィはだから可愛い自分が好きでそれは女の子の格好で、それでずっと可愛いままでいたいけれども性徴によって可愛い自分でいられなくなることに絶望した、という理解でいいのかな、その性自認は果たして女の子だったのか、普通に男の子だけれど可愛い自分に見ほれていたのか、女の子とか男の子とか関係なくただ可愛い自分というのを大事にしていたのか、ってあたりをある程度吟味しないと単に女の子みたいに可愛い女の子が登場することを条件反射的に尊び騒ぐ心理に飲み込まれてしまう気がしないでもない「ゾンビランドサガ」。それはつまり男の子であっても女の子になりたいけれども可愛くない子の存在に対して、ある種のプレッシャーとなりかねないから。可愛いは正義ってやっぱりなかなかに残酷な言葉だと思うのだ。

 そこはだからあまり踏み込まず、可愛い自分が好きだったけれどそんな自分すら見てくれないでテレビの中にいる自分の分身ばかりに目を向ける父親に反発した子供の葛藤と、そんな子供を失ってはじめて分かる悲しみを長くため込んでいた男の心の解放が,ドラマとして繰り広げられたと思っておこう。こうしてだんだんとそれぞれに過去の自分と対峙するエピソードが紡がれていって、昭和と平成のアイドルたちの葛藤もクリアにされた先、残る暴走族のレディースと花魁と伝説の山田たえとそして源さくらの正体も明らかになっていくのかな、いやレディースも花魁も記録には残っているだろうからやっぱり気になる源さくら。誰だったんだろう。山田たえは伝説の山田たえで終わりそうな気が。それともちゃんと設定を出してくるか。残る1カ月ほどを見守ろう。2クールってことはないよね。

 待ち遠しかった下巻が出て読んだ椎名寅生さんの「花園<下>」(星海社FICTIONS)はやっぱりどこまでも熱くて深くて濃くて面白いラグビー小説だった。遠く宇宙の彼方からやって来ては地球人にラグビーの試合を申し込み、そこで日本代表を相手に指名し負けたら日本列島を消し去ると脅して真剣勝負の舞台に引きずり出した宇宙人たち。言葉に違わず相当な強さで、いろいろと策を練って挑んだ日本代表に圧倒的なパワーとそして異能で序盤から大差をつける。そこはかろうじて日本伝来の神の力も借りたか水入りにして、続きを8月15日に開催すると決まってから数カ月。選ばれた日本代表やヘッドコーチらの葛藤と鍛錬の日々が下巻に描かれる。

 メンバーにはもちろんキャップを持ったラグビーの日本代表もいるし、これからの成長が期待出来そうな高校生の代表もいたりするけれど、中には女子高生も混じっているからこれは謎。というか理由は明確で超能力者だったからで、相手が異能を使うかもしれない状況、そして日本が消されるかもしれない瀬戸際であらゆる手段を講じて勝とうとした。サイコキネシスにテレパシー。そんな力を持った女子高生たちに加え、地底湖から発見されたリザードマンの少女もいたりするチームはけれども序盤で通じず、仕切り直しへと向かう中でサイコキネシス使いの女子高生は修行の旅に。残された少女はリザードマンとのコミュニケーションを取り、そのパワーを戦力に組み込めるようにして試合に備える。

 試合中に昏倒したサイコキネシス使いの女子高生が、そのまま続行されていたら起き上がれなかった訳だからエキスパンドされただけの試合に出る資格はないといった反論から、出したければもしも引き分けだったら撤退はせず北海道と沖縄を消すといった条件も乗せてきて、ヘッドコーチが降りる降りないといった問題も生まれそこでヘッドコーチのラグビーにかける想いも描かれ涙。誰にでもあるそうした過去は敵の宇宙人にもあって、思っていたより苛烈な状況にあったことが分かってくる。とはいえそれで試合が揺らぐことはない。真っ向から真剣に、異能も含めた全能力をぶつけ合い、パワーとテクニックで挑み合う。

 その試合運びと描写は本格的なラグビー小説以上にラグビー小説。サイコキネシスをあらゆる場面で振るってボールを動かし相手を翻弄するような卑怯は使わない。ことし合いに関してはおおむねパワーとテクニックによるラグビーを駆使してぶつかり合う。読む側も、いったいどちらにボールが転がるのか、どこで反則が生まれるのかといった感じに試合を見ているように手に汗握ってしまいそうになる。数あるスポーツ小説でも傑出したラグビー小説だと感じさせる所以。自分探しでもチーム事情でもない、多くの人々の気合いを背負い想いを背負い自分自身のプライドも乗せた試合に誰もが心震えさせられるだろう。これが読まれずして2019年に開催されるラグビーワールドカップ日本大会2019が盛り上がるとは思えない。それだけラグビーが軽んじられているということだから。逆に読めばラグビーの面白さも伝わり、スポーツとしての真剣勝負の楽しさに気付くはず。大会運営者は今からでも遅くないから『花園』上下を買い取り買い占め学校に、職場に、コミュニティに配ってラグビーへの関心を誘うのだ。それなくしてW杯日本大会の成功はないと断じる。

 雑誌も出て全国紙の看板を下ろすという方針が満天下に示されてしまった自称するところの全国紙だけれど、そういう惨状へと至った道を振り返って拙かった部分を変えようとしているかというと大して変わってないからやっぱり全国紙の看板を下ろして済むとはちょっと言えなさそう。北京の総局長様が日本に帰るからといって北京の空港に来たところ、列に割り込んできた男がいて注意したら日本語で中国人じゃないんだと驚いた、でもって日本に帰って行列に並んでイライラすると自分が中国人化しまったと堂々、コラムに書いている。割り込むのが中国人だというステレオタイプな偏見を土台にした物言いを、何のてらいもなく書けてしまえるところにやっぱり根深い嫌中有理なスタンスが透けて見える。それを読んで誰か楽しいと思うんだろうか。思うと思っているから書いては思わないからズレていった果てが今だとなぜ分からないんだろう。そこがやっぱり分からない。

 まあ、自称するところの全国紙に限らず中国へのステレオタイプな偏見は世界に蔓延しているみたいで、世界的なファッションブランドのドルチェ&ガッバーナが中国に関する悪口を放って総スカンを食らって大変な感じ。元は中国人が箸でピザを大変そうに食べる映像が流されたことみたいで、まあ箸でピザは食べられないこともないからそれを指摘されても莫迦にされているとは思わないし、下手に食べるのは箸の使い方の問題であって自分たちの文化が揶揄されたとはあまり思わない。だからその映像だけでは問題も大きくはならなかったんだろーけど、言うに事欠いてデザイナーが中国人をあしざまに言った言葉が流布されて、出演モデルやゲストが次々にボイコットしてショーが中止になり、ネットでの販売からも閉め出されたみたい。炎上しそうな発端で消し止められたにも関わらず、煽って延焼した一例。まあそうかもねーと名古屋人なら笑ってスルーしたかもしれないけれど、そこはプライドを持った中国人だし結束も固く、揃ってのボイコットになった感じ。まあいつか再開はするだろうけれど、この一件でささいな批判が無関係なところに及んでボイコットへと波及していかないかはちょっと心配。正当な批判ですら受け入れなくあんったらやっぱりそこは拙いから。


【11月22日】 9年前に舞台挨拶付きで片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」を見た新宿ピカデリーで8周年に続いて9周年を記念した「マイマイ新子と千年の魔法」の上映があったんで見物に。舞台挨拶では音楽を村井清秀さんとともに担当しているMinako mooki Obataさんが登壇をして楽曲について話しつつ、前に赤様ミッドタウンで見た時のようにPCを持ちこんで多重録音の音源を再生しながら声をかぶせてひとりアカペラを演るかと思ったら違って、何と会場の観客に歌ってもらってそこに自分の歌声をかぶせる集団アカペラを見せてくれたというか、やらせてしまった。

 会場を左中右と分けてはベースの音と高い音、そして真ん中あたりのフレーズを順に歌わせそのまま継続させた上に自分の声を乗せて出来上がったその音を、観客席にいるとどういう感じかあまり聞くことができなかったけれどもきっと前方にいた片渕須直監督には、ひとつの音場として聞こえたことだろう。麦畑が見えたというからきっと何か見えたに違いない。オフィシャルが録音をしていたそうだから、いつかどこかで聞ける時がくるかもしれない。そんな中に僕の声はちゃんと入っているか。ミドルレンジでのトゥントゥクトゥンとかいう声だけれど、分からないだろうなあ。それでこそコーラスってことなんだけれど。

 そんな「マイマイ新子と千年の魔法」の上映会では、片渕須直監督が12月に入ってあの「大脱走」を見た上でトークを行う上映が行われることが発表に。3時間近くある映画を観るだけでも大変だけれど、それにミリタリーに関してとてつもなく詳しい片渕監督があれやこれや語った時、いったいどれだけの時間になるのかが今から心配。映画上映3時間に片渕監督のトーク3時間とか。それはないか。行きたいけれども行くならやっぱりスティーブ・マックイーンの着ていたフライトジャケットを羽織っていけたらと思って探したら、リアル・マッコイからレプリカが出ていて見たら値段が20万円超えで手が出ず。仕方が無いから家のフライトジャケットの襟のファーを外して着ていこう。中のスウェットも欲しいけど、これもマックイーン仕様は2万円で高過ぎるのでユニクロあたりで似た色を探そう。グローブとボールは持ち込めるのかな。据えられた機関銃で銃殺されるかな。

 23日からの3連休はとてつもなく混みそうな予感がしたので朝にアーツ千代田3331の屋上に上って「まんがタイムきらら展」の開場を待つ。150人くらいが7つのグループに分かれて並んでそしてくじ引きで決まったグループから順に入っていくシステムは、蒲田のホールで開かれる同人誌即売会なんかで経験をしたことがある待機列の処理方法。これなら早朝から来て順繰りに並んでいかずとも、運が良ければ最初のグループで入れるから出足競争にならずに済むってことなのかも。前の「蒼樹うめ展」は本当に長蛇の列が出来たものなあ。あとは平日だからやっぱり休日よりは人が少なく、運悪く6番目のグループになっても20分ほどで中には入れた。ただ続々とその後も来場者が来ていたから、3連休ではそれなりに最初のアルファベット分けに入れるくらいには行った方が良いかもしれない。

 展示は興味深く過去からの「まんがタイムきらら」とか関連の雑誌に掲載された漫画作品からピックアップされた作品の何と新作漫画が新作イラストとともにカラーで展示されるというもの。よくある漫画関係の展覧会のように原画なりを並べカラーイラストを並べるものではなく、こういった作品があったことを時系列的に紹介しつつその現在地というものを見せつつ、それぞれにどういったテーマがありストーリーがあり特質があったかってことを、タイトルにして展示してあって作品そのものへの理解を深めることができる。その意味では博物館的なイベントではなく、編集的なイベント。記念誌的なイラスト集なりを作る感覚で展示を作りカタログも作ったというか。振り返って懐かしいと感じるよりも、見て新しいと思える方がもしかしたらファンも楽しいし、作り手だって新しい地平に立ってこれからを進んでいけると思ったかもしれない。そんな展覧会を企画し監修した人、ちょっと凄いかも。

 そんな「まんがタイムきらら展」を見ていてなんとなく思ったのは、この一連の漫画誌群はもしかしたら大人のコロコロコミックなのかもなあと思ったこと。漫画ではあるしそれらは単体として楽しいけれど、そこで取りあげらている題材が時としてレジャーであったりホビーであったりエンターテインメントであったりを歓喜して、漫画の外側で読者を喜ばせることができる。「けいおん!」ならバンドだし「ゆるキャン」ならキャンプだし「はるかなレシーブ」ならビーチバレー。「GA芸術家アートデザインクラス」や「ひだまりスケッチ」では美術。そんなホビーなりへの情報に浸り自分でもやって楽しい広がりが、漫画を中心にあったりするところにメジャーな会社から出ている訳でもないこの漫画誌群が、愛され親しまれアニメ化も多く成される理由にあったりするのかもしれない。とはいえ、仕込んでは台無しになるからそこは作者と編集者の直感とリサーチ力に任せ、受けてはこれが楽しいかもと思って試すことにしよう。キャンプの次は何が来る?

 「ネバー×エンド×ロール〜巡る未来の記憶〜」がSFだった本田壱成さんによる「終わらない夏のハローグッバイ」(講談社タイガ、750円)がとてつもなくSFだったのでSF方面は気にするように。首筋へのインプラントを通して脳に直接五感を覚えさせる<第六感覚>、いわゆるサードアイなる技術が使われ始めた時代、そのサードアイを全住人に装着させた街に暮らす周という名の少年が、2年間眠り続ける結日という名の少女がどうして眠り続けているのかを探り、目覚めさせようとする行動の中で見つけたこととは? そんなストーリー展開を持った物語の中に、人は感覚を共有することでわかり合えるようになるという、VRだとかネットワークだとかの効能を謳うフラワーなビジョンにどばっと冷や水を浴びせかける。

 けれども、なお求めて止まないコミュニケーションへの渇望がもたらす人類にとっての危機と、その先にうかがえる可能性が描かれ、絶望の中に人を沈ませない。一方でたとえ冷や水を浴びせられても、そこで感じら得る自分と誰かの関係を尊べば良いといった味方も与えられる。どっちが正解なんだろう。VRだとかARといったものがインプラントで発現するというのは、川原礫さんの「アクセル・ワールド」にも描かれているビジョンだけれど、特定の世代に特化し、主にゲームとして楽しまれているテクノロジーが、より広範囲の世代で使われた場合にどんな影響が世界にもたらされるかが、「終わらない夏のハローグッバイ」には示される。娯楽ではなく人類のあり方そのものへともたらす可能性が、各種の類例から示される。素晴らしい世界がすぐそこまで着ているのかもしれないし、そうでないのもしれない。問いかけに答えるのは僕たちだ。


【11月21日】 「ガミラス&イスカンダル合同スクールアイドルの『TWIN STARS』の組み分けは、1年生チームが花束の少女、ヒルデ・シュルツ、ユリーシャ・イスカンダルで、2年生チームがメルダ・ディッツ、ミレーネル・リンケ、スターシャ・イスカンダルで、3年生チームがミーゼラ・セレステラ、ネレディア・リッケ、エリーサ・ドメルね」「ってスターシャ姉様がどうして2年生チーム」「スターシャ・イスカンダル、17歳です」「おいおい」「おやあ、声が小さいぞう、スターシャ・イスカンダル、17歳です」「おいおい」。ってな感じで。「我が彗星帝国もスクールアイドルを作るぞ! メンバーはサーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、サーベラー、桂木透子だ」「おいおい」。

 起訴もされていない段階の容疑者であって、その容疑もなおかつ脱税をして国庫に損害を与えたといったものではない日産自動車のカルロス・ゴーン会長に関する一件で、たとえば企業ガバナンスの問題として日産自動車の首脳が所管する経済産業省なり国土交通省なりに赴き状況を説明する、あるいは有価証券報告書への虚偽記載なら株価に影響を与えたという理由で東京証券取引所なり金融庁に説明をするのが段取りというものであって、それがどうして首相官邸へと赴き官房長官という、ある意味では首相の名代に面会をして釈明をしなくてはならいのかといった部分が、この国の“王権”めいたものの存在を感じさせて居心地が悪い。王に逆らい王の心を乱す出来事は王が聴取して王が裁く。知らずこの国は絶対王政になっていたらしい。感じてはいたけれどもこれで明らかになったと言えるかも。そういう国家ガバナンスの妙さについて、メディアも問わずおかしいと感じない状況もまた恐ろしい。未来はどこへと下り落ちていくのだろうか。

 そしてメディアもまた絶対王政下の僕として王に逆らったものは徹底的に糾弾しようとする腹か。あの朝日新聞であってもサイトのトップに一時、「ゴーン夫妻、セレブな日常 宮殿で『王と女王』の晩餐会」などという下衆なゴシップを掲げてのけた。結婚パーティーでブルボン王朝を模してもそれは「日常」じゃないし、そおn費用もどこが出したか定かじゃない。会社に出させたということが明確なら背任ではあっても、それも起訴すらされていない容疑の段階で決めつけて良い話ではなく、違っていればそれこそ名誉毀損に当たる。カンヌ映画祭に参加してレッドカーペットを歩いた? フランス国営で規模も巨大な企業のトップならお膝元のカンヌで行われる映画祭を歩いて不思議はない。そうした当たり前ですら異常なことを思わせクローズアップして経営ではなく人格を叩くメディアが、時として口にする人権っていったい何だ。そこに確かな意思はあるのか。いろいろとややこしい時代。未来はもはや存在していないのだろうか。

 VRに匂いをもたらそうとしているスタートアップ企業のVAQSOが、開発者向けのキットをリリースするってんで発表会を見に行く。昔はチョコレートバーくらいの大きさだったデバイスが、バウムクーヘンの3分の1くらいの大きさになってVRヘッドマウントディスプレイの下にぶら下がる感じになっていて、ちょっと大きくなり過ぎな気がしたけれどもそれで5種類まで匂いのカートリッジをぶら下げられるし、実際にはもうちょっと薄くなるというからそれでまずファーストモデルを製品化して、だんだんと小さくしていくようなロードマップがあるのかもしれない。他に幾つか似たようなことをしている企業もあるらしいけど、どこもサイズは巨大でなおかつ顔を覆ってしまう感じで匂いが逃げずこもってしまうらしい。その点、VAQSO VRはオープンだからすぐに散って次の匂いへと切り替えられる。それならこっちを使おうかって人も増えれば、開発も進んで小さくなっていくだろう。そこに期待。

 VRに匂いが必要かというのは、たとえば映画館の4DXだとかMX4Dといった体感型のシートで座って見る映画でも、やっぱり匂いが演出効果にラインアップされていることからも明かで、そうした効果があったからこそ「劇場版マクロスΔ 劇場のワルキューレ」のMX4D版でメンバーが入浴しているシーンで良い香りを体感できたし、「劇場版マクロスF サヨナラノツバサ」でも匂いが漂って良い気持ちになれた。それをVRでも行えるようにすればより没入感も得られる。いつか脳細胞の匂いを司る部位に信号を送って匂いを感じさせられるようになれば話は別だけど、そんな技術は流石にあと半世紀は出てこないだろう。だからやっぱりVRの進化は重要で、そこに向けて匂いVRの開発も進む。あらゆる匂いが瞬時に合成されて漂いそして切り替わるような進化なら5年10年で可能かも。そんな次代に対応ソフトとなった「劇場のワルキューレ」を見て見たいなあ、美雲さんの香りに浸りたいなあ。

 転戦して恵比寿で開かれた「機動戦士ガンダム 40周年プロジェクト」の発表会を見物。いつか発表になっていた歩く、ではなく動くガンダムが2019年ではなくて2020年と1年先延ばしで実現するようで、横浜港は山下ふ頭に出現することになる模様。歩く、ではなく動くと言っているところがちょっと気になるけれど、あの巨体を歩かせて倒れでもしたらけが人も出るだろうから仕方が無い。かといって30周年で作ったガンダムの立像とか、今あるユニコーンガンダムの立像みたく首が動くだけではやっぱり物足りない。腕でも上がるか腰でも曲がるか。片足立ちするってことはないだろうなあ。それとも直立のポーズからビームライフルを構えるポーズに変わる? ちょっと気になる。「こいつ動くぞ」を再現して、トレーラーに寝かされたところから上半身を持ち上げるだけだったら、それはそれで面白いかも。さすがにそれはないかな。

 さすがに40周年が何も無しではガッカリ感もでるからなのか、当該の2019年にはいろいろと映像の方で企画が動くみたい。とりあえずしょっぱなでは「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」が何とNHKの総合テレビで放送だそうで、シャアが成り上がっていくあの物語をNHKでCM無しに見られるのは嬉しい限り。過去のガンダムの名曲をLUNA SEAのSUGIZOさんがプロデュースしてトリビュートするみたいなんで誰が何をどう歌うかに今は注目。もちろんLUNA SEAも歌います。それから「Gのレコンギスタ」の劇場版。新作カットを加えた再編集版を上映するそうで、富野由悠季総監督がどんな差配を加えてくるかが気になる。目下最新作ってことになる訳だし。その富野さんは夏にフランスで開かれるJAPAN EXPOに参加されるそうで、海外での人気ぶりを今一度、確認できそう。

 でもやっぱり驚きは、富野さんが小説に書いた「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の劇場版3部作にようる映像化だろう。アニメになるかははっきりしないけれどもたぶんそうだとして、いったい誰が撮ってそしてどういう展開になるのかがやっぱり気になるところ。囲み取材でSUGIZOさんに、プロジェクトで発表になった作品群だと何が気になるか尋ねたら、まったく予想していなかったんで「閃光のハサウェイ」の映像化に驚いて絶叫したって話してた。でもってちゃんと内容はご存じで、悲惨な最期を遂げるあの結末をちゃんと描いてくれるというからもうコアなファンとして楽しみで仕方が無いって話してた。そうだよなあ。でもやるんだよ。とはいえまだ先の展開なので目下のところは「機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)」がお楽しみ。「ミネバを我が子のように思っているから、成長したミネバが活躍するのが嬉しくて」。それは同感。でもSUGIZOさんにとっての娘でも僕にとっては嫁なのでいつかSUGIZOさんに「ミネバを僕にください」と言ってみよう。決死の覚悟で。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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