Last Updated 2019/10/16
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
「1998-1999年lain日記」

リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!

薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー

日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ

ワーニングワーニング

(ホントはただの日記です)

◎積み上げた本の数が這々の体で1800冊に達した『積ん読パラダイス』だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で『積ん読パラダイスinBlog』なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
落ち行く世界で孤独な少女がロボットと出逢い、つかの間の交流を経てそれぞれの道を選ぶ。切なくも哀しく、そして愛おしい狩野典洋の短編アニメーション『ノアのハコ庭』に全人類よ、涙せよ。
【10月16日】 わはははははははは。あれだけ夏の暑さ対策だといって鉢植えを並べたりかち割り氷を配ったり、熱中症対策としてアイスバスを用意したりして灼熱の真夏なんだけれど開催期間をズラすのは許さないIOC国際オリンピック委員会のというか、スポンサーになっているアメリカのテレビメディアの要望に応えて来たにもかかわらず、2020年の東京オリンピックのマラソンと競歩が札幌に会場を移して開催した方が良いんじゃないかとそのIOCから言われてしまって東京オリンピック組織委員会のショボーンとした気分が何とはなしに感じられて可哀想でならない。

 もとより真夏の東京がとてつもなく暑いことは分かっていながら、1年を通じても過ごしやすい季節なんだと大嘘をついてオリンピックの招致を続けた招致委員会すなわち今の組織委員会がポン酢だっただけの話なんだけれど、決まったからには後には引けない状況でもはや時間帯すら変えられない厳しさの中、頑張って選手たちの安全を図ろうと色々な施策を打ち出した。そのほとんどが対症療法にすらならないオカルトの範疇で、理にかなっていたのはアイスバスを用意することくらいだけれどそれすらも真夏にマラソンなんてやらなきゃ良いといった声にやっぱり押されてた。

 でも止められないから日本代表を決めるマラソングランドチャンピオンシップなんてものを実施した際に、同じコースを走らせ暑さ対策も含めて検討してみたにもかかわらず、すべてを無駄にするようなIOCの天の声。果たしてどこまで強制力を持っているかは分からないけれど、公にステートメントを出した以上は従わざるを得ないんだろうなあ。マラソンだって沿道で見るだけじゃなく、スタジアムで帰ってくる人たちのスプリントを見たいと大勢が詰めかけている訳で、そのためのチケットも抽選で販売された。きっと高倍率だっただろう。当選した人たちの怨嗟の声が早くも漏れ始めている。

 なおかつマラソンは史上初めて非公認ながらも2時間の壁を破ったキプチョゲという選手が日本に来て、走ってくれそうな場で、注目も一段と上がっていただろう状況での会場変更。競歩は競歩で日本人選手がメダルを取りそうな競技だったけれどこれも札幌へとなって、東京の立つ瀬がまるでなくなってしまいそう。果たして応じるかそれともゴネるか。いっそ2つの会場で好きな方に出ていいよと行ってそれぞれにメダルを出せば面白いのに。元よりタイムではなく得点でもなく順位で決める勝負なら、どこでやっても順位は順位として残るのだから。この流れだとトライアスロンもお台場から千葉あたりに変わるかな、鴨川とかでやれば復興なんかの意味もあって最高なんだけど。まるっ。

 ポン酢だとは分かっていて、それが右肩が下がり下がって砕け散る瀬戸際まで行かしてしまったんだけど、やっぱ韓国のワルクチを書くためにはあらゆる材料をそのためにポジティブに解釈するポン酢ぶりは変わっていなかったなあ、某紙。台風が来る前に食料品とか飲料品を買い込む動きがあった中で、韓国の辛口ラーメンだけが余っていたことが話題になって、韓国で日本の韓国ボイコットの動きがあったからんじゃないかと言われているらしいことを、そのまま紹介していた。

 いやいや、それは単に保存食にするにはからすぎて水とか保存しておきたいのに飲んじゃうから向かないだけだろう。たとえ韓国の人が自嘲と自虐をこめて日本は嫌いなんだねと言ったとしても、そうじゃない理由を沿えておくのが報道だろう。でもそうじゃなく、日本が韓国の物品も含めて嫌っているようなトーンを改めて拾い上げては記事でそのまま流している。読んで世間は大爆笑。だって韓国産に限らずとんがらし麺だの北極だのといった辛口系のラーメンが軒並み残っていたんだから。それで日本のどこかの地域が嫌われているなんて思わないのに韓国のラーメンだとなぜそうなる? つまりはそう言いたいだけってこと。それは世間にバレているってこと。にも関わらず改めないで流し続ける。そういうスタンスが凋落を招いたんだから、大量に首を切って立て直しに向かうなかで改めるかなあと思ったらなおいっそう酷くなっている。この先に来るのは? って心配したって関係ないか。でも溜飲は下がるかな。されもはても。

 武蔵小杉のタワーマンションが断水で大変なことになっている川崎市で、川崎市民ミュージアムが水没をして地下にある倉庫に収蔵された品々が、いったいどうなっているか心配されているとか。そもそもがそんな大切な場所に水が入り込むような設計がどうかしているんだけれど、入ってしまったからには倉庫に水が浸入するかどうかが問題で、なるほど火災の時に空気を遮断して消火するような設備はあっても、水の浸入まで防げるかいなか。重さのない空気なら遮断できても重量の圧力がかかる水はまた条件が違うから。仮に水没となった場合、どれくらいの貴重な品々が影響を受けるのか、そのあたりも含めて調査が待たれる。お金を積めば回復できるのかにも。それが出来るのならカット袋だって……ってそちらは大丈夫だったから良いのか。詰め替えいつやるんだろ。


  【10月15日】 電通の新聞局長といえばかつては電通の社長になる上で、絶対に経験しなければいけなかった役職で、それは新聞があらゆるメディアにおいて上位に位置して、政治を議論し経済を回し社会を動かして日本という国を進歩させる流れの一翼を担ってきたからだけれど、下がり続ける販売部数の中でテレビに比べて伝播力が下がり広告の届く範囲ではネットにはるか及ばずメディアとしての影響力を落としてきた。オピニオンを掲載して世論を左右する役目も最近はソーシャルなメディアに劣りがち。そんな状況を鑑みてか電通の社長に新聞局長を経験していない人が就き、メディアとしての凋落ぶりを感じさせからもう結構経つんじゃなかろーか。

 それでも権威としてはやっぱり4つのメディアでは新聞はやっぱり上位だし、社長にはならなくても役員にはなれてそして業界関係をどこにだって渡って行けそうなポジションにある人が、ラグビーのワールドカップ会場を出たあたりで往来を整理していたボランティアを叩いてしまってはやっぱり問題になって当然だろう。酒に酔っていたらしいけれど、それで許される世間ではもはやない訳で、立場から自重しなくちゃいけない人が場所的にも自重が必要な場所で逆に自分の庭のような振る舞いをしてしまえば、リアクションだって当然に大きくなる。今後の職歴にも関わってくるだろうなあ。でも放り出されて路頭に迷うようなことにはならないのは羨ましい限り。ってか僕よりまだ若いんだ。上級国民って言葉は使いたくないけれど、ポジションはやっぱり得た方が良いと思うよ。得られなかった者からの忠告。

 映画の「空の青さを知る人よ」はもう見ているけれど、女子高生がヒロインでその姉も物語に絡んで来る話であるにも関わらず、ミュージシャンに憧れる高校生の男子と、その高校生が東京に行ってシンガーソングライターとなりながらも今は演歌歌手のバックでギタリストをしているおっさんの方に関心が向いて、その一心同体な2人の物語なんじゃないかと感じた気持ちを、そのまま小説にしたような印象だった岬鷺宮さんによる小説「空の青さを知る人よ Alternative Melodies」(電撃文庫)。別におまけが就かない「空の青さを知る人よ」のノベライズも出ているから“正統”ではなくスピンオフ扱いだけど、読むとむしろこっちが本編なんじゃないかと思えてしまった。

 映画と違うところは、大人になってうらぶれたギタリストをしている慎之介と、そしてお堂の中に突然自分がいることに気がついた高校生のしんのの側から、同じ映画を見ていったというもので、ボンヤリとしていたら鳴り響いたノイズみたいなベースの音に目を開けうるせえといって相生あおいと出会ったり、そんなあおいが自分の高校時代のバンド仲間で今は市役所の職員となった男といっしょにバッグバンドを手伝うことになって、プロ舐めてんのかと思っていたら案外にちゃんと聞かせてくれて驚いたりといった具合に、映画では察するしかなかった真之介としんのの心の動きに触れられる。

 直情的でストレートなしんのとは違い、やさぐれていてどこに熱とかが残っているか見えない真之介の心の中で、いろいろな思いが交錯しているのが分かるのがあるいは大きな特徴。その結果として夢を抱いて状況しながら夢破れ、それでも思いは貫いてミュージシャンを続けている真之介の自分の立場に対する複雑な感情がくっきりと見えて、過去に描いていた将来像からズレて挫折して戸惑っている人間が抱える後悔と葛藤が、真之介の心情と重なっていろいろと考えさせられた。自分はもうダメだとか。どこで道を踏み間違えたんだとか。

 でも、そんな境地にありながらも折れず逃げないで踏みとどまって、そしてどうにか歩き始めようとする大人の真之介の心情に感化され、もうちょっと頑張ってみようかといった気にも余計にさせられる。その意味では映画で感じたことを細くしてくれる小説。逆に映画のノベライズの方は、相生あかねがやさぐれているおっさんの真之介を見てどう感じたかが描かれているのかもしれない。映画の中で心情描写は流石にされていないから、ホテルで誘いをかけてきた真之介にあかねが何を思ったかは、そっちを読むしかないのかも。あとどうして眉が太いかとか。遺伝か遺言か。さすがにそれの説明はないだろうなあ。ともあれあと1度は見たいかも。「天気の子」もあと1回は。いつ行くかなあ。

 搭乗のために誰もが踏み台にするスピットファイアの翼の付け根に誘われて立ったら、どうして貴重な飛行機の翼の上に立つのなんて非難を浴びて、いやいや立ってと言われたから立っただけだしそこは立つためのものだからと答えたら、子供が真似したらどうするんですかと言われておいおい子供が戦闘機の翼の上にそもそも真似して立つなんてことができるのかとつっこみたくなった事例が発生。何をやっても愛知県知事を非難したい人たちがいて、その一挙手一投足に難癖をつけているらしい。一方で公共の場所に座り込んで権力者が自分の権力の及ぶ展覧会にいちゃもんをつける強権的でともすれば独裁にもなりえる行為を子供が真似したらどうするんだとは非難しない。そんな不平等で不均衡が可視化されるのは良いんだけれど、感化されて乗っかり叫ぶ人が現れ、信じる人たちを増やして一定勢力になっているのはさすがに厄介。もはや説得しても聞き入れてくれないからなあ。半端に知ることの怖さが情報過多の時代の最大の災厄かもしれないなあ。

 そして気がついたら「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」の編集版を劇場で公開することが決まっていた。制作するのはstudioMOTHERってところでXEBECの代表をしていた下地さんがヤマト関係の権利を持っているボイジャーの出資を受けて作った会社。ある意味で直系だけれどXEBECの権利はプロダクション・アイジーが引き継いだ訳でXEBECが作ってた「宇宙戦艦ヤマト2199」も「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」もアイジーに権利は移ってる。だとしたら総集編にもXEBECの権利めいたものは及ぶのか、及ぶとしたら作品リストに書くべきか、なんて興味が浮かぶ一方、それでもstudioMOTHERが手がける理由は何なのか、制作費を注ぎ込んでも得られる何があるというのか。それはやっぱり2205の制作を手がける権利であり立場ってことになるのかな。陣容も結構代わる「2205」はどんな雰囲気になるんだろう。いろいろと興味の尽きない数年をおくれそう。


【10月14日】 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア賞について、賞の名前になっている作家のジェイムズ・ティプトリー・ジュニアが最晩年に夫とともに心中を遂げたことに対し、異論が起こって果たしてその名前を賞に冠して良いのかといった議論が持ち上がり、やはり改名すべきとなって結果、「Otherwise Awards」という名前になったとか。「さもなくば」とかって言い回しの時に使われるらしいotherwiseが名前になって、いったい何を意味するのかすぐには掴みかねる感じだけれど、これはどうやらティプトリーの最初の短編集「Warm Worlds and Otherwise」から取られたものらしい。

 だから意味はちゃんとあるし、もしかしたら必要ではなかった改名に迫られた、だったらこれでといった意味なんかもそこに込められていたりするのかもしれない。英語苦手なんでよく分からないけれど。改名が必要かどうかといった議論に立つなら、個人としての行為と作家としての業績はよほどじゃないなら分けて考えて、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアと名乗って書いて来た様々な作品から醸し出される印象なりメッセージを受け取って、後世の作家を讃える冠に使うことは悪いことではないと思った方が良い気がする。殺人こそ犯してないけど三島由紀夫だって最後は事件を起こして自決だった訳で、それでも名前は賞に使われそれなりな権威を持っていたりする訳だから。

 ただ現代は、いったん起こった批判がSNSなんかで拡散されてはかつてない規模で論議されてとてつもない数のネガティブな意見を引き寄せる時代。同様にポジティブな意見だって星の数ほど引き寄せるけれど、それらも膨大な批判の中に埋もれて流されてしまう。まっとうな議論なんて起こる前に炎上から逃れるために批判の矛先をかわそうとする動きになっていく。今回もそんな感じで性急に事が進んだ感じ。たとえ短編集の表題になっているからといって、それに慣れていない日本の読者だと、あるいは若いSFのファンだと「Otherwise Awards」のどこにジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの業績を、あるいは意識を感じ取れば良いのか。その意味で“殺された”とも言えそうな改名だけど、決まった以上はそこにしっかりジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの意識を感じさせるような選考であり、選評が行われる必要があるんじゃなかろーか。いっそ日本だけ「愛はさだめ賞」とか「たったひとつの冴えたやり方で賞」と訳すか。

 大宮ソニックシティで10月14日に開催のアニ玉祭2019でKADOKAWAの会長にしてアニメツーリズム協会の理事長という角川歴彦さんが登壇して、東所沢に作ろうとしているというか、既に建物が建ち始めている「ところざわサクラタウン」の構想について話すというので見物に行く。リストラを喰らって今はアニメーション関係のアーカイブを作っているところに身を寄せていたりするので、その巨大版になり得るサクラタウンには興味があるのだった。あわよくば雇ってもらうとか……それはさすがにまだないか。

 大宮にあるソニックシティの国際会議室で講演会を待っている間、会議場の前に並ぶところざわサクラタウンの模型と言葉たちを見物。別にブースが出ていて、そこで「武蔵野樹林」という去年の秋に創刊したところざわから武蔵野あたりを紹介する雑誌を並べて売っていた。次の号ではいよいよところざわサクラタウンを取り上げるようで、松岡正剛さん荒俣宏さんともうひとり、神野真吾さんが鼎談を行っているらしい。

 ここで上がっている松岡正剛さんはサクラタウンに作られる高さ8メートルの書棚を擁する巨大な図書館を手がけ、荒俣宏さんは希代の荒俣コレクションなんかも含めた品々が展示され妖怪に関した展覧会も繰り広げる博物館を手がける。そして神野さんは美術面を担当。そこには世界的な現代アートのコレクターとして知られる高橋龍太郎さんが持つ高橋コレクションが展示されるとか。

 「ミュージアムとは、図書館と美術館と博物館が3つ揃った物をいう。図書館だけならライブラリーだ。博物館と美術館がいったいとなっていなければならない。KADOKAWAのミュージアムは知の殿堂であり、そういう物に作り上げたいという気持ちがある」と歴彦さん。そして上がった名前が松岡清剛さん荒俣宏さんに高橋コレクションと言ったあたりは、外してはおらず直球勝負ではあるけれども若い人にとってどれだけの訴求力があるかというと、そこは若い人がKADOKAWAというブランドに抱くイメージとちょっとズレている気がしないでもない。

 なぜなら、若い世代にとってのKADOKAWAはアニメでありライトノベルでありマンガでありゲームといったポップカルチャーの総本山。そうしたところが作るミュージアムならマンガの原画にアニメのポスターにライトノベルやマンガの読み放題な図書館が備わっていて欲しいという気持ちがある。もちろんそうした施設も用意はされているらしい。

 1階から5階までの高さがあって、2階がエントランスでそこから入ってもらう。フリースペースで、ミュージアムがどういうものかを感じてもらってから入場料を払い中に入る」と歴彦さん。その中身は「1階はマンガとラノベの図書館。KADOKAWAが文庫の中にライトノベルというのを開拓した。異世界小説が大きな柱になっているので、違和感なく来てもらえるだろうね。少年たちや少女たちは自分が生まれ川田ら勇者になれるといったそういう夢を描いているから。マンガもある。マンガやラノベが好きな人ならたまらない図書館になるだろう」。

 無料で入れて1日浸っていられるのなら行きたいかな。そこにはKADOKAWAのグループがメディアワークスも富士見もファミ通もメディアファクトリーも含めたあらゆるラノベがあって、なおかつ他社のレーベルも極力置くようにして、ライトノベルのことなら世界で1番といった図書館にしてもらえたら嬉しいんだけれど、そこまで手が回るかどうか。KADOKAWAのショウルームにとどまってしまってはミュージアムじゃないんだよなあ。

 3階は「EJアニメミュージアム。日本でアニメミュージアムはわずかにあるが、これほど大きなミュージアムはありません。海外から日本のアニメを見たい、知りたいという人にアニメミュージアムに来てもらう。ジャパニーズアニメがこんな風に生まれてきたということが分かるミュージアムにしたい」と歴彦さん。その言葉がそのまましっかり反映されたら、市ヶ谷にある東京アニメセンター in DNPよりも常設的で、新宿にあるEJアニメシアターにある展示スペースなんか及びもつかないビッグなミュージアムになりそう。

 問題はそこで何をどう見せるのか、ってことか。原画展をやってキャラクターのファンを集めたいのか、アニメがこうやって作られるという仕組みを見せたいのか。過去のアニメに関する資料を収集し保管しテーマに合わせて展覧会を行うような、貸し画廊ではない美術館としての機能を発揮して欲しいんだけれど、それだけの準備を進めているかはよく分からないのだった。

 AnimeJapanでAnimeの産業に関する音響だとか宣伝といった部分を紹介するコーナーがあって、これはこれでアニメビジネスに関心を抱きアニメのクリエイティブに興味を持った人たちをアニメ業界に誘う呼び水になっていた。そうした取組をして欲しい気もするけれど、それだけで遠く東所沢にまで足を運んでもらえないのなら、やっぱりそこにしかない展示が必要ってことでKADOKAWAならではのIPを集約して、そこに世界が目を向けるようにしないといけないかもしれないなあ。やっぱりあれか、めぐみんの爆裂魔法の実演とか。それも毎日。武甲山を相手に。

 さて問題は、というか角川歴彦さん的にはむしろそっちがメインといった気がした松岡正剛さん荒俣宏さんらによる文化の雰囲気が盛り込まれた展示は4階5階。隈研吾さんによる設計で高さ40メートルを中国から運んだ1万数千枚の岩板で覆った城郭のような建築物は、新国立競技場くらいの高さはあってそして木々が中心の新国立競技場とはまったく違った建築になっている。そうした隈研吾さんの建築を紹介する展覧会も4階にあるミュージアムで開くらしい。

 10月31日に刊行される「武蔵野樹林」の最新号で、KADOKAWA「武蔵野ミュージアムは革命である」って鼎談が松岡さん荒俣さん神野さんによって行われている。そこでは「わかりきったものとして綺麗に点耳するということは、角川武蔵野ミュージアムでは求められていない」といった鼎談が行われ「エディットタウンの中で書物の森の中を彷徨いつつ、また作品や博物資料に戻っていくと、そのわからなの質がまた変わっていくというような体験野庭としてのミュージアムということが。三館融合の一番大きく期待されるされるところ」といった三氏による期待とお墨付きも出されているらしい。

 教養にあふれ知性に満ちた薫り高い文化に憧れた頃ならこういうミュージアムにぐっときたけれど、アニメにハマって道を踏み誤ってロートルまで来た身には知性とか教養がなかなかに重たく、果たして見てどこまで共感を抱けるかが今は心配。というかリストラを喰らって貧乏になってしまって高い本が並ぶ図書館とか、高額な美術品が並ぶ美術館に興味があまりわかないのだった。

 角川歴彦さんがあと、アピールしていたのがところざわサクラタウンの一角だけで完結させないで、そこに来てもらったから良しとしないで、それこそ周辺の市なんかも含めて文化の発信を行っていきたいという意思。それが「角川武蔵野ミュージアム COOL JAPAN FORST構想」って奴で、一種の文化の森として枝葉を広げて埼玉を覆い日本を覆って世界を覆うことを目指しているらしい。

 「埼玉県の西部5市、狭山市入間市日高市所沢市が連携して、日本を代表する大規模国際的採点を目指す」というその構想で、コアにしているのが荒俣宏さんによる妖怪文化の紹介。日本のみならずアジアには妖怪が広く知られているからなじみやすいし、西洋にだって妖精の類はあって妖怪への親和性はあるかもしれない。そうした妖怪を中心において、たとえば十日町であったり瀬戸内であったりといった、地域が芸術活動を応援するような活動を所沢から武蔵野一帯で行いたい、ってのが今日していた話。文化庁にもそうした話をして、運動を支持して欲しいと働きかけているとか。

 持ち出されたのがヴィエネツィアヴィエンナーレで、それが何を意味するのかちょっとはかりかねたけれど、世界中から各国のパビリオンが集まりそれぞれの芸術活動を紹介するうヴェネツィアヴィエンナーレに習うなら、それぞれの妖怪文化を紹介するパビリオンなり展覧会なりをいったいで開催するってことなのかな。「アートとして街の中にあって 市民の人に触れていただいたら 心がだんだと和やかになっていく」

 「文化運動の核としてどう発展させていくか 5年10年20年かかるかもしれない 運動体になって 埼玉県が世界的に見てユニークな芸術への誇りを持てる県かと評価されたら嬉しい」と歴彦さん。それが妖怪であって埼玉の人は嬉しいのか、妖怪っていうと水木しげるさんの影響が未だ強く鳥取の境港を中心とした水木妖怪文化が漂うこの国で、荒俣妖怪史観であり荒俣妖怪民俗学を打ち出した祭典が受け入れられるのか。そこは角川歴彦さんの力でもあるんだろうなあ。四万十川で海洋堂の社長が打ち出そうとしている河童文化の定着と称揚をちょっと思い浮かべた。それのもっとスケールの大きな奴ってことなのかな。どうなるか。

 まあそんな感じ。ラノベが好きでアニメやマンガやゲームの殿堂を期待するとちょっと肩すかしは喰らいそうで、EJアニメミュージアムの運用が三鷹の森ジブリ美術館くらいに美術館色を打ち出せるかにも興味を不安があるので完成してみないと判断はちょっとできない。10月31日に椿山荘で大々的に構想の発表をするそうだから、のぞきたい気はあるけれどもメディアじゃないからそれは難しいので行くだろうメディアの人にそれは期待。あと社員が気にしている飯田橋から池袋を経ての所沢への大移動についての言及はなかった。果たして行くのか行かないのか。悶々とする日はまだ続く。


【10月13日】 そういえばちょっと前に創通をバンダイナムコグループが買収するためにTOBをかけるらしいって話が出て、知らない人にはいったい何をやってる会社って思われただろうけれど、「機動戦士ガンダム」関連の画像を使うたびに(C)で創通・サンライズと書いていた関係で、そこが権利を持っている会社だということは知っていたしアニメのファンならだいたい知っている話だろー。ただそうやって並んでいる割には、直接的なグループ会社ではなくってなるほど一部の株をバンダイナムコグループが持ってはいても、独立して権利を所有している会社としてそれなりの存在感を見せていた。

 まあバンダイ側がガンダム関係をハンドリングしようとして、創通の誰かがノーを出すなんてことはなかっただろうけれど、映像であり玩具でありといった製品を作るごとに幾らかの版権収入が創通に流れていくという構造は、もしかしたらあまり嬉しいものではなかったのかもしれない。グループに入れてしまえば収入はすべて同じ財布に入る訳で、損得無しってことになるけど創通がガンダム関連で得た収益を別の作品に投資して新しいIPを生み出していた流れが断ち切られるなんてことになったら、それはアニメ好きにとっては痛し痒しかもしれない。「ニャル子さん」なんてバンダイ傘下の創通から出てくるとは思えないし。ただそうした既存の作品が、バンダイナムコグループ傘下で甦る可能性があるならそれは嬉しいかも。先は見えないけれど、動きがあるなら追っていこう。

 夜にかけて風は強まったけれども雨はそれほどでもなく、停電も起こらないまま日付が変わってだんだんと終息していった台風19号。多摩川とかでは堤防を越えて水が流れて大変な事態になっていたりしたけれど、風については台風15号の方が大変だったのか今のところとてつもないものが倒れたといった話は流れて来ない。ちゃんと用心もあったのかな。停電だけはやっぱり起こっているようで、鴨川でもちょっと大変そう。風も強かっただろうから、「輪廻のラグランジェ」が保管されていた部屋とか風雨が吹き込んで前以上に濡れたかもしれない。そこにまだカット袋を入れた段ボール箱が置いてあったらどうなったか。ギリギリのタイミングで移送したのでとりあえずは安心。その移送先がどうなっているかが目下の関心事か。まさか沈んではないよね。

 金曜日の公開時には行けず昨日はもちろん家から出なかったために見られなかった長井龍雪監督の「空の青さを知る人よ」をイオンシネマ市川妙典まで行って見る。相生姉妹の眉毛が太かった。そんな映画は前に見終わって受けたダメージにしばらく引きずられた「ジョーカー」とは違い、最後まで見通せて、そして見終わって今を悔い、将来を嘆いてその場に蹲り、立ち上がれなくなることはなく、逆に今を起点にここから先へといろいろと、やれそうなことを探して歩いていこうという気にさせられた。

 秩父にある高校でバンドを組んでギターを弾いていた金室慎之介は、卒業して東京でミュージシャンになることが夢で、その時には恋人だった同級生の相生あかねといっしょに行きたかったけれど、両親を事故で失い妹の相生あおいがまだ小さかったあかねは、東京の学校には進学せず秩父にとどまり、市役所に入って働きながらあおいを高校生まで育てて来た。そんなあおいは、子供の頃から見ていた慎之介へのあこがれからか、音楽に興味をもってギターではなくベースを始めていつかいっしょのバンドで演奏することを夢見ていた。<BR>
>  高校の卒業が近づき進路を決めることになって、東京に出たいといったのはそうした夢を叶えるためであり、自分が縛り付けていた姉のあかねを解放するためといった思いもあった感じ。そんなあおいの思いをあかねはどう受け止めていたのか、判然としないなかで動きが起こる。あおいがずっと練習に使っていた、本堂のような場所に行ったらそこに高校時代と同じ姿をした慎之介がいた。聞けば東京に連れて行こうとしてあかねに振られた日に、本堂にこもって気づいたらそこにいたという。別に幽霊ではなく、慎之介は東京でミュージシャンとなって今は演歌の大御所のバックバンドとしてギターを弾いていた。その慎之介が秩父の町おこしのために開かれる音楽祭に招かれた演歌歌手とともに帰ってきた。

 同じ人間だけれどまるで違う2人。しんのとあだ名で呼ばれる高校時代の慎之介は自分がミュージシャンになれたことを喜び、音楽の道に進もうとしているあおいを励ましあかねへの思いもずっと抱き続けている。一方の慎之介はミュージシャンで居続けられることに不満は抱いていないようで、それでも思っていた未来とは違う人生にどこかやさぐれている。ソロデビューまでしながら今はバックバンドのギター弾き。それを受け入れつつも悶々としている。

 もしも今の慎之介が、すぐに過去の血気盛んなしんのと出会っていたら、そんなにうまくいくものではないと自分の人生を悔いたかもしれない。うなってしまった自分をみじめに思ったかもしれない。映画がそんな感じに、過去の自分と対面し、叱咤されるような展開だったら、観ていた自分も結構厳しさを感じたかもしれない。現実としての今の自分が存在する以上、過去からの叱咤はすり抜けるか突き刺さるだけだっただろうから。

 幸いにも慎之介は、しんのとはすぐには出会わず、いろいろな迷いを抱えながらあかねとの対面を果たし、やさぐれつつも優しさを取り戻せないかを考え迷っている感じ。そして起こったとある事態でそこからの自分をしっかりと考えようと決意する。そして、しんのという、過去に封印した迷いを見つめ直し、受け入れることで自分を新しく始めようと歩き出す。そんな展開にちょっとだけ、背中を押されて自分も今を頑張りたいと思う。というか思うしかないのだ。そんな感じ。

 本堂に現れたしんのは生き霊なのか、置き去りにされたギブソンのフャイヤーバードに込められたしんのの思念が実体化した付喪神的なものなのか、解釈はいろいろとありそうだけれど、そうした過去に描いて残した将来像が、ある程度はかなった状況から少し道を外れかけているという部分で共感も覚えたりする。主人公は相生あおいのはずなのに、なぜかしんのと慎之介のことばかり考えてしまうのは、今の境遇として仕方が無いことかもしれないなあ。そういう部分でティーンだけではなく大人が観てもズシンと考えさせられる映画ってことで。

 とはいえ、ミュージシャンなら続けていられる慎之介のような特技はなく、31歳でもかわいい誰かがいる訳でもない身で何を新たに見つければ良いのか。そこはちょっと思案のしどころかもしれない。未だ身は井戸の底にありながらも、見上げて目に映る空が青いうちは、そこに向かって手を伸ばして這い上がっていきたいものだなあ。それにしてもやっぱり相生姉妹の眉が太いのは何なんだろう。秩父の流行なのか、アニメ様こと小黒祐一郎さんが指摘していたように萌えを避けようとしてそうしたのか。同じ田中将賀さんがキャラクターをデザインした「クロスロード」は眉、ちゃんと細いから。いつか誰か聞いてくれると思いたい。


【10月12日】 昨日のうちにコンビニとか回ってパンとかカップラーメンを仕入れ、それからガスコンロが本に埋もれて使えないので電気ポットを用意してお湯くらいを湧かせるようにしたものの、流しは着替えに埋もれて届かず水を出せなかったりするのでちょっと無意味。ペットボトルの2リットルはだいたい売り切れで、いざとなったら服をどかして水を出せばいいかと思って寝て起きて、とりあえずまだ風も雨もなかったので歩いて10秒のコンビニに行ったら売れ残っていたペットボトルがあったのでとりあえず確保。あと助六寿司とかパンも買って夜に備える。

 その時点でおにぎりはなく弁当も届かずパンも増えてはいたけどいずれ売れていったような雰囲気。戻ってそして玄関先で仕事半分遊び半分の作業をしていたら、いきなり電気が消えて真っ暗になった。台風15号の時でも起こらなかった停電が発生。これはもう寝るしかないとパソコンの電源を落としてポケットルーターも節約のためにいったん電源を切り、布団に入ろうとしたら電気が戻って停電は瞬間で収まった。とりあえず良かった。この短い時間でも相当に緊張したのだから、ずっと停電だった人たちは、それも嵐の中での停電だった台風の時の被災者は心細かったんじゃなかろーか。そして今もなお続く不自由な暮らしに迎える台風19号。耐えてくれと強く願う。

 電気はついたけどすることもないので布団に潜ってひたすら「荒野のコトブキ飛行隊 大空のテイクオフガールズ」のレベル上げに務める。ミントっていうカナリア自警団に所属する少女が妙に強くて紫電に乗せて戦闘に出してレベルをだんだんと上げていったら、いつの間にか主人公とも言えるコトブキ飛行隊のキリエの撃墜数を超えてゲームのエースになっていた。キャラクターとしては生真面目でちょっと百合入っててお姉さま好きなところがあるけれど、子供の頃から武道に嗜み熊とだって戦える力の持ち主で、ラジオに出演中に暴漢に襲われたら腕をひねってへし折って、そして仲間もすべて蹴り倒したり殴り倒したりして事件を解決してしまってた。

 特徴ありまくりなキャラクター。だから興味が湧くんだろうなあ。あとはリリコって普段はウエイトレスをしているけれども妙に格闘技が強い少女なんかも育てたり、ゲキテツ一家って任侠系の少女たちがいる集団のローラってメンバーが気になって、頑張ってゲームアプリの物語編を追っていったらとんでもない秘密が明らかになった。誰も知らないその秘密をフィオとか他のメンバーが知ったら何を思う? まあそこはバレないように最後まで行くんだろうなあ。

 こうしたコトブキ飛行隊以外のチームのサイドストーリーも1本のムービーか小説か何かにまとまってずっと降れられるようにして欲しいかも。アプリっていきなり終わってデータもすべて消えてしまうから。セガの「Redyyy!」って男性アイドルものっぽいアプリも配信から数カ月で消えてしまったしなあ、オープニングアニメをプロダクション・アイジーが作ってて、リストを調べててこんなあぷりがあったのかと知った時には終わってた。こういう場合、どうやってアーカイブするんだろう。アニメだったら白箱が存在するけどゲームアプリのオープニングってそういう映像のマスターがどこかに保存してあるんだろうか。謎肉。

 流石に寝てばかりだとお金にならないんで来月に締め切りが来る仕事に向けてパーツ作りをコツコツと。ョとノベルの文庫で2018年の末から2019年の最近まで出たうちから10冊ばかり選ぶとうもので、1冊はその分厚さを20数冊続けて完結した川上稔さんの「境界線上のホライゾン」に決まっているけれど、他はもういろいろあって選ぶに選べない上に、この半年くらいのリストラに伴う気鬱から、読めていない本も結構あってサルベージなんかがちょっと大変。お母さんが通常攻撃で2倍だったり年上のお姉さまが年下の男子にちょっかいかけていたりといった感じのものがあるけど実は読めてないのだった。

 あとはもちろん異世界転生物とかラブコメとか。そうしたものをサルベージしつつ読んでいったSFとミステリも含めて選んでも10冊が上限だともう何をどうしたらいいのか。他の文庫担当者ではきっと選ばないオレンジ文庫やらL文庫やらメディアワークス文庫やらポルタ文庫なんかも含めなくちゃいけないとなると、実は新しく読まずとも選べるんだけれどそれだと落ちるものもあると思うとやっぱり避けてはいられない。この週末がだから大きな時間ってことでとりあえず、取り置いてあった「スコップ無双」の第3巻を読んだらやっぱりスコップが無双していた。天国への階段ですらスコップで作るとは。そして地獄への穴もスコップで穿つとは。無双だなあ。だからスコップ無双なんだってば。

 夜になったので電気ポットでお湯を沸かしてカレーヌードルを作って食べてパンと魚肉ソーセージもかき込んでコーヒーも飲んで一段落。あとは夜に本格化する台風に備えて寝るだけだ。ちょっと離れた場所にある川が溢れそうだけれどこっちに及ぶ感じはなし。地震もあったけれどそれも軽く収まった。停電は怖いけれど寝てればいっしょか。起きて晴れていれば「空の青さを知る人よ」を見に行きたいなあ。「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の東京国際映画祭での上映チケットは争奪戦に敗れたけれど、プレスで潜り込んで取材して書けたら書きたいなあ。書かせてくれるメディアはないかなあ。


【10月11日】 近づく台風19号への備えが必要ということで、前回の台風15号で置き場所となっている建物の老朽化もあって窓枠が歪み隙間から雨風が吹き込んで、保存してあった箱が濡れて中にもちょっとだけ水が染みて、早急の対策が必要になった品々が、さらに深刻なダメージを受ける前にどうにかしなくちゃということで、集まった人たちといっしょに建物から運び出して別の作業をするお手伝い。階段しかない建物の3階から140はある箱を、それも紙の束がぎっしりと詰まった段ボール箱を10人弱で運び出すのは大変ではあったけれど、それをしておかないと永遠の宝が消えてしまうならやるしかない。

 これで20人もいれば階段も上がり下がりはしないで少しずつ手渡していけば下まで届いたんだろうけれど、これから来る大きな台風に備えて忙しい地域で集まれる関係者はそうはいないし、平日だから普通の勤め人も集まれないなら勤め人を終えさせられ、そっち放免に関わることになった人間がいくしかないと朝から電車を乗り継ぎ、いつも仕事で向かうのとは反対方向へと向かってたどり着いた駅から見える海は白波がすでに高く上がっていた。

 聞けば当地の人たちもその時間帯で見たことがない波の様子。到着してから数時間が経って目的の作業を終えた時点で、波はさらに高くなって建物から見える堤防を越えて道路にまでしぶいて来ていた。これで“本番”ともなれば波は建物を洗って風雨とともに窓枠の隙間から入り込み、そこに置かれていただろう箱をびしょ濡れにした可能性もありそう。それどころか建物ごとひっくり返る……ことはなくても建物ごと洗って1階に積まれてあったエナジードリンクともども、被災してしまった可能性もある。まさにギリギリのタイミングだった。

 もちろん杞憂で風雨は強まらず建物にも街にも半島にも列島にも被害が出ないことが最大の願いではあるんだけれど、見える台風の進路とその規模はそうした楽観を許さない。出来る時に出来るだけの手を打っておくのが未来へと繋がる道ならやるしかないと動いてこの日までにやり遂げた関係者の尽力にまずは感謝を。そしてその時まで“遺産”を預かってくれていた関係者の優しさに拍手を。事態はまだ終わっていなくてこれから移した品々の見聞と再整理が必要で、そのために時間と人出をかける必要があるんだけれど、それもきっと上手くいくと信じたい。そしてそれらが陽の目を浴びて世にまた知られ、“復活”なんて時が来ることを願いたい。

 長井龍雪監督の「あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない」が作られるのを知ったのはまだジャニーズ事務所に買われる前のソニー・ミュージックエンタテインメントが浸かっていた乃木坂のビルで開かれたノイタミナのラインアップ発表会で、そこで映し出されたキービジュアルに描かれていた特徴的な橋から舞台が秩父だってことに気がついて、ちょうど流行り始めた聖地巡礼的なものにのって秩父という場所を使うんだろうかと考えた。とはいえまさかその時は、「心が叫びたがってるんだ。」でも秩父が舞台となって、そして最新作の「空の青さを知る人よ」でも秩父がまた舞台となって三部作にまでなるとは思わなかった。

 とくに秩父出身でもない長井監督にとってどういう意味があるのか、そこは知らないけれども「あの花」からこっち、秩父とか西武鉄道がしっかりと作品を受け止めて舞台としていっしょに盛り上げてくれていることを嬉しく思っているのかどうか。それも含めて尋ねてみたかったけどこちらが取材の現場を離れてしまった今ではもうかなわない話かも。ともあれ10月11日から劇場公開が始まった「空の青さを知る人よ」を早く見に行きたいけれど、11日は大切なお仕事があって出かけていったからそれは無理。だったら12日から始まる連休でとも思ったら来る台風で外に出られないまま2日間が過ぎていきそう。

 14日はそんな秩父も含む埼玉を盛り上げたいと、アニ玉祭がさいたま市で開かれそこに所沢へと本社機能を移転したがっている角川歴彦さんが登壇する講演会が開かれるからのぞいていきたい気もたっぷり。聞いてだからどうするんだ、っていう情報の出し先がないことへの落胆が足を鈍らせている感じだけれど、前だって書ける場所があった訳じゃないから別に気にせず行って日記に書けばいいだけなのかもしれない。そういう割り切りができるまでにはもうちょっとかかるかなあ。映画「空の青さを知る人よ」は過去とかと直面する話っぽいので、それも心に響きそうだけれど逃げていたって始まらないからやっぱり見に行くしかないんだろう。いつ行くかなあ。

 「空の青さを知る人よ」が特集された「月刊ニュータイプ」の11月号には「ファイブスターストーリーズ」も掲載されててミス・マドラがスパークと内的にフュージョンして最強に進化して、一振りで宇宙をぶっ壊せる剣を振り回していたけれど、それでも倒せない相手が出て来ていったいどうなるか。アマテラスが出て来て人にらみで消えちゃう相手じゃないのか。そして待望の「BEASTARS」の記事もあったけれど、なぜか本文の最後が尻切れに。次のページは次の作品だから本文が続かない。つまりは行数が出て校正で追い込んだはずなのに反映されていなかった感じ。校正は当然やっているだろうから校了に反映されなかったのか。大雑誌でも起こるんだこういうの。ギリギリだったのかなあ。ネットならすぐに付け足せるけど雑誌では。そこが緊張をもって仕事に迎える理由でもあるんだけれど。いろいろと難しい。


【10月10日】 史上最強とか言っていったい観測記録がいつから付けられてたんだと「天気の子」の神主さんに叱られそうだけれど、それでも観測史上で最強となればやっぱり緊張してしまう台風19号。大阪辺りに上陸するかと思ったら、日本列島の手前でくいっと沿岸部を沿うようにして曲がって房総半島へと一直線。東京湾あたりから本州に食い込む動きを見せていて、このままいけば12日の夜から13日の朝にかけて関東地方を暴風雨圏に叩き込みそう。前回は船橋あたりはまるで影響もなく過ごせたけれど、今回はもしかしたら高潮からの浸水なんてあったりするのかな。海から1キロはあるとはいっても斜面になっている訳じゃないから、そのまま浸かってしまう可能性もありそうだ。

 それでも前回からの影響がない分、船橋あたりはまだ良いけれども房総半島になると台風15号で屋根とか飛ばされてシートで覆われているところも結構あったりする。そこに風が吹き込んだらもう簡単に飛ばされてしまいそう。なおかつ停電の影響が残る地域はせっかく復旧した電力がまた途絶えてしまうなんてことも。あとゴルフ練習場の鉄柱が倒れてしまったところとか、復旧もしていないのにさらに倒れて期待したらもう家が潰れてしまう。さすがに備えはしているとは思うけれど、備えたところで完全な復旧が成されていないだけに元の木阿弥にならないかが今は心配されている。

 アニメファン的には鴨川に預けられている「輪廻のラグランジェ」のカット袋が入れられた段ボール箱が幾つかぬれてしまったことが心配で、ふやけてぐずぐずになっているところにさらに雨があたれば今度は中のカット袋に被害が出てしまう。全話数分の原画も動画も背景もそろっているからこその価値、すなわちアニメーションが1作分、作られる上でどれだけの原画とか動画とかいったものが使われるのかを証明している資料でもあって、それらが一部でも書けたら大きく価値は損なわれてしまう。時代が時代だけにセル画というものがないのは寂しいところだけれど、それがあったら物量はさらに増えるし保存もちょっと面倒になる。幸いにも原画と動画と背景あたりだったから保管はされたけど、それが濡れてしまわないかが心配。ちょっと見に行ってこようかな、って台風の最中に川をのぞきにいくようなフラグを立てる気はないけれど。

 リンさんとすずさんが交流をして、テルちゃんもいたりする「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の予告編が公開となって思ったことは、これはもうアニメーション映画「この世界の片隅に」とは別の映画になりそうだってこと。「この世界の片隅に」では誰とも知らないすずさんとリンさんが人生の瞬間においてクロスする一期一会だからこその淡い関係が、静かに尾を引いて分かたれた人生の差を感じさせてくれたけれど、「この世界の(更に幾つもの)片隅に」では2人の交歓がしっかりと絡み合って裏と表、右手と左手、宵と暮れのような多面を見せながら進んでいく。

 結果、浮かぶのはそうやってどっぷりと重なって並行して進んだ関係が、ベリベリと引き裂かれて剥がされていく残酷さへの憤る気持ちであり、いっしょに歩んでいけなかったことへの悲しみであり、それと同時にいっしょにはいられなかっただろう痛みといった感情。それらを通説に味わったあとで迎えるラストは、たとえ「この世界の片隅に」と同じようであっても、より強く激しい喜びと嬉しさを感じさせてくれるんじゃなかろーか。ほんわかとして優しく、それがどんよりとして暗く、けれどもふっと明るくなった「この世界の片隅に」とは違った感じ方をさせてくれそう。そんな感情のコントロールをさて、片渕須直監督はどうやって付けてくるのか。絵柄だけでなく音楽なんかもいじってくるのか。今からとても楽しみ。東京国際映画祭で見たいけど、それはやっぱり無理かなあ。

 片里鴎さんという人の「異世界の名探偵1 首なし姫殺人事件」(レジェンドノベルス)がなかなか良かった。ファンタジー世界ならではの設定がありながら、それらも含めてフェアな謎解きを求められる本格ミステリってことで、過去だと片理誠さんの「屍竜戦記」があり大評判となった米澤穂信さん「折れた竜骨」なんかもあったりするけれど、そうした作品が好きな人なら読んで楽しめる作品ではなかろーか。探偵に憧れて警官になってつまらなくて興信所に転職したら刺されて死亡。したかと思ったら異世界に転生して赤ん坊からスタートする。

 記憶は受け継がれているから探偵を目指して本を読みつつ家の手伝いもしつつ、魔法の鍛錬もしていたら、誰よりも巧みに魔法を使えることが分かって国立学校にいくための試験を受けて来いと親に言われた。そうあって欲しいという願いが力となるのがこの世界の魔法。主人公は前世の記憶から分子運動とか物理法則とかを理解していたため、それらを頭に思い描くことで強力な魔法を発動させられた。とはいえ貧乏な平民だから特待生での入学が条件。試験を受けに赴いた国立学校で主人公は大貴族の息子で優れた能力の持ち主や、女性なのに没落貴族の跡取りであるべき男子を見なされ続けた少女と出会う。

 入学試験はパスして特待生の視覚も得て、主人公は友人となった貴族の息子や女子とともに勉学に励んでそして卒業も上位4人のうち3人ともが入る。そこで国から表彰を受けることになって赴いた場所でとてつもない事件が発生する。いったい誰が犯人なんだ。そしてどうやって事件は起こったんだ。魔法が存在することも条件い含めて推理するこでたどり着くある真相。人間のこれは厚みなのが歪みなのか。命を引き替えにして成り立つ正義などないと思えばやっぱり歪みなのかもしれない。とりあえず事件は片付いて主人公は探偵になるべく修行を始める。次からどんな難事件が? 気になるので続きを早く。


【10月9日】 「ケータイ捜査官7」ってテレビドラマがあって基本は携帯電話型のロボットが登場する特撮的なドラマなんだけれど、あの三池崇史監督が手がけたことでも話題になった上に押井守監督までもが参加して、確かいかにも押井守監督だって雰囲気のエピソードを作っていた。「たまごっち」を開発したことで知られるWizが実写なのにプロダクション・アイジーと組んで作ったことでも異色でユニーク。それがブルーレイボックス化されて発売されるってことでちょっと世間が湧いている。

 ウィズって会社はバンダイから独立した人が社長を務めていろいろオリジナルの玩具を出していたけれど、結局は独立を保てないままバンダイの企画開発に特化することになって今は表舞台から引っ込んでしまった。そんな会社でも一時はオリジナルの玩具を打ち出しメディアミックスも展開できたってところにエンターテインメントの面白さがあり、また厳しさもある。玩具の方はネットで見たら妙にプレミアムがついている感じ。携帯電話に手足が生えるだけで動く訳でも喋る訳でもないのに。基本となたガラケーも消えてしまった今、そんな時代を感じさせるってことで関心を持たれているのかな。主演は窪田正孝さん。ここも今に人気の理由か。どれくらい売れるかなあ、ブルーレイ。10年後を描いたスピンオフドラマとか作られたら面白いけど、企画する人がいないよなあ。

 そして気がついたら小松左京さんの「日本沈没」が「夜明け告げるルーのうた」「きみと、波にのれたら」の湯浅政明監督によってNetflixで連続アニメーション化されることが決まってた。作るのがサイエンスSARUだからテイストはやっぱり湯浅さん的になるんだろうけれど、「マインドゲーム」的で「DEVILMAN crybaby」的なスタイリッシュ系の絵柄になるのか、「きみと、波にのれたら」のようにキャッチーな絵柄になるかはキービジュアルからは不明。ただ設定が2020年の東京オリンピック後にされていて、日本がここからどっちに向かうかって時に襲ってきた大災害が、これからの日本と日本人の行き方を提示しそう。

 特撮だったからこその崩れ落ちる山々とか瓦礫と化す街々なんかの迫力も以前の映画版、そしてドラマ版にはあったけれどもそれを同じ密度でアニメーションでやろうとしたら、それこそ「幻魔大戦」級の緻密な絵が必要となってしまう。湯浅政明監督のアニメーションはどちらかといえば省略が多いからそうした背景にはならなさそう。ってことはミニマルに非才に遭遇した主人公たちが出会う現象を追いつつ、大きな出来事が進んでいることを流してそれに翻弄されつつも切り抜けていこうとする姿を描くことにあるのかな。国家だとか民族だとか大きな物語は脇において。

 ただそれだと「東京マグニチュード8.0」ってアニメーションと大きく違わなくなってしまう。巨大地震に遭遇した姉と弟がたどった物語を途中、悲劇と幻想も交えて綴りながら巨大地震では何が起こるか、そこではどう振る舞うべきかを教えてくれるアニメーション。それこそ毎年放送されて啓発に役立ててもらうべき作品なんだけれど、今は有明にある防災センターでショートバージョンが流れて啓発に使われているくらい。その再来を「日本沈没」に期待できるのか、もっと大きな物語へと発展していくのか。湯浅監督の采配次第って感じかなあ。Netflixで一挙配信だから毎週のゾクゾク感とは違った、畳みかけられるようなスペクタクルを味わえそう。今の境遇だと辛くなりそうだけれどそれでも配信されたら観ないといけないかな。

 まったく訳が分からない。再開されたあいちトリエンナーレ2019での「表現の不自由展、その後」で復活したらしいChim↑Pomによる「気合い100連発」がなぜか反日だとかどうとかいった文脈で語られているらしい。中で「放射能最高」と叫んでいるからだ、ってことらしけどどんな作品かを知りもしないで、文字通りに言葉尻だけとらえて批判しているとしか思えない。だってあの作品は放射能の拡散が言われた福島県の相馬へと行ったChim↑Pomの面々が、まだ復興の動きすらなく瓦礫がつみあがって巨大な船まで脇に転がった中に立って円陣を組み、今は大変だけれどここいらで気合いを入れてこれからを生きていこうぜって行った一種のパフォーマンス。そこには一切の台本もなく、回って来る順番の時に何を思ったかを声に出してっただけだ。

 現場は人がいても大丈夫だけれど、それでも感情的には放射能の不安も漂う中、これからずっと暮らしていかなくちゃいけない若い人が大嫌いなもの、退けたいもの、逃げ出したいものに対して自嘲と自虐をこめてサイコーと言っているだけ、ってことが作品を観ていれば普通に分かる。その後に最高じゃないって言葉も挟まりしっかりと、放射能だらけにされてしまった状況への批判であり嘆きであり、それでもそこで生きていかなくてはいけない者としての雄叫びになっている。礼賛じゃない。むしろ避けたいものへの避けられないからこその韜晦。それを見ていて頑張れよって誰もが思った。負けるなって思った。そいう作品だ。

 2011年5月20日だから震災からまだ2カ月ちょっとしか経ってない時期に作られた心からの応援歌。それのどこが反日なんだ。展覧会を見に行った時の感想があるからここに再掲するなら「あのプラスアルファだけを取り上げられて、お騒がせだと語られるけれども展覧会『REAL TIMES』に行けば例えばいろいろ見えてくるものがある。10人が円陣を組んで、100回気合いを入れるといった映像作品なんか、パッと見で外野が観光気分で来て騒いでいるだけのようにとらえられそうだけれど、福島原発の事故の影響で立ち入りへの遠慮が出てしまって、瓦礫の撤去が遅れてしまった地域へと入って、そこで見捨てられた感を味わっている地元の若い人たちと円陣組んで、自由なことを言いながら気合いを入れていっているところに意味がある」って書いていた。

 「現地の人たちもこうやって頑張っていこうって思っているんだと伝わる空気。組んだ円陣の中央からのぞきこむ顔を撮った映像が、変わって引いた映像になった時、陸地に乗り上げた船がすぐそばにあって、そこで起こった事態の大変さをバッと見せ、それでも強く叫び笑う若い人たちの声が、固まった心を解きほぐしてくれる。 極めてシリアルに事態をとらえつつ、それを極端なシニカルにはせず、コミカルにもしないけれども決してストイックではないような感じで行為の中に取り込んで、解釈して発信してみせようとしているところがアート。面白かった」。

 8年が経って福島第一原発は未だに終息せず解体もされないまま熱を持って放射線を発し続けている。狭まったとはいえ入れない地域はまだまだある状況で、なおも有効なメッセージを放つ「気合い100連発」を取りあげて反日だの反福島だのと言う者たちが存在するところに、どこか底が抜けてしまったこの国の意識ってものがある気がする。どうして天皇陛下の版画を燃やさざるを得なかったかを考えもせず、末節だけを取りあげて座り込みのパフォーマンスるをする首長とかも平気でいて、それを支持する人もいたりするこの状況。取り返しがつかない国になってしまったなあ。そんな国で泳いでいけるんだろうか、自分。


【10月8日】 相変わらずテレビが見られない状態なのでAmazonPrimeVideoで「バビロン」を一挙に第3話まで。野崎まどさんのあの不穏なアニメーションをどうやってテレビアニメにするんだろうと気になっていたけれど、3話までで第1巻の「バビロン−女−」をしっかりまとめてミステリアスな端緒とインモラルな会話劇、そして衝撃のクライマックスへと段取りよく運んでくれていた。絵は決してよく動く感じではなく棒立ちに表情を変えず口パクで会話させるところもあって省力的。でも見せ方と展開でしっかり引っ張ってくれていた。

 これは原作の力でもあるんだろうけど、脚本だって貢献しているとしたら第3話真でひとりで書いている坂本美南香さんという人が凄いってことになる。でもあまり聞いたことがない名前。いったい何者だ、ってそこには(ツインエンジン)と書いてあるから、プロデュース会社に所属している人ってことになる。昔のタツノコプロみたいに文芸があるのかな。それでもいきなり脚本家ってやっぱり不思議なので調べたら、ツインエンジンを率いる山本浩治さんとも関わりが深い湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」で宣伝パブリシティやっていて、そして「モンスターハンターストーリーズ」では(フジテレビ)という肩書きを付けてアシスタントプロデューサーをやっていた。

 フジテレビの人だったのか。それを山本さんがアニメーション関係の仕事を通じて知り合って、独立して立ち上げた会社にやがて引っ張ったってことなのかな。もともとが首都大学東京の2年次という2014年に、第8回活水文学賞で優秀賞を受賞したことがある人で、書くことへの興味があったんだろう。フジテレビに入社してもその思いが強く独立したか、休職したか出向したかでツインエンジンに身を寄せて「ペンギンハイウェイ」で何かプロデュース関係の仕事をしつつ、本格的に脚本家になるための修業を始めたのかもしれない。

 いやもう修行ではなく立派に脚本家デビューを果たしてくれた。第2話とか毒を含んで聞いたら影響を受けそうな会話劇をよく描いてた。第3話でも他人を納得させそうな誘いをちゃんと描ききっていた。原作の力だけじゃない脚本家の力があるとしたら、それはどこまで続くのか。残る話数での関わり具合、そして今後のツインエンジングループでの活躍を見守りたい。「バビロン」の方は放送がこのあと2話分あるから、AmazonPrimeVideoでの配信はそれが終わってからかな。何度でも見ると影響されそうだけれど脚本を吟味するためにもまた見ないと。メンタル弱っている今だと影響されるかもしれないなあ。ちょっと怖いや。

 辻村七子さんの「宝石商リチャード氏の謎鑑定」がアニメ化されるそうで、あの美形で女性とも間違われるくらいでそれでいて年齢は結構いってるらしいリチャード氏をいったい誰が演じるのかに興味が向いていたら、ようやく発表になって櫻井孝宏さんが起用されていた。うんピッタリ。ややハスキーさはあっても基本は美声でイケメンに相応しい上にどこか女性的なところもあり、なおかつ毒を含んだ優しい声も出せる。これならあの狷介なリチャード氏を出せるだろう。そして正義に対する様々な思いって奴もそこに込められるだろう。読んでいたら言葉で感じられる悶々が、絵になると濃さを増しそうで倒れる女性とかいっぱい出るかも。アニメ「バビロン」が観る毒薬なら「宝石商リチャード氏の謎鑑定」は観るしびれ薬ってところか。

 先に焼いたのは美術館の側であって昭和天皇がコラージュされた作品がどうにも拙いということで、それが掲載された図録を発売しないで焼却処分としてしまった。だったらと作者がその版画を焼いた行為が問題とされるなら、図録を焼いた側だって同じくらい問題だと思うのだけれどどうにもそうした議論には向かわない。なおかつ世の中では新聞雑誌に掲載された天皇陛下たちの写真が焼却処分にされたり廃棄処分にされたりしているにも関わらず、そのことを不敬と問う声はあまりない。それを言い出したらとてつもない古紙が溜まってしまうから。

 にも関わらず、返し技に過ぎなかったあいちトリエンナーレ2019でのそうした展示をことさらに挙げて、御真影を焼くとはと訴え座り込む名古屋市の河村たかし市長のもともとの稼業は古紙のリサイクルで、きっと集めた新聞には天皇陛下だって掲載されたものがあっただろう。それらを河村しちょうは1枚1枚抜き取って溜めていたんだろうか。息子が継いだというその仕事でもやっぱり天皇陛下の写真がちゃんと抜き取られていて、焼却の融解もされていないなろうか。座り込んでいる場にいって古新聞の束を渡してどうしますかと尋ねる猛者がきっとそのうち出てくるかも。いつまで座り込みをしているかは分からないけれど。

 ふと気がついたらプレイステーション5のことが正式に発表になっていた。日経にリークじゃなくWAIREDに取材させるところがグローバル企業となったSCIってことなのか。ともあれコンソールとして生き延びつつ8Kといったハイレゾリューションな表現への進化もちゃんと遂げていくところがプラットフォーマーらしいというか、AVが本業のメーカーらしいというか。これで任天堂のようにコンソールと携帯の合一を狙い間をとったようなSwitchを強化していくような動きを見せたら、コンソールはXbox ONE一色になってしまうから。それでも良いしクラウドゲームで対応も可能なんだけれど、やっぱりゲームはゲーム機で楽しみたいって人も未だ居るからなあ。圧倒的な解像度で圧倒的なボリュームを誇るゲームを是非に。とりあえず8Kでパネキット遊びたい。


【10月7日】 興行通信社の週末映画興行ランキングで「ジョーカー」が1位に。やっぱりという感じではあるけれども決して喝采を浴びての上映という感じではなく、観れば沈鬱にまみれて動けなくなるくらいの衝撃を受けている人たちが続出。にも関わらずそれを見に行かざるを得ないくらいにこの国は、この国に生きる人たちは「ジョーカー」が訴える主題に対して強く理解し共感せざるを得ない状況におかれているってことなんだろう。「若おかみは小学生!」の令丈ヒロ子さんは「ジョーカー、若おかみ劇場版よりは辛くないという噂はホントなんだろうか」とツイートしているくらいにその内容への関心は高まるばかり。こうした口コミドライブが働いて今週末もまた大勢が劇場へとかけつけ、そして衝撃に打ちのめされることになりそう。

 「若おかみは小学生!」より辛いか辛くないかと言われれば、去年の公開時に観た「若おかみは小学生!」は可哀想だったけれども救われて喜びがあって辛さはまるで感じなかった。でも今のこの境遇で観たらもしかしたらいろいろと思うところがあったかもしれない。ただやっぱり、救われる物語ではあるからそこから闇に向かうことはないけれど、「ジョーカー」は観れば落ち込むかその先へと足を踏み込むかするしかない。仮に「若おかみは小学生!」の公開時と同じ境遇で観たとしても、いつか来るかもしれないその時を思って戦慄しただろう。だからやっぱり辛さでは「ジョーカー」が上。「天気の子」よりも絶対に上。そんな映画が大流行するこの国がやっぱり生きづらさに満ちているって現れでもあるんだろー。辛いなあ。

 8月の景気判断が「下げ止まり」から一気に「悪化」に修正されたそうで、10月1日に消費税を上げたばかりでのこの変更はつまりはどん底へと落ちている状況でさらにどん底へと落とす行為が行われたってことを指し示す。来るのは底割れからの地獄行き。きっと内閣府だってそんな景況にあると分かっていたんだろうし、トレンドがそうなっていることくらい調査の過程で検討もついていたんだろうれど、だからといってそれで増税が止まる訳でもないから知らん顔して今になって発表なんてことになるのかな。駆け込み需要がぴくりとも起こらなかった9月を経て増税後の10月にいったどんな景気判断が出るのか。「悪化」を上回る「大悪化」とか「超悪化」なんて言葉が出て来たらちょっと笑う。ジョーカーみたいに。

 よく立ち寄る家から1番近いコンビニにしばらく前に本や雑誌のコーナーを移してイートインが作られたんだけれど、消費税の引き上げで食料品の軽減税率が導入されたもののイートインで食べると外食と見なされ10%が適用されることから、買ってイートインで食べる人たちがまるで見られなくなってしまった。店の方でもそうせざるを得ないのか10%になるんだよって告知のチラシをおいてあるから余計に使いづらい。レジで持ち帰りですって言ってそのままイートインに行くなんて度胸、誰にもないから。だったらと店を出てすぐ前で地べたに座って食べるかというと、それもまたヤンキー文化な感じ。やってやれないことはないけれど、そういう人が増えれば今度は路上で食べるのは迷惑とネズミよけのトゲトゲプレートが置かれるようになるんだろう。便利が損なわれ消費が冷え込む消費税。なぜ導入したんだろうなあ。

 いつの真にりょくち真太なんて名前で書き出したんだろうとちょっと驚いたつるみ犬丸さん。「戦国ベースボール」シリーズは2015年の5月が第1巻だから、つるみ犬丸名義で出た「駅伝激走宇宙人 その名は山中鹿介!」の方が先を行ってて続刊も出て面白さに活躍を期待したんだけれど、そっちの路線は続かず「ハイカラ工房来客簿」といったお店ものへとシフトしていった。でもやっぱり本質は戦国と現代が繋がる中にスポーツを持ちこむフィクションって訳で、その名も「戦国ベースボール」を集英社みらい文庫から大人気となったみたいで16巻もの大人気シリーズになってしまった。これが角川つばさ文庫から出ていたら……って地団駄踏んでる関係者もいたりするのかな。いないのかな。

 その活躍にだったらもう1度うちでも、ってならないところがお家の事情か。代わってLINE文庫からつるみ犬丸名義で「出雲の阿国は銀盤に舞う」が登場。戦国の世に歌舞伎を極めながらも故郷に帰ってなくなった出雲阿国が現代に甦ってはアイスダンスの選手ながらも心が弱くて上手くいかない男子の前に猫の姿で現れて、いろいろと指南するといったストーリー。まさしく戦国と現代とスポーツが結びついた「駅伝激走宇宙人」の路線復活。それをやっぱりKADOKAWAではなくLINEでやられてしまうところにやっぱりいろいろな謎を感じる。

 お話しは父親のプレッシャーに弱く本番でいつも失敗するアイスダンスの男子が、女子の熱烈なアクションも受けつつ復活を目指して阿国とともに頑張るっていったストーリー。プレッシャーだけでなくリフトしたペアの美しさに見とれて落としてしまうあたりは単に集中力が欠けているだけって思わなくもないけれど、常に緊張を強いられていると時々フッと気持ちが途切れてしまうこともあるし、空想へと心が飛んでしまうこともある。そうした性格をよく描きつつ、それをどうやって克服していくかも描かれていてプレッシャーに苛まれて沈んでいる身にいろいろと突き刺さる。果たして復活できるのか。そしてその後は。阿国の活躍も見てみたいところ。「銀盤カレイドスコープ」以来のフィギュアラノベに喝采。ラノベなのかはよく知らない。


【10月6日】 「信頼していた出版社がやらかしたニュース」と「響け!ユーフォニアム」の武田綾乃さんがツイートすれば、万城目学さんも「筆者・作品、さらに自分の会社とトリプルで評判を既存することを厭わない宣伝部に、万事お願いしなければならない現実を前に躊躇する。そら、躊躇する」とツイートして、いったい何が起こっているんだろうと驚き慌てていた例のヨイショ感想文の件は、さすがにやり過ぎだと感じたが身内からの非難も答えたか、取りやめになったようでまずは一安心といったところ。

 感想文をツイッターで募ることは別に悪いことではないし、ちょっと面白がってみんなで誉めてくれれば嬉しいよって言ってもそれは構わないとは思うけれど、ヨイショ前提の感想分をおおっぴらに求めてしまうことがやっぱりどこか虚ろな感じがするし、それに対価を出すというのは作家が、あるいは版元が評価をお金で買いますよって表明でもあって、そうした感想文を素直に信じて良いのかって問題も起こってくる。

 なるほど推薦コメントだって解説だってお金をもらってその本をある意味でヨイショしていたりする部分もあったりするから、そうした仕事をちょこちょことしている僕としても感想にお金は出すべきではないと言われると困ってしまう。ご飯が食べられなくなってしまうから。でも、そういう場合は感想を求められて思う範囲で答えることが、結果として誉めているといった呼吸がそこにあるものが、今回は最初からヨイショ前提だから何か裏が見えて仕舞った感じがある。底が抜けてしまったとも。

 どうせそうだからこれでいいのだというあからさまな態度が、ここに来てあらゆる分野に噴出している感じ。政治でも経営でも行政でも、タテマエより先にホンネが出てそれを恥じない人たちが率いている社会は弱者への悪罵も平気でホンネとして飛び交うようになる。生きづらいなあ。そんな生きづらい社会に所属を飛び出してしまって漂い始めてちょっとヤバかったかもしれないけれど、そうした所属自体もいずれ消えていく感じ。ならば早めの手を打って、次のボートにたどり着ければ良いんだけれど未だ海原のまっただ中。港はどこだ。

 以前だったらイオンシネマ幕張新都心のULTIRAスクリーンに「HELLO WORLD」がかかって岩浪美和音響監督が来訪するとなったら絶対に見に行ってたところだけれど、気力に乏しい今の心境ではそれを見てから夜の阿佐谷ロフトに転戦するのも無理だろうと諦め、かといって図書館にこもって原稿を書く気力にも乏しかったので家でうらうらと昼過ぎまで寝ていたらだんだんそれが普通になってしまいそうになってきた。仕事したって将来何につながるのって思うと起き上がれなくなる。でも生きていかなきゃいけないのなら何かをしなくちゃいけないんだと思うとそこはいやでも動かないと、ってことで気合いを入れて起き出して、阿佐谷へと向かってアニメーション監督のコバヤシオサムさんが司会を務めるイベントで杉井ギサブロー監督と、それから前田庸生さんのトークを聞く。

 杉井監督は前にインタビューもしたことがあったし、今は無き銀座シネパトスで評伝のドキュメンタリーが上映された時とかに行ってトークを聞いていたからおおよそお感じはつかめていたけれど、沼津で生まれ育って東京に行ったあたりから掘り起こしていくコバヤシオサム監督のトークで振り返るとなかなかに新しい発見もあり、1時間くらいのインタビューでは聞けないこともあっていろいろと勉強になった。とりわけ面白かったのが、「ジャックと豆の木」あたりを手がけて「まんが日本昔話」が始まるかどうかって時に放浪の旅に出た話。聞いてはいたけどその先々まで前田庸生さんがやって来て、絵コンテをとって帰って行ったらしい。

 とはいえそうして稼いでいたんじゃなく、鬼の子どもの絵を売って歩いていたというのは前にも聞いた話ではあっても、本当にそれで1日に10枚も売れればと思いながら歩いていたけど売れずに宿賃にも困りながら、それでも鷹揚にかまえていると毎日の焦りとかいつか気にならなくなるって話がちょっと響いた。追い立てられて自分がやらなければと思い込んでいたのに、そうじゃないことに気付く。そして何もしないことが不安じゃなくなる。羨ましいなあ。そうはいっても時々は絵コンテを描いてお金ももらえてたんだから、って思ってしまうけど、そういしたお金は家族に送って自分は気ままでもない放浪生活。その中でいろいろと感じることが大事なのかもしれない。旅に出るかなあ。お金だけはあるんだよなあ。

 とにかく午後6時半から10時を過ぎるまでの長丁場では、アニメーターという仕事についての心得めいたものもあって、最近はあまり動きを描きたがらない人がいたりするって話しにそうかもしれないなあと感じたり。東映動画であの大塚康生さんの下で仕事をしていた話から、大塚さんは本当に絵を動かすのが上手くって、そしえ描いたものを店絵回っていたという。あの時代は誰もがアニメーションは絵を動かすもので、アニメーターはそうした絵を動かすことが大好きだったんだという。それってアニメーターの基本じゃないのと言えば今もそうだけれど、でもやっぱり現場ではキャラクターの絵だけを描いていたい人、それしか描けない人もいるんだとか。

 動かす喜びはだからデジタルの方へと移っていて、CGでのモーションなんかでどうやって動かすかってところで日々の鍛錬が行われている。一方で絵描きとしては抜群なのに動かすことにはあまり興味を示さないアニメーターさんたち。このギャップがあるいは将来の作画アニメーションに何かヤバい事態をもたらすのかもしれない。すでにもたらしているのかもしれない。ほかには杉井監督が旅先であだち充さんの漫画を読んで気にしていたら、アニメ化を頼まれ「ナイン」を手がけてそれがあだち充さんに気に入られ、自分の漫画をアニメで表現してくれる人がいたってことが「タッチ」のアニメ化にも繋がったという話。

 そんなあだち充さん原作のアニメでキャラクターを造形したのが前田庸生さんで、あの漫画のタッチをアニメにする難しさに挑んでちゃんとあだち充キャラに見える、そしてアニメーションで動かせるキャラクターを造形したとか。杉井監督のさまざまな作品にで名前を見かける前田庸生さん。絵も抜群に描けるし演出もできるけれどお1990年代半ばからはデジタルへと関心を向けてグループ・タックが札幌にビー・ユー・ジーと立ち上げたサテライトで仕事をしていたのが今のサテライトに繋がっているということは、マクロスシリーズのCG活用にも大いに関わっているってことなのか。京都在住でなかなか来られない人だけに貴重な話が聞けた。ともあれこうしたアニメーション関係者の生の声を、やっぱり聞いておかないといつ聴けなくなるか分からないというのは7月に思い知らされた。聞いて何をするってことでもないけど、誰かが聞いておけばそれがいつか繋がるのならそれもアーカイブなんだと思えてきたので、落ち込んでないで頑張って出かけていこうかな。


【10月5日】 「らんぷの下」でデビューしてそれがあまりの絵の巧みさと物語の重厚さで漫画ファンの度肝を抜いた一ノ関圭さん。その後も作品は発表し続けているものの、寡作で短編が多く単行本はわずかに3冊ほどと決して大流行漫画家ではないにも関わらず、その業績をまとめた「漫画家本 一ノ関圭本」が出るやいなや、世のクリエイティブにどっぷりと浸っている人たちがこぞって驚き讃えていたりする。例えば井上俊之さん。スーパーアニメーターとして「ももへの手紙」や「百日紅〜Miss HOKUSAI〜」なんかに傘下しっている人がTwitterに本の紹介を挙げていた。

 そして松原秀典さん。キャラクターデザインなんかも手がける人で最近だと「この世界の片隅に」でとてつもなく重要な枠割りを担っている。やっぱりスーパーなアニメーターさんがこんな本が出ているんだと紹介していたりする。ほかにもいっぱい。漫画家だから漫画のファンとか同業者には知られ讃えられていても不思議じゃないけれど、絵を動かすアニメーターにこれだけ認知されているのはその絵の巧さがそのまポーズの確かさや動きの素晴らしさに繋がっているから、アニメーターとしても凄みを感じない訳にはいかないからなんだろー。

 出身は東京藝術大学の美術学部油絵科だから芸術教育の王道にしてエリート街道のまっただ中を歩いた感じ。だから絵はうまくて当然だけれど物語にまでその素晴らしさが及んでいるからこそ、デビューから40年以上が経った今も色あせないで存在感を保っているう。そんなものすごい漫画家を最近までほとんど知らなかった僕に、編集の人が声をかけてくれて「一ノ関圭本」に寄稿することができたのは、僥倖だし恐れ多い話。ちょうど時期が会社をリストラされて1カ月ちょっとが立って、出す履歴書のことごとくが書類ではねられ頼りにしていたキャリア支援会社は再就職先を世話してくれるんじゃなく、履歴書の書き方や面接の受け答えの方法を教えるだけの場所だった。

 絶望しかなかった時期、それこそ朝早くに目覚めたらそのまま寝られずのたうちまわっていた時期に依頼を受け、それほど知らない漫画家でありなおかつ大勢から慕われ尊敬されている伝説の漫画家に関して僕が書けるのか、って不安も浮かんで余計にのたうちまわった。もうどうしうようもなくなって、クリニックに通おうと決めて予約を入れたら2週間先。どうやってそれまでしのごうかと考えながらも原稿は原稿だからと頑張って、図書館に通い「茶箱広重」に登場する二代広重と三代広重が描いた横浜絵が展示してある神奈川県立近代美術館にi☆Risのライブを観るついでに寄っていろいろ調べたっけ。

 それでどうにか「らんぷの下」と「茶箱広重」という一ノ関圭さんでも美術に寄ってそれだけに美術関係アート関係クリエイター関係の人からの支持も厚い作品の解説めいたものを書き上げて、送って果たして大丈夫かと不安にまみれているのが現在。まあでも編集の人がOKを出して一ノ関さんもたぶん読んでいらっしゃるのならそれで良かったんだと思いたい。漫画家本は「皆川亮二本」で「海王ダンテ」について書き島本和彦本で「ヒーローカンパニー」について買いて「細野不二彦本」で「ギャラリーフェイク」について買いて今度で4冊目。さらに「小山ゆう本」でも書いているから立派に漫画評論家って感じだけれどそういう仕事、他にはないなあ。会社でもまるで評価されなかったっけ。もっとアピールすべきかな。でも自信ないしなあ。頑張ろう。

 始まったと同時期にHDDレコーダーが故障してそれと繋げているテレビが観られなくなってしまってラグビーのワールドカップがいったいどういう状況で進んでいるのか、観る機会がなかったけれどもようやくやっと現場で試合そのものを観戦。東京スタジアムでのイングランドとアルゼンチンの試合はサッカーだったらフォークランド紛争なんかの因縁も含んで激しい試合になるところを、ラグビーだと観客席が混じり合ってアルゼンチンから来た人の隣にイングランドのジャージを着ている人が座っていたりして、殴り合ったりあざけり合ったりはなくわいわいと観戦している。これが上流階級って奴? それは英国4協会についての話であってアルゼンチンとかあ違うだろうから、ラグビーという競技の一種風土ってことになるんだろう。

 サッカーのワールドカップの時はなかった東京スタジアムは調布から満員の京王線に乗って飛田給へと降りるとJリーグの時よりもちょっと多めの人が来ているって感じ。FC東京都浦和レッズか鹿島アントラーズか川崎フロンターレだったら超満員になって飛田給からの道もいっぱいになるんだけれど、東京ヴェルディとジェフユナイテッド市原・千葉だと4000人が集まるのがやっとで、道いっぱいの人たちなんて久しぶりに観た記憶。でもって入場はタブレットのQRコードを読んで終了。発見とかなくスムースだった。荷物検査は飲み物だけを避けていたのかな、でもそれなりにスムーズでアメニティは悪くない。

 行列が出来る前にカルビドッグというかフランスパンに焼き肉を挟んだものを700円で買いハイネケンを700円で買ってスタジアム飯は終了。なるほど回って来るのはハイネケンを背負った子ばかりでソフトドリンクとか欲しい子どもにはちょっと困った感じかも。でもまあ水筒なら持ち込めるし下では売っているから気にはならないか。試合の方は最初こそきっ抗していたけれども前半の終わりにかけてイングランドがライン際の攻防からトライを2度決めてアルゼンチンを引き離し、そして後半にもトライとペナルティゴールを決めて試合をほぼ決める。アルゼンチンも後半の終了間際にトライを奪ったものの時既に遅しで39対10の大差で敗れ去った……ってそんな大差になったのか。

 25点くらいでイングランドの勝ちがほぼ決まった60分過ぎから観客がどんどん帰り始めて70分頃に僕も退散。その時にちょうどアルゼンチンがトライからゴールも決めて10点まで来たけどその後に10分ないなかでイングランドが2トライとか決めた感じ。怒濤だねえ。華麗にランとか使わずスクラムから組み合い橋ってはモールなりラックで固まりを作り出しては橋ってすぐ集団。その繰り返しでジリジリと推しつつ時々キックで前へと広げる試合は、怪我人とかが出てすぐい止まってテンポ良いとはいえない。どんどんと進むサッカーとのそれが違いだけれど、男たちが組み合って押し合って進んだり止まったりするのをビールを飲みながらながめつつ歓談していれば試合そのものは気にはならないのかも。勝負そのものに心を傾けるサッカーのサポーターとの、そこが違いなのかもしれない。次は3位決定戦。日本代表来てくれるかなあ。


【10月4日】 世界から優しさや慈しみが失われようとしている。というか国が率先してそうした慈しみや労りを排除しようとしている感じ。例の消費税増税で食料品は除外されたけれどもそれは持ち帰って食べる場合であって、食堂とかで食べれば外食と見なされ10%の消費税がかかってしまう。ワゴンのような店で買ってしつらえられたテーブルや椅子が並ぶフードコートで食べようとした場合にも、外食と見なされ10%の税金がかかってしまうことからショッピングモールなんかのフードコートはこれで死亡が決定。かといって、スーパーなんかで買ってきた総菜やら弁当やらをフードコートで広げて食べようとしても、それは認めないといった告知があちらこちらで取り沙汰されている。

 今までだったら普通にフードコートで食べている人もいれば、開いている場所でお弁当を広げて食べている人もいてそれなりに自由が利いたけれどもこれからは、お弁当とか持ち込み組は食べる場所を失ってしまう。いやいやだったらショッピングモールにあるベンチとかソファで食べようかと思っていたら、そうした飲食を許さないとばかりにベンチやソファを撤去するショッピングモールも出て来たとか。でもそれって普通に来店しては休みながら1日いろいろと店を見て回って楽しんでいるリタイア組なり家族連れをも排除してしまうことに繋がらないか。考えれば分かりそうなことなんだけれど、消費税で“不正”を働く輩を排除する方に気持ちが傾いて利用者のことを忘れてしまっている。

 あるいは消費税での食料品の軽減税率という斑もようような制度がスーパーとかショッピングモールから顧客のアメニティという最大のテーマを忘れさせてしまっている感じ。それとも不正をさせないために、財務省から経済産業省を通してショッピングモールとかにベンチを撤去してスーパーとかで買った総菜とか弁当を食べさせないように通達でも出ていたりするのか。そうだとしてものっかるショッピングモールがあったとしたらそれはポン酢で戯けで牛乳を拭いたぞうきんなみに歪んでいる。これで問題になって取りやめず軽減税率も適用が見直されなかったらこの国は、政治も行政も商業もすべてが歪んで融解していることになるよなあ。やれやれだ。

 トッド・フィリップス監督の「ジョーカー」が公開されて前に試写を見た時から主張していた、これは銃の使い道を間違えてしまった森嶋帆高が天野陽菜と出会えないまま東京で沈み腐っていった先に陥る境遇を描いた、ある意味で新海誠監督の「天気の子」と裏表の映画なんだという主張が広く認められた感じでやっぱりそうだよねとガッツポーズ。道こそ踏み間違えてはいないけれど、陽菜も含めて貧困に喘ぎ上に這い上がる道も見いだせない若い人たちが、自分たちの幸福を求めて世界の衰退も気にせず突き進むという意味で同じベクトルにあるとも言える。

 観てだから「ジョーカー」と同様に「天気の子」も希望より絶望が先に来るはずなんだけれど、そこはアニメーションだけあって救ってくれる仲間がいて落ち着く先もあるって点で、まだ幸せが見いだせる。だから何度でも観られる。「ジョーカー」はもう観たくない。試写で観てから本当にしばらく朝の気鬱が復活したものなあ。今も不安は続いているけれど、ちょっとだけ手伝っている仕事がそれなりに楽しそうなので救われている。そこで失敗したらまた落ち込むことは確実なだけに、失敗はしたくないけどそうした不安がさらに追い打ちを掛けるというスパイラル。ここはだから我慢して前を向くしかないのだった。「天気の子」をもう1度観てこようかなあ。

 その「天気の子」、観客動員が1000万人を超え興行収入も130億円を突破してきたようでこれで宮崎駿監督の今のところ最後の長編アニメーション映画「風立ちぬ」の120億円を抜いて日本映画で歴代7位に躍り出た。上にある宮崎映画は「崖の上のポニョ」と「もののけ姫」と「ハウルと動く城」と「千と千尋の神隠し」。目指すはとりあえず155億円の「崖の上のポニョ」になりそうで、それを超えても「もののけ姫」の193億円や、そのひとつ下にある「躍る大捜査線THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ」の173億円には届かないかなあ。まあでも「ジョーカー」が実質「天気の子」ってことで「ジョーカー」に行ったつもりで「天気の子」を観る若い人とか出てくるかも。あるいは「ジョーカー」が怖いリストラ中年が癒やしを求めて「天気の子」に走るとか、ってそれは僕のことか。いやほんと。

 日本のアニメーション関係者が見に行って褒めちぎっているのは決してリップサービスではなく本気に心底から技術的にも作品的にも素晴らしいからだという「羅小黒戦記」。中国オリジナルの作品ながらも日本の観客を動員し、そして中国でとてつもない数の観客を動員しているのを観るにつけ、今までのように進んだ日本の技術と企画で中国を席巻することの難しさも浮かんで来た感じ。東宝から別会社を立ち上げた古澤佳寛さんが中国との合作を話していてそこで「日本の人気IPを中国に持ち込んでアニメ化すれば収益的に見えるところがあったのですが、いまは日本IPに金額が付きにくくなってきていて、そのやり方は通用しない。中国で人気のIPを僕らのやり方でおもしろく見せるか、中国でオリジナルを作るか……」と話していた。つまりはそういう時代にあって、中国の企画に参加せず日本オリジナルの強さを信じて戦う業界に未来はあるか。あるいは中国を批判ばかりしている反中な保守というより右翼政治家に日本の将来を担わせて良いのか。考える時が来たなあ。考えている場合ですらないかもしれないなあ。


【10月3日】 それで火星の何かが変わったのか。すぐに変わったんじゃなく変わるきかっけが生まれたという意味で、その7分間が後に奇跡だたっと言われるようになっただけなのか。そのあたりがどうにもモニョった「キャロル&チューズデイ」の最終回。大統領選に出たものの選挙参謀のジェリーが自作自演までやって自分の応援する候補を勝たせようとしたことが露見し、そのジェリーにかけている資産家は法律違反を暴かれ失脚。それで何かが変わるかというとただの混乱でしかなく、煽られ吹き上がった移民排斥の動きを止めるリーダーシップを持った候補者が立ったという話もない。

 というか、移民擁護が対立軸にならないからこそ、チューズデイの母親はそっちに乗ってより過激な言動をアピールした訳で、右かより右かって状況がキャロル&チューズデイと仲間たちの歌によって大きく変わるとも思えない。実際、キャロル&チューズデイが歌っている場には武装勢力が乗り込んで来て邪魔をしようとしていた訳で、そうした流れを歌がどうやって食い止めたのか。そこが描かれないまま投げっぱなしですべては君の心にあると言われてちょっと納得できない。もちろん想像はできる。できるけれどもそこを感動的に描いてこその表現だろうに。エンターテインメントだろうに。

 そう考えると、「超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか」のクライマックス、ミンメイを擁してマクロスとゼントラーディがメルトランディへと挑みつつ全てをひっくり返そうとするシーンの迫力と、もたらされた結果の凄まじさは歌のとてつもない力って奴を目の当たりにした最高峰のシーンって言えるんじゃなかろーか。現実だったらライブエイドでありウイ・アー・ザ・ワールドがあって歌の素晴らしさが何かを変える胎動って奴を感じさせられた。それをフィクションじゃなく現実に経験していると、集まってただ歌っただけで何かを変える手応えって奴を見せてもくれず、感じさせてもあまりくれない「キャロル&チューズデイ」のクライマックスはどこか軽い。

 まあでもあまり強いメッセージ性を込めて何か意識を誘導させようとすると、どうしても反対側の意見も出て来てぶつかり合う。そこはだからほんわかとして楽しい歌の中で何かが浮かび上がって来る気分って奴を感じ取るのが今はむしろ広く効果を届ける力があるのかもしれない。ふんわかと、やんわりと、しっとりと、のんびりと。このアニメーションがだから今、この格差に潰れ差別に沈んだ社会を激変させられなくても、3年が経って5年が過ぎて10年を迎えたあたりで優しさと慈しみの心を尊ぶ気分を「キャロル&チューズデイ」で学んだ人たちが、社会のあちらこちらで何かを変えようとしてくれれば良いのかもしれない。そうなって“奇跡の7分間”だったと振り返る。そうありたい。

 なんか凄いというか、今いろいろと台風で被災した人たちへの対応をやっているからと国会議員が言っているにもかかわらず、自分の相手をしろとカメラを回し続ける国会議員がいるという状況がどうにもこうにも現実として理解できないというか、台風の被害が取り沙汰されている時に自分への言及ができたんだから今だってできるだろうというロジックは、船が左右に多きく揺れている時に自分の相手が出来るなら、転覆して沈みかけてて大勢溺れている時だて相手できるだろうと言っているようにもとれて、それちょっと無茶なんじゃないかと思うしかなかったりする。

 そこはだから自分もいっしょに手伝うからその間にちょっと相手もしてと言えば逃れられない気もするし、好感だってもたれるかもしれないのにひたすらに自分のためにこそ時間をと言いつのるのはどこか矛先を向ける相手を間違えている気もしないでもない。悩むのはそうした言動を相手が相手だからと認めて支持する人たちが割といたりすることで、誰であっても被災者の救援を行っている人をその過去とか属性で糾弾したら、始まる支援も始まらなくなってしまう。今は何が大事かを見極めそのために行動する人をだから国民は選んで国会に送り出さなきゃいけないんだけれど……。凄い国になって来たなあ。

 ふと気がついたら近所にあったヤマト運輸の配送センターがちょっと遠くに移転していて、今までみたいに家で届くのを待つんじゃなく、預かってもらって行ける時間に立ち寄って受け取ることが難しくなった。本とか割と頻繁に届くといちいちそのために午前中を部屋で待っていることなんでできないからなあ。無職のアルバイターに近い身とは言え、それなりに仕事を持っているからせめて昼前には家を出てそっちに向かいたい。まあ遅くても11時くらいまでには来るから大丈夫っちゃあ大丈夫なんだけれど、そうした時間を家で洗濯とか原稿書きに使う前に寝てたりネット観てたりするからなあ。意志薄弱なのがいけないんだ。涼しくもなるし玄関先で待っていても大丈夫になって来たからしばらくは午前中の配送を依頼し続けよう。


【10月2日】 今は21世紀でここは民主主義的先進国なのか。長崎県にある入国管理センターに収容されていたナイジェリア人の男性が死亡したという一件で、亡くなられた原因はいわゆる餓死だったと報じられていた。つまりはハンガーストライキを行った結果の栄養失調から来る衰弱死。それを自分で選んだ一種の自殺だというなら、個人が命というものをかけて何かを訴えていることに対し、結果として見殺しにしにしてしまったセンター側に一切の責任はないのか、ってことになってしまう。

 もちろんセンター側も拒否し続ける相手が意識を失ったところで、点滴などの治療を行おうとしていたらしいけれど、結果として亡くなってしまった以上は対応が後手に回ってしまったことは否めない。望んでいるのが仮放免で、けれども収容前に窃盗で長く服役をしていて、出所後に収容されて国外退去を言い渡された人物に放免は認めがたかったという理由もありそうだけれど、長く服役をして勤めを果たしたのなら、そこから国外退去ではなく、入国し時と同様にフラットな状態でスタートさせてあげても良かったかもしれない。何が何でも国外退去しかなかったのか。人物像が分からないから何とも言えないけれど、ちょっと寂しい話でもあるなあ。

 関西電力では下っ端の管理職ではなくトップが原子力発電所のある地域の助役から巨額なお金を受け取っていたという話。菓子折の下に厳禁というスタイルも前時代的だしそもそもトップクラスがキックバックをもらっているというところが前近代的。それが露見すればどうなるかくらい分かっているのに、会社にはおいていない家に保管してあったで言い抜けようとして言い抜けられると考えてしまっているところに、それが普通だった前世紀の名残めいたものが漂う。っていうか原発を作りたい関電が地元にお金をばらまくならまだしも、どうして地元からお金を受け取るのか。構図がちょっと分からない。いずれにしても21世紀じゃないよなあ。

 こちらは逆に22世紀的? いやいやそれは20世紀から見たディストピアとしての22世紀的であってそんな未来なんて来て欲しくないし来るはずもないと思いたい。東急不動産がオフィスで働く人たちに脳波計をとりつけて、ストレスがあるとか楽しんでいるとかいった感情の動きを脳波から測定して記録していこうとしているらしい。ってかそれが悲しかったり嬉しかったり起こっていたり緊張していたりする脳波だってどうやって鑑定するのか。おおむね分かったとしても人それぞれに違うだろう波形をまとめて調べたところで何が分かるのか。そもそもがそうやって個人の心情にまで踏み込みそうな調査を、強制的に行うこと自体がストレスの原因。それで得られた結果に何の意味があるんだろう、って考えるとやっぱりディストピア感が漂う。

 何か話題性にはなるけど、非道な会社だって逆効果だってありそう。もちろん近未来的には個々人のバイタルがワイヤレスで測定されては把握され、メンタルケアだとかに利用される可能性はある。「PSYCHO−PASS サイコパス」で描かれている世界がまさにそうで、結果としてそれで潜在犯として拘束される人がいる一報で、大勢はデータによるマッチングなどがもたらす幸福を享受している。それを幸福と感じることこそがディストピア的とも言えるのかもしれないけれど、近代から現代へと流れる中で自由は削られ統制の中で安全と安心を得てきたのが人類。その延長として東急不動産の実験なんかもあって、いずれ「PSYCHO−PASS サイコパス」のようなシビュラシステムによる管理が行われるようになるのかもしれない。その時は権力者であろうと容赦なく同一の条件で監視下におかれることを願いたいけど、そこが最も心配なんだよなあ、この前近代が蔓延る一党独裁的民主主義の国では。

 劇場版「ヴァイオレット・エヴァーガーデン外伝」の公開もあって文庫本を読み返そうとしても出てこないから書店を探したらあまり見ず、そしてネットをみたら文庫本なのに3000円近くなっていて、こりゃいったいどういうことだと首をかしげたものの仕方が無いので枕元に埋まっていた上巻だけを引っ張り出して読んだりしてた。そんなところによく使っている西船橋駅構内のBOOKS EXPRESSにKAエスマ文庫の「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」が上下巻とも登場。早々と上巻が売り切れそうになっていたけれど、補充があって今日10月2日の時点でそれぞれ10冊以上もあったから、買いに行けば普通の値段で買えることになる。そこで誰かが買い占めてネットで売ろうとかって考えなければしばらくは大丈夫なんじゃないかなと思いたい。外伝はなかったのでこちらも補充を是非。

 11話は大変だったけど最終回はちゃんと真っ当に作られていたみたいだった「ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか2」は、ヘスティアが川に流され助けられた村にいた村長さんが以前に誰か女神のファミリアにいたらしく、その女神様を守れずむしろ守ってもらう形で助かって女神様は天界に送還されてしまったという悲しい出来事が明らかになって、年老いても思い続けるその心根に少し寂しさを覚えてしまった。ほほど慕っていたんだなあ。でも老人は亡くなって生まれ変われば新しい意識で再生できるけど、分かれた女神様はずっと思い続けることになる。それともすぐに忘れてしまうのか。そのあたり、長く生きる神様の心境が気になった。ヘスティアならベルくんのことをずっと覚えているだろうし。あと黒竜の鱗にアイズさんがえらく反応してた。嫌悪といってもいいけど何かあったっけ。長い話だけにちょっと覚えてないのだった。「ソード・オラトリア」読み返すか。


【10月1日】 2002年に日本と韓国で開かれたサッカーのワールドカップ2002日韓大会でセネガルとトルコの試合のチケットを買えたので、遠く大阪まで出向いて観戦してから大阪でカプセルホテルに1泊し、そこから京都へと出てちょうど開かれていたアミューズによるアーティストといっても芸術方面のアーティストによるオーディションの成果発表を見物。そこでデザインフェスタとかGEISAIに出てくるのとは違って、キャラクターのフィギュアを展開していのを見て親和性を感じたのが、原型師で造形家の寒河江弘さんを知ったたぶん最初だった。

 振り返れば実写版「ブギーポップは笑わない」の吉野紗香さんが演じた宮下藤花からのブギーポップを造形していて、キャラクターとは違ったリアルな人物を造形するのに長けた人だという印象を抱いた記憶。その後、恵比寿で古典も開かれのぞきに行っていろいろ話してからもう17年くらいになるのかな。その間、ワンダーフェスティバルに出ているのにお目にかかったり、バンプレストが開いた「造形天下一武道会」で僕が大好きな人造人間18号を作ってくれて、必死で応援してトップに輝いたのを喜んだりしていたっけ。その寒河江さんが今、厄介な病気で入院されているみたい。

 ツイッターには今のお姿が写真で登場し、モデラー仲間がお見舞いに行っている状況が配信されていて元気そうではあるけれど、ふくふくとしていたお顔とかがやっぱり変わっていたりして、笑顔の間に闘病という文字通りの戦いを演じていることが感じられた。でもご本人は意気軒昂で、2020年の冬に開かれるワンダーフェスティバルにもしっかりと出展する気概を見せていて応募もして当選通知ももらっていた。ならば見に行くしか無いので寒河江さんには回復して出て欲しいと心の底から願っている。今の自分も決してあちらこちら出歩ける見でもなく、不安に潰されそうになっているけど寒河江さんを思えばその不安なんて微々たるもの。歩いて動けるこの幸せを幸せと思いつつ同じ場所へと戻ってきてくれることを信じて待とう。いやずっと先を歩いている寒河江さんを追いかけよう。

 「一党集中的な独裁主義の時代においては、一番の権力者は総理です。彼に全く受け入れられない『アート展』には持続可能性などありません。権力の威を借りた展示こそが、多くの人に学習意識を促し、十分に教育的で洗脳的であるべき、という強要に応えるものになっていくことが求められている次第です。公金を拝領した企画や会場であればなおさら、こうした隷従が重視されます。総理の御代においては、彼が見たくないものに対する圧力は、権力というものに阿る一般社会からも生じるのであって、まさに『総理のアートへの好悪』こそが問題となってくるのです」。

 元ネタについては特に触れないけれどもとある公開が中断されているアート展に関連して、見てきた人が一般大衆という最高権力者から激しい糾弾を受けたのだから中止は当然だといった論を貼っていて、はり当然のように諸々の突っ込みが入っている。そもそも抗議をしたのが大衆と言えるかどうかが微妙なところで、全体ではなく一部であってもその意見を聞くべきというなら、別の一部の意見も聞かなくてはいけないところを抗議があったこと、それをのみ一般大衆の意見とすり替えるような論旨に納得できるはずがない。

 そもそも支持されないものが芸術というならゴッホだって生前はまるで評価されなかったのが死後に高騰。そうした事例を踏まえてあらゆる表現を認め守るべきであるにも関わらず、大衆という言葉でくるんだ一部の意見を正当とするのは拙いだろう。末尾においてセンシティブな問題をはらむ展示をそうした配慮もなく検討も不十分のまま送り出したことへの批判があって、これはまあ納得のいくものではあるけれど、途中の論旨は一部が切り取られていたのだとしても全体の論旨、すなわち嫌がる勢力があって攻撃したものを見せるのはいけませんといった意見は、表現を行っている人たちにはやはり認めがたいものだろう。とはいえ、そうした批判があっても引かず媚びず阿らないで立ち続けていきうなのが現在。親玉からしてずっとその場に居続けている訳で、おかげで消費税が10%に上がってしまった。どうなるんだろう日本。寝て起きて通って帰って寝て起きる繰り返しだけで生きられる人間になってしまいそうだよ。すでになりかけているけれど。

 所用があって西に行くのを止めて船橋西図書館で3時間くらい原稿書き。そこへと行く途中でコンビニに入ってソーセージとカロリーメイトを買ったら何と消費税が8%で据え置きだた、って食品だから当たり前か。その場で食べると言ったら10%になったんだろうか。コンビニのイートインに関連した扱いがどうなっているかにちょっと興味。あと食玩というカテゴリーがこの軽減税率で壊滅するんじゃないかという不安。もうそれこそ30年以上は昔にバンダイが食品事業へと進出した際、食品売り場のルートで玩具を売るためにガム1個で玩具がついたような製品を開発して繰り出して来た。

 それはそれでユニークだったし顧客ともマッチしたんだけれど、これからはそうした商品を出すなら10%の消費税を適用される覚悟が必要になる。主従で言ったらなるほど玩具の方が圧倒的でガム1個ならお菓子は数パーセントすら行かないかもしれない。そうした製品であっても魂の叫びとしてこれはガムだ、玩具はおまけだと主張できたのが客観的な判断が下されるようになってどう見たってガム1個に模型がついてれば模型が主だよねって話にならざるを得なくなる。

 何しろピーピーとなる増えがケースについているだけで価値あるものだと判断されて軽減税率が適用されなくなるとか。一生吹けるものでもないし音色だって良い物では無いならそれは主ではあり得ない。でもバランスから見て価値あるものだと判断されたら拙いというなら、最初から10%にしてしまおうという動きが強かった感じ。結果、お菓子なのにいろいろと違う税率のものがあったりする。スーパーやコンビニはPOSの登録で対応可能だけれど駄菓子やさんでそれができるか? できないよなあ。他にもボーダーな商品がわんさかあってどうするかを決断したり迷っていたりする感じ。10%でも買って貰える素敵な玩具という意識が買い手に働くうちは良いけれど、景気厳しい中で見放されていくのかもしれない。



(ACCESS COUNTER '96.07.20)


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