Last Updated 2010/2/9
合い言葉は「1日1ガンダム」
日刊リウイチ
TUNAGATTEIRUNOYO
リウイチとは誰だ?
リウイチとは奴だ!
薄い髪に伸びた髭
趣味はアニメと女子サッカー
日刊リウイチとは
そんな胡乱な野郎の日々を
無限に綴ったページなのだ
ワーニングワーニング
(ホントはただの日記です)
いつかまた逢える日を、シュワーボ!
◎積み上げた本の数が這々の体で1000冊に達した
『積ん読パラダイス』
だけど記念事業もなく、これからも地味に静かに増量方針。ライブドアブログの方で
『積ん読パラダイスinBlog』
なんてのも作ってみたけど誰が見ているのやら。
◎
今見ておかないと
末代までの後悔
が待っている
超傑作劇場アニメーション映画
の登場だ!! 『アリーテ姫』『BLACK LAGOON』の片渕須直監督が50年前と千年前の山口は防府を舞台に子供達の日常を描いた
『マイマイ新子と千年の魔法』
が公開中。ただし
上映終了も間近
との噂。なので今すぐ
劇場
に駆けつけろ! 見て山口県防府市の豊かな自然と昭和30年のリアルな風景に感嘆し、誰もが経験したはずの子供の世界を思いだして今をどう生きるか考えよう。見に行けないなら見られる環境を
署名
によって引き寄せよう。
「メイキング・オブ・マイマイ新子」
も日々更新中。我が鑑賞の記録をまとめた
「日刊リウイチ特別編 マイマイ新子日記(抜粋)」
もご参考に。
◎
こっちもこっちで
大変
だ。
超名作漫才青春娯楽漫画
の
「ステージガールズ」
に
未完の危機!
原作の
上野毛あさみさん
が
3巻が出ないかもしれない!
と叫べば漫画の
黒岩よしひろさん
は窮状に
原稿
売りたし
と慟哭。これをまとめて解消するには「ステージガールズ」第3巻が出れば良い! そのためには1巻2巻が売れれば良い! 頑張ろうみんなのため夏ボーナスのため!
【2月9日】 録画に失敗しかかったところをかろうじて踏みとどまり、リアルタイムの録画状態にしながら「刀語」の第2夜を見たら途中で何度か意識を失った。そのまま気づかないで朝までいったら録画枠をいっぱいに使ってしまうところだったけど、どうにかラストで踏みとどまって必殺のかかと落としが決まる瞬間を眺め、エンディングで2度3度と失い書けた意識を元に戻して次回予告だかまで含めて、しっかり見てから録画を止めてひとまず完了。面白かったかと言われれば面白かったけれど、しかしその割には何度も意識を失い書けたのは何だろう?
簡単に言えばやっぱりセリフ劇の多さで、あーだのこーだのとくっちゃべっている2人の言葉のとがめはともかく七花のトーンの茫洋とした感じが脳に良い感じに働きかけてアルファーふぁだかを出してリラックスから睡眠へと誘っていたりした模様。敵の居合いの達人もまたやっぱり良い感じに眠りを誘う穏やかな声。それが対決するんだからダブルで眠気を誘われる。真夜中にやるアニメじゃないよなあ、これ。ともあれ2話まで片づき、とがめはかわいらしく七花は強力。絡まなかった姉とそして謎めいたお姫様だかが出てくるようになれば、さらに話にも破天荒さが加わり眠るどころか見終わって朝まで目がくっきりの興奮を、与えてくれると信じて続きを待とう。次は何月何日だ。
ハルユキ復活編、になるのは当たり前だったけれどもものの見事に蘇った上に仲間まで増えてこのまま最強への道を突っ走っていくのが黒のレギオンことネガ・ネビュラス。でもチユリと黒雪姫との間にハルユキを奪い合う火花が散るってことはあるのかな。それだったらああいった展開は迎えないか川原礫さん「アクセルワールド3」(電撃文庫)は。転校してきた嫌な野郎の奸計でのぞきの疑いをかけられそうになって弱みを握られ、ゲーム世界でも最強のアイテムだった翼を奪われもはやこれまでのシルバー・クロウ。そこで過去に徹底して虐げられ続けた人間ならではの強さとあきらめの悪さが発動し、修行し策を巡らしそして最強の見方も得て見事に復活を果たすという、ストーリーの華やかさがやっぱり心を引きつける。そして浮かんだゲームの謎。進む先にあるのは何だ。それにしても黒雪姫の黒ストッキング姿はやっぱり良いなあ。ライトノベル界で1番黒ストッキングが似合うヒロインと言っても過言じゃないね。
ヘンリー・セリックという何か世界的に有名な人を見かけて、首から革ひもで下げていたボタンがヘッドについた鍵を見せたら、もうひとつの世界への扉を探さなくっちゃねと言われてごもっとも。でもその先にはボタンの魔女がいるからご用心。おいしいご飯と優しい言葉にだまされていると魂とられちゃうからね。でもって鍵を渡してしまったんで代々木にある
BANDIT
ってアメリカントイショップで入荷してあった鍵を再度購入。そのまま新宿三丁目の紀伊國屋ビル1階にある革細工店の入り口につるされている革ひもを1本買って、鍵にくくりつけて首から下げられるようにする。これさえあればいつだってもうひとつの世界に行けるんだ。そこではちゃんとした全国紙でそれもナンバーワンで議員の1人もいない政党の党首のコラムとか載ってなんかいないんだ。きっとそうだ。
決死隊が紅衛兵と裏表の関係にあったりしたり、正規軍が反乱兵に転じたりしたりする可能性を類推つつ、そうではない場所で出来ることをしようと文字を書いてから渋谷の「」ON AIR EAST」で開かれたkalafinaってユニットのライブを見物する。言わずと知れた「空の境界」の主題歌なんかを歌うために結成されたボーカルユニットで、映画ごとのシングルなんかもいくつか買ったし7作ある映画のエンディングにオリジナルなんかもプラスしたファーストアルバムの「seventh heaven」も持っていて、iPodに入れて頻繁に聞いていたりするファンだけれど、そういう人種だとはきっと事務所の人には思われていないんだろうなあ、事務所とかには。
というかそうやってアルバムを聴いていたりする人間でも、今回のライブにはちょっと驚いた。印象からするならとてもコンセプチュアルなボーカルユニットって雰囲気で、レコーディングの時には重ね取りしてハーモニーを出し、プロモーション映像ではそれに合うわせて雰囲気を作っているって感じがしてたんだけれど、それがライブではちゃんとしっかりライブしていた。いやいや言葉が足りない。とてつもなく完璧にライブしてた。歌もアクションもトークもすべてがリアルタイムに進行。それでいてあの完璧なまでの声とコーラスが繰り出される。驚いた。梶浦由記さんのテクニカルで難しい旋律を詠いこなし、、そして梶浦由記さんの意味の不明な歌詞を歌いこなしてみせる。もう驚くより他にない。
こんなユニットは広く音楽業界を見渡したって国内には他にない。3人組って意味ではPafumeが先行もしているけれど、その可愛いパフォーマンスと独特の声を聞かせ派しても、歌を聴かせるって雰囲気のユニットじゃない。Kalafinaはもうとてつもなく完璧な歌とコーラスを繰り広げる。それを聞きに来ているのは「空の境界」から「ソラノヲト」といったアニメ作品で存在を知ったファン。ということはアニメファンってもしかしてとてつもなく贅沢な音楽体験をしているってことじゃなかろうか。世間の音楽好きとかいう人たちよりも早く、そして間近に日本が誇れる3人組の女性ボーカルユニットに触れている。心から誇って良いと思う。
「空の境界」だとどちらかといえば割に押さえた静かな雰囲気の音楽が多いけれど、「sevens heaven」に入っている曲にはロック調のもあって、それもライブではちょっとした動きも添えて披露してくれる。静かだったり技巧的な曲では澄んで綺麗な歌声を見せるWakanaさんがリードをとり、ちょっぴり甘い歌ではかわいらしい声を持ったHikariさんがリードをとって、その合間で低音の魅力を響かせているセンターのKeikoさんだけれど、ロック調の曲では真ん中で声も張り上げて目立ってくる。三者三様の個性がそれぞれに得意とする楽曲でぐっと前に出て、その横や後ろを2人がサポートして、独特の世界を作り上げる音楽性はやっぱりとっても珍しい。そして素晴らしい
そしてCDとかでも聞こえない訳じゃないけれど、ライブだと目の前でそれぞれがリードをとる場面がはっきりと分かる。目に見えてパフォーマンスが感じられ、そして耳に声がダイレクトに飛び込んでくる。決してレコーディング専門ユニットなんかんじゃない、とてつもなく素晴らしいライブパフォーマー。そのすばらしさも今日の東京でひとまず終わりになるみたいだけれど、しばらくしたらまた大阪横濱名古屋とそして東京の今度はJCBホールなんてビッグな箱でライブを行ってくれるみたいなんで、とりあえずは3月に出るというセカンドアルバムで「空の境界」時代から広がる楽曲を耳に入れて不覚なじませ、そして待ちに待ったライブで目の前でその歌の上手さそのコーラスのすばらしさそのビジュアルの美しさを堪能すべし。今度はちゃんと行こう。
個別の曲ではやっぱり最初に耳に響いた「空の境界 第一章 俯瞰風景」の主題歌になってた「oblibious」が耳になじむなあ、ライブでも拍手の後から再会って感じにならないように前の曲から余韻を引っ張った中で静かに、そして貫くようにイントロを初めてそしてビートに乗った本曲へと張っていく。目に浮かぶのは両儀式の疾走する姿。DVDを見返したくなって来たよ。そしてラストにかかった「sprinter」。これも7作ある「空の境界」でも最も評判が高かった「空の境界 第五章 矛盾螺旋」の主題歌で、快活に始まったと思った楽曲が途中で激しいロックとなってそこでKeikoさん大活躍。全部の曲でもやっぱり1番目立ってた。そんなKalafinaライブにはカメラも入っていたけれど、映像ソフトとかになるのかな、それともアルバムの特典になるのかな、どっちにしたって見られるなら買うぞ、できればやっぱりこの2曲は入れておいて欲しいぞ。
【2月8日】 新宿のロフトプラスワンから帰る途中で日が替わってコンビニに寄ったら「週刊少年ジャンプ」が出ていたんで、早速読んだらエースが、エースが、エースが、エースが、エースが、エースが、エースがエースがエースがっ! 白ひげもいよいよっぽいし沈みがちな雰囲気がむわむわっとわき上がって来たけど、そんな暗さが似合う作品でもない「ONEPIECE」。
これまでだってアラバスタ王国の消滅の危機を間際に防ぎ、ニコ・ロビンの絶体絶命を救い出してはエニエスロビーを見事に脱出してのけた。その過程で誰も死んでなんかいないのがこの作品の凄さな訳で、そんなポリシーをいくら見せ場だからといって破るはずがない。だから大丈夫だと信じたいけどでもしかしエース、腹、ぶち抜かれているもんなあ。来週が待ち遠しい。そしてちょっぴり恐ろしい。
朝になって「ウェルかめ」でゆっさゆっさしているのを久々に見てから家を出て、電車に乗って本屋に行ったら四角い箱があちらこちらに山積みになっていて、目を凝らすと「純潔のマリア」の字が読めた。そうか発売になったのか石川雅之さんの新刊が。「goodアフタヌーン」だかに連載されている漫画で、魔女がいたりする時代にその魔女がちびつ子で男を捜しているんだけれど見つからない一方で、使い魔のフクロウは美女となっては世界を飛び回って男と良い関係に。そして新たに男の使い魔も作ってみたけど、男なんて知らない初さから肝心な場所が作れないというていたらく。そんな使い魔たちに挟まれたマリアの足下で魔女を狩る動きが起こって、それに憤って出ていくと大天使ミカエルが光臨して来てマリアを退治しにかかる。
っていうかマリア自身が天界となにやら関係がありそうなんだけれど、そうした説明はあんまりなし。でもって主よりマリアが純潔のまんまだったらずっと魔女の力を持っていられるけれど、そうじゃなくなったら終わりだよってことが告げられ、早く男といろいろしたいと口では言ってるマリアにとってはこっちをとればあっちを失う板挟み。さらに新しいフクロウなんかも加わって動き始めた物語の先行きは? とりたてて連載は追ってないんでこの後がどうなっているかは知らないけれどもとりあえず筆は細かい上に女の子キャラが多く出ていていろいろいっぱい見せてくれてて目には嬉しい。
けど顔立ちがだいたい似ているってのは何だろう、全部マリアがモデルだからか。サキュバスもインキュバスもそっくりなんだよなあ、マリアに。単行本は箱入りの限定版とともに通常版も買って読んだのはそっちで、フクロウのぬいぐるみが入った限定版はたぶん永久保存用。前も「もやしもん」でオリゼーのぬいぐるみが入ったのを買って箱のまんま部屋に積み上げてあっていたりするんだけれど、その上に重ねて置いておくのがベターってことか。邪魔だが仕方がない、それがマニアってものだから。箱から出して実際に愛でる用のも欲しいんだけれど、さすがにそれをやってしまうと財布が許さない。1週間経ってまだ残っているようなら拾い上げよう。2巻はできればよりコンパクトになるように、マリアのリボルテックフィギュア付きにして欲しいなあ。
昨日の約束を明日につなげるために阿佐ヶ谷へと出向いて「ラピュタ阿佐ヶ谷」のロビーの様子を観察。キューピーちゃんはいたけどセルロイド製で手足が紐でつないである奴ではなかったなあ、ってそりゃあ仕方がない、それがあったら財産だよ。あとメンコとかブリキのポンポン船なんかも置いてあったけれども、乱雑ではなく整理されてて良い感じ。美術ボードとか動画集とかアニメを知らない人が見たらアニメってこんな風に描かれているんだと分かって勉強になるかも。
そういう恒久的な展示をやる場所があったらなあ、ってあったじゃん「国立メディア芸術総合センサー」ってのが、構想だけ。でもつぶしたんだよなあ、国営漫画喫茶だのアニメの殿堂だのってくだらないレッテルをメディアが貼り付けて、麻生政権への憎しみとともに。感情の前に合理的な判断なんて雲散霧消するってことなのか。目的のためには見方にすべきものだって敵と誹るのが戦略なのか。
何しろ熱狂的な愛情だってそれが深ければ深いほど、ちょっとでも容れられない部分があると全部を否定されてしまった気持ちになって、愕然として焦りと憤りにせかされながら憎悪と反感を吐き出してしまうものらしいからなあ。諦めっていうだけなら良いんだけれど、そうじゃなくって全否定にまで向かってしまいがちなところがどうにももの悲しい。
当方は世の中にはいろいろとあって、そのなかで可能なところから少しづつでも変えていければそれで良いって思う立場だけれど、それでは遅い今が攻めどきだから一気呵成に攻め立てて、乗り切り突破しようと熱意を燃やす立場もある。それらがともに平行していければ良いんだけれど、急ぎたい人にはゆっくりな人がやっぱり気になってしまうもの。そして内側へと向けられた言葉は混乱を招き分裂を呼読んで…ってのが古来からの組織崩壊のプロセス。そうではないところをだから見せていかないと、先を逆に短くしてしまう可能性なんかもあるんじゃないか考えつつ、ここはってところで一気呵成に出られる手段も残しておく。難しいけどそれをやらなきゃ未来は来ないと思って、今はひたすらに出来ることを頑張ろう。
幕末が話題になってる今のタイミングに受賞作が刊行されると踏んで幕末をテーマに持ってきたのだとしたら電撃大賞を受賞した田名部宗司さんはなかなかの策士かもしれないなあ。まあそんなことはないんだろうけど「幕末魔法士」(電撃文庫)は幕末の大阪にあって数々の偉人を輩出した敵塾の学ぶ1人の学生が松江へと派遣されて起こる騒動を描いた歴史物、かと思いきやそこに魔法が絡んでくるのが大きな特徴。何でも欧州では魔法がそのまま発達して鎖国していた日本にも魔道書とともに伝わり蘭学とともに学ぶ人たちが出てきたりしていたその筆頭が敵塾。久瀬伊織はそこの生徒で長州の出身で学んでいたところを魔導書の解読をお願いしたいと頼まれ松へへと赴く。
途中の茶屋で難癖をつける武士がいて正義感から立ち上がった青年がいてバトルが始まろうかってところで伊織は青年を引っ張り抜け出し暴れたって茶屋には迷惑なだけだと諭すも直情径行の青年はぐだぐだといったんで魔法で吹き飛ばし、松江へと入って前任者が斬り殺されてしまった魔導書の翻訳の任につくため前任者の家へと行ったら吹き飛ばしたはずの青年がいてひともんちゃく。さらには魔導書の中身も明かとなってそれを使ってあれこれ企む存在なんかも浮かびあがって狙われる伊織に青年だったけれども伊織が能力で立ちふさがり、そして青年もまた隠された秘密を発露させて場にのぞむ。「魔界水滸伝」に似た侍と魔法のミックス具合が程良い上に幕末の事情が絡みさらに伊織の境遇にも工夫があってキャラで魅せ、物語で引きつけぐいぐいっと読ませる。なるほど大賞な訳だ。これで龍馬とか出てきたらさらに面白そうだけれどこの時代だともう死んでるんだっけ。次巻にも期待。
【2月7日】 冷たそうな印象の眼鏡女はデレる。それが「とある科学の超電磁砲」の法則である。って言ってももはや言い過ぎではないくらいに眼鏡の女性がデレまくっていた最新エピソード。本編の「とある魔術の禁書目録」にはどういった役柄で出ているのかは知らないけれど、アニメ版の「超電磁砲」にはオープニングでもキラリと眼鏡のフレームを輝かせては冷たそうな表情を見せていたりするから、それなりの役柄を与えられているのかと思っていたら、寮監としてあのレベル4だかの黒子を瞬殺。そんなあたりに相当な力の持ち主だって想像が浮かぶ。
1分の門限破りも許さない厳しさは、口言うだけなら容易いもののそれを護らせるのは至難の業。権力を嵩に来たところで大人なんてと反抗したがる世代の少女たちに通用するものでもない。けど寮監はすべてを畏怖させ絶対権限を隅々にまで浸透させている。これはやっぱり凄い人だと想像するより他にない。そんな凄い人が頬を赤らめ男性あいてにデレる。もうとろとろになるくらいにデレまくる。何と素晴らしい。何とかわいらしい。赤いジャンパーを持ち出して着直して昔の男を思う固法先輩くらいにいとおしい。
そんなかわいらしさを見せる寮監になびかない男がいるなんて信じられないけれど、世の中はそんな男ばかりみたいで、哀れにも寮監は相談はされても関心を持たれず意中の男は余所の女性へとなびいてひとり取り残される。心の準備をしていたのに。勝負服まで着ていたのに。そんな彼女にやっぱりデレまくってた眼鏡女の固法先輩みたいな意中の相手は現れるのか。それとも出ないまま今回を最後にオープニングだけの人になってしまうのか。再起を期したい。そしてデレるなり圧倒的なパワーで黒子の首を狩りまくってもらいたい。つか名前はやっぱりないのか寮監。
午前11時からの入場ってことで、ゆっくりと起きて準備をしてから「ワンダーフェスティバル」へとゴー。何しろ会場が前回から「幕張メッセ」へと移ったんで家から30分もあれば行けてしまうのだ。これ便利。でもって入場してざっと見渡して会場のあまりの広さに、どこから行けば良いか迷いこっちが前回は企業ブースだったと1ホールの方へと向かって歩く途中、「サマーウォーズ」から「キングマズマ」のガレージキットを発見。格好良かった。他にカズマとかいるんですかと尋ねるといたらしいけどどこかは不明。あるいは「サマーウォーズ」物はあったかも気になったけれどもあまりの広さにチェックできず、時間もなかったので流し見して面白いものがあればチェックする方式へと切り替える。
でもって西島大介さんの「世界の果ての魔法使い」に出てくるらしいしっぽ犬のぬいぐるみなんかを見かけて、作った人と話をしていたらタグがすごいと教えられ見たらシュタイフのパロディだった。シュタイフ知らないと分からないくらいの似せっぷりにして偽っぷり。そんなのがついたしっぽ犬もなかなかに素晴らしかったけれど、手持ち不如意な上に容量もあって家に置く場所がないと判断し断念する。西島さん物はそれくらいかな。でもって1ホールは前回と違って企業ブースではなくアダルトブースだったんで、とって返して企業ブースへと向かう途中で「絶対少年」を筆頭に、オリジナル系のアートフィギュアを出している一角を発見。鎌田光司さんのゴスなウサギ1万5000円が2つセットで売れていく様に人気のほどを知る。可愛いもんなあ。
twitterで岡田斗司夫さんがピックアップしていた、街とマッチをかけたジオラマの鉄道模型の精巧さに感心し、小さいペンギンのフィギュアの愛らしさに溺れロンドンからくり博物館にあったような可愛いからくりに見入り、そのからくりで人形が自動書記するからくりに驚きつつ、そこを後にして企業ブースでリボルテックの特撮シリーズの完成度に感嘆。アニメに始まってロボットなんかもいっぱいやってそして特撮。ネタはいくらでもあるんだけれどそれを形にしてみせる開発力はやっぱり凄い。「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のジャックの出来が異様に良かったんで出たら買おう。「コララインとボタンの魔女」も出ないかなあ。
TVチャンピオンなんかで大活躍している原型師の寒河江弘さんのブースもあって、キューティーハニーのテレビ実写版「THE LIVE」から飛び出したキャラクターの表情の、とてつもない高い似てるっぷりに流石と感嘆。ハニーは赤ハニーが原幹恵さんもそっくりなら青ハニーの水崎綾女さんもボディラインも含めて超そっくり。これに白ハニーも加われば勢ぞろいとなたけれど、そこは押さえて敵キャラを1つとあと違う原型師の人による美形男キャラのフィギュアを出しててこれまたそっくり。女性に大受けしそうだったけれども女性で買って組み上げられるんだろうかって考えると、これを原型にコールドキャストとか作れば結構売れそうな感じがした。
っていうか寒河江さんのリアル系の似てるっぷりの凄いフィギュアが、どうしてもっと世の中に出回らないんだろうかといった不思議さも。あんなにアニメキャラのは出てるのに。やっぱり本人がいるってところが商売のラインに乗せづらいのかなあ。仮にジャニーズの人とかをジャニーズがオフィシャルで作れば10万円だって買う婦女子がいそうなんだけれど、それはやっぱりいろいろと難しいことがあるんだろうなあ。実際のところ男子のモデラーだってハニーを買って展示品と同じクオリティで組んで塗れる訳じゃない、ってところに写実系の悩ましさがあるのかも。良い物見せていただきました。
「特撮魂」を刊行した川北紘一さんがサインをしている姿を見つつ、コスプレイヤーがカラオケで熱唱している姿を拝みつつ会場を後にして新宿へと向かう前に家に戻って一休み。こーゆー時にも「幕張メッセ」が会場って地の利が活かされる。そして適当な時間に家を出てから「ロフトプラスワン」へと向かい「マイマイ新子と千年の魔法」をこれからいかに再び世の中に宣伝していくかって会議を見物する。最初はどんな感じで盛り上がっていったかって説明があって、それから後半に会場からいろいろな意見を募集。ジブリのマークを入れれば売れるという意見もあれば、ジブリと覆わせることで逆にいつものジブリなんだなと見に行かなかった人もいるという意見もあって、作品を宣伝することの難しさって奴を強烈に感じさせられる。
試写みたいなのを再びやって、情報発信力のある人に見てもらうことで口コミで届く範囲を広げるとかいった意見は実現もできそうなアイデア。あと応援バナーのようなものとか。孫と祖父祖母がいっしょに見るとかお母さんたちとのアクセスがありそうな場所で宣伝するとかいった意見も。そんな活発な意見が繰り出されれば繰り出されるほど、これが公開の前後にどうして出来ていなかったんだろうかという後悔なんかも生まれてくる。公開2日で動員が見えてしまっ、てあとはそれに応じて上映数を決め期間を決めてしまうというこの興行における状況が、「マイマイ新子と千年の魔法」の場合は悪い方に働いてしまっただけに。
そうした見切りの是非については経験値的に割に適切だったりもするんだろーけれど、そうでないものがないという可能性はない、というよりあってしかるべきな訳で、もしもこれから「マイマイ新子と千年の魔法」がリベンジの様相を見せていけば、公開2日ですべてを決することの無意味さとはいわないけれども難しさを、世間が気づいていろいろと考えることになるという、そんなききっかけが今生まれつつあるんだといった意見もマッドハウスの丸山プロデューサーから飛び出してた。何年もかけて作り上げたものが公開2日で没にされかねないことへの作り手としての無念さと、それでも諦めないで挑み続ける強さって奴が感じ取れるご意見。もしも歴史が変わるとしたら、そのきっかけになった1夜がこのイベントで、そこに居合わせられたことはあるいは凄いことだったんだと、後になって思うためにも何か出来ることをしていこう。とりあえず記事書こう。問題は読んでくれてる人が少なすぎることか。ダメじゃん。
【2月6日】 そうか朝は「ニューヨークバーガー」は売ってないのかと豊洲にあるマクドナルドに入った午前6時45分。ユナイテッドシネマ豊洲で午前8時から“はるきえ”、あるいは“はるしょう”とでも略されるんだろう劇場アニメーション映画「涼宮ハルヒの消失」の予約をしてあったんで、それに間に合うようにと午前5時40分に妹に猫ごと引っ張られることもなくちゃんと起き、午前6時過ぎに家を出たら案外に早く豊洲へと着いてしまってさすがにまだユナイテッドシネマ豊洲も開いていないんで、朝食がてらに休憩。小室やら鈴木あみやらといった90年代Jポップがあれやこれやと流れてた。誰の趣味だ。
実は前にテキサスニューヨークカリフォルニアハワイの4つが勢ぞろいして売り出した時に、ニューヨークだけは食べていてさっぱりとしてたっぷりとした食感に、こいつはテキサスバーガーより好きかもって思っていただけに再発売時には再体験、してみたかったけど今回はパス。とりあえずダブルエッグマフィンを食らい、頃合いを見計らってララポート豊洲へと入場。別方向へと走っていく子供は「キッザニア」行きかあ、もう開業してずいぶんと経つのに相変わらず凄い人気だ。このご時世に繁盛の秘訣、アミューズメント屋やゲーム屋が学ぶところがあるとしたらどこなんだろうなあ。
そして「涼宮ハルヒの消失」を見終わって感じたこと。1984年のちょうど今と同じ季節に、僕たちの世代が劇場で「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」を見てその瞬間にかけられたまま、これまでの26年間という長い時間をまったく解けずに来てしまい、真っ当な世界への出口なんて求めず非常識で非日常な時間が、終わりを知らないまま繰り広げられ続けると良いなという願い抱いて、ずっとさまよい続けるという呪いを、2010年に「涼宮ハルヒの消失」を見た人たちもかけられてしまうんだ。そして26年が経ってやっぱり同じような話が作られて、26年前と同じ感じを味わっているなと思いつつ、面白がりつつ嬉しがりつつ我に返ってそれで良かったのかな? とちょっぴり悩むという妙な気分になったりするんだ。
それはつまり未来にも同じくらいに面白い作品が作られるってことでもあって、アニメ好きとしてはとっても嬉しいんだかれども一方で、26年前に「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」という物語の全体から感じたメッセージなりへのインプレッションとはまた違う、もっと単純に長門有希ちょっと可愛くなっているよね的な直裁的な反応を、そこだけダイレクトに受け止め味わい喜ぶだけに止まって、メッセージの部分は綺麗さっぱり忘れてしまって、次だ次ってばかりに別のキャラの即物的なビジュアルへと向かって愛でていく感じになってしまう可能性なんかも想像できたりする。どっちなんだろう?
たぶん1984年頃ってアニメでも漫画でも情報が少なく情報源も少ない上に作品だって少くって、そんな中をようやく出会えた最高の作品にのめり込むということが、そこに描かれた世界と同様にとっても居心地が良くって楽しめる行為だった。だからそれが永遠に繰り返されることに憧れ、それが永遠に繰り返されることを称揚するドラマに強く共感し、作品自体の客観性におけるすばらしさとはまた違った、絶対的な神の位置へと「ビューティフル・ドリーマー」を祭り上げてしまった。対して今は情報はあふれ作品も山とあり、メディアも多様化していて、内にこもり沈思するより外に吐き出し消費してそしてさあ次って具合になっていたりする。
そんな時代なだけに「涼宮ハルヒの消失」が、その作品の客観的相対的な価値判断からではなく社会的世代的な位置づけとして、21世紀の「ビューティフル・ドリーマー」にはなり得ないと考える方があるいは良いのかもしれないなと、帰り際に電車で長門かわいいよ長門と話している若い観客の声を聞きながら思ったりもした。実際可愛かったしなあ、長門。キョンに迫られる場面でのフルフルと震えがちな脚とかもう実に。そんな長門をあっさり見切りやがってキョン。あそこで迷い葛藤しないところが何というか次がたくさんある現代なんだなあという気もしないでもない。「責任とってね」って言われないもんなあ、キョン。あるいはジョン・スミス。あの言葉、または呪文があったことが「ビューティフル・ドリーマー」に僕たちの心を縛り付けた。この呪文がないことで「涼宮ハルヒの消失」は人を縛らないまま違った道を歩んでいく。そう思っておくのが今はいいのかな。26年後にまた考えよう。
会場を出てから渋谷へと出て井の頭戦で吉祥寺とめぐって時間をつぶしつつヨドバシカメラで「意志の勝利」のDVDなんかを買いつつ、これを見てプロパガンダを学べば存在感が希薄でお声がかりがきわめて少なく、目立たず敬われず誹られもしないけど認められない身も、少しは押し出しが強くなるかと考えたけれどもそうするにはレニ・リーフェンシュタールがいてアルベルト・シュペーアがいないと無理だよなあ、やっぱり。「野ブタ。をプロパガンダ」って小説とか書けるかな。ってなことを考えながら井の頭戦を明大前までとって返して乗り換えて調布方面へと向かい、飛田給で降りて味の素スタジアムでサッカーの東アジア選手権だかの試合を見る、女子だけ。
何で? ってそりゃあ女子サッカー観戦家だからってこともあるし、女子の方の試合が面白いってこともあるけどやっぱりこの真冬の夜にサッカーなんて観戦するもんじゃないって気がしたからかなあ。スタジアムに暖房でも入っていりゃあ別だけど、そうでもないスタジアムに頑張って居続けて退屈な試合を見せられた上に、ほらこんなに人がいるんだから秋冬だって大丈夫じゃないかと会長なおっさんの無茶の理由付けにされるのは適わない。実際に午後3時半から始まった女子の試合も、後半に入ると日が沈んで日陰になって寒さが一気に強まり指とかカチカチ。これが夜になったらもっと気温は下がって立っているだけで体が凍り付いてしまう人が出たって不思議はない。
そこにルーニー選手とかクリスチアーノ・ロナウド選手とかがいるならまだしもいるのは……。ってことで女子の澤姉さんの大車輪の活躍と、宮間あや選手の鮮やかなフリーキックと近賀ゆかり選手の頑張りと、そして16歳だかの岩渕真奈選手のこれがA代表デビューになるんだっけ? な試合っぷりを見て満足して帰途につく。山口麻美選手も久しぶりに見たなあ。そうした海外組と国内組との間でもっと連携がとれてくれば、パスの方向が選手の向かう方向とズレたりすることも減ってもっとポゼッションが高まり攻撃にも厚みが出るんじゃなかろーか。期待出てきた。
それにしても澤穂希選手って男子の楢崎選手に中澤選手に継ぐ年齢になるんだなあ、男女合わせると。っていうか山郷のぞみ選手って男子女子合わせた誰よりも年上。でもって岩渕選手は誰よりも年下。世代が広がってバランスがとれている。対して男子は……ってことろに男子の問題の根がありそして女子の強さの理由もあるのかもしれない。とか言ってたらテレビで男子が始まった。中国むちゃくちゃうまいじゃん、テクニックもあるし組織力もあってなおかつ高さもある。これで海外組が加わったら日本なんて軽く蹴散らされてしまいそうな予感。2014年。ヤバいかも。ってかすでにして2010年がマジヤバい。誰か何とかしておくれ。
【2月5日】 放っておいたら新しいエピソードが放送されてしまうんで「デュラララ!」のアニメーション版を見たらセルティがしゃべってた。まあいちいちもって携帯情報端末に打ち出された文字をアップにしていちゃテンポも悪いし目にも毒だし耳が不自由な人にだって申し訳ない。だから声をつけてくれるのは有り難いんだけれどその声がいったい誰がベストかって考えたところで、起用されていた沢城みゆきさんのちょいぞんざい系な声音がベストか否かってあたりは迷うところでもある。たぶん今の黒いライダースーツに身を包んだ首無しライダーとしてならベストなんだけれども本来の、欧州でのセルティはもっとお姫様っぽい声だったんじゃなかろうか。まあ見かけが変われば声も変えられるのが妖怪変化の利点ってことでこれはこれとして受け入れておこう。しかし話はいっこうに進まないなあ。本編では一応主軸になってた張間美香の首話。どこいった?
「楽園まで」の張間ミカさんなら順調に新刊を刊行の様子で、日本出版販売の月報あたりにトクマ・ノベルズEdgeより「星をさがして」が17日に刊行予定。どんな話なんだろう。朝日新聞出版からも懐かしい秋口ぎぐるさんが「いつか、勇者だった少年(仮)」を刊行の予定。ファンタジーかな。赤城毅さん「薔薇とサーベル」。騎士道物かな。期待は幻狼ファンタジアノベルズから出る西魚リツコさんの「石霊と氷姫」。上の刊行が遅れたけれども下もいっしょくらいに出るんだろーか。田代裕彦さん「疵痕師の憂鬱」も面白そう。やっぱりファンタジー? それともミステリー? 「レンタルマギカ」が出たばかりの三田さんはあとがきにも書いてあった「幻人ダンテ」が講談社ノベルズからもう出てるはず。永井豪「魔人ダンテ」の新解釈ノベルズ、ってことはないよな。いろいろ期待。一方で散財。
日本出版販売の月報から3月末締め切りになるだろう「ザ・スニーカー」向けの一般書の候補なんかも探ってみる。まだやっていない人を個人的には基本にしているんで「バスジャック」で取り上げ済みの三崎亜紀さん「コロヨシ!」(角川書店)はちょっと出来そうもない。矢作俊彦さんの「気分はもう戦争」(角川書店)も出るみたいだけれど、これって大友克洋さんの漫画版とは違うっtけおとなの? 梶尾真治さんはまだやってないから「ボクハ・ココニ・イマス 消失刑」(光文社)は大丈夫。問題は内容はまるで分からないことか。そして山尾悠子さん「歪み真珠」(国書刊行会)はちゃんと発売、されるといいな。タイトルだけだと木村友祐さん「海猫ツリーハウス」(集英社)が面白そう。きっと六軒島で全員が逆さ吊りを喰らうような血みどろのホラーに違いない。そんな莫迦な。
朝井リョウさん「桐島、部活やめるってよ」(集英社)も「海猫…」と同じくすばる文学賞物か。石田衣良さんと対談やってるくらいの内容だからそういうものか。うーん。北森鴻さん「うさぎ幻化刊」(東京創元社)は最期くらいの作品か。もったいななあ。時代小説っぽい富樫倫太郎さん「早雲の軍配物」(中央公論新社)。北条早雲の配下の誰かを描いた話と予想。羽田圭介さん「ミート・ザ・ビート」(文藝春秋社)はちょっと面白そう。ビートはホンダのビートのこと。ミート・ザ・コペンじゃなくミート・ザ・カプチーノでもないところにこだわりとか時代感とか出ているのかな。エンスーもどきとしては読んでみたい。そんなところかなあ。1月刊行だとやっぱり新井素子さん「もいちどあなたにあいたいな」(新潮社)ってことになるのかな。まだ読んでないのです。もーちょっと本屋を掘ってみよう。
なるほど世界なんて意識しないで自分が面白いというものを素直に真面目に作っていくことが逆に世界のどこでも売れることにつながるのか。「文化庁メディア芸術祭」のシンポジウムに功労賞の受賞者として登壇した任天堂の宮本茂さんは世界で誰もが振り向くだろう超有名人でありながらも、そんな風体はまるで見せずに飄々と現れては開発にあたってのスピリッツなんかを語ってそして去っていった。1時間ちょっとの講演だったけれどもとてつもなく濃密な内容で、そこから聞いて学べることの多さにさすがは世界の宮本茂って印象を改めて強く抱く。
まず京都でずっとやっていたことが良かったんじゃないかなあと宮本さん。東京とかに出なくてmおまるで問題はなし。世界中に羽ばたきたいんだったらまずは自分の足下をちゃんと見て作りましょう、奇をてらうようなことなんてしないで、ちゃんとしたことをやっていれば世界はそれを認めてくれると言っていた。真似なんてしない。というよりまねして回りの良い物を越えようとすることにパワーをさくぐらいなら、独自に物をつくる方にエネルギーをかけるほうがよっぽどまし。その方が楽しいしいろいろな国でヒットするかどうかを考える必要なんかないってことを話してた。そりゃあまあ新しいアイデアがゾクゾク生まれる人だから言えるってことかもしれないけれど、そんなアイデアだって自分が体重を量るのが好きだったから、Wii fitを作っただけでそれが結果として売れただけだとか。きわめて身近なアイデアが世界に通じるアイデアになる。何か宮崎駿監督の作品作りに似ている部分がある。あの人も身の回りでの出来事を広げるタイプだったから。
オンラインゲームとかについてもそれは面白いって思うけど、そういうのを作れる人はほかにたくさん居るからってな意見。あとオンラインだとやっぱり対戦することへと走りがちになるんだけれど、対戦が楽しいのは当たり前で、人間は2人そろえば何かと対戦をやって時間をそれから時にお金を費やし合う。でもゲームデザインでそこに頼ってしまうのはやっぱり拙い。だからまずは対戦することなしにやってみて、それが面白ければ最後に対戦を持ってくれば、もっともっと面白いものになるんじゃないのって話してた。だから対戦に頼らなくたって面白いものを生み出せるアイデアの持ち主だから……って言ってはやっぱり逃げか。逃げずに戦える場所があるから良いってこともあるんだろうけどそれだってほとんどゼロから築き上げてきたもの。だったら他の人にもできないはずはないってことで、集まった人には頑張って欲しいもの。でなきゃ20年後に日本はないか、ガラパゴスと化してサボテンを囓っているに違いない。
気がついたら明日から東アジア選手権とやらが始まるみたいなサッカー界。でも男子の代表がどーなろうともまるで興味が湧かないってところに今の代表が抱えている悩ましさなんてものが見え隠れ。つまらないんだもんなあ、勝ってもまけてもそれがどうしたって感じ。そこから先に何の展望も見えてこない。今が40位なら次は30位で20位10位を上がっていけるサッカーか、っていうとそうじゃないからなあ。誰のせいだ。一方の女子はいよいよ岩渕真奈選手が入ってきて大活躍してくれそうな予感。今までトップチームに入ってこなかったけれども本国での開催に起用となったってことか。残念なのは巨大ゴールキーパーの山根選手の落選だけれど山郷福元海堀と上がまだまだいるんで1番若い山根選手には我慢してもらって次って判断があったのかな。ともあれここで圧倒的な強さを見せてワールドカップとそして五輪に一気呵成に走り込んでいただきたいもの。応援に行こうかな。でもってそれだけ見て帰るんだ。男子? 寒いじゃん。
あーあとしか言いようがないかな。あるいはやっちまったとか。そんなことで稼いだところで世間に堂々と顔向けできるもんじゃないだろう。というより普通だったら良心が許さない。または矜持が。なのに平気の平左とやってしまえるその性根の、どこがどんな感じになっているのかを分解してのぞいてみたい気がする。いやいや、それをやるとあまりのすごさに3日は寝込みそうだから遠慮しておこう。どっちにしたってもはや終わりの始まりとしか言いようがない事態。外に露見すれば阿呆さ加減を失笑されること確実だけれど、そうした外部の眼中にすら入らないってところに存在自体の危うさが漂う。どれだけ無茶やってもどこもご注進に及ばなかったいつかの頃合いが思い出されるなあ。その時の教訓が生かされるどころかむしろよりスケールアップした無茶がまかり通っているから何ともはや。あとはいつになるかってことか。ファイナルカウントダウン、スタート。
【2月4日】 不起訴なんだけれどもそれは法的なものであって、道義的な責任はあるとかどうとか民主党の小沢幹事長について書いていたりするメディアもあったりするこの状。だったら法律っていったい何なんだ、白黒決める規範じゃないのか、それに従っていたって色眼鏡を通されれば黒くなってしまうのかって意見も湧いて来たりするんだけれど、そうした法のスピリッツとは違った規準で思考している人たちがごくごく1部にはいたりするから何というか世の中はなかなかに興味深いっていうか。
そんなライティーなメディアが次に言うだろうことは、大相撲の横綱・朝青龍はたとえ示談で法律にらいっさい問われていない状況であるにも関わらず、潔く横綱を辞めたなから小沢幹事長も道義的責任をもってして、議員はさすがに辞められないだろうけれども幹事長の職はやはり辞めるべきってことなんじゃないかと、予想したけど果たして当たるかな。1億$$(ダブドル)くらいならベットしても良さそうな確信。とりあえず明日あたりに注目だ。
しかし驚いたというか吃驚したというか、そりゃ意味的には同じことだというか、つまりはそれくらいに動転している朝青龍の突然の廃業・引退発表。だって示談で落ち着いたんでしょ。つまりは疑惑にすらならないことで辞めてもらっては世の中の罪かどうかを争っている人にはどうにも居心地が悪くなる。小沢幹事長もそんな1人。まあそれくらいで辞めるとか言う球でもないけれど。記者会見で誰かそんな突っ込みはしなかったのかなあ。どう切り返したか興味深いなあ。
だいだいが横綱の品格とかいうけど一方で相撲って荒ぶる神様たちの代理戦争っぽさもあって、普通のスポーツの良識とはかけ離れたところで魔神たちの闘いが繰り広げられているって所が魅力になっていたりする。だから力士も一般の良識なんてものは気にしないで、破天荒さを貫き周囲はそれを驚きつつも崇め奉りながらいただくってのが一種の作法。なるほど力士の手は凶器かもしれないけれども、それを知る人がそれでも凶器に近づこうとするから怪我をするんだってな捉え方で、冷静かつ平身低頭して臨めば良いだけのことって言えば言えたりするような気がする。
そうやって破天荒な姿を平静から見せつつ土俵ともなればもはや人間の感覚なんて打ち捨てて、ラグナロクとはこれのことだと言わんばかりのぶつかりを、繰り広げて見る人を恐れさせ戦かせればもう力士として完璧。そうした非日常への憧憬をもって人は国技館などへと集まり相撲を見る。スポーツなんてものじゃない。もしもスポーツだって言い張り、だから健全性が尊ばれるんだと言うのだったら、あんな巨大な脂肪のカタマリっちがぶつかり合って転がらせ合うだけの競技にいったいどうすれば興味を持てるんだって言い返そう。荒ぶる神々の闘いだから相撲は見ていて素晴らしい。
そんな荒ぶる神々の日常に人間の良識なんて通用しない。従って朝青龍の日常なんでどうでも良い。ましてや示談で収まった事柄をもって糾弾するなどもっての他。なのにやってしまった相撲強化とあと良識ぶってるメディアの面々。そうやって不世出の大横綱を引退へと追い込んだ。この過ちはいつかきっと還ってくるだろう。すでにして朝青龍くらいにしか話題性をとれなかったメディアにとっても、そこにすがった協会にとっても強烈な反動が向かうだろう。年に4回くらいの興行になってしまうかもなあ、相撲。
せっかくだからと六本木の青山ブックセンターに新井素子さんのしゃべりを聞きに行ったらとてもとてもよくしゃべってくれていた。あんなにしゃべる人だったんだ。最新刊が出たとかで買ったけどまだ読んでないんでネタの発覚は困るかどうかと心配したけど、しゃべってくれたことのほとんどが、スラーッと頭から抜けてしまって耳に残っていないんで、まるで気にならなかった。これが老人力(ろうぢん・ちから)というものか。むしろ残ったのは、日本SF作家クラブと日本推理作家協会の違いで、推協は社団法人でちゃんと健康保険もあるけれど、SF作家クラブは親睦団体でお墓参りと温泉と励ます会がメインです、だからまるで性格が違いますってな話をしてくれてた。
どっちもまるで無関係で、健康保険が温泉でもその有り難みに触れる機会もほぼ永遠になさそうだけれど、傍目から勝手に思うなら、あれだけの人数がいたりするSF作家クラブが、未だに親睦団体として全体のまとまりを大事にして運営されているすごさと、それから身動きのとりづらさって奴なんかが、あるいはあったりして、それが推協の活発さと比べて、ちょっと違うフェーズにあるんだて印象の要因になっているのかも、てことが浮かんできた。
それなりに年輩な人たちが、SFの火をともし続けようと頑張っていて、それに若い人たちがあんまり絡んできてくれないのは、全員が仲良しの親睦団体であるという存在意義を持っているが故に、そうした親睦の真ん中で頑張っている中堅ベテランの人たちに、まだ若い人たちは絡めないまま遠慮して、そして遠くから応援してしまうスタンスに、陥ってしまうのかも。どっちにしたって無縁であることには変わりがないので、「未踏の時代」で福島正実さんが必死の思いで立ち上げた、SF読みなら誰もが夢見てあこがれる組織としての輝きを、いつまでも放っていっていただきたい、それをファンとして、遠くからまぶしく思いつつ眺めていきますと言っておこう。
【2月3日】 大人の事情って奴はそうかそのまま斬魄刀のシリーズを続けるってことなのか「BLEACH」。それもちょっぴりコミカル風味に。村正亡き後にも斬魄刀の実体化は解けずしっかり現れる染白雪ほか愉快な奴ら。それより問題は死んでしまった死神たちの剣を抜け出し実体化していた奴らが持ち主の死にも関わらず居座り現れ悪さをしているってことで、そいつを刀獣とかって名付けて退治する役目がルキアたちに降りかかる。
今回は一護たちの出番はなしに尸魂界を舞台にしてルキアの成長話に持っていくって算段なのか。一護といっしょだと掛け合いでセリフも半分になる少ないルキアがいっぱいしゃべって、押さえて低いトーンの中に時々女の子っぽいうめきとか叫びとか混じっている声が耳になかなか面白い。冷静さを演じていても、感情を高ぶらせると本来の声質が漏れ出るもの、ってことなのか。まあ片桐姫子な人な訳だしな。
明けてサッカー日本代表は……なかったことにされるのか。いやそれは無理にしてもしかしなかった方がよかった感はサッカー協会な人なら誰でも抱いているのかも。いよいよワールドカップに向けてスタートを切った代表が初お目見えする試合の観客が2万人ちょい。それもほんとうかよって言いたくなる大分の地で繰り広げられたのは詰まって回せず散らしても抜けられず上げても決められないガチガチサッカー。きまりごとを繰り返しているんだろうけどその決まり事にパターンが1つ2つしかないからそこで終わると次がない。まるで去年のジェフ千葉のミラーの試合ぶりを見ているよう、って言ったらミラーに失礼か。結果として起こることは多分同じだろうけれど。代表に降格はないから衰退か。
だいたいがこの期に及んで必須を終えて一般教養とかいっている時点でもう阿呆かと。必須ってのが予選突破ならそれからの期間で一般教養を詰めておくのが学生のたしなみってもので、本番すなわち卒業を控えたこの時期にやるのは専門科目であったり卒論の制作といったより高度な勉強。より専門性を高めて磨き上げそしてそれをまとめあげて1つの論文に仕上げる作業をこの時期にやっておかなきゃ卒業すなわち本戦でのグループリーグ突破はおぼつかない。といより無理だよな。あるいは岡ちゃん大学では一般教養しか学ばずあとは体育の授業を受け続けて卒論も書かずに卒業したのか。その経験が自分の指導に出ているのか。うーん。困ったなあ。もう襲いから次だ次。次って誰だよ。
貴女の小津杯を云々といったら今は無き「週刊宝石」の人気企画だったりしたけれども、少年向けの週刊誌にすらボウボウとした毛が映っていたりする昨今に、乙肺なんぞ見えてどうかというと、そこは見られそうもないものが見られるという喜びなんかもある模様。「週刊SPA!」でもって今時のデフレなご時世にいったいいくらで見せれくれるんだ的特集をやっていた。男性向け週刊誌でも異端だった「週刊宝石」のワールドがサブカル誌の世界にも広がって来てしまっているということか。世の中全体が週刊宝石化してしまったってことなのか。
幾らで見せるって「円環少女」の全裸錬金術師、セラ・バラードだったら無料なんだけれど、そうでない一般人でも9800円で同じくらいのことをしてくれていたり、先っぽまでをも含めつつアンダーウェアも込みで6000円だったり、上だけで1万円だったりといろいろな値段があって、それぞれに見せる側の自意識なんかも含まれているようで心理分析なんかをするといろいろ面白そう。もっともこれをたとえば実地でやったらぶん殴られること確実なんで、ここは彼女だったらどこまでがいくらかを想像しつつ、その上で見られるだろう形を妄想するにとどめるのが奥ゆかしい日本人なんだと理解。セラ・バラードコスプレとか誰かしてくれないものか。
古来より日本で人を化かすのは狐狸の類、つまりは狐や狸だって言われてきたけど、文明開化に高度成長を経た今時の日本で、狐や狸が人の大勢住む場所に現れては人に悪さをするなんてポンポコな話はなかなかない。代わりに人里にあふれ出したのは、ペットとして飼われていたアライグマやらフェレットやらの外国から来た動物たちに西洋タンポポとかセイタカアワダチソウのような外来の植物たち。動物については飼ってみたのは良いけれど、面倒になったり持て余したりした飼い主に捨てられ気候の合わない日本で路頭に迷うハメとなる。
そんな動物たちの身勝手な人への恨みは増すばかり。妖怪となって人にとりつき悪さをしたって不思議はないけど、そこに立ちふさがったのが28歳派遣社員のマタタビ潔子! というより彼女が飼っている猫の魂“猫魂”で、血筋から憑き物を引き寄せる力を持った潔子に入り込んでは、彼女に近寄ってきてあれやこれやとちょっかいを出す外来種の妖怪たちを引きずり出し、ペロリと喰らって始末する。まるでニャンコ先生だね、「夏目友人帳」の。
朱野帰子さんって人の「マタタビ潔子の猫魂」(メディアファクトリー)はそんな妖怪退治のストーリーに、外国から入ってきた動物や植物がはびこってしまう問題とか、職場 で正社員から見下され、こき使われる派遣社員の苦労なんて社会性を持ったテーマなんかが織り交ぜて描かれてい作品。退魔物があふれかえったライトノベルではない第4回ダ・ヴィンチ文学賞大賞作を通ったってのもこのあたりが要因か。そういやボイルドエッグズ新人賞もやっぱり退魔物だったっけ。こっちは日本の衰退と中国による買収、そして性商売って主題が入ってライトノベルとは一線を画してた。ネタを引っ張りつつ社会や経済をかぶせるってのがこれからの一般小説のトレンドかも。
読めば潔子と似た境遇にある人たちなら、自分にだって猫魂が憑いてくれたら良いのにと思えてくる展開。残念ながら現実には猫魂はいない。猫魂がついていないと本当は地味では気弱な潔子が頼る「孤独を愛せ」だの「さあ笑おう」といった占いの言葉も、結局は気休めでしかない。頼れるのは自分だけってことで、潔子を助ける猫魂に学んで、嫌味な同僚も理不尽な上司も蹴散らす術を覚えよう。
【2月2日】 ニンニンの日。ニンニンって何? 撮り溜てあったいろいろを見てとりあえず「とある科学の超電磁砲」の黄泉川愛穂の「じゃん」は多すぎるじゃんと思ったじゃん、じゃん。どこまでじゃんを着ければいいのやら。しゃべる方もそのじゃんにどんな意味とか意図を込めたら良いのか悩むだろうなあ。でもって鉄装綴里はあれで普段着だと着やせするのか前のオープニングみたいにユラユラとさせてくれなかった。というかお風呂場のシーンだと黄泉川の方がでっかく見えるんだけれど。引っ込み思案な性格が胸を張らせず前へと突き出させず、従って絵でもはっきりとは伺わせなかったってことなのか。ファンの為に精神から鍛えて出直せ鉄装。
対して「聖痕のクェイサー」の方ではテレサが惜しげもなくさらす覚悟を見せてフロントホックに興味津々。だけれども相変わらず中身を拝ませてくれるようなシーンはなし。いつかみたいにそんなシーンに「そのままお待ち下さい」的ビジュアルが被る無様さはなかったけれども、霞ごしに見ようにも見えなくっても見えた気になれる描写でもなくやっぱり忸怩たるものが残る。お話はともかくとして絵はオープニングから本編から完璧すぎる出来。誰がどう動かしているのか気になるくらいの完璧さなだけにそれで描かれるのがこれという悩みに苛まれたりする日々。まこと世の中はままならない。
テレビの方ではインペルダウンでレベル6へと向かって突き進むルフィがマゼランの前に毒まみれとなって倒れた一方でボンクレーはといえばいよいよ能力を発揮し本編ではしばらく見ないナミさんの姿をチラッとだけ拝ませてくれた。来週は正面からしっかりと拝ませてくれるのでは。でもって漫画の方はそんなレベル6から移送されたエースが大復活して青キジの氷技に対して火の強さって奴を見せてくれている。やっぱり強いんだなあエース。とはいえ白ひげがいよいよ覚悟を決めたみたいで総員退避の大号令。従うだろう海賊たちを残してひとり白ひげどこへ行く。それを見捨てるエースでもルフィでもないからなあ。やっぱりここは全員で。そのためにこそ大終結だ麦わら海賊団、とはならないか、さすがに。もうどれくらいロビンちゃん見ていないんだろう。
えっとうんと何をどう考えれば良いんだろうかこの言葉について。「率直に言えば、このスクープ記事は背景説明の不足を要因として、報道機関に求められる公平性・中立性に欠けている」。ごもっとも。報道機関にとって最も尊ばれるべき中立性と公正性の堅持を高らかに訴えた言葉のそれそのものにまったくもって異論はないし出るはずもない。ここでだから考えられるべきはそんな言葉がどんな口から出ているというかということで、ここまでのことを断じつつ話しつつそうでないメディアを誹るでなるなら自らは敢然としてこのとおりなのだと心底からの確信を抱いているのだろう。不偏不党にて公平中立。だからきっとそんな言葉が載ったメディアに特定宗教なり特有の政党なりの代表が自説を開陳するこはないし、今がまさに下野なのだと嘯いてみたりすることもない。あるはずがないしあったこともない。そうだろう? そうだよね。
妄想が自分を変えて周囲を巻き込んでいるうちは良いけれども、妄想が力となって自分自身を変化させ、世の中をすべて変化させてしまうとなったらそれはもはや災害だ。確保するなり隔離するなりして遠ざけるか、あるいは妄想に合わせて一緒に踊って妄想を収めるより道はない。ということで妄想が実体化してしまう「空想病」なる病が発生した世界では、病気に罹った人の中でも自己完結に止まらない、周囲を巻き込んでしまいがちな症例の持ち主に対策をほどこす仕組みができていた、というそんな日本で少年はある朝少女と出会う。彼女は空想病の発作で自分をファンタジーの住人と位置づけ、少年を相手に見立てて芝居ならぬ本気の言葉をたたき込んできた。そこはどうにか少女を取り巻く国の機関のガードで乗り切ったものの、発作を完結させられなかった少女は少年の高校入試の会場へと乗り込み、ひとしりきり空想を発揮した後でどうにか発作を収めて帰還する。
それで終わったかというと終わらず。少女は再び少年の前に現れては、日常をいっしょに凄そうとしつつ時折発作もおこしつつ、それでもどうにか何とか少年との日常を平穏に送ろうと臨む。隔離されて来た暮らしは誰かとの交流を持てなかった暮らしでもあって、そうした日々で積もった寂しさが、少女を少年に向かわせたのかそれともこれが一目惚れという奴か。そしてだんだんと深まる合間に、学園祭での演劇があってそこでも発作を見せた少女の心の寂しさと、身の上への哀しみが浮かんで隔離され、虐げられ差別される立場への同情とも、恋情ともいった気持ちが浮かんでくる。さらには少年と同じ学校に通うようになっった青井晴という少年の、なぜか学校では女子の制服を選んで着ている女装者としてのその裏に、もっと複雑な事情があったりすることも見えて来て、空想病のすごさと恐ろしさも浮かんでくる。
その恐ろしさが一気の撃退へ、すなわち患者の排除へと向かわないという保証はなく、それは現代にもある異端とみなされた者たちへの、言われなき差別へと向かいかねない恐れと重なって身を苛む。そこで踏みとどまるには何が必要か。勇気か。愛か。それとも踏みとどまるべきではないのか。それはあり得ないならやっぱり愛する気持ちを育むしかないのか。ぐるぐると回る思考の向こう側に浮かんで来る、少女と少年のそれでも僕が君を守るんだ的なかっこうよさが、やっぱり虐げるより退けるより愛して受け入れる気持ちよさって奴を感じさせてくれる。田中ロミオさんの「AURA 魔龍院光牙最後の闘い」がリアルな社会に止まったままでバーチャルも含めて愛するべきだと唱えるならば、本田誠の「空色パンデミック」(ファミ通文庫)はバーチャルな世界でリアルを感じて慈しもうと訴える物語、って言えば言えるのか。なかなかの意欲作。そして傑作。とりあえず青井晴がお風呂の時にいつも何を考えているのかを知りたい。自分にはやっぱりそう見えるのかな。ぺたんで、ぶらんと。
【2月1日】 2月になってしまった。残りはあと11ヶ月。それだけ経てばお年玉がもらえてたっぷり休める年末年始が来ると思うと身にもやる気が満ちる、訳ねえな。しかし相変わらずなんにもない1ヶ月だった。新年会の類もなければ賀詞交換会の類もなし。1つ行ったくらいでそれは本業絡みの半ば取材で、文筆業絡みの方では駆け出しの下っ端にかかる声もないらしく、どこにも行かず招かれず抽選会の類にも参加せず。当たったところで飾る場所もないから別に良いんだけれど、そういった華やかな場に出ていける身にいつかなりたい者だと呻吟。あと10年も書き続ければきっと日も射しこむだろう。でもって弱った身に耐えられずグズグズと灰になってしまうんだ。
そんな灰になる種族がわんさか出てくる「ダンスインザヴァンパイアバンド」を見たらミナ様のリボンがピコピコしてた。あれはどういったタイミングでピコピコするんだ。嬉しい時か悲しい時か振り向いた時かそれとも。探ると正体も弱点も見えてくる。訳ないか。さらわれた生徒会長はいろいろいたされているようで今後の登場に期待。漫画のような陵辱された姿での登場はあるんだろうか。一方で送り込まれた女性リポーターはテレビ向けに押さえた露出。とくに胸元。腹はどばっと出たけれどもそれも一瞬で杭をうたれて灰になってしまったよ。服とかもいっしょに消えたのに爆弾だけが残ったのは何か理由でもあるんだろうか。演出だな。そして来週には再び学園での騒動か。ミナさまの切る啖呵に知的興奮を味わおう。
吸血鬼といえば漫画の単行本が出ていた秋重学さん「アンリ・ザ・ブラッド」(小学館)が絵的にスタイリッシュな上にエロティックで、「ダンスインザヴァンパイアバンド」とは違った興奮を与えてくれる。高いところから飛び降りて死んだはずの姉の杏里が火葬場で今まさに燃やされている窯から現れ無傷でにっこり。そりゃあ誰だって吃驚するはずなんだろうけど、まさか怪物になっているとは思わなかったか信じたくなかったか。そのまま日常を取り戻したかに見えたけれども、実は屋上で吸血鬼にかまれて吸血鬼と化してしまっていた杏里。双子の弟くんを餌にしながら学校にも通って美しい様を見せつけている。
そんな彼女に迫る追っ手。なにやら薬でもって強靱な体力を得たヴァンパイアハンターらしき存在が、行く先々で現れヒロインの杏里を脅かす。まあ撃退してはみるものの中には強力な奴もいて、秋葉系アイドルのメンバーに混じって杏里を襲って追いつめつつも反撃をくらって退場、したかとおもったら立ち直って再び杏里の前に現れたりしたその先で、杏里を吸血鬼にしたユリアなる始祖的な吸血鬼を迎え入れる。実は裏でヴァンパイアハンターを作ってもいたユリアの目的は。でもって杏里にかまれ続ける弟の運命は。ってなストーリーも気になるけれども、やっぱりそれなりに肉付きがよくって性格も暴虐な杏里のキャラクターが素晴らしい。「モバMAN」ってことは漫画サイトの連載か。こんなのもあったりするからネット漫画も捨て置けない。
漫画といえばいよいよ佐々木規子さんのバカテレビパーソンズストーリー「チャンネルはそのまま!!」(小学館)の第2巻が発売になって、冒頭から北海道☆(ホシ)テレビの広報部長が見目麗しい姿をさらしてくれている。いったい年齢は幾つなんだって想像はしても聞くのはちょっと怖いそのたたずまい。ニコニコとしてマスコットのホシイさんに入って踊ったり人を入らせて踊らせたりする傍若無人さは、未来の雪丸花子を思わせる。アナウンサーの花枝まきは真っ当なのに、ほかの女性社員ときたら。でもそんなナチュラルに天然なキャラクターが破天荒さを通り過ぎたバイタリティをテレビに与えているのかも。頭脳的にまとまりすぎてたり、関係者から回されるお嬢様だったりが多くなってしまった在京のキー局が衰える訳だよなあ、なんて。
気がついたら貴乃花親方が日本相撲協会の理事戦に当選していて仰天することしきり。脱藩組をかきあつめたって届かなかった票なのに、ふたをあけてみれば無記名だったからなのかプラス2票がどこかからの買って当選ラインの10票に達してた。あおりをくらって当選確実だった1人が落選の憂き目に。もらえる給料も惜しいんだろうけれどこういう音され方って精神にもダメージをくらいそう。あとはそうやって当選した貴乃花親方が、理事としてどこまで権限を獲得できるかってところなんだろうけど、どうせ理事長の即断即決な体制では添え物的な活動しかできない、って感じが今んとこ。そうした疑義を乗り越え何かやってくれるのか。それが何をもたらすのか。生まれてこの方見てきた相撲の世界が大きく変わるこれが転機となるのかな。野球でいったら江川問題くらいのインパクトを後世に残すのかな。むしろ再編問題の時くらいか。とにかく今後に注目。その処遇も含めて。
科学は人を幸せにする。けれども科学だけは人を幸せになれはしない。幸せになりたいと思う気持ちがあって人は科学の力を身に取り入れて幸せになる。幸せになりたいと思う人には科学は何の幸せももたらなさない。科学のすごさと科学の限界。戸田誠二という漫画家の連作短編集「スキエンティア」には、そんなエピソードがつづられる。たとえばとある女性の場合。何をやっても自信がもてず限界と思いこんでいた彼女が、人格を乗り移らせる科学の力を体験した。老婆がやりのこしたことを若い体を使ってやりたいと言って、女性の体に人格を乗り移らせて自在に動かし、その様を映画を見るように体験した女性は老婆が元の体に戻った後に、死のうとは思わず自分でもできるはずだと自信を取り戻して幸福を探して歩み出す。
誰かを好きにさせられる惚れ薬を手に入れた男は、誰かにそれを飲ませるのではなく、自分自身が飲んで先輩の女性に惚れた勢いで告白する。なかった自信を惚れる力で高めて挑んだ告白は成功して、先輩の女性といい仲になっていったもののその先で仕事が重なりぶつかりあったりもして苦悶し、果てに惚れ薬をのまないようになって彼女との仲を後退させようとした矢先。片づいたプロジェクトの帰結に彼女が見せた涙顔が、男の心を動かしよりともどさせる。薬はきっかけ。ひとつの姿を見せてくれただけ。そこで得られたひとつの経験が自信となって男に前を向かせた。
最愛の夫と娘を交通事故で失った女性が、隠された技術だからと申し出られたクローンを作る技術で娘のクローンを作り、新しい娘として世に生んだ。同じ顔をもって育っていく娘に失った娘を重ねてみる母親。これが普通なら決して同じではない姿に絶望して放り出すところを戸田誠二の筆は母親が新しい娘を前の娘と重ねさせつつ新しい娘なのだという思いを母親に宿らせ、失った年齢を超えたところで一段落をもたせて、新しい生を娘にあたえ、新しい人生を母親にあたえて歩かせる。酷い鬱に悩まされていた男が鬱を抑制する一方で副作用も出る機械に身を任せ、仕事をバリバリとこなした果てに限界がきて落ち込んだ時、それでも頑張った彼を認める女性の存在が、酷い鬱からさらに落ち込もうとしていた男を奮い立たせる。
科学技術はだからきっかけで、そこから立ち直るのは人間の気持ち次第。科学を称揚しつつ人間を讃えるストーリーからにじむ温かさと、決して人間を見捨てない優しさにあふれた短編たちは、読んでいて心に強く響く。こういう話を書ける人だったんだなあ。絵柄は訥々として平板といえば平板。女性も見目麗しいと行った感じではないけれど、それだけに妙に生活感があってリアリティがあって、読んでいてジンと来る。能力を高めて詩歌の才能を開花させる代わりに、寿命を縮める機械を使ってスターとなった男と、使わないまま平凡な人生を歩んだ男とを重ねて描いたラストの1編。幸せだったのはどちらの人生か。選び方によってあなたの人生への態度も決まる。幸せな家庭も才能もどっちも得たい? それこそ機械に頼り薬に頼り自分に頼るしかないよなあ。
【1月31日】 誰のための映画って言えばそりゃあ「Fate」ファンのための映画なんだろうけど、だったらどの「Fate」ファンのための映画かっていうとなかなかに考えあぐねてしまう劇場版「Fate/stay night」。せっかくだからと公開している劇場を調べて、千葉の京成ローザ10で上映しているこを知って予約してかけつけ見物。300人くらいのスクリーンで200人くらいは入ってたのかどうなのか。少なくともオーバー100人ってのは阿佐ヶ谷で毎晩上映されている「マイマイ新子と千年の魔法」の1回分の約倍で、それが3回上映される訳だから5倍から6倍を1日で稼いでしまって、それで封切りから1週間が経ったということは2000人。阿佐ヶ谷ラピュタでのレイトショーを5週間やって追いつく数字を、たったの1週間で稼げてしまえる勘定を考えると、やっぱりミニシアターでのレイトショーでは届ける先に限界が生じてしまってどうにも歯がゆい。
もっとも生まれたばかりの「マイマイ新子と千年の魔法」と、ゲーム時代からテレビアニメを経ていっぱいのファンを持つ「Fate」と比べるってのはやっぱり無理か。だからこその数字なんだろうけれどもそれならそんな情熱を持ってかけつけて来るファンを満足させ得る内容だったかというと、これがどうにも答えづらいだけに悩ましい。ストーリー的にはやっぱりテレビ版を踏襲して、衛宮士郎が遠坂凛とアーチャーのペアによる戦いに巻き込まれてしまってそれから、自身もセイバーのマスターとなって聖杯戦争に参戦していくって展開なんだけれども途中で絡んでは交流し戦って越えていく相手だったイリヤとバーサーカーのペアが壁にもならずに脇扱い。おかげでイリヤと士郎との関係は描かれずあまつさえPG−12だなんて制限も納得の非道な描写を経てイリヤ脱落となってしまう。そりゃないぜ。
それよりなによりセイバーがほとんどザコ扱い。いやザコってのは言い過ぎかもしれないけれどもメインストーリーにほとんど絡まず圧倒的な力も出さないまま士郎を守れず、さらにはそんなサーバントとしての立場すら曖昧となったまま、決戦の場に臨まず存在を希薄化させる。あるいはゲームだとセイバーもルートの1つであってそうした展開があるのかもしれないけれども、テレビ版の総集編っぽさを残した作品って雰囲気であるならもっとセイバーの存在感をアップさせ、士郎との主従を越えつつ越えられないもどかしい関係をクローズアップさせて欲しかった。そこに凛と大河と桜が絡むってのが見ていてほほえましくもうらやまし光景だったのに。
むしろ映画は士郎とアーチャーって関係に主軸が置かれて、凛さえも脇に追いやられている風情。なるほどエロティックなシーンはないわけじゃないけれど、オープニングで踊っている「ダンスインザヴァンパイアバンド」のミナほどの色気もないんじゃどうしようもない。士郎とアーチャーについては設定としてそういった円環的な者があるって分かってはいたけれどもテレビ版に慣れた目だとやっぱりちょっと深すぎて、見ていて追いつけないところも多々あった。2人をたとえば×を間に挟んで並べる趣味のある人だったら、ああいった関係が前面に出て悪くはなかったのかもしれないけれど、そういう類のファンが押し掛けているって風でもなし。士郎のハーレムかあるいはセイバーに凛の凛々しさを楽しみにしていたんだとしたら、どこか放り出されたような気分を味わったかもしれないなあ。
まあそれでも戦いのシーンはいっぱいあって久々にぴょんぴょんと飛んでいくセイバージャンプに 大剣を振り回しながら発するセイバー雄叫びも聞けたんでこれはこれで良し。ランサーも格好良かったしライダーも出番はちょっぴりだったけれどグラマラスでなまめかしかった。そんなシーンをシーンとして楽しみつつ1人の少年が自説を曲げず自分すら乗り越えて成長していくドラマって奴を楽しめたことが、最大の収穫だったんじゃなかろーか、なんて。なるほどどの「Fate」のファンに向けているかは判然としないかもしれないけれど、これも含めて「Fate」ってワールドを好ましく思うファンのために、新たな側面を与えたプラスアルファの作品、って考えてみても良いのかな。アーチャーにランサーのスタイリッシュさに比べると、ギルガメッシュが性格もコスチュームも俗っぽすぎたのが謎。近所のとっぽい兄ちゃんじゃんあれ。
劇場を出て千葉中央にあるアニメイトを散策してめいびいさんて人のなんだかどうだかアムネジアとかって漫画の1巻をやっと見つけて、新刊の2巻とまとめ買いして外に出たら「せんとくん」のストラップがガチャポンにはいっていたんで、2回回したら普通に色つきのせんとくんフィギュアが出てきた。金色に塗られたバージョンが欲しかったのに。金色のせんとくんだからこれが本当のゴールドセント。強そうだね。帰って郵便局で去年買った飛行帽に組み合わせられそだと注文したゴーグルを受け取って、箱を開いたら妙に安っぽかったのに愕然としつつこれがアメリカなのかもと納得。ひと眠りして起きて葛西伸哉さんの「無刃のイエーガー」(HJ文庫)を読む。
人類同士の大戦のさなかに産み出された機械兵器の暴走が人類を仲直りさせ、そして新たに機械と人類との戦い向かってから100年とか経った時代が舞台のSFアクション。本来ならばプロがやってる機械兵器狩りにいずれは参画するため学習と訓練に励んでいる若い生徒たちが、力に溺れ傲慢になりつつある中で、力を持たないけれども機械兵器に興味を持って観察を続ける気弱な少年を、とてつもない力を持っていてそして性格も真っ直ぐで生真面目な少女が見初めるっていったストーリー。それはそれでありがちだけれど、力無き者が生きられる優しい世界への賛歌ってメッセージが打ち出されていて心に響いた。うん良い話。続きはあるのかな。
それから三田誠さん「レンタルマギカ 銀の騎士と魔法使い」(角川スニーカー文庫)を読んだら強敵相手の戦略が光ってこれも良かった。面白さ衰えず。新登場はニャンコ先生ってことでOK? さらに長谷敏司さん「円環少女J新世界の門」(角川スニーカー文庫)。は乱戦乱戦また乱戦のオンパレードにて、倉本きずなが迷い落ち込み立ち直っては間違いそして覚醒という怒濤の展開に、これからどうなっちゃうのか想像もつかない。遂に銃をとったきずなの最強っぷり。けれどもそれにのめりこめない惰弱っぷりが妙に歯がゆく、それでいていとおしい。人間がそんなに都合良く買われるはずないし、変わってもらっては困るのだ。そして帰結。世界は魔法を受け入れたってことなのか。もはや地獄ではないのか。だとしたらセラ・バラードの全裸も魔法使いだからと世間も受け入れるたりするのか。それは重畳。練金体系大歓迎。ただし男はいらんぞ。
【1月30日】 ネットゲームが舞台ってのは以前からずいぶんとあったけれども川原礫さんの「ソード・アート・オンライン」(電撃文庫)のヒットが加速化させたようでHJ文庫からも花房牧生さんによる「ワールドエンドライツ」って作品が登場。「SOA」ほどシリアスにシビアな世界じゃなくってごくごく普通にアクセスできて遊んで楽しめるゲーム世界が舞台になっているんだけれど、主人公の少年に限って言えばバス事故に遭遇した時に消えてしまった妹にそっくりの少女がゲームの中にいたってことで、いったい妹はどこにいて、どういう風にゲームに関わっているのかを調べようと入った先で妙な剛剣をアイテムとして与えられてしまう。
それは魔女すら切り捨てるという剣だけれども一方にはのろいもかけられていて少年に過酷な戦い方を要求する。少年らしいキャラとそして少女のキャラといった知り合いもできてゲームを進んでそして出会った3人の魔女。どうやらゲームを作った人間らしい女性だかもそこに含まれているんだけれど結局は正体はわからず目的も見えないまま、妹の行方は薮の中へと消えてしまってさらなる冒険を余儀なくされるといった感じ。直接の人死にが出ないところは気持ちに安心できるけれども、妹の不明っぷりとあと仕掛けている人間とかその背後とかが気になって、何かとてつもない事態なんかが明らかになりそうな予感もする。少年をさそったドジなところもある女性は本当にそのままの人間なのか。まあ良いそんな辺りも含めて展開を楽しんでいこう。
それからHJ文庫で清水文化さんの「すーぱー☆なちゅらる 1次元目 お子さまですいません」も読了、超能力が仕えるようになった世界が舞台、ってんだけれどその能力には物理法則だか何か理論めいたものがあるらしい。とはいえそんな理論がとっても難解で飛躍しているから、一般人には何がなんだか分からない。おまけに力の名前が「SNP」。すなわちスーパーナチュラルパワーってんだから何をか言わんや。日本語にしたら神通力。つまりは得体の知れない能力ってことを自称しつつ、それには理論があるんだと言って世界を納得させようとするところが面白い。そんな力を使える少年少女の間に起こるドタバタは愉快痛快。一方には人が傷つき死にすら追いやられるパワーでもあるシビアさも持っているだけにどんな展開を選びどう描いていってくれるのかを、じんわりと観察していこう。気象精霊の時代から、ずっと書き続けているよなあ、偉いなあ。
録画したアニメがまるで見られない中でなぜかまっさきに見てしまう再放送の「おおきく振りかぶって」はたぶん見たい絵があるから見てしまうんだろうと自覚。それはだからモモカンであってそれもジャージではなくユニフォーム姿ででっかくまあるく張り出させたモモカンな訳だけれどそれがちゃんと毎回出てくるから有り難いやら嬉しいやら。そこだけ切り抜いて編集して30分ぜんぶモモカンなんて映像を作ってもらえたらブルーレイだって買ってしまいそう。っていうか総集編を出すくらいならブルーレイを出せばいいのに第1シーズン。第2シーズンのパッケージ化あたりでそういった話も出てくるのかな。本編は今いったいどこまで来たのかな。
土曜日だけど仕事なんで家を出て歩いていた京成船橋駅の下にある輸入食品店に山積みにされたウイスキーボンボンを発見。「マイマイ新子と千年の魔法」の公開でちょっぴり関心も高まりつつあるアイテムながらも、製造が面倒で売っている場所がなかなかないって情報も出回っていただけに、こんな場所で出会えるってのはきっと何かの僥倖、持って阿佐ヶ谷のラピュタへ出向いてレイトショーを見た後で囓れってお達しなのかもしれないけれども今日明日とちょっと行ってる暇がないのが悩ましい。あるいは7日のロフトプラスワンでのマイマイイベントに持って行って見せびらかせって神のお告げか。箱は箱でも木箱風の箱に入っているところがちょっぴり海賊風味。食べるのもったいないけどここは2つ買ったんで、1つはガリガリと囓って酔っぱらいながらへひへひと笑って足をばたばたとさせる貴伊子の真似でもして遊ぼう。
その京成船橋駅下ではペッパーランチと同じ系列のペッパーランチとほとんど同じだけけれどちょっぴり違うメニューを出してた店がなくなりトンカツ屋に。調べたらそのトンカツ屋も同じペッパーフードサービスの系列っぽい。去年あたりはペッパーランチのハンバーグが妙に食べたくって歩き回っていたのが近所に出来て嬉しいと思い通い詰めていたこともあっただけに、船橋への進出を喜び何度も通って食べていたのがここに来ての撤退。寂しいかっていうとそれが去年の夏あたりから一気にダイエットモードに入ってペッパーランチからも撤退していたんで、それほど寂しくはなかったりする。トンカツ屋もだからきっと行かないけれどお、メニュー次第次第では要検討、とくにメンチカツってのが好きなんで興味もあるなあ。どんな味なんだろ。
テレビでやっていない全豪オープンの女子シングルス決勝をネットから実況で聞いていたらなるほどサービスの間にはちゃんとざわめきがおちつくんだなあ。それがテニスのマナーって奴で不必要な時に不必要な声を発しないよう観客もちゃんと教育されている。これがゴルフだとアドレスからスイングって大事な時にチロリロリンと携帯電話で撮影したりする輩も出てくるから何というかリテラシーが反作用っていうか。集中してれば聞こえませんって言うけどトップクラスのテニスプレーヤーだってサービスには静寂が必要なんだからゴルフ選手が気にしたって不思議じゃない。しかしどうしてそんな不規則行動ができてしまうんだろうなあ日本人。選ばれた人たちが集う国会が不規則発言の応酬場とかしているからそれも道理か。学校でこれじゃあ会議なんで出来ないよなあ。ヤジに怒号に反論に水掛。まねする学校がきっと出てくるぞ。っていうか真似して騒動になったことが報道されて国会が恥じ入るようなところまで考えて騒いでみせる学校とか出てこないものかなあ。疑似国会。ああでもそんな国会も当の昔に筒井康隆さんが描いていたよなあ。僕らはSFの世界に生きている。
【1月29日】 せっかくの機会だからとネットで注文しておいた「コララインとボタンの魔女」のファッションドールが届いていたのでヤマト運輸で回収。サイズは案外にこぶりだったけれども顔の造形とかがしっかりしていてアメリカな大ざっぱさがそんなに感じられず好印象。国内に残っているのが本編でも夜に出てくる星印のセーターを着たコララインのバージョンしかなく、それはそれでコミコンで販売された貴重な品らしいんだけれどもやっぱり本編で初っぱなから出まくっていた、黄色いレインコートを着たコララインとか赤にピンクのボーダーシャツを着たコララインなんかも欲しくなってネットを探したけれど見つからない。
アメリカのアマゾンだったら在庫もいっぱいあるんだけれど日本からの注文では発送ができないみたいなんでそっちは諦め国内を漁って、かろうじてパジャマ姿のコララインのドールを見つけて発注したものの果たして本当に届くのか。期待もしつつ模様眺めを決め込みつつもう1件、3体セットを予約しているところもあったんでそっちに発注もかけておく。全部届くとパジャマがダブるけれどもまあそこはそれ、パジャマの下がどうなっているかを脱がして確かめてみるってのもひとつの楽しみだ。どうせツルリンでペタンコだろうけど。っていうかコララインっていったい何歳くらいの設定なんだろう。
拝領を待っていると間に合わないんで幻狼ファンタジアノベルズから新しく出た柏枝真郷さんの「Replace リプレイス」ってのを読んだけれどもSFかミステリーなのかやや謎。まあでも宇宙人のストーカーに困っている銀行員が出てくるからSFか。そいういうものなのか。父親が経営していた小さい書店の息子だった主人公。けれども父親が事故で急死し後を継ぐ羽目となって頑張ってはみたものの、世の中の流れにのって経営が立ちゆかなくなって閉店を決定。それでは食うに困ると常連客から聞いた近所のビルにあるという職業紹介所に行こうとした時、出会った女性から上にある探偵事務所が所員を募集していると聞いてそちらに行ったら即面接で即採用となってしまう。
うまくいったのかそれともハメられたのか。ともかくも適った就職先でいきなり宇宙人のストーカーをどうにかするって仕事を任されて、解決に向かおうとした先でヤクザに拉致されるピンチへと陥ってしまう。そこで発揮されたのが主人公の不思議な力。まさしくリプレイスと呼ぶに相応しい力でピンチをしのぎ、ヤクザ組織が絡んだ事件の謎を解き明かし、さらには宇宙人ストーカーの秘密も暴き立てる。そっちはSFとはまるで無関係なんだけれども特定条件で発動する異質な力が状況を変えるって部分はSFっぽいと言ってみたって良いのかな。
キャリア警察官だったのに辞めて探偵事務所を開いた所長とか、公認会計士ってこれもこれですごい資格を持っているのにしがたない探偵事務所の経理を見ている人物とか、まだ高校生なのに盗聴にもハッキングにも通じた少年とか、一癖どころかとてつもない癖の持ち主が周囲にいたりするところも面白さのひとつ。美人だけれどあんまり目立ってなかった女性所員もそれはそれでやっぱりそれなりの力を持っていたって辺りも楽しめる。異能とはちょっと違うけど。そんな感じに幕を開けた物語がさてはてこれから続くのか。宮城さん描く絵の感じも良いだけにあとしばらくは続いていって欲しいなあ。
そして林譲治さんの「狼は猫と狐に遊ばれる」(幻狼ファンタジアノベルズ)。ケロケロ齋藤さんって人の描くキャラクターがまたスタイリッシュなんだけれども本編の方はICPOに出向している主人公らしい男が、能力を発揮するまもなく怪我をしたり気絶をしたりする間抜けっぷりを見せてくれてて、それはコミカルに向かう前兆なのかと思ったらストーリーは割とシリアスにテロリストによる事件があって、その解決にICPOの主人公と、途中で出会ったテロリストの弟を捜している女性とのロードノベル的な展開へと向かっていく。
乗った宇宙船がテロにあって大気圏で燃え尽きようとするスリリング過ぎる展開を、どうにかしのいだりする緊張感もあったりするけどトータルとして醸し出されるのは、システムから産み出されるイレギュラーな存在の意義って奴。その妥当性については一考が必要だけれど、そうしたアイディアをラストの1行くらいに集約させつつそこへと落ち着くために1冊まるまる小説を書いてしまってみせる作者の力業っぷりにちょっと簡単。んでもって撃たれてもどうしてテロリストは死ななかったなろうか。あとサドのお姉さまっぽいテロリストにはもっと活躍して欲しかったというか。雰囲気は悪くない作品。できればもうちょっとドラマが欲しかったかな。
大手町にある逓信総合博物館ていぱーくで切り絵画家で去年亡くなった滝平二郎さんの遺作展がやっていたのを1ヶ月半くらい面倒がって行かなかったら、あとちょっとの2月3日で終わりってんでのぞいてみたらこれが何とも素晴らしかった。子供の頃にむさぼるように読んだ「もちもちの木」やら「花さき山」やらの原画が飾ってあって、懐かしさにどっぷりとっぷり浸ったり、「火の鳥」とか切り抜かれ描かれた少女の凛として可愛い姿に心を沸き立たせる。
つんつり目でスレンダーで髪を後ろで縛った滝平二郎が切り抜き描く少女は、見ていると記憶のどこかに染みいっていて、ある主の「お姉ちゃん像」の原点になっているような感じ。日本のお姉ちゃんとでも言ったら良いのかな。そんなお姉ちゃんがいろいろな作品で拝める貴重な機会が身近なところで開かれていたとはちょっと不覚。最終日までにまた行ってじっくりと眺めて来よう。これだけの量が集まる機会ってしばらくないんだろうなあ。それとも個人美術館の開館とか決まっているんだろうか。散逸は勿体ないのでどこかに収蔵をよろしくお願い。ちなみに滝平二郎さんが実は「たきだいらじろう」と読むのを今更ながら知ったと白状。「もちもちの木」を読んでからかれこれ40年とか経っているのにこのザマとは。常識を常識と思わず常に調べる心がけを。
【1月28日】 目覚めると世の中はPadが入っているの入っていないのと女性の胸をまじまじと見て大騒ぎしていたりということはなくってごくごく普通にアップルが新しく発表したiPod touch LLについての品評会を繰り広げていた。ほかに言いようがないもんなあ、あのサイズにあの形。大きくなっただけっていうか。これを手にして歩いていたらどこのコンビニの検品受発注作業中かと思われるよ。あれで出来ることってiPhoneでもだいたい出来ちゃうんでしょ? だったらわざわざ買わないって。本が読める? あんな重たいものを本だって言って持ってあるくなんて。何冊何万冊も入るって? 1日にそんなに読みませんってば。せいぜいが3冊。それなら本を持っていった方が軽いって。
そりゃあなるほど書斎に山積みにされた本があそこに全部入ってしまうっていった容量的な魅力はある。でもそれは可能性。そうなるためには山積みにされている本が全部電子化される必要があるし、それを改めて買う必要がある。だったら今の本で十分だ。改めて買い直すお金があったら新しい本を買う。それを部屋にギュウギュウ詰めにしていく。それが本の人の心意気ってものだ。本読みにはだからどうてもいいっちゃあどうでもいい。っていうか過去に現れた電子書籍がそうした蔵書家にリプレースのマシンとしてはまるで見向きもされなかったって理由も、そんなところにあったりしそう。
これから本を作って売る人にとってはなるほど電子出版は可能性の宝庫。でもその端末が7キロ8キロもあるような巨大な端末の訳がない。ほかにもいろいろ使えます? それならだからiPhoneがあれば十分。あるいはそれこそモバイルギアのような打てるキーボードもついて容量がたっぷりあってすぐに起動してネットもサクサク使えるマシンのほうがよっぽど嬉しい。それすら不要って人が携帯電話でいろいろやってる。何でもできるってことは何もできないこと。だからiPadには興味が湧かない。たぶん湧かない。湧かないと思うんだけれどもでもあそこでアニメが1話1000円くらいで見られるってんならちょっと興味はあるかもなあ。流通を広げて変える起爆剤。そういう意味では興味があるし可能性もある。だから様子見。もうちょっと軽くなって安くなって電池が30時間は保つようになるまで。なるかなあ。
っていうかこれの発表を受けてiPedとかiPidとかiPudとかって言ってる人ってやっぱり日本人かなあ、五十音での母音をちゃんと分かっている人。でも外国の人もそんな変格をいろいろと試していたりするのがtwitterで流れているから発音の世界で母音ってのは万国に共通なのかも。そりゃあ同じ人間で同じ口をしているんだから当然か。問題はそんなiPedとか作ったとしてそれがどんな商品かってことだよなあ、iPed。やっぱりあれか起動すると「おはようおにいちゃん」とか「おはようございますおじさま」ってダコタ・ファニングの声で言ってくれたりするんだろうか。でもって壁紙も日替わりで世界のU−10ギャルが映し出されたりするんだろうか。うーん。世界にどれだけの需要があるかに関心。
iPidってのは割と簡単。pidっていうどこかのメーカーが作っている
屋内型の洗濯物乾燥用ワイヤー
ってのがあって白い箱形でそこからワイヤーを引っ張り出して反対側にひっかけるという装置なんだけれど、それとiPodを合体させることで携帯型情報端末機能付き携帯型洗濯物用ワイヤー
「iPid」
が誕生するのだ。GPS機能を使い天気予報情報とも連動させることでいつでも最適の日照で洗濯物が干せるという優れもの。出張の時に保っていけばホテルでわざわざロープとか借りないでもビジネスホテルの部屋でメールをやりとりした後で洗濯物も干しておけるからとても便利。洗濯物がよく乾く音楽とかも流れるらしい。ちょっと良いかも。グッドデザイン。値段はいくらになるかなあ。
ニール・ゲイマンなんでちょっぴりグロくてダークかなって覚悟はあったけれども案外に真っ直ぐに子供のうにゃうにゃを吸い上げわがままが招く恐怖って奴をたたき込む映画だった「コララインとボタンの魔女」は「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のティム・バートンじゃなくってヘンリー・セリック監督が新しく作ったストップモーションアニメーション。だけど見ているとちゃんと動くわ表情は変わるはでとてもストップモーションアニメーションに見えないことろが金の威力が作り手の根性か。ストップモーションらしさをのぞかせそれが温かみになっている合田経郎さんの「こまねこ」とはやっぱり違ってた。いやどっちも悪くはないんだけど。出来ることを突き詰められる腕と金の両立ってのはやっぱりちょっと羨ましいし素晴らしい。
ライターやってて料理も掃除もやろうとしない両親が、自分をちっともかまってくれないとすねたコララインが夜中にドアを抜けていった先にはチキンを料理してくれたり遊んでくれたりする両親がいてこっちがいいなあと思っていたとでもなかったという展開。そこに華やかだけれどちょっぴりグロテスクさも漂うビジョンが重なりそれが自在に動いて狂乱と絢爛のビジョンを見せてくれるという、いかにもヘンリー・セリック監督らしいビジュアルに仕上がっていた。3Dバージョンはそうしたオブジェクトが立体になってて奥行きがあったりして人形アニメらしさをなお増してくれる。
でも3D眼鏡はかけると暗くなるんだよなあ、はずすとコララインの暮らす家の中も明るいのに、かけるとどんより曇って見える。それがちょっぴり寒々しいコララインの心象と重なっているっていえば言えるのかも。とはいえテーマは大人の身勝手に子供のわがままが何をもたらすかって教訓も含んで親と子にとっても響きそうだし、何よりビジュアルが素晴らしい。日本人の上杉忠弘さんって人が描いたイメージをヘンリー・セリック監督がアニメに仕立て上げたってことらしいんだけれどそのイメージも含めて今までにない雰囲気を味わえる。アメリカでは当に公開されてフィギュアなんかも売り出されたみたいだけれど日本じゃあ遅れてようやく2月半ばに公開。フィギュアとかもまるで見あたらず盛り上がらないことこの上ないけど、作品としては素晴らしいんで公開に向けて宣伝していこう。とりあえず目をボタンに付け替えて行くといろいろ不思議な世界を見られると思うよ。柔らかい針だから痛くないってイチチチチッ。
【1月27日】 もちろん「THIS IS IT」はブルーレイディスク版を機能のうちに買ってあってあとは稼働中のプレイステーション3にぶっこんで再生するだけなんだけれど、抱え込んでいる仕事があれこれあってそっちがどうなるかって方が妙に気になって極上のエンターテインメントへと身を浸らせる心のゆとりが生まれない。だからやっぱり劇場で早送りも居眠りもできない環境で見ておくべきだったと思うけれどもこればっかりは仕方がない。っていうか今もまだ劇場でやってたっけ。やったってDVDとかブルーレイの売上には影響せずむしろこれが手に入るならと購入に回る人も多そうなだけに、気にせず上映を続行して欲しいもの。ついでに「マイマイ新子と千年の魔法」の上映も。音の綺麗な場所で見たいんだ、どちらも。
それから「化物語」のなでこスネイクもちゃんと購入済みで「ヨドバシカメラ」で買ったらちゃんとポスターもついてきていい気分。秋葉原でも石丸電器がこれまでの主購入店だったものが品揃えの豊富さでヨドバシへと切り替わってきた感じ、ポイントもちゃんとつくし。そうやって地場はだんだんと廃れていくんだろうなあ、せいぜいが「ゲーマーズ」「アニメイト」「とらのあな」の御三家が企画する全巻揃えた時のグッズなり何なりの提供サービスが対抗できるくらい。でもそうした店がつぶれてしまうとヨドバシでは手に入らない細かい品も出てくるから困るんだ。秋葉原から専門店が消えてしまったらどこに行けばいい? ネットがある……かなあ、あって欲しいなあ。
そんな秋葉原はふと気がつくと駅前の電気街口で日夜ガナりたてていた眼鏡屋のラップが聞こえて来なくなっていた。シャッターもおりていて移転のご案内。同じブロックの反対側の角にある石丸のテンポもずっと閉鎖中であの秋葉原をしてシャッター街ができかねないって可能性にちょっと立ちすくんでしまう。駅ビルができあがって秋葉原デパートに並ぶ店が誕生して、それからゲーマーズの向かい側にあるビルの改築が済めばあの辺りももっと賑やかになってくれるって思いたいけど、そこでだったら内を売る? って疑問もあって悩ましい。何を売ったところで売れないんだもんなあ。ユニクロとか入るのかなあ。そういや昔は秋葉原デパートにユニクロが入ってたんだった。よく買ったよなあ。あの当時はそんなに近隣に店舗もなかったし。時代は変わり秋葉原も変わる。変わらないのはこっちの境遇。むしろ悪くなっている?
あと仕事に必要かもしれないと「ナイトメア・ビフォア・クリスマス」のブルーレイなんかも購入。これってティム・バートンが監督じゃないんだよね。その監督のヘンリー・セリックが新しく作った作品がまもなく後悔になるってんで予習もかねて。実はまだ見たことがないんです「ナイトメア」。てへっ。だってあれだけ流行っているものに今さら手を出す乗って恥ずかしいじゃん、そう思って10年くらいが経ってしまったけれどもここまで来たら仕方がない。ついでにジャックがはりついた帽子もかって仕事に準備。コララインのフィギュアとかもあればなお良いんだけれど探しても品切れが多いんだよなあ。代々木にあるアメトイの専門店の人に聞いたら去年のうちに売れちゃったとのこと。日本での公開が間近って時、すなわち売り時に品物がないってのは何というか残念というか。それだけメディアミックスとか組む間もない公開だったのかも。「アフロサムライ;レザレクション」はそれでもTシャツとか間に合ったけど「コラライン」には何が間に合うんだろう? 鍵とかが人気って言われたけれどそれってまた出てくるんだろうか。
土用ったら日本じゃ7月の夏ばかりが注目を集めてそこでこそウナギは食べられるべきって印象が平賀源内先生の尽力企画力宣伝力もあって定着してしまっているんだけれど、本来的にはウナギは冬が脂がのっていて美味しいとかで、そんな冬の土用にこそウナギをたべまくるんだってことをウナギの本場の浜松が言い出したみたいで、何とこの週末に
「浜松うなぎスタジアム」
ってのが開催されるとか。鰻丼に蒲焼きに白焼きにひつまぶしくらいしか食い方を知らないウナギなんだけれども他にいろいろと食べ方を教えてくれるかな、行きたいけれども行ったところで値の張るウナギを食べられる訳でもないので遠くから様子を観察だ。県境を越えたところでもしも「豊橋ちくわスタジアム」ってのが開かれるんだったら出るのも安そうなんで行ってみたい気が、土地勘もあるし。磯辺揚げにおでんにあと何があったっけ、ちくわ料理。
なるほどこういう作家だったんだ田辺青蛙さんはプラグスーツや蛙の着ぐるみやらをまとって雑踏を練り歩くパワーを一方に持ちつつも小説では丹念に端正に淡々と奇怪な様子を描写していって不思議なビジョンを醸し出す。角川ホラー文庫から出たばかりの「魂追い」は魂をおいかける能力をもった少年が鬼だという少女と出会って2人で旅に出る物語。馬の首で寝ていた少女の鬼だったけれどもとある事件を経て眠れなくなって、元通りになる道を探って少年といっしょに旅した先で、いろりおな事件を経験し、少女の幽霊なんかにもとりつかれ、河童なんかとも出会った果てにちょっぴり切ない帰結を迎える。設定のいちいちが常識をはずれて不思議なんだけれども突拍子もないって感じではなくスルリと自然に感じられるのは描く筆の訥々とした説得力がなせる技か。面白い。けどライトノベルファンでは突拍子のなさが心をぶん回される感じを与えて敬遠されそう。表紙は文倉十さんなのに。そのあたりをどっちに向かうか、考え時でもあるのかも。
【1月26日】 言うまでもなく本放送時に「機動戦士ガンダム」の「脱出」は見ていなくって、その最終回の高まりにファンがどれだけ興奮し、感動し感銘を受けて感涙したかは時間を共にしていた訳ではないので分からないと言えば分からないのだけれど、それから半年もおかず数ヶ月後にはそれなりにジグジグと外に評判がしみ出して、多少はアニメに興味を持ってた僕の所にまで届き世間に広がり、夏にはガンプラが発売となって更に大勢を巻き込み始めたことを考えると、ある意味でイベントに近い盛り上がりが1980年1月26日には全国的に見られたのだろうと想像する30年前。
そこから始まった「機動戦士ガンダム」というアニメーションの人気がなおも続いているのはやはり過去のオリジナルの「ガンダム」のグッズやプラモデルや声優たちの頑張りによって注目が集められていたりする一方で、常に新作としてアニメ番組が提供され、新しいファンの気持ちを引っぱって来ていたからなんだけれどもそんな「ガンダム」の記念すべき30周年の年に新作のアニメが放送もされず、話題性も夏に50日間に渡ってお台場に展示された等身大立像程度。夏の終わりと共に記憶は遠のき日常の中にとけ込んでしまって、30年前のような未来につながる盛り上がりはそこからは得られなかった。
もちろんあの喧噪の中で埋め込まれた記憶は、いつか萌芽して「ガンダム」という素材への関心を生み出し子供たちを新しいファンに仕立て上げるという可能性がない訳ではないけれど、それにはやはり新作映像としての「ガンダム」が、それもしっかりとテレビで放送されている「ガンダム」が必要なんじゃないかって気がやはりする。けれども作られた新作映像はテレビではなく、DVDとブルーレイがオリジナルでそして劇場で公開されて終わりというアダルト仕様。小中学生の子供が気軽に楽しめる仕様ではなくピンポイントでガンダムマニアは喜ばせられても遍く子供に存在を知らしめ魅力で引きつけ新たに「ガンダム」のみならずアニメのファンにする機能があるかどうかが悩ましい。
テレビ放送がなくても「新世紀エヴァンゲリオン」はグッズが売れ菓子も売れ関連書籍も売れて、そして新しい劇場版にも客が集まる人気を維持して新しいファンを引きつけていれば言えるから、ああした生き方に向かってもはや悪くはないのかもしれないけれどもそれだけではもったいないという気も一方には浮かぶ。向かうべきは新たに世界観を作り上げ新たなファンを獲得していく戦略なのか、それともオリジナルを守り讃えつつその威光によって関心を引きながら共に還暦を迎え古希を経てそして…となるべきなのか。結論は出ず次の10年の見通しすらまるで立たないけれども、それでも絶対に忘れられることはないと信じつつ、30周年の年を祝って未来に関心をつなぐ1日1ガンダムの運動をここに終結する。さあ4月からはTV版「天地無用!」の放送15周年記念企画で秋からは」新世紀エヴァンゲリオン」放送15周年企画だ。やらないよ。
っていうかビデオ録画で時間を自在にして見るようになってしまった昨今に、テレビ放送の共時性がもたらす興奮が果たして伝わるんだろうかという疑問も湧いて出る今日このごろ。いよいよ始まった西尾維新さん原作による「刀語」もだから深夜ではなく朝方に起きて録画を見ていたから、あのセリフあのアクションあの滑りあの突っ込みでくすっと笑いおやっと思う意識の発露を空間を超えてつなぎ合わせて全国的に不思議な空気を作り出す、って運動に参画できなかったんだけれども所々にちりばめられたおかしみを持ったセリフとか展開に、興味を引かれたんでこれはなるほど原作の持つ力であっても、改めてアニメとして提供されて提示されていくのにつきあっていこうと決意する。たいていの人の物わかりが良く妙な正義感にもあふれておらず淡々と進んで落ち着くところに落ち着く安心感、ってのが良いのかなあ。あとはとがめを演じる田村ゆかりさんの確実性か。
たとえばこれが戸松遙さんでもきっとそれなりに勤め上げたに違いないしゆかなさんでも良い雰囲気は出せたと思うけれどもそうした面々が持つ特質とはまた違って、かっちりとして隙を残さず個性に引っ張らないで役を役として演じきっているという雰囲気。まあどこから聞いても田村ゆかりさん以外の何者でもないんだけれど、それが色ではなくって機能となっているってところにその存在の意義ってのも見えてくる。だから「なのは」の劇場アニメ化でもメインヒロインであるにも関わらず、背景となって水樹奈々さんにばかりあつまるメディアの耳目の埒外にいたんだ、ってそれは全然違う話だけど。一般メディアってのは知ってるものにしか飛びつず、そしてその知ってる範囲が恐ろしく狭いのだ。
だって田村さんと水樹さん、アニメ作品においてどっちが主役をたくさんやってて代表作をいっぱいもっているかっていうとどちらかといえば田村さんに軍配が上がりそうで、アニメを見ている人にはそれが共通認識としてあって、なおかつ田村さんが主役の「なのは」だったらそっちがメインになって報道されて当たり前ってことになるのに、スポーツ紙かんかで報じられたのは共演の水樹さんの話が大体。紅白歌合戦に登場した声優にしてアニソン歌手っていう看板があるからこその扱いなんだろう。その位置にどうして林原めぐみさんでもなければ平野綾さんでもなく水樹奈々さんがたどり着けたのか、っていった分析はちょっとしてみたい気が。実力か。タイミングか。それともそれらの複合か。
もっとも、紅白だからどうといった旧来的な価値観では計れない世界がアニソンなり声優さんの活躍する世界だし、それを言うならやエンターテインメントの世界のどこにも通用しなくなって来ている価値観でもあったりする訳で、それを金科玉条のごとくに掲げて、そのモノサシで見るからスポーツ紙も新聞もテレビも、世間との感覚にズレが生まれて収益的部数的に妙なことになっているんだろう。今はまだそうした価値観の方が多数だから保ってはいるけど、やがて情報が細分化され押しつけではない価値観を育んだ者たちが小さく寄り合えるようになっていけば、大量伝送によって最大公約数で旧態依然の価値観を押しつけてきた旧来型メディアも、ぐずぐずとその存在を崩していくことになるんだろうなあ。大変だなあ。他人事じゃないんだってば。
【1月25日】 そうか音楽が土橋安騎夫さんだから「フレンズ」がオープニングになっていても不思議はないよなあ「ダンスインザヴァンパイアバンド」。だったら同じく土橋さんが音楽やってた「夜桜四重奏 ヨザクラカルテット」では「ウェラムボートクラブ」がオープニングでもカッコ良かったかもって考えたけれどもビートの利いたサウンドにパンチの利いた声が乗っかった「ウェラムボートクラブ」では、ツンツンデレツンデレツンツンの世界観とはちょい違うからもうちょっと、出演者たちのしたたかさに配慮して「ラブ・イズ・Cash」あたりだったらポップな感じが出たかもなあ。しかし相変わらずエロっちいよなあオープニングのミナ様は。
アニメの方は冒頭からアキラとミナの同衾シーンとかがあってビジュアル的には衝撃でも実質的には婆さんも婆さんなミナとガキんちょとの同衾だからとりたてて驚き慌てる必要もないのかと。そういうものだったっけ。途中でヘッドホンの電池が切れたんで見るのは後に回して環望さんによる漫画の方のスピンオフって位置づけらしい「ダイブインザヴァンパイアバンド」ってのを読んだらこっちはこっちでミナが実に麗しいボディスタイルを見せてくれていて目に喜び。まっすぐ立っているだけで前も後ろも見えちゃうってどんだけ短いんだ。世界のあらゆる女性キャラクターはこれくらいの短さにすべきだって妄論も湧いて出てきたけれど、この短さで「機動戦士ガンダム」のキシリア・ザビが立っていたら船舶事故も増えるんでやっぱり慎みが大事ってことで。グワジンとグレート・デギンとグワリブの衝突とか被害甚大だろうし。
「ダイブ…」の方はアルフォンスん家のゴスっ子が妙にふっくらしていてそういう子でもゴスっていると可愛く見えてしまうような気がしないでもない状況に、ファッションって大事だって思ったとか思わないとか。描いている環さんはどーゆー狙いでああいったキャラにしたんだろー。ナノマシンが蠢き始めたあたりがテーマになっていてこれが裏側となって本編「ダンス…」の方のミナが追いつめられていく展開へとつながっているんだろー。ってことは本編の方にもブラジリアンなアキラが出てくるのかな、っていうかもう出てきてたっけ、1回パーッと読んだだけなんでちょっと思い出せないし、本編もそっちとは別に本アキラの過去話が中心っぽくなって来てたんでミナとの絡みでどうなっていたかがあんまり思い出せない。まっぺん(もう一度の意)読み返してみるか。みるとやっぱりミナの薄くてそれでいて丸っこいボディに目が釘付けになってしまうんだよなあ。中毒性の高い漫画だなあ。何中毒だ。
秋葉原へと出向いて山科誠さんってバンダイの社長だった人がロングテイルライブステーションなる企業で新しく始めるサービスの話を聞く。おお。アナログ映像のデジタル化だとかネット上の映像をその映像上のイメージから検索して見つけだす技術の開発だとか、1000万が同時にアクセスしても大丈夫なネット配信の仕組みだとか配信されたデータを手持ちのBDだとかDVDだとかに焼き出すトースター事業だとかと実に盛りだくさん。全部できたらすっげえテクノロジー企業として世界に君臨できそう。できればだけど。
会見を見聞きした限りでは、パートナー企業の発表もなく起訴となる技術の塩梅も見えず、コンテンツを配信に乗せるコンテンツホルダーも明らかにされずデジタル化を求める企業が具体的にどこなのかも教えてもらえず、これで公募増資とかされてもちょっと迷ってしまいそう。情熱にかけるってのも手で、そんな情熱が過去に「王立宇宙軍 オネアミスの翼」を世に送り出してガイナックスを誕生させ、バンダイビジュアルを誕生させたって考えるとたなびきたくもなるけれど、当時と違ってあらゆる技術が世界で開発されている状況下で、果たして新しい技術が日本のベンチャーによって生み出せるのかって疑問もやっぱり浮かんでしまう。あとデジタル化事業の可能性とか。
眠っているフィルムとかビデオなんかの映像は、アナログなんで地上デジタルに完全移行する2011年からは見られなくなっちゃうって教えてくれていたけれど、ビデオをDVDにダビングする機械とかが普通に出回っていたりする状況で、アナログテープをそのままダイレクトにデジタル化して送出する仕組みだって出ているんじゃないのって思えてしかたがない。映像化されさえすればあとはリアルタイムで変換するだけ。ちょっと良いチップだったら瞬く間にやってしまいそう。
もちろんリマスターして音声も改められればさらに品質も高まるんだろうけれど、それにかかる費用とそこから得られる収益を見合った場合にアナログのまんまで保管しておく方が割安って考えるところだって出てくるだろう。ロングテールだからデジタル化しておいておきさえすればアプローチはあるんだって論も立ついは立つけどそうした他品種少量のビジネスでもうけられるのはアマゾンみたいに少量を超絶多大に集められるところの話で、下にぶらさがってるところは少量を時々出すだけ。お小遣いになってもビジネスとして立つって規模にはなかなか追いつかない。回収するのに何年かかる? 1500万円を500円玉貯金したらいったい何年かかるっていった「まりあほりっく」のかなこの脳味噌計算がふっと思い浮かんだぞ。
そもそもデジタル化したら永久だなんて大昔のマック対応フォーマットの画像やら映像が見られなくなっていたり、ウィンドウズ対応ですら再生できなくなっている状況を考えればなかなか同意はしづらい。デジタル化したって保存しているメディアは劣化する。それもヘタしたらアナログより早く。そう考えるといろいろと最先端っぽいコトバがちりばめられクラウドとかって耳に響くテクノロジーもささやかれて、ふらっと身を寄せたい気持ちが浮かんだその先に、どこまでの確実性があるのかって探ってみる必要も浮かんで来る。かといって今はまだ、具体的な技術、具体的なパートナー、具体的なビジネススキーム、具体的な稼働日が出てきてないからなあ。だからしばらくは様子見。それにしても衰えない情熱には感心するしかないよなあ、山科さん。あの時にセガバンダイが誕生してたら世界はどうなっていたかなあ。
帰りがけに「ゲーマーズ」へと立ち寄って安売りDVDなりブルーレイを漁ったけれども昨日以上の出物はなくって見送り。そりゃあ「機動戦士Zガンダム」も欲しいけれどさすがに3万5000円は払えません。そんな「ゲーマーズ」では「迷い猫オーバーラン」のアニメ映像がビートの利いた音楽とともに流れてて、これがなかかなに電波な感じで耳に強く染み残る。テンポよくにゃーにゃーにゃーにゃーって声が流れるだけって言えばそうなんだけれどその声がキャラに応じて微妙に違っていたりシチュエーションに応じて感情が異なっていたりするから次はどう出るこう来たかって感じに耳をそばだててその場から離れられない。中毒度高し。ぐつぐつにゃーにゃーにゃーにゃーぐつぐつといい「にゃー」の威力はやっっぱり恐ろしい。
【1月24日】 そうだよなあ。もしも「機動戦士ガンダム」が今時の深夜アニメ的制作ポリシーで作られていたとしたら、主人公はアムロ・レイとかじゃなくってやっぱりフラウ・ボウなりセイラさんで、オープニングではそんな彼女たちが一瞬全裸になる着替えのシーンが登場して、もちろんいろいろチラチラと見えたりして、そして女性乗組員はミニスカートの上に生脚で、宇宙に出れば無重力の中をミニスカートがひらひらとしていろいろと見えたりしたんだろうなあとトニーたけざきさんの「トニーたけざきのガンダム漫画」の最新刊なんかを読みながら強く激しく同意する。
それで例えジオン軍でも似た状況になってキシリア・ザビがミニスカートに生脚で立っていたって良いじゃないかと思うのだ、だってまだ24歳だよ大学出たてのOLとそれほど変わらない年齢の女の子がミニスカートでちょいツンデレ気味に振る舞っている姿は想像するだけで可愛いじゃないか素晴らしいじゃないか。顔立ちだってあれは立場が険しくしているだけれリラックスできる場所では目尻も下がりほほえみも浮かべてエプロンなんてしながらお料理してたりするに違いない。そんな可愛いキシリアたんがやっぱりファーストで死んでしまったのは惜しい限り。ここは富野由悠季監督にZだけでなくファーストもリニューアルしてもらってキシリアが和平を成し遂げ生き延びる新しい宇宙世紀を描いて欲しいなあ、ってそれだと「Z」の世界が来ないじゃん。良いのだ「ZZ」だって来ないんだから。
「Z」と言えばふらりと立ち寄った秋葉原のゲーマーズでブルーレイディスク版の「機動戦士Zガンダム」のボックスが半額とかって破格の値段で売られていて、ついつい手が出そうになったのはひとえにハマーン・カーン様への情愛がなせる技だけれどもさすがに半額でも3万5000円となるとちょっとやっぱり二の足を踏んでしまう。手を出そうとして脚を踏むとはこれいかに。それでも探すと「無限のリヴァイアス」のDVDボックスのサウンドリニューアル版って奴が45000円くらいのところを7割引って値段になってて1万3000円とちょいで買えたんでここはやっぱりと購入。ブルーレイになったところで値段は相当に高そうだし、時代から考えればブルーレイでのありがたみってのも薄そうだし、ネーヤたんのスレンダーなボディを拝めるならこれが最高のチャンスってことで。放送ん時は胸痛めつつ見ていたけれども今見たら…やっぱり痛そうだなあ。
新曲奏界ポリフォニカが大当たり中の榊一郎さんによる初ハヤカワJA文庫「ザ・ジャグ1 汝と共に平和のあらんことを」は地球にああらしく出来た海洋都市が舞台。軌道エレベーター直下に花のように咲いたその都市は、長く続いた戦争が終わった後の世界を象徴するかのように、いっさいの争いごともない平和都市として喧伝されていたけれども、現実には様々な争いがあり、戦争の後遺症を引きずる存在によってテロやら犯罪やらも起こっていて運営する側には困りもの。さらに海底にメタンハイドレードの鉱床も発見されたとかでそれを狙って宇宙やら各国やらが主導権をとろうと躍起になってそれが原因の事件なんかも起こったりしている。
こりゃあ拙いと作られたのが、戦闘の猛者たちによる秘密部隊、通称「手品師(ザ・ジャグル)」で、普段は普通の暮らしをしていても事あれば集まりVACなる一種のロボットを駆って、戦いの渦中へと身を投じる。戦いぶりは鮮やかにして苛烈。秘密を守るという目的から敵は殲滅し一般人でも見られたとあれば消去するという噂も乱れ飛んでいる。そんな「ザ・ジャグル」たちの戦いぶりを連作形式で描いていくストーリーには、狂言回し敵に宇宙からやって来て海上都市の状況を全宇宙に発信するジャーナリストの報道士および記録士の女性2人がペアとして登場して、誰が「ザ・ジャグル」かも知らないまま存在すら秘密にされている「ザ・ジャグル」の行動記録を追って海上都市を駆け回る。
未来が舞台ってことで、コンピュータ化されネットワーク化された世界であって不思議がないにも関わらず、現場を報道士やらが駆け回るのは、情報ネットワークに巣くった電子の虫がつながるものを汚染して改変して操作してしまう危険があるからで、それを避けるには情報の転送は、取材した現場から厳重にガードされたカプセルにして転送する必要があって、そうした生の汚染されていない情報を取るために、現場を脚で駆け回る報道士たちが必要とされるようになっていた。一方でコンピューターネットワークの汚染は戦い方にも影響をもたらしていて、操られないためにネットワークとの接続を断たれ、外部からの影響を受けないように手当を施されたVACなる4メートル弱のロボットを、操り近接格闘戦を挑む必要が生まれていた。
そんな状況設定を置くことによってミノフスキー粒子がモビルスーツが生んだ如くにVACなるロボットを生み出しそれを駆って緊張感の中を戦いに勤しむ奴らの物語を紡ぎ上げたって感じの「ザ・ジャグル」。日常に紛れている凄腕たちが、いざ戦闘となるととてつもない腕前を発揮するってあたりは漫画にもアニメに類例も多々あるけれども、やっぱりどこか格好良い。人間ってそーゆーのにあこがれるんだよなあ。警察とは違った正義の組織として動いているって辺りは、懐かしいけど「ワイルド7」なんかも思い出してしまったよ。
ただ「ザ・ジャグル」がどういった権限で存在を許されているのかってあたりが微妙で、とりあえずは街を守るためって大儀にのっとってはいても、それが何かによってひっくり返されないとも限らないし、そもそもが中心にある人物なりの道具でしかなかったりするかもしれない。そして状況が変わって存在が不要と見られた時に、「ワイルド7」のメンバー同様に追いつめられ切り捨てられて、排除されてしまうって展開なんかになったりする可能性はあるのかどうなのか。それでも命令だからと淡々と始末されていくのか憤りから反発を向けるのか。
物語の中で、ザ・ジャグルの1人が仕事に取り組む動機、そしてその活動をおおっぴらにしない理由として挙げる、憎しみの連鎖が終わらない戦闘を生み出すのだったら、憎しみの対象そのものを消してしまえば良い、憎しみが外に漏れ出さないようにしてしまえば良いんだ、というロジックはなるほど正論。だけど、戦いを永遠に消してしまえるほどに人類は大人の種族ではなさそう。すべてが露見し前提が崩れ理想が葬り去られた果てに来る阿鼻叫喚を見越しつつ、その先に新しく生み出される真の平和な世界を夢見つつ、これからの展開を見守っていこう。
このりん着やせ過ぎ。革ジャンきたらとたんにぽっこりと浮き出るその胸元を眺め美琴も黒子も心から牛乳飲もうって思ったに違いない「とある科学の超電磁砲」はオリジナルストーリーへと入ってからも相変わらず能力者と無能力者との葛藤が続いてうっとうしいやら痛いやら。っていうか無能力者が狩られもしなければ放り出されもしないで学園都市の内部に居続けられるってのにはどういう理由があるんだろう。アンチスキルは仕事だからいられるとしても無能力者がそこにいたって何にもならない。出て社会を回す仕事を始めた方が本人的にも国家的にもよっぽど有意義じゃんって思うんだけれど、そう割り切れないからこそのああいった集団が現れ暴れるんだろうなあ。っていうかこのりんいったい幾つで不良やってたんだ、中学生ん時からか。
【1月23日】 国会に代議士を送り込んでいる政党なら、国民の声を代弁する存在として認めその活動を紹介するのもマスメディアとして必要な行動だって思えないこともないけれど、それだって不偏不党という主義からすればいささか偏りが見られないこともないんで、他の政党にも目配りをして公平にその言動を紹介していく必要があるのだったりするにも関わらず、もたった1人の代議士すら誕生させられなかった政党の人間を、その政党における肩書きで登場させて、政策やら信条やらをほとんど独壇場のように語らせることに果たして国民的にどれだけの意味があり、メディア的にどれだけの正当性があるんだろうか、って考えた時にはっきりとした答えを見いだせずに心が沈み込む週末。
そこにはもはや公共性もへったくれもなく、その政党を支持をしている、それも国会に代議士をたった1人も送り込めない程度の支持であっても、購入視聴の対象として頼らざるを得ないところにまでメディアも追い込まれているのかって思うと、そこの端っこで食べていたりする身として、未来を見る目にも霞がかかって進もうとする脚も迷いに止まってしまう。これが割に反体制派で鳴るメディアだったら、マイナーにも目を配ったカウンターカルチャー的な振る舞いってことで衆目の支持を集めたりもする。主流が目を背けるカルト的な存在から世界を驚かせるビッグネームが生まれて来たことだって、歴史の上にはいくらだってあった訳だし。
けど、状況としては反体制に陥ってしまったものの心情的には保守本流を標榜し、いつか返り咲きたいメディアが、対象の言説との親和性にも同意しつつ、票田ならぬ読田としての活用を狙っているのが伺えてしまうだけに心が重い。いいや、しょせんは中間管理職のつぶやき程度が流されているだけ、って思えば思えないこともないけれど、そこが突破口となって代表する人間の教宣とも言えそうな言説が、堂々と開陳されるようになってしまうとも限らないからなあ。個人の主義主張にとどまらない政党としての政治活動。それを結果として支えてしまっているって自覚をメディアは持っているのかなあ。いたってどうしようもないんだろうなあ。お腹のためには。どこまて行ってしまうんだろうなあ。
ほかにもコストの塩梅とモチベーションの状態が絡んでいたりするんだろう状況に、遠からずみんなそうなっていきかねない哀しみを覚えつつ早起きして幕張メッセの「次世代ワールドホビーフェア」に行ったら小学館の物販ブースで「BLACK LAGOON」のクリアファイルを1そろい買ってる男の子と女の子がいたんで見物。男の子は黒い半ズボンを履いて手に斧を持っていて、女の子の方は長い棒っきれみたいなものがはいった布袋を大事そうにかかえてた。くるりとまいたひもには可愛いぬいぐるみ。「次世代ワールドホビーフェア」に来るにふさわしい子供っぷりでした。でもって外で壁に貼り付けたクリアファイルのレヴィに向かって男の子は斧を投げ、女の子はBARでバラライカを蜂の巣にして遊ぶんだ。なんて子供らしい。 そんなんだったら愉快だったけれどもさすがに子供は「BLACK LAGOON」は買わないよなあ。スキットルとかも売ってなかったし、って子供が買って何入れるんだ。Tシャツくらい売っていれば来たのに「アイラブロアナプラ」とかって書いてある上品の反対な奴。そんな「次世代ワールドホビーフェア」の会場は、午前10時前で歩くのにも困難な混雑ぶり。前から賑わってはいたけれどもひときわ多いような印象だけれどこれといって何が大流行しているって状況でもないだけに、手軽に遊べて値段も安いおもちゃ方面に全般に回帰しているんだろうかってな想像も浮かぶ。
いつもだったら巨大なブースを締めてた任天堂が割りとこぢんまりしたところで「マリオ」を紹介していた一方で、タカラトミーは「ベイブレード」に「でゅ得るマスターズ」の2枚看板を押し立て大盛況。どっちもぐるりと子供が囲んで近寄れず、近所ではカードを並べたり工具箱をつかってベイブレードを工作する子供が地べたにぺたんとしゃがみこむ。どちらも10年近く続けている商材だけれどまるで人気が衰えない。どういう仕掛けなのか、勉強することも右肩下がりが甚だしい雑誌新聞といったメディアも研究してみる必要があるのかも。やっぱ改造できるようにすることかなあ。
もっともバンダイが一時巨大なブームを作り上げた「ハイパーヨーヨー」だってしばらくするとショボンとなって誰も見向きもしなくなったりした訳で、似たようにショボンとなりかかってもしっかり残って続いている「ベイブレード」とどこがどう違うのかってこところも研究においては必要そう。そんな「ハイパーヨーヨー」をこれで最初の流行から3回目になるんだろうか、復活させようって感じにバンダイがブースで大展開し、入場者にも配布してしまうって大盤振る舞い。会場の中ではさすがに危ないんで遊んではいけないっておふれが出ていたけれど、外では手にヨーヨーを持った子供が壁に貼ったレヴィの顔に向かってヨーヨーを……ってそれはないない。セーラー服を着たスケ番とも戦ってないし超電磁を帯びさせてもいないので期待はしないように。
しかし今回もデモンストレーターに演技をさせて店でトリックを認定させて大会を開いてってメソッドで盛り上げていくんだろうけれど、どこまでちゃんと引っ張っていけるんだろうかそれとも2年くらいで終息させて構わないって考えなんだろうか。最初の大ブームん時から取材していてヨーヨー協会設立なんて話も紹介したりして、その時からブームをどれだけ長持ちさせるかが大切ですねって話もしていたんだけれど数年経ったらどこかに行ってしまったヨーヨー戦士。その繰り返しを今回はさせないっていうんだったらどういう仕掛けを考えているのか、ちょっと聴いてみたいところ。前はバトラーみたいだったりいかにもなアメリカーンのグループだったデモンストレーターをイケメン兄ちゃんたちに変えたあたりが新趣向? いっそだったら普遍の人気を誇る「機動戦士ガンダム」にヨーヨーをさせてこれからの30年もいっしょに盛り上がっていけばいいのに。行くぞザク、メガ粒子ヨーヨーだ、って設定も混ぜちゃって。
そんな「機動戦士ガンダム」の30周を記念した「1日1ガンダム」活動も「脱出」が放送された30年前の1月26日をもって完了な訳でネタ探しに苦しんだ時期もない訳じゃなかったけれどもそれでも日々に1つは「ガンダム」について考えられるくらいに巷には「ガンダム」が溢れていたんだと分かって嬉しくなった。そんな「ガンダム」が今はテレビ放送もなく期待の新作も劇場とそしてOVAってのは何か寂しいなあ。「機動戦士ガンダムSEED」が見せたあれだけの女性関係における盛り上がりをしっかりとつかんでおけば「テニスの王子さま」が今もなお支持されているような感じを演出できたのに。いっそ再放送すればまたぞろ人気を作れるのかも。ボックスも出るし機会としては良いんじゃないのかなあ。可能なんだろうか。
【1月22日】 「崖の上のポニョ」ってDVD、どれだけ売れたんだっけと探したら70万本くらいは出ていた様子で、それだけ乗っかればマーケットだってちょっとは膨らむよねって気もしないでもないけれど、これがなくなる今年は果たしてどれだけの効果が見込めるんんだろうか「エヴァンゲリヲン新劇場版・破」があったところで50万本行くかそれとも行かないか。一方で5万本をアベレージに10数巻に渡って売る「機動戦士ガンダム」もテレビシリーズはなくOVAがメインって仕掛けでは認知されずに埋もれて流されていってしまいそう。それでもテレビでやるより利益は出るって言えるんだろうけど未来のファンを捨てての利益はやっぱりちょっと危なっかしい。
厳しさを実感してなのかバンダイビジュアルが出している映像ソフトのPR誌「ビートマガジン」がいきなり8ページってペラペラになっててここまで来ているのかとやや愕然。前の分厚い冊子にぎっしり載せるだけの情報があったかって言えば悩ましいところではあるんだけれど、それでも埋めて埋められないほどではなかったのが今は8ページにわたって載せるのが精一杯。出す量が減っているってことを示すとともにかけられるお金も厳しくなっているってことを想像するにつけ、やっぱり決して明るく考えるのは難しいんじゃなかろーか。買ってないしなあそういやバンダイビジュアルのタイトルって。
ああでも「ビートマガジン」を見たらまもなく「リーンの翼」のボックスが出てくるみたいで1巻だけ買って放り出してあったものをまとめて揃えるチャンスかもって気にもなってる。一応大好きなバイストンウェル物だし。あとは「舞−HiME」のブルーレイボックスか。本編で確かラス前あたりの1話分を見逃していたんだよなあ、っていうかDVDを最初だけ買ってあとは放り出していたんだっけ。会長さんの憎悪炸裂なシーンとかナオの「舞乙−HiME」とはまた違った悪辣ぶりとかを改めて、確かめるためにも買いそろえるのが吉ってところか。ああでもこれ買うと「乙」も買わなきゃおさらまらないから。「バジリスク 甲賀忍法帖」に回す金が……。
ってか今いったい何を買ってたっけ「化物語」は残りそんなにないんだっけ「東京マグニチュード8.0」はあと2本だったっけ「デュラララ!」は書き下ろしが載るみたいなんで欲しいし「戦う司書」もやっぱり欲しいけれども新作ではやっぱり「ダンスインザヴァンパイアバンド」がちょっと欲しそう。本編もすごいけれどもパッケージになった時のボックスの絵柄が何というか挑戦的というか見えそうで見せていそうで心に刺さる。「ビートマガジン」といっしょにもらったリーフレットに載ってるポスタービジュアルのミナも太股にょっきりの間にちょっぴりが目にも素晴らしいんだけれどそんなチラリのイズムすら超えたビジュアルが、パッケージにはちりばめられていて心をいやしてくれそう。
今の展開だと漫画とは違った方に行きそうで、不安もあるけどそこは新房昭之さんだけあって、きっと素晴らしくも美しいエンディングを見せてくれるだろうから、3月の発売時に心が折れて見送るってこともないんじゃないかな。ほかはそうそう「BLACK LAGOON」のブルーレイが来て積み重なっていくんだった。さらには「機動戦士ガンダムUC」……面白いのかなあ、面白いと良いなあ。「サマーウォーズ」はいつだったっけ。毎日映画コンクールまで受賞してこれでいったい何冠だ。大藤賞も電信柱がどうとかって作品に行ってしまって「マイマイ新子と千年の魔法」は未だ無冠。それとも年末公開ってことで次年度に回されたってことなのか。東京国際アニメフェアでのアワードではグランプリ、取って欲しいけど無理かもなあ。
2勝で1分とはちょっとすごいかもしれないサッカー女子日本代表のなでしこジャパンのペルー遠征。っても強いブラジルアメリカドイツスウェーデンといったところと戦っている訳じゃないんで実力のほどがアップしているかは不明だけれど、どんな相手でもぐだぐだになってしまう男子とちがってきっちり勝ってしまうってところがなでしこ、頼もしい。選手が誰なのかって情報も届かないけどとりあえず安藤梢選手が得点をとっているところがドイツ出陣に向けてのいいはなむけ。ゴールキーパーは誰なんだろう、巨大な山根恵里奈さんとか出ているのかなあ、きっとみんな驚いているだろうなあ、男子だって驚く大きさだもんなあ。東アジア大会で見てみたい選手。岩渕真奈選手はどうしてフル代表に入って来ないんだろう? 年齢制限? ないないそんなもの。配慮かなあ学生さんだし。
なるほどこういうのもメディアワークス文庫向きになるのかと、菱田愛日さんの「空の彼方」(アスキーメディワークス)なんかを読みつつ理解。舞台は異世界で防具を作る見せがあって、ソラって名前の女性が店主で自ら作った防具を販売していてそこに集う客がいてて構造はバリバリにファンタジーっぽおいんだけれど、これが普通のライトノベルだったら店主の女性がメインとなって動き回る話になるところを、「空の彼方」は彼女を扇の要のように位置づけながらも、展開としては店に出入りする人々が抱く思いや成し遂げようとしていることなんかを話の流れの中心に据えて、そうした人々が得た経験をソラが店に座って聴かせられるような流れでもって、全体像を作り上げている。
ソラって店主は防具を作って売るんだけれど、その時に条件として生きて帰ってきて話を聞かせて欲しいと頼み、もしもそれをかなえてくれたら、もらった代金の3分の1を返すという。どうしてそんなことをしているのか、ってのはおいおい明らかになる彼女ととある人物との関わりで、その安否を知りたいって思いを抱きながらも、自分は分け合って家を抜けられないため、そうした形をとっている。でもってやって来たお客がアルフォンスっていう元貴族。不思議な店の不思議な店主を気にしつつ、まずは最初の任務へと出向いて箱入り娘どころか牢獄に閉じこめられているような感じに身動きがとれず、意志などまるで尊重されない少女に付き従って、護衛の任務を果たしたって話を持ち帰る。そこからソラって女性の境遇なんかも仄めかされた先に、アルフォンスがかり出される事件が起こり、ソラが過去に関わった男性が絡んでひとつの大きな事件が解決し、その先にソラが知りたかったことが判明する。
ヒロインがいてヒーローがいるような単純な話でもないし、何本ものキャラクターが屹立している群像劇って感じでもなく、訥々と語り見せながら全体像を描いて人が人を思う気持ちを浮かび上がらせてみせるという、実に小説らしい小説って感じ。電撃文庫に決してないタイプの小説ってことでもなさそうだけれど、そこでキャラ立ってないって見過ごされるよりは、こうした一般の層にも伝わるメディアワークス文庫の中で、一般の人に読んでもらってファンタジックに見える舞台でもその上で語られる、思い深さのすばらしさを感じてもらうのが良いのかも。とりあえず解決してしまったからには同じ舞台を描くって訳にはいかないのかな。構成も工夫できるしメッセージ性もこめられる人なんでいろいろ考え世界と物語を作りだしていっていただきたいもの。注視していこう。
【1月21日】 紅茶専門店でもカフェというのかどうなのか、って根元に迫る疑問はこのさい気にしないとして「おまもりひまり」はやっぱり主人公の少年の声が野太すぎるというか大人すぎるというか、時々ハマる部分もあるんだけれど大体において弱気でヘタレな主人公って感じに聞こえないところが微妙にズレててどうも気になる。案外にそうしたズレで目線をひきつけ白やらピンクやら谷間やら双丘やら見せまくって引きずり込むって戦略があったりするのか。それはそれで正解かも。思いこみが激しく物事を冷静に考えないキャラクターってどうにも身にそぐわないなあ。
逆に「聖痕のクウェイサー」は悲鳴やら豹変やらで目線を引っ張り込んだその先になぜだか月やら太陽が広がっていて何これいったい放送事故でも起こったの? って驚きとそれからガッカリ感を与えて見ていた人の目を背けさせそう。そりゃあ頑張ったけれども規制の壁は超えられませんでしたがその頑張りのためにパッケージを買ってくださいって意識も分からないでもないけれど、どこまで迫れるかっていう挑戦だって立派に挑戦。それを結果として最初っから捨ててしまって月日のインサートでご免するのって視聴者として突き放されているようで気がそがれる。眼鏡っ娘の声の演技とか最高に良かったし動きも表情も良く出来ているのにこれでは、なあ。まあ見るけど。レントンが美少年やってるってのも愉快だし。
あと何を見たっけ「バカとテストと召還獣」だこれは面白い、面白いけどでもやっぱりどこまでも追求してパッケージとして買い支えていくって感じのものかっていうと迷うところ。オール秀吉のそれもアラレもない姿編とかあったら、あるいは冷徹お嬢様のイジリ芸が2連発でとどまらないで全編にわたって繰り広げられたら見入るかもしれないけれど、どこまで行っても本編のコトバ芸を抜けられなさそうって観もあるし。とりあえずウォッチ。あとはドラマの「とめはねっ!」か。ヤンキーやっぱり背が高い。日野シスターズはあれでなかなか出るとこ出てる。問題はそんな愉快な海辺のシーンが遠景かつ短小で楽しめなかったこと。パッケージ化の暁には撮りだめしてあるシーンを本編以上の長さで添えて頂戴な。それがあれば確実に売れる。ブルーレイならなお売れる。
これからのライトノベルの新人賞にはきっと墓守がわんさか出て来るに違いない。ストレートではあんまりだからとただの墓守ではなく未来から来た墓守とか実は吸血鬼のお姫様の墓守とか生徒会長の墓守とかって時々の流行を取り入れミックスさせた墓守が1ダース、出てきて少年の家に同居してお兄ちゃまは今日はあたしの作った墓穴で眠るのあたしが土の布団をかけて静かに永遠に眠らせてあげるのって取り合いっこをするんだ。そこに幼馴染みの墓守が1万の多層世界から押し掛けてきて家から半径1万キロは墓穴ばかりになるという。ありえるか。ありえそうだなあ。
ってことで角川スニーカー文庫に続いての墓守ライトノベルは入江君人さんって人による富士見ファンタジア文庫から出たファンタジア大賞受賞作「神様のいない日曜日」。いきなり少女が墓穴を掘る場面から始まって、これまたやっぱりダークな話かと思わせておいていきなり墓守の少女が村の人から歓待攻めに合うってコミカルさが混じってなんだそっち系かと安心させたらいきなりの大虐殺。生き続ける懊悩の中で愛する者を求めさまよう男との邂逅があって自分の本質を知るドラマがあってそして死ぬことの苦しさと優しさが、輪廻転生も永遠の安寧も奪われゆっくりと朽ちていく世界を舞台に描かれる。終わりがけに明かとなる墓守の少女を取り囲んでいた人々の真実なんかが人の正への執着の、どこか醜悪でそしてやるせなく、けれども切り捨てられない悩ましさを浮かび上がらせる。読み込めば深そう。続きとかってあり得るタイプのものなのか。そっちも注目。
もう1本のファンタジア大賞関連の読者賞受賞作は直江ヒロトの「夏海紗音と不思議な世界」。少年がふと目をやると少女がいて彼女に連れて行かれた場所にはあり得ない海が広がっていて、学校に行けばクラスの全員が知らない人になっている。重なった世界に少女の力で引っ張り込まれたみたいで、そんな彼女が父親に反発しつつも父親の後に続くように帆船を指揮して島にあるお宝を目指すに、少年は無理矢理引っ張り込まれていく。臨むものを引きつけてしまう夏海紗音の力はどことなる涼宮ハルヒ的。それがどこまでの範囲でどれだけの規模で働くかって辺りが気になるけれどもとりあえず周辺を変える程度の力あるようで、それが働きどうにか冒険をやり遂げた果てに戻ってきた平穏な暮らしを少年はこれからも受け入れていけるのか、ってあたりに続きなんかが待っていそう。しかし帆船が舞台の物語でイラストに1枚も1カケラも帆船がないってのは有る意味すごいな。
正直なことを言えば原田知世さんにハマったことは1度もない。映画「時をかける少女」もテレビドラマ「セーラー服と機関銃」も見ていなければCDも買っていないし写真集だって読んでいない。時代からするなら「機動戦士ガンダム」が大流行して自分の中にアニメブームが再燃してSFも漫画も読み始めてテレビだって割と見られた高校生の時代にまさに、角川映画の薬師丸ひろこさんに続くスターとして登場してメディアに大旋風を巻き起こしていたはずなのに、どうにもなびかなかったのは何だろうって考えてもちょっと思い浮かばない。
あるいは興味が2次元の方へと向かってたとえとてつもない可愛らしさがあっても3次元ではって気持ちがあったのかもしれないけれども今となってはよく分からない。周囲に騒いでいる人がいなかったってこともあるんだろうか。それでも漫画なんかでは原田さんを取り上げた作品が読んでいた中にいろいろと現れていて、そうした人たちのイコンとして君臨し始めていたって感覚はあったから、決して気にしていなかったということでもない。もしかするとそうした偶像として祭り上げられる様を、まとめてひとつの現象として楽しんでしまっていて中心へと向かわなかったのかもしれない。うーん。アイドルと出会いハマる原理って何かちょっと考えてみたいなあ。今みたくアイドルにハマれ的行動原理がお約束的に立ち上がって来る時代になってしまうと、そうした心理の駆動の根元に迫りづらいんだよなあ。
まあそれでも80年代イコンが目の前に現れるってのはやっぱり貴重なきかいと「やさいのようせい」だったっけ、天野喜孝さんが描いた野菜のキャラクターをCGでアニメにした作品のナレーションに原田知世さんが起用されていて、それが劇場で公開されることになったって会見を見物に行って今のもう結構な年齢になっているにも関わらず細くて可愛らしげで優しげな原田さんを見ると気持ちも和んでくる。80年代にニューカレドニアまで追いかけた人たちって今のこうした原田さんを見てどう感じているんだろう。やっぱり買っているのか「やさいのようせい」のDVDとかを。劇場に駆けつけて見るのは3Dの「やさいのようせい」の映画を。2月のおっさんたちの動きにも注目だ。
(ACCESS COUNTER '96.07.20)
縮刷版一覧へ行く
リウイチのホームページへ戻る
riuichi@can.bekkoame.ne.jp
が不安定でメールがリジェクトされる様ならwf9r-tngc@asahi-net.or.jpまたはkha02604@nifty.comまで。