縮刷版2012年月中旬号


【4月10日】 1回の投球を見てこれは誰だと思った全世界の60億人。だってまるでストライクが入らず投げれば左打者の外角へと外れ高めに浮くボール球。それでいきなり四球を出したり打たれたりして3番のイチロー選手のみならず、8番の川崎選手にまで打順が回ってすぐに見られるなんていったい誰が思っただろう大リーグでのダルビッシュ投手の初登板。乾燥しがちなテキサスはアーリントンの球場ではやっぱり球がすっぽ抜けるんだろうかと心配していたら、2回にも1点を奪われたもののその後は立ち直って0点に抑え続けて5回3分の2でマウンドを中継ぎへと譲った模様。

 それで見方が点をとってなければやっぱり敗残の投手と誹られただろうけれども幸いにも見方がガンガンと打って逆転をしてくれた上での0封イニングだったから印象も良かった様子。きっと1回2回はミニビッシュか誰か偽者が投げていたと思うなり、当人はまだマイナス1回と0回を投げていたんだと見なすなりすれば彼の本質ってものが見えてくるんじゃなかろーか、ってそういう訳にはいかないんだけれど記録的には。5回で5点じゃやっぱり防御率は8とか9とかそんなもん? 日本じゃずっと1点代を続けていた投手にしてはな成績だけれどまあ先も長いんで、これからの戦績を見て評価を判断しよう。そんなダルビッシュからきっちり3安打を放ったイチロー選手、やっぱり凄いなあ。日本で対戦していた川崎選手より打つんだもんなあ。

 とりあえず第6巻あたりに登場するケイちゃんの上半身すっぽんぽんを生(原稿)で見られたことと、あと少女マンガ以外の何物でもない「危ない! 生徒会長」のおでこちゃんやら眼鏡っ娘やらを間近で見られたことが大収穫だった「大友克洋GENGA展」。秋葉原の外れの元小学校だったか何かの跡地を使った美術館で開催中のこの展覧会は、事前に前売り券が必要なジブリ美術館方式だけれど、先週あたりに探ってもまだ初日2日目が余ってたりする状況は「ONE PIECE展」とも比べて来る層の勤め人率の高さとか、ファン層の年齢層の高さなんかを証明していそう。そう簡単には来られないよね秋葉原まで朝から昼から。

 それでも11時半の開場場前には出来た行列に続いて入ってまず眺めるはメコッとへこんだ「童夢」の壁。奥の方にあってただ描いてあるだけじゃなくって本当にクレーターのようにへこんでいるからそこに背中をもたれかけさせれば今にも圧力でもって壁にめり込まされた爺ちゃんって気分を味わえる。まるでハンマーで打ったたかれ続けるようなそんな技を、食らってもその時は命は大丈夫だったんだから超能力者ってなかなか頑健。でもプレッシャーでもって命はもっていかれたけれど。反対側には金田のバイクもあったけれども並んでいたんで座ることはせず。置いてあった革ジャンはバンダイチャンネルかララビットマーケットかで販売していた奴かな、背中のカプセルがいかにも「AKIRA」。そういうのがクールでスタイリッシュな時代だったんだよ、1980年代って。

 さても凄まじいのはガラスケースにびったり並べられた「AKIRA」の全ての原画でこれをよくぞペンで描いたってくらいの緻密さに、なるほどこれを描き上げた大友さんが漫画に全身全霊を傾けるよりも別のことをやりたいって思っても当然かもって感じてみたり。ただ線を引いてビルを描くだけじゃなくってそれが噛み合わさって重なり合って爆発したら破壊されたりしている絵なんて普通の人には描けません。それを大友さんは何年もかけて描き続けてそして「AKIRA」というとてつもない漫画の形にして描き上げた。それだけで普通の人間だったら万歳だ。なおかつ大友さんはそれ依然から同じ事をやり続けて来た訳で、やり遂げやり尽くした人にやっぱり漫画を描いて欲しいなんて口が裂けても言えません。でも言うけど。やっぱり漫画描いて欲しいなあ。

 漫画家の原画の展示ってそれを見ればあの絵をどう描いているのか、あのタッチをどう表現しているのか、墨ベタはどんな感じでホワイトはどんな効果を上げているのかを、塗られた原稿から確認できるって意味があってクリエーターの人には行くとなかなか勉強になるんだろーけれど、こと大友さんの原画についてはそれ1枚が完璧過ぎて完成し過ぎていて間近で見たってこれと同じものが描けるってことはもとより、そのクオリティに1ミリでも近づけるって思えないところがあるはクリエーター殺しか。原画見るのも漫画読むのも変わらないかも。どっちにしたって凄すぎて足下にも近づけないって打ちのめされる意味で。もちろん巧さだけじゃないのが漫画だけれど巧さもあって面白さもあるんだから始末に負えないというか。こんな偉大な漫画家を輩出できた日本って国に生きてその活動を見られた人間として幸せを感じよう。

 「童夢」の見開きのとっちゃん坊やとか見てやっぱり細かいなあと簡単、これの原画サイズの単行本を買い逃してしまったのが今にして思えば残念無念な事態。やっぱり欲しいと思ったものは買っておべきなのだった。んでもってしばらく並んでからショップに入ったらカタログは昨日で売り切れ今日の分はまだ届かず、午前中には来るはずだったんだけれどどこかで迷ってた見たいで届きそうもなかったんで、アマゾンに任せることにして缶バッジのセットと会場で流れている音楽のCD集だけを買う。缶バッジとか6300円もするのは何でだって思うけれど藻30個くらいくっついているから仕方がない、1つ200円と思えばまあ。CDはそのうち聞こう。デザイン化された図案が多いけど僕的にはやっぱりキャラの絵がデカく描かれているのが欲しかった。作らないかなあケイちゃんのバストショットのもちろんすっぽんぽん。あの絵だけでもまた見に行こう。

 お目にかかったことはもちろんなくってただ声でのみ、存じ上げていた青野武さんの訃報、思い起こせばやっぱり「宇宙戦艦ヤマト」の真田技師長でありまた同時期に放送されてむしろこっちの方が先に耳の届いた「破裏拳ポリマー」の探偵長こと車錠としてそのコミカルだけれど筋の通った人物像を、声と重ねて身に覚えていたっけか。それからしばらく経って「天地無用!」のシリーズで天地の爺ちゃんと父ちゃんをともに演じて2世代のそれぞれ老人と中年を感じさせてくれたり、最近だと「REDLINE」でメカニックのもぐらオヤジを演じて酔っぱらってたりするけれども腕は確かで芯も通った職人ってところを感じさせてくれたっけ。「モンティ・パイソン」も聞けば思い出すその演技。ずっと変わらず40年近くを楽しませてくれた偉大な声優に、黙祷。

 気が付くと本屋大賞に三浦しをんさんの「舟を編む」が輝いていておめでとうというか、直木賞を既にとった作家であるけれどもそれがでっかい売上に結びづらい季節柄、なおかつ辞書の編集者の話という本に関わる人たちには面白くってもラブロマンスとかスペクタクルを期待しがちな読者にどこまで届いているか、悩ましいところにあってこうした賞が評判を呼んで、この面白くって仕方がない本に注目が集まり20万部が200万部とかって数字に跳ね上がれば僕は嬉しいし本屋さんも嬉しいし作者もきっと嬉しいだろう。過去にも幾つかの作品で候補に挙がりながらも届かなかった三浦さん。けど「格闘する者に○」でデビューしてそれから「月魚」「白蛇島」「ロマンス小説の七日間」といった小説作品には、賞から出たわけでないかめ文芸メディアの関心が向かない中を三省堂書店神田本店とか、池袋のリブロなんかがコーナーを作りストックを置いてしっかり応援してたっけ。そんな本屋さんが売りたい作家だった三浦しをんさんの本屋大賞はだから原典回帰とも言えそう。これからも一緒になって書店を盛り上げ店頭を盛り上げ小説を盛り上げていって欲しいもの。期待してますどちらにも。


【4月9日】 ちなみにデジタルハリウッドの大学生院生スクール生が作った作品から優れた作品を選ぶ「DIGITAL FRONTIER GRAND PRIX 2012」で一等賞を獲得したのは「Ride On」という作品で、スチームパンクなビジュアルの街に暮らす何でも屋か何か正義の味方か何かしている少年がいて、仕事がなくってやさぐれていたところに暴走する機関車が走ってきたのを見て近くにあった子供のジェットボードをかっさらい、空を飛んで機関車にすがりついてはブレーキをかけて機関車を止めるというストーリー。3DCGのアニメーションで何とはなしにスクウェア・エニックス的なゲームのムービー部分を感じさせたりする、FFとかキングダムハーツとか。

 だからストーリー的には驚くものではないしビジュアル的にもそうしたゲームで見慣れたものだって印象に留まりそうだけれど、これを学生たちが仕上げたってところでそうした技術力の到達点を、評価しての一等賞をなったみたい。なるほど作品そのものの絶対価値って訳ではないんだな、即戦力を作り世の中に送り出しているデジハリって場所なだけあって、そこが例えば芸術大学みたいなところで学内から優れた作品を選んだりする基準との違いなんだろー。ストーリー性で言うなら野島嘉平さんとゆー人の「大仏の春」って作品の方が、ユーモラスで展開も面白くって見た人には1発で大受けしそうだし実際に受けていた。

 掃除をさぼる小坊主が見つけたそれを取り戻そうと、先輩が大仏と融合して追いかけ回すスペクタクル。3DCGのアニメーションでモデリングにも優れ動きも良くレイアウトも見やすかった。しっかりした絵コンテがあり脚本があったんだろうなあ。とはいえやっぱり笑いの壺に日本的な要素があるってことで、グローバルを目指す「THE EDGE賞」には外れた感じ。それでもアニメーション賞に選ばれたってところがこのアニメーションらしさがちゃんと評価されたって現れなんだろー。面白さでは「1957」って犬が選抜され訓練を受けて宇宙に発射されそうになる3DCGアニメも何かに選ばれていたけど作ったのが半年前までパソコンに触ったこともない40代の2人だというから驚いた。それで作れてしまうんだ。

 なるほど同じモデリングを巧みに組み合わせテンポを作って連続させ、そこから雰囲気を感じさせていくことによってまだ足りないアクションとかの作り方を補ったおうだけれども、そうした足るを知り足らないことを知る自己分析が出来てしまえるところもまた才能。そこにツールが乗っかり技術が加わっていくことでこうした作品が生まれて来てしまう。面白い場所だなあデジタルハリウッド。アメリカに多々あるアート系映画系の大学に大学院とかと比べると、決して世界に冠たるスクールって訳ではないんだけれどもそれでもちゃんと作れる人を輩出して、ドリームワークスとかデジタルドメインとかに送り込んでいる。それが下働きに過ぎないとしても、そこに行かなければ次もない訳で、そうしたきっかけを作らせる、その手みやげとなる作品をちゃんと作り上げさせる仕組みはやっぱり評価したい。やっぱり作らなきゃ、作れないってことで。

 ほかに気になった作品は草野温子さんの「One’s Birth Place」って作品で、アジアンな美女が歩いたり鳥が飛んだりするCG映像がカラフルで眼についた。あと美女のお尻が丸くて揺れていた。モデリングが良いんだろうなあ。あと村上正成さんの「The Strenger」って作品か。一種のPVで3Dモデリングの人がフォークギターを鳴らし歌うと少女が寄ってくるという展開。いかにもなアニメの絵にせずスタイリッシュな造形にしたところにセンスが見える。ドーム都市の中にあるビルが外へと伸びて気になったりする芹澤雄理さんの「The Returning Tree」作品とか、実写の手を鏡対象にして動かしたり何かを持たせたりして表情を作り上げるカン・ソンミンさんの「OTE」とか、なるほどと思わせる作品も見られたイベント。芸大系の卒展に限らず若い才能はやっぱり見ていて未来を感じさせるなあ、40代もいたけれど。作れば開かれるその可能性。自分も何かやらないといけないなあ。

 チアキ・クリハラの親父さんが登場であのクールな美少女が「オヤジ」というあたりに海賊の家に生まれた本性って奴が見え隠れ、まあ茉莉香の代わりに海賊営業に出むいた時にもドSなキャラクターを見せまくっていたからあれが本当のチアキ・クリハラなんだろーけどお嬢さまの集う学園では猫被ってた方がいろいろと都合も宜しいということで。そんな猫被りばかりのヨット部が病気療養中の弁天丸のクルーに代わって海賊家業に乗り出すとあって一体どんな大騒動が持ち上がるやら。プロではないけれどもプロを相手に引けを取らない腕前を見せた面々がずらり揃ったヨット部員。なおかつ高貴なことでは右に出る者はいないグリューエルにグリュンヒルデのお姫さま2人も加わってさていったいどれだけ可憐で華麗で迫力の海賊家業を見せてくれることやら。チアキちゃんも参加してそうだしいろいろ振りまわされる彼女が見られそう。というわけで「モーレツ宇宙海賊」、2クール目も突っ走ってます。

 宮内悠介さんの評判になっている「盤上の夜」をさっと読んでどこかに引っかかりを覚えて考えてそれれは拡張された身体が碁盤や石と一体化してしうことと、囲碁が強くなることがなかなか容易に結びつかなかったってことにありそー。間違った場所におかれる石が痛いっていうのはつまり体内脳内に完璧な棋譜ってのがあってそれにそぐう置かれかたをすれば快楽であって外れれば痛みになるってこと。でも完璧な棋譜っていうのは自分1人ではなく対戦相手もあって紡ぎあげるものでそれが相手の勝ち譜だった場合には自分の勝利にはつながらない。そもそも囲碁の勝ち負けっていうのは将棋のように玉をとるのが究極ではなく19×19の線で引かれた場所でどれだけ陣地を確保できるか、ってのがひとつの目標で、それには完全に勝負が決まるものもあれば優勢か否かで判定するものもある。

 完全解なんてあり得ないものに対して良否を身体が判断できるのか。囲碁というゲームの“本質”と、身体の拡張という設定のそんなかみ合っていないように感じられる部分がやっぱり尾を引いて、他の人が言うほどにはのめり込めなかった。無数にある棋譜をすべて暗記して合うか否かを対局ごとに判断しているんだとしたらそれはコンピューターによる照らし合わせの技術であって、囲碁というゲームが持つ宇宙を創造するような感覚、あるいは相手と対話して盤面に世界を作り上げるような感覚に近いかどうかってこととはちょっと違う。いっそ身体の欠損が宇宙を身に呼びそこに輝く星々の配置こそが囲碁なのだ、その思し召しにこの対局はマッチしてないというファンタジックな設定でもあれば納得はできずとも共感は出来たんだろーけれど。うーん隔靴掻痒。囲碁って競技を神秘化して、競技する人の神秘性と重ねて漠然とした不思議さを与えているってだけなのか。それとも僕の読み込みが足りないだけなのか。もうちょっと研究してみよう。


【4月8日】 そして始まったアニメーション版「アクセル・ワールド」の原作を初めて読んだ瞬間にこれは単にバーチャルワールドでバトルするってだけじゃなく、クールでなおかつ奥深い設定を持った作品じゃないかと思って読んで読み接いでいたらどんどんと話が深くなっていって、最新刊では加速世界に現れた謎の敵に立ち向かうオリジナルの王たちの戦いが浮かび上がってそしてさらにその外側に、何者かの思惑めいたものまでが浮かんで想像力をかきたててくれているんだけれど、それも原作の第1巻を読み終えて分かることなんで、あのアニメの第1話だけみるとただのイジめられっこが、なぜか美少女に見初められてネット世界にダイブしたらスーパースターになっちゃった的な受け止められ方をしてしまうんじゃないかとちょっと心配。

 でもご安心、というかむしろ不安がれというか、あの無敵に見えるようなシルバークロームをしたハルユキのボディが、その心理を読みとりコンプレックスを形にしたものだってことが浮かび上がり、なおかつ彼が加速世界ではかつてない力を持っていてそれを示して誰をも驚かせる一方で、そうした力が生まれた背景の根深さって奴も合わせて示して人の心に潜んだ暗い部分って奴を見る人に強く感じさせる。なおかつ心通じ合っているような友人たちでさえもがその心の奥に闇を秘め、葛藤を抱いて迷っているんだと見えてきて、そんな傷を持った者たちが集まり寄り添い合って強くなっていく成長のドラマを楽しめる。問題は短いクールのアニメでどこまで描けるか、だけれどそこはそれ、第2期第3期と続けることで黒の女王の復活と、タクムやチユリを相手に回す戦い、その向こうに待ち受ける災禍の鎧を巡る激しいバトルを描いてってくれればしっかり見ていくので制作者には強くお願い。

 折角だからと早起きをして誰からも誘われもしなければ誰を誘うこともしない花見にひとりで出かける。ソロ花見とかインディペンデント花見とかオンリー花見とかシングル花見とかいろいろ言って虚勢を張ってもしょせんは一人っきりだってことで。行く場所は一昨年に続いてやっぱり隅田川。にょっこりとスカイツリーが立ち始めた一昨年から去年は震災直後ながらもツリーはしっかり建ってそして花見は自粛ムードで喧騒のないなか、まだ咲かぬ花を眺めていたけど今年はタイミングもよく8分咲くらいがちょうど日曜日。自粛ムードもなくなって河川にはビニールシートを敷いて場所取りをする花見客たちが朝の8時前からしっかりいたりと東京の桜の名所ならではの喧騒って奴を醸し出していた。

 スカイツリーをのぞむベストポジションには何やら観覧のための台まで登場。この上に登ってスカイツリーを1日眺めていたりするとそりゃあ何かが悟れるかもしれないけれどもこの季節は桜は愛でられても体には寒そう。ジャングルジムっぽい場所に潜り込めたものの数分で離脱し後から来た元気そうな人たちに任せる。しかしどうしてこういうものを作るかなあ、あるがままに見て楽しめば良いのに。同じ事は階段にも言えて幅広の階段の中央部分だけが段差が両脇の2段を1段にしてたりするのはあれか、そこに並んでスカイツリーをバックに記念写真を撮れるようにしたってことか、まあベストポジション、だけど観光地でもなくってカメラマンがいる訳でもなし。そこは自主的にやってちょーだいってことかも。いずれにしても朝はスカイツリーの真後ろに太陽があって撮影には不向き。かといって夕方は日射しが夕焼ける。午前の遅めが良いって事かなあ、来年も行こう。スカイツリーはまだ建っているかな。いなけりゃ大事。そんな時には東京だって。さて。

 上野へと出てせっかくだからと国立科学博物館で「インカ展」を見てマンコ・インカという名前が書かれたパネルを見ながらいろいろとむらむらと想像する、いや歴史に残る重要なインカ皇帝の名前をそんな風に考えてはいけないなけれどもでもなあ、やっぱり。ちなみにこの皇帝はピサロによって征服されたインカ帝国の最後の皇帝ってことになってはいるけどその後に長寿村として後に有名になったビルカバンバへと拠点を移して帝国の命脈をしばらく保ったんだっけ。それでもやっぱり持たず最後のトゥパク・アマルが捕らえられ斬首されてこれで実質的にもインカ帝国の皇統は終了。ひとつの国を滅ぼすとはまた凄まじいことをスペインもやったものだけれどもそこで例えば融和を求めていたら果たしてどんな世界が出来上がったか。その後に現れたオランダと英国によって占領され蹂躙されて同じ状況になったのか。考えるといろいろ浮かぶ歴史の面白さ。かといってどうにもならない時間の不可逆性。難しい。

 13歳から15歳くらいの少女のミイラとか間近に見てこその外観を妄想してもやっぱり浮かばないのはそのビジュアルが強烈過ぎたからなのか。ショップでなぜかエケッコーとか並んでいたり中国製のラマのぬいぐるみとかが置いてあるのを眺めて外に出てこちらは隅田川よりさらに本場な花見客の歓声を横目に眺めてからアメ横へと出てガード下にあるトンカツ屋さんでいつものカツ丼を平らげる。肉が分厚くって美味いんだよここのは。前はメンチカツと唐揚げのセットになった定食を平らげていたけど最近はどうにも胃が持たない。衰えたなあ。でもいつかまた挑戦を。秋葉原までそぞろ歩いてメイドさんとか見物。語尾に「ぽよ」とか着けて話しかけられた時、どんな顔をしたら良いんだろう。そしてどういう気持ちで話しているんだろう。考えちゃいけないのかなあ、そういうのって。

 デジタルハリウッドの大学にスクールに大学院で作られた作品から優れたものを選ぶ校内グランプリの発表があったんで朝日ホールまで出かけて見物、中でワーナー・オン・デマンドにある短編映画サイト「THE EDGE」から配信するものも選ばれるってんで何になるかと見ていてストーリー性から野島嘉平さんって人が作った、大仏を掃除していた小坊主が大仏と合体した住職だか先輩の僧侶だかに追いかけ回される3DCGアニメーションになるかどうかと思ったら、意外にも山我俊進さんという人が作った「残業シンドローム」という不思議で不安でシュールで爆発している作品が選ばれた。聞くとなるほどそのシュールさは言葉を超え国境を越えて伝わるものが在りそう。残業で疲れたおっさんが見る夢は伸びた鉢植えに絡め取られ体内に侵入された挙げ句に脳にグロテスクな花が咲き、火花が散って疲れて極限まで行ったって雰囲気を醸し出す。目覚めてもなお残る不安。あああるあるこんな気分、でもこういう風にはなりたくないなあ、なんて働く全ての人に思わせるところがインターナショナルを標榜する「THE EDGE」にマッチしてるってことなのかも。配信が始まったら注目。


【4月7日】 早起きしなくちゃいけないと前夜、早く寝て起きたら「これはゾンビですか? オブ・ザ・デッド」が始まっていた。相変わらずダイソンの扇風機が回っていたりセラが歩を「気持ち悪い」と誹っていたりと楽しい我が家。ユーの無口は買わないけど心の中で永遠の17歳が永遠の17歳っぷりを発揮していてこれでも良いんじゃないかと思わせてくれたけれども次に別の人が当てたらそれもそれで良いと思えてしまうんだろうなあ、野沢雅子さんとか、いやそれはさすがに。増山江威子さんなら、一休さんの母上さまっぽい声なら何とか。

 えっと深夜の教室で酔っぱらっていた魔装少女っぽいのはクリスっていったっけ、第1期の終わりに出ていたようなそうでないような、んでも原作とかほとんど覚えてないんでまあ見ながら理解していこう、ストレートなロングヘアの赤い目はサラスバディで良かったっけ、ともかく第1期おまけな最終話のプール話が凄まじかったんですべて吹っ飛んでるなあ、いやまったく。第1期はオープニングが凄まじく格好良かったけれども第2期はむしろエンディングの方がアニメ歌謡していて好きっぽい。どっかで聞いたことあるなあってふり返ったら確かアニメアワードで中学生ドラマーをバックにこいつが歌われていたんだった、なんです。歌うは山口理恵さん、作曲はmanzoさんで前作のエンディング と同じく見合わせだけれどタイプはまるで違う感じ。manzoさん才能あるなあ。

 「エウレカセブンAO」の前振りみたく「交響詩篇エウレカセブン」の放送はされていないおまけの第51話なんかも流れていたりしたいたいだけれども基本、ブルーレイディスクを持っているのでいつだって見られるのであって改めて見直せばいろいろと思うところもありそうな「エウレカセブン」。その思い入れを果たして何処まで映してくれるのかそれとも吹き飛ばしてくれるのか。何で沖縄なんだと総統もおっぱいぷるーんぷるんさせて怒っていたりするからなあ。ってかAOって何なんだ。「えっとエウレカって言いますコーラリアンです人間と違って変化します」と面接で喋って一芸で大学入試を果たす話か。そんな訳ない。沖縄が舞台ってことは沖縄料理とかいっぱい出てくるのかな。ポーク玉子とか。CoCo壱番屋とか。

 何でココイチが沖縄なんだという話は駒沢敏樹さんが書いた「アメリカのパイを買って帰ろう 沖縄58号線の向こうへ」(日本経済新聞出版)を読むなりその多分もとになった「Web草思」での連載コラム「58号線の裏へ」に綴られた文章を読むとだいたい分かる。沖縄の北谷国体国道沿いにあるらしいココイチの店には米軍基地にいる軍人がひっきりなしにやって来るって話が「CoCo壱番屋の謎」「嘉手納軍人のソウルフード」とそして「ココースにはもう行ったかい?」に連続して書かれていて、それによると彼らにとってココイチは、街の食堂なんかと違って、自分たちが食べたいものを食べられる場所として、気軽に入れる店になっているらしい。

 テレビなんかがワイドショーで取り上げる時は体力が財産の軍人たちがもりもりいっぱい食べられる店、って感じに紹介されるけれどもそういうトッピングひとつとっても、軍人たちにとっては自己表現の形であって自由の国に生まれ自分たちでメニューを選び食らうことが好きな彼らにとって、ココイチのトッピングシステムは大いにマッチしたものらしい。あとは店の努力で店長さんがチラシを作って、当時はまだ3割程度だった軍人さんに基地で配ってくれないかと頼んだら気持ちの良い連中がオッケーだ、ココイチのためだったら何だってするぜ的なリスペクトぶりを発揮してくれて、そこから一気に軍人が増えたらしい。

 仲間が仲間を呼んでの盛り上がりは決して、物珍しさとか量とかいった要素だけで成り立っているじゃない。とけこみ繋がり広がっていった産物。そうした経緯もニュアンスも、ワイドショーでは吹き飛んで物珍しさだけで語られてしまう。もう7年も前にこの現象を紹介しつつ、食と音楽から沖縄の今と占領時代をコラムに語り、本にまとめ上げた駒沢敏器さんはどう思うだろうなあ。残念にも亡くなってしまったけれども「アメリカのパイを買って帰ろう」とかは丸の内の丸善なんかで追悼されつつ平積みされているんで、気になったら是非にお手に。ウエブでも割と読めるけれども1冊にまとまって俯瞰する沖縄もなかなかに魅力的に見えるから。

 そして午前4時にベッドを抜け出し午前5時には支度を初めて家を出て、午前6時に到着したピカデリー新宿にはすでに30人くらいの行列が。もちろん今日から公開の「宇宙戦艦ヤマト2199 第一章」の初日を見る、というか劇場で販売される限定版のブルーレイディスクを買うための整理券をもらう行列で、すでに座席指定券を発券していなければ整理券がもらえないというシステムだったにも関わらず、前日までに来て発券を済ませていた人が大半だったところに情報に貪欲で、行動に迅速なオタク層の凄みって奴を改めて見せつけられる。まあもっとも販売が始まった際に行列の先頭にいたのはその時に指定券がなく、配布と前後して始まった発券で出してた人だったけれど。つまりは「機動戦士ガンダムUC」ほど殺気だってもタイトでもなかったってことで。午後に入っても購入のための整理券は山積みだったし。そこがだから継続して新作が作られる「ガンダム」と、第1作のリメイクに過ぎないといえば過ぎない「ヤマト」のファンの温度差って奴なのかもしれないなあ。

 自分だってただ絵コンテがついているだけだったらわざわざ限定版を買わなくっても、いずれ多分発売されるんじゃないかって予想のある絵コンテ集を待ったかもしれないけれども今回発売された限定版は、その絵コンテの表紙がとってもとってもエロくって、この絵があるいは埋もれてしまう可能性もあるんだったらここで買っておかなくちゃって思ったから。それは火星に突っ込んでくるなり命を落として眠ったまんまのサーシャがむっくりと起き出して、目を開いてこっちを見ているイラストで、その足下のビジュアルなんかも含めてとってもとってもエロくて、いち早くその絵を直に見たい間近で見たいと思ったら、朝の早さも気にせずピカデリーに向かってしまった。甲斐あって早々にゲットできたけれども次はいったいどんな表紙絵になるのかな、それ次第ではやっぱり並ぶか、それともこれは全部限定版で揃えるのが義務と古代くんが表紙でもやっぱり並ぶか。さて。

 そしてアニメーションそのものはといえば既に第1話は2回、第2話も1回見ているんで内容については頭に入っているというか、そもそもが1974年のアニメーション第1作のリメイクなんでおおむね理解はしているんだけれど、上映が始まったってことで改めて感じを話すならば驚いたのはスターシャが通信でもて「私はイスカンダルのスターシャ、17歳です」って言ったところで画面に映っていた沖田や土方や真田も、それから画面を見ていた観客もいっせいに「おいおい!」って突っ込んだところかなあ、そこですかさず「あれー、声が小さいぞー、はいもう1回、わたしはイスカンダルのスターシャ、17歳ですっ」って言って全員がそろって「おいおい」って言って拍手が起こって、それからストーリーが進んでいったてところかなあ、やっぱりこうでなくっちゃ井上喜久子さんの登場シーンは。嘘だけど。

 これは真面目な見どころといえば、後にサーシャという名と判明する火星におっこちてきた美女のハイレグっぷりとか、佐渡酒造のスタッフにいるナースな少女のアホ毛とか、真田さんをチラ見する眼鏡美少女の優しげな微笑みとか加藤三郎の同僚の山本って男性の妹らしい少女のボディーラインもあらわな黄色いスーツ姿とか、ってそういうところしか見ないのか。最初の冥王星あたりでの対ガミラス戦でやたらと戦艦が速く動き回って撃ちまくって、まるで戦闘機によるドッグファイトかと思わせたあたりとか、僚艦が砲弾をくらって破壊されるそのアオリをくらうほどに広い宇宙で戦艦が密集して戦っているのっえ不思議だよなあって感じさせたあたりとか、今時さというのか今時っぽくなさとも言えそうな描写もあったけれどもメーンからそれているから気にしない。ユリーシャなる第3のイスカンダル美女の存在、そして森雪の謎めいた行動とかも含め後にいろいろ使われて来そうな伏線もあるんでそのあたりがどう埋められるのかを見つつ、これからの展開を見ていこう。最後まで作られてくれよ。


【4月6日】 後半も44分なんて終了も間際の疲れも頂点を越している段階でサイドをオーバーラップしてセンターにパスを入れられる近賀ゆかり選手の体力とかやっぱり凄いなでしこジャパンは、ブラジルを相手にしたキリンチャレンジカップで見事に4点を奪い1点を奪われたものの得失点差で米国とならび総得点で上回って優勝を果たしたおめでとう。何より米国を相手にひるまず引き分けブラジルを相手に圧倒的にゲームを支配してしまえるこの状況が、8年前とかに豪州あたりを相手にしてもようやく引き分けで北朝鮮が相手だともうお手上げな感じだった頃と比べて各段の進歩を伺わせる。よくぞここまで育ったものだ。

 宮間あや選手のフリーキックは精度の高さもさることながら両足のどちらで蹴っても同じくらいの精度を出せるところが脅威。去年のワールドカプでは左から蹴ったコーナーキックがニアサイドに飛び込んだ沢穂希選手の足にピタリと合ってゴールへとボールが流れ、そしてブラジル戦では右から蹴ったコーナーキックがニアに入ってきた永里優季選手の頭にピタリと合って薄くはねかえってゴールへと突き刺さった。動いてそこに飛び込んだゴーラーたちの挙動も素晴らしいけれど、そこに行けば必ずボールが来ると信じさせ、なおかついっかりとボールを入れる宮間あや選手の凄さが改めて浮かび上がったって感じ。沢穂希選手の体調も不安な中でキャプテンの重席を担いプレーを引っ張り得点に絡む活躍を、例えば男子でも誰かに演じて欲しいなあ、いないかなあ、いないなあ。

 落ち物とはいうけれども本当に美少女が空から落っこちてきては、バイクを運転している少年にぶち当たってそのまま同居するとはいったい、どういう典型的な導入なんだアニメーション版「戦国コレクション」。なおかつ自分は織田信長だと名乗ってそれをまあそういうもんだと受け入れ泊まらせ、ご飯まで食べさせシャワーを浴びる姿を横目で見守る成り行き馴れ合いシチュエーション。それもこれも日本に落ち物がひとつのジャンルとして確立されてて、もしも空から美少女が振ってきて妙なことをいってもそういうことがあるんだあるものなんだと、日本人の脳内に刻まれているからに他ならない。本当か? 知らんがな。

 ともあれそうした出会いがひとあって、別に来週は徳川家康でほかにいろいろ戦国武将たちが現れ誰かと一緒に暮らすなりしつつ何やら貴石を狙ってバトルを繰り広げるって展開になっていきそう。その余りの平均的な展開にどうしようかなって気も起こるけれども監督が後藤圭二さんだし声がキュアなんとからしいし何よりいずれ出てくる伊達政宗てキャラが相当にグラマラス。信長ですら前屈みになって谷間をくっきり見せたりしてくれているなら、すでに露出の激しい伊達政宗はいったいどれくらのものを見せてくれるのか。そんな期待も追いつつこの平均的に平凡な設定をアニメーションとしてどう展開していくのかという、作り手の才を伺うことも楽しめそう。裏のノイタミナと重ならない限りは見るか。

 重なるといったら何やら日常4コマ漫画のアニメーション版とも重なってそうだけれどもこれはいいや、日常系のゆるい展開にあんまりメリハリがなくってキャラに感情移入できないとちょっとついていけそうもないし。その直後に始まった「さんかれあ」の方は「マガジン」に連載だかされている漫画が原作だけあってそれなりにメリハリはありそう。ただ少女が父親から圧迫を受けていてそれを夜中に家から抜け出し廃墟にある井戸に吐き出しているという病的なシチュエーションを、明るい展開の中に語っているところにはひっかかるし、これからの展開としてそのヒロインがゾンビになって少年の家に同居する、って展開上に無為な死って奴が必然として絡んでくるのもちょっと引く。死はそういうネタにして良いもんじゃない。とはいえゾンビか否かあってあたりとか、ゾンビそのものの設定にもいろいろありそうでそこに救いがあればまあ良いかって気も。とりあえず時間が許せば見ていこう。

 だめださっぱり分からない。北朝鮮が打ち上げるのはロケットな訳で、それはとんでもないスピードでとんでもない高いところを飛んでいくから、追いつくにはそれこそロケットじゃないと間に合わないように思えるのに、日本では高いところまで届かないミサイルを配備してさあ落ちてこいって待ち受ける。そこを狙って落ちてくるものならなるほど正面から狙ってぶつければ当たらないこともないけれど、すごい速度で飛び去っていくものを追いかけるように撃ったところで追いつかないし、待ち受けていたとしても落ちてくる植木鉢にランディ・ジョンソンがボールをぶつけたり、走ってくるバスの窓に中村俊輔選手がフリーキックを蹴り込むのとは訳が違う。とうてい無理そうな気もするけれども、テレビではそれが最善それやっていれば安心だなんて感じの報がまかりとおる。だめだやっぱり分からない。

 つまるところは宇宙に飛び出るロケットを相手に、ミサイル防衛なんて無理だしそもそも防衛する手合いのものではない。危険性として失敗して落ちてくるものが当たりそうなら、その前に爆破ってことだけれどもそれを目的にするにはこの仰々しさはいったいなんだ。何かを示威したいがためって言われればそうかもしれないって思わせる。もちろん事が単純に人工衛星の打ち上げって目的ではなく、それを成功させることでロケット技術を発展させてそれを応用して、ミサイルを作るんだってことになっているんだろうけれど、それは飛んでくるものを撃ち落とそうとするふりをしたって止まらないし収まらない。打たれたらもうどうしようもない世界において必要なのは打たせないことで、それに必要なのは話し合い。そこをすっ飛ばして上空を仰ぎ見て、拳だけ振り上げて見せる虚勢を指示するメディアの不思議。日本が滅びるとしたらそういったメディアの責任でもきっとあるんだろうなあ。前に同じようなことがあったのに懲りないなあ、メディアも日本も。


【4月5日】 むしろクリカン栗田寛一さんの演じるルパンがとってもルパンらしかったという「LUPIN The Third−不二子という名の女」はなるほど未だ出会わず馴れ合わず、互いに噂のみ耳にしていた女泥棒の峰不二子と、アルセーヌ・ルパンの孫というルパン三世がカルト教団を舞台に邂逅して互いの技を見せ合うというストーリー。出会えば美しいと讃え飛びつくような下品さも直情ぶりもなく、相手を食えない奴と認めて語るルパンの声音はどこまでもシリアスで、そのためにクリカンさんの抑えたトーンがニヒルに響いてとってもルパンって感じを醸し出していた。

 実は同じ事はもう16年も昔になるのか、あの原作者のモンキー・パンチさんが監督を務めた映画「ルパン三世 DEAD OR ALIVE」でも感じたことで、派手さもなければギャグもない、どこまでもクールでシリアスなルパンを演じたクリカンさんの声はそのほとんど直前まで、ルパン三世を演じていた山田康雄さんに勝てないまでも劣らない独自さを見せていた。けど世間が望むルパンはテレビアニメの第2作目の残り香と、その後に雨霰の如くに作られたテレビスペシャルの影響もあって、コミカルで剽軽でドジで助平がメーンで時々本気になってもやっぱりギャグへと滑る、コメディ役者のそれとなっていた。山田さんはそうした演技も巧かったけれども、それはやっぱり特異な山田さん。同じようにクリカンさんが演じても当然ながら物真似になってしまう。

 物真似芸人のクリカンさんなだから別に似ていて当然と見る見方もないでもないけれど、物真似ってのは相手の特質の尖端をひっかけては、よりオーバーに演じることで見ている側にそうかもと思わせつつ、そりゃないぜとも思わせ笑わせるもの。そうやって演じられた針の振り切れたコメディ役者のルパンはだから、オーバーが上塗りされててキャラクターとしてのルパンという存在が埋もれてしまっていた。たぶん本人も気づいていたんだろうけれども、上がってくる脚本がそういうルパンばかりじゃ仕方がないと演じ続けてかれこれ16年。久々に上がってきたシリアスなルパンが登場する脚本にルパンらしさを載せて演じたその演技は、まさしくルパンというキャラクターの持つ意志、そしてどことなく漂う空虚さを見事に表現していた。というよりルパンそのものだった。

 世間ではやっぱり不二子が主役ってことで、増山江威子さんから不二子を受け継いだ沢城みゆきさんの演技っぷりが話題になっているけれど、既にテレビスペシャルでもってその完璧さを見せてくれてただけに違和感もなく、雰囲気もよくクールでちょっぴりエキセントリックで自分が助かるんだったら誰かを犠牲にしても平気な悪女って奴を演じてる。対してルパンは自分の身代わりを人に求めない義賊っぷり。そんな相容れない2人は多分この世界観ではずっと平行線をたどりながら、泥棒ってもののスタイルの差異、そして際だつルパンの格好良さって奴を感じさせていってくれるんだろう。不二子というタイトルが付きながらも間違いなくこれはルパン三世の物語。不二子をフィルターに見せるルパンアニメの真髄ってことになるのかも。小池健さんの絵もスタイリッシュ。諸手をあげて歓迎しながら見ていこう。

 えっとよく分からないけれども完璧美少女生徒会長と幼なじみの下僕少年との腐れ縁的関係が、学園を舞台に繰り広げられる話ってことなのか「めだかボックス」、とはいえ西尾維新さんの原作らしく情報を見ると異能バトルなんかもあったりするようでどういう展開になっていくのか、予想がまるでつかない。というか新房昭之監督が手がけたこれまでの西尾維新アニメってあの長広舌を聞かせる一方で絵も見せるというアクロバティックな技を見せて目と耳を引きつけていたけれど、それを佐伯昭志監督がどうやって表現していくか。少なくともビジュアル的には漫画にも抱負な脱ぎっぷりが早速披露されてて目には嬉しい限り。とはいえその明け透けっぷりは逆に例えばオープニングとかでちょい見せてくれた神代マヤの黒いのとか、あるいは「輪廻のラグランジェ」のランちゃんのハイレグっぷりに比べてそそらない印象。つまりはオープンな健全さって奴でもって裏に来る淫靡さに溢れた「峰不二子という女」から外れた聴衆を、集め育んでいくのだろう。まるでカオスな深夜アニメ。軍配はどちらに?

 そんな神代マヤがテレビ東京に再々登場していて驚いたけれども2012年っていう今を考えるならむしろベストか、人類が滅びかけている年な訳だし、そこから過去へと遡って見せる人類のあがきってやつを描きながらも、数々のオカルトが繰り広げられる学園の状況を最初は楽しく、そして途中からは割とシリアスに見せてくれるアニメーションとしてもう1度しっかり見てみよう。だったらブルーレイディスクとか買えよって話だけれども当時からすでに金が付き欠けていたんだよなあ、だから「アニメノチカラ」はまるで買ってなかったりする。「閃光のナイトレイド」くらいは揃えてみたいけれどもこれもまた高いんだ、海外版のBDがボックスで8900円で出ているから見るだけならそれで十分だけれどそれで果たしてメーカーは、って話だし、うーん、すでに回収の可能性も見切っているから気にしないで手を出すか、いっそ「アニメノチカラ」を各1万5000円とかでBDボックス化してくれれば手を出すかもしれないのに、アニプレックス。

 てっきりストラトキャスターだと思っていたらSCANDALのHARUNAが使っているギターはフェンダーのテレキャスターでボディに空洞があるホロウボディーの奴だったと発売されている音楽雑誌のGiGSの2012年5月号を見て了解、テレキャスっていうと山下達郎さんが使っているタイプのものばっかりが目に入ってピックガードが下で真っ直ぐになってそこにボリュームのゾーンが一直線に重なっているものばかりだと思っていたから気が付かなかった。そうかテレキャス使いだったかHARUNAさん。あとRINAさんがジャズベースのネックを細く削っていることも判明、下に斜めに線をいれているからマスタングベースかと思っていたら普通にジャズベースだった。あんな大きな物を振りまわすなんて凄いなあ。そういや秋山澪もジャズベースの左利き用か。ネックは削っているのかな。興味深い。

 そんなSCANDALがエンディングの後期を担当していた「STAR DRIVER 輝きのタクト」を確認したくなったけれども4巻くらいまでしか買ってなくって見られないのも業腹と、中古のショップなんかを回ってもリバティーにもトレーダーにもまるで置いてないんだ「STAR DRIVER」のブルーレイディスク。よほど売れ行きが良くって誰もが保持しているのかそれとも、売れなくってそれだけ市場に流れ出ていないのか。ともあれどうにか揃えて第6巻だけ帯つきのが見つからずアマゾンで頼んでコンプリート、したはずなんだけれども家のどこに第4巻がいったのかがちょっと分からないのが悩ましい。買ったはずなんだがなあ。とりあえずニチ・ケイトのカラオケシーンとエンディングを見て楽しもう。


【4月4日】 何の日だ? ふと気が付くとNHKのEテレでアニメーション作家でクリエーターのルンパロ・チータさんの絵本が原作になった「ズモモとヌペペ」って短いアニメーションが、「天才てれびくん」の枠内でスタートしていて、見ていて同じようなテンションで繰り返し登場しては、ズモモを起こそうとして吹っ飛ばされるメザマッシーンの健気さと哀れさに涙。報われない貢献って虚しいなあ。それでもひるまないところがメカゆえか。そこに振ってきたヌペペ。誰? 何者? どうなるの? 続きはまた来週。でも普通に見られる時間じゃないんで録画をしておくか。ここだけ夜中に再放送とかしてくれないものなのか。

 自身、インディペンデントで短編アニメーションを作って来たルンパロさんの作品がこうしてNHKに登場となって、ほかにも「鷹の爪」のFROGMANさん、「やわらか戦車」のラレコさんといった3年から5年といった間にわらわらとネットから出てきたインディペンデントなアニメーション作家の、相次ぐNHKへの登場をようやくNHKがネットの世評に追いついたか、って見方もできそうだけれど普段から短編アニメーション作家を登用はしてきたNHKだけに、ずらりと並ぶ待機リストが3年5年経ってここら辺へと回ってきたって言えるのかも。けどこの制作環境でさらに増えている大勢の若いクリエーターに、活躍の場がめぐってくるのもまた先となるのも残念な話。民放とかネット放送とか、場の拡大があれば良いんだけれどそれがお金につながらなくっては意味がないからなあ。どうしたものか。

 ご町内限定異能バトルと言ってしまえばそうなんだけれど華麗な能力がぶつかり合うというよりは、限定された能力をどう組み合わせるかで難題をクリアしていくパズル的ミステリ的要素も多々あった河野裕さんの「サクラダ・リセット」が第7巻で完結。死んでしまった未来視の少女を甦らせたは良いものの、今度はすべての力がなかったことにされてしまった咲良田市でその計画の隙をついて時間をリセットすることに成功し、同じ轍を踏まないようにして主人公の浅井ケイが策をめぐらせ敵を引き込みすべての上に立って世界をまとめあげようとする。

 力があれば嬉しくもあり鬱陶しくもある状況を見せ、その上で敢えて力を望む主人公に統制の意識も持たせて濫用に釘を差すあたりがぶつかり合うだけのバトルと違う部分。結果訪れた安定は果たして安寧足り得るか。そんなあたりへの想像も喚起させてくれる物語。暫定的な安定だけにそれが維持されなかったらどうなるか。いや浅井ケイのことだからすべてを見通して押さえつけまとめ上げていくんだろう。いっそ力を再現なしに全世界へと漏洩させては大混乱に陥れれば誰も何も鬱屈しないで済むんだけれどそれをやってしまうと他の世界規模異能バトルと変わらなくなるからなあ。地域限定だからこそ得られた組み合わせてパズルを解き明かす楽しみだったってことで。

 また戦国自衛隊物かよとか思わせながらも鉄砲撃ちって部分に話題を特化させて描いているって部分で、柳内たくみさんの「戦国スナイパー1」(講談社BOX)はなかなかの読み応え。自衛隊で守山駐屯地に所属して害獣の駆除に借り出されていた狙撃手の主人公、笠間慶一郎が得物を追っていてふと気が付くとそこは戦国時代もまっただなか。何やら狙撃の準備をしている輩が近寄る人間たちを次々と斬り殺している様に最初は映画かと思ったものの、本当に殺されていた事態にこれは違うと思っていたら向こうから武者たちの隊列。そのリーダーらしき男が罠にはめられそうになったところを慶一郎が助けて素姓を聞くと、何とあの織田信長だったから驚いた。

 時は1570年、朝倉攻めで浅井の裏切りに合って逃げ戻った京都から近江を通らず伊勢を抜けて岐阜に戻ろうとしていたところを善住坊によって狙撃されたこの一件、やっぱり現代人が戦国に飛んで活躍する戦国自衛隊フォーマットに見せかけて、主人公の入れ替わりという技を見せて独自性を出している「信長協奏曲」ではさらりと流されていたけれど、こちらでは鉄砲の戦争への導入をめぐる物語のキーとして使い自衛隊で学んだ技と現代の知識を使って慶一郎が信長配下の佐々成正に仕え戦争に合理的な銃器の使い方を取り入れ、信長配下に戻りながら信長をつけねらうスナイパーと対峙する。

 人を撃たない自衛隊だからってこともあるのか戦場でも人を撃てずに迷う慶一郎だけれどそこは大切な人を守るなり、自分を守るためには生き延びなくてはならず、生き延びるためには人を撃たなければならない世界。ギリギリの状況で引いた引き金がこの後彼にどんな運命を与えるのか。本能寺までの12年間を慶一郎がそこで信長につき合ったら現代に戻って大変そうだからやっぱりクライマックスは戦国でも最大の鉄砲戦、長篠の戦いあたりに置いて日本史上どころか世界でも希にみる戦い方において、慶一郎の技なり知識がどう活かされるか、ってあたりを描いてくれると面白そう。どこまで描くのか。


【4月3日】 震災の影響で放送がとんだのは「魔法少女まどか☆マギカ」のほかにもあって例えば「ヘブンズ・フラワー」なんてドラマが深夜に放送されてたみたいだけれども気づかないまま9話以降の放送が延期となってしまって気が付いたら、8月の終わり頃からまとめ放送が始まって、9月には未放送分も放送されててこりゃあなんだと見てしまったのが運の尽き。近未来を舞台に人類が衰亡に瀕するなかを美しい暗殺者が登場しては若い刑事と恋をするストーリーと、主演が「私の優しくない先輩」の川島海荷さんだったことから興味を持って見入ってしまった。

 三田佳子さんも出ていたりとゴージャスなキャスティングにSF的な設定でもっと話題になるかと思ったけれおdも「まど☆マギ」が各賞をかっさらっていった一方で、こっちはまるで忘れ去られていそうだった中でそれでもどうにか出たDVDボックスを、買おうにもまるで見つからず探しあぐねていたら紀伊國屋で発見。見逃すともう一生、出会えなくなりそうだと思ってついつい確保してしまったけれども第1話から見通す時間が果たしてあるか。時間はあっても根性が。そういうボックスが山とあふれた我が家あけれどもここでいっそすっぱりと、見切りを付ければ時間もできるしなあ、ちょっと考え中、割と真面目に考え中。

 屍肉ばかりを食らう魍魎って妖怪が現代にいたとしたら、土葬もなくって死体を棺桶から引っ張り出すのも大変だということで、相当に腹を空かせていそうだなんて心配してあげたくなるけれども、むしろ現代はそんな魍魎には暮らしやすそうだってことが判明。だって街を歩けば100メートルもいかないうちに何軒もコンビニエンスストアがあって、黒胡椒チキンだのフライドチキンだのといった屍となった動物の肉を実に美美味調理して出してくれる店がある。買って食べればもう満腹。死体をほじくり返したり盗み出したりする必要もない。

 いやしかしそれが妖怪にとって本当に美味なのか、やっぱり食らうのは人間が良いのかは聞いてみないと分からないけれどもとりあえず蒼月海晴さんという人が書いた「黄昏百鬼異聞録」(講談社ボックス)によるなら神楽という名の魍魎の少女は、コンビニでよくそういったものを買っては食べているらしい。別に現代っ子って訳ではなくってその由来はやがて説明されるけれども、結構な昔からいて魍魎やってて今は九十九秀真という名の鬼妖怪の類が見える夏目のような少年の周辺に現れてあれやこれやと世話を焼く。

 父親との緊張した関係がその父親の死によって解消されたのもつかの間、葬儀の会場から父親の遺体が消えていったい神楽が食べたのか、なんて話になって周辺を操作して明らかになったのは妖怪よりも人間の方が怖いかもっていった事実。そして独り身となってその家に父の弟で妖怪の研究をしていたという青年がやって来て始まった新しい日常では、王子の狐行列に参加したことで見えた常世で出会った環という名の稲荷神から、禍が街に入り込んでいると教えられ、そして学校に起こった怪異から神楽が魍魎となった因縁のドラマへと進んで対決が繰り広げられる。

 妖怪の類が見えることで嫌われ疎まれ自分に閉じこもっている夏目に対して秀真は自分が見えることに自分で折り合いを付け、社交的ではないものの通常の暮らしを送りながら妖怪の類とまあまあのつき合いを続けている。叔父の輝一がそういったものへの理解があったり、同級生の少女が割と妖怪の類が見えはしなくても好きだといったことも良い感じに作用している様子。妖怪なんていなんだという教師の言葉が、逆にそうしたものへの関心を読んで大きな怪異を呼び寄せているところを見るにつけ、人間というものは案外にそうしたものを信じたがっているのかもしれないと思えてくるけど、いざ出会うとやっぱり信じられないと驚き怖がって逃げるんだ。勝手な存在だなあ、人間。

 溜まった木くずの処分に困って東電に火力発電所で燃やしてとお願いしたら断られましたって書いてる新聞があって、おいおいいつから日本の火力発電所は木とかが燃やせるようになったんだって思ったけれども、そういうあたりの「無理なものは無理」という説明がなく、東電への悪印象を増幅しかねない一方的な内容に首を傾げていたら、今度は千葉市からとてつもない量の放射性ヨウ素が出たなんて記事が通信社から流れで、こりゃいったいと思った千葉市長が問い合わせたら千葉市ではなく発電所から出た全量で、なおかつ毎秒で示すべき数字を3600倍した毎時で出して、とてつもなさを印象づけているというものだったりして、これまたどうしてこういうことになるんだと、辟易としていた上に重ねられた人工衛星が100キロは軽すぎるという新聞の報。

 いやいや今の技術でやろうとするなら100キロでそこそこのものは出来るって東大あたりの研究室が実証していて、今も宇宙から写真が送られて来てますって言ったところで聞く耳を持たないか、あるいは知らないふりをするのはつまり、言いたいことが一方にあってそのためには科学とか、事実とかいったものをねじ曲げ隠してでも主張し続けることが肝要、そうやっていればいずれ世間もそう思うようになるからって魂胆が、あったりするかというとそうでもなくってただ単に、勉強不足なだけかもしれないところが情けないというかみっともないというか。マッカーサーの言葉をめぐる雪崩のような報道だって、誤読も甚だしいって意見が過去に出ているにも関わらず、忘れたころに引っ張り出しては喧伝して世間をそっちに引っ張ろうとする。でもすでに世間には情報網が発達していてそうした操作はすぐにバレるという寸法。かくして信頼性は損なわれ、注がれる視線は厳しくなってそっぽも向かれるんだけれど、届く賞賛しか入らない耳にはもはや崩壊の序曲は聞こえないという。未来よ。


【4月2日】 GEISAI#16ではほかに馬込博明さんという人がいてどこか可愛らしいんだけれどもどこか不気味なところもあったりする絵を描いてて気になった。黒かったり形が定まっていなかったりする生物なのか宇宙人なのか何かが画面に現れていたり、人間とか犬とかが破裂してそんな黒いものを吐き出していたり、まんまナメゴンというかそんな生物だったりする絵は小説のイラストとか表紙絵とかにも使って興味を誘いそう。単体でももちろん眺めてグッと来ます。タイプは違うけれども和田誠さんとか長新太さんとかそんな感じの不思議さかなあ。これからの成長に期待。すぐに有名になりそうだなあ。

 それから名古屋造形大ということは怪獣フィギュアの廣田慎太郎さんと同じなのかな、大崎高裕さんという人がいてこちらも淡いタッチでもってシンプルなかに動きと奥行きを感じさせる絵を描いてた。走る少女とか人物とかが描かれていても顔とかはなくキャラクターとは言えないけれど、そんな姿を写したフォルムが止まっているあずの絵にリズムを与えて見ていて飽きさせない。パステル調っていった感じの暖色を多く使う絵は暖かみがあって心を落ちつかせる。名古屋で個展もよくやっているようなのでタイミングがあったらのぞきに行こう。

 そうかブラスター・リリカの作るご飯は拙かったのか、というか弁天丸のクルーはいったいいつ頃の時代に梨理香さんのいた船にのっていたんだろう、ゴンザエモンが船長の時代はすでに梨理香さんは地上に降りて茉莉香を育てていた訳だし。そもそも梨理香さんとゴンザエモンってどういう理由で一緒になったんだ。そんな辺りへの謎は残しながらもアニメーション版「モーレツ宇宙海賊」は、黄金の幽霊船探しもどうにか収まり王女たちを見送った弁天丸に突然に通信。すぎに来て! 行ったら勲章。お騒がせ。

 そしてストーリーはインターミッション的にグリューエルとグリュンヒルデのセレニティ王女2人が茉莉香のいる学校にやってきては、ヨット部に入ってついでにポトフという名のおでんをご相伴。ちょっとだけなら味を引き立てる芥子を一気に食べてグリュンヒルデの運命やいかに。見守るキャサリンさんがちょっと可愛かった。ちょっとだけ笑顔を見せる瞬間も。そんなあたりも巧さと壮大な展開で今やシーズンナンバーワンになりつつあるアニメだけれどこの先どんな展開に行くのかな。ヨット部の船をめぐって丁々発止の結末まで行くのかな。あれは長いけどダレずにまとめられたら凄いと喝采。見守ろう。

 産経新聞で長くパリ支局長を務めて、去年だかに退いた山口昌子さんがモードとかとはまるで違ってフランスの原子力発電所政策に関する新書を出していて拝領拝読。「原発大国フランスからの警告」(ワニブックスPLUS新書、840円)は先入観として産経出身だけあって原発はやっぱり推進でそれによって安い電気料金で企業に安定した電力を送って経済を称揚させる必要があるんだ、ってな主張に偏っているかという印象もあったけれども、読むと左右にとってもバランスが取れた内容だった。

 何しろ原発は安全であってすぐにでも再稼働させるべきだって話ではなく、危険なものだかという認識から常に拒否を投じて安全確保に精を出す必要をフランス政府は認識していて、それでも事が起こった際に被る被害は甚大で、そのコストは決して安くはないからやっぱり再生利用エネルギーを模索して、節電も心がけるようにしているんだといったフランスの事情を紹介。いっそだったら廃炉に向かえば良いかというと、そこはヨーロッパ大陸で長く自立を保ってきた国らしく、エネルギーの独立、安全保障といった面から一気には廃止に傾けられない国としての立場を紹介してる。いわば原発を透かして見たフランス論って言えそう。

 実は同じようなことは、本紙の方でパリ支局長退任にあたって寄せた文章でも触れていて、フランスでは原発は「核抑止力堅持という国防政策の要」だから止めるに止められないのだといった内容のことが書かれていて、原発を持ちたがり核をも持ちたがるライティな方々の多い読者にも、そういう人たちを相手に売りたい新聞にとっても了解の範囲内にピタリとはまってた。末尾に「“白か黒か”の硬直的考え方を嫌う現実主義のフランスは、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの開発にも熱心だということも指摘しておきたい」と書いてはいても総じて印象はフランスは原発を今も進める国であり、敷衍して日本もそうあるべきだといった雰囲気が醸し出されていた。

それが新書の方ではフランスも迷っているんだといったトーン。そして「この記事には『東電のDNAは真実を言わないこと』との小見出しが冠せられ、東電が過去、いかに事故を隠蔽したかも詳述されている」「東電に関しては、読んでいて同じ日本人として赤面するような内容が次々に詳しく報じられた。仏メディアは日本のメディアと異なり、幸か不幸か、東電出稿の巨額の広告費の恩恵に与っていないからだろう」といった感じに、東京電力や日本のメディアについて決して優しくはない視線が向けられている。なるほどこれは自分の古巣の出版局からも、関連している扶桑社にもある新書シリーズからも出しづらい一冊。だからこそワニブックスから登場ってことになったのだとしたら、なかなかに山口昌子さんという人の筋はまっすぐそう。そしていち早く声をかけ出したワニブックスのフットワークの軽さも見えてくる。

 廃炉のコストも勘案すると原発の電気は安くないという、フランス会計検査院の調査結果はことあるごとに原発の電気は安いと訴えたがる日本の推進派にとっては聞きたくない言葉。それも紹介しつつ、国の自立も一方に見て、どう切り抜けるかを国も国民も真剣に模索しているところに、大人の国だっていう印象が浮かぶ。誰も逃げないで立ち向かう。だから強いんだなあ、そして美しいんだ。「フランスの原発問題は、煎じ詰めれば、『エネルギーの独立』という国家の大原則と『炭素ガスの排出制限』という地球規模の人類共通の役割、そして『安い電気料金』という生存に密着した経済性−この三つの異なる要素を『安全』という括弧でくくって回答を探し出すことにかかっているといえる」と山口さん。それをフランスは見つけて未来を開き、日本は右往左往したあげくに動けず沈み行く。そうならないためにも読まれるべき1冊。朝日新聞に書評とか載ったらちょっと愉快。


【4月1日】 もっと凛として深淵で神々しく時に居丈高でそれでも慈愛に満ちている声こそがアテナなのであって朝に始まっているのを見た「聖闘士星矢Ω」のアテナはやっぱりまだちょっとおさなくて少女じみているような気がしないでもなかったというか、そもそもが星矢の時代からお嬢さまやってたアテナがそれから10年とか20年は経っていそうな光牙の時代に少女っぽくてどうするっている話。それが純真さの現れというなら媚はいらない。艶もいらない。どこか中間に漂っているような声をだから中川翔子さんにはチューニングしていってもらって、アテナならではの神々しさをもっと感じさせて頂ければ幸い。

 前に話を伺った初代の潘恵子さんは、役作りに勤しむというより自然とその声を出せるよう、壁があっても乗り越えて進むくらいの意気込みでもって役に臨んだそうだから。それにはやっぱり半年1年の修養が必要だろうなあ。それくらい続くのかなあ「Ω」。というか午前6時半からのスタートは子ども向けにするには朝が早すぎるし、かといって大人が見るにはもはや深夜ではなく明け方も早朝だからやっぱり中途半端。録画して見るなら大人向けだけれどそういう見方をされても前のようなムーブメントは置きづらいし。何かそういうミスマッチが多いよなあ、最近。絵柄はまるでプリキュアのハートキャッチなんだから連続して流せば男の子女の子をがっぽり惹きつけられるのに。周辺はがっちり抑えられてて入り込む余地もなし。そんな送り出し方をしているからもうアニメなんていらないって思われるんだよなあ。普通に夜やれ土曜午後7時からやれ。

 こっちはつまりは日曜日の気だるげな朝を平田広明さんボイスでもってくっきり目覚めさせて欲しいと願う婦女子が見るから午前7時からでも大丈夫な「宇宙兄弟」。時間的には「交響詩篇エウレカセブン」と同じなんだけれどもあっちはどこか深夜の31時って雰囲気がややあったのに対して「宇宙兄弟」は日曜朝に何かマッチしたゆるやかさってものが漂っていそう。今はおっさんになった六太が頑張って宇宙飛行士になるまでって話なんだけれどもそんな内容が今に膿んで未来を儚んでいる20代あたりのハートをキャッチしそう。今はおっさんおばさんばかりだけれどもやがて宇宙飛行士候補の若い人とか出てきてビジュアル面でも楽しめる作品になってくれるかな。上江洲誠さんはこれにシリーズ構成で参加でゲームな作品とか深夜な作品が多かった上江洲さんがどこかメジャー感漂う作品に本格的に入ってきたって感じ。でも同時にこれゾンとかやってたりするんだよなあ。不思議な感性。

 ネットを見てたらアニメ・コンテンツ・エキスポの当日券が午前の9時過ぎの時点で売り切れそうとの報があってそして午前10時過ぎには本当に完売となてしまった模様で、昨日今日にこんなイベントあるんだと知ってそれなら出かけてみようかとはるばる幕張メッセまでやって来た人には結果として門前払いを食らわせた格好。なるほど前売券が相当数にはけて当日券は少ししか出ないといった情報はあるにはあったけれども、まだ1回目のイベントで、そうした前例を知る人もそうはおらずだいたいがライブやスポーツのイベントじゃない展示会なんだから、当日券が早々に販売停止になってしまうのってあんまり一般通念から理解し難い。

 だから遅くに来てお引き取りを願わされた人を攻めるのはちょっと酷。前売り券がおそらくはステージ観覧の抽選とセットになっててそれで複数買いなんかが出てそれを来場者数にカウントした結果、1から3ホールの実質2ホールくらいしか使えていない展示場に入りきれる人数じゃないと判断して当日券を絞った可能性なんかを鑑みるに、どこかにオペレーション上のデコボコがあったような気がしてる。これを今後の糧とするべきかそれともこれを最初で最後にして来年は東京国際アニメフェアという場で大人も子供もオタクも腐女子も誰もが楽しめるイベントに戻って欲しいと願うべきか。悩ましいところではあるけれども東京国際アニメフェアであれだけ海外からやって来ていた人たちに、今回のACEの豊穣なコンテンツがまるで知れ渡っていないというミスマッチは、改善されてしかるべきだと思うんで是非にひとつ見直しを、そして誰もがハッピーになれるイベントを。東京国際アニメフェアが幕張でやってくれりゃあ近いんだがなあ。僕的には。

 どっちみち今日はACEに行く用事がなかったんで方角を買えて浜松町へと出てモノレールで流通センターへと回って朝日新聞の入社試験を受験、じゃないその隣でやってたGEISAI#16を見物、これでいったいどれくらいのGEISAIに出ているだろう、皆勤賞ではにあけれども結構な比率でのぞいているような気がするなあ、それが人生に何の役にもたってないけれど、気分は相当に潤っているから別に良いのだ。とりあえずぱっと見て無茶苦茶気になったアーティストはLee Han chingというアジアの人で、ガンプラとかガチャポンとか自分の気に入った玩具をスーパーリアリズムの技法で画いてて見るからに目にぐっと来るものがある。手前にピントがあって奥がボケるレンズの具合とかの表現もなかなか。ガンプラの上半身を画いた物もあれば脚だけを横たわらせて画いたものもあったりと種々多彩、あと「よつばと」に出てくるダンボーなんかも画いてた。どういう出自の人なんだろう。そしてどこまで行くんだろう。気になる気になる。

 あと中学生という内山航さんが出してた「プレゼントはどこからくるか」というドローイングの作品。遠目にえらくとっちゃん坊やな人がいるなあと思って近寄ったら本当に坊やだったというこの驚き! でも喋りは達者で作品への思い入れもちゃんと話してくれて、ただ単に惰性で画いているんじゃないアーティストとしての矜持って奴が滲んでた。作品自体はクリスマスの日にサンタクロースが工場で、プレゼントを生産して送り出すまでの流れを描いた作品。子供のころにロボットとかが作られたり正義の味方達が集ったりする“僕の考えた工場”“僕の考えた秘密基地”の懐かしきビジョンを、集中して執着して作品にまで仕上げたところがやっぱり凄い。その執着をより突き詰め細かくしていくことによって滲み出す、物語性とは別のデザイン性ビジュアル性がちょっと面白そう。果たしてどんな反応を得たかな。次も出るって言ってたんで聞きに行こう。それまでに超有名になっていたりして。

 戻ってアートフェア東京に寄ったらかつてGEISAIとかデザインフェスタに作品を寄せていてそこからアートの世界へと抜けていった大畑伸太郎さんの作品が全部売れていて何かちょっと嬉しいかも。2003年の11月に開かれたデザインフェスタで見たのが多分最初。「雨に佇む少女の叙情性が心にキュンと来る大畑伸太郎さんの作品も展示されていて、写真とかで見てはわからない背景の筆遣いなんかが確認できて面白かった。色を塗り重ねているだけのよーな粗いタッチが離れるとちゃんと街の夜景になるんだよなー、画家って凄い」って感想を書いていたけどそのまんまの世界観を突き詰め腕前もアップさせて立体にも挑むようになった掴んだこのポジション。そして世界へと羽ばたこうとしているその姿を横目に自分はこの8年、何をやってたんだろうなあと鏡を見る。ほとんどニートな穀潰しがそこにいる。やりたいことをやるしかないのか。やっぱり。やるか。今こそ。

 神奈川へと回り中華街の適当な店でご飯を食べてから大桟橋あたりのカップルを眺め見つつ時間を潰してから神奈川県民ホールでの山下達郎さんのコンサート。昨年から始まったツアーのことごとくに外れてこれが唯一の観賞になったけれども場所も良く空気も良く達郎さんの調子も良さそうでなかなかに良いライブになった。実に3時間40分ちょいは過去に聞いたものでも最長暗い? アンコールあとからの楽曲でテレキャスターだけの弾き語りを聴かせてくれたのが珍しかった。あとギターの佐橋さんとのバトルでいつもはカッティングだけのテレキャスで旋律を弾いたりしてなんだこれでも弾けるんだってところを見せていた。やっぱり巧いよ達郎さん。でも自分はサイドに回りカット中心でメインは任せる。そこが一流の証なんだろうなあ。あとサックスが土岐さんから変わってた。28歳の若い人。宮崎在住のジャズミュージシャン。これからどんな運命をたどるのか。注目。


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