Seven Days on a Romantic Novel
ロマンス小説の日間

 のっけから段下がりで綴られるのは、西欧の中世っぽい場所を舞台に父を亡くし、兄も弟もいない美貌の女領主アリエノールが、国王から夫をもらうようにと命令され、いったいどんな男がくるんだろうか、自分はその男を愛することができるんだろうかと悩んでいる場面。

 続いて同じく段下がりで、若さと美しさ、そして強さまでをも兼ね備えた騎士ウォリックが、国王に命じられ、父を亡くしてひとり領地を守っているアリエノールを妻にするべくノーザンプルへと、伴のシャンドスを連れて向かう。手に「オリハルコンの剣」を持って。

 ちょっと待って! と、そこで段も上がって綴られ始める「私」の言葉こそが実は、三浦しをんの小説「ロマンス小説の七日間」(角川文庫、590円)の本編。段下がりで綴られるアリエノールとウォリックの話は、海外小説の翻訳を生業にしている「私」こと遠山あかりがただいま翻訳中の、ロマンス物語の冒頭だったりする。

 中世を舞台にした姫と騎士の冒険があって波乱があって、それでも成就する恋を描いたロマンス小説にどうしてまた「オリハルコン」なんてファンタジックな代物が? そう訝って止まったあかりの筆は、さらに襲い掛かってきた新しい波乱に、なおいっそうの混乱を来すこととなる。

 あかりが仕事をしている場所は、5年も付き合い半同棲の状態になっている矢野神名くんのマンション。ところが珍しく早く帰ってきた神名が言うには、会社を辞めて来たとのこと。相談もなく展望もない彼の言動に、あかりは憮然としながらもいつものことだと付き合いは続け、一方でロマンス小説の翻訳を急ぐ。

 段が下がって差し挟まれるロマンス小説はと言えば、アリエノールが美貌と知性の持ち主と知ってウォリックは彼女を愛し、ウォリックが勇気と容姿を兼ね備えた騎士だと知ってアリエノールは彼を愛する。そこに迫る陰謀あり。アリエノールの領地に目を付け彼女を妻にしようと企んでいたハロルドという貴族が、ノーザンプルへと手下を送り込んではウォリックと共のシャンドスの命を脅かす。

 心から愛し合い、助け合って困難を乗り越えようとする2人。翻訳中のロマンス小説の主人公たちを一方に見て、あかりの気持ちにいつしか苛立ちが生まれて来る。汗を流しながら翻訳の仕事に勤しむ自分を横目に、思うままにふらりひらりと生きる神名。それだけならまだしもそんな神名に恋慕の情をほのめかす少女が現れて、あかりの心は惑乱に揺れる。

 そして起こったとんでもない事態。翻訳中のロマンス小説が、本来のストーリーから外れて誰も予想しなかった方向へと進んでいってしまう。あまりに通俗的な冒頭に、どんな結末かをあかりはすでにのぞき見て知っていた。ところが段下がりで綴られる”翻訳中”のロマンス小説の展開は、絶対にその結末へとは至らないようなものになっていた。

 どうしてそうなってしまったのか。理由は簡単、神名とのうまくいかない関係に悩んだあかりが、ロマンス小説を自分の気持ちに沿うよう勝手に変えて、翻訳してしまっていたのだった。この先いったい翻訳小説はどうなってしまうんだろう? そして2人の仲はどっちへと向かって行くんだろう? そんな興味を展開の中で早くから読者に抱かせ、物語へと引きつける手際に作者の上手さを感じる。

 お姫様と王子様の揺るがぬ愛だったはずなのに、どんどんと歪んでは不倫的とも耽美的ともとれそうな方向へと進んでいく翻訳中のロマンス小説の展開が、実生活でのあかりと神名とその周囲の、ドタバタとした動きと裏表の関係になって重なり合う。恋愛に揺れ動く女性の心を、リアルとバーチャルの双方から描き出してみせた物語と言えそうで、着想の楽しさに加え、見事に1編の物語として結実させた展開力の巧みさに感嘆する。

 先に到達した翻訳中のロマンス小説の”改良版”、あるいは”妄想版”のエンディングが、その強さと爽やかさを持って現実の2人を包み込んだだろうことを伺わせるラストの鮮やかさといったら。神名はきっとその結末を気に入っただろうと思う。素直に気に入ったとあかりに言うかどうかの保証はないけれど。

 イメージできるのは「いたいけな瞳」のシリーズで描かれた吉野朔実の短編漫画。漫画家としてネームに締め切りに急かされる女性の横で、昼寝も夜寝もし放題な彼氏が1人いて、実は担当編集者でもあっってそんな彼に漫画家が、苛立ちながらも癒されるという間柄が面白かった。

 なるほど漫画で2人の不思議な関係は描けられないことはないけれど、ロマンス小説というバーチャルの世界をまず面白がらせ、それがリアルに影響されて歪んでいく展開で面白ろがらせるのは小説ならではのもの。小説家としての三浦しをんの、それが価値だし才能なんだということを思い知らされる話だと言えるだろう。


積ん読パラダイスへ戻る