アメリカのパイを買って帰ろう 沖縄58号線の向こうへ

 カレーといえば愛知県一宮市が発祥の「カレーハウスCoCo壱番屋」が、名古屋近辺の人間にとって既にしてソウルフードとなっていることは明白だが、遠く沖縄の地において、基地に駐留する米軍の人たちにもとっても、「ココイチ」のカレーが大切な食べ物になっていたのだと、果たしてどれくらいの人が知っているだろうか。

 駒沢敏器が書いた「アメリカのパイを買って帰ろう 沖縄58号線の向こうへ」(日本経済新聞出版、1700円)の中に登場する「CoCo壱番屋 北谷国体道路店」。極東で最大規模を誇る嘉手納基地のフェンス沿いを走る道路に立つこの店では、駐車場に軍用車が並んでいて、店内に軍人がおしかけカレーを食べている姿がひんぱんに見受けられるという。

 他にも沖縄には何店かの「ココイチ」がある。だが米軍人が訪れるのはこの「北谷国体道路店」。基地に近いということもあるのだろうけれど、その店に行けば、といった情報が軍人たちの間に強い形で広まっていて、他に行くよりもそちらに行くべきといった考えが蔓延っているかららしい。

 そして、集まってくる軍人向けに英語が通用するようにしたり、ドル紙幣での支払いを可能にしたりとサービスの向上も欠かさなかったことが、「北谷国体道路店」にさらなる軍人の来店を招いたという。なるほどと納得させられる。

 違う、そうしたサービスの質よりも、カレーライスという日本に独特の食べ物を、アメリカのそれも軍人が競い合うように食べに来るのかということの方が問題だ。なぜならそこは沖縄。ハンバーガーでもステーキでもピザでもアップルパイでも、アメリカ人になじみの食べ物の店は幾らだってある。それなのにカレーライス。それも「ココイチ」というやや独特のレシピを持ったカレーライス。

 美味いと思っているのか? 思っているから通うのだろう。なおかつ「ココイチ」ならではのシステムで、トッピングを乗せられることが米軍人にとってとても重要なことらしい。自由の国・アメリカに生まれた人にとって、固定された定食なんて抱きすべきもの。好みに応じて具も量も、辛さまでもチョイスして自分ごのみのカレーを仕立て上げることに、自意識というものを現せるのだと感じて通っている。そいういった見方もされている。

 好みではチキンカツが選ばれるのが多いとか。決してフライドチキンではない。「ココイチ」にはフライドチキンのトッピングもあるが、出るのは圧倒的にチキンカツ。ある来店者はチキンカツにチーズでライス大盛り(500グラムくらい?)で辛さはレベル3、プラスコークを頼むのが「ほとんどプログラムみたいなもの」になっているという。これが「郷にいれば郷に従え」という奴か。

 アンケートを書いてもらうボールペンのようなグッズが消え、店頭ののぼりが記念品にしたいという米軍人によって奪われる事件も起こっているくらいの「ココイチ」人気。日本にあって米軍の基地が巨大な面積を占めていて、米国人が日常的に街を歩いている島だからこその現状が、「ココイチ」の妙な人気ぶりから伺える。

 「アメリカのパイを買って帰ろう」は、そんな沖縄の沖縄であるが故の事情を、食から音楽からキリスト教からとさまざまなファクターに見いだしてつづった紀行文だ。

 食ではポーク缶詰、つまりは「SPAM」についての記述もある。豚のクズ肉を固めて作ったランチョンミートの缶詰が「SPAM」。後に迷惑メールを言い表す「スパム」の語源にもなるくらい、決して歓迎されていない食べ物であるにも関わらず、沖縄において「SPAM」は、日常に欠かせない食材となっている。ハムの変わりに「SPAM」を切って混ぜて焼いた卵焼きのポーク卵はおふくろの味。沖縄名物のゴーヤチャンプルも最近では豚肉ではなく「SPAM」が使われるケースが増えているという。

 これほどまでに現地の食材となっている「SPAM」の缶詰を、東京にできた沖縄のアンテナショップに出そうとした時に、一悶着が起きた。もはや沖縄に欠かせない味だという出店者側の意識に、沖縄原産の食べ物ではないとお上が文句をいってきた。

 それをいうなら讃岐のうどんだって小麦粉は外国産。国産の小麦なんて現在の日本であり得ない。原材料ではないとはいえ料理に欠かせない品なら、もはやネイティブな食材だといえる。それを否定するのは、「SPAM」が広まった沖縄の戦後の歴史を否定することでもあると出店者は主張する。けれどもお上にはそういった理屈は通用しない。沖縄の人の中にもそうした“戦後”を消そうとする意識が時にはあったりするから難しい。

 沖縄では有名な「ジミー」というアップルパイのチェーン店を作った創業者に、著者は何度もインタビューを依頼するものの、そのたびに断られていた。立身出世の話ならば披露してしかるべき。けれどもそんな立身出世の源流に、占領されて間のない沖縄の人たちが、生きるために重ねた合法非合法を含めたさまざまな苦労があって、今だからといって誇らしげに語れるものではないらしい。

 沖縄は1972年までアメリカだったという事実。復帰から40年近くが経って、覚えていない世代が文化でも社会でも主流を占めるようになってしまった社会あって、厳然として存在した米国による占領統治の記憶が、そうしたエピソードから浮かび上がってくる。かつて存在した英語による放送も同様。FENという有名なラジオ局ではない英語放送が沖縄にはあって、紆余曲折の果てに沈黙していった経緯が掘り起こされる。

 たとえ人々の記憶からは薄れていっても、存在した事実の向こうに、占領という沖縄の事情が見えている。

 占領からの解放がハーフへの差別を激しくさせたという記述は、状況に左右されやすい日本人の感情を表しているようで、どうにも居心地が悪い。今はむしろそうしたハーフの活躍が、ハーフへの憧れとなって若い層の間に広まっているようだけれど、やがて事あればどう転ぶか分からない不気味さも一方には依然残る。

 全体から醸し出される感情ではなく、個人が個人として何をどう思い、誰をどう認めるのかを確かにしておくことが、揺るがない価値観を育む上で欠かせない。沖縄という場所を見ること、沖縄という場所がたどった歴史を知ること、沖縄の社会が今もどんな過去を引きずって存在しているのかを感じ取ることから、流されないで踏みとどまり、前を向いて歩み出す力を得よう。


積ん読パラダイスへ戻る