奥田英朗作品のページ No.1


1959年岐阜県岐阜市生。プランナー、コピーライター、構成作家を経て、98年「ウランバーナの森」により作家デビュー。2002年「邪魔」にて第4回大藪春彦賞、04年「空中ブランコ」にて 第131回直木賞、07年「家日和」にて第20回柴田錬三郎賞、09年「オリンピックの身代金」にて第43回吉川英治文学賞を受賞。


1.イン・ザ・プール

2.マドンナ

3.野球の国

4.空中ブランコ

5.サウスバウンド

6.ララピポ

7.ガール

8.町長選挙

9.家日和

10.オリンピックの身代金


純平考え直せ、我が家の問題、噂の女、沈黙の町で、ナオミとカナコ、我が家のヒミツ、向田理髪店、ヴァラエティ、罪の轍、コロナと潜水服

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リバー、コメンテーター

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1.

●「イン・ザ・プール」● ★☆


イン・ザ・プール画像

2002年05月
文芸春秋刊

(1238円+税)

2006年03月
文春文庫化



2002/12/23

「ヘンなビョーキの博覧会。新・爆笑小説」という宣伝文句は、ちょっと大袈裟。
とは言いながら、ヘンな病気の持主に加え、それ以上にとんでもなくヘンな精神科医が登場するのが、この連作短篇集のミソでしょう。
病気のオンパレードといえば、山本文緒「シュガーレス・ラヴを思い出します。文緒作品が切なさを基調としていたのに対し、本短篇集の基調は滑稽さ。
水泳中毒、勃起しっ放し、ケータイ中毒
等々と、各々滑稽な症状ですが、病気である以上患者にとっては深刻なこと。それを珍妙なストーリィに至らしめているのは、ケッタイな精神科医・伊良部と、無愛想だけど露出狂らしい看護婦・マユミのコンビです。
この伊良部がどれだけ変かというと、注射フェチ、マザコン、おまけに悪ノリは際限なし、という具合。
しかし、本書に登場する病気はいずれも現代人らしい神経的なもの。となれば、生真面目に治療方法を考え込むより、いっそ笑い飛ばしてしまおう、というのが本ストーリィの趣旨のようです。だからこその爆笑小説。

果たしてこの伊良部、名医なのか? 何時の間にか伊良部・マユミのコンビに愛着を感じてしまう、愉快な一冊。気が塞ぐような時にはお薦めです。

イン・ザ・プール/勃ちっ放し/コンパニオン/フレンズ/いてもたっても

 

2.

●「マドンナ」● ★★


マドンナ画像

2002年10月
講談社刊

(1400円+税)

2005年12月
講談社文庫化



2002/11/29

四十代の“課長さん”たちを主人公にした短篇集。
奥田作品は初めて読んだのですが、上手いですねェ。

収録されている作品は5篇。それぞれを語るには、コース料理に例えるのが相応しい。
表題作の「マドンナ」は、課長さんが配属されたばかりの若いOLにすっかり惚れ込んでしまうというストーリィ。コミカルで軽い作品です。ちょうどオードブルといった感じでしょう、読む気をそれとなく呼び起こしてくれます。
3作目の「総務は女房」。おおっとばかりに次の展開を期待させながら、最後はサラッと流してしまう。結末自体には抵抗感を覚えますが、会社内部の既得権エゴが浮かび上がってくる辺り、心憎いものがあります。
いよいよ圧巻=メイン料理と言えるのが「ボス」。同い年の女性が上司になるというストーリィ。コミカル要素に加え、ハラハラドキドキという面白さもあり、食べ応え充分です。
そして最後の「パティオ」は、まさしくデザートのように爽快。

サラリーマン小説というとつい山口瞳作品と比較してしまうのですが、会社員のシンドサを描いた山口瞳作品と比べると、なんと時代は変わったものか。
どの篇にもコミカルな味があるのは、根底に所詮それぞれのエゴがあるから。まるで自民党族議員のパロディを読むようでもあります。また、登場する妻たちの存在感が大きいのも特徴です。
面白く、かつ満足できる一冊。お薦めです。

マドンナ/ダンス/総務は女房/ボス/パティオ

    

3.

●「野球の国」● 


野球の国画像

2002年10月
講談社刊

(1400円+税)

2005年03月
光文社文庫化



2003/03/31

真っ青な空の表紙カバー、その明るさに惹かれて読んだ一冊。
奥田さんがプロ野球の試合を追っかけて、各地の球場をめぐった平成14年の野球観戦記+旅行記です。

作家としての悩みをボヤキつつも、サラリーマンが働いている日々、のどかに各地の旅行気分を味わいながら野球観戦に回っている様子は、やはり楽しそうです。まして、殆どは各地の一級ホテルに泊まっているのですから、そう居心地が悪い訳ではない筈。それでもなお睡眠不足、身体の不調を訴えているのですから、何とも言いようがありません。
その雰囲気からは、山口瞳さんの紀行文が思い出されます。しかし、押しが強くないところ、旅の連れがいないところが、山口紀行に比べておとなしい印象になっています。やはり旅は、連れがいた方が賑やかなようです。
沖縄でのキャンプ見学から始まり、ダイエー・オリックスによる初の台湾公式試合、2軍戦の「東北編」を経て、最後はマスターズリーグ(プロ野球OBリーグ)の「九州編」までという内容。
本書中奥田さんも述懐していることですが、都会の球場で勝敗にこだわって試合観戦するより、気持ちの良い空の下、時には昼寝したりと気楽に観戦している方が、余程楽しそうです。
ちなみに奥田さんは、中日ファンとのこと。

沖縄編/四国編/台湾編/東北編/広島編/九州編

   

4.

●「空中ブランコ」● ★★         直木賞


空中ブランコ画像

2004年04月
文芸春秋刊

(1238円+税)

2008年01月
文春文庫化



2004/10/31

イン・ザ・プールを初めて読んだ時、これはゲテモノ的な面白さだなァと思いました。
奇妙かつ不気味と言いたくなるような精神科医の伊良部一郎に、無愛想だけれどひどく色っぽい看護婦のマユミ。このコンビ、真にオカルト的でありました。
本書は、その「イン・ザ・プール」の続編となる短篇集。
伊良部とマユミのコンビに馴染んだ所為か、また奇病にも慣れた所為か、前作に比べてこなれた気がします。もっとも、まとまり過ぎかもしれません。

本書に登場するのは、空中ブランコができなくなったブランコ乗り、尖端恐怖症のヤクザ、医学部長である義父の鬘を剥がしたい衝動にかられる医者、一塁への送球ができなくいプロ野球の名三塁手、既に書いた話ではという強迫観念にかられる女流作家。
いずれも自分の本心を抑え込んでいるからこその症状。
患者を煙に巻くようなケッタイな精神科医・伊良部ですが、実は名医なのでは?と思えてくるところが楽しい。
※5篇の中では、尖端恐怖症のやーさんを描く「ハリネズミ」が最も笑えます。

空中ブランコ/ハリネズミ/義父のヅラ/ホットコーナー/女流作家

  

5.

●「サウスバウンド」● ★★


サウスバウンド画像

2005年06月
角川書店刊

(1700円+税)

2007年08月
角川文庫化



2005/10/19

東京・中野区に住む小学6年生の上原二郎が主人公。主人公自身は意地っ張りなところはあるものの、ごく普通の小学生。
ところが、この父親がとんでもない困り者。国で定められているという事柄にはやたら敵愾心を発揮し、周囲の目など一顧もせずに相手を面罵するのが常。そのくせ働きもせず、作家を自称して家でゴロゴロしているだけ。
読んでいるだけでもホトホトうんざりし、放り出したくなってしまうのですから、子供にとってはさぞかし困りもの。
元々が「革共同」という過激派の有名な闘士だったからと判って納得するのですが、その騒動に巻き込まれて一家で沖縄・西表島へ引越しを決断するまでが前半部分。

後半は西表島の廃村で、何もない状況からスタートする一家の様子が主人公と2歳下の妹・桃子を中心に描かれます。
なんとみじめな生活かと思うのですが、頭の痛くなるような前半ストーリィから一変して、のどかで伸び伸びした生活風景になってしまうのですから驚いてしまいます。
東京では何もしなかった父親が率先して力仕事に取り組み始めるのですから、何ともはや。この父親、例えてみれば野生のヤマネコを檻(都会)に押し込んで飼い慣らそうとして失敗した、ということだったのかもしれません。そう思うと納得できてしまうのです。
融通無碍な島の住民たちや、僅か5人という小学校の生徒たちとの交流は、前半がまるで嘘のような楽しさです。
まさに面白い!、楽しい!としか言いようがありません。
こんなに楽しく暮らせるのなら、国もいらないし、戦争など起きることもないという二郎たちの感想には、まことに同感。
奥田さんはこの物語を借りて、理想的な社会とは何ぞやと投げかけているのでしょうか。
でも、そのまま平穏に最後までいかないのは、元革命家たる父親と母親のそれらしいところ。最後にはとんでもない騒が繰り広げられるのですが、東京ではハタ迷惑な騒動であろうと、ここでは喝采を浴びるような始末になってしまうのですから愉快。
型破りな父親の一郎、母親のさくらが個性的な人物であるのは勿論のこと、洋子・二郎・桃子の姉弟妹も生き生きとしていて、すこぶる魅力的な作品に仕上がっています。

第一部で挫けそうになっても決して放り出さず、第二部まで持ちこたえてください。きっと楽しい思いが味わえる筈です。

   

6.

●「ララピポ」● ★★☆


ララピポ画像

2005年09月
幻冬舎刊

(1500円+税)



2005/12/20

読む人によって評価が分れそうな作品ですが、私としては面白かった。
つまり、主人公たちのお粗末さに呆れ返りながらも、ついつい引きこまれ笑ってしまう、ということです。

ストーリィはというと、一にも二にもセックス、三、四がなくて五も六もセックスという按配。呆れる程セックスの妄想に取り付かれている人間ばかり登場します。
他人のセックスを盗聴して自慰にふけるフリーライター、風俗・AV専門のスカウトマン、AV女優に転じたセックス好きの中年主婦、NOが言えないまま援助交際に店を利用されるカラオケBOX店員、援助交際の女子高生にハマって自制を失った官能小説家、男を釣って裏ビデオ撮りする官能小説の女性リライター。
各篇セックスばかりといっても、どの主人公も堪能しているというより、むしろセックスに振り回されているといった観があります。その挙句、最後は自ら墓穴を掘って破滅してしまう、まさに自業自得という按配です。
あまりに愚かしい振る舞いばかりですが、何故そうかというと、先行きに確かな見通しも希望もなく、その日暮らしを繰り返してため。だからこそ、眼の前にある快楽(セックス}を貪ってしまう、というパターンなのです。
その点、ある意味で彼らは正直と言えます。自分の抱えている欲望に本能のまましたがっているのですから。
しかし、単純に彼らを笑って済ませられないのは、彼らと私たちの間にどれ程の違いがあるか、紙一重の違いではないか、と思い当たるからです。
セックスに翻弄された挙句に身を滅ぼす愚かさを笑ってしまう中に、自分だってもしかしたらという苦味が混じる、本書はそんな面白さを味わわせてくれる作品です。

各篇の主人公、各篇のストーリィがお互いに絡み合い、同時進行し、最後は大団円に収束するという手際はお見事。
また、最終章の主人公である女性リライターの人物造形がすこぶる上手い。自分の実像をしっかり把握している分、所詮男性は女性に敵わないものなのか。
空中ブランコにはけったいな可笑しさがありましたが、本書では奥田さんの油断ならない上手さ(面白さ)を十二分に感じさせられました。

WHAT A FOOL BELIEVES/GET UP,STAND UP/LIGHT MY FIRE/GIMMIE SHELTER/I SHALL BE RELEASED/GOOD VIBRATIONS

  

7.

●「ガール」● ★★★


ガール画像

2006年01月
講談社刊

(1400円+税)

2009年01月
講談社文庫化



2006/06/09



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上手い! そして面白い! 文句なし!
朝食をとりながら読み始めたら、面白くてつい出勤するのを忘れそうになってしまいました。それくらい面白い。駅で降り損ないそうになったということは幾度もありますけれど、出勤し損ないそうになったというのは初めてのこと。
独身や既婚者、バツイチとその状況は様々なれど、仕事に頑張っている30代半ばの女性たちを主人公にした短篇集。

奥田さんの作品に、中堅社員たちを主人公にした短篇集マドンナがありますけれど、端的に言ってしまえばその女性版と言えます。とくに、新人のOLに気もそぞろになってしまった課長さんを描く「マドンナ」と好対照なのが、最後の「ひと回り」
イケメンかつ好青年の新人社員につい年の差を忘れて若い女性社員と張り合ってしまうベテランOLを描いた一篇です。
もっとも、私のお気に入りは、課長に抜擢された女性の苦労を描いた「ヒロくん」と、マンション購入を考え始めた途端これまでの強気が挫けてしまったベテランOLを描いた「マンション」の2篇。いずれも最後のオチがとてもユーモラスかつ痛快。
多額の住宅ローンを組むとなるとこうなるんですよぉ、判りますか、ベテランOLさんたち。
一方、バツイチ・息子一人を抱えて営業部に復帰した「ワーキング・マザー」はとても爽やかです。仕事に子育てにと全力投球する主人公の素敵な頑張りに惚れ込んでしまう気分になるのは、きっと私だけではないでしょう。

一応女性の立場から描いたストーリィですけれど、主人公を男性社員に置き換えても通じる会社員ストーリィばかり。
だからこそ男性が読んでも主人公の女性たちに親近感を抱きますし、主人公たちの元気良さに励まされることが多い。
本書を送り出してくれた奥田さんに、喝采を贈ります。

ヒロくん/マンション/ガール/ワーキング・マザー/ひと回り

※映画化 → 「ガール

     

8.

●「町長選挙」● ★☆


町長選挙画像

2006年04月
文芸春秋刊

(1238円+税)

2009年03月
文春文庫化



2006/05/18



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ヘンな症状をもつ患者と、それ以上にヘンな精神科医・伊良部一郎+色っぽいが無愛想な看護師・マユミの登場する連作短篇集、第3弾。

しかし、本書に登場する患者はそうヘンな症状ではないし、伊良部もふざけている割には結構名医ではないか感じられるところがあって、この第3弾はやけに大人しくなってしまったなぁ、という印象です。
つまり、その分刺激性に欠けるということ。それを補うつもりであるのかどうか、うち3篇には時勢に合った著名人を戯画化したような患者が登場します。
具体的に言ってしまうと、「オーナー」ではプロ野球・巨人の渡辺元オーナーに似た田辺満雄オーナー(通称ナベマン)、「アンポンマン」ではライブドアの堀江氏に似たIT会社社長・安保貴明(通称アンポンマン)、「カリスマ家業」では黒木瞳さんに似た人気女優・白木カオルが登場します。
ちょっとほんのりする部分、食べたいものは食べられるのが一番と思う部分あり。
ただし、イン・ザ・プール空中ブランコに比べ、伊良部とマユミの毒気がはるかに薄れた分を、時事性と患者のキャラクターでまさに補ったというところ。これでは本来の魅力が薄れたといわざるを得ない。
「町長選挙」は東京を離れ、都下の離島・千寿島が舞台。ここでは4年おきに島民が2派に分かれて激烈な町長選挙戦が行われるのですが、その渦中に千寿島へやってきた伊良部とマユミを巡る話。ノリの良い篇ですが、やっぱり毒気は薄れている。
まぁ、気楽に読める連作短篇集ではあります。

オーナー/アンポンマン/カリスマ稼業/町長選挙

 

9.

●「家日和」● ★★       柴田錬三郎賞


家日和画像

2007年04月
集英社刊

(1400円+税)

2010年05月
集英社文庫化



2007/04/30



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四十代の課長さんたちを描いたマドンナ、OLたちを描いたガールと来て、今回のテーマは“家”
単純に“家”と言っても、家庭生活、夫婦関係、住居、家族とその差すところの中味はいろいろ。本書はそんな“家”を様々な角度から描いた短篇集です。

「サニーデイ」はネットオークションに夢中になった主婦の話。「ここが青山(せいざん)」は勤務先が倒産して妻が職場復帰し、夫は主夫業にやり甲斐を見い出すという夫婦の話。
「家においでよ」は妻と別居してがらんとした家に、オーディオセット、ホームシアター、ソファー等を次々と買い込み居心地の良い男の城を作り上げてしまう夫の話。
「グループフルーツ・モンスター」は淫靡な夢想に興奮してそれを膨らませる専業主婦の話。
「夫とカーテン」は、事業を興しては失敗を繰り返す夫に呆れながら、それを刺激にいつも傑作を描き上げるイラストレーター業の妻の話。
「妻と玄米御飯」は、“ロハス”にはまった妻のお陰でいろいろと忍従を迫られる作家の夫と双子の子供たちの話。

どれもごくフツーの家庭を描いているようでいて、夫婦、家庭のあり方も今やそれぞれ、とさりげなく説いているところが奥田さんの巧妙な味わい。
幼稚園児の息子があっけらかんと「パパの会社がトウサンして」と言ってのけ、その度に周囲の大人たちは凍りつき、そんな周囲や親の思い込みを夫婦2人で笑ってしまうという「ここが青山」が楽しい。
「サニーデイ」には呆れながら曳き込まれ、「家においでよ」には痛快さを感じ、「妻と玄米御飯」には正論を吐かれると叶わないよなぁと親近感を抱くと同時に、作家故の苦しさに笑いが込み上げます。
さりげない家庭話にささやかな味わい。気持ち良い短篇集です。

サニーデイ/ここが青山/家においでよ/グレープフルーツ・モンスター/夫とカーテン/妻と玄米御飯

注:「人間(じんかん)に青山(せいざん)あり」・・・「人間」とは世の中のこと。「青山」とは墓場、骨を埋める場所のこと。

  

10.

●「オリンピックの身代金」● ★★☆       吉川英治文学賞


オリンピックの身代金画像

2008年11月
角川書店刊

(1800円+税)

2011年09月
角川文庫化
(上下)

2014年11月
講談社文庫化
(上下)



2009/01/04



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話題作。読む予定はなかったのですが、偶々手に取れるところに本書があったので読んだという次第。
昭和39年の夏、アジアで初めて開催される東京オリンピック。
オリンピック開催の興奮に沸きあがる首都のお祝い気分の中、一人の東大生がオリンピック妨害を目的に掲げ、テロリストとして警視庁に脅迫状を送りつけた。
東京オリンピック開催当日までの、犯人となった学生と警視庁の刑事部・公安部との息詰まる攻防を描く、サスペンス長篇。

題名、ストーリィとも確かにサスペンスなのですが、作品としての根幹は、あの熱気に包まれた時代の世相を余すことなく描こうとした歴史ドキュメント性にあります。
オリンピックスタジアムや首都高速道路の建設が進み、新幹線が走り出し、東京はみるみるうちに近代的な都市へと姿を変えていく。その一方、その建設現場で汗をかくのは、田舎の貧しさ故に家族をおいて東京に出てきて、安い賃金で苛酷な作業に明け暮れている出稼ぎ労働者たち。
犯人となる東大大学院生・島崎国男は、そんな現場で急死した兄の実像を知ろうと建設現場へ働きに出て、都会生活者の繁栄と余りに対照的、まるで繁栄から置き去りにされたような地方生活者の実態を知ることになります。
その他、現場労働者たちへの搾取、彼らの間に広がるヒロポン中毒、さらに東大内にある左翼セクトの姿、北朝鮮ルート等々、繁栄の一方にある裏世相が様々に描き出されていきます。
その一方、島崎と東大で同級生だったTV局員の須賀忠は、島崎の探す中で、一介の市民に対する公権力の絶大的な強さを知り震え上がる。

その東京オリンピック時、私は9歳。当時の熱気を肌で感じることはなく、東京オリンピックがどういうものかも後から判った、という感じでした。それでも新幹線や学生運動はリアルタイムで見聞していましたから、本書はサスペンスというより、アルバムをめくっているような感覚を覚えます。
当時、都会から先に富裕になったのは、中国の近代化と同様仕方ないことだったのではなかったか。そしてそれ以降、都市の富が地方に配分されていったというのが、日本の経済発展の姿ではなかったでしょうか。
ただそこで反省すべきことは、都市からの利益配分一辺倒で、地方の自立した発展、振興策への努力が不十分であったことではなかったか。
いずれにせよ、日本の発展と矛盾が大きく繰り広げられる起点となったあの時代、それを振り返らんとする本作品には、スケールの大きな読み応えがあります。

      

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