山口 瞳 普通に生きることがこんなに難しいことなのか、を書いた作家 −1995.8.30

書 名

出版

読了

ひとこと

江分利満氏の優雅な生活1963

新潮文庫

新潮社
大全第1巻

1986

平凡なサラリーマンの生活をユーモラスに描いた作品。でも悲哀がいっぱい。みんな貧しかったのです 直木賞受賞

結婚します

新潮文庫

1981

見合い結婚をめぐるユーモア恋愛小説。現在ではもう過去物語

結婚しません

新潮文庫
 

1981

上記作品と相対をなす短篇集

けっぱり先生

新潮文庫
 

1982

ユーモア学園小説

愛ってなあに?

新潮文庫
 

1982

えーと...(^^;)

居酒屋兆治1982

新潮文庫

新潮社
大全第1巻

1986

脱サラで縄のれんを始めた主人公と、その店に集う人々。おかしく、哀しく、 いとおしくなるストーリィの数々

人殺し1972

新潮社
大全第2巻

1995

伊丹十三氏の評価は「凄い殺傷力を持った作品」というもの

婚 約−短編傑作選T−

新潮社
大全第4巻

1993

短篇集であるものの、それぞれがどっしりと手応えのある作品ばかり。 生活の苦しさ、それ故の感動。

マジメ人間−短編傑作選U−

新潮社
大全第5巻

1993

山口瞳さんのこれまでの苦闘を偲ばせるような短編群

世相講談1966・1969

新潮社
大全第6巻

1993

「小説より奇なり」という言葉がありますが、まさにそれを地でいくような実話集

私本歳時記

新潮文庫
 

1993

ちょっと短いストーリィ集

なんじゃもんじゃ1972

新潮社
大全第8巻

1993

ドスト氏を連れとした紀行文。初老にさしかかった男性の天の邪鬼ぶりを感じます

迷惑旅行1978

新潮社
大全第8巻

1993

道連れはいろいろ変れども常の同伴者はドスト氏

酔いどれ紀行

新潮文庫

1985

酔っ払いのきままな文章綴りとも思われるが、それにしても豪華な旅行

温泉へ行こう

新潮文庫

1989

各地の温泉をめぐる紀行。東京の真ん中で楽しむ一話もあり

新東京百景1988

新潮社
新潮文庫

1988

これもまた紀行。行く先は新しい東京とでも言うところ。お供は臥煙君、 フミヤ君らの当番記者ら

男性自身傑作選
1964−1986

新潮社
大全第 10巻

1993

ついに休載することなく作者が死すに至った、超人気エッセイシリーズの傑作選

老いてマスマス耄碌 新潮社

1993

吉行淳之介氏との対談集
 

男性自身 冬の公園

新潮文庫
 

1982

シリーズ内の一冊

男性自身 巨人ファン善人説

新潮文庫

1988

シリーズ内の一冊

江分利満氏の優雅なサヨナラ1995

新潮社
新潮文庫

1995

昭和38年2月以来、週刊新潮1,614回連載の男性自身シリーズ最終巻。

やってみなはれ みとくんなはれ2003.09 新潮文庫

2003

山口瞳・開高健の2作家によるサントリー社史=創業者・鳥井信治郎伝記という贅沢な一冊 
人生論手帖2004.03 河出書房新社

2004

単行本未収録のエッセイをまとめたオリジナル本

 

 

山口瞳大全 全11巻
新潮社
1992年10月刊行開始
4400〜6000円

(上記以外の巻)
3.血族/家族
7.私本歳時記/梔子の花
9.酔いどれ紀行/新東京百景
11.血涙十番勝負/続血涙十番勝負

 

 

私の山口瞳観

 

 

山口瞳さんは、“生きることのシンドサをとことん書いた作家” であると思います。
貧しいこと、悲惨な生活を書いた作家は幾人もいると思います。けれども彼らは特別な人たちであり、また特別な世界での出来事でありました。
しかし、山口瞳さんの描く世界は違います。極めて当たり前な、平凡な世界です。そんな日常的生活を生きることが、こんなにも大変なことだったのか、とは、山口瞳作品を読んで初めて感じたことです。
この違いはどこにあるのか? それは山口瞳さんの持っている日常的感覚の所為であろうとしか言えません。
自分の両親の生活振り、振幅の激しかった自らの子供時代、横暴な父親に振り回されている夏子・庄助との三人家族、若い頃の出版社時代のこと。これでもか、これでもかというくらい、同じテーマを山口瞳さんは何度も書いています。決して創作した世界の中でのことではない。にも拘わらず、それは見事に小説の世界にもなっている。ユーモア作品にとどまらず、“山口瞳大全”(新潮社)を読んで初めて山口瞳という作家の重みを感じることができました。

 

 

●副読本● 息子、山口正介氏の本

ぼくの父はこうして死んだ−男性自身外伝−1996

新潮社

1996

男性自身最終巻では窺い知ることのできなかった、山口ファミリーの壮絶な闘病記。自身の死病さえもエッセイの材料としてしまおうとする、父がエッセイの材料にしてしまうだろうと判っていながら声をかける息子。これらの凄みには慄いてしまわざるを得ません。これこそが、山口瞳という作家の本当の姿なのでしょう

親子三人1997

新潮社

1997

「親子三人」とは、山口瞳さんのエッセイではよく見かける言葉。でも、当事者たちにとっては、どれ程大きなことであったのか。自分のことを、自分自身より父親の愛読者の方が良く知っているというのは耐え難いことだったことでしょう。でも、正介氏は、庄助として当然のこととして協力していたとのことです。まさに親子三人

 


 

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