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1.八つの小鍋 2.龍秘御天歌 5.故郷のわが家 6.光線 7.ゆうじょこう 8.屋根屋 9.八幡炎炎記 10.焼野まで |
人の樹、火環、飛族、姉の島、耳の叔母、新古事記、美土里倶楽部 |
●「八つの小鍋−村田喜代子傑作短篇集−」● ★★★ 芥川賞等々 |
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収録8篇中、5篇が何らかの文学賞を受賞しているという、贅沢な短篇集。まさに“傑作短篇集”というに相応しい。 平明で穏かな文章、そのうえに肌の温もりのような温かさ、明るさがあります。 冒頭の「熱愛」からしてお見事。予想もしない事態で突然に親友を失った若者の、底の抜けたような喪失感、焦燥感が見事に描かれています。それなのにこれは、何の賞も受賞していない篇。 本書中で格別素晴らしいのは、「鍋の中」「白い山」の2篇。 間に入る「百のトイレ」では、2歳の女の子についてしまったヘンな癖に奇妙な可笑しさがあり、その後にもってくる爽快さとの組み合わせが絶妙の味わい。 短篇であるのにまるで長篇の如く局面が次々と転回していく様子には、まるで息を呑むよう。 熱愛/鍋の中/百のトイレ/白い山/真夜中の自転車/蟹女/望湖/茸類 |
●「龍秘御天歌(りゅうひぎょてんか)」● ★★★ 芸術選奨文部大臣賞 |
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2004年10月
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北九州は黒川藩、この地で龍窯の隆盛に功績大きかった辛島十兵衛が死し、一族および窯の働き手をあげて葬儀の準備が進められます。 何ということもない葬儀光景が語られるのかと思ったら、そこから物語は大きく変貌していきます。 というのはこの龍窯の人々、実は秀吉が朝鮮に攻め込んだ慶長の役で日本に連行された朝鮮人の陶工たち。 日本に安住するため日本名を持ち、寺の檀家となったものの、老人たちは朝鮮人であるという意識を深く保っている。 そこを、十兵衛こと張成徹と共に七百数十人になる朝鮮人陶工たちを束ねてきたその妻=百婆こと朴貞玉が、夫の葬儀は朝鮮式でやると宣言したことから大騒ぎ。 一族や陶工たちの殆どは朝鮮渡来人。百婆の宣言で多くはその指揮に従って動き出しますが、時は封建時代。檀那寺のやり方に背いた葬儀の仕方をしたらどんな禍がふってくるか判らないと、日本生まれの跡取り=十蔵こと張正浩は震え上がります。 本書は、いみじくも日本文化と朝鮮文化がぶつかり合い、折り合いを付けていく様子を描いた時代ストーリィ。 日本に定着し日本の風習に染まろうとも、本心は朝鮮人。長く徹底的に悼む朝鮮の葬儀に比べるとあっさりし過ぎているとしか思えない日本風の葬儀、これではとても大事な人を悼むには足りないという百婆らの思い、実に強く伝わってきます。 まるで策略合戦のようですから勝った、負けたという感じになるのはやむを得ないことですが、その中から渡来人の哀しみがくっきりと浮かび上がってきます。 小説として傑作であるだけでなく、日本と朝鮮の交流を考えていくうえでも貴重な作品。お薦めです。 |
●「あなたと共に逝きましょう」● ★★ |
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60代に達した夫婦。夫は設計事務所を経営し、妻は大学の被服科で教員として働いている。 声が掠れて出にくくなった夫を伴って病院で検査を受けると、診断結果は大動脈瘤、いつ動脈が破裂して死の危機に瀕しても不思議ない状態だと宣告される。 さて夫は、主人公である妻は、そして夫婦は、この事態にどう向かい合うのか? という長篇小説。 本書の題名自体、はっとさせられるものですし、その行き着くところを思うと深刻な事態なのですけれど、何故かそこに可笑しさの混じるところが村田さんらしい、妙味ある処。 夫の手術が終わった後に妻の口をついて出た言葉、判る気がします。 ※なお、今から心の準備をしておく、という面でも為になる作品かと思います。(苦笑) |
●「ドンナ・マサヨの悪魔」● ★★ |
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ミラノのデザイン学校で勉強している筈の娘=香奈から、いきなり連絡が入る。妊娠した、相手のイタリア男と急遽結婚する、ついては出産のため2人揃って帰国する、と。 まもなく祖母となるマサヨ、実は時々犬や猫が話しかけてくる声が聞こえることがある。 すると今度は、獣のような声やひどく年老いた声が「ばあさん」あるいは「老女よ」とマサヨに話しかけてくるのが聞こえるようになります。 その相手は「長い旅をしてきた者」等々と名乗りますが、実はそれ、香奈の体内で育っている胎児。香奈が眠っている隙を見計らって話しかけているという次第。 マサヨはそいつをアクマと呼び、話しかけに応じてやります。 オカルト的なストーリィのように感じられますが、実態は、出産という一大イベントをシニカルに描いた風刺ストーリィ。 ※なお、「ドンナ」とは女性に対する尊称。「マ」が加わり「マドンナ」となると、私の理想の女性、という意味になるのだそうです。 |
●「故郷のわが家」● ★★ 野間文芸賞 |
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母親が亡くなって無人となった生家を処分するため、故郷の久住高原に戻った笑子さん、65歳の日々を連作風に描いた作品。 お供は愛犬のダックスフンド=フジ子。 恐竜が大好きだった亡き兄と恐竜をバックにして記念写真を取るという夢を見たり、午前3時という中途半端な時間に目を覚ましてしまい、昔懐かしい歌をラジオで聴いたりと、笑子さんの故郷での日々は自由自在、融通無碍。 グランドキャニオン・ツアーでガイドそこのけで勝手にしゃべりまくっていた男は、家にいてもすることがないから長いツアーに参加するんだという、故郷喪失男。 ラスベガスの男/砂漠回廊/天登り/犬月/青い森、黒い森/電気の友/くらやみ歩行/野の輝き/月、日、星、ホイホイ |
6. | |
●「光 線」● ★★ |
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2015年01月 2012/08/04 |
土地の力、地の霊力というものについて連作で書いてみないかと言われたのが「文学界」に短篇連作を書くきっかけだったそうです。 ところが3.11東日本大震災が発生した直後、村田さんにガンの疑いが発覚し、連載は中断。 そうしたことがあって、本来のテーマに沿った4篇の他に、ガン治療に関わる2篇、大震災に関わる2篇が加わっての計8篇という構成。 本来のテーマ4篇も、それぞれの土地の姿が印象的ですが、それに増してやはり震災絡みの篇が印象的です。 とくに「ばあば神」は、ドキュメンタリー的な話です。 ガン治療と震災に何の関係があるのかと思うと、震災により起こった放射能問題に対して、ガン治療も放射線。また、震災で不幸を味わった人が多い中、同時期に治療の効果が出来て喜んでいいのかとふと感じるという微妙な心理。 そうしたことがあって、中々得難い短篇集に仕上がっています。 光線/海のサイレン/原子海岸/ばあば神/関門/夕暮れの菜の花の真ん中/山の人生/楽園 |
7. | |
「ゆうじょこう」 ★★★ 読売文学賞 |
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2016年02月
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時代は明治30年代、そして場所は熊本の二本木遊郭、その中で随一の格式を誇る東雲楼。 そこに一人の少女が親に売られてきたところからこの物語は始まります。 少女は青井イチ、硫黄島に住む海女の娘で、東雲楼では「小鹿」という名を与えられ花魁=東雲の部屋子とされます。 この二本木遊郭には「女紅場」と呼ばれる遊女たちの学校が儲けられており、師匠を務めるのは元士族の娘で自身もまた遊郭に売られた経験を持つ赤江鐵子。 本書は熊本の遊郭を舞台に、遊女として売られてきた娘、達観して遊女として生きる道を選んだ花魁、彼女たちを元遊女の視点から見守る師匠を初め、廓にて生きる様々な女たちの姿をリアルに描き出した作品。 親の手で廓に売られるという娘たちの哀しさもあれば、明治33年に起きた東雲楼のストライキを題材にしているだけに明治という時代世相もそこには見ることができます。(余禄ですが、福澤諭吉という当時高名な教育者に対する鐵子の言は読み処) その中でも抜群の魅力を放っているのが、主人公であるイチ。 海育ちの自然児そのままといった娘で、遊郭に放り込まれその生業に日々を過ごしていても、その自然児たる本質を少しも失うことはありません。どんなに華美で贅沢な暮らしを送り将来に希望を残していようが、自由のない身であることに変わりはないと、イチの視線は真っ直ぐで少しも揺るぐことがありません。 そのイチが自分を見失うことなく過ごせたのは、赤紅場で文字を学び、日々通って熱心に自分の言葉を書き綴っていたからでしょう。 現実を直視し、真実を見誤ることのないイチを象徴する彼女の文が、本作品の中でまさに圧巻、その直線的な強さには圧倒されるばかりです。 永遠の自然児イチを描いて名品と言って良い一冊。お薦めです! ※文芸評論家の田中弥生さんはイチをトウェインのハック・フィンに擬えていますが、まさに然り。 |
8. | |
「屋根屋」 ★★☆ |
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2022年07月
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北九州に住むごく普通の主婦が主人公。家族は平凡なサラリーマンでゴルフ好きの夫と、高校一年生の息子。 家の雨漏りが止まず、ついに工務店に屋根の点検と修理を依頼することになります。そしてやって来たのが、永瀬という中年男の屋根屋。妻を癌で失くしてから心を病んで治療の一環として付け始めたのが夢日記。トレーニングによって自在に夢を見ることができるようになるという。 「奥さんが上手に夢を見ることが出来るごとなったら、私がそのうち素晴らしか所に案内ばしましょう」 そこから始まる、まるで夢のような2人の旅ストーリィ。 最初は日本の寺の屋根は、そしてさらにはフランスにある大聖堂の屋根へと、夢の中で落ち合い2人は幾度もの旅を重ねます。 共通するのは、高い建物の屋根の上は、地上あるいは建物内部とは別世界である、ということ。 そこでは伸び伸びと自由で爽快な気分に浸れます。高い屋根の上で自由な気分を味わったのは2人だけでなく、古の瓦師たちも瓦に落書きをするといった痕を残していたらしい。 村田さんの自由奔放な発想の豊かさには驚かされます。 今風に言えばファンタジーでしょうけれど、本書にカタカナは相応しくありません。 ぬるま湯に浸かって微睡み、柔らかくて温かい居心地良さがそこにはあるのですから。 とはいえ、中年男女2人が手を取っての道行きを何度も重ねるとあれば、そこには何かしらが生まれても不思議ないというところろですが、あくまで夢の中でのこと。主人公の自分を律するその気構えに好感。 ちょっと不思議なストーリィを基にした、何とも言えない居心地良さが魅力。お薦めです。 |
9. | |
「八幡炎炎記」 ★★ |
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太平洋戦争の終結直後の時期、八幡製鐵の城下町として栄えた九州・八幡を舞台にした村田喜代子さんの自伝的小説とのこと。 紳士服仕立て職人の瀬高克美は、親方の妻=ミツ江と駆け落ちして広島を出たお陰で、広島の原爆悲劇を免れます。 2人が逃れた先は、ミツ江の生まれ故郷である八幡。 そこには建具職人である貴田菊二と結婚した姉=サト、下宿屋兼金貸しの江藤辰蔵と結婚した下の姉=トミ江が住んでいた。 終戦直後という時代、上記3組の夫婦の有り様だけでも十分ドラマになりそうなのですが、それ以上に惹きつけられるのは、特殊な事情によりそれぞれの夫婦の元で暮す3人の少女たち。 菊二の姪で養女となった百合子が離婚後に産み、再婚したために祖父母(戸籍上は親)の元に残されたヒナ子、克美の弟の娘で瀬高夫婦の元に引き取られた緑、江藤が借金の方に連れ帰ったタマエ、という3人。 現代だったらそう簡単に済ませられることではない筈ですが、戦後の混乱時には、親が面倒みられない子を、面倒を見ることのできる大人が引き取って世話するということが、ごく普通にあったと語られています。 その3人の内、ヒナ子が本作品の主人公とのことです。 年老いた祖父母に面倒を見てもらっているが故にヒナ子が抱える哀しさ、心底からの恐れは、リアルに読み手に伝わってきます。 とはいえ、ストーリィ全体としては、戦後の世相をスケッチ風に事実を積み重ねて描き、群像劇のような味わいです。 本書最後に「第一部了」とあるのを目にし、そうか、これは長い自伝的小説の幕開けの巻に過ぎなかったのかと思うと、上記の印象も納得できる気がします。 まずは本作品の続巻に期待することとしましょう。 |
「焼野まで」 ★★ | |
2019年11月
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東日本大震災の数日後、村田さんに子宮体がんが発見されたのだという。 村田さんは摘出手術を断り、鹿児島市にある治療施設で放射線のピンポイント照射による治療を受け、その結果がんは消えたとのこと。 本書はその一ヵ月にわたる治療の日々を、実体験を元に描いた小説作品。 自宅と夫の傍から離れ、ウィークリーマンションに泊りこんで治療に通う日々。当然ながら放射線照射を受けた後の宿酔はかなり重く、食も進まず体重はみるみる落ちていく。 そんな主人公の慰めは、30年余りの図書館勤務で同僚だった八鳥誠(はちとり)が時を合わせたようにやはり肺がんで入院し、時々主人公に携帯で電話してくること。種子島のロケット打ち上げや宇宙のこと等、2人だけに通じる会話が弾みます。 一方、治療中知り合った人との交流も少し生まれますが、その人たちも肝臓がん、膵臓がん、乳がん等々とがん患者、あるいはがん経験のある人ばかり。 本書に描かれる闘病の様子を知るにつけ、がんという病気との闘いは本当に孤独なものなのだなぁと感じさせられます。同時にまた、現在日本社会においてがんを患う人が如何に多いか、ということも。 知り合ったがん患者と一緒に銭湯に行き、また折角だからと地元のがん患者に案内され患者数人で焼島観光に出掛けます。 「焼島」とは勿論、桜島に他なりません。 健康な人から見れば雄大な桜島の風景も、がん患者から見れば危険(生死)と隣り合わせという状況を象徴的に感じさせる風景になるのかもしれません。 がん患者の心許なく不安で辛い状況、重たい事実を見知った思いです。 |