マーク・トウェイン作品のページ


Mark Twain 1835〜1910 アメリカの作家、本名:サミェル・ラングホーン・クレメンズ。ミズーリ州の寒村フロリダに生まれ、4歳の時、一家でミシシッピ川の港町ハンニバルに移住。47年父の死により印刷工となって各地を転々とした後、ミシシッピ川の蒸気船の水先案内となる。南北戦争を経て、62年新聞記者となり、63年からマーク・トウェイン(水深2尋という意味の水夫用語)というペンネームで署名入り記事を書き始める。65年、短篇「ジム・スマイリーとその跳び蛙」(改題後「その名も高きキャラベラス郡の跳び蛙」)を発表して人気作家となる。主な作品は、「トム・ソーヤーの冒険」(1876)、「王子と乞食」(1882)、「ハックルベリー・フィンの冒険」(1884)、「アーサー王宮廷のコネティカット・ヤンキー」(1889)等。


1.ハックルベリー・フィンの冒険

2.不思議な少年

3.マーク・トウェイン自伝

 

( 補足 )
「トム・ソーヤーの冒険」を読んだのは児童文学を読み始めた中でも最初の頃だったと思います。それだけに何度も繰返し読み愛読したものですが、その続編となる「ハックルベリー・フィンの冒険」についてはあまり面白いとは思いませんでした。
その「トム」と「ハック」の位置関係が逆転したのは、高校時代大人向けの文学作品として読み直してから。悪ガキのトム・ソーヤーに対して、自然児たるハックの方に魅力を感じるようになったのです。それ以降マーク・トウェインとくれば、私にとってはまず「ハック」。

 


 

1.

●「ハックルベリー・フィンの冒険」●  ★★★
 原題:“The Adventures of Huckleberry Finn” 




1884年発表

1976年9月
講談社
世界文学全集
第53巻

新潮文庫
岩波文庫

 


1978/10/29

2000/07/29

子供の頃からの愛読書のひとつです。
アメリカ南部のミシシッピ川流域を舞台に、自然児ハックルベリー・フィンを主人公とした、これぞアメリカ文学というべき小説。
本作品は「トム・ソーヤーの冒険」の続編といえる物語ですが、風格からいうと大きな隔たりがあります。つまり、「トム」が、トムという悪ガキを主人公とした子供向け小説であるのに対して、本作品はアメリカ南部という土地を象徴するような、悠々としたスケールの大きい作品となっているからです。
子供の頃初めて読んだ時には、「トム」がメリハリの効いた面白い物語だったのに対して、「ハック」はなにやら茫洋としたつかみどころのない物語だと思いました。しかし、「ハック」を繰り返し読むうち、それこそがこの作品の特徴であり、魅力であることに気付くようになりました。

「トム」にて金持ちとなり、ワトソン未亡人に引き取られたハック・フィンでしたが、酒乱の父親に再び連れ出され、元の生活へ。しかし、隙を見て逃げ出したところで、やはり逃げ出してきた黒人奴隷ジムと出会います。そして2人は、広大なミシシッピ川を筏で下る旅に乗り出します。

ミシシッピ川を筏で下るというストーリィも魅力ですが、最大の魅力は、ハックの少年像にあります。冒頭で、慣れぬきちんとした生活に汲々としていた彼の姿は、落ち零れ少年というものですが、ミシシッピの大自然の中に身を置いたハックの姿はまるで違います。筏の上のハックには、自然のままの生活への愛情と、規則に縛られない朗らかな精神を感じます。
黒人奴隷の逃亡を助けるという悪事について自分を責めながらも、ジムとの友情を勇敢に自覚するところ、途中旅を共にすることになった自称王様、公爵の2人を破廉恥な詐欺師と知りつつも受け入れる寛容さ。まっすぐで、かつ広がりのあるハックの心根は、まさにアメリカの広大さと一致するもので、まさに自然児というにふさわしい、魅力ある主人公です。

ハックとジムは、言わば社会のアウトサイダー。本書は、この2人の文明社会に対する観察、批判のストーリィとも言えます。
それにも拘わらず、後半トム・ソーヤーが登場し、またもや悪ガキ小説に戻ってしまうところが、なんとも惜しまれるところです。
満天の星を見ながら、広大なミシシッピ川を筏で下る。そこはもう、文明社会と切り離された別天地であり、ハック、ジムならずともすこぶる気持ちの良さそうな世界です。その余韻が、読後も気持ちよく残っています。

※本作品に登場する2人の詐欺師、自称「王様」と「公爵」が騙るディビッド・ギャリック、エドマンド・キーンは、実在するシェイクスピア劇の名優です。

 

2.

●「不思議な少年」● ★★
 原題:“The Mysterious Stranger”

 

1916年発表
(遺作)

 

1976年9月
講談社
世界文学全集
第53巻

岩波文庫

 

1978/12/05

トウェインは、晩年ペシズムに陥り、作品にもそうした影響が強くなりました。この「不思議な少年」はその代表的作品と言えます。
ハック・フィンのようなカラッとした明るさはありませんし、伸び伸びとした開放感も失われています。その代わりにこの作品に内在するものは、人間という生き物に対する失望感、嫌悪感、そして人生に対する悲壮感です。

人間は善という存在にはほど遠い。他の獣以上に、残酷な忌むべき存在であるという考えに至ったのは、トウェイン以外に、マルキ・ド・サドも然りです。ただ、サドがそうした人間の悪の面を直視し、事実として捉えているのに対して、トウェインの場合はそこまで開き直ってはいないようです。実際、本書においても、トウェイン独自のユーモア感やメルヘン的な部分は、残されているのです。

トウェインの「ハドリバーグを堕落させた男」にしても、内容をじっくり考えてみると、非常に深刻なものではありますが、最後の部分には大笑いするような場面もあるし、ユーモア感覚も失われているわけではありません。むしろ、人間の現実的な悪の面、その他諸々のことを見出し、苦悩し、悲観しようとも、過去におけるトウェインの明朗さ、ユーモアが捨て去られてはいないのです。
トウェインの苦悩は、そうした楽観と悲観のどちらともいえない中途半端な状態にあるからこそ生じた、と言えるのではないでしょうか。

 

3.

●「マーク・トウェイン自伝」●   ★★

 

1924年発表
(遺作)

 

ちくま文庫
(上下)

 

 

1990/02/25
1991/07/01

(上巻読み始め)
未だ数頁読んだだけですけれど、面白さへの期待で胸がときめきます。実際、その数頁だけでも、面白かったです。大らかさ、開けっぴろげな語り口。アメリカの自然児、という風を思い起こさせる文章です。
そして、
「トム・ソーヤーの冒険」「ハックルベリー・フィンの冒険の楽屋裏を覗き込ませてくれたような語りがあります。これが楽しくなくて、何が楽しいのでしょうか。

(下巻読書中)
上巻から下巻まで、1年半あまり間が空いてしまい、完全に間延びしてしまいました。上巻の内容も殆ど記憶が薄れてしまった状態。
しかし、
第1章「私の誕生は歴史上の快挙」と題したり、ハンニバルでの少年時代、 実兄のでたらめな印刷所経営と、いろいろな変転があり、面白かった筈と思います。

第22章「百発百中成功する就職の秘訣」は愉快です。
まず、無給での就職を申し出ること、そして熱心に働き有為の存在となること、成る程です。現代でも通用しそうな強力手かもしれません。
オリヴィアとの結婚までのエピソードも、愉快このうえないものです。
オリヴィアの生家ラングドン家への滞在を延ばす為意識的に馬車から振り落とされる話、妻の父親が照会した友人達からの回答は悪口を並び立てたものばかりだったこと、逆にそれが為に父親の公正な判断を得られたこと。まさに、トム・ソーヤー、ハック・フィンの世界を、地で行っていた気がします。

下巻では、トウェインが立身を遂げた後のエピソードが多くなります。失敗しても懲りることのない投機癖。そのくせ、ベルの電話事業への株投資を見送ってしまい、大儲けし損なったこと等。

    


 

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