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12.ばかもの 13.北緯14度 14.絲的サバイバル 15.妻の超然 16.末裔 17.不愉快な本の続編 18.忘れられたワルツ 19.離陸 20.薄情 |
【作家歴】、イッツ・オンリー・トーク、海の仙人、袋小路の男、逃亡くそたわけ、ニート、沖で待つ、絲的メイソウ、エスケイプ/アブセント、ダーティ・ワーク、豚キムチにジンクスはあるのか |
小松とうさちゃん、夢も見ずに眠った、御社のチャラ男、まっとうな人生、神と黒蟹県 |
●「ラジ&ピース」● ★★ |
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2011年10月
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相馬野枝、32歳。東京育ちだが、東京を離れて仙台のラジオ局FM東北で6年間DJを務めてきた。 ところが高崎にやって来ると思わぬ出会いが。 どこのどんな場所に、自分が変われる出会いが待っているか分からない。場所が東京でなく何処であろうと、知り合う相手がどんな性格であろうと、あまり気にする必要はないんですねー。 「うつくすま ふぐすま」は、同姓同名、同じ回文の名前をもった2人の中野香奈が出会うストーリィ。 ラジ&ピース/うつくすま ふぐすま |
●「ばかもの」● ★★☆ |
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2010年10月 2023年05月
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絲山さんとしては「袋小路の男」以来となる、久々の恋愛小説。ただし、「袋小路」のような静かな恋とは異なり、心と身体の底からぶつかり合うといった、渾身の恋愛。 冒頭、あけすけなセックスシーンから始まるものですから、一体これからどんな展開になるやらと、呆然としまいがち。 主人公は、冒頭大学生のヒデと、ヒデがバイト先で知り合った年上の額子という2人。 本作品では額子の口からヒデに向かって2回、「ばかもの」という声が投げつけられます。 ※ストーリィ内容は全く異なりますが、最後に辿り着いた恋愛感情という点で、吉田修一「さよなら渓谷」を思い出しました。 |
●「北緯14度」● ★★ |
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2013年04月
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西アフリカ、セネガルへの紀行文、2ヶ月間に亘る滞在記。 何故セネガルなのか? 一つには9歳の時に聴いて衝撃を受けたドゥドゥ・ンジャエ・ローズのライブ、もう一つには18年ぶりにフランス語を使ってみたかった、とのこと。 西欧先進国とは違って、アジアなどへの紀行文を読むと気楽さ、居心地良さを感じるところがある(思いだすのは田口ランディ「忘れないよ!ヴェトナム」)のですが、アフリカというのは珍しい。 絲山さんがお世話になった、現地でコーディネーターをしているトッカリさんより余っ程現地の人の中に溶け込んだ観があるのですから、絲山さんのタフさを思い知った次第。 ファティガン(「疲れる」、「骨が折れる」の意)/テランガ(「もてなし」の意)/アプレ!アプレ!(「またね」の意) |
●「絲的サバイバル」● ★ |
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2012年11月 2009/04/11 |
「絲的メイソウ」に続く絲山さんのエッセイ第2弾。 自宅のある高崎を中心に、近くへ1月1回、一泊のキャンプをしに出かけた顛末を描いたキャンプ記。 キャンプに行けば、大いに飲み、大いに食って楽しむというパターン。アウトドア派でなく、お酒も飲まない私としては、どうも波長が合わず。したがって絲山さんの楽しみは、私の楽しみとして伝わってくることなし。 一番印象的だったのは、「北緯14度」に掲載されていたセネガルでのキャンプを描いた「野獣と椅子焼肉」。 たったひとりでいたいのだ/窪地窪地、それと薪ったら薪/親愛なるステファニーへ。/キャンプは日常の延長なのだ/氷上デイキャンプ/キュウリと猫と宇宙人/大都会の小さなオヤジ世界/焚き火は蹴って育てろ!/嫁に行くなら六合村へ/野獣と椅子焼肉/道なき道、私だけが転ぶ/無題/自問自答/矢木沢リベンジ〜きのこきのこきのこ・そして愚かな私/日本海ひねもすのたり/庭キャンプとヤンキー観光/カタツムリの内側/純文学風撤収/遥かなる腹の声/キャンプをやめてお家へ帰ろう |
●「妻の超然」● ★★☆ |
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2013年03月
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こりゃ面白い! “超然”という切り口が何といっても傑作! 「妻の超然」は、愚かにも浮気が妻にバレていないと思い込んでいる年下の夫。その夫に対し、妻の理津子は超然として知らんぷり。その超然ぶりも愉快なのですが、理津子の心の裏は・・・と勘繰ってみるのもまた面白い。 「下戸の超然」は、家電メーカー勤務、九州出身ながら酒がまるで飲めない青年=広生が主人公。それなのに恋人はお酒が好きらしい。私も今はもう酒が全く飲めない、主人公のお仲間。だから主人公の気持ちも恋人の気持ちも、よく判るんですよねぇ。 「作家の超然」は前2篇と異なり、第二人称による語り。 いやはや“超然”と一口に言ってもその心は様々のようです。 妻の超然/下戸の超然/作家の超然 |
●「末 裔」● ★★ |
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2014年04月 2023年09月
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絲山さんとしては分厚い長篇。 家から閉め出されて初めて省三は、さて自分のこれまでの人生は? 家とは?と考え始めます。 書評家の豊崎由美さんが本書について「オヤジたちのビルドゥングスロマン」と評していますが、まさにそんな印象です。 |
●「不愉快な本の続編」● ★★ |
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2015年06月
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短編集「ニート」収録の「愛なんかいらねー」に登場したスカトロ性愛者の乾ケンジロウを主人公にした、遍歴ストーリィ。 絲山さんが休暇で新潟へ行った折、ふいに乾がここで働いていたと思ったそうです。そこから始まったのが本物語。 生い立ち、そして同級生の帰郷をきっかけにその新潟へ。そこで乾、何と・・・・。そして3年を新潟で過ごした後、富山へ、さらに自らの故郷である広島の呉へ。 本書の冒頭、カミュ「異邦人」の有名な一文が引用されていますが、乾もまたその種の一人、という気がします。 生まれる/取り立てる/好きになる/盗む/佇む/入る |
18. | |
「忘れられたワルツ Valses oubliees」 ★★ | |
2018年01月
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冒頭「恋愛雑用論」の主人公は、小さな工務店で事務員として働く40代の独身女性。恋愛などというものは雑用づくめで面倒くさいと一刀両断。的を射ている部分もあるだけに可笑しい。 東日本震災後を描いた短篇集とは何処にも示されていませんが、「強震モニタ走馬燈」には地震測定値のモニタを見ることが趣味となってしまった女性が登場しますし、表題作「忘れられたワルツ」において姿を見せない主人公の母と姉は震災の被害者であるようで、震災の影響は濃厚です。 だからどうなるというものはなく、時間が止まってしまったような感覚を覚える短篇集ですが、それこそ絲山さんが意図したところなのでしょう。 恋愛雑用論/強震モニタ走馬燈/葬式とオーロラ/ニイタカヤマノボレ/NR/忘れられたワルツ/神と増田喜十郎 |
19. | |
「離 陸」 ★☆ | |
2017年04月
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矢木沢ダムという現場に勤める主人公の前に突然現れた、仏系の黒人イルベール、主人公がかつて恋人関係にあった女性「女優」を探すのを手伝ってほしい、という。 その女性=乃緒と主人公は、一時期付き合ったものの、彼女から言い出して別れて以来全く接触はなかった。それなのに何故イルベールは主人公の元を訪れてきたのか。そして乃緒に、どんな秘密があるのか。 いかにもサスペンス小説風の出だしですが、主人公である佐藤弘は、いくら現場好きとはいえれっきとした国土交通省の上級国家公務員。およそサスペンス小説の主人公には向きません。 そこから何年にも亘り、乃緒という女性の足取りを掴もうとするストーリィと、主人公やイルベール等々の実人生を描くストーリィが足並みをそろえて語られていきます。 その長い年月の間に、主人公は大切な人を次々と失う哀しみに見舞われます。 本書題名の「離陸」とは、そうした意味なのでしょうか。 死んだ人にとって死とは、一切の苦痛や悩みから逃れ、現世から離脱するという意味で“離陸”のようなものかもしれません。 しかし、置き去りにされる側の気持ちはどうなのか。どうその悲しみ、喪失感に向かい合っていけばいいのでしょうか。 “死”という明解な形であれば、否応なく悲しみにもいつか整理をつけざるを得ないものでしょう。それに対し、行方不明という事態はどうなのか。不明瞭で中途半端な状況である故に、関係ある人々を振り回さずにはおかない、のでしょう。 大切な人を失う悲しみを描こうとする上で、何故こんなにも判りにくいストーリィを組み合わせなければいけなかったのか。 正直なところ、読み終えた今は何となく整理がついた気がするものの、読書中はどうこの作品を読み解けばいいのか、全く困惑するばかりでした。参りましたよねぇ。 ※絲山さん、デビューした頃すでに「離陸」という作品タイトルと、坂道を登って行く女性の姿が頭にあったそうです。そして雑誌インタビューで伊坂幸太郎さんの「絲山秋子の書く女スパイものが読みたい」という言葉が、作品を書き始めるきっかけになったのだそうです。 |
「薄 情」 ★★☆ | |
2018年07月
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主人公の宇田川静生は、何もない群馬の田舎町で、あたかも自分が存在していないかのような思いを抱えながら日々を過ごしている。 神主の伯父から跡継ぎと決められているため定職に就かず、夏の間は嬬恋でキャベツ収穫の季節バイトに従事する等、フリーターのような暮し。 「薄情」という題名は、何についても余り感情を持たず、深く関わろうとはしない、そんな静生の姿勢を端的に表した言葉でしょう。 都会から移住して手作りの家具工房を開いている鹿谷、都会から田舎の実家に戻ってきた高校の後輩女子=横須賀、バイト先で出会い気が合い恋人関係になった吉田瑞穂・・・自分の生活姿勢に何の影響もない筈だったのに、結果的に彼らによって静生の生き方はひどく揺さぶられることになります。 都会だろうが田舎町だろうが、人がいれば良くも悪くもそこにはドラマが起き、何やかやと関わらざるを得ない、それが普遍的な真実なのでしょう。 静生はそうしたゴタゴタから目を背け逃げようとしていただけ、傍観者であろうとしていただけ、と感じます。 人と深く関わるまいとすれば、結局は一人だけ置き去りにされ、自分の居場所さえ見失ってしまう。 今や人間関係の希薄化傾向が窺える現在、それは自分自身を守るどころか存在感を失うことに繋がりかねないという、現代社会の危うさを描き出した逸品。 さらりと読み始めた筈なのに、読み終えた時には重いものを抱えていた、そんな気分です。お薦め。 |
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