山秋子作品のページ No.1


1966年東京都生、早稲田大学政治経済学部経済学科卒。住宅機器設備メーカーに入社し、営業職として福岡、名古屋、高崎等に赴任した後、2001年に退職。03年「イッツ・オンリー・トーク」にて第96回文学界新人賞、「海の仙人」にて芸術選奨文部科学大臣新人賞、04年「袋小路の男」にて第30回川端康成文学賞、05年「沖で待つ」にて 第134回芥川賞、16年「薄情」にて第52回谷崎潤一郎賞を受賞。


1.イッツ・オンリー・トーク

2.海の仙人

3.袋小路の男

4.逃亡くそたわけ

5.ニート

6.沖で待つ

7.絲的メイソウ

8.エスケイプ/アブセント

9.ダーティ・ワーク

10.豚キムチにジンクスはあるのか(文庫改題:絲的炊事記)


ラジ&ピース、ばかもの、北緯14度、絲的サバイバル、妻の超然、末裔、不愉快な本の続編、不愉快な本の続編、忘れられたワルツ、離陸、薄情

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小松とうさちゃん、夢も見ずに眠った、御社のチャラ男、まっとうな人生、神と黒蟹県

 → 絲山秋子作品のページ No.3

 


   

1.

●「イッツ・オンリー・トーク ★☆     文学界新人賞


イッツ・オンリー・トーク画像

2004年02月
文芸春秋刊
(1429円+税)

2006年05月
文春文庫化



2005/01/12

文学界新人賞を受賞した「イッツ・オンリー・トーク」と「第七障害」の中篇小説2作を収録。

「イッツ・オンリー・トーク」は、蒲田の古いアパートに移り住んだ優子が主人公。以前精神を病んで入院した後、OLを辞めて絵を描き始めた。最初こそ賞をとって絵も売れたものの、今はさっぱりでOL時代の貯金を取り崩しての生活。男性関係はうまくいかず、薬も未だ欠かせないという、滅入っても当然のような状況。繋がりが保てているのは、痴漢のkさんに鬱病のヤクザ、元ヒモの従兄。しかし、そんなヘンな人たちとでも、人と人との繋がりを保てている分、そして従兄を気遣うことができる分、優子には明るさを窺うことができます。
そんな優子が亡き友人の墓に話しかける、「いろいろあるけどなんとか私は生きてるよ」という言葉がすごくいい。もう忘れられない気がします。
なんとか日々を営んでいる優子に、どこか猥雑な雰囲気のある蒲田という町は、なんと似つかわしいことか。

「第七障害」は、競技中の事故で愛馬を死なせてしまった早坂順子が主人公。自責の念から群馬を離れ、また元恋人からも逃れるように東京に移り住む。
その順子がやっと現状を直視できるようになったのは、自分の身の丈に合わせて自分を大切にしているルームメイト、乗馬クラブでの元仲間のおかげかもしれない。

2篇とも、滅入るような状況の中でも明るさを見出すことはできる、そんなメッセージを感じる作品です。押し付けがましくないいところが好い。まとまりの良さ、文章の滑らかさも魅力です。糸山さんの今後への期待が膨らむ一冊。

イッツ・オンリー・トーク/第七障害

    

2.

●「海の仙人 ★☆     芸術選奨文部科学大臣新人賞


海の仙人画像

2004年08月
新潮社刊
(1300円+税)

2007年01月
新潮文庫化


2006/02/14


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敦賀の海近くに一人ひっそりと暮らす主人公。その元に現れたファンタジー
(ファンタジーというのは神様の親戚みたいな存在で、中でも一番出来が悪い、というものが本人の弁)
題名の“海の仙人”とはてっきりそのファンタジーのことを言っていると思っていたのですが、それは私の思い違い。海辺で隠棲人のようの暮らす主人公のことでした。

帯の紹介文は「心やさしい男と女と神様」
登場人物は限られたごく少数。まるで現代社会から隔絶した世界での出来事のような雰囲気が本作品には漂っています。
ファンタジーの姿は、見える人と見えない人がいるという。本作品に登場する主要人物は、まずファンタジーの姿を見ることができるし、旧来の友人に出会ったような親しみをみせる。はて、ファンタジーが見えるのはそもそもどういう人間なのか?、というのが本作品を味わうポイントであると思います。
優しすぎるが故に孤影感も漂う。主人公をはじめ、登場人物に共通するのはそんなところです。それに相応しく、本ストーリィは極めて静穏に語られていきます。
男女2ずつ計4人が各々抱いている想いは、それぞれすれ違っていて結ばれることがない。でも、結ばれないにもかかわらず消えることのない想いだからこそ、大切に感じられます。
本書は、静かな思いで読むに相応しい一冊。

 

3.

●「袋小路の男 ★★☆     川端康成文学賞


袋小路の男画像

2004年10月
講談社刊

(1300円+税)

2007年11月
講談社文庫化



2005/01/13



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「袋小路の男」は、高校時代から始まる12年間、指さえ触れることのないままに一人の男性を想い続けたストーリィ。
相手は決して素敵な男性でも、稀にみる才能の持ち主でもない。むしろ倣岸で、斜に構えたところのある相手です。それでもなお相手を想って恋して止まないというのが、恋本来の面白さでしょう。
その相手は袋小路にある家に住む。家が袋小路にあると同時に、この恋もまた袋小路であり、恋人未満から先に進むことがない。だからこそ、想い続けるという関係も続き得たのでしょう。
普通であれば、諦めるか飽きたかで恋は終わってしまいそうなもの。それなのに、セックス抜きの際限ないこの想いは、報酬を求めない一方的な恋であり、まことに恋らしい恋です。そのなんと気持ち良いことか。それを“袋小路”の恋として描いた辺りに、糸山さんの巧妙さが光ります。
文章、ストーリィとも瑞々しく清々しく、後まで気持ち良さが残ります。

「小田切孝の言い分」は、前作が女性主人公の一人称で語られたのに対し、両人を俯瞰的に眺める三人称で語られます。前作からさらに延びての18年間。
前作と組み合わせて読むと、大谷日向子が語るところと小田切孝の語るところに食い違いがあるのが判って面白い。前作では奉仕的関係であったのに対し、本作品では相互依存の関係が浮かび上がってきます。
日向子が気付いていないだけで、孝の側では日向子の願望にそれなりに応えている、ということらしい。
この「言い分」があってこそ、「袋小路」はさらに面白さを増しています。

※「アーリオ オーリオ」は夢を追う弟を主人公に、現実的な兄と、叔父の感性に共感する高校生の姪の三者関係を描いた作品。

袋小路の男/小田切孝の言い分/アーリオ オーリオ

 

4.

●「逃亡くそたわけ ★★


逃亡くそたわけ画像

2002年02月
中央公論新社

(1300円+税)

2007年08月
講談社文庫化



2005/07/15



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福岡にある精神病院に躁鬱病で入院中だった私(花ちゃん)は、同じく入院患者だった24歳のサラリーマン・なごやん(蓬田司)を無理やり誘い出し、病院から逃亡します。
特に当てもないまま車で走り出した2人が、南九州の先端・長崎鼻にまで至るという、逃亡&再生のストーリィ。

率直に言うと、本書についてはあれこれ言う必要なし、興味を惹かれたなら迷わず読んでみればいい。余計な言葉は不要、と感じます。

主人公となごやんは古いルーチェで走り出し、一路阿蘇へと向かいます。その後は当然のように更に南へ南へ。この2人以外の登場人物は時折、そして僅かしか登場しません。殆ど2人だけのストーリィですが、むしろそこが良い。
幻覚症状が消えない主人公と心理的不安を抱えたなごやんは、度々喧嘩を起こしそうです。でも、そこでぐっと抑える。それは症状を克服するため、相手から見捨てられないため、と言ったら良いでしょうか。

最初の頃のハラハラするような雰囲気が、旅をずっと続けることによって徐々に前向きなものに変わっていきます。
病院や薬によってではなく、自らの行動によって2人は快方への切符を手に入れる、そんなストーリィ。

一面、漫才コンビの道中記の如きコミカルな部分もありますが、2人の間に広がっていく温もり、連帯感が素敵です。
ストーリィが進むに連れ、読み手にも伸びやかな気持ちが広がっていく。本書はそんな気持ち良い作品です。

   

5.

●「ニート ★☆


ニート画像

2005年10月
角川書店刊
(1300円+税)

2008年06月
角川文庫化



2006/01/11



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絲山さんがあえて新境地に挑んだといえる短篇集。
収録5篇のうち、「ニート」と「2+1」が連続したストーリィとなっています。

「ニート」「2+1」は、ようやく作家として売れ始めた女性主人公が、ニート青年を家に引き取って面倒をみるというストーリィ。
2人の間にあるのは愛情なのか、単なるお節介なのか。恋人関係とはならず、曖昧な関係のまま同居生活が続きます。
絲山さんによると、「恋愛しようと思っても恋愛できるものではない」ということを示したかったのだとか。
この青年、ニートと一口に言っても極端な姿でしょう。働かず何もせず、ただ引きこもっている状態で、生活費もなくなり行き詰まることは至極当然。それ故に主人公が手を差し伸べた訳なのですが、それは是か非か。
糸山さんは何も本書でニートの問題を取り上げようとした訳ではないのでしょう。ニートという既に周知の存在を小説の中に取り入れてみただけのこと、と思います。
終始「キミ」と語りかけるように綴られているところが、2人の対峙を明瞭にしていて、強く印象付けられます。

私好みのなのはむしろ「へたれ」。東京のホテルマンである青年が大阪に住む恋人の元へ向かう新幹線車中での心模様を描いた作品です。大阪で歯医者をしている松岡さんのことを思う一方で、自分を育ててくれた名古屋の笙子さん(亡母の従姉妹)に思いを馳せます。最終的に彼は松岡さんと笙子さんのどちらを選んだのか。ぼぉーっと現れた影が徐々に姿を整えていくような展開に、軽やかで楽しげな雰囲気が感じられて好ましい。
「愛なんかいらねー」は、大学教員の女性と年下の男性との関わりを描いた篇。少なくとも食事前の読書は避けた方が良さそうです。

ニート/ベル・エポック/2+1/へたれ/愛なんかいらねー

 

6.

●「沖で待つ ★★☆       芥川賞


沖で待つ画像

2006年02月
文芸春秋刊

(952円+税)

2009年02月
文春文庫化



2006/03/08



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「勤労感謝の日」は軽快かつ痛快。
セクハラ上司を殴り倒して自己都合退職したという、現在無職、36歳の恭子が主人公。そんな立場だと勤労感謝の日という日自体腹立たしい、という気持ちがよく判ります。
しかもその日に義理ですることになったお見合い。その相手がヌケヌケと「会社大好き人間です」なんていうのですから。バブル期ならともかく、今の時代そんなことを言われたら私だって胸クソ悪い。
総合職で入社してこき使われたけれどその結果残ったものは何もなかったという総合職女性の本音が、後輩女性との間で遠慮なく吐き出されているところが痛快。
名ばかりが先行した初期の総合職女性だけでなく、男性サラリーマンにも通じるところはありますよ。

「沖で待つ」は楽しく、気持ち良い。そして笑える一篇。
総合職として入社した主人公と同期入社の太っちゃんとの、男女間の友情を描いた作品です。
先に死んだ方が相手のPCのHDDを壊すという約束を結ぶ。その太っちゃんが事故死したことから、主人公は太っちゃんの部屋に忍び込んで約束を果たします。そしてその部屋には、今もなお死んだ筈の太っちゃんがいる。
主人公と太っちゃん、太っちゃんと彼の奥さんとの関係を対照して見ると、本作品の面白さがよく判ります。
「沖で待つ」とは太っちゃんが奥さん宛てノートに書き残した言葉ですけれど、「沖」って近くはないですよね。
以前の部屋で何故か判らないと困ったような表情を浮かべる太っちゃんの姿が目に浮かぶようで楽しくなります。
男女の間でも成り立っている同期入社同士の友情が気持ち良い。短くシンプルな作品ですけれど、楽しめる要素がいっぱい詰まっています。絲山作品の中でも図抜けて面白い一篇。 

勤労感謝の日/沖で待つ

  

7.

●「絲的メイソウ ★★


絲的メイソウ画像

2006年07月
講談社刊

(1300円+税)

2009年09月
講談社文庫化



2006/08/08



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絲山さんの初エッセイ集。薄いし割とあっさりと読めてしまう一冊です。
まず、絲山さんの語り口が歯切れ良い、ですからテンポ良く楽しく読めます。

会社員時代の経験に基づくエッセイが主体。
12年間営業職として地方転勤も幾度かこなしてきた経験がものを言うのか、もう恐れるものなどない、世間のことは十分判ってもう遠慮する必要もない、と言わんばかりの開き直りを超えた語りというところが楽しめる理由でしょう。
おっと、この場合の「開き直り」とは勿論良い意味です。
袋小路の男等の作品からイメージされるところとは異なる、ちょっとやそっとでは動じないありのままの絲山さんがここにいる、という印象です。
なお、表題の「メイソウ」。読む前はどちらかというと「瞑想」をイメージしていたのですが、途中から半分位は「迷走」だなと感じた次第。わざわざ片仮名にしているのですから、絲山さん自身も意図していることでしょう、きっと。

「自分の取説」とは何の意味かと思ったら、「取扱説明書」の省略形でした。本書を通じて判る絲山秋子像のエッセンスを端的に書き出した章と言えます。
なお、本書を読んで判った絲山秋子像は、酒好き、喫煙中毒者、原稿期限をきっちり守る、ホテルへの缶詰より出版社会議室への缶詰の方が好き、乗馬が趣味、群馬県が好き、等々。

絲山の由来/禿礼賛/さあ、モテましょう!/うまい話があるんだよ/寝言は寝て言え/男は外、飯は別/祭嫌い/世の中よろず五七調/タンスの大奥/アンチグルメ体験/喫煙党/講談社24時/勝ち負けなんてしみったれ/下り坂ドライブ/自分の取説/恋のトラバター/男たちよ、本を読むな!/群馬人絲山/無駄と無意味

 

8.

●「エスケイプ/アブセント ★★


エスケイプ/アブセント画像

2006年12月
新潮社刊

(1200円+税)

2010年01月
新潮文庫化



2007/01/18



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改めて絲山秋子っていう人は、凄い作家だなァと思う。
本書がどんな作品であるかと考えるまでもなく、読んでいて心の中にズンズンと響いてくる感じ。
こんな俺だけど、こうしてちゃんと生きている(存在している)んだ、という2人の声が届いてくる気がするのです。

「エスケイプ」は、学生時代からの革命運動家、江崎正臣40歳がセクトを抜け、故郷で妹の始める託児所を手伝う決意をする。その故郷に帰る前、ふと寝台急行・銀河に乗り込み、行き着いた先は京都。その京都での正臣の一幕を描いた篇。
レコード屋で知り合った神父らしからぬ番ちゃんの処に転がり込み、歌子ばあさんらと知り合う。そんな日々の中、正臣が浄化されていくような味わいがあります。
「アブセント」は、上記に遡る4年前、福岡に住む正臣の双子の弟である和臣36歳の過ごす日々を描いた篇です。

どちらも特に何かが起きる、というストーリィではありません。でも、一方は東京から京都へ(正臣)、もう一方は福岡から京都へ(和臣)と、ほんの短い旅の中に2人の越し方がはっきり浮かび上がってくるようです。平凡ですけれど、それこそ人間らしい生き方だと感じさせられるところがあります。
正臣については、結局中途半端にこれまでの人生を過ごしてしまった人間の、人生を切り替えるにあたってのつかの間の日々を描いたもの。そしてもう一方の和臣については、青春時代のしくじりの延長に今の日々があるといった姿が描かれています。
それが最後に面白く感じて終わるのは、全く異なる道を選んだような双子の兄弟でありながら、どこか2人に通じる展開があるところ。
長篇といってもごく短い作品ですが、手応え充分な一冊であるところが流石。

エスケイプ/アブセント

   

9.

●「ダーティ・ワーク ★☆


ダーティ・ワーク画像

2007年04月
集英社刊
(1300円+税)

2010年05月
集英社文庫化



2008/10/23



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正直なところ、主題がどこにあるのかつかみにくい連作短編集なのです。
主人公は各章ごとに入れ替わりますが、それなりに頑張っている人間もいれば、病気や仕事でそれなりに挫折している人間もいるといった風。
各々恋人絡みのことが描かれますが、といって恋愛小説とも感じられない。
題名は「ダーティ・ワーク」。だから仕事のことかと思えば、必ずしもそうとは言えない。・・・で、???。

そのうちふと気づきます。後の章にて苗字で登場する人物が、前の章にて名前で呼ばれていた人物であることを。
どう繋がっているのか、それを考えるとまるで謎解きパズルのようです。
広い世間だというのにまるで狭い範囲で生きているかのように、各章での登場人物は縦横無尽に関わり合っているのです。そしてそれがどう関わり合って、どんな意味があるのか、それは最後まで辿り着かないと見当もつかない、という具合。

第一章の主人公である、熊井望(のぞむ)というごつい名前の女性ギタリスト。彼女が忘れられないでいるかつての仲間TTが、後の章で出てきたのは他人事ながら嬉しい。
結局これは、熊井望の物語なのでしょうか。
誰かのことを思いつつ生きているのは、熊井だけではない。そしてその思い方も人それぞれ。
その果てに、熊井望とTTの物語がある、ということを伝えているストーリィなのかもしれません。
最後、漸くストーリィとしての辻褄があったようで、ホッ。

worried about you/sympathy for the devil/moonlight mile/before they make me run/miss you/back to zero/beast of burden

     

10.

●「豚キムチにジンクスはあるのか−絲的炊事記− ★☆
 (文庫改題:絲的炊事記)


豚キムチにジンクスはあるのか画像

2007年12月
マガジンハウス刊
(1200円+税)

2011年01月
講談社文庫化


2008/03/22


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雑誌「Hanako」に一年間連載(06.01〜07.01)したエッセイ「絲的炊事記」の単行本化。

かなりハチャメチャな、料理作りエッセイです。
体当たり勝負、度胸次第、というところ、多分にあり。
私も最近男性料理サークルに参加して、初めて料理なるものに手を出すようになりましたが、この絲山さんのパターン、私は挑戦したいと思わないなぁ・・・・一応遠慮しておきます。
ご自身「あとがき」で語られています、「肉体的に大変」だったと。
なにしろ「二週間毎日のように同じものを買ってきては作り、失敗しては工夫し、食っては太り、太ってはまた食い、残すということができない自分の性をもてあまし、欝で悩み、躁で困り、飲みに行きたいのを我慢する、そんな一年間」だったとのこと。
それにしたって、冬に冷やし中華を立て続けに食べようとしますか?(笑)

昔、作家という人種はどこか変人で型破りな人間が多いと思っていたのが、最近では作家もごく普通の人と思うようになっていましたが、本書でまた元に戻りました。
普通の人もいるけれど、実力ある作家には型破りな人が現としているのだと。
そんな絲山さんの型破りな面、普通こんな食味エッセイはないよなという類のエッセイを楽しめる一冊です。

    

絲山秋子作品のページ No.2   絲山秋子作品のページ No.3

 


  

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