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1.枝豆そら豆 3.恋戦恋勝 4.捨ててこそ 空也 5.光の王国 6.荒仏師 運慶 7.方丈の孤月 8.華の譜 9.あかあかや明恵 |
●「枝豆そら豆」● ★★☆ |
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読んで面白く、かつ楽しい時代小説。 山手樹一郎「桃太郎侍」的なストーリィの主役に“家族”を置き、東海道を下る旅の楽しさの中に、家族の在り様を描いたストーリィと言って良いでしょう。 前半は、大店の一人娘・おそのとその小間使いであるお菜津が、共に旗本の三男坊・達川真之介を恋したことから、仲の良かった2人がついに袂を分かつ事になる青春+恋愛ストーリィ。 何と言っても楽しいのは道中記。奈津の兄弟、おその一家の他、一行全員が協力しあって苦難を共にするストーリィが楽しい。 |
●「女(おなご)にこそあれ次郎法師」● ★★ |
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2016年08月
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戦国時代に舞台を置いた小説は当然のごとくにして武将たる男性を主人公にしたものが多いのですが、珍しく女性の立場から描いた歴史小説。 ただし、女性といっても女らしい生き方を送った人とはちょっと違う。領主の一人娘として生まれながら早くに出家し、出家したにもかかわらず否応なく家名の存続、領地支配と支配される側の苦衷を味わってきた女性。後に徳川四天王の一人に数えられた井伊直政の養母でもあり、先代の井伊家当主でもあったその女性の名を、井伊次郎法師直虎という。 祐は井伊谷の領主・井伊直盛の一人娘。井伊は小国故に今川氏による属国扱いを受け入れてきた。その今川氏から謀反を疑われ、一族の武将を殺されたうえにその息子であった祐の許婚者も領外へ逃亡させられます。更に今川氏より、主家を裏切って通じた家老の息子を婿取りせよと命じられる。 その祐(祐圓尼)の人生をさらに大きく狂わせることになったのが桶狭間の合戦。生き延びてその後勢力を急拡大した徳川家康と対照的に、直盛を亡くした井伊家は困難な道を辿ります。直盛の後を継いだ元許婚者の直親も討たれ、苦衷の策として祐が井伊家当主(=領主)の座につき次郎法師直虎を名乗ります。 支配する側の苦労と支配される側の苦衷、領地を失う衝撃。女で出家した身であるからこそ生き延び得た一方で、子を持てなかった痛みをもつ。そうした祐という主人公像には惹きつけられて止まない魅力があります。 祐と直政の関係だけでなく、祐と父・直盛および母、直政と実母の関係、祐と交わりのあった瀬名(家康の正室・築山御前)と信康の親子関係も濃く描かれていて、戦国ドラマと思って読んでいたら実は家族ドラマでもあった、という驚きもあり。 |
●「恋戦恋勝」● ★ |
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題名からしてユーモア溢れる時代小説版恋愛作品集と思っていたのですが、どうも外れたらしい。 「南総里見八犬伝」の作者・滝沢馬琴の息子・宗伯に嫁入った路を皮切りにした、恋と無縁に生きられない女たちを描いた連作短篇集。 表題作の「恋戦恋勝」で主人公となるほか、馬琴と路は他の作品にも狂言回しのごとく登場します。 私にとっては、本書の主題である“恋愛話”より、滝沢馬琴その人の方が懐かしい。森田誠吾「曲亭馬琴遺稿」以来となる再会です。 各篇のストーリィは、情欲にかられた醜悪な関係からユーモラスなものまで様々。 恋戦恋勝/恋は隠しほぞ/ゆすらうめの家/一陽来復/火の壁/色なき風 |
4. | |
「捨ててこそ 空也」 ★★☆ |
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2017年12月
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平安朝、仏法は貴顕のため、庶民の為に非ずと言われた時代。相次ぐ飢饉、伝染病、天災の前に喘ぎ苦しみ続ける庶民たちを救いたいと、市井の中に身を置いてひたすら念仏による救済を問い続け“市の聖”と呼ばれた空也上人(903〜972)の生涯を描いた歴史小説にして仏教小説。 念仏(南無阿弥陀仏)というと法然、親鸞の浄土宗〜浄土真宗がまず思い浮かびますが、その 200年も前に念仏による救済を唱えたのが空也上人。 空也の出自ははっきりしないそうですが、醍醐天皇の皇子であったという説もあるようで、梓澤さんは本書で空也は皇子であったという前提に立って本物語を書き出しています。 後の空也=五宮常葉丸(ごのみやとこはまる)がどのような境遇に生まれ育ち、何故仏法を志し、どう道を究めていったのかという経緯が、当時の世相を背景に順々と語られていきますので、本書は読み易い。 また内容としても、一人乞食僧として町角に立ち始めた時には縁起が悪い等々罵られながらも、次第に慕う人々が増え、最後の頃には貴賤を問わず信奉者が広がっていたという経緯には、感動を覚えます。 とはいっても本ストーリィの根幹には常に「仏法とは?」という問い掛けがありますので、仏教に興味がないと少々煩わしさを感じる処があるかもしれません。 単に仏法の教えを説くのではなく、苦しんでいる人々を助けるために具体的な行動も取っていたところは、現代的に言うと放浪のNPO活動といった風。 空也がひたすら問うたのは、どうしたら目の前で苦しんでいる人を救うことができるのかということですが、逆の面から見ると、何故宗教は必要なのか、何故宗教によって人は救われうるのかという問いに通じます。 その意味で、いろいろと考えさせられる宗教小説にもなっていますが、空也、そしてその周辺に集う人々の姿に魅力があり、楽しめる歴史小説であることも間違いありません。お薦め。 ※なお、平将門と空也の邂逅は、フィクションのようです。 出奔/里へ山へ/坂東の男/乱倫の都/ひとたびも/捨てて生きる/光の中で/息精(いき)は念珠 |
5. | |
「光の王国−秀衡と西行−」 ★★ | |
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かつて平泉で4代にわたり栄華を誇った奥州藤原氏を描いた時代小説。 元武家にして現在は僧侶・歌人でもある西行が、権勢をもつ右大臣=藤原頼長にした頼みごとの交換条件として奥州の実情を視察にきた、というのが本ストーリィの設定。 都を出てから奥州へ向かう道中、悪路続きに辟易していた西行が白河の関を越えた途端、整備された街道“奥大道”を目にして驚くという冒頭部分が印象的。 そして辿り着いた平泉で西行が親しく交わったのは、当主である藤原基衡の嫡男にして同年輩の若武者である藤原秀衡。 本長編小説は、その秀衡と西行が中心となったストーリィ。 「光の王国」という題名、時代小説にしては珍しい題名で最初はその意味が皆目不明でしたが、読み進んでいくとその題名に篭められた意味が分かります。 血で血を洗う闘争、近親者の死という過酷な半生を身を以て味わってきた藤原清衡は、奥州の地に仏法に拠ったユートピアを建設しようとした。その具体的象徴が中尊寺の金色堂であった云々。万人の幸福を願うその気宇壮大な志には、衝撃的と言っていい程の驚き、感動を覚えます。 そもそも領地争いを繰り返す武家が平和を願う。矛盾とも言えますが、何のための闘争なのかと考えれば、決して武家だからといって無念なことではないと思います。 私にとって歴史小説を読む楽しさは、知らなかった歴史を物語を通じて知るところにあります。もちろん小説ですからフィクションもあり、視点の置き方も客観的ではありませんが、新鮮な驚きを感じる作品もあります。本書はそんな歴史小説の一冊。 これまで源義経絡みで知ることに留まり、深く考えてみることもなかった奥州藤原氏の実像に、ちょっと近づいた気分です。 会い会いて/黄金楽土に/恋すれば/光したたる/春まだ浅し/しのぶもじずり褪せねども/いまふたたびの/名残の月明かり |
「荒仏師 運慶」 ★★☆ 中山義秀文学賞 | |
2018年12月
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東大寺南大門の仁王像で知られる仏師・運慶の生涯を描いた長編小説。 大仏師・定朝の流れをくむ京仏師とは異なる、奈良仏師の棟梁=康慶の嫡男として生まれ、平安時代末期〜鎌倉時代に活躍し数々の作品を遺した仏師。 その生い立ちから康慶の下での修業、やがて独り立ちし、鎌倉政権下の東国で武士たちの依頼にも応じて実績を重ねた時代を経て、康慶の跡を継いで奈良仏師の棟梁、ついには仏師の最高位である“法印”の座を得るまでの足跡が詳細に描かれます。 ただ、運慶の生涯が詳細に描かれていく中に冗長さを感じてしまったのも事実。しかし、そう感じてしまったのは物語の途中だったからこそ。次第に運慶の生涯を通して、“仏師”とは何ぞやという問い掛けが胸の内に浮かんできたからです。 誰も考え付かなかった仏像を創る、という初期の思いは単なる技術屋としての驕りに過ぎない。やがて依頼主の願いに応じて仏を創るという意味に気付き、仏師とは仏を信じる人々のために目に見える形として仏像を創り出す存在であると、その意識は変わっていきます。 運慶という一人の仏師を描くことを通じて、最後まで“仏師”とは何ぞやと追求し続けた本作は、同じく信仰について描いた「捨ててこそ空也」「光の王国」に連なりながらも、これまでにない力強さを感じさせる渾身の作品と感じます。お薦め。 ※本書の中で運慶は奈良仏師、彼らが競争心を抱く相手は京仏師。その京仏師で、寄木造りという画期的な技法を完成したのが大仏師定朝であると語られています。その定朝を描いた作品が澤田瞳子「満つる月の如し」。こちらもお薦めです。 1.光る眼/2.新しい時代、新しい国/3.棟梁の座/4.霊験/5.巨像/6.復活/7.一刀三拝 |
「方丈の孤月−鴨長明伝−」 ★★ | |
2021年11月
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日本の古典文学、三大随筆のひとつとされる「方丈記」を著わした鴨長明の生涯を描いた歴史長編。 (ちなみに後の2つは「枕草子」と「徒然草」) 鴨長明(ながあきら)は、賀茂御祖神社(下鴨神社)の名門神宮家の御曹司(鴨長継の次男)として生まれますが、父親が早く没したため、父親が後を託した鴨祐季は長明兄弟を疎外。それでも大叔母の嫁ぎ先である菊宮家の婿養子となり、それなりに行く末万全と思われましたが、社務に少しも身を入れず、歌ばかり。 どうもこの鴨長明、わがままに育ち、真面目さも堪え性も欠いていたらしい。そのうえ短慮。何か嫌なことがあるとすぐ逃げ出してしまう性格。 そのくせ、名を上げたい、世間に評価されたいという出世欲は人並み以上という厄介な人物像。 梓澤要さんが描き出した鴨長明はこうした人物像であった所為か、感情移入が出来ず、今一つ。 しかし、鴨長明が生きた時代、天変地異も多く、そして平家の横暴に院政政治、権力が源氏に移ったものの源頼朝一族の短命と、落ち着くことのない社会情勢だったのでしょう。 そうした栄枯盛衰の世、自分自身の出世もままならず、長明が無常を感じたのも無理ないことと、得心できます。 何故「方丈記」が書かれたのか、その背景はどういうものだったのか、前半は今一つに感じたものの、全てはこの終盤を描くためだったのかと得心がいく思いです。 鴨長明の抱いた想い、「方丈記」のその内容が、リアルに胸に迫って来るような気がします。 そしてその無常観は、決して鴨長明の時代だけのものではなく、現代日本にも通じるもの。だからこそリアルに感じられるのだと思います。 ※敢えて言わせてもらうと、この無常観、歴史作家がいずれ辿り着くものなのでしょうか。何か梓澤さんが覚悟を篭めたような作品。ふとそんな感じを受けました。 序.終の栖/1.散るを惜しみし/2.夏の嵐/3.後れの蛍/4.曇るも澄める有明の月/5.大原の雪/終.余算の山の端 |
「華の譜−東福門院徳川和子(まさこ)−」 ★★ | |
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二代将軍・秀忠とその正室・お江与の五女として生まれ、徳川家の血を引く天皇を産むことを期待されて入内、後水尾天皇の正室となった和子の生涯を描いた歴史時代長編。 歴史小説で余り描かれない世界、人物たち、禁裏対幕府の相克ストーリィだけに、ひととおり知っておきたいという興味があり読んだ次第です。 後水尾天皇と言えば、隆慶一郎の伝奇小説「花と火の帝」(未完)の主要登場人物。そして東福門院和子は、隆慶一郎「かくれざと苦界行」の一場面に後水尾天皇と共に登場します。その印象が強烈だったのでずっと忘れられずにいた人物。 本作において一応の主人公は和子ですが、時に後水尾天皇(上皇→法皇)が主人公となる部分もあり、共に72歳、85歳と長生きだっただけに長い天皇家の内幕を知ることができます。 とくに和子は、徳川家出身の天皇女御(後に中宮)として禁裏と幕府の間に立って長きにわたり奮闘し続けただけに、後水尾天皇と不可分に一時代を築いた女性として読み応えがあります。 また、天皇家と将軍家の相克の裏側で様々に犠牲となった女性たちの中心にいた女性としても、やはり忘れ難いものがあります。 本作、400頁 という大部な長編ですが、読み終えて満足です。 1.葵の家/2.菊の園/3.鴛鴦の宿/4.国の母と治天の君/5.花鳥繚乱/6.乱雲の峰/7.天空の海 |
「あかあかや明恵(みょうえ)」 ★☆ | |
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鎌倉時代前期、華厳宗中興の祖と言われる名僧=明恵を描く時代長編。 冒頭、明恵が60歳で没した後のこと。 明恵を今も慕う弟子の僧たちから請われ、8歳の時から37年間にわたって明恵の従者を務めたイサが、自分が知る明恵のこれまでを語り始める、という設定からなるストーリィ。 本作、忠実に明恵という傑出した僧を描き出した、という印象です。 明恵、武士の出。8歳で両親を亡くし、母方の叔父である神護寺の上覚上人の導きにより16歳で出家。 早くからその学才を見込まれ、東大寺や神護寺からも期待されるが、粗末な山小屋で修業に励み、修業に集中するために自らの右耳を切り落とすことまでしたのだという。 本書に描かれる明恵も、僧としての高い地位、名誉などはむしろ拒もうとし、修業をひたすら極めることに務めた純粋な人物、という印象です。 明恵という人物を知るには相応しい作品と思いますが、一方、ドラマ的な面白さを求めると物足りなく感じるのではないかと思います。 ※なお、<華厳経>とは珍しい。 どのような教えなのかまるで知りませんが、盟主が毘盧遮那仏如来であることぐらいは知っています。 現世的な利益を目指す<密教>に比べて理解が難しい教えであると、本作中では語られています。 1.耳無し法師/2.夢の記/3.神の言葉/4.日出て先ず高山を照らす/5.栂尾の上人/6.承久の乱/終章.今日に明日を継ぐ |