エマ・テナント作品のページ


Emma Tennant 1937年英国ロンドン生。63年処女作“The Colour of Rain”をキャサリン・エイディの名で発表し、以後は本名にて数多く小説を刊行。


1.ペンバリー館
−続・高慢と偏見−(文庫改題:続・高慢と偏見)

2.リジーの庭−「自負と偏見」それから−

3.エリノアとマリアンヌ−続・分別と多感−

 


 

1.

ペンバリー館−続・高慢と偏見−」● 
  原題:“Pemberley A Sepuel to PRIDE AND PREJUDICE ”   訳:小野寺健


ペンバリー館画像

1993年発表

1996年12月
筑摩書房刊

(2200円+税)
絶版−

2006年05月
ちくま文庫化
(文庫改題)

    
2001/01/04

 

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本作品は、オースティンの名作自負と偏見の後日譚。結婚後のエリザベスダーシーを描いた“続編”です。
読書中の感想を率直に言うと、がっかり、というもの。あまりに原作にとらわれ過ぎている、という気がします。
もともとオースティンはすべてハッピーエンドにしてしまった後なのですから、その後の2人の結婚生活を描こうにも、何のヒントも残されていない状態。したがって、続編を書こうと思えば、原作中のエピソードを度々引っ張り出さざるを得ないのは仕方ないことでしょう。そして、騒動を起こすには、ミセス・ベネットに頼ることになります。

本書ストーリィは、結婚1年後のクリスマス、ペンバリーにミセス・ベネット、ダーシーの叔母レディ・キャサリン・ドバーグミス・ビングリー、あろうことかウィッカム一家まで来るというのですから、ジェインビングリーの夫妻、叔父ガーディナー夫妻がいるといっても、収集がつかない結果となるのは、読むまでもなく明らかです。
したがって、エリザベスが苦慮するのは当然なのですが、本作品中の彼女はつまらぬ些細なことにまで一喜一憂し過ぎます。そして、夫ダーシーに対する猜疑心まで強くするのですが、その様子は原作での明朗闊達で思い切りの良い彼女とまるで人格が変わってしまったのではないかと思う程。さらに、ダーシーもあまり登場せず、エリザベスとダーシーのやりとりが極めて少ない点が残念至極。
この続編では、エリザベスとダーシー以外の人物は原作どおりなのですが、肝心の2人が原作と違ってお互いに目をそむけ合っているかのようで、楽しくないのが不満です。とはいえ、最後は大団円。終わりよければすべて良しで、なんとなく納得してしまったのは事実。作者にうまく丸め込まれた、という気がします。

 

2.

リジーの庭−「自負と偏見」それから−」● ★★ 
  原題:“An Unepual Marriage”     訳:向井和美


リジーの庭画像

1994年発表

1999年08月
青山出版社刊

(1700円+税)
絶版−

 

2001/03/09

 

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本書は、オースティンの名作自負と偏見の後日譚・第2作。結婚後19年を経たエリザベスダーシーを描いた作品です。

今やエリザベスは、娘ミランダと息子エドワードという2人の子供をもち、ペンバリーの女主人としてしっかりと安定した生活を送っています。
ペンバリー館では原作における彼等2人との隔たりが大きすぎてがっかりしましたが、本書ではそれ程の違いはありません。むしろ、リジーに関しては、原作以上に美しさと聡明さが周囲の人々から好感をもって認められており、彼女のファンとしては言うことがありません。
そのリジーの悩みは、息子エドワードの出来の悪さと、彼に対するダーシーの厳しさにあります。娘ミランダがリジーとダーシーの長所を受け継ぎ、明朗活発かつ聡明さを備えた娘であるのに対し、エドワードは正反対。そんな不公平な、とぼやいてしまう程です。
しかし、トルストイ「アンナ・カレーニナ」の冒頭、「幸福な家庭はすべてよく似かよったものであるが、不幸な家庭はみなそれぞれに不幸である」とあるように、不幸なところがなくては小説など成り立たないのです。したがって、エドワードが犠牲とされたのは仕方ない、と諦めるべし。

相変わらず揉め事の原因となるのは、ミセス・ベネットミス・ビングリーらですが、本書では新たにダーシーの従兄弟フィッツウィリアム大佐の新妻ソフィアが加わります。
でも、リジーやジェーンが原作どおりの魅力を維持していることから、それらはもう常のことであり、それ故の面白さですから、気になるものではありません。
それにしても、原作といい、「ペンバリー館」、次いで本書といい、いつもいつもリジーからひどく誤解される羽目となるダーシーについては、同性として、またファンとして、お気の毒としか言い様がありません。

   

3.

「エリノアとマリアンヌ−続・分別と多感−」● ★★ 
  原題:“Elinor & Marianne”    訳:向井和美・葛山洋、監訳:浅見淳子


エリノアとマリアンヌ画像

1996年発表

1996年05月
青山出版社刊

(1600円+税)
絶版−

 

 2008/01/13

 

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現代作家による、オースティン「分別と多感の続編。
ちょうど「分別と多感」を再読したばかりのところ。すんなり、この続編ストーリィの中に入り込めました。
原作は分別ある姉エリノアの視点から語られる物語でしたが、本書は原作でおなじみの人物たちの間で繰り広げられる書簡体小説という形式をとっています。これがまた面白さを盛り上げてくれているといって過言ではありません。

さて、ストーリィ。
原作を読んだ方なら、最後ルーシー・スティールがうまいことやったな、折角の続編であれば少し懲らしめられないものか、と思うのではないでしょうか。
私もそう期待しつつ読み始めたところ、初っ端からとんでもない事態に至っていると知らされて仰天。
なんとエドワードの弟ロバートが事業投資に失敗して、フェラース家の資産合切が差し押さえられ、フェラーズ家は無一文になってしまうのです。その挙句、フェラース夫人は正気を失って、やり出すことといえばもう滅茶苦茶。エリノアだけでなく、母親のダッシュウッド夫人まで振り回されることになります。
問題はそれだけかと思いきや、それを超えるトラブルが次から次へと襲い掛かり、エリノアと母親ダッシュウッド夫人はパニックに陥っても不思議ないというくらいの困難に直面します。
これはもうエンターテイメント小説的パニック、と評して過言ではありません。

自負と偏見は誰しも長所と短所を併せ持つというところに魅力がありましたが、本書は原作の「分別と多感」どおり、愚かしい人間はどこまでも愚かしく、厚かましい人間はさらに厚かましく、ちっとも懲りることがない、というパターンです。
相変わらずエドワードは優柔不断、ブランドン大佐は消極的に過ぎて頼りにならない。そんな中でまたもやマリアンヌが、さらに妹のマーガレットまで問題を起こすのですから、いい加減にせいよ、それではエリノアの気苦労はちっとも減らないではないか、というのが本書ストーリィです。
別作家の手による「続編」とはいうものの、原作者オースティンを超え、本書はやはり分別くさいエリノアと軽率過ぎるマリアンヌ姉妹の物語であって、十分面白いのです。
後半はハラハラ、ドキドキしっ放し。ダッシュウッド家、フェラース家、ブランドン家はこの先一体どうなるのやら、と。
その点、ジェニングス夫人、サー・ジョン・ミドルトン夫妻らは気楽な傍観者で、呆れたり、笑ったり、噂話に終始するだけ。
そうそう、ジョン・ウィロビーも性懲りなく再び登場することを付け加えておかなければなりません。

最後は呆っ気なく一件落着し、まるで肩透かしにあった気分。
それでも、本書を読了してやっと「分別と多感」の物語を最後まで読み終えた気分になったところは、作者エマ・テナントの見事な手並みと言うべきでしょう。

 


 

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