リング&らせん

 
 
著者 鈴木光司
出版社 角川書店
読破期間 1998.3/15〜3/16

 

のっけから、有名な本ですね。(^_^;;)

この本自体はだいぶ前、そう、あのパラサイト・イブが出たころから目をつけていたのですが、パラサイト・イブの方を先に読んでしまって、どうせ同じたぐいの本だろうとタカをくくって買いそびれてました。

しかし読んでから分かったのですが、パラサイト・イブとは似て非なる本でしたね。これは。パラサイト・イブ「女」とすると、こちらは「男(ふたなりさん?)」くらいの差はありましたね。

私の場合ようやく世の中に恐いものがあっても図太く生きられるほど精神が鈍ってきましたが、初めこの本(リングの方ね)を買ってきた時にうちの嫁から「とても恐い本」だと聞かされてしまったので、そんなにすごいのかとドキドキわくわくしながら読んだのですが、確かに話の筋には引きつけられましたが、そんなに恐いとは思いませんでした。面白かったのでその日のうちに第二部ともいえる「らせん」を買って読んで初めて愕然としました。

というわけで、この本は2冊読まないと怖さが分かりません。それが私があえてこの2冊を同時に紹介する理由です。
「リング」を読んだだけでは、「あ、そう」で終わってしまう物語が、「らせん」を読むことによって初めてこの物語の二重性に気づかされるというしくみです。そして、自分自身が既にこの物語に組み込まれていることに。
(もちろん、私も既にキャリアーです(^_^;;))

で、ドキドキしながら一気に2冊を読破してしまったわけなのですが、いつもこのたぐいの本を読むと頭をもたげてくる疑問についてちょっと述べてみたいと思います。

まず、こんな事が本当に起こりうるのか?

この話は超能力を肯定しないと全然先へ進めないし、良くありがちな話のように超能力がなんでも出来る万能の道具として描かれているきらいはあります。
その点はちょっと御都合主義過ぎるのですが、(特に後半、ウィルスの能力を勝ち取ったとはいえ、人間が短期間で大人レベルまで成長するというくだり。)ただ、私のこういった話に関する立場は決まっています。

「意志の力(人間であれ、なんであれ)は物質に影響を及ぼしうる」と。

一番顕著な例として私がいつも思い浮かべるのが、我々が目にしている文明の生み出した数々の構造物です。これら全ての物は我々(?)が作ろうと思わなければ決してこの世に存在し得なかったでしょう。

それは、間接的なもので、意志の力が直接動かしたものではないって?ではもっと単純な例、自分がボールを持ち上げる例を考えてみましょう。

まず、ボールを持ち上げているのに作用している力は自分の腕から生じています。その腕を動かしているのは筋肉、筋肉が動くためには、指令と、そのためのエネルギーが必要です。筋肉繊維はエネルギーを血液から供給されるATPの化学反応から得ます。(ちょっとこの辺はうろ覚え。)指令は、神経細胞を伝わってくる化学反応による信号です。それは脳内で発生されます。では、その、脳内でどうやってそれは発生されるのでしょう?物理法則からすれば何らかの力が働いたからその脳内の最初の閃きが起こったはずです。それはアトランダムな瞬きがたまたま方向性を持ったものでしょうか?いや、この例の初めに我々はボールを持ち上げるという目的を設定したはずです。

つまり、現実に納得するレベルであっても意志の力は確かに存在すると考えたほうが現象を説明しやすいのです。超能力かどうかというのは程度の問題に過ぎません。

それではその意志の力が分子レベルのDNA構造に影響を及ぼしうるのか?
私にも何とも言えませんが、上の現象を肯定するなら、可能性はあるとだけ言えるでしょう。
現代の医学では私の知る範囲では心身相関はあるというスタンスを取りつつあります。ただし、心の力で、病気が治るかというと、そこまでは肯定されていないのが現実です。精神的な問題とはもしかしたら現代の分析的な科学のありようでは理解できないものなのかもしれません。(ってのは、良く言われていることですが。)

どうしてもこの本の登場した時期が時期だけにパラサイト・イブと比べてしまうのですが、私の個人的な感想を言わせてもらえば、ミトコンドリアイブの行動原理は理解できなかった(つまり現実味が無かった)けれど、リングウィルスの方は有りそうだと思ってしまいました。 せっかくわざわざ寄生してよろしくやっているのに何でまた宿主を完全にのっとって自分の細胞で埋めてしまう必要があるのか?私だったら、そのまま居座って、影から支配する作戦を取るなと思って。 (もっとも攻撃的なミトコンドリアを仮定しているのだから、有り、なんでしょうがね。)
その点、リングウィルスの方は、自分の増殖のために一番うまく行く方向を常に模索しているって感じで、はなから2種類の方向で増殖を行ったり、ウィルスを次々と進化させていったりと、私が常々認めている進化の方向性である多様性の原理にうまくのっとっているな、という感じでしたね。 まあ、らせんの最後のくだりはそういう観点からはちょっと違うかなって感じを抱きましたが。もっとも、その点に関しては登場人物自身から語らせていたので、その点は作者もすっかりお見通しといった感じでしたが。

まあ、何にせよこの2冊は、そういう理屈抜きに楽しめる仕上がりになってますね。「らせん」でやられたので、ここで書いていることは次回作の「ループ」読むとコロッとひっくり返るかもしれませんが。


案の定、ループ読んだらころっとひっくり返ってましたね。(^^;) やはりこの世界(あの世界か?)は多様性がある方がおもしろいですよね。



 
1999.4.25追記
しかし、ループを読んだ今となっては、怖くも何ともないですね。
ちょっとだまされた気がしないではないけれど。

私も読みましたコーナー

お名前 評価  コメント
加藤悦男 小説を読んでから映画を見ても, 全然怖くない。 それだけがちょっと残念
鈴木祥一 らせんは大した事ないけど、リングを合わせて読むと恐さ倍増。


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