これまで何かに追われるかのように適当な見学を続けていた一行ですが、ようやくここで今回の最大の目的地に辿り着きます。

着いたのは崎戸炭坑跡。昭和43年の完全廃坑までの間約60年石炭で栄えた街ですが、今現在はかなり閑散としています。人口も最盛期は26,000人ほどいたそうですが、現在はその1/11、2300名程度とかなり減少しています。で、写真は多分美崎地区集合住宅跡。高台で海を眺めながらの生活は辛い炭坑での作業からひとときの解放となっていたんだろうなぁと。
ちなみにココはこのサイトなんかよりずっといい写真が揃ってます。やっぱ時間かけんといかんのかと一頻り溜息…


こいつも集合住宅跡。もう少し高台寄り。で、何故我々は近づかんのか?と今更ながら思う。

崎戸はどうやら風の強い地区らしく、風力発電施設も揃っています。

これが、独身寮であった「平和寮」跡です。手前に広大な空き地が拡がっていますが、ここも全部住宅が建っていたとのこと。で、この空き地、「げんきランド」という名前が付けられていますが、何かを作る予算もなくただ空き地にしたことも涙を誘いますが、このネーミングセンスにはもっと泣けてきます。も少し考えろ。

窓枠なんかも当然のように崩落し、手摺りもすっかり錆びきっております。中に入りたいところですが、我々も常識人。禁止されていることはやりません。というかこの頃はまだそこまでの探求心がなかったものと思われます。

こいつが当時最大の娯楽であった映画館の建物の一部。どの部分なのか皆目見当もつきませんが、おそらく映写室の辺りではないかと。

今度こそなんなのかホントにわかんない煙突。未だ現役なのかすら不明。

で、我々の向かった先は崎戸歴史民俗資料館。その入り口脇には、斜坑と思わせといて、実は火薬保存庫入り口跡が鎮座しております。煉瓦のアーチが美しい造形を醸し出しておりますが、ちゃんと説明付けてねぇから一般人は勘違いすんじゃねぇかよぉ!ネットで調べるまで完全に斜坑だと勘違いしてました。ホント、インターネッツって素晴らしいですね(棒読み)。

最早「活力」の「か」の字も残っていなさそうな崎戸の街ですが、やはり炭坑全盛期には幾ばくかのノスタルジーはあるようです。最早当たり前のように資料館の中の写真なんざありませんが、博物館好きのワタクシは当然のように満足です。
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