護国寺

東京都文京区

 

音羽陸軍埋葬地

  

音羽陸軍埋葬地 英霊之塔

由来

この地は戦前、明治以降の近衛その他の在京部隊に在籍し、幾多の戦役等で身を挺して勇戦敢闘され、

国に殉じた二千四百余柱の英霊を埋葬した墓地でしたが、戦後は護国寺が管理しています。

本英霊之塔は昭和三十二年十一月、護国寺第五十一世岡本教海大僧正の建立によるもので、中央に英

霊と仏像を安置した英霊之塔、その周囲に有縁墓地四十を配して現在の姿に改葬され、殉国の英霊の眠

る聖地となりました。毎年十一月にはその遺徳を偲び顕彰する慰霊祭が行われ、敬虔な感謝の誠が捧げ

られております。

平成七年十一月十一日  財団法人日本郷友連盟東京都支部

 

昭和殉難者 身代り地蔵尊

  

身代地蔵尊

縁起

戦争犯罪人として死刑を宣告され、これに殉じた一千余名の人々の霊を慰め、再びこのようなことの起こらない

よう平和祈願のために、巣鴨プリズンの最後の教誨師であった故田嶋隆純大僧正の発願により、昭和28年3月

24日に建立された。

台石の下には、殉難者の氏名が刻まれた銅版と遺稿集「世紀の遺書」が、防蝕の処置を講じて埋められている。

「身代」とは、殉難者と遺家族の苦難を身代らん、との謂われとされている。

 

墓碑

  

武藤信義 元帥陸軍大将、男爵 関東軍司令官兼駐満大使兼関東長官、教育総監、軍事参議官、東京警備司令官 昭和 8年 8月27日 死去

 

  

野村 吉三郎 …海軍大将(海兵26期) 第三艦隊司令長官、呉鎮守府司令長官、横須賀鎮守府司令長官、学習院院長、外務大臣      

  昭和16年、駐米大使に起用されアメリカと戦争回避のための交渉を担当 昭和39年 5月 8日 死去      

                          土肥原賢二 …陸軍大将、在満州特務機関長 昭和23年12月23日 巣鴨プリズンにて法務死

 

鎮魂の霊地

更新日:2008/07/03