音羽陸軍埋葬地

 

護國寺 墓地

東京都文京区

 

音羽陸軍埋葬地 英霊之塔

由来

この地は戦前、明治以降の近衛その他の在京部隊に在籍し、幾多の戦役等で身を挺して勇戦敢闘され、

国に殉じた二千四百余柱の英霊を埋葬した墓地でしたが、戦後は護国寺が管理しています。

本英霊之塔は昭和三十二年十一月、護国寺第五十一世岡本教海大僧正の建立によるもので、中央に英

霊と仏像を安置した英霊之塔、その周囲に有縁墓地四十を配して現在の姿に改葬され、殉国の英霊の眠

る聖地となりました。毎年十一月にはその遺徳を偲び顕彰する慰霊祭が行われ、敬虔な感謝の誠が捧げ

られております。

平成七年十一月十一日  財団法人日本郷友連盟東京都支部

 

  

多寶塔

由来(概要)

この多寶塔はもと当山の薬師堂の西側に、昭和二十五年十二月二十一日に建立されたものである。

明治二十七・八年の日清戦争で遼東半島の各地の野に戦病没した軍人の遺骨を収集、本国に送還し一時

京都泉涌寺の舎利殿に仮安置された。明治三十五年秋、多寶塔の正面に拝殿としての忠霊堂が完成、同

年十一月二日当山に遺骨も移され、塔下に埋葬、慰霊大法要が厳修された。その後、この塔は長い年月風

雨に曝され近年は破損甚だしく、今般大修理を施し、音羽陸軍埋葬地遺族会の協賛を得て、この地に移築

建立した。

平成八年十一月十一日 大本山護國寺

 

有縁墓地四十

 

  

陸軍軍人合葬之墓 明治三十七八年戦役死没将校以下遺骨            陸軍軍人合葬之墓 満州事変死没将校以下遺骨   

 

鎮魂の霊地

更新日:2007/05/06