シアターワークスの報告

【仮設住宅ふれあいセンターで公演を終えて】

うでまくり洗吉

 今回の企画のお話しをいただいた時、“お年寄りにも喜んでいただけるような芝居”ということで
「化粧」という演目を選びました。
一人芝居でほとんど道具もいらないというフットワークの軽さが
この企画にあっていると思っていたせいもありました。
正直その頃は仮設住宅で芝居を打つ、ということの意味が
まだまだわかっていませんでした。
 普段私たちが劇場で芝居を打つ時はある意味で“強気”にでます。
こちらサイドから最善のものを提供し、後はどんな評価も甘んじて受ける、
非難するならしてちょうだいという姿勢です。
芝居というものをお金を払ってわざわざ劇場に足を運んで見にくる観客。
芝居の主張として毅然としたものを毅然とした姿勢で彼らに提供することが演じる側の道理であり、
逆に言えばその毅然として主張さえあれぱこちらから観客に歩み寄って行くことは
却って芝居として理不尽な感さえあるのです。
「化粧」にしても同じことでした。
いかにしていい芝居にするか、この芝居をいかに主張し、表現するか。
そのことだけを考えて日々稽古に励んで来ました。
 ところが、1月末実際に荒田公園に下見に行った時、
今回の公演はそんな芝居の道理をとおすとおさない以前の所に
問題があるのではないかと感じたのです。
芝居というのはなんのかんの言っても絵空事です。
お金を払って劇場に足を運ぶ人々は絵空事とわかって見にくる人々です。
そんな人々には家に帰れば絵空事とは無縁の確固たる生活があるわけです。
けれど荒田公園の人々はそうじやない。
あの究極の追い込まれた状況の中で、果たして芝居というものがどれだけの意味をもつのか、
そんな作り事もかなわないようなあの状況の中で、作り事の権化ともいうべき芝居が
果たして受け入れてもらえるのか。
芝居をどう見せるか、ということ以前の芝居をみることの意味について
根本から間われているような気がしました。
 本番前の緊張感。芝居を始めて13年になりますが
あんな緊張感を経験するのは初めてでした。
手が震える。
異様に震える。
芝居中に煙草に火を点けるのもままならない。
観客との距離が全く読めない。
何のより所もなく、まさに一人で(一人芝居だから当たり前だが)裸で舞台に立っている気がする・・・。
 芝居が終わって暗転になったとき、一瞬の間があってから拍手が来ました。
その一瞬の間がなんと怖かったことか。
やはり受け入れてもらえなかったのかとぞっとする思いでした。
けれど一回目の拍手が起こってくれてなんとかほっとしてから舞台挨拶。
この舞台挨拶も考えました。
私たちはボランティアでここに来た訳ではない、
なにかをしてあげるつもりで来たのではない、
ただただ芝居者には滅多にない機会を様々な意味で楽しませていただいた、
ということだけを言おうと思いました。
「この荒田公園ふれあいセンターをいつもとは達った雰囲気にしてみました。
皆様が少しでも楽しい時間を過ごして頂けたら幸いに思います。」
そう言った次の瞬間、思ってもみなかった二回目の拍手が起こりました。
一回目よりも実に心のこもった拍手でした。
役者として、一個の人間としてまさに至福の瞬間だったと思います。
 芝居の後、住民の皆さんとお菓子と甘酒をいただきながらお話しした際、
非常に興味深いことがありました。
芝居中に大衆演劇一座の女座長に扮したわたしが
「あたしの息子はねえ、北海道の岩見沢に預けてあったんです。」という場面があります。
その話が女座長の息子のことではなく、わたし自身、
うでまくり洗吉の息子のことだと思った方がいらっしゃいました。
そこまでストレートで素直な芝居の見方は滅多にお目にかかれません。
芝居を見ることの原点を思い知らされた気がしました。
 芝居をやることの意味を根本的に問われるような気がした今回の公演、
自分の人間性まで堀り返されそうで非常に怖かったのですが、フラワープロジェクトの浅岡さん、
ちぴくろ救援ぐるうぷの福神さんを始め多くの方々のご協力と、
なによりも荒田公園の住民の方々の芝居を見に来てくださる前向きな姿勢に支えられ、
非常にいい成果をあげることができたと思います。
この企画に関わった人々はみんなとてつもない不安を抱えながらの公演だったでしょうが、
第1回目にして思いもかけない成果を得たこの企画に、
自分自身が携わっていたことを楽市楽座一同幸福に思っています。
「化粧」はこういう企画に実に合う芝居だと思います。
機会があれば、また来たいと思います。
 それほど2月11日、荒田公園ふれあいセンターのあの数時間は役者として本当に幸福な一時だったのです。





(1996年4月に原稿をいただきました、うでまくり洗吉さんは、すでに鬼籍の人となられました。合掌)


【キッズワークショップ】
キッズワークショップ
阪神大震災後の子供達のワークショップ 表紙
98年 尼崎キッズワークショップの報告 当事者のワークショップレポート
尼崎キッズワークショップの報告1 こどもたちのワークショップの姿、井戸端会議より
尼崎キッズワークショップの報告2 こどもたちとのワークショップの姿、雑誌の記事より
震災時の思い出 子供達の震災時の思い出
尼崎キッズワークショップを支えてくれた若い友人達 感謝を込めて
キッズワークショップのプログラム わたしたちの姿勢と原則
NPO兵庫県子ども文化振興協会設立 引き継がれる神戸シアターワークス・キッズワークショップの志
TOPへもどる
演劇の部屋
神戸シアターワークス