キッズワークショップ

【ご挨拶】

96年夏、阪急塚口駅前ビルから、わたくしたちのキッズワークショップは始まりました。
兵庫県親子劇場の中心の方々の手厚いサポートを受けて。
95年冬、演劇人としてなにか被災地の人達に役立つことが出来ないだろうかと、
集まった演劇人は、予想よりは多く必要数からは足りない、中途半端なものだった。
しかし、当時から世話人として活躍して下さったアサオカ氏は、
わたくし達に、『ヤルベシ』の心を植え付けてくれた。

神戸シアターワークショップ


【企画趣意】
「まず、自分のことを話すことから始めよう」
「演劇のゲームをやって、相手を見てちゃんと心を伝えることを」
「相手を見てきちんと心を受けとることを始めよう」
「皆が公演をやりたいと言えば、上演する準備もワークショップだ」
「演劇をやらない演劇ワークショップがあってもよいだろう」
「大衆演劇のワークショップをやって、白塗りになった隣人と話すのも楽しいだろう」

震災から一年が過ぎて、私たちはいままで知らなかった多くのことを体験し、
これまで出逢うことのなかった人々と語り合いました。
その体験と出逢いのなかで、私たちは、「人間が人間を支え、人間が人間を守る」ことこそが
私たちの望んでいる《まち》である事を実感しました。
どんな建物よりも、どんな道路よりも、何があっても壊れないのが「人間と人間の絆」であることを、
そして多くの人々が、子どもたちが、いま其れを求めていることを、私たちは知っています。
《まち》とは人と人の絆の集積であることを、いま私たちは確信をもって言えます。
それは「生きる権利」の最初の一歩だと、私たちは考えています。
しかし、それを求めることが、こんなに困難な社会だったとは……、とも私たちは知らされました。
《まち》を求めている人々がいて、《まち》のなかで生きたいと願っている子供たちがいることも、
私たちは知っています。
「出逢い、語り合り、違いを知り、理解し合う」ということが、
これほど切実に求められたことはなかったのではないでしょうか。
だから私たちは、「一本の樹」を立てようと話し合いました。
演劇という「一本の樹」のまわりに集まって、
それを見上げながら「出会い、語り合い、違いを知り、
理解し合う」という健全な営みを取り戻そうと考えました。
そのために貴方の参加を求めます。貴方がもっと元気になる形で、貴方の思うままに。

                                発起人代表 衛 紀生


中心メンバー
衛さんと浅岡さんと組織を支えた中心メンバー
これが、一つの動き出すシステムをつくりだした、代表 衛 紀生氏の言葉。
そして1996年から1999年暮れまで、約4年間に渡るワークショップを動かし続けてきた、
キッズワークショップの骨組みなのです。
尼崎のわたくし達は、1999年3月に、中心となっていた小学生諸君が中学生になる時をもって、
尼崎キッズワークショップを終了しました。
そして、1999年12月11日土曜日 最後の神戸シアターワークスの会議が開催され、
12月をもって全ての事業を終了し、解散することとなりました。
此のあとは、NPO兵庫県子ども文化振興協会が引き継いで、より大きく育ててくださいます。


【キッズワークショップ】
98年 尼崎キッズワークショップの報告 当事者のワークショップレポート
尼崎キッズワークショップの報告1 こどもたちのワークショップの姿、井戸端会議より
尼崎キッズワークショップの報告2 こどもたちとのワークショップの姿、雑誌の記事より
震災時の思い出 子供達の震災時の思い出
尼崎キッズワークショップを支えてくれた若い友人達 感謝を込めて
キッズワークショップのプログラム わたしたちの姿勢と原則
シアターワークスへ託された言葉 うでまくり洗吉氏の言葉
NPO兵庫県子ども文化振興協会設立 引き継がれる神戸シアターワークス・
キッズワークショップの志
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