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1996年10月11日開始
火だるまG
第18回:1998年3月11日
テレビ界の人が映画を作った時に感じた違和感と同様の違和感を、このテレビ界のしかもアニメ界の人が作った映画にも感じました。それはふたつのポイントに分けられます。
まず表現が拡散系の刺激を追求しているということ。映画を見ている人間は、あぁ、あぁあぁ、あぁあぁあぁと、だんだんなるほどを積み重ねていって物語に感情を移入していくのですが、その積み重ねは、ほとんど小説を読む行為と変わらないものです。
しかしこの映画は、映画上の流れが、ずぶずぶ切断されるます。まるでカタログやパンフレットを見ているような感触とでもいいいましょうか。そのパートパートはそれなりに完結しているにしても、なにかに溺れていくというようなカタルシスを見るものに与えない映画というのは、いかがなものであろうかと、私などは思ってしまうのです。
また本作ではフラッシュバックなど、詳しくはよくわかりませんが、MTVとかCMで使われるような手法が多用されているようです。ディスコやクラブでミラーボールだけを眺めているような感覚とでもいいましょうか。私の感覚が古いということなのかもしれませんが、人間が刺激でもって感動を得る許容量などというものは、若かろうが爺だろうがそんなに変わらないのではないでしょうか。もちろん中毒や慣れというものがあるから、一度刺激を受容してしまえば、もっと欲しくなるのかもしれません。でもそういう状態の人間は白痴だと私は思います。私はこの映画を見て疲れてしまいました。
次のポイントは、そのような刺激的な様式を持って語られるメッセージが刺激的であるかということであります。
ところがここが凡庸なのです。
本映画の大筋は、12万円するトパーズの指輪をどうしても欲しくなった女子高校生が援助交際で金を稼いでそれを入手しようとして酷い目にあうというもので、メッセージは、だれかが君のことを大事だと思っているのだからそんなに簡単に自分を商品にしてはいけないよ、その人が傷つくよ、ということらしいです。
これはつまらない。だって自分が傷つくこと覚悟で行為する人間に、他人の痛みなどわかるわけがない。前提が狂っています。
おまけにどうしてそんなに指輪が欲しくなったのかが突っ込まれていません。それに彼女を買う、よじれた欲望の男たちがどうしてそんなによじれてしまったのか、そんなよじれた男たちが、女子高校生にはどう映るのかも突っ込まれていません。そして女の子に簡単に体を売られると、どうして男たちがパニクるのかも突っ込まれていません。
なんかいい年した男が、なかば脅迫しながら、女の子たちに懇願しているように見えます。最後に酷い目にあわせるシーンなんて、なんか変態が入っていて、もしかしてこの映画を作った人たちは結局は女の人を支配したいのではないか、しかし支配できないから苛めたいのではないか、なんて思ってしまいました。あそこでざまぁ見ろと溜飲を下げる男がこの世にはたくさんいるのでしょうな。
しかし不思議なのはどうしてそんなにあの年代の女性に興味をもてるのだろう? ということです。そこいらへんが「エヴァンゲリオン」の世界と通じているのでしょうか。
私の意見としては、あの世代の女の子は、チンコと同じで触るからつけあがって大きくなるのだから、ほっておけばいいのだということです。実は若さなんてことにはなんの意味もないのだ。ただ若いだけではちっとも素敵ではないのだよ。としっかり態度で示してやれば、あいつらも作戦を変えるのではないでしょうかね。物欲しげな目であいつらを見る男があいつらをつけあがらせるのです。とことん軽蔑して、反感を買われて、糞爺や臭いとかいわれたら、たとえ相手がプリンプリンの女子中高生でも、うるせぇこの中年女といってやればいいのです。この映画見てまたバカ娘どもがつけあがるのだなぁと思うとイヤになりますね。
(この企画連載の著作権は存在します)
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