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火だるまGの4+18手


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毎月4日と18日に僕のANOTHER EMPTY HEART AND MINDからお届けします。1年単位でバックナンバーに在庫していきます。
1997年末日で終了した、THANK YOU REPORTのバックナンバーはここにあります。

1998年

 

1月4日  長期不安定連載予定/聖書を読む(1)・マルコ福音書・第一章
  18日  97年に記憶に残った2つのトイレについて
2月4日  爺としてのGのGEE (壱・弐・参・四)
2月18日  爺としてのGのGEE (五)
3月4日  爺としてのGのGEE (六)
 18日  爺としてのGのGEE(七)
4月4日  春だ桜だXXXXだ
  18日  追悼・板橋並治(Desperados Waitin' For a Train)
5月4日  さらば東京・加奈崎芳太郎氏に捧ぐ
  18日  39歳最後のトンカツ!?
6月4日  BGM指定・40歳最初の原稿
  18日  ON THE WAY TO MOTHER
7月4日  横浜駅中央通路階段の人
 日18日  死体としての自然
8月4日  書けないことを書く
  18日  『ラッキーさん』を観た日
9月4日  さらば青春
  18日  贋作・旅する脳味噌
10月4日  記憶の無力・記憶の威力
  18日  我が心の日本シリーズ
11月4日  HE SAID HE SAID
  18日  もう一度笑ってよロン
12月4日  足で考える人間になりたい
  18日  時間よくたばれ!

 

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1月4日(日曜日)

長期不安定連載予定・聖書を読む(1)
マルコ福音書・第一章

 

(荒野の誘惑)

洗礼を受けたイエスは、神の心により40日の間、荒野におり、悪魔の誘惑を受けた、その間野獣の中にいたが、イエスには天使たちがついていたという一説である。
ここにはいくつかの周到な仕掛けがあるように思う。
まず、神によって選ばれたものさえに対し、神は最終的な試練を与えるという、神の権威の絶対性の確保。そして、野獣というのは、人間そのものを隠喩しているのであろうし、悪魔の誘惑は人間の煩悩のようなものを示すのだろう。そしてそれらから、選ばれたものを守るのが神のエージェントたる天使たちということで、ここでも二重にも三重にも神の権威が強調されている。神が文字どおり神であるのなら、そんなにまで、大仕掛けな仕組みを用意しなくてもいいのではないのだろうか? 本来権威というものに理由などないのではないか?
人間を野獣と見る考え方というものはどういうものなのか? また、ライオンやゴキブリなどは初めから救済の対象には入らないのか?
人間を元来が野獣と見た時に、野獣たる人間は、いつの日か救済を受けるまでは、野獣であることに開き直り、欲しいままに貪欲であり続けるのではなかろうか? その時に、その野獣時代の人間の餌として貪り喰われる他の人間の救済はどうなるのか? ましてやその好餌たる人間さえもが、洗礼を受けていて、救済されるべきものである時に、神はその事態をどのように説明するのだろうか?
神の洗礼を受けようが受けまいが、人間は元来神の一部なのだよと、どうして、神は言わなかったのだろう? 聖書が人間の書いたものだからだろうか? それとも、神はやはり不在だからだろうか?

(シモンの姑)

イエスが手をとっただけで、熱病で寝ていた弟子のおばあちゃんの熱が取れたという話。熱病が癒されたというのと、熱が取れたというのには、大きな違いがあることは言うまでもないだろう。前者は精神的な話だし、後者は物質的な話だ。前者を強調するために、後者チックに話を持っていくのが、宗教の常套だと言ったら、イエスや神は僕に罰を与えるのだろうか?

(本連載予定のテキストは、塚本虎二訳『新約聖書・福音書』(岩波新書)第三刷)

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1月18日(日曜日)

97年に記憶に残った2つのトイレについて

(1)代々木上原

我らコモンストック3人男が、いろいろ仕事を回してくれる彼のオフィスの掃除の陣頭指揮を週に1回は必ずやろうではないかと決意した時に俺は便所に直行した。俺はいつもこんな場合には便所掃除にまわる。誰かに便所掃除してくれというのが嫌なのだ。人が便所掃除についてどんな気持ちを抱いているのかは知らない。でもおそらく便所掃除を好んで受け持ちたいという奴はいないだろう。俺は便所掃除に対してなんらの嫌悪感がない。だから俺がやるのが一番いいのだ。
じゃあ俺は便所やる。その一言で一切合切の感情や頭脳を使わないですむ。便所掃除はステキだ。シンプルだ。しかし実は我ながら姑息だと思っている。どうしてこんなにせこいのかとも思ってる。どうして自分の気が晴れることばかり考えるのかとも思っている。どうしてどうでもいいような緊張感にたえられないのかとも思っている。本当は便所掃除なんて嫌いだ。俺にこんな感情を抱かせる便所掃除なんて大嫌いだ。
あれは大学3年生の時だ、俺は肉体労働ではなく事務のバイトで関越トンネルの飯場で1カ月を過ごした。あの時も俺は毎朝便所掃除をした。あれから20年もたつのに俺はあいかわらずこすいままだ。
彼の事務所の男子トイレは今時珍しい小便専用で、いくら磨いてもこすっても分泌物かミネラル故か表面が一様にならない。水を流してもどうしても水が通らない部分が残る。乾いた跡のその様相は、男の涙か、人生のあみだくじのようである。

(2)四谷

四谷に新しい図書館ができた。立派な建物だ。しかし図書館のあるフロアの便所のキャパと利用者の数のバランスが崩れている。生態系の崩壊だ。だから便所が汚い。俺は汚い便所が嫌いだ。だからひとつ上のフロアの便所に行く。別世界だ。たかが一階だけ階段を昇るだけなのに他の人は来ない。きっと便所が汚くても平気か、どこにきれいな便所があるかなんて考えたこともない人たちなのだろう。図書館に来るからには本が好きでものを考える人たちに違いないのに不思議なことだ。もっともものを考える輩なら、あんなに便所を汚しはしないだろうが。
俺は文字どおりにふんぎりの悪い男で一度トイレに入るとなかなか出れない。
きっとこの静寂の世界に、痛い腹を抱えて瀕死の状態である男が潜んでいるなんてことは彼女には想像もつかないのだろう。気体的液体的個体的物理的にドルビーサウンドの世界だ。こんなに立派な建物なのに、どうして隣の女性便所の音が筒抜けなのだ。行政にはデリカシーのある奴はいないのか? どうして俺はトイレの中でトイレを我慢しなくてはいけないのだ。もはや死にそうである。鼻歌なんて歌っているんじゃないよ。お姉ちゃん。

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2月4日(水曜日)

爺としてのGのGEE (壱・弐・参・四)

 大学体育会部員のカラオケ集団レイプの件。DNAの力や恐るべし、これは要するに日本男子の精神構造は基本的に南京大虐殺の頃となんら変化しておらず、集団化すれば瞬間的にモラルレスとなることを指し示しているのではないか? 国を司る政官の無責任・無能、経済の停滞とあわせ事態はますます昭和初期に似てきていると思われるのだが、一番気にかかるのは、こういう事態に今俺がモノマネしているような論調で社会的な発言をする知識人の欠如である。つい一昔前には何かあれば戦前の再現等との言論があらわれたものである。そういう意味でも昭和は遠くなりにけりである。余談の余談ながら、気分転換起死回生として現有権力体制が念願しているのが、皇太子夫婦に男子(次の次の天皇)が誕生することだろう。それこそ神のみぞ知るであるが、もはやこれ以上の暗いムードに耐えきれないよという時に、そんな知らせが届くような気もする。試験管天皇とかクローン天皇というのもありかもしれないしね。

 
アメリカがまたもやイラクに空襲をかけようとしているようだ。イラクフセイン独裁体制を擁護する気はさらさらないが3つの異見を述べてみたい。まず当たり前にそれで一番傷付くのは無知とはいえ無垢なるイラクの女老人子供であるということ。非道い支配者に支配される庶民がそれ故のみに酷い目にあわねばならぬというのは納得できない。91年の湾岸戦争以来イラク軍はどこの国にも侵攻していない。名目がクルド人迫害であるというのならわかるが、それなら、トルコもイランも同罪であろう。次にその名目が国連による大量破壊兵器査察にイラクが応じないということにあるらしいが、いつからアメリカは“国連の名の下に置いて”ものを語るようになったのか? 国連はアメリカの独自の外交政策になんら口を挟む権利はないと公言して拠出金の滞納を続けているのはどこの国だろう? これを二枚舌といわずしてなんとする? 最後に、クリントンのセックススキャンダルのはけ口を外に求めてはいけない。たしかにフセインは性悪だから、顔だけビルとモニカにすげ替えた裏本、ビニ本もかくもという写真を連日新聞紙上でおおっぴらにしているだろうけど、それに腹を立てるのは大人げないというものよ。ヒラリーが激怒するのなら話は分かるけどね。もし侵攻が行われアメリカ軍の誰かが死んだりしたら、大統領のティッシュペーパーのようにしてポイされた男(女)として記憶されたりして。

参 
ここでも書いたことだけど橋本龍太郎という人は全く信用ができませんな。沖縄の会場へリポート移転の問題で太田知事が明確に反対を表明し始めたら聞いていない、もっと早くいうべきだってさ。要するにどうやったってみんながみんな納得できる落としどころの見つからない問題について知事に下駄を預けようという魂胆なのだろうけど。それで一国の首相といえるのかね? 誰が考えたって首相が泥をかぶるべき問題であることは明白なのにね? あの岸信介だって安保強行採決の後しっかり辞任しています。そんなに政権にばかり恋恋としてどうしようというのだろう。
俺としてはいつでもいっていることだけど、米軍さんも原発さんもみんな東京の臨海副都心に持ってきて、その代わりに、東京との税金をただにしてほしいな。そんなところに住めないという柔な奴等は東京から出ていくだろうし、首都も皇居もなくなって清々する、実によさげでのんびりと自然と共生する東京が現出するはずです。嫌だ嫌だという地方に無理強いして補助金や公共事業費をばらまくよりも安くついたりするのではないかしら?
橋本さんが、大蔵省の不祥事を、言語道断とか言葉がないとかいかにも他人事のように語る姿は不快であります。時の大蔵大臣橋本龍太郎が証券金融不祥事(一任勘定で政治家や官僚や総会屋などに不公正に利益を出していた事件)と自らの秘書の富士銀行からの不正融資事件関与等で辞任したのは1991年10月14日のことでありました。
一番頭に来るのは、橋本さんの言葉ね。火だるま(俺は火だるまGだ)とか、不退転とか、全力を尽くしてとか、実に豊饒な意味を持つ言葉がどんどん形骸化されていく。なまじ頭がいいのでくり返しを避けようとしたりするから、その累はしまいにゃ日本語の隅々にまでおよぶのではないかと懸念する次第。物書きがやる気がなくなるよ。

四 
銀行と大蔵の仲良しクラブについて一席。噂のMOF(=MINISTRY OF FINANCE)担とかけて、試験官に飯を喰わせ酒を飲ませ女を抱かせて金を握らせて試験用紙とその解答を教えてもらおうとする受験生とときます。それはそれでマジメに勉強努力したりするよりも時間費用効率的に実に効果的なやり方とはいえるけれども、人間はそんなことをするために生まれてきたのか? という疑問は残りませんかね? つい最近全銀行会長を辞めた三和銀行の頭取なんて、将来の結婚に備えて、ついでに隣の女生徒の解答用紙までもらっちまおうとしたようです。本人は国会で自分が指示したわけではないと開き直っていましたが、合併話の根幹に頭取が絡んでいないわけがないですね。基本的に大蔵官僚と同窓の東大卒が務めるというMOF担は各銀行の出世の特急券らしく、時期全銀協の会長の東京三菱の頭取もOBだそうであります。そんなくだらん賤業をさせられた報いとして与えられる地位と見れば、結局悪いのは資本ということになりますか。なんかナニワ金融道のオッサンみたいになってきたなぁ。
世の親どもはそんなくだらん東大卒にわが子を仕立て上げようとして狂奔しているのだから末期ですなぁ。ナイフを振り回す子供たちだけが悪いとはやはり一概にはいえませんなぁ。

 

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2月18日(水曜日)

爺としてのGのGEE(五)

 近くのスーパーが囲いこみのためにカスタマーカードを作ってからどのくらいたったのだろう? お客さんに登録してもらってカードを発行、そのカードの所有者にはいくらかのディスカウントを施すというシステムである。同じレベルの購買力で従来みんなただの客であった集団にどんな形にせよ線を引くということは俺の生き方とは相いれないので俺は登録していない。それに住所などの個人情報をそんなにたやすく公開するつもりも俺にはない。
だからレジで「カードはお持ちですか?」といわれる度に、俺はいいえと答えるばかりである。
ここで「カードはお持ちですか?」といちいち聞くということはスーパー側としても面倒なことであるとは思うけど、こんな大がかりなシステムを始めたからにはそれは義務であると俺は思う。なぜならそこで手を抜くと悲しいことが起こる。
従来主婦というのは、あるいは女性というものは、いわれなくても、買い物は一円でも安くという概念を持つしっかり者と思われているが、勿論それには個人差があるし、それは幻想である。
すなわち「カードはお持ちですか?」ときかれないとカードを出し忘れる人がいる。そしてたいがい高齢者に多い。
俺の前に支払をしたお婆さんが、お金を払い終えてから、カードに点数をインプットしてもらい忘れたことに気がついた。買い物金額は1950円であった。おそらく1人暮らしの女性なのであろう。
「だってあんたが『カードはお持ちですか?』っていわなかったから」
お婆さんはそんなことをいって、なんとかならないかといったが、バイトの男の子は、人からミスを指摘されることに慣れていないので早くも切れかけていて「規則ですので」というばかりである。これ以上何かいわれたらバタフライナイフを出しかねない。
たしかに店のあちこちの中に、カードを精算前に出してもらわないとポイントの加算をしないもんねと書いてあるし、レジにも大きな看板がある。だからいちいち「カードはお持ちですか?」と尋ねることはオーバーサービスであるともいえる。しかし人間は慣れの動物だから、一度そうなるとそれを当たり前のことと思ってしまうことも事実である。
レジのバイトの剣幕に、お婆さんはあきらめて収納カウンターに移った。するとそれを遠目で見ていた中年の人の良さそうなおばさんが、お婆さんに近づいて「明日にでもそのレシートを持ってきて、この買い物の分加算されるのを忘れてしまったって、今度は女の人のレジに持っていけば加算してくれるわよ。向こうで中のポイントが加算されているか調べればわかることだもん」といった。
お婆さんは、感動して「ありがとう、そうします」といった。中年女性は、いいえいいえどうしましてといいながらも、なんとなく満足そうにして帰っていった。
しかし、お婆さんに、明日ポイントが加算されることはあり得ない。なぜならそのレシートがお婆さんの購買を証明するものではあり得ないからである。そのレシートはもしかしたらお婆さんが拾ったり、誰かから譲られたものかもしれない。スーパーが現行犯以外でのポイント加算を認めたら命取りである。お婆さんが明日そのように申し入れても、スーパー側としては、誰かがすでにそのポイントの加算を受けている可能性を否定できないので、それを受容することはあり得ないであろう。
スーパーがくだらない会員制度をつくり、たまたまあるいは当然のごとくにバイトのガキが間抜けだったばかりに、点数を加算されるべき人間の間抜け、自分のミスを棚に上げてクレームを付ける人間の下品、すいませんと渡しも悪うございましたと素直に謝れないくだらない人間性プライド、それを横目で見ていて善意で何かいった人の愚かさ、それを真に受けた人の愚かさなどがいっぺんに露見してしまった。
おまけにバイトのガキは、もう金輪際「カードはお持ちですか?」ですかなんて、俺はいわないゾとばかりに、結構明るい奴なのに、愛想笑いさえなくなってしまったみたいである。
これを資本主義の悲劇といわずになんといおう。

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3月4日(水曜日)

爺としてのGのGEE(六)

六          写真申込のお知らせ

 

四谷地域センターでは、平成九年12月13日〜14日に行われた文化交流展・フリーマッケトの写真を展示し、左記に日程で申込を受け付けます。

ーーーーーーーーーーーーーーー  記  ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
一、期間 二月二日(月)〜二月二一日(土)
二、時間 九時三十分〜九時まで
三、金額 一枚 二十円

上記は俺のアジトの近くの(新宿区役所の出張所と図書館が入っている)四谷地域センターのエレベーターにA3大の大きさで、ほぼ一月間はられていたポスターを、きっちり有効期限の切れた3月22日の日曜日にパクって来て、それを、一字一句そのままに写したものである。
初めてこのポスターを見た時、いよいよここまで事態は進んでいるのかと俺は驚愕した。
しかしまさかこれがこのまま放置されることはあるまい。役所の中にも良識ある人はおるだろう。役所内部の自浄作用に期待しようと、とりあえずは静観することにした。
しかし悪いことにその間、バイトで妙に図書館に通う機会が多く。その度にこいつと目が合う。こいつはこのままでーんと威張っている。そして全然訂正されないままはがされる時を迎えた。
はがされてしまえばもはやそれまでで、歴史はいつでも忘却の彼方が定位置でありお気に入りである。だからもし2月21日までにこれがこのまま放置されておるようなことであれば、しょうがないから一枚万引きして、皆様に公開し、HPでいうべきことだけはいっておこうと思っていたのである。
いうまでもないだろうが、この文書を読んだところで全く意味が取れず理解できない、このポスターを見て、ああそうかなるほどね、という奴がいたらそいつは頭のいい人ではなく狂人だ。意味だけではない、テニオハがおかしく、カタカナのスペル(英語のスペルではないのだよ!)に間違いがあり、時間のところでは嘘までついている。9時までなんて役所がやっているわけがない。俺はあそこに務めている地方公務員が、定時きっかりにわっと帰る姿を何度も目撃している。帰宅する嬉しそうな彼らにエレベーターを占拠され、混んでいる場所が極端に嫌いな俺がエレベーターをあきらめて階段で上りおりしたことも幾たびかあった。
でも問題はそんなことではない。
はっきりいうが、この文章を作った人はバカである。しかし当然、こんなのできましたけど、と上司にお伺いをたてて張り出すのがお役所のシステムだろうから、そこで、こんなアホの文書の流出を防げなかった上司は輪をかけてバカだ。ましてや地域センター長(結構えらいんと違うか?)から下は(差別発言かしら?)ペェペェまで、ほぼ一月に渡ってこんなアホな文書を出しっぱなしにして放置して置いた地方公務員すべてが完全にバカ野郎なのである。 うっかりすると、これ読んで、ああそうかなるほどね、と思ったのかも知れないが・・・・・・。
こんな無教養で、怠慢で、無責任な人たちが、しっかり試験で選抜された人並み以上の能力を有する社会の公僕なわけだと思うと、ほんまにもうこの国は(東京に新宿は日本の最先端でしょ)あきまへんなぁと思わざるをえない。
だって、こんな簡単なレベルの仕事をきちんとできなければ他のもっと難しい仕事がちゃんとできるわけがないもの。そう思いませんか? 

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3月18日(水曜日)

爺としてのGのGEE(七)

 

七 それでは世間が知らない話を、そして世間がなぜか隠蔽している話を。昨日の新聞によると、ついにサッカーくじ法案が成立するらしい。教育的にどうこうというタテマエや、だって金がいるんだもんという本音が紙面をにぎあわせていた。
しかし不思議だ、どうして野球くじについてだれも語らないのだろう? そんな空論であれこれいうよりも、実際にあった野球くじの経験を振り返ることが一番事態を把握するのに適しているはずなのに。
ここまで書いて、俺は立ち止まる。なぜならたしかに読んだ記憶がある、日本の野球くじについての記述が見つけられないのだ。『大下弘 虹の生涯』(辺見じゅん/新潮文庫)と『セ・パ分裂 プロ野球を変えた男たち』(鈴木明/同)を2回程繰り返してパラって見たのだが、ブチ当たらない。しかしたしかに『日本プロ野球史』(毎日新聞社)のプロ野球年表によると「21・6・29 野球くじ発売 二百四十組・二百四十万円(一等1000円 以後23年まで」とある。だから幻ではない。嘘ではない。
結論からいおう。くじの話は選手や監督、すなわち現場にたいへんな重圧を押しつけるということだ。たとえば決定的チャンスを逃す。風邪を引いて試合を休む、信じられないようなボンミスを犯して相手に一点を献上する、納得できかねる選手交代をしてしまう。そんなサッカーの現場ではごく普通に起こり得ることが、くじの存在により、当たり前に見えなくなったりする危険性があるのだ。すなわち八百長ととられたりする。
どういう人がそんなことを言い出すかというと、もちろんくじを買う人である。大人も子供も買うのだろう。当たり前のサッカーノのサポーターも買うに違いない。彼らがサッカーの選手をそういう眼で見るようになるということと、そこで落ちてくる金とのバランスについて、サッカーを愛しているはずの、このくじの法案を推進した人たちは深く考えるべきだと思う。
今のようにすさんだ世の中では、だれかが殺されるような、悲しいできごとさえ起きかねないという気がする。サッカーファンならご存じだろうが、前回のワールドカップ、対アメリカ戦で自殺点を犯してしまった、コロンビアのセンターバック、エスコバルさんは帰国後何者かに暗殺されてしまったのであり、それには、サッカー賭博が絡んでいるといわれている。いうまでもなくサッカーくじは賭博である。
俺の記憶では、日本の野球くじは、あんまりに物騒なので止めてくれという、選手側の要望でよしにしたはずである。

 

BEFORE CONSTRUCTON

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4月4日(土曜日)

春だ桜だXXXXだ

弥生末日。
起床は14時。午前5時までバイトの原稿書きして、それからビデオ録画でサッカーワールドカップの特集番組といよいよ始まってしまった本年のMLB(=MAJOR LEAGUE BASEBALL)の特集番組と『ガキの使い』を眺めて、その後朝刊を読了して9時に寝たらこれでも睡眠5時間で寝不足である。昼の2時まで寝ていても寝不足という事実にはユーモアを感じる。
一言でいうとバカみたい。みたいな!?(小ギャルのイントネーションで読んでおくれ)
それでも問題は寝不足ではない。空腹である。もう16時間なにも食っていない。しかもこれからもう3時間空腹でいないといけないのである。
うっそ〜。(小ギャル)
私は浅草に行くのだ。浅草の観音様付近の病院に行って、2週間前の血液検査の血糖値を聞き、喘息用の吸入器2本と5種類の錠剤をゲットしないと、睡眠時間が5時間ではすまなくなり、3万時間くらい寝ていないといけなくなるのだ。死んじゃうのね。
それでせっかく浅草までいくのだから、蔵前のNでトンカツを食いたいのだ。2時に朝飯を食って5時にトンカツを食うわけには行かない。私は糖尿持ちなのである。
実は2時に起きるということからして作戦なのだ。病院の受け付けは4時まで。移動時間が1時間弱。おきてミルクを温めてぐびりと飲み。スクワットしたりして便意が起きるのを待つ時間が10分。そんで糞して風呂入って洗濯物を取り入れ畳むので30分。そういう作戦なのだ。私はションベンは出にくい前立腺ガン当選確実の男だが、糞はやたらに出るのだ。大腸ガンも当選確実である。だから糞しないで街に出るとやばい。飯食えばオートマチックに出るのだが、飯は食えない状況なのでこんな手の込んだ作戦を立てたのである。しかもその作戦を紙に書いて便器の上に置いておいた。最近痴呆化も進んでおるが、いくらなんでもションベンするのは忘れないだろうという考たのである。人間朝起きてションベンすることさえ忘れてるようになったらもはや人間の態をなしているとはいえない。私はぎりぎりで人間をやっている。
で3時に部屋を出ると地下鉄が混んでいる。あきらめて立っていると、20メートルくらい離れた席が大きく空いているので近づいていく。いるいる。いい歳した男(それでも私よりは若いだろう)が裁判所での麻原彰晃状態で目をつむり虚空に向かってぶつぶつなにかをいっているので、周りの腰が引けているのである。
君子危うきに近寄らずという諺を実践している誠に立派なヒトタチの集団を、失礼、失礼とかき分けて、私は10人掛けを真ん中で独占している男の右隣に座る。しばらくすると誰かが私の隣に座る。そして私の右側は埋まる。左側は空いたままである。
男は隣の私を気にとめることもなく、不思議な言葉をささやき続けている。日本語でもない。英語でもない。アラビア語でもない。私はこの3つの言語しか理解できないので男がなにをいっているのわからないがかまわない。ひたすらに新聞を読んでいる。そして、本当にあぶないのは私なのですよ、などと、隣のおばさんにいってみようかななどと思ったりしている。

病院に入ったのが3時50分。完璧である。すいている。これなら15分くらいで抜けられる。受け付けでカルテを受け取り内科に提出すると、先生起きてくださいという看護婦の声が聞こえる。このうららな春の日に担当の女医も自失していたようである。
つい一月前くらいから、女医の左手の薬指にシルバーの指輪がはまりだしたので、それは所帯を持ったという印なのだろう、それでは疲れるよなぁ、春だし、などと思う。
2週間前の血液検査の前2〜3日、酒を抜いたので、ここしばらく悪化傾向にあった数値は良化へと方向転換していた。別に節制する気はないが、節制しても効果が出ない状態になることは恐いので単純に安堵する。血圧もいい感じである。
「人間の血圧は飯食うと上がるのですか?」
「人によっては血が全部胃に行っちゃう人もいるから、一概にはいえないわね」
「俺まだ今日飯食っていないんです」
「起きたばかりなんでしょ。しょうがないんじゃない。ダイエットにもなるし」
ばれているのである。やや対人恐怖の気があるが立派な女医である。
薬局で薬を待っているうちに、新聞は夕刊へと移行した。すると、俺の今現在待っている薬が肝機能障害を誘発し4〜5人死んだので厚生省が医療機関への注意を促したとの記事があるではないの。
これはやばい。早速薬局のおっさんに、こんな記事あるけど大丈夫か? と尋ねる。おっさんいわく、そんなことは常識、君は月に一回血液検査を受けておる、そのときに肝臓のデータも取っておるから心配ご無用、任せておきなさいと。
このおやじとも10年以上の付き合いだが、私は端からこの人を信用していない。それは嫌いとかそういう感覚ではない。時折一部のタクシーの運転手やバスの運転手、それに学校の先生、政治家、官僚に対して感じる感覚と同様のものだ。いいかげんという感触であろうか?
それで速やかに内科に戻り、たむろしている看護婦たちに、こんな記事を見つけたんだけど大丈夫かしらと尋ねる。私はこの病院の看護婦たちは大いに信用している。
彼女たちは熱心に記事を読み。ちょっと待っていてというと、今一度、女医を起こしにかかった。女医はまた気を失っていた。
女医いわく、喘息とか糖尿になるような人ならこのような記事はたいへん気になるだろうから、別に問題はないとは思うのだけど薬を変えましょう。要するに私の病気はすべてXXXX病であるということなのだ。
私が、血液検査でこのリスクはカバーされていたのか? と訊くと、あれは血糖値だけ、肝機能まで調べたらもっとお金がかかるわよと明快なお答え。我ながら私の人を見る目は完璧である。だが、だからといって、私はおっさんのことをちくったりしない。人間なんてそんなものなのだ。たとえ病院とはいえ自分の身は自分で守るしかない。
再び薬局に行くと、おっさんはおらず、女性の薬剤師が、先ほど差し上げた薬を一度全部返却してくださいといい、一つ一つレシピと確認してから、新しい薬と一緒にして私に渡してくれた。
観音様から蔵前の厩橋まで、30分間、空腹で気を失いそうになりながら大川沿いを歩いた。桜は5分咲きである。
川向こうの並木を眺める。絢爛な咲きっぷりは魅力的だが、うぶな表情の桜にも妙な色気があるものだ。しかし桜の色が薄く見えるのはあまりの空腹で私の瞳がすでに明るさを関知する能力を失いつつあるからかもしれない。あぁもっと光を。
人がそれなりに出ている。接吻しているカップルを3組見た。

本日初の飯はあっという間に終わった。美味。その一言である。
浅草橋まで歩く道草で、Sで焼き鳥を買う。12本買う。私が日本一旨いと思っているSの焼き鳥。NのトンカツとSの焼き鳥の満漢全席。なんたる幸福。
帰りの総武線で、今度は頭を足の間にいれ、ヨガみたいな格好で座っている男がいたので、帰宅列車の混雑にもかかわらず、私はいとも容易く座ることができた。
夕刊も読了したので、水道橋あたりで、おもむろに『週間ベースボール』に切り替える。
桜が咲く。春が来た。野球が始まる。

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4月18日(土曜日)

追悼・板橋並治(Desperados Waitin' For a Train)

4月14日、日米会話学院学長、板橋並治氏が90歳で逝去した。
中、高と一度も優等生であったことのない僕であったが、浪人時代だけは違った。英・国・世界史のたった3課目であったが、1年間憑かれたように勉強した。
それで早稲田に入った。
「西川君、ここまで勉強したんならもったいない。ついでに英語を覚えてしまいなさい。四谷に日米という英語学校があって、夜間部があるから、大学とふたつ通いなさい」
予備校で、ずいぶん僕のことを気にかけてくれた、秋田さん(ご存命だろうか?)というチューターの女性がそういったので、僕は父に相談した。
「英語がしゃべれて悪いことはない」
父は学費を出すという。
それで大学の帰りに僕は四谷に通った。
この時点では板橋氏に遭遇していない。板橋氏に接するためには、日米卒業にリーチをかけなくてはならないのだ。
「お前、なんのために大学に入った? いきなりこんな所にきやがって、もっと本を読め、議論しろ、恋愛しろ」
夜間部の同級生の社会人の方々、大蔵省とか、四国本州架橋公団とか、電電公社(現NTT)とか、都市銀行から来ていた社会人の方々に説教され、半年で、僕は日米を休学した。日米は2年間が入学金据え置きで休学が可能だった。
だから僕の大学生活は、1978年の10月から始まったことになる。それから諸々のことがあり、僕はその時代に出会った、友だちふたりと組んでロックバーをやっている。
80年の秋に日米に戻った。今度は学費の一部を自分で稼いだ。
今はどうか知らないが、当時、日米の卒業率は10%だった。出欠が厳しいのだ。20%をこえて授業をさぼったらはいそれまでよである。そして進級にも厳しい。はじめからこんな所に来る必要はどこにあるのだという、元々しゃべれる人は別として、ごく普通の能力の人間が日米を卒業するには、4学期、2年かかる。運良く、僕は大学と同時に卒業できた。
ある日、突然英語が聞き取れるようになった瞬間が来た。その感動は忘れられない。
まだウオークマンも出たか出ないかのころ、僕は、一番小さなラジカセを肩に掛けて、でっかいヘッドフォーンをかぶって、横須賀から東京に通っていた。
81年の春。金沢八景のホームで電車を待っていた時、DREAMS THEY ARE FOR THOSE WHO SLEEPS, AND LIFE IT IS FOR US TO KEEP 、という歌詞が瞬時に僕の耳に入った。ブレッドの「MAKE IT WITH YOU」である。
天気雨の昼下がりだった。きらめく雨の粒さえ見えた。そんな気がする。
僕はまたあらためて、ロックを貪り聴くようになった。
最後のレベルに達すると、ようやく、板橋氏の授業を受けることとなる。
授業は、CIVIC=憲法、日米の卒業生は、半年間、板橋氏とともに、日本国憲法を英語で読む羽目になるのである。英会話の役に立つとは思えないので、多くの人がさぼっていた。
許される範囲でさぼるのは自由だが、卒業試験がある。日米の卒業試験は学科の他に、CIVICがあるのだった。板橋氏の目の前で、代わる代わるに、日本国憲法の前文を暗唱しなければならないのである。きっともはやそんなことやっていないだろうなぁ。

(前略)WE, THE JAPANESE PEOPLE, DESIRE PEACE FOR ALL TIME AND ARE DEEPLY CONSCIOUS OF THE HIGH IDEALS CONTROLLING HUMAN RELATIONSHIP, AND WE HAVE DETARMINED TO PRESERVE OUR SECURITY AND EXISTANCE, TRUSUTING IN THE JUSTICE AND FAITH OF THE PEACELOVING PEOPLES OF THE WORLD.(後略)

僕はこれから、商社マンになろうかという、企業戦士志願であった。一体これがなんになるんだと思いながらも、就職のためには、日米の卒業資格が欲しかったので、一生懸命暗記した。
板橋氏もヘビースモーカーで、僕と氏は、よく廊下の隅っこの灰皿を囲んだ。これといった話をするわけでもなく、ただただ笑っている氏であった。
板橋氏の卒業試験の意味が、じわじわと僕のココロに効いてきた頃、僕はエジプトにいた。会社の金で留学していたのだ。
じわじわ効いてきたのは、日本国憲法が指し示すような氏の信じるところの理想主義ではない。そのような感性は、僕から一番遠いものである。
効いたのは、卒業試験でこれを暗記しないと卒業させんと、己の考えをけれんなく世に問う、氏の強さである。企業社会がどうしても自分の最終生息地には思えなくなりつつあるくせに、モラトリアムにどっぷり浸かり、姑息な国外逃亡に企業人としての延命を図った、SIDEKICKは、その強靭さ(狂人さ)に憧れたのである。
そんなエジプトで、思いかけずに、氏からの手紙を受け取った。創立40周年の文集に、せっかくエジプトにいるのだから、なにかレポートを書けというのだった。どうして僕がエジプトにいることを知っているのか? 実に怪訝に感じたが、思えば、あれが生まれて初めての原稿依頼であった。
不思議なことに、その冊子がどこを探しても見あたらないが、僕は、若輩の髭面を晒し、この世より、あの世を大事だと思っている人たちと、この世でどうつき合っていけばいいのか? などという、駄文を残した。

帰国後、卒業生の集いに呼ばれて会いに行ったのが最後だから、板橋氏はすでに80歳だったのだろう。氏はよれよれだったが、僕は初めて、奥様とお会いし、その仲睦まじさ、そして美しさに圧倒された。
そしてそれから一度もお会いすることなく、この世でのお別れとなった。薄情な弟子である。
先生には、いつでも、いつも、お会いしたいと思っていた。無名、貧乏だが、生活の方法、誰のものでもない己の生を生きるという意味なら、僕(ら)は十分先生の前で胸を張れると思う。しかし、まだ、先生の前で、どうです、あなたのCIVICに負けないように、こんなことをやったんですよという仕事が、僕にはまだない。
僕は、会いたい人に、誰にも会えずに、死んでいくのだろう。
板橋並治先生。僕はあなたが好きでした。
ありがとうございました。

I played the Red River Valley
(レッドリバー峡谷に遊びに行った時)
He'd sit in the kitchen and cry
(彼はキッチンに座りこんで泣いていた)
Run his fingers through sev-enty years of livin'
(手の皺が彼の70という歳を指し示していた)
"I wonder, Lord, has every well I've drilled gone dry?"
(神様、どうしてこうなにもかもうまくいかないのですか? なんていっていた)
We were friends, me and this old man
(僕とこの老人は友だちになった)
Like desperados waitin' for a train
(汽車を待つ無法者のように)

He's a drifter, a driller of oil wells
(彼は流れ者、石油掘り、一攫千金狙い)
He's an old school man of the world
(彼は博覧強記、なんでも知っている)
Taught me how to drive his car when he was too drunk to
(酔っぱらい運転の仕方も教えてくれた)
And he'd wink and give me money for the girls
(ウインクして女でも買ってこいよと僕に金をくれた)
And our lives were like, some old Western movie
(僕らはまるで西部劇の登場人物みたいだった)
Like desperados waitin' for a train
(汽車を待つ無法者のように)

From the time that I could walk he'd take me with him
(少しは僕がましになると)
To a bar called the Green Frog Cafe
(緑霞亭という飲み屋に連れていってくれた)
There was old men with beer guts and dominoes
(ケンカとバクチばかりの老いた男たちがそこにいた)
Lying 'bout their lives while they played
(遊んでいる時にも人生を感じさせる男たち)
I was just a kid, they all called me "Sidekick"
(僕はまだ、ガキ、ちょろ、腰弁って呼ばれた)
Like desperados waitin' for a train
(汽車を待つ無法者のように)

One day I looked up and he's pushin' eighty
(ある日気がつくと彼はもう80歳をとうにこえていた)
He's got brown tobacco stains all down his chin
(あごまでがタバコのヤニ色で染まっていた)
To me he was a hero of this country
(僕にとっては彼はこの国一番のヒーローだった)
So why's he all dressed up like them old men
(どうしてこんなみすぼらしい爺様になってしまったのか)
Drinkin' beer and playin' Moon and Forty-two
(ふたりでビールを飲んで月と月夜の42号線を眺めた)
Like desperados waitin' for a train
(汽車を待つ無法者のように)

The day before he died I went to see him
(彼が死ぬ前の晩に僕は彼に会いに行った)
I was grown and he was almost gone.
(僕は大人になり、彼は死にかけていた)
So we closed our eyes and dreamed us up a kitchen
(僕らは目を瞑り、あの台所を思い出し)
And sang one more verse to that old song
(もう一度あの古い歌を歌った)
(spoken) Come on, Jack, that son-of-a-bitch is comin'
(見てみろよ、ジャック、あのマヌケがくるぜ)
Like desperados waitin' for a train
(汽車を待つ無法者のように)
Like desperados waitin' for a train
(Guy Clark /『the Old No. 1』/75)

 

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5月4日(月曜日)

さらば東京・加奈崎芳太郎氏に捧ぐ

 宵闇中降り続けた涙のような細い雨をうけた、5月3日の早朝6時、遠く高い雲の切れ間に陽が顔をのぞかせた東京の空に小さな虹がかかり、頬を打つ風の音が、いいのだ、いいのだといっているような気がした。

 2日の夕刻、加奈崎芳太郎さんのライブを秋葉原まで見に出掛けたのは必然的な偶然であった。
 1日、俺は店に出て、客が来るまでの30分間の間、店のライトを全部落として、加奈崎さんの歌うクリスマスソングを聴いていた。録音は95年。
 そのテープを録音して店まで持ってきてしかも1万円以上も飲んでくれたSは、その存在の浮沈が危惧されている保険会社の社員である。俺が古井戸以来の加奈崎さんのファンであることを知るSがそのCDを持ってきたのは、去年のクリスマスで、俺は即座に今度来た時には録音してきてくれと頼み、それが叶ったのが28日であった。Sの来店も4カ月ぶりということなのだ。
 1日、俺は出来れば酒を抜こうと思ったが、結局営業時間中にボトルを半分飲んでしまった。それだけ飲んで夜中の部屋に戻っても何もできやしない。それで俺は、お客様のIとTを連れて高円寺に出た。BHである。BHで加奈崎さんのライブのチラシに眼をとめたのはIであった。Iが気がつかなければ俺も気がつかなかっただろう。そして俺はそのチラシを手に取り、ライブが2日であることを認識し、あぁ、これはこういうことなのだろうと合点したのだ。合点したというのは去年のクリスマスから、2日に、加奈崎さんのライブにいくことは決まっていたのだということである。
 加奈崎さんのライブを見るのは25年ぶりである。俺が中二の時、山田君と松尾君と3人で、当時横浜の伊勢崎町の、今は丸井の別館になっているところにあった、野沢屋というデパートに、ラジオ関東(現ラジオ日本)の公開放送を見に行った。
 横須賀では古井戸の人気は絶大で、大げさな拓郎や陽水はイモという暗黙の了解があった。中には、作曲と演奏担当のチャボにはエスプリがあり、ボーカルの加奈やんには、ペーソスがあるという、訳の分からないことをいう奇麗な同級生の娘さんまでいた。
 あっ、今思い出した、俺は古井戸の解散コンサートにいっているのだ。大学の2年か3年。神田の共立講堂だった。途中でチャボがキョーシローと演奏して、あっ、チャボはRCになるのだなと思った記憶がある。あれは大須賀君と旧姓野の山さんといったのだろうか。
 加奈やんは今年49歳くらいだろうが、黒のジーンズ、黒のTシャツ、黒のジャケツ、そしてサングラス。ルー・リードであった。足が細い。ナイフがどうこうとか、切れるとか殺すとか、あいかわらず、若者の気分を気にしている歌をがなった。いい人なのだ。
 感銘を受けたのは「さらば東京」という曲。ただひたすら東京の地名をあげるだけの曲なのだが、大久保、戸山公園、鍋屋横町、代々木上原などとがなるものだから、聴いているこちらがたまらなくなってくる。気がつけばこちらも東京に暮らして早15年、隅々にまで思い出のある歳になっている。
 ライブはFMの公開録画でもあった。しかしDJは加奈やんのことを何も知らず、古井戸のことにも触れず、当然、バスケットシューズやポスターカラーやラビンスプーンフルやザバンドにも触れず。もう本の少しだけでも、何かのインセンティブを聴き手に与えれば、この世の中はがらっと変わるに違いないと思った僕は、哀しくなって、加奈やんのステージ終了とともに外に出た。
 行き先は、蔵前のN、最愛のトンカツ屋、9時までに入ればと思っていて、小走りで8時58分に着いたのだが、店は閉まっていた。それで浅草まであるいて、Y、しかし尊敬するIさんがやっている洋食屋は3月末で店を閉めていた。
 俺のホームグランド、B、は健在だった。おっ母さんの顔をつまみに二杯飲んだ。
 それで高円寺まで大移動。Eとの真夜中のデートである。もともとEと会うはずだったのだが、色々あって、うまく会えず、会った時には日付が変わっていた。明日仕事があるEは2時前に帰った。とにかく俺と会いたがるなんて貴重な女性である。
 俺は4時までで6杯飲む飲む。隣に奇麗な女性が座ってくれた。それだけでつまみなど要らない。
 完璧な千鳥足でNVへ、5人の団体と、3人の団体の間にぽつり。寂しい。1杯で切り上げ大雨の中を東高円寺まで歩く。
 御苑の駅の地下から出ると雨が上がっていた。

 宵闇中降り続けた涙のような細い雨をうけた、5月3日の早朝6時、遠く高い雲の切れ間に陽が顔をのぞかせた東京の空に小さな虹がかかり、頬を打つ風の音が、いいのだ、いいのだといっているような気がした。

 

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5月18日(月曜日)

39歳最後のトンカツ

男の29と39は面倒くさいからね、といったのは、馴染みの高円寺BHのママ、S子、37歳。そういわれて、返す言葉がないのは、俺、あと2週間で40歳です。誕生日は本名ノーマ・ジーン、ジョー・ディマジオの元奥さんのかのセックスシンボルと一緒。
確かにここしばらく、なんか頭が重くて重くて、芥川流にいえば、漠然とした生きることの悲しみとでもいおうか。こんな頭の状態はほぼ2年ぶり。いぜん一緒に暮らしていた女性と別れ話が出始めた時点以来である。
かといって、現状の頭の重さは、別に女性がらみということではない、やはり男の39歳は難しいということなのか、女性ならばXXX障害ということなのだろうか?
それで頭の重くない状態はどういう状態かというと、@眠っている時、A読書、B仕事している時、すなわち俺の場合なら、店でレコード回しているか、図書館かなにかで資料を漁っているか、パソコンに向かってなにかしている時、がそれにあたる。
一日中寝ている体力もないし、本だけ読んで暮らしていられる高等遊民でもないので、勢い、バイトバイトと外に出ることとなる。S社下請けの下請けの下請けの、某マンガ展用の資料作成のため、中野のマンダラケにマンガ大購入の短い旅である。
この糖尿男、頭絶不調なれども、胃袋常に常に好調で、調子の悪い頭でも、わざわざ中野に行くのなら、Kでトンカツ喰うしかないな、ぐらいの正解はひねり出す。
それで、K、トンカツふぇちの俺の中で、序列3位の名店である。
俺は朝昼兼用のお粥の量を減量して、2〜3時間ショッピングリスト整理の作業にいそしんだ上で、街に出た。
Sのお運びのお姉さんが中国の方だということは気がついていた。彼女はなにを持ってくる時にでも、たいへんお待たせしました、というのである。今時の日本のお姉さんで、そんなに気の利いている輩はおるまい。
Kに入ると、なんちゅうか本中華、カウンター満席、しかし全員終了直前という、100メートル競走のフィニッシュのような光景であった。しかもそれらの誰もがそれに気がついていて、一斉に、財布を出そうとしていた。少しでも速く勘定を済まして外に出たいというのが、人情というのなら、俺にはそんな気はないから、人間ではないな。
それで俺が、もはや客俺ひとりとなったカウンターの隅っこに座っても、しばらくの間、お姉さんは勘定の対応に忙殺されて、俺の前に喰い散らかされた皿をかたずけることができない。右目の切れ端の所で、そのことが気にかかって泡を吹いて倒れそうな趣の、まじめなお姉さんが気の毒になったので、俺はさっとその皿をかたずけて、ダスターで俺の前を拭いた。
姉さん、まさかそんなことがと驚愕の表情、そういう変わり者もいるのよと、気にすんなよと、俺目配せ。
俺は飯を食う時には、冷水のいる人。トンカツ定食1000円也、が、出た瞬間に、お水をおくれと頼む。姉さん、俺の前に来たな、そろそろ俺の前に水が置かれるであろうと、思っていても、なかなかそうならないので、なんじゃらほいと見上げると、姉さん、お水の入ったコップを空中に掲げたまま、じっと、俺が手渡しで受け取るのを待っていて、俺がそれを恭しく受け取ると、安堵の表情で、たいへんお待たせしました、といったのである。俺がその水を一気に飲み込み、お代わりと、その空中のまま、コップを彼女に手渡したのはいうまでもないことであろう。
しかし、今現在、俺の頭がそれほど重くないのは、そんな姉さんのおかげさまではなかったのでした。
あと2週間で、四十よ。
別にいいけどね。な〜んちゃって。

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6月4日(木曜日)

BGM指定・40歳最初の原稿

HOT FUN IN SUMMER TIME(SLY AND FAMILY STONE)

 お袋が乳ガンになったので、彼女の入院前夜の真夜中、原因不明の高熱が俺を(ここまで書いたその瞬間におやじから電話が入り。手術が10日の午後1時に決定したとの報告が入った。みんな手術の成功を祈っておくれ)を襲った。思うにこれは知恵熱なのだ。
 2日火曜日のコモンストックは伽藍伽藍であったが、真のロックファンが集まったよき夜でもあった。しかしどうも体の調子がおかしい。歩いて帰る道すがら、フィニッシュのほんの100メートルほどの最後の距離が千里のように感じた。それで熱を計ったら38度7分あったのである。
 これはやばいとジップザップで簡易氷枕作成。ストローでチュウチュウ空気を抜いて氷の真空パック。これを頭に当てたり、首筋にあてたりしているうちに、おぅこれはキンタマにもあてなくてはいけないという思いがふらふらの頭に浮かぶ。元々俺は20歳でおたふく風邪をやり、子種などないだろうというアメリカン男なのだが、そんなことを思わせるのも40歳という年齢の微妙さなのかもしれない。
 パンツ脱ぎ、●出しにして、キンタマを真空パックで包んだら、そのあまりの冷たさに気を失いそうになり、思わず海老ぞるが、したら、両方のももの裏側がつって、ますますえらいことになり、それでも、海老ぞりながら混濁する意識の中で、おぉこの感覚はなんかのフィニッシュの時の感じと似ているなぁと思ったのであった。

RUBBER BISCUITS(BLUES BROTHERS)

噛んでも噛んでも飲み込めないゴムのビスケット。しかしWISHING BISCUITSよりはまし。WISHING BISCUITSってなぁに? あぁここにビスケットがあればなぁと思いながら口だけ動かして食べるビスケットのことさ。

お袋が乳ガンになったので、妙に食糧問題が気になる。
それで、歯ブラシ丼というアイディアが俺の頭に浮かんだ。俺は、将来入れ歯を揃えられる身分にはなれそうもないので、飯を食うたびに歯を磨く。そして歯ブラシ粉は使わない。だから歯を磨くたびに、なんらかの味を味わうことになる。それをおかずに飯を食うのである。その場合には、時々、歯茎をこすって血をすするのがこつ。鉄分の補給にもなる。

KASHIMIR(LED ZEPPELIN)

お袋が乳ガンになったので、妙に国際政治が気になる。
俺は元来人類の英知なんてものは信用していない。だから実際にインドとパキスタンは原爆を使うと思っている。
ヒマラヤ近くのあの土地で原爆が使用された場合。季節風とか、その他の関係で、日本にはどのような影響がありそうなのか? たとえそれが無駄足でも、そんなことをいっさい記事にしない日本のマスコミも俺は信用していない。

あぁ、また熱が出てきた気がする。俺も立派な四十男だ。

 

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6月18日(木曜日)

ON THE WAY TO MOTHER

 集中できないんです。今さら心配してもしょうもない母の乳ガンを無意識に心配しているからなのか、それとも妙に殊勝な願を掛けて酒をとめているからか、梅雨の湿気からか、ワールドカップで寝不足か、ロックバーの経営不振からか、とにかく、集中できない。一日中、深海魚のような気分です。サーチライトみたいなあかりが眼の奥で点滅しています。あのあかりは40年前に深海から細い道を通ってここに来る途中で見たあのあかりなのでしょうか?

13時発。新宿御苑から赤坂見附乗り換え渋谷へ。「それで結局、平成2年からやっていたんだろ? 平成4年っていっていたけど、2年もサバよんでるじゃないの?(聞きたくなくても聞こえてくる大きい声)」「よく覚えていないんです?(聞き取れないような小声)」「あのころ会社では、いつも遅刻と欠勤ばかりのあなたが急にまじめに働きだして、結局、佐藤さんが来たから、佐藤さんにばれないようにとカモフラージュしたわけだな?」「そんなに考えていたわけではありません」信じられない光景。50ぐらいの、身長1M52CMぐらいの、妙に化粧の濃い女性が、60ぐらいの、すだれ頭の、そのくせ、妙に腕の毛の濃い男に電車の中で詰問されている。しかし俺以外の誰もその会話を聞いていない。穴居くその女性は、その佐藤さんという人とできてしまって、佐藤さんもその使い込みに荷担したらしい。赤坂見附で女は走って逃げた。男はしばらく気がつかなかった。追いかける時には無言だった。赤坂見附で銀座線乗り換え。ようやく新聞に専念できる。わざわざ新聞なんて読んで、気分悪くならなくてはいけない理由なんてどこにもない。俺の親友がこの間そう言っていた。定年退職したら、奥さんから財布をとりあえげ、スパーの買い物のレシートをひとつひとつチェックし始めた男の話。クラスを二つに分けて試合をさせたら、負けた方の奴等が、負けるんなら試合なんかするんじゃなかったと言ったという、小学校の話。アフガニスタンのタリバーンのアホどもが女性に教育を施していた私塾を反イスラムだと言って閉鎖させたという話。(マホメッドよしっかり罰をくわえる相手を選別しろよ!)おっしゃるとおりだ、胸くそが悪い。しかしそれでも俺は新聞を読み続けるだろう。序列4位、渋谷のSでとんかつ。ちょうど時間は1時半。俺が入店するとバタバタ人が帰り、俺ひとりとなった。静かだ。美味だ。幸せだ。飯お代わり。850円。渋谷から東横線。空いている急行電車で、俺の隣に座った男が、いきなり、ブラインドを閉める。俺も暑ければ閉めるが、こちらは陽の当たる側ではないのだ。即座に席を立ち。別の車両に移った。横浜から京急。特急で横須賀中央に、横浜〜上大岡、上大岡〜金沢文庫、追浜〜汐入の長いインターバルの間に、車掌が系列レストランの宣伝を棒読みする。いつからこんなくだらない習慣が始まったのか? 最近急に始まったの新聞日曜版を1枚だけ外側から包むビラの折方とともに、世紀末の2大愚行である。「昨日の夜中に病院から電話があって、主人の容態が変わって、急死したって、昨日まであんなに元気だったのに。手術もうまくいったって先生は言っていたのに」病院のフロントで、目が合う誰にも彼にも、同じことを大声で説明している若い女性を発見。近くで親類が心配そうに固まっている。母は元気。胸を削った側の左手もこんなに上がるようになったと、上げて見せてくれて、いてっと顔をしかめた。10回の喫茶店で、父と母とお茶を飲む。こんなに晴れているのは初めてだ。東京湾が青い。ぽっかりと浮かぶ、猿島には、戦争の時代、石井246部隊の研究所があったのだ。母と会うのは1週間ぶり。初めて聞く話あり。その昔、俺が飼っていた犬。これは十兵衛という柴なのだが。彼の供養を委託していた、納骨堂が焼けたんだと。十兵衛は二度焼かれたわけだ。しかもその火事は、俺の誕生日、6月1日に起きたのだそうだ。母の入院は3日。手術は10日であった。つまり病人が、俺に気遣って隠し事をしていたわけだ。母よ。助かれ。母が鼾かくので、同室の人に気兼ねしているというので、ひとっ走りして、駅前の大きな薬局に、鼾を防御する、鼻輪を買いに行く。母が試して見せる。急に十兵衛を思い出した。鼻輪をすると誰でも動物顔になるものだ。17時30分。父と病院をあとに。駅へと向かう道すがら、俺は最近トンカツばかり喰っているんだという話をすると、初めて聞く面白い話をしてくれた。俺が3歳まで、我が家族は、宮城県仙台市にいた。父は祖父とのちに倒産することとなる工務店を経営していたのだ。そのころ、父は東一番町という繁華街で「大松」というトンカツ屋の、設計、施行をして、やたらと俺を連れて、トンカツを喰ったのだと。そんな幼児体験、刷り込みがあったとは。しかしそのころの俺は、ヒレを好んだという、今の俺はロース一直線。とにかく、そのトンカツ屋はまだあるそうだ。新宿へ戻る、電車中、俺は、今日の横浜ベイスターズの勝利のみを願って、倒れるようにして眠った。俺が電車で眠るなんて末世でしょう。

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7月4日(金曜日)

横浜駅中央通路階段の人

 僕の母の乳ガンの発見、入院、手術、退院という一連の非常事態は、結局、5月27日から7月1日までの34日で終わった。
 喉元過ぎれば熱さ忘れると言うが、まさに、早くも遠い昔という感じである。
 僕は、その34日間の間に、全部で10回、母の入院した横須賀の病院に通った。新宿御苑から横須賀中央。丸の内線、日比谷線、東横線、京急線を乗り継ぐ、往復4時間弱の遥かな旅であった。
 彼に気がついたのは、2回目の見舞いの時からだから、6月5日が最初である。おそらく母が入院した3日の日にも、彼はそこにいたのであろうが、僕の精神に余裕がなく、目に入らなかったのだろう。
 彼は、いわゆる、ホームレスである。東急線の改札を出て、京急線の切符売り場へと向かう、中央通路の階段の品川よりの上から4段目のはじに、丸めた膝を抱えて俯いている。階段の下から見上げると、両太股の部分に極端にスリットが入っている、つまり、ほとんど裂けてしまっている彼のズボンは、ほとんどぎりぎりのところで彼の性器を隠している。彼の存在に気がついたのは、あれが、ひどい雨の日で、彼の臭いにむせたからかもしれない。
 それから、母の病院に通うようたびに、僕は彼の存在を確認するようになった。
 彼がいなかった日、僕は少し動揺した。それは、母の切り取られた乳房から一筋伸びたリンパ腺に転移の痕跡が見られるかの、病理分析の結果が告知される日であった。すでに転移しているとなれば、母の死はぐんと現実的なものになる。放射線、抗ガン剤と、母の入院は延々と続き、僕の見舞いの旅も続く。そして、それが永遠に続くことのみが、唯一の希みとなるのであった。
 元来が運命論者である僕には、彼がいないという事実が、改めて、今日は運命の日であるという事実を僕に突きつけるものであるように感じたのである。
 運命論者はけっしてそのまま悲観論者を意味するものではないが、それがよかろうが悪かろうが、結果を迎えるのが恐いと思ったのだ。我ながら、なんと、志の低く、意気地のないことよとは思うが、このまま、ずーっと、このままで、じゅうぶんだと思った。
 
 まず母にとって何よりのことであるが、とりあえず、結果は吉と出て、僕は、その夜に倒れた。張りつめていた気が一気に緩和したからである。我を忘れるでなく、心と精神はクールそのものなのに、排泄機能やら、呼吸機能、それに体温調節機能などの、身体の全機能がダウンしたのだ。脈拍やら血圧やらも漫画みたいだった。あまりの自分の肉体の惨状に笑うしかなかったが、そうしたら、あごもはずれかかった。
 ようやく肉体的に人間に復帰し、退院の前前日に最後の見舞いに行ったが、やはり、彼はいなかった。
 ただそれだけの話である。もしかして、彼は、僕の瞳にしか映らない何かであったのだろうか? などと思っても見るのだが、それを確かめるのも恐い気がする。  

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7月18日(金曜日)

死体としての自然

久しぶりに本格的な肉体労働をした。
超有名な漫画家のオフィスに行き、資料を拝借する作業。なんでぇ単純な作業ではないか? と思われるであろうが、そうではない。その資料は彼のマンションの1室の洋服ダンスでバリケードされている、いろんなものを無秩序に放り込んだ押し入れの中のどこかにあるのである。そしてその洋服ダンスがある部屋では、その洋服ダンスに向かって、万物がゼンキン線を描いている。新聞。野球バット。アルバム。おもちゃ。灰皿。ライター。猪の置物。ポケットテレビ。猟銃。インバーターエアコンなどである。
その部屋は完全に彼に見捨てられたのである。子どもや犬や恋人と同じく、見捨てられたなにものかほど荒廃の進むものもない。すぐとなりの部屋では、彼を含めたスタッフが近代的な環境下で快適にお仕事しているのに、そこだけはスモーキーマウンテンみたいで、ほとんど、マニラという感じなのだ。だからその書類に行き着く前に、それらをすべて成敗しないとあかんのである。
それで少しだけやっつけて、洋服ダンスを動かして、目の前の森羅万象のつまった押し入れに正座して立ち向かうと、目の前で塵芥埃がとぐろを巻いている。空気の流れが黙視できるという防風林状態なのだ。
あっやばいと思ったら、案の定くしゃみが出た。喘息なのである。このような行為は自殺行為なのだ。お前身の程知らず、ヤメトケというコーションなのだ。
しかし止めるわけには行かないの。走れメロスなのだ。待っている人がいるのだ。
それでとりあえず、外に出た。雨上がりの国道、地面に残る水しぶきを上げて車がびゅんびゅうん行き交っている。騒音もすごいので、安心して、あ〜〜〜〜〜〜っと大声をたてつつ、ほ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っで息を吸う。簡単にいうと、あほ。
うまい。空気がうまい。
しかし、重い。空気が重い。なんだこの重さ。この湿度。
重い空気はダメ。喘息なのだ。
それで部屋に戻る。渦潮のような空気の流れが目で見える廃墟部屋を横目に、先生とスタッフの皆様がお仕事している、快適空間に、もぐりこみ。本棚で、何か見ているふりをしつつ、体勢を立て直そうとせむ。
先生たちのペン先が、カリッカリッ、キ〜〜〜〜〜〜〜ッと、音を立てていて、他には自分の呼吸だけ、そして、それがだんだんと落ちついて、聞こえなくなって。
先生のペンの先に、丁寧に描かれた、かの有名な彼が笑っていて、それで、僕は、人間はこのようにして、自然から逃れてきて、文化にたどりついたのかしらん、なんて、酸欠気味で朦朧とした意識で思ったのであった。

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8月4日(火曜日)

書けないことを書く

単独でバイト方面に出向いていた、我が料理人からのSOSの留守電を聞いたのは、7月14日早朝03:00頃。2件目の飲み屋高円寺TTから3件目の飲み屋NBへ千鳥足で向かっている途中だった。ふだんは外から留守電なんてチェックしない。あの時チェックしたのは全くの気まぐれである。あぁだれかどこかの女の人が俺に激しい愛のメッセージなどを入れたりしてはいないのかしらん? などと、酩酊の心持ちがIN VAINなWANTをREVEALさせたからである。
そして、それ以来、女の人どころか、店には出られんは酒は飲めんはの疾風怒涛。かつぐくるむ運ぶなどの肉体労働、まとめる計算する改竄するなどのコンピュータに向かう事務的作業、おべっか笑い追従などのビジネス円滑労働、罵倒されるなめられるなどのビジネス付随活動、そういうこというと殺すぞと脅す恐喝するなどの人間としての本質的作業などを総計して、8月2日までの20日間で、さっき計算してみたら、163時間も働いてしまった。なんだたった1日8時間ではないかと思う人もいるかもしれないけど、この間、土日祝を含めて休みは一回も無しだからね。その間に店に出たのが、15営業日中5回、打率3割3分3厘、28日からの週は無安打に終わった。店に出るという楽しい行為をも労働というのであれば、プラス21時間で、その間の労働時間は184時間=9時間/日となる。
当然、異常気象の大湿気と並行して、気力体力は底を打ち。飲酒は3回。2丁目が2回。高円寺が1回。読書ゼロ。映画1本(『発情娘糸ひき生下着』/吉行由美監督)。自炊ゼロ。外食トンカツ10回。あれゼロ。喘息の発作が1回。
と、とてもものを書ける状態ではないということを説明してみたのでした。
しかし久しぶりに、大出版社S社とか大広告会社D社などという、日本経済の根幹を担う企業の面々と仕事をしてみて、そのあまりの無責任さ、無能さ、機転のなさ、不誠実、から威張り、無意味、などに接して、あぁこれではもう日本はアウトやなぁとの実感を深めました、本当に。一番驚いたのは、物事がすべて結果論で語られていて、どうして、その結果になったのかについての真摯な分析がなされないことで、となれば、これから先も同じようなドタバタ劇が繰り返されることは必定、もちろん、我々(コモンストック)は老い先短い中年男の集団であるので、そんな、バカ○出しにつき合う時間はなく、今回は行きがかり上最後までご一緒しますが、次回からは勝手にどうぞというばかりですが…。
とにかく、あと、3日、行くところまでは行くぜ。
新宿高島屋で開催される『コミックジャングル展』は8月6日、広島の日から、開催されます。

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8月18日(火曜日)

『ラッキーさん』を観た日

 電話の相手が等だということはすぐわかったけど、どうして、クアラルンプールにいるはずの等が僕のところに電話をしてくるのか? 午前11時の電話。僕の睡眠時間4時間。酒は抜けているが事態が飲み込めません。
「おめぇ、ケール(商社業界ではクアラルンプールのことをそう呼びます。おそらく軍隊用語でしょう)じゃぁねぇのか? 今どこにいるんだ?」
「いやぁよぉ、アジア危機で駐在の最短Uターン記録つくっちまった。それよりKさんが死んだんだ」
「Kって、まだ51」
「51かな」
 去年の暮れに等がケールに駐在で行った時に、僕は、あぁこれでしばらく人が死んだことを知らずにすむな、と思いました。等はときどき思い出したように店に顔を出しますが、それでも、せいぜい2年に3回くらい。しかし根がいいヤツなので、僕の昔の同僚やお客さんに何かあった時には必ず連絡をくれます。いい忘れたけど、僕は等が勤めている商社に8年前までいました。おそらく等は等なりに情報を整理してくれているはずで、等が、僕に流してくる訃報はたしかに僕にとって無関心でいられないものばかりです。
 さよならだけが人生かは知りませんが、しかしよく死にます。一番初めはネパールで飛行機が落ちた時、彼は、実に仕事のできる業界の中心人物でした。僕にとっては仕事をくれた人でした。次は、僕に代理権を与えてくれていた、某メーカーの部長。彼は列車にひかれました。ホームでたちくらんだといわれています。
 それからは、ここ3年間。毎年、毎年。1982年の4月1日に、僕が、新入社員として配属された課の、机を並べた先輩たちが死んでいきました。会社ではよく机の固まりを島といいますが、男性11人女性3人の島で、Kさんで3人目です。
 Kさんは磐城高校・茨城大の出身、もともとは、人事部にいたのですが、82年というのは、ちょうど今と同じく、大不況、商社冬の時代といわれた時で、Kさんも営業部門に移籍してきたばかりでした。つまり営業的にいうと、僕とほとんど同期で、新入社員と同じレベルのイロハからやらされて、ずいぶん苦労しました。またどちらかといえば木訥とした性格なので、目から鼻に抜ける脳味噌空っぽ人間が妙に評価される業界では損なタイプでした。それでも一度カラチの駐在を勤めましたが、僕が会社を辞める頃には、はやくも、子会社に移りました。
 僕のいた部には、Kさんの同期が3人いました。ひとりは子会社に、もうひとりは多分部長をしているはずです。客観的に見れば致し方ない、妥当だ、といわざるをえないのが、組織の哀しいところです。
 僕がKさんに会った時、彼は35歳ですから、昔の35歳はずいぶん貫禄があるというか、老けているものです。ちょうど、二人目の娘さんができたばかりで、夜中に奥さんとあれをしていると、娘が、おとうさんとおかあさん何をしているのだろう? と丸い目をくりくりさせて見ているんだぜ、なんていったりして、たしか娘さんには当時人気のあった、漫画の主人公の名前を付けたはずです。
 Kさんはゴルフが好きで、はっきりいってうまかった。というか、おだやかな性格だから、ゴルフに向いていたのでしょう。ゴルフは煩悩の多い人間には向きません。当時は僕もゴルフをしていたので、ずいぶん彼とご一緒しました、どうしてお前はそんなに落ちつきがないんだと叱られたものです。
 人間を思う時に、不思議と僕は、空間ごと、あるいは、環境ごと、思い出します。残業している時には、残業している人間がいる島にしかあかりがありません。1件100万にもならない(それでは儲けは5万です)見積をしこしこ作っては、丁寧にコピーして控えの書類を整理していたKさんの後ろに、人気のないオフィスの、空間が広がっていました。今は超高層ビルに移転してしまいましたが、当時の会社のビルは、戦後すぐに建てられたビルで、天井は高く、足下は大理石で、僕は僕で、やはり、100万にもならない見積をしこしこ作っていたわけで、こんなもんで、サラリーマンというのはいいのかしら? 楽勝だなぁなんて思っていました。
 夕闇が薄墨を落とし始めた18番、ロングホールのセカンドショット、2オンを狙ったKさんの渾身のスプーンショットがフェアウエイの境目の林の上を超えて、左ドックレッグをショートカットしようと夕闇に吸い込まれていきます。Kさんは柔道3段です。球は悲鳴を上げて消えていきます。
 等の電話を受けて、少し寝直して、僕はフィルムセンターに市川崑監督の52年作品『ラッキーさん』を観に行きました。作品は当時人気のあった源氏鶏太のサラリーマン小説に題材を得たもので、市川監督らしいモダンな演出が鼻につきますが、そこには、モダンになりきれない、昭和20〜30年代のサラリーマンたちの姿が焼き付けられていました。社内運動会、勤めの帰りの居酒屋、そして、出世競争。
 僕も入社した年に社内運動会を経験しているのですが、少なくとも、僕がやめる8年間に一度もなかったから、おそらくあれが最後の社内運動会なのでしょう。世話好きなKさんは運営委員をしていました。
 フィルムセンターは、京橋にあり、京橋には、僕の勤めた会社がありました。立派だったビルは取り壊され、今では、高層ビルになり、違う会社がそこにはいっています。映画がはねて、その高層ビルが見えるあたりまで歩いて、僕と、Kさんや、去年死んだSさん、一昨年死んだTさんと机を並べていた、2階のあたりを眺めました。カラスがカァカァと鳴いていました。

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9月4日(木曜日)

さらば青春

7月14日から8月6日までの異常としかいいようのなかった「コミックジャングル展」(実労23日間で231時間)のアルバイトが終了してそろそろ1月。僕はまだふぬけのままです。
 ふぬけというのは、それ以来、毎日毎日過剰な飲酒を続けているのでなかなか肉体的な疲労がとれないということもありますが、実際一番効いているのは、やはり、40歳になったという事実に起因するようです。
 肉体にぼろがでてきています。8月7日以来「尺骨神経痛」で、僕の左手の小指と薬指の小指側半分、つまり、5本の指の1・5本分がマヒしています。医学書をひもとくと、マジでその1・5本がいかれると書いてあり、その時には、おおっ俺にも他の人と同じ症状が出るとは俺も人間なんだ、と感動したりしたのですが、これほど具体的に、肉体的衰えをぶら下げて歩いていると、どうしても爺むさくなり、われながら凄惨な気分にとらわれます。
 うつらうつら居眠りをするようになりました。飯を食べて新聞など読んでいると10分くらい気を失います。昔、父のそんなありさまを見て、爺にはなりたくないもんだ、などと毒づいていたのですが、妻子がいないのでそんなありさまを見られずにすむだけましなような気もするのですが、そうでもなくて、最近油断していると店で寝ます。
 コモンストックにはあまり客が入らないので油断していることが多く、とくに水曜日など、彰君がレコード回して僕がキッチン担当の時などついつい寝てしまいます。気分はもう、渡辺工君です。それで一昨日に、店で無理な体勢で寝ていて、帰る客の勘定ではっと飛び起きたら、何と右手も「尺骨神経痛」になっていました。やはり1・5本がマヒです。ああっこれでもう、ばっとスイングのみならず、テニスやボーリングもできぬ身体となり果てたかとペシミスティックな感慨も瞬間ひとしおでした。それ以上酒を呑む気分にもなれず、とぼとぼと帰宅して朝起きたら治っておりました。左もなおらんかなぁ。しかし実は、しっかりそのマヒしている右手でせんずりしましたが、変な気持ちで良かったです。これはやっておいて良かったと思うのですが、いつかは、毎日できることになるのかもしれず、そしたらそれにも慣れていくのでしょう。実際僕には左手に不自由がなかった時の感触の記憶が既にもうありません。
 感情にぼろがでてきています。僕の部屋のあるマンションの横町には、一帯の住人が世話している、野良猫が3匹います。全部雌で、三毛猫が「ミケ」、黒の虎猫が「モク」、そしていつも舌を出して涎たらしている汚い猫、こいつには名前がないので僕は「君」とか「お前」とか呼んでいます。彼らの食料と水は、いつも、ある家庭の玄関に置いてあるのですが、その食事の順番はいつも「ミケ」「モク」「君」の順番です。猫にも「行動政治力学」があるのか、おとなしく順番を待っている「モク」や「君」の姿は、まるで駐車場の空き待ちの乗用車みたいで、無表情の権化です。とくに「君」は死んだようにして待っています。
 「ミケ」や「モク」は、快楽に対してもどん欲で、僕が現れると、霰もない姿で僕の前に転がり、愛撫を受ける箇所さえ指定するありさまですが、いつも死んだみたいに静物的な「君」は、ぼくがおいでをしても寄ってくることはありませんでした。
 そんな「君」がふとしたことから、僕の愛撫の味を知りました。もう中毒です。僕が現れると他の2匹をおしのけて駆けてきます。他の2匹は気まぐれでひねくれているので、じゃぁわたしはもういいわと、最近では僕に寄りつきません。
「君」は喉を愛撫されるのが好きで、僕が喉を撫でてあげると白目をむいて、口から涎を垂らして喜びます。昔の僕ならば、愛されている喜びを感じる瞬間なのですが、どうもそんな素直な気分にはなりがたく。かといって、やめるでもなく僕は「君」の喉元を探ります。辺りを見回して月など眺めたりします。そんな時に、あぁ僕も年をとったと思います。
 探る僕の手はもちろん、感覚のない左手の1・5本です。
 さらば青春。

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9月18日(木曜日)

贋作・旅する脳味噌

午前9時/とにかく起きなくては玉蜀黍(29男)が10時に迎えに来る。今朝も6時まで飲んだ。56男と51男と41男と25女。俺も40男。56も51も41も立派な男であるが当然俺の関心は25に集まる。この女性と知り合ってそろそろ1年。俺は彼女と寝ていない。何人もの男が彼女と寝たが2度寝た男はいないようだ。男があきれかえるのではない。彼女が拒否するらしい。それほど頼むならやらしてやるかという姿勢。頼める男と頼めない男の間に境界線をひく女。セックスなんて意味がないと思っている女。ロマンティズムとか所有欲とか、己の欲望の根源をあぶりだしてくれる女。彼女はきっと目を開けて寝るに違いない。
午前11時/横浜中華街「慶華飯店」でブランチ。「鳥と卵」「青菜の炒めもの」「シューマイ」「豚バラ御飯」。84年に付き合っていた横浜ギャルに教わった店との付き合いもはや15年。記憶にはないが、酔っぱらった俺がこの店を口頭で紹介したらしく、玉蜀黍が一度来店していて店の地理などをマスターしているので驚く。俺がいいと思うものを口にすると、それを確かめにいく男たちがいる。俺もそうしてしのいできた。かわりばんこ。
午後1時/横浜国大で人捜し。玉蜀黍の大学時代の仲間が会社をよして大学院に入りなおしているらしいという。その昔には「クール」と呼ばれた女性という。実家知らず。てがかりは名前だけ。先に教務科に電話したら「そんなヤツはいない」といわれたそうだ。絶望的な気分でだだぴろいキャンパスを車で走るが江戸時代じゃああるまいし偶然歩いているわけないじゃぁないか。緑の濃いのが救いである。
午後3時/厚木市、平塚との市境、故k氏宅。8月13日に肺ガンで死んだkさん(享年51)の遺族は未亡人の実家が経営するアパートに引っ越していた。俺は昔の会社勤めの頃、ゴルフの時に何回かkさんを車で迎えにいったことがあり、近くまでいって電話したのだが、電話番号が変わっていたのだ。「こちらは西川といいまして、その昔kさんとkgで机を並べていたものです。なんか会社やめてロックバーをやるなんて変なヤツがいるとかkさんいっていませんでしたか?」「・・・・・」「とにかく線香を上げさせてください、いまどちらです?」新居は車で10分もしないところだったが、彼女は道を教え間違えた。国道を右に曲がるところを左といったのだ。しかし俺と玉蜀黍はそのことをも含みいれていたので、割合きちんと寺の前で到着を待っていた彼女に会えた。なんで含みいれていたかというと「・・・・・・」の部分が、きていた、からだ。44歳で51のつれあいをなくした女性の気持ちがいかほどのものか、俺にはわからない。しかし彼女の錯乱は、別にまだティーンエージャーの娘さん3人が残されたとか、世間の人が心配する要因に起因したものではないようであることは明白であった。彼女の嘆きは恋人を無くした女性のものだった。「たとえば、夜寝ていて、外でごそっと音がした時に、彼がいないことを思うんです」何度もおじぎを繰り返すtシャツの襟元から覗く、白いブラに覆われた小さな乳房。
午後8時/静岡市、割烹「源氏車」。板前修業時代にコモンストックの良き客であり、また俺の良きダチであったポチの店。客2人。店にはポチと御母堂。おやじは上でテレビとのこと。魚三昧。焼き物。煮物。刺身。ひとり4000円。ポチよすまん。しかしきれいな御母堂。いつも気が張っているのだろう。
午後11時/静岡市、カフェバー「ダイナ」。玉蜀黍とポチと3人で飲む。「この間読売にコモンストックのこと出ていたねぇ」とポチ、「うんそれで千乃さんが心配して米持ってきたよ」と俺。千乃さんとは、その昔、俺が同棲していた女性。読売には、こんなに客がいなくて経営は大丈夫なのかしら? と書かれていた。しかしそんな気があるのなら、いくらでもいいから貸した金返せ、と、俺はいいたい。と叫んでみてもむなしく、話が筆に余ることばかりで昔ポチが俺と千乃さんが暮らしていたアパートにきた時によくやった熟語しりとりをして遊ぶことにする。静岡ー岡山ー山本山ー山脈ー脈絡ー落日ー日和ー和平ー平和ー和解ー解釈ー釈然。と、ここで俺が行き詰まったが、誰も然で始まる熟語を書けなかったので勝負はドロー。誰かが5回負けたところでゲームは終了である。ちなみに然で始まる熟語国語辞典には無い。漢和辞典の世界である。源氏車ー車幅(ポチ1敗。俺が幅跳を出した)。多恵子(ポチの御母堂の名前)ー子宝ー宝島ー島諸ー諸島ー島民ー民草ー草餅ー餅屋(ポチ2敗。かなり酔っぱらってきている)。里美(ポチの新婦の名前)ー美型ー型紙ー紙屋ー屋敷ー敷物ー物色ー色欲ー欲望ー望月ー月日ー日参ー参上ー上弦ー弦高ー高校ー校正ー正論ー論調ー調整ー整体ー体位ー位相ー相姦ー姦通ー通信ー信号ー号泣(玉蜀黍1敗)。健夫(ポチのおやじの名前)ー夫婦ー婦人ー人夫ー夫妻(玉蜀黍2敗。かなり酔っぱらっている)。乳首(ポチの第1投)ー首肯ー肯定ー定規ー規制ー制度ー度合ー合体ー体操(ポチ3敗目。俺が操行を出した)。駄目(俺の第1投)ー目玉ー玉金ー金玉ー玉座ー敷石ー石橋(ポチ4敗目。俺が橋脚を出す)。弱虫(俺の第1投)ー虫垂炎ー炎火ー火星ー欲求ー求職ー職業ー業務(俺の負けなのだが誰も出せずドロー)。八十八夜(俺の第1投)ー夜曲ー曲目ー目録ー録音ー音楽ー楽団ー団結ー結合ー合意ー意見ー見所ー所番地ー地名ー名器ー器機ー機会ー会合ー合唱ー唱歌ー歌詩ー詩人ー人間ー間男ー男色ー色即是空ー空室ー室内ー内気ー気楽ー楽器ー器具ー具合ー合名ー名前ー前屈ー屈位ー位階ー階段ー段差ー差分ー分前ー前庭ー庭先ー先頭ー頭割ー割増ー増張ー張弦ー弦楽ー楽曲ー曲解ー解離ー離別ー別離ー離人ー人種ー種馬ー馬並ー並列ー列車ー車両ー両替ー替玉ー玉手箱ー箱入ー入出ー出発ー発射ー射精ー精子ー子種ー種子ー子持ー持参ー参上ー上下ー下人ー人足ー足軽ー軽装ー装美ー美女ー女性ー性豪ー豪毛ー毛頭ー頭数ー数学ー学究(俺の1敗目。玉蜀黍が究極を出す)。しかし上記には間違いが多い。それに、下品な言葉で上がる、お〜っという声。松田ー田楽ー合奏(玉蜀黍3敗目。俺が奏上)。上位ー位負ー負犬ー犬畜生ー生活ー活力ー力車ー車座ー座禅ー禅僧ー僧職ー職歴ー歴史ー史実ー実際(玉蜀黍4敗目。俺が際物)。これで二人にリーチがかかった。塩辛ー辛口ー口元ー元気ー気味ー味覚ー覚醒剤(ドロー)。店主ー主人ー人気ー気配ー配給ー給食ー食人ー人徳ー徳利ー利息ー足跡(ドロー)。枝豆(玉蜀黍の第1投。腹が減ってきたのか?)ー豆乳ー乳輪ー輪業ー業種ー種別ー別物ー物相ー相愛ー愛撫(俺の3敗目。玉蜀黍が撫子)。手羽先(俺の第1投)ー先物ー物入ー入刀(ポチ5敗目。ゲームセット。俺が刀匠)。上記の熟語たちには我々3人の無意識的な本性が確実に現れているといえよう。
午後1時/三保の松原海水浴場。水着を持っていれば確実に泳げた。ジェットスキー。釣り。はてには上空低空にグライダーと浜はパノラマ的に入り乱れているが水はキレイ。上半紙を裸に足を水に浸して遊ぶ。水泳が趣味なのだろうか? おもむろにやってきた爺様がおもむろに水に入っていく。古式の泳法なのか。爺様の金玉が引き締まるきしっという音が聞こえた気がした。
午後2時/三保の松原、丸二食堂。氷メロンミルク。極楽である。外に出されたベンチで喰っていると、左手からバアサマが近づいてきて、ベンチと店の間のわずかなすき間を通路に店に入っていく。腰の曲がったバアサマ。アイルトン・セナ(合掌)も真っ青なライン取りである。さつまいもふたつを注文するがオカミさんは応ずる気がない。「お金を持ってきてから物を頼みな」「お金。お金ってみんなうるさいなぁ」。異次元に生きるバアサマまた見事なライン取りで帰っていく。
午後7時/国道1号線、箱根湯元付近、道は完全に車で埋まりびくともしない。そこで300円で温泉に入り時間をつぶすことにする。爺様がいる。椅子も洗面器も片づけないで出ていく。年をとることはそんなにえらいことなのか? 年をとると人間には恥という感覚が無くなるのか? もう少し年をとるとわかることだろうが。
午前12時/首都高が浜松町のあたりで止まった。当然のごとく下におり、15分で新宿に。首都高は、東京の地理を知らない人たちのたまり場である。地理に興味なければ車など乗らなければいい。車は土地から土地へ移動するための道具である。初めに土地があり旅が起こり車が開発されたのだ。
午前12時30分/明日のための米をとぐ。旅が終わり。また生活が始まる。

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10月4日(日曜日)

記憶の無力・記憶の威力

 あいかわらず野球を通してしか物事が考えられない状態。
「あのカップルは9回の裏同点で2アウト満塁だな。どっちがピッチャーなんだろう?」とか「あいつは52試合連続無三振みたいな野郎だ」とか「俺もなんとかボビー・マーサー級の人間になりたいな」とか。
 そいでもって農協バンク。横浜の試合をもっとも数多く中継してくれる、「佐々木主浩プレゼンツス」ニッポン放送ショーアップナイターでは、毎日農協が広告を流している。「これからは農協バンクと呼んでください」。住専で融資を焦げ付かせて自民党に泣きついて俺らの税金から6000億円(だよね?)もっていったのは、つい最近だった。そんでまたやたらに金集めてどうしようというのか? よっぽどあの時に世間から無能呼ばわりされたのが気に障っているのだろうが、バンク、などと、これまた現在世間の笑いものになっているものを目指すなどと大きな声でいいたてているところが、いっそうの無能さを指し示している。
 そしてデニー。問題のライオンズの抑え投手である。デニーこと友利結は1987年の横浜(当時はホエールズ)のドラフト1位。沖縄興南高校から期待されて入団したが、技術や球威の問題ではなく、なんせ気が弱く、初勝利をあげたのが95年、横浜では10年間で通算2勝6敗1セーブ防御率7・40に終わり、97年からライオンズに移った。
 それで化けた。97年が4勝零敗3・38。今年は7勝4敗8セーブ。オールスターゲームにも出場した。
 そのライオンズとベイスターズが日本シリーズで対決するのは確実の状況であるが、私の愛したデニー友利には気の毒ながら、彼は横浜には通用しない。なぜなら彼の投球を嫌になるくらい長い時間、後ろから見守っていた横浜のナインは彼がどのくらいのビビリ屋であるかを肉体的に記憶しているからだ。彼がとにかくコーナーコーナーを狙って投げ込む、ボールがわずかにはずれてカウントが3ボールになる、四球を出す、満塁になる、押し出す、自棄になって真ん中に投げた球を痛打されるという光景を、ベイスターズの野手は、我々観客と同様の辟易の気分で、膝に手をやる守備の態勢で見続けていたということである。
 デニーのライオンズでの投球を見ていると、シンカー系の抜いたカウントのとれる変化球を覚えたのが進歩の原因のようであるが、たとえどんなに成長していても、その肉体的記憶の強靭さには勝てないだろう。技術や体力がほぼ互角であれば勝負ごとを決める9割9部は精神力である。初めからなめてかかられる投手に勝ち目はない。
 前例がある。
 1988年、ライオンズ対ドラゴンズの日本シリーズ。ドラゴンズの開幕投手は、ライオンズから移籍したばかりの、小野和幸であった。ライオンズで2線級だった小野はこの年、セントラル・リーグの最多勝に輝いたのである。あの年の小野は素晴らしかった。内角の高めと外角の低め、逆に、外角の高めと内角の低め、対角線に投げわけるスライダーとストレートのコンビネーションは見ていて溜息が出るばかりだった。
 しかしその小野が1回持たなかった。清原が打った場外ホームランは新幹線を直撃したといわれている。あの日の小野の手のちじこまりかたといったら・・・。結局、小野は記憶されているという意識に負けたのだった。そして小野の投手生命はそこで終わってしまって、また2線級に復帰していった。
 友利が記憶されているという意識を持っていないはずはないし、あの友利が、その意識に勝てるわけはなく、このことを熟知している東尾監督はもしかしたらデニーを使わないかも知れない。私としても、デニーの選手生命をのばすためにもそのほうが賢明ではないかと思うのである。そして今一度横浜に戻ってくればいい。

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10月18日(日曜日)

我が心の日本シリーズ

 @調べてみたら、1992年8月23日以来の横浜スタジアムである。その日、ホエールズ(現ベイスターズ)は4対2でドラゴンズをくだしている。ラインアップは順番に、4高木豊・5石井・8屋鋪・7シーツ・9レイノルズ・3畠山・6進藤・2秋元・1島田。そして6年後の今日、西武ライオンズとの日本シリーズ第1戦、6石井・8波留・7鈴木尚典・4ローズ・3駒田・9佐伯・進藤・2谷繁・1野村。ずいぶんメンバーが代わったもんだ、当時のほうがトータルでは外国人選手が充実しているな等の感想が浮かぶが、石井、進藤、島田等、それなりに年月を重ね、進歩を重ねてついにここまで到達したのだなと思うと感慨深いものがある。もちろんおのれの進歩のなさにである。さて、横浜スタジアムに足を運ばなくなったことには新宿は物理的に遠いということ以外にも理由がある、私は、昔は野球に捧げていた時間を、その間、おおむね映画と酒に捧げたきたのである。
 A並んだり徹夜したりしてまでチケットを入手するという感性は持ち合わせていない、基本的にはダフ屋からはチケットを買う気はない、そんな、私がまさか自分が今回の日本シリーズ観戦の望外の喜びに浴することになるとは思っていなかった。昔からの、ホエールズ愛好者および私とアキラと3人でやっていた硬派の軟弱ロックバンドのリーダーであったT氏が招待してくださったのである。もちろんT氏とて並んでそのチケットを手にしたわけではない、コネである、なんにせよコネがモノをいう日本社会を象徴する話であるが、こういうコネなら大歓迎というのは身勝手な私の腐った心根の真実。だって私には青天の霹靂級の喜びなんだもの。
 その電話を土曜日の夕方に受けた私が、店の始まるわずかの隙間の時間に走ったのが、お茶の水のミズノ運動具店。スコアブックを買いに行きました。新宿でもどこかに打っているのだろうけど、どこにあるのかを探している時間がもうなかった。店、そして、酒飲んで、起きれば電車乗って横浜スタジアム直行と、それから約36時間の私の行動は瞬時にベルトコンベアにのっかってしまったのだ。
 先代のスコアブックは、この間の、横浜優勝の甲子園球場での胴上げ試合で使いきってしまった。そしてこの新しいスコアブックは、横浜の日本シリーズ第1戦で始まる。なんと華麗なるバトンタッチ。長年のホエールズファンとしては、にわかに信じられないが、これが事実なのですな。
 それで、私はお茶の水へ、スコアブックが500円で、交通費が往復で400円。これも立派な横浜ベイスターズ優勝が日本経済に与えた経済効果といえると思います。
 B5時40分。ライオンズの打撃練習が終了。守備練習のためにベイスターズの選手フィールドに現れると、それだけで、四方八方からの万雷の拍手。愛する者たちの晴れ姿に送られる拍手に照れてとまどう愛される者たち。私は正直そこでもう泣きました。
 Cさて試合ですが、その間中に気になったのが、バックネット裏にある、HOTEL YOKOHAMA GARDENのネオンサイン。Nの灯かりが、切れ掛かっていて、1秒間に2〜3回ちらちらし続けていました。まるで誰かの断末魔の心電図のよう。このホテルが、私の妹が祝言をあげた場所であるからそういうわけではないですが、明日中にでも修理しないと、広告どころか、赤恥を世間に晒すこととなります。なにか駄目になってきているこの国の現状を象徴しているようで気になりました。
 D気になるといえば、この間の甲子園の試合と同様、一つ星が今日は、ちょうど、ピッチャーズマウンドの真上で輝いており、7回の裏に消えました。今日は風が強く、バックネットからバックスクリーンに向かって吹いていたのですが、それもその時に一緒に消えました。あの星は誰だったのでしょうね。そして風は。
 Eおもしろかったのは、レフトスタンド中段あたりの、私の席の真ん前に、高校生時代からファンだという、人妻の女性がいて、この人のご主人が、カジュアルな服装に似つかわしくない黒いアタッシュケースを持っていた。そしてこの人、奥さんを残して6回くらいで席を立った。そうしたら、左右の男が、それぞれに、明日以降のチケットをあげるとか言って、ナンパし始めたのです。このふたりは競合関係。たしかにいい女でしたが、それにしても、よくわからないのが、私が7回終了時点にトイレに行ったら、その旦那がションベンしているのね、アタッシュ持って、嫁さんと別行動とって、この人は何かの運び屋かなにかかしら、まじに爆発物だと嫌だなと思ったりしましたが、まぁ、別に死んでもいいかと思い直しました。日本シリーズだしと。
 Fデニーの当番の時の拍手には感動しました。愛情に満ちた本当にすごい拍手だった。ベイスターズ(旧ホエールズ)のファンというのは、不思議な生き物です。
 Gそして、佐々木の投球のたびにたかれる無数のストロボの点滅。野球が、旅にも似た、非日常的な快楽にそれを愛する者を誘う何かであることを象徴しているような、その昔に、母の胎内で見たことのあるような、かすかな記憶を呼び起こすような、ゆれ動く終わらない光の群。私の脳髄は完璧に麻痺してしまい、私は、自分で見ているこの光景が、自分の脳膜のスクリーンに映ったプラネタリュウムであるような、そんな錯覚にとりつかれ、恐くなって、思わず緑色の非常口の灯かりを探したのですが、無いので、諦めました。

 

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11月4日(水曜日)

HE SAID HE SAID

Date: Mon, 26 Oct 1998 01:35:05 +0900
Subject: コモンストックについての散文2
意思と意志について(全てのロック的人生を愛する人達へ)
From TK(30歳)
To コモンストック 火だるまG様(40歳)
Bcc R子様(32歳)
   SK様(32歳)
   K子様(31歳)
   YN様(35歳?)
   S子様(58歳)
   TA様(30歳)
   N様(3?歳)
  KY様(?歳)
---------------------
1. 前置き
このメールは火だるまGさんへの文章です。 Bccで送信した人達は、それを読んで頂きただく。 Rは俺のことをもっと見て欲しいな。そしてこれを 読んでR自身の人生を考えて欲しい。
Kさんとは早く弘前で一杯飲みながらジミヘンや映画、 クソ政治について論議したく。
Hさんは俺が子育て、夫婦、仕事、それ以上に毎日 こんな事を考えている奴だってことを知って欲しい。 Yさんはお互い理解しあえる義兄弟関係を築くことは 一生無理だけれど少しは努力してることを頭のどこかに 入れておいてだめならこのメールと一緒に捨てて欲しい。 K様はもう俺にとっては母親的&60年代の生き字引的な存在。 ご無沙汰してましたが、体が心配。ストックホルムは もう離れてネパールに永住してしまったのでしょうか? Aは同じサラリーマンロッカーとして気になるよ。 もうロッカー辞めてパパ専念したのかな? ストーンズの新譜(Live)は 聴いた?
Nさんのマイペースさが俺には欲しい。
Yさんは初めてメールします。昔はあなたの本を一杯読んだけれど 今はさっぱり。ノスタルジックは卒業です。ライナーも好きでは ないけれど小野島大よりはましだと思います。ルーディーズクラブは 内容はともかく姿勢は好きです。火ダルマGさんは山川さんを中村とうよう で割ったような人だと想像しています。山川さんがロック的な人生と いうものをどう考えているのかがちょっと興味ありメールしました。
2. 火ダルマGさんへ
 このメールを読む頃には横浜ベイスターズが日本一になっている頃 でしょうか?
 私のことを覚えていらっしゃいますか? 以前コモンストックについて の散文メールを差し上げたことのある弘前に住むサラリーマンです。 ロックバープレスにもサラリーマンという題名で何度か投稿したことが あります。
 あなたのロック的な生活という表現は私にも分かります。あなたのロック的な 人生のターゲットはコモンストックを離れつつないですか? それはごく自然な流れなのかも知れないけどまだ見ぬコモンストックが なくならないことを切に願います。あなたの文章を読むのは私自身とても 好きです。共感する部分はそうないですが、私自身の視点が変わってしまうよう な考えをお持ちです。それは人に強要するわけでもなく、あなたの意志が優しく 浸透してきます。
 でもそれはあなた自身の心情を覗かせるような文章に出会うと、全く異なる 印象を受けます。すごく弱く、それを人に分かって欲しい・・・。意識的な技術 を持って書いているとは思えないから余計悲しくなります。それはピートタウンゼ ントでもなれければジャニスでもない。あえていうならジョンレノン的なモロさ。で もジョンにはガラスのようなモロさと同時に鋼の鋭さがあった。それを無意識に 使い分けていたような気がする。でもあなたは鋼の鋭さが冴え渡っているときと モロさが両極端のような気がするのです。
 全くもって余計なお世話なのです。それでも西新宿の片隅に生息している ロックバーコモンストックが(G,A,工)の意思とは関係なしにがんばろうとして いる姿がHPのちょいと趣味の悪い紫色の画面に執念として俺には見えてくるのです。
 「つぶれないうちに・・・」という言動がまたちらほら出てきたようなので またメールしてしまいました。あなたが以前私にメールで話してくださった 「・・・だけど、実はロックは音楽ではないから、ロックを追求 するために店を閉めることは有り得る。たとえば今の僕にとって、 ロックバーを継続することよりも、僕ら3人で人生を生ききること のほうがロックだ。」
 これはすごくわかる。それでもうまく言えないのだけれど最近のHPのあなたの文章は多少矛盾があるような気がする。具体的に指摘できないのがすごく残念 なのだけれど。
何かを悩んでそれを無意識にさらけ出しているような気がする。
3. ロックな生き方
 ピートは「Tommy」を意志を持って作り上げたと思っています。そしてまた「Quadrophenia」を意思を持って作り上げたと思っています。 この意志と意思の差が作品の充実度とは別な次元での評価にたどり着いている のだと考えます。
 私の先輩のKさんは以前私に「好きなことに理由をつけちゃいけない。 理由が動機となった時点はそれは不純になる」的な言葉をくれました。 この言葉を私はすごく大切にしています。
 私自身、今の生活には満足していません。結婚していても子供がいても仲間が いても自分の人生、自分の意志が頼りです。  火ダルマGさん、意思を意志で乗り越えてください。
4. The Bootleg Series Vol.4 BOB DYLAN LIVE 1966
横浜が無事優勝して落ち着いたら、最近発売されたボブディランの 「LIVE1966」を聴いて見てください。
 そこでのディランは逆に意志を意思で乗り越えています。ノスタルジックの 微塵もありません。リアルな現実だけが1998年の今でも響いています。  そして横浜の日本一は絶対現実です(私は明日は会社でインターネットを 覗きつつ応援します。畠山にタイムリーを打って欲しい。)
5. Bccで送信した方々
 文面ではGさんをToにしていますが、全員Bccで送信していますので 安心してください。

 火ダルマGさんはパワフルな方です。私が感じたことを書いているだけなので 私が感ずる彼と実際の彼は異なるに違いないです。 興味があれば(持って欲しい)読んでください。HPは見るだけじゃないです。 読むものです。
http://www.asahi-net.or.jp/~TB6H-NSKW/front.html
 年齢的には私が年下ですが(相田は同い歳だけど)、年齢は関係なく 皆さんは私の何倍も先輩に感じます。いつも刺激を与えてくださっています。 皆さんは私の大切な仲間です。今回こういったメールを出せる相手がいる ことに感謝しています。突然のメールでしたが、別に危ない思考回路に なっている訳ではないので誤解しないように願います(笑)。 俺自身は家族の長としてファシリテーター的な役割をまっとうできるように 日々ロックを聴いて、感じて生活しています。火ダルマGさんの話す ロック的な人生と俺のロック的な人生は明らかに違います。でも共通点も それなりにあるのです。
6. ロックとは?
 切ないけど気持ちがよくなるもの。
 文学、音楽、ファッション、カルチャー家族、仲間、 全てにロックは存在する。
 それでも60〜70年代にロック的要素が凝縮されていることは否めない。
 それでは失礼致します。
 BGM:ASTRAL WEEKS/VAN MORRISON
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Heavy Soul Man たかし
(作者了承済み、一部仮名)

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11月18日(水曜日)

もう一度笑ってよロン

 1998年は野球の年だった。
 アメリカではセントルイス・カージナルスのマーク・マクガイアとシカゴ・カブスのサミー・ソーサが、37年ぶりに当時ニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスの年間61本塁打のレコードを破り。マクガイアは70本間まで記録を伸ばした。一方同時期にボルチモア・オリオールズのカル・リプケンの連続試合出場記録が2632で止まった。新記録の達成と確定は、新たなる目標が充填されたことを意味する。野球は見事に再生したのである。
 日本では、私の愛した横浜ベイスターズ(旧大洋ホエールズ)が38年ぶりのリーグ制覇を果たし、おまけといった趣で日本一にまでにものぼりつめた。38年といえば、ほぼ2世代に当たる時間である。夏以降、ベイスターズの試合のスタンドを埋めたファンは、優勝を知らない、うぶで純な野球ファンであった。ベイスターズのファンが見せた感激の表情は新鮮であり、嫌な時世に、戦後間もなくの萌芽気の野球が日本社会に与えていたであろう何物かを、ほんの少しだけ思い出させてくれた。そこには、懸命なプレーで驚きを与えてくれるスポーツマンに対する憧れと想いがあり、感謝があった。
 台湾では野球賭博でひとつの球団が消滅し、韓国でも不況から観客が入らずリーグ全体が存亡の危機を迎えていると伝えられている。両国では何のための野球か? 野球は本当に社会にとって必要か? が問われている時期に突入したと思われる。それは日本プロ野球が通ってきた道でもあり、両国のプロ野球が何とかして、そこを乗り越えていくことを祈念したい。緑の芝。オレンジ色のグランド。白いボール。キラキラ光るカクテル光線。風を切るバットスィングの音。たちあがる歓声。野球の楽しみは何物にも代え難く、また私の知っている限り、少年少女にとり、野球はロックと並んで、モラルの最高の教育者である。ロックを耳を澄ますことを教えてくれるが野球は見つめることを教えてくれる。そして両者ともに感じ、考えることを教えてくれるのである。
 閑話休題。管は東工大。
 さて野球貧乏という言葉があれば、今年の私はまさしくそれに当たろう。横浜優勝の瞬間に居合わせるために出かけた甲子園への小旅行は、私の経済レベルからいえば暴挙であり、横浜優勝関係の雑誌だけでトータルで11誌購入した、1万円弱の支出である。
 だから『野球小僧』(白夜書房ムック)1200円を紀ノ国屋の店頭で見かけた時には、ベイと関係ないし、正直迷った。だが、このような緊張感のせいで、私はいくつかの可能性を見過ごしてきたのかも知れない、今まで見過ごしてきたものに関しては縁がなかったあきらめるしかないが、今年は明らかに野球の年であり、そんな野球の年に出された出版物には何らかの必然性があるに違いないと思い直して買って帰ったのである。
 『野球小僧』は濃厚な雑誌であった。
 とくに、野球界の「データの神様」として尊敬されている、前日本野球機構コミッショナー事務局、BISデータ本部室長、宇佐美徹也氏が10代の頃に自らが考案したサイコロ野球にのめり込み。実際の試合と並行して、日本プロ野球の試合を日々消化していたという記事には驚愕した。「学校をさぼってダブルヘッダーの連続」で、氏はそれにより大学進学を諦め「終いにはこれをやり続けていたら身の破滅だな、と思った」そうである。
 色川武大の『狂人日記』(福武書店)に、自分の両手を相撲の力士と見立てて、ほんの少しの指の曲げ方を個性とみなして幾人もの力士を創出、小学校の授業中に本場所の全取り組みをこなしては、休み時間中に新番付を作成して、次の授業時間で新たな本場所に入っていたという話があるが、『野球小僧』には当然、色川氏の短編『月は東に日は西に』(『怪しい来客簿』所収/文春文庫)も収録されている。色川氏の愛した小暮力三という西鉄クリッパーズ(当時、その後ライオンズ)の外野手の話である。
 そして、ノンフックション作家、永沢光雄氏の『なあんだ。みんな、プロ野球選手になりたかったのだ。』というエッセイにより、私はロン・ルチアーノの自殺を知ったのである。
 ロン・ルチアーノの『アンパイアの逆襲/THE UMPIRE STRIKES BACK』(井上一馬訳)が文春文庫から上梓されたのは1987年の11月であるが、私がロンを初めて認知したのは、1982年の『'82米大リーグ総集編』(ベースボールマガジン社)の「ウッカリ手を出すと退場になっちゃうぞ」というコラム(文・鈴川快)の写真である。「往年の名審判ロン・ルチアーノのショー・タイム」というキャプションの写真のロンが取るポーズは、ほとんどガキデカ、志村けん、状態で、私は大笑いしたのである。
 だから、あっこれはあのピエロのロンの本だ、と思って、私はすぐに文庫本をつかんだのである。ロンはプロフットボールあがりの巨漢で、79年に引退して、当時はテレビ解説者と文庫本の略歴にあった。
 87年といえば、1年の内の3カ月ほど、私がアフリカ大陸にいた年であるが、ルームメートのアキラ君とともに、いよいよ、サラリーマン生活に辟易し始めた年である。私は笑いに飢えていた。日本にいれる時間のほとんどを落語に費やしていた時間でもあった。
 『アンパイアの逆襲/THE UMPIRE STRIKES BACK』は本当におもしろかった。伝説のロベルト・クレメンテやキャット・フィッシュ・ハンターなどのプレーの印象の間に宝石のような言葉が散りばめられていた。
「私にいわせれば、むしろ問題は、野球の試合を仕事と割り切っているような連中にある。何度もいうようだが、私はただ試合中いつも楽しい時を過ごしていたことを包み隠そうとしなかっただけなのである」
「審判という仕事は、いってみれば、ソフトクリームのひとつ持って七歳になる子供ふたりのあいだに立つ仕事だと思えばまちがいない。」
どうやら、やはり、私が『野球小僧』を掴んだのには必然性があったようである。おかげ私はロンにサヨナラができた。ロンは『アンパイアの逆襲/THE UMPIRE STRIKES BACK』が日本で出版された数年後自殺した、詳細はわからないそうである。

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12月4日(金曜日)

12月4日(金曜日)

足で考える人間になりたい

「喜劇に力を注いだニュー東映が、旅回り芸人から東京に本拠を定めたエネルギッシュな役者石井均を主演にした一本で、相棒役の戸塚睦夫石井の舞台時代からの仲間である。大映の<<母もの>>でも知られた小石栄一の晩年の作品。」
フィルムセンターの「特集・逝ける映画人を偲んで 1997」と題されたパンフレットで、こんな風に紹介されている、故石井均氏主演の61年作品『がめつい奴は損をする』を観た。
 出来の悪い二人組が、金金金の世間との軋轢に耐えながら、料理屋の小僧、巷のおもちゃ売り、いんちき人生相談所と追い出される形での職がえを続け、最後に、歌の好きな有望で快活なかわいこちゃんタレントを抱える芸能プロダクションの社長まで登り詰め、世間を見返すという、たわいのない筋であった。
 しかしこれが泣けたんだなぁ。
 がんらい僕は自分の境遇と観ている映画をリンクさせるタイプの映画ファンではないが、ご存じのように、ただいま、僕たちは新たなるディメンション・チェンジのまっただ中にいて、少し沈鬱な気分のところもある。
 過去への決別のしみじみとした寂しさ、そして、未来への不安。
 花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ。
 それこそがモットゥの僕にしても、生身の人間ではあるらしいので、少々きついことも多々起きている。

 『がめつい奴は損をする』で僕が泣けた理由を説明してみようか?

「君の芝居は、体の中にあるテンポが生命だ。それをなくしたら何もないーーという、彼の熱っぽい忠告に、石井均は答えて言う。『素人にはわかりまへん。十吾先生ならわかってくはります』」

 十吾というのは、姓は曾我廼家、当時「松竹家庭劇」という渋い劇団を主宰していた関西の芸人さんで、飄々とした味わいが芸風だったと言うが、僕の手持ちの資料では顔も形もわからない。ちなみに上記は小林信彦さんの名著『日本の喜劇人』(新潮文庫)からの引用。石井均さんに忠告しているのは、当時スラップスティックコメディアンとしての石井さんを徹底的に愛した、読売新聞文化部記者、後の直木賞作家長部日雄さんである。
 小林さんの筆記によると、体を動かすことが売りの芸風に限界を感じて、上記の会話のとおり、大阪の十吾師匠のところにお世話になることにしたとのこと、そして、それは典型的な森繁病の症状であった、と。
 森繁病。現在現役から遠ざかって久しい、森繁久弥の偉容について、僕のような、中途半端な年齢の者からしても、前後10年ぐらいのジェネレーションに伝えるのはもはや不可能という気がするが、がんらい、オチャラケの喜劇人と見られていた森繁さんが、「夫婦善哉」や「屋根の上のバイオリン弾き」や「佐渡山多吉の生涯」などの作品を通じて文化勲章まで登り詰めていった事実が、その仮定においても、結実においても、多くの喜劇人に与えた影響は計り知れないのである。フランキー堺、渥美清、植木等、藤田まこと。北野武氏が映画監督でヴェネツィアでグランプリをとったのにも、萩本欽一氏が、年末のコマ劇場でチャプリンの格好をしているのも、その影響がないと言えば嘘だと思う。
 年齢の問題もあるのだけど、みんな、馬鹿みたいアチャラケをやっているのが辛くなってしまう時期がある。そして成熟した芸人として生きていく。失ちまったパションは帰ってこない。
 ちなみに由利徹さん、だけは、この森繁病にかからなかったと言われている。松本人志さんにも期待したい。

 とにかく、このぐらいの基礎知識と、ある縁に対する何らかの答えを期待しながら、僕は、故石井均さんの『がめつい奴は損をする』を観に行ったのだ。参議院議員西川きよし氏が石井均さんの門をたたいたのは63年とあるから、石井さんはこの映画の直後に森繁病が耐えられなくなって大阪に出たことになる。
 しかし、まさか、ここまで体を動かしているとは思いも寄らなかったんだ。マルセ太郎さん真っ青の猿のまね。ストリッパーと一緒にフルコーラス飛んだり跳ねたり転んだり。よぉく観ていると石井さんの膝は曲がりっぱなしで、ようするに、中腰のままなんだね、ずっと、まるでプロ野球の内野手みたい。
 ようやく、泣けた理由。
 世間は逆に取るかも知れないけど、僕たちが店を閉める理由は、あるいは閉めなくてはいけない理由は、おそらく、いつまでもパションのある身体で、いや、足で考える人間でありたいからなのだと、あまりに切れのいい、石井均さんの身体の動きを観て、あらためて知ったんだ。ロックバーとしてのコモンストックは、世間一般から見れば、じゅうぶん若い、いや幼いとさえいえるものなのだろうけど、僕らが、欲しい何かに比べれ、年をとってしまった。
 あれ理由になってないな?
 何で泣いたのだろう?
 何が恐いのだろうか?
 でも、泣いた後の僕の身体は、まるで、身体の全細胞が入れ替わったみたいで、実に、気持ちが良かったよ。
 あなたは最近泣いたことがありますか?
 えっ? コモンストックがなくなるから泣いたって? 

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12月18日(金曜日)

 

時間よくたばれ!

 まずは14日のお話。
 前の日に6時半まで大酒をして目覚めてすぐにバイト。某大商社のモスクワ支店長に対する取材テープの下請け整理。いつかは単行本になる取材のデータマン。適当に見出しを付け重要そうなポイントを整理し都市名とかテクニカルタームを調べて基礎センテンスを作っていく。
 ここ2週間は、寝ている以外は、店に出ているか、酒を飲んでいるか、食事をしているか、糞ションベンをしているか、風呂に浸かって新聞を読んでいるか、センズリをしているか、でなければ、このバイトのためにヘッドフォンをかぶってキーボードに向かっている。時給がコンビニやマックでのバイトの4倍くらいにはなるので悪くはないバイトだが、なんせ2時間テープが8本もあるので長くて辛い道のりである。頭の中ではいつもポール・マッカートニーのバラードがなっている。長くくねくくねした、1万5千メートル自由形競泳という感じ。
 それではっと気がつくと、時計は5時30分を示していた。銀行に金を入れないと15日に落ちる金が落ちない。落ちないと信用を失い。私のような自由業は2度とカードも作れないだろうから大問題である。情けない話だがキャッシングが出来なくなる。私は、共産主義経済共同体、コモンストックから支給される月給と年3回のボーナスを回してなんとかしのいでいる。キャッシングは計画経済のひとつの重要な所為の実存なのである。
 それで、銀行に走る、ついでに、生活防衛資金のXX万円を郵貯にぶち込む作業も行う。キャッシングと貯金が共存するところがいかにも生活経営という気がするところだ。ついでに新宿ルミネの地下の魚屋で今週の飯のおかずを入手するという予定も立てる。一度の外出でいくつもの仕事をこなす。現代を生きる資本主義者の正しいマナーである。
 新宿御苑の駅前で、Mと遭遇する。Mはコモンストックのトイレのシド・ギャレットのイラストを描いた男。お互いにゆえんのない理由で感情の行き違いが生じ今では疎遠になっているが基本的には親友である。
 お互いに「おっ」というだけですれ違う。Mはまだ店の閉店を知らないだろう。いっとけばよかったかとも思うが、とにかく銀行に行かないと、足が止まらない。
 人生は何もかもが運だとは思うが、私みたいに時間に余裕のない奴は、運もへったくれもねぇな、人生何もかもが意志だ、とか、訳の分からないことを思いながら小走り。
 速やかに銀行を終了。郵貯のATMへXX万をぶち込む。
 大問題発生。
 通帳にページがなくて入れたというエビデンスが残らない。伝票を残しておけばよかったのだが、通帳持参の安心感から伝票は見ないですぐに捨ててしまった。後ろには黒い洋服のお姉さんたちが行列をしていて、狼狽している暇も許されない趣。このような見知らぬ美女たちの前でごみ箱をひっくり返す根性は私にはない。並び直すのも嫌だ。私は女の人の前では徹底的にスタイリストである。
 ええぃ、とにかく魚だ魚だと叫びつつ、新宿通りを小走りしつつ作戦を考える。
 もともと通帳にとっくにスペースがないことを知らないで、通帳持参だけで安心し、伝票を電光石火でごみ箱に捨てた、私が阿呆なのだ。おまけに今回は入金だけだからと財布を持ってきていない。財布にはカードがあり、カードで残高照会すれば、それだけで私のXX万円入金は確認できるのだ。財布無しでどうして買い物を? とお思いの方もあるだろうから説明するが、私は食費は全く別に財布に入れているのだ。首からかける可愛い財布。私はその財布を首にかけて買い物に行きスーパーのレジのおばちゃんたちの笑いをとっている。私の首にはしっかりその水色の財布がかかっていた。
 そうか、伊勢丹に郵貯のATMあり、そこで通帳で残高照会をすればいいと思いつく。
 しかし伊勢丹の7回のATMは、この通帳には残高がありません、お近くの郵便局のお越しくださいと、つれない返事、伝票さえ吐き出してくれない。
 またもや、ええぃ、魚魚と新宿通りに。
 何で魚魚かというと、私の糖尿病は悪化傾向にあり、私はこの12月から、内制の料理ではいっさい肉を口にしないと決意したのだ。その分、外でトンカツばかり食っているので、差し引きの損得勘定は分からぬが、少なくとも家でも外でも肉ばかり食っているよりはましだろうと思っている。酒はやめられないが、何とか、連続しては飲まないようにした。それに酒の種類を焼酎だけに絞った。焼酎はカロリーがやや低いのである。
 もとい。
 しかし、XX万も金融機関に金を入れたのにそのエビデンスがないという状態は不安なもので発狂寸前である。もし万が一、その入れた直後に金融機関のコンピュータに不祥事が起き、データが消失したら、私の入金を証明するものがなくなってしまう。
 なんてことに苛立ちながらも、とにかく魚魚と、サバを2匹と筋子を2本買う。全部で800円弱。
 さて、私がこの金融不安をどう解決したのか?
 正解は私はもう一度新宿御苑駅の郵貯のATMへ走り1000円だけ入金したのである。残高照会や出金は受け付けなくても、入金は受け付ける。これぞ資本主義。
 そしてその伝票を今度は大事に持って帰った。しかし私はそのATM が7時までなので、またまた走りに走ったのであった。これはダイエットになるから一石二鳥だななんて思いながらだったけど。
 あとから分かったのだが、紀ノ国屋の隣のマルイのATMは9時までで走る必要もなかった。
 それから家に帰って、筋子をぬるま湯に浸してゆっくりイクラの作成に取りかかった。ゆうに1時間かかったが、その1時間があの1時間と同じとはとても思えない。静謐な時間。

続いて16日。

 やはり大酒を飲み。起きてヘッドフォーンをかぶり3時間ほど働いて、テアトル新宿に向かう。相米慎二の『あっ、春』を見るためである。水曜日のテアトル新宿が千円均一であることを知らない人は多い。
 7時からなので6時50分ぐらいにつくと、もう始まっているといわれてパニックになる。そして中に入ると、佐藤浩一ではなくジェラール・フィリップがいた。『肉体の悪魔』である。絶叫しそうになる。
 『あっ、春』は19日からだったのだ。こうなると水曜日千円均一もへったくれもない。千円の純ロス、私は洋画を見る気はない。
 私は廃人だ、私は廃人だと呟きながら、家に戻り、もう一度ヘッドフォーンをかぶろうと決意した。しかし9時30分には店に行かないといけない。それは小腹がすく頃合である。イエローページで、新宿にもバーガーキングがあってしかるべしだという信念でバーガーキングを捜す。私はワッパーが好きだ。うまいと思う。いつも中野か高田馬場で買っていたが、我が都、新宿にないわけがないと思っていた。それで今日部屋の前にイエローページが放置されていたので、ゴミに出す前に、そこだけを調べたのである。
 あった。新宿センタービル。
 1時間ほどヘッドフォーンをかぶり、8時45分に外出。もし9時で閉店だったらそれまでだなと思いつつ、ワッパーワッパーと叫びつつ、再び新宿通りを走る。
 店は9時30分閉店で私はワッパーを堪能した。我ながら時間の使い方の天才だと思った。
 それから店に出て深夜2時の帰宅。少しヘッドフォーンをかぶって。4時からのCNNのヘッドラインを見る。スーダンの惨状が映し出されている。子供たちが飲料水が悪くてどんどん死んでいるという。政府は内戦に外戦と戦争ばかりしているので民生なんかにかまっていられない。
 悪い水を飲んだ母親が死に母乳もなく文字どおり骨と皮だけの赤ん坊の大きい目が私を見つめている。涙が浮かんでいる。
 私は発狂しそうになる。スーダンは私が商社員時代に、初めて、経済協力のプロジェクトで井戸掘りをやった国。それはカッサラという村だった。総工費29億円。入社5年目。現地には行っていない、私は日本側のアンカーを勤めただけだが、初めて社会人になってよかった。人様の役に立てたと思えた仕事だった。
 あれから12年ではないか!
 時間なんか全然進んでいない。
 くたばれ時間!!

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