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WRITE IT LOUD!! ROLL OF ROCKS

since 97.5.01since 97.5.03

                        1996年10月11日開始

                                  火だるまG

第31回:1998年1月11日

BEGINNINGS/CHICAGO(69 IN CHICAGO TRANSIT AUTHORITY)

それがどこでも
何をしているのでも
君と一緒にいるのなら
僕はかまわない
君と一緒に笑っていると
どうしてこんなに時間が早く経つのだろう
君に歌ってあげたい
君に歌ってあげることができれば
でも僕は無口で
気の利いたことなんて言えない

君に口づけをする時
いく千もの感情が僕の心に立ち上がり
体中がぞくぞくしてくる
それでその思いのひとつだけでも
何とか言葉にしてみようと思うのだけど
でもやっぱり無口なんだ

この初めの気持ち
初心みたいな気持ちを
僕は永遠に感じていたい
始まり
スタート
僕の人生に入ってきて
近くにいて
始まり
スタート



大雪の夕方、僕は花束を買った。花束を買うなんて生まれて初めてだ。コモンストックの近所にある、ストーンゴールドというスナックの門口にそれを置くためである。
降りしきる雪に包まれ、花束は、あっという間に白い暗闇の中に姿を消した。次の昼、陽の光の中でそれが生き生きとした姿で再生することを祈念して、僕は両手をあわせた。

ストーンゴールドは、昨年末に亡くなった、昭和30〜40年代に一世を風靡した喜劇人、石井均さんのやっている店である。が、実は、僕は石井さんにお会いしたことはない。

正月の三が日酒断ちをして、僕の98年の飲酒は4日の夜、正確には、5日の早朝のNVから始まった。NVは3日に新年会をやっていて、僕も誘われていたのだが、新参者ということで僕は辞退していた。
それで、4日、いや、5日にいくと、昨夜の新年会の話になり、僕よりもっと新参の不埒者が暴れて、やむ終えなく警察沙汰になったと聞いた。酒の上の喧嘩のあげく、他人のオートバイに無断で乗り込んでこけて壊してしまったという。
話はいきなり、5日の、いや6日の早朝に飛ぶ。
真夜中の3時。連日のNVに行くと、普段はおとなしいHちゃんが見知らぬ男に対して啖呵を切っていた。啖呵を切られているのは、昨夜の主人公である。彼はNVに謝りに来たのが、Hちゃんは、その謝り方に何らの誠実さも見えないと怒っているのだ。最悪の事態を予感した僕は、Hちゃんを連れ出してNVを出た。行き先はT、コモンストックと同業のロックバーである。
当然ながら、僕には下心がプンプンであった。が、しかし、Hチャンの剣幕におされて、話はそういう方向にはいかなかった。実に残念だ。
ZやCでなく、Tに行くことにしたのは、Hちゃんが、そこの常連だったからだ。僕がTに行くのは、ほぼ、2年ぶりくらいだろう。そろそろ明け方の4時だというのに、Tにはお客さんが4人もいた。立派なものだ。
Tは、もう4年ほど前になるが、どこかの週刊誌がロックバーの特集をした時に、コモンストックと一緒に誌面で取り上げられた店である。
そして、僕より先にTに行って、「音は小さいし、レコードは少ないし、コモンストックに比べたらこんなんじゃロックバーとはいえない、もっとしっかりしろと説教してきちゃった」と話してくれたのがS子だった。
S子は後に、宗教にはまり、ほとんど見も知らぬ客にまで勧誘する状態と相成ったので、1年ほど前にコモンストックに入店禁止にした女性である。
TのマスターとS子の話になった。同様の理由でS子を入店禁止にしたという。

明け方の6時HちゃんとNVに戻る道すがら、Hちゃんに真夜中に女がひとり酒を飲みに出るという行為とその気構えについてのレクチャーを受けた。常識のある男なら、だったら家でおとなしくしてればいいといったりもするのだろうが、真夜中の酒飲みで、しかも、ロックバーのおやじである僕は、口が裂けてもそんなことはいわない。だから黙って聞いていた。
Hちゃんは、NVの帰りに痴漢にあったことがあるそうだ。ふだんなら気をつけているのだけど、朝の8時だったので大丈夫だろうと気を抜いた私が行けないといっていた。

僕が、ストーンゴールドに、S子が痴漢にあった時にかくまってくれたお礼をいいにいったのは、もう5年も前のことになるのだと思う。深夜コモンストックに向かう道すがら、ストーキングされたS子はストーンゴールドに逃げ込み、かくまってもらったどころか、石井均さんに一杯ご馳走になったといっていた。
その次の日、僕は、お礼方々ストーンゴールドに飲みに行ったのだが、石井均さんは営業に出ていていなかった。そしてそれ以来、僕が、ストーンゴールドに足を運ぶことはなかった。石井さんがそこにいることは知っていたし、いつかお会いしたいと思っていたにもかかわらず、僕の足がそこに向かわなかった理由については、僕なりには理解をしているのだが、それはあまりに文学的な感情なので、このような書き物にはそぐわないのである。

世間的にいえば、石井均さんは、現在参議院議員、吉本の大看板、西川きよし氏の師匠として認知されている。

「何年か前に、宮崎県に巡業に出ていた師の石井均から小包が届いたそうな。開けてみると生ワカメがぎっしり詰まっていた。繰り返すが師から弟子に届いた小包である。ビッグタレントになった西川きよしに、旅先からわざわざ生ワカメを送る師の行為もさわやかなら、その話を、いとおしむように語る弟子もまたさわやかではないか。今の自分があるのは師のお陰であるという熱い想いが、一層強く彼の心のひだにしみとおる」(古川嘉一郎・『上方笑芸の世界』所録/白水社)

雪明けて初の光が降る明日ワカメに変われ僕の花束

僕のこの歌詞にスポットをあてる連載で、取り上げる曲の音楽面が最高に格好いいことは保証します。大音量で10回続けて聴いてみてください。きっと感じるものがあるでしょう。(この企画、文章、考え方などの著作権は一応存在するといっておきます)


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