待賢門院堀河 たいけんもんいんのほりかわ 生没年未詳 別称:伯女・伯卿女・前斎院六条

村上源氏。右大臣顕房の孫。父は神祇伯をつとめ歌人としても名高い顕仲。姉妹の顕仲女(重通妾)・大夫典侍・上西門院兵衛はいずれも勅撰歌人。
はじめ前斎院令子内親王(白河第三皇女。鳥羽院皇后)に仕え、六条と称される。のち待賢門院藤原璋子(鳥羽院中宮。崇徳院の母)に仕えて堀河と呼ばれた。この間、結婚し子をもうけたが、まもなく夫と死別し(家集)、まだ幼い子は父の顕仲の養子に出した(新千載集所載歌)。康治元年(1142)、待賢門院の落飾に従い出家し、仁和寺に住んだ(山家集)。この頃、西行との親交が知られる。
院政期の代表的女流歌人。大治元年(1126)の摂政左大臣忠通歌合、大治三年(1128)の西宮歌合などに出詠。また崇徳院が主催し久安六年(1150)に奏覧された『久安百首』の作者に名を列ねる。家集『待賢門院堀河集』(以下「堀河集」と略)がある。金葉集初出。勅撰入集六十七首。中古六歌仙。女房三十六歌仙小倉百人一首に歌をとられている。

  2首  6首  8首  5首 計21首

百首歌たてまつりける時、はじめの春のこころをよめる

雪ふかき岩のかけ道あとたゆる吉野の里も春は来にけり(千載3)

【通釈】冬のあいだ雪が深く積り、岩に架け渡した桟道が途絶えてしまう吉野の里にも、ようやく春は来たのだった。

【語釈】◇かけ道 崖に板などを棚のように架け渡して通れるようにした道。梯(かけはし)◇吉野の里 奈良県吉野郡。冬、雪深い土地として詠まれる。

【補記】命をつなぐ道路も途絶してしまう吉野の厳しい冬。そこに暮らす人々に思いを寄せて、春が訪れた喜びをしみじみと歌い上げている。久安六年(1150)、崇徳院に奏覧された久安百首。以下、詞書に「百首歌」とあるのはすべて久安百首である。

【他出】堀河集、久安百首、古来風躰抄、定家八代抄、時代不同歌合、歌枕名寄

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
世にふれば憂さこそまされみ吉野の岩のかけ道ふみならしてむ

【主な派生歌】
道絶ゆる山のかけはし雪消えて春の来るにも跡は見えけり(藤原定家)
み吉野の岩のかけ道あとたえて人やはかよふ雪ふかきころ(飛鳥井雅道)

百首歌たてまつりける時、春の歌とてよめる

いづかたに花咲きぬらむと思ふより四方(よも)の山べにちる心かな(千載42)

【通釈】どちらの方で桜の花が咲いのだろう――そう思い始めたらもう、私の心はあちらこちらの山へと散り乱れてしまったよ。

【補記】千載集では同じ百首歌から採られた崇徳院の御製に続いて載っている。詞書は作者の身分に応じて書き換えた。

【参考歌】永源法師「後拾遺集」
桜花咲かば散りなむと思ふよりかねても風のいとはしきかな

百首歌たてまつりける時、秋たつ心をよめる

秋の来るけしきの森の下風に立ちそふ物はあはれなりけり(千載228)

【通釈】梢の下を風が通り過ぎて、気色の杜に秋の訪れる兆しが感じられる。それにつれて立ちまさってくるのは、深い悲しみの感情なのだ。

【語釈】◇けしきの森 大隅国の歌枕。今の鹿児島県国分市、天降(あもり)川岸にあったという森。自然界のほのかな動きを意味する語「けしき」の掛詞として詠まれるのが普通。

【補記】「秋」に「飽き」を掛け、心変わりの様子が見える男との恋の悲哀を詠み込んでいるが、そちらが主題なわけではない。

七夕の心を

七夕の逢ふ瀬たえせぬ天の川いかなる秋かわたりそめけむ(新古324)

【通釈】織女と毎年絶えず逢い続けてきた天の川――その川の瀬を、どのような秋に牽牛は初めて渡ったのだろうか。

【補記】天上の伝説の源に思いを馳せる。清新な七夕詠。

崇徳院に百首歌たてまつりける時、よめる

はかなさを我が身のうへによそふれば袂にかかる秋の夕露(千載264)

【通釈】この果敢なさを、自分の身の上のことに喩えるとしたら、何になるだろう。そう、秋の夕方、袂にふりかかる草木の露。

【語釈】◇はかなさ 人の生の頼り甲斐のなさ、むなしさ。◇露 はかなく消えるもの。涙の暗喩。「秋の夕露」は、「恋人に飽きられて、むなしく待っている夕暮、袖に落ちる涙」のイメージを暗示する。

百首歌中に

水のおもにかきながしたる玉章(たまづさ)はとわたる雁の影にぞありける(続詞花)

【通釈】水面にさらさらと書き流した消息文のように見えたのは、空を渡る雁たちの映った影だったのだなあ。

【語釈】◇玉章 手紙。◇雁 ガン。秋、シベリアやカムチャッカ半島方面から日本列島に飛来する。消息を伝える使と見なされた(後漢書など)。

【補記】続詞花集は藤原清輔の私撰集。

【主な派生歌】
河水にとわたる雁のかげみえて書き流したる秋の玉章(藤原基家[続拾遺])

百首歌たてまつりける時、よめる

さらぬだに夕べさびしき山里の霧のまがきにを鹿鳴くなり(千載311)

【通釈】ただでさえ山里の夕方は寂しいものなのに。霧の立ちこめる垣根のあたりで牡鹿が鳴いているよ。

【語釈】◇さらぬだに そうでなくてさえ。◇山里 山の中の人里。王朝和歌では、田園にもうけた別荘の周囲を言っている場合が多い。

きりぎりすをよめる

露しげき野辺にならひてきりぎりす我が手枕の下に鳴くなり(金葉218)

【通釈】秋の野は、この頃いつも露でびっしょりだ。それに慣れっこになっている蟋蟀は、私が手枕のわびしさに涙を流しても、いつもの露と思って、その下でこともなげに鳴いている。おまえの声を聞くと、いっそう哀れを催して泣けてしまうのに。

【語釈】◇きりぎりす コオロギ、和歌では特にカマドコオロギのこと。晩秋、人家の中に入り、床下などで啼く。啼き声は「キリキリキリ…」と聞きなされる。

【補記】『堀河集』に見える類想の「黒髪のわかれを惜しみきりぎりす枕の下にみだれなくかな」も捨て難い。

【他出】堀河集、今鏡、中古六歌仙、古来風躰抄、題林愚抄

久安百首歌たてまつりけるこひの歌

袖ぬるる山井の清水いかでかは人目もらさでかげを見るべき(新勅撰659)

【通釈】山の清水に袖を濡らすみたいに、あの人の面影に私の袖は涙で濡れてしまう。一体どうやって、世間の人に気づかれないままあの人の姿を見れるというのだろう。

【補記】「山井の清水」の縁語、袖・濡る・漏る・かげ。

百首歌たてまつりける時、恋のうたとてよみ侍りける

荒磯の岩にくだくる波なれやつれなき人にかくる心は(千載653)

【通釈】無情な人にいくら思いをかけても…。こんな思いは、荒磯の岩にくだけ散る波みたいなものだろうか。相手はちっとも動じないのだから。

【参考歌】源重之「後拾遺集」
風をいたみ岩うつ波のおのれのみくだけて物を思ふ頃かな

百首歌たてまつりける時、恋のこころをよめる

長からむ心もしらず黒髪のみだれてけさは物をこそ思へ(千載802)

【通釈】末長く変わらないというあの人の心も計り難い。この黒髪が寝乱れているように、今朝は心乱れて思い悩んでいるのだ。

【語釈】◇長からむ心 長く変わるまいという(恋人の)心。「長し」は髪の縁語。◇黒髪の 黒髪のように。

【補記】いわゆる「後朝(きぬぎぬ)」の歌。朝、別れた直後の男にあてた歌、という設定で詠んでいる。久安六年(1150)成立の久安百首。

【他出】続詞花集、定家八代抄、百人一首、女房三十六人歌合

【参考歌】紀貫之「拾遺集」
朝な朝なけづればつもる落ち髪のみだれて物を思ふころかな
  和泉式部「後拾遺集」
黒髪のみだれもしらずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき

【主な派生歌】
一すぢに思ひきれども黒髪のみだれて物ぞかなしかりける(作者未詳[信生法師集])
うちかへし思ひぞわぶる長からむ契りもしらずいひし恨みは(武者小路実陰)
ながからむいのちもしらず白みゆくこのわが髪を誰かいとしめ(山中智恵子)

寄石恋といふ心をよめる

逢ふことをとふ石神(いしがみ)のつれなさに我が心のみうごきぬるかな(金葉508)

【通釈】石神様に祈ると、願いが叶うしるしに石が動くと言うが、私が恋の成就を占ってみると、石は動かず、動いたのは私の心だけだった。

【語釈】◇石神 神が宿ると信じられた霊石、またその神。

恋の歌のなかに

友こふる遠山鳥(とほやまどり)のます鏡みるになぐさむ袖のはかなさ(続後撰702)

【通釈】山鳥は、鏡に映った自分の姿を見て、友かと思い、恋しがって鳴くと言うが、私はと言えば、あなたの幻影を見ては心を慰めるのだ、はかなくも袖に溜まった涙に。

【語釈】◇遠山鳥のます鏡 山鳥は鏡に向かっていたずらに鳴く、という伝えにもとづく。むなしい面影を慕って泣くことの暗喩として用いられる。例「涙さへ隔つる中の面影や遠山鳥の鏡なるらむ」(為定[新千載])。

【補記】正保版本による。結句、「ほどのはかなさ」とする本もある。

【参考歌】
ねをぞなく遠山鳥のます鏡みてはかひなき物思ふとて(宗尊親王[続千載])
我が中は遠山鳥のます鏡よそにも人の影をやはみる(法印定為[新拾遺])

久安百首歌に

つれなさをいかに忍びてすぐしけむ暮まつほどもたへぬ心に(続拾遺892)

【通釈】あの人との仲もずいぶん長くなったけれども、あの薄情さをどうやってこれまで我慢して過ごしてきたのだろうか。夕暮になるのを待つのさえ耐えきれない私の心で。

百首歌たてまつりける時、恋のうたとてよめる

うき人をしのぶべしとは思ひきや我が心さへなどかはるらむ(千載918)

【通釈】こんなつもりではなかった――冷たい態度を見せた人を、それでもまだ慕い続けることになるとは。変わったのはあの人の心ばかりではない。私の心までがどうして変わってしまうのか。

【補記】最初、未練がましい恋慕など拒絶していたはずの自分の心が、恋を経験した後、変わってしまった。そのことを歎いているのである。

百首歌たてまつりける時、恋のうたとてよめる

逢ふごなきなげきのつもる苦しさを負へかし人のこり果つるまで(千載1193)

【通釈】逢う折のない嘆きが積もるこの苦しさを、あの人も負うがよい。こりごりするまで。

【語釈】◇逢ふご 逢ふ期。荷物を提げて肩に負う天秤棒「あふご(朸)」の意を掛ける。◇なげき 投げ木(炎に投げ入れる薪)と掛詞になり、恋の火を燃やす材料の意をも帯びる。◇こり果つるまで すっかり懲りるまで。「こり」には「樵り」の意が掛かり、「木」の縁語。

【補記】久安百首では恋の歌とするが、千載集は巻十八の誹諧歌に収録している。恋の心でなく諧謔味の秀抜ゆえに採ったのであろう。『堀河集』には「今はただつれなき人も恋をして我がなげきをも思ひしれかし」(大意:今はただ、つれなかったあの人も、ほかの誰かに恋をして、私と同じ歎きを思い知ってほしい)の類想歌が見える。

西行法師をよび侍りけるに、まかるべきよしは申しながらまうでこで、月のあかかりけるに、門の前をとほると聞きて、つかはしける

西へ行くしるべと思ふ月影の空だのめこそかひなかりけれ(新古1975)

【通釈】「西行」という名のとおり、西へ行く――西方浄土へと私たちを導いてくれる道しるべと思っていた月の光がむなしい期待だったとは、詮のないことです。

【補記】『山家集』によれば、西行は仁和寺に住んでいた堀河に呼ばれたが、用事があって行けなかった。その後、月の明るい晩に仁和寺の前を通り過ぎることがあり、そのことを聞いた堀河が西行に送った歌という。西行の返歌は「立ちいらで雲間を分けし月影は待たぬけしきや空に見えけん」。本当に待ってくれている様子がなかったので、立ち寄らなかった、ということ。

待賢門院かくれさせ給ひて後六月十日比、法金剛院に参りたるに、庭も梢もしげりあひて、かすかに人影もせざりければ、これに住み初めさせ給ひし事など、只今の心ちして、哀れつきせぬに、日ぐらしの声たえず聞こえければ

君こふるなげきのしげき山里はただ日ぐらしぞともになきける(玉葉2409)

【通釈】亡きお方が恋しくて、私は何度も悲しい溜息をついてしまう。そんな思い出の多すぎる山里に、人影はなく、いっしょに泣いてくれる人はいない。ただ蜩だけが私の泣き声に合わせてくれるだけだ。

【語釈】◇待賢門院 権大納言藤原公実(きんざね)の娘。鳥羽天皇の中宮となり、崇徳・後白河両天皇を生む。久安元年(1145)八月二十二日、崩御。堀河がこの歌を詠んだのは翌年六月。◇法金剛院 待賢門院が出家後住んだ所。◇なげき 歎き。キに木を掛ける。

 

すむかひもなきよながらの思ひ出は浮雲かけぬ山の端の月(久安百首)

【通釈】住む甲斐もない世ではあるものの、懐かしく思い出すのは、浮雲ひとつかかっていない山の端の月のように、辛いこともなく過ごした日々なのだ。

【掛詞】◇すむ 住む・澄む(月の縁語)。◇よながらの 「よ」に夜・世を掛ける。◇浮雲 「憂き」を掛ける。

【補記】家集は第二句「世の中の」、第五句「秋の夜の月」とある。

百首歌たてまつりける時、月歌とてよめる

のこりなく我がよふけぬと思ふにもかたぶく月にすむ心かな(千載999)

【通釈】もう残りもなく私の人生も更けてしまった。そう思うにつけても、沈んでゆく月を眺めていると、雑念も消えて、心は澄んでゆくよ。

【参考歌】藤原仲文「拾遺集」
有明の月の光を待つほどにわが世のいたくふけにけるかな

【他出】久安百首、定家八代抄

夕暮に雲のただよふをみてよめる

それとなき夕べの雲にまじりなばあはれ誰かはわきてながめむ(風雅1955)

【通釈】いつか私も煙となって、どれともない夕方の雲に混じってしまったなら、ああ、誰が区別して眺めようか。

【補記】『堀河集』の詞書は「雲のただよひたるをみて」。制作年などは未詳。

【参考歌】「源氏物語・葵」
雨となりしぐるる空の浮雲をいづれの方とわきてながめむ
  「源氏物語・夕霧」
いづれとか分きてながめむ消えかへる露も草葉の上と見ぬ世を


更新日:平成15年10月22日
最終更新日:平成19年10月15日