上西門院兵衛 じょうさいもんいんのひょうえ 生没年未詳 別称:待賢門院兵衛

村上源氏。右大臣顕房の孫。父は神祇伯をつとめ歌人としても名高い顕仲。姉妹の待賢門院堀河・顕仲女(重通妾)・大夫典侍はいずれも勅撰歌人。
はじめ待賢門院璋子(鳥羽天皇中宮)に、のち斎院統子内親王(上西門院)に仕えた。上西門院の落飾に伴い出家。没年は寿永二、三年(1183〜4)頃かという。
崇徳院主催の『久安百首』の作者の一人。金葉集初出。勅撰入集二十九首。

白河花見御幸に

よろづ代のためしと見ゆる花の色をうつしとどめよ白川の水(金葉33)

【通釈】白河に咲き誇る桜は、この盛代が永遠に続くしるしと見えます。この花の美しさを、いつまでも水面に留めてほしい、白河の流れよ。

【語釈】◇白河花見御幸 白河院の白河殿御幸。鳥羽院・待賢門院も同道した。◇白川 比叡山から流れ出て京都の街中を流れる川。砂が白いことからこの名がついたという。

百首の歌奉りける時、よみ侍りける

花の色に光さしそふ春の夜ぞ木の間の月は見るべかりける(千載73)

【通釈】桜の花に月の光が射して、艶やかさをいっそう添える春の夜――こんな晩こそ、木の間を透かして月は眺めたいものだ。

【語釈】◇百首の歌 久安六年(1150)崇徳院に奉った百首歌、いわゆる「久安百首」。詞書にある「百首の歌」は以下同じ。

百首の歌奉りける時、別れの心を

かぎりあらむ道こそあらめ此の世にて別るべしとは思はざりしを(千載484)

【通釈】限りのある人生、あの世へと旅立ってゆく別れ道があることは知っていたが、今生(こんじょう)の世であなたと別れることになろうとは、思っていなかったのに。

歎くこと侍りける比、五月五日、人のもとへ申しつかはしける

けふ来れどあやめもしらぬ袂かな昔を恋ふるねのみかかりて(新古770)

【通釈】菖蒲の根や薬玉をかけて飾る五月五日の今日が来たけれど、私には節句など無縁で、袂には美しい模様もなく、ただ分別もなく泣き暮れているわ。亡くなった人が恋しくて、菖蒲の根ならぬ、泣き声の音(ね)を、喪服の袂にかけてばかりで。

【語釈】◇歎くこと 人と死別した歎き。◇あやめもしらぬ この「あやめ」は菖蒲・文目(模様)・分別条理の三つの意味が重なる。
【縁語】あやめ・ね・かかり。端午の節句の縁。

百首の歌召されける時、恋の歌とて

何せむにそらだのめとて恨みけむ思ひ絶えたる暮もありけり(千載944)

【通釈】あの頃は、どういうつもりで、あの人の空約束を恨んだのだろう。この頃はもう恨むような気持もなくなってどうせ来ないと諦めてしまう夕暮もあるのだった。

【語釈】◇そらだのめ 空頼め。空しく期待させること。◇思ひ絶え 「(恨むほどの強い)思いが絶える」「(男の訪れを)諦める」の両意を掛けていると思える。

百首の歌奉りける時、無常の心をよめる

これや夢いづれかうつつはかなさを思ひわかでも過ぎぬべきかな(千載1130)

【通釈】これは夢だろうか。どちらが現実なのだろう。夢にしても現実にしても所詮どちらもはかなくて、そのはかなさを区別できないままに、過ごしてしまいそうだよ。

昔、法金剛院の梅をめでける人の、年へて後いかがなりぬらんといふに、折りてつかはすとてよめる

なにごとも昔語りになりゆけば花も見し世の色やかはれる(風雅1964)

【通釈】なにもかも昔話になってゆく世の中ですから、かつては人に愛でられた花も、当時のような美しさは失ってしまったのかもしれませんね。

【語釈】◇法金剛院 待賢門院が出家後住んだ所。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成18年07月20日