源雅兼 みなもとのまさかね 承暦三〜康治二(1079-1143) 号:薄雲中納言

村上源氏。右大臣顕房の子。母は因幡守藤原惟綱のむすめ因幡掌侍惟子。大治五年(1130)、参議に任ぜられ、天承元年(1131)従三位権中納言に至ったが、長承四年(1135)、辞職して出家。
天永元年(1110)四月の師時家歌合、元永元年(1118)十月の内大臣忠通歌合、同二年七月の忠通家歌合、大治三年(1128)九月の住吉社歌合などに出詠。家集『雅兼集』がある。金葉集初出。勅撰入集九首。

あかつきに鶯をきくといへることをよめる

鶯の木伝(こづた)ふさまもゆかしきにいま一声は明けはてて鳴け(金葉15)

【通釈】鶯の枝から枝へ伝う可愛いしぐさも見たいから、もう一声はすっかり明るくなってから鳴いてくれ。

【主な派生歌】
時鳥夢うつつともわくべきをいま一声はとほざかりつつ(頓阿)

水上落花といへることをよめる

花さそふ嵐や峰をわたるらん桜なみよる谷川の水(金葉57)

【通釈】花を誘って散らす嵐が、峰々を渡ってゆくのだろうか。桜の花びらが波を打って寄せる、谷川の水面。

【主な派生歌】
さきいづる八重山吹の色ぬれて桜なみよる春雨の庭(京極為子[玉葉])

法性寺入道さきのおほきおほいまうちぎみの家にて、女郎花随風といへるこころをよみ侍りける

女郎花なびくをみれば秋風の吹きくる末もなつかしきかな(千載252)

【通釈】女郎花(おみなえし)が靡くのを見ると、その上を渡って吹いた秋風の辿り着いた先までも慕わしく思えるなあ。

【補記】藤原忠通邸での歌合に出詠した作。女郎花は容姿の美しい女性に喩えられる。作者は風下に立って女郎花を眺めているとの設定。


最終更新日:平成14年10月29日