缺番 五




四一、  帶取が池              かき安

利上げせし質物なるかいつまでもながれもやらぬ帶取が池

[帶取が池]は、盜賊に母を殺されたお姫樣の復讐譚で、歌舞伎などにも取り上げられた。
「利上げ」は、質草の期限が來て利息だけ拂ひ、期限を伸ばすこと。土師掻安(はじのかきやす)の歌は、いつまでたつても質流れしない帶を怪しんでゐるのである。



四二、  おさかべ             東  作

おさかべはいくとせへたる香炉峰かうろはうすだれをあぐる雪のふる城

長壁[おさかべ](長壁とも書く) は、姫路城の天守閣の上層に住むといふ妖怪。城中の人はみなこれを怖れて天守閣にのぼらなかつた。ある時若侍が火を借りに行つたところ、簾を上げてすがたを現はしたが、十二單を着た老婆であつた。ところが城主がやつて來た時には座頭に化けて出たといふ(「諸國百物語」による)。
「香炉峰」は、唐の國は江西省盧山にある峰で、白樂天の詩「香炉峰の雪は簾を撥(かか)げて看る」で知られる。
[蛇足]「ふる城」に「降る城」「古城」の両意を掛けてゐる。



四三、  山鳥              金  埒

山鳥のおろかな人をばかしてやひとりぬる夜の伽にかもする

[山鳥]は、山に住むキジに似た鳥。雄は翼で胸を打つて音を出し、この音からホロホロ鳥とも呼ばれる(アフリカ原産のホロホロ鳥とは別物)。古來、雌雄は峰をへだてて棲むと信じられ、「ひとり寢」の例にひかれて多くの歌に詠まれた。「あしひきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寢む」(百人一首の人麻呂歌)。金埒の歌によれば、人を化かしては、獨り寢の慰め草にしてゐたらしい。



四四、  ひゝ               定  麿

足にまで物をつかめる狒の身はわるい手くせや今にやまざる

[狒々]は、山奧に棲む怪獸。スネが異樣に長くて大柄、性格は獰猛。山猿の年を經たものともいふ。明治時代に至るまで、よく目撃・捕殺され、新聞紙上を賑はせたやうである。



四五、  死ね死ね榎             さんわ

行人をしねとすすむる古榎これや冥土の一里塚かも

[古榎]深山を歩いてゐると、時に「しねしね」とうるさく囁く物の聲が聞える。死者の靈が榎にばけたものだらうか。なお榎は江戸時代、街道の一里塚として植ゑられた。



四六、  猪熊                光

草摺をくはへて空へいかのぼりいと目もすごくみゆる猪熊

「草摺」(くさずり)は、草花で染めた衣服などをいふ。「いかのぼり」は凧のこと。「いと目」は凧の表面に付け、あがり具合などを調節する糸。「いと」に「非常に」の意を掛けてゐることは言ふまでもない。



四七、  戸かくし山              飯  盛

これもちの色は鬼より紅葉よりあかきや酒のとがくしの山

[戸隱山の鬼傳説]は、謠曲「紅葉狩」などに見える。戸隱山へ紅葉狩に出かけた平維茂(たいらのこれもち)が、美女にばけた鬼に誘はれ酒宴に引き込まれるが、醉ひながらも鬼を退治する、といつた話。



四八、  もどり橋             東  作

たほやかな柳のうらのいつゝぎぬ化かさるゝとも立もどり橋

[一條戻り橋の鬼退治傳説]戻り橋付近に鬼が出るといふ噂が立ち、源ョ光の四天王の一人、渡邊綱は寶剣「髭切」を携へて出かけていつた。寶剣の威力を恐れたか、鬼は現はれなかつたが、歸り道、東の橋詰にうら若い美女が立つてゐるのに出くはした。「五條まで行きたいのだが、送つて頂けないか」と嘆願する女を、綱は馬に乘せてやり、五條へと向かつた。途中、女は突然鬼に變じ、綱のもとゞりを攫んで空へ飛び上がる。綱は寶剣で鬼の腕を切り、自分は北野~社の回廊に落ちた、といふ。



四九、  古戰場            京  傳

いせ武者のおもひか宇治の古戰場血煙たちてみゆるひをどし

[宇治の古戰場]は、源平の合戰が行はれた宇治河畔の古戰場をさす。「伊勢武者」は伊勢平氏の武者。「ひをどし」は緋色に染めた革鎧。



五〇、  土蜘            眞  顔

ある時は女郎ともなりて土蜘のいとしと人をかけにけるかな

[土蜘蛛](つちぐも)は、日本書紀などにも記述が見え、日本古來の物の怪である。もとはわが列島に土着した異民族をかう称したものらしいが、のち蜘蛛の妖怪と考へられるやうになつていつた。さまざまな姿に變化し、強力な靈力でもつて人々を苦しめた。
蜘蛛の化物なら女郎にも變化したらう(女郎蜘蛛)。いとしい人を罠にかけて奪つたなんてこともあつたでせう。



五一、  安達原              掻  安

妖怪とこれもやいはん鬼ゆりのあだちが原にたてる姿は

[安達が原]は、福島県の安達太良(あだたら)山麓の原野。ここに籠つてゐたといふ鬼の傳承は、「今昔物語」「大和物語」など多くの説話集に取り上げられてゐる。
謠曲の「安達原」ではこんな内容の話になつてゐる。供を連れて行脚の旅をしてゐた山伏が、安達原に一軒の家を見つけ、一晩の宿を請ふ。あるじの女は承知して山伏を家に通すが、「隣の寢室は絶對に見てはいけない」と言ふ。やがて女は山に薪を取りに出かけ、山伏はぐつすり寢て仕舞ふ。しかし供の者は隣室が氣になつて仕方なく、たうとう中を覗いて仕舞ふ。そこには山と積まれた死骸があつた。山伏と供の者はあはてて逃げ出すが、山から戻つた老女が鬼の本性を顯して追ひかけて來る。山伏は遂に鬼を祈り伏し、鬼婆はすさまじい恨み聲を殘して消え去つた。



五二、  猫また              酒  船

ねこまたの姿とみしはまよひからこちらのむねのおどるなりけり

猫又[猫又]「奧山に、猫またといふものありて、人を食らふなる」(徒然草)。猫又はもともと山に住む大猫をいつたやうである。それがいつからか、普通の飼ひ猫の中にも、年を經ると猫又に變化するものがあると信じられるやうになつた。尾の先が二またに分かれてゐるので、容易に見分けがつく。
徒然草の「連歌しける法師」は暗闇と臆病風のために飼ひ犬を猫又と間違へ、大いに恥をかいたが、猫又の大きなものは大犬を優に超えたとのことである。



五三、  海坊主               赤  良

湯錢とはいへども深い海坊主成佛してやうかみいづらん

[海坊主]は、古來さまざまなタイプが報告されてゐる。琵琶を脊中にかつぎ、杖を持つて海上に現はれる盲目の巨人、海座頭。波間に丸い頭をちよこつと出し、船が近づくと沈み、またひよこつと頭を出すといふ、お茶目なぬらりひよん。なんだかわけの分からない、ぬるぬる坊主。



五四、  ものゝけ               參  和

ものゝけは葵の上のわざならん加茂の車のあらそひの後

[葵の上]は、ごぞんぢ源氏物語の登場人物。光源氏の正妻であつたが、賀茂~社參拜の折、車爭ひで恥をかかされた六條御息所の恨みをかひ、その生き靈に取り殺された。



五五、  骸骨               東  作

しやれかうべ烏のほじくる跡見れば何事おいても南無あみだぶつ

何はさておき南無阿彌陀佛。



五六、  羅生門             定  麿

井戸かへをなせるばかりにいばら木も渡邊の綱を引きたり引きたり

[羅生門の鬼傳説]渡邊綱が馬にのつて羅城門の前を通り過ぎたとき、うら若い美女が一人歩いてゐた。綱は女を馬に乘せ、送つてやることにした。道中、女は突然鬼の本性を顯はし、綱の腕をつかんだ。綱が太刀を拔いてその手を斬り落としたところ、鬼は叫び聲を殘して去つていつた。
さて、綱は鬼の腕を持ち歸り、処置に困つて占ひをさせたところ、「七日間の物忌みをせよ、さすれば祟られることはあるまい」と言はれ、その言葉に從つて門を閉ざし、誰にも會はずに六日を過ごした。ところが七日目になり、綱の乳母が訪ねてきて、ぜひ會ひたいと懇願する。綱はやむなく門を開けて入れてやつた。乳母に物忌みの理由を問はれた綱は、鬼と出くはしたいきさつを説明し、斬り取つた腕を見せた。すると乳母は突然鬼に變化し、「我は茨木童子なり。これぞ我が腕!」と言ふや否や、綱から腕を奪ひ取つて飛び去つた。
「井戸替へ」は、井戸の水をすべて汲み上げ、井戸の中をすつかり掃除すること。旧暦七月七日に行はれることが多かつた。「綱を引く」には、井戸水を汲むための桶を結びつけた綱を引く意を掛けてゐる。



五七、  一つ目小僧               ひかる

雨ふりてふり出だしたる一つ目の小僧はろくろ首のうら目か

一つ目[一つ目小僧]については、さまざまな傳承が各地に殘つてゐる。岡山県に傳はる怪談によると、古松の枝の上から青白い光を發しながら飛び出してきて、腰を拔かした人のあたまを長い舌でぺろりと舐める、といふ。一つ目であるばかりでなく、片足のものが多いやうである。その來歴は、柳田國男によつて見事に解明された。
[蛇足]「ふり出だし」に賽子(サイコロ)を振る意を掛けてゐる。一つ目は六の裏。



五八、  化物やしき             裏  住

これもちの身では猶さらころさるゝ化しやうやしきか大門のうち

[平維茂](たいらのこれもち)は、繁盛の子。余五將軍と呼ばれ、陸奧鎮守府將軍としてさまざまな武勇傳を殘す。鬼や妖怪を退治したといふ話も多いから、もののけの恨みつらみを一身に集めてゐたのである。



五九、  うぶめ              さんわ

子とみせて石を抱きするうぶ女こそが目をかけしおもひものなる

[産女]は、出産時に亡くなつた婦人の靈が化したものといふ。海や川の中から、乳飮み子を抱いて現はれることが多い。その場を通りかかつた人は「念佛をとなへるので子供を抱いてゐてくれ」などとョまれる。赤子を抱いてやると、産女は念佛をとなへ始めるが、念佛のすすむにつれ、赤子はやがて石のやうに重くなる。
恐ろしい話であるが、くれぐれも産女の申し出をことわつてはならない。そんな非情の者を、産女は何處までも執念深く追ひ掛けてゆくだらう。反對に、無事赤子を抱き通した者は、褒美として怪力を授かつたり、金銀財寶をもらへたりするのである。
ウブメは姑獲鳥とも書く。これは唐國(からくに)から傳はつた人鳥二身の妖怪、姑獲鳥と混乱したもののやうである。怪鳥となつたウブメは、子供の泣き聲に似た聲を發しながら夜空を飛行し、他の子供を害したといふ。



六〇、  實方雀               京  傳

うらめしきむねのほむらに燒鳥は實方すゞめものゝけを引く

[實方雀](さねかたすゞめ)藤原實方は、平安中期の歌人。一條天皇の時、陸奧に配流されてその地で果てた。都へ歸りたい一念から、その亡魂は雀に化し、つひに内裏へ飛び入つて、臺盤所の飯をついばんだといふ。それで奧羽地方の雀を「入内雀」と呼ぶのである。
入内雀は、秋、全國に飛來して越冬する。秋の渡りの時、大群をなして稻に被害を與へることがある。




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(C)1999,水垣 久