輔仁親王 すけひとしんのう 延久五〜元永二(1073-1119) 通称:三宮・延久三宮

後三条天皇の第三皇子。母は源基平女、女御基子。白河天皇の異母弟。実仁親王の同母弟。大僧正行尊の甥。中宮大夫源師忠女との間に有仁(花園左大臣)・斎宮守子女王を、また陸奥守源義家女との間に法眼行恵をもうけた。子はほかに僧正信証・少僧都仁操など。
白河天皇即位の翌年に生まれる。同母兄の実仁親王は次期天皇と期待されたが、応徳二年(1085)に亡くなり、翌年白河天皇は子の善仁親王(堀河天皇)に譲位して院政を敷いた。左大臣源俊房らの支持のもと、輔仁親王は院との対立を深めてゆくが、鳥羽天皇即位後の永久元年(1113)、護持僧仁寛(俊房の息子)の天皇暗殺未遂事件が発覚して閉門に追いやられた。六年後の元永二年十一月二十八日、薨去。四十七歳。生涯無品であった。
金葉集初出。勅撰入集十七首(金葉集は二度本で数える)。漢詩にも優れ、『本朝無題詩』などに作を残す。

題しらず

み吉野の大川のべの古柳陰こそみえね春めきにけり(新古70)

【通釈】吉野の大河のほとりに生えている柳の老木は、まだ影を落とすほどではないものの、葉が青々と伸びて春めいてきたなあ。

【本歌】よみ人しらず「古今集」
み吉野のおほかはのべの藤波のなみに思はばわが恋ひめやは

題しらず

心して見るべかりけり春の月ことぞともなく昔恋ひらる(後葉集)

【通釈】春の月っていうのは、よく気をつけて見るべきものなんだなあ。眺めていると、とくにこれだということはないんだけど、なんか昔が懐かしくなる。

【補記】『後葉和歌集』は藤原為経(寂超)の私撰集。詞花集に対する不満から編纂されたものと見られ、成立は詞花集編者藤原顕輔が没した久寿二年(1155)五月以後まもなくではないかと言う。

題しらず

秋の夜はおなじ尾上(をのへ)に鳴く鹿のふけゆくままに近くなるかな(千載309)

【通釈】秋の夜にあっては、同じ峰で鳴く鹿の声が、時と共に澄んで、次第に耳に近く聞えてくるのだな。

一品聡子内親王、仁和寺に住み侍りける冬ごろ、かけひの氷を三のみこのもとに贈られて侍りければ、つかはしける

山里のかけひの水のこほれるは音聞くよりもさびしかりけり(千載1103)

【通釈】山里の筧(かけい)の水は、その音もあわれなものですが、氷ったのを見るのは、いっそう寂しいものでした。

【語釈】◇聡子内親王 輔仁親王の異母姉。延久五年(1073)父後三条帝崩後、出家して仁和寺に住んだ。◇三のみこ 第三皇子。作者の輔仁親王を指す。

題しらず

いかにせん思ひを人にそめながら色に出でじと忍ぶ心を(千載646)

【通釈】この気持を、どうしよう。私の心には、あの人が染み付いてしまったのに、色には出すまいと怺えているのだ。

【語釈】◇そめながら 「そめ」に初め・染めの両意が掛かる。人に恋い初めたことと、色を染めるようにその人が心に染み付いたこと。◇色に出でじ 「色」は顔色・そぶりなど。

題しらず

秋来れば秋のけしきも見えけるを時ならぬ身と何にいふらん(千載1185)

【通釈】秋が来れば、秋の景色が見られるではないか。季節には、その時々にふさわしい情趣というものがあるのだ。それなのに、自分が時に遇わない身だなどと、何を根拠にして言うのだろうか。たしかに私はわびしい思いをしているが、秋というこの季節にはちゃんと合っているのだ。

【補記】父後三条帝は輔仁親王を皇太子に立てるべしとの遺志を伝えたというが(『源平盛衰記』)、兄白河院は自分の子を即位させた。親王が自らを「時ならぬ身」と呼ぶ背景には、このような皇位継承問題が絡んでいると思える。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日