進子内親王 しんしないしんのう(ますこ-) 生没年未詳

伏見院の皇女。母は坊門基輔女、後伏見院兵衛督(永福門院内侍の妹)。
両親と早くに死別し、伯母の永福門院内侍に養われ、播磨国賀茂庄に居住。康永二年(1343)頃までに上洛するが、これ以前に出家していた。同四年、内親王宣下。
徽安門院徽安門院一条と共に後期京極派の代表的女流歌人。康永二年(1343)以前の院六首歌合、応安三〜四年(1370-1371)頃の崇光院仙洞歌合など、後期京極派の歌合に出詠。また貞和・延文・永和の各百首歌の作者に列なるなど、歌人として重んじられた。風雅集初出(二十八首)。勅撰入集は計四十三首。

  6首  3首  2首  6首  3首 計20首

のどかなるけしきをよもにおしこめて霞ぞ春のすがたなりける(風雅8)

【通釈】のどかな四囲の風景をすっかりその中に包み込んで――霞こそが春の姿なのだなあ。

【補記】「すがた」には「服装、身なり」といった意味があり、その側面から考えると、擬人化された春が纏う衣裳に霞を見立てているとも取れる。

花はまだ柳のいとの浅みどりくる人あれな此頃の春(延文百首)

【通釈】花はまだ咲かず、美しい色と言ったら柳の葉の浅緑くらいだけれど、来る人があってほしいな、今頃の春の季節にも。

【補記】花見の季節なら自ずと客もあろう。浅春のまだ淋しい季節だからこそ人恋しい。「浅みどり」に春の「浅」いことを掛ける。また「くる」は糸の縁語「繰る」と掛詞。

【参考歌】伏見院「御集」
みちのべや柳むらむらみどりにて花はまだしきこのごろの春

春のあしたといふことを

ひらけそふ梢の花に露みえて音せぬ雨のそそく朝あけ(風雅198)

【通釈】咲き添う梢の花びらに露が見えたかと思えば、音をたてずに雨が降り注いでいる朝明けよ。

【補記】あまり静かに降っていたので、花の上の露が雨の雫であると最初は気づかなかったのである。「音せぬ雨の」は伏見院に先蹤があるが、当詠は動詞「そそく」に素っ気なくつなげ、清雅な気品を生んだ。

【参考歌】伏見院「御集」
のどかなる夕べのながめ春にして音せぬ雨の暮ぞさびしき

題しらず

山うすき霞の空はややくれて花の軒ばににほふ月かげ(風雅205)

【通釈】霞がたちこめ、山もうっすらと見えた空は、いよいよ暮れて、花の咲く軒端に月の光が美しく映えているよ。

山あらしのあらくすぎつる一とほり花のふぶきに空とぢぬなり(延文百首)

【通釈】山嵐が荒々しく過ぎて行った通り路は、花吹雪によって空が塞がれてしまったようだ。

【主な派生歌】
山嵐にうき行く雲の一とほり日かげさながら時雨ふるなり(儀子内親王[風雅])

百首歌の中に

春もはや嵐のすゑにふきよせて岩ねの苔に花ぞのこれる(風雅294)

【通釈】春も既に去ってしまったのだろう――嵐の終着点にまで吹き寄せられて、岩根の苔に散った花びらが残っている。

【補記】山奥の岩の苔の上に散り敷いた花に、嵐と共に過ぎ去った春の名残を見た。嵐に「あらじ」を掛ける。貞和二年(1346)の貞和百首。

【参考歌】中山家親「玉葉集」
吹きよわるあらしの庭の木のもとに一むらしろく花ぞ残れる

夏の御歌に

早苗(さなへ)とる山もと小田に雨はれて夕日の峰をわたる浮雲(風雅357)

【通釈】早苗取りをしている山裾の田に降っていた雨はあがって、夕日の射し始めた峰々を浮雲が渡ってゆくよ。

【補記】麓から頂へ、早苗取りという人事から浮雲という自然へ、視線の転換が鮮やかで、快い開放感をもたらす。

蝉を

雨はれて露ふきはらふ梢より風にみだるる蝉のもろごゑ(風雅418)

【通釈】雨があがった後、梢の滴を吹き払って風が吹く――その風に乱されながら、一斉に鳴き始めた蝉たちの声が届く。

【参考歌】俊成卿女「風雅集」
雨はれて雲ふく風になく蝉の声もみだるる森のした露

夜納涼といふ事を

もりかぬる月はすくなき木の下に夜ぶかき水の音ぞすずしき(風雅435)

【通釈】葉が盛んに茂ってなかなか光が洩れてこず、月明りの少ない木蔭にいると、夜更けの水の流れの音が涼しげだ。

【参考歌】藤原道経「千載集」
夕されば玉ゐる数もみえねども関の小川の音ぞすずしき
  二条教良女「玉葉集」
いりがたの月はすくなき柴の戸にあけぬ夜ふかき嵐をぞ聞く

秋田

見わたせばはるかにつづく小山田の色こきかたは刈りそめにけり(延文百首)

【通釈】見渡せば遥かに続く、山間(やまあい)の水田――稲の色の濃い方はもう刈り取りを始めたのだなあ。

【参考歌】安嘉門院四条「玉葉集」
色々にほむけの風を吹きかへてはるかにつづく秋の小山田

百首歌たてまつりし時、秋歌

見るままに壁にきえゆく秋の日のしぐれにむかふ浮雲の空(風雅704)

【通釈】見るうちに壁に消えてゆく秋の日――晩秋の衰えた太陽が、時雨を降らす浮雲と向き合っている空よ。

【補記】「むかふ」は京極派の好んだ詞。貞和百首。

【参考歌】永福門院「風雅集」
ま萩ちる庭の秋風身にしみて夕日のかげぞかべに消え行く

初逢恋の心を

今朝よなほあやしくかはるながめかないかなる夢のいかが見えつる(風雅1023)

【通釈】今朝はまあ一層あやしい様に変わった物思いだことよ。どんな夢をどんな風に見たというのか。

【補記】初めて恋人と共に夜を過ごした翌朝の恋心を詠む。「夢」ははかない情事の喩え。康永二年(1343)冬以前の院六首歌合。作者は「新中納言」の隠名で出詠。四十番左持。

【参考歌】作者不明「長秋詠藻」「玉葉集」
いかにみしいかなる夢のなごりぞとあやしきまでは我ぞながむる

恋歌の中に

むなしくて明けつる夜はのおこたりを今日やと待つにまた音もなし(風雅1086)

【通釈】むなしく待ちぼうけして明けてしまった夜――その夜の怠りを詫びに今日は来るかと待つけれども、また音沙汰も無い。

【語釈】◇おこたり 怠慢・手抜かり・無沙汰といった意味と、謝罪・お詫びの意味がある。その両方を兼ねた使い方。

百首歌の中に

出でがてにまた立ちかへり惜しむ間に別れの戸口あけ過ぎぬなり(風雅1122)

【通釈】出て行き難く、再び戻って別れを惜しむ間に、戸口はすっかり開き過ぎ、差し込む光は明るくなり過ぎてしまった。

【語釈】◇あけ過ぎぬ 「あけ」は「開け」「明け」の掛詞。

【補記】「出で」「立ちかへり」の主語は、女の家で一晩を過ごし、明け方に帰ってゆく男。いわゆる後朝の歌である。貞和二年(1346)の貞和百首。

恋の御歌の中に

あはれさらば忘れてみばやあやにくに我がしたへばぞ人は思はぬ(風雅1144)

【通釈】ああそれなら、あの人のことを忘れてみたいものだ。皮肉なことに、私が慕えばあの人は思ってくれないのだから。

院五首歌合に、恋憂喜といふ事を

憂きにそふあはれに我もみだされて一方(ひとかた)にしもえこそさだめね(風雅1165)

【通釈】辛いと思う気持ちに伴う愛しさに、私も心を乱されて、どちらか一方に思いを定めることができないのだ。

【補記】「憂し」と「あはれ」は恋歌においてはしばしば対義語として用いられた(【参考歌】)。

【参考歌】よみ人しらず「古今集」
あはれとも憂しとも物を思ふ時などか涙のいとながるらむ

恋命

空の色草木をみるもみなかなし命にかくる物を思へば(風雅1234)

【通釈】空の有様を見るのも、草木を見るのも、すべて切ない。生き死ににかかわるほどの物思いをしているので。

【補記】第三句「又かなし」とする本もある。

【参考歌】藤原定家「拾遺愚草員外」
はかなくも命にかくる思ひかなとばかり見まし夏虫の身を
  永福門院「風雅集」
月の夜半雲の夕べもみなかなしそのよにあはぬ時しなければ

雑歌の中に

聞き聞かずおなじひびきもみだるなり嵐のうちの暁の鐘(風雅1632)

【通釈】聞こえたり聞こえなかったり、同じ響きもまちまちのようだ。嵐の中の暁の鐘の音は。

【参考歌】宇都宮景綱「玉葉集」
はつせ山をのへの雪げ雲はれて嵐にちかき暁の鐘

題しらず

たちのぼる(けぶり)さびしき山もとの里のこなたに森のひとむら(風雅1701)

【通釈】立ちのぼる細い煙が淋しげな山の麓の里――その手前に、一群の樹木が茂った森がある。

【補記】「森のひとむら」は鎮守の森であろう。人里と神域を一望する、懐かしい叙景。

雨を

雲しづむ谷の軒ばの雨の暮ききなれぬ鳥のこゑもさびしき(風雅1767)

【通釈】雲が低く垂れ込める谷――庵の軒端に雨が降る夕暮、聞き馴れない鳥の声も淋しさを誘う。

【補記】草庵を結んで間もないことが、「ききなれぬ」に示されている。


更新日:平成15年01月21日
最終更新日:平成19年10月22日