徽安門院 きあんもんいん 文保二〜延文三(1318-1358) 諱:寿子

花園院の皇女。母は宣光門院実子(大納言藤原実明女)。永陽門院(後深草院皇女)の猶子。儀子内親王の同母姉妹。
幼少期は玄輝門院御所衣笠殿に過ごすか。建武四年(1337)二月三日、内親王宣下。同七日、准三后・院号宣下。暦応四年(1341)四月、光厳天皇の後宮に入る(『竹むきが記』。同書によれば院号宣下はこの暫く後)。子はなさず、崇光天皇後光厳天皇の准母となる。延文元年(1356)出家し、萩原に庵を構えて住す。延文三年四月二日、薨去。四十一歳。
後期京極派の代表的女流歌人。康永二年(1343)院六首歌合、貞和五年(1349)八月九日の光厳院三十六番歌合、貞和五、六年頃の三十番歌合などに「新大納言」の隠名で出詠。勅撰入集は風雅集と新千載集のみ、計三十二首。

  3首  2首  3首  2首  6首  4首 計20首

遠村梅を

ひとむらの霞の底ぞにほひゆく梅の梢の花になるころ(風雅70)

【通釈】ひとかたまりの霞の底がだんだんと美しい色に映えてゆく。梅林の梢々に花がつく頃には。

【補記】「にほひ」には当然梅の芳香が含意される。第二句、流布本は「霞の底に」。

【参考歌】九条良経「新勅撰集」
花はみな霞の底にうつろひて雲にいろづくをはつせの山

春歌とて

心うつすなさけよこれも夢なれや花うぐひすの一ときの春(風雅1491)

【通釈】季節ごとに心を移す情趣よ、これもまた夢にすぎないのか。花が咲き鶯が鳴く、わずかな間の春は。

【補記】風雅集では雑の巻に載る。

【参考歌】永福門院「玉葉集」
心うつるなさけいづれとわきかねぬ花ほととぎす月雪のとき

題しらず

そことなき霞の色にくれなりてちかき梢の花もわかれず(風雅204)

【通釈】あたり一帯霞の色に染まったまま夕暮になって、近くの梢の花さえ見分けられないよ。

【補記】「くれなり」は京極派独特の用語。

【参考歌】藤原為子「為兼家歌合」
花霞色わかれつるをちかたはかをるばかりに暮なりにけり

夏雨

ふりよわる折々空のうすひかりさてしもはれぬ五月雨のころ(三十六番歌合)

【通釈】時々雨が弱まるたび空は薄明るくなり、そうだからと言って晴れるわけではない、五月雨の頃。

【補記】貞和五年八月の光厳院主催の歌合。七番左勝。判詞には「をりをり空のうすひかりさてしもはれぬといへる、五月雨の時景さるおもかげ侍りて、その興あるよし各申し侍りき」と衆議好評であったことを伝える。

題しらず

行きなやみてる日くるしき山道にぬるともよしや夕立の雨(風雅409)

【通釈】進むのに難儀し、照りつける日光も苦しい山道に、濡れてもよい、夕立の雨が降ってくれないものか。

【補記】和歌では夏の炎暑の苦しさを詠むことは珍しい。

【主な派生歌】肖柏「春夢集」
おもひこし不破の関屋の旅ねかなぬるともよしや夕暮の雨

秋御歌に

月をまつくらき籬の花のうへに露をあらはす宵のいなづま(風雅577)

【通釈】月の出を待つ宵――暗い垣根の花の上に、一瞬露を照らし出す稲妻よ。

【補記】露を照らし出す稲妻を詠んだのは新古今の有家作「風わたる浅茅がすゑの露にだにやどりもはてぬ宵の稲妻」が名高い。徽安門院の作は、月の出ていない闇夜であることを示した上で、閃光によって出現する露のイメージに焦点を絞り、その一瞬の美を捉えた。

題しらず

くまもなく閨のおくまでさしいりぬむかひの山をのぼる月かげ(風雅585)

【通釈】余すところなく寝室の奥まで射し入ったことよ。窓の真向いの山から昇った月の光は。

【補記】簡潔な表現、明晰な構図の室内画。

題しらず

しほりつる野分はやみてしののめの雲にしたがふ秋のむらさめ(風雅649)

【通釈】草木を撓ませて吹いていた野分は止んで、明け方のほの白む雲に従うように野を通り過ぎてゆく秋の叢雨よ。

【補記】激しい風雨が去ってゆく夜明けの野の情景をヴィヴィッドに描出。

【参考】伏見院「御集」
めぐりゆく雲にしたがふ村時雨いく里かけて冬をつぐらん

冬雲を

こほるかと空さへみえて月のあたりむらむら白き雲もさむけし(風雅781)

【通釈】空さえ氷るかと見えて、月の周囲に所々群がる白い雲も寒々としている。

【補記】冬の冴えた月光に照らされた雲の寒々しさを、「むらむら白き」と色によって印象づけた。院六首歌合、十二番左勝。

朝雪といふ事を

うすぐもりまだはれやらぬ朝あけの雲にまがへる雪のとほ山(風雅845)

【通釈】うっすらと曇り、まだ晴れきらない明け方の空に、雲と見まがうように真っ白な、雪を被った遠山。

恋硯といふ事を

いつとなく硯にむかふ手ならひよ人にいふべき思ひならねば(風雅977)

【通釈】いつとはなしに硯(すずり)に向かってものを書き付けているよ。人に向かって口にできるような思いではないので。

【補記】手習は習字のことだが、思い浮かぶ歌などを無造作に筆にすることをも言う。

【参考】源氏物語「手習」
「思ふことを人に言ひつづけん言の葉は、もとよりだにはかばかしからぬ身を、まいてなつかしうことわるべき人さへなければ、ただ硯に向ひて、思ひあまるをりは、手習をのみたけきことにて書きつけたまふ」

六帖題に、いひはじむといふ事を

大かたになれし日ごろもうときかなかかる心をおもひけるよと(風雅1012)

【通釈】特別な間柄ではなしに馴れ親しんだ日々も、今になれば疎ましく感じられるなあ。あの頃も、あの人はこんな風に思っていたのかと……。

【補記】「かかる心」とは、自分に懸想している相手の心。物語における一場面の登場人物の心理描写を歌にしたような作。詞書は、『古今和歌六帖』にある類題「いひはじむ」(初めて思いを告白する)を題に詠んだということ。

【参考】源氏物語「葵」
「かかる御心おはすらむとはかけても思し寄らざりしかば、などてかう心うかりける御心をうらなく頼もしきものに思ひきこえけむ、とあさましう思さる」

六首歌合に、恋始といふことを

思ふてふことはかくこそ覚えけれまだしらざりし人のあはれの(風雅1016)

【通釈】恋するということは、こういうことだったのかと悟ったよ。今まで知らなかった、人の情愛にふれて…。

【補記】言いさした結句が、初めて恋を知った感情に絶妙のニュアンスを添えている。院六首歌合、三十四番左勝。

題しらず

うからぬもましてうきにもあはれあはれよしなかりける人にちぎるを(風雅1177)

【通釈】恋人がさほど冷たくない時でもそう思うけれど、ましてつれない時には、ああ我が身が哀れでならないよ、本来縁のなかった人と契りを結んでしまって。

 

あはれなるふしもさすがにありけるよ思ひ()でなき(ちぎり)と思へど(風雅1178)

【通釈】情緒のある折節もさすがにあったよ。思い出もない程はかないあの人との関係だったとは思うけれども。

【補記】結句「ちぎりと思へば」とする本もある。その場合は「そう思えば、かえって」程の意になる。

【参考歌】伏見院「御集」
うきながら年ふる中もさすがなるあはれのふしのつもらずはなし

恋歌の中に

まよひそめし契おもふがつらきしも人にあはれの世々にかへるよ(風雅1329)

【通釈】この恋に迷いはじめた原因である前世の因縁を思うのは心苦しい――心苦しいのだけれども、世々繰り返されてきた、人への愛執の念に帰ってゆくことだよ。

【補記】「つらきしも」の助詞「しも」は、この場合、活用語の連体形について「…にもかかわらず」程の意を表わす用法。

雑歌に

夕日さす峰はみどりのうすくみえて影なる山ぞ分きて色こき(風雅1649)

【通釈】夕日の射している山の高みは木々の緑が薄く見えて、日陰になっている辺りはとりわけ色が濃く見える。

【補記】光の明暗と色の濃淡の関係に興趣を発見。陰翳こそが色彩を際だたせる。

【参考歌】後伏見院「風雅集」
鳥のゆく夕べの空のはるばるとながめの末に山ぞ色こき

雑歌に

ともし火は雨夜(あまよ)の窓にかすかにて軒のしづくを枕にぞきく(風雅1675)

【通釈】雨夜の窓辺に置いた灯火は、湿気のため幽かに燃えるばかり――眠れぬ私はその火を見つめながら、軒をたたく雨の雫の音を枕もとに聞いている。

【補記】深夜の灯火に向かう孤独な心境は京極派に好んで取り上げられた。

康永二年歌合に、雑色といふことを

みどりこき日影の山のはるばるとおのれまがはずわたる白鷺(風雅1739)

【通釈】緑濃い、日の射す山が遥々と見渡され――その山を背景に、自身の姿をくっきりと見せて飛んでゆく白鷺よ。

【補記】院六首歌合、七十一番左勝。

【参考歌】藤原定家「玉葉集」
夕立の雲まの日かげ晴れそめて山のこなたをわたる白鷺
  伏見院「御集」
見わたせば秋の夕日のかげはれて色こき山をわたる白鷺

雑歌に

身こそあらめ心を塵のほかになしてうき世の色に染まじとぞ思ふ(風雅1816)

【通釈】身体は俗世にあるとしても、心を俗塵の圈外に置いて、浮世の色には染まるまいと思うよ。

【補記】院六首歌合、八十一番左勝。


更新日:平成14年12月22日
最終更新日:平成23年03月21日