藤原公能 ふじわらのきんよし 永久三〜永暦二(1115-1161) 号:大炊御門右大臣

徳大寺左大臣実能の一男。母は藤原顕隆の娘。実定(後徳大寺左大臣)・実家(川原大納言)・公衡・忻子(後白河院中宮)・多子(近衛天皇・二条天皇后)らの父。藤原俊忠の娘を妻とし、俊成とは義兄弟にあたる。
元永三年(1120)、叙爵。大治二年(1127)、昇殿。同六年、蔵人。左中将・蔵人頭などを経て、保延四年(1138)、参議兼右大弁。同七年、権中納言。永治二年(1142)、正三位。天養二年(1145)、従二位。久安四年(1148)、正二位。同六年、中納言。保元二年(1157)、権大納言。平治二年(1160)八月、右大臣に至ったが、翌年の永暦二年八月、四十七歳で薨じた。
天承元年(1131)の中殿御会、長承元年(1132)の内裏十五首歌会、保延元年(1135)の内裏歌合、同三年の中宮権亮経定歌合などに出詠。また久安百首の作者。自邸でも歌会を催した。管弦や朗詠にも秀でたという。詞花集初出。勅撰入集三十三首。

下紐はとけずはとけず小夜衣そのうつり香にしむ身ともがな(久安百首)

【通釈】夜着の下紐が解けないなら解けないでいい。その移り香を身に染ませたい。

【語釈】◇下紐はとけず 人から恋心を持たれると、下紐が自然に解けるという俗信があった。

崇徳院に百首歌たてまつりける時

我が恋は千木ちぎのかたそぎ難くのみ行き逢はで年のつもりぬるかな(新古1114)

【通釈】私のあなたへの恋は、いわば千木の片削ぎだ。逢うことがただもう難しく、千木が交差するように行き逢うことなくて何年も経ってしまったよ。

【語釈】◇千木のかたそぎ 千木は屋根の両端の材木が棟で交差して高く突き出した部分。神社建築などに見られる。かたそぎは千木の片端を縦に切り落としたもの。「千木のかたそぎ」で「難く」を導く序。

【補記】久安六年(1150)までに完成した久安百首の一。

【他出】定家十体(有一節様)、定家八代抄

【本歌】住吉明神「新古今集」
夜や寒き衣やうすき片削ぎの行きあひのまより霜や置くらん

【参考歌】源俊頼「堀河百首」
住吉のちぎのかたそぎ行きもあはで霜おきまよふ冬は来にけり

新院位におはしましし時、上のをのこどもを御前に召して、寝覚の恋といふことをよませ給ひけるによめる

なぐさむる方もなくてややみなまし夢にも人のつれなかりせば(詞花194)

【通釈】夢でもあの人がつれなかったなら、何一つ慰めるすべもなかったなんて結果になったかも知れないなあ。夢では情けある態度だったので、私の心も少しだけ慰められたよ。

【語釈】◇新院 崇徳天皇の譲位後の称。「位におはしましし時」とは、天皇在位期間。保安四年(1123)から永治元年(1141)まで。

【参考歌】永源法師「後拾遺集」
恋してふことを知らでややみなましつれなき人のなき世なりせば


最終更新日:平成15年05月24日