上杉謙信 うえすぎけんしん 享禄三〜天正六(1530-78) 号:不識菴

越後守護代長尾為景の子として、越後国頸城郡に生れる。母は虎御前。幼名は虎千代、その後長尾景虎と名乗った。謙信は出家後の名。
天文十七年(1548)、兄晴景と争い、長尾の家督を譲られて春日山城主となる。北陸・信濃・関東に出陣を重ね、ことに甲斐の武田信玄とは信濃の覇権をめぐって鎬を削った。永禄四年(1561)、関東管領を受領して上杉に改姓。同年、小田原の北条氏康を攻めて敗走させた。その後氏康と結び信玄に相対したが、信玄は元亀四年(1573)に病没。その後、北陸に進出した。同五年、剃髪して不識庵謙信と号する。天正四年(1576)、毛利氏と連合して織田信長と対立。翌年織田方の能登七尾城を落し、さらに信長軍を加賀手取川に粉砕した。同六年、出陣の直前、脳卒中で急死した。四十九歳。
春日山城で歌会を催すなど、歌道には熱心だった。細川幽斎より和歌口伝一巻を贈られたという。

 

もののふの鎧の袖をかたしきて枕にちかき初雁のこゑ(続武家百人一首)

【通釈】武士の着る鎧の袖を片方だけ敷いて寝ていると、枕もとにありありと聞こえる初雁の声よ。

【補記】天正五年(1577)秋、越中魚津城にあった時の作。『名将言行録』にも載る。

【参考歌】
わすれずよかりねに月をみやぎのの枕にちかきさをしかの声(藤原良経)
山里のみねの木の葉や散りぬらん枕に近き秋のかりがね(順徳院)

 

野伏(のぶし)する鎧の袖も楯の端もみなしろたへのけさの初雪(北越軍記)

【通釈】野に臥して目覚めれば、枕とした鎧の袖も、そのそばに立てた楯の側面も、みな真っ白になった、今朝の初雪よ。

【補記】天正五年九月、越前での作と伝わる。末句「けさの初霜」とする本も。


更新日:平成15年03月21日
最終更新日:平成15年03月21日